散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

東京駅ビルを見に行く(4)

新丸ビルで昼食をとった後、皇居を目指した。その道すがら

和田倉濠前の東京銀行協会ビル
こういうふうにファザードだけを保存して、高層ビルと組み合わせるやり方が丸の内のはやりなのだろうか。JPタワーも低層階に中央郵便局の外観を残している。それにしても美しいファザードを残してくれてよかった。
東京銀行協会ビル_1
東京銀行協会ビル_2
東京銀行協会ビル_3

赤レンガ建築の東京銀行集会所(大正5年築)のファサードを保存し、20階建て高さ82mに高層化した。
隣接地に本社ビルのある東京海上日動火災保険などがテナントとして入居する。


JPタワー
このビルが東京駅の上空権というか、容積率の余り分を譲り受けた超高層ビルなのだ。低層階には旧東京中央郵便局の外観が残されている。
正面奥のビルで、ガラス面に丸ビルなどの姿が映っている
JPタワー_1
国旗の奥に見えるビルで丸ビルと並び立つ
JPタワー_2
東京駅の上空権というか、容積率の余り分を譲り受けたということがよく分かる
JPタワー_3
郵便局株式会社(現・日本郵便)と東日本旅客鉄道(JR東日本)、三菱地所の共同事業により、旧東京中央郵便局敷地に建設された超高層ビルである。JR東日本東京駅丸の内駅舎の南西側に隣接する。
建築物としては、旧東京中央郵便局舎を一部保存した低層棟と最高軒高200.0mの高層棟から構成され、旧東京中央郵便局の保存部分は免震構造で構造躯体を保存している。高層棟には日射遮蔽ルーバー(庇)と高性能遮熱断熱ガラス(Low-Eガラス)によるエアフローウィンドを採用した、床から天井まで1枚ガラスの窓(フルハイト窓)を設置するほか、事務所フロアではLED照明器具の全面採用と明るさセンサーによる照明制御、自然換気窓及び外気冷房の採用により、高い快適性と環境負荷低減を両立している。また、本来の容積率は1,300%だが、建築基準法第57条の二(特例容積率適用地区内における建築物の容積率の特例)により、東京駅丸の内駅舎の容積を移転して、特例容積率1520%が適用されている。
2012年5月31日に竣工し、同年7月17日より東京中央郵便局、ゆうちょ銀行本店及び郵便事業銀座支店JPタワー内分室(現・銀座郵便局JPタワー分室)がJPタワーに移転・オープンした。JPタワー全体のグランドオープンは2013年3月21日を予定している。


パレスホテル
なかなか格好の良いホテルだと思う。泊まったことはないが、名前の恥じない見晴らしなんだと思う。1961年開業だが、施設の老朽化に伴い2009年1月31日で一時休館となった。解体後、地上23階・地下1階建ての最高級ホテルとして建て替えし、2012年5月17日にパレスホテル東京としてグランドオープンしたそうだ。見違えるような気がしたが、まさしくそのとおりだったんだ。
1丁目1番地は各地にあるのだろうが、丸の内というとびきりの商業地の1丁目1番地1号とは凄いことだ。

パレスホテル_1
パレスホテル_2
パレスホテル_3

 

東京駅ビルを見に行く(3)

新丸ビルでの食事
時間がなかったし、昼の混雑突入寸前だったので、新丸ビルの『かつ吉』で食事をすることにした。
私一人が食べる時間と女性一人を含めた三人で和気藹々食べる時間とでは倍以上の差があったかもしれない。美味しかったし、何よりも楽しかった。

ロースカツ定食、ひれカツ定食、花盛り定食とを頼んだ。
ロースカツ定食
ひれカツ定食
花盛り定食
花盛り定食のスイーツ
他のとんかつ屋さん同様にキャベツはお代わりし放題…ボウルで供されたが、遠慮せずに4-5回おかわりをした
キャベツ
こんなものもついていた…辣韮、キャベツと大根の浅漬け、キムチ
辣韮、キャベツと大根の浅漬け、キムチ_1
辣韮、キャベツと大根の浅漬け、キムチ_2
新丸ビルの1F
天井が高く高級感が漂う
新丸ビルの1F_1
新丸ビルの1F_2
新丸ビルの1F_3

 

東京駅ビルを見に行く(2)

南口と北口とにあるドームを見る
南口と北口とにあるドームの天井部分
ドームの天井部分
黄緑の支え部分
3角形の板には穴があいている。その穴は月の満ち欠けの様子をデザインしたものだそうだ。
黄緑の支え部分_1
黄緑の支え部分_2
ドーム天井に飾られた干支
天井に飾られた干支_1
天井に飾られた干支_2
天井に飾られた干支_3
飾られている干支は、
丑(北東)、寅(北東)…艮が北東
辰(南東)、巳(南東)…巽が南東
未(南西)、申(南西)…坤が南西  坤は『コン』または『ひつじさる』と読み、ひつじとさるの中間の方角
戌(北西)、亥(北西)…乾が北西
省かれているのは卯(東)、酉(西)、午(南)、子(北)だ。

干支方角
約2.4メートルのワシ(なのかな?)、柱(以前通りではなく、耐震性の観点から若干太くしてあるそうだ)
約2.4メートルのワシと若干太くした柱
目地のモルタル
仕上げには特殊な道具を使ったとのこと…中央部分が蒲鉾のように盛り上がっている
目地のモルタル

 

東京駅ビルを見に行く(1)

毎日のように東京駅ビルを見ていらっしゃる方もいるだろうが、私は、改装工事終了後の姿を見たことがなかった。早い時期に見てみたいと思っていたのに、随分遅くなってからの訪問になってしまった。

