散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

近所を歩く(3)

急な坂(2)
鶯坂
東京工業大学キャンパスの直ぐ近くにある鶯坂。『昔このあたりは切り通しになっていて、両側に竹や杉が茂り、鶯がよく訪れて啼いていたのでこの坂名になったといわれる』という説明書きがなされてあった。今でも鶯が鳴いてくれれば言うことなしだが、せいぜいメジロが蜜吸いに来る程度。
坂の下からの様子
坂の下からの様子_1
坂の下からの様子_2
坂の下からの様子_3
坂の下からの様子_4
坂の下からの様子_5
坂の下からの様子_6
中程からの様子
中程からの様子_1
中程からの様子_2
中程からの様子_3
中程からの様子_4
中程からの様子_5
中程からの様子_6
中程からの様子_7
中程からの様子_8
道標
道標_1
道標_2
東工大宿舎に沿った坂
坂の名前は知らない。鶯坂よりも勾配はきつい。以前、この坂を登っているとき、後方から来た老婦人に追い抜かれた。それも悔しいことに、後ろ歩きをしている人に。その頃は足腰の調子が最悪の頃だった事情はあったのだが。
これから下る
その先が全く見えない。自転車で下るようなときは要注意だろう。
これから下る_1
これから下る_2
これから下る_3
振り返るとこんな感じ
振り返るとこんな感じ
坂を降りきったところにある池
東工大の敷地内。カモが何羽かいた。他の人が入ってきにくいところだから、のんびりしているようにみえる。
坂を降りきったところにある池
昨30日昼過ぎの桜
まだ、ちょっと寂しい咲き方だった。これで土曜日の真冬のような寒さの翌日に満開になるのだろうか?
昨30日昼過ぎの桜_1
昨30日昼過ぎの桜_2
昨30日昼過ぎの桜_3
昨30日昼過ぎの桜_4
昨30日昼過ぎの桜_5

 

近所を歩く(2)

急な坂(1)
目黒区には急な坂が多い。私が居住する中根から自由が丘にかけての途中にある緑が丘には急勾配の坂がいくつかある。同様に馬の背を走る環7に向かっての平町から大岡山にかけても急坂が多い。今回は大岡山の方を散歩してみた。
鉄飛坂(てっぴざか)と寺郷の坂
下図の通り、一本の道に連続する坂だ。鉄飛坂はとんでもないほどの急勾配で、寺郷の坂はさほどでもない。
案内図
寺郷の坂
中里橋から見た様子。自動車の進行方向に確かに九品仏浄真寺がある。ここから歩くと30分弱。奥沢の浄真寺(九品仏)参りの人びとを当て込んだ4軒の水茶屋があったそうだが、開渠の呑川のせせらぎと岡田の森とがあり、一休みするには適当な場所だったかもしれない。
寺郷の坂_1
寺郷の坂_2
鉄飛坂
寺郷の坂の反対側が鉄飛坂。鉄飛とはまた突飛な名前をつけたものだ。まさか鉄の板が飛んで来るわけじゃないだろうが、鉄球を転がしたら、勢いがついて、途中から飛んでいきそうだ。
鉄飛坂_1
鉄飛坂_2
電動アシスト自転車じゃないと、普通の脚力では乗り続けていられないと思う。
鉄飛坂_3
坂の上に見えているのが帝釈堂
何故、こんな急な坂の上にお堂を作ったのだろうか
坂の上に見えているのが帝釈堂_1
腕を勢い良く振らないと推進力がつかなさそうだ
坂の上に見えているのが帝釈堂_2
振り返ると随分段差があることがわかる
振り返ると随分段差があることがわかる_1
振り返ると随分段差があることがわかる_2
道標
発音だけ聞いても、この漢字が思い浮かぶ人はあまりいないことだろう。名前の由来は下記解説を参照されたい。
道標
帝釈堂
帝釈天を祀る小堂だ。堂内に3つの庚申塔があるそうだが、残念ながら見たことがない。
帝釈堂_1
帝釈堂_2
帝釈堂_3
帝釈堂_4
他所から移設された2つの石塔
庚申塔(青面金剛刻像塔)
よくぞ破壊されずに残っていたものだ。近くにあったものとは思うが、この場所にあったものではなさそうだ。
他所から移設された2つの石塔_1
道標兼庚申塔
確かに左に行けば池上に行くし、右に行けば、杉並の堀之内に到達するのだろう。随分と気宇壮大な道標だ。
他所から移設された2つの石塔_2

目黒の坂 鉄飛坂
鉄飛坂は平町ニ丁目と大岡山一丁目の境、呑川遊歩道の中里橋から東へ上る急坂で、坂上の北側に帝釈天を祭る小堂がある。明治25年編さんの「衾村々誌」品川道の条に、「鉄飛坂あり、運輸便ならず、其坂下に呑川あり、之に架するを茶屋橋という」とある。この橋名は、いつのまにか中里橋と変わった。
「鉄飛」という一寸変わった呼び名から、何かいわれがありそうに思われるが、案の定、いろいろな説がある。
その一は、徳川幕府の初期時代、佐渡金山奉行であった大久保石見守長安が、ポルトガル人「ヒモンヤス」「テッピョウス」の2人に、鉱山採掘の方法を聴問し、佐渡金山の大改善を行おうとしたことがあった。このことは「慶長切支丹怪秘記」という書物にでているそうだが、確説であるかどうか疑わしいようだ。また、この2人の名が今の碑文谷・鉄飛の起源であるとも記されているようだが、碑文谷・鉄飛という地名は、はるか以前からあり、これも当てにできない。
そのニは、奥州征討「後三年の役」に従軍した碑文谷の豪族、碑文谷太郎道政が捕虜「鉄の飛」を連れ帰って、この辺に住まわせたということによるもの。
その三は、鎌倉時代、武蔵国の荏原一帯を領していたのが荏原太郎義利という領主であり、その家臣に鉄飛十郎兵衛という人がいて、今の鉄飛坂の上あたりに館を構えていた名主であったということである。鉄飛の館があったから、里人がその名を坂名にしたという。
その四は、元寇襲来のときの金沢殿着到帖に鉄飛五郎の名がみえることによる。
なお、「全国方言辞典」によれば「テッピ」とは「山頂」「てっぺん」などの訛なまりであるとし、「綜合日本民俗語彙」には、比較的高所にある屋敷を「テッピ」と呼ぶ例があったと記してある。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
目黒の坂 寺郷の坂
茶屋坂と言えば、民話「目黒のさんま」に登場する爺々が茶屋(一軒茶屋)にまつわる三田二丁目の茶屋坂が有名だが、実は区内には、もうひとつ茶屋坂がある。平町二丁目と大岡山一丁目の間を西へ下る鉄飛坂に続く道で、中根小学校前を旧名主岡田邸のほうへ上る緩い坂がそれである。
江戸時代の初め、天和のころ、衾村の寺郷(茶屋坂上り口の右手一帯の地名)に、奥沢の浄真寺(九品仏)参りの人びとを当て込んだ4軒の水茶屋があった。
当時の浄真寺へは、江戸だけでなく、方々からの参詣遊山の人びとが、この衾の茶屋の前を通って、九品仏へ向かったという。茶屋が一休みするのに格好な場所にあったことは、岡田邸裏手の中根公園の森がしのばせてくれる。

 

近所を歩く(1)

ソメイヨシノの様子
26-27日と真冬に逆戻りしたような寒い日が続き、ソメイヨシノは開花したものの、昨28日の時点では勢いがつくに至っていない。どんな感じなのか、家の真ん前の呑川遊歩道の桜並木をチェックした。
ほんの少しだけ開花し始めた
一握りの開花にすぎない。それでも、ソメイヨシノには華がある。見ると、心がぱっと明るくなる。
ほんの少しだけ開花し始めた_1
ほんの少しだけ開花し始めた_2
ほんの少しだけ開花し始めた_3
ほんの少しだけ開花し始めた_4
ほんの少しだけ開花し始めた_5
ほんの少しだけ開花し始めた_6
ほんの少しだけ開花し始めた_7
ほんの少しだけ開花し始めた_8
ほんの少しだけ開花し始めた_9
ほんの少しだけ開花し始めた_10
ほんの少しだけ開花し始めた_11
ほんの少しだけ開花し始めた_12
ほんの少しだけ開花し始めた_13
メジロもやってきた
135ミリまでのレンズではちょっと厳しいなあ。何処に居るかわからないかもしれないが、トリミングは行わなかった。探していただきたい。
メジロもやってきた_1
メジロもやってきた_2
メジロもやってきた_3
メジロもやってきた_4
メジロもやってきた_5
メジロもやってきた_6
メジロもやってきた_7
メジロもやってきた_8
メジロもやってきた_9
メジロもやってきた_10

 

