散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

スペイン巡礼旅行3-1

巡礼開始第1日目はサリアからポルト・マリンまでの約23キロのコース。距離の割には長く感じられるコースだと聞いていたが、永遠に終わらなさそうな感じにとらわれた。
一日中歩き通しのコースで、最後にポルト・マリンに入るために渡る橋が怖い上に、その先に急坂が待っていて、疲れきった身体がガクガクするそんなコースだった。
案内は下記のとおりだが、これは健脚の人向けの記述だったようだ。

仮に朝10時頃出発すると、夕刻18時頃の到着でしょうか。特にきつい上り下りはありませんが、距離のわりには、長く感じられる行程です。慌てることはありません。途中、休憩をはさみながら、歩きましょう。

いざホテルを出発
みな緊張の面持ちだ。出発時間は予定より早く08:30過ぎ。まだ、外は薄暗い。
いざホテルを出発…緊張の面持ちの面々
歩き出しからいきなり坂が始まる
歩き出しからいきなり坂が始まる
矢印の説明を受ける
矢印の説明を受ける_1
矢印の説明を受ける_2
サリアの街の様子
いきなりローギアで上るような感じだ。非常に厳しいが、こんなものは苦しみの序章に過ぎなかった。暫く見えている教会はChurch of Saint Mariñaだ。
サリアの街の様子_1
サリアの街の様子_2
サリアの街の様子_3
サリアの街の様子_4
サリアの街の様子_5
サリアの街の様子_6
サリアの街の様子_7
サリアの街の様子_8
サリアの街の様子_9
帰国してから英文のガイドブックで調べたら、サリア城の小塔のようだ。じっくり見たかったが、まごまごすると皆においていかれてしまう。残念。
サリアの街の様子_10…サリア城の小塔のようだ
サリアの街の様子_11
サリアの街の様子_12
多分サリアの街の紋章なのだろう
サリアの街の様子_13…多分サリアの街の紋章なのだろう
石塀には十字架が
サリアの街の様子_14…石塀には十字架が
早朝だったからか入口が閉まっていたマグダレナ修道院
マグダレナ修道院_1
マグダレナ修道院_2
マグダレナ修道院_3
修道院の前の墓地
修道院の前の墓地_1
修道院の前の墓地_2
修道院の前の墓地_3

この先は人家もすぐ見えなくなってしまう。純粋な巡礼路に入ることになる。

 

スペイン巡礼旅行2-3

無事サリアに到着。各自の部屋に荷物をおろしたあと、夕食に向かう。サマータイム実施中とはいえ、20時をかなり過ぎてもこの明るさは、日本人には異様に感じられる。『スペイン巡礼旅行1-1』で言及したとおり、無理をした標準時の設定の結果なのだが、シエスタをするにはちょうどよい感じなのだろうか?
何はともあれ、明日からのハードスケジュールに備えての腹ごしらえ。


サリアの一夜
サリアのホテル Hotel Villa de Sarria
隣の店がLOLITAという名だったのがちょっと気になったが、いかがわしい店ではあるまい。
サリアのホテル Hotel Villa de Sarria_1
サリアのホテル Hotel Villa de Sarria_2
ホテルの室内
今回の旅ではまあまあのグレードだった。WIFIは勿論使えた。
ホテルの室内_1
トイレは当然ウォシュレットではないが、ビデはちゃんと用意されている。
ホテルの室内_2
ホテルから少し離れた飲食店での夕食会
これがあすからの巡礼路の目印となるもの
巡礼路の目印
サリアの民家
サリアの民家
夕食と取る店の近くを流れる小川
夕食と取る店の近くを流れる小川_1
夕食と取る店の近くを流れる小川_2
店内の様子。此処の夕食は素晴らしいものだった。一人14ユーロのコースだったと記憶しているが、飲んだら記憶が悪くなるので自信はない。
飲食店内の様子
ちょっとピンボケだが、これでもワインではなく地ビールだそうだ。飲んだ御仁によれば非常に美味とのこと
地ビール
コースに含まれるワイン
コースに含まれるワイン
ガリシア地方のパンは固めなので軽く掌で押して潰してから食べる…どこも食べ放題だが、ひとつで十分だと思う
ガリシア地方のパン
コース1の前菜:小海老をにんにくとオリーブ油でアツアツに仕上げたもの…非常に美味だった
コース1の前菜
コース2の前菜:イイダコをバジルソースをかけて…食べていないのでわからないが、美味しそうだった
コース2の前菜
コース1のメイン:イベリコ豚の黒のほうだったかな。それを焼いたもの…非常に美味だった。かなり分厚いのが何枚かあったので、これを平らげるだけで満腹になった。
コース1のメイン
コース2のメイン:魚料理だったと記憶しているが、細かいことは忘れた…食べていないのでわからないが、美味しそうだった
コース2のメイン
スイーツ:かなり甘い。スペイン人の好みは極甘なのかも。これは私の分で、他の人の分は撮り忘れた。(^_^;)
スイーツ
翌朝6時台のサリアの街の散歩
真っ暗だ。日本の感覚で言えば、3時くらいなので暗いのも当然だが。
翌朝6時台のサリアの街の散歩_2
翌朝6時台のサリアの街の散歩_3
翌朝6時台のサリアの街の散歩_4
翌朝6時台のサリアの街の散歩_5
翌朝6時台のサリアの街の散歩_6
翌朝6時台のサリアの街の散歩_7
翌朝6時台のサリアの街の散歩_8
翌朝6時台のサリアの街の散歩_9
ホテルの朝食
バイキングだったので、歩きに備えてたっぷり食べた。それがアダとなったのか身体が重くて閉口した。
ホテルの朝食
装備
朝、専門店があいていたので、トレッキング用のミニリュックを買い、パタゴニアの35Lのバッグはトランスポートサービスに回すことにした。ミニリュックはこれでも水タンクと雨用のカバーが付属したなかなかのもの。
装備_1
装備_2

 

