散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

武相荘(2)

長屋門を潜った先
お茶処と母屋とが見えてきた
お茶処と母屋とが見えてきた
母屋
母屋_1
母屋_2
瓦屋根だと鬼瓦のある位置には、『壽』の字があしらわれている
瓦屋根だと鬼瓦のある位置には、『壽』の字があしらわれている_1
瓦屋根だと鬼瓦のある位置には、『壽』の字があしらわれている_2
沈船から引き上げられた壺『潮揚がりの常滑』に活けられたカエデ
『潮揚がりの常滑』_1
『潮揚がりの常滑』_2
その真上には雰囲気のある灯りが
雰囲気のある灯り
土間からの眺め
土間からの眺め
母屋からお茶処、第2ギャラリー、長屋門を眺める
母屋からお茶処、第2ギャラリー、長屋門を眺める_1
母屋からお茶処、第2ギャラリー、長屋門を眺める_2

 

武相荘(1)

いろいろな方が紹介されている武相荘に出かけてみた。梅雨明け後の猛暑日に出かけて相当にへばった。そんなことは些細な事でどうでも構わない。熱中症発症をも覚悟していった白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅は、実に素晴らしい佇まいの邸宅だった。
外観のみの撮影が許可されているだけなので、写真を数多く撮るわけにはいかなかった。其のことだけがちょっと残念だったが。
しかし、この邸宅を『ぶあいそう』と読ませるのには、少々驚いた。

武相荘(ぶあいそう)とは、東京都町田市にある白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅。現在は「旧白洲邸・武相荘」として、記念館・資料館となり一般公開されている。館長は白洲夫妻の長女・牧山桂子。武相荘の名の由来は「武蔵の国と相模の国の境に位置する」事と「無愛想」を掛けたもの。
武相荘の間取り
受付を過ぎた辺り
受付を過ぎた辺り_1
受付を過ぎた辺り_2
この自動車は白洲次郎が初めて乗った車と同型車
白洲次郎の愛車は英国留学時代のBentley 3Litreという車が有名だが、此処に展示してあるのは、1916年型ペイジSix-38。白洲次郎が初めて乗った車と同型のアメリカ車だそうだ。2008-9年のNHKドラマスペシャル「白洲次郎」のために輸入されたものとのこと。
白洲次郎が初めて乗った車と同型のアメリカ車_1
白洲次郎が初めて乗った車と同型のアメリカ車_2
白洲次郎が初めて乗った車と同型のアメリカ車_3
白洲次郎が初めて乗った車と同型のアメリカ車_4
白洲次郎が初めて乗った車と同型のアメリカ車_5
長屋門と柿の木
どちらも、夫妻がこの物件を入手した時から存在していたものだそうだ。勿論、母屋も存在していた。
長屋門と柿の木_1
長屋門と柿の木_2
長屋門と柿の木_3
長屋門と柿の木_4
長屋門と柿の木_5
セミの抜け殻を見つけた。もうそんな時期なんだ。
長屋門と柿の木_6
長屋門と柿の木_7

 

荒崎海岸近辺を歩く(7)

荒井湾(荒崎バス停前)から長井港に向かって歩く
少し長井に寄ったところからの荒崎海岸方面の眺め
アラサキシップヤードと水産総合研究センター(独立行政法人)中央水産研究所横須賀庁舎などが見える。テントがいくつか見えるが、公園の手前で手軽に楽しんでいる人たちのものだ。本当の磯は岬の裏側になる。
少し長井に寄ったところからの荒崎海岸方面の眺め
長井に寄ったところの磯
比較的泳ぎやすそうな磯だ。かつて私が泳いでいたのは、此処だっただろうか。
比較的泳ぎやすそうな磯
テングサだ
最初はこんな色をしている。水にさらし、天日乾燥させることを何回か繰り返し、退色して白色になったものを乾燥させたものが、漸くお料理に使われる。案外手間がかかっているのだ。
売り物にするにはこれくらいの分量ではどうしようもない。子供の頃に故郷の磯で私が1回に採取したくらいの量だろうか。

テングサ
新宿地区の祭りの準備
往きのバスから準備風景が見えたので行ったのだが、残念ながらブルーシートが掛けられていた。もしかしたら、屋台が見られるかと期待したのだが。
新宿地区の祭りの準備
これは何?
新宿港にある機械装置だが、未だに何に使用するものだかわからない。たまたま通る時間帯が良くないのか、使用しているシーンを見たことがない。クレーンなのかなと思っているのだが。
これは何?
長井水産
長井港で水揚げされた魚介類を直売しているようだ。バスの到着時刻が迫っていたし、保冷袋などの持ち合わせもなかったので、買い物はできなかった。磯野波平さんだったら立ち寄ったかも。
長井水産_1
通りすがりにちら見した限りではシコイワシのようだった
長井水産_2
長井水産_3
長井水産_4
長井港
この近隣では一番規模の大きな漁港だ。
長井港_1
長井港_2
長井港_3
金属パイプの先からは冷蔵用の砕氷が出てくる
長井港_4
釣り船『長助丸』がちょうど戻ってきた。釣果のほどはどうだったのか。カツオなどが釣れたのだろうか。
長井港_5
長井港_6
ヨットのおじさんたちはこれからご出陣かな
長井港_7

以上で、『荒崎海岸近辺を歩く』のミニシリーズは終了です。最後までご覧頂き有難う御座いました。

 

荒崎海岸近辺を歩く(6)

アラサキシップヤード
いいなあ。一度乗ってみたいものだ。前回来た時は、手前の小さな湾にダイサギなどが居たのだが、今回はトビくらいしか居なかった。
アラサキシップヤード_1
アラサキシップヤード_2
アラサキシップヤード_3
アラサキシップヤード_4
佐島マリーナかな
佐島マリーナかな
これが何かわかるだろうか
今はモーターで引き上げているんだ
相当強力なもののようだ
今はモーターで引き上げているんだ_1
今はモーターで引き上げているんだ_2
今はモーターで引き上げているんだ_3
今はモーターで引き上げているんだ_4
今はモーターで引き上げているんだ_5
今はモーターで引き上げているんだ_6
今はモーターで引き上げているんだ_7
熊野神社
土地の人が「ごんげんさま」と呼ぶ、長井全町の総鎮守です。
創建は建久年間(1190~1199)源義経の家臣、鈴木重家の長男・家長がこの地に古里紀州熊野権現を勧請したとも伝えられています。
石段脇の碑には、石段造成に寄進した江戸日本橋の魚問屋、干物問屋の名が刻まれ、漁業関係者の熊野信仰と長井、江戸とのつながりがしのばれます。
7月15日の例祭日には「飴屋踊り」(横須賀市指定の民俗文化財)が奉納されます。
若衆歌舞伎の形を残すもので、江戸末期に房総から漁師によって長井村へ伝えられたとも、明治・大正期に、飴屋が飴を売りながら村々の祭りにこの踊りを広めたともいわれています。

通りから見た様子
熊野神社_鳥居
狛犬
熊野神社_狛犬_1
熊野神社_狛犬_2
神社社屋
神社社屋
境内からの眺め
境内からの眺め_1
境内からの眺め_2
境内からの眺め_3

 

荒崎海岸近辺を歩く(5)

磯の中のハイキングコース『潮騒の道』
見事な海蝕台だ。若い人にはなんでもなく歩くことができようが、膝を痛めている私にはちょっと厳しい。カメラを壊したりしないか心配でならなかった。
見事な海蝕台_1
見事な海蝕台_2
見事な海蝕台_3
私の腹でシャッターが押されたようだ。(^_^;)
見事な海蝕台_4
見事な海蝕台_5
見事な海蝕台_6
見事な海蝕台_7
コンクリが渡してある箇所はごく少ない。足元に気をつけながら歩くしか無い。
コンクリが渡してある箇所はごく少ない_1
コンクリが渡してある箇所はごく少ない_2
コンクリが渡してある箇所はごく少ない_3
弁天島
このくらいの勾配ならば易易と上がることができたはずなのだが。
弁天島_1
弁天島_2
弁天島_3
スカシユリもいっぱい
スカシユリもいっぱい_1
スカシユリもいっぱい_2
スカシユリもいっぱい_3
スカシユリもいっぱい_4
スカシユリもいっぱい_5
スカシユリもいっぱい_6
スカシユリもいっぱい_7
スカシユリもいっぱい_8
スカシユリもいっぱい_9
更にその先
更にその先_1
更にその先_3
更にその先_4
パワーボートのお出ましだ
パワーボートのお出ましだ

もう少し行くと、小栗湾や和田長浜(なはま)海岸へと続くようだが、この後に、長井港辺りまで歩くつもりだったので、この辺で引き返すことにした。

 

荒崎海岸近辺を歩く(4)

