散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

日米親善よこすかスプリングフェスタ(4)

ミサイル駆逐艦マスティン(1)

予想していたとおり、それほど見るべきものはなかった。が、痩せても枯れても米海軍の誇るミサイル駆逐艦。すごい装備であることは間違いがないようだ。なお、この艦は、東日本大震災の被災者の救援に参加していて、仙台近くの沿岸で活動したとのことだ。

以下はフリーの画像を借用
後部の大きなパネルは艦載ヘリコプター2機の収納庫の扉だ
横須賀港を出港する様子
パンは自家製なんだ。厨房は明るい雰囲気のようだ。
厨房の様子_1
厨房の様子_2

いよいよ係留中の桟橋に入る
桟橋内_1
桟橋内_2
プレス関係者のインタビュー光景。インタビュアーがさっそうとして実にチャーミングだった。
プレス関係者のインタビュー光景
消防担当の隊員たちと巨大なリフト車輌
消防担当の隊員たちと巨大なリフト車輌_1
消防担当の隊員たちと巨大なリフト車輌_2
消防担当の隊員たちと巨大なリフト車輌_3

やっと乗艦
船尾のヘリポートで待機し、片方のヘリコプター格納庫から艦の内部に入る。
船尾のヘリポート_1
船尾のヘリポート_2
船尾のヘリポート_3
以下はフリーの画像を借用
本来ならばこんなふう
本来ならばこんなふう_1
本来ならばこんなふう_2
本来ならばこんなふう_3
ヘリ格納庫
ヘリ格納庫

 

日米親善よこすかスプリングフェスタ(3)

公開艦船が停泊する辺り

漸く公開艦船がちょっとだけ見えた
手前から、ミサイル駆逐艦フィッツジェラルド、 ミサイル巡洋艦シャイロー、そして公開艦船のミサイル駆逐艦マスティン
公開艦船がちょっとだけ見えた

フィッツジェラルド (USS Fitzgerald, DDG-62)
アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の12番艦。
Fitzgerald
シャイロー(USS Shiloh, CG-67)
アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の21番艦。イージスシステムのBMD3.6を搭載するミサイル防衛対応艦。
軍事オタクの友人の解説によれば、駆逐艦の躯体に必要な機能をオンしたので、少し不恰好になっているようだ。あとに建造したものはこの辺が改善されているらしい。

Shiloh
マスティン (USS Mustin, DDG-89)
アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の39番艦。マスティンは、ステルス性を高めるため煙突を上部構造内に埋め込まれて建造された、最初のアーレイ・バーク級である。ミサイル防衛対応艦船
軍事オタクの友人はステルス性のことにも言及していた。恐ろしいほどの博識ぶりだ。

Mustin

手前の2艦船
手前の2艦船

手前の2艦船の内、桟橋を挟んでマスティンと隣り合って着桟していたシャイローの様子
駆逐艦が軽量級であるとするならば、巡洋艦は中量級といったところだろうか。装備もそれなりに充実している。
シャイローの様子_1
シャイローの様子_2
シャイローの様子_3
シャイローの様子_4
シャイローの様子_5
シャイローの様子_6
公開艦船であるミサイル駆逐艦マスティンの艦上から見た。やはり巡洋艦は大きい。
シャイローの様子_7
シャイローの様子_8

 

日米親善よこすかスプリングフェスタ(2)

着桟(と言うよりかは横付け)作業の様子
いよいよ本日の公開艦船である駆逐艦マスティンに近くに到着したが、またもや長蛇の列。手前で行われた着桟(と言うよりかは横付け)作業を見るともなしに見ることになった。まるで漁船と同じような感じで停泊させるようだ。
タグボート2隻が頑張っていた
タグボート2隻がDDG56 JOHN S MCCAINをDDG54 CURTIS WILBURの傍に押し付ける作業を行なっていた。
タグボート2隻が頑張っていた_1
タグボート2隻が頑張っていた_2
タグボート2隻が頑張っていた_3
タグボート2隻が頑張っていた_4
タグボートの任務終了
タグボートの任務終了_1
タグボートの任務終了_2
艦船の間には緩衝装置が挟めてある。
艦船の間には緩衝装置が_1
艦船の間には緩衝装置が_2
投錨中
投錨中
仲良く停泊中
仲良く停泊中_2

カーティス・ウィルバー (USS Curtis Wilbur, DDG-54)
アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の4番艦。ミサイル防衛対応艦船。
DDGは、ミサイル駆逐艦(護衛艦)…Guided missile Destroyer
カーティス・ウィルバー
ジョン・S・マケイン (USS John S. McCain, DDG-56)
アメリカ海軍のミサイル駆逐艦。アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の6番艦。ミサイル防衛対応艦船。
ジョン・S・マケイン

 

日米親善よこすかスプリングフェスタ(1)

3月24日〈日)に米海軍横須賀基地において、『日米親善よこすかスプリングフェスタ 2013』が開催された。物見高い私めは当然ながら見に行った。
イベント内容として予告されていたものは次のようなもの
アメリカン屋台
ステージイベント
招待団体演技
第七艦隊音楽隊によるパフォーマンス
艦船見学「ミサイル駆逐艦マスティン」


艦船見学は正午まで受付ということで、まずは普段は全く使われていない三笠公園ゲートから入場し、桟橋のある方向へ向かう。これが結構な距離だ。
三笠公園ゲートから入場し、桟橋のある方向へ向かう_1
McDonald'sの前。10時過ぎなのに、既にかなりの客が。
三笠公園ゲートから入場し、桟橋のある方向へ向かう_2
海の手前にこのような建物。兵站の役割を果たすセクションのようだ。見たら面白いことだろう。軍服、弾薬、銃火器、ジープ、食料品、…。軍事オタクには垂涎の的だろう。
兵站の役割を果たすセクション
海が見えてきた
そして再び海が見えてくると、まっさきに見えてきたのが、第7艦隊の旗艦ブルーリッジだ。交通整理の米兵が左へと誘導する。ミサイル駆逐艦マスティンなど見たくもなく、本当は原子力空母G.Washingtonを見たいのだが、それは右手方向でこの日は進入禁止になっている。ほんとうに残念だ。せめて、このブルー・リッジという願いも虚しく更に左方向に向かう。
まっさきに見えてきた第7艦隊の旗艦ブルーリッジ_1
まっさきに見えてきた第7艦隊の旗艦ブルーリッジ_2
原子力空母G.Washingtonもチラと見える
原子力空母G.Washington

第7艦隊の旗艦ブルーリッジ
せっかくだから、すぐ傍を通るブルー・リッジをじっくり観察しておこう。
ブルー・リッジ (USS Blue Ridge, LCC-19) は、もともとはアメリカ海軍の揚陸指揮艦だが、現在は第7艦隊の旗艦として活躍中。横須賀港を母港としている。艦隊の指揮を取るための専用艦であり、武装は軽微であるが、充実した指揮・通信設備を搭載しているといわれる。全長は194mとかなり大型の艦船だ。
航海中のfree画像を借用
航海中のブルー・リッジ_1
航海中のブルー・リッジ_2
航海中のブルー・リッジ_3
停泊中のブルー・リッジ
YWN-82ははしけ船のようだ。手前にいるのはタグボートたち。
停泊中のブルー・リッジ_1
停泊中のブルー・リッジ_3
停泊中のブルー・リッジ_4
YTB782は、タグボート。相当に強力そうなイメージだ。
1
YTB782_2
ブルー・リッジの向こうには原子力空母G.Washington (USS George Washington, CVN-73) が。あちらは巨大な桟橋を独占している。あちらは全長333mの巨大艦船で、独占するのは当然だろう。遠目の横合いから見るとただの巨大な工事現場にしか見えない。
原子力空母G.Washington
後部にはタグボートが2隻。これがなかなかスタイリッシュな感じだ。
タグボートが2隻

 

日光へ行った(17)

二荒山神社 神橋 【国重要文化財】
神橋_1
神橋_2
江戸時代以前は山梨県大月市の猿橋のように、橋脚を持たない刎橋の構造であったとされるが、以後は似た構造ながらも「乳の木」は石造の橋脚で支えられている。刎橋と桁橋を組み合わせた当時としては先端的な手法であり、城郭建築等に伴う土木技術の発達が背景にある。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
聖地日光の表玄関を飾るにふさわしい朱塗に映える美しい神橋は、昔は「山菅橋」「蛇橋」「山菅の蛇橋」などと呼ばれ日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財に指定され、平成11年12月に世界遺産に登録されました。
橋の長さは28メートル、巾7.4メートル、高さ(水面より)10.6メートルあり、高欄には親柱10本を建て、それぞれに擬宝珠が飾られ(乳の木)と橋板の裏は黒漆塗で、その他は朱に塗られています。
奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、寛永13年に現在のような神橋に造り替えられてから、もっぱら神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の通行は下流に仮橋(日光橋)を架けて通行することとなりました。
昭和57年男体山頂鎮座1200年祭斎行に際し、昭和48年よりその奉賛を目的として、広く一般に公開され、平成9年より今回の大修理が行われました。 山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の一つに数えられています。


