散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

CP+2017(4)

キャノンのブース(3)
前川貴行氏(2)
印象に残ったのは、カメラを入手したら手持ちのレンズのピント位置のアジャストメントを速やかに行うこと、ということ。単に目に焦点をあわせるのではなく、目のどこに焦点を合わせるかまでこだわる人たちの身をもって体験したノウハウなのだろう。
カツオドリを断崖絶壁に寝転んで乗り出すようにして撮ったようだ。撮影場所はカナダだったかな。
前川貴行氏(2)_1
前川貴行氏(2)_2
前川貴行氏(2)_3
前川貴行氏(2)_4
前川貴行氏(2)_5
前川貴行氏(2)_6
前川貴行氏(2)_7
前川貴行氏(2)_8
こんなの撮っていて、命の保証はあるのかと他人事ながら心配になる
前川貴行氏(2)_9
これは非常に珍しいショット。樹木で背中の痒みを掻いているシーンだとか。見かけたので、数時間待って撮ったとか。
前川貴行氏(2)_10
前川貴行氏(2)_11
あれまあ、怖くないのだろうか?
前川貴行氏(2)_12
前川貴行氏(2)_13
前川貴行氏(2)_14
前川貴行氏(2)_15
固唾をのむド迫力
前川貴行氏(2)_16
前川貴行氏(2)_17
訥々と話す前川氏。だが、圧倒的な迫力は客の心を掴んで放さなかったようだ。
前川貴行氏(2)_18
前川貴行氏(2)_19

モデルさんを撮影
7D2で撮影したもの
平凡な写り。お散歩レンズではどうしようもない。
モデルさんを撮影_7D2で撮影したもの_1
モデルさんを撮影_7D2で撮影したもの_2
モデルさんを撮影_7D2で撮影したもの_3
Kiss X9iで撮影したもの
わが愛機は、Kiss X9iに負けてしまいそうだ。レンズは、EF-S24MM f/2.8 STMだ。レンズの所為にしておこう。
モデルさんを撮影_Kiss X9iで撮影したもの_1
モデルさんを撮影_Kiss X9iで撮影したもの_2

お姉さんの写真
速写ストラップのデモだったのかな?BLACKRAPIDという商品かな?お姉さんに見とれていて、商品名をしっかり見なかった。(^_^;)
お姉さんの写真_1
お姉さんの写真_2
お姉さんの写真_3

 

CP+2017(3)

キャノンのブース(2)
同じくセンターステージのプレゼンテーションを楽しんだ。今回は、一転して野生動物撮影の世界。一番興味があるテーマだった。
前川貴行氏(1)
『EOS-1D X Mark IIとEOS 5D Mark IVで拡がる、野生動物撮影の世界』
前川貴行氏は独学で写真の勉強を始めた方とか。それでも一流のプロの域にまで上り詰めることはできるんだ。相当の資質と努力とがあったのだろう。なお、写真がはっきり撮れていないのは、私のレンズと腕前によるもの。スクリーンに映し出された写真は素晴らしいものばかりだったのは、予め断っておく。前半は1DX2の作品例で、後半は5D4の作品例だったが、その区分がどこからだったか、忘れてしまった。私の印象は、5D4も1DX2に負けていないということだった。前川氏によれば、極めて速いタイミングで撮らねばならないときやハードな撮影続きのときなど、ここ一番ということで1DX2を使うが、普段使いには、あまり遜色のない5D4もいいと思うという話しぶりだった。
そこのところは、プロじゃないので、聞き流した。買うだけのお金がないし、腕もない。

前川貴行氏(1)_1
前川貴行氏(1)_2
前川貴行氏(1)_3
前川貴行氏(1)_4
前川貴行氏(1)_5
先程よりは見やすい位置をゲットした。若いオスの狼。狼を撮ることができる機会は、プロであってもそう多くはないらしい。若いオスだったので、少しガードが甘かったのかもしれないようなことを言っていた。
前川貴行氏(1)_6
前川貴行氏(1)_7
この写真は全体を説明すべく撮ったようだ。その上右部の断崖の上に、白いものがかすかに見える。そこに写っていた動物が居たという高精細度をPRするショット。
前川貴行氏(1)_8
前川貴行氏(1)_9
相当条件の厳しいところでの撮影だったとか
前川貴行氏(1)_10
前川貴行氏(1)_11
動物の写真だと横長構図が圧倒的だが、場合によっては縦長構図が有効なこともあるという例
前川貴行氏(1)_12
画の迫力に圧倒され、何の説明だったか忘れてしまった
前川貴行氏(1)_13
前川貴行氏(1)_14
写真で見ればおとなしい被写体のように見えるが、2度3度といきり立った個体に迫られたとか。防護柵などない状況だろうから、命がけの撮影だったようだ。
前川貴行氏(1)_15
前川貴行氏(1)_16
動物園じゃあるまいし、命がけの撮影なのだろう。その分、迫力十分。
前川貴行氏(1)_17
前川貴行氏(1)_18
前川貴行氏(1)_19
狼とグリズリーとのテリトリー争いのときの狼を撮したものだとか。かなり厳しい表情だ。
前川貴行氏(1)_20
前川貴行氏(1)_21

 

CP+2017(2)

シグマのブース
地味なブースなんだなあ。交換レンズメーカーだとこういうものなのだろうか?でも、ここには発表したばかりでホッカホカの100-400ミリがあった。当然触らせてもらった。キャノンやニコンのマウントがあるから大変だろうなあと思ったら、心配して損をしてしまった。持ち込みのカメラへの装着を許すのではなく、EOS 1DX MARK2のみでの使用感テストだったのだ。こんなフラグシップ機に触ったことのない私は嬉しくはあった。だが、自分のカメラに装着して試したくもあったのだ。
シグマのブース_1
シグマのブース_2
シグマのブース_3
シグマのブース_4

タムロンのブース
行き掛けの駄賃にさっと撮らせてもらった。シグマとタムロンのブースが並んでいたが、どちらも非常に地味。交換レンズメーカーの宿命なのだろうか?
どちらが美人かなあなどと、失礼ながら見比べた。私的な感想は言わないことにする。ただ、撮影テストの繰り返しの中で、審美眼が養われてきたのかと思った。
こちらのお姉さんはレンズを持っていた。こんなに小さく軽いということなのかなあ。
タムロンのブース_1
タムロンのブース_2
タムロンのブース_3
タムロンのブース_4
タムロンのブース_5
タムロンのブース_6

キャノンのブース(1)
センターステージのプレゼンテーションを楽しんだ。センターステージは実に巨大。此処まで引き伸ばしてもあらが見えないのは流石だと思った。
秦達夫氏『写真家秦達夫とEOS 5D Mark IVが創り出す写真の世界』
故郷遠山郷の写真と屋久島の写真を撮り続けている写真家の秦達夫氏。巧みな話術で客を彼の世界に強烈に引きずりこんでいた。『写真が好きだ』というオーラを発散しまくり。プロってこういう人たちがなる世界なんだろうなと思った。
キャノン_秦達夫氏_1
キャノン_秦達夫氏_2
キャノン_秦達夫氏_3
キャノン_秦達夫氏_4
キャノン_秦達夫氏_5
キャノン_秦達夫氏_6
キャノン_秦達夫氏_7
彼の作品の一部。撮った位置が良くなくて、良さを損ねてしまったかもしれない。
キャノン_秦達夫氏_8
キャノン_秦達夫氏_9
キャノン_秦達夫氏_10
キャノン_秦達夫氏_11
キャノン_秦達夫氏_12
キャノン_秦達夫氏_13
この写真はほぼ実物大なんだそうだ。1000年を過ぎた屋久杉は生半可な大きさではないようだ。
キャノン_秦達夫氏_14
5D4が好きで好きでたまらないという感じ。速射砲にように喋り続ける。否が応でも5D4を強く意識させられた。
キャノン_秦達夫氏_15
シャッターチャンスを逃さない。盛んにそう強調していた。坊やの表情を見ていたら、そう思えてきた。
キャノン_秦達夫氏_16
洞窟内にある幹と地上に出た部分と
キャノン_秦達夫氏_17
キャノン_秦達夫氏_18
トークショーを終えてホッとした表情が印象的だった。
キャノン_秦達夫氏_19