『どんどんびき』のすぐ隣りの『見晴台』
ここから見える景色は一見の価値あり
海蝕台はすごいの一言に尽きる
『見晴台』からの一見の価値ある景色_1
『見晴台』からの一見の価値ある景色_2
『見晴台』からの一見の価値ある景色_3
『見晴台』からの一見の価値ある景色_4
『見晴台』からの一見の価値ある景色_5
スケッチに励んでいるおじさんがいた。怖くはないのかなあ。ブルブル
スケッチに励んでいるおじさん_1
スケッチに励んでいるおじさん_2
此処にも咲いていた
此処にも咲いていた_1
此処にも咲いていた_2

磯へと下る道
先ほどの見晴台の隣に位置する。干潮時はぜひとも磯に降りて歩くべきところだ。
磯へと下る道_1
磯へと下る道_2
十文字洞などの海蝕洞
十文字洞などの海蝕洞_1
十文字洞などの海蝕洞_2
十文字洞などの海蝕洞_3
十文字洞などの海蝕洞_4
十文字洞などの海蝕洞_5
やはり釣りをしている人が多い
やはり釣りをしている人が多い_1
やはり釣りをしている人が多い_2
やはり釣りをしている人が多い_3
やはり釣りをしている人が多い_4
やはり釣りをしている人が多い_5

 

荒崎海岸近辺を歩く(3)

『潮風の丘』
水上バイクをすっ飛ばしている。本人たちは気分爽快なんだろうけど、他の人たちは眉をひそめているんだろうな。特に釣りをしている人たちは。
水上バイクをすっ飛ばしている_1
水上バイクをすっ飛ばしている_2
水上バイクをすっ飛ばしている_3
カヌーと釣りと何方のほうが楽しいのだろう
カヌーと釣りと何方のほうが楽しいのだろう
こちらは『漁業権監視船』
漁業権監視船_1
漁業権監視船_2
見晴台になっている
見晴台になっている
真下の磯の様子
荒崎海岸周辺の岩石は、白と黒の層が積み重なって出来ているのが特徴的。説明板によれば、黒くて固い凝灰岩と、白くて柔らかい頁岩から出来ていて、数千万年もの長い年月をかけて、大自然の力によって変化して来たもの。特徴のある海蝕台だ。何となくミルフィーユのように見えてしまうのは食いしん坊のいけないところだろうか。
真下の磯の様子_1
真下の磯の様子_2
真下の磯の様子_3

『どんどんびき』
海水がドドーッと押し寄せてきたかと思うと、あっという間に、どんどん引く。その様子がそのまま名前になったようだ。
『どんどんびき』_1
『どんどんびき』_2
『どんどんびき』_3
『どんどんびき』_4
一番手前のエメラルド色の水の帯のところが『どんどんびき』だ。その他にも、ちょっと先に見えているような『海蝕洞』がいたるところにある。
『どんどんびき』_5
スカシユリかな?ハマカンゾウかな?
スカシユリかな?ハマカンゾウかな?_1
スカシユリかな?ハマカンゾウかな?_2

 

荒崎海岸近辺を歩く(2)

『夕日の丘』と『潮風の丘』の間にある磯
たいていの行楽客はここで楽しむ
たいていの行楽客はここで楽しむ
『夕日の丘』から見た様子
『夕日の丘』から見た様子_1
『夕日の丘』から見た様子_2
『夕日の丘』から見た様子_3
『夕日の丘』から見た様子_4
『夕日の丘』から見た様子_5
『夕日の丘』から見た様子_6
『夕日の丘』から見た様子_7
『夕日の丘』から見た様子_8
『夕日の丘』から見た様子_9
『夕日の丘』から見た様子_10
『夕日の丘』から見た様子_11
公園敷地から見た様子
公園敷地から見た様子
『潮風の丘』から見た様子
『潮風の丘』から見た様子_1
『潮風の丘』から見た様子_2
『潮風の丘』から見た様子_3
『潮風の丘』から見た様子_4
『潮風の丘』から見た様子_5
『潮風の丘』から見た様子_6
『潮風の丘』から見た様子_7

 

荒崎海岸近辺を歩く(1)

荒崎海岸に出かけた。その時はちょうど干潮時だったようで、ゴツゴツした岩肌が視界いっぱいに拡がり不思議な空間を見せていた。
なお、好天の日に見える可能性のある富士山や伊豆半島は残念ながら見える状況にはなかった。


荒崎バス停付近
ここから荒崎公園までは徒歩数分というところだ。目の前の入江に面して小さなマリーナがあるようで、大きなプレジャーボートなどが置かれている。
荒崎バス停付近_1
EOS M2の超広角を13.0mmにして撮るとこんなふう
荒崎バス停付近_2
まだ、本当の荒崎公園には到着していないが、この辺りで手軽に楽しんでいる人たちが少なからずいた。もったいない感じもしないではない。尤も、私が高校生の時分は遥か手前の岩礁のあたりで一人で泳いでいたが。
公園手前の磯でもかなりの人が楽しんでいた
ノウゼンカズラがおいでおいでしていた
ノウゼンカズラ

荒崎公園内
はまゆうが咲いていた
はまゆう_1
はまゆう_2

『夕日の丘』
本来は富士山も見えるはずなのにあいにくの眺望だった
『夕日の丘』_1
『夕日の丘』_2
沖合ではヨットのレースが行われていたようだった。あれが趣味の人にはたのしいく胸躍る時間なんだろうなあ。
沖合ではヨットのレースが行われていた_1
沖合ではヨットのレースが行われていた_2
この船は釣り船なのかなあ。船名は『さかなみ』と書かれてある。
この船は釣り船なのかなあ
この肉厚の葉の花は何だろう。花蔓草(ベビーローズ)だろうか。
花蔓草(ベビーローズ)だろうか_1
花蔓草(ベビーローズ)だろうか_2
花蔓草(ベビーローズ)だろうか_3

 

剱埼灯台界隈を歩く(5)

松輪地区夏祭りの様子(2)
4基目の『捧坪』はのんびりリラックスしている
4基目の『捧坪』はのんびりリラックスしている_1
4基目の『捧坪』はのんびりリラックスしている_2
5基目の『八ツ堀』ものんびりリラックスしている
5基目の『八つ堀』ものんびりリラックスしている
6基目の『池田』はやや荒ぶっていた
6基目の『池田』はやや荒ぶっていた_1
6基目の『池田』はやや荒ぶっていた_2
車を通行させている時に動かしては危ないぞ
車を通行させている時に動かしては危ないぞ_1
車を通行させている時に動かしては危ないぞ_2
漸く動きを止めたようだ
漸く動きを止めたようだ_1
漸く動きを止めたようだ_2
7基目の『に』は殿かな
7基目の『に』は殿かな_1
7基目の『に』は殿かな_2
7基目の『に』は殿かな_3
7基目の『に』は殿かな_4

本当はこれからが本番のようだが、そんなにいつまでも見ていられない。残念だが、ここで引き揚げることにした。

こんなものもあった
石造物
年号を見ると、『天明』『寛政』とかある。よく残っていたものだ。花などが供えられて石造物もまんざらではなさそうだ。平和でのどかな地区なのかなあ。
石造物_1
石造物_2
石造物_3
石造物_4
石造物_5
小玉スイカも
美味しそう
小玉スイカも_1
小玉スイカも_2
看板
ここは『関東ふれあいの道』に指定されている神奈川県内17コースの内の1番目に指定されているコースのようだ。私が歩いた道とは殆んどかぶらないハードなコース。
ゴツゴツと岩礁だらけの道は足場が良くなさそうだ。全コースを歩くと、それなりに時間がかかりそう。途中で引き返すときもかなり時間がかかるから、それなりの気構えが必要そうだ。
それでも毘沙門天や盗人狩には、ぜひ行ってみたいものだ。

看板

以上で、『剱埼灯台界隈を歩く』のミニシリーズは終了です。最後までご覧頂き有難う御座いました。

 

剱埼灯台界隈を歩く(4)

灯台からの帰り道
此処からも海が見える
あの建物からだと、まるで目の前がプライベート・ビーチのようだ。でも、あの地形だと、津波が来た時が心配だ。それだけでなく高潮などでも苦しめられそうだなあ。
此処からも海が見える
わかるだろうか
多分春キャベツの畑だと思うが、土の上に盛んに湯気がたっている。白っぽく見えるのがそうだ。ものすごく暖かい土地なんだと再認識させられる。土はかなり柔らかそうで、私もキャベツになってみたいくらいだ。
土の上に盛んに湯気がたっている
概して土地の高さはある程度ある。高いからこそ地上に残ったのだろう。しかし生活の場である海に行くには必ず下りねばならない。そういう道が必ずあり、かなり目立つ。
生活の場である海に行くには必ず下りねばならない