スペイン巡礼旅行2-2

再びベセレア行きの長距離バスに乗車する
16:45発ベセレア行きのバスに乗り換える。
今度の運転手は男性だ。

ベセレア行きのバスに乗り換える。 今度の運転手は男性だ。
ベセレアへの道中
3時間ノンストップだ。同じバスのままだ。運転手がまったくワイパーを使用しないのでフロントガラスがかなり汚れてきた。ノイズやレンズの汚れではない。

ベセレアへの道中_1
おお、巡礼者たちが巡礼の道を歩いていた。こういう楽な道ばかりなら極楽なのだが。後ろ姿には疲労感が…。翌日、極甘の錯覚でしかなかったことを思い知ることになるのだが。
ベセレアへの道中_2_巡礼者たちが巡礼の道を歩いていた
ベセレアへの道中_3
ベセレアへの道中_4
ベセレアへの道中_5
ノンストップと思ったが、アストルガで客が一部乗降した
アストルガで客が一部乗降
こちらも思惑など一切無視して走るが、この建物はあのガウディが知り合いの司教のために設計した司教館なのだ。うまく撮れなくて残念でならない。
ガウディが知り合いの司教のために設計した司教館_0

ガウディが知り合いの司教のために設計した司教館_1
ガウディが知り合いの司教のために設計した司教館_2
ガウディが知り合いの司教のために設計した司教館_3
アストルガの司教館 Palacio Episcopal de AstorgaAdd StarArquitecto
所在地:Plaza de Eduardo de Castro
作品解説
一八八九~九十三年建設。 ガウディの友人でレウス出身のグラウ司教は一八八六年十月十六日、アストルガの司教として当地に赴いた。 司教就任間もない同年の暮れ、司教館は火災を出して灰になってしまった。 翌年の二月二十八日、司教館再建会議はガウディに設計を依頼している。 教会の施設は教会直属の司教区建築家というのがいるわけだが、グラウ司教はこれをかなり強引に変えさせ、タラゴナで小さな仕事を依頼したことのあるガウディへ設計させようとして動いている。基木設計は同年の八月、起工式は八十九年六月二十四日と順調に進んでいったのだが、一八九三年、司教の死によって、案の定ガウディはこの工事から手を引いてしまった。 辞退の手紙は一八九三年十一月四日日付でレオンから送られている。
原案では中央にピラミッド状のスレート屋根がかかり、中央の大サロンには明かりとりの天窓から降り注ぐ自然光が入るという、ガウディならではの空間に仕立て上げられるはずだったこのだが、ついに実現されることはなかった。現在はサンティアゴ巡礼道博物館(Museo de los Caminos、またPalacio de Gaudíという名前が付けられている)となっている。

此処でも客が一部乗降した。町の名前は聞き漏らしたが、なかなか洒落た街だった。
此処でも客が一部乗降した。町の名前は聞き漏らした_1
此処でも客が一部乗降した。町の名前は聞き漏らした_2
陶器市が開かれていたようだ。
陶器市が開かれていたようだ
スペインにはこういう感じのロータリーが多い
スペインにはこういう感じのロータリーが多い
ベセレアへもう少しというところで本当の小休止。運転手が交代するようだ。
ベセレアへもう少しというところで本当の小休止_1
ベセレアへもう少しというところで本当の小休止_2
ベセレアへもう少しというところで本当の小休止_3
ベルセアからタクシーに乗り換える
ベルセアからタクシーに乗り換える

 

スペイン巡礼旅行2-1

13日(金):マドリードから巡礼の出発地サリアまで移動
以降の表示日時は全てスペイン時間で行う

まずはレオンに向かう
トップバッターはrenfe
窓口で回数券を買う
窓口で回数券を買う
メトロの方ではなくrenfeの方のデリシャス駅にて
renfeの方のデリシャス駅にて_1
renfeの方のデリシャス駅にて_2
renfeの方のデリシャス駅にて_3
隣駅で下車。たった1枚の回数券を繰り返し使うやり方は独特のもの。メトロは入場時のみの操作だが、renfeは退場時にも同じ操作が必要。
隣駅で下車。たった1枚の回数券を繰り返し使うやり方は独特のもの。メトロは入場時のみの操作だが、renfeは退場時にも同じ操作が必要。
次は長距離バスでに移動
駅のすぐ下にM.ALVAROの長距離バスセンターがある
M.ALVAROの長距離バスセンター
長距離バスのEチケット
長距離バスのEチケット
12:00発レオン行きの長距離バス乗り場に向かう
12:00発レオン行きの長距離バス乗り場に向かう
長距離バスの車内。バスはメルセデス・ベンツだ。なかなか豪勢だ。
長距離バスの車内。バスはメルセデス・ベンツだ。
運転手は女性
運転手は女性
レオンへの道中。4時間弱ノンストップだ。
レオンへの道中_1
レオンへの道中_2
途中は西部劇撮影ができそうな荒涼とした大地が続く
途中は西部劇撮影ができそうな荒涼とした大地が続く
漸くレオンの街に入る
漸くレオンの街に入る
15:45レオン着。荷物を受け取る
15:45レオン着。荷物を受け取る
レオンの大聖堂を見たいところだが、そうは行かない。まだまだ先は長い。
レオンのバスセンターの様子

レオンのバスセンターの様子_1
レオンのバスセンターの様子_2

 

スペイン巡礼旅行1-2

マドリード2日目の様子
今日は一日中自由行動の日だ。疲れない程度に、プラド美術館に歩いていくことにした。ところが道を間違え、正しく行ったときの1.5倍ほど歩く羽目に。館内で作品鑑賞を粘るも腰が痛くなり、思ったほどには根性を発揮できなかった。
宝くじ売り場
宝くじ売り場
涼しい日もある
マドリードの緯度は青森市の緯度と同じ40度。結構北に位置する。朝夕は結構冷え込む。マドリード2日目の朝は寒く、少し日が高くなった09:40頃になっても気温は16度ほど。
マドリード2日目の朝は寒かった_1
マドリード2日目の朝は寒かった_2
アトーチャ駅前
モニュメント
モニュメント
同じく長蛇の列。タクシーの順番待ちのように思えたが、何の列だったのか不明。
長蛇の列
プラド美術館
馬鹿でかい建物で、持参したカメラでは全景を取りにくい。悔しいことに館内の写真撮影も禁止だった。あまりに作品の数が多すぎて、私の脳細胞には残しようがなかった。仕方がなく、館内の売店で分厚い日本語の作品解説書を購入したので、何が中にあるかは答えられるが、…。う~~ん、悔しい。
プラド美術館_1
プラド美術館_2
プラド美術館_3
此処が入り口
プラド美術館_4
確かにプラド美術館に入ったという証に撮ってみた。一種の見栄かなあ。
プラド美術館_5
プラド美術館_6
プラド美術館_7
プラド美術館_8
プラド美術館_9
美術館の裏にある教会
美術館の裏にある教会_1
美術館の裏にある教会_2
その教会の隣の建物
その教会の隣の建物
外のほうが高いのに
通りにはこんな光景ばかり。他の大都市と違うところはマドリードには蝿がいることだろうか。それだけ、自然のままに殺虫剤などをやたら使用していない健康的な街なんだと信じたい。
通りにはこんな光景ばかり

