散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

秩父夜祭_2015(16)

上町屋台
四番手でやってきたのは上町屋台。上町屋台は四方とも唐破風造りの四つ棟造りの屋根と登り勾欄が附設された比較的新しい形の屋台。簗は秩父夜祭の屋台では最大。それゆえに、市内曳行時の他の屋台とのすれ違いが注目される。なお、方向転換には秩父夜祭の笠鉾・屋台の中で唯一キリンでジャッキアップして旋回させる。ギリ回しよりもスピーディーに行えるものと思っていたが、動画を見てみると、それなりに時間がかかるようだ。
近づいてきた
どの笠鉾・屋台の保存会も衣装自慢ばかりだが、この上町屋台も粋さ加減では他に引けを取らない。
脇道に逸れるが、『はしまき』というのも広島発の食べ物のようだ。広島のポイントが関東では高いようだ。
近づいてきた_1
近づいてきた_2
近づいてきた_3
女性陣も元気印のようだ。こちらはいい加減草臥れかけてきていたが、元気の良い掛け声を聞くと、虚勢を張って元気なふりをしなくちゃ。
近づいてきた_4
近づいてきた_5
近づいてきた_6
近づいてきた_7
近づいてきた_8
近づいてきた_9
いよいよ
四方すべてが唐破風造りの四つ棟造りの屋根はさすがに迫力十分。大きくて立派。威風堂々たるものだ。
いよいよ_1
いよいよ_2
いよいよ_3
いよいよ_4
いよいよ_5
いよいよ_6
これだけの幅があって、露店があって、客もいる中で、すれ違いを見せるのはかなり難しいことなのだろう。尤も、夜はすれ違いがないようにスケジュールされているようだ。
いよいよ_7
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いよいよ_9
いよいよ_10
いよいよ_11

キリンによる方向転換を記録した動画へjump

今年も最後までご覧いただきありがとうございました。深く感謝します。来年もよろしくお願い申し上げます。

 

秩父夜祭_2015(15)

宮地屋台
3番目は宮地屋台。ここからは屋台の登場だ。
近づいてきた
ここからは、屋台を運営維持する保存会の人たちの衣装に注意。この白のコートが何とも粋。
路面を見ると、轍跡がくっきり。笠鉾や屋台は相当な重量で、なおかつ車輪が硬いのだろう。
近づいてきた_1
近づいてきた_3
近づいてきた_4
近づいてきた_5
女性陣も頑張っている。華があっていいなあ。
近づいてきた_6
近づいてきた_7
近づいてきた_8
いよいよ
囃子手は笠鉾の6人から、こちらは4人に減っている。規模相応なのかなあ。
いよいよ_1
いよいよ_2
いよいよ_3
いよいよ_4
いよいよ_5
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見えない部分も派手に飾られているようだ。大したものだ。
いよいよ_9
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秩父夜祭_2015(14)

下郷笠鉾
2番手も笠鉾で、下郷笠鉾。この時、19:03だった。
鉾をつけると高さ約16メートルになり関東地区では最大のそれはそれは華やかな山車なのだが、夜祭では正式の装備はなされていないのが残念な限りだ。

笠鉾が近づいてくる
『志』とあるのは、下郷笠鉾を表すしるし。誇らしげに見える。
『ローソク掛』という役割の人がいる。消えそうになったり消えた蝋燭を点け直すのだ。
笠鉾が近づいてくる_1
これが3層であれば、辺りを圧する威容なのだが。そうでないのが残念だ、今の混雑ぶりでは仕方がないことのようだ。
笠鉾が近づいてくる_2
笠鉾が近づいてくる_3
笠鉾が近づいてくる_4
笠鉾が近づいてくる_5
笠鉾が近づいてくる_6
いよいよ
なのだが、あちこちから邪魔が入り、撮影は大苦戦。
いよいよ_1
屋台と違って、囃子手が2人多い6人。正式装備に備えた人員配置なのだろうか。
いよいよ_2
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秩父夜祭_2015(13)

中近笠鉾
今や秩父夜祭のメインのイベントである夜間の笠鉾・屋台の曳行。その御神幸祭の付け祭りで笠鉾・屋台の先頭になってお目見えするのは、中近笠鉾。そのため、笠鉾の運行組織には『一番組』の名称がつけられているほどだ。
待ちに待った笠鉾の登場だ。この時、18:55だった。

だんだん近づいてきた
交通整理が厳しくなって、観客が少ない位置に幸運にも入り込めた。そこで、待っている間は、露店を冷かしながら、邪魔者が少ない場所で撮影できた。非常にラッキーだったが、その割にはしょぼい写真ばかり。私の腕が未熟なのだろう。
だんだん近づいてきた_1
だんだん近づいてきた_2
だんだん近づいてきた_3
だんだん近づいてきた_4
だんだん近づいてきた_5
いよいよ目の前だ
十分な心構えができていないうちに行ってしまった。毎度のことながら、夜の撮影は難しい。
いよいよ目の前だ_1
いよいよ目の前だ_2
いよいよ目の前だ_3
いよいよ目の前だ_4
いよいよ目の前だ_5
いよいよ目の前だ_6
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いよいよ目の前だ_13
いよいよ目の前だ_14
いよいよ目の前だ_16
いよいよ目の前だ_17

 

秩父夜祭_2015(12)

御神幸祭(2)
前回の続き。提灯もほとんどないので、少し暗く、歌舞音曲の類もなく、しずしずと進む感じ。まさに神様の御成りなのだろう。
神輿
御神幸祭(2)_1
御神幸祭(2)_2
御神幸祭(2)_3
宮司
大総代
独立したショットは撮り損ねたようだ。宮司も大総代も祭りの主役だというのに。(^^);
大総代の人たちは、特別な笠をかぶるのがしきたりのようだ。ちょんまげの時代の名残だろうか。

御神幸祭(2)_4
2頭の神馬
1頭目のご神馬
御神幸祭(2)_5
御神幸祭(2)_6
御神幸祭(2)_7
このあたりで行列が一旦停止状態に。その分だけ写真が増えた。
御神幸祭(2)_8
御神幸祭(2)_9
ご神馬は草鞋を履かされていた。気さくな係りのおじさんに説明されるまで気づかなかった。
御神幸祭(2)_10
御神幸祭(2)_11
御神幸祭(2)_12
御神幸祭(2)_13
2頭目のご神馬かな。ついている係りの人の好々爺然とした様子が印象的。
御神幸祭(2)_14
御神幸祭(2)_15
ご神馬役の馬さんの馬主さんは乗馬クラブのオーナーのようだ。心配そうに見守っているのが印象的だった。
御神幸祭(2)_16
御神幸祭(2)_17
笠鉾や屋台が日中に曳行した時の轍の跡がくっきり残っている。ここに、さらに、跡がくっきり刻まれるのだろう。
御神幸祭(2)_18
御神幸祭(2)_19
御神幸祭(2)_20
特別な鞭なのだそうだ。先ほどのおじさんに講釈をうかがったのだが、聞いた内容はきれいさっぱり忘れてしまった。う~~ん。
御神幸祭(2)_21
御神幸祭(2)_22

 

秩父夜祭_2015(11)

午後6時半頃に、秩父神社から1kmほど離れた御旅所に向けて御神幸行列が出発し、6台の笠鉾・屋台がそれに続く。御旅所下の団子坂を笠鉾・屋台が曳き上げられる頃に最高潮を迎える。そういう手順になっている。
御神幸祭(1)
それまでの喧騒が嘘のように鎮まり、厳かに御神幸祭の長い長い行列が、進んできた。かなり気宇壮大なお祭りだ。どれが何に当たるのか詳しくはないので、多少間違いがあるかもしれない。予定時間より少し早く、このとき18:15頃。
先導大麻が先頭
直後に『宮地』と書かれた墓針提灯が掲げら荒れているが、あれは、不公平だと問題にならないのだろうか。もしかしたら、持ちまわかもしれないが。
神幸祭(1)_1
神幸祭(1)_2
大榊
神幸祭(1)_3
神幸祭(1)_4
猿田彦
よく見える位置から撮りたかったが、混雑と厳重な警備とにさえぎられて、出来なかった。
神幸祭(1)_5
神幸祭(1)_6
楽人
神幸祭(1)_7
錦旗、御手箱、太刀箱
神幸祭(1)_8
神幸祭(1)_10
各町会の高張提灯と供物
神幸祭(1)_11
神幸祭(1)_12
神幸祭(1)_13
神幸祭(1)_14
神幸祭(1)_15
神幸祭(1)_16
神幸祭(1)_17
神社神饌
神幸祭(1)_18
神幸祭(1)_19
大幣
神幸祭(1)_20
神幸祭(1)_21
神幸祭(1)_22
最も重要で盛大な祭典が3日の夜行われる神幸祭です。この日の午後6時半、神幸行列が秩父神社を出発し、神社の真南に位置する御旅所へと向かいます。
神幸行列は、先導大麻を先頭に、大榊、猿田彦、楽人、錦旗、御手箱、太刀箱、各町会の高張提灯と供物、神社神饌、大幣、神輿、宮司、大総代、そして2頭の神馬が続き、これらの行列の後を6台の笠鉾と屋台が巡行します。
神幸行列の順路は、秩父神社の鳥居から本町交差点で左折。「大通り」を経由して埼玉県秩父地方庁舎前から札所十三番の交差点を左折。秩父鉄道御花畑踏切を渡り、団子坂を上って御旅所というコースです。
そして、最後の屋台が御旅所に到着後の午後10時20分頃から斎場祭の神事が厳かに行われます。
斎場祭の終了後、午前0時近くに今度は笠鉾と屋台が先に御旅所から各町内に向けて出発し、その後を神幸行列が続きます。神幸行列が秩父神社に到着するのは4日午前3時をまわります。

