散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

三春町~田村市~小野町~いわき市(4)

田村郡三春町で滝桜を見、田村市で小沢の桜と永泉寺の桜とを見、いよいよいわき市に隣接する田村郡小野町に入った。
小野町は、小野小町の生誕伝説がある町だが、ご存じだろうか。


時は平安朝初期、七里ヶ沢といわれたこの一帯に、公家の血を引く小野篁が救民撫育のためにやって来た。都の教養人であった篁は、この地を「小野六郷」と称して治め、産業や文化の礎を築くのに懸命の日々を送っていた。ちょうどその頃、篁の荘園に仕える一人の娘がいた。愛子(めずらこ・珍敷御前)というその娘は息をのむほどに美しかった。篁と愛子はたがいに文を交し合う仲となり、そして結ばれた。間もなく玉のように愛らしい姫が生まれた。二人は姫を比古姫と名付け、たいそう大事に育てた。やがて比古姫が六歳になったある春の日、篁は妻愛子をこの地に残し、姫を連れ都へ上がっていったのだった。この比古姫こそ後の小野小町である。
とするのがわがまちの説です。残念なことに比古姫が生まれ育ったことを示す記録は残されておりません。しかし現在でも、小野篁を祭神とする矢大神社が人々の尊崇を集めていること、また、夏の風物詩「たかむら踊り」が広く親しまれていること、さらには、京に上がる比古姫の美しさに魅せられ振り返ったという片葉葦が山里に残されていることなど、やはりこの町は小野氏に深い縁を持つ土地柄。そして『小野小町生誕の地』というロマンが生きる土地でもあるのです。


諏訪神社(1)
旧社格は郷社。境内の掲示板に記されている『其の後本社を造営した』というのがどのくらいの後なのか不明だが、いずれにせよかなりの歴史を誇る神社のようだ。
参道
諏訪神社_参道_1
諏訪神社_参道_2
諏訪神社_参道_3
諏訪神社_参道_4
諏訪神社_参道_5
水芭蕉と座禅草
参道の中程に浅い小さな池があり、そこに水芭蕉と座禅草とが咲いていた。
前回は水が涸れていたが、今回は水がたっぷりあり水芭蕉も生き生きとした感じだった。

水芭蕉_1
水芭蕉_2
座禅草は、兎に角強烈なにおいだった。
座禅草_1
座禅草_2
座禅草_3
翁スギ媼スギ
滝桜にも勝る古木だ。元気なものだ。
社殿に向かう石段の上り口に2本のスギの巨木が姿を現す。樹齢千二百年を誇る大きな杉。仲睦まじい夫婦のように寄り添って、天高くそびえ立つ巨樹は、類例があまりない。(国指定天然記念物)
奈良時代の宝亀11(780)年、東夷征伐祈願のため、この地に立ち寄った右大臣藤原継縄(つぐただ)が2本のスギを植えたと伝えられ、植樹には勿来の関から持参した白砂がまかれたとされる。古社寺調(県神社庁文書)には「宝亀杉」と記されている。

翁スギは樹高48.5メートル、幹回り9.2メートル 媼スギは樹高47.8メートル、幹回り9.5メートル
翁スギ媼スギ_1
翁スギ媼スギ_2
翁スギ媼スギ_3
翁スギ媼スギ_4
翁スギ媼スギ_5

 

三春町~田村市~小野町~いわき市(3)

永泉寺の桜

こちらは、田村市大越町の永泉寺の境内に植えられている紅しだれ桜。滝桜の種から苗を育てているものが滝桜の近くで売られているが、この桜も400年ほど前に滝桜の種から苗を育てたものが植えられたようだ。
私の腕が良くない所為か、どうも気に入ったように撮ることができない。困ったものだ。


樹齢400年と推定されるエドヒガン系のシダレザクラは、三春滝桜と同種とされ、それに次ぐ大樹で福島県天然記念物に指定されている。保存会の活動により、樹勢が回復し見事な花が咲く。
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三春の滝桜と姉妹樹と言われる樹齢約400年の大木。根回り4.1m、枝張り16m、高さ12mの紅枝垂桜。福島県の天然記念物に指定されています。福島県緑の百景にも指定されています。

永泉寺の桜全体の様子
永泉寺の桜全体の様子_1
永泉寺の桜全体の様子_2
永泉寺の桜全体の様子_3
樹齢約400年の大木(福島県の天然記念物)
樹齢約400年の大木(福島県の天然記念物)_1
樹齢約400年の大木(福島県の天然記念物)_2
樹齢約400年の大木(福島県の天然記念物)_3
樹齢約400年の大木(福島県の天然記念物)_4
樹齢約400年の大木(福島県の天然記念物)_5
樹齢約400年の大木(福島県の天然記念物)_6
樹齢約400年の大木(福島県の天然記念物)_7
手を伸ばせば届く位置にまで垂れているのがわかる
樹齢約400年の大木(福島県の天然記念物)_8
こちらは小さい方の木
こちらは小さい方の木_1
こちらは小さい方の木_2
こちらは小さい方の木_3

 

三春町~田村市~小野町~いわき市(2)

小沢の桜
以前に『滝桜』を見に行ったとき、偶然見つけた『小沢の桜』。何のことはない少し年数が経ったソメイヨシノだが、その佇まいがいつまでも記憶に残った。今回も、桜が散らずに残っているかもしれないという淡い期待を抱いて見にいった。良かった。まだ散っていなかった。
それにしても『はつ恋』の関係者はこんな桜をよくぞ見つけたものだ。

「日本の原風景」と呼ぶにふさわしい、懐かしさあふれる「小沢の桜」は、ソメイヨシノの一本桜である。通常のソメイヨシノの寿命は50年から70年であるが、この小沢の桜は樹齢約100年と言われており、かなりの長寿である。
100年前、このあたりの人が「さくら」という名前の女性の思い出に植えたのが由来だとか。いまでは樹高10.5mの立派な桜に成長している。

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すぐそばに建つ祠と野仏、遠くには移ケ岳が見渡せ、日本の原風景ともいえる風情がある。推定樹齢約100年。田中麗奈主演の映画「はつ恋」のロケ地にも使用された。

途中から見た様子
こちらからのショットは、あまり皆さんの食指を動かさないようだ。
途中から見た様子
定番かな
移ケ岳が見渡せ、祠と野仏も入ってくるこちらからのショットを狙っている方が圧倒的に多かった。
定番かな_1
定番かな_2
あれこれ頑張ってみた
少しだけクローズアップするとこんな感じ
少しだけクローズアップするとこんな感じ_1
少しだけクローズアップするとこんな感じ_2
少しだけ引いてみるとこんな感じ
少しだけ引いてみるとこんな感じ

はつ恋
監督:篠原哲雄
出演:田中麗奈、原田美枝子、真田広之
病床の母の頼みで、古いオルゴールを探しだした17歳の娘、聡夏。そのなかから古い手紙と、若き日の母とその初恋の相手、藤木の写っている写真を見つける。もう長くはない母のために、藤木を探す聡夏。しかし、ようやく探し当てた彼は、すっかりうらぶれた中年男になり果てていた。聡夏は藤木を改心させ、母とかつての約束の地「願い桜」の下で再会させようとするが…。


小沢の桜の傍にある桜
紅しだれ桜のようだ。どう見てもこちらの方が先輩だろう。
紅しだれ桜のようだ_1
紅しだれ桜のようだ_2
こちらはソメイヨシノかな
こちらはソメイヨシノかな

このシリーズでは、桜に関しては、滝桜、小沢の桜のほかに、永泉寺の桜、夏井川千本桜を取り上げる予定でいる。

 

三春町~田村市~小野町~いわき市(1)

三春町にて

三春町は三春藩の城下町。『滝桜』と『三春駒』は全国的に有名だと思うが、後者の方はそうでもないだろうか。
今回は情緒ある旧城下町の風情や三春駒を楽しむのは省略して、全国的に名高い『滝桜』だけを見ることにした。三春町は滝桜だけでなく、至る所にしだれ桜が植えられていて、そちらも『日本さくら名所100選』に選ばれるほどだが、そちらは、残年ながら見頃を過ぎた感じのようだった。


滝桜
三春町は母の生まれた土地だ。祖父が旧制中学の教師をしているときの赴任先だ。『滝桜を見に行け』とくどいくらいにいわれるので、ここ何年間かは見に行くようになった。
今年は行けないかなと思っていたが、何とかうまく都合がついて、見頃にギリギリ間に合った。午前中の比較的早い時間帯に着き、しかも平日だったため、かなり空いていた。これは平日に絶対来るべきだと思ったが、帰る頃に団体客の大群が押し寄せてきた。危ないところだったが、兎に角も空いている時間帯にじっくり桜を見ることができて良かった。

