散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

洗足池にて(2)

カモたちの様子
私にはっきりわかるのはオスのみ。メスやエクリプス中のオスははっきり言って、よくわからない。
オナガガモ
昼間は休息をとり、夜間に餌場に移動して採餌するが、餌付けされている地域では日中も活動するそうだ。ということで、活発に活動していたようだ。
オス
オナガガモのオス_1
オナガガモのオス_2
メス
オナガガモのメス_1
オナガガモのメス_2
オナガガモのメス_3

キンクロハジロ
ユリカモメや銀杏の葉と比べると小型のカモであることがよく分かる。飛び方はオナガガモなどに比してあまりうまくない。鳩のような羽根をバタバタさせる飛び方だ。あの羽根では致し方ないのかもしれない。
キンクロハジロ_1
キンクロハジロ_2
キンクロハジロ_3
キンクロハジロ_4
キンクロハジロ_5
キンクロハジロ_6
キンクロハジロ_7
カルガモ
あまりにも見慣れているので、今回は殆ど撮らなかった。
カルガモ_1
カルガモ_2

ユリカモメ
冬羽のようだ。夏羽は頭部が黒くなる。杭の上などで日干しをしている姿が目に付く。「名にしおはば いざ言問はむ みやこ鳥 我が思ふ人は ありやなしやと」の鳥。鳩くらいの大きさで、キンクロハジロよりはやや大きい。
ユリカモメ_1
ユリカモメ_2
ユリカモメ_3

 

洗足池にて(1)

何でこんなに
ご覧になった方は、何でこんなにたくさんいるのか不思議に思うだろう。次の瞬間には合点がいくはず。餌を与えているからだ。こんな安易に餌がもらえるとなったら、馬鹿くさいことはしていられなくなる。その挙句、生命力を失わせることにつながらないか危惧するのだが。
何でこんなに_1
何でこんなに_2
何でこんなに_3
遂には喧嘩まで。何種類かのうちで、一番強そうなのは、オナガだった。
遂には喧嘩まで_1
遂には喧嘩まで_2
餌を与えているのだ
餌を与えているのだ_1
餌を与えているのだ_2
餌を与えているのだ_3
手漕ぎボートにも
手漕ぎボートにも_1
手漕ぎボートにも_2
手漕ぎボートにも_3
あっちのほうがくれそうだと思うと、躊躇なく飛んでいく
キンクロハジロも懸命に飛んでいたが、オナガガモのように滑空するようには飛べない
躊躇なく飛んでいく_1
躊躇なく飛んでいく_2
水上飛行機のように飛ぶようだ。足で蹴って勢いをつけている感じ。
躊躇なく飛んでいく_3

杭の上
杭の上はお飾りではない。ユリカモメがラインダンスのようにとどまっている。
と思ったら黒いのが。よく見ると鵜のようだ。でも、遠くてカワウかウミウか判然としなかった。
ユリカモメのラインダンス_1
ユリカモメのラインダンス_2
ユリカモメのラインダンス_3
ユリカモメのラインダンス_4


池の様子
池の様子_1
池の様子_2
池の様子_3
池の様子_4
水が一番綺麗な辺り
水が一番綺麗な辺り_1
水が一番綺麗な辺り_2

 

ヴェルニー公園~観音埼灯台~走水神社(7)

走水神社
ごくごく小さな神社だ。でも、日本書紀の世界とも通じるごくごく長い歴史を持つ神社なのだ。
散歩の締めくくりはここにしようと行く前から決めていた。訪ねてみて良かった。

走水神社_1
走水神社_2
走水神社_3
走水神社_4
走水神社_5
走水神社_6
走水神社_7

古事記(712年)や日本書紀(720年)に出てくる歴史ある地名。どんないわれがあるかは、下記記事を参照されたい。夫のために妻が自らの命と引き替えに…、凄いやり取りがあったものだ。
漢字混じりの文だとこうなる。

さねさし 相模(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも
意味合いは以下のようだ。
相模の小野で炎に囲まれたとき、火の粉が御自分に掛かっていることにも気に留めず、ひたすら私の身を案じて下さった貴方‥‥‥

弟橘媛命の歌碑
弟橘媛命の歌碑_1
弟橘媛命の歌碑_2
弟橘媛命の歌碑_3

走水の地名は、すでに古事記(712年)や日本書紀(720年)の中に表れています。大和朝廷時代には、上総(千葉県)を経て東北地方に渡る最も便利な道として、この地方に古東海道が通じておりました。
走水神社の祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)とその后弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)の二柱です。神社の創建された年代については、享保年間の火災で、神社の記録や社宝が焼失してしまったのでわかりません。
伝説では、景行天皇の即位四十年(110)、東夷征討の命を受けた日本武尊が、この走水から上総へ渡られるにあたり、村民に「冠」を賜りましたので、冠を石櫃(いしびつ)に納めて、その上に社殿を建て、尊を祭ったことに始まると伝えています。日本武尊が渡海の際、海上が荒れ、いまにも舟が沈みそうになりました。海神の怒りであると考えられた弟橘媛命は

