散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

またも出かけた日本民家園(5)

(6)佐々木家住宅《信越の村》
縁側の軒の部分だけ石置き板葺きになっている。ずっと見てきたが、茅葺きの家屋にはその構造の特性からは樋が存在しない。ところが石置き板葺きの屋根の場合、前々回見た旧三澤家と同様に、現代のものからすれば不完全ではあるが、樋が存在する。端っこから落とす形式だとしても、中央部の軒下がびしょびしょになりにくいメリットがあったように思う。
八千穂村は間違いなく寒冷地の村だっただろうが、それでも豪雪の村ではなかったと思われる。この縁側の軒の部分だけ石置き板葺きにしても、差し支えなかったのかなあ、などと考えながら見ていた。

外観
これほど長大で軒が高い建物は、当時の近隣では殆ど例がなかっただろうと思われる。また、当時に建物にしては、珍しく、普請帳や記録によって家の歴史がわかる稀有の民家でもあった。国指定の重要文化財。
外観_1
外観_2
外観_3
外観_4
かぶと造の屋根
明かり取りになっていて、中二階で寺子屋なみの勉学ができるようになっていたとか。地元の名士らしきことをしてくれていたようだ。
外観_5
縁側の幅
普通の建物だと、手前側の幅程度だと思う。異様に幅広くした理由は何だろうか。
外観_6
外観_7
外観_8
屋内
佐々木家の間取り
佐々木家の間取り
随分大八車があったようだ。規模の大きな農家だったとわかるというものだ。
屋内_1
焙炉(ホイロ)
製茶用の乾燥炉。もとは木の枠に厚手の和紙を張ったもので、蒸した茶の葉を炭火で乾燥させながら揉むのに使用した。
どこかで聞いた言葉だと思った。よく考えてみれば、製パン工程で生地を発酵させるときに用いる保温装置もホイロというんだった。すぐ忘れてしまうところが悲しい。

屋内_2
大きく立派な室内だ
屋内_3
屋内_4
屋内_5
屋内_6
客用の湯あみ施設
屋内_7
庭では小学生の社会科の授業がなされていた
庭では小学生の社会科の授業が

川崎市教育委員会説明内容から
佐々木家住宅の旧所在地である八ヶ岳の東、千曲川の流れに沿った長野県南佐久郡八千穂村は山あいの高冷地で、決して豊かな土地柄ではなかった。佐々木家は旧上畑村の名主を交替で勤める有力農家であった。当家には普請に関する古文書が多数伝えられ、それによって現主屋の新築に至る経緯から、その後の移築、そして増築の過程がかなり克明にわかる、きわめて珍しい例である。
享保16年(1731)、当家より代官所宛に、家屋が破損したので古材を用い、また不足の分は自山の唐松を伐り出して新築したい旨を記した「普請願書」が提出された。この願い出は許可され、早速普請に取りかかったものと思われるが、現主屋を見る限り、主要部材に古材は用いられていないから、決して贅沢な家屋でないことを強調するためにこうした表現が使われたのであろう。ところが新築10年後の寛保2年(1742)、千曲川の大氾濫によって上畑村は大きな被害を受け、その結果村をあげて山寄りの高台に移転することになった。佐々木家は幸い流出を免れたが、翌年他の村民とともに新しい土地へと移転した。この時、主屋は解体して移築したようである。そして延享4年(1747)に座敷の妻側に2室続きの客座敷を増築した。民家園への移築にあたってはこの延享4年の状態に復原されている。
さて、創建当初の規模は現状からザシキ及びオクザシキを取り除いたものと考えればよい。つまり床上4室からなる整形4間取(田の字型平面)を基本としていた。オカッテも現在のように広くはなく、おそらく囲炉裏を中心とした後半部だけが土間に張り出していたものと想像される。したがって今のナカノマが当初の客座敷で、その妻側には床の間が設けられていた。そして延享4年の増築工事によって接客空間が格段に充実する。つまり増築されたオクザシキには床の間のほかに違棚が設けられ、そしてナカノマからザシキ、オクザシキとL字型に配置された3室からなる接客の場が形成された。こうした形式は鍵座敷と呼ばれ、江戸時代後期の東日本の上層農家で多くみられる形式であるが、当家は南佐久地方における鍵座敷成立の時期を明らかにするものとして貴重である。なお、客座敷に付属する形で上便所や風呂場が設けられたのは、当家が名主という立場上、代官所の役人などを接客する機会が多かったことを示すのだろう。
増築の結果、桁行は14間という長大なものになった。屋根は茅葺の寄棟造だが、土間の妻側は兜造にしている。兜造は群馬県や埼玉県西部など、養蚕の盛んな地方に多くみられるが、佐久地方の兜は厩の上部を下男部屋などに用いるために中2階を設け、そこに光を採り入れるための工夫であったから、これらとは少々系統を異にしている。また、床上部の前面及び背面には石置き板葺屋根の庇を設けている。
当家の構造上の特徴は、差物を多用して柱の省略がかなり進んでいることである。特にオカッテとチャノマ・コザシキの境には長さ4間という長大な差物を用いており、これは他の八千穂民家にも見られない特色である。
以上のように、佐々木家住宅は創建から移築・増築までの過程が詳細に判明する数少ない民家であり、また当初の南佐久地方の最も進んだ間取り及び構造技法を有する、たいへん貴重な民家である。

 

またも出かけた日本民家園(4)

(5)水車小屋《信越の村》
外観
外観_1
外観_3
外観_2
内部
歯車が、粉挽きとも、精米臼とも、わら打ちとも連結されておらず、ただむなしく空回りするだけ。写真を見て作動原理がお分かりだろうか。
精米臼・わら打ち
心棒につけられたなで棒が杵に取り付けられたはご板を押し上げる。少し回転が進むとなで棒がはご板から外れる。その瞬間に杵が落ち、コメなどを搗く。臼の中の穀物がむらなく精白できるよう、縄を使った「輪(写真で杵に引っ掛けてあるもの)」を入れる。杵が落ちると、穀物は臼の中で、下から外側を通って上へ動く。杵が上がると、中央のへこんだところへ落ちる。このように循環して精白するのだそうだ。いやはや芸が細かいものだ。
使用しないときには、なで棒とはご板とが接触しないように杵を持ちあげてガイドの穴から出し、脇によけておく。写真の時はそういう状態だ。

粉挽き
あのすごい歯車どうしが噛み合って、石臼の上部が回転し、粉を挽く。粉挽きを停めるときは、ネコと呼ばれるスライド防止装置を上げ、軸を動かして歯車の噛み合わせをはずすのだそうだ。写真の時はそういう状態だ。
内部
平面図(手前から粉挽き1・精米臼2・わら打ち1)
平面図
断面図(歯車を用いた動力の伝わり方)
断面図
立面図(流水が水車の上にかかる上掛式)
立面図

村の入り口
道祖神
道祖神
庚申塔
庚申塔
馬頭観音
馬頭観音

 

またも出かけた日本民家園(3)

(4)三澤家住宅《宿場》
この建物は、中山道から分かれる伊那街道の宿駅、伊那部宿にあった。ということで宿場町のゾーンに移築されている。
農業を主とし、代々組頭をつとめてきたが、江戸時代の末に製薬・売薬業を始めて成功した家だそうだ。
中を見せてもらうと裕福な家だったとようにわかるが、何といっても驚かされるのは石置板葺の屋根のことだ。そのようにした理由が私には今一つよくわからない。

外観
石置板葺の屋根
すぐにわかる屋根が板葺きの家屋。特に上から見ると、異様に目立つ。板葺きの木材は、栗の板を使い、横木と石だけで押さえてあるそうだ。
外観_1
10月下旬だというのに、後ろの山は殆ど緑一色だ。紅葉はいつになるのか心配になってしまう。
外観_2
外観_3
外観_4
屋内
この日は床上げ公開対象となっていなかったため、土間や屋外から見るだけだった。そのことがちょっと残念。
間取り
三澤家間取り
ここだけ瓦葺の玄関門をくぐった先には式台付きの玄関があった。奥に位置する神座敷には、立派な欄間が見えている。
屋内_1
私には薬種商のシンボルのように思える『薬研』や『百目箪笥』が鎮座していた。どうやって薬剤の知識を得たのか、謎だらけだが、…。
屋内_2
前回床上げ公開の時に、ボランティアの説明員が誇らしげに紹介していた欄間の彫刻。確かに得々と説明したくなるものだと思う。
屋内_3
屋内_4
私などが訪問したとしても、絶対に案内してくれそうもない上座敷。密談をするときはひそひそ話をするしかなかったと思う。
屋内_5
箱階段があった。私が乗っかっても大丈夫かなあ。
屋内_6
屋内_7
屋内_8
屋内_9
屋内_10
屋内_11