夜は前夜に引き続き今回のメンバー+αで、巡礼出発前夜の景気つけの夕食会
もっと品数が出たのに一部を撮りそこねてしまった。いずれも美味しいものだった。
夜の食事会_1
夜の食事会_2
ポテトコロッケのようなもの
夜の食事会_3
シメジのようなキノコとベーコンを炒めたもの
夜の食事会_4
ポテト入のオムレツ
夜の食事会_5
『チョビット』という名の食後酒。アルコール度数は相当に高い。
夜の食事会_6

 

スペイン巡礼旅行1-1

2013年9月11日(水)20:20(日本時間12日03:20)、EK143便にて到着。まだ明るいうちに送迎車にて今回の現地企画組織の経営するメンバーズハウスに向かう。

マドリード国際空港の様子
スペインは見栄っ張りの国のようだ。大して大男はいないのに、小便器の高さがオランダほどではないが、短足の日本人は大の方に回るくらいに高い。
時差も然り。スペインとの時差は8時間だが、サマータイム適用の現在の時差は7時間。
アイルランド、イギリス、ポルトガルと日本との時差は-日本との時差が-9時間だが、同じ経度なのに、こちらのグループ(西ヨーロッパ時間)には属さないで、ドイツを中心とした経度グループ(中央ヨーロッパ時間)に入っている。こちらの経度グループには、イタリア、オーストリア、オランダ、スイス、スウェーデン、スペイン、スロヴァキア、チェコ、デンマーク、ハンガリー、フランス、ベルギー、ポーランド、マルタ、モナコ、リヒテンシュタイン、ルクセンブルクなどが属する。日本との時差が-8時間。
サマータイム適用のない日本人がスペインに行くと、朝が暗く、夜がいつまでも暗くならないような感じになる。普通に考えて2時間、実感的には3時間ほどの時差になるようだ。

マドリード国際空港の様子_1
マドリード国際空港の様子_2
マドリード国際空港の様子_3
マドリード国際空港の様子_4
到着ロビーに移動する
マドリード国際空港の様子_5
マドリード国際空港の様子_6
この時以降ずっと悩まされた小便器の高さ。悔しいが、172cmで超短足の私にはつらい高さだ。
マドリード国際空港の様子_7
茶色が中央ヨーロッパの時間が適用される地域。スペインが一刻のみ西に寄っているのがわかるはず。
ヨーロッパのタイムゾーン
デリシャス地区の朝の様子(ちょうど朝の8時頃)
デリシャス地区の朝の様子(ちょうど朝の8時頃)_1
デリシャス地区の朝の様子(ちょうど朝の8時頃)_2
宿舎近くのBARで2.5ユーロの朝食にありつく。ハム・チーズの焼きサンドとカフェ・オレのセット。この2枚の画像のみ9時頃で他は8時頃。
デリシャス地区の朝の様子(ちょうど朝の9時頃)_3
デリシャス地区の朝の様子(ちょうど朝の9時頃)_4
デリシャス地区の朝の様子(ちょうど朝の8時頃)_5
デリシャス地区の朝の様子(ちょうど朝の8時頃)_6
デリシャス地区の朝の様子(ちょうど朝の8時頃)_7
デリシャス地区の朝の様子(ちょうど朝の8時頃)_8

 

スペイン巡礼旅行から帰国したはずです

スペイン巡礼旅行から無事帰国したはずです。詳しい記事は後日UPさせていただきます。
EK312便の到着予定は9月24日の00:01(当ブログの更新時間と同一時間)だ。少し遅れてくれた方が身体的には楽なんだが、どうなることやら。


羽田から国際線を利用したのは随分昔のことで、その後、成田空港に国際線が移っていたから、国際線までどうやって行くのかさえ知らない状態だった。モノレールは『羽田空港国際線ビル駅』、京浜急行は『羽田空港国際線ターミナル駅』から案内に従って楽々行けるようだ。帰りも出国手続きと連れのおじさんとの別れの儀式などを行っているうちに、電車の始発が出る時間になっているかもしれない。
京浜急行『羽田空港国際線ターミナル駅』イラスト

 

スペイン巡礼旅行からの帰国途中です

現在、スペイン旅行から帰途にあります。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

@ドバイ国際空港


エミレーツ航空の拠点で、往復ともエミレーツ航空を利用したので、必然的に経由空港はここになる。アラブ首長国連邦は国際ハブ空港を所有しているんだ。日本には残念ながら無いぞ。
往路でも利用したが、今回は待ち時間は比較的短めだ。遅れての到着だと乗り換え時間がタイトになる。きちんと次の便の搭乗口を確かめておかないと。尤も、ドバイ国際空港では、エミレーツ航空のフライトはすべて最新の専用ターミナルで発着するようだから、そんなに迷わずに済むのかもしれない。と思っていたが、世界有数のハブ空港だけに、巨大ターミナルのようだ。連れのおじさんを絶対に迷子にさせないようにしないと。

現在の日本とドバイとの時差は5時間。日本の方が、5時間進んでいる。機中でどのくらい寝ることができるかが時差克服のポイントだろう。
23日07:15到着(日本時間23日12:15)
23日09:35出発(日本時間23日14:35)
   ↓↓↓↓
24日00:01帰国