次女一家との夕食会

春休みで上京していた次女一家とお別れの夕食会。満足して食べていったようで、良かった。
食事前
料理は予め注文してあったが、飲み物のリクエストを聞いて回った
食事前_1
食事前_2
食事前_3
食事前_4
18:00丁度くらい。この直後には満席に。直前にTVで紹介されたので、其れ以降毎日大賑わいとか。
食事前_5
食事前_6
注文した料理
子供用の料理から出してもらった
注文した料理_1
注文した料理_2
注文した料理_3
注文した料理_4
このあたりで、孫達の空きっ腹も少し落ち着いたようだった。大人も食べていい感じになってきた。
注文した料理_5
注文した料理_6
注文した料理_7
注文した料理_8
注文した料理_9
注文した料理_10
案外こどもも食べた。大人の味付けにも食いつくようになってきたのかなあ。
注文した料理_11
スペアリブは皆のお楽しみ。食べ切れないかと思ったが、完食した。
注文した料理_12
注文した料理_13
ここからは、完全大人の料理。私はすでに腹がきつくなっていた。
注文した料理_14
注文した料理_15
注文した料理_16
すでに満腹の様子だったが、アップルパイは別腹だったようだ
注文した料理_17
注文した料理_18
孫達
孫達_1
孫達_2
孫達_3
孫達_4
孫達_5

次女には息抜きの数日間だったようだ。こちらは、その分、非常に疲れた。ともあれ、何事もなく、帰ってもらうことができ、良かった。

 

秋田&青森への1泊の旅(16)

五能線(6)
あきた白神駅の直前の区間の光景が一番印象的だったかなあ。もう一度来て、次こそはくっきりはっきりな写真を撮ってみたいものだ。
あきた白神駅の直前の区間の光景
あきた白神駅の直前の区間の光景_1
あきた白神駅の直前の区間の光景_2
あきた白神駅の直前の区間の光景_3
この景観が良かった
あきた白神駅の直前の区間の光景_4
あきた白神駅の直前の区間の光景_5
あきた白神駅の直前の区間の光景_6
あきた白神駅の直前の区間の光景_7
あきた白神駅の直前の区間の光景_8
あきた白神駅の直前の区間の光景_9
確かに素晴らしい
あきた白神駅の直前の区間の光景_10
あきた白神駅の直前の区間の光景_11
入江の反対側も美しかった
あきた白神駅の直前の区間の光景_12
あきた白神駅の直前の区間の光景_13
あきた白神駅に到着
見た通り、非常に寒かった。風邪を引きそうなほどに。
あきた白神駅に到着_1
連結されていた2両目は違うタイプの客車だったようだ。どちらもローカル感たっぷりだった。
あきた白神駅に到着_2
あきた白神駅に到着_3
山はこんな感じだった
山はこんな感じだった_1
山はこんな感じだった_2
何の標識かと思ったら、こういう標識だった。土地柄、北朝鮮からの工作員の密入国が多いのかなあ。
山はこんな感じだった_3
山はこんな感じだった_4
青森側はまだぐずついた空模様だった
青森側はまだぐずついた空模様だった
その後のバスからの景観
その後のバスからの景観_1
その後のバスからの景観_2
その後のバスからの景観_3
その後のバスからの景観_4
その後のバスからの景観_5

こんな風にして、『秋田&青森への1泊の旅』は終わった。予想はしていたものの、雪がかなりある土地なんだと実感させられた。
最後までご覧いただきありがとうございました。

 

秋田&青森への1泊の旅(15)

五能線(5)
30分の乗車時間があっという間に過ぎ、降りる予定のあきた白神駅に接近した。ここは一つ手前の駅に近づいた辺りだろうか?
荒々しい光景が続く
雲の切れ間から眩しい光が差し込んだり、その一瞬後にはかき曇ったり、…。おどろおどろしい空模様だった。
荒々しい光景が続く_1
荒々しい光景が続く_2
荒々しい光景が続く_3
荒々しい光景が続く_4
荒々しい光景が続く_5
ただし波浪は収まりかけている感じ。道路に海水が吹き飛んでくるようなことはない感じに。
荒々しい光景が続く_11
荒々しい光景が続く_12
荒々しい光景が続く_13
荒々しい光景が続く_14
北風に太陽が打ち勝つような状況になってきたかな。そんなふうに見えてきた。
荒々しい光景が続く_15
荒々しい光景が続く_16
荒々しい光景が続く_17
荒々しい光景が続く_18
荒々しい光景が続く_19
段々、日射しが勢いを増してきた。最後の最後は絶景が待っているかなあ。
荒々しい光景が続く_20
荒々しい光景が続く_21
荒々しい光景が続く_22
荒々しい光景が続く_23
荒々しい光景が続く_24
荒々しい光景が続く_25

次はあきた白神駅だぞ

 

秋田&青森への1泊の旅(14)

五能線(4)
列車が速度を落として撮影の時間を与えてくれた。ちょっぴり有難いサービスだった。
いよいよ凄い景観が
この時期だから良いものの、厳冬期には通行が躊躇われるほどのところと見た。海水が吹き飛んでくるなんてことは日常茶飯事なのかもしれない。
それにしても晴れるのか、嵐になるのか、どっちに転んでもおかしくない安定しない空模様だった。

いよいよ凄い景観が_1
いよいよ凄い景観が_2
いよいよ凄い景観が_3
いよいよ凄い景観が_4
いよいよ凄い景観が_5
いよいよ凄い景観が_6
いよいよ凄い景観が_7
いよいよ凄い景観が_8
いよいよ凄い景観が_9
いよいよ凄い景観が_10
マイカーの人たちは、あの膨らみから写真を撮るようになっているのだろう
いよいよ凄い景観が_11
いよいよ凄い景観が_12
いよいよ凄い景観が_13
いよいよ凄い景観が_14
いよいよ凄い景観が_15
いよいよ凄い景観が_16
いよいよ凄い景観が_17
いよいよ凄い景観が_18
いよいよ凄い景観が_19
いよいよ凄い景観が_20
ゴメが多数飛翔していた。漁船からのオコボレがあったのだろうか。
いよいよ凄い景観が_21
いよいよ凄い景観が_22
いよいよ凄い景観が_23
いよいよ凄い景観が_24
いよいよ凄い景観が_25

 

秋田&青森への1泊の旅(13)

五能線(3)
退避港かな
しっかり確認できなかったが、漁船は陸揚げされているように見えた。かもめは岸壁で様子見。『こりゃ、だめかな。しかし時化続きで空腹の極みだよ』とでも話している感じに見えた。
退避港かな_1
退避港かな_2
退避港かな_3
この先、波浪は鎮まるのだろうか
波打ち際はそんなふうに見えたが、沖合は案外波静かな感じ。不思議な感じだった。
この先、波浪は鎮まるのだろうか_1
この先、波浪は鎮まるのだろうか_2
この先、波浪は鎮まるのだろうか_3
この先、波浪は鎮まるのだろうか_4
この先、波浪は鎮まるのだろうか_5
この先、波浪は鎮まるのだろうか_6
この先、波浪は鎮まるのだろうか_7
この先、波浪は鎮まるのだろうか_8
この先、波浪は鎮まるのだろうか_9
この先、波浪は鎮まるのだろうか_10
この先、波浪は鎮まるのだろうか_11
突如視野に入った建物
何故此処に建てるのか理解に苦しむ位置に建っていた。もう少し確認したかったが、線路が山側に。
突如視野に入った建物_1
突如視野に入った建物_2
突如視野に入った建物_3
突如視野に入った建物_4
この家屋もだ
明らかに危ない立地だ。大丈夫なのだろうか。このあたりは常時、海水が押し寄せてくるようだ。
この家屋もだ_1
この家屋もだ_2
この家屋もだ_3
この家屋もだ_4
この家屋もだ_5
この家屋もだ_6
この家屋もだ_7
この家屋もだ_8
この家屋もだ_9

 

秋田&青森への1泊の旅(12)

五能線(2)
テトラポッドは何のため?
あの辺りから線路に向かって飛んでくる海水を阻止するものだろうか?鎌倉市と逗子市との境近くにある現存する最古の築港『和賀江嶋』のことを思い出してしまった。似た感じだなあ。
テトラポッドは何のため?_1
テトラポッドは何のため?_2
確かに海水が降り掛かってきそうだ
冬の日本海、其れの北の果ては、波浪が凄い。運休も珍しくない路線なのだ。
確かに海水が降り掛かってきそうだ_1
確かに海水が降り掛かってきそうだ_2
それでも『天使の梯子』がかかってきだしたので、大丈夫かな。どうせならば、もう少しだけ晴れ間が欲しいものだ。
確かに海水が降り掛かってきそうだ_3
少し景観が変わってきた
フォトジーニックな感じになってきたようだ。五能線なのだから、優しい景観はいらない。荒々しい感じが良いのだが。
少し景観が変わってきた_1
少し景観が変わってきた_2
少し景観が変わってきた_3
少し景観が変わってきた_4
少し景観が変わってきた_5
少し景観が変わってきた_6
少し景観が変わってきた_7
ゴメさんたちが飛んでいる。たくましいものだ。
少し景観が変わってきた_8
少し景観が変わってきた_9
少し景観が変わってきた_10
少し景観が変わってきた_11
少し景観が変わってきた_12
少し景観が変わってきた_13
少し景観が変わってきた_14
少し景観が変わってきた_15
少し景観が変わってきた_16
少し景観が変わってきた_17
魚がいるのかなあ。漁船が居るわけではないので、自分で、獲物を探す必要があるんだろう。
少し景観が変わってきた_18
少し景観が変わってきた_19
少し景観が変わってきた_20

