散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

多摩動物公園に行ってきた(2)

見て回った順に取り上げる。ほぼ、全コースを網羅したつもり。金網越しの撮影に大苦戦で、見たものの、取り上げるレベルになかったものがいくつも出てしまった。

ソデグロヅル
のつもりで撮ったのだが、…。肝心の黒い部分が良く見えないというか、開園直後で彼らの動きも鈍かったようだ。
ソデグロヅル_1
ソデグロヅル_2
ソデグロヅル_3
ソデグロヅル_4
ソデグロヅル_5
ソデグロヅル_6
ニホンジカ
おなじみの動物さん
ニホンジカ_1
ニホンジカ_2
ニホンジカ_3
ニホンジカ_4
ニホンジカ_5
ニホンジカ_6
ニホンジカ_7
ニホンジカ_8
ニホンジカ_9
インコたち
私自身が少々お眠だったが、彼らの色鮮やかな色を見て目がばっちり覚めた。ベニコンゴウインコだろうな。
インコたち_1
インコたち_2
インコたち_3
インコたち_4
イノシシ
シャッターチャンスが殆どなかった。正直に言えば、私の腕前が未熟なんだろう。
イノシシ_1
イノシシ_2
ツキノワグマ
こちらも、う~~んだった。何とか『月の輪』を撮りたかったのだが。ツキノワグマだったら、万が一、遭遇しても何とか撃退できると思っていたのだが、この個体は堂々たる体格だった。野生のものよりも栄養状態がいいのだろうか?
ツキノワグマ_1
ツキノワグマ_2
ツキノワグマ_3
ツキノワグマ_4
ツキノワグマ_5

 

多摩動物公園に行ってきた(1)

初めて多摩動物公園に行ってみた。上野動物園とはだいぶ違うという話は聞いていたが、遠いのが理由で行きそびれていた。しかしながら、近いところばかり行っていると、同じところばかりになってしまう。自分でも飽き飽きして、新しいところを開拓したいと思ったのだった。ということで、GW直前の空いているだろう平日に足を運んだ。
LUMIX DMC G8M + LUMIX G VARIO 100-300mm F4.0-5.6 IIとPowerShot G5Xとで撮影した。
取り敢えずダイジェストで見ていただく
スカイウォークに挑戦中。落ちるなよ。その高さから転落したら、間違いなく即死だろう。
ダイジェスト_1
文句なしにきれい。見事なものだ。
ダイジェスト_2
綺麗だよね。こんな至近距離で撮れるなんてめったのないことだ。
ダイジェスト_3
可愛い寝顔だなあ。この個体だけ、何とかものになる写真が撮れた。
ダイジェスト_4
キンランの花だよね。自然に咲いているんだと勝手に判断した。
ダイジェスト_5
ちびっ子たちが弁当を広げているところで、肩身が狭い感じで撮った。なんでこんなところで食事をさせたんだろうか。子供たちには責任はないが、引率教諭の判断に首をかしげてしまう。
ダイジェスト_6
孵化させるべく一生懸命務めているのに、『俺と楽しいことしようぜ』とばかりにちょっかいを出したように見えた。『何をやっているんだ』と苦笑いさせられた。
ダイジェスト_7

 

ソレイユの丘に行ってきたが、想定外の大停電で…(3)

ふれあい動物村(動物エリア)の様子(2)

ウサギ
世界最大のウサギ『コンチネンタルジャイアント』の大きさには驚かされた。背後の人物と見比べていただくと、その大きさがわかると思う。
コンチネンタルジャイアント_1
コンチネンタルジャイアント_2
コンチネンタルジャイアント_3
コンチネンタルジャイアント_4
これはアンゴラかな?
アンゴラかな?_1
アンゴラかな?_2
アンゴラかな?_3
アンゴラかな?_4
これはレッキスかな?
レッキスかな?_1
レッキスかな?_2
これはホーランド・ロップかな?可愛いなあ。だけど寒さにはあまり強くなさそうだ。オランダ産でもそういうものかなあ。
ホーランド・ロップかな?_1
ホーランド・ロップかな?_2
ホーランド・ロップかな?_3
ホーランド・ロップかな?_4
説明板
説明板_1
説明板_2
説明板_3
説明板_4
説明板_5
マーラ
こちらもカピバラ同様に齧歯目だったんだ。寒さで全く動かないカピバラよりも愛嬌たっぷりだった。何故だか、ウサギと同じケージに入っていた。性格が温厚なのかもしれない。
マーラ_1
マーラ_2
マーラ_3
マーラ_4
マーラ_5
マーラ_6
マーラ_7
マーラ_8
マーラ_9
カンガルー
前日までとは一転しての寒さに固まった感じのように見えた。逞しい脚部にほれぼれとする。
カンガルー_1
カンガルー_2
カンガルー_3
カンガルー_4
カピパラ
カピパラもほとんど動かず。寒さにはそんなに強くないようだ。
カピパラ_1
不細工な顔立ちだが、却ってそれが可愛く見える。尤も、『あんたに不細工とは言われたくないよ』との反論がありそうだが。
カピパラ_2
カピパラ_3
カピパラ_4

14:00を過ぎたので、係員に尋ねたが、楽しみにしていたバードショーは中止だとのこと。大規模停電の影響だったのだろうか?三浦市、横須賀市、葉山町の広範囲で停電したとのことで、後で調べたら、午後1時13分時点で、約5万1000軒で停電だった。帰路、警察官の手信号による交通整理を実に交差点ごとに実施しているのを久しぶりに見た。ついでにサイレンを鳴らして走る東電の緊急車も。正確には電力の供給等を行う送配電事業会社の東京電力パワーグリッド株式会社の緊急車かな。
バードショーが中止なら、風邪を引かないうちに即時撤収だ。混乱しないうちに帰って正解だったかもしれない。


前回往訪時の写真から
前回往訪時の写真から_1
前回往訪時の写真から_2
前回往訪時の写真から_3
前回往訪時の写真から_4
前回往訪時の写真から_5
前回往訪時の写真から_6
前回往訪時の写真から_7
前回往訪時の写真から_8

帰り道に見た様子
BBQを楽しんでいた人達は相当たくさんいたようだ
帰り道に見た様子_1
綺麗な花さんもあった
帰り道に見た様子_2
帰り道に見た様子_3
帰り道に見た様子_4
帰り道に見た様子_5

 

ソレイユの丘に行ってきたが、想定外の大停電で…(2)

ふれあい動物村(動物エリア)の様子(1)

ここは有料ゾーン。だが、バードショーまでみられれば、最高にコストパフォーマンスがよさそうだ。ここまでソレイユの丘で1円の支出もしていないので、少しは売り上げに貢献しようと思った。

一番手前には羊
結構羊が大きく見えた。私が年を取って私の身長が少し縮んだ所為で、そう見えたのかなあ。羊は良く咀嚼をするのか、ウンチは甘納豆のような形状だ。
一番手前には羊_1
一番手前には羊_2
一番手前には羊_3
一番手前には羊_4
一番手前には羊_5
一番手前には羊_6
黒い顔面の羊さんも居るんだ。サフォーク種なのかな?目の周りが可愛らしいなあ。
一番手前には羊_7
一番手前には羊_8
その隣には山羊
イメージ通りかも
その隣には山羊_1
その隣には山羊_2
ポニーも控えていた
周回する客はいなかったようだ。
ポニーも控えていた
アルパカだ
可愛いなあ。結構な大きさだ。何度も見ているはずなのに、今回もその大きさに驚かされた。
アルパカだ_1
アルパカだ_2
アルパカだ_3
アルパカだ_4
アルパカだ_5
アルパカだ_6
アルパカだ_7
モモイロペリカン
モモコという名前が付けられているようだ。餌をもらっているシーンでは、ご機嫌そのものだ。下の嘴は柔らかいフレキシブルな感じなのかなあ。上野動物園ではかなり遠くにいるのを見るだけなので、大感激だった。
モモイロペリカン_1
モモイロペリカン_2
モモイロペリカン_3
モモイロペリカン_4
モモイロペリカン_5
モモイロペリカン_6
モモイロペリカン_7
モモイロペリカン_8
モモイロペリカン_9
モモイロペリカン_10
モモイロペリカン_11
モモイロペリカン_12
モモイロペリカン_13
モモイロペリカン_14

 

ソレイユの丘に行ってきたが、想定外の大停電で…(1)

平日も14:30からバードショーが行われる。その様子を撮るべく、ソレイユの丘に行ってきた。あまり良い天気ではないものの、かろうじて雨は降らないというピンポイント予報だった。お昼過ぎに着くように出掛けたが、何だか空模様が怪しい。雨天や強風の時は中止になることもあるという。幽かに霧雨が降る微妙な感じの空模様であったが、係員に聞くと今の状況では実施する予定とのこと。
正式には14:00に案内が出るとのことだった。寒くてすることもなかったので、有料ゾーンの『ふれあい動物村(動物エリア)』に入り、アルパカやカビパラなどを近くで見ながら、バードショーが始まるのを待つことにした。