滝桜_1
滝桜_2
滝桜_3
滝桜_4
滝桜_5
滝桜_6
滝桜_7
滝桜_8
滝桜_9
滝桜_10
滝桜_11
滝桜_12
滝桜_13
滝桜_14
滝桜_15
滝桜_16
滝桜_17
滝桜_18
滝桜_19
滝桜_20
滝桜_21

付近の様子
付近の桜も負けていない
付近の桜も負けていない_1
付近の桜も負けていない_2
あの光るのが安達太良山かな。智恵子が暮らしていた本宮町から見るほど近くはないが、きれいなたたずまいだ。
あの光るのが安達太良山かな
さくら湖
さくら湖
仮設住宅近くの桜
仮設住宅近くの桜
富岡町民のための仮設住宅。本当に気の毒に思うが、原発所在地の富岡町には帰ることはできないことだろう。身の振り方が決まった人たちから退去していくことになるのかなあ。
富岡町民のための仮設住宅_1
富岡町民のための仮設住宅_2

 

横浜の孫と

横浜の孫が来たので、同居の孫たちと朝食をとりにファミレスに行った。そのときのスナップ。
食事風景はお見せできるほど穏やかではないのでカット。

お手々つないで
お手々つないで_1
お手々つないで_2
お手々つないで_3
お手々つないで_4
大人しくしていられるかなぁ
大人しくしていられるかなぁ_1
大人しくしていられるかなぁ_2
大人しくしていられるかなぁ_3
大人しくしていられるかなぁ_4

 

陸上自衛隊の記念行事を見学してみた(10)

機甲部隊の戦闘訓練展示(3)

2次攻撃
もう一度前進して砲撃を行い、また後退する。2次攻撃というところだろうか。
長くなるし、前回と似たものになるので、今回は砲撃シーンのダイジェストのみ。

素人でよくわからないのは、何故、2次攻撃、3次攻撃、4次攻撃、…というように出たり引っ込んだりするのだろうか。
そういうシナリオで、相手が押してきたので引いたということなのだろうか。それとも、攻撃ラインをいくつか有していて、交代しながら攻撃を行うことによって、主砲などの加熱を防止しているのだろうか。

2次攻撃_1
2次攻撃_2
2次攻撃_3
2次攻撃_4
2次攻撃_5
2次攻撃_6
2次攻撃_7
2次攻撃_8
2次攻撃_9
2次攻撃_10
2次攻撃_11
2次攻撃_12
2次攻撃_13
2次攻撃_14
2次攻撃_15
2次攻撃_16
空砲のシーンばかりでは迫力がないので、空砲でない場合の映像をfree画像から借用
スラローム射撃を行う10式戦車。音と少々の煙ばかりではない迫力があるようだ。
スラローム射撃を行う10式戦車

 

陸上自衛隊の記念行事を見学してみた(9)

機甲部隊の戦闘訓練展示(2)

74式戦車や90式戦車の投入
どうにも装甲車などでは相手を抑えきれないという設定だったのだろうか。あるいは、地上に展開している敵兵の存在がなくなったということなのだろうか。
たぶん、後者の理由だと思うが、満を持して74式戦車や90式戦車が投入された。いよいよ本格的な戦闘に突入する。

まずは最前線に踊り出る
74式戦車や90式戦車の投入_1
74式戦車や90式戦車の投入_2
74式戦車や90式戦車の投入_3
74式戦車や90式戦車の投入_4
74式戦車や90式戦車の投入_5
74式戦車や90式戦車の投入_6
74式戦車や90式戦車の投入_7
74式戦車や90式戦車の投入_8
74式戦車や90式戦車の投入_9
74式戦車や90式戦車の投入_10
74式戦車や90式戦車の投入_11
74式戦車や90式戦車の投入_12
74式戦車や90式戦車の投入_13
74式戦車や90式戦車の投入_14
74式戦車や90式戦車の投入_15
砲撃が始まる。主砲の仰角からして、相手は至近距離にいるものと思われる。非常に激しい砲撃だ。
74式戦車や90式戦車の投入_16
74式戦車や90式戦車の投入_17
74式戦車や90式戦車の投入_18
74式戦車や90式戦車の投入_19
74式戦車や90式戦車の投入_20
74式戦車や90式戦車の投入_21
74式戦車や90式戦車の投入_22
74式戦車や90式戦車の投入_23
74式戦車や90式戦車の投入_24
ここで『砲撃中止。そして後退準備』の指示が出たのだろうか。射撃手も後方を向いている。前方をケアしなくて大丈夫なのだろうか。
74式戦車や90式戦車の投入_25
74式戦車や90式戦車の投入_26
74式戦車や90式戦車の投入_27
74式戦車や90式戦車の投入_28
74式戦車や90式戦車の投入_29
74式戦車や90式戦車の投入_30
戦車は一旦後退。射撃手が方向を指示しているのか、操縦もしているのかわからないが、完全に後ろ向きになっている。
74式戦車や90式戦車の投入_31
74式戦車や90式戦車の投入_32
74式戦車や90式戦車の投入_33
74式戦車や90式戦車の投入_34
74式戦車や90式戦車の投入_35
74式戦車や90式戦車の投入_36
74式戦車や90式戦車の投入_37
74式戦車や90式戦車の投入_38
74式戦車や90式戦車の投入_39
74式戦車や90式戦車の投入_40
74式戦車や90式戦車の投入_41
74式戦車や90式戦車の投入_42
74式戦車や90式戦車の投入_43
74式戦車や90式戦車の投入_44
74式戦車や90式戦車の投入_45
74式戦車や90式戦車の投入_46

まだ模擬戦は続く

 

陸上自衛隊の記念行事を見学してみた(8)

訓練展示は野戦方式で、高射特科部隊と機甲部隊が、別々に行動展示と戦闘訓練展示を行う、という流れだった。
こちらはまるで慣れていないので、事象を追うだけで精一杯。撮り漏らしも少なくなかった。(^_^;)

機甲部隊の戦闘訓練展示(1)
まるで事情が飲み込めなかったので、詳しい方の前々回のブログ記述を参考に機甲部隊の戦闘訓練展示を先に記述してみる。
最初のところは、呑気に弁当をぱくついていたので見逃してしまった。その後も、想定外の展開に慌ててしまい、一部しか写真を撮ることができなかった。


撮り逃したシーン
偵察バイクが出動のシーン。ボーッと呆気にとられて見てしまった。途中で撮らなくちゃと思い直したのだが、直線的に進んだバイクがあまりにも速く、間に合わなかった。
画像なし(T_T)
普通科部隊を乗せた82式指揮通信車が登場
射撃手は状況を警戒しながら、普通科部隊員が突撃可能かの判断をしているようだ。最初は地上に展開しているかもしれない敵兵への攻撃を行うもののようだ。
82式指揮通信車が登場
普通科部隊員が降車して突撃する。地上に展開する敵兵を排除しないと、手榴弾攻撃とか射撃手狙撃などが考えられるからだろうか。
降車して普通科部隊員が突撃する_1
降車して普通科部隊員が突撃する_2
降車して普通科部隊員が突撃する_3
降車して普通科部隊員が突撃する_4
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける。
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_1
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_2
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_3
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_4
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_5
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_6
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_7
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_8
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_9
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_10

車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_11
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_12
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_13
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_14
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_15
車上の射撃手も盛んに撃ち続ける_16
偵察バイクが再度出動
戦闘開始直後の状況を確認するという設定なのだろう。あんな格好なので、グランドでは目立つが、野戦では有効なカモフラージュなのかもしれない。
偵察バイクが再度出動_1
偵察バイクが再度出動_2
87式偵察警戒車も出動
間髪を入れず、87式偵察警戒車も出動。厳しい情勢だと伝わっているのか、最初から激しく射撃を行っている。
87式偵察警戒車も出動_1
87式偵察警戒車も出動_2
87式偵察警戒車も出動_3
87式偵察警戒車も出動_4
87式偵察警戒車も出動_5
87式偵察警戒車も出動_6
87式偵察警戒車も出動_7
87式偵察警戒車も出動_8
87式偵察警戒車も出動_9
87式偵察警戒車も出動_10
87式偵察警戒車も出動_11

 

陸上自衛隊の記念行事を見学してみた(7)

車両等が動く本もののパレード(6)

