散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

2017 岐阜基地航空祭を見に行った(7)

飛行開発実験団による機動飛行(1)
第1輸送航空隊による航過機動の(その1)から(その2)に入る前に、非常に興味深いフライトがあった。
いよいよ高速機の登場だ。着陸時にパラシュートで減速するタイプだ。機動飛行の区分に入る。急上昇や急降下、急旋回などを伴うダイナミックな飛行だが、宙返りや背面飛行まではしないもの。F-15やF-2といった戦闘機の最大の見せ場で、ブルーインパルスで使用しているT-4よりもパワフルなエンジンを積んでいることから、そのスピードや爆音の迫力はブルーインパルス以上だそうだ。度肝を抜くド迫力だった。今回は、F-4、F-15、F-2とが飛行するようだ。


最初に離陸したのは、エプロンに駐機してあったF-4EJ Phantom II
機体番号87-8409のF-4EJ Phantom IIのようだ。あっという間に目の前を通過した。離陸してからトップスピードに乗るのが異常に速い。まだまだ現役を張れるような印象だったが、実際には徐々に退役を迎えつつある機体のようだ。
離陸直後の様子
少しお尻が痛くならない地点に移動したので、離陸の瞬間はかろうじて見える程度。この画像は完全に浮揚した後の状況だ。
離陸直後の様子_1
離陸直後の様子_2
離陸直後の様子_3
離陸直後の様子_4
離陸直後の様子_5
離陸直後の様子_6
離陸直後の様子_7
この機体だ
こんな見るからに重たそうな機体は時代遅れなのかもしれない。尤も、『お前にそういう指摘を受けたくない』と即時の反応が返ってきそうだが。その後スリムなスタイルが流行ったが、ステルス性を高めた機体はややふっくら気味だそうだ。
この機体だ
旋回
旋回_1
旋回_2
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旋回_16
こちらに向かってくる
こちらに向かってくる_1
こちらに向かってくる_2
こちらに向かってくる_3
こちらに向かってくる_4
こちらに向かってくる_5
こちらに向かってくる_6

 

ミニ帰省(12)

墓参りした後、いわき市の中心である平に出た。そこにある飯野八幡宮にも忘れず参拝した。
何度か取り上げているので、簡単に取り上げるだけにとどめる。
この神社の殆どの建物が国指定の重要文化財なのだ。幣殿拝殿のみがいわき市指定有形文化財の扱いとなっている。
本殿、幣殿、拝殿
実に良い形の社殿だ。屋根も立派だ。
本殿、幣殿、拝殿_1
本殿、幣殿、拝殿_2
本殿、幣殿、拝殿_3
本殿、幣殿、拝殿_4
本殿、幣殿、拝殿_5
本殿、幣殿、拝殿_6
唐門、神楽殿
唐破風は側面にある
唐門、神楽殿_1
唐門、神楽殿_2
宝蔵
大震災で白壁に大きな亀裂が入った時には肝を冷やしたが、その後、無事修復がなされた
宝蔵
仮殿
日光東照宮のような豪勢な仮殿という訳にはいかなかったようだ。本殿の修復工事を行う時には、ご神体の仮住まいとなるべきところであるから、もう少し格好良く作っても良かったのではないかと思うが、国指定の重要文化財になっているので、造り直しは無理なのだろう。
仮殿
楼門
楼門_1
楼門_2
楼門_3
若宮八幡社本殿
若宮八幡社本殿
全景とはいかないが
全景とはいかないが

重要文化財(国指定)
本殿 - 元和2年(1616年)上棟。桁行梁間共3間の入母屋造平入杮(こけら)葺。屋根は当初流造であったが、延宝2年(1674年)と元禄16年(1703年)の修理で入母屋造となる。
楼門 - 万治元年(1658年)建立。入母屋造、銅板葺(もと板葺)。
唐門 - 元禄16年頃建立。銅板葺の平唐門。
神楽殿 - 元和9年建立。入母屋造、鉄板葺(もと杮葺(こけらぶき))。
仮殿 - 寛文13年(1673年)建立。一間社流造、鉄板葺(もと板葺)。
若宮八幡社本殿 - 元和5年建立。一間社流造、板葺。
宝蔵 - 江戸時代初期建立。寄棟造、本瓦葺の土蔵。
大薙刀 銘「備州長船住盛景 貞治六年十一月日」 - 盛景は長船派の刀工、貞治6年は1367年。
飯野家文書 1,683通
いわき市指定有形文化財
飯野八幡宮幣拝殿 など


社伝によれば、前九年合戦後の康平6年(1063年)に、源頼義によって創建されたと伝えられる。これと別に、石清水八幡宮を勧請して文治2年(1186年)に建立したとする伝えもある。
浜通り南部でも最大級の神社であり、岩城氏や磐城平藩主など当地を本拠地にした権力者たちから崇敬を受けて来た。当初は、好嶋荘(好嶋西荘)政所が置かれた岩城郡飯野郷(村)の赤目崎見物岡(現在のJR常磐線いわき駅北側の高台)に建設され、12世紀以後に岩城氏が当地を本拠地にした時期を通して続いた。
しかし、関ヶ原合戦後に岩城氏は追放され、代わって徳川譜代の鳥居忠政が入ると、慶長7年(1602年)に現在地である八幡小路(福島地裁いわき支部の近く)に飯野八幡宮は移設され、移設後の飯野八幡宮跡地に磐城平城が建設された。なお、安藤氏が磐城平藩主だった時期(1756年 - 1868年)には、八幡小路に藩校施政堂が立地していた。


以上で、『ミニ帰省』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(19)

『はんだ山車まつり』(12)
亀崎東組宮本車「湯取り神事」のからくり人形だったようだ
右端に小さく見えているものは、亀崎東組宮本車「湯取り神事」のからくり人形だったようだ。私の位置からは見ることができなかった。残念無念。上山人形「湯取り神事」は、昭和7年に荒川宗太郎が制作したものらしい。
亀崎東組宮本車「湯取り神事」のからくり人形だったようだ
亀崎東組宮本車の「湯取り神事」を解説したHPへjump

からくり人形の披露がほぼ終了した時間になった
山車が整列をし始めた。それを後方から撮ってみた。後方から見てもやはり壮観だ。
後方から撮ってみた_1
後方から撮ってみた_2
前方からはこんなふう
前方からはこんなふう_1
前方からはこんなふう_2
前方からはこんなふう_3

最後に人形たちをもう一度だけ
各地区で分かれて行う春祭りに行けば、こうしたものを間近に見ることができるようだ。ぜひ、時間を作って出掛けて見られたら如何だろうか?
最後に人形たちをもう一度だけ_1
最後に人形たちをもう一度だけ_2
最後に人形たちをもう一度だけ_3
最後に人形たちをもう一度だけ_4
最後に人形たちをもう一度だけ_5
最後に人形たちをもう一度だけ_6

以上で、結構長く見てきた「『はんだ山車まつり』などを見に行った」シリーズは、終了です。最後までご覧いただき、大変ありがとうございました。

 

2017 岐阜基地航空祭を見に行った(6)

第1輸送航空隊による航過機動(その1の2)

最大の見せ場
タッチ&ゴーだ。実際には滑走路面にはタッチしていなかったと思うが、輸送機が目の前でタッチ&ゴーを行うのは、凄い迫力だ。
最大の見せ場_1
最大の見せ場_2
最大の見せ場_3
最大の見せ場_4
最大の見せ場_5
最大の見せ場_6
最大の見せ場_7
最大の見せ場_8
最大の見せ場_9
最大の見せ場_10
最大の見せ場_11
最大の見せ場_12
最大の見せ場_13
最大の見せ場_14
最大の見せ場_15
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最大の見せ場_17
最大の見せ場_18
最大の見せ場_19
最大の見せ場_20
最大の見せ場_21
最大の見せ場_22
最大の見せ場_23
最後にかなり低空飛行をした
最後にかなり低空飛行をした_1
最後にかなり低空飛行をした_2
最後にかなり低空飛行をした_3
最後にかなり低空飛行をした_4
最後にかなり低空飛行をした_5

 

2017 岐阜基地航空祭を見に行った(5)

第1輸送航空隊による航過機動(その1の1)
パンフレット上にイベント区分として『航過機動』との記載があった。わかったようなわからないような変な日本語。区分には、『機動飛行』や『航過飛行』もあり、その違いが良くわからなかった。
最も普及しているといわれる輸送機Lockheed C-130H Herculesを使用して行われた。私的解釈だが、『航過機動』は、『航過飛行』と『機動飛行』とを合わせたものだと解釈してみた。『航過飛行』ということで、離着陸することなしに演じられる飛行である。その際、『機動飛行』ともなっているので、急上昇や急降下、急旋回などを伴うダイナミックな飛行だが、宙返りや背面飛行までは行わない飛行だと解釈した。だとすると、輸送機の飛行といえども、ちょっとはサービスしてくれそうだ。

