散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

会津若松~いわき~相馬・南相馬(11)

いよいよ会津若松市での最終目的箇所である飯盛山に向かう。至る所で鍵の手になっている道。ナビが普及している所為か、道路案内は殆ど無い。アッシー君の車はいい車なのだが、あいにくナビがついていなくて、心配していたとおり道に迷う。それでも何とか辿り着いた。

飯盛山
飯盛山の長い階段を徒歩で歩いてきたので、登り切った時はヘロヘロ状態。異常に暑いこともあって、何処にも行きたくないほどバテた。飯盛山には、『白虎隊十九士の墓』は、今回パスした。というか、本音を言えば見たくなかった。
自刃の地
お城が見えなければどれだけ幸せだったかもしれない。しかし、立ち上がる黒煙で、辛うじて肉眼でも確認できたのだろう。戸ノ口の戦いで敗走し、洞窟をやっとの思いでくぐり抜けてきた隊士たちには、絶望的な状況に映ったことだろう。自刃を選択したのはやむを得なかったことかもしれない。
自刃した19名は安達藤三郎・有賀織之助・池上新太郎・石田和助・石山虎之助・伊東悌次郎・伊藤俊彦・井深茂太郎・篠田儀三郎・鈴木源吉・津川喜代美・津田捨蔵・永瀬雄次・西川勝太郎・野村駒四郎・林八十治・間瀬源七郎・簗瀬勝三郎・簗瀬武治。

自刃の地_1
自刃の地_2
その場所から見た鶴ヶ城。望遠レンズで撮ったもので、梯郭式平山城のお城は、肉眼ではこれほどははっきり見えなかったはずだ。
その場所から見た鶴ヶ城
江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦するが、そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもある。「白虎隊十九士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れ、墓前には早すぎる死を悼む香煙がたえない。
さざえ堂
私が最も見たかったのは、このお堂だ。国指定の重要文化財。さざえ堂なるものは、各地に存在したようだが、見るならば、此処しか無いと以前から考えていて、今回念願かなってお参りできた次第。
構造が構造だけに簡単に補修できるわけもないのか、重量級の私が歩くには危険な感じがかなりした。重量制限とか、同時入場人数制限とかしたほうが良さそうな感じに思えた。行って見るならば、いずれあるだろう補修工事が行われる前にしたほうが良いように思った。

さざえ堂_1
さざえ堂_2
さざえ堂_3
さざえ堂_4
さざえ堂_5
さざえ堂_6
さざえ堂_7
さざえ堂_8
さざえ堂_9
さざえ堂_10
さざえ堂_11
さざえ堂_12
さざえ堂_13
さざえ堂_14
さざえ堂_15
さざえ堂_16
さざえ堂_17
さざえ堂_18
さざえ堂_19
さざえ堂_20
さざえ堂_21
さざえ堂_22
さざえ堂_23
栄螺堂(さざえどう、さざいどう)は、江戸時代後期の東北~関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂である。堂内は回廊となっており、順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっている。仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、本来は三匝堂(さんそうどう)というが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称で「栄螺堂」、「サザエ堂」などと呼ばれる。
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会津さざえ堂は、二重らせん構造の斜路をもつ特異な建物として知られる。福島県会津若松市の白虎隊の墓所のある飯盛山の中腹に建つ。通称は「会津さざえ堂」もしくは単に「さざえ堂」で、正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)という(重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)。
平面六角形の特異な建物である。概ね三層構造といえるが、内部には二重らせん構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在する。入口から斜路を最上階まで上り、他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて出口から出ることができる。
かつてこの地にあった正宗寺の仏堂として、江戸時代後期の寛政8年(1796年)(『新編会津風土記』による)に当時の住職であった郁堂(いくどう)が建立したものである。当時は阿弥陀如来を本尊とし、斜路には三十三観音像が安置されていたという。神仏混交の信仰形態をもっていた正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、以後、栄螺堂は個人の所有となっている。また、堂内にあった三十三観音像は他所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が取りつけられている。平面は一辺3.4メートルの六角形で、堂内中央部に6本の通し柱を立てる。側柱(建物外周に立つ柱)も6本の通し柱で、中央柱との間には繋梁を渡す。屋根は銅板葺きとし、正面入口には唐破風造の向拝を設ける。最上部の天井は折上げ鏡天井とする。
同名の堂は他所にもあるが、旧正宗寺三匝堂のような特異な内部構造をもった堂は他に知られず、稀有な例として1995年6月27日付けで国の重要文化財に指定された。