真打ち登場
猛スピードでグランド内を走行し始める。他の車両とは違って、高速でグランド狭しと走行する。
入場すべく90度旋回する
真打ち登場_1
真打ち登場_2
真打ち登場_3
真打ち登場_4
真打ち登場_5
此処で今までの車両は直進していたが、これは減速すること無く更に90度左に旋回する
真打ち登場_6
真打ち登場_7
真打ち登場_8
真打ち登場_9
真打ち登場_10
そして猛スピードで走りだす
真打ち登場_11
真打ち登場_12
真打ち登場_13
真打ち登場_14
真打ち登場_15
真打ち登場_16
真打ち登場_17
真打ち登場_18
真打ち登場_19
今度は右に90度旋回する。減速しない感じなので、ものすごい迫力だ。
真打ち登場_20
真打ち登場_21
そのまま直進
真打ち登場_22
真打ち登場_23
真打ち登場_24
真打ち登場_25
音楽隊を巻くように右に旋回する。直立している音楽隊員も相当な風圧を感じていることだろうが、身じろぎもしない。
真打ち登場_26
真打ち登場_27
真打ち登場_28
真打ち登場_29
真打ち登場_30
少し直進し、急ブレーキをかける
真打ち登場_31
真打ち登場_32
つんのめるように停止するが、すぐ手前で微動だにしない観閲者。その勇気たるや相当なものだ。
真打ち登場_33
そして左に90度旋回し、直進を開始する
真打ち登場_34
真打ち登場_35
真打ち登場_36
真打ち登場_37
真打ち登場_38
真打ち登場_39
真打ち登場_40
最後はゆっくりと直進し、観閲者に敬礼をして退場
真打ち登場_41
真打ち登場_42
真打ち登場_43
真打ち登場_44
真打ち登場_45
最後に音楽隊が演奏をして終了
最後に音楽隊が演奏_1
最後に音楽隊が演奏_2

パレードは以上で終了。次に小休止の後、模擬戦が始まる。

 

陸上自衛隊の記念行事を見学してみた(6)

車両等が動く本もののパレード(5)

再び戦車や装甲車の登場だ

10式戦車
前記の通り最新鋭のもの。C4Iシステム搭載。
C4Iシステム(C Quadruple I system シー・クウォドルプル・アイ・システム、英: Command Control Communication Computer Intelligence system)は、軍隊における情報処理システム。指揮官の意思決定を支援して、作戦を計画・指揮・統制するための情報資料を提供し、またこれによって決定された命令を隷下の部隊に伝達する。すなわち、動物における神経系に相当するものであり、部隊の統制や火力の効率的な発揮に必要不可欠である。
10式戦車_1
10式戦車_2
10式戦車_3
10式戦車_4
96式装輪装甲車
96式装輪装甲車_1
96式装輪装甲車_2
96式装輪装甲車_3
96式装輪装甲車_4
軽装甲機動車
軽装甲機動車_1
軽装甲機動車_2
74式戦車
順次退役が始まっているが現在も陸上自衛隊の主力戦車
74式戦車_1
74式戦車_2
74式戦車_3
74式戦車_4
90式戦車回収車
90式戦車の車体を流用した戦車回収車。こんなものがあるとは知らなかった。
90式戦車回収車_1
90式戦車回収車_2
90式戦車回収車_3
73式装甲車
73式装甲車_1
73式装甲車_2
87式偵察警戒車
87式偵察警戒車_1
87式偵察警戒車_2
偵察用オートバイ(Kawasaki KLX250)
偵察用オートバイ
??????
何に使うのだろうか?
??????

 

陸上自衛隊の記念行事を見学してみた(5)

車両等が動く本もののパレード(4)

73式中型トラックに搭載された79式対空レーダー装置 JTPS-P9かな
現在は後継となる低空レーダ装置JTPS-P18に置き換わりつつある。
どのように使用するかは、模擬戦の時のシーンでご覧頂きたい。ものすごく緊張した場面で活躍するのだ。
73式中型トラックに搭載された79式対空レーダー装置 JTPS-P9
73式大型トラックに搭載された対空レーダー JTPS-P14
73式大型トラックに搭載された対空レーダー JTPS-P14
高機動車に搭載した93式近距離地対空誘導弾、通称「SAM」
35mm二連装高射機関砲L-90の後継として配備が進められている。
高機動車に搭載した93式近距離地対空誘導弾、通称「SAM」_1
車に搭載した93式近距離地対空誘導弾、通称「SAM」_2
81式短距離地対空誘導弾の射撃統制装置搭載車両
装置上面にはパッシブ式のフェーズドアレイレーダーが折り畳まれている。
地上から誘導弾を発射し防空任務をあたる装備。通称短SAMは、射撃統制装置1基と発射装置2基で構成され、それぞれが3.5t大型トラックのベースに搭載されており、独自に目的地への移動が可能。
81式短距離地対空誘導弾の射撃統制装置搭載車両_1
81式短距離地対空誘導弾の射撃統制装置搭載車両_2
81式短距離地対空誘導弾(C)と発射装置搭載車両
81式短距離地対空誘導弾(C)と発射装置搭載車両_1
81式短距離地対空誘導弾(C)と発射装置搭載車両_2
??????
中に何が入っているのだろうか
??????

この辺で気分転換の意味で、ド迫力の模擬戦の様子をチラとだけ
さあ、どうだろう
ド迫力の模擬戦の様子

パレードは続く

軽レッカ
軽レッカ
グレーダー
こういうものも必要不可欠な機械なのだろう
グレーダー_1
グレーダー_2
兵員輸送用トラック
兵員輸送用トラック

この後は、戦車と装甲車とが続々入場する

 

陸上自衛隊の記念行事を見学してみた(4)

車両等が動く本もののパレード(3)

パレードが始まった
音楽隊が先頭
音楽隊が先頭_1
音楽隊が先頭_2
音楽隊が先頭_3
音楽隊が先頭_4
音楽隊が先頭_5
音楽隊が先頭_6
10式戦車
音楽隊の直後に登場するということは、『見せたい』『見たい』ともに一番人気の注目の存在のようだ。陸上自衛隊の最新鋭戦車。
10式戦車_1
10式戦車_2
10式戦車_3
10式戦車_4
96式双輪装甲車
本当に物々しい。82式指揮通信車はこの型式に更新が始まったとのこと。ということは、指揮通信車の機能を有す高性能車両のようだ。
96式双輪装甲車_1
96式双輪装甲車_2
96式双輪装甲車_3
3番めはジープ
陸上自衛隊では1/2トントラックというようだ。以前は、三菱J24ジープベースの小型汎用輸送車両だったように思うが、これはまた、随分と進化したもののようだ。
3番めはジープ_1
3番めはジープ_2
次は軽装甲機動車
実戦では最も活躍しそうだ。決してこいつの敵対勢力にはなりたくない。こんなので迫られたら、生命などいくつあっても足りなさそうだ。
軽装甲機動車_1
makiraさん、ご免なさい。こういう使い方もできるようです。m(_ _)m
free画像を借用。こういう画像を撮ることができるのは、首都圏近辺では東富士演習場もしくは北富士演習場に限られるのでは。
軽装甲機動車_2

いちいち順番など数えていられなくなってきた

82式指揮通信車
戦後初の国産装輪式装甲車で、普通科・機甲科・特科他で本部指揮車として使用している。96式双輪装甲車への更新が始まっているとのこと。
82式指揮通信車_1
82式指揮通信車_2

次はいよいよ色々な車両が登場する。調べるのに時間がかかりそう。オタクの人ならあっという間にわかってしまうのだろうが。

 

陸上自衛隊の記念行事を見学してみた(3)

車両等が動く本もののパレード(2)

パレードの準備
音楽隊が先頭で、次に戦車と装甲車が続くようだ
先頭の音楽隊に続く戦車と装甲車が_1
先頭の音楽隊に続く戦車と装甲車が_2
さらに、その次につくために車両が移動を開始
一旦退場して、入場門からパレードに参加するようだ。各種車両の大移動だ。あとで車両の型式名などを特定できるだろうか。(^_^;)
パレード参加のための各種車両の大移動_1
パレード参加のための各種車両の大移動_2
パレード参加のための各種車両の大移動_3
パレード参加のための各種車両の大移動_4
パレード参加のための各種車両の大移動_5
パレード参加のための各種車両の大移動_6
パレード参加のための各種車両の大移動_7
パレード参加のための各種車両の大移動_8
パレード参加のための各種車両の大移動_9
パレード参加のための各種車両の大移動_10
パレード参加のための各種車両の大移動_11
パレード参加のための各種車両の大移動_12
パレード参加のための各種車両の大移動_13
パレード参加のための各種車両の大移動_14
パレード参加のための各種車両の大移動_15
パレード参加のための各種車両の大移動_16
パレード参加のための各種車両の大移動_17
パレード参加のための各種車両の大移動_18
パレード参加のための各種車両の大移動_19
パレード参加のための各種車両の大移動_20
パレード参加のための各種車両の大移動_21
パレード参加のための各種車両の大移動_22
パレード参加のための各種車両の大移動_23
パレード参加のための各種車両の大移動_24
パレード参加のための各種車両の大移動_25
パレード参加のための各種車両の大移動_26