 

CP+2017(1)

一般公開の初日である金曜日の朝一番で出かけた。金曜日は、午後二番から別の用事があったので、この時間帯を選択するしかなかった。
オリンパスのブース
中野耕志氏が壇上に立って説明していた。いつの間に、オリンパスの陣営に鞍替えしたの、と訝しく思った。この人のレベルで、野鳥撮影の厳しいシーンで満足できるのかなあ。そういうことではなく、テスターとしてプロの目で試したものを、一般愛好家にわかりやすく説明する純然たるビジネスなんだろう。
私のEOS 7D MARK2で撮影
レンズがシグマの18-250の高倍率のもの。しょぼいので参考程度に見ていただきたい。
私のEOS 7D MARK2で撮影_1
私のEOS 7D MARK2で撮影_2
私のEOS 7D MARK2で撮影_3
私のEOS 7D MARK2で撮影_4
私のEOS 7D MARK2で撮影_5
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影
この感じはいいなあ。一番条件が良い撮影環境ではあったが。動体の撮影は、スポーツ撮影が中心だろうから、この距離での撮影では、…。正直なところ、よくわからない。
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_1
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_2
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_3
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_4
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_5
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_6
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_7
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_8
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_9
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_10
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_11
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_12
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_13
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_14
体験用のOM-D E-M1 MARK2で撮影_15

 

カメラとレンズとを変えて試す(2)

新宿御苑で(1)
春一番が猛烈に吹き荒れた2月17日金曜日に撮影。大魔神ならぬ大砂塵が舞った。私の目や顔が土埃で大変なことになったが、鳥さんたちにとっても、飛翔がかなり困難な状況だったように見えた。
オシドリ
どうも私の所有しているシグマのレンズは望遠端の辺りが強くないようだ。遠い薄暗い樹陰に隠れている。かなりのショットを撮ったが、殆どがボケていた。光量が足らないので、AFが十分に効かなかったのだろう。そこにシグマの1.4倍のテレコンを着けたら最悪だった。う~~ん。
オシドリ_1
オシドリ_2
オシドリ_3
オシドリ_4
オシドリ_5
オシドリ_6
オシドリ_7
オシドリ_8
オシドリ_11
オシドリ_12
オシドリ_13
オシドリ_14
オシドリ_15
オシドリ_16
オシドリ_17
オシドリ_18
オシドリ_19
オシドリ_20
オシドリ_21
オシドリ_22
オシドリ_23
オシドリ_24
いっぱいカメラマンが居るなあ
オシドリ_25

 

カメラとレンズとを変えて試す(1)

今までキャノンの7D2と同じくキャノンの400ミリ単焦点手ブレ防止装置なしで撮っていたが、手ブレ防止装置もズームも無い状況は、覚悟していても大変だ。そこで、ニコンのD7100とシグマの50-500との組み合わせに変えて見ようと考えた。腰が痛いときに重さが堪えたので、暫く眠らせてあったものだ。だが、ズームと手ブレ防止装置がついている。取り敢えず、再デビューさせてみた。
久しぶりに持ったセットは結構重かった。でも、バランスが良かったのか、『二度と持つものか』というほどの感じでもなかった。少しは腰の調子が良い証拠かもしれない。撮影日は2月13日。

区境の公園で
野鳥
ツグミ
案外大きな鳥さんだ。比較的地上での餌探しに没頭してくれるので、私のような駆け出しには何とか被写体にできる有難い鳥さんだ。
ツグミ_1
ツグミ_2
ツグミ_3
ツグミ_4
ツグミ_5
ツグミ_6
ツグミ_7
シロハラ?
あまり自信がない。ほかは皆ピンぼけになってしまった。こんな高いところに留まるのかなあ?
シロハラ?
花鶏
小型のチョロチョロよく動き回る鳥さんだ。過去に栃木県に大量に飛来したときに撮りに行ったが、既に飛び立った跡だった。東京でも割とよく見ることができるのに感動。
花鶏_1
花鶏_2
花鶏_3
花鶏_4
花鶏_5
花鶏_6
花鶏_7
花鶏_8
花鶏_9
花鶏_10
花鶏_11
メジロ
此処には河津桜はあるものの、梅などの植栽は一切ない。他のメジロさんはどこかに出稼ぎに行ったのかもしれない。この個体は樹液を吸っていたのかな?
メジロ_1
メジロ_2
メジロ_3
尾長
久しぶりにD7100を使用したので、使い方を忘れていた。AFモードがAF-Aになっていたようだ。このときは余り動きがなかったので、AF-Sでも良かったのだが、私の身体が自覚している以上に揺れていたのだろうか。半押し中にカメラが一生懸命AFをやり直そうとするので、びっくりした。
尾長は実に久しぶりに見た。実に派手な鳥さんだと思う。

尾長_1
尾長_2
尾長_3
尾長_4
尾長_5
尾長_6
尾長_7
尾長_8
尾長_9
その他
福寿草
きれいに元気よく咲いていた
福寿草
河津桜
こちらも満開
河津桜_1
河津桜_2

 

山手西洋館のバレンタイン飾り付けを見に行った(9)

次のバレンタインの飾り付けを見るべく、隣のエリスマン邸に向かう。本来ならエリスマン邸が手前なので、先に伺うべきところだが、エリスマン邸の正式な展示開始は翌日の11日土曜日から。でも、時間が遅めの訪問だったら、既に飾り付けが終了しているだろうと思ったのだ。

エリスマン邸
期待していったのだが、意外に簡素な飾り付けだった。だからといって、レベル以下だったわけではない。これはこれで良かったかも。
ベーリック・ホールと人気を二分するエリスマン邸の外観
アントニン・レーモンドが設計。彼は、フランク・ロイド・ライトが1919年に帝国ホテル建設のため来日した際に助手として連れてきた建築家だ。私の大好きな、軽井沢聖パウロカトリック教会も彼の設計だ。
玄関側
玄関側
バス通り側(工事中だったので、PDF画像を借用)
バス通り側

一刻もはやく引き上げた方が良い状況になってきた。早速、飾り付けを見ることから始める。

飾り付け
応接間
私はこの空間が一番好き。主人と相対するのに距離が近く、親密な時間が持てそうな気がするからだ。スイーツの上にあるハート型のものは何かなと思ったら、ローソクだった。粋なものだ。
飾り付け_応接間_1
飾り付け_応接間_2
飾り付け_応接間_3
飾り付け_応接間_4
飾り付け_応接間_5
飾り付け_応接間_6
飾り付け_応接間_7
サンルーム
如何にもリッチな暮らしをしているという感じの空間かな。応接間と居間兼食堂との飾り付けに違和感のない感じで、簡素な飾り付けがなされてあった。
飾り付け_サンルーム
居間兼食堂
ナプキンをハート型に折り畳んであるのが印象的。ダイニングの家具もレーモンド作なんだそうだ。端にある薬箪笥はこの邸宅に似合うと移築後に寄贈された。確か、楽譜入れと書かれてあったようだが、…。
飾り付け_居間兼食堂_1
飾り付け_居間兼食堂_2
飾り付け_居間兼食堂_3

2階を見る
階段
がっちりした階段
がっちりした階段_1
踊り場からはベーリック・ホールがよく見える
踊り場からはベーリック・ホールがよく見える
がっちりした階段_2
お向かいの横浜雙葉学園の生徒たちの作品がずらり
横浜雙葉学園の生徒たちの作品がずらり_1
横浜雙葉学園の生徒たちの作品がずらり_2
写真パネルから
横浜正金銀行の頭取であり、専修大学創立者でもある相馬永胤氏の邸宅が横浜教区の司教館になっていたのか。どういう経緯があったのだろうか?
写真パネルから_1
写真パネルから_2
写真パネルから_3

