散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

上野界隈にて(4)

上野東照宮(2)

透塀
1651年建築。国指定重要文化財。
菱格子の塀で向こうが見えることから「透塀」と呼ばれています。
上下に施された300枚もの彫刻には、上欄には山野の動植物、下欄には海や川の動植物が、どれも雌雄、陰陽の姿として生き生きと表現されています。

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元々は総金箔だったらしいですが、その後国の予算不足により下地漆塗に。塀の上段には花木山禽、下欄には水草鳥魚をあしらっており、その数約300枚ありましたが、戦後、進駐軍の土産に持ち去られるなどして、現在は250枚に。
日光の東照宮にもあるのでご存じの方が殆だろうが、『すきべい』と読ませる。『すけべい』も『すかしべい』も共に問題のある読み方なので、絶対にしないほうが宜しいだろう。
透塀_1
透塀_2
透塀_3
透塀_4
透塀_5
透塀_6
参拝者のための通用口
参拝者のための通用口
敷地内側に倒れないような工夫がなされていた
敷地内側に倒れないような工夫がなされていた
参拝した日は使われていなかったが、こちらも通用口だろうか
こちらも通用口だろうか

上野の祖木といわれている御神木『大楠』
樹齢600年以上の上野の祖木といわれる御神木『大楠』。圧倒的な巨木だ。幹の太さは8m以上あり、高さは25mだそうだ。上野の山に建物などが存在しない頃から、このご神木は存在していたようだ。
上野の祖木といわれる御神木『大楠』_1
上野の祖木といわれる御神木『大楠』_2
上野の祖木といわれる御神木『大楠』_3

 

上野界隈にて(3)

5年に及ぶ修復工事中だった上野東照宮の工事が終わり、再度公開を始めたということを聞きつけ、あまり荒されないうちに出掛けてみた。見るからに金ピカ。凄いなんてレベルではなかった。びっくりして、声も出なかった。
旧社格は『府社』だそうだ。徳川ゆかりのものは、何でも低く評価されたようだ。運良く戦争や震災などの災厄で倒壊することもなかったとは、災も避けて通るほどのパワーが有ったのかもしれない。
下記の通り名前が出てくる藤堂高虎は、よほど世渡りがうまかったのだろう。いつの間にか家康も受け入れていたようだ。人を見る目があったのか否か。


上野東照宮(1)
1616年、2月4日、お見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に招かれ、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けました。そこで藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営しました。
1646年には正式に東照宮の宮号を授けられました。
1651年に三代将軍・徳川家光公が大規模に造営替えをしたものが、現存する社殿です。金箔をふんだんに使い、大変豪華であったことから「金色殿」とも呼ばれています。当時は東叡山寛永寺の一部でしたが、戦後神仏分離令により寛永寺から独立しました。その後、戦争や震災などの災厄に一度も倒れることなく、江戸の面影をそのまま現在に残す、貴重な文化財建造物です。
東照宮とは、徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社です。日光東照宮、久能山東照宮が有名ですが、全国各地に数多くございます。そのため、他の東照宮と区別するため上野東照宮と呼ばれておりますが、正式名称は東照宮でございます。


唐門
1651年建築。国指定重要文化財。正式名称は唐破風造り四脚門。
総金箔の門で両側上部にある松竹梅と錦鶏鳥の透彫は精巧で美しく、室町桃山時代の技術を集大成したものとして評価されています。
柱の内外四額面には、日光東照宮の「眠り猫」で有名な左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」の彫刻があり、毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説があります。
偉大な人ほど頭を垂れるという諺に由来して、頭が下を向いているものが昇り龍と呼ばれています。

外側から見た唐門
外側から見た唐門_1
外側から見た唐門_2
外側から見た唐門_3
外側から見た唐門_4
外側から見た唐門_5
外側から見た唐門_6
外側から見た唐門_7
外側から見た唐門_8
外側から見た唐門_9
外側から見た唐門_10
昇り龍
何だか知らずに撮ったのだが、左甚五郎の作だったようだ。両側をきちんと撮っておくべきだった。(^_^;)
昇り龍

内側から見た唐門
内側から見た唐門_1
内側から見た唐門_2
金箔が貼られた門扉は透かしになっているんだ。
内側から見た唐門_3
内側から見た唐門_4
内側から見た唐門_5
内側から見た唐門_6
内側から見た唐門_7
内側から見た唐門_8
内側から見た唐門_9
松竹梅と錦鶏鳥の透彫
透かし彫りなので、外側から見るのと内側から見るのとでは大分感じが変わって見える。ものすごい手の込んだ彫刻だ。
松竹梅と錦鶏鳥の透彫_1
松竹梅と錦鶏鳥の透彫_2
松竹梅と錦鶏鳥の透彫_3
松竹梅と錦鶏鳥の透彫_4

ふう、凄いものだ。これでもまだ唐門のみ。透塀と本殿とがデーンと控えているんだ。

 

上野界隈にて(2)

上野東照宮ぼたん苑に行くといつも思うことだが、他の人の迷惑を顧みないマナーが著しく宜しくない困ったカメラマンが少なくない。実に嘆かわしいことだ。自分よりかなり年上の方たちばかりのようだ。道徳教育を受けてきた世代だろうに。
撮影に関しては、色飽和しないか気になったけれども、色飽和以前にあまり美しくない花が目立った。旬が過ぎてしまったのだろうか。


上野東照宮ぼたん苑
上野東照宮ぼたん苑は1980年(昭和55年)に日中友好を記念して開苑しました。当初は上海及び、洛陽植物園から寄贈された中国牡丹を中心に70品種でしたが、現在では約250品種3200株の日中洋の牡丹があでやかに咲き誇ります。
友好記念として贈られた中には、北宋時代に(約800年前)に、洛陽の植木職人が白い牡丹の根元に漢方薬を撒いたところ咲いたといわれる緑色の八重咲き「豆緑(とうりょく)」などの珍しい品種もございます。

上野東照宮ぼたん苑_1
上野東照宮ぼたん苑_2
上野東照宮ぼたん苑_3
上野東照宮ぼたん苑_4
上野東照宮ぼたん苑_5
上野東照宮ぼたん苑_6
上野東照宮ぼたん苑_7
上野東照宮ぼたん苑_8
上野東照宮ぼたん苑_9
上野東照宮ぼたん苑_10
上野東照宮ぼたん苑_11
上野東照宮ぼたん苑_12
上野東照宮ぼたん苑_13
上野東照宮ぼたん苑_14
これは何の花だろう
これは何の花だろう_1
これは何の花だろう_2

 

上野界隈にて(1)

不忍池にて
不忍弁天堂
ここも天海僧正が関与している。上野界隈はかなり彼の息のかかった物が少なくないんだなあ。
寛永二年(1625)―江戸の鬼門を護るため、京の比叡山延暦寺に倣って上野の岡に東叡山寛永寺を創建した慈眼大師・天海は、常陸国下館城主・水谷勝隆という人に不忍池を琵琶湖に見立てて池の中に竹生島を模した小島を築かせ、竹生島宝厳寺の弁財天を勧請して弁天堂を建てました。最初のうちは文字通りの離れ小島で船を使って行き来していたようです。
のちにだれでも気軽に往来できるように石橋が架けられました。増え続ける行楽を兼ねた寺社参拝客の要望にこたえたのでしょう。
戦災で焼失するという不幸にも見舞われましたが、昭和33年に現在の八角形堂宇が再建されました。
弁天堂に祀られているのはもちろん弁天様…『弁才天』(または『弁財天』)
仏教のあるいは神道の神格であり、七福神の紅一点として親しまれているのは言うまでもありません。江戸時代には勝運守護の神様として武家から庶民にいたるまで広く信仰を集めていました。現在でも開運厄除はもちろん、長寿や福徳・芸能と幅広い功徳の神様として大人気なのはだれもが御存じのとおりです。