最大の見せ場である『タッチ&ゴー』シーンは、次回分の(その1の2)で取り上げる。

登場は管制塔の後方から
管制塔を巻くような感じでの登場だ。東側からの決まりきった登場方角でないところが粋だ。
登場は管制塔の後方から_1
登場は管制塔の後方から_2
登場は管制塔の後方から_3
登場は管制塔の後方から_4
登場は管制塔の後方から_5
登場は管制塔の後方から_6
登場は管制塔の後方から_7
登場は管制塔の後方から_8
登場は管制塔の後方から_9
良く見える位置にやってきた
でもピントが甘いなあ。後で見て、落胆してしまった。
良く見える位置にやってきた_1
良く見える位置にやってきた_2
良く見える位置にやってきた_3
良く見える位置にやってきた_4
機首を下げた
機首を下げた_1
機首を下げた_2
反転してきたぞ
反転してきたぞ_1
反転してきたぞ_2
反転してきたぞ_3
反転してきたぞ_4
反転してきたぞ_5
反転してきたぞ_6
反転してきたぞ_7
一度通過してから再度の反転
一度通過してから再度の反転_1
一度通過してから再度の反転_2
一度通過してから再度の反転_3
一度通過してから再度の反転_4
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン
宙返りの一歩手前くらいだろうか。頭上の撮影で海老反り状態になるつもりが、バランスを崩していたので、正しい位置で撮れていない可能性が高い。
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_1
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_2
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_3
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_4
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_5
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_6
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_7
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_8
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_9
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_10
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_11
私自身が転倒しそうになりながら撮ったシーン_12

飛行中の航空自衛隊のC-130(航空自衛隊提供の画像)
飛行中の航空自衛隊のC-130(航空自衛隊提供の画像)

C-130 ハーキュリーズ(C-130 Hercules)は、ロッキード社が製造している輸送機。ハーキュリーズ(Hercules)とは、ギリシア神話に登場する英雄、ヘラクレスの英語読みである。戦術輸送機のベストセラーであり、アメリカ軍はもとより西側諸国を中心に69ヶ国で使用され、登場から半世紀以上経った現在も生産が続いている。現在の最新型はC-130J スーパーハーキュリーズ(Super Hercules)である。翼の設計を改め、電子機器を一新した。エンジンをアリソン T56-A-15に換装。当初は輸出向けとして1964年頃から採用され始め、1975年からアメリカ空軍への配備が始まった。現時点で最も多く、そして長く生産されたモデルであり、1,087機が1996年まで生産された。

 

2017 岐阜基地航空祭を見に行った(4)

次のフライト・イベントまでの待ち時間を利用して、あちこち探検してきた。

もう一度、駐機中の機体を見に行く
ブルーインパルスの一番機
ブルーインパルスの編隊長機。ブルーインパルスの編隊を先導する。正確な操縦技術が必要で、ベテランパイロットが担当するはずだ。
ブルーインパルスの一番機
室屋さんの愛機
不必要部分は極端にそぎ落としたような実用一点張りの機体だ
室屋さんの愛機
F-4EJ Phantom II
87-8409の機体番号。いつも迷彩塗装を施してあるのだろうか?
F-4EJ Phantom II
先進技術実証用の実験航空機X-2
X-2は、日本の防衛装備庁(旧・防衛省技術研究本部)が三菱重工業を主契約企業として開発した先進技術実証用の実験航空機
間近で見るには1-2時間並ばないといけないらしい。待っている間にブルーインパルスの飛行などが始まってしまったら泣くに泣けない。また、間近で見たからといって真価をすぐに理解できるわけでもない。そう自分に言い聞かせて、見学者の移動の隙に、遠くから撮ってみた。
先進技術実証用の実験航空機X-2_1
先進技術実証用の実験航空機X-2_2
先進技術実証用の実験航空機X-2_3
先進技術実証用の実験航空機X-2_4
先進技術実証用の実験航空機X-2_5
以下の2つは航空自衛隊提供の写真
X-2(先進技術実証機)の初飛行
X-2(先進技術実証機)の初飛行
岐阜基地にて一般公開されたX-2
岐阜基地にて一般公開されたX-2
F-4EJ改
いやはや巨大な機体だ。マッハ2.2、航続距離は3180㎞なのか。う~~ん。
F-4EJ改_1
F-4EJ改_2
F-4EJ改_3
F-4EJ改_4
F-4EJ改_5
F-4EJ改_6
F-4EJ改_7
こちらは、積載するミサイルなど
こちらは、積載するミサイルなど
管制室だろう
管制室だろう

 

2017 岐阜基地航空祭を見に行った(3)

オープニング(2)
前夜東京を出発した私は、一日中晴れのピンポイント天気予報で臨んだのだが、オープニングフライトから、かなり雲が厚くなってくる展開に焦った。わずか半日後の予報でさえ、大外しなんだ。うまく最後まで撮り続けられるのか不安がよぎる。
エンジンは、ロールス・ロイス 250-B17F ターボプロップを搭載し、かなり余裕のある設計のようだ。配備されているのは、静浜基地の第11飛行教育団、防府北基地の第12飛行教育団、岐阜基地の飛行開発実験団、浜松基地の第1術科学校(整備実習用の教材)の各基地か。

水平飛行以外の飛行を繰り返す
このときは楽勝だと思った
水平飛行以外の飛行を繰り返す_1
水平飛行以外の飛行を繰り返す_2
そう楽勝でもなさそう。でも、そんなに厚い雲ではなかった。
水平飛行以外の飛行を繰り返す_3
多少の雲なんかに負けてたまるか。めげずにエイッだ!!
水平飛行以外の飛行を繰り返す_4
水平飛行以外の飛行を繰り返す_5
水平飛行以外の飛行を繰り返す_6
水平飛行以外の飛行を繰り返す_7
もう間もなく着陸かな
あれまあ。ものすごい黒い雲だ。航空祭が始まったばかり。08:45くらいだよ。
もう間もなく着陸かな_1
もう間もなく着陸かな_2
もう間もなく着陸かな_3
すっかり日が陰ってしまった。う~~ん、この先が心配だ。
もう間もなく着陸かな_4
もう間もなく着陸かな_5
もう間もなく着陸かな_6
着陸だ
本当に短い距離で静止できるんだ。キュッ一発で止まる感じに見えた。結構性能が良い小型練習機のようだ。
着陸だ_1
着陸だ_2
ふう、やれやれだ
でも、パイロットは強面の人のようだ。笑顔は一切なしだ。
ふう、やれやれだ_1
ふう、やれやれだ_2
ふう、やれやれだ_3
ふう、やれやれだ_4
ふう、やれやれだ_5

 

戸定邸を見に行ってきた

今年は幕末にパリ万博が開かれて150年の年。江戸から明治へと世の中が大変革を遂げた激動の年。坂本龍馬はこの年に暗殺された。
その激動の年に、将軍慶喜の名代としてパリ万博に参加した。そのことを記念する一連のイベントが松戸市戸定歴史館で開催されている。そのことに関連した話を館長に聞きながら、あわせて、戸定邸を見に行ってきた。
ここでは、その時に撮った写真を中心にご覧いただく。今回は、すべてG5Xで撮影した。

屋外での様子
入り口付近
紅葉がきれい。ゆったりとしていた。
入り口付近_1
入り口付近_2
入り口付近_3
入り口付近_4
入り口付近_5
歴史館と戸定邸との間の様子
楓やイイギリなどが美しく色づいていた
歴史館と戸定邸との間の様子_1
歴史館と戸定邸との間の様子_2
歴史館と戸定邸との間の様子_3
歴史館と戸定邸との間の様子_4
歴史館と戸定邸との間の様子_5
歴史館と戸定邸との間の様子_6
歴史館と戸定邸との間の様子_7
歴史館と戸定邸との間の様子_8
歴史館と戸定邸との間の様子_9
歴史館と戸定邸との間の様子_10
歴史館の案内
館内は撮影できないので、徳川昭武公の往時の写真をこれで見ていただく。14歳のときの肖像だ。
歴史館の案内
戸定邸玄関
戸定邸玄関_1
戸定邸玄関_2
千葉大キャンパスに至る道
千葉大キャンパスに至る道_1
千葉大キャンパスに至る道_2
千葉大キャンパスに至る道__3
樹形の見事な木々
盆栽のように強制したものではなく、自然にそうなっていたものを見つけたと説明していた
樹形の見事な木々_1
樹形の見事な木々_2
樹形の見事な木々_3