路線バスを降りた辺り
"Le Soleil"英語だと"The Sun"と書かれた陽気な南欧風の建物が待っている。晴れた日には名前の通り楽しげに見えるのだが、この日はいかにも寒そうにしか見えなかった。
路線バスを降りた辺り_1
路線バスを降りた辺り_2
路線バスを降りた辺り_3
建物を潜った辺り
入ったすぐ右手は、ミニヒマワリやコスモスが大歓迎してくれるエリアだが、端境期なのか何もなく寂しい。そして、その右斜め前方には富士山が見えるはずだが、霧雨でこれもアウト。ポピーが何とか歓迎の意を表してくれた。
建物を潜った辺り_1
建物を潜った辺り_2
園内周遊バス
園内周遊バス_1
園内周遊バス_2
園内周遊バス_3
園内周遊バス_4
園内周遊バス_5
園内周遊バス_6
園内周遊バス_7
大人の客が屋根に乗っているわけではない。背後の芝そりゲレンデで子供たちが滑り降りるのを見ている人たちだ。
園内周遊バス_8
園内周遊バス_9
園内周遊バス_10
無料の遊具
遠足できたらしい小学生たちが多く楽しんでいた。我が家の孫娘たちも大好きなものだ。
無料の遊具_1
無料の遊具_2
無料の遊具_3
無料の遊具_4
無料の遊具_5
観覧車
この時は確かに動いていた。そこから見ると相模湾と富士山とが見えるはずだが、霧雨交じりでは眺望は絶望だ。
観覧車
美味しいパンがあれば買おうかと思ったが
もうすでに営業終了に近く、残り物は殆どなかった。平日は11:00くらいまでしか焼いていないようだ。
美味しいパンがあれば買おうかと思ったが
メインのレストラン
子供たちはこういうところで食べたがるかな
メインのレストラン
BBQは大賑わい
はとバスなどで来られた人たちだろう。こんな天気の日なのに、有難い固定客だなあ。
BBQは大賑わい
ネモフィラが少しだけあった
綺麗に見えるかなあ?
ネモフィラが少しだけあった_1
ネモフィラが少しだけあった_2
ネモフィラが少しだけあった_3
奥の網のあるところでバードショーが行われるはずだった
ネモフィラが少しだけあった_4
ネモフィラが少しだけあった_5
以前からの施設が一部残っている
返還前からの施設が一部残っている
ソレイユ☆パイレーツ
我が家の孫娘たちも異常なほどに大好きな施設。ここだけでたっぷり30分くらいは遊びたがる。
ソレイユ☆パイレーツ_1
ソレイユ☆パイレーツ_2
ソレイユ☆パイレーツ_3
ソレイユ☆パイレーツ_4
ソレイユ☆パイレーツ_6
ソレイユ☆パイレーツ_7
雰囲気を盛り上げるためかな
こんなものも用意されている
雰囲気を盛り上げるためかな_1
雰囲気を盛り上げるためかな_2
雰囲気を盛り上げるためかな_3
雰囲気を盛り上げるためかな_4
雰囲気を盛り上げるためかな_5
芝そりゲレンデ
子供たちは楽しいことなんだろうなあ。何故か端を滑りたがる人もいるんだ。
芝そりゲレンデ_1
芝そりゲレンデ_2
芝そりゲレンデ_3

 

神奈川県春季大会準々決勝(3)

準々決勝第2試合 東海大相模高校vs横浜商大高校(2)

第2試合は、横浜商大高校がよくぞここまで勝ち残ったものだという感慨と、断然強い東海大相模高校相手に、どこまでやれるのかという興味とで、試合の流れが見えるまで見ておこうという気になった。
東海大相模高校は、エース斎藤君ではなく、二番手の遠藤君を先発させた。斎藤君も遠藤君も2年生か。2人で頑張るというのが何ともすごい。遠藤君は投げるだけでなく強打の東海大相模高校でも5番打者を務め、この試合でも満塁本塁打を放った。横浜商大高校の投手とは格が違うということを見せつけた。


遠藤君の投球フォーム
う~~ん、残念ながら慶應義塾高校の打者では手が出ないレベルのようだ。と思ったのだが、意外に横浜商大高校ナインが粘り、点数をそれなりに取った。弱点もあるのだろう。対戦することがないとは言えない。研究しておくべきだ。ちなみに、このストレートは、最速144㎞だそうだ。
遠藤君の投球フォーム_1
遠藤君の投球フォーム_2
遠藤君の投球フォーム_3
遠藤君の投球フォーム_4
遠藤君の投球フォーム_5
遠藤君の投球フォーム_6
遠藤君の投球フォーム_7
遠藤君の投球フォーム_8
遠藤君の投球フォーム_9
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遠藤君の投球フォーム_11
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遠藤君の投球フォーム_17
遠藤君の投球フォーム_18
遠藤君の投球フォーム_19
2回表の横浜商大高校の攻撃
7番打者大高君の中前適時打で追加点をあげた。ちょっと泳いだような感じではあったが、外野まで運んだ。一瞬ではあったが逆転した。易々と外野に打ち上げられるとは、遠藤君の球は少し軽い感じなのだろうか?
2回表の横浜商大高校の攻撃_1
2回表の横浜商大高校の攻撃_2
2回裏の遠藤君の満塁本塁打
内角やや高めの何の変哲もない置きに行った投球だったのかもしれない。2死満塁で4番打者上杉君への押し出し死球を与えてしまった相手投手。激しく動揺したことだろう。平常心で遠藤君に立ち向かえるはずもなかった。
2回裏の遠藤君の満塁本塁打_1
押出し死球に満塁本塁打だからこの回5点なのだが、カウントアップする途中だったのかな。そんな小賢しいことしなくても良いのに。
2回裏の遠藤君の満塁本塁打_2

勝負あった。ここまで見たら十分だった。恐るべき破壊力。対戦校の投手には調子に乗せないように細心の投球が必要だが、…。どう考えても東海大相模高校は、人気先行の早実や日大三高よりも数段強いなあ。

序盤の試合経過は次の通り
1裏無死小松の中前打。続く山田の左越適時2塁打で先制 0-1
2表1死2塁海辺の右線適時2塁打で同点。大高の中前適時打で追加点。一時逆転する。 2-1
2裏2死満塁上杉の押し出し死球。遠藤の満塁本塁打。 2-6

7回コールドゲーム 4-11

 

神奈川県春季大会準々決勝(2)

準々決勝第1試合 慶應義塾高校vs桐光学園高校(2)

最初のピンチ
2回裏にやってきた。生井君の変化球の制球が定まらず、待球作戦を受け、たまらず四球を出す。8番打者渡邊君のピッチャーゴロが生井君に足に当たり、走者がたまる。何とか続投できる状態で一安心。
最初のピンチ_1
最初のピンチ_2
次打者高橋君を三振に切ってとり、ピンチを脱す。かなりひやひやものの投球が続く。
最初のピンチ_3
先制点
4回表。先頭打者3番宮尾君が3塁打を放つ。
先制点_1
先制点_2
先制点_3
先制点_4
続く4番打者凡退の後、5番奥村君がライト前にヒットを放ち、先制。
先制点_5
先制点_6
まだ、1死なのに、後続の凡打で追加点はならず。
先制点_7

こんな風にして試合は大した盛り上がりもなく終了。慶應義塾高校サイドからすれば、酷い試合内容だった。

得点経過は次の通り
4表 1死3塁奥村の右前適時打で先制 1-0
4裏 2死満塁楠本の三遊間2点適時打で逆転し、さらに山田の右前適時打で追加点。 1-3
6表 1死3塁石田の左越適時2塁打 2-3
6裏 1死1・2塁山田の左中間2点適時打 2-5
7裏 2死1・2塁鵜沢の左前適時打 2-6
9表 2死3塁下山の左越適時打 3-6


次回は準々決勝第2試合の序盤の様子のみを取り上げる

 

神奈川県春季大会準々決勝(1)

母校も含めて神奈川県のベスト8が出そろった。この記事が出るときには、ベスト4が決まっている。今年の夏の甲子園の神奈川県代表の座は、第100回記念大会ということで、全国一の激戦区、神奈川は南北に分けて競われる。春季大会ベスト8の学校はそれぞれの大会の第1シードとなる。
ということで、今春の選抜高校野球大会に出場した、東海大相模高校と慶応義塾高校は同じ北ブロックになり、他の有力校も割って入るだろうから、激戦必至の予感が。他方、南ブロックは、横浜高校が断然有利な感じに見える。
今回は、LUMIX DMC-G8M + G VARIO 100-300mm F4.6-5.6 IIで撮影した。

準々決勝第1試合 慶應義塾高校vs桐光学園高校(1)
終わってしまったのを書くのも悔しい話だが、母校は良いところなく3:6で負けてしまった。選抜高校野球大会の彦根東高校との対戦での無様な敗戦から、何かをつかんで立ち直ることを期待したのだが、まったくその気配なし。ここ儘では夏季大会も絶望的だなあと、落胆した。
エースはずっと不調を引きずっている
2番手投手以下が全くの非力なので、自分が頑張らなくちゃいけないと思うのはやむを得ないことだろう。でもそれが力みになり、コントロールがままならない。カウントを整えに投じた球が狙われる。一番の特効薬は、2番手投手以下の成長なのだが、今の状況では難しそうだ。大学に進学し、他の高校からの進学者に良い投手が居れば、負荷が軽くなり、相応のピッチングができそうに思うが、…。
エース生井君の投球フォーム_2
エース生井君の投球フォーム_3
エース生井君の投球フォーム_4
エース生井君の投球フォーム_5
エース生井君の投球フォーム_6
エース生井君の投球フォーム_7
エース生井君の投球フォーム_8
エース生井君の投球フォーム_9
エース生井君の投球フォーム_10
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エース生井君の投球フォーム_13
エース生井君の投球フォーム_14
エース生井君の投球フォーム_15
エース生井君の投球フォーム_16
エース生井君の投球フォーム_17
先発メンバーはこの通り
両チームともベストメンバーのようだ。慶応は4番打者が選抜大会と違っているぞ。
先発メンバーはこの通り
横浜隼人高校の諸君らしい
きびきびとした動作が非常に美しいし、好感が持てる。わが母校の選手たちにも彼らのようなひたむきさが欲しいものだ。
横浜隼人高校の諸君らしい_1
横浜隼人高校の諸君らしい_2
横浜隼人高校の諸君らしい_3
横浜隼人高校の諸君らしい_4
横浜隼人高校の諸君らしい_5
横浜隼人高校の諸君らしい_6
横浜隼人高校の諸君らしい_7
横浜隼人高校の諸君らしい_8
今回は慶應義塾女子高校のチアリーダーの応援は無いようだ
同じ高校じゃないのだから仕方がない。とはいうものの華やかさに欠けるのは否めない。
今回は慶應義塾女子高校のチアリーダーの応援は無いようだ_1
今回は慶應義塾女子高校のチアリーダーの応援は無いようだ_2
いよいよ試合が始まる
何故だか、慶應の選手は高校も大学も小柄な選手が多い。善波君などは165㎝以下かなあ。
いよいよ試合が始まる_1
いよいよ試合が始まる_2
いよいよ試合が始まる_3
いよいよ試合が始まる_4

 

剱埼灯台をみてきた(1)

