散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

中央区をぶらり(9)

ミニクルージング(3)

豊海橋
日本橋川が隅田川に流入する河口部に架かり、昭和2年震災復興橋として改架された。梯子を横倒にしたような外観をもつフィレンデール橋と呼ばれる全国でも珍しいデザイン。『都市景観との調和』に気配りし、永代橋とマッチするように、シンプルなデザインのなかに鋲止形式という古い形態を残し、重量感のある鉄骨橋梁の代表例として貴重。
豊海橋まで_1
豊海橋まで_2
豊海橋まで_3
豊海橋まで_4
豊海橋まで_5
橋の先に隅田川と永代橋とが見えている
豊海橋まで_6
豊海橋まで_7
豊海橋まで_8
豊海橋まで_9


隅田川と合流し、右折して永代橋をくぐる

永代橋
2007年(平成19年)、都道府県の道路橋として初めて、勝鬨橋・清洲橋と共に国の重要文化財(建造物)に指定された。
中央区新川と江東区永代の間で、『永代通り』が『隅田川』を渡る橋。創架は元禄11年(1698)、五代将軍綱吉の50歳を祝して幕府が架橋したとされる。
永代橋まで_1
永代橋まで_2
合流直後は隅田川の大きな揺れがあり、乗船客が一様に驚いている。揺れは大きいものの、なんといっても物凄い川幅で、目障りな高速道路もなく、開放感は最高だ。
永代橋まで_3
永代橋まで_4

正面に見えているのが大川端リバーシティ。大きな分岐だ。やや直線に見える方向(左側)が隅田川派川。どちらが本流かと悩むほどの川幅だ。ちょっと肩身が狭い感じの右側の隅田川。
永代橋をくぐった直後の景色

中央大橋の手前で再びUターン

『中央大橋』は、中央区新川2丁目と中央区佃2丁目の間の八重洲通りが隅田川を渡る橋。平成5年(1993)開通の比較的新しい豪華な橋。
中央大橋手前_1
中央大橋手前_2
渡米前の松井選手も住んでいた大川端リバーシティ
大川端リバーシティ
Uターンしている間に屋形船に抜かれた。かつて商品を寄託していたヤマタネ倉庫。あの倉庫からの眺めは一級品だった。
Uターンしている間に
あの倉庫の所在地が越中島1-1-1。そう、かつての東京商船大のそばなのだ。見えている水門は大島川水門。
ヤマタネ倉庫

 

中央区をぶらり(8)

ミニクルージング(2)

江戸橋
中央区日本橋と日本橋本町の間で、第一京浜国道(R15)と日光街道(R4)とを都心で結ぶ『昭和通り』が、『日本橋川』を渡る橋で、この川筋の中では交通量の最も多い橋の一つである。
また、日本橋川の川幅もこの辺りではかなり広くなっており、橋の長さや幅といった大きさでは、日本橋川最大級の橋となっている。

江戸橋まで_1
江戸橋まで_2
江戸橋まで_3
江戸橋まで_4
江戸橋まで_5
江戸橋まで_6
江戸橋まで_7

鎧橋(よろいばし)
鋼製ゲルバー桁橋。日本橋兜町と小網町の間で、平成に入って『平成通り』と名付けられた東京証券取引所前の通りがある。その通りが、『日本橋川』を渡るところに架けられた橋。
鎧橋(よろいばし)まで_1
鎧橋(よろいばし)まで_2
鎧橋(よろいばし)まで_3
鎧橋(よろいばし)まで_4
鎧橋(よろいばし)まで_5
鎧橋(よろいばし)まで_6
鎧橋(よろいばし)まで_7
鎧橋(よろいばし)まで_8
鎧橋(よろいばし)まで_9

茅場橋
茅場橋の初架は、昭和4年(1929)とかなり遅くになって架けられた。現在の茅場橋は、平成4年(1992)に改架された銅製桁橋。
この茅場橋から上流側の日本橋川のすべての橋の上には、首都高速が覆い被さる。この付近から手前の鎧橋にかけて、付近は金融の街となる。

茅場橋まで_1
茅場橋まで_2
茅場橋まで_3
茅場橋まで_4

日本橋水門
ここは直進するが、右折すれば、亀島川となる。亀島川は亀島川水門で隅田川と合流する。
日本橋川と亀島川はいずれも潮の干満の影響を受ける感潮河川なので、高潮や津波の被害から流域の街を守るために高い堤防に囲まれ、亀島川は両端に防潮水門がある。

日本橋水門まで_1
日本橋水門まで_2
日本橋水門まで_3
日本橋水門まで_4
日本橋水門まで_5
日本橋水門まで_6

湊橋
中央区新川と箱崎方面を結ぶ通称『湊橋通り』が『日本橋川』を渡る橋。この橋の創架は江戸時代の前期、延宝7年(1679)であると伝えられており、霊岸島(現在の新川地区)と箱崎町を結ぶ橋として架設された。
『湊橋』の名称は、この一帯が『江戸湊』の出入口にあたることから付けられたといわれている。

湊橋まで_1
湊橋まで_2
湊橋まで_3
湊橋まで_4
湊橋まで_5
湊橋まで_6

 

中央区をぶらり(7)

ミニクルージング(1)

腹ごしらえした後で、ミニクルージングを楽しんだ。

出発前
どんな船旅になるのか興味津々の顔つき
出発前

いざ、出陣
船は右側通行で行くようだ。一旦、日本橋をくぐり、すぐ、Uターンして、日本橋をくぐりなおす。
一旦、日本橋をくぐる_1
一旦、日本橋をくぐる_2
いよいよくぐるが頭が擦れそうな感じ。本当のところはかなり余裕があったが。
日本橋の橋の下というか裏側というか_1
日本橋の橋の下というか裏側というか_2
日本橋の橋の下というか裏側というか_3
日本橋の橋の下というか裏側というか_4
日本橋の橋の下というか裏側というか_5

Uターン
いきなりのUターンだ
いきなりのUターンだ_1
いきなりのUターンだ_2
いきなりのUターンだ_3

再び日本橋の下をくぐる
再び日本橋の下をくぐる_1
再び日本橋の下をくぐる_2
関東大震災時に焦げた跡だというのだが。言われてみれば、そうなのかなあと思えなくもない。
関東大震災時に焦げた跡_1
関東大震災時に焦げた跡_2
関東大震災時に焦げた跡_3

いよいよ下流に向かう
いよいよ下流に向かう_1
いよいよ下流に向かう_2

 

中央区をぶらり(6)

COREDO室町
2004年にこういう商業施設ができていたのは知っていたが、今頃になって初めて見た。ああ、これかという程度の感想しかなかった。弓形のガラスと石の組合せでできた外観は、風を受け帆を広げた帆船を思わせると書いてあったが、近くから見るとただの高いものを商うビルにしか見えない。
三菱地所と三井不動産との激しい角逐が繰り広げられているが、こちらは三井側か。というか、日本橋室町辺りは三井のテリトリのようだ。

COREDO室町

日本橋三越本店
先代が元気だった頃は随分買い物に付き合わされたものだったが、私が当主となってからは、すっかり縁遠くなってしまった。
日本橋三越本店_1
日本橋三越本店_2
日本橋三越本店_3
日本橋三越本店_4

これは鳥居
貞観年間(859~876年)にはすでにこの地に鎮座していたという福徳神社。いま仮のお社だが、2014年には約528平方メートルの敷地に鳥居、拝殿などが建設され「福徳の森」として生まれ変わるそうだ。こちらも三井不動産と密接なつながりがあるようだ。
福徳神社_1
福徳神社_2
福徳神社_3

