散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

代官屋敷~豪徳寺~松陰神社~目青不動~駒沢給水塔(1)

今回は不精してEOSに高倍率ズームを装着して撮り歩いてみた。画質はがっかりするほど良くなく、これは、カメラか、レンズか、腕前かの原因探しと相成った。やはり、負のスパイラルは良くない。
それでも、当初予定に入れていなかった豪徳寺が思った以上に良かったので、個人的にはそこで救われた感じになった。


世田谷代官屋敷
世田谷代官屋敷は、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20カ村の代官を世襲した大場家の役宅。かなり広大な地域を大名領代官として、統治していたわけだ。下っ端役人とはいえ、大したものだ。
20カ村とは、世田ヶ谷村、太子堂村、馬引沢村、新町村、弦巻村、小山村、上野毛村、下野毛村、野良田村、瀬田村、用賀村、宇奈根村、鎌田村、岡本村、大蔵村、八幡山村、横根村、岩戸村、猪方村、和泉村である。上記のうち、岩戸村、猪方村、和泉村は、現在の狛江市に属し、他はすべて世田谷区に属す。
彦根藩井伊家が譜代筆頭の家柄であることから、江戸藩邸の所用に応じるために幕府から江戸の近くに領地を与えられたものだそうだ。
大名領の代官屋敷としては都内唯一の存在で、昭和27年11月3日、『都史跡』に指定された。また、昭和53年1月21日、大場家住宅主屋及び表門の二棟が、近世中期の代表的上層民家としての旧態を保存しているということで、住宅建造物としては都内で初めて国の『重要文化財』に指定された。

表門…国指定重要文化財
近世中期の代表的上層民家なのかなあ。普通の民家より少しマシくらいにしか見えない。代官そのものが、上層の武士とは言いがたいはずで、…。特に表門は、ペラペラの木材が使用され、今まで持ちこたえてきただけでも不思議なほどにしか見えなかった。
世田谷代官屋敷表門_1
世田谷代官屋敷表門_2
世田谷代官屋敷表門_3
世田谷代官屋敷表門_4
大場家住宅主屋…国指定重要文化財
こちらは薄暗い土間に入ることが出来るだけで、あちこち工事中で思うように近づくことが出来ない。はっきり言って、こんなものかあという程度にしか見えなかった。
この日のトップバッターの印象が良くない。先が思いやられた。

大場家住宅主屋_1
大場家住宅主屋_2
白州跡
白州跡
白州通用門
白州通用門
土蔵
土蔵_1
土蔵_2
土蔵_3
世田谷郷土資料館の代官屋敷関連展示品
ボロ市と代官見回り
ボロ市と代官見回
福禄寿図…大場景福筆
福禄寿図…大場景福筆

世田谷郷土資料館(1)
建物前に展示してあった石碑群
大山道関連のものがほとんどのようだ。大山阿夫利神社はそんなに信仰を集めていたのか。
>建物前に展示してあった石碑群
クローズアップしても大した変わらなかった。それでも奉献した年だけは辛うじてわかった。これは延享四年 (ひのとう 丁卯)かな。
クローズアップしても大した変わらなかった_1
これは享保十三年 (つちのえさる 戊申)かな
クローズアップしても大した変わらなかった_2
クローズアップしても大した変わらなかった_3
大きな道標
延享三丙寅年七月吉日
さがみ
大山道
世田谷上宿同行五十人
は辛うじて読むことが出来たが、左方向が大山阿夫利神社への道だというくらいしかわからない。

大きな道標_1
大きな道標_2

登戸道
本願主
石田十右衛門(最後の2字は心の目で)
右側面も辛うじて読むことが出来た

大きな道標_3
こちらは、お礼の石碑かな
登山三十三度大願…と書かれてあった。大山詣でもきちんと手数を踏まないと思いが叶うものではなかったようだ。
こちらは、お礼の石碑かな

館内の展示(1)
玉川上水木樋
へえ、江戸の街の飲料水がこんな木樋で運ばれていたのか。う~~ん。
上の鎖でつないで置いてある小さな木片の用途がわからない。

玉川上水木樋_1
玉川上水木樋_2
玉川上水木樋_3

興味のある方は、こちらを参照されたい

Comments

おはようございます 
代官屋敷ですから門構えも立派なもので小さな庵が出来そうです。
パイプというものの無い時代は木樋で水を運んでいたのですね。
流しそうめんの時の竹なんかも使われそうですけど木や竹は傷みがすぐにきそうです。
おはようございます! 
AzTakさん、おはようございます!
『京の夏の旅』キャンペーンでの大船鉾の組立というタイトルを見て
オッ!京都まで行かれたのかな?と思ってしまいました 笑)
大きな大船鉾の組み立ては大変そうでしたね!
世田谷代官屋敷が残っていたとは!
それも都内で唯一とのこと!
下っ端役人とは言え、「御代官様~!」ですから 笑)
お白洲があると言うことは、奉行所さながらの裁判劇が行われたのでしょうね!
 
