散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

上野での50-500ミリレンズの試し撮り(4)

上野動物園(3)
バードハウスのやや暗い環境下での撮影になった。もう少し、ISO感度の下限を上げないと、スローSSばかりになってしまう。これだけ低速SSの手持ちでもあまりぶれなかったのは、手振れ防止機能が強力だからなのだろう。
バードハウス(2)
オオルリ
オオルリ、コルリ、ルリビタキの青い鳥3種。どう違うのかよくわからない。だが、表示にオオルリと書かれてあったので、オオルリと記載する。
1/60 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE340mm Nikon D7100
オオルリ_1
オオルリ_2
オオルリ_3
カワセミ
餌となる小魚はいっぱいあったが、飽食の籠の鳥は全く狩りを行う気配なし。ちょっとがっかり。
カワセミ_1
カワセミ_2
カワセミ_3
カワセミ_4
キビタキ
何気に見えた黄色い部分、本当にきれいだった
1/80 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE500mm Nikon D7100
キビタキ
ウズラ
ウズラは動物園で展示するほどなのかなあ。昔はよく農家で見かけたが。
ウズラ_1
ウズラ_2
アオバズク
なかなか美しい鳥さんだ。基本的に、あまり動かないのかなあ。
1/15 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE290mm Nikon D7100
アオバズク
ミヤコドリ
ミヤコドリというと、ユリカモメの別称かと思い込んでいたが、歴とした存在があったんだ。う~~ん。
ミヤコドリ_1
ミヤコドリ_2
シロクロゲリ
私と違って、脚部が異様に長いなあ。
シロクロゲリ_1
シロクロゲリ_2
マダガスカルトキ
なかなか色彩豊かな鳥さんだ。こういう鳥さんは日本には生息しないんだろうなあ。
1/30 F6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE240mm Nikon D7100
マダガスカルトキ_1
マダガスカルトキ_2
マダガスカルトキ_3
カンムリシギダチョウ
禅の境地にでもいるのだろうか。黙して語らずの風情だ。
カンムリシギダチョウ_1
1/50 F5.6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE170mm Nikon D7100
カンムリシギダチョウ_2
カンムリシギダチョウ_3
カンムリシロムク
変な角度で止まったまま。特徴をつかむ角度にまで動いてくれればうれしいのだが、…。
カンムリシロムク
ヘラサギ
1/40 F5.6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE140mm Nikon D7100
ユニークな嘴だ。探せばどこかにいるのかなあ。
ヘラサギ

 

上野での50-500ミリレンズの試し撮り(3)

上野動物園(2)

ゴリラ・トラのすむ森
インドライオン、スマトラトラ、ニシローランドゴリラ、シロテテナガザル等がいるそうだ。今回はそのうちから、2種類を撮ってみた。
スマトラトラ
やたらせわしなく動いている。相当なフラストレーションを抱えているのだろうか。
1/320 F6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE210mm Nikon D7100
スマトラトラ_1
スマトラトラ_2
スマトラトラ_3
スマトラトラ_4
スマトラトラ_5
ニシローランドゴリラ
相変わらず哲学的な顔つきだなあ。ひょっとして私よりも思索が多方面に及んでいるのかも。
ニシローランドゴリラ_1
ニシローランドゴリラ_2
1/500 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE500mm Nikon D7100
ニシローランドゴリラ_3
バードハウス(1)
世界中にはいろいろな鳥さんがいるものだ。
コキサカオウム
1/125 F5.6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE140mm Nikon D7100
コキサカオウム_1
コキサカオウム_2
ミノバト
なかなかの鳥さんだなあ。本当に蓑を着用しているかのようだ。
1/60 F6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE210mm Nikon D7100
ミノバト
ハゲトキ
何故だか親近感を覚える。空冷でも寒くないところに住んでいるのだろうか。
1/80 F6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE210mm Nikon D7100
ハゲトキ
カンムリシャコ
(ФωФ)フフフ・・・、へんてこりんな風貌の持ち主だ
カンムリシャコ
ムジエボシドリ
1/125 F5.6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE170mm Nikon D7100
ムジエボシドリ
ヒノマルチョウ
随分派手な色遣いの鳥さんだなあ
ヒノマルチョウ

 

上野での50-500ミリレンズの試し撮り(2)

ついでに上野動物園にも立ち寄った。こちらの入園料は大人は600円であるが、65歳を超えたので、嬉しいことに半額で入場できた。

上野動物園(1)
パンダ舎
ジャイアントパンダをまずは見ておこう。平日に行けば、落ち着いてみることができる。2011年に中国から来日したリーリーとシンシンの2頭が暮らしているが、昨27日の日経新聞の報道によれば、今の東園から西園に移るのだそうだ。
ジャイアントパンダ_1
ジャイアントパンダ_2
ジャイアントパンダ_3
ジャイアントパンダ_4
ジャイアントパンダ_5
猛禽舎
シロフクロウ、フクロウ、ネパールワシミミズク、メンフクロウ、オオタカ、ツミ、オオワシ、オジロワシ、ダルマワシ、クマタカ、アンデスコンドル、コシジロハゲワシ、モモアカノスリ、ノスリ等がいるとのこと。
ケージの方にピントが合いがちで、仕方なく手持ちのMF撮影を行った。私の手指はかなり短めなので、大変だった。三脚を持参すべきだった。そのうえ、なかなかポーズをとってくれないので、…。何とか使えるものは、数少なかった。出来が悪いのは、カメラ本体の所為でもレンズの所為でもない。偏に私が下手だからだ。
猛禽舎_1
猛禽舎_2
猛禽舎_3
猛禽舎_4
猛禽舎_5
猛禽舎_6
猛禽舎_7
旧寛永寺五重塔(重要文化財)
動物園に五重塔があると、模造のものではないかと思われるかもしれないが、歴とした本物の国指定重要文化財だ。解説文にある通り、塔の初重に安置されていた釈迦如来・薬師如来・弥勒菩薩・阿弥陀如来の四仏は、東京国立博物館に寄託されているそうだ。
寛永8年(1631年)建立の初代の塔が寛永16年(1639年)に焼失した後、同年ただちに下総・古河城主の土井利勝によって再建された。塔は旧境内地を使って作られた恩賜上野動物園の園内に位置しており、1958年に寛永寺が東京都に寄付したため、現在の所有者は東京都になっている(名称に「旧」とつくのはそのため)。塔の初重に安置されていた釈迦如来・薬師如来・弥勒菩薩・阿弥陀如来の四仏は、東京国立博物館に寄託されている。
旧寛永寺五重塔(重要文化財)_1
旧寛永寺五重塔(重要文化財)_2
サーラータイ(タイ風東屋)
タイ王国との修好120周年を記念して、タイの代表的な建築物「サーラータイ」が2007年9月に上野動物園に贈られた。今もきれいなものだ。
サーラータイ(タイ風東屋)
閑々亭
川崎市にある日本民家園の古民家とはかなり趣が違うものだなあ。一目で、高級な邸宅であるとわかるものだ。残念ながら見るだけの扱いだ。
寛永三年(一六二六)伊勢国安濃津藩主(三重県津市)藤堂和泉守高虎は上野の私邸内に東照宮を建て前後してそのとなりに寒松院という寺を建て客をもてなすために立派な家をつくりました。翌四年東照宮の移し替えの祭りのおり徳川秀忠・家光が相次いで東照宮を参拝し、その帰りに寒松院に立ち寄っていろいろ持て成しを受けました。閑々亭の名はその時将軍家光が「武士も風流をたしなむほど世の中が閑になったので閑々亭と名付けるがよかろう」といったことに依ると言われています。
閑々亭

 

上野での50-500ミリレンズの試し撮り(1)