道を歩いていても風に乗って笛の音が聞こえてくる。祭りの様子が気になる。

松輪地区夏祭りの様子(1)
2年に一度行われる松輪地区の祭礼。神輿に替わり小さめの船形の山車を引く。松輪ならではの伝統が魅力的。『松輪神明社』に7基もの山車が揃うようだ。急坂を上り鳥居をくぐる時が最大の見所とのことだ。
剱崎バス停に戻ってきた。先ほどの山車というか屋台というか、それがまだ、待機していた。法被には『大』とあった。
法被には『大』とあった
この先にも何基か続いていそうな様子だ
この先にも何基か続いていそうな様子だ_1
この先にも何基か続いていそうな様子だ_2
見えてきた
見えてきた_1
見えてきた_2
『間口組』という法被の連中は先ほど見た間口港の辺りの人たちなのだろう。屋台をジグザグに動かしている。待っている時間の長さにイライラしてきたのだろうか。左の道に退避しているのは『谷戸』の人たち。すっかりリラックスしている。最初の1基と合わせて、この画面に2基目から5基目までが見えている。
『間口組』
『間口組』は荒ぶっている感じだ
何となく荒ぶっている感じだ
近寄ってみてみることにする。どうやら、フィナーレの急坂を上るためにわざと屋台を動かして慣れようとしているようだ。
フィナーレの急坂を上るための練習のようだ_1
フィナーレの急坂を上るための練習のようだ_2
フィナーレの急坂を上るための練習のようだ_3
フィナーレの急坂を上るための練習のようだ_4
フィナーレの急坂を上るための練習のようだ_5
ここまでで3基
ここまでで3基

 

剱埼灯台界隈を歩く(3)

剱埼灯台の下
想像できると思うが、例によって例のごとく剱埼灯台の下はゴツゴツした岩礁なのだ。意外と平気そうに振舞っているけど、大丈夫なのだろうか。
剱埼灯台の下_1
剱埼灯台の下_2
剱埼灯台の下_3
まあ、ここまでくれば、猫の額ほどだが砂浜もあり、安全度は高そうだ。
ここまでくれば
その先は間口漁港
この人のいる位置はこんなところだ。最初の写真だと危なそうな感じだが、背後を見ると安心して寛げる場所のようだ。
この人のいる位置_1
この人のいる位置_2
この人のいる位置_3
もう一度沖合に目をやると
パワーボートが釣り船の客達の顰蹙を買っているようだ
パワーボートが釣り船の客達の顰蹙を買っているようだ
再び灯台の様子
灯台の心臓部
フレネルレンズがよく見える。第2等フレネル式なんだそうだ。
灯台の心臓部
イソギクの葉かな
灯台は現在は無人での運用だ。観光地ではないので、私が行った時は予想通り誰も居なかった。車で来た人たちは全員釣り客のようだった。のんびりできてピクニックには最適かもしれないと思った。
イソギクの葉かな
灯台の表示プレート
次のように書かれていた。勿論旧字体で右から左に書いてある。それによると、改築後でも89年経過か。母の生年月日と1日違いなので、すぐ経過年数がわかってしまう。
剱埼燈臺
初點
明治四年一月十一日(新暦では3月1日)
震災改築
大正十四年七月四日

灯台の表示プレート
向こうの崖の様子
結構な崖の上なのだ。電波塔の根元には小さな建物もあるんだ。維持管理作業を行うには必要不可欠な小屋なのだろう。
向こうの崖の様子_1
向こうの崖の様子_2
向こうの崖の様子_3
上空からの様子
GoogleMapの画像
上空からの様子

 

剱埼灯台界隈を歩く(2)

中波無線標識局へ至近の地点に到達
中波無線標識局のクローズアップ
前回、カニさんの頭のようなものは、中波無線標識局の電源設備のようなものと書いた。近くで見るとこんな構築物だった。
カニさんの頭のようなもの
そしてコチラは、電波送出塔だと思う
電波送出塔
灯台と同じ丘に位置するのかと思っていたが、近づくと入江1つ分離れていた
入江1つ分離れていた
灯台への丘へ向かう
いよいよ灯台への丘への上り道に差し掛かる。この灯台は観音崎灯台への急勾配の道よりははるかに楽な道だ。
灯台への丘への上り道に差し掛かる
灯台への丘から先ほどの中波無線標識局を眺める
灯台への丘から先ほどの中波無線標識局を眺める_2
向こうの丘とこちらの丘との間はこんなふう。よく調べては居ないが、あの辺りは岩礁伝いにずっと先まで歩いていけるようだ。ただし、事故に遭遇するかもしれないが、飽くまでも自己責任の世界だ。
向こうの丘とこちらの丘との間はこんなふう
灯台に到着
灯台の説明板
灯台の説明板
灯台が真ん前に見えた
灯台が見えた_1
灯台が見えた_2
灯台が見えた_3
灯台が見えた_4
灯台が見えた_5
この海域はかろうじて東京湾内ということにはなるが、外洋(太平洋)といっても差し支えない海域だ。遮るものなど皆無で、小さな釣り船などの揺れは相当なものと思うが、何とか頑張っているようだ。船酔いをもモノとせず釣り上げた魚はさぞかし美味しい魚なのだろう。しかし、海面がこんな穏やかな日もあるんだなあ。
東京湾内ということにはなるが
房総半島側だと思う。貨物船もヨットもプレジャーボートも釣り船も揃い踏み状態だった。
貨物船もヨットもプレジャーボートも釣り船も揃い踏み状態だった

次回は崖の下の様子などから続ける予定

 

剱埼(つるぎさき)灯台界隈を歩く(1) 2014.07.19 20:57追記

この灯台と対岸の房総半島南西端にある洲崎とを結ぶ線が浦賀水道、つまり東京湾の南限で、伊豆大島とを結ぶ線は相模灘の東限となっている。外洋に面しているから、当然のことながら少しでも時化れば波は荒い。今回は、この灯台界隈を歩いてみた。
萬治(1660年)頃、徳川幕府の官材を積んだ船が、岬の沖で難破したとき、岬の突端から海南神社の神主が剣を海に投じ、龍神の怒りを鎮めたことから、剱埼の名がついたという。
その後、地元では剣崎(けんざき)と読んでいたようだが、昔ながらの地名に戻そうという運動が起こり、再び「剱崎(つるぎざき)」の名称に統一するようになったそうだ。私の認識は剣崎(けんざき)のままで止まっていたので、いつの間にか読み方が違っているのにびっくりした次第。


剱崎(地名にはこの『崎』の字が使われ、灯台名には『埼』の字が使われる)バス停から灯台へ向かう
今日は地元のお祭日のようだ
帰るときにじっくり見ることにして、ひとまずはパスすることにした
今日は地元のお祭日のようだ_1
今日は地元のお祭日のようだ_2
今日は地元のお祭日のようだ_3
のどかな土地
三浦市はかなりのどかな土地だ。そのことを実感する。
のどかな土地_1
のどかな土地_2
スイカ畑かなあ
のどかな土地_3
こちらはかぼちゃかなあ
のどかな土地_4
途中見えてきた入江の様子
間口漁港らしい。霞んで見えるのは千葉県の先端部か。鋸山かなあ。
途中見えてきた入江の様子_1
途中見えてきた入江の様子_2
途中見えてきた入江の様子_3
かなり歩いた末に剱埼灯台が見えてきた
気がついたらてくてく歩いているのは私だけ。他の人はバイク野郎かマイカー組ばかり。まれにサイクリストもいる。
剱埼灯台が見えてきた
中波無線標識局も見えてきた
灯台が見えてくるとすぐ近くにあるこれが気になる。中波無線標識局なのだそうだ。
中波無線標識は、中波帯の周波数を用いた中・近距離用の電波標識で、無線標識局から全方向に均一な電波を発射しています。船舶は方向探知機を用いてこの電波を受信し、電波の到来方向(無線標識局の方向)を知ることができます。
海上の無線標識局には、285kHz~325kHz(長/中波帯)の周波数が使用されており、有効範囲は200kmです。
無線標識局から発射された電波は、全方向に飛んで行くので、船の方向探知機で方位を測ると、その電波がどの方向から飛んできたのかが分かります。
船が、近くのもう一つの無線標識局から発射されている電波を同じようにして測ると、船の位置はこの二つの線の交わったところにあることが分かります。

以前はそうだったようだが、現在はディファレンシャルGPSによるディファレンシャルデータを中波の電波に乗せて送信しているようだ。手軽で、正確になったようだ。
中波無線標識局も見えてきた
灯台が少し大きく見えてきた
灯台が少し大きく見えてきた
貫禄のログハウス
随分貫禄があるログハウスだとカメラを向けた途端に鳥の一団がフレームを横切った。トビにでも脅かされたのだろうか。
貫禄のログハウス_1
貫禄のログハウス_2
更に近づいたが却って見難い
更に近づいたが却って見難い
見えてきた近くの様子
ものすごいフォルム。迫力満点だ。
見えてきた近くの様子
漸く中波無線標識局の全貌が
左側の高いものはだれでもわかるだろうが、その右に少し離れたところにあるカニの頭みたいな構築物は何だろうか。駐車場のおじさんの説明では、電源設備のようなことだったが。徒歩なので駐車場を利用するわけでもないのに、聞きに行った図々しさは何としよう。
漸く中波無線標識局の全貌が
本当に近くに見える
当たり前だろうが、避雷針がきちんと設置されているんだなあ。
本当に近くに見える

 

ランドマーク展望フロア・スカイガーデンと神奈川県県庁本庁舎屋上と(4)

