散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

梅の季節の三渓園(4)

内苑に架かる亭榭(ていしゃ)
原三渓氏が設計して作らせたものだそうだ。亭榭は、あずまや、見晴らし台、ちんを意味する。『榭(しゃ)』は屋根のある台の意味。こんな漢字があるとは恥ずかしながら知らなかった。
内苑の雰囲気を数段良くしていると思う。高台寺の観月台に酷似していると思うが、どうだろうか。修学院離宮の千歳橋に類似した橋亭だという方もいらっしゃるようだ。
内苑に架かる亭榭(ていしゃ)_1
内苑に架かる亭榭(ていしゃ)_2
内苑に架かる亭榭(ていしゃ)_3
臨春閣などを見るための亭榭だが、臨春閣から見るとこんな風に見える
内苑に架かる亭榭(ていしゃ)_4
旧天瑞寺寿塔覆堂
現在、秀吉が建てたものと確認できる数少ないものの一つか。さすが秀吉フェチの原三渓氏の面目躍如。
旧天瑞寺寿塔覆堂_1
旧天瑞寺寿塔覆堂_2
旧天瑞寺寿塔覆堂_3
旧天瑞寺寿塔覆堂_4
旧天瑞寺寿塔覆堂_5
旧天瑞寺寿塔覆堂_6
迦陵頻伽が飾られてある
旧天瑞寺寿塔覆堂_7
迦陵頻伽が飾られてある
旧天瑞寺寿塔覆堂_8
確かに豊臣家の紋だ
旧天瑞寺寿塔覆堂_9
旧天瑞寺寿塔覆堂_10
旧天瑞寺寿塔覆堂【重要文化財】1591年(天正19年)建築
豊臣秀吉が母のために建てた寿塔を覆うための建物で、現在、秀吉が建てたものと確認できる数少ないものです。迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫りの深い装飾、そりあがった屋根は、荘厳さを感じさせます。
寿塔とは、長寿を祝って生存中にたてる墓で、現在、寿塔は京都大徳寺内の龍翔寺にあります。

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1591年(天正19年)建築。豊臣秀吉が母の長寿を祝って建てたものといわれる。旧大徳寺塔頭天瑞寺より1902年移築。

 

梅の季節の三渓園(3)

臨春閣(2)
『観梅会』開催中の三渓園。梅が終わると次は桜。この季節にふさわしい名前の御殿だなあ。
第二屋と第三屋
臨春閣(2)_1
臨春閣(2)_2
臨春閣(2)_3
臨春閣(2)_4
第二屋
臨春閣(2)_5
臨春閣(2)_6
第三屋
臨春閣(2)_7
臨春閣(2)_8
臨春閣(2)_9
臨春閣(2)_10
臨春閣(2)_11
臨春閣(2)_12
瓢箪文手水鉢
臨春閣(2)_13
臨春閣(2)_14
臨春閣(2)_15

 

梅の季節の三渓園(2)

いよいよ『内苑』と呼ばれるゾーンに入っていく。何度見ても素敵な建物が並ぶ。

御門
内苑の入り口にある。如何にも重要建築物があるゾーンに入ってきたんだという気持ちにさせる。心憎い演出だ。
御門_1
御門_2
御門を潜った辺り。右手が白雲邸だ。
御門_3
御門【横浜市指定有形文化財】1708年(宝永5年)頃建築
京都東山の西方寺にあった薬医門。

白雲邸
残念ながらこの門しか見たことがない。鶴翔閣と同様に貸し出し施設になっているそうだ。知人が借りて、招待してくれでもしない限り、見ることはなさそうだ。
白雲邸_1
白雲邸_2
白雲邸【横浜市指定有形文化財】1920年(大正9年)建築 <貸出施設>
大正9年(1920)建築。家族と暮らした鶴翔閣から離れ、亡くなるまでのおよそ20年を夫人と過ごした住まい。自らの着想で同郷の大工山田源市に建てさせたもので、臨春閣と呼応するようL字型の間取りで中庭を作り、内苑の古建築と総合的に計画されています。吟味された材料と伝統工法に基づいた数寄屋風のつくりは、鶴翔閣と同じく和風のライフスタイルを貫いた原三溪の木造建築への深い理解が読み取れますが、椅子・テーブル席となる談話室や屋根の構造など、近代的要素を和風建築へ導入する試みもみられます。
ひとこと&みどころ
内向きの住まいとして全体的に落ち着いた佇まいですが、夫妻それぞれの書院は名木・螺鈿をあしらい、個人的な部分に手の込んだ意匠を施しています。

白雲邸平面図
白雲邸平面図
臨春閣(1)
この建物のみ1件で3棟の重要文化財指定の建物。秀吉フェチの原三渓氏は、桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と信じて、これを手に入れたようだ。ところが皮肉なことに、徳川ゆかりの建物だったとか。吉宗も幼少期を過ごした御殿か。
玄関
内部公開時にはこの戸が開けられる
臨春閣(1)_1
全体の並び
手前から第一屋、第二屋、第三屋と展開している
臨春閣(1)_2
臨春閣(1)_3
臨春閣(1)_4
臨春閣(1)_5
臨春閣(1)_6
第二屋
臨春閣(1)_7
屋内の様子
第二屋の室内
臨春閣(1)_8
臨春閣(1)_9
第一屋の室内だったと思う
臨春閣(1)_10
臨春閣(1)_11
第三屋
臨春閣(1)_12

臨春閣 【重要文化財指定】 1649年(慶安2年)建築
桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、現在では和歌山県岩出市にあった紀州徳川家の別荘 巌出御殿ではないかと考えられています。内部は狩野派を中心とする障壁画と繊細・精巧な数寄屋風書院造りの意匠を随所に見ることができます。
ひとこと&みどころ
部屋の境にある欄間には、波の彫刻(第一屋)や、和歌を書いた色紙(第二屋)をはめ込むなどの工夫が凝らされています。 なかでも面白いのは、第三屋「天楽の間」にある欄間で、ここには、雅楽に馴染み深い笙と笛など本物の楽器があしらわれています。
紀州から徳川家8代将軍となった徳川吉宗は幼少期、巌出御殿に遊び育ちました。

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臨春閣(3棟)
1649年(慶安2年)建築。旧紀州徳川家藩別邸。紀州徳川家の初代徳川頼宣が紀州和歌山(和歌山県岩出市)に建てたもので、狩野派の襖絵などが見所である。1915年に移築。岩出御殿。数寄屋風書院の建物である。第一屋に玄関がある。第一屋と第二屋が平屋、第三屋のみが二階建てである。屋根は檜皮葺き、庇は柿葺き。

 

梅の季節の三渓園(1)

国の重要文化財建造物が10件12棟もある横浜市の三渓園。今回は重要文化財の建物内部の一部特別公開は一切なく、外から内部を覗くだけ。やや寂しい状況だった。(往訪日は2月16日)

園内案内図
案内図
大池から奥を見た様子
誰をも魅了するだろう圧倒的な景観。これが個人の資産だったとは。
この景観がこの園の売り
正門をくぐるとこの景観がドーンと目に入ってくる。最高の景観。何度見ても飽きることがない。
この景観がこの園の売り_1
この景観がこの園の売り_2
この景観がこの園の売り_3
大池にいた野鳥
特に変わった野鳥さんが居るわけではない。そうは言うものの、やっぱりいてくれたかと思わずほこっとしてくるから不思議だ。
大池にいた野鳥_1
大池にいた野鳥_2
大池にいた野鳥_3
大池にいた野鳥_4
大池にいた野鳥_5
大池にいた野鳥_6
大池にいた野鳥_7
大池にいた野鳥_8
大池にいた野鳥_9
大池にいた野鳥_10
大池にいた野鳥_11
大池にいた野鳥_12
鶴翔閣(旧原家住宅) 横浜市指定有形文化財 <貸出施設>
すごく立派な建物。比較的新しいので、まだ、国指定の重要文化財などにはなっていないが、さすが原三溪が建てた豪壮な邸宅であることがわかる。内部をじっくり見てみたいものだ。
鶴翔閣(旧原家住宅)_1
鶴翔閣(旧原家住宅)_2
鶴翔閣(旧原家住宅)_3
1902年(明治35年)三溪が建て、三溪園造成の足がかりになりました。広さ290坪に及ぶこの住宅は、主に、楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成されています。上空から見た形があたかも鶴が飛翔している姿を思わせることから、“鶴翔閣”と名づけられました。震災、戦災などをへて多くの改変がなされましたが、1998年(平成10年)から2000年(平成12年)にかけて修復工事を行い、建築当初の姿に復元されました。鶴翔閣には日本を代表する政治家や文学者が集い、横山大観、下村観山といった日本美術院の画家が創作活動のために滞在しました。こうした由緒ある歴史を背景に、現在、“利用できる横浜市有形文化財”として活用されています。大規模な日本間や広大な前庭を有し、茶会、句会などの日本的文化活動の場はもとより、国内外の賓客接遇、結婚披露宴、演奏会や展示会など、幅広い用途にご利用いただけます。
鶴翔閣平面図
鶴翔閣平面図
鶴翔閣の近くから見た三重塔
鶴翔閣の近くから見た三重塔