新しく衝動的に入手したシグマのAPO 50-500mm F4.5-6.3 DG OS HSM(ニコン用)の試し撮りを行ってみた。すべて手撮り、ISO感度の下限を100としたISO AUTOという条件で。このレンズのみを持参してのテストだった。ずっしりと重いのは覚悟の上。これをどう持ち歩いていくのか、感覚を得るのが試し撮りの主眼だった。
続けると嫌になる『軍港クルーズ』シリーズを一時中断し、こちらを先に取り上げることにする。


不忍池にて
ちょっと前に行ったときには、暖冬の所為かあまり鳥さんがいなかった。今回は漸く超弩級の寒波がやってきたので、それなりに冬の鳥さんが集まってきていることを期待して出かけた。
弁天堂ほか
1/640 F5.6 ISO AUTO FOCAL DISTANCE140mm Nikon D7100
弁天堂ほか_1
弁天堂ほか_2
徳川幕府に息がかかったところに、豊臣方の建物を構えて、問題にならなかったのだろうか。いつも、首をひねるのだが。
弁天堂ほか_3
寛永二年(1625)―江戸の鬼門を護るため、京の比叡山延暦寺に倣って上野の岡に東叡山寛永寺を創建した慈眼大師・天海は、常陸国下館城主・水谷勝隆という人に不忍池を琵琶湖に見立てて池の中に竹生島を模した小島を築かせ、竹生島宝厳寺の弁財天を勧請して弁天堂を建てました。

野鳥はカモを中心にいたが、あまり多くいる感じはしなかった。都心は、野鳥さんの住処としてあまり魅力的ではないのだろうか。
それはともかくとして、池の半分が昼を過ぎても凍っていたのに、さすが冬鳥たちだ。そんなことでは怯まない。


キンクロハジロ
見間違えをしにくい独特の配色だ
キンクロハジロ_1
キンクロハジロ_2
キンクロハジロ_3
オオバン
撮りにくいところにばかりいた。1枚しか撮れなくて残念。
オオバン
バン
非常に目立つ。オオバンより一回り小型だ。身体のわりに異様に大きな趾。水を掻くのは下手だ。移動が面倒になれば、飛ぶのかなあ。
バン_1
1/800 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE460mm Nikon D7100
バン_2
ハシビロガモ
案外美しい鳥さんだ。改めて感じ入った。
ハシビロガモ_1
ハシビロガモ_2
ハシビロガモ_3
ハシビロガモ_4
ハシビロガモ_5
ハシビロガモ_6
オナガガモ
『一人でほっつき歩いている爺さんの前で、イチャイチャするな』といいたいところだ
オナガガモ
ユリカモメ
啼き声がうるさいほど。人馴れしすぎだぞ。
ユリカモメ
ムクドリ
1/800 F6.3 ISO AUTO FOCAL DISTANCE500mm Nikon D7100
ムクドリ_1
ムクドリ_2
ヒヨドリ
ツグミではなくヒヨドリだと思うけれど、…。今一つ自信なし。
ヒヨドリ
ヨシガモ
だと思うのだが。自信はない。
ヨシガモ

カワウは動物園側のモモイロペリカンのいるところにいるようだ。かなり図々しい感じだと思ったら、もともとはカワウの島だったようだ。

 

軍港クルーズ(6)

CVN-76航空母艦『ロナルド・レーガン』
ロナルド・レーガンは、アメリカ海軍の航空母艦。ニミッツ級航空母艦の9番艦。
今回私が一番見たいと思った艦船だ。入港時に安倍首相が乗艦した。それくらい、日本の防衛にも寄与すると判断したのだろう。
いずれ、公開される機会があれば、艦内に入ってみたいものだ。艦側から囲いなしの戦闘機運搬用のリフトに乗るのは怖いが、それにも勝る興味がある。

今回撮影分
艦首側から見た様子。こちらから見て、張り出している部分から艦載機は飛び出す。但し、停泊時、艦載機は厚木基地に駐機しているので、目を凝らしても見えない。
ロナルド・レーガン_1
ロナルド・レーガン_2
ロナルド・レーガン_3
ロナルド・レーガン_4
ロナルド・レーガン_5
以下4点はFREE画像を借用
飛行甲板上に並べられた艦載機。ここに並べるには格納スペースから艦側に設置された囲いなしの戦闘機運搬用のリフトに乗せられてくる。艦内公開時にはこのリフトに乗せられるわけで、非常に怖い感じが否めない。
ロナルド・レーガン_6
どこかの港に入港したようだ。横須賀基地に入港するときはこういう状況ではない。東京湾口に入る前に、艦載機は離艦して厚木基地に向かう。出航するときも着艦は太平洋上で行う。
写真を見ると、偵察機もヘリも飛行甲板に並べているようだ。一度に並べる必然性はなく、この港で、一般公開しようとしているのかもしれない。

ロナルド・レーガン_7
こちらは俄然緊迫した画面。カタパルトと呼ばれる艦艇(現代では主に航空母艦)から航空機を射出するための機械で強烈に押し出されるが、フルスロットルにするため遮熱板を立てる。さらに空母自体は全速力で前進する。それらが一致しないと、墜落をも起こしかねない。
ロナルド・レーガン_8
空爆用500ポンド爆弾 GBU-54(LJDAM)の組立作業。組み立てた爆弾は艦載機につけられる。イラクの空爆時にも使用されたものだ。
ロナルド・レーガン_9

G.ワシントン(2012.08.01撮影分)
ロナルド・レーガンの前任の空母。一度だけ、基地開放日に公開対象になった時に、内部に入ったことがある。超巨大な艦船だった。
G.ワシントン_1
G.ワシントン_2
FREE画像を借用
着艦時のF-14から見たジョージ・ワシントン。一生懸命に距離を稼ごうとする空母の甲板に無事着艦できるのだろうか。適正な進入角度を保っているか否かはフレネルランプの見え方で判断するのだそうだ。
G.ワシントン_3

ブルーリッジ(2013.11.17撮影分)
第7艦隊の旗艦。艦内装備は高度にシステム化されているそうだ。基地公開でも、このブルーリッジが対象艦になることはほとんどなさそうだ。それはそうだろう。機密にしたいゾーンを除けば、ただのバカでかい船に過ぎないのだから。
ブルーリッジ_1
ブルーリッジ_2

 

軍港クルーズ(5)

CG-62ミサイル巡洋艦チャンセラーズビルと並んで、同型のミサイル巡洋艦が2艦停泊していた。
CG-54ミサイル巡洋艦アンティータム
アンティータムは、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の8番艦。
アンティータム_1
アンティータム_2
アンティータム_3
ヘリコプターが着艦しようとしているのだろうか。減速している様子もなく大変そうだ。
アンティータム_4
こんな風に空母をガードしているようだ
アンティータム_5
CG-67ミサイル巡洋艦シャイロー
シャイローは、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の21番艦。
シャイロー_1
シャイロー_2
シャイロー_3
シャイロー_4
シャイロー_5

さらに存在に気が付かなかったのだが、DDG65ミサイル駆逐艦ベンフォールドも停泊していた。

DDG65ミサイル駆逐艦ベンフォールド
ベンフォールドは、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の15番艦。
後ろ向きになっていたようだ。通常はいつでも出向できるように前向きに停泊する方が普通だと思うが、スクリューの逆回転で後進をかけ、タグボートにアシストしてもらえば、前向きに停泊した時と所要時間は変わらないようだ。何かの都合で、この向きに停泊させたのだろう。
ベンフォールド_1
ベンフォールド_2
ベンフォールド_3

 

軍港クルーズ(4)

今回は並んで停泊中の艦船識別番号85,62,62を取り上げる。我々の進行方向に艦首を向けて停泊していて、全体の様子がわかりにくい。しかたがないので、FREE画像をも併用させていただく。