日光物産商会
日光物産商会_1
日光物産商会_2
日光物産商会_3
栃木県
明治/1868-1911
木造2階建、鉄板葺、建築面積233㎡
1棟
栃木県日光市上鉢石町1026他
登録年月日:20060302
株式会社日光物産商会
登録有形文化財(建造物)
日光二社一寺の門前に位置し,桁行22m,梁間11m規模の商業建築。木造2階建,入母屋造とし,2階に三斗組と蟇股を配した高欄を廻らし,妻面に琴柱花頭窓を穿ち,妻飾には二重虹梁大瓶束笈形の架構を見せるなど,寺院建築の細部を随所に取り入れる。


旧大名ホテル(現、日光市役所日光総合支所)
だれもが『日光市役所日光総合支所』という標識を信じないのではなかろうか
旧大名ホテル(現、日光市役所日光総合支所)_1
旧大名ホテル(現、日光市役所日光総合支所)_2
旧大名ホテル(現、日光市役所日光総合支所)_3
栃木県
大正/1912-1925
木造3階建、鉄板葺、建築面積2470㎡
1棟
栃木県日光市中鉢石町999
登録年月日:20060302
日光市
登録有形文化財(建造物)
日光街道沿いに「大名ホテル」として建設される。間口44m,奥行17mの木造3階建の主体部は正面モルタル塗,背面下見板張とし,大ぶりな破風を載せた左右翼部を正面に張出し中央を望楼風とした城郭風の造り。南に入母屋造,総3階建の付属棟を接続する


ひしや
幻の羊羹とさえ言われている『日光 祢りようかん』のお店のようだ。もう既に、本日分は販売終了だった。
ひしや_1
ひしや_2
ひしや_3

「日光鉢石宿のおひなさま」
「日光鉢石宿のおひなさま」_1
「日光鉢石宿のおひなさま」_2
「日光鉢石宿のおひなさま」_3
「日光鉢石宿のおひなさま」_4

下記のように行われているイベント。街行く人を楽しませてくれる楽しい催し物だ。
お客様を暖かくお迎えし、おひなさま期間中は、お茶の接待や折紙体験などを行いますので、皆さま是非ご覧ください。
期間:2013年は2月11日(月)~3月3日(日)まで
場所:日光駅~神橋~田母沢御用邸・霧降地区・湯元温泉
 

少し遅目の昼食
湯葉懐石弁当を注文した。かなり遅い昼食で、空腹だったこともあって美味しく感じられた。
湯葉懐石弁当

以上で、17回に及んだ『日光へ行った』シリーズは終了です。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

日光へ行った(16)

家光廟輪王寺大猷院(4)

輪王寺大猷院霊廟・本殿・相の間・拝殿 (国宝)
内部は撮影禁止
輪王寺大猷院霊廟・本殿・相の間・拝殿_1
輪王寺大猷院霊廟・本殿・相の間・拝殿_2
輪王寺大猷院霊廟・本殿・相の間・拝殿_3
輪王寺大猷院霊廟・本殿・相の間・拝殿_4
輪王寺大猷院霊廟・本殿・相の間・拝殿_5
輪王寺大猷院霊廟・本殿・相の間・拝殿_6
拝殿
大猷院の中心伽藍で、拝殿・相の間(あいのま)・本殿から構成されています。拝殿は、東照宮の権現作りをそのまま生かし、規模は小さくとも細部の技法に力を尽くした造りとなっています。東照宮が「権現造り」を中心とした神仏習合形式であるのに対し、大猷院廟は「仏殿造り」の純仏教形式となっています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
拝殿の内部は細部に至るまで金箔が施され、文字通り金箔玉楼となっています。
寺院は本尊が南を向くのが定式で、家康公の御廟である東照宮もそのような造りになっています。ところが大猷院の本殿は東北(鬼門)を向いているのです。これは家光公が「死して後も朝夕東照大権現(家康公)の側でお仕え奉る」と遺言し、御廟も東照宮の方へ向けてあるからなのだといわれています。
それでは大猷院のご本尊はどちら向きかといいますと、本殿の奥壁の裏に実はもう一つ部屋が設けてあり、そこに釈迦三尊画像が後ろ向き(南面)に掛けられています。定式と遺言のどちらにも沿う妙案と言えるでしょう。
本殿
拝殿に続く本殿の最奥部、「厨子(御宮殿/ごくうでん)の中には、今回宝物殿で初公開中の「家光公座像」と「御位牌」が、又その前後には、家光公の本地「釈迦如来」(非公開)が奉安されています。この建物を「廟(びょう)」といい、参り墓を意味し、一般の方々の正式な参拝所となります。金・黒、赤の彩色をくまなく施された外観は、別名「金閣殿」の呼び名があるほど豪華で、江戸芸術の極みを示しています。

輪王寺大猷院霊廟・御供所 (重要文化財)
撮り漏らしたので、フリーの画像を借用する
輪王寺大猷院霊廟・御供所
輪王寺大猷院霊廟・御供所渡廊 (重要文化財)
撮り漏らしたので、フリーの画像を借用する
輪王寺大猷院霊廟・御供所渡廊
輪王寺大猷院霊廟・皇嘉門 (重要文化財)
皇嘉門はいわば開かずの門。奥院があるため、ここから先へは一般人はもちろんのこと、寺の者でも滅多に足を踏み入れることができないそうだ。
輪王寺大猷院霊廟・皇嘉門_1
輪王寺大猷院霊廟・皇嘉門_3
本殿の後ろ、大猷院の最も奥に位置する家光公の御廟へは、この「皇嘉門」から入ります。中国、明朝の建築様式を取り入れたその形から、一名「竜宮門」とも呼ばれてる美しい建物です。門を潜るときに見上げると、天上には「天女の画像」が描かれており、これから先が家光公の御霊を奉る聖域であることを象徴しています。
門の名前は、「陽明門」と同じく宮中の門の名を戴いています。


今回で輪王寺大猷院霊廟は終了し、次回は日光市内の様子を取り上げる

 

日光へ行った(15)

家光廟輪王寺大猷院(3)

輪王寺大猷院霊廟・唐門 (重要文化財)
夜叉門を潜り拝殿の前、大猷院の中心に位置するのがこの唐門です。その名のように唐破風を持つ、一間一戸の小規模な門ですが、隅々まで繊細な彫刻と金、白を基調とした彩色が施されており、その意匠装飾は大変気品のあるものです。柱や貫・梁には七宝・麻の葉などの細かい地模様が彫られ、扉には上に鳳凰、下に唐草、前後の破風の下には雄雌の双鶴と白竜などの彫刻で余すところ無く、美しく装飾されています。両側の袖塀の羽目には多くの鳩が彫られ、百間百態の群鳩とされています。
輪王寺大猷院霊廟・唐門_0
輪王寺大猷院霊廟・唐門_1
輪王寺大猷院霊廟・唐門_2
輪王寺大猷院霊廟・唐門_3
輪王寺大猷院霊廟・唐門_4
輪王寺大猷院霊廟・瑞垣 (重要文化財)
東照宮では『透塀』と呼ばれているが、この大猷院のものは『瑞垣』と呼ばれている。同様の趣向のものだと思う。
輪王寺大猷院霊廟・瑞垣_1
輪王寺大猷院霊廟・瑞垣_2
本殿の右側面部分
輪王寺大猷院霊廟・瑞垣_3
輪王寺大猷院霊廟・掖門 (重要文化財)
直上の画像の一番奥にあるもの。皇嘉門へ行くためにあるもの。撮り漏らしてしまったので、freeの画像を借用した。
輪王寺大猷院霊廟・掖門

 

日光へ行った(14)

家光廟輪王寺大猷院(2)