戸定邸内部の様子
石蔵
案内図には内蔵(うちくら)と記載があった。葵のご紋がある長持と追加で寄贈された睡蓮鉢とがあった。う~~ん、お見事。
石蔵_1
石蔵_2
石蔵_3
石蔵_4
石蔵_5
旧徳川昭武庭園
客間や二の間から見た様子。立派なたたずまい。館長はかなり詳しく説明していた。専門家には蘊蓄を語るだけの内容があるのだろう。
旧徳川昭武庭園_1
旧徳川昭武庭園_2
旧徳川昭武庭園_3
この方角からは富士山が見えた
この日は、G5Xだけしか持参してこなかったので、丹沢山塊の大山が華路地てわかる程度にしか撮れなかった。長いレンズを持っていた方の話では、中央の無粋なビルの奥に富士山の半身くらいがかろうじて映ったようだ。肉眼では富士山が見えるような見えないような微妙な感じだった。
この方角からは富士山が見えた_1
この方角からは富士山が見えた_2
室内の様子
明治の初めに建てられた別邸であり、客間に段差を設けるとか、次の間(二の間)からの眺望に差をつけるなどということはしなかったそうだ。一つの見識だったのだろう。
室内の様子_1
室内の様子_2
室内の様子_3
室内の様子_4
室内の様子_5
室内の様子_6
室内の様子_7
室内の様子_8
室内の様子_9
室内の様子_10
使者の間
使者の間_1
使者の間_2
使者の間_3
使者の間_4
使者の間_5
使者の間_6
トイレ
趣があるなあ
トイレ_1
トイレ_2
間取り
間取り
文化財指定書
文化財指定書

1867年パリ万博150周年記念展 第3期「徳川昭武の日仏交流」の記載ページにjump

 

2017 岐阜基地航空祭を見に行った(2)

オープニング(1)
T-7のフライトらしい。拡大してみると2人が搭乗していた。こういう初等機から練習して、だんだんパイロットとしてのグレードを上げていくのだろう。オープニング・フライトということで、離陸、急上昇、背面飛行、着陸まで20分にわたって、かなりサービスしてくれたようだ。
オープニング・フライトを終え、来場者に手を振るパイロットたち
まだ緊張状態が十分には解けていないようだ。初等機といえども楽ではないようだ。
オープニング_1
オープニング_2
オープニング_3
離陸して一気の急上昇
後にブルーインパルスや室谷さんの飛行が控えている所為だろうか。最初から張り切ったデモ・フライトだった。
この時はまだ後半よりも空の状態が良かったので、割とクリアに撮れた。
オープニング_4
オープニング_5
オープニング_6
オープニング_7
オープニング_8
オープニング_9
オープニング_10
オープニング_11
オープニング_12
オープニング_13
オープニング_14
オープニング_15
オープニング_16
オープニング_17
オープニング_18
オープニング_19
オープニング_20
オープニング_21
オープニング_22
オープニング_23
オープニング_24
オープニング_25
オープニング_26
オープニング_27
オープニング_28
オープニング_29
オープニング_30
オープニング_31
オープニング_32
オープニング_33
オープニング_34
オープニング_35
新初等練習機、性能向上、騒音低減が図られています
T-3の後継機として、平成12年度に選定された新初等練習機。特徴は、ターボプロップ・エンジン搭載による性能向上と騒音低減が図られていること、さらに冷房装置搭載とコックピットの居住性の向上が実現しています。12年度に2機を取得して以降、20年度までに49機取得しました。

 

2017 岐阜基地航空祭を見に行った(1)

高速連射ができるか否か。最初は快調だった。ところがブルーインパルスのアクロバット飛行が始まる頃から雨脚がかなり強くなってきた。おそらく、それが理由でAFが効かないことがあった。その後の室谷氏のアクロバット飛行のときも。もう少し冷静になれば、パラメーターを少し大人しくすれば、いくらでも撮れたんだと思う。またまた、つまらないことで失敗をしてしまった。
ピンポイント天気予報では、一日中晴れで降水量は0ミリだったのに。大外れだったんだ。
今回の撮影はEOS 7Dmk2とシグマのライト・バズーカとの組み合わせで撮り、一部をPowerShot G5Xで撮った。

最初に出会った展示機
国産初の超音速好機として開発されたT2型高等練習機29-5102号機だそうだ。確かにかなり速く飛ぶことができそうだとわかるデザインだ。この時間は天気予報通りに晴れていた。とはいうものの、雲が多かったが。
ライト・バズーカでは、ちょっとずんぐりむっくりに見えた
最初に出会った展示機_1
最初に出会った展示機_2
PowerShot G5Xではかなりスマートに見えた
最初に出会った展示機_3
最初に出会った展示機_4
北会場の様子
こんな感じだ。爆発力の大きな燃料を扱うから消防車も強力なものがあるんだ。
北会場の様子_1
北会場の様子_2
北会場の様子_3
北会場の様子_4
ブルーインパルスは前日までには到着していたようだ
4年ぶりに青い雄姿を見せたそうだ。岐阜基地航空祭は前年の2倍を超える13万人が来場したそうだ。
ブルーインパルスのアクロバット飛行も室屋義秀さんのアクロバット飛行も両方とも見られたのだから、当然かな。東京発日帰りのバスでは、気の毒なことだが間に合わなかったと思う。
ブルーインパルスは前日までには到着していたようだ_1
ブルーインパルスは前日までには到着していたようだ_2
ブルーインパルスは前日までには到着していたようだ_3
ブルーインパルスは前日までには到着していたようだ_4
ブルーインパルスは前日までには到着していたようだ_5
ブルーインパルスは前日までには到着していたようだ_6
ブルーインパルスは前日までには到着していたようだ_7
精鋭のヘリ

UH-1JとAH-1Sと。富士重工製とのことだ。
精鋭のヘリ_1
精鋭のヘリ_2
精鋭のヘリ_3
精鋭のヘリ_4
精鋭のヘリ_5
精鋭のヘリ_6
精鋭のヘリ_7
精鋭のヘリ_7
精鋭のヘリ_8
その奥には精鋭機がずらり
期待も相応に大きい。大迫力に圧倒されそうだ。
その奥には精鋭機がずらり_1
その奥には精鋭機がずらり_2
その奥には精鋭機がずらり_3
その奥には精鋭機がずらり_4
その奥には精鋭機がずらり_5
その奥には精鋭機がずらり_6
その奥には精鋭機がずらり_7
室屋義秀さんの愛機
『空のF1』といわれるレッドブル・エアレースで今年、年間優勝した室屋義秀さんによるアクロバット飛行に使用された機体。エクストラ300という機体。すごいアクロバット飛行だった。室屋義秀さんはふくしまスカイパークを練習拠点にしているようだ。う~~ん、頑張ってもらわなくっちゃ。
室屋義秀さんの愛機_1
室谷さんの愛機はブルーインパルスの機体よりも小さかった
室屋義秀さんの愛機_2

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(18)

『はんだ山車まつり』(11)
下半田北組唐子車前棚人形『三番叟』
前棚で演じられる三番叟人形は二体あるそうだ。古い人形は天保14年(1843)隅田仁兵衛真守の作。普段使用されるのは七代目玉屋庄兵衛の作。たぶん、今回は後者の人形を使用したと思う。
結構激しく舞うようだ。この辺りは地区の人たちの考え方かな。脇に見えているのは、立川常蔵昌敬の彫刻かな。「手長足長」と呼ばれるものらしい。
下半田北組唐子車前棚人形『三番叟』_1
下半田北組唐子車前棚人形『三番叟』_2
下半田北組唐子車前棚人形『三番叟』_3
下半田北組唐子車前棚人形『三番叟』_4
下半田北組唐子車前棚人形『三番叟』_5
下半田北組唐子車前棚人形『三番叟』_6
下半田北組唐子車前棚人形『三番叟』_7
下半田北組唐子車前棚人形『三番叟』_8
成岩南組南車「三番叟」
おそらく成岩南組南車の「三番叟」だと思われる。同じ演目だが、下半田北組唐子車のそれと違いはあるだろうか?
成岩南組南車「三番叟」_1
成岩南組南車「三番叟」_2
成岩南組南車「三番叟」_3
成岩南組南車「三番叟」_4
成岩南組南車「三番叟」_5
成岩南組南車「三番叟」_6
成岩南組南車「三番叟」_7
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)
これまた、どのように動かしているのかわからなかった。私はどこを見ていたのだろうか。う~~ん。
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_1
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_2
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_3
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_4
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_5
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_6
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_7
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_8
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_9
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_10
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_11
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_12
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_13
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_14
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_15
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_16
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_17
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_18
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_19
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_20
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_21
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_22
下半田東組山王車前棚人形「采振り」(7代目玉屋庄兵衛)_23

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(17)

『はんだ山車まつり』(10)
下半田北組唐子車「肩車離れからくり」
上山人形:「肩車離れからくり」(隈田仁兵衛)
他の山車の撮影もあって、切れ切れにしか撮れなかった。見事なからくりだけに、もっと多くのシーンを撮ることができなかったのが、残念だ。
試しに動かしてみたのかな
このシーンを垣間見ることができただけでも御の字かな。凄いなあ。
試しに動かしてみたのかな_1
試しに動かしてみたのかな_2
試しに動かしてみたのかな_3
試しに動かしてみたのかな_4
試しに動かしてみたのかな_5
試しに動かしてみたのかな_6
試しに動かしてみたのかな_8
調整に入ったようだ
お人形さんを慈しんでいるんだろうな。それは当然だろう。
調整に入ったようだ_1
調整に入ったようだ_2
調整に入ったようだ_3
調整に入ったようだ_4
調整に入ったようだ_5
まだまだ調整が続いていた
疲れて待っていられなかった。諦めて他の出し物に目を転じた。見たかったなあ。
まだまだ調整が続いていた_1
まだまだ調整が続いていた_2
まだまだ調整が続いていた_3
まだまだ調整が続いていた_4
まだまだ調整が続いていた_5
まだまだ調整が続いていた_6
まだまだ調整が続いていた_7
まだまだ調整が続いていた_8
まだまだ調整が続いていた_9
まだまだ調整が続いていた_10
まだまだ調整が続いていた_11
まだまだ調整が続いていた_12
まだまだ調整が続いていた_13
まだまだ調整が続いていた_14
まだまだ調整が続いていた_15
まだまだ調整が続いていた_16
まだまだ調整が続いていた_17
まだまだ調整が続いていた_18
まだまだ調整が続いていた_19