三溪園は、国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都5棟、和歌山3棟、神奈川2棟、岐阜1棟、東京1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有する。三溪園の土地は、原富三郎三渓の養祖父である原善三郎が1868年(明治元年)頃に購入したものである。単に各地の建物を寄せ集めただけではなく、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっている。園内にある国の重要文化財建造物10件12棟は、全て京都など他都市から移築した古建築であり、移築自体に本来の価値に対する評価を投げかける意見もあるが、中には現地で荒廃していた建築物を修復して移築したものも含まれている。

 

多摩川の野鳥

春一番と春の嵐とが吹き荒れた翌15日、早晩、冬鳥は飛び立ってしまうだろうと思い、強い危機感を覚えた。行ってしまわないうちにと、手っ取り早く野鳥が観察できるだろう多摩川に行ってみた。
前日までとは打って変わった寒い日。あまりの寒さと空模様が怪しくなってきたことから撤収を急いだ。玄関を出てから再び玄関に戻るまで70分弱。まるで根性無しの見本のような野鳥観察になってしまった。


D7100と50-500ミリとの組み合わせ
撤収直後に雨が降り出したくらいだったので、かなり暗かったし逆光でもあった。非常に撮影の条件が良くないが、どうパラメータをセットしてよいのか迷う。
オオバンがたくさん居る
D7100と50-500ミリとの組み合わせ_1
混成軍団で何がいるのかよくわからない。が、目を凝らしているうちにヒドリガモなどがいるように見えてきた。
D7100と50-500ミリとの組み合わせ_2
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こんなものもいた
D7100と50-500ミリとの組み合わせ_12
少し近くでオオバンを観察
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D7100と50-500ミリとの組み合わせ_14
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D7100と50-500ミリとの組み合わせ_22
岸に上がって、水草ではなく、普通の草などを食べるのかな?
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D7100と50-500ミリとの組み合わせ_28
P610
旅行などの際に、少し遠いところに撮影をするときに役立てようと、当面の底値になったときに購入した。飛翔シーンは得手でなくとも、とまっているときなどの画像はなかなかのもののようだ。F3.3~F6.5の明るさだそうだ。撮影日がものすごく暗い日だった所為か、スクリーンが少し見難い感じに思えた。
手前側にはオオバンが多かったが、川崎市側にはヒドリガモの方が多そうだった
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何か違うモードに入ったようだ
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モードが普通に戻った
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バレンタインデーは終わったばかりですよ。わき見をすると、ホワイトデーのお返しがなくなりますよ。
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テストにも練習にもならなかった。どこか場所を変えて再挑戦しなくちゃ。

 

横浜山手界隈を歩く(11)

イタリア山から戻り、元町公園の脇の道から北方小学校を通り、諏訪町から山手111番館に向かう

山手111番館に向かう道中
普段通らない道を通るのも乙なものと考えた
元町公園の端っこ
足腰がやや疲れてきた感じだった。ここで5分ほど小休止をとった。
元町公園の端っこ
時計のある家
この家を見たくて回り道をした。その途中の急坂で、踏ん張った瞬間に肉離れを起こしてしまった。何たるブザマ。
時計のある家
山手111番館
痛む足を引きずり、やっと到着した。なかなか素敵な家だといつも思う。
あのベーリック・ホールと同じ設計者が手掛けた
山手111番館_1
山手111番館_2
山手111番館_3
この回廊は片持梁で廻っていて、柱で支えられていない。このような建築様式はとても珍しく貴重なものなのだそうだ。ということで、普段は下から見るだけ。
山手111番館_4
外観からは想像できない室内の豪華さ。シックさに驚かされる。
山手111番館_5
山手111番館_6
山手111番館_7
窓の外の景観も素晴らしい。大佛次郎記念館などが見える。
山手111番館_8
山手111番館_9
山手111番館_10
山手111番館_11
山手111番館_12
確かにブラフに作られているんだ。それを実感させる階下への階段だ。
山手111番館_13
山手111番館_14

『はまれぽ』に取り上げられた『山手111番館』に関する紹介記事にjump

横浜市イギリス館
こちらも、全館工事中で、撮影ができなかった。仕方がないので、2013年6月22日撮影のもので、一部紹介する。
純英国式の建物は如何だろうか。これはこれで味があると私は思っている。
横浜市イギリス館_1
横浜市イギリス館_2
横浜市イギリス館_3
横浜市イギリス館_4
横浜市イギリス館_5
横浜市イギリス館_6
横浜市イギリス館_7
横浜市イギリス館_8
横浜市イギリス館_9
横浜市イギリス館_10
横浜市イギリス館_11
横浜市イギリス館_12
横浜市イギリス館_13

『はまれぽ』に取り上げられた『横浜市イギリス館』に関する紹介記事にjump

以上で、『横浜山手界隈を歩くシリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

横浜山手界隈を歩く(10)

ブラフ18番館
ここだけは『山手18番館』と呼称せずに、粋に『ブラフ18番館』と呼称するようだ。そんな雰囲気が感じられる。実は、解体によって建てられたいきさつが判明した興味深い建物。その詳しい経緯は、下記『はまれぽ』の記事に書かれている。興味のある向きはアクセスされたい。
最終的には、カトリック山手教会の司祭館として使用されていた。老朽化が進み、解体調査を横浜市が実施。その結果、建築の経緯が判明したようだ。そして、解体した部材は横浜市に寄付され、現在の場所に移築される運びとなったのだ。横浜市は喜んでもらい受けたのだろう。関係者一同の喜んだ顔が見えるようだ。
平成3(1991)年までカトリック山手教会の司祭館として使用されていて何度も見ていたはずなのに、恥ずかしながら記憶が今一つ。

外観
外観_1
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室内
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はまれぽに取り上げられた『ブラフ18番館』の記事にjump

 

横浜山手界隈を歩く(9)

イタリア山に向かう。ここには、外交官の家とブラフ18番館とがある。

外交官の家
海外暮らしが長かった外交官の内田定槌は、徹底的な洋風建築をジェームズ・マクドナルド・ガーディナーに依頼した。ガーディナーは、アメリカ人宣教師であり、立教大学の校長をつとめた異色の経歴を持つ建築家。その結実がこの邸宅。
正面から見ると普通の建売住宅のような感じだが、側面や裏側に回るとすごいのだ。渋谷区南平台に建てられた邸宅をこの地に移築したので、南平台ではこの設計が合っていたのかもしれない。
この建物は国指定の重要文化財。個人的にはこの家より前に、エリスマン邸やベーリック・ホールの指定の方が先だと思うのだが、どうなのだろうか。日本人が施主だったということが、そんなに有難いことなのだろうか?

外観
外観_1
外観_2
外観_3
外観_4
外観_5
外観_6
外観_7
外観_8
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建物内部
現在館内工事中で館内への立ち入りができない。そのため2013年6月22日撮影のもので紹介する。国指定の重要文化財だけのことはある。
建物内部_1
建物内部_2
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建物内部_6
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はまれぽに取り上げられた『外交官の家』の記事にjump

 

横浜山手界隈を歩く(8)

イタリア山に向かう途中
横浜ユニオン教会
2003年11月末に完成した新会堂だそうだ。横浜ユニオン教会は1872年に海岸教会(日本の最初のプロテスタント教会)の誕生と共に英語による超教派のプロテスタント教会としての宣教を行ってきたらしい。
横浜ユニオン教会
フェリス女学院中学校・高等学校
ヘボン式表記を考案したヘボン博士が創立に関与した横浜の名門校。ヘボンの表記はHepburnであり、オードリー・ヘップバーンに『親戚か』という質問がなされたことがあるとか。『もしかしたら、遠い祖先は親戚だったかもしれない』という回答だったようだ。
フェリス女学院中学校・高等学校_1
フェリス女学院中学校・高等学校_2
山手46番館(旧アイリン・ヴェロス邸)
フェリス女学院中学校・高等学校の向かいにある建物。建築年代は1920年代頃(昭和初期)だそうだ。
山手46番館(旧アイリン・ヴェロス邸)_1
山手46番館(旧アイリン・ヴェロス邸)_2
山手46番館(旧アイリン・ヴェロス邸)_3
山手46番館(旧アイリン・ヴェロス邸)_4
カトリック山手教会
カトリック横浜司教区の司教座聖堂。関東大震災で倒壊、昭和8年再建の建物。神奈川県、静岡県、長野県、山梨県を管轄区域としている。いわゆるカテドラルだ。長野県の教会でミサに与ったとき、祈りの言葉の途中でこちらの司教様の名前が出てきた。静岡県でもそうだった。ちょっと意外だが、弱小勢力でしかないカトリック教会では致し方のないことなのだ。
カトリック山手教会_1
カトリック山手教会_2
カトリック山手教会_3
カトリック山手教会_4
カトリック山手教会_5
こちらが墓地。外人墓地に隣接しているが、歴とした山手教会が管理する墓地。
カトリック山手教会_6
途中からの展望
MM21地区が意外によく見える
途中からの展望
今回は行かなかったが、こんなものもある
2013年6月撮影分から
山手68番館
今は山手公園管理事務所になっている
山手68番館_1
山手68番館_2
日本庭球発祥の地
日本庭球発祥の地_1
日本庭球発祥の地_2
日本庭球発祥の地_3
日本庭球発祥の地_4
日本庭球発祥の地_5
日本庭球発祥の地_6