新丸ビル7階テラスから
ここからは確かに全景が見えるのだが、駅前のセンスに欠けるガードレールの存在が邪魔をして、まるでトイカメラで撮ったような画像になってしまう。これには本当に参った。
全景…目を凝らして見た感じ
新丸ビル7階テラスから_1
全景…普通に見た感じ
新丸ビル7階テラスから_2
中央部分を主に見た感じ
新丸ビル7階テラスから_3
北口
新丸ビル7階テラスから_4
丸の内駅舎皇室専用貴賓出入口と中央口
新丸ビル7階テラスから_5
南口
新丸ビル7階テラスから_6
コーヒーを飲みながら…800円はちょいと高かったが
新丸ビル7階テラスから_7
駅前から
北口
北口_1
北口_2
中央部分
中央部分
南口
南口

 

江戸東京たてもの園(17)

W2三井八郎右衞門邸(みついはちろうえもんてい)(2)
1階南側
1階南側廊下
廊下からして豪華
1階南側廊下
書院、客間
赤い絨毯、シャンデリア、襖、格天井の絢爛な和室にダイニングテーブルが据えられていた。
書院、客間
同様に立派な応接室
応接室_1
応接室_2
見事な格天井だ
応接室_3
戸に描かれた絵画
明治期の四条円山派の画家による作品のようだ
戸に描かれた絵画_1
戸に描かれた絵画_2
戸に描かれた絵画_3
木漏れ日が差し込む和室
和室『望海床』を移築したものだそうだ
木漏れ日が差し込む和室
通路から見た主屋と蔵
通路から見た主屋と蔵

蔵
庭から見た主屋と蔵
庭から見た主屋と蔵_1
庭から見た主屋と蔵_2
庭から見た主屋と蔵_3
庭から見た主屋と蔵_4


三井広報委員会の関連頁_1へjump
三井広報委員会の関連頁_2へjump

21世紀枠でいわき海星が選抜された
昔住んでいた家から一番近い高校だ。その頃は小名浜水産高校という校名で、スポーツは重量挙げが強い程度で、お世辞にもスポーツ強豪校とは言いがたかった。水産学校特有の海洋実習などが入るために、レギュラーを欠くチームになるのは毎度のことだったようで、高校野球福島県予選でも上位進出はできないでいた。
今回も、福島県の秋季大会でベスト16では選抜大会への出場など到底無理な状況だった。しかし、負けた相手が東北大会準優勝を遂げた聖光学院で、途中までかなりの接戦だったことをも加味してもらえたのかもしれない。また、大地震で落ち込んでいる地区の学校に希望の光を与えたいという主催者側の思いもあったのだろう。
どう贔屓目に見ても、21世紀枠史上最弱での選抜だろう。でも晴れて選ばれたからには、これから春まで猛練習を重ね、『おお、いわき海星もなかなかやるじゃないか』と思ってもらえるように頑張ってほしいものだ。
それにしても、グラウンドを厚く覆っている砂は厄介だ。海岸で野球をしているような感じだろう。

 

江戸東京たてもの園(16)  2013/01/26 09:09追記

W2三井八郎右衞門邸(みついはちろうえもんてい)(1)
港区西麻布に1952年(昭和27)に建てられた邸宅です。
客間と食堂部分は、1897年(明治30)頃京都に建てられ、戦後港区に移築されたものです。また、蔵は1874年(明治7)の建築当初の土蔵に復元しました。
[港区西麻布三丁目/主屋:1952年(昭和27)土蔵:1874年(明治7)]

あの三井財閥当主の邸宅であるから、もっと広壮な邸宅だと思っていた。その予想はあっさり覆させられた。元々の今井町(現在の港区六本木2丁目)邸ははるかに広壮な邸宅だったが、昭和20年5月の空襲で蔵の一部を除いて焼失。戦後、昭和27年に新たに麻布笄町(現在の港区西麻布3丁目)に西麻布邸を再建したものだそうだ。その折に大幅にダウンサイジングしたわけだ。以前の十分の一にも満たないとのことだそうだ。とはいえ、京都油小路・神奈川大磯・世田谷用賀・今井町の三井家に関連する施設から建築部材・石材・植物など、めぼしいものを掻き集めたようで、内部の豪華さは眼を見張るものがある。
やはり三井の当主の邸宅だけのことはある。

今回、取り上げているキッチンや配膳室などの北側のスペースは、その他に浴室・洗濯室、女中室などのサービス部分があり、コンクリートブロックによる組石造りだそうだ。なお、次回取り上げる南側スペースは、居室を木造の和風建築としているが、生活は畳の上に絨毯を敷き、机・椅子を置く和洋折衷だそうだ。

入り口付近
門柱にはこの屋敷にふさわしい門扉がしつらえてあったと思われる。どんなものだったのだろうか。
入り口付近_1
入り口付近_2
入り口付近_3
入り口付近_4
入り口付近_5
入り口付近_5
入り口付近_6
あたたかな光で迎えてくれる玄関照明。フランスのガラス工芸家ルネ・ラリックの作品だそうだ。
玄関照明
洋式の瀟洒なトイレ
洋式の瀟洒なトイレ
キッチン
使いやすい本格的なものだ
キッチン_1
キッチン_2
キッチン_3
キッチン_4
木瓜形窓
木瓜形窓
蔵に繋がる防火扉
蔵の内部は撮影禁止になっている
蔵に繋がる防火扉_1
蔵に繋がる防火扉_2


三井広報委員会の関連頁_1へjump

三井広報委員会の関連頁_2へjump

 

江戸東京たてもの園(15)

E1天明家(農家)(てんみょうけ)[旧武蔵野郷土館収集]
江戸時代、鵜(う)ノ木村(現在の大田区内)で名主役を勤めた旧家です。
正面に千鳥破風(ちどりはふ)をもつ主屋・長屋門・枯山水庭園などに高い格式がうかがえます。
[大田区鵜ノ木一丁目/江戸時代後期]

