散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

お面かぶり(3) 2014/08/31 19:25 文面修正&画像追加

楽隊が先導する「来迎」
檀信徒たちが儀式開始直前に本堂から上品堂に渡っていたが、そこにある阿弥陀如来や菩薩などのお面をかぶり阿弥陀如来と二十五菩薩に扮し本堂に向う。これが「来迎」といわれるもの。行列は、楽隊が先導する。
来迎(らいごう、浄土宗ではらいこう)とは、仏教中の浄土教において、紫雲に乗った阿弥陀如来が、臨終に際した往生者を極楽浄土に迎える為に、観音菩薩・勢至菩薩を脇侍に従え、諸菩薩や天人を引き連れてやってくることをいうそうだ。そういえば、先ほどくぐってきた楼門には『紫雲楼』という名前が付けられ、阿弥陀如来と25菩薩の像があったのを見たばかりだ。

先陣を切るのは楽隊だ
来迎_01
来迎_02
来迎_03
来迎_04
来迎_05
そして、阿弥陀如来や菩薩が続く。阿弥陀如来のお面と菩薩とのお面では、頭髪の形状でわかるようだ。螺髪の方が阿弥陀如来で、そうでないほうが二十五菩薩だと思う。
来迎_06
来迎_07
来迎_08
来迎_09
来迎_10
来迎_11
来迎_12
来迎_13
来迎_14
来迎_15
来迎_16
このお面が阿弥陀如来のものと思われる
人数を数えていなかったけれども菩薩の25人と阿弥陀如来の1人とで、お面をかぶった人は26人いたのかなあ。全く自信なし。
阿弥陀如来_1
阿弥陀如来_2

 

お面かぶり(2)

『来迎』の準備のために、本堂にいた関係者が上品堂に向かう
まずは僧侶が向かう
『来迎』の準備のために_まずは僧侶が向かう
住職も
『来迎』の準備のために_住職も
お面をかぶる25人も
『来迎』の準備のために_お面をかぶる25人も_1
『来迎』の準備のために_お面をかぶる25人も_2
『来迎』の準備のために_お面をかぶる25人も_3
『来迎』の準備のために_お面をかぶる25人も_4
『来迎』の準備のために_お面をかぶる25人も_5
『来迎』の準備のために_お面をかぶる25人も_6
いよいよ開始が迫ってきた。すごい人出に。
いよいよ開始が迫ってきた
その後に浄真寺開山の「珂碩上人の坐像」を載せた厨子が
「珂碩上人の坐像」を載せた厨子が_1
「珂碩上人の坐像」を載せた厨子が_2
「珂碩上人の坐像」を載せた厨子が_3
そして稚児も
そして稚児も_1
そして稚児も_2
そして稚児も_3
そして稚児も_4

間もなく『お面かぶり』が始まる。今の上品堂はあふれんばかりの人で、大変なことになっているのかもしれない。

 

お面かぶり(1)

イメージを持ってもらうために予め画像を2枚だけUPする。こんな行事だ。文政10年(1827)に浄真寺2世珂憶上人が當麻寺の練供養を取り入れて始めたものといわれる。
image_1
image_2

http://www.geocities.jp/the_traveler_of_wind/setagaya/s100k/091_100/098_setagaya.htmの記事からの一部抜き書き
「二十五菩薩来迎会(お面かぶり)」なのですが、簡単に書くと、信者が臨終を迎えた時に阿弥陀様が菩薩たちを従えて来迎し、極楽浄土に連れて行ってくれる様子を儀式化した法要です。極楽浄土に見立てた上品堂と現世(娑婆)に見立てた本堂との間に三十六間(約65メートル)の橋を架け、その現世と極楽浄土の架け橋を菩薩の面を被った信者らが渡るというものです。儀式はまず檀信徒たちが本堂から上品堂に渡り、そこにある阿弥陀如来や菩薩などのお面をかぶり阿弥陀如来と二十五菩薩に扮し本堂に向います。これが「来迎」となります。そして今度は本堂から往生人にみたてた住職衆僧と開山珂碩上人の像を乗せた逗子、菩薩や導師を守る役目の稚児を加え上品堂へ向かいます。これが「往生」となります。そして最後に、珂碩上人の逗子、僧侶、稚児、そしてお面をはずした壇信徒らが上品堂から本堂に帰るというのが一連の流れです。昔は橋などなく、そのまま地面を歩いていたようですが、いつしか見やすいように?なのか分かりませんが、大掛かりに橋が架けられるような現在の状態になったようです。で、結論も簡単に書いてしまうと、この行事に参加してお面をかぶって歩くと、ご臨終を迎えた際に同じように阿弥陀如来様が極楽浄土に導いてくれるとか。最後本堂に戻っていく参加者の顔が晴れ晴れしているのはそのためです。
二十五菩薩来迎会は、千年以上の伝統があるという奈良県葛城市の当麻寺二十五菩薩来迎会が始まりのようだ。
蓮糸を染めて曼陀羅を織ったといわれる中将姫を西方浄土から迎えに来る様子を現します。16時から雅楽や読経が流れ、西日が差すなか、本堂を西方極楽浄土、裟婆堂を人間界に見たて、その間にかけた来迎橋を観世音菩薩が25菩薩を従えて練り歩き、17時すぎまで行われます。練供養会式の根源は同寺にあると言われ、大衆を浄土信仰に導く為に始めたものと伝えられています。
(1)當麻寺では毎年5月14日に練供養会式が営まれ、正しくは聖衆来迎練供養会式と呼ばれます。その由来は千年前まで遡り、「往生要集」を著した天台宗の僧恵心僧都源信が比叡山で初めて行ったとされております。そして法要を継続的に行う為に選んだところが、源信の生まれ故郷、當麻の地にある當麻寺、そして中将姫伝説だったわけです。西暦1005年、當麻寺で初めて練供養が行われました。それから数えて千年。千年という時の流れは、練供養を當麻の地にのみ留めさせませんでした。法要を見た多くの人々が故郷に伝え、今でも東京の九品佛、岡山の誕生寺など、日本全国で盛んに練供養が行われております。


あま市の蓮華寺で二十五菩薩来迎会が(毎年4月第3日曜日)、大阪市の大念佛寺で万部おねり・二十五菩薩来迎会が(毎年5月1日~5日)行われるようだ。此処、九品仏浄真寺でも300年の伝統を誇るという。九品仏浄真寺のそれは、3年に1度の行事で、そう簡単には見ることができない。

お面かぶり行事の前に
参道にはすごい人の列が
参道にはすごい人の列が
楼門に阿弥陀如来と二十五菩薩が見える
『紫雲楼』と呼ばれる楼門の2階の扉が開かれている。そこに、阿弥陀如来と二十五菩薩が見えると言いたいところだが、中央に位置する阿弥陀如来ははっきり見えるものの、二十五菩薩の方は部分的に見えるだけ。此処から先が、聖域(西方浄土)ということのようだ。
楼門に阿弥陀如来と二十五菩薩が見える_1
楼門に阿弥陀如来と二十五菩薩が見える_2
楼門に阿弥陀如来と二十五菩薩が見える_3
鷺草
この境内は元は奥沢城であり、鷺草伝説(常盤伝説)の舞台となっていることで知られている。その名残の鷺草。
鷺草_1
鷺草_2
鷺草_3
あまりのんびりしていると、撮影できそうな場所が確保できないとばかりに本堂近くに移動する。既に出遅れの感じあり。
本堂近く_1
本堂近く_2
TV局の撮影クルーも準備の余念がない様子
本堂近く_3
本堂近く_4
本堂近く_5
本堂近く_6
本堂近く_7
本堂近く_8
開始時間が迫ってくるにつれ、人垣はすごいことに
開始時間が迫ってくるにつれ
セミも特等席で見物かな
セミも特等席で見物かな

 

函館観光(15)

観光バスは大沼国定公園を後にして、北海道茅部郡鹿部町の鹿部間歇泉に向かう。本日の最初は青函海峡を見ていたのに、いつの間にか噴火湾や太平洋側に向かっているんだ。

鹿部の間歇泉
此処の間歇泉は10分に一度程度の頻度で噴き上げるようで、私達が行った時もわずかの滞在時間だったが二度の噴き上げがあった。間歇泉を見るのは初めてで、小規模ではあってもかなり興奮してしまった。
しかべ間歇泉公園(しかべかんけつせんこうえん)は、北海道茅部郡鹿部町にある公園。
1999年4月オープン。公園内には、約10分間隔で、湯温約100度の温泉を最大約15メートル以上もの高さにまで噴き上げる間歇泉がある。この間歇泉は1924年4月、温泉を試掘していた際に、偶然発見されたものである。泉質は塩化物泉で、無色無臭。自然の力だけで、地下26メートルから1回に約500リットルもの温泉を噴き出す。

しかべ間歇泉公園の外観_1
しかべ間歇泉公園の外観_2
内部はこんなふう
内部はこんなふう_1
内部はこんなふう_2
噴き上げを待つ間にお勉強
噴き上げを待つ間にお勉強_1
噴き上げを待つ間にお勉強_3
噴き上げ
噴き上げ_1_1
噴き上げ_1_2
噴き上げ_1_3
噴き上げ_1_4
噴き上げ_1_5
次の噴き上げを待つ間に外を見る
次の噴き上げを待つ間に外を見る_1
次の噴き上げを待つ間に外を見る_2
2回めの噴き上げを少し高い位置から見ることにする
2回めの噴き上げを少し高い位置から見る
噴き上げ_2_1
噴き上げ_2_2
噴き上げ_2_3
噴き上げ_2_4
噴き上げ_2_5

途中を省略して最後に摩周丸を
摩周丸_1
摩周丸_2

かなり長くなってしまいましたが、今回を以って『函館観光』の連載を終了します。最後までご覧頂き大変有難う御座いました。

 

函館観光(14)

