散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

何度目かの川崎市立日本民家園(5)

(8)山田家住宅(やまだけじゅうたく)《信越の村》
外観
「蓮如上人が泊まった」という言い伝えもある由緒有る家。そして、密かに塩硝づくりに励んでいたようだ。飛び抜けて辺境の地にありながら、裕福な生活を営んでいた様子が伺える。当日は床上公開を行っている対象になっていなかったので、奥の様子は撮ることが出来なかった。
外観_1
外観_2
外観_3
床が高い感じがする。超短足の私には抵抗がある高さだ。火薬の原料となる塩硝を作っていたためと考えられているそうだ。当時の高度な機密がここにはあったようだ。
外観_4
外観_5
肥料小屋を兼ねた便所
まあ、これも塩硝づくりの材料の内
肥料小屋を兼ねた便所
山田家住宅の間取り
山田家住宅の間取り
うすなわ
通常の家屋なら土間になっているところが頑丈な板張りの床になっている。勝手口の様子は床上げ公開対象になっていなかったのでわかりにくいと思われるが、水舟と呼ばれる外から水を導いた流しがある。あふれた水は外の排水口へ流れだす仕掛けに。腰掛けて仕事ができるようになっていたのかもしれない。
その他のスペースはおそらく塩硝づくりの作業スペースだったのだろう。

うすなわ_1
うすなわ_2
マヤ
本当にマヤだったのかどうかわからない。この仕掛のようにここで塩硝を作っていたのかも。多分、説明の都合上、マヤに説明品一式を置いただけと思うが。調べてみたら、炉端で囲炉裏の熱が利用できるところ(該当するのはオイエのみ)で塩硝づくりの重要な過程である発酵を行っていたようだ。マヤは本来の目的どおり馬をつないでおくスペースだったようだ。
塩硝づくりの説明
塩硝づくりに使用された大釜
塩硝づくりの説明_1
ごく大雑把な説明だった。これでも真似することも出来ないのでは。
塩硝づくりの説明_2
塩硝づくりの説明_3

加賀塩硝についての説明が詳しいHPへjump

神奈川県指定文化財
旧所在地:富山県南砺市桂(かつら)
建物区分:農家、合掌造
構造形式:切妻造、一重三階、茅葺、桁行14.9m、梁行9.5m
建築年代:18世紀初期

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
蓮如上人が泊まったという言い伝えのある古い合掌造り
この住宅があった桂集落は、秘境といわれた五箇山でも特に辺境にありました。桂に一番近い集落は国境を越えた加須良(飛騨)でした。そのため山田家は切妻造の外観など、五箇山にありながら飛騨白川の影響を受けたと考えられています。高度成長とともに過疎化が進行して昭和45年に解村し、現在は桂湖というダム湖に沈んでいます。
山田家は、桂にあって「チョウナ仕上の家」として語りつがれていました。「蓮如上人が泊まった」という言い伝えもあり、年代の古い合掌造りとして重要な民家です。
大戸口を入るとマヤのある土間、その奥にウスナワという低い板の間が続いています。ウスナワは流しを設けた台所兼作業場です。水は懸樋でとり入れていました。
一番奥の畳敷きの部屋は正式な座敷です。五箇山は浄土真宗の盛んな地域で、上手には大きな仏壇が設けられています。
見どころポイント!
床下が高いのは、火薬の原料となる塩硝を作っていたためと考えられています。
左手にある小さな合掌造りは、肥料小屋を兼ねた便所です。