鮒佐
佃煮の元祖だそうだが、もう少し歴史があるのかと思っていたら、それほど古い話では無さそうだ。ぴったんこカン・カンで、俳優勝村政信が父親の働いていた店ということで紹介していた。
それにしてもこの人達とよく出くわす。

鮒佐_1
鮒佐_2
言い伝えによると、日本橋鮒佐の創業は江戸時代末期(第13代将軍徳川家茂公の時代)、1862(文久2)年。世の中では、生麦事件が起こった年です。今から140有余年に遡ります。
江戸末期の安政年間(1850年代後半)、当時剣士として北辰一刀流の免許皆伝の腕前だった初代佐吉は趣味の釣りが高じて釣れた小鮒を串刺しにして醤油で付け焼きするという“鮒寿々め焼(ふなすずめやき)”を商いにしていたそうです。
その佐吉が1862年(文久2年)のある日、釣りをする為舟を出した所、品川沖で時化(しけ)に遭い、佃島に漂着しました。
漂着した佃島で佐吉は、地元の漁師が雑魚を塩煮にしているのにヒントを得て、小魚を醤油で煮込み市中で売り出しました。この時の醤油煮が現在の“佃煮”の原型を創ったと云われております。
以来鮒佐の佃煮は、江戸食通の間で評判となり、『元祖佃煮』として5代148年、今に至ります。


神茂
上記の番組でこちらも紹介されていた。おでん、かまぼこ、はんぺんの神茂だ。
神茂_1
神茂_2

東京・日本橋はかつて魚河岸があり、関東大震災で焼失し 築地に移るまでの三百余年、江戸の台所として賑わっていました。その当時、鮫のヒレは幕府の重要な輸出品で、 そのヒレを取った残りの鮫を利用して、半ぺんを造り始めました。
創始者が関西方面の神崎というところの出身だったので 、江戸時代には「神崎屋」という屋号を使っていましたが、 代々神崎屋茂三郎を襲名するようになり、 明治に入り「神茂」という屋号に改めました。
屋号は変わっても、半ぺんや蒲鉾ひとすじに精進してきた 伝統の味わいの評判は変らず、東京自慢名物会の木版画にも 「魚市場神茂」と題して、詠われております。

名物と世にめでられて昔より変わらぬ味の月の蒲鉾
「商売はあまりおおきくしてはいけないよ。きくするとどうしても目が行き届かなくなる。食べ物は一度まずいものを売って評判を落としたら、 二番が続かない。また買いに来ていただけるように、 ていねいにいい品を造ることがいちばん大事なんだよ」こうした先人の言葉が、神茂320年の伝統を支えています。

昼食に注文したつけ麺
鮒佐の隣の店で、特製つけ麺(大)を注文した。魚介スープのものだった。ちょっと重すぎたかなあ。
昼食に注文したつけ麺

 

中央区をぶらり(5)

日本橋(2)

日本橋が現在の石造二重アーチ橋に架け替えられて平成23年が百年目。今年は102年目ということになる。

双十郎河岸記念碑の建立
地元関係者としても、よほど話題を作りたかったんだ。その双十郎の一人、十二代目の團十郎は、今年66歳の生涯を閉じた。息子の行く末を思うと、まだまだ死にたくはなかったことだろう。合掌
平成23年7月31日(日)に開催された記念碑セレモニーでは、江戸時代に主に上方で行われていた興行イベントにならい、坂田藤十郎丈と市川團十郎丈による船乗り込みが催された。この両丈の乗り込みを記念して、かつての河岸は「双十郎河岸」と名付けられることになった。
双十郎河岸_1
双十郎河岸_2
船着場も造った
久しぶりの川遊びも面白そうなので、腹ごしらえした後で、乗って見ることにした。
架橋100周年を迎えた今年(平成23年)、日本橋川に江戸や明治時代のような活気を取り戻す布石として日本橋に船着場を開設し、遊覧船の運航を開始しました。 架橋百年祭を見物した後は、江戸に思いを馳せる川遊びも愉しんでいただければと思います。 街づくりは、地元住民だけではなく地元企業や行政との連携も欠かせません。三者が一体となって力を合わせて100年後の理想の日本橋をつくりあげていきたいと思っております。
日本橋に船着場を開設_1
日本橋に船着場を開設_2
日本橋に船着場を開設_3

日本橋魚市場発祥の地
小さな石碑と説明表示板とがあるだけだが、昔はここに魚河岸があった。それどころか、大正12(1923)年まで存続していたんだ。
日本橋魚河岸跡_1
日本橋魚河岸跡_2
日本橋魚河岸跡
 所在地 中央区日本橋室町一丁目八番地域
日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。この魚市は、日本橋川沿いの魚河岸を中心として、本船町・小田原町・安針町(現在の室町一丁目・本町一丁目一帯)の広い範囲で開かれ、大変な賑わいをみせていました。
なかでも、日本橋川沿いの魚河岸は、近海諸地方から鮮魚を満載した船が数多く集まり、江戸っ子たちの威勢の良い取引が飛交う魚市が立ち並んだ中心的な場所で、一日に千両の取引があるともいわれ、江戸で最も活気のある場所の一つでした。
江戸時代より続いた日本橋の魚河岸では、日本橋川を利用して運搬された魚介類を、河岸地に設けた桟橋に横付けした平田舟の上で取引し、表納屋の店先に板(板舟)を並べた売場を聞いて売買を行ってきました。
この魚河岸は、大正十二年(一九二三)の関東大震災後に現在の築地に移り、東京都中央卸売市場へと発展しました。
現在、魚河岸のあったこの場所には、昭和二十九年に日本橋魚市場関係者が建立した記念碑があり、碑文には、右に記したような魚河岸の発祥から移転に至るまでの三百余年の歴史が刻まれ、往時の繁栄ぶりをうかがうことができます。
 平成十九年三月 中央区教育委員会
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
徳川家康の関東入国の後、摂津から漁民が佃島に移り住み、幕府の膳所に供するために漁業を営みました。のち、日々上納する残りの鮮魚を舟板の上で並べて一般に販売するようになりました。これが日本橋魚河岸の始まりです。関東大震災まで、江戸および東京の台所として活況を呈していました。「日本橋 龍宮城の港なり」龍宮城の住人である海の魚がことごとく日本橋に集まったという意味です。記念碑は、乙姫を表しています。

 

中央区をぶらり(4)

日本橋(1)

地名のお江戸日本橋ではなく、橋の名前としての日本橋だ。現在の橋は明治44(1911)年に完成したもので、平成11(1999)年には国の重要文化財にも指定されている。

こんな橋
隅田川に注ぐ日本橋川に架かる石造の橋。この辺りの日本橋川は上を首都高速道路が走っていて、やや鬱陶しい感じになっている。
こんな橋_1
こんな橋_2

道路元標
道路元標のあるあの『日本橋』だ。車に轢かれたくはないので真上からのショットはない。目を凝らしてみれば、
日本国
 +
道路元標

と書かれているのがわかるはずだ。当たり前だが、東京まで0km地点だ。
道路元標_1
参考までに…FREE画像を借用
道路元標_2
そして、その真上にはこんなものがある。恥ずかしながら、この日まで上にこんなものがあったなんて知らなかった。東京市道路元標に似せたモニュメント(道路元標地点碑)なのだそうだ。
東京市道路元標に似せたモニュメント(道路元標地点碑)_2
東京市道路元標に似せたモニュメント(道路元標地点碑)_3
日本橋の北西に移設された東京市道路元標…FREE画像を借用
日本橋の北西に移設された東京市道路元標

麒麟像
映画「麒麟の翼」で一挙に有名な存在に。日本橋に本社があった頃は、ずっと見ていたはずなのに、当時は何の感慨も持たなかった。鈍感の謗りを甘んじて受けなければならないかも。
麒麟像_1
麒麟像_2
麒麟像_3

