散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

掛川に行ってみた(18)

掛川花鳥園(9)
エボシドリとヘラサギの広場(2)
リビングストーンエボシドリ
自信をもって断言できる。それにしても立派な冠羽。烏帽子の名に恥じないなあ。
リビングストーンエボシドリ
ギニアエボシドリ
同じく自信をもって断言できる
ギニアエボシドリ_1
ギニアエボシドリ_2
ギニアエボシドリ_3
イワシャコ
一般的な知名度は低いものの、ひとたび目にすればその全身から溢れ出る可愛さで数多くの人を魅了する、まさに小悪魔だとか。スタッフ・ブログにそう書かれてあった。なぜか仰向けになると、全く動かなくなるらしい。やることなすこと、可愛らしさがあふれている感じ。
イワシャコ_1
イワシャコ_2
イワシャコ_3
イワシャコ_4
オオハナインコ
雌は真っ赤、雄は緑なんだそうだ。何故だか、雄の方は1羽も撮っていなかった。大失敗。
オオハナインコ_1
オオハナインコ_2
オオハナインコ_3
端っこに部分的に見えている緑色の個体が雄
オオハナインコ_4
縫いぐるみのようだなあ
オオハナインコ_5
白孔雀
羽を広げたら、レース刺繍のようなんだろうなあ
白孔雀_1
白孔雀_2
白孔雀_3
キンケイ(金鶏)
キンケイ(金鶏)でも十分きれい。ツタンカーメン像のようなカラーリングだ。きれいな鳥さんっているものなんだなあ。
キンケイ(金鶏)_1
キンケイ(金鶏)_2
キンケイ(金鶏)_3
キンケイ(金鶏)_4
英名 Golden Pheasant 学名 Chrysolophus pictus  鳥綱キジ目キジ科の鳥。雄は全長1メートルぐらい。赤、緑、黄、青、金色等からなる非常に美しい羽色をしています。雌は全長65センチメートルぐらい。全体に褐色のじみな鳥です。
オウゴンキンケイ(黄金金鶏)
さらに上を行くのか。何しろ、『金』の上にさらに『黄金』の冠詞が付くのだから。
オウゴンキンケイ(黄金金鶏)_1
オウゴンキンケイ(黄金金鶏)_2
キンケイの雌?orオウゴンキンケイの雌?
私にわかるわけがない。女(雌)を見る目がないのかな?
キンケイの雌?orオウゴンキンケイの雌?_1
キンケイの雌?orオウゴンキンケイの雌?_2
キンケイの雌?orオウゴンキンケイの雌?_3

 

掛川に行ってみた(17)

掛川花鳥園(8)
インコの睡蓮プールとオオオニバス(2)
アケボノインコ
おっとりした性格のインコらしい。ただし、鼻の周りの匂いが強烈だとか。幸か不幸か近づいたことがない。
アケボノインコ_1
アケボノインコ_2
アケボノインコ_3
アケボノインコ_4
アケボノインコ_5
アケボノインコ_6
アケボノインコ_7
アケボノインコ_8
アケボノインコ_9
ナナクサインコ
この園に1羽しかいないとか。貴重なんだなあ。
ナナクサインコ
エボシドリとヘラサギの広場(1)
ハイイロエボシドリ
わが国では飼育例が珍しいのだそうだ。冠羽が目立たないと、エボシドリとは判断しにくい感じだなあ。
ハイイロエボシドリ_1
ハイイロエボシドリ_2
ハイイロエボシドリ_3
英名 Grey Plantain-eater 学名 Crinifer piscaror  エボシドリの特徴である冠羽が目立たず、くちばしの色が黄色いため、時折猛禽類と間違えられます。日本の動物園では、ほとんど飼育されていない珍しい種類です。当園では2012年に繁殖に成功し、2羽が成鳥となりました。
ハイイロコクジャク
随分とふくよかな体格だなあ。尤も彼らからすれば、『爺さん、あんたほど醜くはないぜ』と猛反撃を食らいそうだ。
ハイイロコクジャク_1
ハイイロコクジャク_2
ハイイロコクジャク_3
ハイイロコクジャク_4
コクジャクの仲間は、その名のとおり小さな体ですが、繁殖期にはクジャクのような美しい羽をひろげてメスを引きつけます。東南アジアに7種がいます。ハイイロコクジャクは、ヒマラヤから中国南部の海南島まで、コクジャクの仲間では東南アジアに最も広く分布し、熱帯常緑林に住んでいます。
クロツラヘラサギ
ここのクロツラヘラサギは、すべて卵のときから人が育てているのか。こんなに人を恐れないとなると、野生にはなれそうにないだろうな。
クロツラヘラサギ_1
クロツラヘラサギ_2
クロツラヘラサギ_3
英名 Black-faced Spoonbill  学名 Platalea minor くちばしがヘラのような形をしたトキの仲間です。2009年1月の時点で、世界で約2000羽程度しか生息していないとされる、大変貴重な種です。当園のヘラサギは全て大学の繁殖研究によって産まれました。卵のときから人が育てている為、全く人を恐れません。
ニシムラサキエボシドリ
確かに飛んでいるときには羽の裏がきれいな色だったんだ。エボシドリの仲間に特有の鮮やかな赤い風切羽なのか。残念なことに撮り損ねてしまった。( ノД`)シクシク…
ニシムラサキエボシドリ_1
ニシムラサキエボシドリ_2
ニシムラサキエボシドリ_3
英名 Violet Turaco 学名 Musophaga violacea エボシドリの特徴である冠羽が短く、赤い色をしています。額板と呼ばれる、オレンジと黄色の鮮やかな額が特徴的な種です。全身が紫色で一見地味に見えますが、飛翔時にはエボシドリの仲間に特有の鮮やかな赤い風切羽を見ることが出来ます。

 

新宿御苑にて(2) 2017.09/29 22:09記述修正

大温室内
自慢の大温室は先日の台風で、ガラスの一部が破損し、いつもと違う順路設定になっていた。確かに激しい風だったけど、自慢の新しい建物に、被害が出てしまったんだ。設計が甘いのかなあ。
大温室内の花など(1)
大温室内の花など(1)_1
大温室内の花など(1)_2
大温室内の花など(1)_3
大温室内の花など(1)_4
大温室内の花など(1)_5
大温室内の花など(1)_6
大温室内の花など(1)_7
大温室内の花など(1)_8
大温室内の花など(1)_9
大温室内の花など(1)_9
パパイヤ
ちょっと1個頂戴したいものだ。日光をたっぷり浴びているから、糖度はものすごいのだろうな。
パパイヤ_1
パパイヤ_2
姫河骨
ここで展示されるということは、かなり希少種になりつつあるのかな
姫河骨
サルオガセモドキ
何かの飾りをとり忘れたかのような感じだが、歴としたエアープランツの一種。専門的には着生植物というようだ。いわゆるぶら下がりの植物さんだ。ぶら下がるのは枯れ木で十分だとか。空気中から水分や養分を吸収するとか。寄生植物ではないんだ。
サルオガセモドキ
大温室内の花など(2)
大温室内の花など(2)_1
大温室内の花など(2)_2
大温室内の花など(2)_3
大温室内の花など(2)_4

ここで足止めがされている。仮の順路に進むしかない。

大温室内の花など(3)
オオオニバスが、子供を乗せても大丈夫というのは絵空事だと思っていたが、事実のようだ。オオオニバスとオニバスとを混同して認識していたので、以下の引用も修正した。
大温室内の花など(3)_1
オオオニバスは、ボリビアからアマゾン地方原産のスイレン科の多年生水生植物。スイレン科の中での最大型種。オニバスに似てより大型であるところからこの名があるが,オニバスとは別属の植物である。直径1~2mとなる大型円形の浮葉を生じ,葉縁は5㎝ぐらい上曲してたらい状となる。葉面は緑色で光沢があり,葉柄,葉裏脈上,花茎や萼片には多数のとげがある。花は直径30cm前後,芳香ある白色花。開花後,ピンクから紅色に色変りをして3日後に咲き終わる。
大温室内の花など(3)_2
大温室内の花など(3)_3
大温室内の花など(3)_4
大温室内の花など(3)_5
サボテンの一種かなあ。花はきれいだ。
大温室内の花など(3)_6
クロホウシ
私でも知っている。というか、私の好きな黒光りしている観葉植物さんだ。
クロホウシ
ゲンペイカズラ
日本人の好きな命名法だなあ。子供のころから紅白に分けて運動会などをやってきたからなあ。
ゲンペイカズラ
ムラサキオモト
何だか薄気味悪い感じだ
ムラサキオモト
カカオ
この実は私の大好物に変身するんだなあ。いまは、食べると叱られそうだが。この小さな花から結実するんだ。
カカオ_1
カカオ_2
カカオ_3
カカオ_4
大温室内の花など(4)
大温室内の花など(4)
長く垂れ下がった先に咲く花
フウリン・ブッソウゲではない。何の花だろうか?
長く垂れ下がった先に咲く花
三尺バナナ
いっぱいなるものだなあ
三尺バナナ
これは何
ヘリコニア・マニアエというらしい。下垂している苞は食べられるものなのかなあ。
ヘリコニア・マニアエ_1
ヘリコニア・マニアエ_2
睡蓮の花
睡蓮の花_1
睡蓮の花_2
睡蓮の花_3

大木戸門の門衛所
なかなかの風格だ。今後この建物はどうするのだろう?江戸東京たてもの園はいっぱいだし。
大木戸門の門衛所

 

新宿御苑にて(1)

野鳥さんを撮る練習をしたいと思った。決心が揺らがないよう長いレンズ1本だけを持参して、新宿御苑に出掛けた。残念ながら野鳥さんは、多少はちょろちょろしている兆候があったものの、撮れるところへのお出ましはなかった。仕方がないので、花さんを少しだけ撮った。
用事も済んで、カメラをバッグに格納したその瞬間に、ヤマガラが至近距離に現れ、瞬時ポーズをとってくれた。その間、十数秒。運がいいのか悪いのか、…。