はまれぽのエリスマン邸の記事にjump

ここで雪がかなり激しくなってきてしまった。この先のフランス山地区まで傘無しで行くにはかなり厳しい。そのように判断して、今回の飾り付けの見学は終了とした。
以上で、『山手西洋館のバレンタイン飾り付けを見に行った』シリーズは終了です。最後までご覧いただき有難うございました。

 

山手西洋館のバレンタイン飾り付けを見に行った(8)

ベーリック・ホール(3)
2階の部屋
子供部屋
こんなに広いんだ
子供部屋
応接間かな
と思ったら、客用寝室という説明書きがあった。相当に広い。採光のための壁の切り抜きがなんとも粋だ。クワットレフォイル(四葉)というようだ。
応接間かな
2階廊下
たっぷり幅がある。しかもしっかり造ってあるようで、私が歩いても軋むような物音が出ることはない。相当に薄暗い日だったのに、相当に明るい室内だ。
2階廊下_1
2階廊下_2
イギリス人貿易商バートラム・ロバート・ベリック氏の執務室
当主の執務室か。すごく立派だ。
ベリック氏の執務室
夫人の部屋
夫人の部屋_1
夫人の部屋_2
夫人の部屋_3
サンポーチ
夢のような部屋だ
サンポーチ_1
サンポーチ_2
見落とした箇所(PDF画像借用)
ここにも壁泉がしつらえてあったんだ。う~~ん。
見落とした箇所(PDF画像借用)

こんなに立派な邸宅を建て、日本をとことん愛したのに、戦争激化のために、泣く泣く日本を去らなければならなかった無念、如何許だったことだろう。気落ちしたのか、カナダに移住して10年後、お亡くなりになられたようだ。(合掌)

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山手西洋館のバレンタイン飾り付けを見に行った(7)

ベーリック・ホール(2)
1階のその他の部屋
大ホール
抽選で結婚式を行っている。この日はそういうものが予定されていなかったため、自由に見ることができた。
大ホール_1
大ホール2
暖炉も雰囲気を出すのに一役買っていたんだ。この邸宅は基本的にセントラル暖冷房だったようで、暖炉はこことダイニングルームのもののみのようだ。暖炉の模様は菊ではなく、ロゼット文様というもの。エジプト発祥で欧州でも伝統的な意匠だそうだ。
大ホール_3
パームルーム
サンルームかと思ったが、北側にサンルームを造る人はいないだろう。観葉植物で華やかにした採光性の良い空間。大ホールとワンセットのイメージだろうか。
普段の日は、このスペースで新聞や書籍に目を通しながら、お茶でも飲んだのだろうか。獅子頭の壁泉が設えられてある。スペインやイタリアあたりの建物の雰囲気を醸し出しているように見えた。

パームルーム_1
パームルーム_2
パームルーム_3
厨房
やたらに大きな厨房だ。カトリックの学校の寄宿舎になっても十分に機能する広さだったんだろう。1枚しか撮らなかったので、全体がわかりにくいと思う。大失敗だった。
厨房
ダイニングルーム裏の通路
ダイニングルーム裏の通路
ニッチ
玄関を入ったところにあった。花が活けられてあった。かつてはマリア様の像でも置かれてあったのだろうか?そういえば、ひところ『ニッチ産業』などという言葉が持て囃されたっけ。
ニッチ
サブの階段
上に行く階段は使用禁止。メイドさんの通路だったのではなかろうか。下に行く階段は主に来館者用のトイレのためだが、使用可能になっている。
サブの階段
地下への階段を降りるとこんな感じ
いわゆるバック・ヤードだ。しっかり造ってある感じだ。
階段
地下への階段
補修した残骸
補修した残骸
かつて使われていたセントラル冷暖房装置
この当時冷媒管を配管して冷房まで行っていたとは、なんという贅沢仕様だったのだろうか
セントラル冷暖房装置_1
セントラル冷暖房装置_2
メインの階段
如何にも華やかな階段だ。よく見るとすごく凝ったものなのだが、撮るのを失念してしまった。
メインの階段_1
メインの階段_2
メインの階段_3

 

山手西洋館のバレンタイン飾り付けを見に行った(6)

ベーリック・ホール(1)
次の飾り付けの館であるベーリック・ホールに到着した。前庭は年度末恒例の工事中でやや殺風景な感じが否めなかったが、館内は素敵だった。
このように撮るのが精一杯
外観_1
工事中でなければこんなふうに見えるはず
何処かで似たような建物を見たような記憶がありはしないだろうか?それもそのはず、山手111番館や横浜山手聖公会と同じJ・H・モーガンの設計なのだ。
外観_2
このようなものも彼の設計だ。知る人ぞ知る旧横浜競馬場一等馬見所(PDF画像を借用)。
知る人ぞ知る旧横浜競馬場一等馬見所
玄関とその付近
南スペイン風と言うかイスラム風というか。とてもモダン。とても、間もなく築後90年を迎える建物のそれだとは思わないかもしれない。
玄関とその付近_1
玄関を入ってすぐの辺り
玄関とその付近_2
玄関とその付近_3
この先にバレンタインの飾り付けが見えている
この先にバレンタインの飾り付けが見えている
いきなりバレンタインの飾り付けを見ることにする
ミニチュアのヴァイオリンが愛を奏でるイメージなのかな。どんな印象を受けられただろうか?
バレンタインの飾り付け_1
バレンタインの飾り付け_2
バレンタインの飾り付け_3
バレンタインの飾り付け_4
バレンタインの飾り付け_5
バレンタインの飾り付け_6
バレンタインの飾り付け_7
バレンタインの飾り付け_8

 

山手西洋館のバレンタイン飾り付けを見に行った(5)

次の飾り付けの館であるベーリック・ホールに向かう。なお、手前のエリスマン邸は翌11日の飾り付け公開予定なので、最後に行けばできたてのほやほやを見られるだろうと考えた。
途中の景観
雪が降っていたので、失礼ながらすべてパス。見るだけの価値が無いわけではないので、誤解なきように願いたい。ということで、外観のみ撮影した。
山手十番館(飲食店)
外国人墓地前にある。レトロな建物ではないが、雰囲気がある建物だ。
山手十番館(飲食店)_1
山手十番館(飲食店)_2
山手資料館
山手十番館が所有する私有の極小洋館。館内入場は有料なので、無料ゾーンのみで失礼。
山手資料館_1
山手資料館_2
山手資料館_3
山手資料館_4
カトリック山手教会墓地
外国人墓地と隣接しているので、外国人墓地の一部だと思われている方が少なくない。父の墓参りに行くと、『日本人なのに何故?』という目で見られるので、非常に困る。
カトリック山手教会墓地
横浜山手聖公会
山手111番館と同じJ.H.モーガンの設計。聖公会なので、入ったら最後などと言うことはない。立教大学、聖路加国際病院などが同系列。大谷石の建物は非常に立派。惜しむらくは英国のそれに比して圧倒的に小さいことだろう。
横浜山手聖公会_1
横浜山手聖公会_2
横浜山手聖公会_3
横浜山手聖公会_4
山手234番館
既に何度か取り上げている洋館。関東大震災校の住宅困窮外国人向けに建てられた洋館。一種のシェアハウスだったが、今の日本の狭小違法シェアハウスとは全く異なる。
山手234番館_1
山手234番館_2
山手234番館_3
山手234番館_4
えの木てい
雨宿りを兼ねて美味しい茶菓をいただこうと思った。しかし、同じことを考える方が多かったようで、満席のようだった。やむを得ず断念。
えの木てい_1
えの木てい_2
えの木てい_3
えの木てい_4

 

山手西洋館のバレンタイン飾り付けを見に行った(4)