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(16)

『はんだ山車まつり』(9)

下半田中組祝鳩車「蘭陵王」(2)
仮面を被った蘭陵王の登場だ
他の山車のからくり人形を撮っていたら場面が大きく変わってしまった。後方の従者が蘭陵王が出られるように袋を操作したのだろう。中国版の『トロイの木馬』という感じかな。敵陣深くに潜入した仮面を被った蘭陵王が獅子奮迅の働きを見せるようだ。が、相手が出てくるわけではないので、一人芝居を観客側が想像するしかない。
仮面を被った蘭陵王の登場だ_1
それにしても前回分で見ていただいたように、袋の下には紐などは一切なかった。それなのに、蘭陵王は自由闊達に武舞を舞っている。どういう仕掛けなのだろうか。首を捻ってしまう。
あの置台部分にはあらかじめ紐が仕込んであって、その上に正確に下ろすと、コネクタがきっちり嵌まったりするのかなあ。う~~ん、わからない。
かなり時間をかけて置いていたから、あるいはその推測が当たりかな?
仮面を被った蘭陵王の登場だ_2
仮面を被った蘭陵王の登場だ_3
仮面を被った蘭陵王の登場だ_4
仮面を被った蘭陵王の登場だ_5
仮面を被った蘭陵王の登場だ_6
仮面を被った蘭陵王の登場だ_7
仮面を被った蘭陵王の登場だ_8
仮面を被った蘭陵王の登場だ_9
仮面を被った蘭陵王の登場だ_10
仮面を被った蘭陵王の登場だ_11
仮面を被った蘭陵王の登場だ_12
仮面を被った蘭陵王の登場だ_13
仮面を被った蘭陵王の登場だ_14
仮面を被った蘭陵王の登場だ_15
仮面を被った蘭陵王の登場だ_16
仮面を被った蘭陵王の登場だ_17
仮面を被った蘭陵王の登場だ_18
仮面を被った蘭陵王の登場だ_19
仮面を被った蘭陵王の登場だ_20
仮面を被った蘭陵王の登場だ_22
仮面を被った蘭陵王の登場だ_23
仮面を被った蘭陵王の登場だ_24
仮面を被った蘭陵王の登場だ_25
仮面を被った蘭陵王の登場だ_26
仮面を被った蘭陵王の登場だ_27
仮面を被った蘭陵王の登場だ_28
仮面を被った蘭陵王の登場だ_29
仮面を被った蘭陵王の登場だ_30
この辺までくれば、戦局がどうなったのか、容易に想像がつくということなのだろう
仮面を被った蘭陵王の登場だ_31
仮面を被った蘭陵王の登場だ_32
仮面を被った蘭陵王の登場だ_33
仮面を被った蘭陵王の登場だ_34
仮面を被った蘭陵王の登場だ_35
これで蘭陵王がぴょんと台の下に飛び降りれば面白いが、この先は見落とした。残念。
仮面を被った蘭陵王の登場だ_36
仮面を被った蘭陵王の登場だ_37
仮面を被った蘭陵王の登場だ_38

前棚人形『太平楽』
下半田中組祝鳩車上山人形の「蘭陵王」だけでなく、前棚人形『太平楽』も備えてあった。こちらはこの日奉納されたのか否か気が付かなかった。
前棚人形の写真のみ
私個人としては、こちらの方をも見てみたかった
前棚人形の写真のみ_1
前棚人形の写真のみ_2
前棚人形の写真のみ_3
前棚人形の写真のみ_4
からくり人形は、雅楽演奏により演舞する前棚人形の「太平楽」で大正15年、六代目玉屋庄兵衛の作である。

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(15)

『はんだ山車まつり』(8)

下半田中組祝鳩車「蘭陵王」(1)
同じ下半田の南組護王車の「二福神」とほぼ同じ時間帯に行われたので、カメラをあちらに振ったり、こちらに振ったり。何だかうまくつながらず、ぶつ切り状態にになってしまった。うまく撮っていれば、かなり面白い出し物だったのかもしれない。
この上山人形の「蘭陵王」は、七代目玉屋庄兵衛晩年の名作で、昭和57年に作られたものだそうだ。35年前の作品ということになる。

まるで、手品の前振りのような出方だ
怪しいものではないことを左右に示している
まるで、手品の前振りのような出方だ_1
まるで、手品の前振りのような出方だ_2
まるで、手品の前振りのような出方だ_3
まるで、手品の前振りのような出方だ_4
まるで、手品の前振りのような出方だ_5
まるで、手品の前振りのような出方だ_6
まるで、手品の前振りのような出方だ_7
まるで、手品の前振りのような出方だ_8
まるで、手品の前振りのような出方だ_9
まるで、手品の前振りのような出方だ_10
まるで、手品の前振りのような出方だ_11
まるで、手品の前振りのような出方だ_12
まるで、手品の前振りのような出方だ_13
まるで、手品の前振りのような出方だ_14
そういう動作を繰り返しながら先に進んでいく
まるで、手品の前振りのような出方だ_15
まるで、手品の前振りのような出方だ_16
まるで、手品の前振りのような出方だ_17
かなりの本数の操り糸が見える。リアルに見せるためにはどうしても必要なのだろう。一方で包みの方には糸など何も出ていない。このことをしっかりと覚えておいていただきたい。
まるで、手品の前振りのような出方だ_18
まるで、手品の前振りのような出方だ_19
まるで、手品の前振りのような出方だ_20
そうこうしているうちに手前の置台に近づいた
まるで、手品の前振りのような出方だ_21
まるで、手品の前振りのような出方だ_22
まるで、手品の前振りのような出方だ_23
まるで、手品の前振りのような出方だ_24
漸く手前の置台に置いた
まるで、手品の前振りのような出方だ_25
まるで、手品の前振りのような出方だ_26
まるで、手品の前振りのような出方だ_27
まるで、手品の前振りのような出方だ_28
まるで、手品の前振りのような出方だ_29
まるで、手品の前振りのような出方だ_30
まるで、手品の前振りのような出方だ_31
まるで、手品の前振りのような出方だ_32
まるで、手品の前振りのような出方だ_33
まるで、手品の前振りのような出方だ_34
荷物をそこに置いて退出する。その意味合いはどこにあるのだろうか?
まるで、手品の前振りのような出方だ_35
まるで、手品の前振りのような出方だ_36
まるで、手品の前振りのような出方だ_37
まるで、手品の前振りのような出方だ_38
まるで、手品の前振りのような出方だ_39
まるで、手品の前振りのような出方だ_40
まるで、手品の前振りのような出方だ_41
と見せかけていたと思ったら、従者は突如反転する。いったい何をするつもりなのだろうか?
まるで、手品の前振りのような出方だ_42
まるで、手品の前振りのような出方だ_43
まるで、手品の前振りのような出方だ_44

次回分に続く

北斉の蘭陵武王・高長恭の逸話にちなんだ曲目で、眉目秀麗な名将であった蘭陵王が優しげな美貌を獰猛な仮面に隠して戦に挑み見事大勝したため、兵たちが喜んでその勇士を歌に歌ったのが曲の由来とされている。
武人の舞らしい勇壮さの中に、絶世の美貌で知られた蘭陵王を偲ばせる優雅さを併せ持つ。

 

ミニ帰省(11)

『ポリネシアン・グランドステージ』(7)
他のダンサー
マヒナ千鶴さんよりも1期先輩のやはりソロダンサーのロゼラニ幸恵さんかな?とても色白の上品さが出ているように感じた。照明と衣装の所為だけだろうか?
他のダンサー_1
他のダンサー_2
他のダンサー_3
他のダンサー_4
他のダンサー_5
他のダンサー_6
他のダンサー_7
他のダンサー_8
他のダンサー_9
他のダンサー_10
他のダンサー_11
他のダンサー_12
おそらく同じダンサー。衣装が変わるとぐんと印象が変わる。
他のダンサー_13
他のダンサー_14
他のダンサー_15
他のダンサー_16
他のダンサー_17
他のダンサー_18
他のダンサー_19
他のダンサー_20
他のダンサー_21
他のダンサー_22
他のダンサー_23
他のダンサー_24
他のダンサー_25
他のダンサー_26
他のダンサー_27
他のダンサー_28
他のダンサー_29
若い有望株のダンサーかな?
他のダンサー_30
他のダンサー_31
他のダンサー_32
他のダンサー_33
他のダンサー_34
そしてこの人も
そしてこの人も_1
そしてこの人も_2