昨22日の桜
今年は完全に靖国神社に先を越されたようだ。咲いていないわけではないが、非常に寂しい様子だ。
昨22日の桜_1
昨22日の桜_2
昨22日の桜_3
昨22日の桜_4
昨22日の桜_5
昨22日の桜_6

 

昨日の様子

昨21日に、懇意にしている神父様に我が家へお出で頂いて、私の養父母を偲ぶささやかな会を催した。
以前紹介させていただいた最貧国と言われるボリビアに宣教に行っておられる倉橋神父様だ。神父様は、ご自身の健康チェックとボリビアでの活動資金を得るための里帰り中だ。

私の養父母
彼らの養子になって、義理の妹と結婚した
私の養父母
偲ぶ会の様子
偲ぶ会の様子_1
偲ぶ会の様子_2
偲ぶ会の様子_3
偲ぶ会の様子_4
偲ぶ会の様子_5
偲ぶ会の様子_6
『主よ御許に近づかん』を吹いていただいた。曽野綾子女史は、密葬に際し『Happy Birthday』をリクエストしたのだそうだ。人それぞれの思いがあるのだろう。
偲ぶ会の様子_7
偲ぶ会の様子_8
カンボジアの様子を話し合っている
カンボジアのほうがまだ多少はマシなのかなぁ。ドイツのNGOの主宰者が資金を持ち逃げしてしまった孤児院がある。そこでの、支援の様子などを説明。色々あるのだ。
カンボジアの様子を話し合っている
昼食会
20mほどのところにある『ひのや』で頂いた。新装再開店したばかり。美味しかった。
昼食会_1
昼食会_2
昼食会_3
昼食会_4
昼食会_5
昼食会_6
昼食会_7
昼食会_8
それまで赤ワインを頂いていたが、ここで土佐の銘酒『船中八策』をも追加注文した。土佐佐川の司牡丹の超辛口の酒。
昼食会_9
昼食会_10
昼食会_11
昼食会_12
昼食会_13
昼食会_14
呑川のソメイヨシノが開花した
幹から直接のものだが、開花した。今季初見のソメイヨシノだ。あと1-2日で枝先からも綺麗な花が咲き出すことだろう。公式の開花宣言はまだだろうと思ったら、すでに出されたようだ。気象庁もやることが早いなあ。
呑川のソメイヨシノが開花した_1
呑川のソメイヨシノが開花した_2
呑川のソメイヨシノが開花した_3

 

秋田&青森への1泊の旅(11)

五能線(1)
五能線(ごのうせん)は、秋田県能代市の東能代駅と青森県南津軽郡田舎館村の川部駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線。風光明媚なところを走る人気の路線だ。今回は、十二湖駅からあきた白神駅までの5駅の区間、20.5kmを乗車した。『リゾートしらかみ』のような全車指定席の列車ではない。良い座席に座ることができる保証はない。
十二湖駅
産直の売り場も兼ねている無人駅。何処に停まるのかわからないが、30分ほどホームで待つことにする。奇跡的に少し空が明るくなってきた。
十二湖駅_1
十二湖駅_2
十二湖駅_3
十二湖駅_4
足元を見ると皆さん、かなりの重装備だ。確かに少々の雪にはめげない装備できているようだ。
十二湖駅_5
十二湖駅_6
十二湖駅_7
十二湖駅_8
やっと列車が到着
スマホで撮る人が案外多い。かなり危険だと思うが、自己責任の範囲のことだろう。とは言うものの、狭いホームに人がごった返している。ちょっと押されたらホームに転落して、人身事故は不可避だ。そうなると、…。CP+の会場でも、スマホを高く掲げて撮る人が目立った。他の人の迷惑には考えが及ばないのだろうか。
やっと列車が到着_1
やっと列車が到着_2
やっと列車が到着_3
やっと列車が到着_4
やっと列車が到着_5
何とか海側の席に着席できた
運良く私の前に乗車口が来た。これからたった30分の短い乗車。待ち時間が相当あった分、モトをとらなくちゃ。
何とか海側の席に着席できた
出発進行
最初の頃は、ちょっと寒い景観が続く。もう少し行くまで辛抱だ。
出発進行_1
出発進行_2
沖合が少し光って見える。あの感じが広がると良いのだが。
出発進行_3
出発進行_4
出発進行_5
出発進行_6
出発進行_7
白神岳登山口駅
駅前には何もなさそう
白神岳登山口駅_1
白神岳登山口駅_2
白神岳登山口駅_3
どっちに転ぶのかわからないような空模様
良い方に転んでほしいと願ってしまった
どっちに転ぶのかわからないような空模様_1
どっちに転ぶのかわからないような空模様_2
どっちに転ぶのかわからないような空模様_3
どっちに転ぶのかわからないような空模様_4
リゾートしらかみ号から見た日本海(五能線)…PDF画像を借用
リゾートしらかみ号から見た日本海(五能線)…PDF画像を借用

 

秋田&青森への1泊の旅(10)

青森県のアオーネ白神十二湖にて
ここで昼食をとり、お土産を買ったりしながら、五能線乗車までの時間を過ごす。車がある人には最高の場所だが、五能線に乗車するときは、誰かが回送の運転手役を果たさねばならないか。もしくは、五能線乗車は諦めて、車で回るか。う~~ん。
昼食
自費で、『アカショウビン』というレストランで、生姜焼き定食を注文した。まあまあイケた。ごま豆腐の影になって見えないのは『つるつるワカメ』。深浦あたりのお土産品として人気のもののようだ。たくあんは普通のもので、いぶりがっこではなかった。隣接する県同士なのだから、利用してもよいのではないかと思った。
昼食_1
昼食_2
食後の自由時間
アオーネ白神十二湖をぶらついて時間を潰した。ここは、コテージなどが用意され、夏季には賑わいを見せそうなところだろう。また、五能線乗車のツアー客の立ち寄り先としても、貴重な施設もしれない。
アオーネ白神十二湖_1
アオーネ白神十二湖_2
アオーネ白神十二湖_3
アオーネ白神十二湖_4
アオーネ白神十二湖_5
アオーネ白神十二湖_6
アオーネ白神十二湖_7
アオーネ白神十二湖_8
アオーネ白神十二湖_9
アオーネ白神十二湖_10
アカショウビン(レストラン)
アカショウビン(レストラン)_1
アカショウビン(レストラン)_2
ヤマセミ(物産館)
ヤマセミ(物産館)
カワセミ(物産館)
カワセミ(物産館)
フロント
当然かもしれないが、こういうものが用意されていた。アカショウビン、ヤマセミ、カワセミと言うふうに施設名をつけてあったので、実際に鳥さんが居るのか聞いてみた。力強く、『アカショウビン、ヤマセミ、カワセミの3種ともに、十二湖にはいます。ただし、簡単に写真に撮れるかということではない』という返事。嬉しいような嬉しくないような返事だった。多鳥撮りのベテラン向きのところなのかもしれない。
フロント_1
ポスターも撮ってみた
フロント_2
売られていた絵葉書から(佐藤拓人氏撮影)
売られていた絵葉書から(佐藤拓人氏撮影)_1
売られていた絵葉書から(佐藤拓人氏撮影)_2

 

秋田&青森への1泊の旅(9)

