散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

昨30日の様子

購入したてのCOOLPIX S6500を昨日も使ってみた。

ソメイヨシノばかりが注目されるが、源平桃も少し咲き出した
どうしてこんなふうに色々な色合いの花が咲くのか、不思議でならない。樹木の寿命はかなり短いようだ。今年はなんだか元気が無いような感じだ。
源平桃
花海棠 (はなかいどう)も
中国原産で江戸時代初期に日本に渡来した。それより前の15世紀に渡来した実の大きな「実海棠(みかいどう)」に対して、花が美しいので「花海棠」と命名されたそうだ。
花海棠 (はなかいどう)_1
花海棠 (はなかいどう)_2
そしてソメイヨシノは満開に
わずか半日で一気に満開になった。
ソメイヨシノは満開に_1
ソメイヨシノは満開に_2
サレジオ教会のステンドグラス
四旬節の時期に相応しい3テーマ分を合わせて表示。このステンドグラス撮影分に関しては、壊してしまったFINEPIX F820EXRよりも優秀な感じだ。
サレジオ教会のステンドグラス

 

昨29日の桜

落として壊してしまったFINEPIX F820EXRの代わりにCOOLPIX S6500を購入した。その性能テストを兼ねて、自宅前の呑川遊歩道の桜の様子をカメラを変えて撮ってみた。ソメイヨシノは温かい日が続いたため、開花が一気に進んだ。

日中の桜
EOS 60D + SIGMA 70-300 F4-5.6 APO DG MACRO
日中の桜_EOS 60D + SIGMA 70-300 F4-5.6 APO DG MACRO_1
日中の桜_EOS 60D + SIGMA 70-300 F4-5.6 APO DG MACRO_2
日中の桜_EOS 60D + SIGMA 70-300 F4-5.6 APO DG MACRO_3
EOS X6i + EF-S 18-55
日中の桜_EOS X6i + EF-S 18-55_1
日中の桜_EOS X6i + EF-S 18-55_2
X-20
日中の桜_X-20_1
日中の桜_X-20_2
日中の桜_X-20_3
COOLPIX S6500
日中の使用ではそれほどの画質差はないように思える。
日中の桜_COOLPIX S6500_1
日中の桜_COOLPIX S6500_2
日中の桜_COOLPIX S6500_3

夜間の桜
超強力な照明が当てられているところでの撮影
照明灯が強力すぎて、光のあたっているところとそうでないところで違って写っているが、実際にもそういう感じなのだ。
EOS X6i + EF-S 18-55フラッシュ不使用
夜間の桜_EOS X6i + EF-S 18-55_1
夜間の桜_EOS X6i + EF-S 18-55_2
夜間の桜_EOS X6i + EF-S 18-55_3
夜間の桜_EOS X6i + EF-S 18-55_4
夜間の桜_EOS X6i + EF-S 18-55_5
X-20フラッシュ不使用
夜間の桜_X-20_1
夜間の桜_X-20_2
夜間の桜_X-20_3
夜間の桜_X-20_43
夜間の桜_X-20_5
COOLPIX S6500フラッシュ使用
今日使い始めだったので、フラッシュを使用しない撮り方がわからなかった。同じ条件で行えば、そこそこの写真を撮ることができそうに思う。とは言うものの、本当に暗いところではやや非力かもしれない。
夜間の桜_COOLPIX S6500_1
夜間の桜_COOLPIX S6500_2
夜間の桜_COOLPIX S6500_3
夜間の桜_COOLPIX S6500_4

 

田園調布から、寄り道をしながら、元の巨人多摩川グランドまで歩き、再び田園調布に戻る(5)

いよいよ多摩川沿いを歩く
そのつもりなのだが、多摩川台公園を端から端まで歩いてきたので、暫くはフェンスや金網があって、河川敷に入ることができない。
なかなか河川敷に下りられない_1
なかなか河川敷に下りられない_2
都水道局の調布取水所
多摩川下流(調布取水堰)の水源は、原水水質の悪化により、水道用としての取水は休止しましたが、工業用水道の水源として、昭和54年に取水を再開し、玉川浄水場で処理した水を三園浄水場に送っています。
都水道局の調布取水所_1
都水道局の調布取水所_2
漸く河川敷に下りることができた
河川敷はかなりの広さがある
漸く河川敷に下りることができた
野球グランドが2面見えてくる
この日は手前側だけ使われていた。強いチームではなさそうな感じ。通りがかりの人に小山台高校の練習なのか聞かれたが、その日は小山台高校は甲子園球場で公式練習をしていたはず。いくら21世紀枠での選抜でももっと強そうな感じだと思うのだが。
手前側のグランドだけが使われていた_1
手前側のグランドだけが使われていた_2
手前側のグランドだけが使われていた_3
手前側のグランドだけが使われていた_4
手前側のグランドだけが使われていた_5
手前側のグランドだけが使われていた_6
手前側のグランドだけが使われていた_7
こちらが、例のグランド
こちらが、例のグランド_1
こちらが、例のグランド_2
こちらが、例のグランド_3
こちらが、例のグランド_4
こちらが、例のグランド_5
こちらが、例のグランド_6
当時は有名なお店
当時は有名なお店
河川敷からの辺りからの眺めは抜群
河川敷からの辺りからの眺めは抜群_1
河川敷からの辺りからの眺めは抜群_2
河川敷からの辺りからの眺めは抜群_3
こうしてみると、蛇行しているからそう見えるのかもしれないが、多摩川の川幅は相当に広いんだ
河川敷からの辺りからの眺めは抜群_4
河川敷からの辺りからの眺めは抜群_5
河川敷からの辺りからの眺めは抜群_6
広々としていて、とても気持ちが良い
河川敷からの辺りからの眺めは抜群_7
河川敷からの辺りからの眺めは抜群_8
河川敷からの辺りからの眺めは抜群_9
河川敷からの辺りからの眺めは抜群_10
こちらは川崎フロンターレのホーム
こちらは川崎フロンターレのホーム
土手にはこんなものが咲いていた
土手にはこんなものが咲いていた

 

田園調布から、寄り道をしながら、元の巨人多摩川グランドまで歩き、再び田園調布に戻る(4)

多摩川台公園(3)

亀甲山(かめのこやま)古墳
多摩川台古墳群の方に向かう前方部
亀甲山(かめのこやま)古墳
展望広場と亀甲山古墳
展望広場と亀甲山古墳_1
展望広場と亀甲山古墳_2
展望広場と亀甲山古墳_3
展望広場と亀甲山古墳_4
水生植物園から見た亀甲山古墳の後円部
多摩川台古墳群の方に向かって位置する。かなり大きな古墳だと思う。
水生植物園から見た亀甲山古墳の後円部

この古墳に関する詳細の記述があるHPへjump

展望広場
公園のある台地は武蔵野台地の南端部にあたり、国分寺崖線に位置するために多摩川との高低差は大きく、多摩川方面への眺望はすばらしい。
こんな展望が
展望広場_1
展望広場_2

水生植物園と四季の野草園
公園の水生植物園・野草園がある場所は、かつて調布浄水場があった場所である。大正時代から昭和時代まで多摩川から取水して東京に上水を供給していた。跡地は浄水場であったことを残すため、濾過池・沈殿池をなるべくそのままの形で水生植物園・植物園に転用し、地下貯水場は水生植物園への貯水に利用している。
水生植物園と四季の野草園_1
水生植物園と四季の野草園_2
水生植物園と四季の野草園_3
東横線に乗り慣れている方はご存知だと思うが多摩川の鉄橋だ。手前側に都水道局の調布取水所、対角線側に武蔵小杉の超高層マンション群が見える。
多摩川鉄橋などの眺望_1
多摩川鉄橋などの眺望_2
多摩川鉄橋などの眺望_3
多摩川鉄橋などの眺望_4
多摩川鉄橋などの眺望_5
多摩川鉄橋などの眺望_6

 

田園調布から、寄り道をしながら、元の巨人多摩川グランドまで歩き、再び田園調布に戻る(3)

多摩川台公園(2)

多摩川台古墳群の続き
虹橋を渡るとまたもこんもりと盛り上がったところが見えてきた。こちらも多摩川台古墳群のようだ。一つ一つの古墳は、第8号墳より更に小さな感じ。
虹橋を渡るとまたもこんもりと盛り上がったところが
これから横一列に7,6,5,...,2,1と続いていく。『これは古墳だ』と言われれば、『古墳なのか』って思う程度だ。自然のうねりなのか、人工的なうねりなのか、判然としない。せめて石垣でも積んであれば。
第7号墳
第7号墳_1
第7号墳_2
第7号墳_3
第6号墳
第6号墳_1
第6号墳_2
第6号墳_3
第5号墳
第5号墳_1
第5号墳_2
第5号墳_3
第4号墳
第4号墳_1
第4号墳_2
第3号墳
第3号墳_1
第3号墳_2
この真下の運動広場
『いとし子の像』が田園調布教会を向いているように見えた
この真下の運動広場
第2号墳
第2号墳_1
第2号墳_2
第1号墳
第1号墳_1
第1号墳_2