 

我が家のクリスマス・イブ

今年までは上の孫娘だけを連れて、クリスマス・イブのミサに与る。来年からは、下の孫娘をも連れて、クリスマス・イブのミサに与る計画でいるが、どうなることやら。来年のことはともあれ、今年のイブの様子はこんなだった。
カトリック碑文谷教会にて
聖堂
小さな聖堂に見えるかもしれないがかなり大きい。カトリック信徒が少ない日本では、これでも最大級の聖堂といってもよいだろう。
聖堂
馬小屋
聖堂外に設置されている。結構しっかりした組み立て式のもので、組み立てはかなり大変だ。デザインは、イタリア人好みのものかな?
馬小屋_1
聖堂内にはこんな小さな人形も
馬小屋_2
孫娘
このころは元気でいたが、エネルギー切れで少し不機嫌に。幼児を機嫌よくいさせるのは難しいものだ。
孫娘_1
孫娘_2
ステンドグラス
この日にふさわしいテーマ
ステンドグラス_1
そのほかこんなステンドグラスも
ステンドグラス_2
ステンドグラス_3
早い時間帯の様子
開始直前には満席になるのだが、この時間帯はまだまだ。忙しくミサの準備がなされていた。
早い時間帯の様子_1
早い時間帯の様子_2
星美学園小学校の聖歌隊
孫娘の関心をひかなかった。小学生に求めるのは酷かもしれないが、日本語の歌が、日本語に聞こえるように歌ってほしいと思った。
星美学園小学校の聖歌隊_1
星美学園小学校の聖歌隊_2
自宅にて
今夜の料理の一部
年々手抜きになる傾向だが、孫たちの食が細いので仕方のないところだ。ローストビーフは美味しかった。
今夜の料理の一部_1
今夜の料理の一部_2
今夜の料理の一部_3
今夜の料理の一部_4
今夜の料理の一部_5
今夜の料理の一部_6

 

秩父夜祭_2015(10)

中町屋台
上町屋台に続いて、スタート地点に向かう。徐々に一層空は暗くなり、夜祭が間もなく始まる感じが強くなってきた。というか、すでに始まったと感じている向きが多くなってきたようだ。このとき、17:55頃。
待ち構える面々
待ち構える面々_1
粋だねえ
待ち構える面々_2
屋台がきた
提灯のデザインがすごい。いいなあ。
屋台がきた_1
屋台がきた_2
屋台がきた_3
屋台がきた_4
屋台がきた_5
屋台がきた_6
屋台がきた_7
屋台がきた_8
屋台がきた_9
屋台がきた_10
屋台がきた_11
屋台がきた_12
屋台がきた_13
屋台がきた_14
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屋台がきた_18
屋台がきた_19
屋台がきた_20
屋台がきた_21
屋台がきた_22
屋台がきた_23
秩父豚肉味噌漬本舗 せかい
ここの看板は崩し字で読むことができる人はあまりいないのではなかろうか。斯くいう私も大多数の一人。ここも豚肉味噌漬けの店。
秩父豚肉味噌漬本舗 せかい

このあと、上町屋台・中町屋台に続いて、本町屋台がスタート地点に向かう。そして、行列の殿につくはずだ。だが、どうしたわけか、見落としてしまったようだ。m(__)m
ということで、次回からは神幸行列を取り上げる。つまり、夜祭本番となる。

 

秩父夜祭_2015(9)

スタート地点に向かう上町屋台
巡幸の順番は、中近笠鉾、下郷笠鉾、宮地屋台、上町屋台、中町屋台、本町屋台の順で行う。今まで紹介してきたのは、中近笠鉾、下郷笠鉾、宮地屋台の3基が神社境内もしくは隣接地に陣取っていて、中町屋台、本町屋台の2基も待機場所を示してきた。
時間つぶしをしている間に行き会わなかったのが、この上町屋台。こちらも巡幸に先立って、1ブロック先の上町会所から秩父神社に向かう。
ということで、夜祭において、一番最初に動き出すのは、この上町屋台ということになる。

「い組」の一団が見えてきた
とにかく大きな屋台だ。屋根が大きいので、日中の市内曳行時にこの屋台についていけば、固唾をのんで見守る屋台同士のすれ違いが見られるのだが、今年は見損ねてしまった。なお、この屋台のみ、ギリ廻しではなく、キリン(キリンジャッキ)でジャッキアップして旋回させる。その様子を見ても、屋台が傾ぐわけでもなく、つまらないかもしれない。
「い組」の一団が見えてきた_1
「い組」の一団が見えてきた_2
「い組」の一団が見えてきた_3
「い組」の一団が見えてきた_4
大きな上町屋台
夜の曳行はこんな形で始まる。とは言うものの、行列の殿につくために秩父神社に向かうのであり、正式な秩父夜祭の始まりというわけではないのだが。このとき、17:35だった。
正式な秩父夜祭に合わせて、こちらもカメラのパラメータをセットする。失敗はしたくはないが、失敗しても、知らぬ顔の半兵衛を決め込むことができる心理的余裕がある。

大きな上町屋台_1
大きな上町屋台_2
大きな上町屋台_3
大きな上町屋台_4
大きな上町屋台_5
大きな上町屋台_6
大きな上町屋台_7
大きな上町屋台_8
大きな上町屋台_9
大きな上町屋台_10
大きな上町屋台_11
大きな上町屋台_12
大きな上町屋台_13
大きな上町屋台_14
大きな上町屋台_15
大きな上町屋台_16
大きな上町屋台_17
大きな上町屋台_18
大きな上町屋台_19
大きな上町屋台_20
大きな上町屋台_21
大きな上町屋台_22
4台の屋台の中で、一番大きな屋根を持つ。後ろ幕は、鯉の滝登り。運行組織は「い組」と呼ばれる。屋台町会の中での屋台のすれ違いは見ものである。

上町屋台組み立ての様子を紹介したHPへjump

 

秩父夜祭_2015(8)

番場町を歩く
時間潰しに秩父神社の参道になっている番場町を歩き、国指定の登録有形文化財などを見て回った。楽しもうと考えていたのだが、途中ものすごい人通りで、ゆっくり見て回る感じではなかった。
薗田家
祭りで混雑しているときなので(混雑していない時も同様にすべきだと思うが)、主屋はパスして表門のみを撮影。当主は、秩父神社宮司にして京都大学名誉教授のようだ。通りを挟んだ向かいの家屋も同様に、国指定の登録有形文化財だ。そちらは、人込みで撮れなかった。
薗田家_1
薗田家_2
薗田家_3
薗田家住宅主屋 【建築年代:明治末期】
明治末期に武甲山麓の民家の部材を用いて建設したと伝える。
東面して建つ木造総2階建、南北棟の切妻造、桟瓦葺、平入で、平面は基本的に整形4間取とする。
正面の東面中央に式台を備え、入母屋造屋根の玄関を突出し、社家らしい雰囲気のある外観をみせる。 (登録基準:国土の歴史的景観に寄与)
薗田家住宅表門 【建築年代:天保年間】
敷地東辺にある。1間1戸四脚門形式で、屋根は南北棟の切妻造、桟瓦葺、間口3m、袖塀付で南妻に潜戸を設ける。
長方形断面の親柱から垂木まで欅材をふんだんに用いた丁寧なつくりである。南北には桟瓦葺屋根付の板壁を延ばす。
風格のある屋敷正面の構えをかたちづくっている。(登録基準:国土の歴史的景観に寄与)