ドバイ国際空港
ドバイ国際空港
世界で最も高い建造物であるブルジュ・ハリーファ
世界で最も高い建造物であるブルジュ・ハリーファ

 

スペイン巡礼旅行の途中です(11)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

朝で全くのフリーに戻る。ここからは、連れのおじさんと2人きりだ。しっかりしないといけない。
帰国便の出発が夜22日22:10(日本時間は23日06:10)なので、プラド美術館で半日程度過ごしてから空港に向かうことにしたい。

プラド美術館
プラド美術館
女官たち(ラス・メニーナス)ベラスケス画
女官たち(ラス・メニーナス)ベラスケス画

 

スペイン巡礼旅行の途中です(10)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

21日(土) サンティアゴ・デ・コンポステーラ → マドリッド
 宿での朝食が含まれています。
 基本的にサンティアゴ・デ・コンポステーラでの解散となりますが、Mさん以外はスタッフと一緒に
 マドリッドへ移動です。
 宿のお部屋は12時まで使えますが、適当な時間にチェックアウトをして出発まで荷物を預けます。
 出発まで自由散策をお楽しみ下さい。
 15時30分頃 タクシーにて宿を出発、空港へ向かいます。(タクシー代含まれます)
 17時35分発 IB3879便(イベリア航空)にてマドリッドへ。
 18時50分  マドリッドに到着です。着後、近郊列車、または空港バスにて
 協会宿舎へ移動です。
 今夜はTさん、Wさんのスペイン滞在最後の夜です。
 巡礼の無事終了を祝って、近所のバルで乾杯でしょうか。
 協会宿舎泊


半日くらいはサンティアゴ・デ・コンポステーラにて自由行動ができるようだ。見落としがあっても、何度も来れるところではないので、きちんと見ておきたいものだ。

エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ
エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ
レアルマドリードの試合
レアルマドリードの試合

 

スペイン巡礼旅行の途中です(9)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

20日(金) サンティアゴ・デ・コンポステーラ連泊
 宿での朝食が含まれています。 終日、サンティアゴ滞在です。
 大聖堂を中心に聖地サンティアゴを見学してみましょう。
 夜は大聖堂のライトアップが綺麗です。その重厚な姿を、しっかりと目に焼き付けて帰りましょう。
 Hotel Avenida Tel: 981 56 84 26 @サンティアゴ泊


大聖堂のライトアップは絶対に見逃さないようにしよう。

Santiago's Old Town is a UNESCO World Heritage Site
Santiago's Old Town is a UNESCO World Heritage Site
Portico da Groria, old façade of the Romanesque cathedral, 12th century
Portico da Groria, old façade of the Romanesque cathedral, 12th century
Sepulcher of king Ferdinand II (d. 1187), in the Royal Pantheon of the cathedral
Sepulcher of king Ferdinand II (d. 1187), in the Royal Pantheon of the cathedral

 

スペイン巡礼旅行の途中です(8)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

19日(木) ペドロウゾ → サンティアゴ・デ・コンポステーラ(約21キロ)
 宿にて朝食を頂いてから出発です。
 徒歩巡礼最終日です。
 途中、喜びの丘に立ち寄りながら、サンティアゴへと向かいます。聖地に少しでも早く到着出来るよう、8時頃の出発が良いかもしれません。それで聖地に15時ごろの到着でしょうか。
 到着したら、巡礼事務所へ赴き、巡礼者としての登録を行い、証明書を申請します。 そして、翌日の巡礼者のミサにて、我々の到着を祝福して頂きます。
 今日から、サンティアゴ・デ・コンポステーラに2連泊です。
 夜は、聖地到着を感謝して祝杯をあげましょう。
 Hotel Avenida Tel: 981 56 84 26 @サンティアゴ泊


やっと、徒歩巡礼目的地到着だ。遂に113kmを歩き通した。大聖堂は夢に見たとおりだろうか?

サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)はスペイン、ガリシア州、ア・コルーニャ県の都市で、ガリシア州の州都。コマルカ・デ・サンティアーゴに属する。ガリシア統計局によると、2012年の人口は95,671人で、州内ではビーゴ、ア・コルーニャ、オウレンセ、ルーゴに次ぐ5番目の人口規模の街である。住民呼称はcompostelán/-lá、santiagués/-esa、またpicheleiro/-aなどが使われる。
サンティアゴ・デ・コンポステーラには自治州政府(Xunta de Galicia、シュンタ・デ・ガリシア)が置かれ、ガリシア州の政治の中心であると同時に、宗教的には大司教座が置かれている。旧市街は1985年にUNESCO世界遺産に登録されており、また、エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつでもあり、世界遺産に登録されているサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の終着地でもある。


サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂
サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂
カテドラルとパソ・デ・ラショイ
カテドラルとパソ・デ・ラショイ

 

スペイン巡礼旅行の途中です(7)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

18日(水) アルスア → ルア(約19キロ)…残り20km
 朝食は含まれていません。
 引き続き徒歩巡礼です。10時頃出発すると18時頃の到着です。
 比較的なだらかな路が続きます。今日、明日と、また徒歩距離が長くなりますので、慌てず、しっかり歩きましょう。
 辛い場合は、無理をせず、その旨、早めにおっしゃって下さい。
 今夜、宿泊する村では夕食、そして翌朝の朝食を含めてあります。
 お飲み物代だけ各自でお支払い下さい。
 Pension Arca TEL657 888 594 @アルカ - ペドロウゾ泊


ちょっと長めか。大丈夫だろうか。

ア・ルーア(A Rúa)はスペイン、ガリシア州、オウレンセ県の自治体で、コマルカ・デ・バルデオーラスに属する。ガリシア統計局によると、2009年の人口は4,816人(2003年:5,027人)。住民呼称はrués/-esa。カスティーリャ語表記は定冠詞のないRúa。

ロブリード教区からシル川を望む
ロブリード教区からシル川を望む

 

スペイン巡礼旅行の途中です(6)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

17日(火) メリデ → アルスア(約14キロ)…残り39km
 朝食は含まれていません。
 多少の上り下りはありますが、今日も距離は短めに設定してありますので、のんびり行きましょう。
 Hostal Meson do peregrino TEL 981 500 145 @アルスア泊