山手111番館(4)
いよいよ2階を見学できる。ずっと見たいと待望していたが、この日ついに実現できた。
2階の様子
回廊
1階のホールが吹き抜けになっている関係上、ご覧の通り回廊が印象的になっている。
回廊_1
階下はこんなふうに見える
回廊_2
回廊_3
回廊_4
回廊_5
回廊_6
会議室
元は夫婦の寝室だったようだ。この部屋からの眺望は最高だ。
会議室_1
ベイブリッジや本牧埠頭がよく見える
会議室_2
会議室_3
会議室_4
午睡室
Sleeping Porchなんだそうだ。長男は日米のハーフでスペイン人ではないはずだが、シエスタの習慣があったのだろうか?
午睡室_1
午睡室_2
階段
階段_1
階段_2

 

山手西洋館のバレンタイン飾り付けを見に行った(3)

山手111番館(3)
この家屋は、ラフィン夫妻が結婚する長男のために1926年(大正15年)に建てたものである。関東大震災の直後のやや小じんまりした建物だ。長男夫婦は5人家族だったとかで、ちょうどよい大きさだったかもしれない。
その他の1階の様子
ホール
この吹き抜けの贅沢な空間。どうしてくれようか。
ホール_1
ホール_2
煙道のために2階の回廊が少し張り出しているんだ。お立ち台というわけではないようだ。
ホール_3
暖炉はあたたかい家庭の象徴だったのかも。前述した通り、ダイニングルーム側の暖炉と煙突を共用している。
ホール_4
南西側はこんな感じ。外はパーゴラがしつらえてあるので、暑くも寒くもないちょうどよい感じだったと思われる。その上、素敵な前庭が広がる。う~~ん。
ホール_5
ホール_6
暖炉の上に置かれた寄贈品の置き時計
ホール_7
床はこんなにきれい。寄木細工を思わせるナラ材の床面だ。相当なお金をかけたと思う。
ホール_8
ダイニングルームからの眺め
ブラフのうまい使い方だと思う。昔はこんなレベルの眺望ではなかったんだろう。ヒマラヤスギの先にはベイブリッジがかろうじて見えるが、目隠しされているような感じだ。文学館などの建物も眺望の障害になってしまっている。
ダイニングルームからの眺め_1
ダイニングルームからの眺め_2
ダイニングルームからの眺め_3
配膳室
動線を考えたうまい設計になっていた。設計者J.H.モーガンの非凡な才能の発露だろう。
配膳室
厨房
調理用機器は新しいものになっていた。職員用に電磁調理器が設置されていたが、ここは当時もあっただろうガス機器の方が良かったのではなかろうか?
厨房
展示室(WEST)
以前は居室として使用されていたのだろう
展示室(WEST)_1
展示室(WEST)_2
浴室
いわゆるアメリカンスタイルなんだろう。トイレ、洗面所、バスが同じ部屋。どうにも抵抗がある。暖房が用意されているのは良いことだと思う。
浴室
展示室(EAST)
以前は居室として使用されていたのだろう
展示室(EAST)
浴室前の通路
浴室前の通路
浴室前に作り付けられたタンス
階段箪笥もどきだ。下着やタオル、足ふきマットなどの収納に重宝したのでは。
浴室前に作り付けられたタンス

 

山手西洋館のバレンタイン飾り付けを見に行った(2)

山手111番館(2)
間取り
小さく見えるが、3階建てになる。ブラフをうまく使った味のある建物。とくとご覧あれ。
間取り_1
間取り_2
ホール
玄関を潜ったすぐのスペース。まさしくホールなのだ。次回に詳しく見ることにする。一つだけ説明しておく。このホールの暖炉と裏側のダイニングルームの暖炉とは、煙突を共有する造りになっているそうだ。省スペースで設計したようだ。
ホール
ダイニングルーム
この飾り立てを見たくてやってきた。いかがだろうか?
ダイニングルーム_1
既述の通り、ホール側の暖炉と煙突を共有している
ダイニングルーム_2
わざとシーツを皺よらせているのかな?このお宅のこどもがいたずらしたようなイメージかも。
ダイニングルーム_3
ダイニングルーム_4
ダイニングルーム_5
金色の玉が気になった。よく見るとろうそくだった。
ダイニングルーム_6
ダイニングルーム_7
ダイニングルーム_8
スイーツは一人で全部食べてしまいたい誘惑にかられる。そこはぐっと我慢しなければいけない。
ダイニングルーム_9
ダイニングルーム_10

この飾り付けを見ると正式なハイティーのようだが、フルティーの場合の作法が気になる。同様にお考えの方は、下記URLを参照されたい。
【知ってると差がつく】アフタヌーンティーのお作法・マナー★の頁へjump

 

山手西洋館のバレンタイン飾り付けを見に行った(1)

この時期になると、山手の西洋館では、バレンタインの飾り付けを行う。年齢・ジェンダーをも顧みず、図々しくそれを見に行った。2月10日金曜日の横浜地方の天気予報は『曇り後晴れ』の予報だった。それがそれが、途中から激しい雪が降る大外れの予報になってしまった。傘を持参していなかったので、全部を見ることは叶わなかった。
最初のお目当ての西洋館である山手111番館に向かう
いつもなら、途中の様子も割りと丁寧に見ていくほうだが、この日は気が急いていた。そのくらいバレンタインの飾り付けが気になっていたのだ。
お出迎えはエリカの花
大好きな可愛らしい花さんだ。これを最初に見ることができただけで、非常に気分が良い。
お出迎えはエリカの花
外国人墓地を横目で見る
雑草を刈ったようだ。いつもより内部がよく見える。思わず、見てしまう。でも、入ることができるのは週末と祝日のみだ。
外国人墓地を横目で見る_1
外国人墓地を横目で見る_2
外国人墓地を横目で見る_3
外国人墓地を横目で見る_4
横浜地方気象台
此処も西洋館に負けない貫禄の昭和モダンの建物。桜の開花宣言の対象となる標本樹木は、まだまだの様子だった。
横浜地方気象台_1
横浜地方気象台_2
横浜地方気象台_3
横浜地方気象台_4
外国人墓地前
いつ見てもフォトジーニックな光景が広がる
外国人墓地前
横浜市イギリス館
この日の展示予定はなかったので、後で見ることにし、取り敢えずはパス。このときはまだ晴れていた。
横浜市イギリス館_1
お隣の山手111番館から見た様子。この方角から見たことがある人はそう多くはないと思う。
横浜市イギリス館_2
山手111番館(1)
この日の最初の目的の建物。バレンタインの飾り付けがどんなふうか楽しみにしてきたのだった。実はこの洋館は余り大きな建物ではないが、小粋な建物。そして洒落た2階部分があるのだ。普段は上がることができないが、この日は公開見学日だとのこと。1時間ほど時間があるが、待つことにした。
外観
山手111番館_1
山手111番館_2
山手111番館_3

 

またまた野鳥さん撮りの練習(3)

川崎市の公園にて(2)
ミソサザイ
パパラッチさながらにみなさんが追いかけていた。名前はその時に知った。非常にわかりにくいところをわかりにくい身体でちょこまかしていた。よく見ると、尾羽が変わった形状のように見えた。解説では、『地鳴き、ウグイスのようにチャチャと鳴く。ピィツイッピルルルーと小さな体を震わせ大きな声でさえずる』とあった。啼いてくれれば有難かったが、かくれんぼして、カメラマンさんたちを困らせていた。ピンぼけで申し訳ない。
ミソサザイ_1
ミソサザイ_2
シロハラ?
それとも他の鳥さんかなあ?腹黒は間違いなく此処に居るんだけど。
シロハラ?_1
シロハラ?_2
シロハラ?_3
シロハラ?_4
シロハラ?_5
シロハラ?_6
シロハラ?_7
シロハラ?_8
シロハラ?_9
シロハラ?_10
福寿草
こちらのほうが都心の公園よりも少し開花が進んでいた。尤も向こうも同じ日だったら同程度だったかもしれないが。
福寿草_1
福寿草_2
福寿草_3
福寿草_4
ヒメリュウキンカ
早くも開花したのか。そんなに温かくもないのに、大丈夫かなあ。
ヒメリュウキンカ