多摩川台古墳群の下の運動広場
多摩川台古墳群の下の運動広場
古墳群を望む
古墳群を望む_1
古墳群を望む_2
近くの高台には田園調布教会があった
田園調布は起伏のかなり激しい土地だ
田園調布は起伏のかなり激しい土地だ_1
田園調布は起伏のかなり激しい土地だ_2
田園調布は起伏のかなり激しい土地だ_3
田園調布は起伏のかなり激しい土地だ_4
『いとし子の像』
『いとし子の像』_1
『いとし子の像』_2

 

田園調布から、寄り道をしながら、元の巨人多摩川グランドまで歩き、再び田園調布に戻る(2)

多摩川台公園(1)
宝来公園からすぐ近くに多摩川台公園がある。その高低差はかなりのものだ。最初に入ったところに宝莱山古墳がある。
多摩川台公園の入り口の一つ
宝来公園との高低差はかなりのもの

宝莱山古墳
へえ、ここも古墳で、なおかつこの地方の最古のものか。こんな超高級住宅地のすぐ近くにも古墳があったのか。あれっ、この図面を見ると、古墳の上を通る道を通ってきたのか。まずいことをしてしまったのかなあ。でも道の上なんだから仕方が無いなあ。
宝莱山古墳_1
宝莱山古墳_2
宝莱山古墳_3
宝莱山古墳_4
宝莱山古墳_5
前方後円墳の前方部
前方後円墳の前方部_1
前方後円墳の前方部_2
眼下には多摩川が
眼下には多摩川が
たまに見かける鳥といえば、このヒヨドリ(鵯)が圧倒的に多い。別に見たいとも思わない鳥だが、分布がほぼ日本国内に限られているため、日本を訪れる海外のバードウォッチャーにとっては日本で観察したい野鳥のひとつとなっているそうだ。そういうものなのかなあ。もう少し珍しい野鳥さんを見たかったのに。
ヒヨドリ
河川敷にはムクドリがいたが、代わり映えしないなあ。
 ムクドリ
ちなみにこの公園で見る事ができる鳥さんはこういうものだ。たくさんの種類がいるはずなのに。
この公園で見る事ができる鳥さん

多摩川台古墳群
この公園敷地内には、亀甲山古墳、蓬莱山古墳のほかに、第1号墳から第8号墳までの古墳があり、まとめて『多摩川台古墳群』と称される。
多摩川台古墳群
第8号墳
はっきり古墳だとわかる宝莱山古墳に比して、こちらはちょっとしたマウンドという感じの趣。標識がなければ、殆どの人は気づかないことだろう。
第8号墳_1
第8号墳_2
第8号墳_3
第8号墳_4

階段を下りて、虹橋を目指す
階段を下りて、虹橋を目指す

虹橋
虹橋_1
虹橋_2
虹橋_3

虹橋_2
虹橋_4
橋の下を通る道
この道を下ると、元の巨人軍多摩川グランドはすぐ近くだ。
橋の下を通る道
橋の傍にポンプがあった
試してみると、しっかり水が出てきた。
橋の傍にポンプがあった_1
橋の傍にポンプがあった_2
橋の傍にポンプがあった_3

 

田園調布から、寄り道をしながら、元の巨人多摩川グランドまで歩き、再び田園調布に戻る(1)

運が良ければ、野鳥さんをいっぱい見て、行き詰まる練習試合を観戦できるかもしれない。そんなことを期待しながら、3月半ばに歩いてみた。

田園調布駅
田園調布駅の内と外
田園調布駅の内と外_1
田園調布駅の内と外_2
free画像を借用
田園調布駅の内と外_3
復元駅舎
以前の田園調布駅の象徴的存在だった駅舎を復元したものだが、実質的にはお飾りにすぎない。
復元駅舎_1
復元駅舎_2
駅前&東口の様子
駅前の様子_1
駅前の様子_2
駅前の様子_3
駅前の様子_4
駅前の様子_5
西口(ロータリー側)の様子
駅前(ロータリー側)の様子_2
宝来公園に向かうには、KFCの脇の放射道路を進んで行く
駅前(ロータリー側)の様子_3
駅前(ロータリー側)の様子_4
駅前(ロータリー側)の様子_5
駅前(ロータリー側)の様子_6

宝来公園へ向かう
以前ほどではないにせよ、瀟洒な住宅が並ぶ。大邸宅の比率が減ったように感じるのは、ご時世だからだろうか。
宝来公園へ向かう

宝来公園
田園調布駅から放射状に伸びるいちょう並木の南西の端に位置する自然林を生かし、武蔵野の面影をしのばせる清閑な公園です。
この公園の前身は大正14年、武蔵野の旧景を保存し永く後世に残すために、田園調布会が街の一角の潮見台の地を広場としたことからはじまります。後の昭和9年田園調布会から東京市に寄付され造成整備の後昭和19年4月「宝来公園」として開園しました。区への移管は昭和25年10月1日です。
園内には梅、桜、ツバキ、サザンカ、クヌギ、シイなど約70種1,500本の花や樹木があり、池には300本ほどのキショウブが群生しています。

日本でも有数の地価の高いところにある公園なんだろう。そう思いながら見ると味気なくなるので、これ以上そんなことを考えるのはよそう。
宝来公園_1
梅がキレイに咲いていた。
宝来公園_2
宝来公園_3
宝来公園_4
宝来公園_5
宝来公園_6
宝来公園_7
宝来公園の池
宝来公園の池_1
宝来公園の池_2
宝来公園の池_3
宝来公園の池_4
宝来公園の池_5
宝来公園の池_6
宝来公園の池_7
マガモばかりが占拠していた。もしかしたら、マガモではなくアヒルかもしれない。
宝来公園の池_8
宝来公園の池_9
宝来公園の池_10

 

伊豆の孫達との会食

3連休を利用して、伊豆の娘達親子が東京に出てきたので、一泊してもらい、皆で歓迎の食事会を行った。
会場は、子どもたちが孫くらいの頃(オープン時)から時々利用させてもらっている近くのお店『アメリカンクラブハウス』。もうかなり経つが、未だになかなかの繁盛店を維持しているようだ。


『碑衾村』という焼酎
マスターの奥に『碑衾村』という焼酎が。これまたご近所の酒屋、火野正平の級友の店である『平口豊次郎商店』オリジナルの焼酎のようだ。
ちなみに碑衾村(ひぶすまむら)はこの地区の昔の町村名だ。更にその前は衾村(ふすまむら)。衾とは今の掛け布団のようなもので、同衾などという言葉が残っているので、ご存じの方も少なく無いだろう。

『碑衾村』という焼酎があった

食事前のきれいな状態で何枚か
これだけ集まるとなかなか画面に収まりきれない
食事前のきれいな状態で何枚か_1
食事前のきれいな状態で何枚か_2
食事前のきれいな状態で何枚か_3

子どもたちは待たせると大騒ぎするだろうから、事前に頼んであった料理を次から次へと運んでもらう。

騒がない内に食べさせる
ほうれん草のサラダ
ここのドレッシングは絶品。高級スーパーの紀伊國屋にも置いてあるほどだ。
ほうれん草のサラダ
私が注文したビール
私が注文したビール_1
私が注文したビール_2
スペアリブ
醤油味、味噌味、塩胡椒味、もうひとつガーリック味は撮り忘れた。看板メニューなので外す訳にはいかない。今まで食べたことがなかった味噌味も、今回試してみたが、非常に美味しかった。
スペアリブ_1
スペアリブ_2
スペアリブ_3
パスタ
パスタ_1
パスタ_2
煮込みハンバーグ
煮込みハンバーグ
ステーキ丼
取り分けやすいように皿に盛ってもらった
ステーキ丼
孫達も結構食べた
孫達も結構食べた
高菜のピラフ
これは私の大好物。地味なメニューだ。なかなか都会人にはなれないなあ。
高菜のピラフ
焼き牡蠣
これは妻の大好物。楽しんで食べていた。
焼き牡蠣
ピザ
ピザ

最後は『アップルパイ』など、撮り漏らしが、…。まあ、孫達も楽しめたかなあ。

 

代官山駅から迂回して渋谷駅まで(3)

渋谷橋から渋谷駅まで(2)
八幡橋から金王橋にかけて
八幡橋付近は工事の真っ最中
八幡橋付近_1
八幡橋付近_2
此処から先は目隠し状態
此処から先は目隠し状態
隙間から撮ってみる
隙間から撮ってみる_1
隙間から撮ってみる_2
塀沿いに進む
塀沿いに進む_1
塀沿いに進む_2
塀沿いに進む_3
たぶん、金王橋(こんのうばし)を渡った辺りだと思う
金王橋(こんのうばし)を渡った辺り

渋谷駅前
東横線渋谷駅ホーム跡
あれえ、もう東横線の渋谷駅の施設は全て取り払われたんだ。
東横線渋谷駅ホーム跡_1
東横線渋谷駅ホーム跡_2
東横線渋谷駅ホーム跡_3
東横線渋谷駅ホーム跡_4
東横線渋谷駅ホーム跡_5
東横線渋谷駅ホーム跡_6
ヒカリエの辺り
ヒカリエの辺り