 さねさしさがむのをぬにもゆるひの
     ほなかにたちてとひしきみはも

の歌を残し、尊に代わって海に身を投じ、風波を鎮めました。弟橘媛命は、もと旗山崎に橘神社として祭られていましたが、その地が軍用地に買収されたため、明治四十二年、この神社に祭られました。
明治四十三年六月、弟橘媛命の歌碑が、東郷平八郎、乃木希典など七名士により、社殿の裏手に建てられました。
社殿の階段下の右側にある「舵の碑」は、弟橘媛命の崇高な行いにあやかり、航海の安全を願って国際婦人年(昭和五十年)を機に、また、左側にある「包丁塚(ほうちょうづか)」は、走水の住人大伴黒主(おおとものくろぬし)が日本武尊に料理を献じて喜ばれたとの古事により、包丁への感謝と鳥獣魚介類の霊を慰めるため、昭和四十八年に建てられたものです。


社殿の階段下にある碑
弟橘媛命の舵の碑
弟橘媛命の舵の碑_1
弟橘媛命の舵の碑_2
針の碑
針の碑_1
針の碑_2

旗山崎(御所ヶ崎)
上記説明の通り、かつて弟橘媛命が橘神社に祀られていた場所
走水港を抱くように海に突き出た小さな岬、旗山崎(御所ヶ崎)。現在、その頂に登ることはできないが、ここには『古事記』や『日本書紀』の中の東征説話に登場する日本武尊の伝承があり、その地名は尊(ミコト)が東征したとき、ここに臨時の御所を設け、軍旗を立てたという伝説に由来する。
旗山崎(御所ヶ崎)_1
旗山崎(御所ヶ崎)_2
旗山崎(御所ヶ崎)_3

弟橘媛(オトタチバナヒメ)が詳しく説明されているサイトへjump

以上で『ヴェルニー公園~観音埼灯台~走水神社』の記事は終わりです。
ずっとお付き合いいただき有難う御座いました。

 

ヴェルニー公園~観音埼灯台~走水神社(6)

防衛大学校走水海上訓練場
実は大分以前にここに入らせてもらったことがある。ここはカッターとヨットの訓練をする場所だ。
防衛大学校走水海上訓練場_1
防衛大学校走水海上訓練場_2
防衛大学校走水海上訓練場_3
防衛大学校走水海上訓練場_4
カッター訓練
カッター訓練_1
カッター訓練_2
カッター訓練_3
カッター訓練_4
カッター訓練_5
カッター訓練_6
カッター訓練_7
カッター訓練_8
カッター訓練_9
走水神社から撮影
走水神社から撮影_1
走水神社から撮影_2
走水神社から撮影_3
走水神社から撮影_4
ヨット
昔は鹿島郁夫氏が大西洋単独横断に使用したコラーサⅠ世号と同型だったと記憶しているが、今はそんなはずもなく…。でもやはりエンジン無しのままだ。凪の日に港を出るだけでも大変な労力がかかるし、熟練の腕前が必要だろう。
ヨット

道端に干してあった天草
寒天の材料になる海藻
道端に干してあった天草

 

ヴェルニー公園~観音埼灯台~走水神社(5)

船舶の航行の様子

東京湾を侵入してくる際の航行は右側を航行するのがルール。浦賀水道航路では航路が厳格に決められている。千葉県側ということになる。その場合は、残念ながらかなり遠目になる。逆に湾外に出ようとする場合は、こちら側になるのだが。
画面で右側が湾口側(太平洋側)、左側が湾奥側(横浜・東京側)となる。

一般船舶の航行
如何せんレンズが短かすぎた。長いのを持参すべきだった。それでも、霞んでいるのは致し方ないことだが。
一般船舶の航行_1
一般船舶の航行_2
一般船舶の航行_3
一般船舶の航行_4
一般船舶の航行_5

沖合を航行するミサイル駆逐艦DDG56『ジョン・S・マケイン』
拡大してみると56という数字が見える。
アーレイバーク級ミサイル駆逐艦DDG56『ジョン・S・マケイン』 8,315t(イージス艦)のようだ。
ジョン・S・マケイン_1
ジョン・S・マケイン_2
ジョン・S・マケイン_3
パブリック・ドメインのものから
ジョン・S・マケイン_4

かなり遠いがDD-101護衛艦むらさめ
前日午後は横須賀基地に停泊していたが、その後出港していたようだ。
DD-101護衛艦むらさめ_1
以前にアップしたもの
DD-101護衛艦むらさめ_2