 

陸上自衛隊の記念行事を見学してみた(2)

隊員入場
第1音楽隊が先陣を切って入場する。この時はパーカッションのみの演奏。このリズムが実に鮮やか。思わず背筋が伸びる感じだ。
第1音楽隊が先陣を切って入場する_1
第1音楽隊が先陣を切って入場する_2
第1音楽隊が先陣を切って入場する_3
第1音楽隊が先陣を切って入場する_4
第1音楽隊が先陣を切って入場する_5
次に本来は各種の装備を操る隊員たちが自らの足で行進する。軽機関銃と小銃程度の装備では強そうな感じは受けないが、実際には相当な戦力なのかもしれない。
各種の装備を操る隊員たちが自らの足で行進_1
各種の装備を操る隊員たちが自らの足で行進_2
各種の装備を操る隊員たちが自らの足で行進_3
各種の装備を操る隊員たちが自らの足で行進_4
指揮官入場
部隊を統率する指揮官が入場し、挨拶を受ける
部隊を統率する指揮官が入場_1
部隊を統率する指揮官が入場_2
指揮官も含めて整列して、式典の準備体制が整った
指揮官も含めて整列して、式典の準備体制が整った_1
指揮官も含めて整列して、式典の準備体制が整った_2
指揮官も含めて整列して、式典の準備体制が整った_3
国歌吹奏
国歌吹奏_1
国歌吹奏_2

この後のセレモニーは退屈なだけなので省略

観閲
観閲_1
観閲_2
観閲_3
観閲_4

車両等が動く本もののパレード(1)
パレード準備のため散開する
パレード準備のため散開_1
パレード準備のため散開_2
パレード準備のため散開_3
準備にかかりだした。彼らは、軍楽隊のすぐ後を走るようだ。
準備にかかりだした
こういう桜の風景はあまり見られないのかも
こういう桜の風景はあまり見られないのかも
こちらも準備完了
こちらも準備完了_1
こちらも準備完了_2
いよいよパレードが始まる。『進め』の合図が出るまでその場に待機する。観客も固唾を呑んで見守る。
いよいよパレードが始まる

 

陸上自衛隊の記念行事を見学してみた(1)

4月6日(日)に、陸上自衛隊駒門駐屯地創立54周年記念行事が行われた。バス旅行の募集がなされていたので、多少興味がなくもなく、それに参加してみた。
参加してびっくり。阪急交通社のバスだけで30台も出ているのだそうだ。


ズラリと並んだ観光バス。行く先々で男性トイレに行列ができる。あまりない経験だ。
ズラリと並んだ観光バス
駒門駐屯地の西門から入る
早くも軍用車両がズラリ。私のような俄オタクには圧倒されること頻り。
早くも軍用車両がズラリ_1
早くも軍用車両がズラリ_2
早くも軍用車両がズラリ_3
早くも軍用車両がズラリ_4
早くも軍用車両がズラリ_5
早くも軍用車両がズラリ_6
早くも軍用車両がズラリ_7
早くも軍用車両がズラリ_8
隊員たちの俄売店が忙しく準備中。多くの人たちは、記念式典会場に急ぐ。それでなくても見えにくくなる可能性大だから。
急げや急げ_1
急げや急げ_2
記念式典開始前
会場にはずらり、観閲式に観閲を受ける車両が勢揃
会場にはずらり、観閲式に観閲を受ける車両が勢揃_1
会場にはずらり、観閲式に観閲を受ける車両が勢揃_2
会場にはずらり、観閲式に観閲を受ける車両が勢揃_3
式典開始の30分前にはすでにこんな格好で待機。訓練されているとはいえ、大変なことだ。第1音楽隊は第1師団の演奏活動を担当する部隊とのことだ。
式典開始の30分前には_1
式典開始の30分前には_2
式典開始の30分前には_3
この戦車なども飾りではないのだ。戦車は、最新鋭の10式戦車 愛称:ヒトマルのようだ。
この戦車なども飾りではないのだ_1
96式装輪装甲車 略称:WAPC 愛称:クーガーのようだ
この戦車なども飾りではないのだ_2
もう間もなく入場だ。これを操作する隊員たちは、入場行進のために別のところで待機中だ。
これを操作する隊員たちは、入場行進のために別のところで待機中だ_1
これを操作する隊員たちは、入場行進のために別のところで待機中だ_2
これを操作する隊員たちは、入場行進のために別のところで待機中だ_3

 

横浜にて(7)

山手洋館等を見る(2)
横浜市イギリス館
イギリス館は、昭和12(1937)年に上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在の地に建てられました。鉄筋コンクリート2階建てで、広い敷地と建物規模をもち、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていました。
主屋の1階の南側には西からサンポーチ、客間、食堂が並び、広々としたテラスから芝生の庭につながっています。2階には寝室や化粧室が配置され、広い窓から庭や港を眺望できます。地下にはワインセラーもあり、東側につく付属屋は使用人の住居として使用されていました。玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版(ジョージⅥ世の時代)や、正面脇の銅板(British Consular Residence)が、旧英国総領事公邸であった由緒を示しています。

英国総領事公邸はこんなに贅沢なものだったのか。昭和12(1937)年当時の横浜における総領事の仕事とはどんなものがあったのだろうか。太平洋戦争開戦前の日本の様子、特に横浜や横須賀の様子を探ることだったのだろうか。
横浜市イギリス館_1
横浜市イギリス館_2
横浜市イギリス館_3
横浜市イギリス館_4
横浜市イギリス館_5
横浜市イギリス館_6
横浜市イギリス館_7
横浜市イギリス館_8
横浜市イギリス館_9
横浜市イギリス館_10
山手111番館
イギリス館の南側、噴水広場を挟んで立っているスパニッシュスタイルの洋館が、山手111番館です。
ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とし、ローズガーデンを見下ろす建物は、大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として現在地に設計されました。
設計者は、べーリック・ホールを設計したJ.H.モーガンです。玄関前の3連アーチが同じ意匠ですが、こちらは天井がなくパーゴラになっているため、異なる印象を与えています。大正9(1920)年に来日したモーガンは、横浜を中心に数多くの作品を残していますが、山手111番館は彼の代表作の一つと言えるでしょう。
赤い瓦屋根に白壁の建物は地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟作りです。
創建当時は、地階部分にガレージや使用人部屋、1階に吹き抜けのホール、厨房、食堂と居室、2階は海を見晴らす寝室と回廊、スリーピングポーチを配していました。

ベーリック・ホールに何か似た感じがあると思ったら、設計者が同じJ.H.モーガンだったのか。それほど大きな家ではないが、こちらもまた素敵な建物だ。
山手111番館_1
二階部分は常時公開ではなく、何回かの企画開催時に公開を行う。一度でいいから二階にも行ってみたいものだ。この高さならば、私でも大丈夫だ。
山手111番館_2
山手111番館_3
山手111番館_4
山手111番館_5
山手111番館_6
山手111番館_7
山手111番館_8
山手111番館_9
最後に日本丸
いつ見ても優美な姿だ。惚れ惚れする。
日本丸_1
日本丸_2

以上で、7回にわたった『横浜にて』を終了します。最後までご覧頂き有難う御座いました。

 

横浜にて(6)

山手洋館等を見る(1)

時間がなかったので山手洋館の一部を駆け足で見て回った。その内で、ベーリック・ホールはいつも結婚式に貸し出されていて、内部をじっくり見ることができないでいた。今回は、たまたま貸出がなかったようで、ゆっくり見ることができた。

ベーリック・ホール
べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンです。モーガンは山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築を残しています。
600坪の敷地に立つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。内部も、広いリビングやパームルーム、和風の食堂、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復元されているなど、建築学的にも価値のある建物です。

ベリック氏がマリア会に寄付し、マリア会は学校経営をしていたセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用していた。同校の閉校に伴い、主たる用途を失ったこの建物。横浜市の働きかけで寄付したのか。とんでもなく素敵なスペイン風の寄宿舎だったようだ。
ベーリック・ホール_1
ベーリック・ホール_2
ベーリック・ホール_3
ベーリック・ホール_4
ベーリック・ホール_5
ベーリック・ホール_6
ベーリック・ホール_7
ベーリック・ホール_8
ベーリック・ホール_9
ベーリック・ホール_10