ラクウショウの気根
いつ見ても見慣れる気がしない。不思議なものだ。ラクウショウは漢字では『落羽松』と書く。メタセコイアと非常に似た外観といわれる。新宿御苑では、よせばいいのに、ラクウショウとメタセコイアとが隣接して植えられている。どこが違うか自分の目で確かめさせようという意図があるのだろうか?
ラクウショウの気根_1
ラクウショウの気根_2
巨大なキノコ
何というキノコだろうか?未練を残さないために、知らないキノコは、食用不適のキノコと思うようにしている。
巨大なキノコ
季節の花
彼岸花と草木瓜だと思う。違うかなあ。
季節の花_1
季節の花_2
バッタ
何という名前だろう。まったく、調べる気が起きない。無精者だなあ。
バッタ
台湾閣
結構好きな建物だ。あの尖がった屋根が味があっていいと思う。
台湾閣_1
台湾閣_2
台湾閣_3
昭和天皇の御成婚を記念して、当時の台湾在住邦人の有志の方々から寄贈された建物で、建築家、森山松之助の設計により、昭和2年に竣工されました。
この建物は中国南方地方(福建省)の建築(ビンナン建築)と同じ様式で造られており、本格的中国風建築の日本における数少ない建物として、貴重なものと評価されています。

プラタナスの並木
雰囲気があるなあ。薔薇園を挟んでその両側にある。
プラタナスの並木_1
プラタナスの並木_2
僅かに咲いていた薔薇
あまりきれいとはいいがたいかな
僅かに咲いていた薔薇_1
僅かに咲いていた薔薇_2
僅かに咲いていた薔薇_3
僅かに咲いていた薔薇_4
僅かに咲いていた薔薇_5
僅かに咲いていた薔薇_6
僅かに咲いていた薔薇_7
カルガモだけはいた
証拠として撮った
カルガモだけはいた_1
カルガモだけはいた_2
カルガモだけはいた_3
アメリカデイゴかな?
ハッとするような鮮やかさだ。初めて見たときは、腰を抜かしそうになった。
アメリカデイゴかな?
新宿御苑旧洋館御休所
いつ見ても瀟洒な建物だと思う
新宿御苑旧洋館御休所

 

掛川に行ってみた(16)

掛川花鳥園(7)
わくわくイベント会場(4)
他にもいたのだが、どうしてもポーズをとってくれない感じ。そういうものはあきらめた。
オオフクロウ
かなり写真に載っていた端正な顔立ちとはかなり異なる。はっきり言えば、草臥れた様子だ。フクロウというよりも哲学者の風貌のようだ。
オオフクロウ_1
オオフクロウ_2
オオフクロウ_3
オオフクロウ_4
オオフクロウ_5
オオフクロウ_6
東南アジアの熱帯雨林やネパールの山岳地帯など、アジアに広く分布する中型のフクロウです。濃いオレンジ色の顔面に褐色の大きな目をもっており、存在感があります。他のフクロウと同様に非常に静かに、しかも木々の間をすばやく飛ぶことができるため、野生のオオフクロウを見ることはなかなかできません。トカゲやネズミ、小鳥、昆虫、魚などを捕食します。
アフリカオオコノハズク
『ポポ』という名前。日本にいるコノハズクとはかなり感じが変わるなあ。
アフリカオオコノハズク_1
アフリカオオコノハズク_2
アフリカオオコノハズク_3
アフリカオオコノハズク_4
アフリカオオコノハズク_5

インコの睡蓮プールとオオオニバス(1)
いきなり多数のインコが飛び回っている。非常に楽しそうだ。見ているこちらもウキウキしてくる。何せ美しい鳥さんばかりだ。彼らは、人に慣れるまでは第一線には出してもらえないとか。案外厳しい世界なんだ。
コガネメキシコインコ
だと思う。ビタミンカラーが非常に心を明るくさせる。ゼッケンなどつけていないから、自分で調べるしかない。
コガネメキシコインコ_1
コガネメキシコインコ_2
コガネメキシコインコ_3
コガネメキシコインコ_4
コガネメキシコインコ_5
コガネメキシコインコ_6
コガネメキシコインコ_7
コガネメキシコインコ_8
コガネメキシコインコ_9
コガネメキシコインコ_10
コガネメキシコインコ_11
来場者の手に留まった様子。その人の顔が写っていないショットを選んだ。餌を手にしていたらしく、おねだりに来たようだ。
コガネメキシコインコ_12
コガネメキシコインコ_13
コガネメキシコインコ_14
ギニアエボシドリorリビングストーンエボシドリ
どっちかなあ。いずれにしても、あの隈取がすごい。ギニアエボシドリとリビングストーンエボシドリとはよく似ているが、リビングストーンエボシドリには冠羽のふちに白い帯があり、見分けることが出来るようだ。ということで、ここでは、最初の2羽はギニアエボシドリと断定しておこう。それ以降は、リビングストーンエボシドリと断定しておこう。
ギニアエボシドリorリビングストーンエボシドリ_1
ギニアエボシドリorリビングストーンエボシドリ_2
ギニアエボシドリorリビングストーンエボシドリ_3
ギニアエボシドリorリビングストーンエボシドリ_4
ギニアエボシドリorリビングストーンエボシドリ_5
キンムネオナガテリムク
サンコウチョウみたいな鳥さんだ。実に優美な感じだ。
キンムネオナガテリムク_1
キンムネオナガテリムク_2
キンムネオナガテリムク_3
キンムネオナガテリムク_5

 

掛川に行ってみた(15)

掛川花鳥園(6)
わくわくイベント会場(3)
ベンガルワシミミズク
フクロウの中までは好奇心が強く、覚えが良いそうだ。世界のバードショーで活躍しているとか。なるほど、賢そうな面構えだ。
獲物を丸吞みするのが得意らしい。いらないものは、『ペリット』にして吐き出す。足元に転がっているのが、それだ。

ベンガルワシミミズク_1
ベンガルワシミミズク_2
ベンガルワシミミズク_3
ベンガルワシミミズク_4
ベンガルワシミミズク_5
ここからは若い個体。名前は『トコ』。
ベンガルワシミミズク_7
ベンガルワシミミズク_8
ベンガルワシミミズク_10
ベンガルワシミミズク_11
ベンガルワシミミズク_12
ベンガルワシミミズク_13
ベンガルワシミミズク_14
ベンガルワシミミズクはフクロウの一種です。別名はミナミワシミミズク。英語ではRock Eagle Owlと呼ばれていて、直訳すると「岩山のワシのようなフクロウ」という意味になります。羽の色は白色をベースに、オレンジ色と茶色と黒のまだら模様。掛川花鳥園にいるベンガルワシミミズクはもっと白っぽい色をしているんですよ。

ファラオワシミミズク
ファラオワシミミズクは、ベンガルワシミミズクととても良く似た感じだ。もしかしたら、取り上げミスをしているかもしれない。
ファラオワシミミズク_1
ファラオワシミミズク_3
ファラオワシミミズク_4




北アフリカの砂漠地帯に住むと思われますが、中東で主に確認され、生態などは未だに分かっている事の少ないフクロウです。
小動物や昆虫類、サソリなども食べます。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
北アフリカの砂漠地帯や中東に生息している輸入実績がきわめて少ない珍しいフクロウです。 ベンガルワシミミズクに似ておりますが、体はベンガルより、一回り小柄で アフリカワシミミズクに近い大きさで扱いやすいです。

ファラオワシミミズクかなベンガルワシミミズクかな
どちらかなあ?

 

掛川に行ってみた(14)

掛川花鳥園(5)

わくわくイベント会場(2)
似た種も少なくない。何度か撮ったので、多少混乱してしまった。もしかしたら、取り上げ間違いがあるかもしれない。

メンフクロウ
英名はBarn Owl。「納屋のフクロウ」を意味する。農家の納屋に巣を作り、農作物を食べにやってくるネズミなどを捕まえるのだそうだ。農家にはお役立ちのフクロウさんのようだ。メンフクロウと属で一括りにしても、その種類はかなり多いようだ。その中でも、この黒いタイプのロンド(パパ)はかなり珍しいとか。おとなしそうに見えても、やるときにはやるようだ。
メンフクロウ_1
ロンド(パパ)
メンフクロウ_2
メンフクロウ_3
けん(ママ)
メンフクロウ_4
ロンドとケンとの間に生まれた新(あらた)
メンフクロウ_5
ロンドとケンとの間に生まれた新(あらた)
ペレットを前に完全にそっぽを向いたまま。うんちではないのだが、…。
ペレットを前に完全にそっぽを向いたまま
漸くこっちを向いてくれた
漸くこっちを向いてくれた

モリフクロウ
日本のフクロウに似ているが、やや小型なのだそうだ。恥ずかしながら、日本のフクロウをしみじみ見たことがないので、似ているのか否かもよくわからない。
モリフクロウ_1
モリフクロウ_2

アメリカオオコノハズク
物凄くかわいい。こちらは『十三』の後継者ということで、『若』と名付けられたとか。『十三』の方は撮り損ねた。
アメリカオオコノハズク

ウサギフクロウ
ウサギのような長い羽角からウサギとつけられたようだ。羽角のあるフクロウを日本ではミミズクと呼ぶが、この種はなぜか、フクロウの名がつけられている。
ウサギフクロウ_1
ウサギフクロウ_2
ウサギフクロウ_3

アフリカワシミミズク
なかなか端正な顔立ちのミミズクさんだ。獲物として照準をつけられたら、お手上げかもしれない。
アフリカワシミミズク_1
アフリカワシミミズク_2

 

掛川に行ってみた(13)

掛川花鳥園(4)

ガイドマップ
どこを取り上げているのかわかりにくいと思うので、ガイドマップを参照しながら見ていただきたい
ガイドマップ

ペンギンプール
こちらでは、上野動物園と同様にケープペンギンを飼っている。その意味では、首都圏在住の人には珍しくなないかもしれない。
ケープペンギン_1
ケープペンギン_2
ケープペンギン_3
ケープペンギン_4
ケープペンギン_5
ケープペンギン_6