駆逐艦と巡洋艦とが並んで停泊している
前回取り上げた艦船識別番号89の左側に、3艦(見えにくいのを含めると6艦、空母を含めると7艦と思ったが、マストを数えてみると、空母を含めて10艦。こんなに勢揃いしているのは初めだ)が並んで停泊している。右からDDG85ミサイル駆逐艦マッキャンベル,DDG62ミサイル駆逐艦フィッツジェラルド,CG-62ミサイル巡洋艦チャンセラーズビルである。艦船識別番号がたまたま同一のものが隣り合って停泊しているのにはびっくり。外観が全く異なるので、容易に識別できるのだが。
空母まで並ぶさまは実に壮観。旗艦のブルーリッジが見えないのが残念だが。
駆逐艦と巡洋艦とが並んで停泊している
DDG85ミサイル駆逐艦マッキャンベル
マッキャンベルは、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の35番艦。
真ん中に停泊している艦船
DDG85ミサイル駆逐艦マッキャンベル_1
同じく真ん中に停泊している艦船
DDG85ミサイル駆逐艦マッキャンベル_2
FREE画像を借用
DDG85ミサイル駆逐艦マッキャンベル_3
DDG62ミサイル駆逐艦フィッツジェラルド
フィッツジェラルドは、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の12番艦。CG-62とは外観が全く違っている。
左端に停泊している艦船
DDG62ミサイル駆逐艦フィッツジェラルド_1
同じく左端に停泊している艦船
DDG62ミサイル駆逐艦フィッツジェラルド_2
以下3点はFREE画像を借用
DDG62ミサイル駆逐艦フィッツジェラルド_3
DDG62ミサイル駆逐艦フィッツジェラルド_4
DDG62ミサイル駆逐艦フィッツジェラルド_5
CG-62ミサイル巡洋艦チャンセラーズビル
チャンセラーズビルは、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の16番艦。巡洋艦なので、駆逐艦よりは一回り大きい。
空母キティホークが横須賀を母港としているころ、空母の護衛役として横須賀を母港としていた。一旦、サンディエゴに配属転換になっていたが、アジアがきな臭くなってきたのか、再び、横須賀に追加で配備されたとのこと。

艦首が見えているだけの手前がフィッツジェラルドで、奥にやや武骨な格好をしている艦船がチャンセラーズビル
CG-62ミサイル巡洋艦チャンセラーズビル_1
以下2点はFREE画像を借用
USS_Chancellorsville_CG-62.jpg
同じタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦のCG-64『ゲティスバーグ』
1024px-USS_Gettsyburg_(CG-64)_Operation_Enduring_Freedom.jpg

 

軍港クルーズ(3)

DDG63ステザム (ミサイル駆逐艦)
アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の13番艦。当然ながら米海軍の誇るイージス艦。イージス艦を見分けるのは簡単で、8角形のパネルになっているレーダーを装備しているか否かで判断できる。
1985年のトランスワールド航空847便テロ事件で犯人に殺害されたロバート・ステザム二等水兵に因む艦名だそうだ。日本の感覚からすると、何か弱っちい感じがして、戦艦名としてはふさわしくないように思わないでもないが、米国人の感覚なのだろうか。

DDG63ステザム (ミサイル駆逐艦)_1
DDG63ステザム (ミサイル駆逐艦)_2
DDG63ステザム (ミサイル駆逐艦)_3
以下2点はfree画像を借用。後者の画は、超望遠レンズがあれば、浦賀水道で撮影できるかなあ。
DDG63ステザム (ミサイル駆逐艦)_4
DDG63ステザム (ミサイル駆逐艦)_5

DDG89マスティン (ミサイル駆逐艦)
アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の39番艦
DDG89マスティン (ミサイル駆逐艦)_1
あの台船をくっつかせている
DDG89マスティン (ミサイル駆逐艦)_2
3隻が並んで停泊中の一番手前側
DDG89マスティン (ミサイル駆逐艦)_3
free画像を借用。この画も、超望遠レンズがあれば、浦賀水道で撮影できるかなあ。
DDG89マスティン (ミサイル駆逐艦)_4

アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦は、現在の米海軍の主力駆逐艦。前級はスプルーアンス級駆逐艦およびキッド級ミサイル駆逐艦。次級はズムウォルト級ミサイル駆逐艦になるのだそうだ。随分イメージが変わるようだ。今のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の方がいいなあ。
このズムウォルト級ミサイル駆逐艦は、米海軍が取得を進めている新型ミサイル駆逐艦の艦級。
高度なステルス性などの先進的な設計と強力な対地射撃能力を備えており、当初は30隻以上の大量建造が計画されていたが、のちにコスト増などのために3隻に削減された。2016年にネームシップ「ズムウォルト」が就役予定。

ズムウォルト級ミサイル駆逐艦

イージス艦とは、イージスシステムを搭載した艦艇の総称。通常、高度なシステム艦として構築されている。
フェーズドアレイレーダーと高度な情報処理・射撃指揮システムにより、200を超える目標を追尾し、その中の10個以上の目標(従来のターター・システム搭載艦は2~3目標)を同時攻撃する能力を持つ。開発当初の目的である艦隊防空だけではなく様々な任務に対応可能な汎用性を持つため、アメリカ海軍ではイージス艦のみで水上戦闘群を編成している。

 

軍港クルーズ(2)

いよいよ乗船して、クルーズ開始だ。どんなものを見ることができるのか。期待が高まる。
出航直後の様子
進行方向の海面
超広角レンズで見るとだだっ広く見えるかもしれないが、簡単に泳いで行けそうな距離。まあ、不審者として逮捕されるのは間違いがないと思うが。左端に見えているのが空母のように見えるかもしれないが、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦『いずも』だ。
進行方向の海面
潜水艦などが見える
前回述べたように潜水艦は海上自衛隊のもの。潜水艦の右前方に『A』と記載されているのが3号ドライドック。1号ドックの完成後まもなく、明治4年(1871年)5月には第3号ドックの建設が開始された。明治8年の完成後に1号と3号との間に2号ドックが着工したとのことだ。
潜水艦はそれぞれの舵の形状が異なっている。手前が従来の主流だった十字型舵。奥側が新型であるX舵。

潜水艦などが見える
ドライドック
第1号ドライドックの仕切り壁(閘門)
何と幕末に着工したもので、小栗上野介が指揮した。
第1号ドライドックの仕切り壁(閘門)
こちらはドックハウス(ポンプ室)と第3号ドライドック
ドック入りした後は、ドック内部の水を抜く必要がある。そのためのポンプがあるのがポンプ室だ。
こちらはドックハウスと第3号ドライドック
ドックハウス(ポンプ室)
このポンプ室のみ鉄骨レンガ積み
ドックハウス
こちらは第5号の仕切り壁(閘門)
大型艦船修理用なのだそうだ
第5号の仕切り壁(閘門)
ドックハウスと4-5号ドックの閘門
小さくてわかりにくいと思うが、ドックハウスの右に第4号ドックドックの閘門(Aの文字が記載されている)、左に第5号ドックドックの閘門(Bの文字が記載されている)がある。
ドックハウスと4-5号ドックの閘門
潜水艦
案外潜水艦は見かけによらず大きな躯体だ。そうりゅう型の場合、全長が84.0mもある。艦首側にポコッと出っ張っているのは、『逆探ソナー』と呼ばれる装置。
潜水艦_1
潜水艦_2
潜水艦_3
潜水艦_4
タグボート
可愛い外見に似合わず、ものすごく強力な馬力を誇る
タグボート
台船YFN934
台船だということは分かるが何をする船なのだろう?
台船_1
台船_2
居場所はここ
台船_3
宿泊船APL40
空母よりもさらに奥まったところに停泊していた。たぶん、海上自衛隊には存在しない船舶。贅沢仕様かなあ。
宿泊船APL40

次回から、メインの艦船を取り上げます。

 

軍港クルーズ(1)

ふらっと窓口に行っても、『本日は予約でいっぱい』ということで、暫く『軍港クルーズ』とご無沙汰していた。その間に原子力空母がG.ワシントンからR.レーガンに交代している。寒い時期なので、予約も簡単に取れ、実に久しぶりに軍港エリアのクルーズに参加した。