大沼国定公園(2)
観光船による遊覧(2)
大沼から小沼へ向かう
大沼から小沼へ向かう_1
大沼から小沼へ向かう_2
大沼から小沼へ向かう_3
潜った橋を振り返る
潜った橋を振り返る
小沼は大沼よりも更に浅いようで、入ったと思ったらすぐにUターン。そうしないと座礁してしまう。この橋も極めて低い。したがって、観光船の天井も極めて低い。
入ったと思ったらすぐにUターン_1
入ったと思ったらすぐにUターン_2
入ったと思ったらすぐにUターン_3
入ったと思ったらすぐにUターン_4
橋を潜ろうとした時に列車が通過。かなり近くをすれ違う感じだ。
橋を潜ろうとした時に列車が通過
島の修復工事中なのだそうだ。計画的に修復して回っているとのことだ。
島の修復工事中_1
島の修復工事中_2
こういう景観を保つのも、簡単ではないのだそうだ
こういう景観を保つのも、簡単ではないのだそうだ
観光船を降りてから
観光バスは食事付きのコース。大人は3種類から選択できるが、子供のものは決まりきったもののようだ。孫はあまり気に入らなかったようだが、仕方がない。
観光バスは食事付き_1
観光バスは食事付き_2
観光バスは食事付き_3
観光バスは食事付き_4
時間が余ったので、単独行動をさせてもらった
時間が余ったので、単独行動をさせてもらった_1
時間が余ったので、単独行動をさせてもらった_2
時間が余ったので、単独行動をさせてもらった_3
随分と駅伝チームの夏季合宿が来ているようだ
駅伝チームの夏季合宿が来ているようだ
知らなかったが、函館本線はルートが2つあるんだ。大沼公園駅は駒ケ岳回りの方の駅なんだ。
函館本線はルートが2つあるんだ
湖畔遊歩道はこんなルートなんだ。先ほど見てきたが、アップダウンが相当あるので、距離以上に大変そうだ。
湖畔遊歩道はこんなルートなんだ
特急北斗札幌行き到着&出発
特急北斗札幌行き到着&出発_1
特急北斗札幌行き到着&出発_2
特急北斗札幌行き到着&出発_3
特急北斗札幌行き到着&出発_4
特急北斗札幌行き到着&出発_5
特急北斗札幌行き到着&出発_6
特急北斗札幌行き到着&出発_7

 

函館観光(13)

トラピスト修道院を後にして、次は大沼国定公園へ向かう。台風11号襲来の影響は出ていなかったのか、やや心配しながら向かった。

大沼国定公園(1)
大沼国定公園は渡島半島の中央部、七飯町、鹿部町、森町の3町にまたがって広がる、面積およそ9,000haの自然公園です。
公園区域は、活火山である駒ヶ岳(1,131m)と、その山麓に点在する大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼の大沼三湖に代表される湖沼群の地域で、山と水の変化に富んだ景観を一体的に含んでいます。公園の中心である南大沼地区は、道南の玄関口である函館市の中心部から北へ20km程のところにあります。

大沼公園駅前から湖畔に向かう
大沼公園駅前で観光バスを降り、大沼を目指す
大沼公園駅前で観光バスを降り、大沼を目指す_1
大沼公園駅前で観光バスを降り、大沼を目指す_2
大沼公園駅前で観光バスを降り、大沼を目指す_3
大沼公園駅前で観光バスを降り、大沼を目指す_4
駒ケ岳と大沼とが見えてきた。台風11号の影響で泥水が大量に流入したようで、日頃の美しい水面から黄土色の濁った水に様相を変えていた。ちょっと残念だが、仕方がない。それでも前日までは台風の影響で観光船などは休業したとのことだから、…。
駒ケ岳と大沼とが見えてきた
ハマナスが出迎えてくれた。北海道に多く分布するようだ。この果実が私の大好きなローズヒップになるのか。
ハマナスが出迎えてくれた
時間のある人は周遊できる道を歩いている。優雅そうに見えるが、案外アップダウンが厳しく、鍛えている人でない限り、途中で足が悲鳴を上げそうだ。
時間のある人は周遊できる道を歩いている
私達が乗った観光船はこちら
私達が乗った観光船はこちら
観光船による遊覧(1)
モーターボートの人もいる。足こぎボートに乗る人も。出発地点は多少混雑中。
出発地点は多少混雑中_1
出発地点は多少混雑中_2
出発地点は多少混雑中_3
出発地点は多少混雑中_4
出発地点は多少混雑中_5
出発地点は多少混雑中_6
駒ケ岳が美しく見え出す
駒ケ岳が美しく見え出す
大沼は水深が非常に浅く、通ることができるルートはごく狭いルートに限られるそうだ。それもそうだろう。こんなのがすぐそばにあるのだから。何処にでも行きたいというならば、足こぎボートに乗るしか無いのでは。
水深が非常に浅く、通ることができるルートは限られる_1
水深が非常に浅く、通ることができるルートは限られる_2
水深が非常に浅く、通ることができるルートは限られる_3
水深が非常に浅く、通ることができるルートは限られる_4
白く見えているのは登山道だそうだ。しかしこんな山頂の形状だということは相当激しく噴き上げたようだ。
駒ケ岳をじっくり眺める_1
駒ケ岳をじっくり眺める_2
駒ケ岳をじっくり眺める_3
駒ケ岳をじっくり眺める_4
本当に浅いようだ
本当に浅いようだ_1
本当に浅いようだ_2
本当に浅いようだ_3

 

函館観光(12)

函館観光最終日。なんとか天気が回復することを期待するのみだ。幸いに出発時点では『晴れ』の状態だった。
トラピスト修道院と大沼国定公園とを見たかったので、前日に7時間20分で周遊する観光バスツアーを申し込んでいた。これに乗って出発することにした。


まずはトラピスト修道院に向かう
太平洋セメント株式会社の積み出し設備
この近くにある峩朗鉱業所で採掘した石灰石を原料に、セメントを製造している上磯工場。その積み出し設備だ。相当に沖合まで伸びているのにびっくり。海水の色が黄土色に辺祝している。台風11号の影響だろう。
太平洋セメント株式会社の積み出し設備
沖合には函館山が見える
かなり遠くまで来た感じだ。少し沖合まで土砂流入による海水の変色が目立つ。そういえば、台風通過後の隅田川の河口、つまり東京湾も周囲の海水の色と明らかに違う色をしていたものだったなあ。
沖合には函館山が見える
渡島当別駅
最寄り駅ではあるが、ここからトラピストまで歩くとなると坂道をてくてくと半端ではない距離を歩くことになりそうだ。案内によれば、徒歩20分とか。帰り道は下り坂なので20分でも大丈夫かもしれないが、…。実際問題、歩いている人などおらず、皆、機動力を利用して向かうようだ。駅前にはタクシーはいなさそうな感じだった。
渡島当別駅
男爵資料館(休止中)
男爵資料館は老朽化のために今春から閉鎖されたそうだ。男爵芋でも名を馳せた川田龍吉男爵の資料館。観光バスツアーの立ち寄り先の一つだったそうだが、通過とは残念無念。
男爵資料館(休止中)

ほどなくトラピスト修道院に到着

トラピスト修道院
正門に通じる坂道
いきなりちょっと厳しい勾配の坂道を歩かされることになる
正門に通じる坂道
正門
坂道の行き止まり。一般の観光客は此処で通せんぼだ。
坂道の行き止まり
門扉の間から修道院の建物を撮る
トラピスチヌ修道院との関連で考えると、こちらで見えている建物は修道院の建物のごく一部だと思われる。が、先に進めないので、想像をたくましくするしか無い。院内見学は月曜のみ14時からだそうだ。事前に往復ハガキで申し込みが必要だとか。男性のみと書かれている案内もあったが、どうなんだろうか。ともあれ、多少はトラピスチヌよりも寛大な感じかな。
門扉の間から修道院の建物を撮る
正門前の桜(FREE画像を借用)
横道にそっていけるんだ。気づかなかった。
正門前の桜
修道院の生活を示したパネル
写真を見る限りでは修道院であり、かつ、広大な農場でもあるようだ。『祈り働け』か。そのとおりだなあ。
茹でダコさんのシルエットは極力写し込まないようにしていたのだけれど、気にしながら見ると目立つなあ。

修道院の生活を示したパネル_1
修道院の生活を示したパネル_2
修道院の生活を示したパネル_3
修道院の生活を示したパネル_4
修道院の生活を示したパネル_5
カトリック当別教会
こちらは、敷地の端にある、だれでもミサに与ることができるカトリック当別教会。フランスで中世に制作された十二使徒の貴重なステンドグラスがあるとのことだ。
勿論、修道院の修道士たちはこちらには姿を見せないものと思う。と思ったら、主日のミサの司式は修道院の神父によって行われるそうで、全くの没交渉状態ではなさそうだ。川田龍吉男爵はこの教会で洗礼を受けたようだ。

カトリック当別教会
こちらは司祭館かな
こちらは司祭館かな
トラピスト修道院製酪工場売店
トラピスト修道院製酪工場売店
おみやげ用にはバターキャンディが有名だが、このソフトクリームは絶品。本当に美味しかった。ついでに言えば、添えてあるビスケットも本当に美味しかった。
つい撮影前に一口食べてしまった。それからの写真なので、頭部をちょん切った。ぜひ一度お試しあれ。

このソフトクリームは絶品
修道院への進入路
以前はポプラ並木だったようだが、今は杉並木にかわったとか
修道院への進入路
反対側から撮るとこんな感じ(FREE画像を借用)
反対側から撮るとこんな感じ
駐車場前の庭
駐車場前の庭
すぐ前の牧草地
やはりかなり広い。巨大なトラクターが米粒ほどにしか見えない。函館周辺といえども、北海道なんだなあ。
すぐ前の牧草地

 

函館観光(11)

再び路線バスに乗り、五稜郭を目指した。バス停や市電停留所から五稜郭タワーまでは約700mあり、それなりに時間がかかる。

ラッキーピエロの店舗
此処にも店舗があった。どの店舗も同じようだが、すごく派手な外装だ。ハンバーガー愛好会のコンテストで金賞を受賞したとかだそうだ。なるほどと思わせるものがあった。
ラッキーピエロの店舗
五稜郭タワー
一人だったら、高所恐怖症の私は上がったかどうか微妙な高さだ
五稜郭タワー
五稜郭タワーから見た五稜郭
濠の内側は確かに五稜の星の形になっている。真ん中にあるのは復元された箱館奉行所のようだ。近代史の生きた舞台である。歩いて行って確かめたかったが、少し遠い感じなので諦めた。
五稜郭タワーから見た五稜郭
次の2つの画像はFREE画像を借用した
復元された箱館奉行所
復元された箱館奉行所
五稜郭付近の衛星写真(NASAによる資料)
五稜郭付近の衛星写真(NASAによる資料)
五稜郭タワーから見た市内の様子
トラピスチヌを出てバス停で路線バスを待っているとき、傘をさす必要があるくらいの降りになったが、またまた晴れてきた。超鈍足台風11号の影響だったのだろう。
五稜郭タワーから見た市内の様子_1
五稜郭タワーから見た市内の様子_2
五稜郭タワーから見た市内の様子_3
五稜郭タワーから見た市内の様子_4
五稜郭タワーから見た市内の様子_5
五稜郭タワーから見た市内の様子_6
五島軒五稜郭タワー店
五稜郭タワーにも五島軒があった。当然のごとくカレーを注文した。カレー大好き人間、したがって味には厳しい私にも美味しく感じられるものだった。
子供の頃の我が家は貧しく、五島軒に行けるほどの余裕もなかったと思うのだが、何故に本店に何度か出かけた記憶が残っているのだろうか。