わくわくイベント会場(1)
わくわくイベント会場では足かせがつけられているのと、極低いフェンスとがあるが、それでも網もアクリルケージもなく、写真の撮りやすさは最高。己の腕を顧みずバシャバシャとってみた。
ワライカワセミ
上野動物園では檻に邪魔されてなかなか会心の画が獲れなかった。こちらはかなり良く撮れたように思う。あまりに動きが少なかったので、はく製かと思ったほどだった。が、間違いなく生きていた。有料イベントでは、足枷を外しての出番があった。
ワライカワセミ_1
ワライカワセミ_2
ワライカワセミ_3
ワライカワセミ_4
ワライカワセミ_5
ワライカワセミ_6
目が濁って見えるのは瞬膜のせいかもしれない。ほかのショットではきれいに見えているので、そう考えるのが妥当だろう。
ワライカワセミ_7
ワライカワセミ_8
ワライカワセミ_9
ワライカワセミ_10
ワライカワセミ_11
ワライカワセミ_12
ワライカワセミ_13
ワライカワセミ_14
ワライカワセミ_15
ワライカワセミ_16
ワライカワセミ_17
ワライカワセミ_18
チゴハヤブサ
物凄く小型の猛禽類。とはいっても中型の野鳥に分類されるのかなあ。『可愛らしさ抜群』は私の評価だが。
チゴハヤブサ_1
チゴハヤブサ_2
チゴハヤブサ_3
チゴハヤブサ_4

 

掛川に行ってみた(12)

掛川花鳥園(3)
おしどりの池(2)
オシドリ(2)
オシドリ_11
オシドリ_12
オシドリ_13
オシドリ_14
オシドリ_15
オシドリ_16
カモさんたち
恥ずかしながら、名前がわからないものが少なくない。これは、もしかしてハシビロガモかな?そう思ったら、クビワコガモだそうだ。そんな鳥さんの名前、初めて聞いた。
クビワコガモ_1
クビワコガモ_2
クビワコガモ_3
クビワコガモ_4
クビワコガモ_5
クビワコガモ_6
クビワコガモ_7
クビワコガモ_8
クビワコガモ_8
ツクシガモだとはわかるが、なかなかポーズをとってくれない。一部だけ、良いのがあった程度だ。
ツクシガモ_2
ツクシガモ_3
ツクシガモ_4
ツクシガモ_5
ツクシガモ_6
ツクシガモ_7
ツクシガモ_8
この辺になるとお手上げ。コールダックは、パイドカラー、マガモカラー、ホワイトカラーなどがいるようだ。う~~ん。
この辺になるとお手上げ_1
この辺になるとお手上げ_2
この辺になるとお手上げ_3
おいおい、喧嘩なんかおっ始めるなよ
おいおい、喧嘩なんかおっ始めるなよ_1
おいおい、喧嘩なんかおっ始めるなよ_2
おいおい、喧嘩なんかおっ始めるなよ_3
おいおい、喧嘩なんかおっ始めるなよ_4
おいおい、喧嘩なんかおっ始めるなよ_5
おいおい、喧嘩なんかおっ始めるなよ_6
おいおい、喧嘩なんかおっ始めるなよ_7
おいおい、喧嘩なんかおっ始めるなよ_8

 

掛川に行ってみた(11)

掛川花鳥園(2)
おしどりの池(1)
こちらには、おしどりのほかに、種々の鴨さん、黒鳥などがいる。小さな池で障害物が何もないので、かなりきれいに写真撮影が可能だ。そのはずなのだが、その割には良い写真が撮れなかったなあ。
池のちょっと上には細い線が張られていて、それがために鳥さんは逃げ出さないようだ。京都の寺でも、庭の千両をある時期まで食べられてしまわないように、庭の上に細い線を張っているとか。もう少し経つと、その線を取り外して、メジロやヒヨドリに食べてもらうのだそうだ。

オシドリ(1)
やっぱりきれい。井の頭動物園で見たときは、まったく違う地味な夏羽になっていた。こちらでは、われわれが日常イメージする美しい冬羽になっていたが、どうしてこうなるのだろうか?もう繁殖期に入ったのだろうか?
オシドリ_1
オシドリ_2
オシドリ_3
オシドリ_4
オシドリ_5
オシドリ_6
オシドリ_7
オシドリ_8
オシドリ_9
オシドリ_10
コクチョウ
近くで見ると結構大きいなあ。屋外の池でも見たが、やっぱり近くで見たい。
コクチョウ_1
コクチョウ_3
コクチョウ_4
コクチョウ_5
コクチョウ_6

 

掛川に行ってみた(10)

掛川花鳥園(1)
世界のフクロウ展示コーナー
この先のエリアで仕切りなどが一切ない状態で自由にフクロウを見ることができる。だが、ここにしかいない種類もあるのじゃないかと思い、念のため撮影してみた。この後、何度かのショーでフクロウの飛翔シーンを撮影したが、どうもうまく撮ることができない。独特の飛翔コースと音を殆ど立てない飛び方。自分が小動物だったら、簡単に彼らの餌食になってしまいそうだ。
このコーナーは、写真撮影の支障にならないように少し控えた照明になっている。それでも、法律に従って、非常灯などを設置してある。それがガラスに映っているショットがいくつかある。ご容赦願いたい。
オナガフクロウ
なかなか美しいフクロウだ
オナガフクロウ_1
オナガフクロウ_2
オナガフクロウ_3
ユーラシアワシミミズク
少し細長い感じかなあ
ユーラシアワシミミズク
ベンガルワシミミズク
端正な感じだ
ベンガルワシミミズク
シロフクロウ
動物園でもおなじみの種だ
シロフクロウ_1
シロフクロウ_2
シロフクロウ_3
シロフクロウ_4
君、左目は白内障かい?大丈夫かなあ。
シロフクロウ_5
カラフトフクロウ
随分特徴のあるご面相だなあ
カラフトフクロウ_1
カラフトフクロウ_2
カラフトフクロウ_3
オオフクロウ
鼠小僧次郎吉のような感じ。『あんたのような変な爺さんに言われたくないよなあ』…かな。
オオフクロウ_1
オオフクロウ_2
トルクメニアンワシミミズク
特徴のなさが特徴かな?
トルクメニアンワシミミズク_1
トルクメニアンワシミミズク_2
アビシニアンワシミミズク
割と小型だった印象
アビシニアンワシミミズク_1
アビシニアンワシミミズク_2
アビシニアンワシミミズク_3
アビシニアンワシミミズク_4
アフリカワシミミズク
かなり強そうなイメージ。このがっしりした太腿を見せられたら降参だ。
アフリカワシミミズク
フクロウ
単純な表記だった。なお、英名はUral Oalだ。日本にも生息している種だとのこと。
フクロウ
チャコモリフクロウ
南米のパラグアイ、ボリビア、アルゼンチンの間にあるグラン・チャコという半砂漠地域の平原に棲んでいるので、チャコモリフクロウと名づけられたようだ。
チャコモリフクロウ_1
チャコモリフクロウ_2
ニュージーランドアオバズク
何か面白くないことがあったのだろうか。頑として目を開けてくれなかった。う~~ん。
ニュージーランドアオバズク_1
ニュージーランドアオバズク_2
ナンベイヒナフクロウ
南米などに分布。見るからに柔らかそうなお腹の羽、優しそうな顔で人気急上昇中だとか。餌を食べる以外、ほとんど動かないらしい。
ナンベイヒナフクロウ
マレーウオミミズク
名前が気になって検索してみた。やはり魚を食べるミミズクさんなんだ。
マレーウオミミズク

 

走水地区を歩いた(6)

中小の船舶ばかりでは何か物足りない。30分ほどさらに粘って、日光浴かたがた大型船舶を撮ってみた。

神北丸
2017年5月竣工(新来島どっく大西工場で建造)のRO-RO船に区分されるごく新しい船舶のようだ。久しぶりに見る就航したての船舶だ。眩しいほどのピッカピカさだ。
積載能力は、トレーラー150台、商用車270台、ロールペーパー積載本数1620本とある。RO-RO船(roll-on/roll-off ship)は、フェリーのようにランプを備え、トレーラーなどの車両を収納する車両甲板を持つ貨物船のことである。車両甲板のおかげで搭載される車両はクレーンなどに頼らず自走で搭載/揚陸できる。土曜日に、東京~仙台~苫小牧間を運航している。
神北丸_1
神北丸_2
神北丸_3
こうしてみると、案外第1海堡は大きいんだ。大型の船舶でも隠しきれないぞ。
神北丸_4
神北丸_5
神北丸_6

パシフィック・ノータス
東京電力の子会社が保有するLNGタンカー。手前にごちょごちょ密集しているのは護衛船などではなく、釣り船だ。さすがにかなり大きな船舶だ。当面はLNGによる発電で凌がねばならない東電。冗費を減らすために必死なのだろう。
球形タンク方式を採用したLNGタンカーだ。Ex-ship取引よりもFOB(free on board)取引にした方がLNG調達総費用を安く上げる可能性があるということなのだろう。かつて、社民党の福島瑞穂議員が国会でまったく的外れの質問をしたが、LNGの調達はかなり難しいのだ。
パシフィック・ノータス_1
パシフィック・ノータス_2
パシフィック・ノータス_3
パシフィック・ノータス_4
パシフィック・ノータス_5
こちらも第1海堡の手前を通行中。一瞬だが、第1海堡が見えなくなったかなあ。
パシフィック・ノータス_6
パシフィック・ノータス_7

観音崎
よく間違える人が多いが、これは観音埼灯台ではなく、海上保安庁の東京湾海上交通センターなのだ。なのだが、来年1月に観音崎から横浜市中区の横浜第二合同庁舎へ機能を移転させるようだ。
電波塔がなくなるわけではなかろうが、この情報をもとに管制を行う要員は通勤が楽な横浜へ通勤することになるのかな。地元に持ち家をしていた人には、通勤地獄が待ち構えていそうだ。
東京湾における管制一元化のお知らせ(PDF)へjump