乗降船艀付近の様子
日米両軍基地の向かいにあるヴェルニー公園からも基地手前側の様子が十分見えるが、この角度からだと、望遠装置があれば、見えるものが格段に増えてくる。
目の前はおだやかだった
この日は港内は非常に暖かだった。出航するまで、1枚羽織っているものを脱いでいたほどだった。
目の前はおだやかだった
いずも
海上自衛隊の艦船で最大の『護衛艦いずも』。空母だという向きもあるが、似て非なるもの。超巨大艦船なので、あの位置が指定位置のようだ。詳しくは別の機会に触れる。
いずも
たかなみ
識別番号110は海上自衛隊の護衛艦『たかなみ』。こちらも、詳しくは別の機会に触れる。
たかなみ
青い船舶(第5関東丸他)の奥に黒く見えるのはドライ・ドックの仕切り壁(閘門)
驚くような文化財だ。いまだに現役とは驚いてしまう話だが、本当のことだ。
ドライ・ドックの仕切り壁(閘門)
横須賀海軍施設ドックは、神奈川県横須賀市の在日アメリカ海軍横須賀海軍施設内にあり、米海軍および海上自衛隊の艦艇修理に使用されている6基のドライドックである。最古の1号ドックは横須賀造船所時代の明治4年(1871年)に完成しているが、現在もなお使用されている。最大の6号ドックは大和型戦艦の建造ならびに修理・改造を行うことを目的とし、昭和15年(1940年)に完成したドックであり、現在は米海軍空母の修理などに使用されている。
FREE画像を借用
第1号ドライドック
オオバン
ときどき見かける。冬にはかなりの確率で出没するようだ。
オオバン
行き交う警備船など
行き交う警備船など_1
行き交う警備船など_2
行き交う警備船など_3
行き交う警備船など_4
これから乗る船も戻ってきた
これから乗る船も戻ってきた_1
船上のこちらから見て左側に陣取るのがベストポジション。なぜなら、進行方向右手に米海軍基地があるからだ。
船上のこちらから見て左側に陣取るのがベストポジション
潜水艦
海上自衛隊の潜水艦。機密保持の観点からだろうか。米軍基地側にある。右側が最新型なのだが、舵を除けば、どちらも外観は同じように見えるかもしれない。
潜水艦
ごちゃごちゃしているなあ
望遠で撮っているのでそう見えるだけ。実際にはかなり余裕がある。手前から水中処分艇、タグボート、イージス艦。イージス艦はミサイル駆逐艦の『ステザム』。
ごちゃごちゃしているなあ_1
ごちゃごちゃしているなあ_2

 

兵庫県内を見て回る(32)

生田神社
最後の最後に見て回ったのは生田神社。なかなかの風格がある神社だった。
楼門
楼門_1
楼門_2
拝殿
拝殿_1
拝殿_2
拝殿_3
拝殿_4
拝殿_5
本殿
撮り漏らしてしまったので、FREE画像を借用
本殿
史蹟生田の森
源平合戦の古戦場だったんだなあ。
史蹟生田の森_1
史蹟生田の森_2
境内末社の内の蛭子神社
境内には14の末社があるそうだ。そのうちの蛭子神社を撮ってみた。あの『えべっさん』さんなんだ。
生田神社社殿より西の参道正面
商売繁盛の神
御祭神:蛭子命(ひるこのみこと)

境内末社の内の蛭子神社_1
境内末社の内の蛭子神社_2
史跡の一つ、梶原の井(かじわらのい)
井戸そのものを撮り漏らしてしまった。あの文字が読めなかったのがショックだったのかなあ。井戸には覆いがしてあるそうだ。
一名「かがみの井」とも云われ、壽永の昔(800年前)源平生田の森の合戦の折、梶原景季がこの井戸の水を汲んで生田の神に武運を祈ったと伝えられる。別説では景季がこの井の水を掬った時、咲き盛った箙のうめの花影が映ったとの伝もある。
  けふもまた生田の神の恵かや
  ふたたび匂ふ森の梅か香
          景季

梶原の井(かじわらのい)_1
梶原の井(かじわらのい)_2
そのほか、さざれ石もあった。この後方が梶原の井ではないかと思う。
さざれ石もあった

生田神社(いくたじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目にある神社である。式内社(名神大)で、旧社格は官幣中社。同じ兵庫県内の廣田神社・長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有する。
かつて、現在の神戸市中央区の一帯が社領であり、これが「神戸」という地名の語源となる。地元では「生田さん」として親しまれており、初詣時期にはもちろん、それ以外の時期にも参拝客が絶えない。

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201年に神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなった為神占を行った所、稚日女尊が現れ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”におりたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせてほしい)。」との神託があったと日本書紀に記されている。

以上で、長々と続けてきた『兵庫県内を見て回る』シリーズは終了です。最後までご覧いただき、大変ありがとうございました。

 

兵庫県内を見て回る(31)

風見鶏の館…国指定重要文化財 (2)
最終盤にきて疲れていたのか、あまり写真を撮れなかった。(^^);
2階に上がる
アールヌーボーというものなのだろう。案外簡素なものだなあ。
2階に上がる_1
2階に上がる_2
朝食はここでいただいていたのか。目覚めた直後の家人の移動距離が少なくて済むからかな。
2階に上がる_3
2階に上がる_4
こちらは来客用寝室だったようだ
2階に上がる_5
子供部屋は結構な広さがあった。のびのび育てたかったのだろう。広いし明るい。
2階に上がる_6
2階に上がる_7
2階からの眺望
2階に上がる_8
ちょっと寂しいので、以下2点をFREE画像から借用
1階居間
1階居間
北東方向から見た様子
北東方向から見た様子

ラ・メゾン・ドゥ・グラシアニ 神戸北野(旧グラシアニ邸)
恋人の聖地と呼ばれる北野異人館のフレンチレストランだそうだ。爺さんが一人で入っても、雰囲気に合いそうにないかなあ。明治41年築。
ラ・メゾン・ドゥ・グラシアニ 神戸北野(旧グラシアニ邸)_1
ラ・メゾン・ドゥ・グラシアニ 神戸北野(旧グラシアニ邸)_2

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旧ハンセル邸(シュウエケ邸)
異人館街の入口に位置するこの建物は明治初期に建築家として活躍したA.N.ハンセルの自邸として建てられたものだそうだ。明治29年築、設計はもちろんA.N.ハンセル。
採光の関係で裏側になるだろう道路側(北側)からは、想像できないほどの建物の美しさがあるようだ。私も大したことはなさそうだと早合点してしまった慌てん坊の一人だった。中に入ってみるべきだった。通過してしまったのは痛恨の極み。ぜひ、下のURLで確認されたい。
旧ハンセル邸(シュウエケ邸)_1
旧ハンセル邸(シュウエケ邸)_2
旧ハンセル邸(シュウエケ邸)_3
旧ハンセル邸(シュウエケ邸)_4

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北野ホテル
異人館というわけではなさそうだが、雰囲気が良かったので撮ってみた。ここにはオリーブの農園があったのか。う~~ん。
北野ホテル_1
北野ホテル_2
北野ホテル_3
北野ホテル_4

 

兵庫県内を見て回る(30)