輪王寺大猷院霊廟・西浄 (重要文化財)
西浄は神様専用のトイレで一般には使用していない。宗教儀式用。この場所がわからず撮影できなかったので、今回はfreeの画像を借用した。
輪王寺大猷院霊廟・西浄
輪王寺大猷院霊廟・鼓楼 (重要文化財)
輪王寺大猷院霊廟・鼓楼
輪王寺大猷院霊廟・鐘楼 (重要文化財)
輪王寺大猷院霊廟・鐘楼
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門 (重要文化財)
かなり急な傾斜で長い階段を上った先に夜叉門が待ち受ける。霊廟の鎮護に当たる役割にふさわしい四夜叉を配した壮麗な門である。
二天門を潜り、続く石段を左手に曲がり見下ろすと、後にしてきた灯籠や水屋が見渡せます。ここからの眺めは天上界からの眺めにたとえられています。いよいよ聖域へと近づいてきました。次は霊廟への最初の入り口となる夜叉門です。切り妻造りで、正背面に軒唐破風を付けた低平な落ち着いた造りながら、鮮やかな彩色が目を引く華やかな門です。正面、背面の左右柵内に「毘陀羅(びだら)」「阿跋摩羅(あばつまら)」「ケン陀羅(けんだら)」「烏摩勒伽(うまろきゃ)」の「四夜叉」を納め、霊廟の鎮護に当たっています。欄間、扉の羽目板部分、壁面などに流麗な牡丹唐草彫刻が施されていることから、牡丹門とも呼ばれています。
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門_1
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門_2
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門_3
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門_4
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門_5
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門_6
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門_7
毘陀羅(びだら)像
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門_8
阿跋摩羅(あばつまら)像
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門_9
烏摩勒伽(うまろきゃ)像
この像が抱えているものが破魔矢の元祖だと、大猷院の僧侶は説明していた
烏摩勒伽(うまろきゃ)像
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門左廻廊 (重要文化財)
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門右廻廊 (重要文化財)

輪王寺大猷院霊廟・夜叉門右廻廊_1
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門右廻廊_2
輪王寺大猷院霊廟・夜叉門右廻廊_3

 

東横線の様子

副都心線との乗り入れが開始され、大きく変わった東横線。その後に利用する初めての日が昨22日だった。
試しに横幅を1000ピクセルにしてみた。如何だろうか。

都立大学駅にて
行き先表示板に見慣れない行き先がズラリと並び、一瞬間違えたかと思ったほどだった。何で日本なのにローマ字表示なの?
都立大学駅にて

代官山駅にて
渋谷駅とともに大きな影響があった代官山駅。どんな具合なのか確認してみた。
ホーム先端はトンネル開口部と接している。渋谷に向かって前下りのホームになっているはずだが、見た感じ、立ってみた感じではそれほどの勾配のようには感じなかった。トンネルの開口部はまだ、鉄骨がむき出しのままだった。これからお化粧をするのだろうか?ホームも同様だ。
代官山駅渋谷寄りの様子
トンネルから出てきた車両(右)と入る車両(左)
代官山駅渋谷寄りのトンネルから出てきた車両(右)と入る車両(左)
渋谷寄りの線路やホームの位置を下げたから当然架線の位置も変わっているはずだ。支柱から吊り下げられている金具の長さを調整して対処したのだろうか。
代官山駅のホームなどの様子_1
ホームも当然仮設のまま。早く恒久的なものとし、ホームの幅も元に戻して貰いたいものだ。黄色い線の前に出ないでくれといっても、無理な注文だ。今のままではかなり危ない。
代官山駅のホームなどの様子_2
代官山駅のホームなどの様子_3

 

日光へ行った(13)

家光廟輪王寺大猷院(1)
輪王寺大猷院(りんのうじたいゆういん)は三代将軍・家光の廟所で大猷院は家光の法名でもある。遺言により東照宮を凌ぐことのないように規模、細工とも控えめに造営されたが黒と金を基調とした姿は東照宮とは違った存在感がある。
上野寛永寺に霊廟を造ったが、埋葬は輪王寺大猷院に行ったようだ。上野寛永寺の霊廟は、享保5(1720)年焼失。大猷院は上へ上へと続く構造になっている。足が良くない方には気の毒な状況だ。

輪王寺大猷院霊廟地図

建築物一覧-輪王寺3へjump
建築物一覧-輪王寺4へjump
建築物一覧-輪王寺5へjump

輪王寺大猷院霊廟・仁王門 (重要文化財)
家光廟大猷院を目指すにあたって、まず出合うのが仁王門。8つの脚があるのが特徴。高さ3メートル20センチの密迹金剛-みっしゃくこんごう-と那羅延金剛-ならえんこんごう-の2体の仁王像が門を守っている。両妻流破風造りといわれる建築法で、欄間には透かし彫りが施されている。
輪王寺大猷院霊廟・仁王門_1
輪王寺大猷院霊廟・仁王門_2
輪王寺大猷院霊廟・仁王門_3
輪王寺大猷院霊廟・仁王門_4
右の阿形(あぎょう)の密迹(みっしゃ)
輪王寺大猷院霊廟・仁王門_5
左の吽形(うんぎょう)の那羅延(ならえん)
輪王寺大猷院霊廟・仁王門_6
輪王寺大猷院霊廟・仁王門_7
仁王門の裏側
輪王寺大猷院霊廟・仁王門_8
輪王寺大猷院霊廟・仁王門_9
輪王寺大猷院霊廟・仁王門_10
輪王寺大猷院霊廟・宝庫 (重要文化財)
輪王寺大猷院霊廟・宝庫
四代将軍家綱公お手植えの槇
四代将軍家綱公お手植えの槇
輪王寺大猷院霊廟・水屋 (重要文化財)
四隅に各3本、計12本の御影石の柱で支えられた、銅瓦葺切妻造り軒唐破風の建物。金具は透かし彫り。天井には、狩野永真安信の雲をまとった竜の墨絵が描かれている。これが、長さ2メートル50センチ、幅1メートル20センチの御影石の水盤に映ることから「水鏡の竜」と呼ばれている。
輪王寺大猷院霊廟・水屋_1
樋で水を供給している
輪王寺大猷院霊廟・水屋_2
輪王寺大猷院霊廟別当所竜光院 (重要文化財)
大猷院を管理する僧院
輪王寺大猷院霊廟別当所竜光院_1
この別当所は二天門から夜叉門に上がる階段の途中からしか撮ることが出来ないようだ
輪王寺大猷院霊廟別当所竜光院_2
輪王寺大猷院霊廟別当所竜光院_3
輪王寺大猷院霊廟・二天門 (重要文化財)
表側に、四天王のうちの「持国天」と、あまのじゃくを踏みつけた「広目天」の二天をまつっていることから、この名がある。また、裏側に雷神が安置されているので、雷門とも呼ばれる。
裏側には、赤い雷神のほかに、青い風神も見られる。雷神の手の指が3本なのは、過去・現在・未来を表し、風神が4本なのは東西南北を表現している。また、風神・雷神ともに足の指が2本なのは天と地を示しているからだそうだ。
二天門は色彩がはっきりと分かれていて、下段は朱色、中程は黒、軒下は群青・朱・緑青。目につく上部に、装飾が集中している。

修復工事中
二天門
修復工事前のfree画像
二天門_Free
広目天
広目天
持国天
持国天
風神
風神
雷神
雷神

おまけ
昨21日夜の呑川遊歩道の桜
昨21日夜の呑川遊歩道の桜

 

呑川遊歩道の桜

我が家から2-30歩ほどで呑川遊歩道につく。そこで撮った桜。桜の名所は近隣にもいくつかあるが、いつもこれで済ませている。わずか半日でかなり咲き出した感じだ。
少し大きな画像を表示できるように改変テスト中です。

19日AM
早咲きの樹を選ばなくても十分なくらい咲き出した。
少し大きな画像
19日AM_Long
今までのサイズ
19日AM_1
19日AM_2
19日AM_3
19日AM_4

18日PM
このときはまだ寂しい感じだった
キャノンの研修施設前で。この一帯はキャノン縁の地。
18日PM_1
18日PM_2
18日PM_3
桜に負けじと
18日PM_4

 

日光へ行った(12)

二荒山神社(2)

今回取り上げるものは、鳥居を除いて神苑内にある

神輿舎…重要文化財
神輿…重要文化財
神輿舎_1
神輿舎_2
大国殿…重要文化財
祭神:大国主命
内部には大太刀「太郎丸」が展示されている。内部に入ることができる末社は私には初めてのものだった。

大国殿_1
大国殿の右手前にあるのは田道間守(タジマモリ)の像
田道間守はお菓子の神様である。天皇の勅命を受けて常世の国に渡り、現在でいう“ミカン”を求めてさまよい、苦心の末に手に入れた。後世、この実からお菓子が作られるようになり、お菓子の神様といわれるようになったのだそうです。
大国殿_2
末社朋友神社本殿…重要文化財
祭神:少名彦名命
末社朋友神社本殿_1
末社朋友神社本殿_2
末社日枝神社本殿…重要文化財
祭神:大山咋命
末社日枝神社本殿