観音崎_1
この辺りに行くと観音埼灯台が見える
観音崎_2

横須賀美術館
瀟洒な建物だ。ここから海を眺めるのは大人気とか。この前に立つことは何度もありながら、未だに館内に入ったことはない。谷内六郎画伯の作品だけでも見ておきたいなあ。>
横須賀美術館_1
横須賀美術館_2
横須賀美術館_3

その他
御所ケ崎
かつては弟橘媛を祀る橘神社があった。神話の舞台の一つだ。
御所ケ崎
走水漁港から海に突き出している小さな岬があります。日本武尊がここから上総に渡ったといわれ、仮の御所を設け、軍旗を立てたことから御所ヶ崎、旗山崎と呼ばれたと伝えられています。現在は、中に入れませんが、かつては弟橘媛を祀る橘神社がありました。弟橘媛が海に身を投じた7日後に、妃の御櫛が浜に漂着し、村人は旗山に御陵を造りその櫛を納めたと伝えられています。その後、御所ヶ崎には江戸幕府によって台場が築かれ、明治政府によって軍用地として買収されたときに、橘神社は走水神社に移されました。
走水の漁港に釣り船が戻ってきた
もうそろそろ正午。釣り船なのかと思ったが、漁船だったかもしれない。
走水の漁港に釣り船が戻ってきた_1
走水の漁港に釣り船が戻ってきた_2
こちらは間違いなく、釣り船だろう
走水の漁港に釣り船が戻ってきた_3
走水の漁港に釣り船が戻ってきた_4
走水の漁港に釣り船が戻ってきた_5
走水の漁港に釣り船が戻ってきた_6
走水の漁港に釣り船が戻ってきた_7
東京湾観音像の真下では、まだ釣り船が頑張っている
東京湾観音像の真下では、まだ釣り船が頑張っている

以上で、『走水地区を歩いた』のミニシリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

走水地区を歩いた(5)

防大走水海上訓練場
ずーっと見てきた防大の海上自衛隊任官志望の学生のための海上訓練施設だ。数多くの自衛隊幹部を養成してきた施設だ。
防大走水海上訓練場_1
防大走水海上訓練場_2
防大走水海上訓練場_3

走水ボードウォークにて
ここが走水ボードウォークの片方の端っこ
この先は東京湾そのもの。パワーボートですっ飛ばしてみたいけど、義兄はとっくに処分して、山登り専門に切り替えたからなあ。ゆっくりと東京湾フェリーにでも乗船するしかないか。
ここが走水ボードウォークの片方の端っこ
観音崎京急ホテルが最高の景観に建っている
実にいいなあ。晴れた日の景観は最高だろう。
観音崎京急ホテルが最高の景観に建っている_1
観音崎京急ホテルが最高の景観に建っている_2
観音崎京急ホテルが最高の景観に建っている_3
シーカヤックかな?
楽しそうだなあ。車があれば、艇庫など不要そうで、手軽なレジャーなのだろう。Tarpon 120という商品名のFishing Kayakだそうだ。
シーカヤックかな?_1
シーカヤックかな?_2
シーカヤックかな?_3
観音崎寄りの海域
釣り船がたくさん。一応はルールを守っているのだろうけど、…。山の上に白く見えるのは富津の『東京湾観音』のようだ。
観音崎寄りの海域
富津沖合方向
富津の『明治百年記念展望塔』がはっきり見える。そのすぐ右手を高速で疾走しているのは東海汽船の高速ジェット船セブンアイランドの内の『セブンアイランド友』のようだ。手前には手漕ぎボートで釣っている人たちもちらほら。結構な沖合だけれども、自力で元の場所に戻ることができるのかなあ。
富津沖合方向
さらにその左側には第1海堡かな?
島のように見えるのは、第2海堡ではなく、形状から第1海堡だと思う。高速ジェット船『セブンアイランド友』はものすごくすっ飛ばしているようだ。第2海堡は上陸したことがあるのだが、どんな風だったか忘れてしまった。
さらにその左側には第1海堡かな?_1
さらにその左側には第1海堡かな?_2
さらにその左側には第1海堡かな?_3
拡大してみると、結構大きいことが良くわかる
さらにその左側には第1海堡かな?_4
さらにその左側には第1海堡かな?_5
さらにその左側には第1海堡かな?_6
よく見るとスキューバの人もいる
よく見るとスキューバの人もいる
住友の造船施設も結構よく見える
奥にちらと見えるのは八景島かな?
住友の造船施設も結構よく見える_1
住友の造船施設も結構よく見える_2

 

掛川に行ってみた(9)

竹之丸
国宝の彦根城を見に行った時も感じたことだが、城の防衛上重要な場所には家老を住まわせて責任の一端を担わせていた。それと同じようなことが、この掛川城の竹之丸においてもなされていた。当時誰が住んでいたかよりも、維新後のその一画の変遷が興味深い。
竹之丸には、江戸時代から続く葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が住まう。また、その隣接地には、前回取り上げた大日本報徳社が土地を取得したのだ。多くの人に細分されたのではなく、まとまった大きな土地の活用が図られたことは、ある意味で、後世の人のためになった。
前置きは、その程度に収め、中に足を踏み入れてみる。


門をくぐる
昔の家老屋敷のような風格だ
門をくぐる_1
門をくぐる_2
門をくぐる_3
ついでに庭も見ておこう
ついでに庭も見ておこう_1
ついでに庭も見ておこう_2
ついでに庭も見ておこう_3
暑くて敵わないので、屋内に入って涼もう
掛け軸の字を読もうとすると疲れて、余計汗をかきそうなので、早々に断念した
暑くて敵わないので、屋内に入って涼もう_1
暑くて敵わないので、屋内に入って涼もう_2
暑くて敵わないので、屋内に入って涼もう_3
暑くて敵わないので、屋内に入って涼もう_4
離れらしい
ヨガ教室開催中とかで立ち入りはできなかった
離れらしい
メインの部屋
大きな和室だ。四方八方が開け放たれている。それでも暑さを感じない。ゆったり造られている建物はいいなあ。在りし日はどんな使用方法をしていたのだろうか?
メインの部屋_1
メインの部屋_2
メインの部屋_3
喫茶スペース
将棋の対局が行われたのだろうか。棋士2人の色紙が飾られてあった。
喫茶スペース_1
喫茶スペース_2
喫茶スペース_3
喫茶スペース_4
暑くてたまらなかったので、クールダウンを図った。たまにはいいかな。
喫茶スペース_5
この字なら簡単に読むことができる
渡辺明王将の『意志堅固』と、羽生善治三冠の『泰然自若』。ともに個性的な字ではあるが、…。将棋ほどには鍛錬を積んでいなさそうだ。
この字なら簡単に読むことができる
改めて庭を見た
改めて庭を見た_1
改めて庭を見た_2
改めて庭を見た_3

こちらのお宅は、葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が本宅として建築した建物だそうだ。葛布ってどんなものか確認し、小物を土産に買って帰ろうと思っていたのだが、店の前を素通りしてしまったようだ。残念無念。あの裃の生地なのか。う~~ん。

当地に葛布の製法が生まれたのは、その昔、掛川西方の山中にある滝の側で庵を結んでいた行者が、滝水に打たれ、さらされている葛蔓を見つけ、それが繊維として使用できると考えて、信徒の老婆に葛の繊維を採る方法を教え与えたことからと言い伝えられております。
歴史的に認識されて来たのは鎌倉時代からで、当時は、蹴鞠(ケマリ)の奴袴(サシキヌ)に用いられ、江戸時代に入り東海道の掛川宿の繁栄と共に葛布も栄え、広く世間に知られ裃地(カミシモジ)、乗馬袴地、合羽地などに使用され、また参勤交代の諸大名の御土産品としても大変珍重されておりました。ところが、明治維新による武家階級の転落、生活様式の急転により壊滅的打撃を受け問屋は大半が転業しました。
明治の初期、襖の引き手の葛布にヒントを得て、従来の着尺巾を三尺巾に織り、東京に出し大好評を得て以来、襖地として生産される事となり、また明治30年頃より壁紙としてアメリカへ輸出したところ大変評判が良くGrassClothの名で、最高級の壁紙として喜ばれました。
戦後になるとコストの安い韓国産が出回り再び大打撃を受け、現在は織元も三軒になりましたが、伝統を守った葛布の持つ美しさと素朴な味わいは、今でも内外を問わず多くの人々に親しまれ、愛用されております。

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掛川城の郭「竹の丸」
天正18年(1590年)、豊臣秀吉によって掛川城主に任命された山内一豊は、それまでの掛川城に郭を付け加え、城を拡張しました。この時に竹の丸も造成されたと考えられます。
竹の丸は、天守閣や本丸など城の中心部に通じる道筋にあたり、防衛上重要な場所であったことから、家老など重臣の屋敷地に割り当てられていました。
竹の丸の由来
いつ頃から竹の丸と呼ばれていたのか明らかではありませんが、18世紀初頭に描かれた「遠州懸河城郭図」には、「竹ノ丸」という表記が見られます。
現在の建物
江戸時代より続く葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が本宅として建築した建物です。主屋は明治36年に建造され、桁行10間、梁間7間半の平屋建寄棟造です。離れは大正末期から昭和初期にかけて、平屋建から二階建に増築されています。
昭和11年、邸宅は当時の掛川町に寄贈され、現在も掛川市で管理しています。
平成19年1月30日に市の文化財指定を受けた竹の丸(旧松本邸)は、平成19年6月から修復工事を行い、平成21年5月30日に落成式を迎え一般に公開されています。


掛川城公園
はす池
池の中で何やら手入れをしている人がいた。してみるとかなり浅い池のようだ。
掛川城公園_はす池_1
掛川城公園_はす池_2
三の丸から見た様子
幕末の安政東海地震で崩壊するまでは、城郭御殿もこの奥の三の丸にあった。城郭御殿からの眺めはこんな風だったのだろう。
掛川城公園_三の丸から見た様子_1
掛川城公園_三の丸から見た様子_2