昨日に引き続き、次のアウスアまで短め。歩き慣れた頃だろうか。

アルスーア(Arzúa)は、スペイン、ガリシア州、ア・コルーニャ県の自治体。コマルカ・デ・アルスーアに属する。ガリシア統計局によると、2011年の人口は6,328人。住民呼称はarzuán/-á。

自治体庁舎
アルスーアの自治体庁舎

 

スペイン巡礼旅行の途中です(5)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

16日(月) パラス・デ・レイ → メリデ(約15キロ)…残り53km
 朝食は含まれていません。
 引き続き徒歩巡礼です。少し早めに出発しますと、お昼には到着出来ます。
 特にきつい上り下りはありません。最初の二日間の徒歩距離が長かったので、疲れが出る頃です。
 今日、明日と、少し短めの距離で身体を休めます。
 Hotel Xaneiro Tel981 506 140 @メリデ泊


少し短めか。アップダウンはそれほどなさそうだし、何とか頑張れるだろう。

メリーデ(Melide)は、スペイン、ガリシア州、ア・コルーニャ県の自治体。コマルカ・ダ・テーラ・デ・メリーデに属し、同コマルカの中心自治体である。ガリシア統計局によると、2011年の人口は7,824人。住民呼称はmelidán/-dá。カスティーリャ語表記はMellid(メジッド)。

サンタ・マリーア・デ・メリーデ教会
サンタ・マリーア・デ・メリーデ教会
目抜き通り
メリーデの目抜き通り

 

スペイン巡礼旅行の途中です(4)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

15日(日) ポルト・マリン → パラス・デ・レイ(約24キロ)…残り67km
 朝食は含まれていません。
 引き続き徒歩巡礼です。この日も朝10時頃出発すると、夕刻18時頃の到着でしょう。
 しばらく登りが続きますが、慌てず、ゆっくりと進みましょう。
 Pension Bar Plaza 982 380 109 @パラス・デ・レイ泊


今日は長くて、しかものぼりの行程か。少しは大きな町のようだ。
 
パラス・デ・レイ(Palas de Rei)は、スペイン、ガリシア州、ルーゴ県の自治体。コマルカ・ダ・ウジョーアに属す。ガリシア統計局によれば2011年の人口は3,743人である。住民呼称は男女同形のpalense。カステーリャ語表記はPalas de Rey。

Church of Santiago de Albá.
Church of Santiago de Albá.
パンブレ城
パンブレ城

 

スペイン巡礼旅行の途中です(3)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

14日(土)  サリア → ポルト・マリン(約23キロ)…残り90km
 いよいよ徒歩巡礼の開始です。今日はホテルにて朝食が含まれています。
 仮に朝10時頃出発すると、夕刻18時頃の到着でしょうか。
 特にきつい上り下りはありませんが、距離のわりには、長く感じられる行程です。
 慌てることはありません。 途中、休憩をはさみながら、歩きましょう。
 Posada del Camino TEL 982 545 081 @ポルト・マリン泊


どんどん田舎町に向かっているような印象。いきなり長い距離でへばらないか、やや心配だ。

ポルトマリン(Portomarín)は、スペイン、ガリシア州、ルーゴ県の自治体。コマルカ・デ・ルーゴに属し、リベイラ・サクラ地区を構成する自治体でもある。ガリシア統計局によれば、2012年の人口は1,690人。住民呼称は、男女同形でportomarinense。カスティーリャ語表記はPuertomarín(プエルトマリン)。

サン・ニコラーオ・デ・ポルトマリン教会
今日、サン・ニコラス教会と呼ばれているサン・ショアン教会は12世紀から13世紀にかけての建造で、サンティアゴ巡礼路にあるロマネスク教会
サン・ニコラーオ・デ・ポルトマリン教会

 

スペイン巡礼旅行の途中です(2)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

13日(金) マドリッド → サリア…残り113km
 11時15分、スタッフと一緒に宿泊施設を出発です。巡礼後、宿泊施設へ戻る方は、巡礼に必要の無い荷物をお預かりします。
        近郊線列車にてバスターミナルへ。
 12時 南駅発のバスにてレオンへ。
 15時45分 レオンに到着。 乗り換えです。バスターミナルのカフェテリアで軽く何か食べるようにして下さい。
 16時45発のバスにてレオンを出発。ベセレアへ向かいます。
 19時45分 ベセレアに到着。ここでタクシーに乗り換えて、今回の徒歩巡礼開始地点であるサリアへ移動です。
 20時15分 サリア着。 ホテルにチェックイン後、軽く夕食をとって休みましょう。
        翌日からいよいよ徒歩巡礼の開始です。
        Hotel Villa de Sarria TEL982 533 873 @サリア泊


サリアまで行くのは意外と大変そうだ。自分一人だと泣きたくなるかもしれないと思った。

サリア(Sarria)は、スペイン、ガリシア州、ルーゴ県の自治体、コマルカ・デ・サリアに属し、同コマルカの中心自治体である。ガリシア統計局によれば、2010年の人口は13,611人。同県で5番目の人口を有する。住民呼称はsarriao/-iá。
自治体内をサンティアゴ巡礼路が通っている。


Church of Saint Mariña
Church of Saint Mariña
Ponte de Áspera - romanic style bridge from 12th century.
PonPonte de Áspera - romanic style bridge from 12th century.