また、暫く行き先を考えよう。早くしないと冬鳥さんたちがいなくなってしまうなあ。
以上で、『またまた野鳥さん撮りの練習』のミニシリーズは終了です。最後までご覧頂き有難うございました。

 

またまた野鳥さん撮りの練習(2)

都心の公園にて(2)
前回取り上げた2種の鳥さんの他には、正直なところ、これと言った鳥さんはいなかった。以下ではいつもいる鳥さんなどを取り上げる。
ダイサギ
コサギかと思っていたら、ダイサギのほうがいた。至近距離で睨まれると、ちょっと凄みを感じる。
ダイサギ_1
ダイサギ_2
ヒヨドリ
どこにでも居るふてぶてしい鳥さん。私の姿を視認しても逃げ出さない数少ない鳥さん。
ヒヨドリ_1
失礼なことに尻を向けた。あれで落とし物攻撃をしてきたら、腹が立つ事だろう。
ヒヨドリ_2
福寿草
まだ早かった感じ。でも、咲き出したからには、案外早く、大きく花開くのだろう。
福寿草_1
福寿草_2
福寿草_3
福寿草_4
福寿草_5
エゾアジサイ
このドライフラワーのほうがこの日の福寿草よりも見応えがあった
エゾアジサイ

メジロさんは、新宿御苑にでも出張中かなあ。エナガさんもいなかったなあ。オオタカが睨みを利かせている状況では、無理だったかもしれない。

川崎市の公園にて(1)
その1週間後、結構いろいろな鳥さんが居るというブログ記事を見て川崎市の公園に行った。だが、捗々しい戦果は得られず。馬鹿馬鹿しい結果に終わってしまった。
ホシゴイかな?
待ち伏せハンティングの名手ゴイサギに若鳥ホシゴイかなあと思う。おねんねポーズから漸く動いたが、もう少しわかりやすいポーズを取ってもらいたいものだ。
ホシゴイかな?_1
ホシゴイかな?_2
少し動く前は、こういう格好をして寝ていたようだ。待ち伏せハンティングも疲れるのかなあ。
ホシゴイかな?_3
コサギ
今度は間違いなくコサギだろう。今日のサギさんたちは、木の上ばかりだなあ。早くも午前中の休憩時間帯なのだろうか。
コサギ_1
その後、木の上も飽きたようで、下に降りてきた
コサギ_2
コサギ_3
コサギ_4
コサギ_5
どこでも見かけるヒヨドリ
『爺さん、あとで困るから保険と思って私のことを撮っておきなよ』…そう言っているように感じた。アオキの実を食べていたようだ。
ヒヨドリ_1
ヒヨドリ_2
ヒヨドリ_3
ヒヨドリ_4
ヒヨドリ_5

このままで終わってしまったら、何をしに行ったのかわからないところだった。その後、ほんの少しだけ野鳥さんを観察することができたが、…。

 

またまた野鳥さん撮りの練習(1)

都心の公園にて(1)
この日は、信じられないことにオオタカの番がこの公園に来ていた。白っぽく見えるオオタカと迎え撃つ黒のカラスの集団と大声で激しいバトルを展開中。中小型の野鳥さんたちは恐れをなしたのか、一斉に隠れてしまったようだ。
そんな状況だが、数種類の鳥さんがいてくれた。


全く自信がないが、ルリビタキのメスではないだろうか
公園の通路でチョンチョンと小さな移動をしていた。もっと撮ろうと思ったら、通行人が声高に話しながら近づいてきて、飛ばれてしまった。
ルリビタキのメス?_1
ルリビタキのメス?_2
ルリビタキのメス?_3
ルリビタキのメス?_4
ルリビタキのメス?_5
カワセミ
最近、カワセミを何とか目撃できるようになってきた。遠目から留っているところは撮影できるようになった。相変わらずはっきりしない写真ではあるが。次は飛翔シーンを撮ってみたいものだが、いつになることやら。
ベテランの方の解説では、メスがあまりに稚すぎて、交尾の対象にならないと、オスはどこかに行ってしまったようだ。いわゆるおぼこさんかな?

カワセミ_1
カワセミ_1
カワセミ_2
カワセミ_3
カワセミ_4
カワセミ_5
カワセミ_6
カワセミ_7
カワセミ_8
カワセミ_9
カワセミ_10
カワセミ_11
オオタカとカラスの声が気になったかな?でもそれ以上の警戒はしなかった。大胆だなあ。
カワセミ_12
カワセミ_13
カワセミ_14
カワセミ_15
カワセミ_16
カワセミ_17
カワセミ_18

 

金祝のミサ

司祭叙階50年を祝うのが金祝。神父様の金婚式のようなもの。そのミサが1月の最終主日にカトリック碑文谷教会(サレジオ教会)で行われた。
南米ボリビアで40年近く宣教活動を続けておられる倉橋輝信神父と病気療養中の尻枝毅神父とが、そのお祝いの対象者だった。一口に50年というが、気が遠くなるような長い年月。特に倉橋神父の場合は、日本人司祭として異例中の異例の宣教師だ。最貧国ボリビアでの活動は想像を絶するほど大変なことだろうと思う。
色々あったことだろうが、晴れてこの日を迎えられたことを心から祝いたい。

金祝者を代表して挨拶する倉橋神父
どこでも楽しそうに前向きに話される神父様。極貧と麻薬に蝕まれる最貧国ボリビアでの宣教師活動にあっても、その情熱を失うことがない。実に素晴らしい人物だ。
金祝者を代表して挨拶する倉橋神父_1
金祝者を代表して挨拶する倉橋神父_2
金祝者を代表して挨拶する倉橋神父_3
聖体拝領の様子
聖体拝領の様子_1
聖体拝領の様子_2
聖体拝領の様子_3
聖体拝領の様子_4
ステンドグラス
ステンドグラス
聖堂前の様子
当日は、サレジオ修道会ドン・ボスコの祝日。餅つき大会などもあり、大変な人出だった。
聖堂前の様子

カトリック新聞記事(January 29, 2016)へjump

 

朝夷奈切通を歩いた(6)

鎌倉市側の出入り口
こんなふうだ。色々あるのだ。
三郎の滝
結構な落差がある。誰が見ても滝と称して構わないものだろう。
三郎の滝_1
所々に小さく白く見えるのは雪だと思う。違うかなあ。確かに雪が降ってきたのだ。
三郎の滝_2
ちゃんと滝壺もある
三郎の滝_3
三郎の滝_4
朝夷奈切通の入口にある「朝比奈の滝」。「三郎の滝」とも呼ばれている。朝夷奈切通を一夜にして切り開いたという伝承が残る大力武勇の猛者「朝比奈三郎義秀」に因んで名付けられた名。
石碑
例の青年団が建てたものだった。鎌倉町ではなく鎌倉市になってからの建立だったんだな。
石碑
表示版ほか
こちらは鎌倉市側のもの
表示版ほか_1
表示版ほか_2
いま来た道を振り返る
最後は平坦な道だと思っていたが、それなりの勾配があった
いま来た道を振り返る_1
2mほどの石碑だから、滝の落差は4-5m程度だろうか
いま来た道を振り返る_2

十二所(じゅうにそ)に向かって歩き出す

出入り口から少しだけ離れた辺り
太刀洗川
此処も太刀洗川といって良いと思う
太刀洗川
大刀洗水
梶原太刀洗水は、梶原景時が太刀の血を洗い流したという泉。鎌倉五名水の一つだそうだ。
大刀洗水_1
大刀洗水_2
大刀洗水_3
振り返れば、出入口までは50m弱
振り返れば、出入口までは50m弱
梶原景時が上総介広常を討った後、この湧き水で太刀の血を洗い流したという伝説が残されている。
朝夷奈切通の岩肌から湧き出る鎌倉五名水の一つ。
広常は、源頼朝の挙兵の際に2万騎の兵を率いてに従った武将。1183年(寿永2年)、頼朝の命を受けた梶原景時に暗殺された。景時が広常の屋敷に赴き、酒のもてなしを受け、二人で双六に興じているときに景時が広常に襲いかかって首をとったといわれている。