ベーリック・ホール_11
ベーリック・ホール_12
ベーリック・ホール_13
ベーリック氏の子息の部屋だったのか。子供にこんな部屋はもったいない感じがしないでもないが、それだけの成功者だったのだろう。
ベーリック・ホール_14
ベーリック・ホール_15
ベーリック・ホール_16
ベーリック・ホール_17
ベーリック・ホール_18
ベーリック・ホール_19
ベーリック・ホール_20

ベーリック・ホール_21
ベーリック・ホール_22
ベーリック・ホール_23
庭にはジャノメエリカの花が咲いていた。ずいぶん大きくなる花木なんだ
ベーリック・ホール_24

エリスマン邸
べーリック・ホールと小道を挟んで移築されているのはエリスマン邸です。
エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。
当時は木造2階建て、和館つきで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、軒の水平線の強調など、設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られます。

こちらも素敵な建物。ベーリック・ホールと違い、いつでも自由に見て回ることができる分、人気が高いようだ。
エリスマン邸_1
エリスマン邸_2
エリスマン邸_3
エリスマン邸_4
エリスマン邸_5

 

たまの外食

孫娘2人の世話で落ち着いて夕食を取ることができないので、久しぶりに息抜きの外食をした。今回は、自由が丘のタベルナ メッシーナというところにしてみた。
自宅から徒歩15分程度なので、往復とも歩き。


お店にて
外はこんなふう
外はこんなふう_1
外はこんなふう_2
最初はビールから
当日は日中はすごくポカポカ陽気で、多少喉が渇いていた。
最初はビールから
まずはパン
2種類のパンは結構イケた。妻は後のことを考慮してパンを食べないやり方なので、私一人で全部食べた。
まずはパン
店内の様子
待っている間に店内の様子を撮ってみた。一番乗りだったので他の客の迷惑にはならなかった。
店内の様子
アスパラガスのスープ
見た目はポタージュのような感じだったが、いただくと確かにアスパラガスの清々しい感じがしてくる。かなり美味しいものだった。
アスパラガスのスープ
前菜
ライスコロッケ、カジキマグロの◯◯、鴨(だったかな)肉のロースト、テリーヌ、タコの◯◯だったかな。この辺までは余裕を持ってクリア。
前菜
ここでワインに切り替えた
ワインに切り替えた。フォアグラは完全に治ったはずなのに、暫くお酒を飲んでいない内にかなり弱くなってしまった。大半は妻の胃の中に。
ここでワインに切り替えた
パスタ
桜えびと芽キャベツのパスタ。手打ち麺だった。大したボリュームではなかったはずだが、麺がやや太い分、…。桜えびの漁はいつ解禁なのかなあ、などと考えながら食べた。桜えびは私の大好物。
パスタ
メインディッシュ
見た通りの料理。やや塩味が利かせてあった。美味しかったのだが、もう少し塩味を控えた方がなお良かったかも。
メインディッシュ
スイーツ
大好きだから、勿論完食。
スイーツ

また、少し太ったかも。少し動かなくちゃ。

帰り道
塀の上を見上げると
花桃かな。肉眼では暗くてよくわからない。フラッシュ不使用なのに、カメラのほうがよく分かる感じ。
花桃かな
例の一角で
飲食も買い物もしないのに、図々しく写真だけ撮らせてもらった。いつかお礼をしなくちゃ。
例の一角で_1
例の一角で_2
例の一角で_3
例の一角で_4
例の一角で_5
例の一角で_6
例の一角で_7

 

恵比寿界隈でのスナップ

目についたものを次々と撮ってみた

首を傾げた様子がなんともかわいい
猛禽類とは思えないほどの可愛らしさだ。でも近くには怖くて寄れない。
首を傾げた様子がなんともかわいい
トキワマンサクの競演
トキワマンサクの競演_1
トキワマンサクの競演_2
黄梅
黄梅だと思うのだけど、…
黄梅だと思うのだけど、…
花屋さんのショーウィンドウ
映りこみが案外素敵に見えた
映りこみが案外素敵に見えた
渋谷川の清掃作業
都市型河川ではちょっと雨が降るとものすごい濁流になる危険性がある。我が家の近くの呑川では何年か前に死亡事故が発生している人命に係る作業なのだ。
渋谷川の清掃作業_1
渋谷川の清掃作業_2
珈琲店にて
ネルの漉し袋は頻繁に交換する必要があるようだ。手作りで仕上げるようだ。
珈琲店にて_1
珈琲店にて_2
珈琲店にて_3
格好いいバイクたち
このバイク屋さんは開店時間が異常に遅い。この日はたまたま私が通る時間に開店していたので、これ幸いとばかりに撮ってみた。
格好いいバイクたち_1
格好いいバイクたち_2
格好いいバイクたち_3
格好いいバイクたち_4

 

横浜にて(5)

赤レンガ倉庫で待ち合わせてざっと外観を見て、内部をチラ見した後、時間も時間なので、中華街に向かった。
お客様が居たので、写真撮影は自粛し、食後に関帝廟へ皆で出かけた。


今日も中華街はお気楽さんがいっぱい
3連休直後の月曜日だというのに、それなりの人出だ。斯くいう私もその一人だが。会社や学校は大丈夫なのだろうか。学校は春休みか。
中華街はお気楽さんがいっぱい

関帝廟
関帝廟(かんていびょう)は、関帝(関羽・関聖帝君・関帝聖君)を祀る廟。孔子を祀る孔子廟(文廟)に対比させて、武廟(ぶびょう)とも呼ぶ場合もある。
関帝廟の本殿は中央に関羽を祭り、右側に小説『三国志演義』で養子の関平(史実では実子)、左側に同じく『演義』に登場する配下の武将周倉の二神をそれぞれ祭っている。
関羽は、信義や義侠心に厚い武将として名高くまた『演義』での普浄の逸話などから、民衆によって様々な伝承や信仰が産まれ、信仰を高め、また後の王朝によって神格化されていった。その関羽を祭ったほこらが関帝廟の始まりである。
また、関羽は(塩湖で知られた解県の出身である為)塩の密売に関わっていたという民間伝承があり、義に厚いとされる事から商売の神として祭られた。この事に起因して、そろばんの発明をしたという俗説まで生まれた。そのため世界中に華僑が散らばっていったときに、商売が繁盛する様にとその居住区に関帝廟を立てた。そのため世界中の中華街などで関帝廟を見ることが出来る。

現在の関帝廟は1990年に完成した豪華な建造物
日本が開国して横浜の港が開かれたのは、幕末の1859年。多くの中国人が商人や職人として横浜を訪れ、外国人居留地(現山下町)で暮らすようにな。それからわずか数年後の1862年、一人の中国人が關羽の木像を抱いて、現在の地にささやかな祠を開いたといわれます。これが横浜の關帝廟の始まりです。
それから早150年余。過去3度の焼失にもめげずにその都度再建された。今の建物は4代目ということになる。小さな祠から出発し、第三代までの關帝廟は中華街の通りの奥に鎮座し、参拝するのはほとんど華僑で、中華街の鎮守的性格が強く、通りすがりに立ち寄るところではなかったようだ。
第四代關帝廟は通りに面した開放的な場所に建てられた。中華街に暮らす人たちだけでなく、この街を訪れる多くの観光客が気軽に足を運ぶ場所になったようだ。正直なところ、いい加減爺さんになってから初めて関帝廟を見たのだ。


関聖帝君に対する尊敬の念など全く持ちあわせていない私が、ここで勝手に写真を撮って良いものか判断に迷った。都合の良い解釈をし、ちょっと控えめに写真を撮ることにした。

関帝廟入り口
大勢の観光客が記念写真を撮っていた。間違いなく観光名所なんだ。足が長く見えるのは超広角を使った所為。私もとってもらうんだった。普通の長さくらいには見えたかもしれない。
関帝廟入り口_1
関帝廟入り口_2
関帝廟入り口_3
境内
入り口を潜る人は案外に少ない。私は図々しくも潜ってみた。境内には石獅(狛犬)等がある。この辺は丁寧に写真を撮っておくべきだった。
境内_1
本殿前から入り口方面を見た様子
境内_2
本殿の周り
華表、観音石龍柱、香炉がある。ここも丁寧に写真を撮っておくべきだった。
本殿の周り
本殿
主神は関聖帝君
中:関聖帝君
右:関平(關平将軍)
左:周倉(周蒼将軍)