安田屋
番場町で一番目につく肉屋さん。秩父夜祭の日は、ことのほかにぎわう。コロッケが大人気なのだ。この店の前を通り抜けるのは至難の業というほどに賑わう。私は、コロッケよりも吊り下げられているイノシシの方に目が行く。この店の一番の売り物は、豚やイノシシの味噌漬けだ。
ということで、建物の感想は無し。正直に言えば、しみじみと見たことがないのだ。ついでながら、画面の右隣に写っている『カフェ・パリー』も国指定の登録有形文化財だ。安田屋よりも3年ほど古い建物だ。

安田屋_1
安田屋_2
安田屋 【建築年代:昭和5年頃】
角地に建つ木造2階建で、正面の東側と両側面の壁を高く立上げ、背面側に鉄板葺の片流れ屋根を架ける。
壁面はモルタル塗で、小屋裏窓を設け3階建にみせ、上部にコーニスを廻し、窓上にアカンサスをあしらった装飾をつける。洋風意匠を摂取した店舗兼用住宅である。(登録基準:造形の規範)

小池煙草店
秩父に来たからには、絶対に写真に撮りたくなる建物。だんだん、こうしたレトロな建物が姿を消しつつある。残っているうちに記録しておきたい。
小池煙草店
小池煙草店 【建築年代:昭和初期】
角地に建つ木造2階建で、通り側の壁を高く立上げ、背面側に鉄板葺の片流れ屋根を架ける。通り側は隅を丸めて連続とした壁面とし、コーニス・モールディング・窓周りの縁取りなどと、その他の壁面を色や仕上げで分ける。
装飾性に富んだ昭和初期の店舗兼用住宅である。(登録基準:造形の規範)


以上のすべてが国指定の登録有形文化財だったが、次のものは、特にそうしたものではなさそうだ。でも、雰囲気が良さげ。私の好み。

藤澤泰山堂印房&泰山堂cafe
時間があれば、カフェのほうに寄りたかったなあ。暗くなり始めたので、神社に戻らなくてはいけず、仕方なしにパス。
藤澤泰山堂印房&泰山堂cafe

時間潰しをしてのんびり撮り歩いているうちにすっかり暗くなってきた。これは、早く秩父神社に戻らねばと気がせく。

既に点灯されていた
秩父神社に着くと、既に屋台と笠鉾に明かりがともされていた。薄暮の明かりを撮っておきたかったのだ。
既に点灯されていた_1
既に点灯されていた_2
屋台や笠鉾には『賜 天覧』と誇らしげに札が掲げられていた。何よりも自慢なのだろう。
既に点灯されていた_3
既に点灯されていた_4
既に点灯されていた_5

 

秩父夜祭_2015(7)

末尾に、2012年10月に行われた特別催行の時の様子の画像を何枚か貼り付けておいた。笠鉾の正式な装備に興味のある方は、ぜひご覧いただきたい。
再び秩父神社境内に戻る
80分ほどの少し長めの夕食&休憩をとった後、秩父神社境内に戻った。境内には、既に宮地屋台と中近笠鉾とが待機していた。我々と同様に祭り参加者も夜祭本番に備えて少憩をとっていた。
2基の揃い踏み
まだ、明かりは入っていなかったが、用意は整っているようで、細部の確認を行っていたようだ。
2基の揃い踏み_1
2基の揃い踏み_2
2基の揃い踏み_3
宮地屋台
宮地屋台_1
宮地屋台_2
宮地屋台_3
中近笠鉾
中近笠鉾_1
中近笠鉾_2
御神幸祭の際に最初に曳行するため、山車を引く際の運行組織は一番組の名称がつけられている。誇らし気な袢纏を着込んでいる。
中近笠鉾_3
神門
参拝をする人の列が長く続いていた
神門
下郷笠鉾
神社前には下郷笠鉾が控えていた。ここが下郷笠鉾の定位置だ。略式の装備と言いながらも、近くで見ると、結構な迫力がある。
下郷笠鉾_1
下郷笠鉾_2
下郷笠鉾_3
下郷笠鉾_4
下郷笠鉾_5
下郷笠鉾_6
車軸の過熱防止のため、昔はこの竹筒に油分の多い草を用意しておいたそうだ。今は潤滑油そのものが用意されているそうだ。幕の内側に座布団が見えるが、そこに囃子方が入り込む。
下郷笠鉾_7
秩父囃子の演奏も
大人の人たちの演奏は年季が入っていて、見事だった。『蓼の実会』という組織を結成しているようだ。
秩父囃子の演奏_1
秩父囃子の演奏_2
2012年10月に行われた特別催行の時の様子
当面は見ることができないと思うので、記憶にとどめておいてほしい。殆どの人が初めて見た正式の装備での曳行だった。
下郷笠鉾
特別催行時の下郷笠鉾_1
特別催行時の下郷笠鉾_2
特別催行時の下郷笠鉾_3
特別催行時の下郷笠鉾_4
特別催行時の下郷笠鉾_5
中近笠鉾
特別催行時の中近笠鉾_1
特別催行時の中近笠鉾_2
2基の勢揃い
特別催行時の2基の勢揃い

 

秩父夜祭_2015(4)

取り上げる順番が前後してしまって申し訳ない
既に日中の市内曳行は終了している。神幸祭のあとを、提灯とぼんぼりを付けた6台の笠鉾・屋台の巡行が行われる。それが夜祭の本番だ。以降の時間は、提灯とぼんぼりを付ける夜祭の装備を整えた後は、暫しの休憩に入る。
巡幸の順番は、中近笠鉾(なかちかかさぼこ)、下郷笠鉾(したごうかさぼこ)、宮地屋台(みやじやたい)、上町屋台(かみまちやたい)、中町屋台(なかまちやたい)、本町屋台(もとまちやたい)の順で続く。最後の2つの屋台は、神幸祭の直前に秩父神社に向かい、行列の殿につく。ということで、この位置での待機ということになるのだろう。
子供たちが一生懸命演じる知知夫囃子
お世辞にもあまりうまいとは言えないレベルだったが、続けていれば、きっとうまくなることだろう。何年もしないうちに、本町(もとまち)屋台の囃子方になれるかな。
子供たちが一生懸命演じる知知夫囃子
本町屋台
ここで休憩に入るところのようだ。やはり市内曳行を十分にみるには、朝早くに到着していないと無理なようだ。そこから深夜まで頑張るのは体力的にかなりきついが。
袢纏に『達磨』と誇らし気に染め抜いてある理由は、後幕を見ていただければ、容易にお分かりいただけると思う。

本町屋台_1
本町屋台_2
本町屋台_3
本町屋台_4
本町屋台_5
本町地区の所有する屋台。後幕が子供の玩具でその中にあるだるまが特徴的であり 運行組織は達磨会と呼ばれる。明治・大正時代までは二重勾欄をもつ屋台であったが転倒事故後今の勾欄になる。
中町屋台の模様替え
1時間ほど前まで歌舞伎の奉納を行っていたようだ。それを行うための設営から、市内曳行に復するための模様替えの最中だった。
中町屋台の模様替え_1
中町屋台の模様替え_2
中町屋台の模様替え_3
中町屋台の模様替え_4
中町屋台の模様替え_5
中町屋台の模様替え_6
中町屋台の模様替え_7
中町屋台の模様替え_8
中町屋台の模様替え_9
中町屋台の模様替え_10
中町屋台の模様替え_11
中町屋台の模様替え_12
中町屋台の模様替え_13
中町屋台の模様替え_14
中町屋台の模様替え_15
4台の屋台の中で最も大きな屋台。屋根の鬼板(彫り物)は大きく美しい。 下方(運行組織)は中町屋台保存会青年部が運行している。6町会の中で唯一、恵比寿の幕、鯛の幕の2枚の後幕を持ち、12月2日、3日と違う後幕を見ることができるのもこの町会の特徴である。

本町屋台が屋台芝居を行った時の写真へjump

 

秩父夜祭_2015(6)

中近笠鉾のギリ回し(2)
無事ギリ棒がはめ込まれると梃子を外す。が、一気に行うのではなくそろそろと行い、ギリ棒に支えられて、浮かす形にする。それを笠鉾・屋台の周囲から若い衆が抑えて、水平を保った形で回転させる。おしくらまんじゅう(押し競饅頭)をしているように見えなくもない。
そして、目的の角度まで回したら、再び梃子を入れ、ギリ棒を外す。