待望の神奈川県庁本庁舎屋上に上った。大した高さではないから怖くないと油断していたが、意外に屋上の転落防止の壁の高さが低く、ちょっと油断すれば転落してしまう感じがあった。高所恐怖症の私は、足が竦んでどうしようもない情けない状態に陥った。

神奈川県庁本庁舎屋上にて
屋上から見た横浜市開港記念会館(ジャックの塔)
もう少し寄らんかい。そうお叱りの声が聞こえそうだ。近いあたりにはロープが張ってあって、『立入禁止』の表示があった。ロープを超えるのはいとたやすいことだが、多分屋上の屋根の状態が良くなくて、そういう措置をとっているのだろう。それにしても、いつ見ても惚れ惚れする建物だ。
屋上から見た横浜市開港記念会館(ジャックの塔)_1
屋上から見た横浜市開港記念会館(ジャックの塔)_2
横浜情報文化センター
入ったことがないビルだ。何があるんだろうか。
横浜情報文化センター
屋上そのものの様子
手入れ状態は良くないがミニ花壇になっているようだ
屋上そのものの様子_1
この部分が天辺だ
屋上そのものの様子_2
屋上そのものの様子_3
撮影スポットとしては如何
大桟橋ほかがみえる
大桟橋ほかがみえる
QE2寄港時には絶好の撮影スポットになりそうだ。ただし、少し長めのレンズのほうが良さそうだ。
QE2寄港時には絶好の撮影スポットになりそうだ_1
QE2寄港時には絶好の撮影スポットになりそうだ_2
SCANDIAが入る横浜貿易協会ビルやシルクセンターなどが見える
横浜貿易協会ビルやシルクセンターなどが見える_1
横浜貿易協会ビルやシルクセンターなどが見える_2
クイーンの塔(横浜税関)や赤レンガが
クイーンの塔(横浜税関)や赤レンガが_1
クイーンの塔(横浜税関)や赤レンガが_2
再び下から見た横浜市開港記念会館(ジャックの塔)
県庁本庁舎玄関から
県庁本庁舎玄関から
道路から
道路から_1
道路から_2

非常にあっけない感じですが、以上で『ランドマーク展望フロア・スカイガーデンと神奈川県県庁本庁舎屋上と』のミニシリーズは終了です。最後までご覧頂き有難う御座いました。

 

ランドマーク展望フロア・スカイガーデンと神奈川県県庁本庁舎屋上と(3)

地上に降りて、神奈川県庁本庁舎へ向かうことにする

途中の道からの眺め
ランドマークタワー
観音崎からも見えるくらいのノッポビルだ。真下から見上げるととてつもなく大きくそびえ立つ感じだ。
ランドマークタワー
反対側を向くと
おなじみの日本丸がいる。展望室の真下に見えたはずなのに、怖くて覗く勇気が出なかった。
おなじみの日本丸_1
おなじみの日本丸_2
おなじみの日本丸_3
おなじみの日本丸_4
おなじみの日本丸_5
引込線の跡
そこが現在は遊歩道になっている。非常に気持ちが良いので歩いてみることを強くお勧めする。このまま行くと、赤レンガ倉庫を通り、大桟橋までつながる。
引込線の跡
旧帝産倉庫あたりから
ここだけが殺風景になったままなのだ。何とか早く決着させてほしいものだ。
旧帝産倉庫あたりから_1
本当にお化粧したら、素晴らしい建物のはずだ
旧帝産倉庫あたりから_2
通りにはガス灯が
街の雰囲気を上げるのに貢献していると思うが、如何だろうか
通りにはガス灯が
下から見た横浜市開港記念会館(ジャックの塔)
威風堂々たる建物だが、いかんせん周囲の建物が大きくなり、肩身が狭くなってきた感じが否めない
横浜市開港記念会館(ジャックの塔)_1
横浜市開港記念会館(ジャックの塔)_2
横浜市開港記念会館(ジャックの塔)_3
横浜市開港記念会館(ジャックの塔)_4
神奈川県庁本庁舎
意外に簡単に入ることができてしまう。情報処理システム監査技術者としては、こんなふうに大らかで構わないのか、いささか心配してしまうほどだった。
神奈川県庁本庁舎_1
神奈川県庁本庁舎_2
神奈川県庁本庁舎_3
古めかしいエレベータだ。でも決して嫌いではない。
神奈川県庁本庁舎_4
1階廊下
神奈川県庁本庁舎_5
5階から屋上への階段
神奈川県庁本庁舎_6

 

ランドマーク展望フロア・スカイガーデンと神奈川県県庁本庁舎屋上と(2)

初めにグルッと一周して、気になったものをよく見ていくことにした。

『ランドマーク展望フロア・スカイガーデン』(2)
横浜スタジアム
高校野球神奈川大会の準々決勝以降の試合会場だ。全国一の激戦区・神奈川の夏は既に開幕している。母校は今年第1シードになっているのだが、くじ運があまり良くなく、順当にいけば、ベスト16で桐光(今年は第3シード)、ベスト8で桐蔭(今年は第2シード)と当たる。どうなることやら。
勝っても負けてもDeNAの試合よりは面白そうだ。

横浜スタジアム
大桟橋、象の鼻、赤レンガ倉庫
最も人気のエリアだろう。
大桟橋に停泊している船舶は『にっぽん丸』。商船三井船舶のクルーズ船だ。クルーズ船には固定客が多く、100回乗ったとか50回乗ったという方がぞろぞろ。1回1週間ほど乗ったきりのけちな私めのような客は少数派なのかも。
『象の鼻』をご存じない方もこの写真でわかっていただけるのではなかろうか。
右奥に係留されているのが『氷川丸』。その背後が山下公園だ。

大桟橋、象の鼻、赤レンガ倉庫_1
大桟橋、象の鼻、赤レンガ倉庫_2
ベイブリッジ
QE2が干潮時でないと潜れないなんて、設計ミスもいいところじゃなかろうか。尤も、その点ではレインボウブルッジも同様だが。
ベイブリッジ
赤レンガ倉庫
7月2日(水)正午ごろの様子。1号館と2号館の間のスペースでは何のイベントも行われていなかったようだ。人通りが少ないのは、食事時に客が館内に閉じこもっているからだろうか。
赤レンガ倉庫
神奈川県立歴史博物館
旧横浜正金銀行本店本館の建物。国指定の重要文化財。ドームは『エースのドーム』と呼ばれているそうだ。ものすごく雰囲気がある。みなと横浜の象徴とも言える建物だろう。
神奈川県立歴史博物館
横浜市開港記念会館(ジャックの塔)
後ほど、飽きるほど見ていただく。
横浜市開港記念会館(ジャックの塔)
氷川丸
氷川丸は本当に風格のある船だ。惚れ惚れする。後方はお馴染みの山下公園だ。
氷川丸
帝蚕倉庫と事務所の建物
この建物を活かして再開発を行うということで、ディベロッパーに譲渡されたのだが、どうも、そうはならないようだ。そのことで揉めているようだ。
下から見た画像は後の回で見ていただく。

帝蚕倉庫と事務所の建物_1
帝蚕倉庫と事務所の建物_2
帝蚕倉庫と事務所の建物_3
位置関係はこんなふうだ
帝蚕倉庫と事務所の建物_4

 

ランドマーク展望フロア・スカイガーデンと神奈川県県庁本庁舎屋上と(1)

今回は、高所恐怖症の私が今まで行ったことのない、横浜の高いところ『ランドマーク展望フロア・スカイガーデン』と『神奈川県県庁本庁舎屋上』とを回るだけの超ミニシリーズ。

『ランドマーク展望フロア・スカイガーデン』(1)
ちょっと手前で
大きなモニュメントとピカチュウと
ちょっと手前で_1
中国人親子には何のキャラクタなのかわかったのだろうか。
ちょっと手前で_2
ちょっと一周してみる
気になるところはあとでじっくり見ることにする。その下調べだ。
ちょっと一周してみる_1
コスモワールドや横浜ワールドポーターズなどが近くに見える。この辺りは夜の景観が素敵なのだろう。
ちょっと一周してみる_2
ちょっと一周してみる_3
ちょっと一周してみる_4
ちょっと一周してみる_5
ちょっと一周してみる_6
ちょっと一周してみる_7
ちょっと一周してみる_8
ちょっと一周してみる_9
ちょっと一周してみる_10
赤レンガ倉庫に向かって引込線が走っていたんだとよく分かる
ちょっと一周してみる_11
ちょっと一周してみる_12
ちょっと一周してみる_13

 

観音崎界隈を歩く(5)