 

横浜山手界隈を歩く(7)

ベーリック・ホール(2)

室内(2)
ここは1階の残りの部分
こちらもセントバレンタインデーの飾り立てをしていた。この部屋のシックさに似合っていた。
ベーリック・ホール(2)_1
ベーリック・ホール(2)_2
ベーリック・ホール(2)_3
ベーリック・ホール(2)_4
ベーリック・ホール(2)_5
この階段は立ち入り禁止になっていた。スタッフルーム用になっているのだろうか。
ベーリック・ホール(2)_6
ベーリック・ホール(2)_7
ベーリック・ホール(2)_8
素敵な階段だ
ベーリック・ホール(2)_9
ベーリック・ホール(2)_10
ベーリック・ホール(2)_11
ここからは2階部分
子供部屋。こんなお坊ちゃまに生まれたかったものだ。
ベーリック・ホール(2)_12
客用部屋
ベーリック・ホール(2)_13
執務部屋
ベーリック・ホール(2)_14
ベーリック・ホール(2)_15
夫人の部屋
ベーリック・ホール(2)_16
ベーリック・ホール(2)_17
ベーリック・ホール(2)_18
この手すりの最後の始末ぶりが洒落ている。う~~ん、いいなあ。
ベーリック・ホール(2)_19

 

横浜山手界隈を歩く(6)

ベーリック・ホール(1)
週末だと結婚式が行われていたりして、1階の半分ほどを見ることができなかったりするが、この日は幸いにも全部見ることができた。
こんな素晴らしい家屋がセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎だったのか。B.R.ベリック氏の子息がセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールのOBだったのかな。日本国内に数ある寄宿舎でも最上級のものだったんだなあ。

外観
スペイン風の建物か。本当に優美な建物だ。
ベーリック・ホール(1)_1
ベーリック・ホール(1)_2
ベーリック・ホール(1)_3
ベーリック・ホール(1)_4
ベーリック・ホール(1)_5
ベーリック・ホール(1)_6
ベーリック・ホール(1)_7
ベーリック・ホール(1)_8
室内(1)
ベーリック・ホール(1)_9
ここから先の空間は、結婚式の時には貸し切りになってしまい、見ることができない。この日は貸し切りの日ではなかったので、ゆっくり見ることができた。息をのむような美しい空間だ。
ベーリック・ホール(1)_10
ベーリック・ホール(1)_11
ベーリック・ホール(1)_12
ベーリック・ホール(1)_13
ベーリック・ホール(1)_14

べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンです。モーガンは山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築を残しています。600坪の敷地に立つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。内部も、広いリビングやパームルーム、和風の食堂、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復元されているなど、建築学的にも価値のある建物です。平成13(2001)年横浜市は、建物が所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受け、復元・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から建物と庭園を公開しています。

ベーリック・ホールを紹介した『はまれぽ』の記事にjump

 

横浜山手界隈を歩く(5)

エリスマン邸
隣接するベーリック・ホールと並んで、私の好きな西洋館だ。この日は飾り立てはほとんどなく、素のままの状態だった。それでも、素晴らしいたたずまい。アントニン・レーモンドの設計の素晴らしいさのなせる業なのだろう。
外観
こちらに面している側が元に建っていた位置でも南側だったのではなかろうか。陽光が燦々と降り注いだことなのだろう。
エリスマン邸_1
庭のオブジェが放置されているごみのように映ってしまった。下手な私の所為だ。m(__)m
エリスマン邸_2
エリスマン邸_3
室内
エリスマン邸_4
エリスマン邸_5
『違いが判る男の…』というCMがあった。こんなシチュエーションでコーヒーを飲む感じなどは如何だろうか。
エリスマン邸_6
エリスマン邸_7
何度も来ているのに、ここに楽譜入れが置かれていたのに、気づかないでいた。何を見ていたんだろう。往時は、相当にハイソサエティな暮らしぶりだったのだろう。
エリスマン邸_8
エリスマン邸_9
エリスマン邸_10
エリスマン邸_11
左側の面からの眺望が直下の通りだ。今は元町公園越しにマリンタワーが見える。この階下にある喫茶コーナーからも同様の眺望が楽しめる。元の建築位置での眺望はどんなだったのだろうか?
エリスマン邸_12
エリスマン邸_13
エリスマン邸_14
エリスマン邸_15
エリスマン邸_16
オブジェは『円結び』という作品だ。本来は赤い布切れを結び付けてオブジェを完成させていくのだが、先を急いでいたので、協力を惜しんでしまった。
エリスマン邸_17

エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。
当時は木造2階建て、和館つきで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、軒の水平線の強調など、設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られます。
昭和57(1982)年マンション建築のため解体されましたが、平成2(1990)年元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現されました。1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したものです。かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示しています。また、地下ホールは貸し出しスペースとして、昔の厨房部分は、喫茶コーナーとしてご利用いただけます。


エリスマン邸を紹介した『はまれぽ』の記事にjump

 

横浜山手界隈を歩く(4)

えの木てい 本店
山手234番館と同様に朝香吉蔵設計のこじんまりした建物。なかなかタイミングが合わず、今まで中に入ったことがなかった。今回念願がかなって初めて入ることができた。店内の写真を撮りたいと思い店の人に確認した。そしたら、『はい、有難うございます』との返事。他のお客様の邪魔にならないように、何枚か撮らせていただいた。
建物自体はこじんまりとした建物だ
えの木てい 本店_1
えの木てい 本店_2
店内は落ち着いた雰囲気。居心地の良さに、ついついまったりしてしまいそうだった。
えの木てい 本店_3
えの木てい 本店_4
えの木てい 本店_5
えの木てい 本店_6
私はレアチーズケーキが大好物。どこでも注文しまくっているなあ。
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えの木てい 本店_8
次回は2階を訪ねてみよう
えの木てい 本店_9
えの木てい 本店_10
かつて外国人居留地であった横浜山手には大正から昭和初期にかけて建てられたレトロな洋館が今でもあちらこちらに点在しています。
「えの木てい本店」もその洋館のひとつで、昭和2(1927)年日本人建築家朝香吉蔵氏が設計した英国式の洋館で当時を偲ばせる貴重な建築物としても知られています。元はアメリカン人検事が暮らしていましたが、昭和45(1970)年に現オーナーのご両親が自宅用に買い取りました。
歴史的建築物として有名なこの洋館には多くの人が撮影に訪れていました。もともとお菓子やお料理を作るのが大好きだった現オーナーのお母様は、時折そんな人々を招きいれて自家製のケーキとお茶でおもてなしをしていたのが始まりで、昭和54(1979)年、1階のリビングをカフェとしてオープンいたしました。店名は庭にある大きな榎から名づけられました。
木製の上げ下げ窓、冬は薪を焚く暖炉、150年以上も昔のアンティーク家具など、古き良き山手の雰囲気を漂わせるティールームでは、レアチーズケーキや英国風スコーンなどオープン以来のレシピをそのまま受け継ぐ人気メニューが今も健在です。

 

横浜山手界隈を歩く(3)