相当に裕福な名主だったことは間違いがないようで、長屋門なども相当に立派なものだ。そういう建物であることと、位置的な事情からだろうが、大名が近くの多摩川で川遊びをしたときに本陣としての利用もあったようだ。本陣に供されたのは屋敷の西側部分(主屋完成後に増築された書院造りの建物)のようで、それなりのお方を迎えるためのしつらいになっている。と言っても少し上等に拵えてある程度だが。
天明家は屋号を「へっついさま」といったそうだ。へっついとはかまどのことだが、そんなものどこにでもあったと思うが、どうしてそういう屋号が付いたのだろうか。
建物の規模は、建築面積248.27平米の木造平家建て。無茶苦茶広大なお屋敷というわけではない。

長屋門
主屋から見た様子
天明家長屋門_1
外側から見た様子
天明家長屋門_2
庭に回るための潜戸…通用口のような働きをしていた?
天明家長屋門_3
主屋
千鳥破風が格式を物語る
千鳥破風:屋根の斜面の中程に装飾あるいは換気・採光のために設ける三角形の破風。嵐でも雨漏りがしないような工夫がなされていたとのこと。
天明家主屋_1
天明家主屋_2
天明家が『へっつい様』と呼ばれていた名残か
天明家主屋_3
天明家主屋_4
天明家主屋_5
天明家主屋_6
天明家主屋_7
天明家主屋_8
天明家主屋_9
天明家主屋_10
天明家主屋_11
天明家主屋_12

この辺にレンゲショウマが咲くという
天明家の庭
シモバシラ
シモバシラというシソ科の多年草が生えていたところには、冬になると氷柱ができる。シモバシラの茎は冬になると枯れてしまうが、根はその後長い間活動を続けるため、枯れた茎の道管に水が吸い上げられ続ける。そして、外気温が氷点下になると、道管内の水が凍って、茎から氷柱ができる。この現象は、地中の根が凍るまで続く。
天明家裏庭のシモバシラ_1
天明家裏庭のシモバシラ_2
天明家裏庭のシモバシラ_3

詳しい解説がなされているHPへjump

「天明」というと、江戸時代中期の年号で天明の大飢饉でも有名なため、「てんめい」と読んでしまうが、「天明」家は「てんめい」ではなく「てんみょう」である。
というのも、名字の由来は年号ではなく、下野国の日光例幣使街道にあった天明宿(栃木県佐野市天明町)という地名に由来しているからだ。
天明宿は天明鍛冶といわれる鋳物師で有名で、平安時代に河内国から移住してきたのが祖と伝える。豊臣秀頼が方広寺の鐘を鋳造した際にも、天明鍛冶39人が上洛して制作にあたったという。
この一族が鵜の木村(大田区)に移り住んだのが天明家の祖で、江戸時代には鵜の木村の名主をつとめた。現在でも大田区鵜の木付近には、「天明」という珍しい名字が集中している。

 

渋谷から青山通りを、さらにその先まで歩いてみた(3)

私の好きなビル
骨董通りにあるなぜだか昔から好きなデザインのビル
私の好きなビル_1
向かいのビルに映った姿も美しい
私の好きなビル_2
常陸宮邸
薩摩藩の屋敷だったが、篤姫のお輿入れで徳川幕府のものとなり、新政府になってからは、常盤松御用邸として使用されていた。一時、東宮仮御所が置かれていたこともある。現在は常陸宮邸となっている。
常陸宮邸
中目黒の実相山正覚寺
元々は圓融寺の末寺だったが、圓融寺が幕府に睨まれ、天台宗への改宗を余儀なくされた。それを契機に身延山久遠寺の末寺になった。こんな大きなお寺さんを支配下に置くとは、昔の圓融寺は大した存在だったんだ。
開山宝泉院日栄、開基伊達綱村生母浅岡局。
開基浅岡局は仙台の大守伊達綱宗の側室で、姓名を三澤初子といい浄眼院と号す。
また、政岡と称し仙台萩としても知られている。4世日猷に帰依し、没後はその邸を寄付す。
日猷は京都紫竹常徳寺より来住、学徳勝れた中興の祖である。
当初は碑文谷法華寺末寺であったが、元禄4年の不受不施の禁教で廃滅し、身延末となる。
刹堂には局奉持の鬼子母神(伝教大師作)が安置されている。
祖師堂の尊像、厨子、須弥形前机は、はじめ江戸城もみじ山にあり15代将軍徳川慶喜大政奉還の時、新宿牛込常泉寺に遷座され、縁あって当山に移転したと伝えられる。
祖師像は菊紋章の袈裟をかけた坐像である。
また、伊達家から政岡の菩提寺へと贈られた豪華な襖絵があり、寺宝となっている。
また境内の鬼子母神堂は、歌舞伎先代萩の舞台にも登場して有名である。

境内に入ったすぐのところにある石碑
境内に入ったすぐのところにある石碑
山門
山門
三澤初子像…この通りだとすると相当な美人だったことになる
三澤初子
鐘楼
鐘楼
正覚寺鬼子母神堂
正覚寺鬼子母神堂
正覚寺本堂
正覚寺本堂
正覚寺国柱法窟
正覚寺国柱法窟

伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
奈河亀輔・作。安永6年(1777年)4月、大坂・嵐七三郎座にて初演。
江戸時代初期、仙台伊達家に起こった御家騒動を劇化したものである。
伊達家三代当主・綱宗の家督相続を不服とする叔父の宗勝は、酒色によって綱宗を堕落させて隠居させ、綱宗の幼い息子亀千代が万治3年(1660年)に2歳で当主になるや、その後見人として家老の原田甲斐と共に伊達家を支配した。だが、幼君亀千代の毒殺未遂事件が起こるに及び、一門の伊達安芸等は領地境界の紛争に事寄せて宗勝等を幕府に訴えた。
寛文11年(1671年)3月27日、大老・酒井忠清の屋敷で行われた訊問の席で、形成不利と見た原田甲斐は伊達安芸を斬殺、自らも警護の侍に殺された。原田甲斐の一族は全て死罪となり、宗勝一味も処罰されて事件は幕を下ろした。女形きっての大役である乳母政岡は、亀千代の乳母もしくは生母がモデルと言われている。