不忍弁天堂_1
不忍弁天堂_2
不忍弁天堂_3


実は不忍池には野鳥を見に来た。工事が続いている影響なのか、カモが極端に少ない。近所の池でも観察できるキンクロハジロとオナガガモしか見かけなかった。ちょっと残念。


オオバン
全身黒く、くちばしと額が白い。
全長:39cm
湖沼やその周辺にすみ、よく泳ぐ。水辺の草のしげみで繁殖。冬は本州以南で越すものが多い。キュキューなどとバンより高い声で鳴く。

どういうわけか小さな個体ばかりで、『大きいからオオバンって言うんじゃなかったっけ?』と思うくらいの大きさだった。幼鳥なのかなあ。足は体格の割には馬鹿でかくたくましい感じだ。水の中にあったので確認できなかったが、水掻きの働きをするものが趾の脇に付いているそうだ。
オオバン_1
オオバン_2
オオバン_3
オオバン_4
オオバン_5

バン
ハト大で額が赤く、くちばしの先が黄色。
全長:32cm
河川や湖沼、水田など湿地で繁殖し、関東以南の湿地で越冬。近年、公園の池などで、人から餌をもらうものが増えた。泳ぐ時は首を前後に振る(=オオバン)。クルルッと鳴く。

オオバンもかなり目立つ風貌だが、バンは更に派手派手しく、かなり目立つ。こちらも、オオバンと同様に、足は体格の割には馬鹿でかくたくましい感じだ。水掻きはオオバンほどは発達していないとのことだ。予想に反して、地上で餌をついばんでいた。
バン_1
バン_2
バン_3
バン_4
バン_5

 

馬事公苑での『馬とのふれあい』イベント(2)

アンダルシアンホースダンス(アンダルシアン種の馬による演技)(2)
アンダルシアンホースダンス_26
アンダルシアンホースダンス_27
アンダルシアンホースダンス_28
アンダルシアンホースダンス_29
アンダルシアンホースダンス_30
アンダルシアンホースダンス_31
アンダルシアンホースダンス_32
アンダルシアンホースダンス_33
アンダルシアンホースダンス_34
アンダルシアンホースダンス_35
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アンダルシアンホースダンス_37
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アンダルシアンホースダンス_40
アンダルシアンホースダンス_41
アンダルシアンホースダンス_42

以下3つのイベントは既に整理券配布終了でアウト。尤も、ポニーの体験乗馬は子供のみだから最初からアウト。他所様が楽しんでいるところをパチリ。

ポニーの体験乗馬
軽く1周なのだが、その距離は10mほど。あまりにも短すぎる。如何に子供でも満足できないのでは。
ポニーの体験乗馬_1
ポニーの体験乗馬_2
ポニーの体験乗馬_3
ポニーの体験乗馬_4

馬車試乗会
こちらは100m程だろうか。こちらも距離的には短すぎるのではなかろうか。疾走する分、時間的にはポニーよりも短い時間で終わってしまいそうだ。
しかし来場者をもてなすものだろうに、もう少し体裁の良い馬車に仕立てたほうが良いのではなかろうか。

馬車試乗会_1
馬車試乗会_2
馬車試乗会_3
馬車試乗会_4

厩舎見学ツアー
写真なし

グラス馬場
馬術競技会の日まで芝生養生中だった。週末の競技会観戦に通いつめれば、将来のオリンピック選手を間近で見ることができるかなあ。
グラス馬場

砂の馬場
こちらもいろいろ使われるのだが、うっかり風下で撮影すると、砂埃がものすごく舞い上がり大変だ。
砂の馬場

 

馬事公苑での『馬とのふれあい』イベント(1)

1月19日(日)に馬事公苑で『馬とのふれあい』イベントが開催された。最初から見るつもりだったが、バスの停留所を間違え、15分ほど遅れてしまった。その間にもイベントは着々進行していた。

トリックホース
完全に見逃し

アンダルシアンホースダンス(アンダルシアン種の馬による演技)(1)
アンダルシアンは、主にスペインのヘレス・コルドバ・セビリアなどの太陽がさんさんと降り注ぐ地域で飼育されており、スパニッシュホースの名で呼ばれ、スペインの闘牛士の伝統的な乗馬として使われてきました。また、デンマーク・スペイン・イギリスなどの王室用馬の基礎として用いられていることでもよく知られる高貴な品種であるとともに、強い脚と柔軟な関節を持ち、軽やかな歩き方をしており、その天性のバランス、従順な性質から馬を使った高等演技に非常に適した品種です。 当苑では、アンダルシアンが、騎乗者とともに、音楽にあわせて演技をご披露します。「スペイン常歩」「横歩」「パッサージュ」のような、アンダルシアンと騎乗者の人馬一体となった見事な動きから、さらには「お辞儀」「お座り」「クールベット(立ち上がり)」まで、馬と人との織り成す息の合った数々の演技をお見せします。
確かにこういう馬さんと騎馬警官とがスペインの王宮の周りを警備していた。サラブレッドのような格好の良さはないが、乗馬練習用に向く馬さんのようだ。
アンダルシアンホースダンス_1
アンダルシアンホースダンス_2
アンダルシアンホースダンス_3
アンダルシアンホースダンス_4
アンダルシアンホースダンス_5
アンダルシアンホースダンス_6
アンダルシアンホースダンス_7
アンダルシアンホースダンス_8
アンダルシアンホースダンス_9
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アンダルシアンホースダンス_24
アンダルシアンホースダンス_25

 

北口本宮冨士浅間神社~カチカチ山展望台~相模湖イルミリオン・うるり入浴(7)

さがみ湖イルミリオン(3)
光の花畑
トンネルを抜けた先に広がる、辺り一面、芝桜のようなピンク色と白色の輝きが広がる花畑のエリア。チョウチョをかたどったイルミネーションがアクセントです。
光のトンネルはなかなか楽しい
F820EXRで撮影
光の花畑_1
以下はX20で撮影
光の花畑_2
光の花畑_3
光の花畑_4
光の花畑_5
光の花畑_6
光の花畑_7
光の花畑_8
光の花畑_9
花畑は心躍るようだ
花畑は心躍るようだ_1
花畑は心躍るようだ_2

こんなものも
コンテスト応募作品と光の迷路「カラクリ砦」
コンテスト応募作品_1
コンテスト応募作品_2
コンテスト応募作品_3
カラクリ砦

光のゲート
高さ5m、幅5mの色とりどりに輝くゲートが続き、「カラクリ砦」前の道に華やかさを添えます。
以下2ショットはF820EXRで撮影
光のゲート_1
光のゲート_2
以下はX20で撮影
光のゲート_3
光のゲート_4
光のゲート_5
光のゲート_6

プロジェクションマッピングUFO
今年はプロジェクションマッピングも新登場。
墜落した直径8mもの巨大なUFOのオブジェに映し出される、大迫力のストーリーにご注目ください。

プロジェクションマッピングUFO_1
プロジェクションマッピングUFO_2
プロジェクションマッピングUFO_3
プロジェクションマッピングUFO_4

以上で『北口本宮冨士浅間神社~カチカチ山展望台~相模湖イルミリオン・うるり入浴』を終了します。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

北口本宮冨士浅間神社~カチカチ山展望台~相模湖イルミリオン・うるり入浴(6)

さがみ湖イルミリオン(2)
ブリリアントパレス
アップテンポの曲に合わせて小気味よく光り方が変わる。鮮やかなものだった。
興味をもったのか、前に進み出た幼女が最後まではしゃいでいたのが印象的だった。彼女の心にかなり残るイベントだったのかもしれない。

中央に宝石のように輝くダイヤモンドモニュメントと池が設置された光の宮殿は、壁面および天井がフルカラーLEDとフルカラーライトアップで埋め尽くされ、音楽に合わせて宮殿全体が様々な色に変化する、日本初となる全周フルカラーの演出をお楽しみいただけます。
ブリリアントパレス_1
ブリリアントパレス_2
ブリリアントパレス_3
ブリリアントパレス_4
ブリリアントパレス_5
ブリリアントパレス_6
ブリリアントパレス_7
ブリリアントパレス_8
ブリリアントパレス_9
ブリリアントパレス_10

