散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

釈迦堂口切通~瑞泉寺~頼朝の墓~宝戒寺(6)

宝戒寺(1)
宝戒寺の門前
『北条執権邸旧蹟』の石碑
寺域は北条義時以来の歴代の鎌倉幕府執権の屋敷地跡
『北条執権邸旧蹟』の石碑
宝戒寺の説明板
後醍醐天皇も寝覚めが良くなかったのだろうか。頼朝が建てさせた永福寺と同様の性格の寺院のようだ。
宝戒寺の説明板
通路の敷石が立派
萩の花が咲く季節には相当きれいなことだろう。八角形の敷石には意味があるのだろうか?…撮り漏らしたのでFREE画像を借用
通路の敷石が立派
山門かな
山門かな

境内の様子(1)
境内に入ってすぐのところにあったモニュメント
『北』の字をデザインしてあるのだろうか。洒落たデザインだ。
境内に入ってすぐのところにあったモニュメント
聖德太子堂
聖德太子を祀る必然性がよくわからないが、ともかくも此処にお堂がある。姿形がとても格好良い。
聖德太子堂_1
聖德太子堂_2
庭にはいくつかの花が
花の寺と言われるだけあって、この寺にも福寿草や蝋梅などの花が咲いていた。福寿草は咲き始めかな?
福寿草_1
福寿草_2
福寿草_3
蝋梅は、見慣れているものより、色味が薄い感じ。違う種類なのだろうか?
蝋梅_1
蝋梅_2
東久邇宮お手植えの柏槇
東久邇宮お手植えの柏槇_1
東久邇宮お手植えの柏槇_2
東久邇宮お手植えの柏槇_3

宝戒寺(ほうかいじ)は、神奈川県鎌倉市にある天台宗の寺院。山号は金龍山。詳名を金龍山釈満院円頓宝戒寺と称し、本尊は地蔵菩薩。萩の名所として知られ、「萩の寺」とも呼ばれる。
宝戒寺は鶴岡八幡宮三の鳥居前の道(横大路)を右に行った突き当りに位置する。寺域は北条義時以来の歴代の鎌倉幕府執権の屋敷地跡と伝える。
『吾妻鏡』によれば、鎌倉幕府最後の執権・北条高時は、1333年(元弘3年)5月22日、新田義貞の軍に追い詰められて葛西ヶ谷(かさいがやつ、宝戒寺の裏山)の東勝寺(鎌倉市)で自害、一族郎党870余名も運命を共にし、鎌倉幕府は滅亡した。宝戒寺蔵の1335年(建武2年)3月28日付の足利尊氏寄進状に、同寺は「北条高時の慰霊のため、その屋敷跡に後醍醐天皇が建立した」旨の記述があり、後醍醐天皇が天台宗の高僧・円観慧鎮を開山としてこの寺を造営しようとしていたことは事実と思われる。しかし、実際の造営は、後醍醐天皇による建武の新政が崩壊し、同天皇が没した後に足利尊氏らによって行われたと推定されている。
建武2年寄進状から17年後の1352年(観応3年)に作成された足利尊氏寄進状案には、宝戒寺の造営料として上総国武射郡小松村(現千葉県山武市)と、出羽国小田島庄(現山形県東北部)の土地を寄進するとあり、この頃ようやく宝戒寺の造営が本格化したことがわかる。「惟賢灌頂授与記」という文書によると、2世住持の惟賢によって灌頂(密教の重要な儀式の1つ)が宝戒寺で初めて行われたのが1354年(文和3年)であり、この頃にようやく寺観が整ったものと思われる。

Comments

 
こうして時代を研鑽していきますと、当時の天皇は今のの象徴天皇と違い諸事に気を使い指示をされていたことが判りますね。
それにしてもこうした古い史跡に可憐な花はほっとしますね。
この時代からこうした花はあったのでしょうか。ふとそんな事を考えてしまします(*^^)v
AzTakさん 
こんにちは
権力闘争の末、敗れた者を弔うために寺院を建立する。
多かれ少なかれ寝覚めの悪いものかもしれませんが、それでもなお歴史家の目を意識したのかしら。
 
福寿草の花を見ると春が近いなとおもいます、このお寺の歴史を見ているだけで、色々なことが積み重なって、今があるそんな感じがします。AzTakさんは常に解説を丁寧にしてくださるので、時代の流れがとても分かりやすいです。
Re: タイトルなし 
cobo-feさん、こんばんは。

> こうして時代を研鑽していきますと、当時の天皇は今のの象徴天皇と違い諸事に気を使い指示をされていたことが判りますね。

激しい権力争いの当事者だったですから、自分こそは最高の権力者であることを機会あるごとに強く示す必要があったのでしょうね。

鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立した。

> それにしてもこうした古い史跡に可憐な花はほっとしますね。
> この時代からこうした花はあったのでしょうか。ふとそんな事を考えてしまします(*^^)v

フクジュソウは日本原産だとか。だから、ここに当初からあったとしても不思議はなさそうです。
典型的なスプリング・エフェメラルですね。
Re: AzTakさん 
> こんにちは

のんびり熊さん、こんばんは。

> 権力闘争の末、敗れた者を弔うために寺院を建立する。
> 多かれ少なかれ寝覚めの悪いものかもしれませんが、それでもなお歴史家の目を意識したのかしら。

後世の人が何を言おうが気にはしないでしょう。後醍醐天皇は、その日その時を生き抜くことで精一杯だったと思います。でも、毎晩夢枕に出てうなされた日々が続いたのでは。それで仕方なく、宝戒寺を建てるように命じたのではないかと思っています。
Re: タイトルなし 
みこたんさん、こんばんは。

> 福寿草の花を見ると春が近いなとおもいます、このお寺の歴史を見ているだけで、色々なことが積み重なって、今があるそんな感じがします。AzTakさんは常に解説を丁寧にしてくださるので、時代の流れがとても分かりやすいです。

フクジュソウが咲いていて、助かりました。そのままだと、華のないグタグタ歩きの記録になってしまうところでした。(^_^;)
しかし、鎌倉も京都ほどではないでしょうが、怨念が渦巻く状況があったのかもしれませんね。
 
鎌倉は歩けば歩くほどいろいろな発見があるようですね。
今度じっくりと一日かけて歩いてみたくなりました。
Re: タイトルなし 
ララさん、こんばんは。
昨日は、ちょっと早めに寝てしまい、返信が大幅に遅れました。m(_ _)m

> 鎌倉は歩けば歩くほどいろいろな発見があるようですね。
> 今度じっくりと一日かけて歩いてみたくなりました。

早い時期にでき、あっという間に滅んでしまった古都です。いろいろあるのでしょうが、私には知らないことだらけです。
少しずつ歩いて訪ねてみるのも面白いかもしれませんね。
また、一日じっくりせめて見るのも面白いかも。意外に坂道が多いので、かなり疲れるでしょうが。

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