 

渋谷から青山通りを、さらにその先まで歩いてみた(2)

表参道交差点付近
石灯籠はとてつもなく大きい。付近のいる人と比べればわかる
表参道交差点付近_2
表参道交差点付近_3
紀伊国屋の入っているビル
折れそうな気がして、このビルの高層階部分には行きたくない。人目を惹くビルであることは間違いがないが。
表参道交差点側からは、ごく普通のビルに見える。

紀伊国屋の入っているビル_1
紀伊国屋の入っているビル_2
正面よりもやや渋谷側から見ると、物凄く不安定な感じに見えてしまう。
紀伊国屋の入っているビル_3
紀伊国屋の入っているビル_6
かなり離れてみても奇異な感じは消滅していない
紀伊国屋の入っているビル_8
MAXMARA
やはりこういうふうに安定したビルのほうが落ち着く
MAXMARA

 

渋谷から青山通りを、さらにその先まで歩いてみた(1)

渋谷から青山通りを表参道交差点まで歩き、少し戻って骨董通りをも歩いてみた。新年会に参加した後、延々と祐天寺駅まで。随分な距離を歩いた。

がらっと様相が変わりつつある渋谷駅
もう間もなく姿を消す東横線渋谷駅ホーム。カウントダウンが始まっていた。
東横線渋谷駅_1
東横線渋谷駅_2
東横線渋谷駅_3
東横線渋谷駅_4
渋谷駅東口の銀座線近くには何やら太い支柱が据えられようとしていた。この上に銀座線の新しいホームができるようだ。ホームがかなり離れていた埼京線は山手線と平行する位置に変わる。これはかなり便利になるが、行く用事がなくなってしまった。
再開発イメージイラスト
銀座線の新しいホーム_1
銀座線の新しいホーム_2
銀座線の新しいホーム_3
こどもの城
私はここに子供を連れてきた記憶が無い。大した父親ではなかったのかな。
こどもの城_1
こどもの城_2
こどもの城_3
国連大学とその前でのフリーマーケット
これから歩きまわるつもりだったので、買い物自体はパスさせてもらった
なかなか粋な感じの出店者が多い
国連大学とその前でのフリーマーケット_1
国連大学とその前でのフリーマーケット_2
国連大学とその前でのフリーマーケット_3
国連大学とその前でのフリーマーケット_4
国連大学とその前でのフリーマーケット_5
国連大学とその前でのフリーマーケット_6
国連大学とその前でのフリーマーケット_7
国連大学とその前でのフリーマーケット_8

 

江戸東京たてもの園(14)

E4子宝湯(こだからゆ)
東京の銭湯を代表する建物です。神社仏閣を思わせる大型の唐破風(からはふ)や、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の折上格天井など贅(ぜい)をつくした造りとなっています。
[足立区千住元町/1929年(昭和4)]

暖簾が下がっていなければ、どこかの格式あるお寺さんでも十分通用しそうな建物だ。宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」の「油屋」のモデルになった銭湯とのこと。スタジオジブリはここ江戸東京たてもの園で随分とアイディアを得たようだ。
堂々たる唐破風だ
子宝湯_1
唐破風の下の兎毛通し…兎の毛通し:唐破風(からはふ)の中央に取り付ける懸魚(げぎょ)のこと。その奥に宝船に乗る七福神の彫刻があるが、撮影が下手だったのか陰になってしまった。m(_ _)m
子宝湯_2
子宝湯_3
脱衣所の折上格天井
子宝湯_4
番台の前は見学者のためにわざと開けてあるんだろう
子宝湯_5
大きな姿見が嵌めこまれていた
子宝湯_6
子宝湯_7
子宝湯_8
浴槽自体はそれほど大きいものではない。女湯の絵はどこを描いたものだろうか?
子宝湯_9
浴室の天井は驚く程高い
子宝湯_10
子宝湯_11
姿見で何やら遊んでいるお爺さんがいた
子宝湯_12
子宝湯_13
子宝湯_14
男湯の絵は定番のものだった
子宝湯_15

 

江戸東京たてもの園(13)

E5仕立屋(したてや)
明治初期に現在の文京区向丘に建てられた〈出桁造り〉の町家です。 内部は大正期の仕立屋の仕事場を再現しています。
[文京区向丘一丁目/1879年(明治12)]

仕立屋_1
仕立屋_2
ガス灯が下がっている。明治後半から大正にかけて一般家庭の一部にも普及した。この仕立屋さんでは、こてを使っていたようだが、ガスアイロンが必需品だった時代もあるのだ。
仕立屋_3
仕立屋_4

仕立屋の詳しい解説があるHPへjump

 

江戸東京たてもの園(12)

E14万徳旅館(まんとくりょかん)

青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館です。建物は創建当初に近い姿に、室内は旅館として営業していた1950年(昭和25)ころの様子を復元しています。
[青梅市西分町/江戸時代末期~明治時代初期]

私が生まれた頃はまだ、こういう形で営業していたようだ。都心でもビジネスホテルなど無かったようで、同じような働きをしていたのだろう。ちょっと泊まってみたい感じの商人宿だ。
上の屋根は杉皮葺き、下の屋根は橡葺き(とちふき)になっているが、外から見える通り、防火上の観点からその上に大波鋼板を被せてあるとのこと。
ガラス戸は随分後の時代になってから導入されたはず。当初は、障子戸だったと思う。

万徳旅館_1
万徳旅館_2
万徳旅館_3
万徳旅館_4
万徳旅館_5
万徳旅館_6
万徳旅館_7
万徳旅館_8
万徳旅館_9
今では珍しい釣瓶井戸だったようだ
万徳旅館_10
万徳旅館_11