ボロ市と代官見回りの画像を拝見していますと、何やらその時代にタイムスリップをした気分になりますね。
実際にこれだけの人口密度があったかどうかはわかりませんが、当時を想像しなながら時間のたつのを忘れます。
AzTakさん 
こんにちは
江戸時代、世界でも有数の大都市だった江戸、その隅々まで生活用水を届けるには大変な苦労が有ったんですね。
いつの世も、社会インフラ事業は大変です。
こんにちは。 
東京の真ん中に、こんな茅葺きの家があるのですね。
代官屋敷ですか?当時としては立派な造りの家だったのでしょうね。

高倍率は便利ですよ。私もサブ機に18~300を付けています。
確か落合の方の水道局かどこかで 
これが埋まっていた場所の発掘跡を再現してましたね。
いや~徳川家康はほんとにインフラ、民の生活を大切
にしていたんですね。だから江戸末期には100万都市に
成長したんですね。
こんばんは、AzTakさん、またお邪魔します。
Re: おはようございます 
めぐるさん、こんばんは。

> 代官屋敷ですから門構えも立派なもので小さな庵が出来そうです。

ちょっと見には江戸の南北の奉行所のようにみえるかもしれませんが、そんな御大層なものではなく、思い切り蹴飛ばせば、ボコッと穴が開きそうな、決して上等とは言いがたい造りです。
大名領の、それも、本来の領地からえらく離れた場所にある代官所ですから、お役所の取次所くらいの位置づけだったように思います。

> パイプというものの無い時代は木樋で水を運んでいたのですね。

たいていのところは石樋だったようですが、家が建て込んでいるところは、立ち小便などをされないように地下に埋めたのでしょうかね。

> 流しそうめんの時の竹なんかも使われそうですけど木や竹は傷みがすぐにきそうです。

竹はお話しにならないでしょうね。目が詰まっていて樹脂がいっぱいの材木が役立ったのでしょう。ヒバは高くて使えなかったかもしれませんが、一部に槇を使用して、ほかは松だったのでしょうかね。
それなりの水圧がかかっても大丈夫だったといいますから、大した技術力だったんですね。いまでも、多分、送水した家の半分強ほどしかメータで図ることが出来ないようです。それからすると、江戸時代も殊勲賞ものだったかもしれません。
Re: おはようございます! 
> AzTakさん、おはようございます!

makiraさん、こんばんは。

> 『京の夏の旅』キャンペーンでの大船鉾の組立というタイトルを見て
> オッ!京都まで行かれたのかな?と思ってしまいました 笑)
> 大きな大船鉾の組み立ては大変そうでしたね!

(ΦωΦ)フフフ…、今、京都に行ってもお囃子の練習が聞こえてくるだけで、鉾建を見たければ、7月10日からのようですよ。

> 世田谷代官屋敷が残っていたとは!
> それも都内で唯一とのこと!
> 下っ端役人とは言え、「御代官様~!」ですから 笑)

世田谷区長を長く務めた大場氏がいましたが、この代官を代々世襲した大場家の縁続きだったとか。それなりの名家だったのかもしれませんね。

> お白洲があると言うことは、奉行所さながらの裁判劇が行われたのでしょうね!

奉行所じゃありませんから、ごく些細な争い事や、窃盗などの裁きだったのでしょうかね。
Re: タイトルなし 
cobo-feさん、こんばんは。

> ボロ市と代官見回りの画像を拝見していますと、何やらその時代にタイムスリップをした気分になりますね。
> 実際にこれだけの人口密度があったかどうかはわかりませんが、当時を想像しなながら時間のたつのを忘れます。

世田谷のボロ市って、今でもすごく有名なんですよ。それが江戸時代から連綿と続いていたようですね。
代官所前辺りがメインだったのでしょうか。楽しみのない時代にいろいろ珍しいものが安く揃う市は、庶民の大きな楽しみだったのでしょうね。
Re: AzTakさん 
> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 江戸時代、世界でも有数の大都市だった江戸、その隅々まで生活用水を届けるには大変な苦労が有ったんですね。
> いつの世も、社会インフラ事業は大変です。

それなりに大変だったのでしょうね。一つだけ有利だったのは、江戸という本当に何もないところに街を作ることが出来たことでしょうね。かなり好き勝手に街づくりが出来たのでしょう。

今は、前のオリンピックに合わせて整備された首都高や橋脚などが、かなり危なくなってきていると言われています。
そちらが間に合うのか、とても気がかりです。曲りなりに機能しているものを、使いながら補修していくのって、結構大変なことだと思います。
Re: こんにちは。 
S-masaさん、こんばんは。

> 東京の真ん中に、こんな茅葺きの家があるのですね。
> 代官屋敷ですか?当時としては立派な造りの家だったのでしょうね。

ど真ん中というのは少々いい過ぎかもしれませんが、茅葺きや目の建物が残っているのは貴重ですよね。
今まで見てきた民家園といい、こちらといい、世田谷区はでかい区です。
そのお屋敷は、『近世中期の代表的上層民家としての旧態を保存している…』と書かれていますが、私には極普通の民家にしか見えませんでした。役宅なので、少しは贅沢仕様かもしれませんが。民家園の民家の方が数段立派です。

> 高倍率は便利ですよ。私もサブ機に18~300を付けています。

そうでしたか。うーーん、使い方を工夫して、再チャレンジでしょうかね。
どうも安物買いの銭失いの傾向があるのは否定できないのですが。(^_^;)
Re: 確か落合の方の水道局かどこかで 
kozoh55さん、こんばんは。

> これが埋まっていた場所の発掘跡を再現してましたね。

見に行かれましたか。めったに出歩かないものですから、まだ、そういうところには行けずじまいです。

> いや~徳川家康はほんとにインフラ、民の生活を大切
> にしていたんですね。だから江戸末期には100万都市に
> 成長したんですね。
> こんばんは、AzTakさん、またお邪魔します。

多分、開口直前の横濱村と江戸幕府開闢直前の江戸とは、同じような寒村だったのでしょうね。
なにもないところだったから、整備しやすかったのかもしれませんね。

いまは、走っている首都高や橋脚を通行禁止にして再修理するなんて、なかなか出来にくいでしょうね。
東京オリンピックにインフラ整備が間に合うのか、とても心配です。

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