渋谷川の暗渠
渋谷川の暗渠が今回の渋谷駅前の再開発で明けられているようだ。ここをこういうふうに通っていたのか。この暗渠もいじるのだろうかと思って調べたら、やはりルートは渋谷駅にかからないように変更するようだ。今のままだと、地下深くを利用することができないから当然なのだろう。
渋谷川の暗渠_1
渋谷川の暗渠_2
渋谷川の暗渠_3

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代官山駅から迂回して渋谷駅まで(2)

渋谷橋で用事を果たした後、いよいよ、東横線の高架跡の様子を見に行く。渋谷橋から渋谷駅までまっすぐ歩くとおよそ1.6kmある。
渋谷橋から渋谷駅まで

渋谷橋から渋谷駅まで(1)
途中、並木橋辺りまでは渋谷川を時々覗きながら進む
明治通り
明治通り_1
明治通り_2
この1ショットだけ、明治通りと直交する駒沢通りだ。
明治通り_3
明治通り_4
明治通り_6
庚申橋(こうしんばし)
庚申橋(こうしんばし)_1
庚申橋(こうしんばし)_2
庚申橋(こうしんばし)_3
再び明治通り
再び明治通り_1
再び明治通り_2
比丘橋(びくばし)
比丘橋
比丘橋のしたを流れる渋谷川
都バスの車庫に入るための橋(上智橋というようだ)
上智橋_1
上智橋_2
上智橋_3
随分派手なペインティングだ
上智橋_4
東交番(橋は氷川橋というようだ)
東交番_1
少し先で高架跡が接近してくる。一部取り壊して入るものの、一部は残っている感じだ。だが、ここからはあまり良く見えない。
東交番_2

東交番の辺りではかなり乖離していた明治通りと東横線の高架跡だが、並木橋の手前から、ほぼ平行して走るようになる。それを観察する。

並木橋の辺り
並木橋の辺り
渋谷方面へ向かっての様子
渋谷方面へ向かっての様子_1
渋谷方面へ向かっての様子_2
渋谷方面へ向かっての様子_3
東交番の氷川橋から少し見えていた白いシートはこれだったようだ
白いシートはこれだったようだ
道をまたぐ部分は既に撤去されていた
道をまたぐ部分は既に撤去されていた
徒歩橋(かちばし)
徒歩橋(かちばし)_1
徒歩橋(かちばし)_2
徒歩橋(かちばし)_3
徒歩橋(かちばし)_4

 

代官山駅から迂回して渋谷駅まで(1)

代官山駅から渋谷橋の交差点までは所用があって行かなければならない。そのあとは用事など無い。いつもは大人しく都立大学に帰るのだが、東横線の代官山-渋谷間の高架が消えてしまわない内に回ってみようと思い立った。
徒歩コース概略

渋谷橋交差点までの道
いつもは駒沢通りの方を通るのだが、たまには気分を変えて、点線のルートをたどってみた。一連の写真は『恵比寿南交差点』手前までのもの。
普通の人の感覚では裏通りなのだろうが、何が表で何が裏かは、その人の主観の話で、もしかしたら勝手に裏通りと記述すると叱られてしまうかもしれない。この通りは案外起伏が多い通りで、その感じが私は好きだ。

渋谷橋交差点までの道_1
渋谷橋交差点までの道_2
渋谷橋交差点までの道_3
渋谷橋交差点までの道_4
渋谷橋交差点までの道_5
代官山から恵比寿にかけては、大したことなさそうな通りに凄いお店が並んでいるのに驚かされる。『大したことなさそうな通り』もお叱りを受けそうだ。
渋谷橋交差点までの道_6
東京に電柱は、時々『こんなに傾いていてよく倒れないものだ』というモノにぶつかる。なんでこんなふうに傾くのだろうか。
渋谷橋交差点までの道_7
渋谷橋交差点までの道_8
喉が渇いたので、『カルピスウォーター』でも飲みたくなってきた
渋谷橋交差点までの道_9

 

稲村ヶ崎から江ノ島龍口寺まで歩く(10)

帰路

久しぶりに藤沢に出てみようと思い立った。でも、予想していた通り、ごく普通の電車沿線の景色だ。小さな駅と単線の線路と鎌倉行きとのすれ違いが面白いだけ。やはり鎌倉に戻るべきだったかも。

江ノ島駅-湘南海岸公園駅の途中区間
この区間は鎌倉市の区間と同じように民家の間を縫って走る感じだ。
江ノ島駅-湘南海岸公園駅の途中区間_1
江ノ島駅-湘南海岸公園駅の途中区間_2
江ノ島駅-湘南海岸公園駅の途中区間_3
江ノ島駅-湘南海岸公園駅の途中区間_4
湘南海岸公園駅
湘南海岸公園は、片瀬西浜の境川から引地川にかけて広がる17.4haの公園です。この付近の鵠沼海岸は明治中期に海水浴場としてオープンして以来有名となり、夏の海水浴客をはじめ、多くの文化人に愛されてきました。都心からも程近く、その恵まれた眺望は今も湘南を代表する人気スポットです。
湘南海岸公園駅_1
湘南海岸公園駅_2
湘南海岸公園駅_3
湘南海岸公園駅_4
湘南海岸公園駅-鵠沼(くげぬま)駅の途中区間
線路の周囲の景観が明らかに違ってきた。境川を渡る準備かな。
湘南海岸公園駅-鵠沼駅の途中区間_1
この辺は境川の川幅も広くなっていて、鉄橋もかなりのものになっている。渡り終えたら鵠沼駅だ。だからレールが複線のようにみえるのだろう。
湘南海岸公園駅-鵠沼駅の途中区間_2
鵠沼駅
上下線が交差する駅。ここまで来ると、藤沢駅まで歩くのはちょいと厳しい。江ノ電のお世話になると思う。
鵠沼駅_1
鵠沼駅_2
鵠沼駅_3
鵠沼駅_4
鵠沼駅_5
鵠沼駅_6
鵠沼駅-柳小路駅の途中区間
両側が道だと圧迫感がないものだ。だけど、開放感がありすぎて、逆にちょっと寂しい感じ。
鵠沼駅-柳小路駅の途中区間
柳小路駅
藤沢駅からは少しあるが、歩いて歩けない距離ではない。でも、本当に歩くかなあ。
柳小路駅_2
石上駅
一時勤務していた営業所の最寄り駅といえな最寄り駅だが、藤沢駅からの場合はあまり短すぎて通勤費支給の対象ではなかった。考えてみれば、一度もこの駅を利用したことがなかった。この駅の狭さは、利用したことがあれば、忘れないはずだ。
石上駅_1
石上駅_2
石上駅_3
石上駅-藤沢駅の途中区間
終点が間近だけあって、都会の雰囲気に
石上駅-藤沢駅の途中区間_1
石上駅-藤沢駅の途中区間_2
石上駅-藤沢駅の途中区間_3
藤沢駅
こういう車止めのある終着駅が大好きだ。JRの鶴見線の鶴見駅と似たような感じだ。こちらの方がお客さんの感じが若干上品な感じかな。
藤沢駅_1
藤沢駅_2
藤沢駅_3
藤沢駅_4
藤沢駅前
藤沢駅前

以上、短時間の散歩なのに、記事を長々と続けてしまいました。それにもかかわらず最後までお付き合いいただき、大変有難うございました。

 

稲村ヶ崎から江ノ島龍口寺まで歩く(9)

龍口寺(3)
大書院
欅造り瓦屋葺。明治初年、信州松代で蚕糸業で財をなした窪田家が造った蚕糸御殿で、昭和10年に移築された。全体の美しさと両側面大廊下の12間一本通しの杉柱は一見の価値がある。…龍口寺の説明
 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
昭和初年長野県(信濃国)松代藩の藩邸を移築、(通称:養蚕御殿)現在は大書院として使用。…Wikipediaの説明

両者の説明には大きな大きな乖離がある。何方の説明が正しいのかは別として、よく見ておく価値が有るように思った。
あとで見るつもりで写真を1枚だけ撮った。それなのに後に見るのを失念した。大分疲れていたのかもしれない。

大書院
日蓮聖人像
日蓮聖人像
百度石
本堂とこの石とを行き来して『お百度参り』するものなのだろう。随分距離が短く、楽すぎる感じがしないでもないが。
百度石
鐘楼堂
昭和44年、龍ノ口法難750年を記念し、中山法華経寺から移築。700貫(2.6t)の梵鐘は新たに鋳造され、「延寿の鐘」として、毎朝妙音を響かせている。
鐘楼堂
島村采女墓
龍口寺に寺領を寄進した島村采女はじめ、島村家代々の墓。本堂すぐ脇にある。
見落としたわけではなかったが、写真を撮るまでもないと判断して撮らなかった。撮るべきだったようだ。
freeの画像を借用
島村采女墓
龍口刑場跡
龍ノ口は、鎌倉時代、罪人を斬首する刑場でした。日蓮聖人は、『立正安国論』を鎌倉幕府に奏上したことが、貞永式目の「悪口の咎」にあたるとして、市中引き回しの上、この地で斬首されそうになりました。その刑場跡に立てられたのが、龍口寺です。
龍口明神社(旧)の前に位置する。残念ながら見落としてしまった。
freeの画像を借用
龍口刑場跡
最後に龍口寺の縁起
龍口寺の縁起

