散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

会津若松~いわき~相馬・南相馬(5)

鶴ケ城(4)
城址公園MAP
城址公園MAP
走長屋
天守閣から降りた辺りが『走長屋』。いまは、鶴ヶ城ギャラリー&ショップとなっているが、往時は南走長屋とともに表門の防御にあたっていた。決してノンビリゆっくりの場所ではなかった。そこの小脇から天守閣を仰ぎ見た様子。
走長屋
走長屋を本丸跡からみた様子…free画像を借用
走長屋
表門(鉄御門)の真上部分かな
南走長屋_1
南走長屋
南走長屋_2
南走長屋_3
南走長屋_4
南走長屋_5
南走長屋は、表門(鉄門)から続いており、帯郭と本丸を隔てる重要な位置にあります。現在ある天守閣から表門をつなぐ走長屋とともに表門を守り、帯郭から本丸への敵の侵入を防ぐ要となっていたと思われます。
干飯櫓
食料庫として使用していたようだ。再建されて間もないらしく、木組みが綺麗だった。
干飯櫓出口付近から鉄御門、大天守方面を見る
干飯櫓出口付近から鉄御門、大天守方面を見る_1
干飯櫓出口付近から鉄御門、大天守方面を見る_2
南走長屋と干飯櫓の接続ヶ所あたりの様子
南走長屋と干飯櫓の接続ヶ所あたりの様子_1
南走長屋と干飯櫓の接続ヶ所あたりの様子_2
南走長屋と干飯櫓の接続ヶ所あたりの様子_3
天守閣から見た南走長屋と干飯櫓の様子
5階から見た様子_13
干飯櫓は若松城内にあった十一の二重櫓の中で一番大きかった櫓です。会津藩の文献資料である「家世実紀」では「糒櫓」とも書かれており、米を備えると書くその字のとおり、糒(干飯)などの食糧の貯蔵庫として使われていました。また、干飯櫓は南側の濠に面しており、石落しが備えられています。このことから、お濠からの敵の侵入を防ぐ点でも、重要な役割を担っていたと思われます。
干飯櫓を出た辺り(本丸外周)の土塁
水面までは相当の高低差がありそうだった。怖いので覗くのはやめたが、他の方のブログの記述によれば、本丸外周の土塁の外側上部は石垣になっているそうだ。いわゆる鉢巻石垣になっているということのようだ。
干飯櫓を出た辺り(本丸外周)の土塁_1
干飯櫓を出た辺り(本丸外周)の土塁_2

『甦る鶴ヶ城 干飯櫓の復元』へjump

Comments

おはようございます! 
AzTakさん、こんばんは!
写真を見て、やっぱりお城の中に入ればよかったかな~?
なんて、半分後悔しています 汗)
城内や高いところから見下ろす城も見たかった 泣)
まあ、1日ですべてを見ようとするのは無理なんですが・・・
お濠には花筏の姿も見えませんね!
私の時はたくさん花びらが浮いていました♪
 
城壁の白い漆喰が印象的ですね。
でも石垣をみれば、歴史を感じます。
しかもあまりにも有名なおしろですから・・・
城内が綺麗な画像になっていますね~。債権されたとはいえ
スプリットがあふれているように思えます。
AzTakさん 
こんにちは
さすがに素晴らしいお城です。
圧倒されます。
榛、柱の太さ、など昔は構造計算は無かったんでしょうが、棟梁は重量などの計算はどうしていたのでしょうねえ。
何かで読んだような気がしますが、覚えていません。

↓ 
可愛い園児が見物に来ましたね。
郷土の誇りは、忘れないことでしょう。
  
 
さすがに立派ですね
外観は圧巻です
どんなお殿様が住んでいたのでしょうか
夢がありますね
こんばんは 
再建されたお城の内部もまったくの新築に見えます。
柱も梁も立派なものでこんな所に住んでみたくなりますねぇ。
廊下の板張りが横方向なのがちょっぴり気になる。(笑)

「鶴ヶ城 城址公園マップ」の下部に
「クリックするとナレーション音声を視聴できます」
と書かれていますからクリックしてしまいましたよハッハッハ!
Re: おはようございます! 
> AzTakさん、こんばんは!

makiraさん、こんばんは。

> 写真を見て、やっぱりお城の中に入ればよかったかな~?
> なんて、半分後悔しています 汗)