素敵な観光バスも通る
素敵な観光バスも通る

 

中央区をぶらり(3) 2013.05.25 16:00追記

常盤橋界隈にて

伝馬町牢は慶長年間、常盤橋際から移ったと書いてあった。ということは、その昔は、この辺に牢屋があったんだ。日銀本店の直ぐ目の前にだ。勿論今はアウトローなど無縁のビジネス街だが。

常盤橋公園
言わずと知れた渋沢栄一翁の銅像。壮年期の意気に燃えていた頃のイメージだろうか。
常盤橋公園は、江戸城の城門の一つ「常盤橋門」があったところです。昭和8年(1933)に財団法人渋沢青淵翁記念会(現在の渋沢栄一記念財団)によって復旧整備が行われ、旧東京市の公園(現在は千代田区立公園)となりました。残された城門の石垣は国の史跡に指定されています。
この公園の中で、ひときわ目をひくのが渋沢栄一の銅像です。「日本資本主義の父」にふさわしく、日本銀行を背に、大手町のビジネス街を見守るように堂々と立っています。

渋沢栄一翁の銅像_1
渋沢栄一翁の銅像_2

その近くの比較的高い木に咲いていた花
初めて見る花だが、何の木の花だろうか?
ijinさんに栴檀の木の花であると教えていただいた。「栴檀は双葉より芳(香)し」の「栴檀」は白檀を指すとのことだそうで、日本に紹介した際に取り違えがあったようだ。
何の木の花だろうか?_1
何の木の花だろうか?_2

常盤橋の下
カヌーを漕いでいる人達がいた。こんな綺麗とはいえない川で遊ばなくてもとこのときは思ったのだが。
常盤橋の下_1
常盤橋の下_2
常盤橋門
江戸城外濠の表正面で、現在は枡形門の石垣だけが残っています。この門は、浅草・千住を経て行く奥州街道の出口であったので、浅草口と呼ばれ、江戸五門のひとつにも数えられています。昭和3年(1928年)国の史跡に指定されました。


常盤橋門跡の写真があるHPへjump

 

中央区をぶらり(2)

日銀本店
次に向かったのは、日銀本店。黒田新総裁が大役を全うできるか注目の的となっているところだ。何度も前を通ったはずだが、情けないことに日銀本店は此処だと認識はできたものの、細部の記憶が殆ど無い。歩いて回らないとわからないものだ。
1974.02.05(昭和49.02.05)に国が指定した重要文化財である。

辰野金吾の代表作で、現存する明治洋風建築のうち、最も重要なものの一つ。三階建地下一階で、外壁は石積みの内側にレンガを積む。内外ともネオ・バロック様式にルネッサンス的意匠を加味している。関東大震災で被災し、一部改造されているが、外観と一階の大部分および二階の主要部などはよく当初の形態を残している。
新館と旧館、奥が南分館
日銀本店_1
日銀本店_2
日銀本店_3
日銀本店_4
日銀本店_5
日銀本店_6
日銀本店_7
日銀本店_8
日銀本店_9
日銀本店_10
日銀本店_11
日銀本店_12
日銀本店_13
通路を歩いているのは、私のように当日思いついて出かけたのではなく、前々から準備して見学の申し込みをもしていた団体だろう。
日銀本店_14

 

中央区をぶらり(1)

晴天で自宅に燻っているのがもったいない感じだったので、中央区をぶらぶらしてみた。
まずは、日比谷線の小伝馬町駅で十思(じっし)公園に向かう。


伝馬町の牢屋跡

当時は2618坪の広さがあったそうだ。今の公園だけではなく周囲一帯が敷地だったようだ。跡地に説明板があるだけで、何か寂しい感じだ。今でもそんな感じだが、明治15-6年ころは気味悪がって誰も近寄らない場所だったとのことだ。そこに、大安楽寺や身延別院がまず建てられ、怨念を鎮めようとしたようだ。

大安楽寺
高野山真言宗の大安楽寺は、明治15年、牢屋敷跡だった当地に誰も住み着かず、大倉喜八郎と安田善次郎が寄進して、創建されました。高野山の準別格本山で、江戸三十三観音霊場の5番札所です。
伝馬町の牢屋跡_大安楽寺_1
伝馬町の牢屋跡_大安楽寺_2
身延別院
伝馬町の牢屋跡_身延別院
十思公園
伝馬町の牢屋跡_十思公園_1
伝馬町の牢屋跡_十思公園_2
十思スクエア(旧十思小学校)
伝馬町の牢屋跡_十思スクエア(旧十思小学校)_1
伝馬町の牢屋跡_十思スクエア(旧十思小学校)_2

江戸三縁史蹟表示板
伝馬町牢は慶長年間、常盤橋際から移って明治八年市ヶ谷囚獄が出来るまで約二百七十年間存続し、この間に全国から江戸伝馬町獄送りとして入牢した者は数十万人を数えたといわれる。現在の大安楽寺、身延別院、村雲別院、十思小学校、十思公園を含む一帯の地が伝馬町牢屋敷跡である。当時は敷地総面積二六一八坪、四囲に土手を築いて土塀を廻し南西部に表門、北東部に不浄門があった。牢舎は揚座敷、揚屋、大牢、百姓牢、女牢の別があって、揚座敷は旗本の士、揚屋は士分僧侶、大牢は平民、百姓牢は百姓、女牢は婦人のみであった。今大安楽寺の境内の当時の死刑場といわれる所に地蔵尊があって、山岡鉄舟筆の鋳物額に「為囚死群霊離苦得脱」と記されてある。牢屋敷の役柄は牢頭に大番衆石出帯刀、御□(木+豕)場死刑場役は有名な山田浅右エ門、それに同心七十八名、獄丁四十六名、外に南北両町奉行から与力一人月番で牢屋敷廻り吟味に当たったという。伝馬町獄として未曾有の大混乱を呈した安政五年九月から同六年十二月までの一年三ヶ月の期間が即ち安政の大獄で吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等五十余人を獄に下し、そのほとんどを刑殺した。その後もこゝで尊い血を流したものは前者と合わせて九十六士に及ぶという。これ等愛国不尽忠の士が石町の鐘の音を聞くにつけ「わが最期の時の知らせである」と幾度となく覚悟した事であろう。尚村雲別院境内には勤王志士九十六名の祠と木碑が建てられてある。
          昭和二十九年十一月
      江戸史跡保存協賛会


吉田松陰処刑の地
吉田松陰像(山口県文書館蔵)
吉田松陰

揚屋を出る松陰は「今吾れ国の為に死す 死して君親に背かず 悠々たり天地の事 鑑照明神に在り」の詩を高らかに朗吟して同囚の士に訣れを告げた。次いで刑場では「身はたとひ」の歌を朗誦して従容として刑についたそうだ。

「松陰先生終焉之地 文部大臣男爵荒木貞夫書」
松陰先生終焉之地の碑
「身はたとひ武さしの野辺に朽ちぬともとゞめ置かまし大和魂」十月念五日 二十一回猛士
松陰の遺書とされる留魂録の冒頭の句
松陰の遺書とされる留魂録の冒頭の句
処刑された場所は此処だとされている
処刑された場所_1
処刑された場所_2