田沢湖
田沢湖高原から少し降りて、田沢湖畔にやってきた。ものすごい降雪で田沢湖を見に行く人は私以外にはなかった。本来ならば、このドライブインからも湖がよく見えるはずなのだが。
ドライブインから見た湖の方向の様子
普通なら近寄ってみる気が失せてしまうことだろう。凄い降雪だった。
ドライブインから見た湖の方向の様子
ドライブインに居た秋田犬
やっぱり物凄く寒そうだった。それでも文句一つ言わないのは大したものだ。
ドライブインに居た秋田犬_1
ドライブインに居た秋田犬_2
ドライブインに居た鶏たち
金八鶏(きんぱどり)、声良鶏(こえよしどり)、烏骨鶏(うこっけい)、比内地鶏(ひないぢどり)などが居るようだ。網と背後の障害物までの距離の関係で写真はほぼ絶望。かろうじて撮れたのは、何の鶏だろうか?
ドライブインに居た鶏たち_1
ドライブインに居た鶏たち_2
ドライブインに居た鶏たち_3
声良鶏(PDF画像から借用)
秋田三鶏とされる内、声良鶏と比内鶏は国の天然記念物に、金八鶏は秋田県の天然記念物に指定されている
声良鶏
秋田三鶏記念館の頁へjump
かまくら
案外大きく作ってあった
かまくら
稲庭うどんの製造工程
本場のものと比べて味はどんななのかなあ。稲庭うどんは大好物だが。この前の工程で、気泡が多く取り込まれ、喉ごしの良い中空構造になっていくのかなあ。そこを見たかったのだが。
稲庭うどんの製造工程_1
稲庭うどんの製造工程_2
稲庭うどんの製造工程_3
稲庭うどんの製造工程_4
やっぱり田沢湖を見ておきたい
勇気を振り絞って行ってみた。たつこ像は湖の対岸になるようだ。
やっぱり田沢湖を見ておきたい_1
やっぱり田沢湖を見ておきたい_2
やっぱり田沢湖を見ておきたい_3
やっぱり田沢湖を見ておきたい_4
やっぱり田沢湖を見ておきたい_5
やっぱり田沢湖を見ておきたい_6
やっぱり田沢湖を見ておきたい_7
やっぱり田沢湖を見ておきたい_8
クニマスは本来は田沢湖に生息する美味で有名な魚だった。それが、1940年に電力供給増加のために田沢湖の湖水を利用した水力発電所(生保内発電所)が建設されたことで状況が激変。田沢湖から流出する湖水を賄うため、1940年1月20日から玉川の水を導入したが、これがいけなかったようだ。強酸性の水が大量に流入したため、1948年にはクニマスの捕獲数はゼロになり、絶滅が確認された。
それからが長い話だが、中間を省略すれば、あのさかなクンが山梨県の西湖での再発見に一役買ったのだ。いずれ、西湖から田沢湖に里帰りする日がくるかもしれないのだ。

やっぱり田沢湖を見ておきたい_9
クニマス(PDF画像から借用)
クニマス_1
養殖中のまだ5ヶ月ほどの稚魚
クニマス_2
飲水思源像は、田沢湖と台湾の澄清湖が姉妹湖提携した記念に台湾から贈られた像です。1991年に田沢湖畔春山に建立されました。“陽光、空気、水は人類生存の三大要件であり、用水するときにはその本源の重要さを忘れてはならない”という意味が込められています。

このあと、バスは一路青森県の十二湖を目指す。そこからあきた白神まで五能線に乗車するのだ。

 

近所を散歩

『秋田&青森への1泊の旅』が続いているので、ちょっと気分転換に近所を散歩した様子を取り上げてみる。例によって例のごとくお散歩レンズだったので、今一つの映り方だった。

中根で
花が目立った
花が目立った_1
花が目立った_2
花が目立った_3
花が目立った_4
花が目立った_5
花が目立った_6
岡田家の長屋門
岡田家はかつての我が家の地主でもあった。日本でも有数の資産家だろう。この門を撮っている辺りに、割腹自殺した有名作家が住んでいたことがあった。
岡田家の長屋門

緑が丘で
急勾配
緑が丘はかつて国松(現在亀屋万年堂社長)や野村(野球評論家)などが住んでいた高級住宅地。だが、傾斜が急な土地もたくさんある。老人には厳しい坂道かもしれない。
急勾配_1
急勾配_2
急勾配_3
3本の巨木
この3本の巨木を伐採しなかったんだ。この3本の木のためにいったい年額いくらほどの固定資産税を払っているのだろうか。住宅地なのでめちゃ高ではないものの、地方在住の人が仰天するほどの額だろう。気が遠くなりそうな贅沢だ。
3本の巨木
『永楽』
『永楽』
『繻子重』
『繻子重』

自由が丘で
1丁目1番地
何処にでもあるだろう1丁目1番地。でも、ちょっぴり羨望の的かな?緑が丘が終わり、ここから自由が丘になるようだ。
1丁目1番地_1
1丁目1番地_2
はらドーナッツ
結構な繁盛店らしい
はらドーナッツ_1
はらドーナッツ_2
自由が丘駅脇の踏切
大井町線がかなり踏切を遮断することが多いので、いつも人で溢れかえっている
自由が丘駅脇の踏切_1
渡りきらないうちにまた警報がなった
自由が丘駅脇の踏切_2
その踏切の隣の傘の専門店
軽くてカバンの中で場所を取らない傘を買い求めた。結構な品質のものがリーズナブルな価格で提供されている。女子店員を見たくて通うわけではないが、時々買うことがある。
その踏切の隣の傘の専門店
その先
ちょっと裏通りなのだが、人出が多い。平日なのに。
その先
私の好きな一角
私の好きな一角_1
私の好きな一角_2
ガード下
落書きされないように先手を打ったのかな
ガード下_1
ガード下_2
自由が丘駅
小さなロータリーがある
自由が丘駅
いろいろなお店がある
いろいろなお店がある_1
いろいろなお店がある_2
いろいろなお店がある_3
いろいろなお店がある_4

撮りたいと思ったところには迷子になってしまって行けずじまいだった。奥まったところはどうも苦手だ。

 

秋田&青森への1泊の旅(8)

田沢湖高原からその先の乳頭乳頭温泉郷に向かい、立ち寄り湯を楽しむ。それにしても大丈夫かなと思うほど、激しい降雪になってきた。この日は、その後、田沢湖高原に戻り、ホテルに入るスケジュール。

車窓から見た様子
雪が激しく降り、積雪量も角館とは桁違いに多くなってきていた。明日は、田沢湖に寄り、その後、大移動して青森の十二湖から秋田白神まで五能線に乗る予定だが、大丈夫なのか、かなり不安になった。
車窓から見た様子_1
車窓から見た様子_2
休暇村乳頭温泉郷にて
乳頭温泉郷に行ったからには、鶴の湯に行きたかった。まあ、格安の旅行ではわがままも言えないところだ。休暇村の立ち寄り湯を楽しんだ。まさか浴室内を撮るわけにもいかない。建物の周囲のみを撮った。泉質は、単純硫黄泉・ナトリウム炭酸水素塩泉だそうだ。40分ほど湯船に浸かった。
周囲は若いブナの木が多いということだった。青空が臨めれば、相当に美しい光景が期待できるのだろうが、…。
休暇村乳頭温泉郷にて_1
休暇村乳頭温泉郷にて_2
休暇村乳頭温泉郷にて_3
鶴の湯(PDF画像を借用)
県道の「鶴の湯入口」バス停より数km分け入った場所にあり、他の宿とは距離があるそうだ。団体の立ち寄り湯には適さないのだろう。
鶴の湯(PDF画像を借用)_1
鶴の湯(PDF画像を借用)_2
乳頭山(PDF画像を借用)
乳頭温泉郷の北東に乳房のような山容を見せているそうだ。雪でまったく見えなかった。
乳頭山(PDF画像を借用)
田沢湖高原のホテルにて
ほんの少しだけ降りて、ホテル到着。近いだけあって、雪の様子はほぼ同じくらい。明日の様子が気になった。
部屋から見たホテルの裏庭
部屋から見たホテルの裏庭
夕食は期待していなかった。豪勢なものは出なかったが、予想外に内容が良かった。
夕食_1
夕食_2
夕食_3
夕食_4
夕食_5
夕食_6
夕食_7
夕食_8
夕食_9
夕食_10
夕食_11

このあとは、温泉にゆっくり浸かり、長い夜を過ごした。WIFIの設備がないと退屈だけれども、その分、のんびりできたかもしれない。

 

秋田&青森への1泊の旅(7)