灯台や高性能レーダーの真下の石畳の道を歩く(2)
海は狭い海域
この観音崎と千葉の富津を結ぶ線までは水深がごく浅く、それより外の海域(見えている辺りも該当する)は急激に深い海に変わっている。岩場にいる人は何をしているのだろうか。
海は狭い海域
灯台下の斜面
紫陽花がいっぱい
灯台下の斜面
灯台方面へ向かう
路面は非常に歩きやすい
灯台方面へ向かう_1
灯台方面へ向かう_2
やっと灯台が見えてきた
この位置に来てやっと見え始める
やっと灯台が見えてきた_1
やっと灯台が見えてきた_2
やっと灯台が見えてきた_3
洞窟
何の変哲もない洞窟のようだが、行基菩薩が大蛇退治の武勇伝を遺した洞窟のようだ。
洞窟_1
洞窟_2
沖合には少し大きめのタンカーが
沖合には少し大きめのタンカーが_1
沖合には少し大きめのタンカーが_2
沖合には少し大きめのタンカーが_3
灯台が大きく見え出す
灯台が大きく見え出す
岩場ではワンちゃんが
岩場ではワンちゃんが_1
岩場ではワンちゃんが_2
岩場ではワンちゃんが_3
岩場ではワンちゃんが_4
岩場ではワンちゃんが_5
岩場ではワンちゃんが_6
釣り船も大型船に負けじと
釣り船も大型船に負けじ_1
釣り船も大型船に負けじ_2
釣り船も大型船に負けじ_3
釣り船も大型船に負けじ_4
釣り船も大型船に負けじ_5
紫陽花ばかりじゃないぞ
今度はネムノキも
今度はネムノキも_1
今度はネムノキも_2
西脇順三郎の詩碑
『灯台へ行く道』
西脇順三郎の詩碑
岩場では
おばあちゃんが孫と思しきすばしこい少年を追いかけて息を切らしていた。坊や、勝手に動き回るとおばあちゃんがかわいそうだよ。
岩場では
アゲハもお出迎え
おじさん、こんにちは
アゲハもお出迎え_1
アゲハもお出迎え_2
観音崎からでも横浜のMM21がはっきり見える
観音崎からでも横浜のMM21がはっきり見える

今回は此処から引き返した。灯台まで上らなくて申し訳ない。

ペリーが来航した浦賀
たまには浦賀に出てみるのも悪く無いと思い、浦賀に出てみた。駅前からの展望は良くない。少し歩かないと海は見えないようだ。今回は時間がなかったので省略した。
京急浦賀駅
京急の支線のターミナル駅になっている
京急浦賀駅_1
京急浦賀駅_2

以上で、『観音崎界隈を歩く』のミニ・シリーズを終了します。最後までご覧頂き有難う御座いました。

 

観音崎界隈を歩く(4)

観音崎海水浴場辺り
ごく小さな砂浜がある。これでも海水浴場と名前が付いているのかと思うほどだ。規模はたしかに小さいが眺望は抜群で、BBQをしたり、磯遊びをしたり、ミニキャンプをしたりもできる。
遠浅の砂浜で、房総半島や浦賀水道を行き交う船が見えます。
海水浴場の両端には磯が広がり磯あそびやコンロを使用したバーベキューも可能なのでアウトドア感覚で楽しめます。
遠浅の海水浴場なので、安心して遊べます。
海水浴場の周辺には県立観音崎公園が広がり、三浦半島から東京湾に大きく突き出し、針葉樹などの木々に囲まれた自然の宝庫です。
海と山が一体となり三浦半島ならではの海水浴が出来ます。

ボードウォーク入口辺り
パパ何しているの?子供が聞きたそうにしていた。
パパ何しているの?
堤防付近で
釣りは大人気なんだなあ。でもこんなところでも釣れるのかなあ。
堤防付近で
海の中に
何の残骸だかわからない
何の残骸だかわからない_1
何の残骸だかわからない_2
レストハウス
レストハウス_1
レストハウス_2
海上保安庁東京湾海上交通センターの高性能レーダー
近くで見るとやはり大きく見える
海上保安庁東京湾海上交通センターの高性能レーダー
海岸からの眺望
こんなふうに見える。普通の海水浴場とはかなり異なる景観だ。
海岸からの眺望_1
海岸からの眺望_2
灯台や高性能レーダーの真下の石畳の道を歩く(1)
緑が濃くて目立たないかもしれないが、あじさいがかなり咲いている。
石畳の道を歩く_1
石畳の道を歩く_2
石畳の道を歩く_3
石畳の道を歩く_4
石畳の道を歩く_5
石畳の道を歩く_6
石畳の道を歩く_7
石畳の道を歩く_8
石畳の道を歩く_9
石畳の道はなかなか快適だ。左は岩礁への道。右は灯台へ向かう道。
石畳の道を歩く_10
石畳の道を歩く_11
石畳の道を歩く_12

 

川崎市立日本民家園(17)

(22)工藤家住宅(くどうけじゅうたく)《東北の村》
大失敗。見落としてしまった。
国指定重要文化財
旧所在地:岩手県紫波郡紫波町舟久保
建物区分:農家(名主の家)、曲屋
構造形式:寄棟造、茅葺、桁行19.2m、梁行11.1m/南面に馬屋突出、寄棟造、茅葺、桁行7.6m、梁行6.3m
建築年代:宝暦(1751〜1763)頃
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馬と共に暮らした南部の曲屋
主屋(おもや)の前に馬屋(うまや)を突出させたL字型の民家は、旧南部藩領(なんぶはんりょう、岩手県)に多いことから「南部の曲屋(まがりや)」として知られています。これは、南部馬(なんぶうま)の飼育が盛んになる江戸時代中期に工夫された形式と考えられます。宝暦(ほうれき)頃に建てられた工藤家は現存最古の曲屋の一つといえます。民家園の中で一番敷地面積の広い家です。
主屋には天井がありません。この地方はもともと天井のない家が多く、厳しい冬場は囲炉裏(いろり)の火で家全体を暖めながらすごしました。ダイドコの囲炉裏はニワからも利用することができます。 ダイドコとジョウイは日常生活の場、ナンドは寝室です。ザシキは 床の間も備えた特別な部屋で、この広い家で唯一畳が敷かれています。

外観
工藤家住宅_1
工藤家住宅_2
内部
自在鉤
間取り
工藤家住宅間取り

(23)菅原家住宅(すがわらけじゅうたく)《東北の村》
ものすごく美しい外観だ。と思ったら内部も相当にキレイだった。『肝煎の家』とあったので、肝煎が気になった。辞書で調べると、江戸時代、村役人をいう。庄屋・名主など。
囲炉裏に火を入れての床上公開を行っている時にもう一度しっかり見たいものだ。

神奈川県指定重要文化財
旧所在地:山形県鶴岡市松沢
建物区分:農家(肝煎の家)
構造形式:寄棟造(高ハッポウおよびハッポウ付き)、妻入、一部二階、背面庇付、茅葺、桁行15.8m、梁行9.6m
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屋根に高窓のある豪雪地帯の家
湯殿山麓の田麦俣(たむぎまた)集落やその周辺には、ハッポウ造と呼ばれる独特の民家が分布しています。養蚕のために二層三層をつくり、屋根に高窓(ハッポウ)を設けて採光の工夫をしたその姿は、非常に特徴的です。
菅原家住宅もこのハッポウ造の民家で、高い軒や板壁で囲った外観などに豪雪地域の家づくりがうかがえます。
豪雪は間取りにも影響しています。大戸口前のアマヤ(前室)をはじめ、ニワ(土間)に物置やイナベヤ(板敷)を設ける点などは、雪の多い冬場の暮らしを考慮した工夫です。

外観
同じように豪雪地帯の家だが、合掌造りとは全く別のものだ。
外観_1
外観_2
冬はこんなふうに雪囲いをするようだ
雪囲い
グシグラという屋根棟
グシグラという屋根棟
内部
アマヤ
アマヤ
ナヤとモノオキかな
ナヤとモノオキかな
シモデとカミデかな
こちらの囲炉裏は上部に火棚を吊ってない。東南向きの日当たりのよい部屋だ。
シモデとカミデかな
オメかな
こちらの囲炉裏は上部に火棚を吊っている。右隣りがシモデで右奥に見える畳の間はカミデと思われる。
シモデとカミデかな_1
シモデとカミデかな_2
オメの隅の仏壇がこちらを向いている
オメの隅の仏壇がこちらを向いている
イナベヤ
穀物などを貯蔵する部屋のようだ。穀物を湿気させないよう板張りの間になっているのだろうか。
イナベヤ
シモデ
機織り機が置かれていた
シモデ
シモデとオメかな
シモデとオメかな
カミデ
アミダサマやトコノマがある
カミデ
車のついた敷居
工夫しているようだ。相当にがっちりしたもののように思う。
車のついた敷居
菅原家間取り
菅原家間取り

以上で、17回に亘って取り上げた『川崎市立日本民家園』のシリーズは終了です。最後の最後までご覧頂き、大変有難うございます。

 

川崎市立日本民家園(16)

