散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

弘前~田舎館~黒石~弘前一人旅(4)

禅林街(2)
長勝寺(1)
黒門…弘前市指定有形文化財
大分手前にある。総門ということは、ここからは長勝寺の敷地ということなのか。
黒門
青森県歴史観光案内所>弘前市:歴史・観光・見所>黒門(長勝寺総門)記事から
黒門(長勝寺総門)概要: 黒門は江戸時代中期に建てられたもので、禅林街の最も奥地に境内を構え弘前藩黒門(藩庁:弘前城)の藩主津軽家の菩提寺となった長勝寺の総門として位置付けられています。弘前城の築城には陰陽五行の思想が取り入れられており、長勝寺の境内は弘前城から見て南西方向に当たる為、裏鬼門の鎮護として津軽家の菩提寺が配されました。又、城下町に対して西側に大きく張り出し、2方向が急勾配で二階堰(弘前城の外堀の1つ)で囲われている為、禅林街全体が弘前城の南西の出城の役割を持ち、城下側には空堀と土塁で隔絶し出入口は枡形が設けられていました。このような背景から黒門は長勝寺総門であると同時に防衛施設でもあり城郭門としての機能もある高麗門形式を採用しています。黒門は切妻、板葺、柱間4.3m、高さ4.9m、左右板塀附、初見は貞享4年(1687)に描かれた「長勝寺耕春院惣構」で比較的早くから計画されていた事が窺えます(延宝5年:1677年時点では存在していません)。黒門は史跡弘前城跡長勝寺構を構成する重要な遺構の1つとして貴重な存在で、景観的にも長勝寺三門杉並木と共に歴史的好環境を作り出している事から昭和53年(1978)に弘前市指定有形文化財に指定されています。

中門
正式名称は知らない。国指定重要文化財の三門の手前に小さく存在している。
中門_1
中門_2
三門…国指定重要文化財
堂々たる三門だ
三門_1
三門_2
三門_3
変な構図のように思われるかもしれない。国指定重要文化財の本堂・庫裏・御影堂をも同一画面に収めたかったのだ。
三門_4
嘉元鐘…国指定重要文化財
青森県内最古の銅鐘で、北条貞時が嘉元4年(1306年)に、弘前市藤崎の護国寺のために造らせたものだそうだ。最勝院の梵鐘と違って、戦時中の供出は免れたようだ。
嘉元鐘_1
嘉元鐘_2
長勝寺本堂・庫裏…国指定重要文化財
残念ながら本堂・庫裏内部の撮影は禁止されていた。
本堂
庫裏から進入する。藩主の菩提寺であるということから大変な気遣いがなされてあった。内部はため息が出るほどの豪華さ。
本堂_1
本堂_2
本堂は、八室からなる大型の本堂で、当初の形式をよく伝えており、方丈形の曹洞宗本堂として全国的にも最古に属するものとして価値がある。創建以来、たびたび改造・修理が成されてきたが、平成17年度から20年度にかけて大規模な修理を行い、宗教行事と維持管理の上で支障のない限り当初の形式に復旧整備された。明治期に付けられた正面向拝玄関を撤去して一連の窓構に復し、南端に一間半の出入口を設けた。本堂正面の板敷廊下東半分を土間に復旧し、屋根のとち葺型銅板葺をこけら葺に戻すなど、当初の姿を復元する整備を行った。
庫裏
庫裏_1
庫裏_2
庫裏は、大浦城台所を移築したと伝え、側柱と中央通りの柱を揃えて立て、各柱に登梁を架け渡し、これに小屋束を立てて和小屋を構成する。現在、平成23年度完成を予定して半解体修理を実施している。
長勝寺御影堂…国指定重要文化財
外観はやや草臥れた建物のように見える。ところが内部は一転して華やかな世界。そのギャップがすごい。
長勝寺御影堂_1
長勝寺御影堂_2
長勝寺御影堂_3
御影堂は、初代藩主為信の木像(県重宝)を祀った堂で、内部の厨子と須弥壇は重要美術品に認定されていた。創建は三門と同じ寛永6年(1629年)と伝えられ、文化2年(1805年)に正面を南から東に改め、全面的な彩色工事が実施されたという。
方三間、屋根を宝形造の銅板葺とし、軒は二軒疎垂木である。四周中央間には、内側に草花図柄を密陀絵みつだえで描いた黒漆塗の桟唐戸がついている。内部の架構は虹梁を主体とし、来迎柱や天井などには極彩色で絵や文様が描かれている。厨子も極彩色で、各部に金箔や金泥が多用され豪華である。
この建物は、南に配された津軽家霊屋と一体となった藩祖を祀る御影堂として貴重である。