角館(6)
石黒家(2)
青柳家は明治時代になってから地主として財を成したが、こちら石黒家も同様。石黒家は藩の勘定役や財用役などの財政を担当した家柄であり、財テクのノウハウがあったのだろう。皆、逞しく、時代の変遷を乗り切ったのだろう。
通路に置かれてあった箱ソリ
雪の多いこの地ではこういうものが運搬具として最適だったのだろう
通路に置かれてあった箱ソリ
大きな展示スペースになっていた
何故か動画撮影禁止。何故なんだろうか?
大きな展示スペースになっていた_1
この模様は青柳家から見えていた蔵の模様だ
凄いガッシリした蔵。重要品が収蔵されてあるのだろう。この内鍵は我が家の蔵にもあった。懐かしいなあ。
大きな展示スペースになっていた_2
外から見るとこんなふう。実に立派だ。明治になっても没落しなかったんだ。
大きな展示スペースになっていた_3
野菜貯蔵庫
ただこんなものだが、十分保管庫の役目を果たしたのだろう
大きな展示スペースになっていた_4
その背後には、箱ソリ、炭入れと火鉢、わら製品が並んで飾ってあった
大きな展示スペースになっていた_5
こちらは白壁の倉庫
おいでおいでしているので、中に入ってみる
こちらは白壁の倉庫_1
紛うかたなき石黒家のものだろう
こちらは白壁の倉庫_2
こちらは白壁の倉庫_3
こちらは白壁の倉庫_4
石黒家蔵書目録(江戸末期)と医学書本草学書の一部
薬研
石黒家蔵書目録(江戸末期)と医学書本草学書の一部_1
全体の様子
石黒家蔵書目録(江戸末期)と医学書本草学書の一部_2
解体新書の復刻版ほか
石黒家蔵書目録(江戸末期)と医学書本草学書の一部_3
石黒家蔵書目録(江戸末期)と医学書本草学書の一部_4
石黒家は代々勘定役や財用役などの財政を担当した。また、学問にも秀でた家柄で儒学・漢学のほかに医学や和算・暦学などを修めたものもいた。特に医学はいざという時の備えとして熱心に取り組んだ。解体新書をはじめ各種の医学書や本草学書などを揃えた。病状の診断・治療や薬の調合なども行っていた。角館地方ではじめて種痘を行った医師の高橋痘庵も石黒家の出身である。

 

秋田&青森への1泊の旅(6) 2017.03.15 02:37追記

角館(5)
石黒家(1)
青柳家を辞して、黒塗りの簓子塀(ささらこべい)沿いに石黒家へ向かう。簓子とは、壁板などを張るときに、羽重 (はがさね) にした下見板の押縁 (おしぶち) として、縦に打ちつける細長い木材。裏側には下見板に合わせた刻みをつけ、板に密着するようにしてある。興味のある向きは、図面などで確認していただきたい。
隣の石黒家へ向かう
程なく隣接する石黒家に到着する。現存する角館の武家屋敷の中で格式が一番高い家柄の屋敷だそうだ。
隣の石黒家へ向かう
石黒家の薬医門
青柳家と同様に薬医門が建つ。文化6年(1809年)日付の矢板がある。万延元年(1860年)の青柳家の薬医門よりもさらに古い。青柳家の黒塀は簓子塀だったが、こちらの石黒家のそれは、また、別の様式だ。
石黒家の薬医門_1
石黒家の薬医門_2
石黒家の薬医門_3
石黒家の薬医門_4
石黒家の薬医門_5
薬医門をくぐり、屋敷内部を見学する。嬉しいことに座敷に上がって、説明を受けながらの見学ができる。サービス度としては最上級のものだった。
懸魚の付いた立派な正玄関とやや小ぶりの脇玄関
直進するのではなく、看板にあるようにやや右手に行ってから屋内に入る。あとでわかったのだが、脇玄関から入ったことになる。我々の身分からすれば、そういうことになるのだ。このことは青柳家で学習済みのことだ。この屋敷自体は、薬医門よりもさらに古く、18世紀から19世紀にかけての頃と推定されているようだ。
懸魚の付いた立派な正玄関とやや小ぶりの脇玄関_1
懸魚の付いた立派な正玄関とやや小ぶりの脇玄関_2
懸魚の付いた立派な正玄関とやや小ぶりの脇玄関_3
正玄関を内側から見た様子
見るからに身分の高い人のみの通行しか許さないそういう雰囲気がある。
正玄関を内側から見た様子
雛飾り
3月3日だったので雛飾りがしてあった。有難いことに2セット飾ってあった。今年は見ることができないと覚悟していたので、思いがけず見ることができて感激した。
こちらは古今雛
江戸末期のもののようだ
古今雛_1
古今雛_2
古今雛_3
こちらは束帯雛
平安一甫作の有職雛。並んで飾ってあるのは八橋人形。
こちらは束帯雛_1
こちらは束帯雛_2
こちらは市松人形
こちらは市松人形
青松多寿色の書
『青松多寿色(せい しょう じゅしょく おおし) 』…禅語で「うつろうことのない不動の松の青さこそ、寿の色」という意味。唐の詩人・孟郊の詩の一節だそうだ。禅寺じゃなくても飾ってあったか。『素軒八十一叟』とある。81歳の痩せた老人。最晩年の北村素軒翁の書のようだ。
青松多寿色の書
欄間の意匠
亀が泳いでいるさまを描いたもの。けやきの木目が丁度波紋のように見える。そして、その透かしが反射する。
欄間の意匠_1
欄間の意匠_2
欄間の意匠_3
上品な囲炉裏のある空間
良いなあ
上品な囲炉裏のある空間
この後、明治・大正期に増改築した蔵が展示室となっているが、それを見ることにする。

石黒家(市指定史跡)
石黒家佐竹北家の用人を勤めた家柄で、家伝によると嘉永6年(1853年)に現在地に移転したとなっています。
薬医門には、文化6年(1809年)日付の矢板があり、門を入ると起り破風に懸魚のついた正玄関と脇玄関があります。母屋は萱葺で庭に築山、巨石、樅の大木、東屋があり、武士の格式を示しながら、簡素なたたずまいを呈しています。道路面にはのぞき窓を付けた黒板塀がめぐり現存する武家住宅の中でも最も古いものです。


娘の雛人形
ついでに娘の雛人形を見ていただく。桐箱にそのまましまうことができる極小サイズのもの。孫達へのものは危なくて出せないので、当面、こちらで行く。
娘の雛人形_1
娘の雛人形_2
娘の雛人形_3
娘の雛人形_4

 

秋田&青森への1泊の旅(5)

角館(4)
角館歴史村・青柳家(4)
池泉回遊式庭園
雪に隠されてしまい、その良さがよくわからなかった。雪がない季節に来ることがあったら、ぜひ確認しよう。
池泉回遊式庭園_1
池泉回遊式庭園_2
池泉回遊式庭園_3
池泉回遊式庭園_4
武家道具館
展示対象は武家の各種生活道具ほかであって、武具を展示してあるわけではない。それは、冒頭の武器蔵の方に集約されていた。青柳家が収蔵した道具が中心のようだ。この展示内容を見る限り、代々の当主たちは中々の洒落者揃いだったのかもしれない。参勤交代で江戸に上るのを楽しみにしていたのだろう。
武家道具館_1
武家道具館_2
武家道具館_3
武家道具館_4
武家道具館_5
武家道具館_6
武家道具館_7
武家道具館_8
武家道具館_9
武家道具館_10
武家道具館_11
武家道具館_12
武家道具館_13
武家道具館_14
こんなものまで展示してあった
こんなものまで展示してあった
山車
この山車も現役選手なのだろうか?表示を読んだら、現役を引退した山車だった。山車には歌舞伎の演目である『蜘蛛の拍子舞』が飾ってあった。
山車
毎年9月7~9日に行われる角館の祭典の山車も展示しております。お祭り開催中はお囃子と踊り子を乗せた18台の山車が町内を引き回され、進行の優先権をめぐり交渉が行われ、決裂すると実力で通ることになるため「やまぶっつけ」の場面になります。この時は祭りのクライマックスにふさわしく曳き手もお囃子も最高潮に達します。
青柳神社まであった
青柳神社まであった_1
青柳神社まであった_2
青柳神社まであった_3

これは文庫蔵かな?
これは文庫蔵かな?
母屋のメイン部分は何やら補修中
母屋のメイン部分は何やら補修中
最後の最後に見応えのある部分が少しだけ見えた
明治の世になって、地主として活躍できたようだ。生活ぶりが向上した稀有な例だったのかもしれない。
最後の最後に見応えのある部分が少しだけ見えた_1
最後の最後に見応えのある部分が少しだけ見えた_2
最後の最後に見応えのある部分が少しだけ見えた_3
最後の最後に見応えのある部分が少しだけ見えた_4

 

秋田&青森への1泊の旅(4)

角館(3)
角館歴史村・青柳家(3)
解体新書記念館
受付の人が何やら謝っていたが、気が急いていた所為か、あまり良く聞き取れなかったし、確認もしなかった。どうやら冬季休業の施設がいくつかあるということだったようだ。其の内に解体新書記念館に入館できないということもあったらしい。展示施設の一部を見ることができないのであれば、その対価を割り引くべきであろう。こちらは、時間に追われていたので、端から見る時間を割けなかったかもしれないが。
解体新書の挿絵を描いたのは、秋田蘭画の小田野直武だった。この関連の展示がなされているはずなのだが、閉まっていて見ることができなかった。青柳家と小田野直武は姻戚関係にあり、何度も互いの家の間で養子縁組みや婚姻関係を結んでいたそうだ。青柳家と関係の深い小田野直武と『解体新書』に於ける彼の業績を顕示するには最適の施設なのだろう。
解体新書記念館
小田野直武の胸像
彼の作品(PDF画像を借用)
江戸時代にあっても蘭画を描くことができる洋才を身に着けていたんだ。それも角館にいながら。う~~ん。
小田野直武の作品(PDF画像を借用)_1
小田野直武の作品(PDF画像を借用)_2
小田野直武の作品(PDF画像を借用)_3