風見鶏の館…国指定重要文化財 (1)
ドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏が自邸として建てた建物か。確かにドイツの古い建築様式だ。確かにこだわりの建物だが、疲れていたのか、あまり写真がない。下記URLを参照すると、素晴らしい写真がたくさん見ることができる。
外観
"Mein Haus ist meine Welt, grüß Gott wems drin gefällt."と書かれたパネルがあった。う~~ん、ドイツ語の辞書はとっくに捨ててしまった。
外観_1
外観_2
外観_3
外観_4
外観_5
外観_6
室内
玄関を入ったすぐ右手には『供待ち』のような部屋
表示は当然なのかもしれないが、『応接間』となされていた。江戸時代ではないのだから、『供待ち』の訳はないのかもしれない。
玄関を入ったすぐ右手_1
玄関を入ったすぐ右手_2
玄関を入ったすぐ右手_3
玄関を入ったすぐ右手_4
応接間
外交官だから私邸であっても応接間は会議室でもあったのだろうか。表示には『食堂』の表記がなされてあった。『食堂』といえば否定はできないが。
応接間_1
如何にも独逸風。ごつい感じ丸出しだ。
応接間_2
応接間_3
応接間_4
居間の続きかな
ここの娘さんと思しき人物の写真パネルが展示されていた
居間の続きかな_1
居間の続きかな_2
居間の続きかな_3
書斎
書斎_1
書斎_2
書斎_3
建築主(ゴットフリート・トーマス氏)と設計家(ゲオルグ・デ・ラランデ氏)の像が並んでいた
書斎_4

建築の設計に当たったのはドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデで、明治30年代後半から大正初期にかけて日本で活躍した有能な建築家でした。この館は、昭和58年12月より 昭和60年3月にかけて本格的な保存修理を行い、復元できるところは可能な限り元の姿に戻しています。
この館はかつて神戸に住んでいたドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏が自邸として建てた建物です。北野・山本地区に現存する異人館のなかで、れんがの外壁の建物としては唯一のもので、色鮮やかなれんがの色調、石積みの玄関ポーチ、2階部分のハーフ・ティンバー(木骨構造)など、他の異人館と異なった重厚な雰囲気をもっています。
また先頭のうえに立つ風見鶏はよく知られ、今では北野町の象徴として欠かせない存在になっています。風見鶏はその名の通り風向きを知る役目をもっていますが雄鳥は警戒心が強いことから魔除けの意味や、またキリスト教の教勢を発展させる効果があるといわれてきました。
旧トーマス住宅は、1階に玄関ホール、応接間、居間、食堂書斎があり、2階は夫妻の寝室子供部屋、客用寝室、朝食の間などがあります。 室内の意匠は部屋によって変えておりますが全体にドイツの伝統様式を採りいれながら、19世紀末から20世紀初頭にかけての新しい芸術運動(アール・ヌーヴォ)の動きを感じさせるものがあります。1階各入口扉に付いている把頭飾り、応接間のシャンデリア、書斎腰板の風刺画などにその傾向が伺えます。また食堂は中世城館風の天井小梁、飾り戸棚、暖炉飾りなど見ごたえのある意匠をみせています。


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兵庫県内を見て回る(29)

萌黄の館…国指定重要文化財 (2)
どう考えても、この館のような住まい方が当時の外国人のアッパーレベルだろう。今まで見てきた異人館は、個人の邸宅としてはありえないほどの装飾のような気がしてならない。ここまで来て、やっと喉に突き刺さった骨がとれたような感じだ。
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _1
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _2
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _3
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _4
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _5
西洋人にとっての『化粧の間』って、こんなに重要な位置づけなのだろうか。禿げ頭のジジイには理解しかねる。
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _6
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _7
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _8
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _9
なんといっても2階のこのスペースが素晴らしい。窓枠の幾何学模様が美しいし、眺めも秀逸だ
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _10
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _11
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _12
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _13
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _14
庭から見た感じも素晴らしい。間違いなく素晴らしい建物だ。
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _15
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _16
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _17
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _18
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _19
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _20
萌黄の館…国指定重要文化財 (2) _21

 

兵庫県内を見て回る(28)

萌黄の館…国指定重要文化財 (1)
『白い異人館』と呼ばれていたが、昭和62年(1987年)からの修理で建築当時の淡いグリーンの外壁に復元されて、『萌黄の館』と呼び名が変わってしまったのか。案外軽い歴史なんだなあ。
なかなかいい感じの外観だ。『風見鶏の館』と近接して建っている。個人的にはこの『萌黄の館』の方が好みだ。窓枠が非常に凝っているとてもクール。
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_1
1階を開放式、2階をガラス張りとしたベランダコロニアル様式という様式だそうだ。
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_2
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_3
さりげなくステンドグラスで飾られている。このくらいの飾り方がいい感じ。
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_4
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_5
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_6
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_7
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_8
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_9
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_10
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_11
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_12
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_13
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_14
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_15
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_16
萌黄の館…国指定重要文化財 (1)_17

明治36年(1903年)、アメリカ総領事ハンターシャープ氏の邸宅として建築されました。木造2階建て、下見板張りの異人館で、2つの異なった形のベイ・ウインドー(張り出し窓)を始め、アラベスク風模様が施された階段、重厚なマントルピースなど、贅沢な意匠が随所に見られます。その後、昭和19年(1944年)に小林秀雄氏(元神戸電鉄社長)の住宅となりました。
昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定され、長らく“白い異人館”と呼ばれていましたが、62年(1987年)からの修理で建築当時の淡いグリーンの外壁に復元されて、この名が名付けられました。2階のベランダからは、神戸港まで見渡せる素晴らしい眺望が広がります。


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兵庫県内を見て回る(27)

イタリア館・プラトン装飾美術館《旧アボイ邸》(3)
喫茶スペースに向かう
向かった先にはテラスがあった。イメージは南欧風そのもの。そこが喫茶スペースだった。
喫茶スペースに向かう_1
通路の途中にはいかにもイタリアという感じのデザインが
喫茶スペースに向かう_2
喫茶スペースに向かう_3
喫茶スペースに向かう_4
喫茶スペースに向かう_5
喫茶スペースに向かう_6
通路を曲がった先にはテラスと小さな庭が。イタリア人の好みそのものだろうか。
喫茶スペースに向かう_7
喫茶スペースに向かう_8
喫茶スペースに向かう_9
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喫茶スペースに向かう_25
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テラスが喫茶スペースになっていた。自覚していなかったが、よほど疲れていたのだろう。いつもだったらすぐ出てしまう喫茶スペースに30分以上もボケーっとしていたのだから。
喫茶スペースに向かう_27
喫茶スペースに向かう_28
コスプレの女の子2人もお茶をしていた
喫茶スペースに向かう_29
注文していたお茶が到着
喫茶スペースに向かう_30
喫茶スペースに向かう_31
喫茶スペースに向かう_32
喫茶スペースに向かう_33
喫茶スペースに向かう_34
旧サッスーン邸
残念ながら私にはお呼びでない施設として使われているようだ。
旧サッスーン邸_1
旧サッスーン邸_2
旧サッスーン邸_3
旧サッスーン邸_4
旧サッスーン邸_5
旧アボイ邸から坂を少し下った場所に建つ旧サッスーン邸。ブライダルハウスとして使われています。明治25年築。

 

兵庫県内を見て回る(26)

イタリア館・プラトン装飾美術館《旧アボイ邸》(2)
2階部分
こちらも階下に負けず劣らず豪勢だ
2階部分_1
2階部分_2
2階部分_3
2階部分_4
2階部分_5
2階部分_6
2階部分_7
2階部分_8
2階部分_9
2階部分_10
2階部分_11
また階下へ
ハーフの大変な美人さんがいた。もしかしたら、こちらさんは、食事を待っていたのかもしれない。そうと分かっていれば、…。それにしても、食事はどこで供されるのだろうか。
また階下へ_1
また階下へ_2
地下のワインセラーに
本格的なものだった。フォアグラの私には目に毒の光景だった。たぶん、食事を注文すると供されるのは、このスペースだろう。
地下のワインセラーに_1
地下のワインセラーに_2
地下のワインセラーに_3
地下のワインセラーに_4
地下のワインセラーに_5
地下のワインセラーに_6
地下のワインセラーに_7

 

兵庫県内を見て回る(25)