ブリリアントパレス_11
ブリリアントパレス_12
ブリリアントパレス_13
ブリリアントパレス_14
ブリリアントパレス_15
ブリリアントパレス_16
ブリリアントパレス_17
ブリリアントパレス_18
ブリリアントパレス_19
ブリリアントパレス_20

ブリリアントパレス_21
ブリリアントパレス_22
ブリリアントパレス_23
ブリリアントパレス_24
ブリリアントパレス_25
ブリリアントパレス_26
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ブリリアントパレス_30

ブリリアントパレス_31
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ブリリアントパレス_40

ブリリアントパレス_41
ブリリアントパレス_42
ブリリアントパレス_44
ブリリアントパレス_43

なかなか楽しいイルミだった。相当に設計料がかかるものなんだろう。光らせるだけなら私にもできるかもしれないが、芸術的センスがなければ、どうにもならない。

 

北口本宮冨士浅間神社~カチカチ山展望台~相模湖イルミリオン・うるり入浴(5)

さがみ湖イルミリオン(1)
光の海
ブリリアントパレスへと続く道の両側に広がる、青と水色と白色の輝きに彩られた大海原。レストラン「ワイルドダイニング」では、打ち寄せる光の波を眺めながら食事を楽しめます。
冒頭のショットのみ、暗くなってから撮影。やはり暗くなってからの方が絶対にきれいだ。
光の海_1
光の海_2
光の海_3
光の海_4
光の海_5
光の海_6
光の海_8
光の海_7
光の花絨毯
色とりどりの花々をかたどったイルミネーションが地面を埋め尽くす華やかなエリア。
光の花絨毯_1
光の花絨毯_2
光の花絨毯_3
光の花絨毯_4
光の動物園
草原のように緑色のLEDが敷き詰められた動物園の中を、ナイトアトラクション「バンピーカート」に乗って進むエリア。LEDでできた動物たちは、動く・吠えるなどの演出が施され、まるで生きているようです。
光の動物園_1
光の動物園_2


この辺りまでは、まだ外が十分に暗く成りきっていなかった。次のブリリアントパレスに向かうあたりから、漸く十分に暗くなっていった。


ブリリアントパレスの入り口
ブリリアントパレスの入り口

 

北口本宮冨士浅間神社~カチカチ山展望台~相模湖イルミリオン・うるり入浴(4)

カチカチ山展望台にて
ここからは眼下に河口湖の全容が展望できるのと真南の方角に富士山が遮るものなしに臨むことができる。行く直前のTVの旅番組でそうレポートしていたが、その通りだった。富士山はやや雲が視界を遮ったが、これは仕方のないことだ。
河口湖の様子
河口湖だけを俯瞰するなら、もう少し右側からの眺めの方がよさそうだ。しかし、そうすると、富士山の方の眺めが、…。
河口湖の様子_1
河口湖の様子_2
河口湖の様子_3
河口湖の様子_5
富士山の様子
視界を遮る唯一の邪魔者は雲だが、なかなかどいてくれなかった。それに加えて、強烈な逆光。まあ、ある程度以上見えたから良しとしなければいけないところだろうか。
富士山の様子_1
富士山の様子_3
富士山の様子_4
富士山の様子_5
富士山の様子_6
富士山の様子_7
富士山の様子_8
カチカチ山
民話に「カチカチ山」という話がある。あまり強く意識したことがなかったが、よくよく考えると凄い内容の話のようだ。民話では場所がどこかなどはなかった。ところが、太宰治の民話を題材とした短編集「お伽草子」の中の1つ「カチカチ山」で、「富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行はれた事件」とした。そのことから、河口湖と湖畔にある天上山がカチカチ山の舞台として知られるようになったそうだ。太宰の作品は、随分、民話とは内容を異にした作品のようだ。
カチカチ山

河口湖畔駐車場にて
アンソレイユ号の船上から見る富士山も素晴らしいとのことだ。アンソレイユとは、「日当たり良好!」と言う意味だそうだ。真冬の平日なので、気の毒なくらいのお客様しかいないようだ。
アンソレイユ号と河口湖_1
アンソレイユ号と河口湖_2
アンソレイユ号と河口湖_3
一時期、水位が下がって六角堂まで陸続きになってしまったりもしたようだが、昨秋に相次いだ台風の襲来後から水位が上昇しつつあるようだ。
六角堂

 

北口本宮冨士浅間神社~カチカチ山展望台~相模湖イルミリオン・うるり入浴(3)

北口本宮冨士浅間神社(2)
北口本宮冨士浅間神社の神社としての主要部分は写真の通り。余計な感想など差し挟まずに見ていただき、どんな神社なのか感じていただければ幸いである。
ただひとつ、8月26・27日の2日に亘って行われる『吉田の火祭り(鎮火祭)』を一度見学してみたいものだ。


拝殿
拝殿_1
拝殿_2
拝殿_3
拝殿_4
すごい形相だ
すごい形相だ
冨士登山道吉田口登山門
冨士登山道吉田口_1
冨士登山道吉田口_2
諏訪拝殿
諏訪拝殿

重要文化財(国指定)
北口本宮冨士浅間神社東宮本殿 - 1907年8月28日指定
北口本宮冨士浅間神社西宮本殿 - 1953年3月31日指定
北口本宮冨士浅間神社本殿 附:棟札一枚 - 1953年3月31日指定


東宮本殿
1223年(貞応2年)、鎌倉幕府二代執権の北条義時による創建。同年、義時は富士山本宮浅間大社の遷宮の儀を執り行っている。現在の建物は1561年(永禄4年)に武田信玄が再建したもので、国の重要文化財に指定されている。
東宮本殿_1
東宮本殿_2
東宮本殿_3

西宮本殿
1594年(文禄3年)の建立。正面扉下の彫刻及び蟇股など立派で、国の重要文化財に指定されている。
西宮本殿_1
西宮本殿_2

本殿
現在の本殿は、1615年(元和元年)、鳥居土佐守による再建。桃山時代の高荘な建造物として国の重要文化財に指定されている。
本殿_1
本殿_2
本殿_3

最後に『吉田の火祭り(鎮火祭)』の様子をfreeの写真で
吉田の火祭り(鎮火祭)

 

北口本宮冨士浅間神社~カチカチ山展望台~相模湖イルミリオン・うるり入浴(2)

北口本宮冨士浅間神社(1)

最初の目的地は、北口本宮冨士浅間神社の前は何度も通り過ぎたことはあるが、恥ずかしながら一度も参拝したことがなかった。理由はお分かりかもしれないが、昼食を混まない内に食べるためには、通り過ぎるしかなかったのだ。

全国にあまたある浅間神社の総本社は、静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間大社だ。北口本宮冨士浅間神社は浅間神社の一社に過ぎないのだが、その割には物々しい肩書が付く。旧社格が上位の神社よりも有名なのは、武田信玄が造営に関わった神社であるからだろうか。
富士登山道の吉田口の起点にあたる。江戸時代には富士講が流行し、周辺には御師の宿坊が百件近く立ち並んだこともあるそうだ。