この並び方は世界共通のようだ。此処は図々しく写真を取り過ぎたかも。
ここまで来たら、500円を支払って線香等を買い、正式に参拝すればよかったと後になって思った。変なところで財布が渋くなる自分の素直でない性格を恨めしく思った次第。それにしても作法の仕方を読むと、中国の人はこんなにたくさんお願いするものなんだと驚くほどだ。いくらなんでも、欲張りすぎのような感じがしちゃうのだが。

本殿の様子_1
本殿の様子_2
本殿の様子_3
本殿の様子_4
横浜中華学院
子弟のための学校だ。華僑魂を叩き込まれる場でもあるのだろう。
横浜中華学院

 

横浜にて(4)

赤レンガ倉庫
赤レンガ倉庫は、明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物です。創建当時から横浜港の物流拠点として活躍してきましたが、新港ふ頭が物流機能を他のふ頭に譲っていく中、赤レンガ倉庫も倉庫として利用されなくなり、地区のシンボルとして静かに佇んでいました。
横浜市では、『ハマの赤レンガ』と呼ばれ多くの市民に親しまれてきたこの赤レンガ倉庫を、貴重な歴史的資産として保存し、また市民の身近な賑わい施設として活用するため、平成4年3月に国から取得しました。
取得後、建物補強のための工事を行うとともに、活用の方法について検討を進めてきた結果、「港の賑わいと文化を創造する空間」を事業コンセプトとして、横浜らしい文化を創出し、市民が憩い・賑わう空間として位置付けた赤レンガ倉庫の活用計画がまとまりました。横浜市及び民間事業者(2号倉庫)は、その活用計画に基づき内部改修工事を実施し、2002年(平成14年)4月12日に新たに施設がオープンしました。


改修前の倉庫は、かなり薄汚れたものだったという記憶があるのだが、見違えるような綺麗さで復元された。
今回、倉庫内部の様子は撮らなかったが、相当におしゃれな店舗が並んでいる。行って見る価値大いにありだ。


少し離れた位置などから眺めた様子
手前側の小さな建物が1号館(文化施設)で、大きな建物が2号館(商業施設)。1号館は関東大震災で一部損壊の被害を受け、以前よりは小さくなったようだ。
少し離れた位置から眺めた様子_1
少し離れた位置から眺めた様子_2
この画像のみFREEの画像を借用
高所から見た赤レンガ倉庫
2号館(商業施設)
2号館(商業施設)_1
2号館(商業施設)_2
2号館(商業施設)_3
2号館(商業施設)_4
2号館(商業施設)_5
2号館(商業施設)_6
2号館(商業施設)_7
2号館(商業施設)_8
2号館(商業施設)_9
2号館(商業施設)_10
2号館(商業施設)_11
1号館(文化施設)
1号館(文化施設)_1
1号館(文化施設)_2
1号館(文化施設)_3
中庭では
当日はFLOWER GARDEN 2014というイベントの準備中だった。
此処ではいつも何らかのイベント実施中か、または、準備中のようで、空きはなさそうな感じだ。

FLOWER GARDEN 2014というイベントの準備中だった_1
FLOWER GARDEN 2014というイベントの準備中だった_2
FLOWER GARDEN 2014というイベントの準備中だった_3
FLOWER GARDEN 2014というイベントの準備中だった_4
FLOWER GARDEN 2014というイベントの準備中だった_5
FLOWER GARDEN 2014というイベントの準備中だった_6
引込線の跡
案外倉庫から離れたところを通っていたようだ。
引込線の跡_1
引込線の跡_2

以下のjump先には、改装前の写真が載っている。随分な様変わりぶりに驚かれるかもしれない。
新港埠頭1号・2号上屋 (新港埠頭保税倉庫)の写真がある頁へJUMP
引込線の写真がある頁(その1)へJUMP
引込線の写真がある頁(その2)へJUMP

 

横浜にて(3)

大さん橋
大さん橋(おおさんばし)は、神奈川県横浜市中区にある横浜港の港湾施設。1894年に完成した鉄桟橋を前身とし、税関桟橋、横浜桟橋、山下町桟橋等のさまざまな名称があったが、その後、大桟橋に落ち着いた。その他、太平洋戦争後連合軍に接収されていた間は、サウスピアと呼ばれ、明治の末頃から1970年頃までは、メリケン波止場とも呼ばれていた。前身施設は名実ともに桟橋であったが、2002年に完成した現在の大さん橋は構造的には「桟橋」ではなく「岸壁」であり、平仮名混じりの「大さん橋」が正式の表記である。
アプローチ部分はこんな感じ
ずっとウッド・デッキになっていて、歩くと非常に気分が良い
アプローチ部分_1
アプローチ部分_2
アプローチ部分_3
アプローチ部分_4
アプローチ部分_5
アプローチ部分_6
『くじらのせなか』からの眺望
こちらも引き続いてウッド・デッキになっていて、アプローチ部分と同様に歩くと非常に気分が良い
大さん橋屋上のフリースペースは、大型客船の入出港時等は多くの見物客で賑わい、今や横浜の一大観光スポットとなっているが、このスペースをより親しみやすい場所に育てるべく、2006年に横浜市港湾局が愛称を一般から公募した。その結果、大さん橋全体を大きなクジラに見立てる形での『くじらのせなか』という名称が選定され、同年12月4日、公式な愛称として同港湾局より発表された。
超広角
『くじらのせなか』からの眺望_超広角_1
『くじらのせなか』からの眺望_超広角_2
望遠
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_1
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_2
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_3
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_4
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_5
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_6
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_7
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_8
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_9
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_10
『くじらのせなか』からの眺望_望遠_11
標準系
『くじらのせなか』からの眺望_標準系_1
『くじらのせなか』からの眺望_標準系_2
『くじらのせなか』からの眺望_標準系_3

以下2ショットはfreeの画像を借用した
ちなみにホール内部はこんなふう
ちなみにホール内部はこんなふう
海上からはこんなふうに見えるようだ
海上からはこんなふうに見えるようだ

 

横浜にて(2)

約束まで時間がたっぷりあるので、横浜貿易会館を経由したコースで大桟橋に向かう

横浜貿易会館
横浜貿易会館はSCANDIAのあるビル。1929(昭和4)年築のかなり歴史あるビルだ。斜め向かいに『シルク博物館』があり、通りを隔てて『横浜開港資料館』がある。
横浜貿易会館のお店_1
横浜貿易会館のお店_2
横浜貿易会館のお店_3
横浜貿易会館のお店_4
有名な老舗北欧料理レストラン『SCANDIA』
有名な老舗北欧料理レストラン『SCANDIA』
シルク博物館とも向かい合っている
シルク博物館
道筋にて
道筋にて_1
道筋にて_2
道筋にて_3
道筋にて_4
海が見え出した
『象の鼻波止場』または『開港波止場』というようだ。いろいろ見えるぞ。
いろいろ見えるぞ_1
いろいろ見えるぞ_2
いろいろ見えるぞ_3
いろいろ見えるぞ_4
象の鼻
ここからは横浜の美しい景色がよく見える
超広角レンズで撮影
象の鼻にて_1
象の鼻にて_2
象の鼻にて_3
望遠レンズで撮影
象の鼻にて_4
象の鼻にて_5
象の鼻にて_6
象の鼻にて_7
象の鼻にて_8
標準系レンズで撮影
象の鼻にて_9
象の鼻にて_10
象の鼻にて_11
象の鼻テラスのソフトクリームはこんなふう
象の鼻テラスのソフトクリーム

 

横浜にて(1)

3月下旬のある日、知人と午後から赤レンガ倉庫で待ち合わせをしていた。が、当日はあまりにも天気が良いだった。このままボーっとしているのは非常に勿体無く思えた。スケジュールを変更して、約束の2時間位前に待ち合わせの場所近くまで出てきて、何度も見ている景色を撮りまくった。

横浜三塔
キングの塔(神奈川県庁本庁舎)・クイーンの塔(横浜税関)・ジャックの塔(横浜市開港記念会館)は、地元では「横浜三塔」と呼ばれ、横浜港のシンボルとして永年市民に親しまれている。
大桟橋から撮った三塔の揃い踏み。左から、キング、ジャック(奥まっているので小さく見える)、クイーンの順番で並んでいる。