 

スペイン巡礼旅行の途中です(1)

現在、スペイン国内を旅行中です。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。
出発前にまとめた記事ですので、実際にはこの通りに進行していないかもしれません。

スペイン時間の11日(水)20:20(日本時間12日04:20) EK143便にて到着。送迎車にて宿泊施設へ。
12日(木)マドリッド滞在
予備日です。 この町には見るものが沢山ありますが、飛行機による長旅のあとです。疲れを残さない範囲で散策されて下さい。
夜は皆さんで近所のバルで夕食を取りましょう。(参加自由)
宿泊施設泊

巡礼証明書の記録用紙を貰いに行くくらいしか用件はなく、『地球の歩き方』記事でも参考に周辺をぶらりと散歩する程度だろうか。あるいは、スペインみやげを物色しているかもしれない。

マドリード王宮
マドリード王宮
レティーロ公園の外にあるアルカラ門
商人が日曜の市のためにマドリードに入るのに使われた
レティーロ公園の外にあるアルカラ門
シベーレス広場にそびえるマドリード市庁舎
シベーレス広場にそびえるマドリード市庁舎

 

江戸東京たてもの園にて(10)

本日早朝(9月11日01:30)に、スペインに向けて羽田空港から出発しました。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄は閉じさせていただきます。

武居三省堂(文具店)

明治初期に創業した文具店です。当初は書道用品の卸をしていましたが、後に小売店に変わりました。
建物は震災後に建てられた〈看板建築〉で前面がタイル貼りになっていて屋根の形にも特徴があります。
[千代田区神田須田町一丁目/1927年(昭和2)]

前回の訪問記に該当頁にjump

前回の説明を繰り返すが、店の名前は、曾子曰 吾日三省吾身 …(曾子曰く、吾(われ)日に三たび吾が身を省(かえり)みる)に由来するらしい。三省堂書店とはまったく別の経営。

外観
ピントが呆けた写真で申し訳ない。間口の広さや店内の様子から、現在のような客が自由に見て回ってセレクトする方式ではなく、対面販売という方式だったのだろう。今のように情報伝播手段とその入手手段との両方共が発達していなかった時代には、こうした販売方式のほうがお互いに都合が良かったのかもしれない。
武居三省堂_外観
店内の様子
店内のたくさんの引き出しは、千と千尋の神隠しの中に出てくる「かまじい」の部屋のモデルになったのだそうだ。そんなふうに見えるだろうか。
武居三省堂_店内の様子_1
武居三省堂_店内の様子_2

 

江戸東京たてもの園にて(9)

本日、出国手続きを行い深夜(日付は9月11日)にスペインに向けて出国します。帰国までにUPする記事に関しては、申し訳ありませんがコメント欄を閉じさせていただきます。

花市生花店

前回の訪問記に該当頁にjump

昭和初期に建てられた〈看板建築〉の花屋です。建物の前面は花屋らしくデザインされています。店内は昭和30年代の花屋を再現しています。
[千代田区神田淡路町一丁目/1927年(昭和2)]


外観
袖看板は、『花市生花店』という店名表示でなく、上段に小さく『FLORIST』、中段に大きく『ナハ』、下段に小さく『六二三一 田神 話電』となっていた。現代風に表記すれば『ハナ』のみ。何とも時代を感じさせるものだ。そんなに競争相手も居なかったのかもしれない。
花市生花店_外観_1
ショーウィンドウがあり、綺麗に活けられた生花は客の注意を惹くものになっていたようだ。これだけでも集客効果十分だったのだろう。
2階の窓の下には梅・桜・菊・牡丹などの花が飾られ、3階には菊が両側に、蝶が対角線上にあしらわれているそうだが、この写真でわかるだろうか?

花市生花店_外観_2

店内の様子
私が子供の頃の花屋さんの店内はこんなふうだったのか。現在とそんなに変わっていないように見えなくもないが、やはり花の種類がごく少ないのが一番違う点だろうか。店内は明るく、やはり花屋さんらしい華やかさを有していたようだ。
この店舗は平成3年まで実際に使用されていたようだ。

花市生花店_店内の様子

 

江戸東京たてもの園にて(8)

丸二商店(荒物屋)

昭和初期に建てられた荒物屋です。小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。
店内は昭和10年代の様子を再現しています。裏手には長屋も移築し、それとともに路地の様子も再現しています。
[千代田区神田神保町三丁目/昭和初期]


前回の訪問記に該当頁にjump

前回、店内の様子がはっきりしなかったので、今回はこれをしっかり撮ってみた。

外観
店舗の後側には長屋がついていた。
丸二商店(荒物屋)_外観_1
引き戸の直上の明かり取りの様子を頭に入れておいてほしい。次の写真でどのように見えるか楽しみだ。
丸二商店(荒物屋)_外観_2

店内の様子
引き戸の上のガラス窓がかなりモダンな感じだ。商品アイテムも現在とは違ったものになっている。
丸二商店(荒物屋)_店内の様子_1
店内の陳列品は、都内の荒物屋さんで廃業する店から寄付してもらったものだそうだ。今の店舗と比べると、商品アイテム数がごく少ないこともあろうが、かなりゆったりした感じだ。
丸二商店(荒物屋)_店内の様子_2

 

江戸東京たてもの園にて(7)

三井八郎右衞門邸(2)

前回記事1にjump
前回記事2にjump

今回分は、前回見落としたわけではないが、ぼやけた写真が多かったので、撮り直してみたもの。

書院の二間
1階の書院の二間は、1897(明治30)年に完成した京都油小路三井邸の奥書院の部材を使用してできている。奥書院は田字形に配置された八畳四部屋の書院で、「四季之間」ともいわれた。油小路邸は三井高棟氏が自ら設計に関与しており、窓や欄間に桂離宮の意匠を取り入れていた。高公氏はこの油小路邸の一部を移すにあたって、高棟氏の採用した建築意匠を西麻布邸に移そうと努力した。油小路邸を飾っていた春夏秋冬を題材とした襖や月の字崩しの欄間、櫛形窓を現在の邸内に見ることができる。
手前側は食堂
書院の二間_1
書院の二間_2
書院の二間_6
こちら側は客間
書院の二間_5
書院の二間_4
書院の二間_7
廊下。このゾーン共通の照明器具のデザインだが、特注の洒落たものだ。
書院の二間_3

望海床と名付けられた和室
光の差し込み加減がちょうど良くなるようにしたようだ。移築にあたっても、その点を考慮した植栽がなされていると思う。
邸の南東隅には望海床(ぼうかいしょう)と名付けられた和室が移築されている。もとは大磯の城山荘にあり、西麻布邸への移築は1964(昭和39)年であった。城山荘にあった当時は三井高棟の画室として使用されており、床にはオンドル式の暖房が設置されていた。移築後、一時的に立礼(りゅうれい)式の茶室として使用された後、庭園にあった茶室前後軒の待合に使用されていた。
乱視になって桟が二重に見えたような気がするかもしれないが、こういうもの
望海床と名付けられた和室