(9)野原家住宅(のはらけじゅうたく)《信越の村》
この家屋も、当日は床上公開を行っている対象になっていなかった。だが、渡し籠の様子が観察できたので、個人的には満足だ。
外観
外観_1
外観_2
外観_3
渡し籠
非常に怖い。どうしても私には使う気にはなれそうにない。
渡し籠_1
渡し籠_2
大戸口のところにちらと見える蔓を編んだものが、渡し籠を吊り下げていた『綱』だったようだ。何年くらい保ったものだろうか。ぷっつり切れたら、利賀谷に真っ逆さまで、遥か下流まで流されてしまうことだろう。
渡し籠_3
渡し籠_4
渡し籠_5
屋内の様子
中央の巨大な梁「牛梁」、前後に架け渡した曲がりの鋭い梁「チョウナ」が確認いただけただろうか。
屋内の様子_1
屋内の様子_2
屋内の様子_3
屋内の様子_4
屋内の様子_5
神奈川県指定文化財
旧所在地:富山県南砺市利賀村利賀
建物区分:農家(組頭の家)、合掌造
構造形式:切妻造、一重三階、各面とも庇付、茅葺、桁行17.5m、梁行10.6m
建築年代:18世紀後期

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
迫力満点の梁がみられる合掌造の家
「越中五箇山」とは、庄川本・支流域の五つの谷(赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷)を中心とした地域の総称です。野原家は庄川支流域の利賀(とが)谷にあった合掌造で、庄川本流域の合掌造とは間取りや構造に違いがあります。
まず間取りですが、庄川本流系が四間取りを基本とするのに対して、広間型三間取りとなっています。大戸口を入ると、土間前半はウマヤ、後半は台所と作業場を兼ねたニワです。ウマヤ前方の細い通路は外便所に通じていました。オエは日常生活の中心となる場で、囲炉裏を二つ設けています。
中央の巨大な梁を「牛梁」、ここから前後に架け渡した曲がりの鋭い梁を「チョウナ」といいます。迫力あるその様子は合掌造民家の大きな見どころです。
見どころポイント!
入って右手の渡し籠は、深い谷を渡るための人力ロープウェーです。
広間天井の太い梁を「牛梁」、ここから前後に渡してある曲がった梁を「チョウナ梁」といいます。
江向家、山田家、野原家を比べてみましょう。同じ五箇山の合掌造でも様々な違いがあります。

Comments

 
昔、加賀藩は幕府に内緒で五箇山で煙硝をつくっていたことは知られています。
その煙硝を運んだ秘密の道が今も煙硝街道として残っています。
 
こんにちは。

今では中国などの乾燥地帯に鉱物として蓄積された硝酸カリウムを使う様になったので、国内生産は手間と時間が掛かり過ぎる点が敬遠されて消えてしまったのですが、その際に文書などの記録があまり残らなかったのが痛いですね。その点では当時の「秘密主義」が裏目に出てしまったと言えますね。
AzTakさん 
こんにちは
渡し籠、とても乗る気にはなれません。
吊り橋でさえ、高いのはごめんです。
しかし、いかに平家の落人といえども、よくまあそれほどの山のに住んで、それなりに文化の行き来が有ったんですね。
こんにちは 
塩硝と言えば、火薬の原料ですよね。
こんな所でも作られていたんですね~
勉強になりました。
渡し籠・・・高所恐怖症の僕には無理(^^;
こんばんは 
雪深い五箇山では塩硝を作るノウハウがあったのですね。ほかにも生活のために様々に知恵を使い工夫の後を感じることが出来ます。私たちも学ぶべき姿勢が多々ある気がしますわ。
越中五箇山と言えば高校時代にギター片手に「コキリコ節」を意味も理解しないまま、素朴なメロディーを好んで歌っていましたよ。^^;
Re: タイトルなし 
つぅたろうさん、こんばんは。

> 昔、加賀藩は幕府に内緒で五箇山で煙硝をつくっていたことは知られています。
> その煙硝を運んだ秘密の道が今も煙硝街道として残っています。

凄い道のようですね。もともと極秘もいいところだったでしょうから、道らしい道はわざと用意しなかったのでしょうね。
本当に命がけで運んだのでしょうね。
Re: タイトルなし 
> こんにちは。

kanageohis1964さん、こんばんは。

> 今では中国などの乾燥地帯に鉱物として蓄積された硝酸カリウムを使う様になったので、国内生産は手間と時間が掛かり過ぎる点が敬遠されて消えてしまったのですが、その際に文書などの記録があまり残らなかったのが痛いですね。その点では当時の「秘密主義」が裏目に出てしまったと言えますね。