宇賀神堂
何もなければ宇賀神を祀るだけのただのお堂だったことだろう。それが思いもかけない戦争が勃発し、自刃した白虎隊19士の霊像を安置することになった。松平正容には想像もできないことだっただろう。
宇賀神堂_1
宇賀神堂_2
宇賀神堂_3
宇賀神堂_4
宇賀神堂はさざえ堂の境内に隣接した所にあります。創建は寛文年間(1661~1672)に会津藩三代藩主松平正容が宇賀神(宇迦之御魂神と同神とされ弁才天と神仏習合していました。穀物・食物を司る神として五穀豊穣に御利益があるとされます。)を勧請し弁財天像を神像として社殿を建立した事が始まりです。社殿は桁行3間、梁間2間、入母屋、銅板葺きの建物で中には戊辰戦争で飯盛山で自刃した白虎隊19士の霊像を安置しています。霊像は明治23年(1890)、白虎隊の墓碑を改修した際、大橋知伸(若松城下滝沢村出身の仏師)、田中治八によって製作されたものでフランス風の洋服(軍服)を着ています。
戸ノ口堰洞穴
この激しい水流の中を白虎隊の少年隊士たちは150mも潜ってきたのか。よくぞ溺死しなかったものと、感心するほどだ。それなのに、それなのに、お城から上げる黒煙。それを目にした彼らの無念は、如何ばかりだっただろうか。
戸ノ口堰洞穴_1
戸ノ口堰洞穴_2
戸ノ口堰洞穴_3
戸ノ口堰洞穴_4
戸ノ口堰洞穴_5
飯盛山の山腹に、水流の中、ぽっかりと口を開けている洞門がある。これは、猪苗代湖の水を、会津地方に引くため掘られた洞穴で、戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)という。
猪苗代湖畔・戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士ら二十名は、鶴ヶ城を目指して、この長さ約一五〇メートルの洞穴を潜り、命からがら、飯盛山の中腹へと至った。
主君の御城、鶴ヶ城の安否を確かめんとする一心で、冷たい水が容赦なく流れる洞穴の中を、身を屈め、足を取られながらも、進んでいった。
そうして、飯盛山の中腹に辿り着いた末、彼らは城下の黒煙を目にすることとなる。その無情―、少年たちの無念、思うに余りある。

白虎隊士の墓…free画像を借用
正面の墓は、明治元年(1868)の戊辰戦争において飯盛山で自刃した十九士の墓です。八月二十三日(新暦十月八日)自刃した隊士の遺骸は、西軍により手をつけることを禁じられていました。約三ヶ月後村人により、密かにこの近くの妙国寺に運ばれ仮埋葬され、後この自刃地に改葬されました。現在の形に十九士の墓が建てられたのは明治二十三年で、二度にわたり墓域が拡張されました。右側の墓は、会津の各地で戦い、亡くなった白虎隊士三十一名の墓です。左側の碑は白虎隊士と同じ年齢で県内各地及び新潟・栃木・京都で戦い、戦士した会津藩少年武士(白虎隊の仲間達)の慰霊碑です。
白虎隊士の墓_1
白虎隊士の墓_2
白虎隊士の像…free画像を借用
白虎隊士の像

Comments

こんばんは 
もっと知識を深めてから行ければよかったな、と思います。
まあ、小学校の修学旅行では仕方がないのだろうけれど。
でも、小さいなりにガイドさんが話してくれた白虎隊のこと、鮮明に覚えています。
ありがとうございます。
おはようございます 
さざえ堂というのはグルリと巻貝のようになっているから名づけられたのでしょうね。
二重らせん構造の階段はとても急こう配にも見えますし登るのに気合がいりそうです。
こんなお堂は初めて拝見させてもらいました。
飯盛山。未来のある少年が自刃したという白虎隊の話はあまりに有名ですが、
一人の人間としてホントに悲しいですしそんな過去を想い現在を想います。
お早う御座います! 
随分色々な名所を回ってきた様ですね。
私が行った事がない場所が多いです。
会津は歴史を紐解いてみれば色々な事が多くありましたので其の名残が多く残っていると思います。
歴史に興味がある方は会津は魅力的な場所ですね。
おはようございます! 
AzTakさん、おはようございます。
写真を拝見して、「やっぱり飯盛山にまで足を延ばせは良かったな~」と思いました。
一緒に行った友人の「パス!」の一言に頷いたことが悔やまれます 泣)
さざえ堂は知りませんでしたが、面白いと言うか、その造りに興味津々です♪
二重らせん構造と言うのも素晴らしいですね!
↓の末廣酒造嘉永蔵の松平容保や慶喜の直筆の書も見たかったです 汗)
興味深く見させていただきました。
 
AzTakさん、こんばんは♪

さざえ堂、お写真を拝見して「おぉっ!すごい!」と声をあげました。
名前はこの外観から、きっと貝のサザエみたいだからかなと
見当をつけましたが、当たっているみたいですね。