隣接する石黒家の蔵かなあ?
隣接する石黒家の蔵かなあ?_1
隣接する石黒家の蔵かなあ?_2

秋田郷土館
雪国ならではの頑丈な造りの旧家を移築したようだ。青柳家とは無関係の展示用施設。興味があってじっくり見入ってしまった。これがために、他を見る時間がなくなってしまった。
秋田郷土館_1
秋田郷土館_2
山葡萄と胡桃の皮細工は端から素晴らしいものと認めていたが、値段も素晴らしい。こういうものがお好きだろうフランス人なら奮発するところかもしれない。財布が軽い私めは、敢えて見ないことに決めた。イタヤ細工も右に倣った。肝っ玉が小さいなあ。(^_^;)
秋田郷土館_3
秋田郷土館_4
この衣装は豪華だけど、派手だなあ。買い求めたとしても着用するのはちょっと気恥ずかしいかも。
秋田郷土館_5
秋田郷土館_6
こちらは綿入りの袢天だろうか?青柳家に伝わる来客用のもの。超高級品と見た。
秋田郷土館_7
こんな美人画も飾ってあった
秋田郷土館_8
商蔵の展示即売コーナーかな
秋田郷土館_9
秋田郷土館_10
秋田郷土館_11
秋田郷土館_12
秋田郷土館_13
秋田郷土館_14
秋田郷土館_15
秋田郷土館_16
こちらは、雰囲気がガラリと変わったコーナー。明治以降のコレクションだ。
秋田郷土館_17
秋田郷土館_18

 

秋田&青森への1泊の旅(3)

角館(2)
角館歴史村・青柳家(2)
今回は武器蔵を取り上げる。此処は、以前は米蔵だった蔵だろうか?武器蔵などというものが、お城の外に存在するものとは思えない。角館歴史村の展示のために再利用したのではなかろうか?
武器蔵
我が家にも私の祖父が相続した刀が一振りある。逆算すれば、祖父の実家には何本かの刀があったのだろう。でも、火縄銃はあったとは聞かない。青柳家のものかどうかも知らないが、藩として所有したものではなかったのかと思う。
日本刀は手にしてみればお分かりになると思うが、相当に重量感のあるものだ。私の中には重みで断ち切るイメージがあるが、実際はどうなんだろうか?
武器蔵_1
武器蔵_2
武器蔵_3
江戸中期の『色々威袖側二枚胴具足』のようだ
武器蔵_4
武器蔵_5
武器蔵_6
この一角に展示してあるものだけは間違いなく青柳家のものらしい。説明書きに『青柳家が甲府で武田の武器づくりをしていたとき、…』という記載があった。五輪塔の旗印は鎌倉時代のものだとか。
武器蔵_7
武器蔵_8
武器蔵_9
武器蔵_10
これが一番のお値打ち品なのかな?銘天野河内助藤原高真作で、秋田県指定有形文化財だ。
武器蔵_11
武器蔵_12
試しに触ることができるようにしてあったんだ。何故、アクリルケースに入れてあったのか、不思議に思っていたが、理由がわかった。表示をよく見ていない失敗だった。
武器蔵_13
武器蔵_14
武器蔵_15

先を急ぐばかりに見落としてしまった安藤醸造元(PDF画像借用)
安藤醸造元

 

秋田&青森への1泊の旅(2)

角館(1)
角館町は、2005年9月に田沢湖町、西木村と合併し、仙北市となった。仙北市角館町として合併後も地名が残っている。人気の観光地だ。『思えば遠くに来たもんだ』というドラマの舞台に最適の土地柄だったのかもしれない。
駐車場からメインの通りに向かう
このときは雪がないなあと思った。そう見えただけだったのだが。
駐車場からメインの通りに向かう_1
よく見ると、それなりに雪が降っていたようだ
駐車場からメインの通りに向かう_2
周辺地図
周辺地図
角館樺細工伝承館
後で見に入りたいと思っていたが、時間切れで断念せざるを得なかった。返す返すも残念でならない。「茶筒」などの製作工程を見てみたかったのだが、…。
角館樺細工伝承館
メインの通り
枝垂れ桜の細枝が目立つが、まだ蕾もつけていない感じだった。私が人払いしたわけではないが、人通りはまばら。天気雨ならぬ天気雪の状態だった。
メインの通り_1
メインの通り_2
メインの通り_3
メインの通り_4
他の季節はこんなふう(PDF画像借用)
春の景観
秋の景観
冬の景観
角館歴史村・青柳家(1)
薬医門を一歩潜ると、まだまだ雪が相当に残っている。この土地で生きていくのは大変だったのだろうなと素直にそう思った。
施設マップ
施設マップ
薬医門
藩への功績が認められた上級武士にのみ、特別に設置が許された薬医門。立派なものだ。道路面にはのぞき窓を付けた黒塗りのささら子塀がめぐらされている。
薬医門_1
薬医門_2
薬医門_3
薬医門_4
青柳家の母屋
正玄関かな。身分の高い訪問客しか此処を通ることはできなかったのだろう。この部分は覗くだけ。ここから右側の部分が武家屋敷としては重要部分だろうが、そこが見ることができないのは残念。そちらは石黒家の方に期待することにする。
青柳家の母屋_1
こちら(脇玄関)から入る
私がこの玄関を通るのは、身分相応かもしれない。見えている箇所は居間に相当する部分かな。これを通路から見るだけ。見える部分には囲炉裏は無し。かまどの暖気が熱源にはなるだろうが、雪深い土地ではかなり寒かったのではなかろうか?
青柳家の母屋_2
青柳家の母屋_3
青柳家の母屋_4
青柳家の母屋_5
『せめてこの先をチラとでも』などと思ったが、…。もしかしたら、開けて入っていけたのかもしれない。う~~ん。
青柳家の母屋_6
青柳家の母屋_7
青柳家の母屋_8
青柳家の母屋_9

母屋と続いている武器蔵は次回に取り上げる。

青柳家(県指定史跡)
青柳家青柳家は芦名氏普代の侍でしたが、芦名氏断絶後佐竹北家の組下となりました。
道路に面して「のぞき窓」のついた黒塗りのささら子塀がめぐり、万延元年(1860年)大工棟梁柴田岩太郎銘の矢板にある薬医門があります。門から入って北側に井戸屋形、米蔵等があり、それに近く正玄関、その北側に脇玄関があり客の格式・身分によりその使用を分けました。武家屋敷の建築様式を今につたえるこの家屋は寄棟萱葺屋根の母屋、薬医門、蔵、塀など全体として非常によくまとまっています。

 

秋田&青森への1泊の旅(1)

オフシーズンの格安ツアーにまたも参加した。今回は主に秋田県内を回り、五能線に乗る関係から少し青森県にも入る、そういう旅だ。覚悟はしていたが、雪が相当残っていた。
まずは秋田県に向かう
ANA機内で
往路はANA機で復路はJAL機だった。今回は復路のJAL機のほうが良かった。WIFI接続サービスなしのANA機と離着陸の各5分を除き、ずっとWIFI接続サービスが利用可能なJAL機とでは、大きなサービスレベルの差があったように思った。そのことはさておき、往路は窓側の席だったので、夢中になって外を見ていた。
此処だけは何処だかわかる
レインボーブリッジの上空から旋回して目的地方向に向かうんだな。東京上空は快晴とはいえないまでも晴れだった。
此処だけは何処だかわかる_1
昔の勤め先の社屋もかろうじて見えた
此処だけは何処だかわかる_2
此処だけは何処だかわかる_3
此処だけは何処だかわかる_4
荒川と葛西臨海公園と旧江戸川との上空だな
此処だけは何処だかわかる_5
後方には富士山が薄っすらと。群を抜いて高い山であると改めて実感させられる。
此処だけは何処だかわかる_6
此処だけは何処だかわかる_7
まだ、東京湾の湾奥部が見えている
此処だけは何処だかわかる_8
少し経つと真っ白い世界へ
何処の上空だろう?山形あたりかなあ。
少し経つと真っ白い世界へ_1
少し経つと真っ白い世界へ_2
少し経つと真っ白い世界へ_3
少し経つと真っ白い世界へ_4
あっという間に秋田空港に到着
寒そうな景観が見える。身体を冷やさないようにしなくっちゃ。
ほっと一安心
到着地の気温は2度、天候は雪とのアナウンスがあった。やっぱり寒いんだ。空港内の残雪量も半端じゃない。コース・アウトでもしたら大変なことになりかねないぞ。
ほっと一安心_0
ほっと一安心_1
ほっと一安心_2
ほっと一安心_3
ほっと一安心_4
ほっと一安心_5
ほっと一安心_6
空港内にはこんな展示が
空港内にはこんな展示が_1
空港内にはこんな展示が_2
羽後交通のバスで、まずは角館へ向かう
確かに相当寒いぞ
羽後交通のバスで、まずは角館へ向かう