神橋…重要文化財
離れた場所にあるので、最終回に取り上げる

銅灯籠(通称 化灯籠)…重要文化財
火を灯すと怪しげな姿に化けたといわれ、武士が刀で斬りつけた傷が無数に残されている
銅灯籠(通称 化灯籠)_1
銅灯籠(通称 化灯籠)_2

二荒霊泉
二荒霊泉_2
ご神木
本社境内第一の巨杉。樹齢700年。
ご神木_2

鳥居…重要文化財
フリー画像を借用
大鳥居

次回からは家光廟輪王寺大猷院を取り上げる。

 

日光へ行った(11)

東照宮から二荒山神社に向かった

二荒山神社(1)
二荒山神社地図

上新道
楼門から東照宮に通じる参道を、上新道-うわしんみち-と呼んでいる。塀ぞいには杉の巨木や石灯籠が並び、味わい深い小道である。
上新道_1
上新道_2
楼門
境内東側の参道入り口に立つ、入母屋造りの華麗な門。くぐり門の上2階部分は欄干で囲まれ、朱色に塗り上げられた柱とともに、参拝者の目を奪う。
昭和57(1982)年、男体山山頂に奥宮がまつられてから1200年を記念してつくられたもので、歴史的価値は別にして、昔のはなやかな姿をしのぶにはぴったり。

楼門
上神道鳥居
上神道鳥居
境内の様子
境内の様子_1
境内の様子_2
右から手水舎、神門、札所
境内の様子_3
拝殿に参拝する人たち
境内の様子_4
拝殿…重要文化財
拝殿_1
拝殿_2
本殿…重要文化財
祭神は二荒山大神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の総称)
本殿は日光の社寺の中では最古とされる

掖門及び透塀 2棟…重要文化財
本殿と掖門及び透塀とを分けて撮るのは困難なので、共通の写真でご覧いただく
本殿と掖門及び透塀_1
本殿と掖門及び透塀_2
本殿と掖門及び透塀_3
徳川2代将軍秀忠公が寄進した安土桃山様式の優美な八棟造りの本殿は、元和5(1619)年に造営した当時のままの、ただ1つの建造物として、重要文化財になっている。
間口11メートル、奥行き12メートルで、7メートルの向拝(社殿の正面階段の上に張り出したひさしの部分)がつく。単層入母屋の反り屋根造りで、黒漆塗りの銅瓦ぶき(創建当時は柿ぶきか檜皮ぶき)。正面は、千鳥破風(屋根の斜面に取り付けた装飾用の三角形の破風)、向拝軒唐破風つきである。
本殿の四方は縁側で、内部は弁柄漆極彩色。内部は内陣・外陣と分かれて、内陣に神霊がまつられている。外部全面に飾り金具をほどこしているが、東照宮と比べると落ち着いた装飾である。
1間(約1.8メートル)1戸の平唐門、棟門の掖門、格子組みの透塀が本殿を囲んでいる。

唐門…重要文化財
残念ながらうまく撮れなかったが、渡殿と唐門とが、銅灯籠(通称 化灯籠)の奥にわずかに見える
唐門が奥に少しだけ見える
右端の唐破風があるところが唐門。唐破風が本殿に対して正対するのではなく、横向きについているようだ。
唐門が右奥にある

大昔、私たち日本人の先祖は、天高くそびえ、雲、雨、雪、かみなりなどさまざまな自然現象を展開し、命のもとである大切な水を恵んでくれる高い山々に、おそれと尊敬の心を抱いた。そこには神がいると信じた。自然に生まれた山岳信仰である。
関東平野の北方にそびえる霊峰二荒山(男体山)も古くから、神のおられる山として、うやまわれてきた。
今からざっと1200年以上も前の奈良時代の末、二荒山に神霊を感じた勝道上人が、大谷川の北岸に四本竜寺を建て、延暦9(790)年に本宮神社を建てた。二荒山神社のはじまりである。また、勝道上人はさまざまな難行苦行を積み、二荒山初登頂の大願を果たし、山頂に小さな祠をまつった。天応2(782)年のことであった。これが奥宮である。
延暦3(784)年、二荒山中腹の中禅寺湖北岸に日光山権現(中宮祠)をまつり、ほぼ現在の形となったのである。
二荒山神社は早くから下野国一の宮としてうやまわれ、鎌倉時代以後は、関東の守り神として幕府、豪族の信仰をあつめた。
江戸時代の元和3(1617)年、東照宮がまつられたとき、幕府は神領を寄進し、社殿を造営するなどして、あがめた。
明治維新のあと、神仏分離があったが、明治6(1872)年、国幣中社に格づけされ、戦後も一般の人たちの参詣が絶えない。

 

圓融寺と碑文谷八幡宮とすずめのお宿(2)

すずめのお宿
かつては、荒れるに任せた感じの広大な敷地に鬱蒼と竹が密集するすごい場所だった。子どもたちが生まれた頃に公園として開業したのだった。
鬱蒼たる竹林
かなり伐採して明るさを保っている感じだ。昔はこんなものではなかった。
鬱蒼たる竹林_1
鬱蒼たる竹林_2
すずめのお宿をイメージした少女像
すずめのお宿をイメージした少女像
移築された古民家
移築された古民家_1
移築された古民家_2
移築された古民家_3
移築された古民家_4
移築された古民家_5
移築された古民家_6
移築された古民家_7
移築された古民家_8
移築された古民家_9
移築された古民家_10
元々は茅葺の屋根だが、防火対策上、金属板で覆われているとのことだ。
移築された古民家_11
基礎となっている材木を直接地べたに置くのではなく、玉石の上に載せてある。江戸時代中期建築の特徴のようだ。
移築された古民家_12
移築された古民家_13
移築された古民家_14
移築された古民家_15
移築された古民家_16
移築された古民家_17
竈(おくどさん)
竈(おくどさん)_1
竈(おくどさん)_2
唐箕(とうみ)
風力を利用して穀粒の選別、混ざりものの除去を行う農機具
唐箕(とうみ)_1
唐箕(とうみ)_2
小洒落た花飾り
小洒落た花飾り_1
小洒落た花飾り_2

当地一帯は住宅地になる前までは農村で特に竹林が多く、目黒付近はたけのこの産地として知られていた。たけのこの生産は昭和初期ころまで続き、一帯の竹林にはすずめが多く飛び交い、いつしか「すずめのお宿」と呼ばれるようになった。やがて付近が宅地へと変わっていき、たけのこの生産も見られなくなってきた。そのような中地元の一住民(角田セイさん)の遺志により、没後自身の所有地が寄付されることになった。目黒区により公園として整備され「すずめのお宿緑地公園」として1981年4月1日に開園した。
公園はかつてのたけのこの産地であることを思わせるような竹林と遊具のほか、一角に当地付近(旧、衾村)にあった江戸時代中期建築の古民家栗山重治さん宅を移築・復元し、農村だった当時の暮らしぶりを再現しているのも特徴である。

 

圓融寺と碑文谷八幡宮とすずめのお宿(1)

圓融寺
以前に説明済みなので詳しい説明は省く
円融寺山門
円融寺山門_1
円融寺山門_2
円融寺仁王門
円融寺仁王門_1
円融寺仁王門_2
円融寺仁王門_3
釈迦堂…重要文化財
都内では正福寺に次いで古い建造物
釈迦堂…重要文化財_1
釈迦堂…重要文化財_2
釈迦堂…重要文化財_3
釈迦堂…重要文化財_4
その他
その他_1
その他_2

碑文谷八幡宮
碑文谷八幡宮一鳥居
大正四年建立の靖国鳥居
碑文谷八幡宮一鳥居ほか
賀屋興宣氏揮毫のもの
賀屋興宣氏揮毫のもの
参道の桜
参道の桜
碑文谷八幡宮二鳥居
昭和五十八年建立の八幡鳥居
碑文谷八幡宮二鳥居
碑文谷八幡宮三鳥居
碑文谷八幡宮三鳥居
狛犬(古そう)
狛犬(古そう)_1
狛犬(古そう)_2
狛犬(新しそう)
狛犬(新しそう)_1
狛犬(新しそう)_2
碑文谷八幡宮拝殿
碑文谷八幡宮拝殿_1
碑文谷八幡宮拝殿_2
碑文谷八幡宮拝殿_3
碑文谷八幡宮拝殿_4
碑文谷八幡宮拝殿_5
拝殿・幣殿・本殿
拝殿・幣殿・本殿
本殿の様子
本殿内部が見えるのは珍しいのでは
本殿の様子