梃子で笠鉾を浮かしている
梃子で笠鉾を浮かしている_1
梃子で笠鉾を浮かしている_2
ギリ棒をはめている瞬間かな
ギリ棒をはめている瞬間かな
ギリ棒がはまったようだ
ギリ棒がはまったようだ_1
ギリ棒がはまったようだ_2
梃子に使った材木を外す
梃子に使った材木を外す
今は笠鉾が浮いている状態
今は笠鉾が浮いている状態
若い衆が笠鉾を傾かないように抑えながら回す。何度も言うようだが、おしくらまんじゅうを彷彿とさせる。
笠鉾を傾かないように抑えながら回す_1
笠鉾を傾かないように抑えながら回す_2
笠鉾を傾かないように抑えながら回す_3
笠鉾を傾かないように抑えながら回す_4
笠鉾を傾かないように抑えながら回す_5
笠鉾を傾かないように抑えながら回す_6
笠鉾を傾かないように抑えながら回す_7
笠鉾を傾かないように抑えながら回す_8
ギリ棒を抜く
ギリ棒を抜く
梃子の支点となる馬が用意された
梃子の支点となる馬が用意された
その上に長い材木が挿入される
長い材木が挿入される
持ち上げた
持ち上げた_1
持ち上げた_2
持ち上げた_3
持ち上げた_4
持ち上げた_5
結構傾いているのがお分かりだろうか
結構傾いているのがお分かりだろうか
一生懸命、ギリ棒を抜く作業中のようだ
ギリ棒を抜く作業中のようだ_1
ギリ棒を抜く作業中のようだ_2
ギリ棒を抜く作業中のようだ_3
抜けたようで徐々に下していく
徐々に下していく_1
徐々に下していく_2
徐々に下していく_3
徐々に下していく_4

 

秩父夜祭_2015(5)

『秩父夜祭_2015(4)』をうっかり飛ばしてしまった。だが、今回分と『秩父夜祭_2015(6)』とは、連続した内容なので、先にこれを取り上げた後、中抜きになっている『秩父夜祭_2015(4)』を取り上げたい。混乱してしまって申し訳ない。
中近笠鉾のギリ回し(1)
秩父往還を武甲正宗の柳田総本店前で折り返した中近笠鉾。少し戻って、秩父神社に宮入りするために左折する。その様子を見ていく。
交差点に近づいてくる
前方、登り勾欄の両側に二人づつ、他の人とは違う派手な襦袢を着た4人(下郷笠鉾は6人)が乗っている。囃子手というが、彼らの『ホーリャイ、ホーリャイ』の掛け声に合わせて、重量級の笠鉾が力強く近づいてくる。
交差点に近づいてくる_1
交差点に近づいてくる_2
交差点に近づいてくる_3
交差点に近づいてくる_4
囃子手はアドレナリン出まくりなんだろうな。晴れの大舞台なのだから当然だろう。
交差点に近づいてくる_5
交差点に近づいてくる_6
交差点に近づいてくる_7
交差点に近づいてくる_8
交差点に近づいてくる_9
ギリ回しの準備
梃子を使用して、笠鉾・屋台の後方から笠鉾・屋台を持ち上げている。そして笠鉾・屋台の重心がかかる位置をギリ棒が入るくらいに浮かせる。当然のことながら、この瞬間に笠鉾・屋台は大きく傾ぐ。
略装の笠鉾や屋台程度の高さであればたじろぐこともなかろうが、正装した笠鉾の場合は、そうはいかない。四方の綱を張り、転倒を防止する措置を講じる。

こちらに向かって右上の囃子手は、晒の布をしっかり握って転落防止に備えている
ギリ回しの準備_1
ギリ回しの準備_2
ギリ回しの準備_3
手前の囃子手が落ちてしまうのではと一瞬思ったほど。何事もなかったようだが。たぶん、腰のあたりを結わえてあるのだろう。
ギリ回しの準備_4
ギリ回しの準備_5
ギリ回しの準備_6
ギリ回しの準備_7
幕の内側に潜り込んでいる囃子方は、何も見えないから、結構怖いのかなあ
ギリ回しの準備_8
ちなみにギリ棒はこんなもの。いかにも頑丈なものだ。これ1本で20tの重量にも耐えられるのだから凄い。
ギリ棒

 

秩父夜祭_2015(3)

中近笠鉾(2)
皆お澄まし顔で記念写真に納まっていた。晴れ舞台だから、当たり前なのだろう。日差しが思いのほか厳しく、『早く撮れ』と言っているようだった。
中近笠鉾(2)_1
準備完了。お澄まし顔でカメラに向かってポーズ。
中近笠鉾(2)_2
中近笠鉾(2)_3
武甲正宗の柳田総本店
堂々たる国指定登録有形文化財だ。この夏に見たばかりなのに、また来てしまった。
柳田総本店_1
これはその昔の滑車だ。冬の仕込みが終わると二階に当面使用しない道具類を格納する際に使用したのだそうだ。
柳田総本店_2
柳田総本店_3
秩父往還に東面して建つ。木造2階建、切妻造(きりづまづくり)、鉄板葺、平入で、正面に桟瓦葺(さんがわらぶき)の下屋庇(げやひさし)を設ける。1階正面には開放的な構えとし、2階は横長の開口部に繊細な格子戸を立て込む。全体的にたちが低く、屋根勾配も緩やかで、市内でも数少ない江戸期の佇まいをみせている。 (登録基準:国土の歴史的景観に寄与)
いなせな装いは如何
ものすごく粋なのだが、同時にものすごく高級なもののようだ。片方は秩父銘仙だろうし、もう片方は秩父刺子の最上級品のようだ。見るたびにため息を吐いてしまう。
いなせな装いは如何_1
いなせな装いは如何_2
いなせな装いは如何_3
上石商店
大正初期の建築だそうだ。いまは、後方の蔵がギャラリーになっているらしい。二階の袖うだつと右手のなまこ壁、そして一階のステンドグラスの取り合わせが面白い。ものすごくモダンなのだが、今回は障害物が多く、よく見ることができなかった。
上石商店
旧新井商店
こちらも国指定登録有形文化財。うろこがわらは、神戸北野の『うろこの家』だけではなかったようだ。
旧新井商店_2
旧新井商店_3
旧新井商店_4
店舗は切妻造、平入、2階建で、旧秩父往還に東面して建ち、南妻面に平屋建の旧事務所を張り出す。寄棟造(よせむねづくり)、平屋建の主屋は後方に廊下で接続する。店舗は重厚な土蔵造で、正面両端に袖卯建(そでうだつ)をあげ、2階窓に格子を入れる。明治中期商家の佇まいをよく伝える。(登録基準:国土の歴史的景観に寄与)
ほっとすぽっと秩父館
この施設は、明治時代初期に建築された商人宿「秩父館」をみやのかわ商店街振興組合が借り受けて、なるべく昔の姿を残すよう改装後、地域の交流・観光拠点として活用することを目的として開設されたもの。本当に味わい深い建物なのだが、真ん前の露店が邪魔をして、普通の日のように落ち着いて、店内を見られないのは残念なことだった。
ほっとすぽっと秩父館
秩父ふるさと館
もとは大正時代に繁栄した銘仙問屋の店舗・主屋。現在は「観光・食品コンビニ」のコンセプトのもと、生鮮食品(野菜果物)をはじめとした日用食料品からお菓子まで販売するお店や、地元産農産物の直売、喫茶スペース、土蔵を活かした地域の物産展示販売、郷土料理もお出しする手打ちそば屋、そして夜間はお酒が楽しめる観光拠点にリニューアルされたそいだ。私が気になったのは、左側の屋根の上に見える二階部分に横に飛び出しているうだつのような部分。何をする目的だったのだろうか。
秩父ふるさと館

 

秩父夜祭_2015(2)