もう少し先まで歩いたが、特段取り上げるほどのこともない。この辺で、『朝夷奈切通を歩いた』シリーズを終了とします。最後までご覧頂き有難うございました。

 

朝夷奈切通を歩いた(5)

かなりのぬかるみに
もしかしたら、此処がかつての茶店跡なのだろうか?そうなのかもしれないなあ。
かなりのぬかるみに_1
かなりのぬかるみに_2
かなりのぬかるみに_3
漸くなだらかな歩きやすい道に
大雨の後は別だろうが、道がぐちゃぐちゃしていないのには理由があった。きちんとした水の流れるくぼみがあったからだ。
漸くなだらかな歩きやすい道に_1
漸くなだらかな歩きやすい道に_2
漸くなだらかな歩きやすい道に_3
漸くなだらかな歩きやすい道に_4
漸くなだらかな歩きやすい道に_5
これを滝といったら叱られるかな?
漸くなだらかな歩きやすい道に_6
終点が近いかな
道がぐんと楽になってきた
終点が近いかな_1
それでも振り返るとそれなりに勾配がある道だ
終点が近いかな_2
下は土の層が薄い
と言うか、土はほとんどない感じ。足腰には余り優しくはない。スペインの巡礼路を思い出してしまった。
下は土の層が薄い_1
下は土の層が薄い_2
鎌倉市側の入口が見えてきた
峠から1km。終点だ。
鎌倉市側の入口が見えてきた_1
先程のチョロチョロ流れも、ちょっとした流れになってきている
鎌倉市側の入口が見えてきた_2
鎌倉市側の入口が見えてきた_3

 

朝夷奈切通を歩いた(4)

この辺から悪い予感が
雨が降ったのはだいぶ前のことだろうに、水が流れているのだ。渡渉しているわけでもないのに、ぐちゃぐちゃ道を歩くことになる。この切通しは、雨が降ると河道になるような凝灰質泥岩(シルト)、砂岩が露出した路面部分が特徴的なのだそうだ。
この辺から悪い予感が_1
この辺から悪い予感が_2
この辺から悪い予感が_3
この辺から悪い予感が_4
この辺から悪い予感が_5
この辺から悪い予感が_6
この辺から悪い予感が_7
完全なぐちゃぐちゃ道に変わった
靴が泥だらけになる。防水が利く滑りにくい靴を履いていてよかった。しかもところどころに段差がある。思った以上に大きい段差だ。ぐちゃぐちゃ道なので、足を着く場所を選べない。かなり腰に響くぞ。
完全なぐちゃぐちゃ道に変わった_1
完全なぐちゃぐちゃ道に変わった_2
完全なぐちゃぐちゃ道に変わった_3
完全なぐちゃぐちゃ道に変わった_4
完全なぐちゃぐちゃ道に変わった_5
完全なぐちゃぐちゃ道に変わった_6
完全なぐちゃぐちゃ道に変わった_7
完全なぐちゃぐちゃ道に変わった_8
完全なぐちゃぐちゃ道に変わった_9
ここで最初の生き物であるリスに遭遇
画面中央最上部に小さく写っている。望遠レンズに切り替えて撮ろうとする前に通り過ぎってしまった。こちらを熊のように思ったのだろうか。この時点では、まだ人には出会わず。リスさんでも遭遇してよかった。タイワンリスはシマリスと違って冬眠しないようだ。
ここで最初の生き物であるリスに遭遇

横浜市教育委員会の説明文
文献上の記録としては、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』仁治元年(1240)11月30日の項に鎌倉と六浦(むつら)との中間に道路を開く議が定まり、時の執権第三代北条泰時が自ら足を運んだとある。開削工事は、翌年4月5日に着手された。六浦津(むつらのつ)は風浪を防ぐ天然の良港で、切通の開削により北条氏は鎌倉の外港としてこれを利用した。泰時は、この重要な地を弟の北条実泰(さねやす)に与えた。実泰の子実時(さねとき)はこの地に館を構え、以後、顕時(あきとき)・貞顕(さだあき)・貞将(さだゆき)と四代にわたり金沢氏(かねさわし)を称し、称名寺と金沢文庫を創建して発展させた。六浦津は、北条氏滅亡後も海上交通の要衝として栄え、近世期には入り江付近の景観は金沢八景と称賛され、多くの文人墨客がここを訪れた。
切通は、鎌倉と六浦の地を結ぶ重要な交通路であり、六浦や釜利谷で生産された塩なども切通を通って鎌倉に運ばれた。鎌倉・十二所(じゅうにそ)の光触寺(こうそくじ)に伝来する塩嘗地蔵は、もと金沢街道沿いにあったといい、商人たちの盛んな往来を物語っている。江戸時代、各種の鎌倉案内絵図に「金沢道きりとうし」「アサイナ切通シ」「峠坂切通シ・金沢道」などとある。明治前半期の古写真には頂上の大切通に茶店が写されており、佐藤善治郎著の『鎌倉大観』(明治35年)にも茶店の紹介がある。江戸期を通じて麓の村民たちにより道普請が繰り返し行われ、切通の入口付近に数基の供養塔が残っている。
切通は、昭和31年(1956)に切通を迂回する金沢鎌倉線の開通まで県道として利用されたが、その後の周囲の開発も切通し道を破壊するまで至らなかったため、往時の姿を比較的良くとどめている。
昭和44年(1969)、いわゆる「鎌倉七口」、七切通の一つとして、鎌倉の地勢と外部との連絡状況を示す貴重な史跡であるとの理由で国の史跡に指定され、その後鎌倉市域の追加指定と相前後して、平成20年(2008)に切通の周辺地域が追加指定された。

 

朝夷奈切通を歩いた(3)

漸く分岐までたどり着いた
熊野神社方向との分岐。今回は熊野神社へ行く道はパスして、『落石に注意してください』の立て看板がある方向に進む。かなり険しい山道だ。
パノラマのような光景にびっくりさせられた。右に行くのも左に行くのも大変な道だなあ。付近にはかって甘酒や大福餅などを売る茶店があったとかで、その跡も残っているようだ。落ち葉だらけで、私には痕跡など見つけられなかったが。と思ったら、茶店跡はもう少し鎌倉寄りの場所だったようだ。
漸く分岐までたどり着いた_1
切通りの最高点はあの切り開けている辺りだ。これまで誰一人とも遭遇していないが、殆どの人は、鎌倉からのアクセスだろう。鎌倉から来た人たちは、右折して熊野神社に進む人が多いのではなかろうか。横浜市側に行く人は案外少ないのだろう。
漸く分岐までたどり着いた_2
熊野神社へ向かう道
由緒ありそうな道だ。でも、横浜市金沢区側から上ってきたので、切通しを歩くという趣旨からは、かまくら道を行くしか無い。
漸く分岐までたどり着いた_3
こちらに熊野神社の写真がある

私の行く道
それはひたすら朝夷奈切通を進むこと。道標が『右 鎌倉道』とある方だ。結構急な上り道だった。『大切通し』と言うらしい。
私の行く道_1
私の行く道_2
私の行く道_3
私の行く道_4
ここまでが横浜市かな
横浜市側の距離は330mだそうだ。距離的には大したことがないが、きつい上り坂だった。鎌倉市側から歩いたほうがかなり楽だったかもしれない。
私の行く道_5
私の行く道_6私の行く道_7
此処から先は鎌倉市側
だと思う。この先入り口までの距離は1kmだそうだ。道は下り坂で楽になるかと思っていたのだが、そうでもなさそうだ。というか、かなり歩き難い道に思える。
私の行く道_8
私の行く道_9
私の行く道_10
私の行く道_11
突如、思いがけない大きな段差が待ち構えている。周囲を見ながら歩くのは結構だが、要注意箇所でもある。
私の行く道_12
私の行く道_13
私の行く道_14