(ΦωΦ)フフフ…、高所恐怖症のくせに、天使ぃう角が登れると聞いたからには、上らずにはいられません。それで、足が竦む結果になるんですから、…。

> 城内や高いところから見下ろす城も見たかった 泣)
> まあ、1日ですべてを見ようとするのは無理なんですが・・・

1日で回るのは本当に至難の業ですよね。何かを犠牲にしないわけにはいかないことでしょう。
そこは他の方のブログで補うしか無いことでしょう。

> お濠には花筏の姿も見えませんね!
> 私の時はたくさん花びらが浮いていました♪

ははは、こればかりは心がけの性如実に出たようです。( ;∀;)カナシイナー
Re: タイトルなし 
cobo-feさん、こんばんは。

> 城壁の白い漆喰が印象的ですね。
> でも石垣をみれば、歴史を感じます。

正式な名前が若松城で、別名が鶴ヶ城。別名がイメージ通りだなと思っています。

> しかもあまりにも有名なお城ですから・・・
> 城内が綺麗な画像になっていますね~。再建されたとはいえ
> スピリットがあふれているように思えます。

会津人の頑固一徹さは、本当にすごいものだと思います。あの街に住み続けていると、自然とあのような気風の人間が出来上がりそうです。
会津若松藩は名藩主が続いたと思っています。藩士もそれに答えるようになっていったことでしょうね。
Re: AzTakさん 
> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> さすがに素晴らしいお城です。
> 圧倒されます。
> 榛、柱の太さ、など昔は構造計算は無かったんでしょうが、棟梁は重量などの計算はどうしていたのでしょうねえ。
> 何かで読んだような気がしますが、覚えていません。

どう計算したかなどはわかりませんが、とにかく頑丈なものをつくったのでしょうね。まさか戦になるとは思っていなくても、その備えは忘れなかった。さすがに会津の人たちです。

> ↓ 
> 可愛い園児が見物に来ましたね。
> 郷土の誇りは、忘れないことでしょう。

そうかもしれませんね。
Re: タイトルなし 
SONOMIさん、こんばんは。

> さすがに立派ですね
> 外観は圧巻です
> どんなお殿様が住んでいたのでしょうか
> 夢がありますね

揃いもそろって、会津若松藩の藩主は名君でした。蒲生氏郷は、キリシタン藩主にして利休七哲の一人。千家再興に力を尽くした人でした。藩士に慕われた人物だったようです。
そして保科正之。将軍にもノーと言える真の実力者でした。それがために江戸城の天守閣は焼失したままです。そんなことに無駄金を使うより、…と将軍を諌めたそうです。そして、藩士に『年金制度』を最初に始めたと言われています。
そして松平容保。否定する人も少なく無いと思いますが、ブレることがなかった稀有の人だったと思っています。
天守閣の脇に本丸御殿があり、そこに住んでいたと思います。本丸御殿が残されている例は国内を探しても殆ど無く、想像するしか無いと思います。多分、結構質素な暮らしをしていたのだろうと思います。藩士に多くの分を回すように心がけていたように思います。
Re: こんばんは 
Meguruさん、こんばんは。

> 再建されたお城の内部もまったくの新築に見えます。
> 柱も梁も立派なものでこんな所に住んでみたくなりますねぇ。
> 廊下の板張りが横方向なのがちょっぴり気になる。(笑)

『おら、東京さ行ぐだ』とばかりに神奈川の高校に進学した年に再建されました。今年でちょうど50年経ちます。進学した高校の高1の修学旅行がこちら方面だったので、皮肉なものだなあと思いました。

> 「鶴ヶ城 城址公園マップ」の下部に
> 「クリックするとナレーション音声を視聴できます」
> と書かれていますからクリックしてしまいましたよハッハッハ!

ははは、元のファイルを画像のみコピーしましたから、何も聞こえてこなかったと思います。m(_ _)m

Body

« »

10 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
メッセージボードα
Information from AzTak

10月2日(月)から10月8日(日)は、小旅行などの所用がかさなり、私からのアクセスは遅れます。大変申し訳ありません。m(_ _)m

-- E N D --
.
.
プロフィール

AzTak

Author:AzTak
FC2ブログへようこそ!

定年後の時間たっぷりの輩です。写真撮影やプログラミングが趣味です。

当ブログは、リンクフリーです。

最新コメント
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
QRコード
QR