吉田松陰先生終焉之地
吉田松陰先生は天保元年(西暦一八三〇年)八月四日長州萩の東郊松本村で杉家の二男として生まれた。幼い頃に吉田家をついだ。成人しての名を寅次郎という。吉田家は代々山鹿流兵学師範の家であったので、早くから山鹿流兵学その他の学問を修め、その道を究めて、子弟の教育につとめた偉人である。安政元年三月師の佐久間象山のすゝめで海外渡航を計画し、下田から米艦に便乗しようとして失敗、下田の獄につながれたが伝馬町獄送りとなって途中、高輪泉岳寺の前で詠んだのが有名な次の歌である。「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」同年九月まで約六ヶ月間伝馬町獄に留置されていたが、国元萩に謹慎の身となって帰って後の松下村塾での教育が最も偉大な事業であろう。薫陶を受けた中から有爵者六名、贈位者十七名、有位者十四名等多くの著名の士が出て中でも伊藤博文、山県有朋、木戸孝允等は、明治維新の大業に勲功のあった人物である。わが国歴史の上での三大変革といえば大化の改新、鎌倉幕府の創立、明治維新の三であるが、その明治維新にこれら松下村塾生の動きが大きな力となったことを深く考えたいのである。後松陰は安政の大獄に連座して再び伝馬町獄に入牢となった。安政六年七月九日江戸の長州藩邸から初めて評定所に召出されたが、その時「まち得たる時は今とて武蔵野よいさましくも鳴くくつわ虫かな」と決心を歌にのべている。しかし幕府の役人を動かすことが出来ず、その後の三回の取調べで死刑を覚悟した十月二十二日に父、叔父、兄へ宛て永訣の書を送っているがその中にあるのが「親思ふ心にまさる親ごころけふのおとづれ何と聞くらん」の一首である。また処刑の時の近づいたのを知って十月廿五日より廿六日の黄昏までかゝって書きあげたのが留魂録でその冒頭に「身はたとひ武さしの野辺に朽ちぬともとゞめ置かまし大和魂」十月念五日 二十一回猛士 と記してある。松陰はこれを同囚で八丈島に遠島になった沼崎吉五郎に托したが二十年後当時神奈川県令で塾生であった野村靖に手渡したものが現在残っている留魂録である。それによって当時の法廷の模様、訊問応答の次第、獄中の志士の消息等がわかり、自己の心境と塾生の行くべき道を示したもので崇高な松陰魂の指南書ともいえるものである。安政六年十月二十七日は処刑の日であった。揚屋を出る松陰は次の詩を高らかに朗吟して同囚の士に訣れを告げたのである。「今吾れ国の為に死す 死して君親に背かず 悠々たり天地の事 鑑照明神に在り」継いで刑場では「身はたとひ」の歌を朗誦して従容として刑についた。行年三十歳明治廿二年二月十一日正四位を贈位され昭和十四年六月十思小学校々庭に留魂碑が建設された。


石町時の鐘
『何だかなあ』というのが正直な感想。もう少し和風の鐘楼にでもすればよかったのに。この一角で最も残念な感じだ。
石町時の鐘_1
石町時の鐘_2
江戸時代には鐘をついて人々に時刻を報せていました。この鐘は、石町(現在の日本橋室町4丁目付近)にあったもので、近くに長崎屋があったため、「石町の鐘はオランダまで聞こえ」の川柳があります。宝永8年(1711年)に鋳直したもので、(徳川家宣時代)高さ1.7メートル、口径93センチの和鐘です。現在は、十思公園に鐘楼を、設けて納めてあります。

 

馬事公苑にて(15)

トップスコア競技(3)
こちらは優勝した人馬の様子。さすが高得点のところを中心に効率よく回っていた。青(優勝)、赤(2位)、黄(3位)だから、3人の中ではそれまでの序列は下だったのかもしれないが、この競技では積極果敢さが功を奏して見事優勝に輝いた。
武道芙祐&ラタミールタリトー(駿ホースクラブ)
細かいコメントは前回記事を参照いただきたい。此処は何も言わず、優勝のパフォーマンスを見ていこう。
武道芙祐&ラタミールタリトー_1
武道芙祐&ラタミールタリトー_2
武道芙祐&ラタミールタリトー_3
武道芙祐&ラタミールタリトー_4
武道芙祐&ラタミールタリトー_5
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武道芙祐&ラタミールタリトー_7
武道芙祐&ラタミールタリトー_8
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武道芙祐&ラタミールタリトー_22
武道芙祐&ラタミールタリトー_23
武道芙祐&ラタミールタリトー_24
武道芙祐&ラタミールタリトー_25
武道芙祐&ラタミールタリトー_26
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武道芙祐&ラタミールタリトー_28
武道芙祐&ラタミールタリトー_29
武道芙祐&ラタミールタリトー_30
武道芙祐&ラタミールタリトー_31
武道芙祐&ラタミールタリトー_32
武道芙祐&ラタミールタリトー_33
武道芙祐&ラタミールタリトー_34
武道芙祐&ラタミールタリトー_35
武道芙祐&ラタミールタリトー_36
武道芙祐&ラタミールタリトー_37
武道芙祐&ラタミールタリトー_38
武道芙祐&ラタミールタリトー_39
武道芙祐&ラタミールタリトー_40
武道芙祐&ラタミールタリトー_41
武道芙祐&ラタミールタリトー_42
武道芙祐&ラタミールタリトー_43
武道芙祐&ラタミールタリトー_44
武道芙祐&ラタミールタリトー_45
武道芙祐&ラタミールタリトー_46
武道芙祐&ラタミールタリトー_47
武道芙祐&ラタミールタリトー_48
武道芙祐&ラタミールタリトー_49
武道芙祐&ラタミールタリトー_50
武道芙祐&ラタミールタリトー_51
武道芙祐&ラタミールタリトー_52
武道芙祐&ラタミールタリトー_53
武道芙祐&ラタミールタリトー_54
武道芙祐&ラタミールタリトー_55
武道芙祐&ラタミールタリトー_56
武道芙祐&ラタミールタリトー_57
武道芙祐&ラタミールタリトー_58
武道芙祐&ラタミールタリトー_59
武道芙祐&ラタミールタリトー_60
武道芙祐&ラタミールタリトー_61
武道芙祐&ラタミールタリトー_62
武道芙祐&ラタミールタリトー_63
武道芙祐&ラタミールタリトー_64
武道芙祐&ラタミールタリトー_65
武道芙祐&ラタミールタリトー_66

1230点獲得!!見事優勝だ。私は、なかなか彼女の動きが読めずに苦労してしまった。縦横無尽に駈けまくり跳びまくったような印象だった。

以上で馬事公苑におけるホースショーの特集を終了します。延々と馬さんの写真を続けてしまい、お見苦しい点が多々あったと思います。大変ご迷惑をお掛けしました。m(_ _)m
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

馬事公苑にて(14)