岸近くを航行する船舶
こんなに岸近くを航行して座礁しないかと心配だが、近くで何らかの作業するようだ。
岸近くを航行する船舶

 

ヴェルニー公園~観音埼灯台~走水神社(4)

観音崎(2)

観音崎の地名と海蝕洞窟
観音崎の地名は、奈良時代の僧行基が舟の安全のため、十一面観音(舟守観音)を海蝕洞窟に収めたことに由来する。
観音寺跡の説明書き
洞窟の由緒
天平13(741)年春、行基が、ここに住んでいた大蛇を退治して、その霊を鵜羽山権現として祀ると共に、洞窟の沖合で入水して海を鎮められた弟橘媛命をイメージして十一面観音像を安置した。以来、海上安全、人命守護の霊地として信仰された。
海蝕洞窟

観音崎の入江
見飽きることのない景色だ
観音崎の入江_1
観音崎の入江_2
観音崎の入江_3
観音崎の入江_4
観音崎の入江_5
観音崎の入江_6
観音崎の入江_7
観音崎の入江_8
観音崎の入江_9
観音崎の入江_10
観音崎の入江_11

観音崎ボードウォーク
釣りに興じるもよし、沖行く船舶を眺めるもよし、それを撮るのもよし。なんでもござれのところだ。写真を撮るならできるだけ長いレンズがほしい。短いレンズだと苛々する。
観音崎ボードウォーク_1
観音崎ボードウォーク_2
観音崎ボードウォーク_3
観音崎ボードウォーク_4
観音崎ボードウォーク_5
観音崎ボードウォーク_6
観音崎ボードウォーク_7
観音崎ボードウォーク_8

横須賀美術館
外から見ても素敵な美術館だと思うが、美術館側から見た海の景色も最高だそうだ。
横須賀美術館_1
横須賀美術館_2
横須賀美術館_3

観音崎京急ホテル
昔から憧れのホテルだ。
観音崎京急ホテル_1
観音崎京急ホテル_2
観音崎京急ホテル_3
観音崎京急ホテル_4
観音崎京急ホテル_5
ボードウォークからみた観音崎京急ホテル
ボードウォークからみた観音崎京急ホテル

 

ヴェルニー公園~観音埼灯台~走水神社(3)

観音崎(1)
観音崎には何度かきたことがあるが、恥ずかしながら灯台にのぼったことはなかった。前から一度は行かなければと思っていたし、天気も良かったので、思い切って行ってみることにした。
岬の名前は『観音崎』で、灯台の名前は『観音埼』のようだ。三浦半島東端に位置する。海上交通を管理制御する最重要拠点であり、神奈川県立観音崎公園に指定されている景勝地でもある。

海上保安庁東京湾海上交通センター
観音崎行きのバス終点から見える大きな構築物。観音埼灯台だと誤認する向きも少なくなかろうが、海上保安庁の東京湾海上交通センターだ。今回は高所恐怖症を何とか封じ込めて観音埼灯台にはのぼったが、こちらのセンターへは足を伸ばさなかった。灯台から更に310mほど歩いて行ったところにある。山道を登り降りするのは、正直に言って非常にきつい。ということで、崖下からと灯台から見た写真のみ。
東京湾海上交通センター_1
東京湾海上交通センター_2
東京湾海上交通センター_3
東京湾海上交通センター_4
東京湾海上交通センター_5
前述のとおり、灯台から更に310m歩いて行かなければならない
東京湾海上交通センター_6
東京湾海上交通センター_7
横須賀美術館前から
東京湾海上交通センター_8

浦賀水道航路及び中ノ瀬航路へ入航する巨大船等から入航前に航路入航予定日時、その変更があればその変更日時等の通報(航路通報)を受理し、航路入航時刻の決定及びその指示を行います。
また、東京湾に設置されている4つのレーダ(観音埼、本牧、海ほたる、浦安局)及び各々の船舶からの位置の通報(位置通報)により航路内の船舶の動静を把握し、航法是正及び船舶衝突等の危険が予想される場合の注意喚起、視界不良時における航行制限など航路航行中の船舶に対して航行安全のための適切な指示、助言を行っています。


観音埼灯台
観音埼灯台は、神奈川県横須賀市、三浦半島東端の観音崎に立つ日本で最初の洋式灯台。白色八角形の中型灯台で、日本の灯台50選に選ばれている。
観音埼灯台_1
観音埼灯台_2
観音埼灯台_3
観音埼灯台_4
観音埼灯台_5
灯ろう…電球やレンズを風雨から守る部分
灯ろう
信号吹鳴器
霧信号吹鳴器
句碑『霧いかに深くとも嵐強くとも 虚子』
句碑『霧いかに深くとも嵐強くとも 虚子』

