散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

みさきまぐろきっぷを試してみた(5)

海南神社(1)
千年の昔から三浦を守る三浦半島総鎮守にして、三浦一族の祈願所である海南神社。
祭神の藤原資盈が貞観6年(864年)、博多から出航して任地の筑紫国へ赴く途中で暴風によって三浦半島に漂着と資料への記載がある。博多も筑紫国の一部であろうに、わざわざ船を仕立てて向かったのだろうか。そして、暴風雨に遭って、なんと三浦三崎まで流されたのか。もしかしたら、わざと流されたのかもしれない。
そして、三浦三崎では2年の年月を過ごしただけだったが、民衆の支持が篤かったようで、すぐに祭神として祀られることになったようだ。

海南神社拝殿
見事なものだ。見た目が相当に美しく感じる。それにしても、吊り下げられている綱の数があまりに多い。漁港の街の守り神とあれば、当然なのかもしれないが。
海南神社拝殿
海南神社が見えてきた
海南神社が見えてきた_1
海南神社が見えてきた_2
鳥居前の狛犬
鳥居前の狛犬_1
鳥居前の狛犬_2
御手洗池に架かる神橋
御手洗池に架かる神橋
神橋後方の狛犬
神橋後方の狛犬_1
神橋後方の狛犬_2
源頼朝寄進の大銀杏
頼朝は、三浦三崎に三つの御所を立てたほど。相当に気に入っていたようだ。その頼朝が寄進した樹齢800年の大銀杏。頼朝寄進とは恐れ入るが、その乳根のすごさには、これまたびっくりさせられる。
源頼朝寄進の大銀杏_1
源頼朝寄進の大銀杏_2
神楽殿
ローカル色の強い神楽殿。面神楽とやらを見てみたいものだ。
神楽殿_1
神楽殿_2
神楽殿_3
神楽殿_4
三浦市三崎の海南神社に伝わる「面神楽」は、毎年11月初めの未(ひつじ)の日の翌日、翌々日の申(さる)、酉(とり)の両日、神社境内の神楽殿で奉納されます。関東では一般的に里神楽・神代神楽などと称されますが、三崎では面を被る事から「面神楽」といいます。
演目は現在まで国固め、恵比寿の舞、湯立、岩戸開きなど多くの演目が伝承されており、「国固め」で始まり、最後は「岩戸開き」で終わります。
演目中には、海神に漁の安全や大漁祈願を願った「恵比寿の舞」や「浦島太郎」、世の中を平和にする泰平の舞を舞う「三人囃子」など漁業を中心に発展してきた三崎特有のものもあり見逃せません。
現在、海南神社面神楽神楽師会により継承され、三浦市指定重要無形民俗文化財として保存されています。


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清和天皇の治世、皇位継承争いに絡んで讒訴を蒙り左遷された藤原資盈が貞観6年(864年)、任地の筑紫国へ赴く途中で暴風によって三浦半島に漂着、当地の長に推戴された。その後資盈は房総の海賊を平定し、また福祉に努めたため地元民から崇敬され、貞観8年(866年)に資盈が没すると、地元民は祠を建てて祀った。天元5年(982年)になると、現在の地に社殿が建立され、三浦郡の総社となった。
承応2年(1653年)には正一位に列せられ、享保4年(1719年)には三浦半島の総鎮守となった。明治6年(1873年)に郷社となり、明治40年(1907年)に神饌幣帛料共進神社に指定されている。

 

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