トップスコア競技(2)
こちらは2位入賞の人馬の様子。やはり青タスキ(優勝)2本の実力は凄い。
佐々ゆかり&宝林(明松寺馬事公苑)
佐々ゆかり&宝林_1
佐々ゆかり&宝林_2
佐々ゆかり&宝林_3
佐々ゆかり&宝林_4
佐々ゆかり&宝林_5
佐々ゆかり&宝林_6
視線から次は右手の障害に行くことがわかる
佐々ゆかり&宝林_7
佐々ゆかり&宝林_8
早くも急旋回だが、かなり厳しいぞ
佐々ゆかり&宝林_9
佐々ゆかり&宝林_10
こちらのカメラのピントが間に合わない
佐々ゆかり&宝林_11
佐々ゆかり&宝林_12
漸くピントが追いついた
佐々ゆかり&宝林_13
物凄いアシストぶりだ
佐々ゆかり&宝林_14
佐々ゆかり&宝林_15
佐々ゆかり&宝林_16
佐々ゆかり&宝林_17
佐々ゆかり&宝林_18
佐々ゆかり&宝林_19
越えられれば+200点、越えられなければ-200点のジョーカーだ。かなり高くて難関のようだ。
佐々ゆかり&宝林_20
佐々ゆかり&宝林_21
佐々ゆかり&宝林_22
佐々ゆかり&宝林_23
佐々ゆかり&宝林_24
佐々ゆかり&宝林_25
難なくジョーカーをクリアだ
佐々ゆかり&宝林_26
佐々ゆかり&宝林_27
次は120点の跳躍だ
佐々ゆかり&宝林_28
跳んでいる最中から隣のジョーカー方面を見ている。すぐ行くのだろうか。
佐々ゆかり&宝林_29
佐々ゆかり&宝林_30
佐々ゆかり&宝林_31
佐々ゆかり&宝林_32
またジョーカーに行くぞ
佐々ゆかり&宝林_33
佐々ゆかり&宝林_34
佐々ゆかり&宝林_35
2度めのジョーカー挑戦だ。
佐々ゆかり&宝林_36
佐々ゆかり&宝林_37
佐々ゆかり&宝林_38
佐々ゆかり&宝林_39
佐々ゆかり&宝林_40
ジョーカー跳躍にまたもや成功。一挙に高得点になった。
佐々ゆかり&宝林_41
佐々ゆかり&宝林_42
佐々ゆかり&宝林_44
佐々ゆかり&宝林_45
佐々ゆかり&宝林_46
佐々ゆかり&宝林_47
またもや120点の跳躍時にこちらを見ている。もうジョーカーは終わってしまったから、私の前の障害に来るだろう。
佐々ゆかり&宝林_48
佐々ゆかり&宝林_49
佐々ゆかり&宝林_50
佐々ゆかり&宝林_51
佐々ゆかり&宝林_52
私の目の前の障害に来た。頑張れ!!
佐々ゆかり&宝林_53
佐々ゆかり&宝林_54
佐々ゆかり&宝林_55
佐々ゆかり&宝林_56
佐々ゆかり&宝林_57
佐々ゆかり&宝林_58
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佐々ゆかり&宝林_65
佐々ゆかり&宝林_66
佐々ゆかり&宝林_67
佐々ゆかり&宝林_68
佐々ゆかり&宝林_69
佐々ゆかり&宝林_70

1220点獲得!!この時点では首位に立った。この後にわずか10点差で上を行く人馬があり、惜しくも2位に終わった。でも、印象に残る見事な跳躍だった。私の予想コースを跳んでくれた。

 

馬事公苑にて(13)

トップスコア競技(1)
トップスコア競技はかなり荒っぽい競技だが、その分面白い。上位入賞者は素晴らしいパフォーマンスを披露していた。
多少カメラワークに難ありだが、3位入賞から見てみよう。


荒木梨花&ミスティカル(乗馬クラブリバーサイドステーブル浜北)
荒木梨花&ミスティカル_1
荒木梨花&ミスティカル_2
荒木梨花&ミスティカル_3
荒木梨花&ミスティカル_4
荒木梨花&ミスティカル_5
荒木梨花&ミスティカル_6
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荒木梨花&ミスティカル_8
荒木梨花&ミスティカル_9
荒木梨花&ミスティカル_10

荒木梨花&ミスティカル_11
荒木梨花&ミスティカル_12
荒木梨花&ミスティカル_13
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荒木梨花&ミスティカル_20

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荒木梨花&ミスティカル_30

荒木梨花&ミスティカル_31
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荒木梨花&ミスティカル_40
急旋回して制御不能にならないか心配になるほど
荒木梨花&ミスティカル_41
荒木梨花&ミスティカル_42
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荒木梨花&ミスティカル_50
タイムアップ寸前
荒木梨花&ミスティカル_51
荒木梨花&ミスティカル_52
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荒木梨花&ミスティカル_58
荒木梨花&ミスティカル_59

1210点獲得。凄い高得点が出た!!可愛い顔だけど、凄いガッツと腕前とを持っていた。

 

馬事公苑にて(12)

トップスコア競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見
選手自身が選んだコースで飛越する点取り競技なので、下見をする選手たちの目は、真剣そのものだ。この競技だけは、TVゲーム世代のほうが向いているのかもしれない。
最優秀選手賞のポイント対象競技には含まれていないようだ。
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_1
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_2
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_3
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_4
このハデハデしいコスチュームの選手たちはJRAの騎手の卵
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_5
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_6
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_7
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_8
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_9
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_10
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_11
やはりジョーカーをどう跳躍するかがかなり気になっている様子だ
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_12
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_13
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_14
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_15
強豪の証とでも言うべきタスキをさり気なくちらつかせているのかなあ
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_16
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_17
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_18
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_19
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_20
TS競技前のコースセッティング状況の選手たちの下見_21

トップスコア競技:
この競技は、難度に応じた点数が付けられた障害物を、規定時間内に選手自身が選んだコースで飛越する点取り競技です。各障害はどちらの方向からでも飛越でき、同じ障害を2回まで飛越できます。
無過失で飛越した時のみ得点が加算され、最高得点を得たものが勝者となります。
障害物の中に1つあるジョーカー障害は、完飛すると高得点が与えられますが、万が一落下すると同じ点数分だけ減点となり、得点に大きく影響します。
ジョーカーへの挑戦は、馬の調子と騎手の決断によるもので、この競技の見どころといえます。

 

馬事公苑にて(11)

フリーダムホースショー(2)

こんな芸当も
こんな芸当も_1
こんな芸当も_2
こんな芸当も_3
こんな芸当も_4
こんな芸当も_5
こんな芸当も_6
こんな芸当も_7
こんな芸当も_8
こんな芸当も_9
こんな芸当も_10
こんな芸当も_11
こんな芸当も_12
こんな芸当も_13
こんな芸当も_14
こんな芸当も_15
前のお馬鹿さんが急に立ち上がったので撮り損ねたがへそ天になったのだ
こんなことまで_1
こんなことまで_2
こんなことまで_3
こんなことまで_4
こんなことまで_5
こんなことまで_6
こんなことまで_7
こんなことまで_8
こんなことまで_9
さらにこんな芸当も
さらにこんな芸当も_1
さらにこんな芸当も_2
さらにこんな芸当も_3
さらにこんな芸当も_4
さらにこんな芸当も_5
さらにこんな芸当も_6
さらにこんな芸当も_7
さらにこんな芸当も_8
さらにこんな芸当も_9
さらにこんな芸当も_10
さらにこんな芸当も_11
さらにこんな芸当も_12
さらにこんな芸当も_13
さらにこんな芸当も_14
さらにこんな芸当も_15
さらにこんな芸当も_16
さらにこんな芸当も_17
さらにこんな芸当も_18
さらにこんな芸当も_19
さらにこんな芸当も_20
さらにこんな芸当も_21
さらにこんな芸当も_22
さらにこんな芸当も_23
さらにこんな芸当も_24
さらにこんな芸当も_25
さらにこんな芸当も_26
さらにこんな芸当も_27
さらにこんな芸当も_28
さらにこんな芸当も_29
さらにこんな芸当も_30
さらにこんな芸当も_31
さらにこんな芸当も_32
さらにこんな芸当も_33
さらにこんな芸当も_34
さらにこんな芸当も_35
さらにこんな芸当も_36
さらにこんな芸当も_37
さらにこんな芸当も_38
さらにこんな芸当も_39
さらにこんな芸当も_40
さらにこんな芸当も_41
さらにこんな芸当も_42
さらにこんな芸当も_43
さらにこんな芸当も_44
さらにこんな芸当も_45
さらにこんな芸当も_46
さらにこんな芸当も_47
さらにこんな芸当も_48
さらにこんな芸当も_49
さらにこんな芸当も_50
さらにこんな芸当も_51
さらにこんな芸当も_52

面白いショーを見せてもらった。観客も大満足の様子だった。

 

馬事公苑にて(10)