以上で、『ポリネシアン・グランドステージ』はおしまい。実に楽しかった。

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(14)

『はんだ山車まつり』(7)
まとまって撮ることができたものを続いて取り上げる。最初は下半田南組護王車の「二福神」だ。
下半田南組護王車「二福神」
「めでたやなうれしやな ゑびすだいこく福の神」…筋書きといえるほどのものはなく、どちらかといえば、ビジュアルの要素が勝ったシンプルなカラクリのような印象を受けた。決して上演時間が短いわけではないのだが、同じような動きが延々と続く。これを思い切って簡略に短縮して示す。
130年のブランクがあったが、平成23年春に復元した下半田南組護王車の「二福神」。とくとご覧あれ。忘れてしまう前に山車全体を確認しておこう。上山人形ばかりでなく、前棚人形もあるのだ。六代玉屋庄兵衛の手になる「巫女の舞」だ。
下半田南組護王車
下半田南組護王車「巫女の舞」
恵比寿様と大黒様の登場
大黒様が真っ黒いご面相なのに驚く。こういう発想が昔からあったのだろうか?
恵比寿様と大黒様の登場_2
恵比寿様と大黒様の登場_4
恵比寿様と大黒様の登場_6
恵比寿様と大黒様の登場_7
恵比寿様と大黒様の登場_8
大黒様が歩き出したという感じなのだろうか
恵比寿様と大黒様の登場_9
恵比寿様と大黒様の登場_10
恵比寿様と大黒様の登場_11
恵比寿様と大黒様の登場_12
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った
いよいよ縁起の良いことをつかむ為に動き始めたんだ。
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った_1
すぐさまポジション・チェンジか。芸が細かいなあ。
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った_2
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った_3
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った_4
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った_5
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った_6
またまたポジション・チェンジだ。お宝を真剣に捜し歩く感じに見せているのかなあ。
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った_7
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った_8
お宝探しは、恵比寿様と大黒様との協働で行う感じに描いているようだ。大黒様も小槌を一生懸命振っている。
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った_9
恵比寿様が釣りを始め、大黒様が打ち出の小槌を持った_10
恵比寿様が鯛を釣り上げた
感じとして大黒様がアシストし、恵比寿様がシュートを決めた。そんな風に見えた。大黒様の雰囲気の盛り上げ方もすごいなあ。
恵比寿様が鯛を釣り上げた_1
恵比寿様が鯛を釣り上げた_2
恵比寿様が鯛を釣り上げた_3
恵比寿様が鯛を釣り上げた_4
恵比寿様もヨイショに乗せられた感じ。得意満面かな。
恵比寿様が鯛を釣り上げた_5
恵比寿様が鯛を釣り上げた_6
恵比寿様が鯛を釣り上げた_7
恵比寿様が鯛を釣り上げた_8
恵比寿様が鯛を釣り上げた_9
恵比寿様が鯛を釣り上げた_10
恵比寿様が鯛を釣り上げた_11
恵比寿様が鯛を釣り上げた_12
後方から赤い袋に包まれた壺らしきものがするすると出てきた
今度は大黒様の出番かな
後方から赤い袋に包まれた壺らしきものがするすると出てきた_1
後方から赤い袋に包まれた壺らしきものがするすると出てきた_2
後方から赤い袋に包まれた壺らしきものがするすると出てきた_3
後方から赤い袋に包まれた壺らしきものがするすると出てきた_4
後方から赤い袋に包まれた壺らしきものがするすると出てきた_5
他の山車を見ていた間に壺が二つに割れた
直前のシーンを見落としてしまったのかなあ。突如過ぎる気がする。たぶん何かがあったのだろう。(^_^;)
調べたら、大黒様が打出の小槌で袋を叩く。そうすると、その袋が二つに割れて宝船が出るという流れになっているようだ。
他の山車を見ていた間に壺が二つに割れた_1
他の山車を見ていた間に壺が二つに割れた_2
他の山車を見ていた間に壺が二つに割れた_3
他の山車を見ていた間に壺が二つに割れた_4
他の山車を見ていた間に壺が二つに割れた_5
他の山車を見ていた間に壺が二つに割れた_6
現れたものは宝船だった
現れたものは宝船だった_1
現れたものは宝船だった_3
現れたものは宝船だった_5
現れたものは宝船だった_7
現れたものは宝船だった_9
現れたものは宝船だった_11
現れたものは宝船だった_13
現れたものは宝船だった_15
現れたものは宝船だった_17
現れたものは宝船だった_19
現れたものは宝船だった_21
現れたものは宝船だった_23
現れたものは宝船だった_25
現れたものは宝船だった_27
またまたほかの山車を見ているうちに宝船が引っ込むようだ
またまたほかの山車を見ているうちに宝船が引っ込むようだ_1
またまたほかの山車を見ているうちに宝船が引っ込むようだ_2
またまたほかの山車を見ているうちに宝船が引っ込むようだ_3
またまたほかの山車を見ているうちに宝船が引っ込むようだ_4
あっという間に壺におさまった。お見事。
またまたほかの山車を見ているうちに宝船が引っ込むようだ_6
またまたほかの山車を見ているうちに宝船が引っ込むようだ_7
またまたほかの山車を見ているうちに宝船が引っ込むようだ_8
またまたほかの山車を見ているうちに宝船が引っ込むようだ_9
『こいつは、春から縁起が良い』という類の縁起物なんだ。目出度いなあ、目出度いなあ。

明治14年まで下半田南組護王車に載せられていた「二福神」の上山からくり人形が130年ぶりに復活しました。大きな震災のショックを受ける日本の中で、元気な半田を背負い、入魂式が2011年3月26日に行われました。下半田南組だけではなく、半田市、日本全体の安寧を祈願するとおっしゃる南組の皆さんを保存会は誇らしく感じました。これからの未来にも受け継がれる素晴らしい文化の誕生を心からお喜び申し上げます。
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前棚人形:「巫女の舞」(六代玉屋庄兵衛)
上山人形:二福神【恵比寿・大黒天・宝船】(九代玉屋庄兵衛)…130年の時代を経て平成23年春復元

 

七五三のお祝い

内孫の上の方が七つのお祝いだった。近くのカトリック教会で、七五三の祝福をも行うミサに与った。
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影
一応正式に記録する意味合いで。そのためには、使い慣れたものの方が良かろうという判断。
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_1
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_2
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_3
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_4
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_5
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_6
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_7
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_8
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_9
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_10
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_11
前半は7Dmk2とEF-S18-135mm f/3.5-5.6 IS STMとで撮影_13
こちらはG5Xで撮影
主に夜のお祝いの食事会の様子。F1.8-F2.8の明るいレンズで、フル換算24mm-100mm(光学4.2倍ズーム)の便利なコンデジだ。
こちらはG5Xで撮影_1
こちらはG5Xで撮影_2
こちらはG5Xで撮影_3
こちらはG5Xで撮影_4
こちらはG5Xで撮影_5

 

G5Xの試し撮り(2)

代官山と恵比寿にて
人気の高い代官山と恵比寿の街。あまりメジャーではなさそうなところを撮ってみた。週1度行っているところだが、残念ながら殆どなじみがない。
向かい合っている
この超高層マンションと造成中の土地とは東横線の線路を挟んでちょうど向かい合っている。かつての代官山同潤会アパート(現在は代官山アドレス)とカルピスのビル(土地造成中)とだ。ランドマーク的なものがどんどん建て替わってしまう。
向かい合っている_1
向かい合っている_2
向かい合っている_3
恵比寿西の表通りかな、裏通りかな
この辺りを歩きだしたとき、『山種美術館はどう行くのですか?』と聞かれた。かなり方向音痴なんだなあ。ここまでくる間に確認すればよかったのに。
恵比寿西の表通りかな、裏通りかな_2
恵比寿西の表通りかな、裏通りかな_3
こんなものが残っている
こんなものが残っている_1
こんなものが残っている_2
こんなものが残っている_3
こんなものが残っている_4
こんなものが残っている_5
こんなものが残っている_6
こんなものが残っている_7
こんなものが残っている_8
星の交差点
知る人ぞ知る恵比寿の星の交差点。何故、『星の』という形容詞がつくのか?写真を見てお考えいただきたい。 ヒント:五差路になっているんだよ。
星の交差点
へんてこりんな外観のビル
へんてこりんな外観のビル
ビルの壁面への映り込み
ビルの壁面への映り込み
渋谷橋、渋谷川、冬桜
『春の小川はさらさら行くよ』とうたわれた河骨川の少しだけ下流になる
渋谷橋、渋谷川、冬桜_1
渋谷橋、渋谷川、冬桜_2
渋谷橋、渋谷川、冬桜_3
渋谷橋、渋谷川、冬桜_4
いろいろな飲食店があるものだ
禁酒中の私には目の毒でしかない。私の財布には優しそうではあるのだが、…。
いろいろな飲食店があるものだ