江ノ電江ノ島駅
江ノ電江ノ島駅_1
江ノ電江ノ島駅_2
江ノ電江ノ島駅_3
江ノ電江ノ島駅_4
江ノ電江ノ島駅_5
江ノ電江ノ島駅_6
江ノ電江ノ島駅_7
江ノ電江ノ島駅_8
江ノ電江ノ島駅_9
江ノ電江ノ島駅_10
江ノ電江ノ島駅_11
江ノ電江ノ島駅_12
江ノ電江ノ島駅_13

江ノ電以外の公共交通機関
以下の4画像はfreeの画像を借用
湘南モノレール
湘南江の島駅
湘南江の島駅
湘南モノレール
湘南モノレール
小田急江ノ島線
片瀬江ノ島駅
片瀬江ノ島駅
小田急江ノ島線
小田急江ノ島線

 

稲村ヶ崎から江ノ島龍口寺まで歩く(8)

龍口寺(2)

五重塔
明治43年(1910年)建立。欅造り銅版葺。彫刻は一元安信。神奈川県唯一の本式木造五重塔で、大本堂とともに「神奈川建築物百選」に選定されている。
 ++++++++++++++++++++++++++++++++
明治43年(1910年)竣工。木造ケヤキ造で五重塔としては神奈川県で唯一。建造には竹中工務店が携わった。彫刻は一元流(藤沢彫川)の一元安信。全国的にも数少ない明治期の五重塔だが、近年老朽化が目立つ。

五重塔_1
五重塔_2
「はまれぽ」関連記事『龍口寺五重塔が老朽化で危機にあるらしいので、取材して欲しい』へjump
ついでに『江の島に釜揚げしらすが40分980円で食べ放題の店…』の記事(2014年03月16日付)へjump
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ついでに『昔は木の橋で通行料金を払った』の記事へjump

御霊窟
龍ノ口法難の際に日蓮が入れられていたとされる土牢。中には祖師像が安置されている。
見た感じは、相当に狭そうで、身体を動かすのもたいへんだったのではないかと思うほどだ。それこそ、牢屋だったのだ。
御霊窟_1
御霊窟_2
御霊窟_3
御霊窟_4

七面堂
江戸時代初期に身延七面山の七面大明神を勧請した。毎月19日には例祭が行われている。
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七面天女は法華経を守護する女神です。身延山の高座石にて日蓮聖人の読経と説法を拝聴するために度々現れた若い娘は七面山に棲む龍の変化した姿でした。七面天女は日蓮聖人の教化によって久遠寺の守護神として祀られ、身延山久遠寺の守護神として信仰されました。やがて法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになりました。

急な階段を上った先にある。ふうふう言わされた。
七面堂_1
七面堂_2
七面堂に至る階段

仏舎利塔
昭和45年(1971年)9月12日竣工。龍口法難700年を記念し日本山妙法寺(藤井日達上人)が建立。塔内には仏舎利が安置されている。龍口寺裏山(龍口山)の高台にあり、かつては江ノ島や相模湾を一望のもとにできたが、国道134号・国道467号沿いに複数の高層ビルが建って以降、視界がビルにさえぎられるようになった。
七面堂の更に上にある。息切れが。内部には釈尊の御真骨を安置してあるそうだ。『本当かな』などと疑ってはいけないのだろう。
仏舎利塔_1
仏舎利塔_2
仏舎利塔設置場所からの眺め_1
仏舎利塔設置場所からの眺め_3

 

稲村ヶ崎から江ノ島龍口寺まで歩く(7)  2014.03.17 19:50追記

龍口寺(1)

御会式の講で強烈な印象が残る龍口寺だ。そのことは抜きにして、日蓮聖人の法難とはどんなものだったのか、肌で感じたいと思っていた。ということで、ここを是非訪ねたいと前々から思っていた。
御会式の写真
かわいいおんなの子たちが纏を振っていると観客たちの評判を呼んだ
御会式の様子_1
御会式の様子_2
龍口寺付近の地図
龍口寺付近の地図
龍口寺(りゅうこうじ)は、神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は寂光山(じゃくこうさん)。この地はかつて刑場跡で文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶ。
この地はかつて刑場跡で文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶ。
その後延元2年(建武4年、1337年)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まりと伝わる。
なお、本格的な寺としての格式を整えたのは腰越・津(鎌倉市)の国人で日蓮宗の信奉篤い島村采女が慶長6年(1601年)に土地を寄進して以来のこととされている。
明治19年(1886年)までは選任住職を置かず、片瀬腰越八ヶ寺が輪番で維持していた(#片瀬腰越八ヶ寺参照)。
現住は15世本間日恩貫首(台東区善慶寺より晋山)、池上法縁五本山の一つ。

日蓮聖人は、『立正安国論』を鎌倉幕府に奏上したことが、貞永式目の「悪口の咎」にあたるとして、市中引き回しの上、この地で斬首されそうになった。これを日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶのか。むかしは、何処の国でも為政者に物申すのは、命がけだったようだ。

仁王門
昭和48年(1973)竣工。鉄筋コンクリート造り瓦葺。仁王尊像は彫刻家 村岡久作氏の作。
他の建物の素晴らしさからは、見劣りしてしまうきらいがあるように感じた。
仁王門_1
仁王門_2
仁王門_3
山門
元治元年(1864)竣工。欅造り銅版葺。大阪雷雲寺の発願で豪商鹿島屋某が寄進。正面に「龍口寺」裏面に「寂光山」の扁額が掛かり、門を飾る八枚の彫刻には、中国の故事が細密に彫られている。
雲雷寺(大阪府大阪市中央区中寺1丁目)には、豪商として名高かった加嶋屋作兵衛の墓があるそうだ。鹿島屋某ではなく、加嶋屋某というのが正しいのではなかろうか。
山門_1
山門_2
山門_3
山門_4
『黄石公の靴を拾う張良』のエピソードのようだ。西本願寺唐門にも取り上げられているとのこと。下記2URLの記述を参考にさせていただいた。
http://dawa3.blog55.fc2.com/blog-date-20140209.html
http://blogs.yahoo.co.jp/mineo20/44182825.html
山門_5
『襄子の衣を刺す予譲』のエピソードのようだ。予譲の一徹な生き方に共感する部分はあるが、そこまでしなくともと思う気持ちがある。下記2URLの記述を参考にさせていただいた。
http://dawa3.blog55.fc2.com/blog-date-20140209.html
http://zatuijinden.seesaa.net/article/341877170.html
山門_6
山門_7
山門_8
大本堂
天保3年(1832年)建立。欅造り銅版葺。間口12間・奥行き15間。神奈川県の代表的な木造大建築物で、正面には中老僧日法聖人作の日蓮聖人像が安置され、脇陣に六老僧・鬼子母神・清正公像等が祀られている。敷皮石を安置することから「敷皮堂」とも称し、堂内正面にその扁額が掛かる。
この建物は本当にすごい建物だ。一見の価値あると思う。
大本堂_1
大本堂_2
大本堂_3
大本堂_4

 

稲村ヶ崎から江ノ島龍口寺まで歩く(6)

江ノ島は見るだけにした

江ノ島はここから見ただけで失礼
さすがに至近距離から見ると細かいところまでよく見える
片瀬東浜からの眺め_1
片瀬東浜からの眺め_2
片瀬東浜からの眺め_3
片瀬東浜からの眺め_4
片瀬東浜からの眺め_5
片瀬東浜からの眺め_6
上手いのか下手なのかよくわからない
上手いのか下手なのか

ほんのちょっとだけ歩くと龍口寺前に出る

有名なポイントの龍口寺前
これは確かに『電車接近』だ
龍口寺前_1
これ以降、電車が通過するまで、表示が『電車接近』と『前方注意』との繰り返しになる。でも、『電車接近』どころか通過中であり、『前方注意』も注意すれば済む状況ではない。『車両停止』のままが適切では。
龍口寺前_2
龍口寺前_3
龍口寺前_4
龍口寺前_5
龍口寺前_6
龍口寺前_7
龍口寺前_8
龍口寺前_9
龍口寺前_10
龍口寺前_11
龍口寺前_12
龍口寺前_13
龍口寺前_14
龍口寺前_15
表示消灯がフライング気味だ
龍口寺前_16
江ノ電もなかの店『扇屋』
江ノ電もなかの店_1
江ノ電もなかの店_2
龍口寺前側から見た様子。電車が横断中でないとやけに寂しい景観だ。
龍口寺前から見た様子
腰越方面の様子。路面に『電車優先』の表示がなされているが、わざわざ書かないと守らない困ったさんがいるのだろうか。
腰越方面

 

稲村ヶ崎から江ノ島龍口寺まで歩く(5)

鎌倉高校前を過ぎると、小動岬が見え出すと同時に江ノ電は少し奥まったところに引っ込むようになる。腰越駅の方には向かわず、小動岬方面へ進む。

こんな景色
小動岬付近の地図_1
海沿いの景色_1
海沿いの景色_2
海沿いの景色_3
海沿いの景色_4
海沿いの景色_5
江ノ電腰越駅
freeの画像を借用
江ノ電腰越駅