参道
二の鳥居をくぐり、参道を進んでいく
参道_1
参道_2
参道_3
角行の立行石
富士講の開祖角行東覚がこの石の上で1か月に及ぶ爪先立ちの荒行をしたといわれる石。真っ平らな石ではなく、たとえ1時間でも荒行を続けるのが困難な石のように見えた。
角行の立行石
仁王門の礎石
仁王門、護摩堂などの仏教施設は神仏分離で廃された。この石がかつて存在した仁王門の礎石だ。
仁王門の礎石
神門
『富嶽』と書かれているようだ。結構好きな感じだ。ここから先が神聖なる区画になるわけだ。
神門_1
神門_2
神門_3
神門_4
神門_6
神門_7
神楽殿
神楽殿_1
神楽殿_2
手水舎
なかなか細工の手が込んでいる。
手水舎_1
手水舎_3
日本最大木造鳥居の「大鳥居」
大鳥居_1
大鳥居_2
大鳥居_3
富士えびす
中にある彫像は左甚五郎作だそうだが、ガラスが反射してうまく撮れなかった
富士えびす
太郎杉
太郎杉
太郎杉から拝殿を望む
太郎杉から拝殿を望む

 

北口本宮冨士浅間神社~カチカチ山展望台~相模湖イルミリオン・うるり入浴(1)

足が痛いので、楽して写真を撮ろうと姑息な考えをめぐらし、はとバスの日帰りコースに参加してみた。
当然のことながら、富士山の撮影がメインになるが、途中までは全く見えない状態が続いた。果たして大丈夫なのかと不安を抱きながら目的地に近づいていった。


新宿にて
プロムナードギャラリ
自分で調理したのかと思いきや、たべる専門だったのか
プロムナードギャラリ_1
田舎に暮らしていれば、今頃はこんな暮らしだったかも
プロムナードギャラリ_2
いわきの魚の絵手紙には身をつまされた。目の前が太平洋の絶好の大漁場だというのに、他県産の魚を商わねばならない屈辱は耐えられないことだろう。いわきの住人だというだけで、『近寄るな』と心無い仕打ちを受けた人も少なくない。
プロムナードギャラリ_3
日本三奇橋の一つで大月市の桂川に架かる猿橋のことだろうか。見たことがないなあ。
プロムナードギャラリ_4
首尾よく富士山を見ることができるのか、心配だったので、この方の気持ちがよく理解できた
プロムナードギャラリ_5
本当に去年は異常気象の一年だった
プロムナードギャラリ_

コクーン
何度見ても見飽きることのない不思議な建物だ
コクーン_1
コクーン_2

 

F820EXRの試し撮り

私は基本的には1眼派だが、そうそう大きなカメラを持って歩けるところばかりではないので、普段の記録用にはある程度使える小さなものを持参することにしている。
今回FUJIFILMのF820EXRを散歩用に買い増した。X20を所有していて、少し遠いところまではこれがかなり威力を発揮するのだが、少し被写体が遠い時はどうにもならない。何とかしたいと思い、フジノン広角25mm(35mm判換算)×光学ズーム18倍レンズ&超解像ズーム36倍で、しかも、センサーが普及型のコンデジに多用されている1/2.3型より少し大きい1/2型を採用しているF820EXRを選択した。
生産終了直後の叩き売りをしていたようで、失敗しても落ち込まないで済む価格だった。
さあ、このカメラの実力はどんなものだろうか。画質はそこそこなのかなあ。


ワイドだ、望遠だと面倒なことを言わずに手あたり次第撮ってみた。

代官山にて
この多肉植物のようなものは何だろう。かわいいなあ。
この多肉植物のようなものは何だろう
ごつい車だなあ。Dodge-RAM 1500という車種のようだ。
Dodge-RAM 1500

碑文谷池にて
鴨はキンクロハジロ、マガモ、カルガモかなあ。
キンクロハジロは相変わらずかわいいなあ。来たばかりだからか。胸の辺りの白色が目に染みるようだ。

キンクロハジロ_1
キンクロハジロ_2
地味なのはマガモの雌なのかなあ。
マガモ_1
マガモ_2
マガモ_3
マガモ_4
マガモ_5
カルガモはうまく撮れなかった
カルガモはうまく撮れなかった
雪吊りは必要なのかなあ
雪吊りは必要なのかなあ
ロウバイが咲いていた。足が痛いので、あまり歩くことができない。いまは一応見ることができただけで満足。
ロウバイ

我が家にて
武蔵小杉の超高層マンション。朝日が当たって、光っている。案外綺麗に見える。
武蔵小杉の超高層マンション

どうだろうか。もう少し使ってみないと何とも言えないかなあ。

 

3日目(元旦)の夕食

お節やら、雑煮やら、ふるまい酒やらも頂いて、朝食バイキングを初日・2日目よりもさらに食べ過ぎた。正直に言って、相当に苦しい状態だった。
温泉プールで頑張ったけれども、一向に腹がすかない。仕方が無いので昼食を抜いた。せっかく抜いたのだけれども、餅つき大会があったので、餅を少々頂いた。前述したとおり、餅米がかなり柔らかく蒸かしてあるのに驚いた。こちらの風習なのだろう。
結果的に、多少はセーブしたけれども、まだ、膨満感が残っていたので、夕食は竹翠でごく軽く頂いた。


まずはサービス券で金粉入りのものを注文
金粉入りのものを注文
お刺身と野菜の天ぷらとお新香とを注文
お刺身と野菜の天ぷらとお新香とを注文_1
お刺身と野菜の天ぷらとお新香とを注文_2
そして日本酒のおためしセットを注文
酒器が可愛い感じだ。お試しセットなので、あっという間に終わってしまう。うーん、好みはどれと言われても。
日本酒のおためしセット_1
日本酒のおためしセット_2
妻はその内からお気に入りをセレクト
まあ、普通はお猪口が2つ出されるのだろうが、一つで十分。私はフォアグラなので、節酒をしているのだ。
その内からお気に入りをセレクト

鏡餅はこんなふうに飾るんだ
加賀の飾り方のようだ。「代々栄える」だいだい、「幸運を取り込む」串柿、「喜ぶ」昆布、「家系が絶えずに続く」(ゆずり木は新葉が成長してから旧葉が落ちる)ゆずり葉、長寿&夫婦円満のシンボル裏白。なるほど。
こんなふうに飾るんだ

食後のお茶
食後のお茶_1
食後のお茶_2
食後のお茶_3

時系列的な紹介ができなくて申し訳ありませんでした。いったりきたりで混乱されたかもしれませんが、『加賀温泉に行く』シリーズは今回で終了させていただきます。最後まで、お付き合いいただき大変有難うございました。

 

2日目(大晦日)の昼食と夕食

2日目(大晦日)は一日中ホテルに滞在して、妻は風邪を治し疲れをとる。私は鵞足部の炎症を鎮め、痛みを軽減する。そのための湯治と相成った。温泉プールと温泉入浴以外は、ただ食べることだけ。
量を食べるのは、朝食のバイキングとし、昼食と夕食とを少し楽しむことにした。

柴山潟と白山連峰
主峰の白山はこれよりも左側に位置するが、残念ながら全く見えなかった。カラー撮影なのにモノクロの世界だった。
柴山潟と白山連峰

昼食
23時に年越し蕎麦が振る舞われることになっていたので、昼食を何にするか考えたが、バイキングを相当食べてお腹がきつかったので、前夜と同じく『竹翠』に入り、とろろそばを注文した。京都風だろうから、こういうものだろうと思っていた通り、透明のおつゆだった。白醤油を使った出汁なのかなあ。
ニシンそばなどは黒いつゆだと記憶しているが、どういうふうに使い分けしているのだろうか。

昼食

夕食
テラスレストラン『ベラヴィスタ』でパスタコースを注文した。妻の調子が上向きに転じたので、ズワイガニがトッピングしてあるピッツアも注文した。パスタがかなりおいしかった。ピッツアもイケた。
子供のころ食べていたのはタラバばかりで、このずわいは他の人と同様あまり食べたことがなかったんだ。

夕食_1
夕食_2
夕食_3
夕食_4
夕食_5
夕食_6
夕食_7
夕食_8
夕食_9

先日も紹介した年越し蕎麦
こちらは関東風のつゆの色だった。味も関東風。
年越し蕎麦

 

ホテルの装飾(その2)