五島軒五稜郭タワー店_1
五島軒五稜郭タワー店_2
五島軒五稜郭タワー店_3
五島軒五稜郭タワー店_4
息子はビール
息子はビール
孫はラッシー
孫はラッシー

最終日に期待をかけて、2日目は早めに引き上げることにした。
夜は皆で寿司を食べに行こうとしたら、突然、激しい雨が降りだして様子を見た。雨が上がったが、また降られるといけないので、テイクアウトにしてもらい、息子に取りに行ってもらった。寿司ネタが大きく新鮮なのが印象的だった。写真は撮り忘れた。

 

函館観光(10)

函館観光の3日目(実質2日目)は、まずは函館市上湯川町にあるトラピスチヌ修道院に行くことから始めた。
函館駅のバス案内所で翌日の定期観光バスの予約を済ませ、安心して3日目の観光に入った。トラピスチヌ修道院へは、函館駅からのバスに乗車して、正門すぐ傍まで行った。


厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院
カトリックは組織としては一つであるが、内部にいくつかの修道会が存在する。
イエズス会、フランシスコ会などがあるが、一番戒律が厳しいとされるのが、観想修道会である『厳律シトー会』だろう。トラピスチヌ修道院はその『厳律シトー会』の修道院である。私にはよく説明できないので、末尾に転載したHPの説明を参照されたい。
説明板によれば、草創期の修道女の生活は極めて厳しく、フランス本国から引き上げを打診されたほどだったのか。マザー・テレサの『神の愛の宣教者会』のシスターたちの生活ぶりも、相当なものだと思ったけれども、もっとつらいものがあったのかもしれない。

修道院敷地途中までの様子
修道院敷地途中までの様子_1
修道院敷地途中までの様子_2
修道院敷地途中までの様子_3
修道院敷地途中までの様子_4
修道院敷地途中までの様子_5
修道院敷地途中までの様子_6
旅人の聖堂
西暦2000年はキリスト生誕から2000年の節目の年だった。この年をカトリック教会では『大聖年』と位置づけた。この年に旅人のために祈りの場として建設されたとのことだ。
旅人の聖堂_1
旅人の聖堂_2
慈しみの聖母マリア像
此処はカトリックの修道院であるから崇敬するマリア様の像があるのは当然だ。像の下の台座には、聖ベルナールの祈りの言葉が刻まれていた。
慈しみの聖母マリア像
修道院の建物
特に説明書きなどはなく、何のための建物かなどは不明。わからないものの、建物は美しい体裁を誇っていた。また、我々が立ち入りを許されているゾーンには、当然ながら修道女の姿はなかった。
修道院の建物_1
修道院の建物_2
修道院の建物_3
修道院の建物_4
修道院の建物_7
修道院の建物_8
修道院の建物_9
修道院の建物_10
ルルドのマリア像
ルルドのマリア像_1
ルルドのマリア像_2
リジューの聖テレジア像
リジューの聖テレジア像_1
リジューの聖テレジア像_2

隠世共住修道院生活の歴史は長く、その基礎は新約聖書にまで遡り、イエスの模範と教えに基づいています。3~4世紀には、聖アントニオ、聖パコミオ、聖バジリオなど多くの傑出した修道者が現れました。6世紀になって、イタリアの聖ベネディクト(480-547)は隠世共住修道院生活の伝統に基づきながら、自分の修道者のために修道規律を書きました。これが聖ベネディクトの戒律です。これは全ヨーロッパの修道生活と キリスト者の生活の規範となりました。
シトー会は1098年、聖ロベルトと同志たちが聖ベネディクトの戒律をより忠実に守り従うために、繁栄するベネディクト会を後に、フランスのシトーの森に退いた時に興りました。そのカリスマはクレルヴォーの聖ベルナルド(1090-1153)の影響の下に中世を通じて全ヨーッパに広がり、シトー会は教会の中で霊性と文化の中心的な役割を果たすことになりました。
1662年、ド・ランセ(1626-1700)はフランスのトラップ修道院の院長に就任すると、次第に緩んできたシトー会の修道精神を再び厳格に立て直そうと、改革運動を始めました。これがトラピストとして知られる厳律シトー修道会です。

 

函館観光(9)

思い出の五島軒さんで昼食を食べたいと思ったのだが、開店時間まで暫くあったので、先に、ベイエリアに向かった。そこで時間を潰せば、五島軒さんに戻ってくるのはちょっと難しいなと思いながら。

函館市地域交流まちづくりセンター
なんとなく見入ってしまった。雰囲気のある建物だなあ。旧丸井今井百貨店函館支店だったんだ。
函館市地域交流まちづくりセンター_1
函館市地域交流まちづくりセンター_2
函館市地域交流まちづくりセンター_3
函館市の中心地、十字街近く、南部坂の上り口に建つ大型のビル。ドームと塔屋があり、ランドマーク的な装飾の多い意匠となっていますが、理由はかつての百貨店(当初は呉服店)だったから。
市電通りから見る北側は3階建て。1階部分にはデパートらしいショウウィンドウが並んでいます。アール状の角に玄関があり、その上に縦長窓、屋上には円形ドームのある欧風の様式。一方、塔屋のある南側は角ばったモダニズム様式の5階建てになっています。
このようなアンバランスな様式が混在しているのは、昭和初期に百貨店の業務拡大につれて、当初3階建てだったものを、5階建てに増築(昭和5年、昭和9年)したためです。その際、北側のドーム部分はなくなり、代わりに南側の塔屋ができたそうです。近年、耐震性の問題から、一部を竣工当初の3階建てに戻すという改修工事がおこなわれ、ドームが復元されたため、このように不思議な組み合わせになったとか。昭和45年からは市の分庁舎として利用されていましたが、現在は「地域交流まちづくりセンター」として再利用されています。函館市景観形成指定建造物の鉄筋コンクリート造り、3&5階建て。
設計は東京高等工業学校建築科を卒業したのち、熊本県立師範学校、岩手県立工業学校教諭、陸軍省委託を経て佐藤組建築事務所を営んだ佐藤吉三郎(1874~1934)。土浦日本聖公会聖バルナバ教会も彼の設計。
設計・施工は北海道コンクリート建築の先駆者といわれる木田保造(きだ やすぞう、1885~1940)。他に不動銀行函館支店、拓銀函館支店、函館商工会議所本館、天主公教会、渡辺合名会社、大谷女学校、百十三銀行、函館貯蓄銀行、称名寺、日魯漁業函館事務所、函館製綱船具など、大正初期から昭和にかけての函館市内の主な建築工事をほとんど手がけています。
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函館市地域交流まちづくりセンター
旧丸井今井百貨店函館支店(丸井今井呉服店函館支店)
1923(大正12)年 / 1930(昭和5)年、1934(昭和9)年増築
函館市景観形成指定建造物
設計 : 佐藤吉三郎+木田保造
施工 : 木田保造(木田組)
函館市末広町4-19


ベイエリア
丸豆岡田製麺末広工房
ちょっと粋な建物だった。ご自由にお入り下さいと書かれていたが、今回は雨に降られる前に見るべきところを見ておきたかったので、パス。
丸豆岡田製麺末広工房
旧茶屋亭
写真だけ撮らせていただいた。後方は赤レンガだし、とにかく目を引く建物が続くようだ。
この旧茶屋亭の建物は明治末期の海産商の店舗兼居宅の店舗部分で当時の港町箱館の隆盛を伝える典型的な和洋折衷建築物として1988年施行の函館市の西部地区歴史的景観条例で左横側のレンガ塀とともに伝統的建造物に指定されました。
青函博の時、当時の持ち主の方がその期間限定で『旧茶屋亭』の名で営業してたそうです。その名を引き継ぐ形で、内装やメニューなどを一新して茶屋旧茶屋亭として1992年にオープンしました。
「旧茶屋亭」は和洋折衷の外観をそのまま補修保存するとともに内部は当時海外との貿易が盛んな箱館の西部地区にあった各国領事館商館が建ち並ぶなかを多くの外国人が往来しその人達が一時の安らぎを求めて立ち寄った大正ロマン漂うサロンを再現致しました。

旧茶屋亭
赤レンガ倉庫群
本当に美しい。横浜の赤レンガ倉庫もなかなかに洒落ているが、こちらも引けをとらない。ここでは孫にソフトクリームを食べさせただけで、内部に入ることはしなかった。彼がもう少し大きくなったならば、興味をもつかもしれないが。
函館ベイエリアの顔とも言えるスポット。ベイはこだて、Kanemoori、金森洋物館、函館クリスマススクエア、函館ヒストリープラザ、函館ビヤホール、金森ホール、金森美術館から成る。
明治20年に営業倉庫業用として出来上がった赤煉瓦倉庫軍は倉庫不足となるほど勢いづいていた。1度は火災で不燃質倉庫に再建される。昭和後期に入ると輸送形態の変化や北洋漁業縮小などにより倉庫業は勢いを失った。しかし赤煉瓦で積み上げられた風格ある姿が昭和63年4月、金森赤煉瓦倉庫から金森赤レンガ倉庫と生まれ変わり知名度を高めている。

