散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

明月院と東慶寺とに行ってきた(5)

明月院と東慶寺とに行ってきた(5)
明月院の最後は、北条時頼公関連。宝戒寺などよりも、自然に北条の時代を思いやることができる気がする。
北条時頼公の廟所と墓所
明月院の門をくぐるとすぐ左手に北条時頼公の廟所と墓所とがある。あれあれ、明月院は、山ノ内上杉家の寺院ではなかったのかと訝しがる方もあることだろう。やや、混み入った話なのだ。
廟所
廟所というと、徳川家などの豪華なそれを想起することだろう。しかし、何事にも質素を旨とした鎌倉幕府にあっては、実力者の執権として鳴らした時頼公のそれであっても、こんなもののようだ。
廟所
墓所
墓所_1
墓所_2
墓所_3
かつて、この辺りには時頼が建てた最明寺があった。『吾妻鏡』は、1256年(康元元年)、時頼が出家の準備のために建立した寺と記しているそうだ。時頼は、この年の11月22日に執権を辞し、翌日には、最明寺で蘭渓道隆を戒師として出家する(法名は「覚了房道崇」)。
最明寺は時頼の死後廃絶するが、子の北条時宗が最明寺を前身とする禅興寺を創建し(開山は蘭渓道隆)、明月院は禅興寺の支院の首位に置かれていた。明月院は禅興寺の塔頭であるが、寺とは独立した寺領をもっており、かつ檀那が関東管領上杉氏であったために生き残った。禅興寺は明治元年に廃寺となり、明月院のみを残し、現在に至っている。
そういう事情なので、北条時頼公の廟所と墓所があるのは当然なのだ。

明月院に咲いていたその他の花
明月院に咲いていたその他の花_1
明月院に咲いていたその他の花_2
明月院に咲いていたその他の花_3
明月院に咲いていたその他の花_4
明月院に咲いていたその他の花_5
明月院に咲いていたその他の花_6
明月院に咲いていたその他の花_7
明月院に咲いていたその他の花_8

明月院を後にして、東慶寺に向かう

東慶寺(1)
さだまさしの長年のファンである私は、この寺に来ると『縁切寺』を思い出してしまう。歌詞では、『今日のあの町は人影少なく…』とあるが、時代は大きく変わったようだ。
東慶寺は、明月院に比べれば、落ち着いてみることができそうだ
今どきの遠足は楽しそうだ。縁切寺なのに、カップルで来られる方も少なくないようだ。
東慶寺は、明月院に比べれば、落ち着いてみることができそうだ_1
東慶寺は、明月院に比べれば、落ち着いてみることができそうだ_2
山門前の花壇
花そのものは、東慶寺の方が楽しむことができそうな予感。果たしてどうだっただろうか。
山門前の花壇_1
山門前の花壇_2

 

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