 

自然教育園に行った

13日にナンバンギセルが間に合うかもしれないとの期待をかけて、自然教育園に行った。園内は、草茫々の状態で、花さんを観察するのはちょっと厳しかった。というか、端境期なのか、あまり花さんを見ることができなかった。

ヤマホトトギスかな?
標識がどこにも見当たらず、かなり自信がない。ヤマジノホトトギスも似ているとか。帰ってから、自然教育園の資料を確認したら、ヤマホトトギスのようだ。
ヤマホトトギスかな?
藪茗荷
日に当たってキラキラ輝いていた。『撮って撮って』って懇願されているように感じた。
藪茗荷
カリガネソウ
うまくピントを合わせられなかったなあ
カリガネソウ
モミジガサ
随分葉っぱが虫さんに食べられてしまっているなあ。柔らかくておいしいのかもしれない。自然教育園では仕方がないことかなあ。
モミジガサ_1
モミジガサ_2
彼岸花
何とか、間に合った。やれやれ。
彼岸花_1
彼岸花_2
彼岸花_3
ヌスビトハギ
極小の花が咲いていた。マクロレンズじゃないので、ピントを合わせるのが大変。
ヌスビトハギ_1
ヌスビトハギ_2
ナンバンギセル
もしかして、これが咲いているのではないかと期待して行ったのだ。何とか間に合ってよかった。
ナンバンギセル_1
ナンバンギセル_2
別のところにもあるという情報があった。必死になって探したら、見つかった。こちらはススキに寄生するのではなく、茗荷に寄生していたようだ。いっぱいあった。
ナンバンギセル_3
ナンバンギセル_4
ナンバンギセル_5
ナンバンギセル_6
ミソハギ
季節の花だなあ
ミソハギ_1
ミソハギ_2
トンボさん
仲良くやっているなあ。そんなことないわ。…まあ、いろいろですね。
トンボさん_1
トンボさん_2
コミスジ(たてはちょう科)かな
イチモンジチョウ(たてはちょう科)かななどと思ったのだが、3つの筋があるので、コミスジだと判断した。
コミスジ(たてはちょう科)かな

この日の収穫はこれだけだった。鳥さんは、カラスでさえ見かけなかった。

 

走水地区を歩いた(4)

走水神社(2)
弟橘媛命記念碑
1910年に東郷平八郎、乃木希典らが建立。竹田宮恒久王妃昌子内親王(明治天皇第6皇女常宮昌子内親王)筆。
表面
『さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも』…相模野の燃える火の中で、私を気遣って声をかけて下さったあなたよ
弟橘媛命記念碑_1
裏面
説明板に記された内容が書かれてあった。
弟橘媛命記念碑_2
弟橘媛命記念碑_3
手前にあった説明板
弟橘媛命記念碑_4
三社(須賀神社・神明社・諏訪神社)
相当丘の上まで登ったところにあった
三社(須賀神社・神明社・諏訪神社)_1
三社(須賀神社・神明社・諏訪神社)_2
三社(須賀神社・神明社・諏訪神社)_3
三社(須賀神社・神明社・諏訪神社)_4
眺望も抜群
ここからだと、防大の漕艇訓練施設がいっそうよく見える。残念ながらこの時に限って大型船舶の航行がなかった。お昼時だからだろうか?
眺望も抜群_1
望遠レンズで見た様子
眺望も抜群_3
眺望も抜群_4
防大の学生はこんなにいたんだ。この後しばらくして、撮影地点より上にある小原台の校舎まで駆け足で戻っていった。訓練の成果なのかなあ。
眺望も抜群_眺望も抜群_5
千葉県は目と鼻の先だ
眺望も抜群_6
SEIYO SPRING号。パナマ船籍の比較的小型の貨物船。クレーンの形状が印象的。
眺望も抜群_7

 

走水地区を歩いた(3)

走水神社(1)
今回のメインである走水神社。海に一直線という神社が多いのがこの近辺の神社の特徴だろう。
近くから見ると、三つの階段が見える
急峻なところにあるため、三つの階段を上ることになる。さらにその上にもあるのだ。
近くから見ると、三つの階段が見える
一段上がった境内にて
舵の碑
前々回も冒頭に取り上げたが、弟橘媛が荒海を鎮めた故事に因み、浦賀水道の航行海の安全を祈念して、国際婦人年の1975年に建立したものだそうだ。
説明板にかかれてあった『遠つ世に 弟橘の 鎮ませる この海原よ やすらけくこいて』の歌は誰が読んだものだろうか?『遠つ世に』とあるのだから、後世の人の詠んだものだろうが、…。

舵の碑
2人の碑
非常に見えにくいと思う。実際に近くで目を凝らしてもよくわからないほどだ。参考のために、全文を記載しておく。
弟橘媛命
妾は皇子の御為に よろこびて今こそ 此の浦に身を捧げなむ はようつとめ果し 大君の御心安んじさせ給え
日本武尊
弟橘媛よ 汝の願い心し 吾が胸にのこりなん 永久に安かれと ただおろがまむ
2人の碑
包丁塚
当地で大伴黒主が日本武尊に料理を献じて喜ばれた故事に因み、1973年に建立したそうだ。歌人が料理も上手だったのか。天は二物を与えたようだ。
包丁塚
海の方を見た様子
鳥居の向こうにすぐ海が見える
海の方を見た様子
階段
地形の関係上仕方がないのだろうが、かなりの急こう配だ
階段_1
階段_2
階段_3
走水神社
由緒ある神社なのに、今は、神官が常駐していない兼務神社で、叶神社(横須賀市西浦賀)が管理しているそうだ。寂しい話だなあ。
走水神社_1
走水神社_2
神社と別宮と
走水神社_3
走水神社_4
社屋と同じ境内にて
別宮
弟橘媛命に殉じた侍女を祀る。そういう時代だったのだろうなあ。
別宮_1
別宮_2
機械水雷
1910年に奉納された、日露戦争戦利品のロシア製機械水雷だそうだ。
機械水雷_1
機械水雷_2
稲荷神社
近くには田畑は見当たらない感じだが、少しはあるのかな?
稲荷神社
水神社(河童大明神)
走水に伝わる河童伝説に因んで祀られる
水神社(河童大明神)
神社社屋前から振り返れば、海が見える
神社社屋前から振り返れば、海が見える
展望スペースからの眺め
ここで昼食を食べたのだが、ここから防大の漕艇訓練施設が見える。望遠レンズで見ると良くわかる。
展望スペースからの眺め_1
展望スペースからの眺め_2
展望スペースからの眺め_3

 

掛川に行ってみた(8)

大日本報徳社(2)
国指定重要文化財である大講堂に驚かされたが、他の建物なども負けていない。私が思わず唸ったのは、仰徳学寮と仰徳記念館と。いずれも、明治の大実力者であった有栖川熾仁(たるひと)親王のお住まいになっていた建物なのだ。有栖川宮家は、熾仁親王にも、後継の威仁親王にも後嗣がなく、宮家が断絶したのか。それで、昭和13年、主のいなくなった建物がこちらに下賜、移築された。133年を経た建物であるが、その風格のすごさは特筆すべきものだった。
建物
仰徳学寮(静岡県指定有形文化財)
実にきれいな建物だった。無粋な私でも唸るほどの立派な建物。さすが宮様の中の宮様の邸宅だっただけはある感じだ。大講堂の見学を申し出るのに、一瞬、建物内に入ったが、じっくり拝見させてもらいたかったのが本心だ。たまたま、ここの施設を借用する予定の関係者が下見に来ていたが、その時に図々しく言えば、一緒に見せてもらえたかもしれなかった。残念ながら、そこまでは知恵が回らなかった。
仰徳学寮(静岡県指定有形文化財)_1
仰徳学寮(静岡県指定有形文化財)_2
明治17年(1884年)竣工の有栖川宮邸の一部であり、同37年(1904年)からは、霞が関離宮の一部であった。大正13年(1924年)からは、帝室林野局仮庁舎として使われ、昭和13年(1938年)に大日本報徳社に移築された。
仰徳記念館(静岡県指定有形文化財)
こちらも下賜された建物。有栖川宮家では何に使用していたのだろうか。デザイン的に美しい建物。強く印象に残った。
仰徳記念館(静岡県指定有形文化財)_1
仰徳記念館(静岡県指定有形文化財)_2
仰徳記念館は明治17年(1884年)有栖川宮熾仁親王邸として建てられたものの一部であり、昭和13年(1938年)に大日本報徳社に下賜され、現在地に移築された。正面14.5間、奥行3間の本体に廊下が取り付く木造平屋寄棟造桟瓦葺きの建物で延べ床面積269.42平米。
淡山翁記念報徳図書館(静岡県指定有形文化財)
1927年に、大日本報徳社によって岡田良一郎氏(雅号:淡山)の功績を讃える記念事業として、淡山翁記念報徳図書館が設立された。1952年からは、小笠郡掛川町の町立図書館として、掛川町立図書館が報徳図書館を借用していた時期もあったそうだ。
淡山翁記念報徳図書館(静岡県指定有形文化財)_1
淡山翁記念報徳図書館(静岡県指定有形文化財)_2
淡山翁記念報徳図書館(静岡県指定有形文化財)_3
冀北(きほく)学舎(静岡県指定有形文化財)
撮るつもりでいたのに、単独のショットを撮り損ねていた。下の仰徳学寮と冀北学舎のツーショットで、我慢していただきたい。今の掛川西高校につながるようだ。
単独の画像は無し m(__)m
冀北(きほく)学舎は、明治10年(1877年)に報徳社長の岡田良一郎により掛川市倉真の邸内に開かれた全寮制の校舎です。遠江(とおとうみ)国に英学(えいがく)を開くさきがけとして、また尊徳の教えを実践する拠点として設立され、入学生徒は300名あまりにのぼったといいます。