赤レンガ倉庫群_1
赤レンガ倉庫群_2
赤レンガ倉庫群_3
赤レンガ倉庫群_4
赤レンガ倉庫群_5
赤レンガ倉庫群_6
赤レンガ倉庫群_7
赤レンガ倉庫群_8
赤レンガ倉庫群_9
高田屋嘉兵衛資料館
高田屋嘉兵衛は江戸時代後期の廻船業者、海商。その活躍ぶりは、多くの人の知るところだろう。嘉兵衛の死から6年後の天保4年(1833年)に、高田屋を継いだ弟の金兵衛が幕府からロシアとの密貿易の疑いをかけられ、全財産を没収されて高田屋は没落したそうだ。徳川幕府の出る釘を打つ常套手段に引っかかったのだろうが、残念なことだった。
高田屋嘉兵衛《たかたや かへえ、明和6年1月1日(1769年2月7日) - 文政10年4月5日(1827年4月30日)》は、江戸時代後期の廻船業者、海商である。幼名は菊弥。
淡路国津名郡都志本村(現兵庫県洲本市五色町)の農民の子として生まれる。漁業に従事し、18歳で兵庫へ出て廻船業者を志し、淡路と大坂とを往復する瓦船に乗る。寛政2年(1790年)に樽廻船の水主から、船頭となる。紀州での鰹漁や、和泉屋伊兵衛のもとで船頭となり酒田へ航海して資金を貯める。寛政7年(1795年)には、兵庫の北風家の助けを得て、庄内で1700石積の辰悦丸を建造し本格的に廻船業、蝦夷地経営へ乗り出す。
近藤重蔵や間宮林蔵、最上徳内などの江戸幕府役人と接触し、信を得て蝦夷地交易を許可される。幕命により択捉航路を開き、蝦夷地物産売捌方となる。また、箱館(函館)の北洋漁業の基を築いた功労者である。近藤重蔵に依頼され、国後島と択捉島間の航路開拓を行った。択捉島は鱒・鮭が豊富で、嘉兵衛は17ヶ所の漁場を開き、島に原住していたアイヌの民を雇って漁法を教え、彼らの生活向上に資した。
享和元年(1801年)、国後航路の発見・択捉島開拓の功により、33歳の嘉兵衛は幕府から「蝦夷地常雇船頭」を任じられ、苗字帯刀を許された。嘉兵衛は漁場を次々開拓し、蝦夷地経営で「高田屋」の財は上昇した。
文化3年(1806年)、箱館の大火で町の大半が焼失した時、高田屋は被災者の救済活動と復興事業を率先して行なっていった。市内の井戸掘や道路の改修、開墾・植林等も自己資金で行なうなど、箱館の基盤整備事業を実施した。造船所も建設し、兵庫から腕利きの船大工を多数呼び寄せ、官船はじめ多くの船を建造していった。
文化9年(1812年)幕府によるロシア船ディアナ号艦長ヴァーシリー・ゴローニン幽囚の報復として、嘉兵衛は国後島で副艦長のピョートル・リコルドにより捕えられた(ゴローニン事件)。ディアナ号でカムチャツカ半島ペトロパブロフスク・カムチャツキーへ連行されるが、翌年帰国。帰国後の嘉兵衛は松前奉行を説き伏せ、ロシア側に侵略の意図が無いことを納得させ、人質解放に尽力した。また、幕府の蝦夷御用船頭に任ぜられた。文政元年(1818年)に隠居し、文政10年(1827年)に59歳で死去。

高田屋嘉兵衛資料館_1
高田屋嘉兵衛資料館_2
高田屋嘉兵衛資料館_3
すぐ前の海
すぐ前の海_1
すぐ前の海_2
すぐ前の海_3
すぐ前の海_4
金森マークがズラリ
ピンぼけだった
金森マークがズラリ_1
金森マークがズラリ_2
夜の様子(FREE画像を借用)
夜の様子

日本最古のコンクリート製電柱
本当に日本最古なのかと思わせるぐらいしっかりとしていて、今でもその役割を果たしている。触った感じはつるつるしていて、コンクリートの上から何か透明なニスのようなものが塗られていた。形は一般的な丸型ではなく大変珍しい角型で、四角錐になっている。これは電柱マニアでなくても必見である。
1923年(大正12年)10月に函館水電会社(現・北海道電力)が建てたもの。現存するコンクリート電柱としては日本最古のものである。高さ10メートル、底辺47センチメートル四方、上辺が19.5センチメートル四方の鉄筋コンクリート造りで角錐型という珍しい形である。同形の電柱が建物をはさんで建てられたため、夫婦電柱と呼ばれ話題になった。耐用年数を越えても今なお現役として活躍している。

日本最古のコンクリート製電柱_1
日本最古のコンクリート製電柱_2
日本最古のコンクリート製電柱_3

ときおり、小雨程度の雨が落ち始めた。これは引き上げ時だと判断した。息子のリクエストで、『ラッキーピエロ』で昼食用のハンバーガーを仕入れ(店の写真はピンぼけだったので、五稜郭店をあとでUPしたい)、十字街から市電でホテルに帰る。
まだ、昼下がりだが、2日目の観光はこれにてやむを得ず終了。予想通り、五島軒さんに寄る事ができなかったなあ。また、これまた強烈な記憶が残る函館公園内の動物園にも回ることができなかったなあ。いろいろ残念。


十字街の市電停留所
十字街の市電停留所

 

函館観光(8)

真宗大谷派函館別院
どうしてなのか、すぐ近くに住んでいたのに、この境内で遊んだという記憶が全くない。鉄筋コンクリート寺院でありながら、国の重要文化財に指定されているのか。和風建築の細部を鉄筋コンクリート造で表現した寺院建築としては日本最古のもので、建築史上価値が高いそうだ。鉄筋コンクリート造りでも、徐々に文化財指定が出てくるようになっていくのだろう。
子どもたちが関心を示さなかったので、此処はやむなくパス。残念。

もともとは旧富岡町にあったが、明治12年の大火で焼失し、2年後に現在地に再建された。ここでも明治40年に大火に遭遇し、耐火建築で再建されることになった。大正4年、日本で初めての鉄筋コンクリート寺院として再建がなったが、コンクリート建築には大きな抵抗があり、寄付も思うように集まらず、苦心の末の完成だったという。
2007年12月に、本堂、正門、鐘楼が国の重要文化財に指定された。

FREE画像を借用
真宗大谷派函館別院_1
真宗大谷派函館別院_2
亀井勝一郎生誕の地碑
元町教会の真向かいに建ち、元町の環境は彼の思想に影響を与えたとのことだ。
亀井勝一郎生誕の地碑
元町配水場
この一画が私の最も好きな遊び場だったと思う。原っぱに見える部分に貯水池がある。
しかし、東京よりも早く上水道施設をつくったとは、函館は群を抜いた先進の都市だったんだ。

1889(明治22)年、横浜に次ぐ国内2番目の上水道として開設。現在も西部地区への配水を担当。敷地内は一般開放され、春はソメイヨシノの桜が美しい。
日本人が設計、監督したものとしては我が国初の上水道。1889(明治22)年に整備されました。市民に生活水を供給する拠点の一つとして、今なお活躍し続ける元町配水場は、函館山ロープウェイ山麓駅そばに位置します。
場内には120年の歴史を経た中区配水池と、1896(明治29)年の拡張工事によって完成した高区配水池を備えます。その歴史的、技術的価値を評価され、近代水道百選(昭和60年度/現 厚生労働省)、選奨土木遺産(平成13年度/公益社団法人土木学会)、近代化産業遺跡群・続33(平成20年度/経済産業省)などに選定されました。
高区配水池の完成を記念して敷地内に植えられたサクラの木のうち、2本のソメイヨシノが高区配水池前に現存しています。幹の太さは周囲約4メートル、樹高は約13メートルで、枝の幅は約20メートルを誇り、満開時の姿は圧巻そのもの。サクラを心待ちにしている市民は多く、函館港の絶景も訪れる楽しみをさらに増幅してくれます。高台にあるためか、発表される開花日より例年2、3日ほど遅れるようです。

元町配水場_1
元町配水場_2
元町配水場_3
元町配水場_4
元町配水場_5
元町配水場_7
元町配水場_8
右からカトリック元町教会、函館聖ヨハネ教会、ハリストス正教会の天辺部分が見える。また、手前にはレンガ造りの管理事務所が見える。
元町配水場_9
元町配水場_11
元町配水場_12
元町配水場_15
元町配水場_16
元町配水場_17
大好きなレンガ造りの管理事務所
竣工:明治22(1889)年、構造:煉瓦造り平屋で、函館市景観形成指定建造物になっているそうだ。威圧感など無く、優しい感じの建物だ。
レンガ造りの管理事務所_1
レンガ造りの管理事務所_2
レンガ造りの管理事務所_3
少し高い位置から見た様子
少し高い位置から見た様子_1
少し高い位置から見た様子_2
少し高い位置から見た様子_3

 

函館観光(7)

港が丘通
旧函館区公会堂からハリストス正教会やカトリック元町教会、函館聖ヨハネ教会の前を通り、ロープウェイ駅に通じる函館山に対して水平に走る道だ。いつの間にか洒落た名前が付けられていた。
港が丘通_1
港が丘通_2
港が丘通_3
港が丘通_4

旧函館区公会堂をあとにしたのが10時少し前。10時からは主日のミサが行われる。『間もなくミサの時間ですよ』とばかりにカトリック元町教会の鐘が鳴る。その音に負けじと函館ハリストス正教会の鐘が激しく鳴り響いてきた。

函館ハリストス正教会
全くガンガン寺の別名がぴったりくる激しさで大小様々な鐘が打ち鳴らされる。私達が身近に接している教会は西方教会であり、カトリックやプロテスタントが該当する。これとは別に東に向かって伝わっていったのが東方教会。ギリシャ正教とかロシア正教とか、正教と名のつくものはこちらだ。イースターなどの行事も、東方教会ではユリウス暦を使用しているため、殆んど一致することはない。ちなみに今年(2014年は珍しく一緒の日になったが、ユリウス暦上の日付は勿論違う日になっている)。十字の切り方も上下左右ではなく、上下右左と違う。ミサもかなり荘厳なものだと聞いている。
しかし、名乗り方は自由だとはいえ、すごい名前だなあ。THE RUSSIAN ORTHODOX CHURCHというんだ。『オーソドックス』なんだ。尤もカトリックだって『catholic(普遍的)』と称しているのだから、似たようなものか。

函館ハリストス正教会は日本正教会の教会であり、東日本主教区に所属する。日本正教会の東日本主教区は北海道・東北地方を管轄している。函館ハリストス正教会は北海道に所属する教会の中でのみならず、日本正教会でも伝道の最初期からの歴史を持つ最古の教会の一つである。
1983年(昭和58年)に国の重要文化財に指定された。これは大正時代の建築物としては全国で二番目の指定である。

『港が丘通』からはこんなふうに見える
『港が丘通』からはこんなふうに見える_1
『港が丘通』からはこんなふうに見える_2
敷地内に入ってみる
敷地内に入ってみる_1
敷地内に入ってみる_2
敷地内に入ってみる_3
敷地内に入ってみる_4
敷地内に入ってみる_5
上智大学神学部卒の息子にはかなり関心があったようだ
敷地内に入ってみる_6
聖堂の上にある十字架は『八端十字架』と呼ばれるもの。8箇所の先端部分が存在することに由来する名称だそうだ。
聖堂の上にある十字架は『八端十字架』と呼ばれるもの
大三坂
信じられないような話だが、この坂でソリ遊びをしたものだった。車も通らなかったし、それくらいの積雪量が函館にもあったということなのだろう。温暖化が進んだ今は、昔話に過ぎなくなってしまったが。「日本の道100選」に認定された坂なのか。それくらいの価値はあるあると思う。
私の一家が住んでいたアパートも写真に写っている一角にあった。