(20)船越の舞台(ふなこしのぶたい)
この舞台には本当に驚いた。本格的な舞台が志摩にも存在していたんだ。
国指定重要有形民俗文化財
旧所在地:三重県志摩市大王町船越
建物区分:歌舞伎舞台
構造形式:正面入母屋造、背面切妻造、桟瓦葺、一部二階、桁行9.1m,梁行10.8m/側面出語付、桟瓦葺/背面庇付、桟瓦葺、桁行10.8m、梁行2.7m/側面楽屋付、切妻造、桟瓦葺、桁行5.3m、梁行7.3m
建築年代:安政四年(1857)、墨書
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回り舞台を備えた漁村の歌舞伎舞台
この舞台は、もと志摩半島の漁村の神社境内にありました。建てられたのは江戸時代末期の安政四年(1857年)です。
屋根は正面が入母屋造、大棟(おおむね)には凝った鬼瓦を配しています。これに対し背面は切妻造で、鬼瓦も小さく単純です。こうした外観は、正面性を重視する舞台建築の性格をよくあらわしています。なお、鬼瓦や軒先瓦につく「若」の字は、舞台建築に若者組という伝統的青年組織が関わったことを記念するものです。
舞台両側の張出し部は出語りといい、上手(正面に向かって右側)は芝居の語り手の席、下手は寄付金を扱う会計係の席です。
舞台装置としては、直径三間(5.4m)の回り舞台、スッポン(せり上がり)のある花道、高所作業用の簀子(すのこ)等、歌舞伎芝居のために必要なものはほとんど備えています。

舞台裏側
奈落への入口がある。『奈落の底』という表現があるほど深くはないようだ。後で取り上げるイラストを見ていただければ、その理由はお分かりいただけることだろう
舞台裏側_1
舞台裏側_2
舞台裏側_3
船越の舞台_断面図_2
舞台正面
歌舞伎公演時の様子
舞台正面
回り舞台になっているのがお分かりいただけるだろうか
船越の舞台_断面図_1
舞台の様子_1
舞台の様子_2
舞台の様子_3
舞台の様子_4
観客席側から
観客席側から
鬼瓦のアップ
鬼瓦のアップ
正面屋根棟の鬼瓦
説明板
説明板

 

川崎市立日本民家園(15)

今回取り上げる3つの建物の内、2つの建物は修復中。この民家園は展示グレードが高いのに、やたらに修復中の建物が多いのがつや消しかも。

(18)蚕影山祠堂(こかげさんしどう)《神奈川の村》
工事中で写真撮影も立ち入りも共にできなかった
川崎市重要歴史記念物
旧所在地:神奈川県川崎市麻生区岡上 東光院内
建物区分:宮殿および覆堂
構造形式:宮殿=一間社春日造、向唐破風造、こけら葺
覆堂=正面入母屋造、背面寄棟造、茅葺、桁行4.6m、梁行2.7m
建築年代:文久三年(1863)、宮殿棟札
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養蚕信仰を今に伝えるお堂
この建物は川崎市麻生区の東光院境内にあったもので、養蚕(ようさん)の神「蚕影山大権現(こかげさんだいごんげん)」を祭った宮殿(くうでん)と、その覆堂(さやどう)から成っています。覆堂の茅葺(かやぶき)屋根は、頂上を土と草で固める芝棟(しばむね)で、春にはイチハツが咲き誇ります。宮殿は正面に唐破風(からはふ)を設けた春日造風の社で、浮き彫りの彫刻を施しているのが特徴です。
中でも注目に値するのは、金色姫(こんじきひめ)伝説を表現した側面の彫刻です。金色姫は天竺(てんじく、現在のインド)に生まれ、四度の大苦難ののち、馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)の化身として日本に養蚕を伝えたといいます。この彫刻は養蚕の起源を説くもので、四度の大苦難は蚕の四回の休眠(食事をせず動かなくなる脱皮前の時期)を象徴しています。

蚕影山祠堂
蚕影山祠堂
「鷹」の場面
「鷹」の場面
「舟」の場面
「舟」の場面

(19)岩澤家住宅(いわさわけじゅうたく)《神奈川の村》
こちらも修復中
神奈川県指定重要文化財
旧所在地:神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷
建物区分:農家(名主の家)
構造形式:入母屋造、茅葺、桁行14.5m、梁行7.3m
建築年代:17世紀末期
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茶畑に囲まれた山間の農家
この建物は、名主(なぬし)もつとめた農家の家でした。谷間の斜面に敷地をひらき、江戸時代は炭焼きを中心に、焼畑(やきはた)農業や林業を仕事にしていました。
屋根は、典型的な入母屋造(いりもやづくり)です。間取りは、「ザシキ(居間)」「デエ(座敷)」「ヘヤ(寝室)」からなる広間型三間取りです。しかし、園内に移築された他の神奈川県内の古民家には見られない特徴がいくつかあります。まず、デエの正面を半間後退させ、ここにザシキへの出入口を設けています。また、デエには押板(おしいた、床の間の前身)を備え、ヘヤにはザシキからだけでなくデエからも出入りできるようになっています。

外観
大戸口右手の外壁は竹板が使われているようだ。こういうものもありなんだ。
岩澤家住宅_外観

(21)菅の船頭小屋(すげのせんどうごや)《神奈川の村》
説明の都合上、『(20)船越の舞台』の先に、これを取り上げる。
川崎市重要歴史記念物
旧所在地:神奈川県川崎市多摩区菅
建物区分:船頭小屋
構造形式:切妻造、杉皮葺、桁行1.8m、梁行1.8m
建築年代:昭和4年(1929)
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多摩川の「菅の渡し」にあった船頭小屋
この船頭小屋は多摩川の「菅(すげ)の渡し場」にあったもので、船頭が客待ち・休憩・川の見張りをするのに用いていました。
菅の渡しは、川崎側の菅と、東京側の調布とを結ぶ渡船場で、商品作物の輸送、肥料や日用品の仕入れ、親戚や寺への往来など、暮らしの中で使われていました。
この建物の屋根は杉皮葺きで、前後に傾斜させた「招き屋根」の形をしています。背面には小さな窓があり、対岸の客を見ることができるようになっていました。
なお、外回りの柱には大きな鉄の輪が取り付けられています。出水のさいにはこの輪に丸太を通して担ぎ上げ、小屋を移動させました。

菅の船頭小屋_1
菅の船頭小屋_2
小屋を移動させる様子

 

観音崎界隈を歩く(3)

前回歩き始めたボードウォークを歩く。沖合には釣り船が相当出ている。

観音崎ボードウォーク(2)
岩礁で遊ぶ親子。オレンジのパンツの子が海面を覗いている。弟とおぼしき子もそこに行きたくてウズウズ。超広角レンズでも千葉県側がはっきり見える。
岩礁で遊ぶ親子
三浦半島にはこういう岩礁が目立つ
三浦半島にはこういう岩礁が目立つ_1
三浦半島にはこういう岩礁が目立つ_3
三浦半島にはこういう岩礁が目立つ_2
この右側は観音崎京急ホテル
この右側は観音崎京急ホテル
釣り船も見える
釣り船も見える_1
釣り船も見える_2
釣り船も見える_3
釣り船も見える_4
釣り船も見える_5
釣り船も見える_6
きよし丸の方は漁船のように見えたが、こちらも釣り船とのことだ
釣り船も見える_7
この角まで行くと展望が開ける
この角まで行くと展望が開ける
山の上に灯台らしきものが見えてきた。だがあれは、灯台ではない。東京湾の安全を支える海上保安庁東京湾海上交通センターの高性能レーダーだ。良く誤解される人が多いので、念の為に記す。東京湾海上交通センターでは21日の海の日に一般公開を行うそうだ。ただし、10分ほどかなりきつい坂を上がる必要がある。
海上保安庁東京湾海上交通センター_1
海上保安庁東京湾海上交通センター_2
海上保安庁東京湾海上交通センター_3
海上保安庁東京湾海上交通センター_4
此処じゃ何も居なさそうだけど
此処じゃ何も居なさそうだけど
横須賀美術館付近
横須賀美術館側から、ホテル施設、ボードウォーク、第二海堡などを望む
横須賀美術館側から、ホテル施設、ボードウォーク、第二海堡などを望む
望遠レンズだと千葉県は目と鼻の先に見える。手前を航行中のAnthony Veder Groupの船は、オランダのロッテルダムが本拠地の船のようだ。あまり大きな船ではないようで、外洋では揺れて大変ではないかと心配してしまった。
望遠レンズだと千葉県は目と鼻の先に見える
少し短めにして撮ってみた
少し短めにして撮ってみた
BALTIC HIGHWAYはパナマ船籍の自動車運搬船だそうだ。相当に大きく見えた。ブイに接触しそうな感じに見えた。
BALTIC HIGHWAYはパナマ船籍の自動車運搬船
これは日通のコンテナ船だ
日通のコンテナ船
日通のコンテナ船のほうが若干大きいようだ。此処は右側航行が厳しく決められている。本当にタイトな感じだなあ。
日通のコンテナ船のほうがのほうが大きいようだ
BALTIC HIGHWAYのほうが巨大だ
BALTIC HIGHWAYのほうが巨大だ_1
BALTIC HIGHWAYのほうが巨大だ_2
BALTIC HIGHWAYのほうが巨大だ_3
こちらが横須賀美術館。手前が谷内六郎館。週刊新潮の表紙絵の画家なのだが、お分かりの方はそれなりの年配の方だと思う。
横須賀美術館