 

朝夷奈切通を歩いた(2)

横浜市金沢区側の道が続く。ひたすらきつい上り坂ではあるが、路面の状態は鎌倉市側のひどいぬかるみ路と比べれば数段良い。ゼイゼイ言いながらもひたすら登る。
鎌倉七口-朝夷奈切通略図
鎌倉七口-朝夷奈切通略図
上りが続く
いよいよ左右の視界がきかないゾーンに入っていくんだ。広角レンズで撮るとそれほど厳しいようには見えないかもしれないが、相当な勾配だ。粋が切れて、喘ぎながら上っていった。
序破急があるとしたら、エントランス通リが序だったのかもしれない。そこからは破と急ばかりだ。
上りが続く_1
上りが続く_2
上りが続く_3
いよいよ『小切通し」に差し掛かる
上りが続く_4
上りが続く_5
上りが続く_6
上りが続く_7
またもここで峠に差し掛かったかなと思った。でもそうではなかった。
上りが続く_8
それでも後で写真を見る限りでは、ちょっとだけ登り気味の山道にしか見えない。あれだけゼイゼイハーハーの道だったのに。
上りが続く_9
上りが続く_10
上りが続く_11
上りが続く_12
上りが続く_13
以下2点は、完全に見落としたもの。もしかしたら、この先の熊野神社に分岐する道沿いにあったのかなあ?仕方がないので、PDF画像を借用。
これは磨崖仏というべきものだろう。大きさがわからないので、想像するのみだが。
見落としたもの_1
見落としたもの_2

 

朝夷奈切通を歩いた(1)

朝夷奈切通(あさいなきりどおし)は鎌倉七口のひとつで、神奈川県鎌倉市十二所から横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ峠道。以前から歩いてみたいと考えていたが、なかなか腰が上がらなかった。久しぶりに足腰の好調が持続していたので、1月下旬に思い切ってチャレンジしてみた。
最初に注意しておくが、途中にはトイレがまったくない。バスに乗車する直前にトイレに行っておくほうが無難だろう。


朝比奈バス停から歩き始める
バス停から50mほど戻っての出発だ。『朝比奈切通』だと思いこんでいたが、『朝夷奈切通』というのが正式名称のようだ。まったく知らなかった。(^_^;)
バス停にあった掲示板
バス停にあった掲示板
50m戻った地点
バス停方面の道から右折する。目指す入り口までは200mほどらしい。
50m戻った地点
200mほどのエントランス通路
途中の道はこんなふう
200mほどのエントランス通路_1
表示も何もなかったが、かなりの巨樹があった
200mほどのエントランス通路_2
徐々に勾配がきつくなってきた
200mほどのエントランス通路_3
入口に到着
鎌倉市側の状態と比較して、かなり見劣りがする。少なくとも、コーンなどはきちんと片付けておいてほしい。
もう少しきれいにしておいてほしいところだ。誰が管理しているのだろうか。
入口に到着_1
鎌倉七口のうち、最も高く険阻な道か。う~~ん、脅かしてくれるなあ。
入口に到着_2
横浜横須賀道路さえなければ、最高のロケーションなのだが。それにしても、いきなりの急勾配だなあ。
入口に到着_3
道端には石像がいくつか残っていた
入口に到着_4
余り安っぽい石で作ると怖いことになるなあ
入口に到着_5
歩き始める
いよいよ気張って行こうではないか。そう自分に気合を掛けた。
横浜横須賀道路の下を潜る。ここさえ過ぎれば、中世の道だ。
歩き始める_1
歩き始める_2
歩き始める_3
ここで上り坂はおしまいかと思った。あとで振り返れば、実に実に甘い願望に過ぎなかった。そういえば、入口の表示にも、鎌倉七口のうち、最も高く険阻な道と書いてあったんだ。
歩き始める_4

 

新年会会場までの道筋と新年会の料理

渋谷駅から南青山の会場まで歩く。これが案外楽しいのだ。渋谷って今では知らない人がいないだろう繁華街だが、もともとは神奈川の高座渋谷から流れてきた人たちが開いた当時の辺境だったようだ。本家より有名な存在って日立製作所とか富士通のような感じかな。

渋谷駅は大工事中
この大工事の影響で地下5階の東横線ホームからの乗り換えが非常に大変なことになっている。どうしても渋谷駅を使う必要があるならばいざしらず、多くの人が渋谷での乗り換えを毛嫌いしている。もう少し気がきいた計画を建てられなかったものかと思う。
銀座線のホームと通路橋の下から
渋谷駅は大工事中_1
かつての東横線ホーム跡には、巨大な鉄骨が組み立てられていた。下の階は線路やホームなどに使用される下駄履きの超高層ビルになるんだろう。巨大なクレーンの真下には『春の小川』に歌われた河骨川の下流である渋谷川が流れている。今回の大工事で、どういうふうな流し方をするんだろうか?
渋谷駅は大工事中_2
渋谷駅は大工事中_3
南青山
駅伝3連覇中の某大学の246を挟んだ反対側
ピラミッドのような建物は国連大学ビル。その手前は閉館したこどもの城。こどもの城の跡地には、首都災害医療センターが建設される予定だそうだ。少子化のご時世だから、子供の施設なんていらないのかなあ。岡本太郎先生のこどもの樹も寂しそうだなあ。
駅伝3連覇中の某大学の246を挟んだ反対側_1
駅伝3連覇中の某大学の246を挟んだ反対側_2
駅伝3連覇中の某大学の246を挟んだ反対側_3
駅伝3連覇中の某大学の246を挟んだ反対側_4
駅伝3連覇中の某大学の246を挟んだ反対側_5
紀伊国屋ビル
なんど見ても折れてしまいそうな印象を受ける。用事があったとしても長居したくはない。
紀伊国屋ビル_1
紀伊国屋ビル_2
紀伊国屋ビル_3

高樹町通りもしくは骨董通り
居酒屋傅八
イワシ・牛タンの店か。いくら位用意すれば入ることができるのだろうか。
居酒屋傅八
GRANNY SMITH
飼い主とワンちゃんが中に入りたそうにしていたのが印象的だった
GRANNY SMITH
隠れ房
ここも高そうだなあ。南青山には安心して飲むことができる店はないのかなあ。
隠れ房
クリントン ストリート ベイキング
ここはいつ見ても長蛇の列。人気抜群の店のようだ。
クリントン ストリート ベイキング
江戸屋美術
高樹町通りもしくは骨董通りという名前がついているのだから、昔はこの種の店が多かったのだが、今は数えるほどしか無い。寂しい話だ。
江戸屋美術

こちらはしがない会の新年会

新年会の料理
余り高い料理を注文しなかったので、こんなものだろうか。会計がケチなのだ。今の会計は私だ。会費を2千円しかいただかないでバカバカ飲まれてしまうと大変なので、飲放題付きにした。そうしたら、対象外のものを飲みたいというKYが出てきた。そういう我儘は遠慮してほしいなあ。
新年会の料理_1
新年会の料理_2
新年会の料理_3
新年会の料理_4
新年会の料理_5
新年会の料理_6
新年会の料理_7
新年会の料理_8

 

皇居周辺をぶらぶら(7)

東京銀行協会ビル
渋沢栄一が創設した東京銀行協会の集会施設だった大正初期に竣工の煉瓦造りの建物。設計は松井貴太郎(横河工務所)。再開発にあたって、以前の建物の雰囲気だけでも残そうとファザード保存をしたんだ。
東京銀行協会ビル_1
PDF画像を借用
東京銀行協会ビル_2
設計:横河工務所/築:1914(大正3)年
日本工業倶楽部と同じく、横川工務所による建築。やはり高層ビル部が増築されていますが、こちらは完全に高層ビルに外壁だけ取り付けた感じがして、何とも格好が悪い・・・。もともとの建物の形が、こうした高層ビル化には向かなかったようです。せめて、高層ビル部分がもう少し後ろに下がっていれば、まだ評価する声もあったでしょうに。