剱埼(つるぎさき)灯台は条約灯台の一つ。観音埼灯台と同様、灯台名には『埼』の漢字が使われ、地名には『崎』の漢字が使われる。ということで、神奈川県三浦市東部の剱崎の突端に立つ白亜塔形の大型灯台である。この灯台と対岸の南南東に位置する館山市洲崎(洲埼灯台)までを結ぶ線が浦賀水道(東京湾)と太平洋の境界となる。何度見ても変わり映えしないのだが、時々見に行きたくなる。
途中の道の様子(片道20分程度の道のりかな)
終点の剱崎バス停から少し行ったところから左道に入る
小さくだが、『剱埼灯台方面』の表示がある。気付いた方は勘が宜しいのかも。あまりに小さすぎて、ほとんどすべての人が見落としそうだ。
終点の剱崎バス停から少し行ったところから左道に入る
途中にはキャベツ畑が広がる
ブランド野菜である三浦キャベツの畑がそこかしこに。実に美味しそうだ。三浦大根、三浦スイカとともに、私の大好物だ。灯台も途中から見える。
途中にはキャベツ畑が広がる_1
美味しい美味しい三浦の春キャベツだ
途中にはキャベツ畑が広がる_2
途中にはキャベツ畑が広がる_3
途中にはキャベツ畑が広がる_4
途中にはキャベツ畑が広がる_5
途中にはキャベツ畑が広がる_6
途中にはキャベツ畑が広がる_7
こんな道具もあった
途中にはキャベツ畑が広がる_8
途中にはキャベツ畑が広がる_9
途中にはキャベツ畑が広がる_10
農業用水の水栓
農業用水の水栓
いい感じのログハウスもあるぞ
いい感じのログハウスもあるぞ
浦賀水道も見える
LNGタンカーが航行していた。もう間もなく太平洋上に出る。気を付けて航行してね。
浦賀水道も見える_1
浦賀水道も見える_2
松輪地区の間口漁港かな
松輪地区の間口漁港かな_1
松輪地区の間口漁港かな_2

剱埼灯台(つるぎさきとうだい)は、神奈川県三浦市東部、剱崎突端に立つ白亜塔形の大型灯台である。
1866年、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税条約」(江戸条約)によって江戸幕府が建設を約束した8ヶ所の灯台(条約灯台)の一つ。設計は「灯台の父」と呼ばれるお雇い外国人リチャード・ブラントンが担当し、当初は石造であった。現在使用されている灯台はコンクリート造で、関東地震(関東大震災)の後に再建された2代目のもの。
三浦半島南東端に位置しており、浦賀水道・相模灘を照らす。剱崎から南南東に位置する館山市洲崎(洲埼灯台)までを結ぶ線が浦賀水道(東京湾)と太平洋の境界となっている。周辺は岩礁が発達し、対岸に房総半島を望む風光明媚な地である。

 

葛飾柴又を歩いた(5)

帝釈天(5)
大客殿
徹底してみて楽しんでもらおう。そういう意図があったのかと思う。雅叙園の百段階段と同じような考えがあったように思うのは、私の考え過ぎだろうか。
ここから大客殿
『邃渓園(すいけいえん)』は、大客殿前に広がる池泉式庭園のこと。直進すれば、右手に大客殿の中が見られ、左手には邃渓園を見ることができる。
大客殿_1
入り口
訪問客を圧倒する美しさ
大客殿_2
大客殿_3
十干 ・ 十二支は一巡するのに60年かかる。昭和の年号は異様に長く、丙寅、丁卯、戊辰、己巳だけは2回登場する。が、昭和元年と昭和61年とでははっきり世の中も違っているはずで、混同することはまずないと思う。それ以外の十干 ・ 十二支は一度しか登場しない。なので、『昭和壬寅』と書かれてあれば、それだけで、昭和37年のことだと考えることができる。実に便利なものだ。この書は昭和37年に書かれたようだ。ちなみに、2018年の干支は戊戌(つちのえ・いぬ)。平成戊戌でわかる人はわかるはずだ。
大客殿_4
廊下
冒頭に記したとおり、右手に大客殿の中が見られ、左手には邃渓園を見ることができる。
大客殿_5
帝釈堂法華経絵巻原型彫刻
あの彫刻ギャラリーを彫るために最初に彫られたものだそうだ
大客殿_6
大客殿_7
大客殿_8
大客殿_9
大客殿_10
大客殿_11
何の画かな
光っていて良く見えなかったが、おそらくは毘沙門天像なのだろう。違うかなあ。
大客殿_12
大客殿_13
横山大観筆『群猿遊戯図』
彫刻の下絵にしたようだ。天下の横山大観も、ここでは下絵作者か。う~~ん。
大客殿_14
大客殿_15
こちらは別の画のようだ。奥にあって、説明書きが見えなかった。
大客殿_16
メインの部屋
だとおもう。日本一の南天の床柱などがある。
大客殿_17
大客殿_18
大客殿_19
何が日本一なのか。おそらく1500年生きてきた南天だという称号なのだろう。
大客殿_20
大客殿_21
大客殿_22
本堂裏に位置する。昭和4年(1929年)の完成で、入母屋造瓦葺、平屋建の左右に細長い建築である。東京都の選定歴史的建造物になっている。座敷4室を左右1列に配し、これらの手前には庭に面し、ガラス障子を立て込んだ廊下がある。座敷のうちもっとも奥に位置する「頂経の間」の「南天の床柱」は、日本一のものといわれ、直径30センチ、滋賀県の伊吹山にあった樹齢約1,500年の南天の自然木を使用したものである。
邃渓園(すいけいえん)
大客殿に位負けしないものを造り上げることが、至上命題だったのだろうか。実にすごい庭だ。そして、案外新しい庭園だったんだ。
大客殿から見た様子
超広角もしくは魚眼を使用しないとうまく撮れないかなあ
邃渓園(すいけいえん)_1
邃渓園(すいけいえん)_2
邃渓園(すいけいえん)_3
邃渓園(すいけいえん)_4
渡り廊下から見た様子
なかなかうまく撮れないなあ。己の下手さ加減が嫌になる。
邃渓園(すいけいえん)_5
邃渓園(すいけいえん)_6
邃渓園(すいけいえん)_7
邃渓園(すいけいえん)_8
邃渓園(すいけいえん)_9
邃渓園(すいけいえん)_10
邃渓園(すいけいえん)_11
邃渓園(すいけいえん)_12
邃渓園(すいけいえん)_13
邃渓園(すいけいえん)_14
邃渓園(すいけいえん)_15
大客殿前に広がる池泉式庭園で、昭和40年(1965年)、向島の庭師永井楽山の設計による。庭園への立ち入りは禁止されているが、周囲に設けられた屋根付きの廊下から見ることができる。

 

目黒区外の庚申塔など(2)

渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔
渋谷川に架かる渋谷区東3-17に存在する庚申橋。その袂のテアトルエコーのビルの向かいに大型の庚申塔がある。渋谷区の説明板の記載によれば、寛政十一年(1799年)にたてられた『橋供養碑』と位置付けられるものらしい。しかも、大変珍しいとある。一方で、埼玉県には『橋供養碑』が少なくないという説明をするブログもあった。『橋供養碑』が珍しい存在か否かは別として、ちょっと風変わりな石碑だ。
異様に大きく細長い
渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔_1
最上段の文字を読むと、麹町、四ツ谷千田谷(千駄ヶ谷)、瀬田谷(世田谷)竹上村、用賀村、下馬引澤村、新田村(どこかな?)、隅田村(そう見えるが、だとすると結構遠いなあ)、下豊澤村(渋谷氷川神社近辺)、麹町とある。まあ、近辺の人が殆どだが、すぐ近くの住民ではない。
渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔_2
渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔_3
『橋供養碑』を兼ねる庚申塔なのだろう。庚申塔ということになれば、庚申講のメンバーがたてるもののはずだ。それなのに、かなり多くの名前が彫られてある。地域的にも地元の人ばかりでない。縁のある人が趣旨に賛同してお金を負担した事情がうかがえるが、そういうことをうまくまとめたコーディネーター(橋講中の世話役)のような働きをした人がいたのだろう。
渋谷川下流方向
渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔_4
渋谷川上流方向
渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔_5
彫りが美しい。素人が彫ったのではなく、石屋さんに彫らせたように思える。合掌六臂の青面金剛の右には『天下泰平』、左には『国家安穏』と書かれ、それ以外の余白部分には、人名が余すところなく刻まれている。人名が各所に及ぶので、庚申橋を通る道は、江戸時代には重要な交通路であったと渋谷区は結論付けているが、そうだったのかなあ。両隣の比丘橋や渋谷橋の方が主要道だった気がするが。

 

葛飾柴又を歩いた(4)

帝釈天(4)

彫刻ギャラリー(3)
彫刻ギャラリーはまだ続くが、先を急ぐ。少々端折って取り上げる。
第3の面から折り返す階段の彫刻
第3の面から折り返す階段の彫刻_1
第3の面から折り返す階段の彫刻_2
階段の途中に掲げられた絵馬
信徒から見た帝釈天出現のイメージなのかな。というよりも、寺院側が主導して描かせたがっていた図案だろう。
こちらは、拡大してみると、『明治参拾貮歳』との記載があった。明治32年は1899年。119年前の絵馬か。
階段の途中に掲げられた絵馬_1
流石、明治の初めの奉納絵馬ともなると、経年で傷みが激しくなっている感じだ。廃仏毀釈の嵐の中で、当初は丁寧には扱うことができなかったのだろうか。
階段の途中に掲げられた絵馬_2
階段の途中に掲げられた絵馬_4
下の階のお出迎え
凄い木鼻だなあ
下の階のお出迎え
鴛鴦、椿と水仙(冬)
今でもオシドリを観察するのは、至難の業。昭和初期までの技術ではかなり難しかったと思う。でも、しっかり特徴をとらえてあるように見えた。
鴛鴦、椿と水仙(冬)_1
鴛鴦、椿と水仙(冬)_2
鴛鴦、椿と水仙(冬)_3
鴛鴦、椿と水仙(冬)_4

こういう彫刻が続くがここは省略

渡り廊下
何のことはない渡り廊下と思うかもしれない。私もそう思った一人だった。が、違うのだ。
彫刻ギャラリーほどではないが、細かい彫刻が施してある。気合が入っているなあ。
渡り廊下_1
渡り廊下_2
外側と内側とでは図柄が違う。手抜きなどしていないようだ。
渡り廊下_3
渡り廊下_4
渡り廊下_5
渡り廊下_6
渡り廊下_7

 

妻と一緒に(3)