小動岬
小動岬付近の地図_2
小動岬(こゆるぎみさき)は神奈川県鎌倉市腰越2丁目にある岬で、八王子山とも呼ぶ。岬には腰越村の鎮守として信仰を集めた小動神社(当時は八王子社と称す)がある。幕末には台場(八王子山台場)が設置され川越藩・会津藩・長州藩などが沿岸の監視に携わっていた。展望台があり、相模湾を一望の下に置く事ができる。さらに晴れた日は富士山や伊豆半島も望める。
小動岬からの眺望_1
小動岬からの眺望_2
小動岬からの眺望_3

小動神社
小動神社(こゆるぎじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市腰越の小動岬にある神社である。旧社格は村社。旧腰越村の鎮守社である。
文治年間(1185年-1189年)の源平合戦の際、佐々木盛綱が父祖の領国であった近江国の八王子宮を勧請したものと伝え、江戸時代までは八王子社と称していた。元弘3年(1333年)5月には、新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願したと伝えられる。江戸中期には、小田原藩主・大久保忠真が扁額を奉納した。
明治元年(1868年)、神仏分離に伴い、地名をとって小動神社と改称し、村社に列格した。

小動神社_1
小動神社_2
小動神社_3
小動神社_4
小動神社_5
小動神社_6
小動神社_7

神社の前には浄泉寺
小動神社は以前は八王子宮といい浄泉寺に属していたが、明治の初めの神仏分離で小動神社になったのか。浄泉寺と小動神社とが至近距離にあるのは当然なんだ。小動山浄泉寺は、開山は弘法大師の空海と伝えられていて、本尊は左手に剣を持つ不動明王像で秘仏だそうだ。普通、不動明王像は右手に剣を持つとのことだ。確かめたくても、秘仏では、…。
浄泉寺
浄泉寺の写真集があるHPへjump

腰越漁港
腰越漁港_1
腰越漁港_2
ワカメが干してあった。この辺りは鎌倉市腰越。
この辺りは鎌倉市腰越_1
この辺りは鎌倉市腰越_2
この辺りは鎌倉市腰越_3
ワカメもあるが、なんといっても有名なのはしらすだろう。しらす漁は禁漁期間がある。1月1日~3月10日で、ちょうど行った時は禁漁期間中だったようだ。その期間は生しらすが食べられない。お店のHPから写真を借用した。
しらす丼

市境
藤沢市と鎌倉市との境界。奥が藤沢市で手前が鎌倉市。
市境_1
市境_2
ワカメが鎌倉市で高層建物が藤沢市
ワカメが鎌倉市で高層建物が藤沢市_1
ワカメが鎌倉市で高層建物が藤沢市_2
これより、藤沢市
これより、藤沢市_1
これより、藤沢市_2
これより、藤沢市_3

江の島の成因と周辺の地名由来についての伝説(藤沢市のHPから)
昔、鎌倉の深沢に周囲40里の湖があり、この湖には五つの頭を持った「五頭竜」が主として住んでいた。
この五頭竜は、洪水を起こしたり山を崩したり、或いは病気を流行させたりして暴れまわり、里人を苦しめていた。
人々は非常に困り、また大変に恐れたが、相手が竜ではどうすることもできず、少しでも竜におとなしくしてもらうために、いけにえとして村々からくじ引きで村人を供えるようにしたが、竜はそれに満足せずますます暴れまくった。
そのため、子は親と別れ、親は子を失い村人達は次々とよそへ移住していった。津村の長者には、16人の子どもがあったが、一人残らず五頭竜に飲まれ、死んだ子を恋い慕いながら他村へと逃げていった。
その時から、深沢から西へ行く道の付近を「子死越(こしごえ)」と呼ぶようになり、これが現在の腰越の地名の起こりであると言われる。
竜を恐れた人々は、続々と他村に移住し村からは人影が消え、荒れ果ててしまった。そんな時一大異変が起こった。欽明天皇13(552)年4月12日のことである。
突然起こった大地震が天地をゆるがせ、10日間も続いた。23日辰の刻にはぴたりと地震がおさまり、人々がほっとして海の方を望んだ時、今まで何もなかった子死越前方の海に忽然として一つの島が現れた。これが江の島の誕生であるという。
この天地の異変を五頭竜は見つめていた。すると天から美しい天女が五色の雲にのり、童女を従えてしずしずと湧き出たばかりの島へと降りたった。
天女の美しさに感じた竜は、やがて結婚を申し出たが、人々の幸せを任としている天女が里人を苦しめてきた竜のような者の妻には到底なれないと言って、竜の申し出をはねつけ洞窟に隠れてしまった。
しかし、どうしても思い切れない竜は、たびたび島を訪れ、ついにこれからは人々を助けることに努力することを天女と固く約束した。
それからの五頭竜は、人々を守るために日照りの時には雨を降らせ、秋の台風には体をはってはね返し、押し寄せる大波からは陸地を守り、一生懸命人々のために働いた。やがて竜のかたい心を知った天女は、竜に結婚することをゆるし、お互いに人々の幸福のために力を合わせた。
時がたつにつれ竜の体はだんだんと衰えていった。自分の寿命の尽きるのを知った五頭竜は、天女に「死んでも私は山となって島と里人を守ります。」と告げ対岸に渡り江の島の方に向かって長々と横たわり一つの山なった。
これが現在の片瀬山で、竜の口のある場所が、現在の竜の口(たつのくち)であるという。里人はこの山を竜口山と呼び、五頭竜を祭った社(やしろ)を建てた。これが竜口寺の西隣にある竜口明神で、五頭竜の木彫りのご神体がおさめられ、今でも60年に一度の「巳年式年祭」の日には、おみこしに乗せて江の島へ渡り、天女の弁財天とあわせている。


以下の2つの画像はfreeの画像を借用させてもらった
現在の龍口明神社
現在の龍口明神社
龍口に残る旧龍口明神社。553年に創建された鎌倉最古の神社。
龍口に残る旧龍口明神社

 

稲村ヶ崎から江ノ島龍口寺まで歩く(4)

七里ヶ浜駅付近
七里ヶ浜駅は少し奥まった曲がりくねったところのようだ
七里ヶ浜駅付近の地図
七里ヶ浜駅に停車しようとする江ノ電_1
七里ヶ浜駅に停車しようとする江ノ電_2
七里ヶ浜駅に停車しようとする江ノ電_3
七里ヶ浜駅に停車しようとする江ノ電_7
七里ヶ浜駅に停車しようとする江ノ電_8
駅に停車中に、小走りに走って行くと先頭部分が見えた
駅に停車中に、小走りに走って行くと先頭部分が見えた
ここで交差するんだ
ここで交差するんだ_1
ここで交差するんだ_2
ここで交差するんだ_3
ここで交差するんだ_4

七里ヶ浜駅を通り過ぎ、鎌倉高校前駅を目指す
江ノ島が一段と近く見える
江ノ島が一段と近く見える
道草を食うところもなく、割と早く鎌倉高校前駅近くまできた
道草を食うところもなく、淡々と歩いてきたら、割と早く鎌倉高校前駅近くまできた
女の子たちは歩道をわたって何処へ行くんだろう
女の子たちは歩道をわたって何処へ行くんだろう

鎌倉高校前駅付近
鎌倉高校前駅付近の地図
鎌倉高校は七里ヶ浜高校程には海近くではない。そのほうが気が散らなくて勉学に励めるかもしれない。
freeの画像を借用
鎌倉高校
駅舎はこんなふうだ
駅舎_1
駅舎_2
駅舎_3
こんなミニ踏切もあった
こんなミニ踏切もあった_1
こんなミニ踏切もあった_2
電車が行った直後はこんなもの。鎌倉方面に帰る生徒が圧倒的に多いのか。鎌倉高校だから、そうなんだろう。
電車が行った直後
海側の歩道がなくなってしまったので、仕方なしにこちら側の歩道を歩く
海側の歩道がなくなってしまったので

今度は腰越・小動岬を目指す
江ノ島は一層近くに
江ノ島は一層近くに_1
江ノ島は一層近くに_2
江ノ島は一層近くに_1
江ノ島は一層近くに_2
江ノ島は一層近くに_3
江ノ島は一層近くに_4
江ノ島は一層近くに_5
江ノ島は一層近くに_6
江ノ島は一層近くに_7

 

稲村ヶ崎から江ノ島龍口寺まで歩く(3)

引き続き七里ヶ浜駅を目指す。稲村ヶ崎から江ノ島までの区間を乗車したことがなかったので、七里ヶ浜駅の様子は全く知らなかった。

もう少しで七里ヶ浜駅に至る辺りにて
鎌倉プリンスホテルと県立七里ヶ浜高校
高校がこんな見晴らしの良いところにあって良いのだろうか。羨ましく思うほどに立地が良い。潮騒が聞こえてくるんだろうな。潮の香りも漂ってくるんだろう。
鎌倉プリンスホテル
県立七里ヶ浜高校
サーファー
波は全く駄目な感じだ。でも随分頑張るものだ。
サーファー_1
サーファー_2
えっ、こんな小さなので行くの?
サーファー_3
サーファー_5
サーファー_6
サーファー_7
サーファー_8
サーファー_9
サーファー_10
サーファー_11
サーファー_12
サーファー_13
サーファー_14
サーファー_15
サーファー_16
サーファー_17
サーファー_18
サーファー_19
サーファー_20
江ノ電
県立七里ヶ浜高校と鎌倉プリンスホテルの間あたりを走る鎌倉行き
江ノ電_1
江ノ電_2
江ノ電_3
江ノ電_4
眺望
江ノ島も小動岬も近く見えてきた
眺望_1
眺望_2
眺望_3
反対側は葉山辺りかな
葉山辺りかな