いい加減、疲れてきた。どこか食事をするところがないかキョロキョロしていたら、ここのお姉さんと目が合ってしまい、中に引き入れられてしまった。最初は寄る予定がなかったのだが。ということで、あまり知る人が多くはないと思われる『イタリア館・プラトン装飾美術館《旧アボイ邸》』に入ってみた。
イタリア館・プラトン装飾美術館《旧アボイ邸》(1)
予想に反して、なかなかいいところだった。本来は食事もできるのだが、シェフがちょっと外出中で、館内見物をしながらもう少し食事を待つか、そこまで待てなければ、お茶は如何かということに。
館内を見た後、だいぶ待たされるのは嫌だったので、疲れているし、のどの渇きも覚えていたので、お茶を注文しておいた。

外観と装飾美術館1階部分
ものすごく立派。今までの館の内部装飾が霞んでしまうほどのものだった。
外観と装飾美術館1階部分_1
外観と装飾美術館1階部分_2
外観と装飾美術館1階部分_3
外観と装飾美術館1階部分_4
外観と装飾美術館1階部分_5
外観と装飾美術館1階部分_6
外観と装飾美術館1階部分_7
外観と装飾美術館1階部分_8
外観と装飾美術館1階部分_9
外観と装飾美術館1階部分_10
外観と装飾美術館1階部分_11
外観と装飾美術館1階部分_12
外観と装飾美術館1階部分_13
外観と装飾美術館1階部分_14
外観と装飾美術館1階部分_15
外観と装飾美術館1階部分_16

旧チン邸(旧中国領事館)から少し坂を下った処に旧アボイ邸が建っています。大きな切妻屋根が特徴的な建物です。大正初期の築と言われています。
南側が開放式のテラスとなっているおなじみの光景です。
テラスを巡らすスタイルは共通していますが、コロニアル様式とは印象を異にします。どちらかと言うと南欧風のイメージです。
この近辺は北野の中でも比較的後期に造成された地域なのかも知れません。明治中期から後期はコロニアル様式が主流でしたが、その後はこれらの建物に見られる様々な様式の洋館が建てられていったものと思われます。

 

兵庫県内を見て回る(24)

北野の異人館を見て回る(18)
坂の上の異人館(旧中国領事館) (2)
二階の様子
1940年、中国の政治家・汪兆銘が南京に親日政府を樹立した一時期、中国領事館として使用されていた異人館か。ないない尽くしの状況だっただろうに、意外にも室内は綱わたり国家の領事館とは思えないほどの豪華さだ。
二階の様子_1
清朝の愛新覚羅載灃皇帝の肖像かなあ
二階の様子_2
二階の様子_3
二階の様子_4
二階の様子_5
二階の様子_6
めまいしそうなほどの豪華さ。倒れて調度品を破損したりしたら、弁償できる代物ではないので、注意が必要だ。
二階の様子_7
二階の様子_8
二階の様子_9
二階の様子_10
二階の様子_11
二階の様子_12
二階の様子_13
二階の様子_14
庭の様子
少々草臥れてきたので、椅子に腰かけたら、暫くまったりとしてしまった。入口付近では、女性が入れ代わり立ち代わり、記念撮影をしていた。彼女たちからすれば、目障りな爺さんだったかもしれない。
庭の様子_1
庭の様子_2
庭の様子_3

 

兵庫県内を見て回る(23) 2016.01.12 21:45追記

北野の異人館を見て回る(17)
ここを見るとチケットで買い求めた異人館はすべて制覇したことになる。以降は、個別にチケットを買い求めることに。
坂の上の異人館(旧中国領事館) (1)
外観
この辺の建物は、うろこの家と同様に外壁に魚のうろこに似ている天然石のスレートが使用されているようだ。後年になって追加設置したものだろうか。
外観_1
外観_2
外観_3
ここもパワースポットだとか
中庭に続く場所に位置する狛犬。ふたつの狛犬の間を通り抜けると愛と幸運とに恵まれると言われているそうだ。信じるものは救われるかもしれない。女性客は必ず、ここで熱心に写真を撮るようだ。
ここもパワースポット
狛犬ならぬ狛亀がお出迎え
螭首亀趺(ちしゅきふ)と呼ばれるものだそうだ。昔の偉い人のお墓に飾られているのを何度か見たことがあるぞ。
狛犬ならぬ狛亀がお出迎え_1
狛犬ならぬ狛亀がお出迎え_2
狛犬ならぬ狛亀がお出迎え_3
狛犬ならぬ狛亀がお出迎え_4
厨房との間仕切り
だと思われる。衝立風のものがあるが、非常に緻密な彫刻がなされてる。これは立派だと驚いた。料理をお出しするときにここが開かれたのだろうか。
厨房との間仕切り_1
厨房との間仕切り_2
厨房との間仕切り_3
厨房との間仕切り_4
厨房との間仕切り_5
厨房との間仕切り_6
厨房との間仕切り_7
応接間かな
中国風の気品が漂う。たぶん、供される料理も超一流のものだったのだろう。
応接間かな_1
応接間かな_2
応接間かな_3
応接間かな_4
応接間かな_5
応接間かな_6
応接間かな_7
応接間かな_8

旧フリューガ邸の東に建つ旧チン邸。鱗の館と同じような魚燐様のスレートで外壁が覆われています。この建物も築年がはっきりしませんが明治後期と思われます。元々は個人邸でしたが、一時期中国領事館として使われました。館の内外には中国にちなんだ美術品が飾られています。
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1940年、中国の政治家・王兆銘が南京に親日政府を樹立した一時期、中国領事館として使用されていた異人館です。数ある公開異人館の中でも唯一ここだけが、オリエンタルムードに浸れる東洋的異人館。館内の家具調度品・美術品は中国のもので統一され、当時の様子がしのばれます。西周時代の銅鐸や宋時代の青磁や焼きものに加え、紫檀に精微な装飾を施したサロン・セットなど、贅を極めた装飾は必見です。

 

兵庫県内を見て回る(22)

北野の異人館を見て回る(16)
北野外国人倶楽部(3)
2階の様子
こちらは、フリューガ氏の邸宅の本来の使い方を示しているのだろうが、それにしても飾り立て過ぎ。横浜の西洋館と比較しても、段違いの豪華さだ。神戸の外国人が開国時の中心地であった横浜の外国人より優雅な暮らしをしていたとは思えないのだが、…。
この部分は子供用のスペースのようだ。木馬などが置かれているし、ベッドもシングルだ。ごちゃごちゃしすぎて、きれいな感じがするとは言い難い。そして、ここにもドン・キホーテの像が。よほど、風見鶏の館を含めた異人館のオーナーは、ドン・キホーテがお好きなようだ。
2階の様子_1
2階の様子_2
2階の様子_3
2階の様子_4
2階の様子_5
2階の様子_6
ここからは大人のスペースかな。子供たちのスペースと簡単に仕切っただけいうことは、比較的、子供たちの年齢が小さかったのだろうか。
2階の様子_7
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2階の様子_14
2階の様子_15

 

兵庫県内を見て回る(21)

北野の異人館を見て回る(15)
北野外国人倶楽部(2)
1階の様子(2)
この辺りまではサロンの雰囲気十分だろうか
1階の様子(2)_1
1階の様子(2)_2
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1階の様子(2)_4
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1階の様子(2)_9
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1階の様子(2)_11
1階のキッチンスペース
ここから先は、どう見ても個人邸宅の規模でしかない。あくまでもフリューガ氏の邸宅の一部をサロンに見立てたと考えるのが妥当だろう。まあ最近の日本の狭小スペースで頑張る居酒屋さんなどを考えると、サロンでも運営可能でないとは言えないかもしれないが。
1階のキッチンスペース_1
オーブンの熱源はガスかと思って聞いてみたが、石炭だったようだ。時代的にはガスが通じていてもおかしくないと思うのだが。
1階のキッチンスペース_2
1階のキッチンスペース_3
1階のキッチンスペース_4
1階のキッチンスペース_5
中2階
メイド部屋は北東に面した中2階のようなところにあったと記憶している。それでも調度品はそれなりだ。こんなに待遇の良い部屋をあてがわれていたのだろうか。飾り立て過ぎのような気がしないでもないが。
中2階_1
中2階_2
中2階_3
中2階_4