最初に取り上げた店でのリベンジ。前回は晩御飯だったが、今回はランチ。お酒などは当然ない。最初の2回分はPowerShot G5 Xで撮影したが、今回分はDMC-G8Mで撮影した。
ピントなどはきりりとあっている感じだが、それで必要十分かというと、人間は天邪鬼な生き物だ。

私は焼き魚コース
焼き魚を2品セレクトできる。こちらの方が若干お安いし、私の好みだ。
私は焼き魚コース

妻は昼の定食コース
てんぷらやお刺身がつくし、飲み物もつく。昼からちょっぴり贅沢だ。
妻は昼の定食コース_1
妻は昼の定食コース_2
妻は昼の定食コース_3

その日(03/18)のソメイヨシノ
あいにくの花曇りで、開花はそれほど進まなかった。
その日(03/18)のソメイヨシノ_1
細い枝先が風に激しく揺れる様子を撮ってみた。手ブレ補正システム「Dual I.S. 2」を搭載した実力の程を試すわけだ。何とか写し留めてくれたようだ。
その日(03/18)のソメイヨシノ_2

このところ、膵臓の調子が良くないのではないかという疑いがかかっていて、ずっと東京医療センターにお世話になっている。半年の間隔をあけて、4月9日にMRCPという検査を受け、血液検査をも受けた。これで禁酒措置も解けるのではないかと期待したのだが、そう甘くはなく、禁酒措置と脂質の摂取制限とは継続。そのうえで、半年後の検査と相成った。皮肉なことに、禁酒を続けているうちに肝臓の検査値は抜群に良くなった。なのに、肝心の膵臓の検査値は、さらに悪くなった。う~~ん。

 

4月半ばの自然教育園の花(2)

キンランかな?
肝心かなめの立札がなかった。勝手に『キンランかな?』と判断したが、どうなのだろう。ペチャクチャ蘊蓄を垂れてなかなかどいてくれないご婦人たちの背後から撮った。焦ってピントが良く合っていなかったなあ。
キンランかな?_1
キンランかな?_2
イカリソウ
白いのと紫色のとがあった。素晴らしい形状だ。イカリは碇(錨)のほうで、怒りではないので念のため。
イカリソウ_1
イカリソウ_2
イカリソウ_3
イカリソウ_4
イカリソウ_5
イカリソウ_6
イカリソウ_7
イカリソウ_8
ラショウモンカズラ
渡辺綱が羅生門で切り落としたとされる鬼女の腕に見立てた名前か。いつもながら凄いネーミングだと思う。
ラショウモンカズラ_1
ラショウモンカズラ_2
ラショウモンカズラ_3
ラショウモンカズラ_4
関東タンポポ
多くの在来タンポポと同じく、外総苞片が垂れ下がらない。セイヨウタンポポは外総苞片が垂れ下がるのが違いらしい。外総苞片の様子を撮ろうとしたが、囲いからの距離があり、できなかった。
関東タンポポ_1
関東タンポポ_2
関東タンポポ_3
ヤブレガサ
少し大きくなると、かっこうよくなるんだなあ。破れ傘の惨めなイメージではなくなる。
ヤブレガサ_2
ヤマブキソウ
この時期は山吹もヤマブキソウも咲き、紛らわしいなあ
ヤマブキソウ
ノウルシ
遠目にはきれいだな
ノウルシ_1
ノウルシ_2
チョウジソウ
香料の丁子に似ているチョウジソウ。夾竹桃の仲間だそうだ。ということは綺麗だけど、毒があるのかな。
チョウジソウ_1
チョウジソウ_2
チョウジソウ_3
カマツカ
花言葉 は、『真心、真実、愛嬌』だそうだ。私のことではないなあ。
カマツカ_1
カマツカ_2
ミツガシワ
亜寒帯や高山に多いが、京都市の深泥池や東京都練馬区の三宝寺池など暖帯の一部にも孤立的に自生している。これらは氷河期の生き残り(残存植物)と考えられ、これらを含む水生植物群落は天然記念物に指定されているそうだ。こちらのものは、そうした扱いは受けていなさそうだが。
ミツガシワ_1
ミツガシワ_2
ミツガシワ_3
ミツガシワ_4

 

葛飾柴又を歩いた(3)

帝釈天(3)
彫刻ギャラリー(2)
最初の角
彫刻ギャラリーは、こんな風になっている。3面があり、小さな階段を下りて、折り返してまた3面がある。
最初の角
法師修行の図
前回、この『法師修行の図』まで取り上げたが、ここからは第二の面となる。同じ画で恐縮だが、再掲させていただく。
法師修行の図_1
法師修行の図_2
法師修行の図_3
多宝塔出現の図
多宝塔出現の図_1
多宝塔出現の図_2
多宝塔出現の図_3
千載給仕の図
千載給仕の図_1
千載給仕の図_2
千載給仕の図_3
龍女成佛の図
龍女成佛の図_1
龍女成佛の図_2
龍女成佛の図_3
ここまでがこの第2の面
この面だけは他の面よりも一つ多い四つの図案があるんだ
ここまでがこの第2の面_1
ここまでがこの第2の面_2
病即消滅の図
何だか聖書の話と似た話だなあ
病即消滅の図_1
病即消滅の図_2
病即消滅の図_3
常不軽菩薩受難の図・法華経功徳の図
常不軽菩薩受難の図・法華経功徳の図_1
常不軽菩薩受難の図・法華経功徳の図_2
常不軽菩薩受難の図・法華経功徳の図_3
法師守護の図
法師守護の図_1
法師守護の図_2
法師守護の図_3
ここまでがこの第3の面
ここまでがこの第3の面

 

4月半ばの教育園の花(1)

かなり暑くなった4月12日。所用のついでに、自然教育園の花さんを見てきた。続々と花期を迎えていて、もうすでに終わったものも少なくなかった。

海老根
ラン科エビネ属の多年草。今年は何とか見ることができた。焦点距離に長いレンズが欲しいところだ。
海老根_1
海老根_2
海老根_3
海老根_4
海老根_5
キランソウ
金瘡小草(金襴草とも書く)。「き」は紫の古語で「らん」は藍色の意味で、花の色からこう名づけられたともいわれる。開花期の全草は筋骨草という生薬だそうだ。高血圧、鎮咳、去痰、解熱、健胃、下痢止めなどに効果があるとされるが、民間薬的なものである。別名をジゴクノカマノフタというが、これは「病気を治して地獄の釜にふたをする」ということからだとか。
キランソウ
オドリコソウ
もうちょっときれいに撮ってやらないといけないなあ。フル換算、120ミリまででは厳しいなあ。
オドリコソウ_1
オドリコソウ_2
オドリコソウ_3
イチリンソウ
旬が過ぎたのかという感じになっていた。咲き出しのころの初々しさはなくなっている。
イチリンソウ_1
イチリンソウ_2
イチリンソウ_3
ニリンソウ
こちらも初々しさがなくなってきたかな
ニリンソウ_1
ニリンソウ_2
武蔵鐙
鐙の感じになってきたぞ。いいなあ。
武蔵野鐙_1
武蔵野鐙_2
武蔵野鐙_3
春蘭
蘭は長持ちしないなあ。旬に見ないと可哀そうだ。
春蘭
ホウチャクソウ
宝鐸草。宝鐸(お堂の四隅の軒に下げた鈴)に似ている、筒形の花。一度覚えたら忘れない花だろう。
ホウチャクソウ_1
ホウチャクソウ_2
ホウチャクソウ_3
シャガ
三倍体の花。誰かが植えない限りは増えないはずだ。
シャガ_1
シャガ_2
教育園の木々
なかなか良い風情だ
教育園の木々_1
教育園の木々_2
教育園の木々_3
教育園の木々_4
教育園の木々_5
教育園の木々_6
教育園の木々_7
教育園の木々_8

 

目黒区外の庚申塔など(1)

恵比寿西の庚申塔

このところ目黒区の庚申塔を見て歩いている。以前にも取り上げたことがあるが、、お隣渋谷区の庚申塔もついでなので、再登場させる。

気が付かない人もいるかな
土一升金一升の土地にある。しかも、しっかりとした大谷石の囲いの上だ。気が付かなかったり、気が付いていても遠慮してしまう人も多いかもしれない。祀られているものは、目黒区のそれと大同小異。渋谷区も江戸近郊の農村だったんだなあ。
以前から、こういう土地に固定資産税などは課税されるのか気になっていた。庭内神祠でも相続税非課税になるようで、固定資産税も免除なのだろう。なので、多分、固定資産税もかからないのだと思う。課税に関する記述に関してはまったく自信無しなので、悪しからず。

気が付かない人もいるかな_1
気が付かない人もいるかな_2

屋根付きの中には4つの庚申塔が
見た目にははっきり見えない感じなのだが、写真には何故だかはっきり写る
全体像
屋根付きの中には4つの庚申塔が_1
屋根付きの中には4つの庚申塔が_2
屋根付きの中には4つの庚申塔が_3
屋根付きの中には4つの庚申塔が_4
屋根付きの中には4つの庚申塔が_5
寛文八年(1668年)
合掌していて、二鶏が彫られているのはわかる。素朴な感じだ。
屋根付きの中には4つの庚申塔が_6
延宝四年(1676年)
六臂のように見えるが、合掌はしていないようだ。三猿が彫られてある。廃仏毀釈のときに壊したのかなあ。
屋根付きの中には4つの庚申塔が_7
延宝二年(1674年)
合掌六臂だということはわかる。下部ははっきりしていない。
屋根付きの中には4つの庚申塔が_8
覚文四年(1664年)
三猿が彫られてあるだけ。シンプルだ。
屋根付きの中には4つの庚申塔が_9
そして雨曝しの庚申塔と馬頭観音とが
扱いに差があるなあ。せめて庚申塔だけでもと思うのだが、…。
廃仏毀釈の世になってからも作られていたようだ。意外だ。
明治三十八年(1905年)
そして雨曝しの庚申塔と馬頭観音とが_1
馬頭観音
そして雨曝しの庚申塔と馬頭観音とが_2

 

東京湾湾奥部を眺めた(2)

出航準備中のヴァンテアン号
ヴァンテアン(Vingt et un)は、東京ヴァンテアンクルーズが運航するレストラン船で、東京港竹芝桟橋を発着する東京湾クルーズ航路に就航しているそうだ。美味しい料理を堪能できるのだろうなあ。
出航準備中のヴァンテアン号_1
出航準備中のヴァンテアン号_2
PDF画像を借用
出航準備中のヴァンテアン号_3