移築復元工事の様子へjump

 

江戸東京たてもの園(11)

E2小寺醤油店(こでらしょうゆてん)
大正期から、現在の港区白金で営業していた店です。味噌や醤油、酒類を売っていました。
庇の下の腕木とその上の桁が特徴の〈出桁造り(だしげたづくり)〉がこの建物のみどころです。
[港区白金五丁目/1933年(昭和8)]

味噌や醤油、酒類を商っていた。而して看板は『小寺醤油店』としたのか。今だと専門店の少ない順から、醤油、味噌、酒かな。なぜ、酒店としなかったのか?主人のこだわりがあったのだろうか?調べてみたら、創業者が醤油造りの蔵元で修行したためのようだ。
建物の側面に一切開口部がないのは、今の東京の建て込んだ状況と同じだ。この頃からそうだったのだろうか?母屋の右隣りに立つ袖蔵は、鉄筋コンクリート造2階建だそうだ。
小寺醤油店_0
小寺醤油店_1
小寺醤油店_2
小寺醤油店_3
小寺醤油店_4
小寺醤油店_5
小寺醤油店_6
こんなに堅牢な金庫を用意するほど売上があったのだろうか
小寺醤油店_7
随分と小粋な火鉢だ
小寺醤油店_8
小寺醤油店_9
小寺醤油店_10
小寺醤油店_11

詳しい解説があるHPへjump

 

江戸東京たてもの園(10)

E12川野商店(和傘問屋)
傘づくりが盛んであった江戸川区小岩に建てられた和傘問屋の建物です。内部は1930年(昭和5)ころの和傘問屋の店先の様子を再現しています。
[江戸川区南小岩八丁目/1926年(大正15)]

貧乏な武士は傘張りの内職をしていたなどと時代劇では描かれているが、本当にそうだったのかなとずっと考えていた。江戸詰めの武士以外には、運搬コストなどを考えると、そんな内職の口は無かったように思う。
工程が説明されていたが、相当に熟練の業が必要なようで、江戸に住んでいるというくらいで、そう簡単にこの作業をやるわけにはいかなかったのでは。…そんなことを考えながら見ていた。
明治になって、こうした問屋の中心地が青山から小岩に移ったのは、一部で内職を請け負っていた武士階級がいなくなり、自分たちで作業するようになった関係からだろうか。

川野商店(和傘問屋)_0
川野商店(和傘問屋)_1
川野商店(和傘問屋)_2
川野商店(和傘問屋)_3
川野商店(和傘問屋)_4
川野商店(和傘問屋)_5
川野商店(和傘問屋)_6
川野商店(和傘問屋)_7
川野商店(和傘問屋)_8
川野商店(和傘問屋)_9
花市生花店、武居三省堂の斜め向かいに、落ち着いた和風建築の「川野商店」がある。大正15年(1920)江戸川区南小岩八丁目に建てられた木造二階建ての建物である。切妻造り桟瓦葺、出桁造りで、重厚な屋根の造りや、江戸以来の町家の正統的特質を継承する格子戸などの造作が特徴である。2階は、両側面の庇と組高欄が視覚的に強い印象を与える。1階の庇を出桁造りとせず通常のおさまりにする一方で、背面を出桁としている。
「川野商店」は、和傘問屋を営んでいた。東京での和傘の製造は、江戸時代には青山あたりが中心であったが、明治中頃から小岩に移ったといわれる。竹材が豊富であったことと、傘を天日干しするために広い土地が必要とされたためである。

 

横浜の海沿い(9)

帆船『日本丸』
みなとみらい地区の重要な展示物。これを見逃す手はない。内部も素晴らしい。是非とも内部も見学されることをおすすめしたい。
帆船『日本丸』_1
帆船『日本丸』_2
帆船『日本丸』_3
帆船『日本丸』_4
帆船『日本丸』_5
帆船『日本丸』_6
帆船『日本丸』_8
帆船『日本丸』_9
帆船『日本丸』_10
帆船『日本丸』_11
帆船『日本丸』_12
帆船『日本丸』_13
帆船『日本丸』_14
帆船『日本丸』_15


以上で『横浜の海沿い』シリーズは終了です。最後までお付き合いいただき有難う御座いました。

 

昨日の降雪

昨日の降雪の様子をRAWで
昨日の降雪は凄かった。朝方は雨だったのに、気づいたら霙になり、あっという間に雪になった。湿気を大量に含んだ大粒のボタン雪が間断なく降りしきる。積もらないでという願いも虚しく、かなりの積雪量に。少し雪掻きをしたが、すごく重い雪だった。
その降雪模様を、今回初めてRAWで撮って、ソフトウェアで現像する方法を採用してみた。やってみたが、持って生まれた性格で、あまり派手派手しい色にはできない自分がいた。

自宅ビルの6階ベランダから呑川遊歩道を望む。ここまでは地下ケーブル化する予定なので、こういう景色は今回が最後かもしれない。
昨日の雪_1
自宅ビルの6階ベランダから斜め下のバス道路を望む。よせばいいのに、こんな日にも自家用車を走らせる人がいる。
昨日の雪_2
中根2丁目の住宅街。ひっそり閑としていた。色彩がなくなっている。雪がやんだように見えるが、とんでもなく降っている。
昨日の雪_3
ついでにコンデジで撮った画像も
目で見た感じに近い
コンデジ_1
我が家のテラスの手摺にも
コンデジ_2

 

横浜の海沿い(8)

MM21地区の見事な景観
今回は下から撮った写真のみとした。最近、多くの方が試みているのが、ランドマークの展望階からの俯瞰図。他の建物よりもかなり高いために、かなり迫力のある絵となる。結構決まる感じだ。
MM21地区の見事な景観_1
MM21地区の見事な景観_2
MM21地区の見事な景観_3
MM21地区の見事な景観_4
MM21地区の見事な景観_5
MM21地区の見事な景観_6
MM21地区の見事な景観_7
MM21地区の見事な景観_8