秩父神社の彫刻
秩父神社の再建は徳川家康が天下を取る直前の天正12年(1592年)に行った。天下を取ろうとする己が力のほどを見せつける意図があったのだろう。とても素晴らしいものだ。東照宮の建設に当たっては、家康の好みを確認すべく、こちらが参照されたようだ。
子宝 子育ての虎
家康が再建したのだから、己の存在を誇示するのは当たり前なのだろう。家康はトリプル・タイガーだったのか。
秩父神社本殿社殿の虎の彫刻は、家康が「寅の年、寅の日、寅の刻」生まれであった事から拝殿の正面に4面の虎の彫刻が施されている。
子宝 子育ての虎
つなぎの龍
秩父神社本殿東側に描かれた、鎖でつながれた青い竜の彫刻も、左甚五郎作とされ、この彫刻には、次のような伝説がある。その昔、秩父札所十五番小林寺の近くに「天ヶ池」という池があり、その池に住み着いていた龍が暴れると、必ずこの彫刻の下に水たまりができた。そこで、この彫り物の龍を鎖でつなぎ止めたところ、龍が現れなくなったという。神社の東北(表鬼門)を守護する青龍の姿を名工左甚五郎が社殿彫刻に施したもの。青い龍の彫刻に鎖がかけられている。
つなぎの龍
瓢箪から駒
子供のころ、瓢箪から出てきたのは、回す方の独楽のことだと思っていた。何たる勘違いをしていたのだろうか。
馬に関する諺の一つに「瓢箪から駒」がある。意外なところから意外な発見や出会いがあることを表す諺であるが、その意味するところは開運招福である。そのため、社殿西側にはこの諺に因んだ彫刻が施されている。
瓢箪から駒
北辰の梟
秩父神社本殿北側中央に彫刻された梟(ふくろう)。体は本殿(南)を向いているのに、顔だけ180度逆の方向(北)を向いて、祭神である妙見菩薩を守っている。妙見菩薩は北辰菩薩とも呼ばれ、北辰すなわち北極星を神格化したものといわれている。北極星は、昔から"道しるべ"として利用されてきただけでなく、天空の星が北極星を中心に回って見えるため、尊い星として崇拝の対象ともなった。北辰のふくろうが一日中、真北をずっと見つめているのは、北極星の方向から妙見神が現れるから。そして、ふくろうは古くから知恵のシンボル。秩父神社が祀る八意思金命も知恵の神として崇敬されている。こうしたことから、思慮深い神の使として、社殿北面に施された。
北辰の梟
お元気三猿
徳川家康を祀る日光東照宮の三猿は、古来の庚申信仰に因んだ「見ざる・聞かざる・言わざる」として有名である。秩父神社の三猿は日光のそれとは全く違った表情で、「よく見・よく聞いて・よく話そう」といった仕草を表している。現代の情報化時代にふさわしい彫り物で ”お元気三猿”として親しまれている。
お元気三猿
中近笠鉾(1)
武甲正宗の柳田総本店の方に歩いていった。そこは、日中の市内曳行の折り返し地点なので、休憩したり、ギリ回しなどが見られると踏んだのだった。それは大当たりだった。普通の方向転換は90度だけだが、ここはかつての秩父往還を折り返すので、大サービスの180度転換なのだ。
現在の笠鉾は三代目で、明治13年(1880)に造られた名工・荒木和泉の作だそうだ。構造は八棟造(やつむねづくり)の屋根の上に、3層の笠を立てた大型の笠鉾で、勾欄に龍が巻き付いている。大正3年(1914)の電線架設以来、鉾を立てずに曳行され、現在は笠も取り外して運行される。ということで、本来の大きさからはかけ離れてしまったのが、かなり残念だ。

ここでもまたギリ回しが行われていた
今見えているのは後方部分だ。浮かすために梃子で持ち上げ、ギリ棒を入れる作業をしているはずだ。
中近笠鉾(1)_1
中近笠鉾(1)_2
中近笠鉾(1)_3
回りだすと、スムーズなので簡単に方向転換を行っているように見えるかもしれない。だが、それは、とんでもない誤解だ。ギリ棒の上に屋台や笠鉾が載っている、つまり、浮いている状態なのだ。四方から多くの若い衆が傾かないように必死に抑えている。なので、屋根の上にいる人は、晒をしっかり握りしめて転落しないようにしている。男気のほどを試されている。
中近笠鉾(1)_4
中近笠鉾(1)_5
中近笠鉾(1)_6
中近笠鉾(1)_7
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中近笠鉾(1)_9
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中近笠鉾(1)_20
中近笠鉾(1)_21
ギリ棒を外す作業を笠鉾の下で行っているのだろう。梃子で笠鉾をもう少し浮かせて、ギリ棒をフリーにして外すわけだ。
中近笠鉾(1)_22
中近笠鉾(1)_23
中近笠鉾(1)_24
無事、折り返すことができた。ここで記念写真撮影をするようだ。
中近笠鉾(1)_25
中村町・近戸町の2町会が管理する笠鉾。御神幸祭の際に最初に曳行する(そのため、山車を引く際の運行組織は一番組の名称がつけられている)。秩父夜祭の中では一番古い歴史をもつ山車で、初代は屋台・2代目は笠鉾であった。現在の屋台笠鉾形式ものは3代目である。

 

秩父夜祭_2015(1)

うまく撮れない秩父夜祭にずっと挑戦し続けてきた。今年も行こうと思っていた矢先に足腰の状態が絶不調になってしまった。今年は何とか気力で行くことができたのだが、来年も行くことができる保証はない。今回で夜祭見物が終了しても悔いが残らないようにと、意気込んで臨んだ。

秩父神社の鳥居前で
秩父神社に到着したとき、ちょうど下郷笠鉾が近づき、宮入りすべくギリ廻し(方向転換)をするところだった。
笠鉾は大きく見えるかどうか微妙な高さだと思うが、実はこの高さは本来の高さではない。本来の高さにして曳行を行うには、電線などが邪魔になるし、ギリ廻し(方向転換)をした時の安全を確保すべく、観客誘導も難しくなる。そのため、仕方なく、例年、中抜きをした状態にして、曳航を行っている。

秩父神社の鳥居前で_1
秩父神社の鳥居前で_2
秩父神社の鳥居前で_3
ギリまわしの最中。笠鉾が少し傾いでいるのがお分かりいただけるだろうか。細かい様子は、次回以降に取り上げる。
秩父神社の鳥居前で_4
秩父神社の鳥居前で_5
良く見るとわかるが、笠鉾の向きが90度回転している。これで鳥居をくぐる準備ができたことになる。
秩父神社の鳥居前で_6
下郷地区(金室町、永田町、柳田町、阿保町、大畑町、滝の上町)の6町会が所有する山車。以前は桜木町も含み下郷七村といわれた。鉾をつけると高さ約16メートルになり関東地区では最大の山車である。 現在のものは電線の高架によって屋形をつけたもので3代目の笠鉾である。屋形をつける際に笠鉾の部品も散逸してしまい笠鉾の部分も含めほぼ新造建築に近い。白木作りの屋形が特徴であるが、本来は朱塗りの屋形になるはずであった。天道・波形石台・万灯に3層の花笠をもち総重量は20トンともいわれている、他の山車とくらべて漆塗りや彩色をしていないが、二段屋根等で組木が多い。
神社境内では、既に入っていた宮地屋台が玉串奉奠の準備中だった
私が利用した観光バスは、ほぼ先頭を切って到着したのだが、それでも出遅れ感があるのは否めない。神門に近づいて玉串奉奠の様子を正面から撮りたかったが、割り込みは難しい状況だった。仕方なく、バックからのショットのみ。
神社境内では_1
神社境内では_2
神社境内では_3
神社境内では_4
神社境内では_5
宮地地区(上宮地・中宮地・下宮地)の屋台。この地域は秩父神社に習合される前の妙見宮があったところとされ(現在は妙見塚)でそのために宮地(みやじ)と呼ばれる。秩父夜祭の屋台の中では最古の歴史をもち、かつ登り高欄がないなど最も古い原型をしている。御神幸祭の際には3番目に曳行される山車でそのため他町会の屋台と違い曳踊りでは必ず三番叟が上演される。妙見七ツ井戸の伝説に従い、屋台倉から3日の神社への宮入までに七回曳踊りを行う風習があるなど妙見菩薩に最も縁が深い山車である。

 

スパリゾートハワイアンズ1泊旅行(7)