日本丸II世かな?
フル換算120ミリまでのレンズだったので、大きく撮ることはできなかった。たぶん、そうだろうと私が思っているだけだ。適当なレンズを所有していないのは、本当に寂しい限りだ。
日本丸(にっぽんまる、英語: Nippon Maru)は、海技教育機構が保有する航海練習船。日本を代表する大型帆船。1984年(昭和59年)に竣工した2代目(日本丸II世)。
4檣バーク型帆船というタイプだそうだ。4檣であることだけは、ど素人の私が見てもわかる。メインマスト高は43.5 m(船楼甲板からの高さ)に達する。レインボーブリッジは、この船の通航を想定して設計されたと言われているそうだ。
日本丸II世かな?_1
日本丸II世かな?_2
向こうは晴海でこちらは竹芝。目と鼻の先ではあるが。泳いでいっても大した距離ではないが、遊泳可能の扱いにはなっていないことだろう。
日本丸II世かな?_3
PDF画像を借用
日本丸II世かな?_4

レインボーブリッジ
レインボーブリッジ (Rainbow Bridge) は、東京都の港区芝浦地区と台場地区(港区台場および江東区有明)を結ぶ吊り橋。1987年(昭和62年)着工、1993年(平成5年)竣工、同年8月26日開通したのか。工事中の時も、開通後も毎日見ていた。あの頃は私も壮年期だったんだ。
レインボーブリッジ_1
レインボーブリッジ_2
PDF画像を借用
レインボーブリッジ_3

日の出ふ頭
あの辺りは日の出ふ頭だ。手前にある船舶は拡大してみると『御座船』とある。調べて見たら『御座船安宅丸』だった。家光が造らせた『安宅丸』を模したものらしい。
日の出ふ頭_1
日の出ふ頭_2
日の出ふ頭_3
日の出ふ頭_4
安宅丸は、幕藩体制がまだ安定していなかった江戸時代初期、寛永9年(1632年)徳川3代将軍 家光公の在任期に、向井将監忠勝が指揮をとり同11年(1634年)に完成させた軍用船で、別名「天下丸」といわれました。
家光が同12年品川沖で試乗したのち、江戸深川に係留されたこの船は、推進力に乏しいことからどのように活用するつもりで造られたかは謎に包まれていますが、江戸湾防衛の要塞として造られたという説もあります。


ゆりかもめ
モノレールのように見えるが、モノレールではないのだそうだ。
ゆりかもめ_1
ゆりかもめ_2
ゆりかもめ_3

竹芝小型船ターミナルと桟橋
私たちが近く乗る予定の新東京丸は、橋の手前の乗り場から乗る
竹芝小型船ターミナルと桟橋_1
竹芝小型船ターミナルと桟橋_2
竹芝小型船ターミナルと桟橋_3
竹芝小型船ターミナルと桟橋_4
新東京丸のクルーズ記事へjump

帰りの大井町で
劇団四季の劇場があった
帰りの大井町で_1
帰りの大井町で_2
敷地奥にレンガ造りの建物があった。これが気になった。
帰りの大井町で_3

以上で、『東京湾湾奥部を眺めた』のミニシリーズは終了です。あまり内容がなくて、恐縮です。

 

東京湾湾奥部を眺めた(1)

ちょっとした用件を済ませ、自由時間ができた。非常に好い天気で気持ちが良かったので、そのまま帰るのは如何にも勿体ない感じだった。近くの海を見て帰ることにした。

ここはどこ?
お分かりだろうか?芝離宮恩賜公園の一部だ。そして、東京ガスとの境界にある連絡通路だ。高い樹木に負けないよう、背筋をピーンと伸ばして歩く。
ここはどこ?_1
ここはどこ?_2
ここはどこ?_3
ここはどこ?_4
ここはどこ?_5
ここはどこ?_6
ここはどこ?_7

竹芝客船ターミナルに向かう
この先ほぼまっすぐ行けば、ホテルインターコンチネンタル東京ベイと小型船舶ターミナルとに行きつく。だが、左折して、竹芝客船ターミナルに向かう。
暫くは直進
竹芝客船ターミナルに向かう_1
竹芝客船ターミナルに向かう_2
ユリカモメの下を通る
竹芝駅が見える
竹芝客船ターミナルに向かう_3
新東京丸の乗り場の表示が見える
竹芝客船ターミナルに向かう_4
竹芝客船ターミナルに向かう_5
またも新しいビルが建つようだ
竹芝客船ターミナルに向かう_6
NEW PIER TAKESHIBA SOUTH TOWER
ここから入る。もう小笠原などに遊びに行く人がいるんだ。勿論、仕事で向かう人もいることだろう。
竹芝客船ターミナルに向かう_7
竹芝客船ターミナルに向かう_8
竹芝客船ターミナルに向かう_9
竹芝客船ターミナルに向かう_10
竹芝客船ターミナルに向かう_11
竹芝客船ターミナルに向かう_12
港の様子を見るため、外に出る
竹芝客船ターミナルに向かう_13
竹芝客船ターミナルに向かう_14

出航準備中のおがさわら丸
本土と小笠原諸島を結ぶ定期航路としては唯一の交通手段なんだそうだ。片道で24時間かかるのか。かなり遠いなあ。
乗客が乗船し始めていた
出航準備中のおがさわら丸_1
出航準備中のおがさわら丸_2
貨客船であることが良くわかる
出航準備中のおがさわら丸_3
出航準備中のおがさわら丸_4
出航準備中のおがさわら丸_5
船首はユニークな形状
出航準備中のおがさわら丸_6

おがさわら丸の船首のその先
隅田川の河口があり、浜離宮恩賜公園がある。そしてスカイツリーも見える。
かなりの眺めだ
おがさわら丸の船首のその先_1
隅田川の河口はかなりの幅になっている。これを上って浅草に行く水上バスが頻繁に運行されている。
おがさわら丸の船首のその先_2
青いコンテナの辺りが河口と海との境界だろうか?
おがさわら丸の船首のその先_3
おがさわら丸の船首のその先_4
左奥の緑の辺りが浜離宮恩賜公園。画面の右端が築地川水門だと思われる。
おがさわら丸の船首のその先_5
洪水対策なのかな
おがさわら丸の船首のその先_6
こうしてみると隅田川は巨大な河川だ
おがさわら丸の船首のその先_7
こんな風になっている
おがさわら丸の船首のその先_8
おがさわら丸の船首のその先_9
おがさわら丸の船首のその先_10

 

葛飾柴又を歩いた(2)

帝釈天(2)
帝釈天の縁日は、安永8年(1779年)の庚申の日であったことから、60日に一度の庚申の日が縁日となったそうだ。目黒のさわら庚申を見た折に、帝釈天のことが大きく取り上げた内容になっているのに驚いたのだが、ことほど左様に江戸中から庚申の日にはお参りする人が多かったのだろう。

境内の様子
目につくところのみざっと取り上げる。
瑞龍松
高さおよそ10メートル、幹回りおよそ1.8メートルの大木。枝ぶりが大きく、古くから帝釈天を象徴する由緒ある松であり東京都を代表する名木だとして、2016年に都指定文化財になった。いつ見てもすごい松だと思う。
瑞龍松_1
瑞龍松_2
瑞龍松_3
帝釈堂
拝殿と内殿とからなる。帝釈堂の内部は当然かもしれないが撮影禁止。規則を遵守するのは当然で、そこの写真は無い。が撮影禁止なのはこの内部のみで、有名な彫刻ギャラリーなどは有料だが、撮影は自由で、さほど落胆する必要はなかろう。
内殿が先にあり、後年拝殿が作られた。内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われた彫刻ギャラリーとなっている。

帝釈堂_1
帝釈堂_2
拝殿の彫刻は大柄なデザインのものが多いようだ。超精細を誇る彫刻ギャラリーの作品とはかなり異なる。
帝釈堂_3
帝釈堂_4
帝釈堂_5
拝殿角から見た様子
帝釈堂_6
二天門を入った境内正面に位置する。手前の拝殿と奥の内殿から成り、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付す。内殿は大正4年(1915年)、拝殿は昭和4年(1929年)の完成。内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置する(四天王の残り2体は二天門に安置)。内殿外側には全面に浮き彫りの装飾彫刻が施されている。

彫刻ギャラリー(1)
見事な彫刻が施されている。彫刻を見ればすぐにわかると思うので、余計な説明は差し控える。
有料ゾーンに入った直後
やたらに細かい浮彫のオンパレードになる。見事といえば見事なものだ。彫刻ギャラリーのエントランスだと思っていただきたい。
有料ゾーンに入った直後_1
有料ゾーンに入った直後_2
有料ゾーンに入った直後_3
有料ゾーンに入った直後_4
ここから彫刻ギャラリー
説明書きをもUPするので、それを参考にしながらご覧いただきたい。庭園拝観をも併せて入場料は400円であるが、何かのキャンペーン中なのか、今回は300円だった。ラッキー。京都の寺社でこれだけの内容だと1000円以上取られるかもしれないなあ。案外パスする人が多いようだ。東京の人は財布が渋いのかなあ。
南面
正確な地図を拡大して確認すれば、南南東に面しているが、WikiPediaでは東面からになっているので、東側という見解なのかな。そこには下記の4枚の彫刻がある。
塔供養の図
塔供養の図_1
塔供養の図_2
塔供養の図_3
塔供養の図_4
三車火宅の図
三車火宅の図_1
三車火宅の図_2
三車火宅の図_3
慈雨等潤の図
慈雨等潤の図_1
慈雨等潤の図_2
慈雨等潤の図_3
法師修行の図
法師修行の図_1
法師修行の図_2
法師修行の図_3
帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名である。これは法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作した。この羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され、高欄(縁)より下の部分には花鳥および亀を浮き彫りで表す。これらの彫刻を保護するため、内殿は建物ごとガラスの壁で覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」と称して一般公開している(「彫刻ギャラリー」と大客殿、庭園の見学は有料)。

 

目黒川の桜と石碑とを見に行く(9)

