散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

会津若松~いわき~相馬・南相馬(2)

鶴ケ城(1)
天下の名城だった。官軍の大攻勢を受けても、なお、頑張り通した。薩長同盟にとっては天敵の存在だったため、明治期以降、会津人は冷遇された歴史があった。それでも、めげない会津っぽの頑固さがあった。そういう土地柄だ。
本丸は1960年(昭和35年)までには現在の形状に復旧され、現在の天守は1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により外観復興再建された。内部は若松城天守閣郷土博物館として公開されている。

城内の様子
城内の様子_1
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損傷した若松城(会津戦争降伏後に撮影)
損傷した若松城(会津戦争降伏後に撮影)

1868年(慶応4年)、戊辰戦争の際には会津戦争にて、会津勢の立て篭もる若松城は1か月の間持ちこたえ、板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ちなかったが、その後開城された。戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま破却を迎えている。
 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
什(じゅう)の掟
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
一、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
一、虚言をいふ事はなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

Comments

おはようございます 
こういう場所での思考は人それぞれでしょうけど・・・。
訪れる若者たちは何を思うでしょうかね。
天守はコンクリートだという事のようですが、
変化することのないはずの石垣やお濠やそこかしこに歴史を見る思いです。
 
合図の歴史と頑張りとおした石垣の状態が当時から明治の変革を物語っていますね。画像の丁寧に撮られています。
堀に浮かんだ桜の花びらが風に流されて一箇所に集まっていますが風情があります。
某テレビ局の大河を思い出しますね~
 
会津ブームも少しは収まってきたでしょうか。チャンスがないのですが訪れたい土地のひとつです。会津の気質はいまも健在だとか。そういう土地ってなんかいいですね。町の様子なんかも紹介していただけるのかなあ。
こんにちは 
小学校の修学旅行で行きました。懐かしいです。
こんばんは! 
AzTakさん、こんばんは!
先日行ったばかりなのにもうアップですか!
早いですね♪ 私なんかまだまだ先です 汗)
3~4日しか違わないのに、桜はすっかり散ってしまっていますね!
散りはじめの私の行った時が一番良かったようです♪
城や会津若松の街並み、見たところがあって少し懐かしいです!
磐梯山SAで私も休憩を撮りましたが、
端の方にたくさん雪が残っていませんでしたか?
会津若松城はキレイでしたが、外観が白のコンクリートが少し気になりました!
今回のアップもいわき~相馬がメインのようですね♪
AzTakさん 
こんばんは
会津の武士は、最後までブレズに通しました。
武士道です。
西洋にも騎士道が有り、戦いの後は、ノーサイド、・・・
薩長は少々大人げなかったように思います。
もっとも、武士がドレだけいたのかなあ。
こんばんは 
鶴ヶ城に行かれたんですね!
城好きの僕達にはたまりません~~
行きたくて仕方ないんですよね。
最後に添えられた画を見ると
その時の状況が思い浮かんで
涙が止まりません・・・
こんにちは。 
鶴ヶ城の桜ももう終わってしまったようですね。
今年は行かれませんでしたが、ここの桜もすばらしいですね。

一般的には「若松城」なのでしょうね。私は地元ではありませんが「鶴ヶ城」の方が馴染んでいます。
Re: おはようございます 
Meguruさん、こんばんは。

> こういう場所での思考は人それぞれでしょうけど・・・。
> 訪れる若者たちは何を思うでしょうかね。

何を思うことでしょうね。
我が方に利あらずという状況があったことは、すべての会津藩士が感じていたことでしょうね。それにもかかわらず、会津藩士は戦いをやめることはなかった。空気を読むことだけが生き方ではないのだということを示しました。
自分たちがその場にあったら、どうだっただろうかと、いつもそればかり考えてしまいます。」

> 天守はコンクリートだという事のようですが、
> 変化することのないはずの石垣やお濠やそこかしこに歴史を見る思いです。

会津憎しの気持ちが強かったのでしょうね。ときの県令は、無残な姿を晒していた次天守閣を撤去し、後日改築してほしい旨建白しました。それを受けて撤去はしたものの、実に長期にわたって放置されたままになっていました。再建の意志などさらさらなかったと思います。
会津のお姫様が、秩父宮妃となられ、表面上は会津の復権が図られたように見えても、陰湿な会津苛めは続いたと思っています。
地元自治体の財政力からすれば、鉄筋コンクリートで造るしか方法がなかったのでしょうね。

ここで最後の合戦が激しく激しく繰り広げられたんですね。

明治6(1873)年12月、若松県(現在の福島県北部)権令沢簡徳は右大臣岩倉具視に、戊辰戦争で砲弾をうけ、その後修復もされずに雨ざらしになっている若松城は見るに堪えないので撤去し、後日改築してほしい旨建白しました。その際、現状を知らせるために提出したのがこの6枚のガラス湿板写真です。若松城は翌明治7(1874)年7月に解体されます。本写真の含まれる「公文附属の図」は、平成10年「公文録」とともに、国の重要文化財に指定されました。
Re: タイトルなし 
cobo-feさん、こんばんは。