大三坂
大三坂は、石畳の美しさとエキゾチックな雰囲気が高い評価を受け、1987(昭和62)年、建設省(現在の国土交通省)の「日本の道百選」に認定されました。坂名にある「大三」は、地方から奉行所へ公用でやって来る人たちのため、坂の入口に建てられていた郷宿の家印に由来するそう。それ以前は、坂上に木下という人の家があったことから「木下の坂」と呼ばれた時期もありました。
元町カトリック教会を右手に見ながら港が丘通を過ぎ、函館聖ヨハネ教会と函館ハリストス正教会の間を通る道の幅は急に狭まると、坂名はチャチャ登りに変わります。チャチャはアイヌ語で老爺を意味し、老若男女が腰を屈めて上らなければならないほど、急坂という証しです。しかし、労を惜しまず坂上に到達すると、目の前には異国の地を思わせる景色が広がり、心を和ませてくれることでしょう。

カトリック元町教会
函館に住んでいたときは、元町白百合幼稚園に通っていた。その頃は、聖堂が大きく感じられたのだが、今入ってみるとこじんまりした聖堂だ。ミサの始まる直前に堂内に入り、信徒の案内役の人と雑談をして辞去した。知らなかったが、祭壇は火事見舞いとして時の教皇ベネディクト15世から送られたもののようだ。そんな謂われなど全く知らずに脳天気にお祈りをしていたようだ。
最初の木造の教会堂は1877(明治10)年創建。現在の建物は1924(大正13)年に再建。大聖堂内の豪華な祭壇はローマ法王から贈られたもの。元町の代表的風景、教会群の一角を占める。
カトリック元町教会_1
カトリック元町教会_2
カトリック元町教会_3
カトリック元町教会_4
カトリック元町教会_5
カトリック元町教会_6
この辺かな
私達家族が住んでいたアパートはこの辺にあったようだ。だとすると函館西高に通っていた北島三郎を見かけていたかなあ。お互いにわかるわけもないことだが。
この辺かな

 

函館観光(6)

旧函館区公会堂(2)
1階
小ホール等
大抵のイベント等はここで済ませられたのかもしれない。2階ほどではないものの、十分な広さがある。
小ホール等_1
小ホール等_2
商工会議所事務室と応接室など
かなり立派なものだ
商工会議所事務室と応接室など_1
商工会議所事務室と応接室など_2
商工会議所事務室と応接室など_3
2階へ通じる階段
2階へ通じる階段_1
2階へ通じる階段_2
2階へ通じる階段_3
2階の一画は皇室来函時の宿泊所になった
明治44年(1911年)、大正天皇が皇太子時代に来函、宿舎となった。また、大正11年(1922年)昭和天皇が摂政宮のときにも休憩している。ごくわずかの滞在だったと思うが、お迎えするのにふさわしい豪華さだと思った。
ご寝室
ご寝室
御座所
御座所
予備室
予備室
御高架(便所)と御湯殿(浴室)
立派な設備だったようだ。それにしても、皇太子殿下ともなると、気軽に便意を払うこともできなかったようだ。
御高架(便所)と御湯殿(浴室)_1
御高架(便所)と御湯殿(浴室)_2
御高架(便所)と御湯殿(浴室)_3
2階のそれ以外のスペース
メインホールとステージ
メインホールとステージ_1
メインホールとステージ_2
メインホールとステージ_3
バルコニー、テラス等
素晴らしい眺め
素晴らしい眺め
日本最初の洋式商用帆船『箱館丸』の一部が画面の右端に見えた。その奥にある自衛艦はDD112『まきなみ』。
『箱館丸』は安政4(1857)年に建造された、日本初の洋式商用帆船。当時の箱館奉行・堀利熙の要請で、高田屋嘉兵衛のもとで船大工として働いていた続豊治が製作したものだそうだ。

日本最初の洋式商用帆船『箱館丸』の一部が画面の右端に見えた
テラスも粋な感じだ
テラスも粋な感じだ
反対側の階段
反対側の階段_1
反対側の階段_2
再び1階
洋式風呂&和式風呂
一体誰が使ったものだろうか
洋式風呂&和式風呂_1
洋式風呂&和式風呂_2
洋式風呂&和式風呂_3

 

函館観光(5)

元町公園にて
元町公園は本来は美しい公園だが、何かのイベントの真っ最中らしく、つや消しなテントがいっぱい設置され、面白くないことこの上ない。うーーん、残念。
元町観光案内所&函館市写真歴史館
旧北海道庁函館支庁庁舎のルネッサンス風の洋館。現在は、元町観光案内所&函館市写真歴史館。1階部分は無料で写真撮影も自由だが、2階部分は有料扱い。
元町観光案内所&函館市写真歴史館_1
元町観光案内所&函館市写真歴史館_2
元町観光案内所&函館市写真歴史館_3
元町観光案内所&函館市写真歴史館_4
元町観光案内所&函館市写真歴史館_5
元町観光案内所&函館市写真歴史館_6
元町観光案内所&函館市写真歴史館_7
ここから上は、有料ゾーン
元町観光案内所&函館市写真歴史館_8
こちらの外側面は少補修が必要な感じだ
元町観光案内所&函館市写真歴史館_9
函館支庁書籍庫
こちらは外から見るだけ
函館支庁書籍庫
旧函館区公会堂(1)
基坂を登りきったところに建つ、ブルーとイエローの色調の美しい建物。明治43年、当時の洋風建築の粋を集めて造られたコロニアル・スタイルの木造建築で、国の重要文化財。2階のバルコニーからの港と坂の眺めは絶景。
外観
幼児の頃の思い出がいっぱい。近所に住んでいたので、毎日この辺をうろちょろしていた。福島の片田舎に引っ込んだあとも、ずっと思い出しては行きたいと思い続けていた。あの当時は公開の施設だったのだろうか。
旧函館区公会堂外観_1
旧函館区公会堂外観_2
旧函館区公会堂外観_3
旧函館区公会堂外観_4
旧函館区公会堂外観_5
旧函館区公会堂外観_6

 

函館観光(4)

相馬株式会社函館本社
うーーん、これはいい。外壁が板張りの建物が好きな私の好みにピタリ合致する。大正初期のロマンを感じる。単独撮影行ではないので、じっくり見る時間がなかった。そのことが残念でならない。尤も、現役の会社社屋であり、内部は非公開だそうだから、これ以上粘ってもしれたものだったかもしれない。
市電通りと基坂の交差点の北西角に建つ、大正初期のルネッサンス様式の洋館。函館を代表する実業家の一人で、函館区公会堂の建設資金の大半を寄付するなど篤志家でもあった相馬哲平の相馬合名会社事務所でした。現在も不動産賃貸を主業とする相馬株式会社の函館本社として使用されています。なお、竣工年には1914(大正3)年という説もあります。
相馬株式会社函館本社
旧相馬合名会社
1916(大正5)年
函館市伝統的建造物
設計・施工 : 筒井長左衛門
函館市大町9-1

相馬株式会社函館本社_1
相馬株式会社函館本社_2
旧イギリス領事館
1940年3月に函館市がイギリス政府から領事館の建物を買収し、市立函館病院の施設として使用したものの、翌41年3月に憲兵隊が建物を接収。45年8月にやっと接収が解除されたのか。その後、79年まで市立函館病院の施設として使用されていたのか。どうりで、記憶になかったわけだ。横浜のそれと似た感じだなあ。英国人好みのデザインなんだろう。
函館市旧イギリス領事館は、函館が国際貿易港として開港した1859年(安政6)年から75年間、ユニオンジャックをかかげ続け、異国情緒あふれる港町函館を彩ってきました。
数回の火災にあったのちこの場所に再建しましたが、再び火災により焼失し、現在の建物は1913(大正2)年、イギリス政府工務省上海工事局の設計によって竣工し、1934(昭和9)年に閉鎖されるまで領事館として使用されていました。
1979(昭和54)年に函館市の有形文化財に指定され、1992(平成4)年の市制施行70周年を記念して復元し、この年から開港記念館として一般公開をしてきました。
2009(平成21)年3月、開港150周年を機に展示内容を一新し、開港都市のシンボルとして新たな歩みを始めました。

旧イギリス領事館_1
旧イギリス領事館_2
旧イギリス領事館_3
旧イギリス領事館_4
旧イギリス領事館_5
旧イギリス領事館_6
旧イギリス領事館_7
旧イギリス領事館_8
旧イギリス領事館_9
旧イギリス領事館_10
旧イギリス領事館_11
旧イギリス領事館_12
おお、すごい。英国の国章だ。
旧イギリス領事館_13
以前はこの位置でもそれなりに見晴らしは良かったのだろうが、今はかろうじて海が見える程度だ
旧イギリス領事館_14
旧イギリス領事館_15
旧イギリス領事館_16
旧イギリス領事館_17
旧イギリス領事館_18
旧イギリス領事館_19
昔の函館(箱館)はこんな形だったのかなあ
昔の函館(箱館)はこんな形だったのかなあ

 

函館観光(3)

1日目のラスト
シャトルバスで空港からホテルのある松風町に
初日は夕方からのスタートなので、孫もまだまだ元気だ
シャトルバス車内で
少し遅目の夕食
子供をこのような店に連れてきてよかったものか悩むところだが、夜も遅くなりかかっていたので、手っ取り早く見つけた店で済ませた。だいたいこんな食事内容だった。明日からは、もう少しレベルアップさせたいものだ。
少し遅目の夕食_1
少し遅目の夕食_2
少し遅目の夕食_3
気がついた時は、何個か食べてしまっていた。此処はそうでもなかったが、他の店では寿司ネタがかなり大きく、大サービスという感じだった。
少し遅目の夕食_4
少し遅目の夕食_5