 

G5Xの試し撮り(1)

気軽に持ち出せるカメラが欲しかった。買ってしまってから気に入らないなどといっても始まらないのだが、店舗に出向いて実機を触って購入したことがない。評判買い派なので、ある程度使えそうな評判の機種を慎重に選んだつもりだ。最重要項目は、ファインダーが優れていること、画質がまずまずであること、操作感が良いこと。スペックはなかなかでも、どうも私にとって使いにくそうと思われるものは、どんどん候補から除外していった。残った候補は、PowerShotのG1 X Mark IIIとG5 Xとだった。

京浜急行を撮ってみた
使用してみないことにはよくわからない。まずは使ってみようと考えた。被写体は京浜急行関連のものばかり。如何だろうか?
京浜急行を撮ってみた_1
京浜急行を撮ってみた_2
京浜急行を撮ってみた_3
京浜急行を撮ってみた_4
京浜急行を撮ってみた_5
京浜急行を撮ってみた_6
京浜急行を撮ってみた_7
京浜急行を撮ってみた_8
京浜急行を撮ってみた_9
京浜急行を撮ってみた_10
京浜急行を撮ってみた_11
京浜急行の線路は実にくねくねと曲がっているなあ。毎日満員電車に揺られれば、体幹を鍛えるトレーニングになりそうだ。
京浜急行を撮ってみた_12
京浜急行を撮ってみた_13
京浜急行を撮ってみた_14
京浜急行を撮ってみた_15
京浜急行を撮ってみた_16
京浜急行を撮ってみた_17
京浜急行を撮ってみた_18
京浜急行を撮ってみた_19
京浜急行を撮ってみた_20
京浜急行を撮ってみた_21

私の感想
1)ボディーはしっかりした材質で、安っぽさはみじんもない
2)コンデジにしては若干大き目で重め
3)画質は安定している
4)レンズが明るいのが、案外うれしいことだった
5)操作がしやすい

まあまあの買い物ができたかなあ。

 

ハロウィンの飾りつけを見に行った(5)

昨日からランキング参加を取りやめました。投稿も毎日ではなく、極力毎日程度にしていく予定です。よろしくお願いいたします。

べーリック・ホール(1)
隣接するエリスマン邸と人気を二分する。こちらは、どちらかといえば、若い人たちに人気の建物かもしれない。

ツワブキが咲いていた
ツワブキが咲いていた_1
ツワブキが咲いていた_2
外観
スペインの高級住宅風の建物。関東大震災の混乱がようやく収まったころに建てられた。実際にお金をかけた建物なのだろう。
べーリック・ホール_外観_1
べーリック・ホール_外観_2
べーリック・ホール_外観_3
べーリック・ホール_外観_4
べーリック・ホール_外観_5
べーリック・ホール_外観_6
べーリック・ホール_外観_7
ハロウィンの飾りつけ(1)
食堂の飾りつけはこんなふう。今回は拍子抜けしたほどシンプルだった。
べーリック・ホール_ハロウィンの飾りつけ(1)_1
べーリック・ホール_ハロウィンの飾りつけ(1)_2
べーリック・ホール_ハロウィンの飾りつけ(1)_3
べーリック・ホール_ハロウィンの飾りつけ(1)_4
べーリック・ホール_ハロウィンの飾りつけ(1)_5
べーリック・ホール_ハロウィンの飾りつけ(1)_6
べーリック・ホール_ハロウィンの飾りつけ(1)_7
べーリック・ホール_ハロウィンの飾りつけ(1)_8
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付されました。その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンです。モーガンは、山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築物を残しています。約600坪の敷地に建つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、クワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など、多彩な装飾が施されています。内部も、広いリビングルームやパームルーム、アルコーブや化粧張り組天井が特徴のダイニングルーム、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復原されていることなど、建築学的にも価値のある建物です。
平成13(2001)年に横浜市は、建物の所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受けました。復原・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から、建物と庭園を一般公開しています。 

 

ハロウィンの飾りつけを見に行った(4)

エリスマン邸
べーリックホールと人気を二分する西洋館のエリスマン邸。四季折々の飾りつけも、べーリックホールとレベルを競い合っているようだ。
外観
設計は、「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンドが担当した。思わず唸ってしまうほどの風格がある。そう見えなかったとしたら、私の腕前の至らなさだと思う。
エリスマン邸_外観
ハロウィンの飾りつけ
少し、意匠を凝らした小洒落た飾りつけかな。嫌いじゃない感じだ。
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_1
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_2
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_3
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_4
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_5
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_6
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_7
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_8
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_10
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_11
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_12
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_13
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_14
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_15
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_16
エリスマン邸_ハロウィンの飾りつけ_17
階段踊り場から見えるべーリックホール
あちらの建物は、以前からあの場所に建てられていた。こちらのエリスマン邸は、別の場所にあったが、マンション建設時に、この地に移築されてきた。今では隣り合っている。
階段踊り場から見えるべーリックホール
エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人格として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅でした。大正14(1925)年から15(1926)年にかけて、山手町127番地に建てられました。設計は、「近代建築の父」といわれるチェコ人の建築家アントニン・レーモンドです。
創建当時は木造2階建て、和館付きで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった洋風住宅の意匠と、軒の水平線を強調した木造モダニズム的要素を持っています。設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られます。
昭和57(1982)年にマンション建築のため解体されましたが、平成2(1990)年、元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現されました。1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したものです。かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示しています。また、昔の厨房部分は、喫茶室として、地下ホールは貸しスペースとして利用されています。

 

ハロウィンの飾りつけを見に行った(3) 2017.11.15 07:14追記

前回分までで取り上げたイギリス館のそれがド派手だったので、腰が引けている方がいらっしゃるかもしれない。だが、それ以外の西洋館のハロウィンの飾りつけは、いたってシンプル。安心してみていただけるのではないかと思う。

山手234番館
今からちょうど90年前に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として建てられた山手234番館。関東大震災の復興事業の一つである。何度も取り上げてきたのでそれ以上の説明は省略する。
この1階部分にハロウィンの飾りつけがなされてあった。
外観
現在の概念でいえば、シェア・ハウスのようなものだが、日本のそれとは異なり、かなり大きな建物だ。従って、1戸分も相当に広い。
山手234番館_外観_1
山手234番館_外観_2
ハロウィンの飾りつけ
余りにも質素なので、何の飾りつけだったのかと思われるかもしれない。まあ、大きなカボチャがあったので、わかるかもしれないかな。質素ながらもきれいに飾り付けがなされてあった。
山手234番館_ハロウィンの飾りつけ_1
山手234番館_ハロウィンの飾りつけ_2
山手234番館_ハロウィンの飾りつけ_3
山手234番館_ハロウィンの飾りつけ_4
山手234番館_ハロウィンの飾りつけ_5
あの金属製の容器は『サモワール』というものだそうだ。簡単に言うと給茶器。 沸かした湯は通常紅茶をいれるのに利用されるため、多くのサモワールは上部にティーポットを固定して保温するための機能が備わっているのか。う~~ん。
山手234番館_ハロウィンの飾りつけ_6
山手234番館_ハロウィンの飾りつけ_7
山手234番館_ハロウィンの飾りつけ_8
昭和2(1927)年頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に建てられました。ここは関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために建設された経緯があります。設計者は、隣接する山手89-6番館(現「えの木てい」)と同じ、朝香吉蔵です。
建設当時は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられています。また、洋風住宅の標準的な要素である、上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。
第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていましたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。平成9(1997)年から保全改修工事を行い、平成11(1999)年から一般公開しています。1階は再現された居間や山手234番館の歴史についてパネルを展示しています。2階は貸しスペースとして、ギャラリー展示や会議等に利用されています。


『えの木てい』本店
満員のようだったので立ち寄らず、外観だけを撮らせていただいた。楽しみにしていたこちらの茶菓は断念し、別のところでいただくことにした。
ごく小さな建物のようだが、奥行きなどを見ると、結構な余裕があるようだ。
『えの木てい』本店_外観_1
『えの木てい』本店_外観_2

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(13)