もう少し歩くと
江ノ電とサーファーとキダチアロエの花。まあ、この辺の景色らしいといえばそういうことかも。
江ノ電とサーファーとキダチアロエの花

 

稲村ヶ崎から江ノ島龍口寺まで歩く(2)

『七里ガ浜のいそ伝い、稲村ケ崎、名将の剣投ぜし古戦場』という歌詞が頭にあり、稲村ヶ崎駅で降りたのに、七里ヶ浜駅で降りたような気分になっていた。要は、いくら行っても鎌倉高校前まで行き着かない感じがした。何たる勘違いだったのだろう。

稲村ケ崎から七里ヶ浜方面へ進む
稲村ケ崎をあとにして、七里ガ浜方面へ歩を進める
沖合にはヨットが。相当に寒い日だったが、沖合で震えていたのではなかろうか。余計なお世話かな。
沖合にはヨットが
場所的には稲村ヶ崎駅を少し過ぎただけの辺り
場所的には稲村ヶ崎駅を少し過ぎただけの辺り_1
場所的には稲村ヶ崎駅を少し過ぎただけの辺り_2
歩道には結構砂がある。高波などが立つと、運ばれてくることがあるのだろうか。
歩道には結構砂がある
サーファーが居た。大した波が来ていないので、やっていても面白く無いのではなかろうか。
サーファーが居た
西田幾多郎博士記念歌碑
『七里濱 夕日漂ふ波の上に 伊豆の山々果し知らずも』…西田博士の自筆の歌碑だそうだ。側面には鈴木大拙師の撰文が刻まれているようだ。二人は同級生だったのか。いつものことだが、見落としてしまった。西田博士には、富士山よりも伊豆の山々が印象的だったのだろうか。
西田幾多郎博士記念歌碑_1
西田幾多郎博士記念歌碑_2
もう少しだけ先に行く
そこには駐車場がある。そのへんでキョロキョロしてみる。
サーファーも江ノ島も少し近くに見えるようになった
サーファーも江ノ島も少し近くに見えるようになった
あちらは葉山辺りだろうか
あちらは葉山辺りだろうか
江ノ電が海沿いに顔を出す。その辺りで撮ってみた。随分派手に飾り立ててある車体だ。この電車は、藤沢方面から来て、ずっと見えていた海が見えなくなるところだ。
江ノ電が海沿いに顔を出す辺りで_1
江ノ電が海沿いに顔を出す辺りで_2
江ノ電が海沿いに顔を出す辺りで_3
江ノ電が海沿いに顔を出す辺りで_4
江ノ電が海沿いに顔を出す辺りで_5
これは藤沢行きの方
これは藤沢行きの方
ちょっと行くと県立七里ガ浜高校と鎌倉プリンスホテルの前だ
ちょっと行くと県立七里ガ浜高校と鎌倉プリンスホテルの前だ_1
ちょっと行くと県立七里ガ浜高校と鎌倉プリンスホテルの前だ_2

 

稲村ヶ崎から江ノ島龍口寺まで歩く(1)

実に久しぶりに、稲村ヶ崎からの海岸線を江ノ島に向かって歩き、境内に入ったことのなかった江ノ島龍口寺を目指そうと思い立った。しかし、前日からの雨は何とか上がったものの、天気の回復が遅れ、あまり良い天気とはいえなかった。肌寒い中をともかくも歩き出した。

稲村ヶ崎駅
だれでもわかることだろうが、左側が海側だ。間違える人はいないと思うが、史跡の稲村ヶ崎は少し極楽寺側に戻る感じとなる。
稲村ヶ崎駅
目の前の道を渡ると海に出る。
目の前の道を渡ると海

海に出たところ
右には江ノ島
江ノ島に向かう計画だから、そんなに焦らず軽く見ておく。
右には江ノ島_1
右には江ノ島_2
左には稲村ヶ崎
汚い砂浜のようにみえるかもしれないが、これは砂鉄が多く含まれるためだ。
左には稲村ヶ崎_2
左には稲村ヶ崎_3
サーフボードも一緒に載せられる自転車
よく考えたものだ。これならかなり安定して走ることができそうだ。
サーフボードも一緒に載せられる自転車

稲村ヶ崎
鎌倉時代末期の元弘3年(1333年)5月に上野国(群馬県)新田荘を本拠とする新田義貞が挙兵し、分倍河原の戦いと関戸河原の戦いで北条氏の軍に勝利して鎌倉にせまった(鎌倉の戦い)。5月18日極楽寺口より攻撃を加え、21日には義貞みずから稲村ヶ崎の海岸を渡ろうとしたが、当時の波打ち際は切り立った崖となっており、石が高く、道が狭小なため軍勢が稲村ヶ崎を越えられなかった。そこで、義貞が潮が引くのを念じて剣を投じると、その後潮が引いて干潟となったので岬の南から鎌倉に攻め入ったという伝説が『太平記』に記されている。
稲村ヶ崎
新田義貞徒渉伝説の石碑
新田義貞徒渉伝説の石碑_1
新田義貞徒渉伝説の石碑_2
明治天皇御製
新田義貞
投げ入れし剣の光あらわれて
千尋の海もくがとなりぬる
海軍大将岡田啓介謹書

明治天皇御製
撮影クルーが一足先に
撮影クルーが一足先に_1
撮影クルーが一足先に_2
ボート遭難の碑
1910年に12名の学生が許可なくボートを漕ぎ出し遭難するといういたましい事故が起きた。引き上げられた兄弟をモデルにした像が1964年に稲村ヶ崎に建てられた。台の正面にはこの事故を詠う『七里ヶ浜の哀歌』が、左側面には事故のあらましが記されている。
撮影クルーの邪魔をしたくないばかりに近寄らなかったが、見ておけば良かったかなあ。左端の像がそれだ。

ボート遭難の碑も端っこに
ここからの眺望は最高
本当に素晴らしい。条件が良ければ見える富士山が見えなかったのは残念だが、この空模様では望むべくもなかろう。富士山が見えなくても、こんなに眺望が良いとは思いもしなかった。考えて見れば、通り過ぎるばかりで、この地に立ったことはなかったんだ。
ここからの眺望は最高_1
ここからの眺望は最高_2
ここからの眺望は最高_3
ここからの眺望は最高_4

 

自宅から洗足池まで(5)

洗足池にて(4)

勝海舟と西郷南洲
勝海舟の墓
かつては、池のほとりに勝海舟晩年の邸宅「千束軒」があったが戦災で焼失。現在は勝夫妻の墓が残り、大田区の文化財に指定されている。幕末、勝は江戸総攻撃中止と江戸城無血開城を西郷隆盛に直談判するため、官軍の薩摩勢が本陣をおいた池上本門寺へ向かう途中、洗足池のほとりで休息した。明治維新後、池の風光明媚を愛した勝が移住し、西郷もここを訪ねて勝と歓談したと言う。勝夫妻の墓の隣に「西郷隆盛留魂碑」が建つ。これは、西郷が西南役に倒れた後、当時の東京府南葛飾郡の浄光院境内に勝が自費で建てたもの。1913年(大正2年)に荒川放水路開鑿に伴い、当地に移建された。
石塔の「海舟」の文字は、徳川慶喜の揮毫と伝えられているそうだ。私が言うのも何だが、上手い字だ。
勝海舟の墓_1
勝海舟の墓_2
勝海舟の墓_3
徳富蘇峰詩碑
勝海舟と西郷南洲(隆盛)の偉業をたたえた徳富蘇峰の詩碑。青木藤作ら九名の人々によって、昭和十二年(1937)に両英雄ゆかりのこの地に建立されたそうだ。
堂堂たる 錦旆(きんぱい) 關東を壓し、百萬の死生 談笑の中(うち)。群小(ぐんせう)知らず 天下の計、千秋 相(あ)ひ對す 兩英雄。
今の人は、分かち書きをすると思うが、彼は案外無神経に書き連ねたような気がする。碑文の限られたスペースでは、こんなものなのだろうか。菅原正敬は筆名の一つとのことだ。
徳富蘇峰詩碑
留魂碑
明治12年(1879年)、戦死した西郷隆盛(1827年-1877年)を悼み、勝海舟が私費で建てた碑。大正2年(1913年)に現在地に移設されたそうだ。
漢文は苦手中の苦手。恥ずかしい話だが、何を言っているのか全くわからない。

留魂碑_1
留魂碑_2
留魂祠
留魂祠

その他
桜山
桜の季節には背後の桜山が桜色に染まる。すごい人出になるそうだ。この季節でもキンクロハジロはまだとどまっているんだ。
freeの画像を借用
洗足池桜山
初代広重の描いた名所江戸百景の『千束の池袈裟懸松』
今の中原街道側から見た景色だろう。袈裟懸松が手前にあり、やや奥に千束八幡神社が見える。
freeの画像を借用
初代広重の描いた名所江戸百景の『千束の池袈裟懸松』
ボートハウス
中原街道寄りにある。洗足池駅もこの近くにある。桜山は対岸になる。
ボートハウス_1
ボートハウス_2