そして2日目(1)
ホテルにて
起床時に我々の部屋から見た函館山の様子
少し怪しい天気だ。今日一日もってくれるか些か心配になった。
少し怪しい天気だ
バイキング初日はどうしても欲張ってしまう。実はこれ以外にも食べた。死ななきゃ治らない悪癖のようだ。
バイキング初日はどうしても欲張ってしまう_1
バイキング初日はどうしても欲張ってしまう_2
観光に出発
市電に乗って元町方面へ向かう。乗り合わせた市電は相当にレトロな感じだったが、もっと目玉の車両もあるようだ。
市電に乗って元町方面へ向かう_1
市電に乗って元町方面へ向かう_2
市電に乗って元町方面へ向かう_3
市電に乗って元町方面へ向かう_4
市電に乗って元町方面へ向かう_5
市電に乗って元町方面へ向かう_6
十字街で下りても良かったが、一つ先の末広町まで行ってみた。前方に相馬株式会社函館本社のレトロな建物が見える。これは次回取り上げる。それにしてもまじめに仕事している人を見ると、遊び呆けていて良いものかと、少し落ち込む。
一つ先の末広町まで行ってみた
まずは坂を上る前に、海をちらっと見ておくことに。翌日回る
振り返るとこんな光景が目に入ってくる
振り返るとこんな光景が目に入ってくる_1
振り返るとこんな光景が目に入ってくる_2
昨夕と違い、海は少し荒れ気味のようだった。あとで見て回るので、此処は簡単に済ませた。孫より幼いころの私は、一人で元町からここまでは下りてこれず、親と一緒に時々来ただけだったようだ。随分、ハイカラな感じに変身したものだ。
海は少し荒れ気味のようだった_1
海は少し荒れ気味のようだった_2
寒かったのか孫の表情がこわばっている。今日は長い時間連れ回すわけにはいかなさそうだ。
海は少し荒れ気味のようだった_3
海は少し荒れ気味のようだった_4
緑の島に架かる橋の左奥に見えている帆檣(はんしょう=帆柱)は、幕末に箱館奉行所によって建造された西洋式帆船である箱館丸の復元船もののようだ
海は少し荒れ気味のようだった_5
海は少し荒れ気味のようだった_6
海は少し荒れ気味のようだった_7
海は少し荒れ気味のようだった_8
海は少し荒れ気味のようだった_9
海は少し荒れ気味のようだった_10
海は少し荒れ気味のようだった_11
函館市青函連絡船記念館摩周丸
海は少し荒れ気味のようだった_12
海は少し荒れ気味のようだった_13
海は少し荒れ気味のようだった_14

 

函館観光(2)

函館上空
青函海峡が見えた
台風接近中なので無理かと思っていたが、青函海峡が見えて、航行する船も見えた。海面は想像していたのとは真逆で、実に穏やかな感じに見えた。そしてどうしてそうなるのかわからないが、虹のように美しく輝いていて、それだけで魅了された。
青函海峡が見えて、航行する船も見えた_1
青函海峡が見えて、航行する船も見えた_2
日没間近の太陽
日没間近の太陽
台風進路上空は厚い雲に覆われていた。が、この時点では日没前の太陽を見ることができた。
日没前の太陽を見ることができた
日没寸前
日没寸前
いよいよ渡島半島の端っこが見えてきた。本当に函館市の上空だ。
渡島半島の端っこが見えてきた_1
渡島半島の端っこが見えてきた_2
函館山が見える
函館山が見える_1
函館山が見える_2
函館山が見える_3
市街地上空
くびれている部分はスタイルの良い女性にような感じだ。走ってもすぐ端から端まで行けてしまう感じだ。
くびれている部分はスタイルの良い女性にような感じだ_1
くびれている部分はスタイルの良い女性にような感じだ_2
くびれている部分はスタイルの良い女性にような感じだ_3
くびれている部分はスタイルの良い女性にような感じだ_4
くびれている部分はスタイルの良い女性にような感じだ_5
五稜郭が見える
五稜郭が見える_1
五稜郭が見える_2
無事着陸
台風接近中だったが、何の支障もなく、函館空港に無事着陸。外は夜の帳が下りかけている。五稜郭タワーが到着を歓迎してくれているように思えた。
函館空港に無事着陸_1
函館空港に無事着陸_2
函館山から少し先まで飛んできたことになる。もう少し近いとなお良いのだが、これでも北海道新幹線の新駅よりはかなり近いようだ。
函館山から少し先まで飛んできたことになる
漸く空港施設のそばまで
漸く空港施設のそばまで_1
漸く空港施設のそばまで_2

 

函館観光(1)

長男と孫と私の3人で函館に3泊4日の旅行に出かけた。あいにく超鈍足の台風11号が我々の旅程に合わせるような形になり、どうなることかと心配しながらの旅行となった。結局はほぼ傘を使用することもなく、旅程を終えることができた。

羽田にて
何年かぶりの国内線利用の旅行だった。それもANAでの飛行が多く、JALは実に久しぶりだった。浦島さん状態だった。
外ではフライト準備に余念がない
外ではフライト準備に余念がない
2人とも楽しみにしている様子
2人とも楽しみにしている様子_1
2人とも楽しみにしている様子_2
機中から
クラスJはなかなかに快適だった。短足の私には十分すぎる座席スペースだった。
クラスJ_1
クラスJ_2
動き出した機中から見た光景
動き出した機中から見た光_1
動き出した機中から見た光_2
さすが東京湾。すぐそばを航行する船舶が途切れずにつながっていた。
動き出した機中から見た光_3
ビルのすぐ上辺りに白い機体が見えると思ったのだが、画素を間引いたらほぼ見えなくなってしまったようだ。うーーん、残念。
動き出した機中から見た光_4
JALは鶴丸のデザインと尾翼がほぼ赤いデザインとの2種類があるようだ。殆んどは鶴丸になっているようだが。
尾翼_1
尾翼_2
尾翼_3
他社機
他社機_1
他社機_2
他社機_3
無事離陸
見えたのは離陸直後だけ。台風の影響があったので仕方のないところだが。
見えたのは離陸直後だけ_1
見えたのは離陸直後だけ_2
このジュースは美味しかった
このジュースは美味しかった

 

Yokosuka Friendship Day 2014(5)

米兵によるアメリカ屋台
Tシャツ、帽子、飲み物、食品などの物品販売が中心だが、TATOOもどきのペインティングの店まで登場したのには驚いた。
アメリカ屋台_1
アメリカ屋台_2
アメリカ屋台_3
アメリカ屋台_4
アメリカ屋台_5
アメリカ屋台_6
アメリカ屋台_7
アメリカ屋台_8
あまりの暑さに次から次へと飲み物に手を出し、埒が明かないので、このぶっといのを買い求めた。これははっきり言って美味しくないが、水分補給の足しにはなる。
アメリカ屋台_9
アメリカ屋台_10
アメリカ屋台_11
次から次へと捌けるようで、グリル上には何もない状態だった
アメリカ屋台_12
米兵たちのパフォーマンス。長友に似ていると紹介されたが、似ているだろうか。
米兵たちのパフォーマンス_1
米兵たちのパフォーマンス_2
こんな店が出ているとは驚いた。時代の流れなのだろうか。
こんな店が出ているとは
フードコート内のほうが快適だったかも
フードコート内のほうが快適だったかも_1
フードコート内のほうが快適だったかも_2

本当はもっと見て歩きたいところだったが、こちらが熱中症になりそうだったので、早々に切り上げることにした。
以上で、『Yokosuka Friendship Day 2014』のミニシリーズは終了です。最後までご覧頂き有難う御座いました。

 

Yokosuka Friendship Day 2014(4)

装備を中心にチェックしてみる
マーク41垂直発射装置
船首と船尾の両方に設置されている
マーク41垂直発射装置_1
マーク41垂直発射装置_2
マーク41垂直発射装置_3
マーク41垂直発射装置_4
もう一度中央部を見ておく
艦艇用近接防御火器システム(CIWS)が眼を光らせているのがよく分かる
もう一度中央部を見ておく
先ほどと反対側の通路を通って、船尾部へ向かう
先ほどと反対側の通路を通って、船尾部へ向かう
装甲通路を出た辺り
Mk.38 mod 2機関砲システム
ごついなあ。こいつは海賊船やテロ対策用かな。光学照準装置が備えられているモデルなんだ。
Mk.38 mod 2機関砲システム_1
Mk.38 mod 2機関砲システム_2
Mk.38 mod 2機関砲システム_3
この画像のものはmod 1という少し前のモデルで、光学照準装置が備えられていない。射手のセンス頼りの側面があったのだろう。そこを改善したのが現行タイプなのだろう。
Mk.38 mod 2機関砲システム_4
艦尾部分
ハープーンSSM 4連装発射筒
ハープーンSSM 4連装発射筒_1
ハープーンSSM 4連装発射筒_2
ハープーンSSM 4連装発射筒_3
艦艇用近接防御火器システム(CIWS)、ハープーン、マーク41垂直発射装置
自慢の装備がずらりと並ぶ
自慢の装備がずらりと並ぶ
船尾が一段低くなった辺り
ここはヘリポートになっているようだ
ここはヘリポートになっているようだ_1
ここはヘリポートになっているようだ_2
ヘリポートから中央部を見る
ヘリポートから中央部を見る
同じアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦のDDG54『カーティス・ウィルバー』かと思ったが、どうもおかしい。実に紛らわしいのだが、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦『アンティータム』 (USS Antietam, CG-54)の方のようだ。艦船番号が奇しくも同じ54なんだ。
よくよく見ると、形も大きさも違っていた。巡洋艦がシャイローの他にもう1艦存在したんだ。うーーん。

タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦『アンティータム』 (USS Antietam, CG-54)_1
タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦『アンティータム』 (USS Antietam, CG-54)_2
梯子の上からのショット
梯子の上からのショット

 

Yokosuka Friendship Day 2014(3)

船首部分にて
この艦船の心臓部はすごいデバイスの塊のように見える。艦橋部のすぐ前にある黒い砲身のものは、Mk.15 20mmCIWSという艦艇用近接防御火器システム(CIWS)であり、Mk.15の名称が付けられている武器。6銃身のゼネラル・エレクトリック社製20mmガトリング砲M61A1を用い、捜索・追跡レーダーと火器管制システムを一体化した完全自動の防空システムである。対艦ミサイルからの防御を主目的とするものとのことだ。まあ、最後の砦のような存在なのだろう。
この艦船の心臓部
船縁から真下を撮ってみた。高所恐怖症の私にはちょっぴりこわいことだ。
船縁から真下を撮ってみた
記念写真は大人気のようだ。こんな士官の制服を着ているだけの太っちょのおじさんと一緒に写っても仕方がないように思うのだが。
記念写真は大人気のようだ_1
記念写真は大人気のようだ_2
頑丈そうな錨
艦船がかなりの大きさだけに、錨の上げ下ろしをする装置はかなりゴツイ感じだった。岸で見ているそ、軽い鎖にしか見えないのだが。
頑丈そうな錨_1
頑丈そうな錨_2
船首のすぐ前にはタグボートが。本来ならば、旗艦ブルーリッジが停泊する場所だ。
船首のすぐ前にはタグボートが
日の丸の扱いが粗末だなあ。米国軍人には、日本にいるというのに日本国旗を大事に扱う気持ちがないのだろうか。
日の丸の扱いが粗末だなあ
船首から振り返ってみた見た中央部
すごい数の人がいる
すごい数の人がいる
すごい数の人がいる
やはりかなり大きな存在だ
やはりかなり大きな存在だ_1
やはりかなり大きな存在だ_2
やはりかなり大きな存在だ_3
停泊中の艦船
隣の埠頭に停泊していた艦船。かなり大型の艦船だ。どうやら、エモリー・S・ランド級潜水艦母艦の「エモリー・S・ランド」(USS Emory S. Land, AS-39)のようだ。調べるのに相当な時間がかかってしまった。私には初見の艦船だ。
USS Emory S. Land (AS-39) is a United States Navy submarine tender and the lead ship of her class. She was named for Admiral Emory S. Land.
The ship provides food, electricity, water, consumable, spare parts, medical, dental, disbursing, mail, legal services, ordnance, and any parts or equipment repair that a submarine may require. To accomplish this, the ship has a physical plant similar to that of a small town, including 53 different specialized shops.