『はんだ山車まつり』(6)
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(4)
再び頼政がスポットライトを浴びる
再び頼政がスポットライトを浴びる_1
再び頼政がスポットライトを浴びる_2
再び頼政がスポットライトを浴びる_3
再び頼政がスポットライトを浴びる_4
怪物を見つけた
とっさに狙いを定める
怪物を見つけた_1
怪物を見つけた_2
怪物を見つけた_3
怪物を見つけた_4
当たるまいと必死に狙いを躱す怪物。頼政は落ち着き払って狙い続ける。
怪物を見つけた_5
怪物を見つけた_6
怪物を見つけた_7
怪物を見つけた_8
怪物を見つけた_9
怪物を見つけた_10
矢を射た
後ろ向きでその場面が隠れてしまう。なので、矢が実際に飛んだのか確認できなかった。矢を単に下に落とすだけなのかもしれない。客席からは確認できないのだ。
矢を射た
その瞬間に紙吹雪が舞う
見事に当たったという象徴なのだろう。矢はどこに飛んだと詮索する無粋な観客の目をそらす意味合いもあったのかもしれない。
その瞬間に紙吹雪が舞う_1
その瞬間に紙吹雪が舞う_2
とどめを刺す
矢が当たっても、なお逃げおおせようとする手負いの獅子ならぬ怪物。後顧の憂い無きようとどめを刺す。このシーンがかなり長いので大幅中抜きでいく。
とどめを刺す_1
とどめを刺す_2
とどめを刺す_4
とどめを刺す_5
とどめを刺す_8
とどめを刺す_9
とどめを刺す_10
とどめを刺す_11
とどめを刺す_13
とどめを刺す_14
とどめを刺す_17
とどめを刺す_18
とどめを刺す_19
とどめを刺す_20
とどめを刺す_21
とどめを刺す_22
またも、その瞬間に紙吹雪が舞う
またも、その瞬間に紙吹雪が舞う_1
またも、その瞬間に紙吹雪が舞う_2
またも、その瞬間に紙吹雪が舞う_3
またも、その瞬間に紙吹雪が舞う_4
またも、その瞬間に紙吹雪が舞う_5
またも、その瞬間に紙吹雪が舞う_6
またも、その瞬間に紙吹雪が舞う_7
怪物が倒れた
見事な倒れ方だ。私が演技するよりもうまく決まっていた。
怪物が倒れた_1
怪物が倒れた_2
怪物が倒れた_3
主従が見得を切る
ここは当然のことながら、拍手喝さいの場面だ。いやあ、実にお見事な奉納だった。
主従が見得を切る_1
主従が見得を切る_2
主従が見得を切る_3
主従が見得を切る_4
主従が見得を切る_5
主従が見得を切る_6
主従が見得を切る_7
主従が見得を切る_8
主従が見得を切る_9

以上が西成岩西組敬神車の「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」の奉納の様子。まだ、他の山車が熱演中だ。

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(12)

『はんだ山車まつり』(5)
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(3)
矢をつがえて怪物を探す
四方八方、怪物の姿を探し求めているという想定なのだろう
矢をつがえて怪物を探す_1
いとも簡単に矢をつがえる動作に入っていくんだ。う~~ん、お見事!!
矢をつがえて怪物を探す_2
矢をつがえて怪物を探す_3
矢をつがえて怪物を探す_4
矢をつがえて怪物を探す_5
人形の立ち居振る舞いとは思えないほどきれいな立ち姿。痺れるぞ。
矢をつがえて怪物を探す_6
矢をつがえて怪物を探す_7
矢をつがえて怪物を探す_8
矢をつがえて怪物を探す_9
矢をつがえて怪物を探す_10
矢をつがえて怪物を探す_11
矢をつがえて怪物を探す_12
怪物が出てきた
登場する間が実によい。源頼政主従は舞台から退いたと思って見ていただきたい。
怪物が出てきた_1
怪物が出てきた_3
怪物が出てきた_5
怪物の股下から紐が見える。あれは見えないことにしておこう。
怪物が出てきた_7
怪物が見得を切っている
たっぷり時間をとっているところを見ると、怪物が暴れているという想定かもしれない。実際にはもっと長いのだが、少し中抜きにしてしまう。
怪物が見得を切っている_1
怪物が見得を切っている_7
怪物が見得を切っている_8
怪物が見得を切っている_10
怪物が見得を切っている_11
怪物が見得を切っている_13
暴れたい放題に暴れているという感じかな
怪物が見得を切っている_14
怪物が見得を切っている_15
怪物が見得を切っている_16
怪物が見得を切っている_17
怪物が見得を切っている_18
怪物が見得を切っている_19
怪物が見得を切っている_20
怪物が見得を切っている_21
怪物が見得を切っている_22
怪物が見得を切っている_23
怪物が見得を切っている_24
怪物が見得を切っている_25
怪物が見得を切っている_26
怪物が見得を切っている_27
怪物が見得を切っている_28
怪物が見得を切っている_29
怪物が見得を切っている_30
怪物が見得を切っている_31
怪物が見得を切っている_32

 

昼飯と散歩

横浜の孫が来たので一緒に昼飯を食べ、その後、ちょっとだけぶらぶらと歩いてみた。新しく買い増ししたCanon Powershot G5Xの試し撮りをも兼ねて。

ラーメン屋にて
柿の木坂の『ラーメンPARADE』という店。私は、『あっさり飯野(玉子入り) 』を塩煮干しで注文。孫たちは『今日はちょっとリッチ』を塩煮干しと醤油とで注文。久しぶりに濃厚なラーメンを食した。非常においしかった。
ラーメン屋にて_1
ラーメン屋にて_2
ラーメン屋にて_3
ラーメン屋にて_4
ラーメン屋にて_5
ラーメン屋にて_6
ラーメン屋にて_7
ラーメン屋にて_8
ラーメン屋にて_9

小杉山常圓寺(日蓮宗)
先ほどのラーメン屋の前の道を挟んだ近くにある。八雲という地名になる。ここのお寺には銀杏の大木がある。雌株で、ちょっと前に時期までは饐えたにおいが一面に漂う。『これは加齢臭じゃないからな』と独り言ちながら歩いている自分がいたりする。
目黒区の保存樹木第1号にして、東京都の保存樹木第10号だそうだ。然らば、この雌株に花粉を供給する雄株はどこ?

小杉山常圓寺(日蓮宗)_1
小杉山常圓寺(日蓮宗)_2
小杉山常圓寺(日蓮宗)_3
小杉山常圓寺(日蓮宗)_4
小杉山常圓寺(日蓮宗)_5

泰陽山東光寺(曹洞宗)
多分これが花粉の供給源ではないかと思っている。随分おめでたい寺の名前だ。この辺の寺はどこもお金がありそうだなあ。
泰陽山東光寺(曹洞宗)_1
泰陽山東光寺(曹洞宗)_2
泰陽山東光寺(曹洞宗)_3
泰陽山東光寺(曹洞宗)_4
泰陽山東光寺(曹洞宗)_5
泰陽山東光寺(曹洞宗)_6
泰陽山東光寺(曹洞宗)_7
泰陽山東光寺(曹洞宗)_8
泰陽山東光寺(曹洞宗)_9
泰陽山東光寺(曹洞宗)_10
泰陽山東光寺(曹洞宗)_11
泰陽山東光寺(曹洞宗)_12

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(11)

『はんだ山車まつり』(4)
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(2)
郎党の猪早太が持っている矢がどうやって源頼政の手に渡るかが見ものだ
緊張のシーンが始まった
緊張のシーンが始まった_1
緊張のシーンが始まった_2
緊張のシーンが始まった_3
緊張のシーンが始まった_4
緊張のシーンが始まった_5
この辺までは、源頼政は矢を持っておらず、確かに郎党の猪早太の手にあった
確かに郎党の猪早太の手にあった_1
確かに郎党の猪早太の手にあった_2
確かに郎党の猪早太の手にあった_3
確かに郎党の猪早太の手にあった_4
この辺りで矢をつかんだのだろうか
この辺りで矢をつかんだのだろうか_1
この辺りで矢をつかんだのだろうか_2
この辺りで矢をつかんだのだろうか_3
この辺りで矢をつかんだのだろうか_4
この辺りで矢をつかんだのだろうか_5
この辺りで矢をつかんだのだろうか_6
この辺りで矢をつかんだのだろうか_7
この辺りで矢をつかんだのだろうか_8
猪早太の手から完全に離れた
普通ならどうってことはない場面だろうが、からくりでは難易度の高い受け渡しシーンを確実に決めたのだ。見得を切りたくなるところだろう。
この矢が後段に怪物めがけて放たれる。すると紙吹雪が舞うのだ。実に芸が細かい。どうやって実現したのか、首をひねるばかりだ。
猪早太の手から完全に離れた_1
猪早太の手から完全に離れた_2
猪早太の手から完全に離れた_3
猪早太の手から完全に離れた_4
猪早太の手から完全に離れた_5
猪早太の手から完全に離れた_6
猪早太の手から完全に離れた_7
猪早太の手から完全に離れた_8
猪早太の手から完全に離れた_9
猪早太の手から完全に離れた_10
猪早太の手から完全に離れた_11

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(10)

『はんだ山車まつり』(3)