 

横浜の海沿い(7)

山下公園からMM21方面へ向かう
山下臨港線プロムナードを使って、まずは赤レンガ倉庫をめざす。そしてさらに先へと…
横浜税関…横浜三塔の一つ『クイーンの塔』がそびえる
横浜税関_1
横浜税関_2
Yokohama Blue
Yokohama Blue_1
Yokohama Blue_2
県庁舎…横浜三塔の一つ『キングの塔』がそびえる
今回登場しない三塔の一つ『ジャックの塔』は開港記念会館の塔である。
県庁
オナガガモ
こんな水の淀んだところにいると、お腹を壊すよ
オナガガモ
赤レンガ倉庫
倉庫を改造したスペースには誰もが胸をときめかすような瀟洒なお店がずらりと並ぶ。これぞ、exotic YOKOHAMAという感じ。
赤レンガ倉庫_1
赤レンガ倉庫_2
赤レンガ倉庫_3
赤レンガ倉庫_4
赤レンガ倉庫_5
赤レンガ倉庫スケートリンク
赤レンガ前のスペースでは、色々なイベントが開催されるが、今の時期はこのようなスケートリンクが開設されている。
赤レンガ倉庫スケートリンク_1
赤レンガ倉庫スケートリンク_2
大桟橋
大桟橋
あれは何?
あれは何?
巨大な歩道橋
巨大な歩道橋_1
巨大な歩道橋_2
カップヌードル・ミュージアム
オリジナルのカップヌードルを作ることができるようだ。でも賞味期限があるからいずれは食べてしまわなければ…
カップヌードル・ミュージアム

 

横浜の海沿い(6)

飛鳥Ⅱの出港

ROYAL WING
先にROYAL WINGが動く。バックして飛鳥Ⅱが停泊していた側に移る準備をしだした。
ロイヤルウイング:日本で唯一のエンターテイメント レストラン船で、旅客定員630名の大型客船
ロイヤルウイングも素晴らしい船のようだ。一度乗ってみたいと思っている。
ROYAL WING_1
ROYAL WING_2
ROYAL WING_3
ROYAL WING_4
ROYAL WING_5
ROYAL WING_6
ROYAL WING_7

飛鳥Ⅱ
少し遅れて飛鳥Ⅱも動き出したようだ。こちらはベイブリッジをくぐり抜けて出港だ。
飛鳥Ⅱの母港は横浜港で、それがために停泊時は船尾を陸地側に向けて停泊するとのことだ。したがって、出港時は方向転換をせずにすっと出ていく感じになる。
飛鳥Ⅱ_1
飛鳥Ⅱ_2
飛鳥Ⅱ_3
飛鳥Ⅱ_4
飛鳥Ⅱ_5
飛鳥Ⅱ_6
飛鳥Ⅱ_7
飛鳥Ⅱ_8
飛鳥Ⅱ_9
飛鳥Ⅱ_10
飛鳥Ⅱ_11
飛鳥Ⅱ_12
飛鳥Ⅱ_13
間もなくベイブリッジの真下に入る
飛鳥Ⅱ_14
飛鳥Ⅱ_15

 

横浜の海沿い(5)

氷川丸(4)
船内の様子(4)
氷川丸からの眺め
マリンタワーからほどではないにしても、良い場所にあるため結構な眺めだ
氷川丸からの眺め_1
氷川丸からの眺め_2
氷川丸からの眺め_3
氷川丸からの眺め_4
クルーズ船『飛鳥Ⅱ』とレストラン船『Royal Wing』
氷川丸からの眺め_5
氷川丸からの眺め_6
氷川丸からの眺め_7
氷川丸からの眺め_8
機関室
機関室は他の船も同様だと思われるが、相当のスペースを占める。相当な迫力を感じた。
機関室_1
機関室_2
機関室_3
機関室_4
機関室_5
機関室_6
機関室_7
機関室_8
機関室_9
機関室_10
機関室_11
機関室_12
機関室_13
機関室_14
三等船室
2段ベッドで8人部屋。場所も機関室と同じフロア。一等船室とは大違いで、圧迫感、閉塞感があるようだ。
三等船室

 

横浜の海沿い(4)

氷川丸(3)
船内の様子(3)
一等特別船室
一等船室_9
一等船室_10
一等船室_11
一等船室_12
一等船室_13
一等船室_14
一等船室_15
船長室
この部分は執務室だが、この他に寝室と浴室とがある。
船長室_1
船長室_2
船長室_3
操舵室
操舵室_1
操舵室_2
操舵室_3
氷川丸なので同名の氷川神社からお守りを頂いているとのことだ
操舵室_4
操舵室_5

 

横浜の海沿い(3)

氷川丸(2)
船内の様子(2)
当時の記念品
当時の記念品_1
当時の記念品_2
当時の記念品_3
当時の記念品_4
当時の記念品_5
当時の記念品_6
一等喫煙室
一等喫煙室
一等喫煙室のステンドグラス
一等喫煙室のステンドグラス
一等船室
飾り毛布も展示されていた
一等船室_1
一等船室_2
一等船室_3
一等船室_4
一等船室_5
一等船室_6
一等船室_7
一等船室_8

 

横浜の海沿い(2)

氷川丸(1)
氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。現在は横浜市で博物館船として公開されている。
余計な説明を挟まずに見ていただくのが一番だと思う。
氷川丸の外観
氷川丸の外観_1
氷川丸の外観_2
氷川丸の外観_3
氷川丸の外観_4
氷川丸の外観_5
船内の様子(1)
船室前の通路
船室前の通路_1
船室前の通路_2
船室前の通路_3
船室前の通路_4
一等食堂
一等食堂_1
一等食堂_2
一等食堂_3
一等食堂_4
一等食堂_5
一等食堂_6
雰囲気のある階段
雰囲気のある階段_1
雰囲気のある階段_2
雰囲気のある階段_3
一等社交室
一等社交室_1
一等社交室_2
一等社交室_3
一等社交室_4