 

全国高校サッカー選手権準々決勝(4)

第2試合:星稜vs明徳義塾(2)
試合序盤
ゴール前での攻防がそれぞれあったが、得点が入りそうな感じは全くなかった。延々と凡戦を見させられるのかと実は覚悟していた。あのレッド&PKの宣告があるまでは。
試合序盤_1
試合序盤_2
試合序盤_3
試合序盤_4
試合序盤_5
試合序盤_6
2点目
前半終了間際に2点目が。その写真をうまく撮ることができなかった。というか、下を向いているときに決まってしまった。ダメ押しのヘディングシュートを決めたのは背番号12の大倉尚勲。ほぼ試合が決まった2点目だった。その分、明徳義塾イレブンの落胆は大きかった。
後でビデオで確認したところ、左サイドを駆け上がったDFの六田からのセンタリングがあがった。これに中央を走っていた大倉が見事にドンピシャリのタイミングで合わせ、ヘディングで見事にゴール左隅に決めていた。これは到底防ぎようがない感じだった。う~~ん。
2点目_1
2点目_2
2点目_3
2点目_4
2点目_5
電光掲示板
2点目_6
3点目
これまたうまく撮れなかった。ゴールを決めたのは、左上の選手。先取点を決めた阿部雅志。きれいな左サイドからのミドルシュートだった。
こちらも、後でビデオで確認した。右サイドからのフィードボールを中央にいた大倉が後ろにヘッドで流し、これをやや左にいた阿部が強烈なミドルシュートを放ったものだった。これまた、お見事。
3点目_1
電光掲示板
3点目_2
両校の応援席
明徳義塾
男ばかりのむさくるしい応援
明徳義塾_1
明徳義塾_2
明徳義塾_3
明徳義塾_4
星稜
甲子園での応援風景を再現したような華やかな応援
星稜_1
星稜_2
星稜_3
星稜_4
星稜_5
星稜_6

この因縁対決を制した星稜高校。本日9日の準決勝vs東福岡高校戦はどうなることだろうか。熱戦を期待したいものだ。

 

全国高校サッカー選手権準々決勝(3)

第2試合:星稜vs明徳義塾(1)
星稜(石川) 3(前半2-0 後半1-0)0 明徳義塾(高知)
全国高校サッカー選手権では初対決のようだが、24年前の甲子園での高校野球の因縁の対決が記憶にあり、どう転ぶのか興味をもって観戦した。結果的には、星稜がリベンジを果たした形になった。
星稜の左ウィングの位置に、公称1.65mのかなり小柄な阿部がキャプテンマークを巻いて入っていた。『この選手が?』と最初は思わないでもなかったが、結果的には統率力抜群の選手だった。

先制点
前半26分、明徳義塾の浜口俊介(背番号3)がレッドカードを宣告され1人少なくなった。同時にPKをも宣告された絶体絶命のピンチ。逆に絶対的なチャンスを得た星稜高校は阿部雅志がこれをゴール右隅に決め、先取点を得る。ここで試合は決まった感じになってしまった。
レッドカード&PK宣告
ゴールに迫った星稜の根来悠太(背番号9)を明徳義塾の浜口俊介(背番号3)思わず倒してしまう。星稜にはPKが与えられ、明徳義塾の浜口は一発退場。こちらから見ていた限りでは、イエローカードとPKかなと思っていたが、間近で見ていた主審にはPK覚悟の極めて悪質なプレーに映ったようだ。
レッドカード&PK宣告_1
レッドカード&PK宣告_2
この時はPK覚悟のGKも苦笑いを浮かべていた。が、処分は極めて重かった。
レッドカード&PK宣告_3
レッドカード&PK宣告_4
レッドカード&PK宣告_5
レッドカード&PK宣告_6
レッドカード&PK宣告_7
レッドカード&PK宣告_8
レッドが宣告され、PKの権利を得た星稜にボールが渡される。非常に厳しい判定だったが仕方がなかろう。
レッドカード&PK宣告_9
レッドカード&PK宣告_10
こんな時にも平然としていた星稜の阿部選手。さすがキャプテンを張るだけある度胸の良さだ。
レッドカード&PK宣告_11
PK
キッカーは阿部雅志(黄色のユニフォーム背番号7)。PK合戦ではなく、試合中のPKなので、キーパーが弾き返したり、バーに当たって跳ね返ったりするかもしれない。なので、両方の選手が『次』に備えて陣取る。
PK_1
PK_2
PK_3
PK_4
ファインダー越しに見ていたら、外したかと一瞬思った。でもしっかり決めていた。
PK_5
PK_6
PK_7
電光掲示板
明徳義塾側が1人少ないのがわかると思う。たかが1点、されど非常に重い1点になった。
電光掲示板

 

全国高校サッカー選手権準々決勝(2)

第1試合:東福岡vs駒大高(2)
後半
東福岡の猛攻
初っ端から東福岡の猛攻が続く。駒大高は時折カウンター攻撃を仕掛けるも散発程度で、防戦一方といっても過言ではない状況に終始する。特に右サイドの三宅海斗の鋭い攻撃には苦しめられっぱなしの状況だった。
東福岡の猛攻_1
東福岡の猛攻_2
東福岡の猛攻_3
東福岡の猛攻_4
東福岡の猛攻_5
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東福岡の猛攻_11
東福岡の猛攻_12
東福岡の猛攻_13
東福岡の猛攻_14
東福岡の猛攻_15
この時も決まったかと思ったが、間一髪セーブした。最少失点にとどめたのは大健闘といえるかもしれないが、振り向きざまに前方に大きくフィードするだけの単純な戦法では、何度も勝つのは難しかったのかもしれない。
東福岡の猛攻_16
東福岡の猛攻_17
東福岡の猛攻_18
東福岡の猛攻_19
均衡が破れる
かなり高い打点。橋本和征(背番号8)の見事なヘディングシュートだった。
後半22分、再三チャンスメイクをしていた三宅(背番号11)の右クロスに毎熊(背番号7)と相手のGK鈴木(背番号1)とが交錯。こぼれたところを橋本が頭で押し込み、決勝点を挙げたかたちになった。岡山出身コンビの大活躍だった。

均衡が破れる_1
均衡が破れる_2
均衡が破れる_3
よほど悔しかったのか、駒大高の主将は鬱憤を晴らすかのように強くボールを蹴っていた。そのことで駒大高イレブンの闘志を掻き立てようとしたのだろうか。
均衡が破れる_4
均衡が破れる_5
均衡が破れる_6
均衡が破れる_7

 

全国高校サッカー選手権準々決勝(1)

1月5日に行われた全国高校サッカー選手権準々決勝の4試合のうち、2試合が近くの駒沢競技場で行われたので、観戦してきた。『兵庫県内を見て回る』シリーズを再開させたばかりだが、またまた先に、こちらを取り上げる。
第1試合:東福岡vs駒大高(1)
駒大高(東京B) 0(前半0-0 後半0-1)1 東福岡(福岡)
これが決勝点
かなり高い打点から叩き込んだシュート。GKがいないのでは防ぎようもなかったと思う。
これが決勝点_1
これが決勝点_2
高校総体王者の東福岡と地元中の地元で勢いに乗る駒大高との対戦は見ていて面白かった。
こんなことを書いたら気を悪くする関係者がおられるかもしれないが、両校ともに応援団の柄が非常によくない。これだけは何とかしてもらいたいものだ。

前半
きれいなパス・サッカーで相手に攻め込む東福岡。かたや素早くチャンスをつかみ速攻を仕掛ける駒大高。東福岡がかなり優勢ではあったが、両校とも無得点。
前半_1
前半_2
前半_3
前半_4
前半_5
前半_6
前半_7
ハーフタイム
インタビュー
この時ばかりは行儀よく応じていた。猫かぶりかな。
ハーフタイム_1
ハーフタイム_2
TVの求めに応じた応援光景
とにかく人数では駒大高校に圧倒されるものの、なんというかど迫力があった
ハーフタイム_3
ハーフタイム_4
ハーフタイム_5