創建年代は不詳であるが、鎌倉時代に源頼朝の家臣、畠山重忠の守護神をその家臣筋で当地に住んでいた宮野左近という人物が祀ったのが始まりであると言われている。現在の社殿は延宝2年(1674年)に造替したものを明治5年(1872年)に再建し、同20年(1887年)に改築したもの。神仏分離令が出るまで、別当寺として近辺にある円融寺の子院である神宮院が置かれていた。
また神社には畠山重忠の家臣榛沢六郎という人物を祀った稲荷社と「碑文谷」の名の起こりともいわれている、碑文石が保存されている。そのほかにも勝海舟直筆の「八幡大神」の額なども保存されている。また、桜の時期になると一の鳥居から二の鳥居までの間が桜の花で溢れ、桜の見所にもなっていることでも知られている。

 

横須賀港にて

護衛艦やまゆきの出港の様子
やまゆき(DD-129)は、海上自衛隊の護衛艦。はつゆき型護衛艦の8番艦。
出港時に至近距離に居合わせたので、その様子を撮ってみた。
簡単にいえば、岸壁に向かって推力を働かせ、真横に岸壁から離れ、バランスを崩さないよう2艘のタグボートが反対側から支える。ある程度以上沖合にまで出たら、支えていたタグボートが今度は向きを変えるように押し、岸壁に対し尻を向けるようにし、そこから一気に前進する。
こちらは暢気に写真を取っていれば済むが、彼らは北朝鮮の軍事的暴発対処のための配置につく、緊張感のある任務遂行中なのかもしれない。

右奥に見える沖合に向かっている桟橋に停泊している護衛艦きりしま(DDG-174)ならば、すでに前を向いているので簡単に出られるのだが、護衛艦やまゆきが停泊している桟橋は真横に向いている。これで巨大な自衛艦を出港させるのは、少しばかりテクニックが必要だ。
護衛艦やまゆきの出港の様子_1
護衛艦やまゆきの出港の様子_2
護衛艦きりしまは楽な方の桟橋に停泊していることがわかる
護衛艦やまゆきの出港の様子_3
護衛艦やまゆきの出港の様子_4
この辺から前部担当のタグボートの後退速度が遅くなっている。踏ん張ることで、やまゆきの尻を振り始めることになる。
護衛艦やまゆきの出港の様子_5
護衛艦やまゆきの出港の様子_6
この辺まではタグボート自体もやまゆきを支えながら微速で後退している
護衛艦やまゆきの出港の様子_7
護衛艦やまゆきの出港の様子_8
この辺からやまゆきの積極的な方向転換に入る。前のタグボートが艦首の向きを変えるべく、強力に押し始めた。
護衛艦やまゆきの出港の様子_9
護衛艦やまゆきの出港の様子_10
護衛艦やまゆきの出港の様子_11
一瞬、やまゆきときりしまとが、向かい合うような格好になった
護衛艦やまゆきの出港の様子_12
やまゆきときりしまとが、鼻先をこすり合うような感じで、やまゆきが方向転換をしている
護衛艦やまゆきの出港の様子_13
やまゆきがきりしまをやり過ごした
護衛艦やまゆきの出港の様子_14
護衛艦やまゆきの出港の様子_15
護衛艦やまゆきの出港の様子_16
この辺から、後部担当のタグボートが持ち場を離れる
護衛艦やまゆきの出港の様子_17
護衛艦やまゆきの出港の様子_18
護衛艦やまゆきの出港の様子_19
タグボートの任務完了
護衛艦やまゆきの出港の様子_20
前方に待機していた艦載のボート収納準備
護衛艦やまゆきの出港の様子_21
艦載のボート収納開始
護衛艦やまゆきの出港の様子_22
艦載のボート収納中
護衛艦やまゆきの出港の様子_23
/アメリカ海軍のミサイル駆逐艦マスティン (USS Mustin, DDG-89) の脇を通り抜ける
護衛艦やまゆきの出港の様子_24
間もなく横須賀港を出て東京湾の航路に入っていく
護衛艦やまゆきの出港の様子_25

 

明日(3/16)、地上から姿を消す渋谷-代官山間

地下鉄との相互乗り入れ実施に伴い、渋谷-代官山間は地下を走ることになる。最後の様子を記録しておこうと思った。
撮影は、新しく買い求めたFUJIFILM X20を使った。結構、描写力がありそうである。

《渋谷駅》
東横線の地上のホームは16日に廃止される。かなり多くの人が渋谷駅で乗降する。この人達が一斉に地下駅を利用することになる。混乱が起きないか少し心配だ。私は既に勤めをやめているので、朝夕のラッシュ時に乗らなければ、それで済む。しかし、現役の勤め人、学生などは否が応でも新しいホームに移らねばならなくなる。慣れる間では、かなり大変なのだろう。
朝は上りが圧倒的に混んでいる
朝は上りが圧倒的に混んでいる_1
朝は上りが圧倒的に混んでいる_2
下りは比較的空いているように見えたが、…
下りは比較的空いているように見えたが、…_1
下りは比較的空いているように見えたが、…_2
下りは比較的空いているように見えたが、…_3
乗降客が激しく錯綜する
乗降客が激しく交錯する
東急からの感謝メッセージ
85年も経つのか
東急からの感謝メッセージ_1
東急からの感謝メッセージ_2
慣れ親しんだ改札口も見納めだ
慣れ親しんだ改札口も見納めだ_1
慣れ親しんだ改札口も見納めだ_2
この目立つフォルムも見納めだ
この目立つフォルムも見納めだ
『のるるん』のカウントダウン表示
撮影日(3/14)現在、残すはあと1日だ。
『のるるん』のカウントダウン表示

《代官山駅》
代官山も表面上は変わらなさそうだが、水面下で周到な準備がなされている。
ホーム
ホームは渋谷側に向かってかなり下がる。渋谷寄りは現行の線路より新しいホームの位置が下がるようだ。それもかなりの傾斜のようだ。足に不安がある方は、中目黒寄りで乗降したほうがよさそうだ。
代官山駅のホーム_1
代官山駅のホーム_2
線路
線路は35パーミルの急勾配になる。ネットの下に新しい線路がチラと見える箇所があるが、相当な傾斜ぶりだ。
代官山駅の線路_1
代官山駅の線路_2
渋谷寄りの様子
現行の線路のはるか下に新しい線路があるようだが、ホームからはいくら目を凝らしても見えない
渋谷寄りの様子_1
渋谷寄りの様子_2
渋谷寄りの様子_3
切り替え工事準備中のため、ホームは一時的に極めて狭くなっている
ホームは一時的に極めて狭くなっている

一晩の内に、使わなくなる現在の線路やホームを撤去して、架線の高さを調整して、…。大変なのは代官山駅の方なのだろう。

おまけ
咲き出したソメイヨシノ
咲き出したソメイヨシノ_1
咲き出したソメイヨシノ_2

 

小網代湾

三浦半島の突端近くにある小網代湾に行ってみた。私の大好きな風光明媚な波穏やかな入江だ。
小網代湾map

バス停辺りから海を眺めた
バス停辺りから海を眺めた
湾内に停泊中のヨット・漁船など
湾内に停泊中のヨット・漁船など_1
湾内に停泊中のヨット・漁船など_2
湾内に停泊中のヨット・漁船など_3
湾内に停泊中のヨット・漁船など_4
湾内に停泊中のヨット・漁船など_5
湾内に停泊中のヨット・漁船など_6
湾内に停泊中のヨット・漁船など_7
波打ち際で魚をついばむカモメ
波打ち際で魚をついばむカモメ
着桟する漁船とその水揚げの様子
ウマヅラ、カワハギ、トラギスなどだろうか?
着桟する漁船とその水揚げの様子_1
着桟する漁船とその水揚げの様子_2
着桟する漁船とその水揚げの様子_3
着桟する漁船とその水揚げの様子_5
着桟する漁船とその水揚げの様子_6
シーボニア
シーボニア_1
シーボニア_2
シーボニア_3
シーボニア_4
シーボニア_5
シーボニア_6
シーボニア_7
シーボニア_8
イギリスの豪華帆船CYNARAはチャーチル元英国首相が愛した名艇で、80年の歴史を持つとのことだ
シーボニア_9
シーボニア_10
富士山
相模湾越しに見える
富士山_1
富士山_2
富士山_3
富士山_4
富士山_5
湾内の様子
湾内の様子_1
湾内の様子_2
湾内の様子_3
湾内の様子_4
湾内の様子_5
湾内の様子_6
湾内の様子_7
湾内の様子_8