> 合図の歴史と頑張りとおした石垣の状態が当時から明治の変革を物語っていますね。画像の丁寧に撮られています。

実際に合戦にまで及んだ城は数少なく、徳川幕府が樹立されてからは、そのようなことは起きるはずがなかった。それが実際に起きました。
決して空気が読めない無能の集団であったわけではなく、彼らは筋を通したのでしょう。
ですが、その分だけ、厳しいペナルティが待ち受けていましたね。

> 堀に浮かんだ桜の花びらが風に流されて一箇所に集まっていますが風情があります。
> 某テレビ局の大河を思い出しますね~

桜は、直前に訪れたmakiraさんの情報では、まだ大丈夫そうな感じだったのですが、やはり私が行ったのが少し遅かったようです。綺麗さっぱり落ちてしまい、その名残りが花筏になっていました。
二の丸に綾瀬はるかさんのパネルがありました。本当にきれいな女優さんですよね。あんなに綺麗な女優さんに演じてもらい、新島八重さんは喜んでいることでしょうね。
Re: タイトルなし 
HARUさん、こんばんは。

> 会津ブームも少しは収まってきたでしょうか。チャンスがないのですが訪れたい土地のひとつです。会津の気質はいまも健在だとか。そういう土地ってなんかいいですね。町の様子なんかも紹介していただけるのかなあ。

放射能汚染による福島県への観光客が激減していましたが、あの大河ドラマのお陰で、多少は持ち直したようですね。お蔭様で、まだ、覚えていてくださる方も少なくないようです。
会津人の頑固一徹さは本当に驚くほどですね。早稲田や中国電力で駅伝選手としてならした佐藤敦之選手などを見ると、典型的な会津人だなあと思います。
街の様子は、少しだけ取り上げようと思います。七日町辺りです。『なぬかまち』と読ませます。
Re: こんにちは 
うづらさん、こんばんは。

> 小学校の修学旅行で行きました。懐かしいです。

そうでしたか。子供の頃の感じと今とではかなり違って感じられることでしょうね。
天守閣は明治新政府が再建の手を差し伸べてくれることはなく、ずっと放置されていました。
やっと再建された1965年(昭和40年)は、私が高校進学のために福島を逃げ出した年です。
半世紀も都会暮らしを続ければ、都会の爺さんになっていてもおかしくないはずですが、未だに…
Re: こんばんは! 
> AzTakさん、こんばんは!

makiraさん、こんばんは。

> 先日行ったばかりなのにもうアップですか!
> 早いですね♪ 私なんかまだまだ先です 汗)

ネタ切れだったので、仕方なしに使わないといけません。このまま行くと、またネタ切れになりそうなので、馬事公苑のイベントも見に行こうと考えています。

> 3~4日しか違わないのに、桜はすっかり散ってしまっていますね!
> 散りはじめの私の行った時が一番良かったようです♪

心がけの差だったかもしれませんね。( ;∀;)カナシイナー

> 城や会津若松の街並み、見たところがあって少し懐かしいです!
> 磐梯山SAで私も休憩をとりましたが、
> 端の方にたくさん雪が残っていませんでしたか?

全く残っていませんでした。あの日、福島県は『真夏日』でしたから。飯盛山でへばりました。

> 会津若松城はキレイでしたが、外観が白のコンクリートが少し気になりました!

昔も同じような色だったようですよ。

> 今回のアップもいわき~相馬がメインのようですね♪

今回は、会津をメインにしようと思っていますが、写真が余りありません。その後の移動を考えると、会津は遠かったです。
Re: AzTakさん 
> こんばんは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 会津の武士は、最後までブレズに通しました。
> 武士道です。
> 西洋にも騎士道が有り、戦いの後は、ノーサイド、・・・
> 薩長は少々大人げなかったように思います。
> もっとも、武士がドレだけいたのかなあ。

天下を取った後の日本人の行動って、大同小異。器が小さいなあと感じることが少なくありません。
そこは反省すべき国民性かもしれません。
Re: こんばんは 
土佐けんさん、こんばんは。

> 鶴ヶ城に行かれたんですね!
> 城好きの僕達にはたまりません~~
> 行きたくて仕方ないんですよね。
> 最後に添えられた画を見ると
> その時の状況が思い浮かんで
> 涙が止まりません・・・

立場があるからしかたがないことですが、会津攻めは土佐の板垣退助が指揮をとったようです。
実に激しい攻防だったようです。
飯盛山まで敗走してきた白虎隊の少年たちには、遠くかすかに見える城が大変なことに生っているさまを見、もはやこれまでと覚悟をしたのでしょうね。暫くは墓を作ることも許されず、かわいそうなことでした。
Re: こんにちは。 
S-masaさん、こんばんは。

> 鶴ヶ城の桜ももう終わってしまったようですね。
> 今年は行かれませんでしたが、ここの桜もすばらしいですね。

そうなんですか。会津方面は故郷からかなり離れていて、サクラがどうだったかまでは恥ずかしながらまったくわかりません。(^_^;)

> 一般的には「若松城」なのでしょうね。私は地元ではありませんが「鶴ヶ城」の方が馴染んでいます。

蒲生氏郷の時に彼の出身地にある若松の杜に因んで『若松』と地名も城の名前も変えたようです。
正確な呼称は若松城でも、一般的には鶴ヶ城の呼称のほうが馴染みがありますよね。
鶴ヶ城の呼称の方ですが、これまた、蒲生氏郷が自らの幼名にちなんだため、あるいは、翼を広げたような天守の形からと言われているようです。

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