やはり夜に見る方がきれいな気がする
ホテルの装飾(その2)_1
ホテルの装飾(その2)_2
ホテルの装飾(その2)_3
ホテルの装飾(その2)_4
ホテルの装飾(その2)_5
ホテルの装飾(その2)_6
ホテルの装飾(その2)_7
ホテルの装飾(その2)_8
ホテルの装飾(その2)_9
ホテルの装飾(その2)_10
ホテルの装飾(その2)_11
ホテルの装飾(その2)_12
ホテルの装飾(その2)_13
ホテルの装飾(その2)_14
ホテルの装飾(その2)_15
ホテルの装飾(その2)_16
昼でもいいかな
ホテルの装飾(その2)_17

 

初日の夕食

日本料理竹翠でいただいた。昼食のバイキングを食べすぎたし、妻が風邪気味だったので、ごく軽いものを注文した。

窓の外はきれいだ。柴山潟の内側にホテルが造成した池があるが、そこに明かりが映えて美しかった。
窓の外はきれい
夫婦ともサービス券が金箔入りの日本酒に化けた
サービス券が金箔入りの日本酒に
妻が注文したもの
妻が注文したもの
私が注文したもの。やはり軽すぎたようだ。風呂に入ったらお腹がすいて困った。
私が注文したもの_1
私が注文したもの_2
私が注文したもの_3
私が注文したもの_4
私が注文したもの_5
私が注文したもの_6
私が注文したもの_7
私が注文したもの_8
私は追加でビール。珍しいことに妻は注文しなかった。相当に調子がよくなかったのだろう。
私は追加でビール

 

ホテルの装飾(その1)

装飾というよりも年末年始の明かりのコンテストを行っているようだった。それと常設だろう九谷焼若手作家作品の展示販売。
私には肩が凝らない、楽しい企画だった。


ホテルの装飾(その1)_14
ホテルの装飾(その1)_15
ホテルの装飾(その1)_16
ホテルの装飾(その1)_17
ホテルの装飾(その1)_1
ホテルの装飾(その1)_2
ホテルの装飾(その1)_3
ホテルの装飾(その1)_4
ホテルの装飾(その1)_5
ホテルの装飾(その1)_6
ホテルの装飾(その1)_7
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ホテルの装飾(その1)_9
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ホテルの装飾(その1)_11
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ホテルの装飾(その1)_13
ホテルの装飾(その1)_18
ホテルの装飾(その1)_19
ホテルの装飾(その1)_20
ホテルの装飾(その1)_21
ホテルの装飾(その1)_22
ホテルの装飾(その1)_23
ホテルの装飾(その1)_24
この壺は相当に高価なもののように思えた。痛い足でよろめいて壊したりしないように、こちらが緊張したくらいだった。
ホテルの装飾(その1)_25

 

松井秀喜ベースボールミュージアム

ホテルに入る前に松井秀喜ベースボールミュージアムに寄ってみた。直前に巨人のキャンプの臨時コーチを仰せつかって、大荷物を抱えて帰省していたようだ。裏の自宅で寛いでいたのかもしれない。

ミュージアム外観
ミュージアム外観
前庭のある少年時の銅像は右打者のものだった。もともとは右利きだったんだ。
前庭のある少年時の銅像
こちらは証拠の写真だ。
証拠の写真
こんなユニフォームを着てプレイしたんだ
こんなユニフォームを着てプレイしたんだ
人格的に優れた青年というイメージだなあ
人格的に優れた青年というイメージだなあ
物凄い戦績を誇っていたんだなあ
物凄い戦績を誇っていたんだなあ
こんなごつい顔の強打者と対峙したら、相手投手はビビること間違いなしだろうなあ
こんなごつい顔の強打者と対峙したら
松井のお母さんはなかなかの美人だった
松井のお母さんはなかなかの美人だった
こういうのはお互いのために交換し合うものなのだろうか
お互いのために交換し合うものなのだろうか_1
お互いのために交換し合うものなのだろうか_2
ヤンキースタジアム最終戦で使用したもの
ヤンキースタジアム最終戦で使用したもの
ヤンキースタジアムの松井のロッカー。実物だそうだ。改装時に払い下げてもらったものとのこと。ミュージアムに展示すべく準備していたのだろう。
松井のロッカー
チャンピオンリングほか
チャンピオンリング_1
チャンピオンリング_2
MVPトロフィーほか
MVPトロフィー_1
MVPトロフィー_2
グローブはまだしもスパイクは異様に大きい
グローブ
スパイクは異様に大きい
ドラフト指名時
ドラフト指名時_1
ドラフト指名時_2
ゴールデングラブって、本当に金色をしているんだ
ゴールデングラブ
名球会
名球会
国民栄誉賞
国民栄誉賞_1
国民栄誉賞_2

 

小松に向かう飛行機から

年末の30日、羽田から小松空港に向かう。所要時間がわずかなので、久しぶりに窓際の席に座った。途中までは下界がよく見えたのだが、途中から雲が多くなり、多分白山の上空辺りでは全く見えなくなった。

これはなんという山だろう
これはなんという山だろう_1
これはなんという山だろう_2
これはなんという山だろう_3
ここだけ平地が広がっている。どこの町だろうか。でも、急峻な山がすぐ近くに迫っている。そこから急峻な山々が続く。
平地が広がっているが急峻な山々がすぐ迫っている_1
平地が広がっているが急峻な山々がすぐ迫っている_2
平地が広がっているが急峻な山々がすぐ迫っている_3
平地が広がっているが急峻な山々がすぐ迫っている_4
平地が広がっているが急峻な山々がすぐ迫っている_5
平地が広がっているが急峻な山々がすぐ迫っている_6
平地が広がっているが急峻な山々がすぐ迫っている_7
平地が広がっているが急峻な山々がすぐ迫っている_8
その後、雲が出てきて下界が全く見えなくなってしまった。漸く見えてきたときはもう着陸間際だった。
漸く見えてきた_1
漸く見えてきた_2
漸く見えてきた_3
漸く見えてきた_4
漸く見えてきた_5
漸く見えてきた_6
日本海が見えてきた
日本海が見えてきた_1
日本海が見えてきた_2
あれーっ、下界は雪じゃなくて雨だ。がっかり。だけど、どうも変な天気だ。
下界は雪じゃなくて雨_1
下界は雪じゃなくて雨_2
下界は雪じゃなくて雨_3
下界は雪じゃなくて雨_4
下界は雪じゃなくて雨_5
"ECO Friendly Airline"と機体に書かれているプロペラ機だ。久しぶりにプロペラ機を見た。
プロペラ機だ

おまけの画像:小松空港の待合室のタイル画
小松空港のタイル画_1
小松空港のタイル画_2
小松空港のタイル画_3
小松空港のタイル画_4
小松空港のタイル画_5

 

金沢市にて(8)

鞍月用水
長屋町を囲む用水だが、大野庄用水と違って、現代風な感じがする。片側が長屋町であるが、片側が香林坊である立地の所為なのだろうか。建ち並ぶお店も粋な感じがする。
鞍月用水_1
鞍月用水_2

尾山神社
時間の関係でバスの車窓からチラと見ただけだった。初詣の人たちの長蛇の列があった。国の重要文化財である神門が異彩を放っていた。いずれ行ってみたい。
以下の2点はfree画像を借用する
神門(国指定重要文化財)
尾山神社_神門
拝殿
尾山神社_拝殿

鼓門
駅前の巨大なモニュメント。伝統芸能に使われる鼓をイメージした、螺旋状にねじれながら建つ柱が木製のみごとなもの。高さは13.7mで、天幅は24.2mあるそうだ。写真の奥には『もてなしドーム』がある。
鼓門

 

金沢市にて(7)

長町武家屋敷跡(その3)

野村家 - 前田家重臣野村伝兵衛信貞の屋敷(その2)