十七が坂上の庚申塔
坂上に庚申塔などがあった。急坂として名高いこの坂を上り下りしなくて済んだ。それは良かったのだが、何とも無粋な囲いがあって、どうやって撮ればいいのか非常に悩ましかった。囲いがあるために、得心のいく感じでは撮ることができなかった。
全体
一族の小さな墓地に庚申塔などがある。一番わからないのは、屋根がかぶせてある石碑だ。ボロボロになって何があったのかよくわからない。だが、わざわざ覆いをするくらいなので、重要と考えていたものがあったのだろう。
十七が坂上の庚申塔_1
十七が坂上の庚申塔_2
十七が坂上の庚申塔_3
宝篋印塔
画像を拡大してみると、塔身のところに、『庚申供養』『未来現在過去』『三世佛』と彫られている。まあ、普通の文言だろう。宝篋印塔は誰でも建立することができたものなのだろうか?1626年建立で、区内で最古の庚申塔とされているそうだ。
十七が坂上の庚申塔_4
十七が坂上の庚申塔_5
板碑型
『奉造立庚申供養石塔一宇』『権大僧都祐海法印』『施主等二世安楽祈所』『本行院』と彫られている。中目黒の祐海といえば祐天寺の2世しか思い浮かばないが、時期がかなり違う。また、本行院という寺院も存在したか否か知らない。ということで建てたときの状況はまるでよくわからない。
調べたら、『二世安楽祈所』という記載は至る所に出てくる。生死の利益は一如であり、まさに「現世二世安楽祈所」…というような決まり文句のようだ。1657年建立

十七が坂上の庚申塔_6
これは何?
崩れきっていて、何をあらわしたものだったかまるで想像がつかない。でも、扱い方は最上等なのだ。
十七が坂上の庚申塔_7

藤の庚申
なべころ坂緑地公園の角、藤棚の下に2基並んでいる。前の道は古くから庚申道と呼ばれ、道沿いにさまざまな庚申塔が並んでいたのだそうだ。
藤の庚申_1
藤の庚申_2
藤の庚申_3
この道が『庚申道』か。その昔は、どのくらい庚申塔があったのだろうか?
藤の庚申_4
駒型青面金剛(日月・三猿)1684年
『合掌六臂』の青面金剛か。『合掌』だとは認識していたが、『六臂』の方は見落とした。有難みを増すべく盛ったのかなあ。
藤の庚申_5
板碑型(日月)『南無青面金剛』1688年
赤い覆いの布切れ。何とも無粋だなあ。
藤の庚申_6

さわら庚申
庚申塔よりもお堂の方が立派だ。鬼瓦の両脇にはお猿さんが控えている。中央には、柴又帝釈天の寺紋である菱形の渦巻きがある。また、それらしきことが書かれてある。柴又帝釈天を有難く思った人が奉納したのだろうか?この地から、電車を乗り継いでいっても片道1時間では着かない。往時の健脚でも参拝には一日がかりだったのだろう。
お堂
さわら庚申_1
さわら庚申_2
さわら庚申_3
さわら庚申_4
全員集合
さわら庚申_5
舟型青面金剛(日月・三猿)1692年
こちらも『合掌六臂』のスタイルだ
さわら庚申_6
板碑型『献海岸帰命帝釈天王』『南無妙法蓮華経』等1663年
さわら庚申_7
駒型青面金剛(日月)1697年
さわら庚申_8

五本木地蔵と五本木庚申塔群
もとからこの場所に建っていたそうだ。変遷の激しい区内なのに、そんなことがあったんだ。結構はっきりした庚申塔が揃っている。
勢揃い
五本木地蔵と五本木庚申塔群_1
五本木地蔵と五本木庚申塔群_2
結構浮き出しの高さがある。気合を入れて作ったと思われる。
五本木地蔵と五本木庚申塔群_3
五本木地蔵と五本木庚申塔群_4
五本木地蔵と五本木庚申塔群_5
五本木地蔵
庚申塔の特徴である日月があるが、文字が判読できないので地蔵としてあつかっているそうだ。確かに日月はくっきり見えているなあ。
五本木地蔵と五本木庚申塔群_10
駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿・邪鬼)八臂1697年
『八面六臂』ならぬ『一面八臂』なのか。すごいものだ。前出の藤の庚申やさわら庚申は『合掌六臂』だったが、それとも違うんだ。
五本木地蔵と五本木庚申塔群_6
駒型青面金剛(日月・三猿)建立年は不明
これは『合掌六臂』のスタイルに見えなくもないが、自信がない。
五本木地蔵と五本木庚申塔群_7
駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿)1686年
『合掌六臂』のスタイルだ
五本木地蔵と五本木庚申塔群_8
駒型青面金剛(日月・三猿)1695年
『合掌六臂』のスタイルだ
五本木地蔵と五本木庚申塔群_9
このほかお堂の外にもう一つあったようだが、見落としてしまった。

以上で『目黒川の桜と石碑とを見に行く』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。今後も同様の試みを続けますが、いつまでも『目黒川の桜…』というタイトルではおかしいので、別名称で行うつもりです。

 

目黒川の桜と石碑とを見に行く(8)

現代彫刻美術館(3)
まだ、残りがあった。すごいなあ。
屋外展示場4
最初に見た屋外展示場3と同じ系統かな。これはこれで面白い。
屋外展示場4_1
最初は普通の作品だと思った。だが、よく見ると、…。
屋外展示場4_2
屋外展示場4_3
素材は大理石だった。材料費だけでも高そうだった。
屋外展示場4_4
『U字溝』と名付けられた作品。なるほどねえ。栃木出身の漫才コンビではなさそうだ。
屋外展示場4_5
その他
お洒落な飾りだ。バラ線とか忍び返しのような無粋なものとは一線を画す。
お洒落な飾り_1
お洒落な飾り_2
お洒落な飾り_3
お洒落な飾り_4
お洒落な飾り_5
屋外展示場以外の展示作品
屋外展示場以外の展示作品_1
屋外展示場以外の展示作品_2
屋外展示場以外の展示作品_3
お寺さんらしいものも
屋外展示場以外の展示作品__4
可愛らしいものから風変わりなものまで
屋外展示場以外の展示作品__5
屋外展示場以外の展示作品_6
微妙なカットだなあ
屋外展示場以外の展示作品_7
屋外展示場以外の展示作品_8
屋外展示場以外の展示作品_9
屋外展示場以外の展示作品_10
美術館本館
美術館本館

 

目黒川の桜と石碑とを見に行く(7)

馬喰坂
前回は庚申塔が坂上にあり、反対方向から来て、庚申塔を見た後は来た道を引き返した。ということで、馬喰坂を上ってはいなかった。せっかく天気が良いし、用件が何もなかったので、馬喰坂の上り坂を上ることにした。
馬喰坂は、馬喰が難渋したことからついた名前だと思っていた。ところが全く違うようで、道路に穴があいた状態を、この地域の言葉で『ばくろ』といったようだ。ばくろの坂だったのか。『馬喰』は当て字だとか。『暴露』の方が正しそうだなあ。う~~ん。
馬喰坂_1
馬喰坂_2
馬喰坂_3
馬喰坂_4
馬喰坂_5
手前が馬喰坂、左が、十七が坂、右が庚申道。この交差する角に前回取り上げた長泉院道標があったようだ。庚申道が重要だったのか。それで思い切り道路工事ができなかったか。ばくろがあったのは、あの矢印の辺りだろうか?
馬喰坂_6
現代彫刻美術館(2)
前回見たときは、次の予定の時間が切迫していて気もそぞろだった。それで最初に見たところですべてと勘違いしてしまった。ところが何か足らないような気がして、再訪してみたのだ。
配置図
わかりやすいように配置図を最初に示す。前に見たものは、屋外展示場3だった。このほかに1,2,4の屋外展示場があり、美術館本館があるのだった。あまりに軽く見すぎていたようだ。(^_^;)
配置図
屋外展示場1-2
どこまでが第1でどこからが第2か忘れてしまった。なので、一緒に扱う。健康美を誇る作品が多いなあ。
屋外展示場1-2_1
かなりリアルな感じだなあ。現代彫刻美術というから抽象的な作品が多いのか思っていたら、意外だった。
屋外展示場1-2_2
屋外展示場1-2_3
屋外展示場1-2_4
屋外展示場1-2_5
屋外展示場1-2_6
屋外展示場1-2_7
屋外展示場1-2_8
美少女だなあ
屋外展示場1-2_9
屋外展示場1-2_10
屋外展示場1-2_11
屋外展示場1-2_12
屋外展示場1-2_13
屋外展示場1-2_14
屋外展示場1-2_15
屋外展示場1-2_16
屋外展示場1-2_17
圧倒されそうだった。健康な肉体美だった。誰かが乳首に触ったのか、色が変わっていた。
屋外展示場1-2_18
屋外展示場1-2_19
屋外展示場1-2_20
屋外展示場1-2_21
屋外展示場1-2_22
屋外展示場1-2_23
屋外展示場1-2_24

 

目黒川の桜と石碑とを見に行く(6)

次に目黒区めぐろ歴史資料館に向かう

目黒区めぐろ歴史資料館
ここには区内の旧所在地から引き揚げてきたものがいくつか置いてある。効率的に見ることはできるが、元の場所がどんな風だったかは、想像するしかないのだろう。いずれも屋外に展示されてあった。変体仮名を読むのって、クイズに挑戦しているようで、ファイトが湧くなあ。
長泉院道標
はっきりみえないが、『長せん院道』と書かれてあるようだと思ったら、説明板にそう書かれてあった。長泉院といえば、あの宗教法人長泉院付属現代彫刻美術館の寺院だ。道標がたてられるほどの寺院だったんだ。
長泉院道標_1
長泉院道標_2
富士講道標
『右九品仏道』と書かれてある。これが富士講道標なのかなあ。今も自由が丘三丁目1番1号所在の九品仏名号題目道標と同様に、九品仏浄真寺への道標と考えた方が良いのではなかろうか。
富士講道標_1
富士講道標_2
九品仏名号題目道標
自由が丘三丁目1番1号所在で寛保4年(1744年)建立。施主は九品仏の浄真寺にゆかりの浄土宗信者だが、碑衾地区は日蓮宗信仰の盛んなところであったため、右面に「南無妙法蓮華経」、左面に「南無阿弥陀仏」と刻まれている。