スパリゾートハワイアンズ到着2日目(3)
半日強の市内観光の最後の目的地は小名浜。ここで昼食をとり、お土産を買いこむ。
小名浜漁港の様子
かなり閑散としている
小名浜港は国際商港でもあるが、この一帯は漁港のゾーン。至る所で修復工事中だ。
かなり閑散としている_1
かなり閑散としている_2
かなり閑散としている_3
かなり閑散としている_4
かなり閑散としている_5
かなり閑散としている_6
かなり閑散としている_7
仲間に『お帰り』とでも声をかけているところだろうか
仲間に『お帰り』とでも声をかけているところだろうか
北海道稚内市の第31日東丸
今の大型巻き網漁船は、小型の船舶を3隻も積載しているのか。大きい船舶だなあ。漁の仕方も昔とはだいぶ変わってきているようだ。上記の新設されたばかりの小名浜の魚市場に今年初めてのカツオの水揚げをした稚内市の漁船だそうだ。今の時期は何を狙っているのだろうか。
北海道稚内市の第31日東丸_2
北海道稚内市の第31日東丸_1
三崎公園にあるマリンタワーが見える。白い建物は福島漁連のビルのようだ。新設した様だ。
遠景
昼食
秋刀魚定食だった。観光バスの一行にきちんと出すためには、ちょうど焼き立てというわけにはいかないようだ。
昼食_1
昼食_2
昼食_3
昼食_4
昼食_5
アクアマリン福島
個人的に行ったのであれば、必ず立ち寄るところだ。今回は残念だがパスするしかない。福島沖は潮目(親潮と黒潮とがぶつかり合う辺り)で、プランクトンがいっぱい。それを目当てに大小の魚が集まる絶好の漁場といわれている。その潮目を意識した展示が売りだ。
アクアマリン福島
新しくできた施設・建設中の施設
今年3月に新設された魚市場
小名浜港の魚市場は今までと90度向きを変え、海に突き出しような形で再建されたようだ。常時、フル回転するような賑わいを取り戻したいものだ。風評の払拭には、まだまだ時間がかかるのだろうか。
今年3月に新設された魚市場_1
今年3月に新設された魚市場_2
今年3月に新設された魚市場_3
今年3月に新設された魚市場_4
今年3月に新設された魚市場_5
ララ・ミュウ駐車場から見た様子
ララ・ミュウ駐車場から見た様子
以前は、私が立っている辺りに、道路に沿って魚市場があった。現在は90度向きを変え、海に突き出す形になっている。以前は貨物船などが停泊する商港の埠頭だったように思うが、記憶が定かでない。
今年3月に新設された魚市場_6
今年3月に新設された魚市場_7
小名浜港と小名浜東港をつなぐブリッジ
沖合に盛んに建設中だ。台風が襲来したときはちょっと怖そう。
小名浜港と小名浜東港をつなぐブリッジ_1
小名浜港と小名浜東港をつなぐブリッジ_2
人口島
小名浜港沖合に造成中の人工島(東港地区)に国際物流ターミナルを造成中なのだとか。かなり大規模なもののようだ。でも、主な荷扱いが石炭か。石炭火力発電の需要は今後どのように推移していくのだろう。先行きは大丈夫なのかなあ。
人口島
小名浜港東港地区の国際物流ターミナル整備事業は、大型船舶による石炭の大量一括輸送に対応するのが目的。事業全体としては2008年度から2018年度までの期間に総額約580億円を投じて、東日本地域の国際的なエネルギー拠点を造る。
小名浜港再開発にイオンモールが参入
ええっ、この場所にイオンモールまでできるの?大丈夫なのかなあ。いわき市内からだけでなく、他の市町村からの集客をも目指すのだろうが。
イラスト
この場所にイオンモールまでできるの
思い出したくもない悪夢
一刻も早く忘れてしまいたい悪夢だが、決して忘れてはいけない記憶なのだろう。
思い出したくもない悪夢_1
思い出したくもない悪夢_2

以上で、『スパリゾートハワイアンズ1泊旅行』は終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

スパリゾートハワイアンズ1泊旅行(6)

スパリゾートハワイアンズ到着2日目(2)
塩屋埼灯台
被災地跡
被災地跡の薄磯地区には、自然公園を作るのだそうだ。かつては多くの人が暮らしていたのだろうに、見る影もない。こんなに高くかさ上げするんだ。
被災地跡_1
被災地跡_2
被災地跡_3
帰りにも同じ道を通った
被災地跡_4
被災地跡_5
漸く灯台下に到着
漸く灯台下に到着_1
漸く灯台下に到着_2
漸く灯台下に到着_3
『喜びも悲しみも幾年月』の記念碑
『喜びも悲しみも幾年月』という映画作品があることを知っている人は少なくなってきたかもしれない。映画の原作となった主婦の手記は、この塩屋埼灯台の灯台長夫人のものだった。
『喜びも悲しみも幾年月』の記念碑
灯台への道の中腹から見た景観(灯台の北側)
薄磯海水浴場があった辺りなのだが、見る影もない。突き出した山の裏側が先ほどの整地を行っていた場所。
灯台への道の中腹から見た景観(灯台の北側)
もう少しで灯台が立つ場所
もう少しで灯台が立つ場所
こんなものがあった
こんなものがあった
灯台が立つ場所
灯台が立つ場所_1
灯台が立つ場所_2
灯台が立つ場所_3
豊間海水浴場側(灯台の南側)
右上に見えるのは豊間海水浴場の辺り。白砂青松かつ鳴き砂の海岸だったのだが。今にして思えば、津波の被害をまともに受けてしまう地形だったのかもしれない。
豊間と薄磯とで実に100人以上の方が亡くなられた。

豊間海水浴場側(灯台の南側)
真下から見た灯台
ここまででも十分怖いのに、さらに上まで上がる勇気はわいてこなかった
真下から見た灯台
薄磯海水浴場の方向(灯台の北側)
かつては美しい海水浴場だったことがお分かりいただけるだろうか
薄磯海水浴場の方向(灯台の北側)_1
薄磯海水浴場の方向(灯台の北側)_2
薄磯海水浴場の方向(灯台の北側)_3
薄磯海水浴場の方向(灯台の北側)_4
灯台の近くには、美空ひばりの歌碑がある
聞こえてくる美空ひばりの『みだれ髪』。大変な名曲をまさに絶唱している。素晴らしい。
灯台の近くには、美空ひばりの歌碑がある
美空ひばりの歌碑
美空ひばりさんは、時々疲れると極秘で常磐湯本温泉のとある旅館の女将のところに、のんびりしに来ていたそうだ。女将ととめどない話をし、湯に入って気力を充実させて、東京に戻っていったそうだ。
そんな縁があり、再起第一作の作品は、この塩屋崎を歌いこんでくれたようだ。

美空ひばりの歌碑_1
美空ひばりの歌碑_2
美空ひばりの歌碑_3
美空ひばりの歌碑_4

 

スパリゾートハワイアンズ1泊旅行(5)

スパリゾートハワイアンズ到着2日目(1)
2日目は、あいにく厚く雲が空を覆う天気だったが、雨が降らないだけマシと気持ちを切り替えて、いわき市内の観光をして回った。今回の最大の目玉は、国指定天然記念物の中釜戸の枝垂れ紅葉見物。以下で取り上げているものだ。
中釜戸の枝垂れ紅葉
いわき市渡辺町中釜戸にある国指定の天然記念物の枝垂れ紅葉。スパリゾートハワイアンズの訪問も今回が初めてだったが、合併前から私が住んでいた同じ磐城市内にあったのに、行ったことがなかった。スパリゾートハワイアンズに行ってみたい気持ちと同じくらい、この枝垂れ紅葉を見たかった。
昭和12年に国の天然記念物に指定されたという説明文を読み、同行の仲間が『自分の生まれ年に指定されたのか』と感慨にふけっていたが、約80年前の指定だった訳だ。
この枝垂れ紅葉は、イロハカエデの突然変異だそうだ。樹幹が白くねじ曲がり、ところどころにコブができているのが特徴。
いわき市の資料によれば、傘の広がりは東西約10m、南北約2m。樹高6.8m、根周り2.75m、胸高直径1.1m。樹齢不明。
ガイド氏は500年ほど経過しているようだといっていたが、ネットで検索すると、根拠があるのかどうか知らないが、700年という人もいるようだ。

東北大地震の震度6弱1回、1か月後の震度6弱2回にも耐えたようだ。長寿&突然変異でいまだに現役の樹木。一度見る価値はありそうだ。
中釜戸の枝垂れ紅葉_1
中釜戸の枝垂れ紅葉_2
中釜戸の枝垂れ紅葉_3
中釜戸の枝垂れ紅葉_4
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大分長い年月を経たと思しき石碑
中釜戸の枝垂れ紅葉_22
中釜戸の枝垂れ紅葉_23
中釜戸の枝垂れ紅葉_24

 

スパリゾートハワイアンズ1泊旅行(4)

スパリゾートハワイアンズ到着初日(4)
緊迫の火を扱うパフォーマンスの後は、再び落ち着いてみることができるダンスショーに戻った。長くなるので、寸詰めして1回分にまとめた。
ポリネシアン・グランドステージ「BIG MAHALO!!」(4)
後半の総集編
後半の総集編_1
後半の総集編_2
後半の総集編_3
観客参加の趣向が。結構楽しそうにしていた。ダンサーたちの柔らかい雰囲気が、緊張感をほぐしたようだった。
後半の総集編_4
後半の総集編_5
後半の総集編_6
後半の総集編_7
後半の総集編_8
後半の総集編_9
あれ、振りを間違えたんじゃ。でも、にこやかに続けていた。それでこそ、プロだ。可愛いダンサーだったので、評価が甘かったかな。
後半の総集編_10
後半の総集編_11
後半の総集編_12
後半の総集編_13
後半の総集編_14
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後半の総集編_19
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後半の総集編_21
後半の総集編_22
後半の総集編_23
後半の総集編_24
後半の総集編_25
後半の総集編_26
後半の総集編_27
後半の総集編_28
後半の総集編_29
後半の総集編_30
後半の総集編_31
後半の総集編_32

 

スパリゾートハワイアンズ1泊旅行(3)