 

横浜の海沿い(1)

首都圏では降雪があるかも知れないという肌寒い日。それそろ、新しい種を仕込むべく、横浜の海沿いを歩いた。

マリンタワー
何度も見ているのに、実際に中には入ったことのないところから始めたかった。ということで、まずはマリンタワーに上った。
氷川丸とのセット券だと850円。少々高いが、この収容客数があまり多くない施設を維持するためには仕方がないのだろう。それほど高い塔ではないが、ロケーションが良い所為か、いろいろなものが見える。

真下から見上げたマリンタワー
下から見上げたマリンタワー
展望台内の様子…イメージした通り展望室はこじんまりしている
展望台内の様子
近くの海辺の様子_1
近くの海辺の様子_2
近くの海辺の様子_3
横浜ベイブリッジ
近くの海辺の様子_4
氷川丸
近くの海辺の様子_5
大桟橋に飛鳥Ⅱが停泊していた
近くの海辺の様子_6
MM21地区
近くの海辺の様子_7
スカイツリーを望む…北北東方向。その左、真北にある山は男体山かな?
スカイツリー
東京タワーを望む…スカイツリーよりは左側というか新宿副都心方向に
東京タワー
光芒…天使の梯子、レンブラント光線などの別名がある。
光芒_1
光芒_2
光芒_3
エリスマン邸…当然エリスマン邸からもマリンタワーが見える
エリスマン邸
外人墓地
外人墓地
港の見える丘ほか
港の見える丘
アメリカ山公園
アメリカ山公園

 

江戸東京たてもの園(9)

E6武居三省堂(文具店)(たけいさんしょうどう)
看板建築が銅板加工のファザード(建物の正面をなす外観)を持っているものだけを指すものではないと前回記述したが、このタイル貼りの建物も看板建築のバリエーションの内だ。
屋根はこの写真ではわかりにくいが、勾配が上部はゆるく、軒に近い方で急に折れ曲がった屋根(マンサード屋根)が特徴だとのこと。窓を設けて、屋根裏部屋として用いられるようだ。当時は3階建は認められていなかったようで、監督官庁だった警視庁が、お目こぼしの便法として教えていたとのこと。
店の名前は、曾子曰 吾日三省吾身 …(曾子曰く、吾(われ)日に三たび吾が身を省(かえり)みる)に由来するらしい。三省堂書店とはまったく別の経営。
店内のたくさんの引き出しは、千と千尋の神隠しの中に出てくる「かまじい」の部屋のモデルになったのだそうだ。
武居三省堂_1
武居三省堂_2
武居三省堂_3
明治初期に創業した文具店です。当初は書道用品の卸をしていましたが、後に小売店に変わりました。
建物は震災後に建てられた〈看板建築〉で前面がタイル貼りになっていて屋根の形にも特徴があります。
[千代田区神田須田町一丁目/1927年(昭和2)]


E7花市生花店(はないちせいかてん)
平成の初めまで店舗として使われていたようだ。生花店という業態が幸いしたのか、今でもそれほど違和感なく使える感じだ。
写真でははっきりしないが、ここの看板(看板建築のことではなく看板そのもの)は、上部にFlolist、下部にハナ(左から読むとナハ)と書かれている。ちょっと、そこだけが奇異に感じるところかもしれない。
花市生花店_1
花市生花店_2
昭和初期に建てられた〈看板建築〉の花屋です。建物の前面は花屋らしくデザインされています。店内は昭和30年代の花屋を再現しています。
[千代田区神田淡路町一丁目/1927年(昭和2)]

 

江戸東京たてもの園(8)

村上精華堂(むらかみせいかどう)(E11)

看板建築の建物が並んでいる中で、この建物だけは異種のモルタルのものだと思っていた。だから、見せ方に統一性がないと思っていたのだが、それは間違いだった。これも立派な看板建築のバリエーションの内だとのこと。何もファザード(建物の正面をなす外観)に銅板を使ったものだけを看板建築というのでは無さそうだ。この建物の場合は、単なるモルタルではなく、人造石洗い出しという特殊な手法で仕上げたものらしい。
ファザードにイオニア式の柱まで作ってしまう凝りよう。まるで、昔の丸の内のビルのミニ版だ。すごいものだ。西洋へのあこがれが相当強い時代だったのだろう。

村上精華堂_1
村上精華堂_2
村上精華堂_3
村上精華堂_4
はりぼてのようだがイオニア式の飾り柱に見えなくもない
村上精華堂_5
村上精華堂_6
村上精華堂_7
村上精華堂_8

台東区池之端の不忍通りに面して建っていた小間物屋(化粧品屋)です。
昭和前期には、化粧用のクリーム・椿油や香水等を作って、卸売りや小売りを行っていました。正面は人造石洗い出しで、イオニア式の柱を持ち、当時としてはとてもモダンな造りとなっています。
[台東区池之端二丁目/1928年(昭和3)]


看板建築とはなんぞやということが気になってきたので、調べてみた。
①木造の建物で建物の前面がファサード(平坦な造り)になっている。
(土蔵造りや出桁造りのような軒の出が無い。)
②外観上3階建てに見えるものが多いが、その殆んどが2階建てに屋根裏を設けた造り。
③屋根には、屋根裏を設けるのに有効なマンサード屋根(腰折れ屋根)を用いることが多い。
④ファサードは銅板やタイル、スレートを張ったり、モルタルで仕上げる。
これは防火対策を計ったものだが、建物を表情豊かに飾り立てる手段ともなっている。
⑤外観は洋風、内部は和風。
⑥間口が狭く、奥行きのある建物が多い。1階入ってすぐが店舗。その奥と2階以上が居住空間となっている。