田道橋道標
大正になってもこういうものを建立していたのか。本当に道しるべだな。三田とあるのは港区の三田ではなく目黒区の三田を指す。
田道橋道標_1
田道橋道標_2
宿山組道標(1)
庚申塔と道標とを兼ねたものか。北の方角には堀之内と淡島とが書かれている。『ほりの内』の『ほ』の字は『本』の変体仮名かな。『あわ志ま』の『わ』の字は、『王』の変体仮名のようだ。王をなぜ『わ』と読ませるのだろうか?『王仁』から来ているのだろうか?
前者は、妙法寺を指すのかな。後者は、浅草寺かな。淡島堂が存在するとか。北の方角というのは非常に微妙。途中までは北に向かうという感じかな。

宿山組道標(1)_1
宿山組道標(1)_2
宿山組道標(1)_3
宿山組道標(2)
前面の『ふちうあをやまほりの内』は読めそうで読みにくい感じだなあ。『府中・青山・堀之内』という地名が連想できれば、何ということはないのかもしれないが、…。
宿山組道標(2)_1
宿山組道標(2)_2
宿山組道標(2)_3
三田用水境界石
用水境は確かに読めた。用水も見えるところにあったのだろう。
三田用水境界石_1
三田用水境界石_2
陸軍用地境界石
係りの方に聞いたところ、今でもいくつかは現地に残っているそうである。暇を持て余しているわが身。一度探しに行こうかな。
陸軍用地境界石_1
陸軍用地境界石_2
陸軍用地境界石_3
馬繋ぎ石
こんなものもあったんだ。骨董品として貴重かな?
馬繋ぎ石_1
馬繋ぎ石_2
馬繋ぎ石_3
五本木組馬頭観音
文字塔のなかで『馬頭観世音菩薩塚』と刻まれているのは珍しいのか。砂岩に彫ったもののようで、碑文維持の処置がされているそうだが、それでも、かなり危うい状態になっているようだ。
五本木組馬頭観音_1
五本木組馬頭観音_2
しっこし坂下道標
碑文は読みやすいが、『しっこし坂』ってどこなんだろうか?坂学会のリストによれば、中目黒5丁目「自然園」南東側の道のようだが、『消滅』とある。昔は『尻腰坂』と書いたのかなあ。
しっこし坂下道標_1
しっこし坂下道標_2

この日の昼めし
チョリパンのフルを注文した。キャベツトッピングにフライドガーリックをチョイスした。かなり大きなもので、一つで満腹になった。確かにアルゼンチン料理だなあ。マッサ神父様に届けたら、喜ばれるかな?美味しかった。
この日の昼めし_1
この日の昼めし_2

 

目黒川の桜と石碑とを見に行く(5)

『目黒川の桜と石碑とを見に行く』に企画で歩き出した3日目(4月4日に実施)。少し重複する場所をも含めて、ある程度まとめた数を見ることができるよう気合を入れて歩き始めた。最初は別所坂庚申塔を見るところからスタートした。

『南無大師遍照金剛』
中目黒駅から目黒学院高校を通って、別所坂に向かう途中にお像と念仏の標識とがあった。像は空海の幼少時のもので、そこに念仏が添えてあるようだ。幼くして賢さが顔に現れている感じだ。私とは雲泥の差だ。
『南無大師遍照金剛』_1
『南無大師遍照金剛』_2
『南無大師遍照金剛』_3

別所坂
上り始めたときはそれほど急坂だとは思わなかったが、途中からものすごい急坂に。庚申塔を見に行くという目的がなければ、引き返したくなるほどだった。坂の上は階段になっているので、車両の通行はできないようだ。
別所坂_1
別所坂_2
別所坂_3
別所坂_4
別所坂_5
別所坂_6
別所坂_7
別所坂_8
別所坂_9
別所坂は区の東北部の高台、淀橋台から目黒川の谷に面した急斜面を切り割った、いわゆる切り通しで、渋谷区境から中目黒一丁目、ニ丁目境を目黒川田楽橋に下る、折れ曲がった長い急坂である。
別所坂庚申塔
余り本題とは関係ないことだが、この別所坂庚申塔は中目黒1丁目1番地にある。私の中の1丁目1番地探しの虫がまた起きそうで、あまり深く意識しないようにしようと思う。
ここは保存状態はまずまずなのだが、残念なことに前列に3体、後列に3体ずつ並ぶ。なので、すべてが一緒に並んだ写真を撮ることができない。

記念写真だよ
別所坂庚申塔_1
別所坂庚申塔_2
駒型青面金剛(三猿) 1688年
別所坂庚申塔_3
板碑型『奉供養南無帝釈天王』 1680年
別所坂庚申塔_4
駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿) 1716年
別所坂庚申塔_5
駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿) 1697年
別所坂庚申塔_6
角柱型青面金剛(日月・二鶏・三猿) 1764年
別所坂庚申塔_7
別所坂庚申塔_8
板碑型(三猿) 1665年
別所坂庚申塔_9

道筋にて
花さんがきれいだ
道筋にて_1
道筋にて_2
道筋にて_3
道筋にて_4
道筋にて_5
こちらは麻薬取締の本拠地だったところかな。森友のような油断ならない相手の場合もあるし、国有地の処分は相当に難しいのかなあ。
道筋にて_6
道筋にて_7

 

葛飾柴又を歩いた(1)

桜の季節が終わってしまった。どこかのんびり歩くことができるところということで、久しぶりに葛飾柴又に出かけた。

京成金町線
案外交通の便が良い柴又だが、何せ我が家のある南の端から東の端への移動だ。それなりに時間がかかってしまう。最後に京成の金町線で一駅。単線の路線らしく、柴又駅でも、上下のすれ違いのため、若干の待ちがあった。まあ、のんびりはしているようだ。
京成金町線_1
京成金町線_2
京成金町線_3
京成金町線_4
柴又駅前
おなじみの像が待っていてくれる。サクラさんはちょっぴり美人になっている。映画でロケをしたときは、銅像を一時的に撤去して撮影したのだろうか?
柴又駅前_1
柴又駅前_2
柴又駅前_3
参道
『重要文化的景観』決定と横断幕に書かれて掲げられていた。冗談かと思ったら、そういう制度ができたようだ。今年の2月に認定を受けたばかりらしいが、都内では初の認定だとか。重要文化的景観は国の文化財の一つ。開発が制限される一方、景観保護の取り組みに国の財政支援が受けられるものだそうだ。
参道_1
参道_2
参道_3
参道に沿って店が並ぶ。朝早いので、店は準備中で人出もさほどではなかった。
参道_4
参道_5
参道_6
参道_7
参道_8
参道_9
参道_10
参道_11
帝釈天(1)
柴又帝釈天は、東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院の通称。正式名称は経栄山題経寺だが、クイズを得意にしている人以外はあまり知らない名称かもしれない。
参道の突き当たりには二天門
見てわかる通り、堂々たる迫力で参拝者を圧倒する。帝釈天の配下の四天王のうち、南方守護の増長天、西方守護の広目天を安置する。なので二天門なのか。そして、帝釈堂内に、東方守護の持国天、北方を守る多聞天が、帝釈天の脇士として配置されている。そうでなければ、釣り合いが取れないことになってしまうから当然なのだろう。
明治29年、江戸期建築の最後の名匠と言われた坂田留吉棟梁によって造りあげられた総欅造りの豪壮な門。日光東照宮の陽明門を模したと言われ、桝組は、三手先、扇タルキの見事な出来映えは、この寺の建造物の中でも、ひときわ優れている。この二天像は、奈良大安寺にあった往古の文化財と伝えられ、奈良時代の造像だそうだ。明治には文化財の売買が結構あったのかなあ。

参道の突き当たりには二天門_1
参道の突き当たりには二天門_2
参道の突き当たりには二天門_3
参道の突き当たりには二天門_4
その横には大鐘楼
寅さんの映画でも必ず登場する立派な鐘楼。昭和30年に造られたものだそうだ。高さ約15m、四手先の豪壮な桝組と木彫を施し、関東一の鐘楼と言われるとか。
その横には大鐘楼_1
その横には大鐘楼_2
その横には大鐘楼_3
その横には大鐘楼_4
その横には大鐘楼_5

 

目黒川の桜と石碑とを見に行く(4)

回り道ばかりしているが、いよいよ『ばくろ坂上庚申塔』を見に行く。覚悟はしていたが、目黒区の道はわかりにくい。それでも何とか、ばくろ坂までは辿り着くことができた。

ばくろ坂上庚申塔(永隆寺庚申塔)
だが、庚申塔群が見つけられない。この辺かなと思うあたりの前に住んでいるからが、ゴミ出しに出てきたので、聞いてみた。だが、ご存じないようだ。小冊子の写真を見せて、漸く、思い当たったようで、教えてもらうことができた。後で小冊子を読み返したら、わかりにくい位置にあると書かれてあった。う~~ん。
土台のあるところが2mくらいの高さのところ。確かにわかりにくい。
ばくろ坂上庚申塔(永隆寺庚申塔)_1
駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿)1710年
ばくろ坂上庚申塔(永隆寺庚申塔)_2
板碑型(三猿)1680年
ばくろ坂上庚申塔(永隆寺庚申塔)_3
駒型青面金剛(日月・三猿)1706年
ばくろ坂上庚申塔(永隆寺庚申塔)_4
駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿・邪鬼)1742年
ばくろ坂上庚申塔(永隆寺庚申塔)_5
説明板
ばくろ坂上庚申塔(永隆寺庚申塔)_6
宗教法人長泉院付属現代彫刻美術館(1)
おおお、立派な作品がずらり。無料で見せてくれるとは何とも有難いことだ。
余計な感想など挟まずに、じっくり鑑賞しよう
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_1
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_2
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_3
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_4
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_5
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_6
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_7
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_8
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_9
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_10
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_11
源平桃が咲いていた
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_その他_1
宗教法人長星院付属現代彫刻美術館_その他_2
永隆寺
不受不施派の寺院は、江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なくされ、1698年(元禄11年)、旗振り役だった法華寺が円融寺となり天台宗の寺院となった。その時、この港区三田の大乗寺も同じ憂き目に遭ったんだな。そして、永隆寺となり、後年、この地に移ってきたのか。三田小山町って、今の港区三田一丁目かな。ちょっと大変な引っ越しだったんだ。
千石騒動って、出石に行ったときに見知ったはずなのに、うろ覚えだ。はっきりと覚えているのは蕎麦の味だけとは何とも情けなや。う~~ん。