それに「巡礼が叶うような構造」になっているという説明に、ふむふむなるほど、でした。
ということは、AzTakさんはスペインで巡礼されて
会津若松でも巡礼をされたんですね^^

今日の記事もとても興味深かったです。
お写真を拝見しながら、一度行ってみたいなぁと思いました。
 
東京巣鴨にもさざえ堂がありますがこちらのサザエ堂を模して造られたようです。
本家はさすが年代物で崩れそうで入るのをためらうかもしれないです。
しかし今ならコンピューターで簡単に設計できますが昔の人はよくこんな建物を考えました。
木造建築の技術は進んでいたんですね。
AzTakさん 
こんにちは
さざえ堂なる物を初めて知りました。
宗教の思想を形にしたんでしょうが、とてもユニークな形の建築ですね。
しかも入口と出口が違いすれ違うことの無いようにしてある、ウ~ン
素晴らしいアイデアです。
白虎隊士の無念、何と思えばいいんでしょうか?
こんにちは 
白虎隊だ!!
幕末維新の時代には外せない物語ですね。
僕が会津に行きたいのはこの白虎隊の
歴史を感じたいと言うのもあるんです。
こんにちは。 
さざえ堂螺旋状の階段があるのですね、この時代では非常に珍しいのでは?所狭しと貼ってある千社札にも歴史が考えられます。
会津に行った時、飯盛山にいき鶴ケ城を見ましたが、昔は高い建物が無く今よりはもっとはっきり見えたようです、いまでゆう小学校5~6年の男子も戦ったみたいですね。
Re: こんばんは 
うづらさん、こんばんは。

> もっと知識を深めてから行ければよかったな、と思います。
> まあ、小学校の修学旅行では仕方がないのだろうけれど。
> でも、小さいなりにガイドさんが話してくれた白虎隊のこと、鮮明に覚えています。
> ありがとうございます。

いまは、班別にテーマを掘り下げるようなことをするらしいですね。本当に修学旅行にふさわしい内容になっているようですね。
小学生にはショッキングな話だったことでしょうね。あまり立ち入りたくないように脳内のブレーキが掛かったかもしれません。
Re: おはようございます 
Meguruさん、こんばんは。

> さざえ堂というのはグルリと巻貝のようになっているから名づけられたのでしょうね。
> 二重らせん構造の階段はとても急こう配にも見えますし登るのに気合がいりそうです。
> こんなお堂は初めて拝見させてもらいました。

何百mもの高さがあるものではありませんが、階段ではなく板張りのスロープですから、かなり歩いた感じは独特な印象がありました。それよりも重量級の私が歩いている時に床が抜けたりしたら、非常に恥ずかしいなと思いながら、そろそろと歩きました。

> 飯盛山。未来のある少年が自刃したという白虎隊の話はあまりに有名ですが、
> 一人の人間としてホントに悲しいですしそんな過去を想い現在を想います。

そこまで戦力化しないといけなかったんですね。会津の少年たちなら強制されなくても、そうしたのかもしれませんが、酷いことでしたね。そして、墓も建てさせなかった新政府の関係者の器量のなさもがっかりするほどです。
新島八重さんもそういう状況を見て生き抜いてきたのでしょうね。会津人は男も女もすごいです。
Re: お早う御座います! 
hiroさん、こんばんは。

> 随分色々な名所を回ってきた様ですね。
> 私が行った事がない場所が多いです。

アッシー君の疲れを共有せずに、行ける限り行った感じがあったかもしれません。

> 会津は歴史を紐解いてみれば色々な事が多くありましたので其の名残が多く残っていると思います。
> 歴史に興味がある方は会津は魅力的な場所ですね。

会津若松の他にも、蔵の街の喜多方や景色が美しい裏磐梯など、見どころが多くあります。
マイカーがあれば、ノンビリ回って歩く楽しみがあるかもしれません。
Re: おはようございます! 
> AzTakさん、おはようございます。

makiraさん、こんばんは。

> 写真を拝見して、「やっぱり飯盛山にまで足を延ばせは良かったな~」と思いました。
> 一緒に行った友人の「パス!」の一言に頷いたことが悔やまれます 泣)

お仲間がいらっしゃると、自分の思うままには行動できませんからね。
私がマイカーを持っている身分だったら、道の駅などに車中泊しながら、回って歩いたかもしれません。途中に温泉はいくらでもありますから、比較的小綺麗に維持できますし、疲れも貯めないで済むように思います。
寒い時期はやめたほうが良いでしょうね。

> さざえ堂は知りませんでしたが、面白いと言うか、その造りに興味津々です♪
> 二重らせん構造と言うのも素晴らしいですね!