フリーダムホースショー(1)
裸馬を巧みに操る見事な技の一部を紹介する

シェフの川越達也氏に似た感じのイケメン調教師登場
イケメン調教師登場
裸馬に騎乗しての縄跳び
鞍を装着していない裸馬に乗るのはかなり難しいことだそうだ。それに加えて、人馬一体で縄跳びを行うという。素晴らしい芸当だ。たぶん、膝で挟み付けるようにして馬を制御しているのだろうが、言うは易し行うは難しのことだろう。
裸馬に騎乗しての縄跳び_1
裸馬に騎乗しての縄跳び_2
裸馬に騎乗しての縄跳び_3
裸馬に騎乗しての縄跳び_4
裸馬に騎乗しての縄跳び_5
裸馬に騎乗しての縄跳び_6
裸馬に騎乗しての縄跳び_7
裸馬に騎乗しての縄跳び_8
裸馬に騎乗しての縄跳び_9
裸馬に騎乗しての縄跳び_10
裸馬に騎乗しての縄跳び_11
走行中の裸馬の上で立ち上がる
走行中の裸馬の上で立ち上がる_1
走行中の裸馬の上で立ち上がる_2
走行中の裸馬の上で立ち上がる_3
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走行中の裸馬の上で立ち上がる_6
走行中の裸馬の上で立ち上がる_8
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走行中の裸馬の上で立ち上がる_14
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走行中の裸馬の上で立ち上がる_16
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走行中の裸馬の上で立ち上がる_18
走行中の裸馬の上で立ち上がる_19
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_1
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_2
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_3
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_4
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_5
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_6
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_7
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_8
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_9
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_10
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_11
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_12
停止中の裸馬の上でぐるり一わまり_13

Freedom Horse Show ~白馬との調和~(白馬の演技)
一切の道具から解放された馬を地上から操るという独自の調教法による演技。この人馬のコンビが繰り広げる演技は、馬が実に自由に、自然に楽しそうに走りまわりながら調教師の指示通りにさまざまな技を披露するところがみどころです。調教師が犬と遊ぶように馬と遊びながら、呼んだら人の後を付いてきたり、馬に後ろ向きに乗ったり、走る馬の上に立って乗ったりと、馬と会話をしながら人馬一体の境地をお見せします。

 

馬事公苑にて(9)

出場番号29番の人馬(2)
ジャンプオフ
続いて出場番号29番の人馬のジャンプオフの時の様子。こちらもまた甲乙つけがたい素晴らしい競技内容だった。
難関の社会福祉士のライセンス所有者か。頑張り屋さんなんだ。その上、国体でも個人優勝。素晴らしい。
2001 宮城国体 少年スピード&ハンディネス 優勝
2010/2011 JRAホースショーグランプリ大障害 優勝
2010 千葉国体 成年女子標準障害飛越 優勝
2011 山口国体 成年女子トップスコア 優勝 / 標準障害飛越 優勝

出場番号29番_ジャンプオフ_1
出場番号29番_ジャンプオフ_2
出場番号29番_ジャンプオフ_3
出場番号29番_ジャンプオフ_4
出場番号29番_ジャンプオフ_5
出場番号29番_ジャンプオフ_6
出場番号29番_ジャンプオフ_7
出場番号29番_ジャンプオフ_8
出場番号29番_ジャンプオフ_9
出場番号29番_ジャンプオフ_10
出場番号29番_ジャンプオフ_11
素晴らしい。こちらも減点0だった。

本番競技でも、ジャンプオフでも、2選手とも共に減点0。実に見事な成績だった。減点では勝負がつかず、次なる勝負基準である走行タイムがわずかに速かった斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉組が優勝を飾った。

 

馬事公苑にて(8)

出場番号9番の人馬(2)
ジャンプオフ
続いて出場番号9番の人馬のジャンプオフの時の様子。こちらは目を凝らしてよく見た。素晴らしい競技内容だった。
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_1
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_2
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_3
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_4
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_5
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_6
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_7
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_8
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_9
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_10
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_11
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_12
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_13
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_14
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_15
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_16
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_17
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_18
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_19
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_20
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_21
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_22
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_23
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_24
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_25
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_26
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_27
出場番号9番の人馬_ジャンプオフ_28

今回も減点0で上がり、出場番号29番の人馬、広田思乃&ライフイズビューティフル〈那須トレーニングファーム〉の出来を待つことになった。これ以上ないくらいの強烈なプレッシャをかけたことになる。

 

ある日の目黒川沿い

暫く歩いていなかった目黒川沿い。実に久しぶりに歩いた。馬の話ばかりを延々と続けるのは如何かと思い、Change of Paceというところで取り上げた。

舟入場付近
中央環状品川線中目黒換気所
中央環状品川線中目黒換気所_1
中央環状品川線中目黒換気所_2
舟入場公園
舟入場公園_1
舟入場公園_2
舟入場公園_3
舟入場公園_4
アオサギとカルガモとがいた
舟入場公園下の目黒川

目黒川沿い
厚労省が所管する実務部隊の跡。樹木などで極力目立たないようにしている。
厚労省が所管する実務部隊の跡_1
厚労省が所管する実務部隊の跡_2
桜の頃は見事な光景なのだろう
目黒川_1
目黒川_2
目黒川_3
目黒川_4
目黒川_5

中目黒公園
中目黒公園の花_1
中目黒公園の花_2
中目黒公園の花_3
中目黒公園の花_4
中目黒公園の花_5
中目黒公園の花_6
中目黒公園の花_7
中目黒公園の花_8
中目黒公園の花_9
中目黒公園の花_10
中目黒公園の花_11
中目黒公園の花_12
マルベリー・ビクトリア
中目黒公園の花_13
中目黒公園の花_14
中目黒公園の花_15
中目黒公園の花_16
中目黒公園の花_17
中目黒公園の花_18
中目黒公園の花_19

 

馬事公苑にて(7)

減点0の2組による決戦〈ジャンプオフ〉(2)
出場番号29番の人馬(1)
広田思乃&ライフイズビューティフル〈那須トレーニングファーム〉
本番競技
同様に、本番競技の時の様子を確認しておく。特徴ある模様のライフイズビューティフルに騎乗した広田選手。女性の騎乗らしくエレガントさがあったように思った。それでいて、積極果敢さもあった。こちらは、初日の中障害A競技で、3位入賞を果たしている。
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_1
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_2
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_3
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_4
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_5
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_6
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_7
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_8
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_9
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_10
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_11
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_12
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_13
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_14
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_15
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_16
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_17
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_18
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_19
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_20
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_21
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_22
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_23
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_24
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_25
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_26
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_27
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_28
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_29
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_30
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_31
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_32
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_33
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_34
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_35
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_36
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_37
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_38
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_39
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_40
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_41
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_42
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_43
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_44
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_45
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_46
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_47
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_48
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_49
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_50
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_51
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_52
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_53
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_54
広田思乃&ライフイズビューティフル_本番時_55

斯くして、難なく飛び終えた。凄い。彼女は中障害A競技が本当に得意種目のようだ。ファインダー越しにはかなりの美人に見えた。ジャンプオフがますます楽しみになった。

 

馬事公苑にて(6)

減点0の2組による決戦〈ジャンプオフ〉(1)
コースセッティングを多少変え、基準タイムオーバーは1秒に付き減点1と厳しくなる。早く正確に跳躍しないと勝てないということになる。今回は減点0記録組が2組だった。

出場番号9番の人馬(1)
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉
本番競技
ジャンプオフの前に本番競技の時の様子を確認しておく。出場番号が若かったので、まさか減点0で上がるとは思いもしなかった。しかし、タスキを2本(大障害とグランプリ大障害とで、それぞれ2位入賞)掛けているのは、なかなかの実力がある印。ちょっと撮る側に油断ありだった。男性の騎乗らしく力強さがあったように思った。
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_1
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_2
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_3
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_4
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_5
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_6
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_7
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_8
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_9
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_10
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_11
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_12
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_13
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_14
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_15
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_16
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_17
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_18
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_19
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_20
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_21
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_22
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_23
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_24
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_25
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_26
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_27
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_28
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_29
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_30
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_31
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_32
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_33
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_34
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_35
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_36
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_37
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_38
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_39
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_40
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_41
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_42
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_43
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_44
斉藤功貴&テレキシオ〈北総乗馬クラブ〉_本番_45