今は何でも安い天然資源を使って済ませていますが、発酵技術などで、エネルギーや資源を作り出すことも重要なんでしょうね。
今は、原子力の事故があり、代替資源として天然ガスをバンバン使っていますが、いずれ枯渇してしまいますよね。エネルギー創出は喫緊の課題なんですが。
Re: AzTakさん 
> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 渡し籠、とても乗る気にはなれません。
> 吊り橋でさえ、高いのはごめんです。

ははは、右に同じです。

> しかし、いかに平家の落人といえども、よくまあそれほどの山の奥に住んで、それなりに文化の行き来が有ったんですね。

よくぞ煙硝の作り方などを考え出したものですね。平家の底力なんでしょうか。観察眼が飛びぬけて鋭い人物がいたのでしょうね。
Re: こんにちは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 塩硝と言えば、火薬の原料ですよね。
> こんな所でも作られていたんですね~
> 勉強になりました。

加賀藩ですから。大藩を維持していく上で、幕府に知られずに自由になるお金が必要だったのでしょう。極秘中の極秘だったのでしょう。

> 渡し籠・・・高所恐怖症の僕には無理(^^;

これは本当に怖かったことでしょう。もしかしたら別の道を通れば陸路伝いに行くことはできたのかもしれませんが、大変な回り道だったのでしょうね。
Re: こんばんは 


めぐるさん、こんばんは。

> 雪深い五箇山では塩硝を作るノウハウがあったのですね。ほかにも生活のために様々に知恵を使い工夫の後を感じることが出来ます。私たちも学ぶべき姿勢が多々ある気がしますわ。

他じゃ考え付かなかったようなことをモノにした。むちゃくちゃ凄いノウハウがあったものですね。平家の残党も良くやるものです。頭が下がります。

> 越中五箇山と言えば高校時代にギター片手に「コキリコ節」を意味も理解しないまま、素朴なメロディーを好んで歌っていましたよ。^^;

相当山の中なんでしょう。生活は相当に厳しかったのでしょうね。ここが演劇の聖地になるとは、当時の人は思いもよらないことだったでしょうね。
こんにちは。 
こんな茅葺きや土間の古民家を見て、懐かしい!と
思う世代はいつまで続くのでしょうか?
全く興味がない!と思っている若い世代に変わりつつあります。
「日本民家園」いつまでも多くの人に訪れて欲しいですね。
Re: こんにちは。 
S-masaさん、こんばんは。

> こんな茅葺きや土間の古民家を見て、懐かしい!と
> 思う世代はいつまで続くのでしょうか?
> 全く興味がない!と思っている若い世代に変わりつつあります。

実は若いころは私もやっと脱出できた世界で、余り振り返らないようにしていました。都会人気取りしていたのです。2011年のことがなければ、あるいは、そのままだったかもしれません。
今の人は、生まれた時から、こういうものに接すること無く育ってきたので、もしかしたら、見ても特別な感慨無しなのかもしれませんね。

> 「日本民家園」いつまでも多くの人に訪れて欲しいですね。

日本人の拠って来る文化をみることができる絶好の機会です。どんどん行ってみてほしいものですね。

Body

« »

08 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
メッセージボードα
Information from AzTak

8月7日(月)は、早朝から長時間外出のため、私からのアクセスは遅れます。大変申し訳ありません。m(_ _)m

-- E N D --
.
.
プロフィール

AzTak

Author:AzTak
FC2ブログへようこそ!

定年後の時間たっぷりの輩です。写真撮影やプログラミングが趣味です。

当ブログは、リンクフリーです。

最新コメント
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
QRコード
QR