エモリー・S・ランド級潜水艦母艦のUSS Emory S. Land_1
エモリー・S・ランド級潜水艦母艦のUSS Emory S. Land_2
Emory_S_Landの活動の様子
こちらは艦船名不明
こちらは艦船名不明
こちらは空母の修理要員の宿泊施設になってるようだ。元は違う用途(バージ船)だったようだが、米軍は使い回しが得意なようだ。
こちらは空母の修理要員の宿泊施設になってるようだ

 

Yokosuka Friendship Day 2014(2)

艦船見学すべく長蛇の列に並ぶ
あれま、今日は旗艦のブルーリッジが不在なんだ。Friendship Dayと行っているのに、お出迎えなしなのかあ。残念。
今日は旗艦のブルーリッジが不在なんだ
こんな艦船だ。第7艦隊の旗艦の役目を担う。
Blue_Ridge_(LCC_19)
その代わりと言っては何だが、彩雲が出迎えてくれた
彩雲が出迎えてくれた_1
彩雲が出迎えてくれた_2
待ち行列から見えるフィッツジェラルド
主砲に限って言えば、先ほどの『三笠』の方が迫力がある。待ち時間が長くなり、暑くて暑くて、自販機で買った飲料水をゴクリ。自販機で買うと国内価格になってしまうが、熱中症になるのを避けたいので。
待ち行列から見えるフィッツジェラルド_2
待ち行列から見えるフィッツジェラルド_3
漸く金網の内側に
漸く金網の内側に_1
漸く金網の内側に_2
取材陣を先に案内した。仕方がないのかなあ。案内役のこの士官、左腕には余すところなくTATOOが。あんなのでもクビにならないのかなあ。米軍の規律って、結構緩いのかな。
漸く金網の内側に_3
続いて私も乗艦
続いて私も乗艦
アメリカ人はこういう飾り立てが好きなんだなあ
アメリカ人はこういう飾り立てが好きなんだなあ
中央部は艦船の幅いっぱいに覆いがしてあるので、その内側を通って船首部分に向かう
内側を通って船首部分に向かう_1
内側を通って船首部分に向かう_2
内側を通って船首部分に向かう_3
船首部分にて
船首部分から見た桟橋の様子。まだまだ後続は長い列のようだ。奥に停泊しているDDG-54はフィッツジェラルドと同型のカーティス・ウィルバーだと思っていたが、よく見ると、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦「アンティータム」 (USS Antietam, CG-54)だった。どおりで、フレームにおさめにくい大きな艦船なはずだ。
船首部分から見た桟橋の様子
船首部分には大勢の人が屯していた
船首部分には大勢の人が屯していた

 

Yokosuka Friendship Day 2014(1)

8月2日(土)に、よこすか開国祭にあわせ「ヨコスカフレンドシップデー」として横須賀米軍基地が一般開放された。
今年の基地内は停泊している艦船がごく少なく、ちょっと寂しい感じだった。
居ないことはまれな旗艦ブルーリッジも、いたら嬉しい原子力空母G.ワシントンも、今回公開対象艦のフィッツジェラルド以外の艦船は、留守が目立つ。かなり寂しいというのが第一印象だった。


米軍基地を見ようとする人は相変わらずかなり多い
三笠公園口からの入場だったが、公園手前で長い時間待たされた。露天商の人たちが一生懸命準備していたが、基地に入れば珍しいものを飲食できるのに、売れるのかなあと心配になった。
公園手前で長い時間待たされた
東郷平八郎は完全に無視された形。この状況では仕方がないだろう。
東郷平八郎は完全に無視された形
ハリボテのように見えなくもないが、本物の戦艦『三笠』だ。
本物の戦艦『三笠』だ
一般行列とバスツアーの行列とを合流させるようだ。クネクネと結構歩かされることに。
一般行列とバスツアーの行列とを合流させるようだ_1
一般行列とバスツアーの行列とを合流させるようだ_2
一般行列とバスツアーの行列とを合流させるようだ_3
一般行列とバスツアーの行列とを合流させるようだ_4

三笠公園内に臨時に設置された危険物持ち込み検査ゲートを通過した。ここだけは写真撮影不可のはずだ。まあ、敢えて撮っても仕方のないところだが。

いよいよ基地に入る
検査ゲートの先からの眺め
立っている場所は、普通の日は三笠公園の一部。そこから基地内を眺めたもの。行きたくても手続きを踏まなければいけない近くて遠い別世界だ。
三笠公園から基地内を眺めた
本物のゲートを潜って、米海軍基地内へ
本物のゲートを潜って、米海軍基地内へ
入ってすぐの広場で、地元の学生バンドが演奏中だった。艦船見学が一番の目当てなので、彼らには悪いが、素通りした。
地元の学生バンドが演奏中

艦船停泊エリアへ
最初に目に入るのが、強力なタグボートたち。ディズニー・シーの船にようなデザインだが、可愛い見かけとは裏腹に、実に力持ちだ。空母のような重量級の艦船でも何とか動かしてしまうのだから。
強力なタグボートたち_1
強力なタグボートたち_2
強力なタグボートたち_3
強力なタグボートたち_4
強力なタグボートたち_5
本日の公開対象艦
米第7艦隊ミサイル駆逐艦DDG-62フィッツジェラルド。勿論、イージス艦だ。
米第7艦隊ミサイル駆逐艦DDG-62フィッツジェラルド

 

金沢八景にて(3)

野島公園駅横の橋付近からの眺め
橋の反対側に目をやると、八景島シーパラダイスが見える
八景島シーパラダイスが見える_1
八景島シーパラダイスが見える_2
八景島シーパラダイスが見える_3
しじみをとっているのだろうか
しじみをとっているのだろうか
このおじさんは何をしているんだろう
このおじさんは何をしているんだろう
歌川広重画『平潟落雁(ひらがた の らくがん) - 平潟湾』
平潟落雁(ひらがた の らくがん) - 平潟湾
帰帆橋からの眺め
平潟湾を横断するシーサイドライン
歌川広重と同じような位置に立って撮ったように思うのだが、如何だろうか
平潟湾を横断するシーサイドライン
平潟湾内は結構な眺めだ
平潟湾内は結構な眺めだ_1
平潟湾内は結構な眺めだ_2
平潟湾内は結構な眺めだ_3
平潟湾内は結構な眺めだ_4
平潟湾内は結構な眺めだ_5
平潟湾内は結構な眺めだ_6
平潟湾内は結構な眺めだ_7
平潟湾内は結構な眺めだ_8
憲法草創の碑
『憲法草創の處』の揮毫
明治憲法起草遺跡記念碑
この記念碑は、現在地から南方200メートルの場所に、大正15年11月に建立されたものである。
当時、明治憲法草案起草の関係者であり記念碑の建立発起人の一人であった金子堅太郎の言によれば、その場所は、伊藤博文の別荘の草庵起草の室にあてられた12畳半の部屋であったという。
記念碑は、太平洋戦争後荒廃していたが、当時この地で創業していた富士自動車株式会社の手によって、一部原形を変えて改修され昭和26年2月再度除幕された。
このたび、元の位置を含む一帯が、日産自動車株式会社に帰属することとなったので同社と協議のうえ現在地に移設させ、明治憲法草案起草の遺跡を示す唯一の記念碑として永く後世に伝えようとするものである。
ちなみに、この碑の外面は、76個の石からなるが、これは明治憲法の76箇条を意味し、基石の縦横各22尺2寸1分1厘の長さは、憲法発布の明治22年2月11日を示したものである。
 昭和50年4月26日
 横須賀市

明治憲法起草遺跡記念碑_1
明治憲法起草遺跡記念碑_2
円通寺客殿
結構な歴史を秘めた家屋である。下記記述を参照されたい。
円通寺客殿を解説しているサイトにjump
円通寺客殿

以上で、『金沢八景にて』のミニシリーズは終了です。最後まで、ご覧頂き有難うございます。
いずれかの機会に瀬戸神社、称名寺などを含めたもう少し深いレポートをしたいものです。

 

金沢八景にて(2)

平潟湾にそって歩き出す。暫くは海が見える。

海辺を見ながら
釣り船
ずらり並んだ様は、壮観なものだ
釣り船
奥に琵琶島神社とシーサイドラインの始発駅『金沢八景駅』が見える
奥に琵琶島神社とシーサイドラインの始発駅『金沢八景駅』が見える_1
シーサイドラインの車両は間もなく金沢八景駅終点かな
間もなく金沢八景駅終点かな_1
間もなく金沢八景駅終点かな_2
間もなく金沢八景駅終点かな_4
少し海から離れた道にて
水上バイクも運搬されていた
水上バイクも運搬されていた
謂れの有りそうなお地蔵様も
謂れの有りそうなお地蔵様も_1
謂れの有りそうなお地蔵様も_2
この辺の穴子は最も美味しい穴子だと言われる。ごくっと唾を飲み込まねば。
この辺の穴子は最も美味しい穴子だと言われる
用事を終えた後
シーサイドライン野島公園駅
シーサイドライン野島公園駅
歌川広重画『野島夕照(のじま の せきしょう) - 野島夕照橋付近』
野島夕照(のじま の せきしょう) - 野島夕照橋付近
乗り合いの釣り船が戻ってきた
乗り合いの釣り船が戻ってきた_1
乗り合いの釣り船が戻ってきた_4

