散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

明月院と東慶寺とに行ってきた(6)

東慶寺(2)
抜群の知名度を誇る東慶寺。だが、順風満帆の歴史が途切れた時があった。何せ、新時代で寺院の存立基盤がなくなってしまったのだから。千姫寄進の旧仏殿が三溪園に移築されたのも、そのような事情による。現在は、円覚寺末の男僧の寺なのだが、住職にすごい人材がずらりと登場する。彼らの奮闘で、寺勢を徐々に盛り返していった。以下の引用文書を参照されたい。
山門
現在の山門は、かつては中門があった位置にある。東慶寺の建物は、関東大震災で壊滅的被害をこうむり、その後の建て直しした建物ばかりだ。明治および大正期に殆ど修復できていなかったことが、建物を弱体化させていたのかもしれない。山門も、もちろん建て直しのものだ。隣接する鎌倉五山の一つ浄智寺は、復興に際して、石段を鎌倉石で修復したが、東慶寺においては、そのような経済的余裕がなかったのだろう。普通に修復したようだ。それでも、その後、90有余年を経過し、それなりに風格を帯びてきた。
山門_1
山門_2
山門_3
山門_4
地図
東慶寺案内図
山門を潜ったすぐの辺り
花さんほかが拝観者を魅了する。蛍袋もイソギクもいい感じだ。
山門を潜ったすぐの辺り_1
山門を潜ったすぐの辺り_2
山門を潜ったすぐの辺り_3
山門を潜ったすぐの辺り_4
山門を潜ったすぐの辺り_5
山門を潜ったすぐの辺り_6
田村俊子の碑
時代の最先端を行った飛んでいた女性。男女の相克の世界を官能的に描いたのだそうだ。旧友の湯浅芳子、山原鶴等が東慶寺に墓を設け、昭和26年に7回忌を営み、昭和30年にこの文学碑を建てた。本人の生前に東慶寺といかなる関係があったのかは、浅学菲才の私にはわからない。
「この女作者はいつもおしろいをつけてゐる この女の書くものは大がひおしろひの中からうまれてくるのである」
田村俊子の碑
参道とその近くの様子
かつては尼寺であったことを感じさせる何かがあるように思う
参道とその近くの様子_1
参道とその近くの様子_2
参道とその近くの様子_3
参道とその近くの様子_4

明治維新により縁切寺法が廃止され、寺領からの年貢を失い、二階堂に山林を残すのみとなるがそれも大半は横領される。最後の院代順荘尼を描いた1897年(明治30年)の小説には「維持の方法立かぬれば徒弟たりし多くの尼法師、留置の婦人、被官残らず一時に解放し寺内の法務は本山円覚寺山内の役僧に委ね現住職法孝老尼女は別房に退隠して年老いたる婢女一人と手飼の雌猫一疋とを相手に…総門山門はもとより方丈脇寮諸社なと朽廃にまかせ修繕の途なきはおおかた取りこぼち薪として一片の姻と化し」とある。順荘法孝尼は1902年(明治35年)78歳で死去し、尼寺東慶寺は幕を閉じる。
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1903年(明治36年)、後に円覚寺管長となる古川堯道が男僧としての第一世住職となる。その2年後の1905年(明治38年)に円覚寺管長で建長寺管長も兼務していた釈宗演が管長を辞して東慶寺の住持となり、その頃鈴木大拙がしばしば訪れ、夏目漱石も訪れる。釈宗演は1919年(大正8年)に61歳でこの寺で亡くなり、弟子の佐藤禅忠が住職となる。1923年(大正12年)9月の関東大震災で鐘楼を除く全ての建物が倒壊したが、禅忠は書院を大正末に再建し、1935年(昭和10年)本堂の再建と同時に53歳で亡くなる。
そのあと隣の浄智寺住職・朝比奈宗源が東慶寺住職を兼務し、昭和16年に佐藤禅忠の弟子であった井上禅定が住職となる。
この井上禅定の頃に、釈宗演の遺言であった松ヶ岡文庫を鈴木大拙の蔵書をベースに、財界人の寄付を仰ぎ設立する。尼寺東慶寺のわずかな遺産として二階堂に山林を持っていたが、永福寺跡の茅場も東慶寺が所有しており、それが鎌倉市に買い上げられたときにその代金でこれも釈宗演の遺言であった松ヶ岡宝蔵を建てた。井上禅定は1971年(昭和46年)から3年間円覚寺派宗務総長として管長朝比奈宗源を補佐し、1981年(昭和56年)8月より浄智寺住職に転じて、東慶寺住職には子息の井上正道が就任する。井上禅定は晩年、鎌倉市の緑を守る活動に積極的にかかわりながら、2006年(平成18年)1月、95歳で亡くなった。歴史に詳しく 『鎌倉市史・寺社編』の東慶寺の項は井上禅定の『駆入寺』を下敷きにしている他、『円覚寺史』の共著者でもある。井上正道は2013年(平成25年)7月に亡くなり、子息の井上大光が住職に就任した。

 

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