 

井の頭恩賜公園に行った(10)

自然文化園〈本園〉(6)

大放飼場
クロヅル
クロヅル_1
クロヅル_2
タンチョウヅル
残念なことになかなかこちらを向いてくれなかった
タンチョウヅル_1
タンチョウヅル_2

熱帯鳥温室
2013年3月末で井の頭公園の熱帯鳥温室が老朽化のため展示終了になるとのこと。ぎりぎりセーフだったわけだ。
シロムネオオハシ
シロムネオオハシ
アンデスブロンズトキ
アンデスブロンズトキ_1
アンデスブロンズトキ_2
アンデスブロンズトキ&ショウジョウトキ_1
アンデスブロンズトキ&ショウジョウトキ_2
セイケイ
セイケイ_1
セイケイ_2
フサホロホロチョウ
フサホロホロチョウ
オウギバト
フサホロホロチョウ_1
フサホロホロチョウ_2
フサホロホロチョウ_3
ショウジョウトキ
ショウジョウトキ_1
ショウジョウトキ_2
アンデスブロンズトキ&ショウジョウトキ_1
アンデスブロンズトキ&ショウジョウトキ_2

 

井の頭恩賜公園に行った(9)

自然文化園〈本園〉(5)

和鳥舎
トラツグミ
トラツグミ_1
トラツグミ_2
キビタキ
キビタキ_1
キビタキ_2
キビタキ_3
キビタキ_4
キビタキ_5
ヤマガラ
ヤマガラ_1
ヤマガラ_2
ヒガラ
ヒガラだろうかシジュウカラだろうか。ヒガラと判断したのだが…
ヒガラ_1
ヒガラ_2
ヒガラ_3

ヤマドリ舎
コシジロヤマドリ
コシジロヤマドリ
シコクヤマドリ
シコクヤマドリ_1
シコクヤマドリ_2

独立のゲージ
ワシミミズク
ワシミミズク_1
ワシミミズク_2
メンフクロウ
メンフクロウ_1
メンフクロウ_2

 

井の頭恩賜公園に行った(8)

自然文化園〈本園〉(4)

和鳥舎
フクロウ(梟)
フクロウ(梟)
チョウゲンボウ(長元坊)
チョウゲンボウ(長元坊)_1
チョウゲンボウ(長元坊)_2
チョウゲンボウ(長元坊)_3
チョウゲンボウ(長元坊)_4
チョウゲンボウ(長元坊)_5
ツミ(雀鷂)
ツミ(雀鷂)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
この一角は、大きなゲージに複数の鳥が混在している。名札を背負っているわけではないので、傍らの表示を参考に判断したが、大丈夫だろうか?
メジロ
ちょっと痩せぎすのメジロのように思えるが、如何だろうか
メジロ_1
メジロ_2
メジロ_3
ウグイス
声は千回以上聞いたことがあるが、遠目にしか見たことがなかったので、今回対面できて感激
ウグイス_1
ウグイス_2
ウグイス_3
ウグイス_4
ウグイス_5
ツグミ
ツグミ_1
ツグミ_2
ツグミ_3
ツグミ_4
シロハラ
腹部を撮り損なったのでちょっと自信がないが
シロハラ
アカハラ
アカハラ_1
アカハラ_2
アカハラ_3
アカハラ_4
アカハラ_5
ヤマガラ
ヤマガラ_1
ヤマガラ_2
ヤマガラ_3
カワラヒワ
残念ながらnot foundだった
ジョウビタキ
ジョウビタキ_1
ジョウビタキ_2
ジョウビタキ_3
ジョウビタキ_4
ジョウビタキ_5
ジョウビタキ_6
カラスバト
名前から想像するよりはるかに美しい鳥だった
カラスバト_1
カラスバト_2
カラスバト_3

 

井の頭恩賜公園に行った(7)

自然文化園〈本園〉(3)

北村西望氏作品(3)
光に打たれた悪魔 1917年作
光に打たれた悪魔
晩鐘 1916年作
晩鐘
怒濤 1915年作
怒濤
宇宙時代の月神 1960年作
宇宙時代の月神
自由の女神 1959年作
自由の女神
花吹雪 1965年作
花吹雪
鳥の母親 舞踏 1956年作
鳥の母親 舞踏

 

井の頭恩賜公園に行った(6)

自然文化園〈本園〉(2)

北村西望氏作品(2)

加藤清正公 1960年作
加藤清正公
静座-巨人 1925年作
静座-巨人
将軍の孫 1918年作
将軍の孫
アトリエ
アトリエ
アダム 1929年作
アダム
源泉 1920年作
源泉
建国の雄姿 1926年作
建国の雄姿
拳闘 1931年作
拳闘
師範代 1920年作
師範代
創造の人 1927年作
創造の人
健康美 1930年作
健康美
浦島 長寿の舞
浦島 長寿の舞
浦島 玉手箱
浦島 玉手箱

 

井の頭恩賜公園に行った(5)

自然文化園〈本園〉(1)

北村西望氏作品(1)
北村西望氏がここにアトリエを構えて、長崎の『平和祈念像』の制作にあたった。そのアトリエなどと彼の作品が園内には沢山残されている。屋内は撮影禁止と表示されているので、屋外にある作品ばかりを撮影した。後で、検索したら、屋内の作品が堂々と撮影されているものがかなり目についた。ちょっと複雑な気持ちだ。
天女の舞 1983年作
天女の舞 1983年作_1
天女の舞 1983年作_2
天女の舞 1983年作_3
平和の女神
平和の女神
平和の女神立像
平和の女神立像
花吹雪 1961年作
花吹雪 1961年作
咆哮 1983年作
咆哮 1983年作_1
咆哮 1983年作_2
若き日の織田信長 1970年作
若き日の織田信長 1970年作
原風蒼茫 1967年作
原風蒼茫 1967年作
狛犬
狛犬
聖観世音菩薩 1975年作
この作品は相当に大きい作品だった。
聖観世音菩薩 1975年作
輝く健康美-夕陽 1962年作
輝く健康美-夕陽 1962年作
人類の危機 1958年作
人類の危機 1958年作
快傑 日蓮 1954年作
快傑 日蓮 1954年作_1
快傑 日蓮 1954年作_2
快傑 日蓮 1954年作_3

 

井の頭恩賜公園に行った(4)

自然文化園の水生物園〈分園〉(3)
オシドリ(鴛鴦)
一番見たかった鳥さんだ。首を伸ばすとあまり格好が良くなくなってしまう。決めのポーズを崩さないで欲しいところだが、それって人間の勝手だろう。昔は野生のオシドリが井の頭池にも飛来していたとのことだ。今の時期に明治神宮御苑の北池などで観察できたという話を聞くが、私が実際に確かめたわけではない。
夏の間のオスはメスと同じような地味な姿で、秋の換羽後に美しく変身するのだそうだ。見に行く時期を考える必要がありそうだ。

オシドリ_1
オシドリ_2
オシドリ_3
オシドリ_4
オシドリ_5

クロトキ(黒朱鷺)
頭部から上頸にかけては成長と共に羽が抜けて禿げ上がり、黒い皮膚が裸出するのか。何だか親近感を覚えることだ。
クロトキ_1
クロトキ_2

クロヅル(黒鶴)
老齢の個体だと表示されていたような記憶が
クロヅル_1
クロヅル_2
クロヅル_3

ナベヅル(鍋鶴)
胴体の羽色が黒く、変色した鍋の色に似ていることから「ナベヅル」と名付けられたと考えられているそうだ。
ナベヅル_1
ナベヅル_2
ナベヅル_3

ヒドリガモ(緋鳥鴨)
オナガガモ、マガモ、コガモなどと並んで、日本で最も普通に見られるカモ類なんだそうだ。私も、不忍池などで見かけた。
ヒドリガモ_1
ヒドリガモ_2
ヒドリガモ_3
ヒドリガモ_4

トモエガモ(巴鴨)
2013/02/03に新宿御苑で観察されたようだ。絶滅危惧II類(VU)[絶滅の危険が増大している種]に指定されている結構珍しい存在のようだ。
トモエガモ_1
トモエガモ_2

ホオジロガモ〈頬白鴨)
ペンギンを思わせるような風貌だ。
ホオジロガモ_1
ホオジロガモ_2
ホオジロガモ_3
ホオジロガモ_4

ホシハジロ(星羽白)
浜離宮や不忍池でも見かけた。
ホシハジロ

次回からはいよいよ本園に入る。

 