 

江戸東京たてもの園にて(6)

三井八郎右衞門邸(1)

前回記事1にjump
前回記事2にjump

前回、結構隈なく撮ったつもりで見落としていたところが少なからずあった。今回はそこを中心に取り上げた。

温かな光の玄関照明。アールデコの宝飾デザイナー、ルネ・ラリックによる作品
買おうとしても買えないもののようだ。小さい方もルネ・ラリックによる作品だったかは確認を失念した。
温かな光の玄関照明_1
温かな光の玄関照明_2
北側階段の壁面に掛けられていた絵画
誰の絵か聞いたのに、忘れてしまった。
北側階段の壁面に掛けられていた絵画
大きな櫛をかたどった障子窓
花頭窓とは違うようだ
大きな櫛をかたどった障子窓
手水鉢
「の」の字を掘り込んだもの。何故、「の」の字としたのか確認するのも失念してしまった。
手水鉢
目隠しも念がいっている
目隠しも念がいっている

 

江戸東京たてもの園にて(5)

始めたばかりの江戸東京博物館のシリーズを一旦中断した。間を空けずにすぐ再開するつもりだったが、思いがけず間があいてしまった。これからは暫く続けたい。再開にあたって、2012年に来た時に移築中だったデ・ラランデ邸が移築復元が完了していたので、これを先に取り上げたい。

デ・ラランデ邸
この住宅は、元は平屋建ての洋館でしたが、1910年(明治43)年ころ、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されました。その後、何回か所有者が変わりましたが、1956年(昭和31)から、三島海雲氏がこの住宅に住んでいました。1999年(平成11)まで新宿区信濃町に建っていました。
[新宿区信濃町/1910年(明治43)ころ]

外観
如何にもドイツ人が好みそうな外観だ。1999年以降、移設するまではどこにどのように保管されていたのだろうか?
外観_1

外観_2
外観_3
室内の様子
室内の様子_1
室内の様子_2
室内の様子_3
室内の様子_4
室内の様子_5
1階の様子
見学は自由だが、喫茶室をも兼ねたスペースになっていた。
1階の様子_1
1階の様子_2
アップライトピアノの場合、燭台はこの位置に取り付けるものだったのか。私は初めて見るものだ。意外な場所で意外なものを見たものだ。このピアノは電灯がない時代のものだったのだろうか?
1階の様子_3
喫茶室になっていたので、フラッペを注文した。
1階の様子_4
造花だと思い気にもとめない、というより、何故こんなところに出すのか訝しく思ったが、隣の客が『あれ、これは造花じゃなかったんだ』と話すのを聞いて、初めて本物だと気づいた次第。そうだったとしても、何故ここに出すのだろうか?
1階の様子_5

 

近所の様子(3)

ちもと
この店のフラッペが前から好きなのだが、雑誌でよく取り上げられた所為か、いつもすごい行列ができるようになってしまった。そのことで近隣の商店の苦情があったのかもしれない。遂には、予約制で客の捌きを行うようになったようだ。日曜にファミレスで朝食をと思った時に見かけたのは、予約ゲットのための行列だったのか。
私達は、たまたま通りかかった時に、キャンセルの空きがあって予約をゲットできたようだ。

店の外観_1
店の外観_2

おまかせ(1000円)
何が入ってくるかわからないが、これを頼んでみた。上部には抹茶シロップと練乳とが半分ずつ掛けられていた。中には、餡、栗の甘露煮、白玉団子、八雲餅などかなりの種類のものが入っていた。さすが和菓子屋の提供する『おまかせ』だ。
おまかせ(1000円)
お好み(800円)
おまかせより若干小ぶりだがそれでもかなりのジャンボサイズ。こちらは客側が指定したもののみ。納得ずくで食べられるので好き嫌いがある人はこちらの方が良いのかもしれない。
お好み(800円)

 

近所の様子(2)

熊野神社祭礼の直前の様子(2)

境内の様子
決して大きな神社ではない
境内の様子_1
境内の様子_2
境内の様子_4
境内の様子_8
狛犬左右一対
境内の様子_9
境内の様子_10
参道は宵宮が始まるかなり前だというのにすごい人出だ。
境内の様子_12
境内の様子_13

国際親善神輿
何故こんな子供神輿程度の軽いものを担がせるんだろうか。重みを自分たちの肩で感じて欲しいところなのに。まあ、楽しけりゃいいか。
国際親善神輿_1
国際親善神輿_3

 

近所の様子(1)

熊野神社祭礼の直前の様子(1)

近隣の神社のトップを切って例大祭があるのは自由が丘の熊野神社。
我が地元の八雲氷川神社や反対側に隣の碑文谷八幡宮の例大祭は、私の海外滞在中に行われる。それほど気が進まなかったが、宵宮が始まる前に様子を見に行った。


熊野神社の近隣
自由が丘亀屋万年堂本店
自由が丘亀屋万年堂は、この近隣にはかなりの数の店を出しているが、ここが本店。ここの代表取締役会長は往年の野球ファンには馴染みの名前の国松さん。その縁でこれまた近所の王さんがCMを引き受けている。
この日はお祭りの町内会ブースが店先にしつらえてあった。

自由が丘亀屋万年堂本店
黒船quolofune
知る人ぞ知る和菓子の店。こちらは、亀屋万年堂より更に熊野神社に近いというか、神社の隣に立地している。こちらが本店。
いつもと違い店先が露店のような感じに。これでは、いつもの上品を自認するような顧客は近づかないだろうが、祭りの期間中はこんなものなのだろう。

黒船quolofune
ひかり街
東横線の線路伝いにある。そこの超ミニサイズの神輿が気になった。私一人でも担げそうな可愛らしいものだった。子供用の神輿なのだろうか?さすが自由が丘、堂々と路上に飾り置いてある。撮っている私は更に真ん中にはみ出している。
ひかり街_1
ひかり街_2