神奈川県指定重要文化財
旧所在地:長野県伊那市西町
建物区分:商家(薬種問屋→旅籠)
構造形式:切妻造、石置板葺、一重、一部二階、桁行13.6m、梁行12.7m
建築年代:19世紀中期

 

またも出かけた日本民家園(2)

(1)鈴木家住宅《宿場》
松川という地名を聞いて思い当たる方もいると思う。戦後間もない政治情勢が落ち着かない時期に起きたあの松川事件の舞台となった町だ。こちらは、後世に鉄道が馬による運搬にとって代わり、そんな血なまぐさい事件が起きるなどとは思いもよらない頃の馬をも泊める旅籠(馬宿)だった。
外観
外観_1
軒裏部分が、船枻造り(せがいづくり)になっている
民家の軒先で出桁を腕木で支え天井板を張った構造を船枻造りと呼んでいるそうだ。せがいにすることで細い垂木でも深い軒先を確保でき、風雨や強い日差しから建物を守ってくれるということのようだ。
外観_2
外観_3
外観_4
1階庇部分は板葺き
外観_5
屋内
間取り
鈴木家住宅間取り
揚戸
室内側に3枚の戸があるのがおわかりいただけるだろうか。狭い間口を活かすため、入口は引き戸ではなく開き戸に、正面の板戸は上に収納する揚戸になっている。
揚戸
揚戸イラスト
手前が『みせ』、奥に見える箇所が『まや(馬屋)』
手前が『みせ』、奥に見える箇所が『まや(馬屋)』
みせ
あの算盤は下部が5玉、上部が2玉。普通の算盤でも使いこなせないのに、あれに慣れるのは大変そうだ。
みせ
右端が馬をつないでいた場所
右端が馬をつないでいた場所
なんど
なんど_1
なんど_2
二階へ至る階段
二階へ至る階段
次の間と茶の間
次の間と茶の間
次の間
次の間
かってとにわ
かってとにわ

神奈川県指定重要文化財
旧所在地:福島県福島市松川町本町
建物区分:旅籠(馬宿)
構造形式:前部=寄棟造、茅葺、桁行 10.6m、梁行 6.9m
       後部=入母屋造、茅葺、桁行10.4m、梁行5.2m
建築年代:19世紀初期

 

またも出かけた日本民家園(1)

私が会計の役目を仰せつかっている団体の秋のウォーキング大会の行き先に、秋の川崎市立日本民家園を選んだ。頼まれもしない説明役も果たしながら、写真を撮ってみた。
天気、同行者、カメラ、季節が違うと違って見えるだろうか?


(0)原家住宅
この日本民家園にあって、唯一の明治の建物。百年経過したとはいえ、比較的新しい建築物であるということで、文化財としての扱いは、『川崎市重要歴史記念物』にとどまる。しかしながら、建築に22年もの長い歳月をかけた和風家屋は、超豪華なものだ。あと百年もすれな国の重要文化財に指定されるだろうと考えているが、私には結末を見届けることはできそうにない。
同じ川崎市内の中原区小杉陣屋町に所在した大地主原家の主屋だった。かつての所在地には豪華な門だけが残されていて、主屋のあった場所には超豪華マンションが建っている。私自身が確認した。

外観
外観_1
外観_2
外観_3
外観_4
イワヒバ
茅葺き屋根の最上部(棟という)の雨漏れ対策にはいくつかの方法がある。そのうちの一つに土を固めて雨漏れをしのぐ方法がある。この方法『芝棟』で土が流れ出さないように、イチハツとかイワヒバとかを植え、根が張って土の流出を食い止める。この民家園にも『芝棟』でイワヒバを植えてある家屋がある。
屋根のてっぺんなので、ここに植えてこんなものだと認識してもらう趣旨なのだろう。

イワヒバ
庭石
庭石
室内
超豪華な欅の梁だ。何度見ても驚かされる。書き忘れたが、この家屋は1階部分のみの開放がなされている。
室内_1
室内_2
室内_3
室内_4
硝子戸の廊下。重量級の私が歩いてもびくともしない。相当にしっかり作られている。庭が良く見える設計になっている。
室内_5
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室内_8
室内_9
室内_10
室内_11

 

試し撮り

障害馬術競技とか相馬野馬追とかで、もう少しよいカメラとレンズとがあればとずっと考えていた。当初は、まず最初に超望遠レンズを購入するつもりでいた。その矢先に強烈な足腰の不調に見舞われ、重いものの携行は当面NGに。
いろいろ考えた末に、当面は、『クロップアップ』で行こうと考えた。型落ちのニコンのD7100だが、『対DX1.3×クロップ』機能がついている。300ミリレンズがフルサイズ換算で585ミリになる。取敢えず、足腰がしっかりしてくるまでは、これで行こうと考えた。
ということで、型落ちのD7100の新品とTAMRON SP 70-300mm F4-5.6 Di VC USD(ニコン用)の中古品美品とを購入した。まずは、ファームウェアなどをバージョンアップして、試し撮りに馬事公苑まで出かけてみた。
リラックスしている感じの練習風景
馬場馬術_1
馬場馬術_2
馬場馬術_3
馬場馬術_4
馬場馬術_5
本番競技(1)
馬場馬術_6
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本番競技(2)
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馬場馬術_19

大好きな障害馬術競技ではなく、演技の正確さや美しさを競う『馬場馬術』の方が行われていて、ガラ空きの状態で至近距離で観戦できた。だが、ど素人の私にはちんぷんかんぷんで、『対DX1.3×クロップ』機能を使用するまでもなかった。
まずまず撮れていたとは思うが、厳しい条件での試し撮りまではいかなかった。また、出直そうと思う。

 

お会式(7)

ダイジェスト
同様の写真が続き、冗長になってきたので、最後にまとめたものを取り上げたい。
ダイジェスト_1
ダイジェスト_2
ダイジェスト_3
ダイジェスト_4
ダイジェスト_5
ダイジェスト_6
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ダイジェスト_25
ダイジェスト_26

以上で『お会式』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

お会式(6)

羽田・さざ奈美纏連
小さな子供から身長の順に並んだぞ。羽田も蒲田も池上と同じ大田区内だ。大人数の編成で来るのは当然なのだろう。
羽田・さざ奈美纏連_1
確かに『羽田』のデザインになっているぞ
羽田・さざ奈美纏連_2
羽田・さざ奈美纏連_3
羽田・さざ奈美纏連_4
羽田・さざ奈美纏連_5
羽田・さざ奈美纏連_6
羽田・さざ奈美纏連_7
羽田・さざ奈美纏連_8
羽田・さざ奈美纏連_9
羽田・さざ奈美纏連_10
法住寺白龍会
先ほどの羽田の子供たちはまだしも、こちらは静岡県伊豆市からやってきているので、帰り道がいささか遠い。翌日の学校はどうするのか心配になったが、…。
法住寺白龍会_1
法住寺白龍会_2
法住寺白龍会_3
法住寺白龍会_4
法住寺白龍会_5
法住寺白龍会_6

次回は最後にダイジェストでお届けする予定。

 

お会式(5)

各種イベントに皆勤の様だ
行事参加に熱心な練馬同心。肝心の纏振りは自慢の筈なのだが、ピンボケでNGだった。纏振りと団扇太鼓だけで見せるとはすごいものだ。返す返すも残念至極。
練馬同心_1
練馬同心_2
練馬同心_3
まとまりがあった講
茂原にある藻原寺(そうげんじ)
藻原寺_1
藻原寺_2
藻原寺_3
藻原寺_4
藻原寺_5
藻原寺_6
藻原寺_7
藻原寺_8
信隆寺
茅ヶ崎のお寺さん。湘南のお寺さんは、どこもハイカラな感じがする。
信隆寺_1
信隆寺_2
信隆寺_3
信隆寺_4
信隆寺_5
信隆寺_6
信隆寺_7
帯は『貝の口(男結び)』できちんと決めているように見える。そんなの当たり前かな。
信隆寺_8
信隆寺_9
信隆寺_10
昌原寺
派手なコスチュームだなあ。女性はまだしも、男性には抵抗がありそうな色だ。
昌原寺_1
昌原寺_2
昌原寺_3

 

お会式(4)