山手十番館
昭和42年(1967年)明治100年を記念して建てられた建物。周囲の雰囲気に合わせて建てられた比較的新しい建物だ。今はカフェとレストランになっている。何回か入ったことがあるが、今回はこのすぐ先の『えの木てい 本店』に行くつもりでいたので、パスした。
山手十番館_1
このガス灯は本物。ガス灯が点灯していると、陽炎がたっているので、すぐわかる。
山手十番館_2
山手十番館_3
山手資料館
明治42年に建造された、横浜市内に残る唯一の「和洋併設型住宅」木造西洋館。こんな狭小住宅が当時もあったのかと驚く。この西洋館のみ横浜市の所有ではなく、入館料が必要。
館内には、チャールズ・ワーグマンのポンチ絵や、ジェラールの西洋瓦等、文明開化当時をしのばせる展示品など、居留地だった頃から関東大震災までの横浜や山手に関する資料を展示しています。横浜市の歴史的建造物。
山手資料館_1
このガス灯も本物。光量は知れたものだが、独特の雰囲気が感じられよう。庭先までの立ち入りは無料。
山手資料館_2
山手資料館_3
山手資料館_4
横浜山手聖公会
1931年(昭和6年)、現在の礼拝堂竣工。その後も、空襲や放火で2度内部を焼失した。修羅場を潜り抜けてきた建物のようだ。
横浜山手聖公会は、神奈川県横浜市中区にある日本聖公会の教会堂である。プロテスタント・日本聖公会横浜教区に属する教会で、外形は大谷石を使ったノルマン様式の聖堂をもつ。
横浜山手聖公会
公衆電話ボックス
この地の雰囲気に合わせて後年設置されたものだろう。いまでは、公衆電話ボックスそのものをあまり見かけなくなった。時代の移り変わりを象徴している。
公衆電話ボックス
山手234番館
外国人向けの共同住宅。朝香吉蔵の設計が良かったのか、今に至るも陳腐化していないのはさすがだ。
それぞれの階に2つの住戸、あわせて4住戸だったのか。関東大震災後の住宅事情の良くない時期だったので、そのことを承知しているだろう外国人が何とか矛を収めて我慢できるぎりぎりの広さの共同住宅だったかもしれない。
エリスマン邸の斜め前、山手本通沿いに建つ山手234番館は、昭和2(1927)年頃外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に民間業者によって建設されました。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられ、設計者は、隣接する山手89-6番館(現えの木てい)と同じ朝香吉蔵です。
建設当時の施設は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられています。また、洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。
建築後、第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていましたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。平成9(1997)年から保全改修工事を行なうとともに、平成11(1999)年から一般公開しています。1階は再現された居間を中心に山手地区の洋館のパネル展示、2階は貸し出しスペースとして、ギャラリー展示や会議等にご利用いただけます。

山手234番館_1
山手234番館_2
バレンタインデーの前だったので、その飾りつけがなされていた。バレンタイン装飾 『白ネコさん家のバレンタインパーティー』という女性が喜びそうな飾りつけだった。
山手234番館_3
山手234番館_4
山手234番館_5
山手234番館_6
山手234番館_7
山手234番館_8
山手234番館_9
山手234番館_10
我が家にもあったSINGERのミシン。これがあるだけで、レトロな雰囲気が出るなあ。さすがの存在感だ。
山手234番館_11
山手234番館_12
2階では女流写真家EMIKO NAKAI氏の『お伽草子』なる個展が開催されていた。印画紙などを使用せずに和紙にプリントアウトした独特の作品だった。力作ぞろいのように感じた。
山手234番館_13
山手234番館_14
山手234番館_15
山手234番館_16

 

横浜山手界隈を歩く(2)

アメリカ山の前には外人墓地と横浜気象台とがある

外人墓地
平日は公開されていない。隙間から撮っただけ。
外人墓地_1
外人墓地_2
外人墓地_3
横浜地方気象台
気象台の本館はなかなか風格のある建物だ。館内は以前に見学したことがあったので、軽く見るだけにとどめた。
前には、桜などの標本木が植えられていた。桜はまだまだのようだったので撮らなかった。

横浜地方気象台_1
横浜地方気象台_2
簡素ではあるが、格調ある出入り口だ
横浜地方気象台_3
阿部彦吉が発明した『阿部式電気時計』が来場者を迎えてくれる。この型式の時計で、現存が確認されているのは、この横浜地方気象台のものと旧山形県庁舎『文翔館』のものの二つだけとのことだ。説明書きによれば、仕組みとしては機械式だが、親時計から複数の子時計(時計盤)に電気信号を送り、時刻を同期させているもので、発明者の名をとって、『阿部式電気時計』と呼ばれたとか。以前は、官庁には必ず設置されていたものだったようだ。
横浜地方気象台_4
階段も素敵だ
横浜地方気象台_5
横浜地方気象台_6
横浜地方気象台_7
旧所長室
横浜地方気象台_8
横浜地方気象台_9
昔使われていた観測機器
横浜地方気象台_10
横浜地方気象台_11
横浜地方気象台_12

横浜地方気象台の前身である「神奈川県測候所」は横浜市の海岸通り付近にありましたが、大正12年(1923年)の関東大震災で庁舎が倒壊し、昭和2年(1927年)に旧米国海軍病院跡地である現在地に再建されました。昭和14年(1939年)には気象官署が国へ移管され「横浜測候所」と名称を変更し、昭和32年(1957年)に現名称になりました。現在稼動している気象台庁舎としては国内で三番目に古い施設です。築80年を経て、歴史的・文化的価値を活かす改修と増築を行い、最新の機能をもつ施設になりました。
既存庁舎は、横浜山手地区に特有なブラフ積みと呼ばれる石積み擁壁を含めて平成17年(2005年)に横浜市有形文化財に指定されました。

 

横浜山手界隈を歩く(1)

久しぶりに山手の西洋館などを見て回った。必ずしも西洋館ばかりではないので、ご容赦を。

アメリカ山
元町中華街駅の改札前のエレベータを乗ると、この公園に着く。ここのお花畑が何とも美しい。花を撮っているうちにメジロが2羽いたのがわかった。レンズを装着しているうちに飛んで行ってしまった。残念。
この公園はビルの5階の高さがある。そのため、結構な景観だ。到着した時は園児たちがたくさん遊んでいた。ほどなく、昼食の時間が迫ってきたのか引き上げていった。
真下には駅名通り『中華街』がある。春節の真っ最中でにぎわっていることなのだろう。

アメリカ山_1
アメリカ山_2
公園内には、美しい花がいっぱい植えられている。いつも楽しみにしている。
アメリカ山_3
アメリカ山_5
アメリカ山_6
アメリカ山_7
アメリカ山_8
アメリカ山_9
アメリカ山_10
アメリカ山_11
アメリカ山_12
アメリカ山_13
アメリカ山_14
アメリカ山_16
アメリカ山_17
アメリカ山_18
アメリカ山_19
アメリカ山_20

こちらの冒頭部にアメリカ山のことが詳しく紹介されている

 

軍港クルーズ(11)

最後に我が海上自衛隊の護衛艦。イージス艦はこの日は1艦のみか。必ずしも最新の艦船と装備とでなくとも構わないとは思うが、やや更新のスピードが遅過ぎはしないか。米軍の方は、艦船の躯体はさほど新しくなくとも、装備の更新は実にスピーディーだ。その差は大きい。

艦船番号152&153
やまぎり(DD-152)は、海上自衛隊の護衛艦
ゆうぎり(DD-153)は、海上自衛隊の護衛艦

あさぎり型護衛艦は、海上自衛隊が運用する汎用護衛艦(DD)の艦級。今回取り上げた汎用護衛艦(DD)の中では最も旧型の艦船になる。両側の艦船と比較すれば、大きさも一回り小さい。
艦船番号152&153_1
艦船番号152&153_2
艦船番号152&153_3
艦船番号152&153_4
艦船番号152&153_5
艦船番号152&153_6
free画像を借用。艦船番号152&153と同型艦の『せとぎり』。
艦船番号152&153_7
艦船番号171
はたかぜ(DDG-171)は、海上自衛隊の第三世代ミサイル護衛艦
はたかぜ型護衛艦は、海上自衛隊が運用するミサイル護衛艦(DDG)の艦級。174と艦船番号が接近しているが、174はイージス艦であり、その差異は大きい。
艦船番号171_1
艦船番号171_2
艦船番号171_3
艦船番号171_4
free画像を借用
艦船番号171_5
艦船番号174&110
きりしま(DDG-174)は、海上自衛隊の護衛艦(イージス艦)
こんごう型護衛艦は、ミサイル護衛艦の艦級。海自初のイージスシステム(AWS)搭載護衛艦にして、アメリカ海軍以外が初めて保有したイージス艦。海上自衛隊のイージス艦は数少ないので、見ることができるのは稀だそうだ。
たかなみ(DD-110)は、海上自衛隊の護衛艦
たかなみ型護衛艦は海上自衛隊が運用する汎用護衛艦(DD)の艦級。たまたま近くに停泊していたので、2艦をまとめたが、その能力差は歴然たるものだ。
艦船番号174&110_1
艦船番号174&110_2
艦船番号174&110_3
艦船番号174&110_4
艦船番号174&110_5
艦船番号174&110_6
艦船番号174&110_7
艦船番号174&110_8
艦船番号174&110_9
艦船番号174&110_10
以下2点はfree画像を借用
艦船番号174&110_11
艦船番号174&110_12
艦船番号183
いずも(DDH-183)は、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)
いずも型護衛艦の1番艦。太平洋戦争期の正規空母・雲龍型航空母艦や蒼龍を若干ながら上回る規模と排水量を有し、2015年現在、2番艦の「かが」と共に海上自衛隊では最大の護衛艦。個人的な感想だが、外観上はあまり威圧感がない艦船のように思える。しかしながら、搭載機が実に強力。SH-60K哨戒ヘリコプター、MCH-101掃海・輸送ヘリコプターなど計14機が搭載されている。
艦船番号183_1
艦船番号183_3
艦船番号183_4
艦船番号183_5
以下3点はfree画像を借用
艦船番号183_6
艦船番号183_7
私も行ってみたかった
艦船番号183_8