正門〈道徳門と経済門〉(静岡県指定有形文化財)
案内の方が、是非とも撮り忘れないようにと念押しした。大日本報徳社の関係者からすれば、非常に重い位置づけなのだろう。私も経済学史の端くれだが、まったく経済的な生き方ができていない。ちょっと気圧された感じだった。
正門〈道徳門と経済門〉(静岡県指定有形文化財)
明治42年(1909年)2月に建設された。花崗岩製の2本の門柱からなっており、右に「道徳門」、左に「経済門」と刻字されており、道徳と経済の調和した社会づくりを目指す報徳の教えを象徴している。道徳門と経済門の名は、報徳の教えの中の「天地の徳に報いるには、内にあっては天賦の良心を養成(道徳)し、外にあっては、天地の恵みである作物の育成を助ける(経済)ことである。」に由来する。

その他
大講堂と仰徳記念館
凄いツーショットだ
大講堂と仰徳記念館
仰徳学寮と冀北学舎
こちらも負けず劣らず凄いツーショットだ
仰徳学寮と冀北学舎
懐かしいホーローのものだ
我が家にもあったなあ。懐かしい番号が3桁のものだ。
懐かしいホーローのものだ

 

走水地区を歩いた(2)

カッター訓練をしていた周辺の様子
沖合には"Del Monte"の名称が大書された船舶が
ケチャップ屋さんは、自前の船を所有しているようだ。
沖合には
冷凍・冷蔵貨物船 「 ALMERIA CARRIER 」 ( PAN / Del Monte )
横浜ではお馴染みの"デルモンテ"のリーファ「ALMERIA CARRIER」です。
横浜にやってくる"デルモンテ"のリーファの中では一番大きくて、そして一番古い船です。

トヨフジ海運の船舶
拡大してみると、『豊福丸』と判明。2006年1月就航、航海速力は21.0ノット、積載能力は2,000台。国内でトヨタ車の運搬をしている船舶らしい。
トヨフジ海運の船舶
アオサギ
畏れ多いところにいるなあ。アオサギがいる場所は御所ケ崎だ。日本武尊がここから上総に渡ったといわれ、仮の御所を設け、軍旗を立てたことから御所ヶ崎、旗山崎と呼ばれたと伝えられる処だぞ。
アオサギ
イソシギかなあ
400ミリだとやっぱり非力だなあ。トリミングせず。テレコンを持参すればよかった。
イソシギかなあ_1
イソシギかなあ_2
イソシギかなあ_3
漁船
というより釣り船かな
漁船_1
漁船_2
漁港
漁港
走水山 大泉寺
曹洞宗の寺院だそうだ。走水神社は、やや左側に鳥居が見える方だ。
走水山 大泉寺_1
走水山 大泉寺_2

 

走水地区を歩いた(1)

母の様子を見に行ったついでに、天気が良かったので、横須賀市の走水地区を歩いてみた。古事記や日本書紀にも登場する地名だが、ご存じだろうか。古事記には次のようなことが記されている。
馳水が走水になったようだ。古事記では最初から走水と記述されている。


弟橘比売舵の碑
弟橘比売の碑

古事記
相模から上総に渡る際、走水の海(横須賀市)の神が波を起こして倭建命の船は進退窮まった。そこで、后の弟橘比売が自ら命に替わって入水すると、波は自ずから凪いで、一行は無事に上総国に渡る事ができた。それから倭建命はこの地(現在の木更津市と言われている)にしばらく留まり弟橘姫のことを思って歌にした。

入水の際に媛は火攻めに遭った時の夫倭建命の優しさを回想する歌を詠む。
原文: 佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇 毛由流肥能 本那迦邇多知弖 斗比斯岐美波母
読み下し: さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも
訳: 相模野の燃える火の中で、私を気遣って声をかけて下さったあなたよ……


倭建命の優しさを回想する歌
倭建命の優しさを回想する歌

弟橘比売は、倭健命の思い出を胸に、幾重もの畳を波の上に引いて海に入るのである。七日後、比売の櫛が対岸に流れ着いたので、御陵を造って、櫛を収めた。

日本書紀
さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して「こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう」と言われた。ところが海の中ほどまで来たとき、突然暴風が起こって御船は漂流して渡ることができなかった。そのとき皇子につき従っておられた妾があり名は弟橘媛という。穂積氏の忍山宿禰の女である。皇子に申されるのに、「いま風が起こり波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」と。そして、言い終るとすぐ波を押しわけ海におはいりになった。暴風はすぐに止んだ。船は無事岸につけられた。時の人は、その海を名づけて、馳水といった。こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦を廻り玉浦を横切って蝦夷の支配地に入られた。


バス停から海が良く見える。カッター訓練をしているのがわかったので、近くに行ってみてみた。そこで見た様子。

カッター訓練
防大の学生たちが訓練に励んでいた。見ている分には、楽しそうに見えなくもないが、かなり大変な訓練のはずだ。いざという時に備える基礎訓練だ。
対岸の千葉県が朧気に見える。神話の時代の船はなんと脆弱な船だったのかと思うが、鎌倉時代に入っても日蓮さんが猿島に漂着したくらいだ。当時の技術では荒海は難しかったのだろう。

カッター訓練_1
カッター訓練_2
カッター訓練_3
カッター訓練_4
カッター訓練_5
カッター訓練_6
画面上部に大型船が通行しているのが見える。すぐ沖合は浦賀水道なのだ。
カッター訓練_7
カッター訓練_8
カッター訓練_9
カッター訓練_10
カッター訓練_11
カッター訓練_12
カッター訓練_13
カッター訓練_14
カッター訓練_15
超広角で撮るとこんな感じ
カッター訓練_16
カッター訓練_17
カッター訓練_18

 

掛川に行ってみた(7)

二の丸から竹之丸に向かう途中に、すごい建物があった。後ろ姿からしても凄いということが一目瞭然。この建物が何なのか、好奇心旺盛の私は、確かめずにはいられなかった。

見えていた建物
手前の小さな建物は公衆便所だった。さて、大きな建物は?
見えていた建物_1
正面から見るとこのような建物
見えていた建物_2

大日本報徳社(1)
先ほどの建物は、公益社団法人大日本報徳社の講堂だった。大日本報徳社は、報徳を信条とする同志の団体で、社員みんなの協力で実現し、さらにその行動を広く社会一般に及ぼしていこうとする公益社団法人だそうだ。早い話が、二宮尊徳翁を信奉し、その行動理念を実践していこうとする団体だ。
二宮尊徳翁が掛川に来たことがあったのか疑問に思い、講堂の見学方々、係りの方の説明を聞いた。

大日本報徳社大講堂…国指定重要文化財
大日本報徳社は、掛川藩の大庄屋で二宮尊徳の弟子だった岡田佐平治が設立した『遠江国報徳社』を起源としており、『報徳思想』の普及活動などを行っている。
その講演会が今に至るまで途切れることなく続いているそうだ。戦時中や終戦後すぐでさえ。その会場がこの大講堂。

外観
側面から
外観_1
外観_2
正面から
外観_3
外観_4
建物内部
建物内部_1
建物内部_2
建物内部_3
建物内部_4
建物内部_5
建物内部_6
先日北海道新聞が取材に来たそうで、日曜版に掲載された写真と同じようなアングルから撮ってみた。白いテーブルの上に置かれているのが、掲載紙面のコピー。
建物内部_7
バックヤード
講師の控室なのだろうか
建物内部_8
建物内部_9
伊藤博文公の揮毫
『無尽蔵』…報徳を実践すれば、その効用は無尽蔵という意味合いで書いたのかなあ
建物内部_10
当然のことながら、この像が飾られてあった
『積小為大』…小さな努力の積み重ねが、やがて大きな収穫や発展に結びつく。小事をおろそかにしていて、大事をなすことはできない。そういう意味合いなのだろう。
建物内部_11
こちらは、名を成した二宮尊徳翁の像
建物内部_12
報徳訓
太政大臣三条実美公爵の篆額だ。108文字で簡潔にあらわされている。
父母根元在天地令命  (父母の根元は天地令命に在り)
身体根元在父母生育  (身体の根元は父母の生育に在り)
子孫相続在夫婦丹精  (子孫の相続は夫婦の丹精に在り)
父母富貴在祖先勤功  (父母の富貴は祖先の勤功に在り)
我身富貴在父母積善  (我身の富貴は父母の積善に在り)
子孫富貴在自己勤労  (子孫の富貴は自己の勤労に在り)
身命長養在衣食住三  (身命長養衣食住の三つに在り)
衣食住三在田畑山林  (衣食住三つは田畑山林に在り)
田畑山林在人民勤功  (田畑山林は人民の勤功に在り)
今年衣食在昨年産業  (今年の衣食は昨年の産業に在り)
来年衣食在今年艱難  (来年の衣食は今年の艱難に在り)
年々歳々不可忘報徳   (年々歳々報徳を忘るべからず)

建物内部_13
こんな絵もあった
安居院義道昭七は遠州地方に報徳を伝えた人か
建物内部_14
直筆なのかなあ
建物内部_15
岡田佐平治
建物内部_16
大日本報徳社の中心的な建物である。明治35年1月に寄付金募集に着手し、約半年で寄付金が1万円以上に達し、同年7月1日に起工式を行った。翌年4月5日に竣工し、落成式が盛大に行われている。建築当初から大正年間には公会堂と呼ばれていたが、昭和の初期から講堂と記されることが多くなり、現在は大講堂と呼ばれている。

 

掛川に行ってみた(6)