頑張った纏振り(3)
上州快舞連。あの背中の文字は何と読むのだろうか。『思』の字の点二つを取り払い、その代わりに『神』の文字を入れ込んだ画数の多い文字。創作文字なのだろうか?
それにしても女性の参加比率が高い。さすが上州の土地柄だ。
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お会式ネットから画像を借用。この字を読むことができますか?
頑張った纏振り(3)_9
女性数人組
藤沢の妙福寺。数人組のいでたちも美しさも共に気になった。
女性数人組_1
女性数人組_2
頑張った纏振り(4)
横浜の六浦山上行寺。こちらは、ものすごいおじさんパワーが炸裂。華がないのがやや寂しいが。
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笛と太鼓に若い女性がいたようだ。もう少し目立つ位置に陣取った方が良かったのでは。
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お会式(3)

暗い中、動きの速さに追随できずにアウトの写真が多数。あまりの出来の悪さに今回も落ち込む。ため息ばかりでまたもや自転車操業状態に。

頑張った纏振り(1)
葉山の本圓寺のようだ。纏振りの大サービス。子供たちも元気だ。彼らの上着(鯉口シャツというものかな)は、海辺の町にふさわしいデザインだった。次に纏を振る人たちもスタンバイしていて、やる気満々。
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女性も果敢に纏振りに挑んでいた。翌日は相当な筋肉痛に悩むのでは。
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頑張った纏振り(2)
こちらは山梨県中央市の妙泉寺。参加人数がそれほどではない割には元気が良かったし、まとまりがあった。HPを見たら、『宗派を問わず、活動しています』と書かれていた。そういう時代なんだなあ。
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お会式(2)

少し経ってからの様子
前後する講どうしの纏振りの掛け合い
最初のうちは、少し寂しい感じで推移したので、少し経ってから盛り上がってきたころの様子を挟む。江の島の龍口寺の講の若い衆が前の講(紅纏睦)の纏を借りて、纏振りの掛け合いのパフォーマンスに及んだ。その様子だが、エネルギーがあふれているようだ。
前後する講どうしの纏振りの掛け合い_1
紅纏睦の方が優勢な感じに見えた
前後する講どうしの纏振りの掛け合い_2

最初の頃の出発の様子
最初の頃はノリがいまひとつで、はっきり言ってつまらなかった。それなりに一生懸命やっているのだろうが、冗長な画面になってしまう。かなり中抜きでさっと紹介するにとどめたい。また、寺の名前は調べたつもりだが、間違っていれば、ご指摘いただきたい。
後続が動き出した
富士宮と茂原のお寺さんとが、池上本門寺の後に続いたようにみえた。見えにくいところに待機していたようだが、するすると登場した感じかなと思ったのだが、単に順序待ちの列の中に入ってきただけだったようだ。
大鏡山本光寺
と思ったが、山梨の橘睦会万灯講に富士宮の本光寺さんが加わったようだった。早合点してしまった。m(_ _)m
後続が動き出した_1
市場山妙弘寺
後続が動き出した_2
後続が動き出した_3
立源寺
池上本門寺の後に続いたのは、私が見た限りではやはり立源寺だったようだ。それなりの寺格があるのだろう。今年の立源寺の講は参加人数が少なかったようで、もう少しで見落とすところだった。年配のご婦人ばかりが目立つなあ。来年以降は大丈夫なのだろうか。
昔は、衾村の隣の碑文谷村に碑文谷法華寺があった。江戸時代は本門寺よりも栄えていたといわれる。が、関東における不受不施派の統率者として、受不施を唱える身延山と激しく対立した。身延山側に立った江戸幕府に睨まれ、法華寺は取りつぶされ、お寺は天台宗の圓融寺になった。その事件がなければ、今の日蓮宗のあり方はどうなっていたのか、興味のあるところだ。
池上本門寺や立源寺は立場を翻して、身延山側につかざるを得なかったのだろう。

立源寺_1
立源寺_2
これがいかにも寂しかった。我が家の前をドンドン打ち鳴らして練り歩くあの法華の太鼓はどうしたんだろう。篠笛がないのも寂しい限りだ。
立源寺_3
常圓寺
立源寺に続いて、出発。立源寺よりもまだ寂しい感じ。自前のお会式の練習にもならない感じだ。
常圓寺_1
常圓寺_2
常圓寺_3
名瀬妙法寺
最初から先頭に陣取っていたお寺さんだ。ちょっと待ち疲れたかもしれない。
名瀬妙法寺_1
名瀬妙法寺_2
名瀬妙法寺_3
名瀬妙法寺_4
誕生寺と両親閣妙蓮寺との合同の講
昔の不受不施派だったお寺さんが先頭を占めているようだが、たまたまなのだろうか。
誕生寺と両親閣妙蓮寺との合同の講_1
誕生寺と両親閣妙蓮寺との合同の講_2
誕生寺と両親閣妙蓮寺との合同の講_3
誕生寺と両親閣妙蓮寺との合同の講_4
大鏡山本光寺
これまたささやかな講だ。富士宮市のお寺さんだとか。上述した通り、山梨の橘睦会万灯講と富士宮の本光寺の混成だったようだ。
大鏡山本光寺_1
大鏡山本光寺_2
市場山妙弘寺
この順番にしてはノリが良かった。服装も統一されていて、見るほうからも納得できるものだった。
市場山妙弘寺_1
市場山妙弘寺_2
市場山妙弘寺_3
市場山妙弘寺_4
市場山妙弘寺_5
市場山妙弘寺_6
市場山妙弘寺_7
市場山妙弘寺_8

以降は目立った動きのみを取り上げる。

 

お会式(1)

池上本門寺のお会式を見に行った。その内でも最大の見どころである『万灯行列』を見た。毎年、お会式と秩父夜祭とは、夜の行われる動きの激しい行事で、ごみ箱行きが殆どになってしまう。挑戦するたびに跳ね返され続けている私にはかなり難しいイベントだ。
今回は最初は万灯行列の出発地点に陣取った。その辺りは住宅地でやや薄暗いところが難点だが、他の場所ほど混んでいない。そこで少し撮ってから明るい場所に打って出ようという作戦にした。
このイベントをお祭りと看做す方が殆どだが、歴とした宗教行事だ。そう考えない御仁が参加者にも少なくないのが残念なところだ。

『万灯行列』の出発直前
比較的早い順番で出発する妙法寺の講の人たちは落ち着かない感じ
早くも万灯に火が入れられている。気がせくのかなあ。まだまだ開始時間まではあるぞ。最前列に待機しているのは、横浜市戸塚区名瀬町にあるお寺さん『妙法寺』の様だ。奄美大島の名瀬から来た訳ではなさそうだ。
比較的早い順番で出発する妙法寺の講の人たち
自宅すぐ近くの立源寺とやはり近くの常圓寺とが待機している
我が家から100mほどの立源寺と200mほどの常圓寺と。この2つの寺では、別の日に独自のお会式を行う。見た感じ若い人の参加はないようだ。昨年は賑やかに練っていた記憶があるのだが。
自宅すぐ近くの立源寺とやはり近くの常園寺と
いよいよあちこちで点灯した様だ
提灯の明かりはろうそくで行っているようだ。万灯は発電機で給電して行う。いまは、これが不格好なのだ。水素ガス電池が超小型化すれば、非常にすっきりするのだが、水素ガス自動車が普及して、コストダウンが図られた後のことだろうなあ。
いよいよ点灯した様だ_1
いよいよ点灯した様だ_2
いよいよ点灯した様だ_3
わが目黒のお寺さんたちは少しのんびり
わが目黒のお寺さんたちは少しのんびり
こんな変わり種も
千葉両親閣妙蓮寺の万灯に代わる飾り物のようだ。日蓮聖人の両親を弔うお寺さんだそうだ。なるほどねえ。
こんな変わり種も
わが目黒のお寺さんたちも点灯したぞ
これで気合が入るのかな。でもまだ明るく見えないなあ
これで気合が入るのかな
いよいよ『万灯行列』の出発だ
池上本門寺の宗教行事だから本門寺関連の団体が先陣を務める
18:00からの予定なのに、30分も早い。それくらいに始めないと後ろが閊えてしまうのだろうか。
本門寺関連の団体が先陣を務める_1
本門寺関連の団体が先陣を務める_2
本門寺関連の団体が先陣を務める_3
本門寺関連の団体が先陣を務める_4
本門寺関連の団体が先陣を務める_5
本門寺関連の団体が先陣を務める_6
続いて、わが目黒のお寺さんたちが出発の筈だ
あたりが暗くなってきた所為か、立源寺と常園寺との提灯が明るく輝いて見えだした。本門寺の行列が通り過ぎるまで暫し待機。
続いて、わが目黒のお寺さんたちが出発の筈だ_1
続いて、わが目黒のお寺さんたちが出発の筈だ_2
続いて、わが目黒のお寺さんたちが出発の筈だ_3
本門寺関連の団体が続く
本門寺関連の団体が続く_1
本門寺関連の団体が続く_2
本門寺関連の団体が続く_3
本門寺関連の団体が続く_4