以上で『軍港クルーズ』を終了します。横須賀本港及び長浦港に停泊中の艦船の様子などを確認いただけたでしょうか?最後までご覧いただきありがとうございました。

 

軍港クルーズ(10)

長浦港から『新井掘割水路』を通って、再び横須賀本港に戻る

明治時代に掘削された横須賀本港と長浦港を結ぶ人工水路の『新井掘割水路』
何度通っても気分が良い掘割だ
望遠レンズで撮ると奥行きは圧縮されるが、左右方向の圧縮がそれほどでもない。見た目以上に幅広く見える感じだ。
新井掘割水路_1
海上自衛隊の主力艦船等がチラと見えてくる
新井掘割水路_2
新井掘割水路_3
新井掘割水路_4
新井掘割水路_5
新井掘割水路_6
新井掘割水路_7
新井掘割水路_8
左側は吾妻島
燃料小屋弾薬庫があるといわれているが、民間人の立ち入りは厳禁だそうだ。当然のことだろう。
新井掘割水路_9
新井掘割水路_10
以前は引き込み線でこの陸地側から燃料をUNLOADINGしていたそうだ。いまは、どうしているのだろうか。見たことはないが、タンクローリー輸送に代わっただけなのだろうか?それともタンカーで直接運ぶのだろうか?
新井掘割水路_11

新井掘割水路を通過すると、左手には米軍艦船が、右手には海上自衛隊艦船が見えてくる

こちらは、米軍側
最初に詳しく取り上げたので、違った角度から見た様子のみを見ていただくにとどめる
米軍側_1
米軍側_2
空母ロナルド・レーガン(CVN-76)は76という表示がよくわかる
米軍側_3
米軍側_5
一番手前の89はミサイル駆逐艦マスティン
米軍側_6
こちらは、海上自衛隊側
こちらはじっくり見ていただく
特務艇『はしだて』
こちらはその豪華な内装や任務の特殊性から『海の迎賓館』、『迎賓艦』、『迎賓艇』とも呼ばれるもの。もちろん、私などが乗ることができる船ではない。
特務艇『はしだて』_1
真後ろの住宅は、軍事オタクの人が羨ましがるほどの眺めだろう。あそこからだろ、空母や巡洋艦、駆逐艦を毎日見ることができることだろう。
特務艇『はしだて』_2
内外からの賓客を迎える本来の迎賓艇としての機能に加え、阪神・淡路大震災以降重視されている災害派遣における医療支援機能や救難指揮機能を有している。会議室は災害時の対策本部として運用可能で、パーティー用スペースはテントを張って、カンバスで区切りマットレスを並べることで臨時の医療室とすることができる。休憩室も、折り畳みベッドを並べて病室とすることができる。なお、これら医療支援任務に用いられる医療器具は本艇の備品として常に搭載されている。医療支援任務に就いている際に本艇が沈没する場合に備えて、乗組員のみならず負傷者や医療者の救命胴衣も搭載している。
多用途支援艦『えんしゅう』
えんしゅう(MS-4305)は、海上自衛隊の保有する多用途支援艦。諸外国海軍の航洋曳船(オーシャンタグ)に相当するものだそうだ。除籍後に標的艦として処分される艦船を沖合まで曳航するようなことを行う。
多用途支援艦『えんしゅう』_1
多用途支援艦『えんしゅう』_2
試験艦『あすか』
あすか(ASE-6102)は、海上自衛隊の試験艦。海上自衛隊としては15年ぶりの試験専用艦で、省力化やステルス化を目的とした艦載兵器実験艦。海上自衛隊の最新装備は必ず、この艦に積載して性能試験を実施するそうだ。その意味では極秘事項の塊のような艦船だ。
試験艦『あすか』_1
試験艦『あすか』_2
試験艦『あすか』_3
試験艦『あすか』_5
望遠レンズで見るとすぐ近くだが、泳ぐとそれなりに大変な距離がある。間違っても海に飛び込んではいけない。
試験艦『あすか』_4

閑話休題
疲れた頭も疲れていない頭も、いろいろあるでしょう。たまには、暇つぶしに下記のブログの問題に挑戦してみてはいかがでしょう。
☆が10点、☆☆が20点という風に☆☆☆☆☆まであります。数学に向かない私のレベルでは☆がやっとで、☆☆もたまにはというところです。☆が4勝0敗、☆☆が1勝1敗というところで、目下は、最下位争いを繰り広げているレベルです。1敗分の答えは出せそうですが、いまだに内容を理解できず、…。いずれ☆☆☆以上にも手を出してみたいものです。
まあ、自転車操業状態なので余裕がないのですが、それ以上に知恵がありません。


☆オリジナルの高校数学の問題を掲載していきます☆

 

軍港クルーズ(9)

東京湾とか瀬戸内海とか機雷を仕掛けられたら、日本の経済活動が一瞬にして停止してしまう。その影響の大きさは極めて重大だ。万が一にでもそうならないよう、敵潜水艦の活動を阻止しなくてはいけない。不幸にしてそういう事態が起きてしまった場合には、その危険性を速やかに除去しなくてはいけない。その意味で、この日本においては、掃海艦艇の存在は非常に重要だ。

303&301の掃海艦コンビ
やえやま (MSO-301)は、海上自衛隊の掃海艦
はちじょう(MSO-303)は、海上自衛隊の掃海艦

潜水艦隊のための航路啓開を主任務としており、従来の掃海艇では対処不可能な深深度に敷設された機雷への対処能力が付与されている。従来の海上自衛隊掃海艇と同様、磁気反応型機雷を避けるため木造であり、アメリカ海軍のアヴェンジャー級とともに、世界最大級の木造船舶となっている。この艦級は、深深度機雷に対処するといわれる。
303&301の掃海艦コンビ_1
303&301の掃海艦コンビ_2
303&301の掃海艦コンビ_3
右端の艦船は廃艦扱いになったものだろうか。おそらく、昨2015年に退役した海洋観測艦『すま』だと思われる。下手に売却して、それが敵対国にわたり、装備を丸裸にされる危惧をなくすべく、装備は徹底して除去し、最終的にはミサイル発射訓練の標的にされる運命が待ち受けているのだろう。
303&301の掃海艦コンビ_4
昨2015年に退役した海洋観測艦『すま』だと思われる艦船の単独画像
303&301の掃海艦コンビ_5
昨2015年に退役した海洋観測艦『すま』だと思われる艦船の退役前の画像
303&301の掃海艦コンビ_Ex
303&301の掃海艦コンビ_6
604&606の掃海艇コンビ
えのしま(MSC-604)は、海上自衛隊の掃海艇
はつしま(MSC-606)は、海上自衛隊の掃海艇

えのしま型掃海艇は、先行するひらしま型をもとに、船体構造を繊維強化プラスチック(FRP)製としたものであり、海自掃海艇初にして日本最大のFRP船となっている。中深度域での機雷対処能力を備える。
604&606の掃海艇コンビ_1
604&606の掃海艇コンビ_2
ウミウかな?
係船浮標に鵜が何羽かいた。思ったのは、カワウかウミウかだ。カワウよりもウミウの方が若干大きいとか。だが、並んでいない限り判断の材料にならない。黄色い部分がとがっているか否か、拡大しても断定するほどの自信はないが、ウミウかなと思った。
ウミウかな?_1
ウミウかな?_2

 

軍港クルーズ(8)