井の頭恩賜公園に行った(3)

自然文化園の水生物園〈分園〉(2)
コールダック(原色)
檻の最初で躓いた。コールダック(原色)ってマガモと似ている。首から上の色だけでは軽々にマガモだって判断はできないぞ。
マガモを品種改良してできたのがアヒルで、そのアヒルを品種改良してできたのがコールダック。コールダックはアヒルよりも一回りほど小さいとのことだ。元々はカモをおびき寄せるためのものだったとのこと。日本古来の鴨猟と似ているんだ。日本ではおびき寄せ役はアヒルだったようで、やること自体はそっくりだ。

コールダック(原色)
コールダック(原色)_1
コールダック(原色)_2
マガモ
マガモ_1
マガモ_2

コールダック(白色)
こちらはアヒルと区別をつけにくい感じ。大きさだけで見分けられるっていっても、片方しかいないときには…。
コールダック(白色)_1
コールダック(白色)_2

ケリ
キキッキキッ、ケリケリッと啼く。啼きながら飛ぶ。 …だからケリか。安易なネーミングだなあ。よく啼くんだそうだが、私の前では一切啼き声を聞かせてくれなかった。啼く必要がなかったからだろうが。
ケリ

カリガネ
日本には冬季に越冬のため主に宮城県にある伊豆沼に少数飛来するだけのようだ。とても綺麗だけど、野生のものには私は出会えそうにも無さそうだ。
カリガネ

ツクシガモ
カモでは珍しく雌雄同色。特に有明海を中心とした九州北部で渡来数が多く、『筑紫鴨』の和名もここに由来するのか。
オスの嘴は赤くて、1月くらいから基部にこぶが顕著に見えるように膨らむのか。まさしくあのコブだな。繁殖期を迎えたオスの印なのか。

ツクシガモのオス_1
ツクシガモのオス_2
ツクシガモのオス_3
これはメスかな?
ツクシガモのメス

ゴイサギ
醍醐天皇が、池にいたこの鳥を見つけ、捕えるように家来に命令した。その鳥は、家来が近づいても逃げることなく、おとなしくつかまりまった。天皇は、命令にさからわず神妙であると、褒美に五位の位を与えたとのこと。それで五位の鷺か。
ゴイサギ_1
ゴイサギ_2

アオサギ
啼かなきゃ、結構格好が良い鳥だが…。低く押し潰したようなあの啼き声だけは、どうにも好きになれない。
アオサギ_1
アオサギ_2

バン
雌雄同色。繁殖期には額板とくちばしの根もとが赤くなるのか。生物にとって、繁殖期は非常に大事な時期なんだろうな。
バン_1
バン_2

PS.昨日は午後出かけなければいけない重要な要件があった。時間がタイトなこういうときに、まさかのトラブル発生の巻き添えを食らった。FIREFOXで使用しているblogpeopleのリンクリストが使えなかった。不正サイトと名指しされたからだという。これがないと、多くのlink先にアクセス出来ない。当然のことながら、状況もわからず焦った。
どうやら「Safe Browsing API」という仕組みが騒ぎの元凶だったようだ。先月初めから実に不愉快な処理を繰り返しているようだ。今のところ、どこが悪いのかさえもわからない様子。夜戻ってきたら、OKになっていたが、そんなの当たり前のことだ。そんなことの復旧に何で数時間もかけたんだろう。
検索したら、FIREFOXばかりでなくCHROMEも同じで、危ないサイトとて毎日新聞社やマイナビニュースも同じ憂き目にあったようだ。

幸いなことにInternet Explorerは大丈夫だったので、出かける前にこれを使って急場をしのいだが、気付かなかった人は不幸なことになっていただろう。
これって『陶片追放』の現代版かも。ライバルサイト潰しに悪用されたらたまらないぞ。愉快犯が、面白がる恰好の手口になるかもしれないし、どこかの国家ハッカー組織がほくそ笑んでいるかもしれない。

Googleでは、サイトのクロール結果からマルウェアを配布しているサイトの情報を「Safe Browsing API」という仕組みで提供しており、Google ChromeやFirefoxではこの仕組みを不正サイトなどへのアクセスブロック機能として利用している。

 

井の頭恩賜公園に行った(2)

自然文化園の水生物園〈分園〉(1)

檻に入っていない鳥さんをまず見る。飛んで行かないようにしてあるのだろうか?確かにここにいれば、餌の心配も外敵に襲われる心配も少ないかもしれないが。…どうやら飛んでいってもおかしくない環境になっているようだ。それでも飛んで行かないのが、井の頭の不思議の一つらしい。

サカツラガン(酒面雁)
酒をきこしめて赤ら顔になったようだというのだろうか?私が飲んでも、こんなには顔色が変わらないぞ。
サカツラガン_1
サカツラガン_2
サカツラガン_3
サカツラガン_4

オオハクチョウ
気性が激しく、近い仲間のはずのコクチョウが居づらい環境だったようだ。
オオハクチョウ_1
オオハクチョウ_2

シジュウカラガン
何でこういうネーミングになったか容易に想像がつく風貌だ。
シジュウカラガン_1
シジュウカラガン_2
シジュウカラガン_3
シジュウカラガン_4

コクチョウ
飼育しているはずなのに見当たらなかった。と思ったら、都立大島公園動物園のオオハクチョウとトレードが成立して出て行ったばかりだったようだ。残念。

確かに招かれざるオナガガモもいたし、おこぼれに与るムクドリもいた。
ムクドリ

井の頭池の一部を仕切ってオオハクチョウ、コクチョウ、シジュウカラガン、サカツラガンなど大型のガンカモ類を中心に展示しているエリアがあります。そこには、とくに外部との仕切りがないため、野生の鳥たちが自由に出入りすることができます。飼育鳥類の餌は、キャベツ半分を地上に刺し、首の長いガンカモのなかましかついばめない餌箱にカモ用ペレットとコマツナを入れていますが、都市環境に慣れていて人が与える餌を喜んで食べる野生のオナガガモやカルガモにとっても、絶好の餌場です。

 

井の頭恩賜公園に行った(1)

鳥さんと北村西望氏の彫刻作品とを見るのが主目的だった。ということで、自然文化園に直行しても良かったのだが、まずは、池を見てから自然文化園に入った。

途中の道筋
可愛いバスが走っていた
可愛いバス
美味しそうな感じのお店
美味しそうな感じのお店
下駄履き状態のカトリック吉祥寺教会
下駄履き状態のカトリック吉祥寺教会

公園入り口にて
梅の花がお出迎え
梅の花がお出迎え_1
梅の花がお出迎え_2
クロッカスも
クロッカス_1
クロッカス_2
クロッカス_3

弁財天と井の頭池
東京の3大湧水池にして、神田川の水源となっている池だ。桜の季節には相当な景観になることだろう。今の季節はさっぱりしすぎて、ちょっと物足りない感じがしないでもなかった。渡りのカモさんたちももう帰ってしまったのか、見かけない。探せばいたかもしれないが。カルガモやカイツブリは一年中いるそうだ。カイツブリはどこにいたんだろう。
弁財天と井の頭池_1
弁財天と井の頭池_2
弁財天と井の頭池_3
カルガモだけは普通に見かけた
弁財天と井の頭池_4
弁財天と井の頭池_5
弁財天と井の頭池_6

 

日光へ行った(10)

東照宮(9)
眠り猫…国宝
どの資料にも国宝と記されているが、単独での指定なのか私にはわからない。文化庁の文化財データベースがアクセス不可になっているので、調べようもない。文化庁には文化財データベースの不具合を簡単に直せるような文化もないのだろうか?東西回廊の附指定で潜門も国宝になっているから、それだけでも間違いじゃないのだが、正確には国宝の一部をなしているということでは。
眠り猫_1
眠り猫_2
フリーウェア画像を借用。この画像撮影時点では、塗料の剥離などがあったようだ。
眠り猫_3
坂下門へと続く回廊の長押の牡丹の花の下で眠って居る猫の小さな彫り物です。国宝。左甚五郎(ひだりじんごろう)の作と言われています。またその裏側はスズメの彫刻です。