 

兵庫県内を見て回る(20)

諸事情で中断していた『兵庫県内を見て回る』シリーズを再開します。
北野の異人館を見て回る(14)
北野外国人倶楽部(1)
明治の後期に建てられた旧フリューガ邸だそうだ。そのお屋敷を、開港当時の外国人の会員制倶楽部・サロンに見たてて再現したのかな。個人の邸宅ならば、2階の展示やキッチン、メイド部屋、ベッドルーム等も合点がいくのだが、この建物そのものが在りし日の外国人のサロンだと言い張るのは、どうにも首肯しかねる。
とはいうものの、猥雑なプライベート博物館として考えるならば、それなりに面白いかも。

エントランスにて
エントランスにて_1
エントランスにて_2
男性には無縁の空間
コスプレして写真にという趣向のようだが、どうやら女性限定のサービスのようだ。外観だけを撮った。チャペルの後方に見えているのが、これから入ろうとしている主屋。
男性には無縁の空間_1
男性には無縁の空間_2
展望塔の家
震災以降公開されていないようだ。うろこの家かと一瞬思わなくもなかったが、方角が少し違うので、調べていた。漸く何の建物かだけわかった。
展望塔の家
玄関と1階の様子(1)
当時、日本に来ていた外国人たちの寛ぐことができるサロン。それを再現したようだ。
玄関と1階の様子(1)_1
玄関と1階の様子(1)_2
玄関と1階の様子(1)_3
玄関と1階の様子(1)_4
玄関と1階の様子(1)_5
玄関と1階の様子(1)_6
玄関と1階の様子(1)_7
玄関と1階の様子(1)_8
玄関と1階の様子(1)_9
玄関と1階の様子(1)_10
天井までのびる大型暖炉が圧巻。表面に精妙な浮彫が施された豪華版で、フランスのブルボン王朝(1589~1830年)の貴族が使っていたものだそうだ。それは疑わないが、開国当初の神戸の外国人サロンにこれが置かれていたのだろうか?そこまで、華やかな暮らしが営めるほど、外国人はありがたい存在だったのだろうか?
玄関と1階の様子(1)_11
玄関と1階の様子(1)_12

 

大晦日と元日の料理他

代わり映えもしない年末年始の過ごし方だが、こんなふうに食べて飲んで過ごした。どこにも出かけないのも却って気楽かなあ。
大晦日
年越しなのでお蕎麦、うどんをまず用意。そして、少しおなかを満たす意味でお寿司をも用意。実にシンプル。
大晦日_1
大晦日_2
大晦日_3
大晦日_4
大晦日_5
孫たち
大晦日_6
大晦日_7
大晦日_8
大晦日_9
元日
我が家流のお節
段々、孫の好みに合わせて簡素化してきたかな
元日_1
元日_2
元日_3
元日_4
元日_5
元日_6
元日_7
元日_8
元日_9

 

秩父夜祭_2015(19)

いよいよ2015年の秩父夜祭も終わりだ。道の駅のほうに向かい、暫しの休息をとることにする。
いよいよ2015年の秩父夜祭も終わりだ
秩父神社神楽殿にて
蓼の実会がまだ秩父囃子を熱演中だった。遅くまで頑張るなあ。
秩父神社神楽殿にて_1
秩父神社神楽殿にて_2
秩父神社神楽殿にて_3
秩父鉄道秩父駅
ただいま運休中かな。架線が切断中だから、仕方がないことだが。調べてみたら、全面運休ではなく、19:50-22:30頃まで秩父-影森間の列車が区間運休になるそうだ。この時間帯に電車に乗るとすれば、西武秩父駅から西武秩父線に乗る。もしくは秩父から秩父鉄道で熊谷方面に向かうかのどちらかのようだ。だから、ホームに乗客がいたのか。
秩父鉄道秩父駅
花火
全然撮る気がなかったが、あまりにも時間を持て余し気味だったので、少し撮ってみた。
花火_1
花火_2
花火_3
花火_4
花火_5
2011年の夜祭の記憶
といっても日中の市内曳行時の画ばかりだ。この日は最初雨が降っていたのだが、何とか上がってくれた。そうしたら、武甲山の山霧と荒川の川霧とがうまい具合に出て、撮影のシチュエーションとしては最高だった。
2011年の夜祭の記憶_1
2011年の夜祭の記憶_2
2011年の夜祭の記憶_3
2011年の夜祭の記憶_4
2011年の夜祭の記憶_5
2011年の夜祭の記憶_6
2011年の夜祭の記憶_7
2011年の夜祭の記憶_8
2011年の夜祭の記憶_9
2011年の夜祭の記憶_10
2011年の夜祭の記憶_11
2011年の夜祭の記憶_12
2011年の夜祭の記憶_13
2011年の夜祭の記憶_14
2011年の夜祭の記憶_15
2011年の夜祭の記憶_16
2011年の夜祭の記憶_17

以上で『秩父夜祭_2015』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

秩父夜祭_2015(18)

本町屋台
やっと来ました本町屋台の出番。このとき既に19:56。痺れを切らして登場したと思われるが、ここで出番を待っていた私たちは、この屋台を追いかけていくか、どこかにしけこんで空腹を満たし、寒さをしのぐしかない。何せ、この屋台が団子坂を上るまでに相当に時間がかかる。そして、お旅所での神事が始まるのだ。
ともあれ、殿の本町屋台がやってきた。

近づいてきた
こちらの屋台も鬼板が立派だ。
豪華な龍の彫り物なのだそうだ。暗くてよく分からなかった。こういうのは、日中にきちんと撮っておくべきだった。
近づいてきた_1
屋台でもこれだけの曳き手がいる。何しろ人手を大いに要するイベントなのだ。これだけの人が懸命に曳いているというのに、団子坂の急勾配をなかなか上りきることができなくて四苦八苦するのだ。
近づいてきた_2
近づいてきた_3
近づいてきた_4
近づいてきた_5
近づいてきた_6
いよいよ
最後に登場する屋台だから、きちんと撮りたいと思っていた。だが、意に反してボケボケ写真ばかり。私ではなく、カメラの方が、若干疲れてきたのかなあ。
いよいよ_1
いよいよ_2
いよいよ_3
いよいよ_4
いよいよ_5
いよいよ_6
いよいよ_7
いよいよ_8
いよいよ_9
御神酒一杯千円木札付きなのだとか。屋台が足止めを食らっているときにしか、販売できないのかな?
元データを拡大して確認したら、確かに裏返しだが、『御神酒一杯』の文字が見えた。おまけの木札には『本甼』の焼き印が押してあった。一種のサポーター気分かな。

いよいよ_10
この時、ちょうど20:00。前述したとおり、お旅所の賑わいはこれから本格化するのだ。だが、ここにいる人は交通規制があって、近づけない。私が申し込んだバスの出発は23:00で、バスに乗車できるのはその1時間前の22:00だ。いつもここで、時間のつぶし方を考え込んでしまう。今回は空腹癒しと寒さしのぎに時間を費やすこととした。

本町屋台の鬼板の写真があるHPへjump

2012年の夜祭におけるお旅所の様子
ぶれぶれの写真ばかりで恐縮。もうちょっとうまくとらなくてはいけないのだが、…。
2012年の夜祭におけるお旅所の様子_1
2012年の夜祭におけるお旅所の様子_2
2012年の夜祭におけるお旅所の様子_3
2012年の夜祭におけるお旅所の様子_4
2012年の夜祭におけるお旅所の様子_5
2012年の夜祭におけるお旅所の様子_6
2012年の夜祭におけるお旅所の様子_7
2012年の夜祭におけるお旅所の様子_8
2012年の夜祭におけるお旅所の様子_9
2012年の夜祭におけるお旅所の様子_10

次回がこのシリーズの最終回です。

 

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