海上自衛隊期待の海洋観測艦コンビ
にちなん (AGS-5105)としょうなん(AGS-5106)
世界に冠たる実力を秘める海上自衛隊の潜水艦と掃海艦艇。この両者の能力をフルに発揮させるには、海洋観測艦による情報収集が必要不可欠となる。こちらも、世界屈指の情報収集能力を誇るようだ。
海洋観測艦の主任務は、海底の地形や底質、潮流、海流、磁気、水温、水質など対潜戦に影響を与える自然環境のデータ化。海底地形や海流は、潜水艦の航行や機雷の設置が可能箇所の判別に必要なものであり、水質はソナー探知と密接な影響がある音響伝播の状況を調べるために必要なものだそうだ。これで、潜水艦や掃海艦艇の活躍を強力にバックアップするわけだ。武器は一切搭載していない。海洋観測で得たデータは、敵対勢力には絶対に漏らしてはいけない極秘情報になるのだろう。暗号化とか復号化とかには相当に複雑なロジックが使用されているのだと思う。
外見上は、艦首のバウ・シーブの有無が大きく異なる点。しょうなん(AGS-5106)は多少装備を割り切ったようだ。

にちなん (AGS-5105)としょうなん(AGS-5106)_1
にちなん (AGS-5105)としょうなん(AGS-5106)_2
にちなん (AGS-5105)としょうなん(AGS-5106)_3
にちなん (AGS-5105)としょうなん(AGS-5106)_4
にちなん (AGS-5105)としょうなん(AGS-5106)_5
にちなん (AGS-5105)としょうなん(AGS-5106)_6
にちなん (AGS-5105)としょうなん(AGS-5106)_7
にちなん (AGS-5105)としょうなん(AGS-5106)_8
にちなん (AGS-5105)としょうなん(AGS-5106)_9
米軍の海洋観測艦
USNS Pathfinder (T-AGS 60)という艦船などがあるようだが、横須賀では見たことがない。運用は海上輸送司令部の文民要員によって行われており、主として海軍気象海洋コマンド(NMOC)の任務に充当されているのだそうだ。
USNS_Pathfinder_(T-AGS_60)

 

軍港クルーズ(7)

一旦中断していた『軍港クルーズ』シリーズを再開する。この間に、北朝鮮のミサイル発射があったりして、横須賀も大変な緊張状態にあったと思われる。何もないのが一番だが。

アメリカ海軍施設のある横須賀本港を一旦離れ、一瞬だが東京湾に出る
消磁装置
磁気に感応して爆発する機雷がある。航行中、地磁気、海水高速接触等によって、鋼鉄製の船は必ず磁気を帯びてしまう。そのままでは、機雷の餌食になってしまう。そういう危険海域に出動する可能性がある艦船は、磁気レベルを支障のないレベルまで下げる必要がある。そのための装置だ。
消磁装置_1
消磁装置_2
千葉県側もよく見える
あちらは富津かな?父は何度か遠泳で横断した。私はどうやっても無理そうだが。
千葉県側もよく見える_1
千葉県側もよく見える_2
西北西方向には富士山も
西北西方向には富士山も
空母も相当大きいが、タンカーも負けずに大きい
☆のマークにSTELLATAと書かれてあった。住友重機械マリンエンジニアリングで建造中のものらしい。今月引き渡し予定で、テスト航海も行っているようだ。
空母も相当大きいが、タンカーも負けずに大きい_1
空母も相当大きいが、タンカーも負けずに大きい_2
独立行政法人海洋研究開発機構
大深度有人潜水調査船『しんかい6500』を所有する。予約が必要だが、見学をさせてくれるようだ。写真撮影は不可なんだろうなあ。
独立行政法人海洋研究開発機構_1
独立行政法人海洋研究開発機構_2
すぐに海上自衛隊の司令部のある長浦港に入る
巨大なクレーン
深田サルベージはすごいのを持っているんだなあ。建造費用がどのくらいかかったのだろうか。聞いたら腰を抜かしそうだ。
巨大なクレーン_1
巨大なクレーン_2
巨大なクレーン_3
母艦機能を強化した海自初の潜水艦救難母艦『ちよだ』
AS-405潜水艦救難母艦としては『ちよだ』は、今日に至るまで海自における唯一の存在。因みに平成12年竣工の2代目『ちはや』は母艦機能を軽減した潜水艦救難艦として建造された。『ちよだ』は各種の新技術を投入して建造された自衛艦建造史に特筆される艦でもある。
以前、海上自衛隊は宿泊船を持たないと記述したが、この『ちよだ』は潜水艦乗員1隻分(約80名)の宿泊が可能になっている。但し、用途限定なのだ。

潜水艦救難母艦『ちよだ』_1
潜水艦救難母艦『ちよだ』_2
白く見えるのが、深海救難艇DSRV。普段は扉が閉められていて、停泊していても見えないことが多いそうだ。
潜水艦救難母艦『ちよだ』_3
潜水艦救難母艦『ちよだ』_4
潜水艦救難母艦『ちよだ』_5
米軍の潜水艦母艦AS-40フランク・ケーブル
実物を見たことがあるが、ものすごく大きい艦船だ。設備的には甲乙つけがたいとは思うが、大きさは比べ物にならないほどに大きい。向こうは、原子力潜水艦をも扱うから、それなりの装備が必要なのだろうか。FREE画像を借用
Frank_Cable(AS-40)

 

東京港野鳥公園にて

入手した超望遠レンズに早く慣れたくて、いつもより出かける頻度が高くなった。何だかガキみたいだなあ。
近くはまだしも遠くは解像力にやや難がある感じ。絞りを少し絞り込む必要ありなのかなあ。そんな評価が書かれていたのを今頃思い出した。


被写体までの距離が物理的に近い場合は、絞り開放でも何とかなったような気が
イソシギ
Tv (シャッター速度):1/5000、Av (絞り数値):6.3、ISO感度:AUTO(2200)、焦点距離:500
イソシギ_1
イソシギ_2
イソシギ_3
イソシギ_4
イソシギ_5
イソシギ_6
イソシギ_7
白鶺鴒
白鶺鴒_1
白鶺鴒_2
白鶺鴒_3
白鶺鴒_4
白鶺鴒_5
白鶺鴒_6
オオジュリン(大寿林)
オオジュリン(大寿林)_1
オオジュリン(大寿林)_2
オオジュリン(大寿林)_3
被写体までの距離が物理的に遠い場合は、絞りをしっかり絞り込む必要がありそう
カイツブリ(鳰)
Tv (シャッター速度):1/5000、Av (絞り数値):6.3、ISO感度:AUTO(1100)、焦点距離:500
初めて遭遇したのに、はっきり撮れていなくて残念。絞りがテレ端で6.3だから、要するに絞りは開放だったわけか。被写体までの距離が物理的に遠い場合は、これだと制御しきれず、こういう風なぼけた画像になる嫌いありか。Av優先で8.0にしてみるべきだったかなあ。NIKON D7100は、8.0でAFがきくのかなあ。
カイツブリ(鳰)_1
カイツブリ(鳰)_2
カイツブリ(鳰)_3
カイツブリ(鳰)_4
カイツブリ(鳰)_5
カイツブリ(鳰)_6
カイツブリ(鳰)_7
カイツブリ(鳰)_8
カイツブリ(鳰)_9
カイツブリ(鳰)_10
カイツブリ(鳰)_11
カイツブリ(鳰)_12
オオバン(大鷭)
淡水のところでも海水のところでもよく見かける。塩味があってもなくても平気なのだろうか。
オオバン(大鷭)_1
オオバン(大鷭)_2
オオバン(大鷭)_3
オオバン(大鷭)_4
キンクロハジロ(金黒羽白)とホシハジロ (星羽白)
この池のところは、淡水の池。彼らの好みなのだろうか。
キンクロハジロ(金黒羽白)とホシハジロ (星羽白)_1
キンクロハジロ(金黒羽白)とホシハジロ (星羽白)_2
アオサギ
アオサギ
カワウ
だと思うが、ウミウかなあ。いつも自信なし。
カワウ_1
カワウ_2
マガモ
マガモ

トラツグミが居たそうだ。ここでは数年ぶりに観察できたとかで、みんなが盛り上がっていた。私が来たときは、もう見えなくなっていたようだ。
トラツグミの話は、熱心に撮っていたカメラマンに聞いた。1Dxと328との組み合わせで狙っていた。他では、トラツグミが観察できるのはそれほどまれではないそうだが、個々のトラツグミを狙っているのだとか。
また、別な方はカワセミも見たとか。
なぜ、そういう決定的瞬間に出会えないのか。多分に鈍臭い爺さんなのだろう。


飛行機も
まあ、飛ぶモノには違いない
飛行機も

バスで大森駅に出たら、人身事故勃発で、京浜東北線は動いていなかった。復旧予定時刻を聞いたら、隣の大井町駅まで歩いていけるくらいだった。ままよと歩き出したのだが、途中で嫌になった。駅間が2.2kmもあったようだ。野鳥公園での歩きと合わせると、だいぶ歩いたなあ。後で知ったのだが、大森駅から自宅近くまで行くバスがあったようだ。何たることだ。

 