毎年池上本門寺では、日蓮聖人が亡くなった10月13日にあわせて町ぐるみの大きな仏教行事が開かれていて、それを「お会式」と呼んでいます。日蓮宗のお会式は他にも日本中で開かれていますが、なかでも池上本門寺のお会式が一番盛大で、それは池上という土地が、日蓮聖人が亡くなった場所であるからなのです。
お会式では、桜の造花をたくさん飾った万灯(まんどう)と呼ばれる大きな灯篭提灯(とうろうちょうちん)がお囃子にあわせて池上の街をたくさん練り歩いたり、お会式の時期にだけ開かれる特別な法要が池上本門寺の本堂で催されたりと、夜遅くまでにぎやかなお囃子が止むことなく続きます。
ぜひ一度、足を運んでみることをお勧めします。

お会式最大の見どころでもある「万灯行列」は12日夜に行われます。
100基を超える万灯と共に総勢約3000を超える人々が太鼓や笛の音色を奏でながら池上の町を練り歩く光景は圧巻。
行列の賑やかな熱気は夜遅くまで止むことがありません。
こぞうくんも昼間、本門寺に来る予定なので、遊びに来てくださいね。

 

自然教育園にて(3)

武蔵野植物園にて
歩き始めの時に足の痺れが若干出てきたので、フルコースでなく、短縮コースで周回した。途中から、足の痺れは収まったが、無理はしないでおいた。
たいわんほととぎす
たいわんほととぎす
ほととぎす
ほととぎす_1
ほととぎす_2
何のウリの実かな
かなり大きな実だった。マクワウリくらいの感じだが。
何のウリの実かな
ひつじぐさ
ひつじぐさの表示があるが、ひつじぐさと思しきものがどこにあるのかよくわからない。みなアサザのように見えて仕方がないのだが。
ひつじぐさ_1
ひつじぐさ_2
あさざ
あさざ_1
あさざ_2
あさざ_3
蜂さんもいた
蜂さんもいた
蝶さんもいたよ
蝶さんもいたよ_1
蝶さんもいたよ_2
しらやまぎく
しらやまぎく
花名不明
囲ってあったので、何か貴重な種なのかと思う。不埒なことをしようと考えているのではなく、写真を撮る価値があるかなあと考えただけ。でも、何の花だかわからないのではどうしようもない。
花名不明_1
花名不明_2

その他のゾーンにて
カエデ
紅葉の時期はきれいなのだろうなあ
カエデ
瓢箪池
瓢箪池_1
瓢箪池_2
外国人もいた
園内には、英語の表記がなくて、楽しむことができないのでは。もちろん、WIFIもない。これじゃ情報後進国と言われても仕方がないかな。日本は、どうも計算高い携帯電話会社ばかり儲ける仕組みになってしまっているから。
外国人もいた
水鳥の池
ここで水鳥を見かけたのはたった1回だけ。開園時間が遅すぎるから、いたとしてもどこかに飛んで行ってしまうのかもしれない。時間無制限の学芸員には十分な環境だろうが、入園者には不親切な扱いだ。公務員天国では仕方がないかなあ。
水鳥の池_1
水鳥の池_2

以上で『自然教育園にて』のミニシリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

自然教育園にて(2)

水生植物園にて
季節的にはもう店じまいの時期なのかなあ。これぞというものがなかったのが残念。案内には、運が良ければカワセミにも会えるかも、などとと書かれているが、見せる気があるなら、開園時間を大幅に前倒ししないと。
こがまのほ
ガマの穂の大小なんて、私にはよくわからない。表示板の記載通りにしただけ。
こがまのほ_1
こがまのほ_2
まこも
白鳥の大好物だったと記憶している。水中に没している部分を食べようとするので、頭部が白鳥ではないような状況になる。でも、ここにまで飛来することはなく、このマコモも安泰なのだが。
まこも_1
まこも_2
しろばなさくらたで
タデ科では珍しい純白の花。湿地に生育するが、やや乾いた場所を好むのか。う~~ん、面倒な花だなあ。
しろばなさくらたで
トンボさんもいた
トンボ_1
トンボ_2
トンボ_3
トンボ_4
われもこう
何故、水生植物園に存在しているのかよくわからない。普通は草地にあるように思うが。吾亦紅は私が好きなので、委細構わず撮ってみた。
われもこう
みつがしわ
Wikipediaの説明によれば、日本で自生しているものは珍しいもののようだ。この園のものは自生していたものではないと思うが。
亜寒帯や高山に多いが、京都市の深泥池や東京都練馬区の三宝寺池など暖帯の一部にも孤立的に自生している。これらは氷河期の生き残り(残存植物)と考えられ、これらを含む水生植物群落は天然記念物に指定されている。
みつがしわ
花が咲く時期ではなかったので、FREE画像を借用した
みつがしわ_2
つりふねそう
花が帆掛け船を吊り下げたような形をしていることなどから名づけられたようだ。よく見ると、非常に変わった形状の花だと思う。
つりふねそう_1
つりふねそう_2
あさざ
次回の備えて葉の形状を覚えておいてほしい。今の時期は葉だけしかないので、識別は葉で行うしかない。
あさざ_1
花の時期ではないので、freeの画像を借用した
あさざ_2
水生植物園の池
カモさんも何もいなかった。開園時間を早くしないと、あまり見ることができないなあ。
水生植物園の池

 

自然教育園にて(1)  2015.10.16 21:20訂正

9月末に鎌倉のお寺さんで花を見たら、いささか刺激されたようだ。秋の草花をもう少し観察したいと思い立ち、自然教育園に行ってみた。この夏に65歳になったばかりだが、うれしいことに無料入場が可能になる。
気が付いたら、平日の朝一番から暇な爺さん婆さんばかり。う~~ん、無料の入場者ばかりじゃペイできないのじゃと心配になったほどだ。


路傍植物園にて
しろよめな
ヨメナを小型にしたような草姿で、花色が白いので「シロヨメナ」となったようだ。でも『ヨメナ属』ではなく『シオン属』なのだとか。
しろよめな
つるぼ  いぬしょうま
撮っていた時はそんなにきれいだとは思わなかったが、よく見ると意外にきれいな花だ。
つるぼにしては、雰囲気がかなり違うなと思っていたのだが、表示に従った。でも、やはり違っていたようだ。つるぼの表示板のところまで、いぬしょうまが勢力を拡大してきていたようだ。どこかの国のように領土侵犯かな。

つるぼ
しもばしら
少し冷え込む場所では極寒の時期に、シモバシラに霜柱が見事について、あっと驚く状況になる。自然教育園ではちょっと無理だろうか。
しもばしら
たいあざみ
殆ど花期が終わった感じ。かろうじて見るに堪えるものを撮ってみた。
たいあざみ
しらやまぎく
背丈が一番高い野菊の仲間だそうだ。そんなに高かったかなあ。花弁のまばらさがちょっと哀れを感じる。私みたいだ。
しらやまぎく
やまはっか
ハッカにやや似るが香りがないそうだ。匂いを嗅ごうとしたが、ちょっと遠かった。その時は残念な気持ちでいっぱいだったが、無理に嗅ごうとしても、においがしないので、却って焦ったかもしれなかったことだろう。
やまはっか_1
やまはっか_2
いぬしょうま
イヌショウマは升麻の本家本元であるサラシナショウマと同属であるが、薬用とはされない。同属で形がそっくりであるが、役に立たないことからイヌの名称が付けられたものらしい。ワンちゃんは結構役立つ生き物なのに。
いぬしょうま
かりがねそう
自前の撮影分がどうにも気に入らないので、free画像を借用してみた。しかし、期待したほど劇的に良くなるわけでもない感じだった。
かりがねそう
free画像を借用してみた
かりがねそう_2
ぬすびとはぎ
ぬすびとはぎ_1
ぬすびとはぎ
おおはなわらび
おおはなわらび
つりふねそう
これまた花期が終わりかかっていた。できる限りきれいなものを探した。本当にきれいな花なのに、…。
つりふねそう

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(9)