本当に床が抜けそうな気がして、落ち着いて歩いていられませんでした。そんな時間があったら、百貫デブの汚名を着せられそうですから。
それは抜きにして、一見の価値ありでしょう。

> ↓の末廣酒造嘉永蔵の松平容保や慶喜の直筆の書も見たかったです 汗)
> 興味深く見させていただきました。

ああいうものまであるとは知りませんでした。私自身も驚きました。
Re: タイトルなし 
> AzTakさん、こんばんは♪

Mikaさん、こんばんは。

> さざえ堂、お写真を拝見して「おぉっ!すごい!」と声をあげました。
> 名前はこの外観から、きっと貝のサザエみたいだからかなと
> 見当をつけましたが、当たっているみたいですね。

正解おめでとうございます。

> それに「巡礼が叶うような構造」になっているという説明に、ふむふむなるほど、でした。
> ということは、AzTakさんはスペインで巡礼されて
> 会津若松でも巡礼をされたんですね^^

朝早くに自宅を出て、実はその前にPCに向かっていたりして、この時間帯は疲れのピーク。
巡礼の気持ちなどあらばこその状態でした。(^_^;)
実は、このお寺さんは神仏混交のお寺さんだったようで、お寺自体は廃仏毀釈で廃寺になりました。そして個人所有の建物に。
それまでは、阿弥陀如来を本尊とし、斜路には三十三観音像が安置されていたそうなのですが、いまは、「皇朝二十四孝」の額が取りつけられているだけなんだそうです。ですから、真面目に上っても、巡礼にはならなかったかもしれません。

> 今日の記事もとても興味深かったです。
> お写真を拝見しながら、一度行ってみたいなぁと思いました。

会津を中心に2泊位するつもりならば、相当色々楽しむことができるかもしれません。
でも、カナダからの旅費は馬鹿になりません。ついでの時に、少し日程を割いて、…というところでしょうかね。
Re: タイトルなし 
つぅたろうさん、こんばんは。

> 東京巣鴨にもさざえ堂がありますがこちらのサザエ堂を模して造られたようです。
> 本家はさすが年代物で崩れそうで入るのをためらうかもしれないです。
> しかし今ならコンピューターで簡単に設計できますが昔の人はよくこんな建物を考えました。
> 木造建築の技術は進んでいたんですね。

大正大学のすがも鴨台観音堂でしたかね。模して造ったということだと、かなり似たフォルムなんでしょうね。
安政地震により倒壊してしまったのですが、歌川広重『名所江戸百景』に描かれた亀戸の「さゞゐ堂」などというのもあったようです。こちらは、形は全然似ていなさそうです。

三重塔などのように心棒が入っていて耐震構造になっているのかなどと思いながら回りましたが、よくわかりませんでした。
Re: AzTakさん 
> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> さざえ堂なる物を初めて知りました。
> 宗教の思想を形にしたんでしょうが、とてもユニークな形の建築ですね。
> しかも入口と出口が違いすれ違うことの無いようにしてある、ウ~ン
> 素晴らしいアイデアです。

考えたものですよね。ずーっと、見たい見たいと思っていました。今回念願が叶いました。

> 白虎隊士の無念、何と思えばいいんでしょうか?

戸ノ口の洞穴をくぐり抜けてほうほうの体で逃げてきたのに、頼みとするお城には黒煙が立ち上っている。もはやこれまでと思ったことなんでしょうね。
無念で無念でならなかったことでしょうね。
Re: こんにちは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 白虎隊だ!!
> 幕末維新の時代には外せない物語ですね。
> 僕が会津に行きたいのはこの白虎隊の
> 歴史を感じたいと言うのもあるんです。

やはり会津に泊まってじっくり見て回るのが一番なんでしょうね。日新館などを見て、会津魂を感じるのがいいのかもしれませんね。今回の旅では時間がなくて、どうしてそのような魂が形成されていったのか、よく見えてきませんでした。じっくり回るべきでした。
Re: こんにちは。 
みこたんさん、こんばんは。

> さざえ堂螺旋状の階段があるのですね、この時代では非常に珍しいのでは?所狭しと貼ってある千社札にも歴史が考えられます。

よくぞ、こんなものを考えだしたものですね。未だに壊れずに残っているのが奇跡のように思いました。

> 会津に行った時、飯盛山にいき鶴ケ城を見ましたが、昔は高い建物が無く今よりはもっとはっきり見えたようです、いまでゆう小学校5~6年の男子も戦ったみたいですね。

そうですね。邪魔をする高さの建物はなかったでしょうね。でもかなり遠いので、どんな状態なのか分かりかねる状況だったのでしょうね。少年剣士たちには忍耐の限界だったのでしょう。(合掌)

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