坂下門…重要文化財
江戸時代は将軍しか入れなかった『開かずの門』に気安く入ってよいものか逡巡しないでもないが、遠慮しても始まらない。見せてくれるものはありがたく見せてもらうことにする。
表側
坂下門_1
坂下門_2
裏側
坂下門_3
奥社に通じる坂下門は、江戸時代は将軍しか入れなかった「開かずの門」。全体に胡粉-ごふん-を塗った清楚-せいそ-な感じだが、柱や天井を飾る金具は七宝焼-しっぽうやき-だ。欄間-らんま-には鶴、腰羽目-こしはめ-には牡丹-ぼたん-と唐草模様の彫刻がある。

奥社宝塔(銅製)(附 銅製華瓶・燭台・香炉)…重要文化財
立て札の記述によれば、この神域は350式年大祭(昭和40年斎行)を記念して特別に公開されているとのことだ。それ以前は一般人は立ち入ることが出来なかったようだ。
奥社宝塔(銅製)(附 銅製華瓶・燭台・香炉)_1
奥社宝塔(銅製)(附 銅製華瓶・燭台・香炉)_2
奥社宝塔(銅製)(附 銅製華瓶・燭台・香炉)_3
宝塔の前にあるのが附指定の銅製華瓶・燭台・香炉は、朝鮮通信使が運んできた朝鮮国王からのプレゼント
奥社宝塔(銅製)(附 銅製華瓶・燭台・香炉)_4
宝塔に納められているのは家康公の神柩。建立以来、一度も開けられたことがない。
宝塔は最初は木造、後に石造りになり、さらに天和3(1683)年の大地震で破損したものを5代将軍綱吉公が現在の唐銅製に造り替えた。唐銅とは金・銀・銅の合金。宝塔の前に置かれた鶴のロウソク立て・香炉・花瓶は、朝鮮通信使が運んできた朝鮮国王からのプレゼント。宝塔の傍らの木は「叶杉-かのうすぎ-」と「楓-ふう-」。

 
奥社唐門(銅製)(附 銅製狛犬2躯)…重要文化財
再奥部にある門。宝塔の前にあるので、やはり地味な造りになっているようだ。その製作方法から『鋳抜門』と呼ばれてもいる。
表側
奥社唐門(銅製)(附 銅製狛犬2躯)_1
裏側
奥社唐門(銅製)(附 銅製狛犬2躯)_2
扉を除いて、柱や梁-はり-などをひとつの鋳型-いがた-でつくったことから鋳抜門と呼ばれている。門前の石段から、にらみをきかせているのは狛犬。そして、門の袖にいるのは蜃-しん-。「ツバメを食べ、気を吐き、楼台城郭を描き出す」という。蜃気楼の蜃である。

奥社石玉垣…重要文化財
写真手前のような奥社を囲む石塀そのものも重要文化財だったんだ。
奥社宝塔を囲む石玉垣

奥社拝殿…重要文化財
内部は凄いらしいが、外も本当は凄いものを敢えて目立たなくしてある。それまで、金ピカのものばかり見せられてきたので、却ってこういうモノのほうがよく見えたりする。
表側
奥社拝殿_1
奥社拝殿_2
裏側
奥社拝殿_3
建物全体を真鍮や銅の板で覆い、その上から黒の漆が塗ってある。黒一色の地味な外観に対して、内部は金箔の柱、極彩色の鳳凰など豪華な仕様になっている。

奥社銅神庫…重要文化財
承応3(1654)年創建。外部全体を青銅で包んである。この宝蔵には朝廷から家康公ならびに東照宮におくられた官符宣命等の文書を収めてあるそうだ。『御宝蔵』とも呼ばれる。
奥社鳥居(銅製)
奥社銅神庫と奥社鳥居(銅製)_1
奥社銅神庫と奥社鳥居(銅製)_2

奥社石柵(附 石狛犬2躯)…重要文化財
奥社の参道の石製の柵。こういうものまで重要文化財指定なのか。
奥社石柵(附 石狛犬2躯)_1
奥社石柵(附 石狛犬2躯)_2
奥社石柵(附 石狛犬2躯)_3
奥社石柵(附 石狛犬2躯)_4

東照宮の分だけで9回分にもなってしまったが、以上で東照宮の分は終了。何回かあけて、二荒山神社と輪王寺大猷院とを取り上げる予定である。

 

日光へ行った(9)

東照宮(8)
正面及び背面唐門 2棟…国宝
正式名称の通り正面のものと背面のものとがあるようだ。私が唐門と認識していたものは『正面唐門』で、拝殿の前に建つ門の方。もう一つの『背面唐門』は本殿の裏に建つ門で、一般人には全く見ることが出来ないようだ。唐門の修理は完了しているようだ。
正面唐門_1
正面唐門_2
正面唐門_3
正面唐門_4
正面唐門_5
間口3メートル、奥行き2メートルの小さな門だが、東照宮で最も重要な本社の正門。江戸時代には「御目見得-おめみえ-」(将軍に拝謁-はいえつ-できる身分)以上の幕臣や大名だけが使えた。今でも唐門は、正月や大祭などの祭典のときと、国賓に相当する参拝者だけしか使えない。
全体が胡粉-ごふん-で白く塗られ、門柱に紫檀-したん-や黒檀-こくたん-などで寄せ木細工された昇竜-のぼりりゅう-・降竜-くだりりゅう-がいる。台輪-だいわ-(柱の上をつなぐ厚い板)の上に配置された人物の彫刻は、竹林-ちくりん-の七賢人-しちけんじん-など中国の聖賢。正面は「舜帝朝見の儀-しゅんていちょうけんのぎ-」。古代中国の伝説上の皇帝、舜帝が残した「内平外成-ないへいがいせい-」の言葉から平成の元号が選ばれた。西の側面には七福神-しちふくじん-のなかの大黒天-だいこくてん-・寿老人-じゅろうじん-・布袋-ほてい-の彫刻が掛かっている。
門柱と透塀-すきべい-の境にある鶴のデザインは、日本航空のマークでもおなじみのもの。


陽明門内正面の門で、左右に透塀が接続している。本殿、石の間及び拝殿を囲繞し、背面にも唐門を設けている。
○正面唐門 一間一戸、四方唐破風造、銅瓦葺
正面唐門は胡粉の白を主体とし、黒紫色の象嵌で装飾する特殊な技法の外に蒔絵が用いられ、各種の人物彫刻が陽明門と共に多く用いられている。棟上正背面には鬼板上に恙をのせ、側面は同様にして竜をのせている。いずれも青銅製で、椎名兵庫の作である。
○背面唐門 一間一戸平唐門、楼門腕木造、銅瓦葺
背面は常時ほとんど見えないところではあるが、随所に錺金具を取り付けるなど非常に豪華に装飾され、柱その他は金箔押しが施されている。扉及び軒廻りは黒漆塗で、金色と黒色と一部に彩色がなされており、そのコントラストは素晴らしい。

本殿、石の間及び拝殿 合1棟…国宝
拝殿
神霊を礼拝するための建物。唐門や透塀越しに撮るしかないが、平成の大修理中のため、見栄えが良くない。よって、フリーの写真を借用する。
私が撮った写真。シートなどが邪魔しているが、平成の大修理で紺色などの輝きは下の写真に比ぶべくもない。
拝殿は写真撮影に耐えない状況
以前の拝殿はかなりくすんでいる。唐門や透塀も同様だ。拝殿の奥に石の間と本殿とがある。
拝殿
本殿と石の間
本殿は、東照大権現(徳川家康)を祀る神殿。石の間は、本殿と拝殿を連結するための建物。
なお、本殿や石の間の写真は撮影禁止のために基本的には無い筈だが、一部、本家本元の東照宮や地元栃木県所有の写真が参照できる。その写真は下記URLからアクセスされたい。

東照宮の中心となる建物。拝殿-はいでん-・石の間-いしのま-・本殿-ほんでん-の3つを工の字形に配置し1棟を構成する権現造り-ごんげんづくり-だ。東照宮の建立以前にも、この様式を持った神社が造られ大明神造り-だいみょうじんづくり-と称されたらしいが、東照宮がこの様式で建てられたので、家康公の御神号-ごしんごう-である東照大権現にちなんで権現造りの名で呼ばれる。

東照宮所有の写真が参照できるHPへjump

栃木県所有の写真が参照できるHPへjump

 

« »

03 2013
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
メッセージボードα
Information from AzTak

4月15日(土)は、所属団体の年度総会開催で、私からのアクセスはかなり遅れると思います。大変申し訳ありません。m(_ _)m

-- E N D --
.
.
プロフィール

AzTak

Author:AzTak
FC2ブログへようこそ!

定年後の時間たっぷりの輩です。写真撮影やプログラミングが趣味です。

当ブログは、リンクフリーです。

最新コメント
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
QRコード
QR