 

江戸東京たてもの園(7) 2013.01.16追記

大和屋本店(乾物屋)(E13)  末尾にジャンプ先を追記
港区白金台に1928年(昭和3)に建てられた木造3階建ての商店です。3階の軒下を伝統的な〈出桁造り〉にする一方、間口に対して背が非常に高く、看板建築のようなプロポーションを持ったユニークな建物です。戦前の乾物屋の様子を再現しています。
[港区白金台4丁目/1928年(昭和3)]

私が移築前の様子を見たことがある唯一の建物。その当時は銘茶・乾物等を扱う山城園と言う名のお店だった。聖心女学院初等科、中等科、高等科のすぐそばのバス通リ(目黒通り)に面した店だった。どこかで見た建物だと思っていたのだが、帰り際に資料を入手して、漸く記憶と結びついた。
伝統的な出桁造りであるとともに、看板建築でもあるユニークな建物だそうだ。

大和屋本店(乾物屋)_1
大和屋本店(乾物屋)_2
大和屋本店(乾物屋)_3
大和屋本店(乾物屋)_4
後ろから見てもなかなか立派な建物だ。
大和屋本店(乾物屋)_5
出桁造り:江戸・明治・大正時代を経て関東大震災に至るまでの一般的な商家(店舗兼住宅)建築の一つに、軒が大きく前面に張り出した「出桁(だしげた)造り」と呼ばれるものがある。梁(腕木)を柱の外に突出して、出桁を乗せ、その上に垂木(たるき)を架けて瓦屋根を支えるという力学的な構造が露になった造り。

移築復元工事の様子へjump

 

江戸東京たてもの園(6)

鍵屋(居酒屋)[旧武蔵野郷土館収集](E3)
今でも鍵屋という居酒屋さんは鶯谷にあり、相当な繁盛店だそうだ。元々の建物を江戸東京たてもの園の前身の武蔵野郷土館に寄贈していただいたようだ。そのような気風の良さが今でも繁盛しているモトなのかもしれない。
現在の店舗の方にも行ってみたくなった。

居酒屋『鍵屋』外観
居酒屋『鍵屋』店内_1
樽の椅子なんて粋じゃないか
居酒屋『鍵屋』店内_2
居酒屋『鍵屋』店内_3
ずっと気づかずにいたが、カブトビールのPR額があった。明治31年に「カブトビール」の醸造工場として建造されたのが、半田赤レンガ建物だったと聞いたばかりなのに。
居酒屋『鍵屋』店内_4
居酒屋『鍵屋』店内_5
『仏国機那葡萄酒』『機那鉄葡萄酒』とあるが、どんなワインなのだろうか?
居酒屋『鍵屋』店内_6
居酒屋『鍵屋』店内_7
台東区下谷の言問通りにあった居酒屋です。
震災・戦災をまぬがれた鍵屋は、1856年(安政3)に建てられたと伝えられています。
建物と店内は1970年(昭和45)頃の姿に復元しています。
[台東区下谷二丁目/1856年(安政3)]


現在の店舗を案内しているブログにjump

 

江戸東京たてもの園(5)


昨年末中断していた江戸東京たてもの園の紹介を再開します。


植村邸(E9)

当時の最先端を行くモダンさだったのか。貴金属商の主自身が建物をデザインしたようだ。お向かいの丸二商店の看板建築は、普通程度の贅沢さの銅板加工だろう。それに対して、この植村邸は、凝りに凝った銅板加工を施している。
当時の耐火建築だというが、『これくらいで耐火性能があったとは思えない』と私が疑問を口にすると、説明担当のボランティアに焼夷弾の痕を見せられた。そして、『この建物があった辺りは全滅だったようだ。ここだけが無事残った…』とのこと。してみると、想像以上に耐火性能があったということになろう。それにしても、すごいものだ。

正面
すごく立派なものだ
植村邸正面
背面
背面まで銅板を張ったのは珍しいと思う
植村邸背面
手の込んだ銅板加工
造らせた施主の理想と請け負った職人の腕の高さとが見事に相まって、このようなものに仕上がったのだろう。
手の込んだ銅板加工_1
手の込んだ銅板加工_2
手の込んだ銅板加工_3
手の込んだ銅板加工_4
焼夷弾の痕
焼夷弾の痕

丸二商店の向かいに「植村邸」が移築されている。建築主の植村三郎氏自身の設計で、昭和2年(1927)中央区新富二丁目に貴金属を扱う商店として建設された。木造三階建の建物であり、都内の看板建築の中でももっとも完成度の高いものの一つであるという。正面を覆う銅版は装飾的に仕上げられ、特に軒中央部分のア-チの装飾は見事である。2階は和風の造りになっているが、全体的には洋風にまとめられている。特に2階の窓の上にあるアーチ部分の飾りは凝ったもので、その中央はローマ宇の「U」と「S」を重ねたようなデサインとなっている。これは、「植村三郎」のイニシャルか、「植村商店」をあらわすものと考えられる。
この植村邸を建てるにあたって、その仕事を任された職人が現場で銅板を加工しながら、少しずつ作業を進め、数年がかりで作り上げたという。店と居住空間との境界に見ることのできる香(こう)の図組子の摺りガラス戸や菱組欄間など、内部装飾にも見るべきものが多い。施主白身のデザイン意欲と施工にあたった職人の技が建物全体にあふれている。

 

« »

01 2013
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
メッセージボードα
Information from AzTak

10月2日(月)から10月8日(日)は、小旅行などの所用がかさなり、私からのアクセスは遅れます。大変申し訳ありません。m(_ _)m

-- E N D --
.
.
プロフィール

AzTak

Author:AzTak
FC2ブログへようこそ!

定年後の時間たっぷりの輩です。写真撮影やプログラミングが趣味です。

当ブログは、リンクフリーです。

カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
QRコード
QR