掛川城観光(6)
二の丸御殿…国指定重要文化財(3)
御殿の外から見てみる。角まで行ったところで遠慮したのだが、犬を連れたご婦人が堂々と庭を通行していた。遠慮する必要はなかったようだ。
玄関から天守閣側
玄関から天守閣側_1
玄関から天守閣側_2
玄関から天守閣側_3
玄関から天守閣側_4
その裏側
式台付きの玄関があった
その裏側_1
その裏側_2
掛川城二の丸御殿の勝手台所
そのうちの井戸
掛川城二の丸御殿の勝手台所
美術館建設に先立つ発掘調査によって、二の丸御殿の勝手台所跡のようすが明らかになりました。勝手台所は、藩主の公邸である小書院棟の北側に建てられていた建物ですが、明治時代に撤去されてしまいました。
発見されたのは、建物の礎石を支える礎石根固め(ねがため)と呼ばれるもので、その配置が安政年間(1854-1859)に描かれた御殿の図面と一致することがわかりました。発見された礎石根固めは、直径90cm、深さ60cmの穴の中に拳大の石と粘土を交互に堅くつき固め、その上に礎石を置いたもので、掛川城に多大な被害をもたらした嘉永7年(1854年)の大地震を教訓に強固に造られたものと考えられます。
礎石根固め以外にも、台所にあったカマドの跡、井戸なども発見されました。


二の丸茶室
どこにも何も書かれていないが、おそらく最近の建築物だと思う。周囲の景観に合致するよう、出すぎず引っ込みすぎず、ちょうど良い感じの建物だ。ここで、お庭を愛でながら茶菓を頂き、暫しの休息をとった。
入り口から見える天守閣
入り口から見える天守閣
落ち着いた庭
落ち着いた庭_1
落ち着いた庭_2
茶室
『白雲抱幽石』と揮毫されてあるそうだ。白雲が幽寂な石を抱いているのみ、というわび住まいの風情…よくわからないなあ。
茶室_1
お煎茶の支度がなされてあったのに、あえて冷たい抹茶を所望した。へそ曲がりだなあ。
茶室_2
茶室_3
所望した茶菓
所望した茶菓
こんな展示もあった
こんな展示もあった_1
こんな展示もあった_2
玄関には小さな水琴窟が
玄関には小さな水琴窟が

二の丸美術館
渋いコレクションがあるようだ。たばこ道具の展示もあるのか。タバコは嗜まないが、道具そのものを見るのは好きだ。
展示替えのために休館だった。新しい建物だ。内部もしっかり見たかったのに、残念。
二の丸美術館
二の丸美術館は、掛川市出身の故木下満男氏からたばこ道具、刀装具、書画などの美術工芸品、約2000点の寄贈を受け、開館した美術館です。
細密工芸品を主とする木下コレクションと、近代日本画を収集した鈴木コレクションを中心に展示されています。


二の丸美術館のHPへjump

 

掛川に行ってみた(5)

掛川城観光(5)
二の丸御殿…国指定重要文化財(2)
掛川城の二の丸御殿は全国でも珍しい現存城郭御殿で、なかでも二の丸御殿が残っているのは二条城と掛川城のみ。残りの高知城と川越城には本丸御殿が現存している。
現在の二の丸御殿は、1854年(嘉永7年)に起きた東海大地震によって倒壊したあとに、藩主であった太田資功公が再建したもの。明治に至るまで、掛川藩の政務所として使われた。江戸時代の建物とはいえ、かなり新しい方の建物になろう。

玄関から中に入る
入ると刀剣がまず目に入る。お城の施設であったことを思い出させる。
玄関から中に入る_1
玄関から中に入る_2
順路に沿って進む
隅にある大太鼓は、以前は『時の櫓』に置かれ、重要な時を知らせていたものだ
順路に沿って進む
次の間
藩主と謁見できる身分の高い武士が通された部屋
次の間_1
次の間_2
縁側からは天守閣がくっきりはっきり見える
たまには藩主も天守閣に上り下りすることがあったのだろう。足腰が丈夫でないとつらいことだっただろう。
縁側からは天守閣がくっきりはっきり見える
御書院上の間
藩主が政治をつかさどった公式の部屋
御書院上の間_1
御書院上の間_2
御書院上の間_3
廊下は畳敷きだ
廊下は畳敷きだ
小書院
藩主が疲れたときにくつろぐ私的な部屋
小書院_1
小書院_2
次の間
先ほど出てきた次の間とは別の次の間。藩主や奥方の用向きを務める者たちの控える部屋
次の間
長囲炉裏の間
今でいう公邸のリビングルームに相当する部屋。なぜだか、杉良太郎さんの寄贈した歴代城主の甲冑等が展示してあった。本物のようだ。天井は見損ねてしまった。
長囲炉裏の間_1
長囲炉裏の間_2
長囲炉裏の間_3
梵天〈幣束(めき)〉
祭礼などに用いられる、大型の御幣を『梵天』と称すようだ。これは、この御殿を立てた大工の伝蔵に上棟式の際に使われたものを城主から下賜されたものだとか。
梵天〈幣束(めき)〉
藩が最盛時のお城の様子
藩が最盛時のお城の様子
裏口
だったのかな、式台玄関がある立派なものだ
裏口_1
裏口_2
一部に二階もあるようだ
一部に二階もあるようだ
徒目付の部屋
徒目付の部屋
吟味奉行の部屋
吟味といっても食事の味見とか毒見をするわけではない。争いごとを捌く役目を果たしていたのだ。
吟味奉行の部屋
大目付の部屋
ピンボケしてしまった
大目付の部屋
御用人部屋
いい部屋だなあ。役得かなあ。
御用人部屋_1
御用人部屋_2
御談の間
藩に用向きがあるものの用件の取次や談合・会議などが行われた
御談の間
廊下には武具の展示が
廊下には武具の展示が

 

掛川に行ってみた(4)

掛川城観光(4)
天守閣から二の丸御殿に向かう
ここから石を落とされたら防ぎようがないなあ
ここから石を落とされたら防ぎようがないなあ_1
ここから石を落とされたら防ぎようがないなあ_2
ここから石を落とされたら防ぎようがないなあ_3
ここから石を落とされたら防ぎようがないなあ_4
ここから先は一気に急こう配の下り坂
ここから先は一気に急こう配の下り坂
二の丸御殿…国指定重要文化財(1)
最初、恥ずかしながら本丸御殿だと思い込んでいた。が、よく考えれば、二の丸御殿だ。当初は下記の掛川市の資料にある通り、本丸にも御殿があったようだが、諸般の事情でこちらに統合されたようだ。現存する城郭御殿は全国に4つ残るのみ。本丸御殿が川越城と高知城。二の丸御殿は京都二条城と掛川城にしか残っていない。天守閣の8つと比してもさらに希少価値があろう。
下り坂を下り切った辺り
下り坂を下り切った辺り_1
下り坂を下り切った辺り_2
下り坂を下り切った辺り_3
下り坂を下り切った辺り_4
振り返って見上げると
振り返って見上げると
十露盤堀(そろばんぼり)
背後に見えるのは、時の櫓と四足門
十露盤堀(そろばんぼり)
三日月堀(みかづきぼり)
三日月堀(みかづきぼり)_1
三日月堀(みかづきぼり)_2
この先が二の丸御殿だ
この先が二の丸御殿だ
二の丸御殿の御殿車寄と玄関が見えてきた
現存する城郭御殿はほとんど存在しない。貴重な文化遺産なのだ。よく見ておくだけの価値がある。玄関は藩主、城代しか使用することができず、藩士は別の玄関や土間から出入りしたのだそうだ。
二の丸御殿の御殿車寄と玄関が見えてきた_1
二の丸御殿の御殿車寄と玄関が見えてきた_2

掛川城御殿
御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。
当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。
現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建されたものです。
安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校として使われました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けました。
その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されています。

 

掛川に行ってみた(3)

掛川城観光(3)
天守閣の内部
1層目内部
木造建築だと良くわかる。相当に金をかけた建築物だろう。
1層目内部_1
他のどの藩主よりも山内一豊公がリスペクトされているようだ。名君の誉れが高かったのだろう。
1層目内部_2
1層目内部_3
2層目への階段
天守閣は例外なく急こう配の階段だが、こちらもその例に漏れない。高所恐怖症の私めは、これくらいでも、顔面が引き攣る。
2層目への階段
2層目からの眺望
ここからだと樹木が視界を遮って、掛川西高校の校舎はよく見えない
2層目からの眺望_1
先ほど上ってきた四足門と時の櫓とが見える
2層目からの眺望_2
2層目からの眺望_3
鯱の複製
鯱の複製
正面が二の丸御殿
二の丸御殿へは、相当に下らなけれないけないんだ。はあーっ。この先に富士山が見えるはずだが、残念ながら見えなかった。左側は、二の丸美術館と二の丸茶室。
正面が二の丸御殿_1
正面が二の丸御殿_2
2層目から3層目への階段
踊り場にて。写真を撮る余裕などないのだが、…。滑らないように靴下を脱ぐべきだったかも。
2層目から3層目への階段_1
2層目から3層目への階段_2
3層目からの眺望
2層目からの眺望とどう違うかな。明らかに私の腰が引けているのがわかる。四足門と時の櫓の方角だ。
3層目からの眺望_1
掛川西高校
3層目からの眺望_2
二の丸御殿
3層目からの眺望_3
3層目からの眺望_4
鎧と兜
鎧と兜
天守の仕掛け
天守の仕掛け_1
天守の仕掛け_2
天守から出た位置(天守丸)から
眺望
眺望_1
眺望_2
天守曲輪(天守丸)の冠木門
当時は櫓門だったそうだ
天守曲輪(天守丸)の冠木門
霧吹きの井戸
今川氏真が立てこもる掛川城を徳川家康が攻めた時、井戸から立ち込めた霧が城を包み家康軍の攻撃から城を守ったという伝説がある。たまたま濃霧の発生があったということなのだろうが、不思議なことがあったものだ。井戸の深さも相当なものだったようだ。
霧吹きの井戸_1
霧吹きの井戸_2
室町時代の有名な連歌師宗長が掛川城初期のを書き留めてあった。
1番 丸亀城(香川)   ...65m
2番 福知山城(京都)  ...50m
3番 掛川城(霧吹き井戸)...45m
4番 松山城(愛媛)   ...42m

 

掛川に行ってみた(3)