上段の間
総檜造りの格天井が見事だ。しかし、中級武士の屋敷に上段の間や謁見の間のような立派なものがあるはずもなく、本来あるはずのないものを無理やりくっつけたという違和感を覚える。置いてあるものはいずれも本物だが、これでは重要文化財などの指定を受けられるはずもなかろう。所詮は観光客相手の施設なんだろう。
上段の間_1
上段の間_2
上段の間_3
上段の間_4
謁見の間
謁見の間
見事な中庭
野村家の庭園は樹齢400年の山桃や椎の古木や六尺に及ぶ大雪見灯篭、さくらみかげ石の大架け橋などが絶妙なバランスで配置されており、濡れ縁のすぐ下にまで迫る曲水、落水を配した佇まいは、屋敷と庭園が見事に調和した造りを見せています。
見事な中庭_1
見事な中庭_2
見事な中庭_3
見事な中庭_4
見事な中庭_5
見事な中庭_6
見事な中庭_7
聲桶とギヤマンがはめ込まれた障子戸
聲桶は鶯の啼き声を聞かせる仕掛けのようだ。そして右端に僅かに写っているのが、当時珍しいものであったギヤマン(ガラス)が障子戸に嵌め込まれている。
くどいようだが、これらの部分は、野村家のオリジナルのものではなく、加賀大聖寺藩の傑商久保彦兵衛が建立したものを後年に移築したものだ。

聲桶とギヤマンがはめ込まれた障子戸

鬼川文庫

鬼川文庫_1
鬼川文庫_2
鬼川文庫_3
鬼川文庫_4
鬼川文庫_5
鬼川文庫_6
鬼川文庫_7
鬼川文庫_8
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鬼川文庫_10
鬼川文庫_11
鬼川文庫_12
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野村七郎五郎が合戦において首を一つ討ち取ったことへの朝倉義景からの感謝の書状 
鬼川文庫_14
同様に明智光秀からの感謝状のようだ。あまりに達筆すぎて読めない。解説文にある通りの内容なのだろう。
鬼川文庫_15
慶長八年、野村角丞は藩主前田利長からあわせて200石の知行地を与えられていたようだ。確かに奉行格ではあったようだ。
鬼川文庫_16
鬼川文庫_17
鬼川文庫_18

 

金沢市にて(6)

長町武家屋敷跡(その2)

野村家 - 前田家重臣野村伝兵衛信貞の屋敷(その1)
天正十一年(1583)藩祖前田利家が金沢城に入城して、加賀百万石の基礎が築かれたのである。直臣として従った野村伝兵衛信貞家は、禄高千石から千二百石と累進して、代々を御馬廻組々頭、各奉行職を歴任し、この地に千有坪(三千平方米余)の屋敷を拝領し、家督は十一代にわたって、明治四年の廃藩に至った由緒ぶかい家柄である。武家制度の解体により野村家もいくたびか住人を変えたが、土塀、古木、曲水の一部を残しその後、加賀大聖寺藩の傑商久保彦兵衛が天保十四年(1843)建立の、藩主を招いた豪邸の上段の間、謁見の間を移築して現在に至っている。
 ++++++++++++++++++++++++++++++
2009年にミシュランの観光地格付けにて2つ星に選ばれ、また過去には米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌の日本庭園ランキングで第3位に選ばれるなど、海外からも高い評価を受けています。
1位は島根県の足立美術館、2位は京都の桂離宮です。
 ++++++++++++++++++++++++++++++
その後の武家制度の崩壊により、その野村家のお屋敷と庭園には紆余曲折が待っていました。この周辺の多くは菜園になったそうで、野村家当時の屋敷も古木、曲水など庭園の一部を残して取り壊されて分割されてしまったのだとか。しかし、昭和の初期に加賀の支藩・大聖寺藩下橋立村の北前船の船主・久保彦兵衛の豪邸の一部が移築され、現在に至っているそうです。移築されたのは藩主を招いた「上段の間」と「謁見の間」。格式を感じる上品な装飾が施され、総檜造りの天井や江戸時代のギヤマン(ガラス)入り障子戸などに歴史を感じます。


玄関
玄関_1
玄関_2
玄関_3
玄関_4
野村伝兵衛着用の甲冑
末森城後詰めで馬廻り衆野村伝兵衛は一番槍を果たし、利家公に感謝され、戦国の加増を受けたとのこと。藩の違いはあるものの我が先祖様と同じような取り立てられ方だ。
野村伝兵衛着用の甲冑
玄関の飾り
玄関の飾り
屋敷内の様子
屋敷内の様子_1
屋敷内の様子_2
屋敷内の様子_3
屋敷内の様子_4
屋敷内の様子_5
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屋敷内の様子_7
屋敷内の様子_8
屋敷内の様子_9
屋敷内の様子_10
屋敷内の様子_11
屋敷内の様子_12
屋敷内の様子_13

 

金沢市にて(5)

日銀金沢支店の飾りつけ
日銀金沢支店の飾りつけ

長町武家屋敷跡(その1)
金沢市の説明板の記述によれば、長町という名称は、香林坊下から図書橋まで南北にのびるその通りの長さから付いたと言われる。また、藩の老臣長氏や山崎長門の氏名に由来するとも言われるそうだ。
この一角には加賀藩時代の上流・中流階級藩士の侍屋敷が軒を連ねている。土塀と石畳の路地が続いており、藩政時代の情緒ある雰囲気を味わうことができる。
冬には雪や凍結から土塀を守るため菰掛けがおこなわれる。


菰掛け
雪の被害から土塀を守るために行われる、金沢の初冬の風物詩です。
12月、長町武家屋敷跡に、土塀を寒さから守る「こも」が掛けられると、本格的な冬の訪れの合図。金沢のまちなみも冬の装いに様変わりしていきます。
北陸の雪は水分を含んだぼたん雪が多く、ゆっくり静かに降りてきます。
冬の金沢では、昔ながらの風情のまちなみが白く化粧され、いつもとは違う静謐な美しさが見られます。

菰掛け_1
菰掛け_2
大野庄用水
金沢で最も古い用水で、富永佐太郎によって完成したと伝えられている。灌漑、物資運搬、防火、防御、融雪などの多目的用水だが、金沢城築城に大きな役割を果たしたと伝えられている。旧宮腰(金石港)から大量の木材を運ぶために造られたことから、御荷川(または鬼川)と呼ばれていた。ちなみに、当時、木倉町には木材集積所や材木蔵があり、ここで資材を荷揚げし貯えていたと思われる。旧戸板村・旧鞍月村・旧大野村・旧金石町を灌漑している。
【現在】犀川桜橋の上流右岸地点で取水している。長町武家屋敷周辺では土塀沿いを流れ、その流れは今でも屋敷内庭園の曲水に利用され、時折、ホタルも見かけられる。また用水沿いの縁台に鉢植えを飾っている家もあり、その風情は金沢の伝統景観そのものである。

この街灯は、ガス灯風の電気の街灯だと思う。それにしても、この一角は電柱も電線も見当たらず、歩いていて気持ちの良い景観だ。
大野庄用水_1
大野庄用水_2
武家屋敷跡の様子
武家屋敷跡の様子_1
武家屋敷跡の様子_2
武家屋敷跡の様子_3
武家屋敷跡の様子_4
武家屋敷跡の様子_5
武家屋敷跡の様子_6
武家屋敷跡の様子_7
武家屋敷跡の様子_8
武家屋敷跡の様子_9
武家屋敷跡の様子_10
大屋家
下記説明の通り、江戸時代の平士級武家屋敷の様式が、ほぼ完全なかたちで残る遺構として極めて貴重というか、これしかない存在とのこと。本当は中に入って何枚か写真を撮りたかったのだが、気後れしてしまった。
国指定登録有形文化財、金沢市指定保存建造物
大屋家は、土塀が連なる長町武家屋敷群跡の中心に位置する、平士級の武家屋敷の遺構です。武家屋敷の建築本体としては、この地区で唯一残っているものであり、敷地周囲を囲む土塀も当時の遺構で、東側と南側の土塀は瓦葺きに変更されていますが、北側の土塀は木端葺きの姿を残しています。
建築年代は明らかではないものの、江戸後期は下らないものと思われます。
建物はアズマダチで、屋根は明治末期に板葺石置屋根から瓦葺の屋根に変更されたもので、板葺石置屋根だった当時の古写真が残されています。現在も小屋裏には当時の小屋組の遺構がそのまま残されています。
建物の主屋は、間口8.5間、奥行8.5間、西側と南側にはそれぞれ、明治末期から大正初期に増築された新建部分と隠居部屋が附属しています。
土塀と板塀で囲われた敷地内の庭も、江戸時代の面影を現在に残す貴重な遺構です。前庭は砂利敷きで、左右にはそれぞれ座敷庭と勝手前の庭とを隔てる板塀が連なります。
南側土塀の外側には大野庄用水が流れており、その流れが敷地南西の隅角部で土塀の下から敷地内に引き込まれています。この流れはかって、生活用水や泉水として利用されていました。
このように、大屋家は、金沢の中心部に位置する江戸時代の平士級武家屋敷の様式が、ほぼ完全なかたちで残る遺構として極めて貴重です。