満福寺を後にし、鎌倉高校前駅まで歩く

途中の様子
稲村ケ崎方面へ向かって右側を歩きながら海を撮った。歩道がないのでひやひやしながら。時期的に当然だが、海にはサーファーしかいない。
途中の様子_1
途中の様子_2
途中の様子_3
途中の様子_4
途中の様子_5
途中の様子_6
途中の様子_7
途中の様子_8
途中の様子_9
鎌倉高校前駅が近くなってきた
くねくね曲がっているのが特徴だなあ。運転士も大変だろう。
鎌倉高校前駅が近くなってきた_1
鎌倉高校前駅が近くなってきた_2
ミニミニ踏切が印象的。一日券を持っていたから心配しなかったが、ここから上がってよかったのかなあ。
鎌倉高校前駅が近くなってきた_3
ここまでくると江の島が小動岬に邪魔されずにはっきり見える。いい感じだ。
鎌倉高校前駅が近くなってきた_4
鎌倉高校前駅にて
本当は隣接しているミニ墓地に行くための踏切なのかなあ。
鎌倉高校前駅にて
小動岬のすぐ左奥に富士山がうっすらと見える。お分かりいただけるだろうか。見えない時は心の目で見ていただきたいものだ
小動岬のすぐ左奥に富士山がうっすらと見える
鎌倉行きが到着。これに乗って帰ることにする。
鎌倉行きが到着
駅でないところですれ違い
ここでは駅でないところでの微妙がすれ違いがある。鉄道好きには魅力ある瞬間だろう。鎌倉行きは左のほうに入る。
駅でないところですれ違い_1
鎌倉行きは待機中なのだが、何か脱線したように写っている。デフォルメされた所為なのだろうか。
駅でないところですれ違い_2
藤沢行が迫ってくる
駅でないところですれ違い_3
駅でないところですれ違い_4
駅でないところですれ違い_5
ここに車両基地があるようだ
本当に小さな基地だなあ。最大で何本の電車が入ることができるのだろうか。
ここに車両基地があるようだ_1
ここに車両基地があるようだ_2

以上で、『長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(8)

満福寺(2)
本堂内部の様子
鎌倉彫などが飾られ、なかなか豪勢な感じだ
本堂内部の様子_1
本堂内部の様子_2
本堂内部の様子_3
本堂内部の様子_4
本堂内部の様子_5
本堂内部の様子_6
本堂内部の様子_7
本堂内部の様子_8
本堂内部の様子_9
本堂内部の様子_10
本堂内部の様子_11
本堂内部の様子_12
本堂内部の様子_13
本堂内部の様子_14
またもや先ほどのにゃんこが
『私は断然義経派だから。文句を言おうものなら承知しないからね』とでも言いたいのかな。寝転がって言ったのでは説得力がないぞ。
またもや先ほどのにゃんこが
腰越状とされるもの
当然複写したものなのだろうと思ったが、腰越状の下書きのようだという見解もあるようだ。
近世の研究では本物の文面ではないとする意見が大勢のようである。鎌倉幕府の公式記録ともいうべき『吾妻鏡』に所収されているというのに、いったいどういうことなのだろうか。義経の右筆の作成した書状であり、それを吾妻鏡編纂者が多少改竄したものだろうか。

腰越状とされるもの_1
腰越状とされるもの_2

腰 越 狀          源 義 經

左衛門少尉源義經乍恐申上候意趣者被撰御代官其一爲 勑宣之御使傾 朝敵顯累代弓箭之藝雪會稽耻辱可被抽賞之處思外依虎口讒言被默止莫太之勲功義經無犯而蒙咎有功雖無誤蒙御勘氣之間空沈紅涙倩案事意良藥苦口忠言逆耳先言也因茲不被糺讒者實否不被入鎌倉中之間不能述素意徒送數日當于此時永不奉拜恩顔骨肉同胞之儀既似空宿運之極處歟將又感先世之業因歟悲哉此條故亡父尊靈不再誕給者誰人申披愚意之悲歎何輩垂哀憐哉事新申狀雖似述懷義經受身體髮膚於父母不經幾時節故頭殿御他界之間成孤被抱母之懷中赴大和國宇多郡龍門之牧以來一日片時不住安堵之思雖存無甲斐之命京都之經廻難治之間令流行諸國隱身於在々所々爲栖邊土遠國被服仕土民百姓等然而幸慶忽純熟而爲平家一族追討令上洛之手合誅戮木曾義仲之後爲責傾平氏或時峨々巖石策駿馬不顧爲敵亡命或時漫々大海凌風波之難不痛沉身於海底懸骸於鯨鯢之鰓加之爲甲冑於枕爲弓箭於業本意併奉休亡魂憤欲遂年來宿望之外無他事剩義經補任五位尉之条當家之面目希代之重職何事加之哉雖然今愁深歎切自非佛神御助之外者爭達愁訴因茲以諸神諸社牛王寶印之裏不插野心之旨奉請驚日本國中大小神祇冥道雖書進數通起請文猶以無御宥免我國神國也神不可禀非禮所憑非于他偏仰貴殿廣大之御慈悲伺便冝令達高聞被廻秘計被優無誤之旨預芳免者及積善之餘慶於家門永傳榮花於子孫仍開年來之愁眉得一期之安寧不書盡愚詞併令省略候畢欲被垂賢察義經恐惶謹言
  元暦二年五月日
     左衛門少尉源義經
 進上 因幡前司殿


本堂の近くで
本堂の近くで_1
こちらは足腰の調子を確かめながら腰越から歩いてきたのに、彼女たちは観光タクシーでさっと乗り付けてきた。どこのお寺さんに行ったかくらいは理解していってほしいものだ。
本堂の近くで_2

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(7)

極楽寺駅から腰越駅まで再び江ノ電に乗る。ほどなく車窓左手に鎌倉の海が見えてくる。江ノ電でも最高の景観を楽しむことができる区間だろう。

極楽寺駅
極楽寺という言葉から、TVドラマ『俺たちの朝』を思い出す方は相当な年配者かも。このドラマの影響で、廃線寸前だった江ノ電が息を吹き返したのだから、江ノ電にはありがたいことだったのだろう。
桜橋から見た駅の様子
桜橋から見た駅の様子
駅の真下を水が流れている
駅の真下を水が流れている_1
駅の真下を水が流れている_2
行きかう電車
行きかう電車_1
行きかう電車_2
行きかう電車_3
行きかう電車_4
行きかう電車_5

腰越駅
まもなく到着
まもなく到着
腰越から藤沢方面へ向かってしばらくは路面電車区間
今回はこちらとは逆の方向に進む
しばらくは路面電車区間

腰越状の満福寺を見に行く。行く前は満福寺の読み方から連想して近くのぼたもち寺『法源寺』にも行くつもりでいた。しかし、予定時間をかなりオーバーし、体調も気になったので、ぼたもち寺『法源寺』はパスし、満福寺のみの訪問とした。

満福寺(1)
途中の案内
これじゃ案内になっていないのだが
これじゃ案内になっていないのだが
見えてきた満福寺
本当にすれすれを江ノ電が走るものだ。こんなゆっくり走行でも、込み合う自動車をしり目にすいすい進むんだ。
見えてきた満福寺_1
見えてきた満福寺_2
見えてきた満福寺_3
見えてきた満福寺_4
見えてきた満福寺_5
見えてきた満福寺_6
見えてきた満福寺_7
見えてきた満福寺_8
近くて遠き鎌倉
1185年(元暦2年)、壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経は、平家の大将平宗盛を護送し、鎌倉に凱旋しようとしたが、兄頼朝は鎌倉に入ることを許さなかった。これ以上ないと思うほどの武勲を挙げたのに。その昔は腰越町と鎌倉町とは隣接している行政区ではあっても、長らく同じ町ではなかったのだ。昭和14年に合併して鎌倉市になったくらいだから、鎌倉時代は歴とした区域外だったのだろう。
すぐ近くにとどめ置かれた義経の胸中は如何ばかりだったのだろう。書状をしたためて、すがりたくなる気持ちがわからないでもない。

本堂手前には腰越状をしたためる主従のモニュメントが
本堂手前には腰越状のモニュメントが_1
本堂手前には腰越状のモニュメントが_2
本堂
本堂
弁慶の腰掛石
弁慶の腰掛石
受付猫
これこれ凶悪な面構えの爺さんが目の前にいるぞ。油断しちゃ、まずいのでは。もしかして、おみくじ猫の販売担当を自任しているのかな。
受付猫

元暦2年(1185年)5月、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られる。寺には弁慶が書いた腰越状の下書きとされる書状が展示されており、境内には弁慶の腰掛け石や手玉石など、義経・弁慶ゆかりの品々が多数展示されている。

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(6)