以上が本番競技時の様子だ。減点0だからこそ残ったのだが、素晴らしい内容だった。次回はもう1組の本番時減点0の競技の様子を取上げる。

 

馬事公苑にて(5)

警視庁第三方面交通機動隊騎馬隊によるレプリーズ(2)
CANON EOS 60Dで撮影
レプリーズ CANON EOS 60D_16
レプリーズ CANON EOS 60D_17
レプリーズ CANON EOS 60D_18
レプリーズ CANON EOS 60D_19
レプリーズ CANON EOS 60D_20
レプリーズ CANON EOS 60D_21
レプリーズ CANON EOS 60D_22
レプリーズ CANON EOS 60D_23
レプリーズ CANON EOS 60D_24
レプリーズ CANON EOS 60D_25
レプリーズ CANON EOS 60D_26
レプリーズ CANON EOS 60D_27
レプリーズ CANON EOS 60D_28
レプリーズ CANON EOS 60D_29
レプリーズ CANON EOS 60D_30
レプリーズ CANON EOS 60D_31
レプリーズ CANON EOS 60D_32
レプリーズ CANON EOS 60D_33
レプリーズ CANON EOS 60D_34
レプリーズ CANON EOS 60D_35

FUJIFILM X20で撮影
レプリーズ FUJIFILM X20_3

演技終了後のファンサービス
演技終了後のファンサービス_1
演技終了後のファンサービス_2

次回は中障害Aのジャンプオフに戻る

 

馬事公苑にて(4)

中障害Aノーマル競技の本番競技が終わり、引き続き減点0の2組による決戦〈ジャンプオフ〉が行われた。続けて取り上げるとかなり疲れると思うので、その前に息抜きで、レプリーズを取上げる。
ジャンプオフが行われている間に、既に始まっていて途中からの紹介となる。あまりに枚数が多くなるので、間引いたうえで2回に分けて紹介する。少しシーンが飛ぶように思われるかもしれないが、実際の演技は統制のとれた素晴らしいものであった。


警視庁第三方面交通機動隊騎馬隊によるレプリーズ(1)
FUJIFILM X20で撮影
レプリーズ FUJIFILM X20_1
レプリーズ FUJIFILM X20_2
CANON EOS 60Dで撮影
赤のコスチュームの2人も頑張って華麗な演技を披露していた
レプリーズ CANON EOS 60D_1
レプリーズ CANON EOS 60D_2
レプリーズ CANON EOS 60D_3
レプリーズ CANON EOS 60D_4
レプリーズ CANON EOS 60D_5
レプリーズ CANON EOS 60D_6
レプリーズ CANON EOS 60D_7
レプリーズ CANON EOS 60D_8
レプリーズ CANON EOS 60D_9
レプリーズ CANON EOS 60D_10
レプリーズ CANON EOS 60D_11
レプリーズ CANON EOS 60D_12
レプリーズ CANON EOS 60D_13
レプリーズ CANON EOS 60D_14
レプリーズ CANON EOS 60D_15

 

馬事公苑にて(3)

中障害Aノーマル競技(2)
ある人馬ペア(中村もね選手&ウインドフォール、佐倉ライディングクラブ所属)の競技後半
出場番号7番未だノーミス
出場番号7番後半_1
出場番号7番後半_2
出場番号7番後半_3
出場番号7番後半_4
出場番号7番後半_5
出場番号7番後半_6
中盤のきつい3連続ジャンプに差し掛かる。依然ノーミスだ。
出場番号7番後半_7
出場番号7番後半_8
出場番号7番後半_9
出場番号7番後半_10
出場番号7番後半_11
出場番号7番後半_12
出場番号7番後半_13
出場番号7番後半_14
出場番号7番後半_15
出場番号7番後半_16
出場番号7番後半_17
出場番号7番後半_18
出場番号7番後半_19
出場番号7番後半_20
出場番号7番後半_21
出場番号7番後半_22
出場番号7番後半_23
もう一度踏みとどまる
出場番号7番後半_24
出場番号7番後半_25
さあ、最後の3連続ジャンプだ。時間がないぞ、ちょいと急いで頑張れ!!
出場番号7番後半_26
出場番号7番後半_27
出場番号7番後半_28
出場番号7番後半_29
出場番号7番後半_30
出場番号7番後半_31
出場番号7番後半_32
出場番号7番後半_33
出場番号7番後半_34
出場番号7番後半_35
出場番号7番後半_36
出場番号7番後半_37
出場番号7番後半_38
出場番号7番後半_39
出場番号7番後半_40
出場番号7番後半_41
出場番号7番後半_42

結果は規定時間超過の減点3と一つの障害落下の減点4の合計減点7で、全体順位は中程の14位だった。お疲れ様。

 

馬事公苑にて(2)

グラスアリーナの様子
芝生が見事に育成されていて、ここで競技をするのは人馬ともに最高に気持ちが良いことだろうと思った。
グラスアリーナの様子_1
グラスアリーナの様子_2
グラスアリーナの様子_3

中障害Aノーマル競技(1)
中障害Aノーマル競技は、高さ140cm以内、幅160cm以内、個数13個以内、速度350~400m/分以内の比較的難しいクラスの馬術競技で、主なルールとしては、障害物を落とした場合は減点4、規定時間の超過が4秒毎に減点1と言うふうな減点方式の馬術競技である。障害を落とさず制限時間以内で戻ってこれるかという競技で、減点数が少ないものが上位となる。
ある人馬ペア(中村もね選手&ウインドフォール、佐倉ライディングクラブ所属)の競技前半
出場番号7番の出来はどうだっただろうか?冒頭のショットの電光掲示は前の人馬のもの。
ある人馬ペアの競技前半_1
ある人馬ペアの競技前半_2
ある人馬ペアの競技前半_3
ある人馬ペアの競技前半_4
ある人馬ペアの競技前半_5
ある人馬ペアの競技前半_6
ある人馬ペアの競技前半_7
ある人馬ペアの競技前半_8
ある人馬ペアの競技前半_9
ある人馬ペアの競技前半_10
ある人馬ペアの競技前半_11
ある人馬ペアの競技前半_12
ある人馬ペアの競技前半_13
ある人馬ペアの競技前半_14
ある人馬ペアの競技前半_15
ある人馬ペアの競技前半_16
おっと危ない。落馬しかかって、大きなどよめきが。
ある人馬ペアの競技前半_17
何とか踏みとどまって体勢を立て直した
ある人馬ペアの競技前半_18
ある人馬ペアの競技前半_19
ある人馬ペアの競技前半_20
ある人馬ペアの競技前半_21
ある人馬ペアの競技前半_22
ある人馬ペアの競技前半_23
ある人馬ペアの競技前半_24

 

馬事公苑にて(1)

5月3-5日、世田谷の馬事公苑でホースショーというイベントが開かれた。最終日のイベントを見に出かけた。下の写真のような馬術競技会や騎馬警官隊のアトラクションなどが無料で楽しめるのだ。自宅から遠くもないし、みすみす見逃す手はない。天気も良かったので、張り切って出かけた。
中障害Aノーマル競技の様子_1
中障害Aノーマル競技の様子_2
中障害Aノーマル競技の様子_3