自然教育園にて

今時分(撮影日2月2日)の花を、そして、もし居れば鳥さんをも撮りたいと思って、目黒駅近くの自然教育園に行ってみた。65歳以上は無料なので、片道220円のバス代さえ支払えば、ずっと楽しめる格好の場所だ。片道くらいは歩いてでも行けそうだが、今は身体不自由の状態なので、無理はしない。

花は非常に寂しかった
端境期なので、あるがままの状態を見せる自然教育園には殆ど花がなかった。そのことはあらかじめ承知はしていたものの寂しい限り。
ユキワリイチゲ
何となく勢いがなさげな花という印象。とても雪を割って顔をのぞかせるような逞しさは感じられない。イメージを覆して元気よく咲いてもらいたいものだ。
ユキワリイチゲ_1
ユキワリイチゲ_2
福寿草
まだつぼみが出てきた程度。もっと寒いところでも開花している話を聞くのに、東京でこの状態とは、ややがっかり
福寿草_1
福寿草_2
福寿草_3
ドライフラワーたち
ヤマアジサイ、ウバユリなどが往時の形を維持して頑張っているようだ。
ドライフラワーたち_1
ドライフラワーたち_2
ドライフラワーたち_3
ドライフラワーたち_4
シモバシラの霜柱は残念
10時開園では間に合わないよなあ。霜柱が無いと、ただの枯れ草でしかない。
シモバシラの霜柱は残念
マンリョウ
マンリョウ
センリョウ
センリョウ
ハンノキ
とてもきれいとは思えない花。かなりの花粉をまき始めたようだ。スギ花粉の飛散が本格化する前に花粉症の方は要注意かも。尤も、東京都の絶滅危惧種とかで、大勢に影響はないのだろう。
ハンノキ_1
ハンノキ_2
ヒメガマ
季節なのか、綿が千切れるように少しずつ風に吹かれて飛んでいく光景が観察できた。少しは離れたところで新しい命をはぐくんでほしいということなのだろう。
ヒメガマ_1
ヒメガマ_2
ヒメガマ_3
ヒメガマ_4
アオキの実
自然教育園の資料によれば、野鳥さんには不評のようで、歯型が残ったままの実も見られるとのこと。
アオキの実_1
アオキの実_2
鳥撮りは厳しかった
見ごろ情報に出ていたツグミとエナガとは、肉眼でちらと見た程度。後でと思ったが、それっきり。10時開園では難しいのかなあ。
メジロ
ちょこまか動いていたので、小さな池越しで撮るのがやっと。トリミングしないとこんなものなのかなあ。
1/640 F6.3 ISO AUTO(400) FOCAL DISTANCE500mm Nikon D7100
メジロ_1
メジロ_2
1/5000 F6.3 ISO AUTO(5000) FOCAL DISTANCE460mm Nikon D7100
メジロ_3
1/5000 F6.3 ISO AUTO(4500) FOCAL DISTANCE460mm Nikon D7100
メジロ_4
ヒヨドリ
ヒヨドリ_1
ヒヨドリ_2

肉眼で見た後、すぐにカメラを構えたが、初めての屋外なので、対応できず。恥ずかしながら、ファインダーに入れることができなかった。う~~ん。

その他
ひょうたん池
きれいだけど、何もいなあいなあ。
ひょうたん池
これはスズメバチの巣?
これはスズメバチの巣?

 

洗足池にて(2)

水鳥の様子など(2)
オナガガモ
『しあわせだなあ。僕は君といるときが一番だよ』『あら、そうなの』って感じかなあ。
オナガガモ_1
オナガガモ_3
オナガガモ_4
オオバン
カモのような本格的な水かきがなく、移動はちょっと大変そうだ。ちょっと長い距離の移動は当然だが、目的場所近くまで飛んでいく。水上では額板が目立つが、陸上では巨大な趾が見るものを驚かせる。クイナ科の鳥さんなんだなあ。
オオバン_0
オオバン_1
オオバン_2
オオバン_3
オオバン_4
オオバン_5
漸く目を写すことができた。本当に見えにくい目だなあ。ふぅーっ。
オオバン_6
ユリカモメ
白が大部分のこういうかわいらしい姿はこの時期だけらしい。典型的な冬羽だ。Black-headed Gullって言われても、この鳥と結び付けられない日本人が殆どだろう。
夏羽は頭部が黒褐色になる(英名:Black-headed Gull)。冬羽は頭部が白く、目の後ろに黒い斑点があるのが特徴。
ユリカモメ_1
ユリカモメ_2
ユリカモメ_3
FREE画像を借用した。同一種だと判断できるだろうか?
ユリカモメ_4
カワウ
他の鳥を撮るのに気を撮られていたら、『撮ってくれないのかよ』とばかりに飛び出した。あまりカワウが好きでないところを見透かされたかもしれない。慌てて追ったが、見事なピンボケに。レンズの所為?カメラ本体の所為?いえいえ、撮り手の私の所為でしょう。
カワウ_1
そしてかなり遠い杭の上で一休み。意地悪だなあ。
カワウ_2
アオサギ
無念無想の坊さんのようだった
アオサギ_1
アオサギ_2
突如動き出したと思ったら、白いものが勢いよく尻から。ここは君たちのトイレだったのかなあ。またもやピンボケだあ。
アオサギ_3
コイ
唯一の湧水が流れ込むところ。どういうわけかこの場所が好きなようだ。
コイ_1
コイ_2
コイ_3

少し遠いとAPS-Cとの組み合わせでもテレ端が500mmはちょっと厳しい感じ。このレンズはこのレンズで使い勝手がよさそうだが、もう少し長いものの方が野鳥さん撮影にはよさそうだ。

 

洗足池にて(1)

少し歩き回ろうと思っていたものの、2月朔日はものすごい寒い日になってしまい、軟弱にも往復とも電車で出かけた。従って歩いた距離は洗足池一周のごくわずかなものになってしまった。
運が良ければ、カワセミも見ることができるだろうか、などと期待していたのだが、目論見は大外れ。

袈裟掛けの松ほか
弘安5年9月(1282年)、体調を崩した日蓮上人が常陸国(茨城県)に湯治に行く途中、日蓮に帰依していた池上宗仲の館(現在の池上本門寺所在地)を訪れる前、千足池の畔で休息し、足を洗ったという言い伝えがある。
それで、池の名前は『洗足池』に改められた。そのとき上人の着衣をかけた松が『袈裟掛けの松』だ。

妙福寺(御松庵)山門など
当時は寺院も何もなかったようだ。ただの池のほとりでしかなかったらしい。この地を霊場として、『護松堂・御松庵』として開創したという。昭和二年(1927)に浅草にあった妙福寺と合併し、今日に至っているそうだ。
妙福寺(御松庵)山門など_1
妙福寺(御松庵)山門など_2
妙福寺(御松庵)山門など_3
袈裟掛けの松
現在ある松は3代目であると伝えられる。
袈裟掛けの松
その付近から見たボートハウス
春以降はボート遊びも気分が良いことだろうなあ。特に桜の季節は最高だろう。
その付近から見たボートハウス
石碑
霊場として扱われてきたので、こういうものが用意されているのだろう。当然のことだが、日蓮宗独特のひげ文字が目立つ。
石碑_1
石碑_2
本堂
国の登録有形文化財に指定されている。
本堂_1
蟇股ではなく、笈形(おいがた)というものかなあ。ちょっとユーモラスなものだ。
本堂_2
本堂_3
水鳥の様子など(1)
カワセミが出没する可能性のある小池は、三連太鼓橋である『池月橋』の架け替え工事の真っ最中で、橋の辺りで仕切られ、水がくみだされていた。当然カワセミの姿も形も見えなかった。前に見かけたゴイサギもおらず、非常に寂しい結果だった。キンクロハジロのエクリプスがいたことだけは収穫だったかも。
自然そのものだから、そこに居るも居ないも先方の勝手で、確率の高い撮影地を探すしかないのだろう。

キンクロハジロ
キンクロハジロ_1
キンクロハジロ_2
そのエクリプス
キンクロハジロのエクリプス_1
キンクロハジロのエクリプス_2
キンクロハジロのエクリプス_3
キンクロハジロのエクリプス_4
キンクロハジロのエクリプス_5
カルガモ
カルガモ_1
カルガモ_2
カルガモ_3

 

上野での50-500ミリレンズの試し撮り(8)

上野動物園(7)