 

恵比寿・代官山を歩く(5)

旧朝倉家住宅(4)

杉の間(表)などに通じる通路
途中まで板張りのままで、途中から畳敷きにしている理由は何だろうか?
杉の間(表)などに通じる通路_1
もしかしたら、中庭を愛でるようなことをするために畳を敷いたのだろうか?左が杉の間(奥)。右が中庭。
杉の間(表)などに通じる通路_2
そこから見た中庭
なかなか渋い良い庭だ
そこから見た中庭
杉の間(表)と杉の間(奥)
杉の間(表)と杉の間(奥)_1
杉の間(表)と杉の間(奥)_2
杉の間(表)
雨戸が開け放たれてあると素晴らしい景観なのに、実にもったいない。日射しで室内が傷むからだろうか?実は軒下の感じも素晴らしいのだが、…。
杉の間(表)
杉の間(奥)
杉の間(奥)
茶室(非公開)
茶室(非公開)
円窓の部屋(非公開)
円窓の部屋(非公開)
土蔵(非公開)
土蔵(非公開)
仏間・中の間・寝間への通路
仏間・中の間・寝間への通路
仏間・中の間・寝間
現在は会議室になってしまっている。まったくもって、つまらない。できれば以前に状況に復原してほしいものだ。そこから見た表庭はきれいだが。
仏間・中の間・寝間
事務室
昔はこんなところで事務をとっていたのか。足が痺れてしまいそうだ。
事務室
洋間
洋間に慣れた身には、何の変哲もなさそうに見えるかもしれない。だが、格天井など、相当にお金をかけた部屋だと思う。
洋間_1
洋間_2
洋間_3

 

昨日は結婚記念日

実に42回目(満41年)の結婚記念日。何とかここまでやってこれた。会議が入っていて夜の都合がつかないので、昼に2人きりでささやかにイタリアンを楽しんだ。
この店の前菜はかなりイケる。以前は、本場そのもののちょっと薄汚れた店で、頑固一徹の親父さんが切り盛りしていた。代替わりしたのか、小綺麗な店になり、若い人の調理に関しての感性もあってか、なかなか繁盛しているようだ。
われら夫婦が目指すは、金婚式だ。今の状態だと迎えられそうな気がするが、果たしてどうだろうか?
結婚記念日のランチ_1
結婚記念日のランチ_2
結婚記念日のランチ_3
鯖の南蛮漬け風が美味しかった
結婚記念日のランチ_4
黒いシュー生地のものが美味しかった
結婚記念日のランチ_5
結婚記念日のランチ_6
結婚記念日のランチ_7
妻が注文したパスタ
結婚記念日のランチ_8
私が注文したパスタ
結婚記念日のランチ_9
結婚記念日のランチ_10
結婚記念日のランチ_11
結婚記念日のランチ_12
結婚記念日のランチ_13
結婚記念日のランチ_14

 

恵比寿・代官山を歩く(4)

旧朝倉家住宅(3)
中庭に面した通路
廊下がある暮らしって良いなあ。中々こうした贅沢はできなくなりつつあるが。
中庭に面した通路_1
振り返るとこんなふう
中庭に面した通路_2
中庭
中庭_1
中庭_2
表庭と角の杉の間とに挟まれた通路
表庭と角の杉の間とに挟まれた通路
その通路から見た表庭
その通路から見た表庭_1
その通路から見た表庭_3
その通路から見た表庭_4
その通路から見た表庭_5
角の杉の間
角の杉の間_1
角の杉の間_2
角の杉の間_3
角の杉の間_4
角の杉の間_5
杉の間(表)と角の杉の間とをつなぐ出入り口
杉の間(表)に主人と客とは杉の間(奥)からアクセスするはずだ。してみると、接待要員の通路かな?
杉の間(表)と角の杉の間とをつなぐ出入り口

 

恵比寿・代官山を歩く(3)

旧朝倉家住宅(2)
順路案内に従って、二階を見学する。色々記述したのは、私の想像にすぎない。公式に用途等を確認したものではないので、予めその旨を断っておく。
二階広間前の通路
ガラス戸の外側には板が富士山の形に切ってある。粋な飾りだ。その昔はここから富士山が見えたと言う。見えなかったときのお慰みだったのだろうか?
二階広間前の通路
二階広間
手前が12畳半の広さで、奥が15畳だそうだ。その豪華さには本当に驚かされる。会合に寄っては、仕切りを外して、奥の通路に置くようなこともしたのだろう。其れこそ大宴会場でもあったようだ。
二階広間_1
二階広間_2
二階広間_3
二階広間_4
二階広間_5
二階広間_6
通路からの眺め
崖線を利用した庭なので半分ほどしか見えないが、それでも素敵な庭だ。樹木が育ってしまって目隠しをしているのか、現在の展望はそれほど良くはないようだ。もはや富士山は見えないのかなあ?
通路からの眺め_1
通路からの眺め_2
角の杉の間の屋根部分
あの屋根の下にこの家屋の一番お金をかけた一連の部屋があるんだ。本当に複雑な間取りの家屋だ。あの懸魚は一体何をデザインしたものだろうか?
角の杉の間の屋根部分
二階来客用トイレ
だったのだろう。広間なので、祝初は原則として無く、それがためにトイレのみになっているのだろう。
二階来客用トイレ
階下へ通じる階段
階段が2つも用意されていたんだ。おそらくこちらは、料理を運んだりするのに使用した内向きに使用された階段ではなかっただろうか?
IMG_4550_R.jpg


 

恵比寿・代官山を歩く(2)

旧朝倉家住宅(1)
大正時代の建物ながら国指定の重要文化財の建物。またもや来てしまった。
門をくぐり母屋に達するまでのアプローチ部分
門をくぐり母屋に達するまでのアプローチ部分_1
超変型の間取りなので、妻と言って差し支えないのか微妙だが、玄関部分の妻と2階部分の妻とが、微妙に中心線をずらして建てられている。粋な建物というべきものなのだろうか?
門をくぐり母屋に達するまでのアプローチ部分_2
門をくぐり母屋に達するまでのアプローチ部分_3
門をくぐり母屋に達するまでのアプローチ部分_4
アクセスマップと見取り図
この住宅まではこんな感じにアクセスになる
アクセスマップ
間取りは非常に複雑。簡単には説明できないので図面を予め見ていただきたい。
見学順路
応接間前の通路
欄間の飾りが気になる。廊下にも畳が敷かれてある。籐の簀子が敷かれたものとどっちが好みだろうか?
応接間前の通路
杉戸絵
名のある寺院か御殿かと思ってしまうようなものがあるんだ
杉戸絵
木製のレール
鉄製のレールではないことがお分かりいただけるだろうか?このお屋敷以外ではお目にかかったことがない代物だ。
木製のレール
来客用手洗いとトイレ
我々用ではない。此処で用を足してはいけない。
来客用手洗いとトイレ
これも応接間前の通路
実に三方に通路がある。快晴の日だったのに、雨戸が明けられていなかった。日差しが入りすぎるからだろうか?畳敷きではなかった。
これも応接間前の通路
応接間
実に美しい部屋だ。12畳半の広さがあるのだそうだ。
応接間
気になっていた欄間の模様
気になっていた欄間の模様
三方目の通路からの眺め
三方目の通路からの眺め
順路に従い2階へ上がる
順路に従い2階へ上がる
杉戸絵
2階広間裏の非公開部分に無造作に置かれてあった。差し替え用の予備なのだろうか?この非公開の通路は、おそらく見学用通路が複雑になるのを避けるべく、非公開にしてあるのだろうが、実にもったいない。
杉戸絵_1
杉戸絵_2
杉戸絵_3
2階広間に向かう通路
2階広間に向かう通路
階段を上がったすぐのところにある和室
階段を上がったすぐのところにある和室