三塔の揃い踏み
象の鼻からは二塔のみが見える
象の鼻からは二塔のみ
ジャックの塔(横浜市開港記念会館)
私の中では三塔の内で一番好きな建物だ。実は外観が優れているばかりでなく、館内も外観に劣らず素敵だ。それをも撮ろうと思ったが、月曜日は休館日で入れずじまいだった。
ジャックの塔(横浜市開港記念会館)_1
ジャックの塔(横浜市開港記念会館)_2
仕方がないので、内部の写真は前回のものを再使用する
ジャックの塔の内部(前回分再使用)_1
ジャックの塔の内部(前回分再使用)_7
ジャックの塔の内部(前回分再使用)_2
ジャックの塔の内部(前回分再使用)_3
ジャックの塔の内部(前回分再使用)_4
ジャックの塔の内部(前回分再使用)_6
ジャックの塔の内部(前回分再使用)_5
岡倉天心生誕の地でもあるようだ
福井藩の下級藩士の父・岡倉勘右衛門は、藩命で武士の身分を捨て、福井藩が横浜に開いた商館石川屋(現・横浜開港記念会館)の貿易商となった。1863年2月14日(文久2年12月26日)、その商店の角倉で生まれたことから、覚三は当初「角蔵」と名付けられた。
岡倉天心生誕の地でもある
キングの塔(神奈川県庁本庁舎)
あまり近くから撮ると塔の部分が大きく見えないかもしれないが、実際にはかなり高いものだ。重厚感はかなりのものがある。
キングの塔(神奈川県庁本庁舎)_1
キングの塔(神奈川県庁本庁舎)_2
キングの塔(神奈川県庁本庁舎)_3
クイーンの塔(横浜税関)
私の好みを正直に言えば、あまり好きではない。どうにも安っぽいモスクのような感じに見えてしまう。
クイーンの塔(横浜税関)_1
クイーンの塔(横浜税関)_2
クイーンの塔(横浜税関)_3
クイーンの塔(横浜税関)_4

 

今年の桜の見納め

もうそろそろ桜の時期が終わりそうな感じになってきたので、慌てて撮ってみた。

4月1日の様子
この日は天気がよく、葉桜まではまだ何日かありそうな感じがした。いつも自宅から20m以内で撮っていたが、気合を込めて100mほど先まで足を伸ばして撮ってみた。
Canon Global Management Institute前にて
Canonの建物の前で非Canon機で写真を撮るのはいかがなものかと思わないでもないが、…。
Canon Global Management Institute前にて_1
Canon Global Management Institute前にて_2
Canon Global Management Institute前にて_3
Canon Global Management Institute前にて_4
Canon Global Management Institute前にて_5
Canon Global Management Institute前にて_6
櫻の樹の下には
櫻の樹の下には_1
櫻の樹の下には_2

4月3日の様子
この日は生憎の雨。自宅付近の桜はかなり葉桜になりかかっていた。目黒川の方は、開渠になっている分、2-3日は開花の推移が遅い感じなので、もしかしたら間に合うかもしれないと思い、恵比寿に行った帰りに歩いてみた。
結果はそう甘くはなかった。まだ葉桜まではいかないもののあまり良い感じには見えなかった。やはり晴れた日に撮りたいものだ。

あまり良くない感じ_1
あまり良くない感じ_2
おばさんたちもがっかりの様子
おばさんたちもがっかりの様子
カルガモは食事の真っ最中だった
カルガモは食事の真っ最中だった
中目黒駅のホーム代官山駅寄りの位置から下流側
蛇崩川との合流地点
蛇崩川との合流地点_1
蛇崩川との合流地点_2
中目黒駅のホーム代官山駅寄りの位置から上流側
幅の広い川でセパレートされているはずなのに、上から見ると川など存在しないかのようだ。肉眼ではピンク一色のように見えたが、帰宅してからよく見ると、呑川程ではないにせよ、葉桜になりかかっていた。
中目黒駅のホーム代官山駅寄りの位置から上流側_1
中目黒駅のホーム代官山駅寄りの位置から上流側_2

 

自然教育園(4)

武蔵野植物園を後にする

どうしてこんなことに
暫く行くと変な木が見つかった。どうしてこんなことになったのだろう?後方に転がっている枝のようなものがもぎれたのだろうか?
変な木_1
変な木_2
おろちの松
この大きな松は江戸時代、松平讃岐守(まつだいらさぬきのかみ)の下屋敷の面影を残す松の一つです。樹齢約300年、いつの頃からか、大蛇の松と伝えられています。
確かに大蛇の鱗のように見えなくもない感じだ。

おろちの松_1
おろちの松_2
これも不思議だ
まるで駱駝の瘤のような膨らみが。あれは何だろうか?
これも不思議だ_1
これも不思議だ_2
館跡
数ある土塁の中でも此処のコの字型の土塁は中世の豪族の館跡とされているそうだ。どんな建物だったのだろうか。
館跡
館跡を囲んでいた土塁の断面
撮影している位置辺りに豪族の館があったようだ。そこに道を通して土塁をカットしてしまったので、状況が少々わかりにくくなっていた。
館跡を囲んでいた土塁の断面
倒木には新しい生命が
倒木が若木の苗床になっている感じだ。
倒木には新しい生命が_1
倒木には新しい生命が_2
こんなものも
こんなのにひっつかれた樹木もえらい災難だろう
こんなのにひっつかれた樹木もえらい災難だろう_1
こんなのにひっつかれた樹木もえらい災難だろう_2
こんなのにひっつかれた樹木もえらい災難だろう_3
こんなのにひっつかれた樹木もえらい災難だろう_4
何やら撮影をしていた
あのピンクのスプリングコートも衣裳なのだろうか。当日は半袖でも暑いくらいだったのに、タレントさんは楽な稼業じゃないようだ。
何やら撮影をしていた_1
何やら撮影をしていた_2

庭園美術館前の草花
隣接する庭園美術館は、旧朝香宮邸が本館となっているが、アール・デコ様式の建物として有名なものだ。この建物を、そのまま美術館として公開している。平成23年11月から、東京都庭園美術館本館(旧朝香宮邸)の改修工事及び管理棟新設工事を行っていて、本年中のリニューアル開館を目指して長期休館中だ。
こんな花で誤魔化すのでなく、一刻も早く修復を終えて、再度開館してもらいたいものだ。

庭園美術館前の草花_1
庭園美術館前の草花_2
庭園美術館前の草花_3
庭園美術館前の草花_4
庭園美術館前の草花_5
建物はこういう建物だ。休館中のため、free画像を借用する。
東京都庭園美術館本館(旧朝香宮邸)_1
東京都庭園美術館本館(旧朝香宮邸)_2

以上で『自然教育園』シリーズは終了です。最後までご覧いただき有難う御座いました。

 

自然教育園(3)

武蔵野植物園に着いた
武蔵野植物園に着いた
かたくり
自然教育園の『見ごろ情報』によれば、花披片の基部にW字型の模様があり、蜜標となっているそうだ。『蜜標』なんてものがあるんだ。知らなかったなあ。
そんな存在には、残念ながらまったく気が付かなかった。写真にはごくわずか写っているがゴミかと思った。(^_^;)

かたくり_1
かたくり_2
かたくり_3
かたくり_4
しゅんらん
古くから親しまれてきた植物であり、ホクロ、ジジババなどの別名がある。一説には、ジジババというのは蕊柱を男性器に、唇弁を女性器になぞらえ、一つの花に両方が備わっていることからついたものとも言われる。
(ΦωΦ)フフフ…、意味深な別名があるんだ。

しゅんらん_1
しゅんらん_2
しゅんらん_3
しゅんらん_4
しゅんらん_5
どうもはっきり認識できない感じなので、写りの良いfreeの2画像を借用した
しゅんらん_f1
しゅんらん_f2
ひろはのあまな
白い方の花。日本固有種で、本州の関東地方から近畿地方、四国に分布し、草地や疎林の下に生育するのだそうだ。
ひろはのあまな
はっきりしたfree画像を借用
ひろはのあまな_f
みやまかんすげ
みやまかんすげ_1
みやまかんすげ_2
ゆきわりいちげ
午後になると元気を増すそうだが、こちらは空腹の極み。そこまで待てなかった。
ゆきわりいちげ_1
ゆきわりいちげ_2
ゆきわりいちげ_3
ふくじゅそう
春を告げる花の代表。そのため元日草や朔日草(ついたちそう)の別名を持つ。福寿草という和名もまた新春を祝う意味がある。
花弁を使って日光を花の中心に集め、その熱で虫を誘引している。その為、太陽光に応じて開閉(日光が当たると開き、日が陰ると閉じる)するようだ。自然の太陽レンズなんだ。