再び東園に戻り、少しだけ見学

日本の動物
エゾシカ、ニホンカモシカがいるそうだ。前回来た時にはいたカモシカが今回は見ることができなかった。
エゾシカ
1/125 F5.6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE95mm Nikon D7100
エゾシカ_1
エゾシカ_2
エゾシカ_3
エゾシカ_4
エゾシカ_5
旧寛永寺五重塔(重要文化財)
どうしたわけか、五重塔のわきに水路があり、そこにオオハクチョウ、ニシキゴイがいるそうだ。
オオハクチョウ
風切り羽を切ってあるのだろう。
1/500 F6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE240mm Nikon D7100
オオハクチョウ_1
オオハクチョウ_2
日本の鳥
同じ部屋に入っているたくさんの種類の小鳥さんたちは、縄張りを主張しないおとなしい鳥さんなのだろうか。それとも餌箱の中にいくらでもあるからおとなしくしているのか。よくわからない。
以下の鳥の名前に関してはあまり自信なし。違っているかもしれない。

ヤマガラ
ヤマガラ_1
1/50 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE290mm Nikon D7100
ヤマガラ_2
ヤマガラ_3
ホオジロ
1/30 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE500mm Nikon D7100
ホオジロ_1
ホオジロ_2
クロジ
名前には自信なし。餌箱から離れようとしない。いくら何でも食べ過ぎでは。
クロジ_1
1/25 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE290mm Nikon D7100
クロジ_2
アトリ(?)
名前には全く自信なし。もうちょっと上を向いてくれたらいいのだが、…。
アトリ(?)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ルリカケス
ルリカケス_1
ルリカケス_2
ルリカケス_3
スバールバルライチョウ
スバールバルライチョウ
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
アカショウビン
位置の関係でそう見えすぎたきらいがないでもないが、カワセミよりかなり大きく見えた。こちらもカワセミも全く餌の小魚を食べる気配なし。たまには運動しないと肥満体になってしまうぞ。
1/200 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE500mm Nikon D7100
アカショウビン
カワセミ
カワセミ

試し撮りしてみて、重さは何とか耐えられる範囲内であることは分かった。スポーツシーンでは、被写体がはっきりしているので、何とかなりそうだとも思った。でも野鳥さんなどには、てこずりそうな感じだなあ。おとなしく見せてくれるとは思えないので。
以上で『上野での50-500ミリレンズの試し撮り』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

上野での50-500ミリレンズの試し撮り(7)

上野動物園(6)
アフリカの動物
ここには、ハートマンヤマシマウマ、バーバリーシープ、コビトカバ、カバ、ヒガシクロサイ、アミメキリン、オカピなどがいるようだ。オカピは見たけれども、撮って嬉しいという感じがしなかった。ということで、ありふれているかもしれないが、コビトカバ、カバ、ヒガシクロサイのみを取り上げる。
コビトカバ
ただ単にカバの近縁種だと認識していただけだったが、世界四大珍獣の一つとして、数えられているとか。他は、「オカピ」「ジャイアントパンダ」「ボンゴ」なのだそうだ。この内、ボンゴは残念ながら現在は国内の動物園にはいないとのこと。ほかの3種はここで見ることができる。
コビトカバ_1
1/250 F8.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE116mm Nikon D7100
コビトカバ_2
コビトカバ_3
以下2点はFREE画像を借用
世界四大珍獣の内の「オカピ」
オカピはお尻を向たまま微動だにせず、シマウマのできそこないのようだなと思った次第だったが、認識不足だった。
オカピ
世界四大珍獣の内の「ボンゴ」
現在、国内では見ることはできないそうだ。
ボンゴ
カバ
変な格好のまま微動だにしない。どうしちゃったのか気になった。立ったままで眠っているのだろうか。
カバ
ヒガシクロサイ
確かに馬力がありそうだ。自然界で不意に遭遇したくはないど迫力だった。
ヒガシクロサイ_1
ヒガシクロサイ_2
1/160 F5.63 ISO AUTO FOCAL DISTANCE140mm Nikon D7100
ヒガシクロサイ_3
ヒガシクロサイ_4
ヒガシクロサイ_5
ヒガシクロサイ_6
アイアイのすむ森
ここには、ワオキツネザル、エリマキキツネザル、フォッサ、ホウシャガメ、マダガスカルオオゴキブリ、アイアイ等がいるそうだ。そのうち、次の2種を取り上げる。
ワオキツネザル
『わお!』って声をあげたくなるほどに可愛い。なぜだか、若いカップルたちが熱心に見ていた。
1/640 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE210mm Nikon D7100
ワオキツネザル_1
ワオキツネザル_2
ワオキツネザル_3
エリマキキツネザル
こちらもワオキツネザルに負けず劣らずかわいい感じだ。
1/250 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE500mm Nikon D7100
エリマキキツネザル_1
エリマキキツネザル_2
エリマキキツネザル_3

 

上野での50-500ミリレンズの試し撮り(6)

上野動物園(5)
ペンギン池
ケープペンギン
飽食だろうが何だろうが、とにかく元気良く動き回るペンギンさん。何もしない鳥獣からすると、抜群のサービス度だ。以前は皇帝ペンギンなどもいたような記憶があるが、…。
1/400 F5.6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE170mm Nikon D7100
ケープペンギン_1
ケープペンギン_2
ケープペンギン_3
ケープペンギン_4
ケープペンギン_5
フラミンゴ舎
ベニイロフラミンゴ
なんといってもこの鮮やかな色。見慣れていても、また見てしまう存在だ。
この長い足でほぼ例外なく一本脚立ちか。極めて短い足ながら太極拳の練習で始終ふらつく私とは大違いだ。

ベニイロフラミンゴ_1
ベニイロフラミンゴ_2
1/400 F5.6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE140mm Nikon D7100
ベニイロフラミンゴ_3
ハシビロコウ舎
ハシビロコウ
あまり動かない剽軽な顔の鳥さんとして有名だが、行ったときにたまたま羽繕いをしていた。動画で検索したら、飛翔シーンもあった。飛ばない鳥さんではないようだ。
1/640 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE240mm Nikon D7100
ハシビロコウ_1
ハシビロコウ_2
ハシビロコウ_3
ハシビロコウ_4
ハシビロコウ_5
小獣館
こんな小獣たちも居たんだ
マヌルネコ
ペルシャ猫みたいだ。でも不用意に近づいたら、…。
マヌルネコ_1
マヌルネコ_2
パンパステンジクネズミ
薄暗い屋内では、ISO感度の下限が100のAUTO設定は、無理があったかも。異様に遅いSSになってしまった。手振れ防止機能が強力だったから事なきを得たが、下限を400くらいにしなくてはいけなかったようだ。
1/13 F5.6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE140mm Nikon D7100
パンパステンジクネズミ
ヤマアラシ舎
カナダヤマアラシ
不用意に触ったりしたら、痛いのかなあ
1/30 F5.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE116mm Nikon D7100
カナダヤマアラシ

 

上野での50-500ミリレンズの試し撮り(5)

上野動物園(4)
バードケージ
ワライカワセミ
かなり以前に、アニメのキャラクタとして描かれることがあった鳥さんだと思う。本当に笑うような感じなのかは確認できなかったが、何となく笑っているような感じがしないでもなかった。
1/500 F5.6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE170mm Nikon D7100
ワライカワセミ
オニオオハシ
こちらはお菓子のパッケージで有名になった鳥さんだ
1/500 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE460mm Nikon D7100
オニオオハシ_1
オニオオハシ_2
ホッキョクグマとアザラシの海
ホッキョクグマ
運動が行き届いているのかなあ。肥満体にもならず、精力的に動き回っていた。
ホッキョクグマ_1
ホッキョクグマ_2
ホッキョクグマ_3
ホッキョクグマ_4
ホッキョクグマ_5
ホッキョクグマ_6
ホッキョクグマ_7
ホッキョクグマ_8
ホッキョクグマ_9
ホッキョクグマ_10
ホッキョクグマ_11
ホッキョクグマ_12
アザラシ
こちらは惰眠をむさぼっていた。そういう生き物なのだろう。
1/200 F7.1 ISO AUTO FOCAL DISTANCE50mm Nikon D7100
アザラシ
コウノトリ舎
ニホンコウノトリ
かなり厳しい顔つきをしている。にらまれるとそれなりに怖い感じ。
ニホンコウノトリ_1
ニホンコウノトリ_2
不忍池(動物園西園側)
タンチョウ、シジュウカラガン、ニホンコウノトリ、モモイロペリカンなどが、風切り羽を切られて放し飼いにされているようだ。
モモイロペリカン
モモイロペリカンの周囲をうろちょろしているカワウ(ウミウ?)は野生だろう。自由に飛び交っているので。
1/500 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE500mm Nikon D7100
モモイロペリカン_1
モモイロペリカン_2
モモイロペリカン_3
シジュウカラガンらしき個体
右下のはそうではなかろうか?
シジュウカラガンらしき個体_1
シジュウカラガンらしき個体_2
オオバン
こちらも野生だろう。
1/500 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE340mm Nikon D7100
オオバン_1
オオバン_2

 

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