以上で、『自宅から洗足池まで』はお終いです。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

自宅から洗足池まで(4)

洗足池にて(3)

区指定名勝 洗足池
洗足池は、武蔵野台地の末端の湧水をせきとめた池で、昔は千束郷の大池と呼ばれ、灌漑用水としても利用されました。池畔の風景は優れ、江戸時代には、初代広重の浮世絵「名所江戸百景」に描かれるなど、江戸近郊における景勝地として知られていました。昭和3(1928)年に池上線が開通すると、公園として整備され、同5年には風致地区として指定されました。
面積は、周辺を含めると約67,000平米、水面の広さは約40,000平米です。日蓮が足を洗ったので洗足池というとか、袈裟をかけたといわれる袈裟掛けの松のある御松庵など、日蓮にまつわる伝承も残されています。また池畔にはこの地を愛した勝海舟の墓や西郷隆盛(南州)の留魂祠・詩碑などがあります。
池の西北部一帯は桜山と称し、桜の名所で、区内有数の景観に富むところとして貴重です。
  昭和50年3月19日指定  大田区教育委員会


木橋を歩きながら
公園の池の北側には水生植物園があり、木橋を歩きながら育成されている水生植物を見ることが出来る。いまは水生植物が大きくなっている時期ではない。その代わりと言っては何だが、パートタイムの参加者、カモさんたちが賑やかし役を果たしていてくれた。
木橋を歩きながら_1
木橋を歩きながら_2
木橋を歩きながら_3

前回取り上げなかった鳥さんたち
コサギ
くちばしは黒色、目元は黄色、芦は黒、趾は黄色。その特徴からコサギと判断した。
コサギ_1
コサギ_2
コサギ_3
ホシハジロ
ホシハジロ_1
ホシハジロ_2
マガモ
マガモ_1
マガモ_2
オナガガモ
オナガガモ_1
オナガガモ_2
キンクロハジロ
キンクロハジロ_1
キンクロハジロ_2
ムクドリ
ムクドリ_1
ムクドリ_2

季節が来ると目立つ蒲の穂、半夏生、ミソハギなどは今回は時期尚早で観察できなかった。

 

自宅から洗足池まで(3)

洗足池にて(2)

清水窪湧水路
池の水源と言われる。なかなか綺麗な水で、鯉たちも悠然と泳いでいた。以前は4つの湧水があったようだが、今は残念ながらこれだけのようだ。
清水窪湧水路_1
清水窪湧水路_2
清水窪湧水路_3
弁天島と洗足池弁財天
いつからかはわかっていないようだが、もともと弁財天があったようで、昔は池の中に没してしまっていたようだ。それが、多くの人の夢の中に弁天様があらわれ、このことを告げたということで、昭和9年に再建されたとか。うーーん、なるほど。
弁天島と洗足池弁財天_1
弁天島と洗足池弁財天_2
御由緒書き
こうして弁天島からボートハウス&洗足池方面をみると、洗足池もかなりの広さがあるものだ。
弁天島からボートハウス&洗足池方面をみると

私にもいささかご利益があったようだ。この近くで3種の鳥さんを見かけた。いずれも1羽ずつ。完全な単独行動だったのだろうか。それとも仲間はやられてしまったのだろうか。

ゴイサギ
今まで見たことのなかったゴイサギが居た。あまりにもじっとしているので、置物かと思ったくらい。それだけ、姿勢維持のための筋力が発達しているのだろう。
ゴイサギ
カワウ
カワウも居た。こちらはいろいろなところで観察はしているが、こんな至近距離では初めてだ。
カワウ_1
カワウ_2
バン
ひときわ目立つぎこちない泳ぎ方で水を掻いていた。水かきがカモのようには発達していないので、あの泳ぎ方もやむをえないところだろう。少し離れたところだったので、非力な望遠では辛い。
バン

 

自宅から洗足池まで(2) 2014.03.07 10:30加筆

大岡山駅前を経由して洗足池のエリアに到着した。ここまででおよそ2.3kmほど。暫く池の周りを楽しむことにする。

洗足池にて(1)
太鼓橋のたもと
高価そうなレンズを装着したレンズで、おじさんたちが何かを一生懸命撮っていた。特段目立つものはなさそうだが、何を撮っていたのだろうか。
おじさんたちが何かを_1
おじさんたちが何かを_2
もしかしてこれだったのかなあ。マガモの営巣の様子というか、卵を孵そうとしているさまを撮ったのだろうか。
どうやら大ハズレ。makiraさんのコメントで、やっとわかったのだが、カワセミを狙っていたようだ。私が着いた時は、どこかに行ってしまった直後のようで、…。大きなレンズが必要な意味も納得。う~~ん。高いんだよなあ。
もしかしてこれだったのかなあ_1
もしかしてこれだったのかなあ_2
池月橋
池がくびれている部分をほんのちょっとだけショートカットする三連の太鼓橋だ。
池月橋_1
池月橋_2
千束八幡神社
『池月』の名前が出てきたので、こちらを先に見てみよう。
洗足池の畔、小高い岡の上に鎮座する。貞観2年(860)宇佐八幡を勧請したことに始まると伝えられる。
平将門の乱に際し、鎮守府副将軍として下向した藤原忠方は、乱を平定した後、この地に土着し、洗足池の畔に館を構えて当社を氏神とした。その子孫が、日蓮聖人を身延より迎えた池上氏である。
奥羽平定に向かった八幡太郎義家は洗足池で禊ぎを修し、戦勝を祈願したと伝えられる。
また、源頼朝は安房より鎌倉へ向かう途中、源氏の氏神である八幡宮が祀られていることを喜び、この地に陣を構えて諸将の参陣を待った。この時、後に宇治川の合戦で佐々木高綱が先陣の功を挙げた名馬・池月〔いけづき〕(生食)を得たという。
これを見た将兵は、平家討伐成就の吉兆として大いに意気が上がり、旗を掲げて歓声を上げた。これに因んで別名「旗挙げ八幡」と呼ばれるようになったと伝えられる。

なるほど、源氏とも日蓮聖人とも関わり合いがあるのか。ごく小さな神社なのに凄い歴史を誇るんだ。こちらの八幡神社はたいていは源氏の縁で、石清水八幡宮の神様を勧請してきたと言われるが、この神社は総元締めの宇佐八幡宮の神様を勧請してきたのか。源氏勃興以前からの神社ということになろう。その当時の事情を考えれば、本当に凄いことだ。
鳥居と拝殿へ向かう石段と
拝殿へ向かう石段
拝殿
拝殿
幣殿・本殿
幣殿・本殿
名馬・池月の像
『池月の 蹄の音か 揆の冴え』…随分な悍馬だったようだが、ただの悍馬ではなく度胸の据わった馬だったのかもしれない。
名馬・池月の像
境内からの眺め
境内からの眺め

 

自宅から洗足池まで(1)

また、洗足池まで歩いてみようと考えた。地図で調べると2.3kmほど。池の周りをうろちょろするだろうから4km位になるだろうか。帰りは、疲れ具合でそのまま電車で帰るか、歩いて帰るか決めることにして、いざ出発。

呑川遊歩道沿いに東工大方面へ
この辺りは桜の名所で、1ヶ月弱で、景色が一変する。でも、本当のところは、呑川遊歩道沿いは上流に向かっていったほうが桜は綺麗だ。深沢とか桜新町とか。
都立大学駅前近くの桜はまだまだ咲かない様子だ。

都立大学駅前近くの桜はまだまだ咲かない様子
どこまでも桜並木が続く
どこまでも桜並木が続く
いつも気になっているスポーツタイプの超小型乗用車。本当にフェラーリなのだろうか?絶対に違うんだろうと思う。どう見ても軽自動車の大きさしか無い。でも雰囲気はフェラーリそのもの。
気になっているスポーツタイプの超小型乗用車

東工大敷地脇の急坂
なんでもない坂のように見えるが、とんでもない勾配の急坂だ。あるとき、後ろから来たかなりの婆さんに追い抜かれたことがある。それだけなら悔しくもなんともないことだが、なんとその婆さんは、後ろ歩きだったのだ。ぶっ飛び婆さんがいたものだ。
なんでもない坂のように見えるが、…_1
なんでもない坂のように見えるが、…_2
この梅の木にはよくメジロが来るのだが、こいつが頑張っていたのではメジロは近寄ってこれない
こいつが頑張っていたのでは

大岡山駅前辺り
まずは大岡山駅と東急病院と
駅の真上が病院だ。以前は、駅のすぐ隣が病院だったのだが、随分近代的な病院に生まれ変わった。ただひとつ、あのグリーンカーテンの勢いがないのだけがいつも気になっている。
大岡山駅と東急病院_1
大岡山駅と東急病院_2
大岡山駅と東急病院_3
大岡山駅と東急病院_4
こちらは東工大キャンパス
産業立国日本を支える技術者を養成する最高峰の大学だ。
東工大キャンパス_1
東工大キャンパス_2
東工大キャンパス_3