スパリゾートハワイアンズ到着初日(3)
ポリネシアン・グランドステージ「BIG MAHALO!!」(3)
もう1回、火を扱うパフォーマンスを続ける。自分でやろうとは思わないが、見る分には最高だった。
火を扱うパフォーマンス(2)
ここからは3人でのパフォーマンスになった。掛け合いが見事だったのだが、そのように映っているだろうか?
火を扱うパフォーマンス_2_1
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暗い場所でのISO感度、シャッタースピードの設定については、あらかじめよく考えておくべきだった。客席では薄暗くて、うまくセットできずじまいだった。
火を扱うパフォーマンス_2_16
火を扱うパフォーマンス_2_17

 

スパリゾートハワイアンズ1泊旅行(2)

スパリゾートハワイアンズ到着初日(2)
ポリネシアン・グランドステージ「BIG MAHALO!!」は1時間のショー。イントロの女性ダンサーのゆったりしたダンスに続いて、男性のパフォーマーによる激しいダンスが始まった。場内に俄然緊張感が高まる。
ポリネシアン・グランドステージ「BIG MAHALO!!」(2)
火を扱うパフォーマンス(1)
ちょっとISO感度を上げすぎたようで、結果的にシャッタースピードが上がりすぎてしまったようだ。肉眼では繋がった線に見えるのが、記録したものは点になってしまった。演者はやけどなどしないものか、本当に心配するほどの迫真の演技。
火を扱うパフォーマンス_1_1
火を扱うパフォーマンス_1_2
火を扱うパフォーマンス_1_3
火を扱うパフォーマンス_1_4
火を扱うパフォーマンス_1_5
火を扱うパフォーマンス_1_6
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うわっ、口がやけどしてしまう!!そんな迫真の演技だ。
火を扱うパフォーマンス_1_8
火を扱うパフォーマンス_1_9
火を扱うパフォーマンス_1_10
火を扱うパフォーマンス_1_11
激しく回転させだしたのに、動きが止まったように記録されてしまった。SV優先モードで、ISO感度の下限値を少し下げるべきだったかもしれない。
火を扱うパフォーマンス_1_12
火を扱うパフォーマンス_1_13
火を扱うパフォーマンス_1_14
火を扱うパフォーマンス_1_15
火を扱うパフォーマンス_1_16
だんだん危険ゾーンに入ってきた。大丈夫かと固唾をのむ。
火を扱うパフォーマンス_1_17
火を扱うパフォーマンス_1_18
火を扱うパフォーマンス_1_19
火を扱うパフォーマンス_1_20
日本には、心頭滅却すれば火もまた涼しの火渡りの荒行がある。あれも十分に厳しいと思うが、こちらはその比ではないほど、すごい。
火を扱うパフォーマンス_1_21
火を扱うパフォーマンス_1_22
火を扱うパフォーマンス_1_23
火を扱うパフォーマンス_1_24
火を扱うパフォーマンス_1_25
火を扱うパフォーマンス_1_26
このあと、何事ともなかったかのように、元気よく立ち上がった。でも、画像を見ると、かかとの部分が黒く焦げている。う~~ん。
火を扱うパフォーマンス_1_27

 

スパリゾートハワイアンズ1泊旅行(1)

スパリゾートハワイアンズ到着初日(1)
11月末に十数人の小団体旅行でスパリゾートハワイアンズに行く機会があった。
フラガールによる夜のポリネシアンショーが、50周年を迎えたのか。50年前にいわきの中学を卒業して、都会での高校生生活を始めた。その年に会津の鶴ヶ城が再建され、その当時は常磐ハワイアンセンターと称していたこの施設で、フラガールのショーが始まったようだ。
ずっと福島県とは縁がない状態で過ごしていたのだが、大震災以降、ふるさとの悲惨な状況を見過ごす気持ちにはなれなかった。直後から、ふるさとに年に1-2度は顔を出すようにしだした。そして、やっと、スパリゾートハワイアンズに行く機会がめぐってきた。

ポリネシアン・グランドステージ「BIG MAHALO!!」(1)
夜のショーを見た。この種のショーは新婚旅行の際にハワイで見ただけだったので、非常に新鮮に映った。身贔屓するわけではないが、案外ハイレベルだった。
まずは、フラガールによるダンスから
やはり寛ぐことができるようなゆっくりとしたリズムの踊りからショーが始まった。蘊蓄を語る仲間によれば、スパリゾートハワイアンズには、向こうの名前を付けた芸名のダンサーが数人いるそうだ。この日のショーには一人だったとか。よくそんなことまで調べるものだと驚かされた。どの人が、そのメインのダンサーなのか何回かに分けて取り上げるので、見ておいてほしい。
まずは、フラガールによるダンスから_1
まずは、フラガールによるダンスから_2
まずは、フラガールによるダンスから_3
まずは、フラガールによるダンスから_4
まずは、フラガールによるダンスから_5
まずは、フラガールによるダンスから_6
まずは、フラガールによるダンスから_7
まずは、フラガールによるダンスから_8
まずは、フラガールによるダンスから_9
まずは、フラガールによるダンスから_10
まずは、フラガールによるダンスから_11
まずは、フラガールによるダンスから_12
まずは、フラガールによるダンスから_13
まずは、フラガールによるダンスから_14
まずは、フラガールによるダンスから_15
まずは、フラガールによるダンスから_16
まずは、フラガールによるダンスから_17
まずは、フラガールによるダンスから_18
まずは、フラガールによるダンスから_19
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まずは、フラガールによるダンスから_28
まずは、フラガールによるダンスから_29
まずは、フラガールによるダンスから_30

フラガールによる夜のポリネシアンショーが、50周年をきっかけに新しく進化。これまでにない光と映像と踊りのコラボレーションが、新しいショーの一番の見どころです。従来のダイナミックなショーに、新しい「光」の要素を加えて、映像と踊りが一部シンクロするなど、ポリネシアンショーの表現力がさらにアップ。新しいショーを通して、心からの感謝の気持ち(自然、命、地球にありがとう。これまでの50年間の応援にありがとう)と、これからも前進を続ける決意(明日にありがとう)をダンサーから皆様にお届けしていきます。

 

兵庫県内を見て回る(19)

北野の異人館を見て回る(13)
山手八番館(4)
ちょっともったいぶってしまった感じがあって申し訳ない。山手八番館の最後に、2階の『ギャラリー3』を取り上げる。
この部屋の入り口を守る2体の像
思いがけずいい感じなのに驚いた
ギャラリー3_1
ギャラリー3_2
スコータイにあった仏頭
13世紀のものだそうだ。美しい像なのに驚く。
ギャラリー3_3
仏陀座像
こちらはガンダーラのもの。何と4世紀のものだそうだ。謹厳実直な感じ。仏教の祖らしい品格を感じる。
ギャラリー3_4
仏陀座像
こちらもガンダーラのもの。同じく4世紀のものだそうだ。こちらは普通の人物像という風に見えた。
ギャラリー3_5
その他のガンダーラからの仏像
いずれも非常に古いもののようだ。少し時をさかのぼるだけで、かなりシンプルな感じになるものだ。
ギャラリー3_6
ギャラリー3_7
ギャラリー3_8
こちらは金色に彩色された像
ギャラリー3_9
こちらは仏頭
ギャラリー3_10
こういうものもあった
ギャラリー3_11
ギャラリー3_12
仏頭
ウートンの12世紀のもの
ギャラリー3_13
仏陀座像
ギャラリー3_14

まだ、シリーズ終了ではないが、一旦中断して、別の記事を先に取り上げ、その後、再び取り上げることにしたい。

 

兵庫県内を見て回る(18)

北野の異人館を見て回る(12)
山手八番館(3)
1階の様子はどうだっただろうか。今回と次回とにわけて、バラエティに富んだ2階の様子をみていくことにする。
ドン・キホーテのコレクション
といっても2セットだけだ。巡礼に行ったときに、セルバンテスの像があり、帰国したら、絶対にドン・キホーテを読了するんだと心に決めたはずなのに、まだ、本を手にしてさえいない。スペインのホテルのロビーなどで見かけたものと同じデザインだ。挿絵がそんな風に描かれているのだろうか?
ドン・キホーテ_1
ドン・キホーテ_2_1
ドン・キホーテ_2_2
ドン・キホーテ_2_3
階段を上がってすぐの辺り
小さなパーティーが催せるほど広い。贅沢な間仕切りの仕方だ。仏像コレクションがとびきり素晴らしい『ギャラリー3』は手前右側だ。次回これのみを取り上げることにする。
階段を上がってすぐの辺り
『ギャラリー3』以外の部屋
この部屋からも神戸の港が良く見える。眺望を楽しんだのだろう。ツタンカーメンの黄金のマスクの複製と思われるものは、あとから加えられたコレクションだろう。
『ギャラリー3』以外の部屋_1
『ギャラリー3』以外の部屋_2
『ギャラリー3』以外の部屋_3
今度行く機会があれば、CPLフィルターを必携で行こうと思う。硝子で覆われた作品が撮れなかったのが残念。
『ギャラリー3』以外の部屋_4
『ギャラリー3』以外の部屋_5
千手観音像と思しき仏像。小さいが見事な彫刻作品だ。
『ギャラリー3』以外の部屋_6
『ギャラリー3』以外の部屋_7
『ギャラリー3』以外の部屋_8
『ギャラリー3』以外の部屋_9
『ギャラリー3』以外の部屋_10
『ギャラリー3』以外の部屋_11

