最勝院
前回触れたように最初は禅林街のみを見るつもりでいた。ところが、自転車で走行しているうちに、意外に体調が良く、欲が出た。それで、最初に最勝院を見て回ろうということにした。境内には重要文化財に指定されているものとしては日本最北に位置する五重塔がある。
最勝院三十三観音
今回の旅行で最初の『三十三』に出会った。この後禅林街三十三ヶ寺や黒石市の三十三観音などにも。その観音像だが、なぜだか、鼻の頭に白い塗料が塗られていた。最初の石像を見たときは見事に鳥の糞が命中したものだと思ったのだが、そんなことではなかった。

一番:龍頭

二番:持經

秋には紅葉が見事なのだろう

妙法蓮華経観世音菩薩普門品(観音経、以下普門品)では観音の普現色身三昧より示現する三十三種の変化身により、衆生の悩みに応じて済度すると説く。観音経が浸透すると同時に、観音の三十三変化身の数字に意味を持たせて観音三十三霊場、三十三間堂、弘前市禅林三十三ヶ寺などがつくられるようになった。
1.龍頭 2.持經 3.圓光 4. 遊戯 5.白衣 6.蓮臥 7.瀧 見 8.施楽 9.魚籃 10.徳王 11.水月 12.一葉 13.青頸 14.威徳 15.延命 16.衆寶 17.岩戸 18.能靜 19.阿耨 20.阿麼提 21.葉衣 22.瑠璃 23.多羅 24.蛤蜊 25.六時 26.普悲 27.馬郎婦 28.合掌 29.一 如 30.不二 31.持蓮 32.灑水 33.楊柳
参道を歩く
五重塔が見えてきた。ずっと遠くから視認できるのだと思っていたが、やっと視界に入った。

八坂神社の鳥居と新仁王門と五重塔とが並んで見える。何ともいい感じだ。

新仁王門と五重塔と
『津軽一代様』というものがあり、卯歳には最勝院の文殊様か茂森の天満宮(文珠菩薩)がお参りの対象になるようだ。今年はまさしく卯年。私は意図などしてはいなかったが、結果的にそういうことになったのだろうか?





新仁王門の内にも三十三観音が続く




振り返ってみた五重塔
どこから見ても立派だ



本堂



鐘楼
梵鐘自体は下記のような事情から新たに鋳造したものだそうだ。『平和の鐘』と呼ばれている。

藩政時代から戦前まで森町に市民に時を告げた『時の鐘』があったが、戦争の供出により一時その姿を消した。しかし、昭和三十一年(一九五六)に時の商工会が中心となり普請を行い、最勝院境内に復元した。ちなみに基礎の石は、弘前公園本丸に建っていた藩祖津軽為信公の銅像の台座であったものである。
五智如来堂
本堂と隣り合っているが、やけに質素だ

本堂の東側に建つ簡素な堂で、五智如来像を安置する。末寺であった普光寺の本尊を移した像で、棟札には「五智山普光寺廃虚に付本寺境内に建立 奉再建五智如来堂一宇 連光山大圓寺二十一世上人朝宗欽言 維弘化三丙午年(一八四六)五月吉祥日」とある。五智如来像は東寺講堂像をはじめ、安祥寺(京都市山科区)、大日寺(奈良県吉野町)、金剛三昧院(和歌山県高野町)、遍明院(岡山県瀬戸内市)などにあるが、当院の五智如来像はこれらと異なり5体とも立像であり、大日如来像を菩薩形でなく通常の如来形に表すなど、図像的に珍しいものである。
五重塔
文化財の指定説明にも「實ニ東北地方第一ノ美塔ナリ」とあるそうだ。確かに美しい五重塔だ。明治41年4月23日に国から重要文化財の指定を受けた。方三間、総高31.2m、銅板葺き、江戸時代の建造。附指定は、旧伏鉢1箇分と旧露盤1箇。


前回触れたように最初は禅林街のみを見るつもりでいた。ところが、自転車で走行しているうちに、意外に体調が良く、欲が出た。それで、最初に最勝院を見て回ろうということにした。境内には重要文化財に指定されているものとしては日本最北に位置する五重塔がある。
最勝院三十三観音
今回の旅行で最初の『三十三』に出会った。この後禅林街三十三ヶ寺や黒石市の三十三観音などにも。その観音像だが、なぜだか、鼻の頭に白い塗料が塗られていた。最初の石像を見たときは見事に鳥の糞が命中したものだと思ったのだが、そんなことではなかった。

一番:龍頭

二番:持經

秋には紅葉が見事なのだろう

妙法蓮華経観世音菩薩普門品(観音経、以下普門品)では観音の普現色身三昧より示現する三十三種の変化身により、衆生の悩みに応じて済度すると説く。観音経が浸透すると同時に、観音の三十三変化身の数字に意味を持たせて観音三十三霊場、三十三間堂、弘前市禅林三十三ヶ寺などがつくられるようになった。
1.龍頭 2.持經 3.圓光 4. 遊戯 5.白衣 6.蓮臥 7.瀧 見 8.施楽 9.魚籃 10.徳王 11.水月 12.一葉 13.青頸 14.威徳 15.延命 16.衆寶 17.岩戸 18.能靜 19.阿耨 20.阿麼提 21.葉衣 22.瑠璃 23.多羅 24.蛤蜊 25.六時 26.普悲 27.馬郎婦 28.合掌 29.一 如 30.不二 31.持蓮 32.灑水 33.楊柳
参道を歩く
五重塔が見えてきた。ずっと遠くから視認できるのだと思っていたが、やっと視界に入った。

八坂神社の鳥居と新仁王門と五重塔とが並んで見える。何ともいい感じだ。

新仁王門と五重塔と
『津軽一代様』というものがあり、卯歳には最勝院の文殊様か茂森の天満宮(文珠菩薩)がお参りの対象になるようだ。今年はまさしく卯年。私は意図などしてはいなかったが、結果的にそういうことになったのだろうか?





新仁王門の内にも三十三観音が続く




振り返ってみた五重塔
どこから見ても立派だ



本堂



鐘楼
梵鐘自体は下記のような事情から新たに鋳造したものだそうだ。『平和の鐘』と呼ばれている。

藩政時代から戦前まで森町に市民に時を告げた『時の鐘』があったが、戦争の供出により一時その姿を消した。しかし、昭和三十一年(一九五六)に時の商工会が中心となり普請を行い、最勝院境内に復元した。ちなみに基礎の石は、弘前公園本丸に建っていた藩祖津軽為信公の銅像の台座であったものである。
五智如来堂
本堂と隣り合っているが、やけに質素だ

本堂の東側に建つ簡素な堂で、五智如来像を安置する。末寺であった普光寺の本尊を移した像で、棟札には「五智山普光寺廃虚に付本寺境内に建立 奉再建五智如来堂一宇 連光山大圓寺二十一世上人朝宗欽言 維弘化三丙午年(一八四六)五月吉祥日」とある。五智如来像は東寺講堂像をはじめ、安祥寺(京都市山科区)、大日寺(奈良県吉野町)、金剛三昧院(和歌山県高野町)、遍明院(岡山県瀬戸内市)などにあるが、当院の五智如来像はこれらと異なり5体とも立像であり、大日如来像を菩薩形でなく通常の如来形に表すなど、図像的に珍しいものである。
五重塔
文化財の指定説明にも「實ニ東北地方第一ノ美塔ナリ」とあるそうだ。確かに美しい五重塔だ。明治41年4月23日に国から重要文化財の指定を受けた。方三間、総高31.2m、銅板葺き、江戸時代の建造。附指定は、旧伏鉢1箇分と旧露盤1箇。