 

川崎市立日本民家園(14)

(17)伊藤家住宅(いとうけじゅうたく)《神奈川の村》
私が行った日には、この建物は囲炉裏に火を入れての床上公開の対象建物ではなかった。上がってじっくり見てみたい建物だっただけに、残念でならない。
国指定重要文化財
旧所在地:神奈川県川崎市麻生区金程
建物区分:農家(名主の家)
構造形式:入母屋造、茅葺、桁行16.4m、梁行9.1m
建築年代:17世紀末期〜18世紀初期
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民家園誕生のきっかけとなった川崎の民家
土間(どま)はミソベヤとダイドコロに分かれています。ヒロマ境の一番奥は板の間を張り出して炊事場(すいじば)とし、「すわり流し」 と水がめが置かれています。ヒロマは家の中心となる部屋で、囲炉裏(いろり)の後方は台所、前方は日常生活や接客の場として使われました。ここは竹簀子でできた床です。
ヒロマの上手にはデイ(座敷)とヘヤ(寝室)が続きます。デイは正式な座敷で、出入りには土庇(どびさし)に置いた縁台(えんだい)を使いました。なお、正面の格子窓(こうしまど)は「シシよけ窓」などと呼ばれ、関東の古民家に一般的なものです。
なおこの住宅は、民家としては神奈川県で最初に重要文化財に指定されました。この家の保存運動をきっかけに誕生したのが日本民家園です。

外観
右の外に物を置けるような台らしきものがあるところがデイと思われる。と思ったら、あれは縁台で、ここから直接出入りできるようにしてあったようだ。左側の開口部は大戸口だろう。
外観_1
チラシが置いてある手前が瀬戸口で、チラシの背後に座り流し台(後述)があるようだ。
外観_2
内部
ドマ、ヒロマ、ミソベヤ
最初は、ドマに出張って床が張られている理由がわからなかったが、後述する『すわり流し』があったからのようだ。決して上り框ではないようだ。そして、採光のために『無双窓』があったのか。北側でも眩しいくらいに光が差し込む。炊事もしやすかったことだろう。機能的に考えられたものだ。
ドマ、ヒロマ、ミソベヤ
ミソベヤ
一応ドマとは区切られている。左手前の道具で大豆を潰したり、餅をついたりしていたのだろうか。これならいくら量があっても大丈夫だ。便利な道具だなあ。
ミソベヤ
ドマ、ヒロマ
ドマ、ヒロマ
端に食器棚が設えてあり、床は竹簀子だ。秦野も麻生区もそう離れたところではないから、同じような方式を採用しているのだろうか。
端に食器棚が設えてあり、床は竹簀子だ
すわり流しと無双窓
床上公開の対象建物ではなかったため、実際に詳しく確認することはできなかった。たぶん、上の写真の食器棚の隣のところだと思う。
座って調理したのか。うーーん、大変だなあ。

すわり流しと無双窓
ヒロマ
かなり広い
ヒロマ_1
確かに竹簀子の床だ
ヒロマ_2
火棚は使われていなかった。平屋なので煙を無理に拡散させる必要がなかったのだろうか。
ヒロマ_3
ドマ
当然ながらダイドコロを兼ねていた
ドマ
デイ
こちらには火鉢が置いてあったんだ。客用だったのだろうか。
デイ_1
デイ_2
伊藤家の間取り

 

観音崎界隈を歩く(2)

防大の海上訓練施設
ヨット
当然便利な動力などは一切なし。船を動かす原理を覚えさせるためなのだろう。凪いでいるときは、入江から出るのが大変そうだ。
ヨット
カッター
漕いでいる学生の声が猿島あたりにいても岸まで届く。それくらい大変なのだろう。
カッター_1
カッター_2
教育棟と警備艇
警備艇は遠泳訓練時のサポートなどに使用されるのだろうか
教育棟と警備艇
警備艇
入江内
こんな感じ。当たり前かもしれないが、整然としている。
入江内
観音崎ボードウォーク(1)
案内板
案内板
この突き当りからボードウォークが始まる
この突き当りからボードウォークが始まる_1
この突き当りからボードウォークが始まる_2
その辺りから四方を見渡す
その辺りから四方を見渡す_1
その辺りから四方を見渡す_2
その辺りから四方を見渡す_3
その辺りから四方を見渡す_4
その辺りから四方を見渡す_5
その辺りから四方を見渡す_6

 

川崎市立日本民家園(13)

(16)清宮家住宅(きよみやけじゅうたく)《神奈川の村》
(13)の広瀬家住宅と同様、芝棟(しばむね)があり、アヤメの仲間のイチハツという花が植えてある。5月には花が咲くそうだ。撮影時期は6月半ばだが、白く見えるのが咲き残っているもののようだ。広瀬家はイワヒバを植えてあったのを記憶されているだろうか。最初はぺんぺん草が生えているのかなどと失礼なことを思ったのだが、見当違いも甚だしいことだった。
この日本民家園で一番古い建物と見なされているようで、既に300年以上経過しているようだ。大したことはないと思っていたら、いろいろあって、いい意味で予想が裏切られた。

神奈川県指定重要文化財
旧所在地:神奈川県川崎市多摩区登戸
建物区分:農家
構造形式:寄棟造、茅葺、桁行13.6m、梁行8.2m
建築年代:17世紀後期
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棟に花が咲く古い様式の民家
この建物は、当園にほど近い多摩区登戸にありました。
屋根は頂上を土の重さで押さえ、その土が落ちないよう草花が植えてあります。これは「芝棟(しばむね)」と呼ばれ、武蔵国西部の素朴な農家の姿を伝えています。
間取りは、囲炉裏(いろり)のあるヒロマを中心に上手をデエ(座敷)とし、それぞれの裏に寝室と考えられる小部屋を設けています。これは、神奈川県の古式な民家に限られる形式です。また土間の梁には曲がった太い材が使われ、デエとデエドコ(土間)の境は格子で仕切られています。なお、この家はデエドコに勝手口(かってぐち)がありません。これは、家の前の小川に流しが設けられていたためです。

外観
外観_1
外観_2
前2ショットでは外観がわかりにくいと思われるので、背後からのショットも付け加える
外観_3
内部
デエドコ
ものすごく曲がった材木を梁として使用している。ヒロマとの境には格子窓がはめられている。
なお、民家園の解説にはデエドコに『勝手口がない』と書かれている。確かに勝手口はないが、文脈からすると、多分『お勝手がない』の間違いだと思う。
デエドコ_1
デエドコ_2
デエドコ_3
ヒロマ、デエ、裏部屋
立派な梁だ
立派な梁だ
ヒロマとデエドコの境には格子窓が
ヒロマとデエドコの境には格子窓が
デエ
畳敷きの部屋だ。この民家園で最古の家屋だというのに、かなり贅を尽くした建物のようだ。
デエ
ウラベヤ(見取り図では『ヘヤ』と表示されていた)
出ました。どうも神奈川県の丹沢よりの地域には多かった様子の竹簀子の部屋。自分たちは質素に暮らしていたようだ。
ウラベヤ
ヘヤ(見取り図では『裏部屋』と表示されていた)
置いてあるのは車長持。見た感じは相当に頑丈。かなり高価なものだったと思われる。これに家財道具一切合財を詰め込んで火事の時に避難したりしたようだ。ところが、『振袖火事』の時に立ち往生した車長持が道を塞ぎ、被害をより大きくしたことから、天和以降の製造が禁止されたそうだ。従って禁止年の天和3(1683)年以降の物はない。少なくても331年以上は経過していることになる。
この車長持は2014年現在で353年前のもの。

ヘヤと車長持
車長持の説明
清宮家の間取り
清宮家の間取り
付属して展示されていた農機具小屋
小屋そのものは新しく展示用に作られたもの
付属して展示されていた農機具小屋_1
付属して展示されていた農機具小屋_2

(整理番号無し)棟持柱の木小屋(むなもちばしらのきごや)《神奈川の村》
柱が掘立式なのが、掘っ立て小屋の語源となったのか。なるほど。
川崎市重要歴史記念物
旧所在地:神奈川県川崎市多摩区生田
建物区分:農家付属建物
構造形式:切妻造、杉皮葺、一面下屋付、桁行3.6m、梁行2.7m
建築年代:大正13年(1924)頃
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堀立ての棟持柱を持つ薪小屋
この建物は、カマドのための薪(たきぎ)や落ち葉などを蓄えておく小屋でした。構造としては二つの点で注目されます。まず一つは、棟持柱(むなもちばしら)を持つ点です。二本の棟持柱が棟木(むなぎ)を受けるとともに屋根を直接支え、屋根の骨組みと柱が一体化しています。もう一つは、柱が掘立式(ほったてしき)である点です。移築前は礎石建(そせきだて)に改められていましたが、もとは地中に約33cm埋められていたことが調査によってわかりました。柱はほとんどがクリの木を使用し、壁は「せっぱ(切端)」と呼ばれるスギ板を打ち付けたものです。
この建物は民家の原初的な構造と通じるものがあり、多摩丘陵の農家にあった付属屋(ふぞくや)の一例としても参考になります。