ふくじゅそう_1
ふくじゅそう_2
ふくじゅそう_3
ふくじゅそう_4
ふくじゅそう_5
大きな花がなかったので、free画像を借用
ふくじゅそう_f
たちつぼすみれ(立坪菫)
紫の方の花
たちつぼすみれ(立坪菫)
あぶらちゃん(油瀝青)
アブラチャンの「アブラ」は「油」、「チャン」は「瀝青」のことを指す。つまり「油瀝青」ということで、木全体に油が多いことが名前の由来。
どうしてだか自分が呼ばれたような気がした。考え過ぎかな。

あぶらちゃん(油瀝青)_2
あぶらちゃん(油瀝青)_1

 

自然教育園(2)

沿革
自然教育園を含む白金台地は、洪積世(20~50万年前)海食によって作られました。
いつ頃から人が住み着いたかは不明ですが、園内から縄文中期(約2500年前)の土器や貝塚が発見されていることから、この時代には人々が住んでいたと考えられます。
平安時代には目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として欠かせなかったムラサキの栽培も広範囲に行われていたと考えられています。室町時代に入ると、この地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられています。この館の主が誰かは不明ですが、白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。
江戸時代になると、増上寺の管理下に入りましたが、寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内にある物語の松やおろちの松などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われます。
明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、白金御料地と呼ばれました。
その後、昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っています。


遠望写真
次の2ショットはfree画像を借用
公園を北西から撮影
公園を北西から撮影
公園を西から撮影
公園を西から撮影

路傍植物園から水生植物園に向かう
外郭にめぐらされた土塁
土塁は、安土、的土(あづち)とも呼ばれ、敵や動物の侵入を防ぐため、古代から近世にわたって、城、寺、豪族の住居、環濠集落などの周囲に築かれた連続した土盛りのこと。容易に越えることができない高さをもつ。堀と組みとして作られ、堀を掘った土で作られることが多い。
土塁_1
土塁_2
土塁_3
シイの巨木
土塁の上にはシイが植えられているというが、その代表格なのだろう
シイの巨木
見えている巨木はスダジイ
スダジイ
最初の内は道が広く上空がよく見えている
最初の内は道が広く上空がよく見えている_1
最初の内は道が広く上空がよく見えている_2

中央部に設置された土塁
再び土塁が見える
再び土塁が見える
この巨木は赤樫
赤樫

さらに水生植物園の方に向かう
物語の松
この老松は江戸時代、松平讃岐守(まつだいらさぬきのかみ)の下屋敷の面影を伝えるものです。近くのひょうたん池などとともに、回遊式庭園であったと思われています。
物語の松_1
物語の松_2
物語の松_3
物語の松_4

水生植物園近辺で
こぶし
こぶし_1
こぶし_2
こぶし_3
此処に看板があった
何度も来ているが、烏がうるさいほど我が物顔で啼いている所為かもしれないが、あまり他の鳥を見かけない。
特に水辺の鳥は、カルガモ以外はお目にかかったことがない。此処以外に『水鳥の池』もあるというのに。

此処に看板が
水生植物園には特に見るべきものなし
水生植物園に着いたが、見たい水生植物はまだ姿を表していない。職員たちが、葦の伐採を行っていた。
水生植物園_1
水生植物園_2
ひめがま
池の縁あたりをカルガモが泳いでいた。
ひめがま_1
ひめがま_2
カルガモ
湿地帯(立ち入り制限区域)には倒木の姿が目立つ。ありのままを見せるのがコンセプトの自然教育園らしい光景だ。
倒木_1
倒木_2

『ひろはのあまな』かな?
あまりないことだが、標識が立っていないところに咲いていた
『ひろはのあまな』かな?

湿地に沿って迂回して武蔵野植物園に向かう
湿地に沿って迂回して武蔵野植物園に向かう_1
湿地に沿って迂回して武蔵野植物園に向かう_2
小川と湿地
小川と湿地_1
小川と湿地_2
小川と湿地_3
どういうわけか都心には棕櫚が増えているのだそうだ
都心には棕櫚が増えている_1
都心には棕櫚が増えている_2
都心には棕櫚が増えている_3
此処で折り返し
いよいよ武蔵野植物園に向かうぞ
此処で折り返し_1
此処で折り返し_2
此処で折り返し_3
此処で折り返し_4

 

自然教育園(1)

makiraさんら複数の方のブログで、カタクリの花が取り上げられていた。スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral)は、春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称のようだ。この『春の妖精』を見に行くべく、目黒駅から近い国立科学博物館付属自然教育園に出かけた。
見るだけ人間なので、オリジナルの蘊蓄は一切なし。


園内案内図

入口付近の『路傍植物園』にあった花たち
名前を平仮名で表記しているのは、自然教育園の表記がそうなっていたので、それに倣ったもの

ふき(蕗)
蕗の薹もとっくに薹が立っていて、スックと伸びていた。
ふき(蕗)
ばいも(貝母)
別名『編笠百合(あみがさゆり)』。パンフレットによれば、中国原産の植物で、高山にあるクロユリと同じ仲間とのこと。また、自然教育園の『見ごろ情報』によれば、花披片の内側に網目模様があり、網笠ゆりとよばれているのだそうだ。残念ながら柵の外側からはそこまでは観察できなかった。
ばいも(貝母)_1
ばいも(貝母)_2
ばいも(貝母)_3
うぐいすかぐら(山鶯神楽)
うぐいすかぐら(山鶯神楽)
きぶし(木五倍子)
自然教育園の『見ごろ情報』によれば、黄色い葯が目立つ雄しべは8本、花弁は4枚。
きぶし(木五倍子)_1
きぶし(木五倍子)_2
此処にも『かたくり』の花があったが、後ほど、群生しているところで取り上げる。
至近距離で撮影したので、この写真よりは少しまともな写真になる予定
かたくり
むさしあぶみ
武蔵鐙と書く。まだこの状態では鐙のようには見えない。(^_^;)
むさしあぶみ_1
むさしあぶみ_2
らしょうもんかずら(羅生門葛)
花の名前は、昔、平安時代に渡辺綱(わたなべのつな)が、京都の羅生門で退治した鬼女の切り落とされた腕になぞらえたものだとか。
らしょうもんかずら(羅生門葛)_1
らしょうもんかずら(羅生門葛)_2
いちりんそう
花をつけているもの無しだったので、freeの画像を借用
いちりんそう
にりんそう(二輪草)
たった1ペアだけ花をつけていた。判然としないが、もう1輪はまだ蕾のようだ。
にりんそう(二輪草)
せんとうそう(仙洞草)
セリ科の花だとはわかったが、なんとも小さな花で、よく観察できなかった。
せんとうそう_1
せんとうそう_2
ひとりしずか
なんとも風変わりな花だ。
ひとりしずか_1
ひとりしずか_2
ひとりしずか_3
やまるりそう(山瑠璃草)
やまるりそう
やぶれがさ
芽出しの頃の若い葉の様子が「破れ傘(やぶれがさ)」に似ているから付けられた名前のようだ。
やぶれがさ_1
やぶれがさ_2

 

田園調布から、寄り道をしながら、元の巨人多摩川グランドまで歩き、再び田園調布に戻る(6)

再び田園調布駅を目指す

多摩堤通りを少し戻る
多摩堤通りを少し戻る
多摩川に平行して丸子川が流れている。これでも一級河川だそうで、間もなく多摩川に合流する。
多摩川に平行して丸子川が流れている_1
多摩川に平行して丸子川が流れている_2
多摩川に平行して丸子川が流れている_3
多摩川に平行して丸子川が流れている_4
多摩堤通りを離れ、例の多摩川台公園の『虹橋』の下をくぐる
『虹橋』の下をくぐる_1
『虹橋』の下をくぐる_2
そこから田園調布教会が近い。カトリック田園調布教会は、フランシスコ会が運営する小教区だ。
カトリック田園調布教会_1
カトリック田園調布教会_2
カトリック田園調布教会_3
カトリック田園調布教会_4
教会の傍にあったお店
教会の傍にあったお店
暫く歩くと、あこがれの田園テニス倶楽部が見えてきた。テニスコートが何と11面もあるそうだ。
田園テニス倶楽部
この近くから東横線などの電車は地下に潜る
東横線などの電車は地下に潜る
やっと駅前に戻って来た。それにしても田園調布は起伏の大きい土地だ。距離の割にはくたびれた。
再び田園調布駅前_1
再び田園調布駅前_2
再び田園調布駅前_3

以上で、『田園調布から、寄り道をしながら、元の巨人多摩川グランドまで歩き、再び田園調布に戻る』シリーズは終了です。
最後までご覧いただきありがとうございました。

 

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