熊野神社入口脇に置いてあった準備中の神輿2基
例大祭のスケジュールを見ると次の様で、普通の神輿は一之宮と二之宮の2基のみのようだ。神社の規模からしてもこれで精一杯のように見える。
8月31日   子供神輿、国際親善神輿、宵宮・二の宮、目黒囃子、御神楽
9月 1日   子供神輿、一の宮・二の宮、目黒囃子奏楽、女神神輿、奉納演芸

大きい方(一之宮)の神輿
鰓が張っていてかなり重量級の神輿のように見えた
大きい方(一之宮)の神輿
やや小さい方(二之宮)の神輿
こちらは、自由が丘の屈強とは言いがたい担ぎ手に適した大きさの神輿のように見えた
やや小さい方(二之宮)の神輿

 

赤坂迎賓館見学(4)

本館南面(建物後側)
こちら側の中央部に『朝日の間』がある。なお、反対側正面(北面)の中央部には『彩鸞の間(さいらんのま)』がある。
銅の雨樋だけは最近補修したのだろう。まだ、地金の色のままだったのが印象的だった。本館の周りに植えられている枝ぶりの見事な松は多行松(たぎょうしょう)だそうだ。
本館南面(建物後側)_1
本館南面(建物後側)_4
本館南面(建物後側)_5
本館南面(建物後側)_6
本館南面(建物後側)_7
本館南面(建物後側)_8
『朝日の間』
『朝日の間』という名前は、天井に描かれている絵に由来するそうだ。かつては『第1客室』と呼ばれていた。内装はフランス18世紀末の古典主義様式で、国・公賓の表敬訪問や首脳会談などの行事が行われる。広さは約180平米。
『彩鸞の間(さいらんのま)』
『彩鸞の間』という名は、『鸞』と呼ばれる鳳凰の一種をデザインした金色の浮き彫りがあることに由来するそうだ。かつては『第2客室』と呼ばれていた。この部屋は、正面玄関の真上に位置し、晩餐会の招待客が、国・公賓に謁見したり、条約・協定の調印式や国・公賓のTVインタビューなどに使用される。広さは約140平米。

庭園
噴水
噴水_1
噴水_3
噴水_4
記念植樹
ハナミズキ:フォード大統領(1974)
ブラウンオーク:エリザベス女王(1975)
フユボダイジュ:ゴルバチョフ大統領(1991)

記念植樹

本館西面(正面から見て右側面)
こちらの側には『羽衣の間』がある。
本館西面(正面から見て右側面)_1
本館西面(正面から見て右側面)_2
本館西面(正面から見て右側面)_3
本館西面(正面から見て右側面)_4
『羽衣の間』
『羽衣の間』という名は、謡曲『羽衣』の景趣を描いた大壁画が天井に描かれていることに由来するそうだ。かつては『舞踏室』と呼ばれていた。内装はフランス18世紀末の古典主義様式で、広さは約300平米で、シャンデリアはこの館内で最大で、重量は800kg(重量は『花鳥の間』の大シャンデリアのほうが重いようだ)あるとのこと。ここでは在日外交団が、国賓に謁見したり、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒が供されたりするそうだ。

本館東面(正面から見て左側面)
こちらの側には『花鳥の間』『東の間』がある。
本館東面(正面から見て左側面)_1
本館東面(正面から見て左側面)_2
『花鳥の間』
『花鳥の間』という名は、格天井に描かれた36枚の油絵や壁面に飾られた30面の七宝などに花や鳥の絵が描かれていることに由来するそうだ。内装は16世紀後半の重厚なアン・リー2世様式で、重さが焼く1,125kgの黄銅の大シャンデリアが3基吊り下げられている広さは約300平米で国公賓主催の晩餐会が催される。
『東の間』
2階の東端にある『東の間』は、内装がムーリッシュ様式で、色とりどりの装飾が施され、豪華絢爛たる作りになっている。控室で、かつては『喫煙室』と呼ばれていたそうだ。

VIPに見ていただくために用意されている盆栽
盆栽にはクリントン元大統領(当時は現職の大統領)も真剣に見入っていたようだ。
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_0
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_1
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_2
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_3
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_4
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_5
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_6
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_7
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_8
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_9
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_10
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_11
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_12
VIPに見ていただくために用意されている盆栽_13

 

赤坂迎賓館見学(3)

本館正面(2)
我々が正面玄関から入館を許されるわけもなく、通用口と思しきところから入館した。そして、入館してすぐ、館内の写真撮影は厳禁である旨、念を押された。う~~ん、残念。
本館正面(2)_1
本館正面(2)_2
本館正面(2)_3
本館正面(2)_4
本館正面(2)_5
本館正面(2)_6
本館正面(2)_7

クローズアップしたもの
豊臣秀吉の家紋五七桐がこの建物を含め内閣府にも使われているのは何故なのだろうか。調べてみたら、桐紋は元々は天皇家の家紋で、菊紋に次ぐ紋だった。それを天皇家が功績のあったものに下賜したために武家に広まり、当然のごとく、豊臣秀吉も下賜された。ということで豊臣秀吉の家紋はこれ。
一方、明治時代に朝廷の政府ということで、時の政府は桐紋の使用を宣言して使用し、その流れで現在の政府も使用している。
ということで、この建物が豊臣家の建物という意味では無い。

五七桐の紋と天球儀と霊鳥(鳳凰の一種)
本館正面_CloseUP_1
本館正面_CloseUP_2
屋上には甲冑が。日本らしさを強調するものだろうか。
本館正面_CloseUP_3
本館正面_CloseUP_4
国旗掲揚のポールの後方に、旭日章と瑞宝章の壁面レリーフが見える。そして、その上部には菊のご紋が。何故ここだけなのだろうか。おそらくここを天皇陛下が通られるからなのだろう。
本館正面_CloseUP_5

 

« »

09 2013
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
メッセージボードα
Information from AzTak

4月15日(土)は、所属団体の年度総会開催で、私からのアクセスはかなり遅れると思います。大変申し訳ありません。m(_ _)m

-- E N D --
.
.
プロフィール

AzTak

Author:AzTak
FC2ブログへようこそ!

定年後の時間たっぷりの輩です。写真撮影やプログラミングが趣味です。

当ブログは、リンクフリーです。

最新コメント
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
QRコード
QR