これからは上山人形。からくり人形の出番だ。

西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)
他の上山人形も、ほぼ同じタイミングで行われる。そのため、網羅しているとまではいかない。が、雰囲気はお判りいただけるのではないかと思う。このからくり人形の奉納だけならば、4月上~中旬の土曜・日曜に行われる西成岩の祭礼で見学することができる。というか、それが本来のものだ。
今回分では大した動きがないと思われるかもしれない。が、よく考えていただきたい。このからくり人形は、人形遣いが直接人形を動かしているのではないのだ。次回分以降でヤマとなるシーンが出てくるための重要な伏線なのだ。そのための細かい動きだ。そこをしっかり見ていただきたい。
ここでは鵺を退治する前に、源頼政の武名を上げた都を騒がす怪物を退治する場面が取り上げられて演じられている。
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_01
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_02
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_03
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_04
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_05
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_06
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_07
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_08
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_09
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_10
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_11
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_12
源頼政と郎党の猪早太との位置関係が交錯する。それでも混乱することなく、演技が継続していた。いったいどういう仕掛けなのだろうか?
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_13
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_14
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_15
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_16
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_17
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_18
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_19
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_20
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_21
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_22
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_23
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_24
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_25
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_26
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_27
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_28
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_29
西成岩西組敬神車「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(1)_30

YouTubeに挙げられていた動画へjump

源三位入道頼政(げんさんみにゅうどう よりまさ)は、以仁王の反乱に加担して敗れます。
この頼政は保元の乱でも平治の乱でも平家方に味方しましたが、大した恩賞に預かれず、老齢になってから述懐の和歌を詠み、それが評価されてやっと三位に上ることができたのでした。この頼政の武人として目覚ましい活躍は、鵺退治です。
仁平の頃、夜な夜な御殿の上を妖しい黒雲が覆って、帝を怯えさせるということがありました。これによって公卿詮議が行われ、昔源義家が帝を守った先例に基づき、武士に警護させよという話になり、頼政が選ばれます。
頼政は郎党の猪早太(いのはやた)と共に、怪物を退治します。その死体を見ると、頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎という恐ろしい姿でした。
恩賞に預かる際、取り次いだ左大臣が『ほととぎす名をも雲井に上ぐるかな』と上の句を詠むと、頼政は咄嗟に『弓張月の射るにまかせて』と下の句をつけて、武人としてだけでなく歌人としても優れていることを世に示しました。
また、應保の頃、鵺という怪鳥が夜な夜な鳴いて、帝を悩ましていました。例によって頼政が召しだされます。しかし、真っ暗で敵の居場所がわかりません。頼政はまず一の矢を射て、それに驚いた鵺の羽音を聞き、その音めがけて二の矢を放ち、 見事に鵺を退治するのでした。
その後伊豆国を賜り、子々孫々に至るまでの繁盛を約束されていた人だったのに、謀反に加担してその未来を絶ってしまったのです。

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(9)

『はんだ山車まつり』(2)
もう奉納の舞が始まったようだ。次々とはじまるようだが、なるべく見落としのないように撮りたい。
こちらは前棚人形
比較的低い位置にある前棚で行われる。人込みをかき分けて撮る感じになる。見難い感じになるのはお許しいただきたい。
どうも三番叟が圧倒的に多いようだ。三番叟の舞は五穀豊穣を寿ぐといわれのだから、当然、各地の春祭りには欠かせないものなのだろう。『はんだ山車まつり』はその春祭りを5年に1度大集合して10月に行われる祭りであり、演目は当然ながら、春祭りのものそのものだ。
誤解のないように言い置くが、この前棚人形は、からくり人形ではなく、人形浄瑠璃の形態だ。協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思うが、断定するほどの自信は無い。そうだとすると、この三番叟の人形は、六代目玉屋庄兵衛の手になるものということになる。
地元の小学生が操り、三人遣いで三番叟を演ずるものらしい。小学生ながら、凄いことをやってのけるんだ。
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_1
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_2
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_3
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_4
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_5
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_6
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_7
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_8
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_9
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_10
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_11
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_12
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_13
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_14
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_15
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_16
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_17
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_18
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_19
『なんだ、後ろで人が動かしているんだ』などという無粋な声が聞こえてきた。これはからくり人形でないことくらい最初から承知してみていたのじゃないのか。意外なつぶやきにこちらが驚いたくらいだった。
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_20
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_21
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_22
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_23
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_24
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_25
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_26
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_27
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_28
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_29
協和砂子組白山車の「三番叟」ではないかと思う_30

次回からは、いよいよからくり人形の出番を取り上げる。

 

『はんだ山車まつり』などを見に行った(8)

『はんだ山車まつり』(1)
半田市では、毎年3月から5月に10地区ごとに春祭りが開催されているそうだ。その10地区から合計31輌の山車が集合するのは5年に一度だけ。この『はんだ山車まつり』のときだけだ。
彫刻や刺繍など、各地区の山車の特徴を見比べるのも面白いだろうし、からくり人形の実演も興味深い。お祭り大好き人間の私も、張り切って見に出かけた。
最初の内は、会場での混雑を考え、比較的遠くから撮るしかないかと、ライト・バズーカでのみ撮影していた。
山車の様子
皆同じ大きさかと思ったが、微妙にサイズが異なるようだ。それでも特徴的なスタイルは共通なようだ。前棚人形や上山人形を演じるスペースがある。前棚とは、平たく言えば下段のスペースであり、上山は上段のスペースだ。
半田市内にある31輌の山車のうち、20輌の山車の前棚や上山において30組のからくり人形が、各地区の氏神に人形技を奉納するそうだ。実にすごいものだ。

既に整列は終了している
が、会場内は大混雑で思うように近づけない。画面の右端の山車が、からくり人形の準備を始めていた。西成岩西組敬神車の「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」の人形のようだ。
既に整列は終了している
こんな風にずらずらと並んでいる
この日、上山人形を披露する山車は準備に余念がない。
こんな風にずらずらと並んでいる
前棚はこんな風
近づかないと良く見えないぞ。前までの距離はかなりある。非常に焦るなあ。
前棚はこんな風
少し人込みをかき分けて前進
異常に蒸し暑かった日。大汗を掻きながら進む。伊達に東京でサラリーマンをやっていたわけじゃない。前に進むのは得意技かも。
少し人込みをかき分けて前進_1
少し人込みをかき分けて前進_2
上山人形を披露する予定が無さそうな山車
上山などの様子を知るために撮ってみた
上山人形を披露する予定が無さそうな山車
こちらは、上演予定の山車
先ほどチラと紹介した西成岩西組敬神車の「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」。相当に複雑なカラクリらしく、準備も大変そうだ。
こちらは、上演予定の山車_1
こちらは、上演予定の山車_2
こちらは、上演予定の山車_3
こちらは、上演予定の山車_4
こちらは、上演予定の山車_5
こちらは、上演予定の山車_6
こちらは、上演予定の山車_7
こちらは、上演予定の山車_8
こちらは、上演予定の山車_9
こちらは、上演予定の山車_10
こちらは、上演予定の山車_11
こちらは、上演予定の山車_12
こちらも、上演予定の山車
下半田南組護王車の「二福神」。こちらもなかなかの力作だった。
こちらも、上演予定の山車_1
こちらも、上演予定の山車_2

半田の人形を紹介したHPへjump

名古屋を中心とした尾張地方の祭礼行事の特徴の一つとしてからくり人形を上演する山車があり、全国の山車からくりの過半数がこの地方に存在しています。
半田市内にある31輌の山車のうち、20輌の山車の前棚や上山において30組のからくり人形が、各地区の氏神に人形技を奉納する。その内容は三番叟、巫女舞、布ざらし、面かぶり、太平楽、蘭陵王、湯取り、逆立ち、肩車、神官、石橋、采振り、傀儡師、乱杭渡り、弓射り等の技や物語をお囃子や謡、三味線や琵琶の音色にのせて披露する。

 

ハロウィンの飾りつけを見に行った(2)

イギリス館(2)
ダイニングルームの飾りつけ(2)
わざと雑然としてあるようだ。次の間の飾り立てからすると、雲泥の差。どちらが本物の飾り立てなのだろうか?考えれば考えるほど、よくわからなくなってくる。
ダイニングルームの飾りつけ(2)_1
ダイニングルームの飾りつけ(2)_2
ダイニングルームの飾りつけ(2)_3
ダイニングルームの飾りつけ(2)_4
ダイニングルームの飾りつけ(2)_5
ダイニングルームの飾りつけ(2)_6
ダイニングルームの飾りつけ(2)_7
ダイニングルームの飾りつけ(2)_8
ダイニングルームの飾りつけ(2)_9
もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。
領事居室の飾りつけ
ダイニングルームの飾りつけよりかは、ややマシかな
領事居室の飾りつけ_1
領事居室の飾りつけ_2
領事居室の飾りつけ_3
領事居室の飾りつけ_4
領事居室の飾りつけ_5
領事居室の飾りつけ_6
領事居室の飾りつけ_7
領事居室の飾りつけ_8
領事居室の飾りつけ_9
領事居室の飾りつけ_10
領事居室の飾りつけ_11
領事居室の飾りつけ_12
キッチンの飾りつけ
当然質素にするよね
キッチンの飾りつけ_1
キッチンの飾りつけ_2
キッチンの飾りつけ_3

 

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4月23日(月)は、ソレイユの丘などに行って楽しんできます。私からのアクセスはかなり遅くなると思います。大変申し訳ありません。m(_ _)m

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AzTak

Author:AzTak
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定年後の時間たっぷりの輩です。写真撮影やプログラミングが趣味です。

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