光則寺(2)
「當山第三世日續聖人 宿谷左衛門光則古墳」と書かれた石碑
當山第三世日續聖人とは宿谷左衛門光則のことを指すように見える。うろちょろしてみたが、手掛かりは他にないし、やぶ蚊に刺されるのでたまらず退散。
>「當山第三世日續聖人 宿谷左衛門光則古墳」と書かれた石碑_1
>「當山第三世日續聖人 宿谷左衛門光則古墳」と書かれた石碑_2
本堂
本堂の格天井を鎌倉彫で飾ることになり、完成した天井絵136枚が今年(2015年)の3月27日、本堂内に展示された。本堂は通常、非公開だが、本格工事前に天井絵を間近に見てもらおうと期間限定で公開することにしたそうだ。もうとっくに公開は終わってしまったが、いずれかに機会に公開されるかもしれない。
本堂
本堂は、慶安三年(1650)、江戸時代初期のものですが、寛政十二年(1799)と関東大震災の修理などを経ており、比較的新しく見えます。
桁行五間、梁間五間で、正面と両側に縁をめぐらします。外側は、角材を使い、縁長押と内法長押がめぐらされています。舟肘木が丸桁を支える比較的簡単な構造になっています。正面中央は、両開きの桟唐度になっていて、軒は、一軒の半重垂木となっています。内陣は、内法貫と頭貫でつなぎ、柱の上に出三斗を配します。木鼻は、17世紀中期の特徴を示すそうです。


本堂左手にある。主張しぎることもしなさすぎることもないちょうどよい感じの池だ。
池_1
池_2
池_3
池_4
山門の上部
もう少しきちんと撮れればよかったのだが。リハビリ中で、先を急ぎがちになってしまったようだ。
山門の上部_1
山門の上部_2

『四季の光則寺山野草と茶花マップ(2004年版)』へjump
光則寺写真集へjump

長谷駅まであと少しというところで、修学旅行の中学生たちが猛ダッシュ。あれを逃すとあと12分。長谷駅は上下線が交差する駅なのが。彼らが急ぐということは、私も急がねばならない。釣られて私も走った。足腰の不調などと言ってはいられない。

極楽洞
極楽寺へ向かって一駅だけ江ノ電に乗る。その途中に明治40年に建設された極楽洞がある。
桜橋からみた極楽洞
煉瓦造りの坑門だとわかるだろうか。明治40年に建設された。アーチの頂部に2か所の要石を備えたデザインは、全国的にも珍しいものだそうだ。
桜橋からみた極楽洞_1
桜橋からみた極楽洞_2
藤沢行きの電車からみた極楽洞
長谷側からは『千歳開道』と呼ぶこともあるそうだ。元内閣総理大臣の松方正義が『千歳開道』と揮毫したからだとか。
藤沢行きの電車からみた極楽洞
鎌倉行きの電車からみた極楽洞
煉瓦造りの坑門だとわかるかな。確かに要石が2つあるぞ。
鎌倉行きの電車からみた極楽洞_1
長谷側の出口には落石防止のためか、少し鋼板で継ぎ足しがなされているようだ。だから、長谷側の坑門がどうなっているのか確認しにくいようだ。
鎌倉行きの電車からみた極楽洞_2
土木資産認定のプレート
土木資産認定のプレート_1
土木資産認定のプレート_2
桜橋
巨大な水道管が邪魔して殆ど見えないが、間違いなく桜橋だ
桜橋

極楽寺
境内は一切合切、撮影禁止&写生禁止で面白くもなんともない。また、来てしまったが、後悔を重ねただけだった。いっそのこと、立ち入り禁止扱いにしてくれたほうがいいほどだ。
極楽寺_1
極楽寺_2
極楽寺_3
極楽寺_4

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(5)

光則寺(1)
立正安国論進献霊跡
宿谷光則邸址なのか。長谷寺のすぐ横に後に光則寺となる宿谷光則の邸宅があったわけだ。
立正安国論進献霊跡
ここから境内
お寺というよりも邸宅跡という感じがする。行時山のほうは父のほうの名前、光則寺は息子のほうの名前。わかりやすいネーミングだ。
ここから境内_1
ここから境内_2
ここから境内_3
この花は何の花?
鐙のような形だけど、…。いきなり度肝を抜かれる。ここは花の寺だったのだ。
この花は何の花?_1
この花は何の花?_2
山門
山門_1
山門_2
鎌倉市青年団の石碑
古いものは鎌倉市ではなく鎌倉町になっている。してみると、鎌倉町(市)青年団の石碑としては割と新しいものなんだ。
鎌倉市青年団の石碑
日蓮聖人の真筆に基づく「立正安国論御勧由来」を彫った石碑
本堂を覆い隠さんばかりに堂々と設置されている。よほどに、宿谷光則は日蓮宗に傾倒していたことがうかがえる。
日蓮聖人の真筆に基づく「立正安国論御勧由来」を彫った石碑_1
日蓮聖人の真筆に基づく「立正安国論御勧由来」を彫った石碑_2
宮沢賢治の『雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・・』の碑
左手には、宮沢賢治の『雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・・』の碑がある。光則寺とは直接の関係はないそうだが、賢治が日蓮宗に深く帰依し、活動したことから碑を建立したとのことだ。字があまりに小さく、何が書いているかわからないと思う。恐縮至極。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・・』の碑
花は紹介しきれないほどにあふれかえっている
隙間がないほどに植えてあった。女性の庭師がせっせと手入れをしていた。
花は紹介しきれないほどに_1
花は紹介しきれないほどに_2
花は紹介しきれないほどに_3
花は紹介しきれないほどに_4
花は紹介しきれないほどに_5
花は紹介しきれないほどに_6
花は紹介しきれないほどに_7
花は紹介しきれないほどに_8
花の観察はいったん置いておき、まずは土牢を見に行く
だらだらの登りを暫く歩くと到達する。護良親王の土牢よりは、かなり広くなっている感じ。はじめから、高弟・日朗を罪人などとは認識せず、それなりに尊敬した扱いだったように思われた。
土牢を見に行く_1
土牢を見に行く_2
土牢を見に行く_3
土牢を見に行く_4
土牢を見に行く_5
土牢を見に行く_6
土牢御書
日蓮は明日佐渡ノの国へまかるなり 今夜のさむきに付ても ろうのうちのありさま…というような文面だった。旧暦の十月九日か。昔の鎌倉は、いかに温暖の地といえども、寒かったのだろう。○永八年辛未とあるから、1271年(文永8年)のことか。○の部分が葉で隠れて見えなかったが、十干十二支のお蔭で何とか分かった。役に立つ記述だなあ。
土牢を見に行く_7
格子の隙間から見た土牢の内部
結構広いが、内部にはさしたるものは残っていなかった。
土牢を見に行く_8

光則寺は日蓮宗の寺院です。日蓮上人が佐渡へ流された時、高弟・日朗が捕らえられて鎌倉幕府第五代執権・北条時頼の重臣・宿屋左衛門尉光則の邸内の土牢に監禁された。しかし光則は日蓮上人が自らの不運を嘆くことなく、弟子の身の上を案じる心に打たれ、次第に日蓮宗に心を寄せる様になり、日蓮上人放免後は、邸を寺として日朗を開山と仰ぎ文永十一年(1274)に創建された。日蓮上人の著した「立正安国論」は光則の父・行時から、文永元年(1260)に北条時頼に建白された。現在の本堂は慶安三年(1650)に建てられた。

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(4)

長谷寺(3)
途中にある地蔵堂
下の境内から階段を上ると、その中段奥に見えるのが地蔵堂。 長谷寺に帰依する信者の方々の発願により建立された。その後、堂宇の老朽化に伴い平成15年に再建されたのが現在の地蔵堂だそうだ。どおりで新しく見えるわけだ。
地蔵堂
途中の階段には萩がたくさん咲いていた
途中の階段の萩
写真を何度も見直して、ようやく卍の形だと納得した。
卍池

上の境内に上がる

阿弥陀堂
阿弥陀如来坐像は、伝承によれば、頼朝が42歳の厄除けのために建立したといわれる。ただし、銘文によれば、もともとは鎌倉市内の請願寺(現在は廃寺)の本尊だったそうだ。
阿弥陀堂_1
阿弥陀堂_2
写真撮影禁止なので、FREEの写真を借用する
阿弥陀堂_3
観音堂
確かに堂々としている。ありがたい仏像だと思う。それなのに、何故、国から文化財の指定を受けないのか、いつも不思議に思う。
観音堂_1
観音堂_2
写真撮影禁止なので、FREEの写真を借用する
観音堂_3
上の境内からの眺め
ここからも海が見えるんだ。実は見えないとお話にならないのだが。
元正天皇の養老5年(721年)、徳道上人は、大和の国初瀬(長谷)の山中で、一本の霊木(クスノキ)を見つけ、時の名工、稽文会と稽首勲にその霊木より二体の十一面観世音菩薩像を造らせた。本体の一体を奈良長谷寺に、末木の一体を伊勢の海から流し、漂着したところに徳道上人が開山し、鎌倉長谷寺に安置したという。
その流れ着いたところが、この写真の左側をずっと行った横須賀市長井、あるいは、三浦市初声。初声とは似た読みのところだ。
長谷寺は山号を海光山という。遠く長井の海から観音像が光を放っていたからというとか。
かなり気宇壮大な話だ。光って見えたのかなあ。