大屋家_1
大屋家_2
大屋家_3
新家(あらいえ)邸長屋門
金沢市指定保存建造物
長町の武家屋敷に残る金沢を代表する長屋門です。屋敷は離れを残して今はありませんが、藩政期には桑島氏が居住していました。
長屋門は、赤戸室でやや反りをもった亀甲積みの基礎の上に、壁は太い押縁の付いた下見板部と軒下の白漆喰の小壁とが好対照をなしています。屋根は、現在瓦葺きですが、昭和3年までは板葺き石置きでした。入り口は厚い板石が敷かれた引込み空間であり、脇にはこの長屋門を特徴づける大きな武者窓が張り出しています。扉は両開きであり、中に入ると石は敷かれず、土が表れた状態となっています。
長屋の中は、一方が仲間部屋であり、その玄関には細かい透し格子の引遣戸が入っています。玄関にはいると武者窓からの物見(モノミ)が隣接しています。仲間部屋は竿縁天井の6畳2間であり、全面道路に向けて窓が開けられています。この窓には鉄格子のように見える丸棒が入っていますが、実は木製です。背面は流しを含む土間で、屋根裏まで吹き抜けた空間です。
他方、長屋門を入った左手は馬屋でした。現在は物置として使用されていますが、馬の手綱を結わえた鉄輪が屋根裏の梁に今も残っています。

新家(あらいえ)邸長屋門_1
新家(あらいえ)邸長屋門_2
新家(あらいえ)邸長屋門_3

 

金沢市にて(4)

兼六園
この後、どうしても長町武家屋敷跡を見たかった。ということは金沢きっての繁華街である香林坊へ向かうので、途中の道路混雑も予想された。ということで兼六園はめぼしいところのみを駆け足で見ることにした。

入り口付近
年末年始は無料開放が実施されていた。
入り口付近_1
入り口付近_2
入り口付近_3
入り口付近_5
入り口付近_6
入り口付近_7
噴水
水源である霞ヶ池との高低差の水圧のみで噴出させているんだ。最初にこういう仕掛けを見た人たちはびっくり仰天下かもしれない。
この噴水は霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧であがっています。水の高さは約3.5mあり、霞ヶ池の水位の変化によって変わります。藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられています。日本で最古の噴水であると言われています。
噴水
黄門橋
滑らないように菰が敷かれてあった。雪がまったくないと雪吊りと同様に大げさなという感じに見えてしまった。
黄門橋
雁行橋
11枚の赤戸室石を使用し、雁が夕空に列をなして飛んでいく様をかたどった「雁行橋」。石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも言われ、この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在は石の磨耗が著しいため、通行できなくなっています。
雁行橋
霞ケ池
この池の水源は辰巳用水からまかなわれている。辰巳用水は犀川からの取水なので、水源は犀川ということになる。
城の辰巳[たつみ](東南)の方角、犀[さい]川上流に水源を求め、約四キロメートルのトンネルで導水、開水路を経て兼六園の霞ヶ池に貯水する。さらに、驚くべきことに、そこから地下の導水管を使ってサイフォンの原理により、白鳥堀から内堀へと上げ、さらに高い位置にある城中二の丸まで揚水していた。
 ++++++++++++++++++++++++++++++++
兼六園のほぼ中心部に位置する、園内で最も大きな池。面積は約5800平米、深さは最も深いところで1.5mあります。栄螺山、内橋亭、徽軫灯籠、虹橋、唐崎松、蓬莱島などの名勝がこの霞ヶ池の周辺に配され、廻遊しながら四季折々の庭景を楽しめるよう配慮されています。

霞ケ池_1
霞ケ池_2
徽軫灯籠(ことじとうろう)
霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観です。徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67m。かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。
徽軫灯籠(ことじとうろう)_1
徽軫灯籠(ことじとうろう)_2
徽軫灯籠(ことじとうろう)_3
内橋亭(うちはしてい)
かつて蓮池庭内にあった四亭の一つで、霞ヶ池の西南岸に設けられた水亭。蓮池馬場の馬見所に建てられていたものを、明治7年(1874)、現在の場所に移築しました。栄螺山のうっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるような印象を与えます。
内橋亭_1
内橋亭_2
内橋亭_3
唐崎松(からさきまつ)
13代藩主・斉泰(なりやす)が近江八景の一つ、琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松。兼六園のなかで最も枝ぶりの見事な木です。雪の重みによる枝折れを防ぐため、冬にほどこされる雪吊りは兼六園ならではの風物詩。他の庭園では見られない、趣深い風情を紡ぎだします。
唐崎松_1
唐崎松_2
栄螺山(さざえやま)
こちらは足が不調のため登ることができなかった。ちょっとした俯瞰がきき、写真もうまく撮れたかもしれない。残念だ。
13代藩主・斉泰(なりやす)が霞ヶ池を掘り広げたときの土を利用してつくった築山。高さ9m、周囲約90mで、山頂に「避雨亭(ひうてい)」と呼ばれる御亭(おちん)を配しています。頂上へ登る道は、時計回りでぐるぐるとうずを巻き、まるで栄螺の殻を思わせることからこの名が付きました。
栄螺山_1
栄螺山_2

重要文化財石川門
見えたので、ついでに写真を撮った。
石川門は金沢城三の丸搦手門で、石川郡方向に向いている為、名づけられたと云われています。金沢城にとって重要な門の1つで櫓門、2重櫓、多聞櫓、表門、南北の太鼓塀が枡形で構成され、櫓や櫓門には石落し、1間ごとに鉄砲狭間が設けています。金沢城は雪国ということもあり屋根には鉛で被覆した瓦(鉛瓦)が使用され、雨や雪が当る腰壁には平瓦の目地を漆喰で固めた海鼠壁が採用されました。又、100万石の大大名の格式と威厳を示す為、唐破風や入母屋破風の出窓などを随所に設置し実践的かつ秀麗な建物になっています。石川門は前田利家が金沢城に入った時にすでに建てられていたそうですが宝暦9年(1759)の大火により焼失し、天明8年(1788)に再建されました。現在の石川門は再建当時のもので、金沢城に残る数少ない遺構として昭和25年に国指定重要文化財(旧国宝)に指定されています。
重要文化財石川門_1
重要文化財石川門_2
重要文化財石川門_3

 

金沢市にて(3)

ひがし茶屋街(その3)