旧朝倉家住宅は、渋谷区猿楽町、台地が目黒川の谷に落ち込む南西斜面に、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎によって、1919年(大正8年)に建てられた。大正期の和風2階建て住宅の趣のある建物と回遊式庭園を見ることができる。現在の所有者は文部科学省である。
当住宅は、大正期に建てられた大規模な邸宅であり、東京都心部に所在する数少ない関東大震災以前の和風住宅である。建物は、主屋が敷地北側にあり、土蔵が西側に、車庫等の附属屋が東側にある配置となっている。主屋の外装材は、屋根が瓦葺き、外壁は下見板張り、部分的に漆喰塗りである。屋内は、床が殆どが畳敷と、接客と家族のための座敷が統一されているが、茶室等の機能の違う部屋の意匠には特徴がある。
主屋は敷地北寄りの中央に位置し、複雑な平面構成をもつ。主屋の主体部は南北棟・1階建の部分と、その西に接続する東西棟・2階建の部分からなる。1階建部分は東面中央に玄関が突出し、これを入ると左手(南)に12畳半の応接室、右手(北)に洋室がある。その西に接続する2階建部分は、1階に南北2列(各3室)、計6室の居室を設けていた。ただし、南列の3室は現在は間仕切りを廃して広い1室となっている。2階は西に15畳の座敷、東に12畳半の次の間があり、その東には廊下を挟んで茶室と水屋を設ける。15畳の座敷は床(とこ)、棚、付書院の座敷飾りを備え、天井は格天井とした格式の高い部屋である。主体部の南西側には「杉の間」と称する座敷部が接続する。主体部の西、座敷部の北には廊下で囲まれた中庭を設け、中庭の西には別棟の土蔵が建つ。「杉の間」は3室からなり、化粧材に杉材を用いている。その北西に接して茶室を設け、茶室の北の小室は大きな円窓を設けることから円窓の間という。円窓の間の北に接して先述の土蔵が建つ。このほか、主体部の北側に内玄関と台所、中庭の北側に家族室がそれぞれ突出する。

 

恵比寿・代官山を歩く(1)

昨日3日早朝から本日4日深夜まで、秋田県への一泊旅行中です。この間の私からのアクセスはできません。m(_ _)m
恵比寿界隈
星の交差点
という愛称があるのは知っている。確か五叉路だったかと。正式名称はなんというのかなあ。日曜日の朝の通行量はこんなものかな?
星の交差点
すぐ近くのガード下
せっかく古くから存在しているガードなのに、汚いいたずら書きがされている。もう少し美的センスがないものだろうか?
すぐ近くのガード下
いつものヘンテコリンなビル
いつものヘンテコリンなビル
ビルの中にビルが
立つ位置で違うビルが写って見える。当たり前かな。
ビルの中にビルが_1
ビルの中にビルが_2
ここが渋谷橋
恵比寿橋じゃないんだ。ついでに流れている川も渋谷川だ。
ここが渋谷橋_1
ここが渋谷橋_2
ここが渋谷橋_3
渋谷橋交差点
明治通りと駒沢通りとが交差する。普段はものすごい交通量なのだが、…。
渋谷橋交差点_1
渋谷橋交差点_2
天ぷら屋さん
ワバルという店。『和BAR』という意味合いのネーミングなんだろう。洋風天ぷら屋さんかな。
天ぷら屋さん
代官山へ向かう
『えびす海岸』
かなり目立つビル。目立つ4輪駆動車までいたぞ。
『えびす海岸』
こっちも負けていない
こっちも負けていない
ちょっと風変わりなフォルムだね
ちょっと風変わりなフォルムだね_1
ちょっと風変わりなフォルムだね_2

 

カメラとレンズとを変えて試す(4)

本日3日早朝から明日4日深夜まで、秋田県への一泊旅行中です。この間の私からのアクセスはできません。m(_ _)m

望遠端の辺りの解像に物足りなさを覚え、再び、キャノンのセットに切り替えて挑戦。手ブレ防止装置なしの単焦点400ミリ。時々、1.4倍の純正テレコンバーターを装着する。単焦点なので、望遠端の解像力がひどいというようなことはないのだが、…。手ブレ防止をしないように自分で注意しながらフレーミングの勘を掴めば、そこそこ使えるように思う。
2月20日月曜日撮影。『春二番』という感じの強風の日だった。
買えるかどうかわからないが、シグマがコンパクトな100-400ミリのレンズを発売するようだ。いち早く買う人が出るだろう。その人たちの反応を注目している。話が前後して恐縮だが、私も気になってCP+の会場に試しに行ったほどだ。

区境の公園で
もうそろそろ冬鳥がいなくなってしまう。その前に何か今まで見られなかった鳥さんが居ないか見に行った。最後の最後に予想外の鳥さんがいた。
ツグミ
いつも姿を見せてくれる。有難い鳥さんだ。
ツグミ_1
ツグミ_3
ツグミ_5
アトリ
アトリは穀物やそれに類したものが好きなようだ。せっせせっせと食べ物を探して食べていた。鳩やムクドリと行動をともにしているのかと思ってみていたが、たまたまだったようだ。自分たちだけでも行動するようだ。私の腕前がまずくて、こんなふうな顔つきに撮れてしまうのかと思っていたが、他の方の写真でも同じような顔つきだった。ちょっとおもしろい感じの顔なんだ。
冬鳥として秋にシベリア方面から渡来するが、日本海を渡って山形県、富山県等に飛来し、それから各地に散らばるそうだ。都区内にも相当数が来ている感じだ。

アトリ_1
アトリ_2
アトリ_3
アトリ_4
アトリ_5
アトリ_6
アトリ_7
アトリ_8
アトリ_9
アトリ_10
アトリ_11
アトリ_12
インコ
ワカケホンセイインコらしい。ペットが逃げ出したのか、捨てられたのかわからないが、野生化しているようだ。
ワカケホンセイインコ_1
ワカケホンセイインコ_2
ワカケホンセイインコ_3

おまけ
別の日(2月15日)に、別の場所で撮ったもの
セツブンソウ
前回往訪時には、あまりに小さく見落としてしまった。節分過ぎても見られないとは、…。花期が終わってしまうとばかりに、焦って、もう一度撮りに行った。
セツブンソウ_1
セツブンソウ_2
セツブンソウ_3
ユキワリイチゲ
本当に雪を割って咲くのか疑問に思うほど、ちょっと弱々しい感じの花さんだ。でも綺麗な花さんだ。
ユキワリイチゲ_1
ユキワリイチゲ_2
ユキワリイチゲ_3
福寿草
もうおしまいかな?
福寿草

以上で『カメラとレンズとを変えて試す』のミニシリーズは終了です。最後までご覧いただき有難うございました。

 

カメラとレンズとを変えて試す(3)

新宿御苑で(2)
春一番が吹き荒れた日の続き。小型軽量のメジロさんは、強風でご受難の一日だったようだ。
野鳥
メジロ
少しは撮れたが、あまりにも風が強すぎた。つかまっている梅や桜の枝が大揺れで、メジロさんも辛抱できず何十羽となく隣のしっかりした樹木に飛ばされていった。
桜の木に群がるメジロさん。どうやってまだ吸っていない蜜を調べるのだろうか?僅かな香りからなのかなあ。
メジロ_1
メジロ_2
メジロ_3
メジロ_4
メジロ_5
メジロ_6
メジロ_7
メジロ_8
メジロ_9
メジロ_10
メジロ_11
メジロ_12
メジロ_13
メジロ_14
メジロ_15
メジロ_16
メジロ_17
メジロ_18
メジロ_19
メジロ_20
こちらもいっぱいカメラマンが居るなあ
メジロ_25
ツグミ
ある程度大きいし、堪え性もあるので、ありがたい存在。でも、微妙にピントを外すレンズだなあ。
ツグミ_1
シジュウカラ
案外用心深いようだ。撮れなくはないものの、そーっと近づこうとしても、一定距離以内に近づくと、慌てて飛び去ってしまう。焦点距離が長いレンズでないと難しいのかなあ。望遠端の解像に難があるように思う。
シジュウカラ_1
シジュウカラ_2
シジュウカラ_3
シジュウカラ_4
シジュウカラ_5
シジュウカラ_6
樹木
ラクウショウ(落羽松)の呼吸根(気根)
にょきにょきとそこらじゅうに伸びている。非常に不思議な光景に思えた。
ラクウショウ(落羽松)の呼吸根(気根)_1
ラクウショウ(落羽松)の呼吸根(気根)_2
梅は満開かな
梅は満開かな
建物
旧洋館御休所
国指定の重要文化財だ。御休所と衛所とではいた人が違う。こちらが相応の指定を受けるのは当然かな。
旧洋館御休所
旧新宿門衛所
旧新宿門衛所_1
旧新宿門衛所_2
旧大木戸門衛所
旧大木戸門衛所

 

« »

03 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
メッセージボードα
Information from AzTak

7月3日(月)夜-6日(木)朝は、弘前市に個人旅行中のため、私からのアクセスは遅れます。大変申し訳ありません。m(_ _)m

-- E N D --
.
.
プロフィール

AzTak

Author:AzTak
FC2ブログへようこそ!

定年後の時間たっぷりの輩です。写真撮影やプログラミングが趣味です。

当ブログは、リンクフリーです。

最新コメント
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
QRコード
QR