上の境内からの眺め_1
上の境内からの眺め2
丈夫石
出羽の海と時津風の揃い踏みだ。第31代横綱常ノ花と第35代横綱双葉山。
この石の傍にある夫妻が闘病生活の末に亡くなった愛娘の冥福と病に苦しむ人々の救済を願って寄進した聖観世音菩薩尊像がある。この動きに賛同して、両人が丈夫石を寄進したようだ。

丈夫石
仏足石など
仏足石など_1
仏足石など_2
清浄池
清浄池_1
清浄池_2
経蔵
学問は一日にしてならずだと思う。その考え方の私には、書架を一回転させることで一切経をすべて読誦した功徳が得られるなんて、『う~~ん』という感じだが。
経蔵_1
経蔵_2

その創建は本尊である長谷観音流着の縁起に由来し、天平8年(736)まで遡ります。当山が鎌倉でも有数の古寺に数えられる所以です。その後、幾年の星霜を経るなか、幾度と無く堂宇も再建がなされたと伝わりますが、関東大震災による当山の罹災は甚だしく、旧来の建物は止む無く建替えとなり、災害から本尊をお守りするため、鉄筋による再建が進められました。そして、昭和61年、罹災から実に60年以上の歳月を費やし現在の堂宇は完成に至りました。
本尊である十一面観音像は、錫杖を右手に携え、岩座に立つ独特の像容で、大和長谷寺の本尊をはじめ、全国に所在する長谷寺に祀られる観音像に多く見られることから、これらを総称して「長谷寺式十一面観音像」と呼びます。縁起に曰く、本尊の造立は養老5年(721)と伝えられていますが、現在の像が創建当初からのものとは言い難く、また後世の修復も多く加えられているため、制作年代については未詳と言わざるを得ません。但し、本尊に付随する光背や御前立の観音像の修復年代が室町時代まで遡ることから、現在の尊像が存在していた時期についても、室町時代に準ずるものであることは確かといえ、さらに鎌倉時代より当山に伝世する大型の懸仏や板碑類の存在から、その当時には巨大な尊像が造立されていたものと推測されます。

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
上の境内には、本尊である十一面観音菩薩像(長谷観音)が安置される観音堂をはじめ、主要な諸堂宇が建ち並ぶほか、鎌倉の海と街並みが一望できる「見晴台」と、傾斜地を利用した「眺望散策路」があり、鎌倉でも有数の景勝地となっております。
また、眺望散策路の周辺には40種類以上約2500株のアジサイが群生しており、梅雨の季節には眺望はもとより「アジサイの径(こみち)」として散策も楽しんでいただけます。

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(3)

長谷寺(2)
弁天窟
弘法大師参籠の地と伝わる。『個人的には本当かな』の疑問符が付くのだが。かたいことは言わず、信じる者は救われるくらいでいきたいところだ。
壁面には、弁財天とその眷属である十六童子が彫られている。また、宇賀神(人頭蛇身)も祭られている。この洞窟内の壁面彫刻(二臂の弁財天と十六童子)は、昭和42年に寄進されたもののようだ。特に有難がるほどのものではなさそうだが、一応、カメラのISO感度のテストを兼ねて撮ってみた。


弁財天
出世弁財天というそうだ
出世弁財天

弁財天の眷属である十六童子
善財童子
他の十五童子を司る神
善財童子
計升童子
計升童子
衣裳童子
衣裳童子
蠶養童子
残念ながら撮影できなかった
筆硯童子
筆硯童子
酒泉童子
酒泉童子
牛馬童子
牛馬童子
稲籾童子
稲籾童子
飯櫃童子
飯櫃童子
金財童子
金財童子
船車童子
船車童子
印鑰童子
印鑰童子
官帯童子
官帯童子
従者童子
従者童子
愛慶童子
愛慶童子
生命童子
残念ながら撮影できなかった

宇賀神
弁天窟の入口すぐに祀られている。私には、どうにもよくわからない存在だ。雨を降らし穀物を育て水と富にご利益のある神で弁財天と一体となった神なのだそうだが。
宇賀神_1
宇賀神_2

弁天窟の入口
弁天窟の入口

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(2)

長谷寺(1)
山門前のタブの木
山門前のタブの木
山門
山門_1
山門_2
下境内
長谷寺の境内は大きくは下境内と上境内とに分かれる。ごく大雑把に言えば、お寺に来た方が花などを見て心を落ち着けるようにしてあるのが、下境内だ。
2つの池
9月末だったので、蓮の花は、終了してしまった。寺の案内には次のように記されている。
入山口でもある下境内は、妙智池と放生池の2つの池が配され、その周囲を散策できる回遊式庭園となっております。また、その周辺にとどまらず、境内全域は四季折々の花木に彩られ、通年花の絶えることのないその様相は、「鎌倉の西方極楽浄土」と呼ぶに相応しい風情を呈しております。
2つの池_1
花がなくとも優雅な感じだ
2つの池_2
2つの池_3
2つの池_4
2つの池_5
2つの池_6
2つの池_7
この日に咲いていた花さんたち
フジバカマ
フジバカマ
シュウメイギク
シュウメイギク_1
シュウメイギク_2
下野草かな
下野草かな
芙蓉
芙蓉
タイワンホトトギス
このあと、自然教育園に行って、『ホトトギス』と『タイワンホトトギス』とがどちらもあったので、よく見比べることができた。その観察によれば、『タイワンホトトギス』だと思う。
ホトトギス
和み地蔵
『こんなところにあるなんて、気づきにくいよねえ』と修学旅行の中学生が言っていた。確かに。
和み地蔵
入口付近にあるタブの木
すごい感じになる木なんだなあ。長谷寺は、高山樗牛のゆかりの地でもあるようだ。なんでも、夏目漱石とともに美学研究のためヨーロッパへ留学するはずであったが、結核を患い断念。田中智学に惹かれ、その影響から日蓮の研究を進めた。晩年を長谷寺の境内で過ごし、葬儀も長谷寺で行われたのだそうだ。
長谷寺は、浄土宗系統の単立寺院だったのに、そんなことは構わなかったのだろうか。どちらかというと、次に行く、光則寺のほうが適していたのではなかったかと思うのだが。

入口付近にあるタブの木

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(1)

このところ足腰の調子が思わしくなく、何とか元の状態に戻したいともがいている。その効果が多少はあったかどうか試す意味合いを込めて、鎌倉の江ノ電沿線を少し歩いてみた。
過負荷にならないよう、江ノ電を利用できるところは江ノ電を利用すべく、1日乗車券を購入した。かなり手抜きの社寺巡りになってしまった。


まずは、長谷に向かう
先頭部分は、古めの車両だ
鎌倉駅に江ノ電が入ってきた。私が乗ろうとしている車両はかなり古いタイプだった。
鎌倉駅に江ノ電が入ってきた_1
鎌倉駅に江ノ電が入ってきた_2
鎌倉駅に江ノ電が入ってきた_3
鎌倉駅に江ノ電が入ってきた_4
鎌倉駅に江ノ電が入ってきた_5
馬鹿の一つ覚えかな
くねくね走る分、足腰に負荷がかかる。けれども先頭に頑張って先を見る。
馬鹿の一つ覚えかな_1
馬鹿の一つ覚えかな_2
秋だねえ。ススキが目立つ
馬鹿の一つ覚えかな_3
馬鹿の一つ覚えかな_4
馬鹿の一つ覚えかな_5
馬鹿の一つ覚えかな_6
馬鹿の一つ覚えかな_7
和田塚駅近くの『無心庵』。ふふふ、ここは線路を跨がないと入店できないようだ。JRでは看過できないことなんだろうけど、…。
馬鹿の一つ覚えかな_8
馬鹿の一つ覚えかな_9
馬鹿の一つ覚えかな_10
馬鹿の一つ覚えかな_11
馬鹿の一つ覚えかな_12
馬鹿の一つ覚えかな_13
對僊閣(たいせんかく)
高浜虚子にでもなったつもりで一度泊まってみたい。雰囲気のある和風旅館だ。そういえば、鎌倉には一度も泊まったことがないなあ。
對僊閣(たいせんかく)_1
對僊閣(たいせんかく)_2
對僊閣(たいせんかく)_3
旅館『對僊閣(たいせんかく)』の紹介記事にjump

