散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

代官屋敷~豪徳寺~松陰神社~目青不動~駒沢給水塔(2)

世田谷郷土資料館(2)
館内の展示(2)
内行花文七星鏡
内行花文鏡(ないこうかもんきょう)とは、後漢代の中国や、弥生時代から古墳時代にかけての日本で製造された銅鏡だそうだ。きれいなものだと思った。御岳山古墳からの出土のようだ。等々力の満願寺にあるものが東京都指定有形文化財と記載されているので、こちらはレプリカかな?…写真をよく見たらレプリカの表示が為されてあった。
東京都指定有形文化財(工芸品・考古資料) 
昭和38年10月29日指定
<寸 法> 直径14センチメートル 重量452グラム
<所 在> 世田谷区等々力3丁目15番1号
      満願寺(通常 非公開)
この七鈴鏡は、御岳山古墳(等々力1丁目)から出土した青銅製の鏡(内行花文鏡)で、周囲に7個の鈴がつけられています。
さて、鈴鏡は日本独特の形で、関東・中部地方を中心とした東日本に分布しています。都内では他に大田区で六鈴鏡の1例があるだけで、関東地方で上毛野(現在の群馬県)に発見例が多く、この地域との深いかかわりが想定されています。

内行花文七星鏡
その他の展示品
以下は手当たり次第に面白そうなものを撮った。質問されても答えられないのであしからず。
その他の展示品_1
その他の展示品_2
その他の展示品_3
その他の展示品_4
野毛大塚古墳の埴輪
普通円筒埴輪というものらしい
普通円筒埴輪_1
普通円筒埴輪_2
またも、その他の展示品
その他の展示品_5
その他の展示品_6
その他の展示品_7
その他の展示品_8
その他の展示品_9
その他の展示品_10
その他の展示品_11
その他の展示品_12
その他の展示品_13
その他の展示品_14
その他の展示品_15
ここからは、その他大勢の扱いだった
その他大勢_1
その他大勢_2
その他大勢_3
石皿と磨石(すりいし)
下の皿は石製だったのか
石皿と磨石_1
石皿と磨石_2
野毛大塚古墳第2主体部『石棺』
遂に出てきた石棺。これもレプリカか。
野毛大塚古墳第2主体部『石棺』_1
野毛大塚古墳第2主体部『石棺』_2
世田谷の板碑
大昔の石製の卒塔婆か
世田谷の板碑_1
世田谷の板碑_2

その他いろいろ展示品があった。興味のある向きは足を運んでみては如何だろうか。

Comments

 
古墳ともなるともはや理工系の私にははるかかなたの話なのですが、
関西でも奈良のほうに行きますと、道路わきの大きな石が
古墳の一部であったりと、ロマンあふれるのは、
世田谷も一緒なのですね。
AzTakさん 
こんにちは
弥生から古墳時代には日本でも銅鏡を造れたんですね。
それが残っているんですから凄いもんです。
鋳物の技術は基本的に何千年か、変わらないんですね。
素晴らしいことを発明したもんです。
 
こんにちは
弥生時代から古墳時代にかけての銅鏡や土器、埴輪、石棺等時々資料館で目にすることがありますが、この時代にこうした道具を発明したのは凄いことだと思います。
こんにちは 
古墳とか土器とかは僕は余り得意ではありませんが
関西の方にも古墳は沢山あるようですね^^
遠い昔の物語にロマンを感じます^^
Re: タイトルなし 
cobo-feさん、こんばんは。

> 古墳ともなるともはや理工系の私にははるかかなたの話なのですが、
> 関西でも奈良のほうに行きますと、道路わきの大きな石が
> 古墳の一部であったりと、ロマンあふれるのは、
> 世田谷も一緒なのですね。

世田谷と奈良・京都とを一緒くたにしたら、奈良・京都の人に叱られてしまいます。その昔は今以上に当時の都と地方とでは大きな格差があったんだと思います。
多分、地方を支配していた有力者が都の暮らしぶりにに憧れて、色々とあがいた名残ではないかと考えています。
Re: AzTakさん 
> こんにちは
> 弥生から古墳時代には日本でも銅鏡を造れたんですね。
> それが残っているんですから凄いもんです。

和同開珎よりもはるか以前から鋳造技術は日本にもあったようですね。でも、材料の調達などを考えれば、よほど勢力のあった者でないと手にすること半出来なかったことでしょうね。
元明天皇の時代に武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市)から自然銅(ニギアカガネ)が発見され、慶雲5年(708年)正月11日に朝廷に献上された。これを大いに喜んだ元明天皇は、同日に元号を「和銅」に改元し、その後日本最初の流通通貨となる和同開珎を発行した。

> 鋳物の技術は基本的に何千年か、変わらないんですね。
> 素晴らしいことを発明したもんです。

そうですね。大した技術ですね。美術品としても見事なものです。
Re: タイトルなし 
> こんにちは

花さか爺サンさま、こんばんは。

> 弥生時代から古墳時代にかけての銅鏡や土器、埴輪、石棺等時々資料館で目にすることがありますが、この時代にこうした道具を発明したのは凄いことだと思います。

勢力者のためのものであったにせよ、技術は確立していたようですね。元になる技術は、奈良・京都から、そしてその前は、中国から伝わってきたのでしょうが、地方でもある程度以上は、製造技術があったようですね。
鈴鏡を例に取ると、日本独特の形で、関東・中部地方を中心とした東日本に分布しているようです。都内では他に大田区で六鈴鏡の1例があるだけで、関東地方で上毛野(現在の群馬県)に発見例が多く、この地域との深いかかわりが想定されているとか。何もかにもが奈良・京都からの受け売りという訳ではなかったようです。
Re: こんにちは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 古墳とか土器とかは僕は余り得意ではありませんが
> 関西の方にも古墳は沢山あるようですね^^
> 遠い昔の物語にロマンを感じます^^

関西が絶対的な本場でしょう。関東には何もなかったように思いがちですが、それでも、多少はあったんですねえ。土地を支配していた有力者が都に憧れて、色々と真似をしていったのでしょうかね。
こんばんは 
青銅製の鏡とか土器とか良く探し出したものですけど、推定にせよ年代とか技術水準とか考古学的に解明できるものが多いのでしょうね。現代に暮らす僕ですが独りではこれらの中で何一つ出来ません^^;
Re: こんばんは 
めぐるさん、こんばんは。

> 青銅製の鏡とか土器とか良く探し出したものですけど、推定にせよ年代とか技術水準とか考古学的に解明できるものが多いのでしょうね。現代に暮らす僕ですが独りではこれらの中で何一つ出来ません^^;

古墳などの出土品が殆どなんでしょうね。たいていは、副葬品というものでしょう。自然のマウンドというにはちょっと無理がありそうなマウンドがあれば、古墳かもしれないと当たりをつけて、調査にかかるんでしょうね。
弥生時代以降は、文字文化があるので、記録から年代を推定できたりするようです。それより前の時代は、放射性炭素年代測定法とか、…。
世田谷(多摩川近く)あたりには古墳がいっぱい存在するので、最初の推定が間違っていないとすれば、2番目以下は比較的簡単に推定できるんでしょうね。しからば、最初のものだったら。…慎重にやるんでしょうね。

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