六面塔地蔵
出石藩主千石正美の追悼のため、大乗寺(港区三田)境内に建てられたもの 1826年
永隆寺_1
永隆寺_2
永隆寺_3

迷ってばかりなので、23区の地図と目黒区の地図とを買い求めた。次の用事の時間が迫ってきたので、その日はここまで。『十七が坂上庚申塔』にはまだ会えていない。

 

妻と一緒に(2)

今度は二子玉川の高島屋SCの店で。前回撮影がうまくいかなかったので、慎重に撮ってみた。今回分もPowerShot G5 Xで撮影した。

フリードリンク
またもやノンアルコールのビールと清酒とを注文。最初だけ記憶していた。『南』という土佐の酒だった。
フリードリンク_1
フリードリンク_2
最初の皿
ここで、夫婦が別のものを選択。アルコールとともに、脂質の摂取制限中なので、カモ肉の方をセレクト。
最初の皿_1
最初の皿_2
開店直後の店内
この時はさすがに他に客がいなかったが、帰るときには、何組かの客が。
開店直後の店内
茶碗蒸し
美味しかった。出汁が絶品だった。
茶碗蒸し
メインディッシュ
蕎麦の大盛が無料サービス中だったので、そうしてもらった。2種類のつけだれも美味しかった。
メインディッシュ
妻が追加したお酒
名前は忘れた。自分が飲まない時は至って無関心。
妻が追加したお酒
湯桶
この容器は必ず撮ることにしている。『ゆとう読み』って、最近の子供たちは知っているのだろうか?
湯桶
店内の書
『萬物生光輝』…『陽春徳沢を布き、万物光輝を生ず』という禅語らしい。う~~ん、上手な字だなあ。
店内の書

 

目黒川の桜と石碑とを見に行く(3)

前日の3月28日に見損ねた『十七が坂上庚申塔』と『ばくろ坂上庚申塔』とを、間を置かずに見に行くことにした。中目黒からスタートするのが順路のようだが、桜見物の人出で、中目黒駅界隈はものすごい混雑だ。一つ手前の祐天寺駅から向かうことにした。まずは、途中にある祐天寺を見ていくことにする。

雰囲気のあるお店
『美食同源CAFE KEATS』というお店。以前はいくらでもあった木造家屋。それを利用したお店。気になるなあ。
『美食同源CAFE KEATS』というお店_1
『美食同源CAFE KEATS』というお店_2
名刹『祐天寺』
開山の祐天上人は、増上寺36世住持を務めた。その折に、寺内の火災予防と消化のため、増上寺消防制『いろは四十八文字』を考案して、火を出さなかったといわれる。それが『江戸町火消し』に繋がった。今でも、そういう繋がりが残っている。本堂、書院、地蔵堂、地蔵堂門、表門、水屋は、国の登録有形文化財であり、仁王門、阿弥陀堂が目黒区指定有形文化財である。
表門まで
まあ、ごく普通の古刹という感じかな。でも、『江戸消防記念会法要』などのお題目が掲げられていると、何か普通とは違うかなという感じかもしれない。
表門まで_1
表門まで_2
表門まで_3
表門を境内から見るとこんな風
表門まで_4
仁王門
金剛力士(仁王)像(石見作)と持国天・増長天像を安置してあるそうだ。気が急くので、十分、見ないまま通り過ぎてしまった。残念。
仁王門
地蔵堂門
地蔵堂門
地蔵堂
地蔵堂
鐘楼
鐘楼_1
鐘楼_2
阿弥陀堂
阿弥陀堂
本堂
享保3年の春ごろから増上寺36世住持の祐天の体調が悪化したため、弟子の祐海は祐天が常念仏を行える廟所を探す。しかし同年7月15日(1718年8月11日)に祐天が亡くなってしまった。祐天上人が廟所を目黒の地に建立する事を望んでいたことから、祐海は同じ目黒にある善久院を百両で購入し住職となる。そして、損傷の激しい善久院に祐天の廟所と常念仏堂を建立再興した。その後、享保8年(1723年)1月13日、祐天寺の寺号が正式に許可される。
う~~ん、買い取ったのか、現代の宗教法人買取と同じかなあ。そこまで胡散臭いものではなかろうが。幕府にすれば、一減一増で寺を増やさないという原則が保たれたわけか。

外観
裕福な寺院であることが一目瞭然。すごいなあ。
本堂_外観_1
本堂_外観_2
本堂_外観_3
賽銭箱
それぞれの纏が並んでいる。実にきれいだ。
本堂_賽銭箱
千社額
千社札は存じていたが、千社額なるものも存在したのか
昭和13年8月奉納
本堂_千社額_1
法然上人750年御忌記念とある。それは昭和36年のことである、ある人の説明によれば、昭和37年11月奉納のものだそうだ。
本堂_千社額_2
本堂_千社額_3
仏舎利殿
仏舎利が納められている大殿の壁に大絵馬が奉納されている。月岡栄貴画伯によるもので、後述の累の物語を絵で表したものだそうだ。実に見事なものだ。
仏舎利殿_1
仏舎利殿_2
仏舎利殿_3
外国人も興味深そうに見ていた
仏舎利殿_4
仏舎利殿_5
累(かさね)塚
開山の祐天上人は江戸時代を代表する呪術師といわれる。字は愚心。号は明蓮社顕誉。密教僧でなかったにもかかわらず、強力な怨霊に襲われていた者達を救済、その怨霊までも念仏の力で成仏させたという。その代表例が、累という女性の怨霊を成仏得脱させたという伝説が残る。これを記念する塚。
累(かさね)塚_1
累(かさね)塚_2
祐天上人が累という女性の怨霊を成仏得脱させたという伝説は有名です。鶴屋南北がそれを歌舞伎化した作品が「法掛松成田利剣」です。大正15年には6世尾上梅幸、15世市村羽左衛門、5世清元延寿太夫らがこれを復活上演し、評判を呼びました。この作品の一部である清元の人気曲「色彩間刈豆」は、今もよく上演されます。この碑は、復活公演に携わった3者から寄付されたもので、茨城県法蔵寺より累一族の墓士を分けて祀ってあります。舞台で累の芸能を演じる前には必ず参拝する習わしがあります。
子まもり地蔵
こちらは、今回の訪ね歩きの対象である『道ばたの神さま』の類だ
子まもり地蔵

 

目黒川の桜と石碑とを見に行く(2)

目黒川の桜を見た後、目黒区が作成した『道ばたの神さま』という小冊子を参考に、『田道地蔵』『田道庚申塔群』『十七が坂上庚申塔』『ばくろ坂上庚申塔』とを見に行くことにした。
記事とは全く無関係だが、今日4月1日はイースター。1985年前にキリストが処刑され、三日後に復活したとされる日だ。キリスト教世界では、最も有難い行事だ。クリスマスがそれに値する行事ではない。

『田道地蔵』『田道庚申塔群』
最初から自信がなく、略図のすぐそばにある区民センターの係員に所在場所を聞いた。係員に期待した私が馬鹿だったのだろうか。まったく頼りない回答しかなく、自分で判断するしかないと覚悟を決めた。
何とか見つけたのがこれ。冷や汗をかいた割には大したことがなかった。
『田道地蔵』『田道庚申塔群』_1
『田道地蔵』『田道庚申塔群』_2
『田道地蔵』『田道庚申塔群』_3
『田道地蔵』『田道庚申塔群』_4
『田道地蔵』
江戸中期の1673年に造られた像だそうだ。上掲集合写真右端の像。力(地蔵菩薩)種子がある地蔵菩薩だそうだ。左手の手のひらに載せているものだろうか?『権大僧都法印生栄』他多数の名前が刻まれていると記載されていたが、本当にその通りだった。ついでがありすぎて、有難みが薄れてしまいそうだ。
『田道地蔵』
『田道庚申塔群』
板碑型青面金剛(日月・三猿)1677年
板碑型青面金剛(日月・三猿)1677年
駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿)1695年
駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿)1695年
板碑型青面金剛(日月・二鶏・三猿・邪鬼)1680年
板碑型青面金剛(日月・二鶏・三猿・邪鬼)1680年
次の3体とも駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿)1695年、1692年、1713年
次の3体とも駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿)1695年、1692年、1713年_1
次の3体とも駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿)1695年、1692年、1713年_2
次の3体とも駒型青面金剛(日月・二鶏・三猿)1695年、1692年、1713年_3

これらを何とか見て、『十七が坂上庚申塔』『ばくろ坂上庚申塔』とを見に行く手はずだった。が、略図に惑わされ、その日は行き着くことができなかった。なので、そちらは仕切り直し。間違えたついでに大鳥神社を見てきた。酉の市などで賑わう神社だ。

大鳥神社
なかなか由緒ある神社のようである。ここも日本武尊と縁のあるところか。う~~ん。
大鳥神社_1
大鳥神社_2
凄い提灯だなあ。『江戸消防第二区・第八区』として銅製の長提灯を一対奉納したものだそうだ。長提灯にはこの神社のシンボルである鳥のマークや、各組の纒が取り付けられている。昭和43年(1968)11月の奉納だそうだ。
大鳥神社_3
言い伝えによると景行天皇の時代に当地に国常立尊を祀った社があり、日本武尊が東夷平定の折に当社に立ち寄って祈願した。その後日本武尊の霊が白鳥として当地に舞い降り鳥明神として祀られ、大同元年(806年)に社殿が完成したという。この年を大鳥神社では創建の年としており、これは目黒区最古である。
江戸図における最古のものとされている室町時代の長禄の江戸図には「鳥明神」として当神社が描かれており、当時の江戸図には9つの神社しか描かれていないため、大鳥神社は江戸九社のひとつとして知られている。また江戸名所図会では「大鳥大明神社」として描かれている。
当神社の酉の市は江戸時代の天保6年(1835年)に当地の農家が浅草から取り寄せて売ったことから始まったといわれている。現在でも11月の酉の日には境内には熊手を扱う店が軒を連ね賑わいを見せる。
現在の社殿は昭和37年(1962年)に完成したもの。平成18年(2006年)には鎮座1200年祭が行われた。隣接する目黒通りと山手通りの交差点は大鳥神社の名前が冠せられており、交通の要所となっている。

 

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