棟持柱の木小屋_1
棟持柱の木小屋_2

 

昨日のスナップ

いつまでも順番を待っていると使うチャンスを失してしまうので、枚数が少ないがUPしてみた。
いずれもEF-M11-22mm F4-5.6 IS STMで撮影。つまり、練習を兼ねてのスナップ写真だ。

桔梗
咲く直前の袋状になっている蕾が好きだ
桔梗_1
桔梗_2
木立朝鮮朝顔
こんなに活きの良い咲きっぷりは、なかなかお目にかかれるものではない
木立朝鮮朝顔_1
木立朝鮮朝顔_2
いつもの喫茶店
どのくらい描写力があるあの実験台にさせてもらった
いつもの喫茶店

 

川崎市立日本民家園(12)

(15)北村家住宅(きたむらけじゅうたく)《神奈川の村》
土座に続いて、この住宅では『竹簀子』が登場する。どうやら付近には竹がいっぱいあり、手軽に利用できる素材だったようだ。
竹の節を完全に削るような丁寧な仕上げではなく、当たり所によっては座り心地はあまり良くなさそうだ。竹簀子には必要に応じて筵を敷くということだが、ということは竹の上に直にということもあったのだろうか。また冬は風が通って結構寒いのではないかと心配した。他人様の心配をしても始まらないのだが。

国指定重要文化財
旧所在地:神奈川県秦野市堀山下
建物区分:農家(名主の家)
構造形式:寄棟造、茅葺、桁行15.6m、梁行8.9m
建築年代:貞享四年(1687)、墨書
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貞享四年の墨書が残る古民家
この建物で特筆されるのは、建築年代がはっきりしていることです。加えて、建築としても非常に優れており、日本で最も重要な民家の一つといえます。建築年代は、柱の先端に墨で記されていました。これを墨書といい、理兵衛という大工の棟梁の名前も明らかになっています。
日常生活の場であるヒロマは、竹簀子(たけすのこ)と板の間を使い分けています。竹簀子には必要に応じてムシロを敷きました。上手のオク(正座敷)には床の間が付き、ヘヤ(寝室)は畳敷で押入も備えています。このほか、ヒロマとオクに濡縁が付くなど、同じようなつくりの旧伊藤家住宅に比べ、発達した様子を示しています。

外観
濡れ縁が用意され、ちょっと贅沢な作りだ。
外観_1
外観_2
内部
ダイドコロとヒロマ
バンダナのおじさんの後ろの柱には、確かにチョウナで削ったような感じがある。
ダイドコロとヒロマ
ダイドコロ
ダイドコロ
ヒロマ
一部は板の間になっている部分もあるようだ。使い分けはどんな風にしたのだろうか。
ヒロマ
竹簀子はこんな感じ。節などで、少し刺激があるのは確かだと思う。
竹簀子_1
竹簀子_2
ダイドコロとヒロマの間の上部仕切りにも竹が使われている。あり余るほどあったようだ。
ダイドコロとヒロマの間の上部仕切り
オク(正座敷)
左側に、確かに床の間が付いている。お客様をもてなす部屋だったようだ。こちらも畳敷だったような気がするが、はっきりした記憶が無い。
ヘヤ(寝室)
畳敷で押入も備えている。
オク(正座敷)
ヘヤ(寝室)
北村家の間取り
北村家の間取り

 

川崎市立日本民家園(11)

(14)太田家住宅(おおたけじゅうたく)《関東の村》

非常に残念なことに、大雨の影響で見学不可の状況だった。国指定重要文化財なだけに、是非とも詳しく見ておきたかったのに。
修復工事が完了していないというのに、関東地方はこのところしつこくゲリラ豪雨に見舞われている。何とかこの大雨に耐えぬくことができるといいのだが。ということで、写真の枚数はごく少なくて大変申し訳ない。

国指定重要文化財
旧所在地:茨城県笠間市片庭
建物区分:農家(名主の家)、分棟型
構造形式:主屋=寄棟造、茅葺、桁行9.6m、梁行8.3m/土間=寄棟造、妻入、茅葺、桁行10.0m、梁行8.3m
建築年代:主屋=17世紀後期/土間=18世紀後期
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家の中に雨どいのある二つ屋根の家
この建物は二棟が軒を接して建つ、分棟型(ぶんとうがた)の民家です。大戸口を入ると広い空間がひろがっています。ドマの右手がウマヤ、左手が主屋です。主屋は日常生活の場であるヒロマ、寝室であるヘヤ、そして畳敷きのザシキに分かれます。ザシキは正式な部屋で、この部屋に客人が訪れる際には土庇(どびさし)が出入口となりました。
広い土間では、雑穀などの農作業も行われていました。
なおこの家には、突出する馬屋や囲炉裏の位置など、南部地方の曲屋と類似する点があります。江戸時代後期には茨城県や栃木県でも曲屋が作られており、この家はその影響を受けた分棟型といえます。

以前に取り上げた作田家住宅と同様に分棟型の民家で、分棟の雨樋(丸太を刳り貫いて作った樋)がある。雨樋は、屋外にまで飛び出していて、勾配がつけられていてそこから排水するようになっていたのだろう。運悪く樋が詰まると家の中に雨水があふれたそうだ。今回の公開中止もそれが原因だったのだろうか。
外観
随分、茅葺きがくたびれた感じで心配だ
外観_1
外観_2
外観_3
外観_4
内部
ザシキ
建物の外から撮った
ザシキ
ヒロマとドマ
縄でしっかり括りつけられている『分棟の雨樋』がわかるだろうか
ヒロマとドマ
分棟の雨樋
機織りも行っていたようだ
機織りも行っていたようだ
太田家の間取り
太田家の間取り
残念な表示
残念な表示

解説(川崎市教育委員会HP)
 太田家住宅の旧所在地は茨城県笠間市片庭で、近世初頭にはすでにこの地に居住し、また名主の家柄と伝える旧家である。太田家住宅の大きな特徴は、棟方向を別にするふたつの屋根を接続して一軒の家を構成していることである。このような煮炊きをする竈を置く釜屋(土間)と居住部分に、別々に屋根をかける形式は分棟型または釜屋建などと呼ばれ、八丈島や南西諸島などに多く分布することから、かつては南方系の住居形式と考えられてきた。しかし太田家の茨城県中西部、あるいは栃木県宇都宮市の周辺にも昔はこうした家が存在したことが確認されるに及んで、このような解釈は再考を迫られることになった。
 太田家の外観は、ひとつの屋根の下に土間も居住部も含む周辺の農家とは大きく相違しているが、間取りは基本的にはそれらとなんら変わるところがない。いわゆる広間型3間取の一種である。土間がかなり広いが、これは土間部分だけ一度建て替えられているからで、解体時の発掘調査によれば、当初の土間は桁行2.5間程度の小さなものであった。
主屋は17世紀末頃の建築、土間は18世紀後期頃と推定されている。
 居住部はヒロマとザシキ、ヘヤの3室からなるが、日常生活の中心であるヒロマと土間との間には何の仕切りもなく、ひとつながりの空間である。そしてヒロマ前面を格子窓とするのはこの時期の関東地方の古民家に共通する構えである。ザシキは唯一畳敷の接客間だが、天井は竹簀子で、床の間もなく、客間としての形式が整えられていない。ヘヤは寝室で、ヒロマ側に入口を設けるほかは壁で閉ざされる。
 別棟の土間は前面が主屋より前に出ているが、これはこの地方の民家に共通する形である。つまりこの地方では土間の厩の部分が前に出て、全体の平面がL字型になる。いわゆる曲屋の形式が一般的である。太田家の土間が建て替えられた時期には曲屋が一般化していたため、当家でも平面の形状はこれにならったのであろう。
 主屋と土間とは年代が違うため、その構造もかなり相違している。例えば、主屋は棟束併用の扠首構造であるのに対し、土間では棟束は用いない。そして主屋では前面の半間を下屋とするため、前面より3尺入った位置に上屋根を立てるというきわめて古式な構法を見せている。また各室境や外周には1間ごとに柱を立て、柱の省略が全く行われていないし、ヘヤの内部には使用上邪魔になるはずの独立柱が2本残されたりしているなど、かなり古風である。これに対し、土間は内部に柱を全く立てないし、また梁行梁を二重に組み、桁行梁との交点は大栓で固定するという、進んだ構法が採られている。
 なお、主屋部は土壁だが、土間廻りは板壁である。主屋と土間が接する部分の屋根には大きな谷ができるが、ここには大きな樋を設けて雨水を処理している。
 このように太田家は分棟の形式を今に伝える貴重な遺構であり、かつ茨城県のこの種の民家では最も古く、この地方の民家の発展を知るうえで欠かせない存在である。
 平成2年7月29日、生田緑地内で打ち上げられた花火が屋根に落下し、主屋のヘヤを中心に焼損したが、復旧修理工事が行われ、平成4年10月31日に竣工した。

 

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