 

第47回愛馬の日(7)

流鏑馬(3)
この的にだいぶ慣れてきたかな
2的中くらいのアベレージになってきた。すごいなあ。
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_1_1
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_1_2
的に当たった鏑矢が跳ね返って、馬のほうに飛んできた。それこそ、母衣が必要な状況だったかも。
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_1_3
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_1_4
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_1_5
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_1_6
続く3の的にも的中。すごいぞ。
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_2_1
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_2_2
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_2_3
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_2_4
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_2_5
この的にだいぶ慣れてきたかな_1_2_6
せわしないタイミングなのに、落ち着いて構える。見事的中だ。
この的にだいぶ慣れてきたかな_2_1
この的にだいぶ慣れてきたかな_2_2
この的にだいぶ慣れてきたかな_2_3
この的にだいぶ慣れてきたかな_2_4
この的にだいぶ慣れてきたかな_2_5
この的にだいぶ慣れてきたかな_2_6
この的にだいぶ慣れてきたかな_2_7
やはり鏑矢の場合、かなりの確率で的に当たった矢が馬のほうに跳ね返ってくるんだ。ぎりぎりのタイミングで駆け抜けるのだろうが。
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_1_1
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_1_2
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_1_3
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_1_4
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_1_5
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_1_6
次も難なく的中させた。すごいなあ。
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_2_1
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_2_2
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_2_3
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_2_4
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_2_5
この的にだいぶ慣れてきたかな_3_2_6
的が小さなものに変わった
こちらは当たればすぐにわかる。何しろ的がぱかっと割れるから。
的中
的が小さくても当てることができるものなんだ。すごい腕前だ。
的中_1_1
的中_1_2
的中_1_3
的中_1_4
的中_1_5
的中_1_6
連続的中かと思ったが。惜しくも外れてしまったようだ。
的中_2_1
的中_2_2
的中_2_3
全的中だった
この小さな的に当てるのは至難の業だと思ったのだが、精神を集中させれば、何とかできてしまうようだ。
全的中_1_1
全的中_1_2
全的中_1_3
全的中_1_4
全的中_1_5
全的中_1_6
確かに、連続的中だ
全的中_2_1
全的中_2_2
全的中_2_3
全的中_2_4
全的中_2_5

以上で、『第47回愛馬の日』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

第47回愛馬の日(6)

流鏑馬(2)
2回目に入る
見事的中
最後の分もピンボケだが的に当たって跳ね返っていた。3射3的中だったような記憶があるが、どうだっただろうか。
見事的中_1
見事的中_2
見事的中_3
見事的中_4
見事的中_5
見事的中_6
見事的中_7
見事的中_8
見事的中_9
見事的中_10
見事的中_11
見事的中_12
見事的中_13
見事的中_14
見事的中_15
的中シーン
的中するときの格好って、本当に様になっている。こうでなくちゃ、当たらないということなのだろう。
的中シーン_1_1
的中シーン_1_2
的中シーン_1_3
的中シーン_1_4
的中シーン_1_5
的中シーン_2_1
的中シーン_2_2
的中シーン_2_3
的中シーン_2_4
的中シーン_2_5
的中シーン_2_6
的中シーン_2_7
的中シーン_2_8
全的中だったかなあ
一の的は私の位置からは、殆ど見えない。したがって、その時にメモしておかないと、後日ではどうだったか、記憶があいまいになってしまう。(^^;)
記憶では、全的中はこの的で1回、次の的で1回だったから、この時は2的中だったかもしれない。

全的中だったかなあ_1
全的中だったかなあ_2
全的中だったかなあ_3
全的中だったかなあ_4
全的中だったかなあ_5
全的中だったかなあ_6
全的中だったかなあ_7
全的中だったかなあ_8
鏑が外れたわけでもないのに、見事に的に突き刺さった。鏑矢だから大丈夫などと油断していてはいけないのだ。
全的中だったかなあ_9
全的中だったかなあ_10
全的中だったかなあ_11
全的中だったかなあ_12
全的中だったかなあ_13
続く6シーン分をカット
全的中だったかなあ_20
全的中だったかなあ_21
全的中だったかなあ_22
全的中だったかなあ_23
全的中だったかなあ_24
全的中だったかなあ_25

 

第47回愛馬の日(5)

流鏑馬(1)
いよいよお待ちかねの流鏑馬だ。調子のよくないカメラを持ち出したのが失敗の最たる原因だった。一連の動作を見るために連射で撮影した。長くなってしまって申し訳ない。いろいろ問題ありだが、何とか堪えて見ていただきたい。
2的中かな
的に当たって的が大きく傾いだ。お見事。私の位置からは最初の的の様子は殆ど見えない。もっぱら2-3番目の的を射る様子を撮った。
2的中かな_1
2的中かな_2
2的中かな_3
2的中かな_4
2的中かな_5
2的中かな_6
2的中かな_7
2的中かな_8
2的中かな_9
2的中かな_10
2的中かな_11
2的中かな_12
2的中かな_13
こちらも的中
3番目の的は射るに至らなかったように見えた。
こちらも的中_1
こちらも的中_2
こちらも的中_3
こちらも的中_4
こちらも的中_5
こちらも的中_6
こちらも的中_7
こちらも的中_8
こちらも的中_9
こちらも的中_10
こちらも的中_11
こちらも的中_12
こちらも的中_13
こちらも的中_14
こちらも的中_15
こちらも的中_16
こちらも的中_17
こちらも的中_18
こちらも的中_19
見事的中
的中時の衝撃で鏑が外れたのか折れたのかしたようだ。その前の的は隣の奴の腕が邪魔をして撮れなかった。2番目の的も当たっていたように思うが、記憶が定かでない。
見事的中_1
見事的中_2
見事的中_3
見事的中_4
見事的中_5
見事的中_6
見事的中_7
見事的中_8
見事的中_9
見事的中_10
見事的中_11
見事的中_12
見事的中_13
見事的中_14
見事的中_15

 

第47回愛馬の日(4)

『母衣引(ほろひき)』(2)
佳境に入る。観客が固唾をのんで見守っている。
『急』
いよいよ『急』の段階に入り、速度がさらに増してきた。そして、腹部に折り畳んで括りつけていた母衣の紐を解く。風を孕んでたなびく母衣の様子が美しい。
括っている紐を解く。かなり速く走っているので、難しいとは思うが、こともなげにやってのけた。両方を撮るわけにはいかないので、こちらのほうを撮った。やや遠かったかなあ。
『急』_1
『急』_2
『急』_3
『急』_4
『急』_5
『急』_6
『急』_7
『急』_8
『急』_9
『急』_10
『急』_11
『急』_12
『急』_13
『急』_14
『急』_15
『急』_16
『急』_17
『急』_19
『急』_20
『急』_21
『急』_22
『急』_23
『急』_24
『急』_25
『急』_26
『急』_27
『急』_28
『急』_29

まだまだ続くのだが、抜け出して流鏑馬の会場へ移動。遅すぎるのは承知だ。

 

第47回愛馬の日(3)

『母衣引(ほろひき)』(1)
『母衣引』には、『序』『破』『急』の3つの段階があるそうだ。
馬は、ごく普通に歩いたり走ったりするときは、右前肢と左後肢と、左前肢と右後肢とを対にして動かす。それが、この『母衣引』では、右前肢と右後肢と、左前肢と左後肢とを対にして動かすのだそうだ。揺れを少なくするための乗り方だと説明していたように記憶しているが、やや自信なし。

『急』の状態の紹介
2枚だけ先に紹介する
『急』の状態の紹介_1
『急』の状態の紹介_2
入場
なんだか、子連れ狼のような感じだ。
入場_1
入場_2
入場_3
『序』
序の段階だからゆっくり走らせる。母衣も膨らんではいない。長い母衣が低速走行時の邪魔にならないよう、乗り手の腹部に括りつけられている。誰かさん(私かな?)の腹部のように膨満しているわけではない。
脚の運び方は、ムカデ競争のようだ。その昔の『なんば走り』を想起させる。

『序』_1
『序』_2
『序』_3
『序』_5
『破』
『破』の段階に入り、速度が少し増してきた。その分だけ母衣が少しずつ膨らんできた。
『破』_1
『破』_3
『破』_5
『破』_6
『破』_8
『破』_10
『破』_11
『破』_12
『破』_13
『破』_14
『破』_15
『破』_16

『母衣引』を説明した宮内庁のHPへjump

 

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