きんつば『中田屋』東山茶屋街店
近くに本店があるようだが、茶屋街にも出店していた。ここのきんつばは私の大好物だ。当然買った。
きんつば『中田屋』_1
きんつば『中田屋』_2
『箔一』東山店
ひがし茶屋街で長く親しまれてきた銭湯「東湯」。その風情を残したまま新しい名所として生まれ変わったのがこの店。店内はひがし茶屋街の伝統的な雰囲気をイメージし、紅殻色や格子を使い、金箔をあしらった「金箔の庭」が癒しの空間となっているそうだ。時間がなかったし、私には縁がなかったので、外から写真撮影のみ。
『箔一』東山店
自由軒
自由軒は金沢の洋食店の中でも知る人ぞ知る老舗中の老舗だそうだ。残念ながら、この日は営業していなかった。
自由軒
ひがし茶屋街のメインストリート
時間がなかったので、『志摩』を見学した後、メインストリート突き当たりにある加賀麩の『不室屋』さんに立ち寄るだけにした。
ひがし茶屋街のメインストリート_1
ひがし茶屋街のメインストリート_2
ひがし茶屋街のメインストリート_3
ひがし茶屋街のメインストリート_4
ひがし茶屋街のメインストリート_5
ひがし茶屋街のメインストリート_6
ひがし茶屋街のメインストリート_7
ひがし茶屋街のメインストリート_8
ひがし茶屋街のメインストリート_9
国指定重要文化財の『志摩』
前々回と前回とで説明済みの茶屋。現在は茶屋としての営業ではなく、ひがし茶屋街きっての観光施設となっている。
国指定重要文化財の『志摩』
和菓子『森八』
『長生殿』で名高い『森八』も出店していた。
和菓子『森八』_1
ガス灯。気が付かなかったけれど、間違いなくガス灯だ。調べてみると、金沢市内の何箇所かにガス灯が設置されているようだ。
和菓子『森八』_2
『懐華楼』
旧『越濱』。間口6軒奥行き12軒の大きさは茶屋街で最も大きく、土蔵や茶室・茶室用の入口をもつ建物は相当格式が高かっただろうと言われているそうだ。時間がなく、内部見学はパスした。
『懐華楼』_1
『懐華楼』_2
『懐華楼』_3
うん、可愛らしい門松だ
可愛らしい門松
円長寺の銀杏の木と御輪堂
御輪堂(一切経蔵)は慶応元年(1865)に建立されたもので、中にある六角形の輪蔵には、仏教のすべての経典である一切経5408巻の大部分が納められているそうだ。
一風変わった御輪堂の佇まいに驚かされた。

円長寺の銀杏の木と御輪堂_1
円長寺の銀杏の木と御輪堂_2
浅野川大橋
美しいアーチ型が大正ロマンを伝える浅野川大橋は、歴史的な価値を有するとして国の登録有形文化財に指定され、金沢らしさを象徴する地域のシンボルとして多くの人に親しまれているそうだ。
浅野川大橋

 

金沢市にて(2)

ひがし茶屋街(その2)
志摩(その2)
位置関係がわかりにくいと思うので、http://www.ochaya-shima.com/から案内図を複写させていただく。
志摩_案内図

奥の階段。この階段はなかなか急な階段だ。まだ二階にとどまっていて階段を下りたわけではない。
奥の階段
廊下もなかなか雰囲気がある
廊下もなかなか雰囲気がある
『はなれ』
この部屋だけが漆のかかっていない白木造りで、数寄屋風の落ち着いた造りになっているそうだ。何故そういう意匠にしたのかは私にはわからない。
『はなれ』_1
『はなれ』_2
『はなれ』_3
一階から地下石室に通じる階段
一階から地下石室に通じる階段
こちらの飾りも雰囲気があった
こちらの飾りも雰囲気があった
坪庭
こじんまりしているが、粋な感じの庭
庭の様子_1
庭の様子_2
『奥の間』
お女将さんの部屋だそうで、これまたおちついた佇いとなっている。
『奥の間』1
『奥の間』_2
『奥の間』_3
『台所』
井戸、石室なども創建当時のまま残っており、排水は石造りの水路から裏側の用水へと導かれているとのこと。また、お茶屋はあくまで遊芸を楽しむ所で、料理は主に仕出し屋等から取り寄せられていた。そこは京都とまったく一緒のようだ。
見た感じ、お茶を淹れたり、お酒をお燗したりするのがこのスペースの主目的だったようだ。

『台所』_1
『台所』_2
『台所』_3
『寒村庵』
この部分は、重要文化財にはなっていないようだ。
ここで美味しいお菓子をいただき、抹茶をいただいた。

『寒村庵』_1
『寒村庵』_2
『寒村庵』_3
『寒村庵』_4
『寒村庵』_5
『寒村庵』_7
『寒村庵』_8
『寒村庵』_9
『寒村庵』_10
『寒村庵』_11
『寒村庵』_12
『寒村庵』_13
『帳場』
『帳場』
こんな展示物もあった
こんな展示物もあった_1
こんな展示物もあった_2
こんな展示物もあった_3
こんな展示物もあった_4
こんな展示物もあった_5
『玄関』
こんなふうに飾ってあった
『玄関』_1
『玄関』_2
『玄関』_3

 

金沢市にて(1)

ホテルを引き払ってから金沢市のミニ観光をした。記事の準備の都合上、こちらを先に取り上げたい。

ひがし茶屋街(その1)

卯辰山山麓を流れる浅野川の川岸には、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。五木寛之著「朱鷺の墓」の舞台としても知られています。また、平成13年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、「街並みの文化財」として保存策が進められています。
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志摩(国指定重要文化財)
「志摩」は、文政三年(1820年)に建てられたお茶屋の建物で、これまで手を加えることなく、江戸時代そのままに残っており、学術的にも貴重な文化遺産として高く評価されている。
お茶屋は、2階を客間とし、押し入れや物入れ等は作らず、あくまでも遊興を主体とした粋な造りとなっている。


志摩(その1)
一応、コンパクトカメラとスマホでの撮影は許されている。一眼レフとビデオはNGとのことだ。富士フィルムのX20をコンパクトカメラとしてよいのか迷ったが、千載一遇のチャンスだったので、これを手に堂々とフラッシュ禁止モードで撮り捲った。必見の価値ありと思った。
志摩の入り口
志摩の入り口
道路から見えるように掲出された説明書き
説明書き
重要文化財指定書
重要文化財指定書
一階は今で言うスタッフルームで、お客様を通す場所ではなかったようだ。お客様は会談からまっすぐ二階へ。
一階は今で言うスタッフルーム
二階の様子
二階はそこまでの説明はなかったが、一晩に2-3組程度の数少ない客のための茶屋になっているようだ。もちろん、一見さんはお断り。相当に裕福な商人が通い詰めた施設だったようだ。
ひろま
二階の様子_1
二階の様子_2
二階の様子_3
二階の様子_4
なかの間
二階の様子_5
二階の様子_6
前座敷
床の間側にお客がはべる
二階の様子_7
金屏風のほうで芸妓が踊る
二階の様子_8
二階の様子_9
立派な琵琶だ
二階の様子_10
七宝なのだそうだ。そして柱はすべて漆が塗ってあるとのこと。
二階の様子_11
二階の様子_12
再び、なかの間
二階の様子_13
二階の様子_14
二階の様子_15
二階の様子_16

 

年末年始

年末年始の様子を特集してみた。ホテルとして精一杯のもてなしをしたというところなのだろう。

年越し蕎麦
宿泊客に振舞われた。大きな海老の天麩羅が入っていて、おいしかった。昼に食べたとろろ蕎麦は白醤油を使っているのか透明のつゆだったが、こちらは普通の醤油を使っていたようだった。
年越し蕎麦

元日の朝食バイキング
おせちも雑煮もあったので当然いただいた。もちろん樽酒も。
元日朝食バイキング_1
人参で『寿』の字をかたどった飾りが添えられていた。芸が細かい。
元日朝食バイキング_2
元日朝食バイキング_3

餅つき大会
私が普通食べる餅よりもかなり柔らかい感じだった。こちらのものはこういう感じなのだろうか。
餅つき大会_1
餅つき大会_2

ミニコンサート
スタンダードジャズの演奏が行われていた。
ミニコンサート_1
ミニコンサート_2

 

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