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
大正5年に建てられた煉瓦造の二階建ての外壁のうち、2面を残し内側に新築のビルが建てられました。「ファサード保存」と呼ばれる保存形式の代表的な建築です。新築のビルは平成5年に建てられ、この前後、このような形での保存が全国各地に見られるようになりました。
煉瓦造の外壁から、丸の内界隈が「1丁ロンドン」と呼ばれた頃をうかがい知ることができます。


明治生命館 【国指定重要文化財】
昭和の激動を乗り越えてきて今なお燦然と輝く明治生命館。国指定の重要文化財にふさわしい風格を持つ。多くの言葉は不要かと思う。
明治生命館 【国指定重要文化財】_0_1
明治生命館 【国指定重要文化財】_0_2
明治生命館 【国指定重要文化財】_0_3
明治生命館 【国指定重要文化財】_0_4
明治生命館 【国指定重要文化財】_1
明治生命館 【国指定重要文化財】_2
明治生命館 【国指定重要文化財】_3
明治生命館 【国指定重要文化財】_4
明治生命館 【国指定重要文化財】_5
明治生命館 【国指定重要文化財】_6
設計:岡田信一郎/築:1934(昭和9)年
5階分に相当する高さのコリント式列柱が並ぶ古典主義様式が非常に特徴的。遠くから見ても実に重厚で、立派で、近くで見ても装飾が素晴らしい。また、耐震構造にもなっていて(設計:内藤多仲)、これも評価できる部分です。


三菱一号館
どうして三菱地所は、突如解体して、復元するような不可解な動きをとったのだろうか。国指定の重要文化財として縛られるよりも気持ちのよい、そして、安全なレトロな建物を建てたかったのだろうか?
三菱一号館_1
三菱一号館_2
三菱一号館_3
三菱一号館_4
三菱一号館_5
三菱一号館_6
三菱一号館_7
三菱一号館_8
三菱一号館_9
三菱一号館_10
三菱一号館_11
設計:ジョサイア・コンドル/築:1894(明治27)年 (※2009年復元)
元々の建物は日本初のオフィスビルとして完成し、銀行などが入居。コンドルによる名建築の名が高く、国指定重要文化財にとの動きもありましたが、1968(昭和43)年に三菱地所が突如解体。その後、付近を丸の内パークビルディングとして再開発するにあたって2009(平成21)年に復元され、現在は三菱一号館美術館やレストランとして使用されています。


JR東京駅丸の内口 【国指定重要文化財】
オランダのアムステルダム中央駅を真似たという説は否定されつつあるようだが、実際に行ってアムステルダム中央駅を見てみると、既視感があるのだ。参考にさせてもらったのかもしれない。
JR東京駅丸の内口 【国指定重要文化財】
設計:辰野金吾/築:1914(大正3)年
辰野金吾の特徴とも言える煉瓦式の建築。現在のJR東京駅丸の内口は、戦災で3階部分が焼け、2階部分までを応急処置を施して復興したものです。取り壊しの話も出ながらも、2012(平成24)年に旧来の姿へ復元されました。
なお、中央の出入り口は皇室専用ですが、現在は使用されていません。また、オランダのアムステルダム中央駅を真似たという説もありますが、ほぼ否定されています。


以上で『皇居周辺をぶらぶら』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

皇居周辺をぶらぶら(6)

皇居の竹
たまたまなにもないと殺風景なので植えたのだと思うが、各種の竹が植えられている。急に竹やぶが見えるので、意表を突かれる感じだ。
キンメイモクソウ
キンメイモクソウ_1
キンメイモクソウ_2
ギンメイチク
ギンメイチク_1
ギンメイチク_2
キンメイチク
キンメイチク
オウゴンチク
オウゴンチク
説明標識
昭和天皇のおしるしが若竹だったのか。其れを平成8(1996)年に植えたんだ。全部撮っておけば良かった。
>説明標識

松の廊下跡
本丸御殿は現在芝生になっている部分とほぼ同じだと思っていたのだが、そうでもないようだ。この辺も御殿の一部だったのか。
松の廊下跡_1
松の廊下跡_2
CG_1
CG_2
下記の日記を読んでも、細かい事情はわからずじまい。浅野内匠頭には、それ以前に高家旗本筆頭の吉良上野介に、プライドを傷つけられたと思う経緯があったのだろう。
浅野内匠頭は何故刃物を所持できたのか。それが疑問だった。吉良上野介の下で勅使饗応の最終日だったとかで、儀式用に小さ刀(ちいさがたな。礼式用の小刀で脇差とはサイズが違う)で斬りかかったようだ。そうだったのか。
激しやすい主君だと、当該の藩士は大変な運命に否応なく巻き込まれたんだ。

幕府留守居番、梶川與惣兵衞の元禄14年(1701)3月の日記から一部を引用
其後御白書院の方を見候へば、吉良殿御白書院の方より来り申され候故、又坊主呼に遣し、其段吉良殿へ申候へば、承知の由にて此方へ被參候間、拙者大廣間の方御休息の間の障子明て有之、夫より大廣間の方へ出候て、角柱より六七間も可有之処にて雙方より出会ひ、互いに立居候て、今日御使の刻限早く相成り候儀を一言二言申候処、誰やらん吉良殿の後より「此間の遺恨覺えたるか」と聲を掛け切付け申候(其太刀音は強く聞え候へども、後に承り候へば、存じの外、切れ不申、淺手にて有之候)。我等も驚き見候へば、御馳走人の淺野内匠殿なり。
上野介殿「是れは」とて、後の方へ振り向き申され候処を又切付けられ候故、我等方へ向きて逃げんとせられし処を、又二太刀ほど切られ申候。上野介其侭うつ向に倒れ申され候。其時に我等内匠殿へ飛かゝり申候(吉良殿倒れ候と大かたとたんにて、間合は二足か三足程のことにて組付候様に覺え申候)。
右の節、我等片手は内匠殿小さ刀の鍔に當り候故、それともに押付けすくめ申候。其内に近所に居合申されし高家衆、并に内匠殿同役左京殿などかけ付けられ、其外坊主共も見及候処に居合候者共、追々かけ来り取りおさへ申候。


富士見櫓
こちらでは櫓の数は19となっている。以前取り上げたとき、多聞櫓を含めて46としたが、多聞櫓を除くと20となる。どちらが正しいのだろうか?
この方向からは石落としなどは見えない。当たり前といえば当たり前だ。昔はこの本丸を死守することが最重要だったんだ。
富士見櫓_1
富士見櫓_2
富士見櫓_1
説明書きには次のようなことが書かれてある
富士見櫓_3
富士見櫓_4
江戸城旧本丸の東南隅に位置する「富士見櫓」で、品川の海や富士山をご覧になったといわれています。現存の三重櫓は、万治2年(1659年)の再建で、江戸城本丸の遺構として貴重な存在といわれています。
天守閣が明暦3年(1657年)の大火で焼失した後は復旧されなかったので、富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられています。どこから見ても同じ形にみえるために、俗に八方正面の櫓とも呼ばれ、特に石垣上にせり出している石落し仕掛けのある南面の屋根が描く曲線はとても優美です。


石室
時代小説の格好の素材になりそうな石室だ。そこでは、どこぞへの抜け道ということになるのだろうが、実際には、貴重品などを避難させた蔵と考えるのが至当なのかなあ。本当の抜け道なのであれば、存在そのものを目立たないようにしてあったと思う。
石室_1
石室_2
石室_3
石室_4
富士見多聞北側の蓮池濠沿いにある石作りの蔵です。江戸城の遺構の中では比較的小さなもので、表の石組には焼けたような痕があり、多少ずれています。
入り口には扉を取り付けた穴があり、内部は20平方メートルほどの広さとなっています。伊豆半島産の安山岩(伊豆石)の切石で、隙間もないほどキッチリと壁が造られています。江戸城の抜け穴や御金蔵との説もありますが、場所柄から、火災などの際に貴重品などを避難させた蔵と考えられます。

 

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