この辺は北千束3丁目
池の名前は『洗足』だが、地名にはこちらの『千束』が使われている。
北千束3丁目_1
途中でメジロが居ないか見てみたが、蜜は吸い尽くしたようで、メジロもヒヨドリも居なかった。
北千束3丁目_2

洗足池西交差点
ここを左折すると数十mほどで洗足池だ。
洗足池西交差点

 

林試の森公園を歩いてみる(3)

林試の森公園(3)

プラタナスの並木
プラタナスは本当に大きくなる木だ。その巨木ぶりにはびっくりするほどだ。
プラタナスの並木_1
プラタナスの並木_2
プラタナスの並木_3
こちらはケヤキ
日本人には家具などに使われるおなじみのケヤキ。硬い材質であるように見える。
ケヤキ_1
ケヤキ_2
この一帯には樫の仲間が
ケヤキに負けず劣らず固そうな感じだ。
これはアカガシ
アカガシ
ツクバネガシ
ツクバネガシ
イチイガシ
イチイガシ
ハナガカシ
サツマガシとも言われ九州でしか見られない珍種のカシだそうだ。残念ながら見落としてしまった。

前回行った時の写真から
葉が付いていると、わかりやすい感じだ。
アメリカトネリコ
ホワイト・アッシュというもので、材木としての用途が主のようだ。
アメリカトネリコ_1
アメリカトネリコ_2
ニオイドロノキ
ドロノキは材木としての評価が低く、マッチの軸に使われる程度のようだ。ニオイドロノキは、下記のようなもののようだ。いずれにしても大したことはない木のようだ。
ドロノキにはしばしば芽吹きや新葉が特有の匂いを持ったベタベタの樹脂様物質にまみれている個体を見る。これを中国や朝鮮半島に分布するニオイドロ(チリメンドロ)と同一種と見る考えがある一方、国内のものはドロノキの品種の範疇と見る考えがある。
ニオイドロノキ_1
ニオイドロノキ_2
イイギリ
イイギリ_1
イイギリ_2

歩いてみて気づいたことだが、今頃行って木の特徴を把握するのはかなり難しいことだ。やはり葉が出揃ってからのほうが何かと特徴を把握しやすいように思える。

 

林試の森公園を歩いてみる(2)

林試の森公園(2)

いちいち木の名前を見ていってもわからない樹木が多く、オーバーフローというか、最初から覚えられていない。そこで、公園内を楽しんで歩くことに切り替えた。

巨大な倒木
以前に紹介したことがあるが、台風で倒れてしまったユーカリの巨木だ。ものすごく大きい。スペインの巡礼路の道中にもあり、その芳香が疲れを癒してくれるような感じがあった。こうして無残に倒れてもまだ十分な存在感がある。
巨大な倒木_1
巨大な倒木_2
子どもたちも楽しめるゾーン
フィールドアスレチックの設備などがあり、いつも子どもたちの興じる声が聞こえてくる一画だ。
子どもたちも楽しめるゾーン_1
子どもたちも楽しめるゾーン_2
子どもたちも楽しめるゾーン_3
せせらぎ橋
池のあたりはラクウショウの森と案内図に書かれていた。ラクウショウ(落羽松、学名:Taxodium distichum)はスギ科ヌマスギ属の針葉樹。別名はヌマスギ(沼杉)。和名はヌマスギ。北アメリカ原産の落葉針葉高木。アメリカ大陸東南部からメキシコに分布するが、日本にも移植され公園などで見られる。
せせらぎ橋_1
せせらぎ橋_2
せせらぎ橋_3
せせらぎ橋_4
かなり折れてしまった木々
無残に転げ落ちていた。画面ではわからないと思うが、辺りにはかなりの数の野鳥が屯していた。落ちたと同時に木の実が地面に落ちたのだろうか。
かなり折れてしまった木々
三つ又になっているモミジバスズカケノキ
日本で見られるプラタナスは殆どこのモミジバスズカケノキとのことだ。三つ又になっていると二股の時ほど艶めかしくは感じないものだが、どうしてこんな根元付近から3つに別れたのだろうか?不思議でならない。
三つ又になっているモミジバスズカケノキ_1
三つ又になっているモミジバスズカケノキ_2
ユリの木
上野の東京国立博物館の中庭にでんと聳える樹だ。花は非常に良く目立つ。殆どの人が驚いて、何の木だろうと騒ぎ出すほどだ。とは言うものの、今の時期だと、特徴らしきものがなく、正直なところ何の木だか私にはわからなかった。
ユリの木_1
ユリの木_2

 

林試の森公園を歩いてみる(1)

会議の前の時間を利用して『林試の森公園』を歩いてみる。
林試の森公園は、東京都目黒区下目黒と品川区小山台にまたがって所在する都立公園。林業試験場の跡地を都立公園にしたものだ。
個人的には林と森とは大違いで、此処は『林試跡地公園』であり、当然此処にあるのは『林』そのものであり、意味合いを異にする『森』の文言が入るのはおかしな話だと思うが、細かいことにはこだわるまい。


都立小山台高校
最寄り駅は武蔵小山駅。降りるとすぐ目と鼻の先に都立小山台高校がある。かつての東京府立第八中学校で、言うまでもなく大学進学成績抜群の名門校である。今年の選抜高校野球大会に21世紀枠で選ばれた。『野球部』ではなく『野球班』なんだ。
私の母校でもないので、『あ、そう』とばかりに通りすぎる。

都立小山台高校_1
都立小山台高校_2
あまり広くない校庭にさして高くない網。強打者だとらくらくオーバーフェンスだろう。どういう練習をしているのだろうか。
都立小山台高校_3

林試の森公園(1)
見えてきた南門
いつも何の考えも無しにこの門からはいるが隣の水車門も良さそうだ。今度はそこから入ってみよう
見えてきた南門_1
見えてきた南門_2
入った辺りにはポプラの大樹が
街路灯よりもはるかに高い。見上げ続けていると頚が痛くなりそうだ。
ポプラの大樹_1
こういう木肌なのか。標識がないと結構有名な樹木であっても、何の木だか全くわからない。恥ずかしいぞ。
ポプラの大樹_2
こちらはヒマラヤスギ
さすがにこの木は見ただけでわかる。
ヒマラヤスギ_1
ヒマラヤスギ_2
小さな池の辺り
池にはカルガモがいた。植えられている木は、ラクウショウ(落羽松)という木のようだ。
小さな池_1
この辺の池という池には殆んど例外なくカルガモがいるようだ
小さな池_2
ちょっと雰囲気のある坂を上る
雰囲気のある坂を上る
この木はアベマキ
全く知らない木だ。特に葉が落ちていると特徴をつかみにくく、…。
アベマキ_1
アベマキ_2
園内のアベマキの古木にはミズイロオナガシジミが発生する。都区内での自生は珍しいそうだ。上記標識では過去形の記述になっていたが。
freeの画像を借用した
ミズイロオナガシジミ
この木はノグルミ。たくさんの実が残っていた。
果実の形はオニグルミなどのクルミよりも、松かさに似ている。これは、トゲトゲしていて触ると痛いし、食用にもならないそうだ。なあんだ、つまらない。
ノグルミ_1
ノグルミ_2
こちらは、ボダイジュ
寺院の境内に植えられていると書かれているが、そんなもの植えられているかなあ。
ボダイジュ_1
ボダイジュ_2
芝生広場の方へ歩いてみる。
芝生広場の方へ歩いてみる
大きなクスノキ
手前に先日の豪雪でポキリと折れた枝が転がっていた。クスノキにかぎらず、かなりの樹木が雪の重みでやられてしまったようだ。無残な限り。
大きなクスノキ_1
大きなクスノキ_2
早咲きの桜が咲いている
早咲きの桜が咲いている_1
早咲きの桜が咲いている_2
こちらは梅
こちらは梅
こちらはマテバシイ
名前だけは聞いたことがあるが、…
マテバシイ_1
マテバシイ_2
こちらは楷の木
名前する聞いたことがない。恥ずかしい限りだ。
楷の木_2
楷の木_1

 

妻の壮行会

この間セルビアに応援に行って戻ったばかりだが、今回は応援ではなく、主担当者として、3月1日からカンボジアへ1週間行く。(既に出発してカンボジアにいる)
その壮行会で出発前日にランチを共にした。場所は時々行くイタリアンのお店。


お店の調理スペース
こじんまりした店で、厨房に入っているのは2人。お昼前に入ったので、先客は2組ほどだったが、程なく正午ごろには満席となった。繁盛している店のようだ。
お店の調理スペース

まずは前菜
結構美味しいものだった。二人共に満足。もう既に蕗の薹がソースに使われる時期になったんだ。
まずは前菜

パスタ
あとで隣の席についた夫婦も同じものを注文していた。男の好みの品、女の好みの品みたいなものがあるのだろうか。食べ慣れた味で、安心して食べることができた。
私が頼んだパスタ
私が頼んだパスタ
妻が頼んだパスタ
妻が頼んだパスタ

デザート
これもイケた
デザート

いつもは注文するはずのワインを頼まなかったところを見ると、まだ準備途中でそれだけの余裕がなかったのだろうか。ともあれ、今はカンボジアで頑張っているはずだ。今回はかなりハードだと言っていたが、なんとかなるのだろうか。

 

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