中障害Aノーマル競技等に出場する人馬の練習光景
中障害Aノーマル競技等に出場する人馬の練習光景_1
中障害Aノーマル競技等に出場する人馬の練習光景_2
中障害Aノーマル競技等に出場する人馬の練習光景_3
中障害Aノーマル競技等に出場する人馬の練習光景_4
中障害Aノーマル競技等に出場する人馬の練習光景_5
中障害Aノーマル競技等に出場する人馬の練習光景_6
中障害Aノーマル競技等に出場する人馬の練習光景_7

 

三渓園(18)

大池(4)
もう一度大池を眺めながら、三渓園見学を終えることにする
観心橋
観心橋_1
観心橋_2
涵花亭
近くで見るとごく普通の四阿に見えるが、遠目には凄く美しく見えた
涵花亭
池畔
池畔_1
池畔_2
池畔_3
一周して戻った辺り
一周して戻った辺り_1
一周して戻った辺り_2
八つ橋
この辺は菖蒲畑になっているようだ。季節が到来すれば、また見どころが増える
八つ橋

18回にわたり続けてきた『三渓園』は今回で終了です。最後までお付き合いいただき大変有難うございました。

 

今井聖書館講堂

私の自宅からそんなに遠くない場所に、今井聖書館講堂がある。この講堂は無教会派の内村鑑三の活動拠点だった建物で、東京府の道路整備計画ため取り壊しを余儀なくされたため、1935年に当地に移築された。
此処は教会ではなく、あくまでも聖書の講義を行うための講堂だったのだ。

表で写真を撮っていたら、中を見せてもらえることになった。有難く講堂に入って、見学させていただき、説明を伺い、写真をも撮らせていただいた。親切な申し出に感謝。

外観
向かって右側の今井館資料館は近年に建築されたもの。
今井聖書館講堂外観_1
今井聖書館講堂外観_2
今井聖書館講堂外観_3
今井聖書館講堂外観_4
内部
今井聖書館講堂内部_1
そんな不届きなものはいなかったと思うが、この大きさでは居眠りなどしようものなら内村鑑三から丸見えだったはずだ。でもそんな受講者はいなかったはずだろうから、内村鑑三は受講者の表情を見ながら説明していったのではないかと思うが、果たしてどうだったのか。
今井聖書館講堂内部_2
若き日の内村鑑三
若き日の内村鑑三_1
若き日の内村鑑三_2
晩年の内村鑑三
晩年の内村鑑三
矢内原忠雄
内村鑑三の弟子で、東大総長を務めた矢内原忠雄。第二次大戦後、彼もここ目黒区中根で日曜の聖書講義をおこなったそうだ。私が学生の頃は、ご子息の矢内原勝教授が活躍されていた。
矢内原忠雄
演壇・机・椅子
演壇だけは当時より少し低くしたとのことだが、机と椅子は内村鑑三が使用していた実物だそうだ。
内村鑑三が使用していた演壇・机・椅子_1
内村鑑三が使用していた演壇・机・椅子_2
今井館聖書講堂は、1907年、大阪の香料商、今井樟太郎(1869~1906)の意思にもとづき、未亡人信子から内村鑑三に寄贈された。贈り主の名にちなんで、今井館聖書講堂と呼ばれる。もと柏木の内村邸内にあったが、彼の死後、1935年に、東京府の道路整備計画ため取り壊しを余儀なくされたおり、門下有志(柏木教友会)の手で現在地に移築された。第二次大戦後は、矢内原忠雄(1893~1961)、山田幸三郎(1888~1972)がここで日曜の聖書講義をおこなった。現在は無教会キリスト教の伝道集会や各種の会合、催しなどに使われている。

 

FUJIFILM X20での撮影テスト

先日、FUJIFILM X20を使用した撮影でうまく撮れないときが続いた。これは一大事とばかりにFUJIFILMに修理を依頼したが、検査の結果、全て異常なしとの事だった。
『本当かいな』と思いつつも、一応は送り返してもらった。ちょっと試し撮りをした感じでは、かなり良さそうな感触。少し、様子を見ることにした。もし良かったならばの話だが、9月の旅行時にはこのカメラだけを抱えていこうと思っているので、テストは念入りに行なった。
テストなので、2-3日に亘って目につくものを何の脈絡もなく撮りまくった。残念ながらうまく撮れなかった理由はよくわからなかったが、まずまずの写り具合だった。今のところ海外旅行携行に支障は無さそうでひと安心。以下はそのときに撮った写真。


見かけた花たち
花_1
花_2
花_3
花_4
花_5
花_6
花_7
ミドリガメ
ミドリガメ_1
ミドリガメ_2
柿の木坂陸橋
柿の木坂陸橋

孫
筍がこんなに大きく
筍がこんなに大きく_1
筍がこんなに大きく_2
電柱での作業中
電柱での作業中_1
電柱での作業中_2
新島八重さんの写真
新島八重さんの写真_1
新島八重さんの写真_2

 

三渓園(17)

旧燈明寺本堂
旧燈明寺は、天平年間行基の開創と伝える。聖武天皇・清和天皇勅願。あるいは貞観5年(873)真暁(弘法大師弟子)が開基したとも伝える。何れにしても、由緒ある寺院であった。しかし数奇な運命を辿り、建武の兵乱で一度廃絶の憂き目に遭っている。
康正年間(1455-1456)、天台僧忍禅が復興し、本堂・三重塔を建立する。その後、再び荒廃する。
寛文3年(1663)頃、本國寺日弁(便)によって再興。本堂・三重塔を修理。寛保3年(1743)日賢が三重塔を修理。
というように何度も浮沈を繰り返してきた。
止めは、廃仏毀釈運動の煽りを受けたことだろう。この流れの中で廃寺になったと推測されている。御霊神社だけは現在も当時と同じ位置に存在している(重文)。そして、明治34(1901)年に、川合芳太郎が燈明寺を買収。大正3(1914)年に、まず、三重塔を横浜三渓園に移転。その時点で廃寺にはなっていたものの、本堂は残っていた。しかし、昭和23(1948)年に台風により本堂が大破し、解体保存がなされた。その後も、再建の方策を模索していたが、どうしようもなく、三重塔の売却で縁があった三渓園に話が持ち込まれた。
ということで、昭和57(1982)年に、横浜三渓園に本堂部材を移動。三渓園で再建される。この本堂部材の傷みが相当に激しく、相当なテコ入れがなされたようだ。詳しいことは下記URLを参照されたい。

旧燈明寺本堂_1
旧燈明寺本堂_2
旧燈明寺本堂_3
旧燈明寺本堂_4
旧燈明寺本堂_5
よく見ると仏像が安置されている。燈明寺の旧仏は本物は京都府木津川市兎並(うなみ)(旧相楽郡加茂町)の御霊神社に保管されているそうだが、これは果たして何なのか。調べたら、この堂内にあるのは御霊神社に保管されている十一面観音のレプリカのようだ。
十一面観音のレプリカ_1
十一面観音のレプリカ_2

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三渓園(16)

旧矢箆原(やのはら)家住宅【重要文化財】1750年頃(宝暦年間) (4)

1階部分(2)
その他の1階部分
旧矢箆原家がどれほどの長者だったかを物語る豪華な造りだ。畳敷きの間の多さといい、欄間の豪華さといい、飛び抜けている。
その他の1階部分_1
その他の1階部分_2
その他の1階部分_3
その他の1階部分_4
その他の1階部分_5
その他の1階部分_6
その他の1階部分_7
その他の1階部分_8
その他の1階部分_9
その他の1階部分_10
その他の1階部分_11
その他の1階部分_12
その他の1階部分_14
此処が玄関だったようだ
その他の1階部分_15

外観
外観2_1
外観2_2
妻側の上部に作られた『火灯窓(かとうまど)』が印象的だ
外観2_3
外観2_4
外観2_5

 

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