掛川城観光(2)
逆川にて
大手門を出たすぐのところの逆川が流れている。そこから天守閣が良く見える。
逆川の橋の欄干から
再建された天守閣がきれいに見えてきた。期待していた以上にきれいだ。思わず、急ぎ足になる。
逆川の橋の欄干から
逆川の鳥さんほか
居ないよりはマシだが、普通に見ることができる鳥さんばかりだなあ。まあ、撮影の練習になるかなあ。この時に、アオサギやイトトンボの映り具合を見れば、SSが遅すぎるということに気づくべきだった。後に禍根を残す凡失だった。
逆川の鳥さんほか_1
SSの設定が低すぎることに気づくべきだった
逆川の鳥さんほか_2
逆川の鳥さんほか_3
逆川の鳥さんほか_4
逆川の鳥さんほか_5
逆川の鳥さんほか_6

掛川城公園に到着した。これから掛川城のあった一帯を見て歩く。遠目から美しい天守閣が見えた。近くではどんな感じだろうか?その先、二の丸御殿なども楽しみだ。

掛川城の天守
山内一豊の建造した天守閣が、掛川城の初代の天守閣だ。この天守閣は、1604年(慶長9年)の大地震で倒壊してしまった。少しだけ間を置いて、1621年(元和7年)に松平定綱によって再建された。が、この天守閣も幕末の1854年(安政元年)旧暦11月4日の嘉永東海地震により再び倒壊。その後、天守は再建されず、天守台などの遺構が残るのみだった。
1994年(平成6年)になり、市民や地元企業などから10億円の募金を集めて、戦後初となる木造による天守再建を果たし、掛川のシンボルとなっているそうだ。何よりも木造で復元した日本で初めての天守なのだ。
天守閣の再建にあたっては、山内一豊が築城した高知城を参考に、残された図面に基づき、樹齢300年を越える厳選された青森ヒバを用いて、「東海の名城」とうたわれた往時の美しさを忠実に復元したそうだ。松平定綱が再建した天守閣ではなく、山内一豊の建造した天守閣を再建したわけだ。

四足門
当然だが、この門も復元した門。復元する前の調査では、門の跡は見つからなかったそうだ。そのため、正保城絵図(しょうほしろえず)を元に復元されたとのこと。門の内側には、入城者を調べる番所があり、本丸に通じる重要な門だったことがわかる。
四足門_1
四足門_2
この先が本丸
初期のころは、ここにも本丸御殿があったようだ。おそらく、狭くて使い勝手が良くなかったことが、本丸御殿を廃止し、二の丸御殿に集約した最大の理由だろうと思う。
この先が本丸
本丸広場から見た天守閣
本丸広場から見た天守閣
高く見えているのが時の櫓
高く見えているのが時の櫓
階段を上って天守閣に向かう
階段を上って天守閣に向かう
その中腹にある二の丸御殿への分岐
その中腹にある二の丸御殿への分岐
先へ進む
先へ進む_1
先へ進む_2
二の丸御殿が少し見える
二の丸御殿が少し見える
漸く着いた
この階段をちょっと上るだけで息切れしてしまう。昔の武士の体力はかなりあったようだ。
漸く着いた

 

掛川に行ってみた(2)

往路の様子
新横浜にて
行き先が掛川なので、こだまの到着を待つ。のぞみに乗車することはできない。先頭車両はまだしも速度が出だした最後尾車両を撮るのは結構難しい。
新横浜にて_1
新横浜にて_2
こだまが来た
新横浜にて_3
こだまの車窓から
小田原辺りまで
富士山が見えるものの、はっきりしない天気だった。天気予報は掛川市は1日中晴れということだったが、ちょっと心配になる。
こだまの車窓から_1
途中からはスッキリ
富士山はきれいに見えたが、肝心の白いものが無し。禿げ頭のような富士山だった。
こだまの車窓から_2
三島駅のちょいと手前かな
三島のちょいと手前かな
三島駅
上りのこだまと愛鷹山とに視界を遮られるものの、かろうじて富士山が見える
三島駅
愛鷹山が邪魔
愛鷹山が邪魔_1
愛鷹山が邪魔_2
ここまでくれば、かなり視界が開ける
愛鷹山が邪魔_3
掛川駅到着
こだまが停車するだけかもしれないが、やや寂しい感じ
掛川駅到着

余分な荷物をホテルに預け、身軽になって掛川城観光に出発

掛川城観光(1)
大手門
復元された大手門。堂々とした楼門造りの櫓門。確認できていないが、幕末の「安政の大地震」で倒壊した後、再建されることがなく推移した。1995年(平成7年)になり、天守閣とともに復元されたものと思う。
大手門_2
大手門_3
大手門_4
大手門_5
大手門は天守閣に続いて平成7年(1995年)に復元されたもので、大きさは間口7間(約12.7メートル)、奥行3間(約5.4メートル)の二階建です。
掛川城の表玄関にふさわしい楼門造りの本格的な櫓門は、木造日本瓦葺き入母屋づくりになっています。白壁で板ひさしが配され、棟の上にはシャチ瓦が飾られた勇壮な構えです。
実際は現在地より50メートルほど南にありました。

大手門番所
大手門番所が現存するのは稀有の例だそうだ。珍しいものを目撃したことになるんだ。「嘉永七年甲寅」の地震、その年に改元されたので、後世の呼び名は「安政の大地震」ということになったが、その地震で倒壊後に再建された番所のようだ。前述のごとく、大手門は再建されずに、はなはだ頼りない話であるが、この番所のみが再建されたのだろう。
大手門番所_1
大手門番所_2
大手門番所_3
江戸時代末期に建てられたこの番所は、城内に出入りする者を監視する役人の詰め所でした。
この番所は、掛川宿と掛川城とを連絡する唯一の番所で、城内に出入りする者は全てここで調べられました。現在残されている建物は、嘉永7年(1854年)の大地震で倒壊後、安政6年(1859年)に再現されたものです。番所が現存するのは全国的にも珍しく、市の文化財に指定されています。

 

掛川に行ってみた(1) 2017_09_03 19:43一部記述修正

鳥さんを撮る練習をしたくて、花鳥園に行こうと考えた。掛川に行くと、花鳥園だけでなく、天守閣や二の丸御殿をも見ることができる。そんなことを考えて、一泊旅行を敢行した。

今回の1泊旅行のダイジェスト
詳しい説明は、本編でその都度行う。本当の予告だ。
掛川城天守閣
掛川城天守閣_1
掛川城天守閣_2
掛川城二の丸御殿(国指定重要文化財)
掛川城二の丸御殿(国指定重要文化財)_1
掛川城二の丸御殿(国指定重要文化財)_2
大日本報徳社大講堂(国指定重要文化財)
大日本報徳社大講堂(国指定重要文化財)_1
大日本報徳社大講堂(国指定重要文化財)_2
掛川花鳥園の鳥さん
掛川花鳥園の鳥さん_1
掛川花鳥園の鳥さん_2
掛川花鳥園の鳥さん_3
掛川花鳥園の鳥さん_4

 

EOS 7D MarkII + Sigma 100-400mm F5-6.3 DG OS HSMで撮った上野動物園(12)

日本の鳥(3)
メジロ
大好きなメジロ。最初は1羽だけかと思ったら、2羽だった。それも始終寄り添っていて、ラブラブ感いっぱい。うらやましいほどだった。ちょっと肥満気味だろうか?
メジロ_1
メジロ_2
メジロ_3
メジロ_4
メジロ_5
メジロ_6
メジロ_7
メジロ_8
メジロ_9
メジロ_10
メジロ_11
メジロ_12
つがいの片方は目を怪我しているのかなあ。それとも単に目を瞑っているだけかなあ。心配しても始まらないが、…。
メジロ_13
メジロ_14
マヒワ
マヒワの雌かなあ?形態把握能力に欠ける私には、雌鳥さんの識別はかなりハードルが高い。
マヒワ_1
マヒワ_2
マヒワ_3
マヒワ_4
マヒワ_5
マヒワ_6

ルリカケス
天然記念物の鳥さんだ。日本(奄美大島、加計呂麻島、請島)にのみ生息。1000羽程度の生息数のようだ。奥まったところにいて、はっきり撮れなかった。もう少しだけ、動いて、前に出てきてくれたら嬉しかったのだが。この鳥さん単独で比較的大きなケージに入居している。特別待遇だなあ。
明るいレンズだったら、もう少しマシに撮ることができるのだろうか?

ルリカケス_1
ルリカケス_2
ルリカケス_3
ルリカケス_4

以上で、『EOS 7D MarkII + Sigma 100-400mm F5-6.3 DG OS HSMで撮った上野動物園』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

EOS 7D MarkII + Sigma 100-400mm F5-6.3 DG OS HSMで撮った上野動物園(11)

昨日(8/31)から本日(9/1)に掛けて、掛川の花鳥園に入り浸っています。私からのアクセスが少し遅れます。m(__)m

日本の鳥(2)
今回取り上げた2種の鳥さんは、屋外で見たことがある。とはいいながらも久しく見ていないので、季節を問わず見ることができるのは有難いことだ。
ジョウビタキ
可愛くもあり、美しくもあり。大好きな鳥さんだ。漢字で書くと、尉鶲、常鶲か。恰好がいい名前だなあ。ジョウ(尉)は銀髪を意味するのか。
ジョウビタキ_1
ジョウビタキ_2
ジョウビタキ_3
ジョウビタキ_4
ジョウビタキ_5
ジョウビタキ_6
ジョウビタキ_7
ジョウビタキ_8
ジョウビタキ_9
ジョウビタキ_10
ジョウビタキ_11
ジョウビタキ_12
ジョウビタキ_13
ジョウビタキ_14
カワラヒワ
カワラヒワだと思うのだが、違うかなあ?画像検索すると出てくる美しい姿に比して、ちょっと地味目かな。何にせよ、ビタキさんのあとに登場すると、比較されて気の毒なことだなあ。
カワラヒワ_1
カワラヒワ_2
カワラヒワ_3
カワラヒワ_4
カワラヒワ_5
カワラヒワ_6

 

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10月2日(月)から10月8日(日)は、小旅行などの所用がかさなり、私からのアクセスは遅れます。大変申し訳ありません。m(_ _)m

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