発見された承祐(つぐとみ)公のミイラがおさめられていた石の棺
12代の殿様になるはずだった承祐(つぐとみ)公は、書をたしなみ、墨絵もたいへん上手だったが、18歳で夭折された。母君が、とても悲しまれて、藩主のもう一つの菩提寺だった報恩寺に木炭100俵とともに石の棺にて埋葬した。それで話は終わるはずだった。昭和29年、報恩寺にあった津軽家の墓所を長勝寺に改葬した。その際に、思いがけなく石の棺に入れられたままの承祐公が発見されたそうだ。当時の大ニュースだったらしいが、私はその時、4歳。そんな話を知る由もなかった。
その石の棺が写真のもので、実物だとのことだ。

発見された承祐公のミイラがおさめられていた石の棺_1
発見された承祐公のミイラがおさめられていた石の棺_2
発見された承祐公のミイラがおさめられていた石の棺_3

青森県歴史観光案内所>弘前市:歴史・観光・見所>長勝寺記事から
長勝寺(弘前市)概要:長勝寺の創建は享禄元年(1528)、大浦盛信が父光信の菩提を弔うため菊仙梵寿を招いて開山したのが始まりと伝えられています。当初は本城だった種里城(鯵ヶ沢町:種里城の跡地には光信公御廟所が聖地として残されています。)の城内にありましたが津軽為信が大浦城に移った際、大浦に移し、さらに慶長16年(1611)弘前城築城に際し、城の裏鬼門(南西=坤)に当る現在地に移されました。長勝寺は弘前藩主である津軽家縁の寺院として重要視され、弘前城の裏鬼門鎮護の役割だけでなく、長勝寺を中心に構成された禅林街(曹洞宗33ヵ寺で構成されている寺町)全体が弘前城の出城的機能を持ち城下町との境には土塁が築かれ、西側には堀、北側は断崖、東側は低湿地帯となっていました。長勝寺は弘前藩主津軽家の菩提寺だけでなく祈願所でもあり病気平癒や、大飢饉による餓死者の供養なども行われ藩内曹洞宗の僧録所としての格式も持っていました。現在も長勝寺境内には多くの建物や寺宝が残されていて、長勝寺の象徴的な存在である三門は寛永6年(1629)、2代藩主津軽信枚によって建立されたもので三間一戸、桁行9.7m、梁間5.8m、入母屋、とち葺きの八脚楼門形式、高欄、花頭窓付、仁王像安置、昭和11年(1936)に国指定重要文化財に指定されています。本堂と庫裏は、慶長年間(1596~1614年)に建立されたと伝えられる建物で本堂は曹洞宗の本堂建築としては全国的に見ても最古級とされ入母屋、こけら葺、平入、桁行22.7m、梁間16.3m、平成5年(1993)に国指定重要文化財に指定されています。庫裏は大浦城の台所を移築したものと云われている建物で切妻、茅葺、平入、桁行18.8m、梁間13.9m、平成5年(1993)に国指定重要文化財に指定されています。その他にも初代藩主為信の木彫を安置している御影堂や境内背後にある5棟の津軽家御霊屋(入母屋、妻入り、桁行2間、梁間2間)など多くの文化財に囲まれています。
長勝寺の文化財
 ・ 長勝寺本堂-慶長年間-国指定重要文化財
 ・ 長勝寺庫裏-慶長年間(大浦城台所移築伝)-国指定重要文化財
 ・ 長勝寺三門(楼門建築)-寛永6年-国指定重要文化財
 ・ 長勝寺御影堂(附厨子及び須弥壇)-寛永6年-国指定重要文化財
 ・ 環月臺(初代藩主津軽為信室:御霊屋)-寛永5年-国指定重要文化財
 ・ 碧巖臺(2代藩主津軽信枚:御霊屋)-寛永8年-国指定重要文化財
 ・ 明鏡臺(2代藩主津軽信枚室:御霊屋)-明暦2年-国指定重要文化財
 ・ 白雲臺(3代藩主津軽信義:御霊屋)-寛永15年-国指定重要文化財
 ・ 凌雲臺(6代藩主津軽信著:御霊屋)-宝暦3年-国指定重要文化財
 ・ 長勝寺銅鐘-鎌倉時代後期-国指定重要文化財
 ・ 三尊仏及びその厨子堂-慶長8年・寛永15年-長野県重宝
 ・ 薬師如来三門本尊-寛永5年に三門に安置-長野県重宝
 ・ 津軽為信木像-慶長11年(伝承)-長野県重宝
 ・ 長勝寺黒門(高麗門)-江戸時代中期-弘前市指定有形文化財
 ・ 長勝寺境内-国指定史跡

 

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