 

金沢八景にて(1)

金沢八景に所用があり、シーサイドラインで1駅くらいのところだったので、歩いてみることにした。その時に見た景色を3回に分けて紹介する。今回はすべてFIJIFILM X-20で撮影した。初回分は、やけに暗く写っているが、実際の空模様もそんな感じだった。幸い用を足している内に天気が回復してきて、後になると明るい画面に変わったので、少しホッとした。

歌川広重画『瀬戸秋月(せと の しゅうげつ) - 瀬戸神社』
瀬戸秋月(せと の しゅうげつ) - 瀬戸神社
琵琶島神社
時間が少々あったので、立ち寄ってみた。なかなか立派なところだったので、ちょっと感激した。鎌倉幕府ゆかりの土地だったんだなあ。本来は国道16号を挟んで向かいの頼朝ゆかりの瀬戸神社をも見なくては、片手落ちどころの話ではないが、そこまでの時間的余裕はなかった。
福石
福石
琵琶島神社の謂われ
琵琶島神社の謂われ
参道
参道は平潟湾にまっすぐ伸びている
参道は平潟湾にまっすぐ伸びている_1
参道は平潟湾にまっすぐ伸びている_2
ここからが神域
ここからが神域ということだろう。左端に見える白い枯木が、枯れ木になってから300年経過するという柏槙(ビャクシン)だろうか。
ここからが神域ということだろう
社殿
社殿_1
社殿_2
社殿_3
この辺りからの景色
すごくキレイ。八景の名前も伊達じゃないと実感した。
シーサイドラインの始発駅『金沢八景駅』
始発駅『金沢八景駅』_1
始発駅『金沢八景駅』_2
始発駅『金沢八景駅』_3
平潟湾のヨット、ボート等
小網代湾のそれと同じく、そこまでどうやって行くかが大問題。シーサイドラインが前方を横切って、八景島方面へ走る。
そこまでどうやって行くかが大問題
シーサイドラインが動き出した
シーサイドラインが動き出した_1
シーサイドラインが動き出した_2
シーサイドラインが動き出した_3
シーサイドラインが動き出した_4
シーサイドラインが動き出した_5
<高級料亭千代本
高級料亭千代本
漁船や釣り船がたくさん
漁船や釣り船がたくさん_1
漁船や釣り船がたくさん_2
漁船や釣り船がたくさん_3

 

シーボニア&小網代湾(4)

小網代湾

小網代湾内にも、係留してあるヨットがたくさん
決して安くはなさそうだし、係留する権利の取得も大変だとのこと。鳥の糞まみれになる可能性があるし、海水に浸したままでは傷みも早く来るだろう。ヨットまで往復するための手こぎボートをも用意する必要があろう。これはこれで大変そうだ。
小網代湾内にも、係留してあるヨットがたくさん
目につく建物
塩害を考えると、維持管理が大変そうだ。それでも快適なことだろう。
目につく建物_1
目につく建物_2
目につく建物_3
シーボニアとの境
釣り船がズラリ。船尾側が小網代湾の湾奥部になる。今日は釣り客のお呼びがかからなかったようだ。
シーボニアとの境
もう少し湾奥部に寄った辺り
漁船かな、釣り船かな。以前来た時、漁船の着桟シーンを見た。此処には魚市場のようなものはない。獲ってきた魚は軽トラックに乗せて、どこかに運んでいた記憶が。一体何処へ納めるのだろうかと気になったんだ。
もう少し湾奥部に寄った辺り_1
もう少し湾奥部に寄った辺り_2
もう少し湾奥部に寄った辺り_3
もう少し湾奥部に寄った辺り_4
テングサは天日乾燥中
テングサは天日乾燥中
漁船はこうした傾斜地に上げることができるが、ヨットは下部に出っぱりがあるからそうはいかない。錨を下ろして係留し、前述のように小舟で行き来するしかない。
もう少し湾奥部に寄った辺り_5
もう少し湾奥部に寄った辺り_6
もう少し湾奥部に寄った辺り_7
もう少し湾奥部に寄った辺り_8
もう少し湾奥部に寄った辺り_9
もう少し湾奥部に寄った辺り_10
湾奥部から見た湾口部の景色
シーボニアが最高のロケーションにあることがわかる。小網代湾は非常に景観が良い。用もないのに行きたくなるところだ。
津波が来た時も湘南の海岸のように、太平洋から大波がまともに来るのと違い、90度ずれている分、安全度が高いかもしれない。

湾奥部から見た湾口部の景色_1
湾奥部から見た湾口部の景色_2
此処にも釣り船が
釣り客の需要はものすごくあるようだ
此処にも釣り船が_1
此処にも釣り船が_2
この辺が最奥部
この辺が最奥部_1
この辺が最奥部_2

以上で、『シーボニア&小網代湾』のミニシリーズは終了です。最後までご覧頂き有難う御座いました。

 

シーボニア&小網代湾(3)

こちらのクレーンは至って簡単な方法で吊り下ろしていた
まずは船体を海面の上に移動させ、徐々に下ろしていく
徐々に下ろしていく_1
徐々に下ろしていく_2
岸壁と同じ高さに
岸壁と同じ高さに
乗客が乗り込み始めた。乗り合い仕立てのようだ。
乗客が乗り込み始めた_1
乗客が乗り込み始めた_2
ステップと船べりとの間には結構なギャップがあったようだ。私の足が届かなかったりしたら、非常に恥ずかしいな。
ステップと船べりとの間には結構なギャップがあった_1
ステップと船べりとの間には結構なギャップがあった_2
予定者全員が乗船後、更に吊り下ろす。皆、救命胴衣を着用しているかな?
気が付かなかったが、前方でもクレーンがほぼ同時に吊り下ろされていたんだ。
予定者全員が乗船後、更に吊り下ろす
方向転換していざ出航。ついでにヨットの先にいるおじさんたちを記憶しておいていただきたい。
方向転換していざ出航_1
方向転換していざ出航_2
方向転換していざ出航_3
楽しんでおいで
楽しんでおいで_1
楽しんでおいで_2
楽しんでおいで_3
楽しんでおいで_4

こっちはお気楽モード全開の様子
先ほどヨット『RESOCHA』とほぼ同タイミングで吊り下ろされた小型船舶だな
こっちはお気楽モード全開の様子_1
こっちはお気楽モード全開の様子_2
こっちはお気楽モード全開の様子_3

 

シーボニア&小網代湾(2)

シーボニア(2)
ヨットの帰還はこんなふうに行われる

一旦、ガントリークレーン前を通り過ぎる
一旦、ガントリークレーン前を通り過ぎる_1
一旦、ガントリークレーン前を通り過ぎる_2
一旦、ガントリークレーン前を通り過ぎる_3
ガントリークレーンが待ち構える。吊り上げ用の緑のベルトは、両側にある青いバーを十分に下に下ろすことによって、予めクリーク内に沈めておき、その上をヨットが通るようにするようだ。
ガントリークレーンが待ち構える
方向転換して目の前を通過
方向転換して目の前を通過_1
方向転換して目の前を通過_2
見ものの作業が始まる
クリークに入る
クリークに入る_1
係員が竿でヨットの船腹を擦らないように制御している。黒のお兄さんが係員に仮留め用のロープを投げようとしている。
クリークに入る_2
クリークに入る_3
オレンジのロープを岸壁に投げ上げた
オレンジのロープを岸壁に投げ上げた
あの白い板は何?
あの白い板は何?
緑のベルトで船腹が汚れないようにしているのかな?
緑のベルトで船腹が汚れないようにしているのかな?
ガントリークレーンで持ち上げる
ガントリークレーンで持ち上げる_1
ガントリークレーンで持ち上げる_2
ガントリークレーンで持ち上げる_3
岸壁と同じ高さになった時、はしごが渡された。これで荷物をおろし、最終的にはクルーも下船する。
岸壁と同じ高さになった_1
岸壁と同じ高さになった_2
岸壁と同じ高さになった_3
岸壁と同じ高さになった_4
岸壁と同じ高さになった_5
積み下ろし漏れがないか確認
積み下ろし漏れがないか確認
クルーが下船。あとはお任せ。
クルーが下船
本格的に船体を引き上げる
本格的に船体を引き上げる
キールやスクリューが見える。スクリューはヨットの場合、あったとしてもあくまで補助程度のものなんだなあ。キールは今はボードじゃないものもあるんだ。
キールやスクリューが見える
前進させ、あの置き台に置くんだな。
前進させ、あの置き台に置くんだな_1
前進させ、あの置き台に置くんだな_2
前進させ、あの置き台に置くんだな_3

 

シーボニア&小網代湾(1)

シーボニア(1)
シーボニアは高級マリーナだ。『大人の隠れ家リゾート』と謳っている。確かにそんな感じだ。いつも羨ましく思いながらも、…

見えてきたシーボニアのリゾートマンション
見えてきたシーボニアのリゾートマンション_1
見えてきたシーボニアのリゾートマンション_2
見えてきたシーボニアのリゾートマンション_3
陸揚げしたヨットなど
羨ましいの一言に尽きる
陸揚げしたヨットなど_1
陸揚げしたヨットなど_2
陸揚げしたヨットなど_3
陸揚げしたヨットなど_4
駐車中の高級乗用車
ついでに言えば、こちらも十分に羨ましい
駐車中の高級乗用車_1
駐車中の高級乗用車_2
駐車中の高級乗用車_3
優雅なマリンライフかなあ
こいつは八丈島くらいまではひとっ走りかなあ。思い切り優雅なマリンライフが楽しめることだろう。
優雅なマリンライフかなあ_1
でも私にはこちらのほうが良い
優雅なマリンライフかなあ_2
私に手が出せそうなものは、せいぜい…だが。見ると簡単そうでも、結構疲れるんだろうなあ。
私に手が出せそうなものは、せいぜい_1
私に手が出せそうなものは、せいぜい_2
私に手が出せそうなものは、せいぜい_3
私に手が出せそうなものは、せいぜい_4
私に手が出せそうなものは、せいぜい_5
本当はこんなふうに見えるはず
2013年3月12日撮影のもの。見えればこんなふうに大迫力なんだけど。至近距離にある荒崎海岸からも同等以上に見えるはずだ。
本当はこんなふうに見えるはず
施設案内図
施設案内図
壮観だ
壮観だ_1
壮観だ_2

 

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