 

兵庫県内を見て回る(17)

北野の異人館を見て回る(11)
山手八番館(2)
1階の入り口から入って左側の様子。こちらも堂々の収蔵品ぞろいだ。
ブールデルの『自刻像』ほか
Big Nameの作品が揃っていた。すごいものだ。
ロダン『ナルキッソス』もルノアール『裸婦』も撮らずじまい。ブールデルの『自刻像』は気になったし、反射が気になるガラスケースにも入っていなかった。ということで、思い切って撮ってみた。
ブールデルの『自刻像』
確か構図右端のケースに入っていたのが、ルノアールの『裸婦』だったように思う
確か右端にあったのが、ルノアール『裸婦』だったように思う
他にも作品がいくつかあった
この作品はロダンの作品という表示はあったが、作品名は記載されていなかった。あったのかもしれないが気が付かなかった。正直なところ、私にはこの作品の良さが良くわからなかった。
他にも作品がいくつかあった_1
他にも作品がいくつかあった_2
他にも作品がいくつかあった_3
他にも作品がいくつかあった_4
サターンの椅子
『本当に行ったのか』といわれないように、不本意だがこれも撮った。向かって右側が女性用だとのこと。空くまで暫し待たされた。座ると願いがかなうといわれているそうだ。座らなかったので、効果のほどは云々する資格なし。
女性用
サターンの椅子_1
男性用
サターンの椅子_2
揃った構図
サターンの椅子_3
その前方に変わった椅子があった
サターンの椅子_4

 

兵庫県内を見て回る(16)

北野の異人館を見て回る(10)
外観が素晴らしいのに、それとは無関係にさらに一段豪華な室内装飾とが組み合わせたのをずっと見てきた。最初は驚いたが、だいぶ見慣れてきた。その筈だったが、ここの室内装飾には一番驚かされた。びっくりして声が出てこないほどだった。
山手八番館(1)
入り口脇にある国宝の複製の像
向かって右側が『天燈鬼像』、左側が『龍燈鬼像』。いきなり度肝を抜かれた。
原型は奈良興福寺の国宝館に安置されている国宝。それを複製したもののようだ。オリジナルは木製だが、こちらは、屋外設置が可能な青銅製。

入り口脇の像_1
入り口脇の像_2
入り口脇の像_3
入り口脇の像_4
入り口脇の像_5
入り口脇の像_6
外観はこんなふう
チューダー様式の塔屋が3棟連結する個性的な外観だそうだが、内部に入ると装飾に圧倒されて外観がどうだったかなど即座に忘れてしまった。
外観_1
外観_2
チューダー様式(Tudor style)は、イングランドの15世紀末頃から17世紀初頭までの建築様式。ハーフティンバー様式の木造住宅建築なども多く含まれ、特徴的なチューダー・アーチ(扁平尖頭アーチアーチ)が導入された。
入口上部のステンドグラス
4枚のステンド硝子が入口上部に作りつけられている。これはおそらく、建築当初からあったものではないかと思うが、どうだろうか。入口上部に収まる程度なので、それほど大きなものではないが、見事な出来栄えだ。後で調べたら、400年前にドイツで作られたものだ。400年も前のものか。日本の400年前とは、比べ物にならない。してみると、他の装飾同様に、あとから取り入れられたものなのかなあ。
入口上部のステンドグラス_1
入口上部のステンドグラス_2
入口上部のステンドグラス_3
入口上部のステンドグラス_4
マコンデ彫刻
ピカソに影響を与えたといわれる東アフリカのマコンデ族のひときわ異彩を放つ彫刻作品。確かにピカソの作品のようだが、あのピカソが真似をした方なのか。
マコンデ彫刻_1
マコンデ彫刻_2
マコンデ彫刻_3
マコンデ彫刻_4
マコンデ彫刻_5
マコンデ彫刻_6
マコンデ彫刻_7
マコンデ彫刻_8

山手八番館は、兵庫県神戸市北野町にある異人館。旧サンセン邸とも。
大正時代、サンセンの自邸として建設された。チューダー様式の塔屋が3棟連結する個性的な外観で、館内はロダン、ブールデル、ベルナール、レンブラントをはじめとする西洋と東洋の彫刻を中心とする美術品が所狭しと飾られている。

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塔状の家屋が3つ連なる風変わりな建築(チューダー様式)で入口上部のステンドグラスの美しさは格別。館内は近代彫刻の父ロダン、ブールデルの名作が並び、一室には東アフリカ、マコンデ族の異色の木彫や原始美術がたくさんある。
壁には、バロック時代の巨匠レンブラント、ドイツ・ルネッサンスの代表的な画家デューラー、18世紀イギリスの風刺画家ホーガースらの版画を展示。2階には、ガンダーラやタイなど日本の仏像のルーツとなる仏陀や菩薩像が厳かに鎮座。彫刻と版画と仏像を3本の柱にした名観で、芸術の香り高い館だ。

 

兵庫県内を見て回る(15)

12月3-4日は秩父夜祭見物に出かけていて、私からのアクセスが遅くなってしまいます。<(_ _)>
北野の異人館を見て回る(9)
うろこ美術館
撮影は禁止されていないが、光線の反射で思うように撮影できなかった。CPLフィルターを装着していれば、もう少し何とかなったのかなあ。
館内の様子
絵画そのものは、なかなか面白いコレクションだと思った。久しぶりにいいなと思ったほどだった。
美術館内の様子_1
ベルナール・ビュフェの作品の様だ。魅力ある作品に思えた。
美術館内の様子_2
どう見てもロシアの絵画の様だ。正教のミサは本当に荘厳な感じだ。光線の関係で肉眼でも鑑賞しにくく、それが残念だった。
美術館内の様子_3
美術館内の様子_4
美術館内の様子_5
美術館内の様子_6
堀江優画伯の独特な世界。強く強く印象に残った。
美術館内の様子_7
美術館内の様子_8
美術館内の様子_9
美術館内の様子_10
3階の展望室からの眺望
3階の展望室からの眺望_1
3階の展望室からの眺望_2
3階の展望室からの眺望_3
3階の展望室からの眺望_4
3階の展望室からの眺望_5
3階の展望室からの眺望_6
3階の展望室からの眺望_7
3階の展望室からの眺望_8
3階の展望室からの眺望_9
左端のガラス窓が『展望室』になっている
前庭から見た外観_1

ビュッフェ・ユトリロなどの西洋名画のコレクションとロシアの現代絵画、そして神戸画壇を代表する堀江優画伯の作品を展示しています。3階の展望室からの眺望は、神戸の街と港を一望できる穴場スポットです!

 

兵庫県内を見て回る(14)

北野の異人館を見て回る(8)
うろこの家(2)
館内2階の様子
1階は通常の客間のようなものだったと思うが、2階は居室であったり、限られた客との夕食を囲む部屋だったりしたのだろう。何となく居住者の思い入れがある感じを受けた。
館内2階の様子_1
館内2階の様子_2
館内2階の様子_3
館内2階の様子_4
館内2階の様子_5
館内2階の様子_6
館内2階の様子_7
館内2階の様子_8
館内2階の様子_9
館内2階の様子_10
館内2階の様子_11
ダイニングルームは超高級。赤坂の迎賓館を思い出してしまった。
館内2階の様子_14
館内2階の様子_15
館内2階の様子_16
館内2階の様子_17
2階からの景観。前庭にある『カリドン(ポルチェリーノ)の豬』などがみえる。
館内2階の様子_19
これは馬車なのだそうだ。説明書きには『王家の橇』と記されてあった。18世紀後半、デンマーク王室が愛用したもので、クルミの木で作られている。
館内2階の様子_20
館内2階の様子_12
館内2階の様子_13
館内2階の様子_21
館内2階の様子_22

 

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11月21日(火)は、旧徳川家松戸戸定邸を見に出かけています。私からのアクセスは相当に遅れると思います。大変申し訳ありません。m(_ _)m

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