東京湾、浦賀水道を照らし、東京湾海上交通センターとあわせ海上交通が輻輳する浦賀水道航路の安全に寄与している。また日本初の洋式灯台であり、この灯台の着工日を記念して11月1日が灯台記念日に指定された。初代の設計はレオンス・ヴェルニー等が担当したが、大正時代の地震により2度再建され、現在の灯台は3代目にあたる。周辺は県立観音崎公園となっており、自然環境が保護されている。

灯台からの眺め
灯台からの眺め_1
灯台からの眺め_2
灯台からの眺め_3
灯台からの眺め_4
灯台からの眺め_5

灯台に至る道
最初は東京湾海上交通センターの方が見えている
灯台に至る道_1
灯台に至る道_2
灯台に至る道_3
灯台に至る道_4
灯台に至る道_5
此処から先は急勾配になる
灯台に至る道_6
灯台に至る道_7
灯台に至る道_8
灯台に至る道_9
灯台に至る道_10
灯台に至る道_11
灯台に至る道_12
その帰り道
帰り道_1
帰り道_2
帰り道_3
帰り道_4

 

ヴェルニー公園~観音埼灯台~走水神社(2)

ヴェルニー公園(2)

ヴェルニー公園の様子
ヴェルニー公園の様子_1
ヴェルニー公園の様子_2
ヴェルニー公園の様子_3
ヴェルニー公園の様子_4
ヴェルニー公園の様子_5
ヴェルニー公園の様子_6
ヴェルニー記念館
ヴェルニー記念館

確認できた日米の艦船
カウペンス
ヴェルニー公園から見えるエリアにいたのは1艦のみ。タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦CG63『カウペンス』だけだった。ちょっと手薄過ぎないか心配ではある。
ミサイル巡洋艦CG63『カウペンス』_1
ミサイル巡洋艦CG63『カウペンス』_2
この位置からは船籍番号は確認できない
ミサイル巡洋艦CG63『カウペンス』_3
カウペンスの航行写真へ

いかづち、むらさめ、はたかぜ
ヴェルニー公園から見えるエリアにいたのは、次の3艦のみ。
むらさめ(DD-101)は、海上自衛隊が使用する汎用護衛艦
いかづち(DD-107)は、海上自衛隊のむらさめ型護衛艦
はたかぜ(DDG-171)は、海上自衛隊の第三世代ミサイル搭載護衛艦
いかづち、むらさめ、はたかぜ_1
右奥が「はたかぜ」
いかづち、むらさめ、はたかぜ_2
いかづち、むらさめ、はたかぜ_3
米補給艦ジョン・エリクソンから洋上補給を受ける「むらさめ」…パブリックドメインの写真から
米補給艦ジョン・エリクソンから洋上補給を受ける「むらさめ」
米空母と併走する「いかづち」…パブリックドメインの写真から
米空母と併走する「いかづち」
はたかぜ…パブリックドメインの写真から
640px-DDG171Hatakaze

 

ヴェルニー公園~観音埼灯台~走水神社(1)

ヴェルニー公園(1)

アオサギ
アオサギだと思うが、今まで見たアオサギはいずれも陸地であり、今回のように海上で見かけたのは初めて。
飛び立つ瞬間
飛び立つ瞬間_1
飛び立つ瞬間_2
飛び立つ瞬間_3
飛び立つ瞬間_4
飛び立つ瞬間_5
飛び立つ瞬間_6
飛び立つ瞬間_7
飛び立つ瞬間_8
着地しようとする瞬間
着地しようとする瞬間_1
着地しようとする瞬間_2
着地しようとする瞬間_3
着地しようとする瞬間_4
着地しようとする瞬間_5

まだ、頑張っていた薔薇
HT:ハイブリッド・ティーローズ…直立性で四季咲きのシュラブで、ほとんどが高芯咲きで芳香のある物が多く、八重咲きの花を3個ずつ夏から秋につける。
FL:フロリーバンダ・ローズ…直立性で四季咲きの、芳香の物がある。一重から完全八重咲きで、3個から25個の花を房状に、夏から秋に咲かせる。ハイブリッド・ティーよりコンパクトに育ち、花の量も多く、他の植物との相性が良い。

日本で開発したもののみをピックアップする。
楽園 HT
楽園
宴 HT
宴
天の川 FL
天の川
紅 FL
紅
希望 HT
希望
芳純 HT
芳純

 

祐天寺(2)

本堂
『新編武蔵風土記稿』によれば、本堂に祀られているのは祐天大僧正の木像。
本堂_1
本堂_2
本堂_3
本堂_4
本堂_5
本堂_6
本堂_7
本堂_8
本堂_9
本堂_10
本堂_11
本堂_12
本堂_13
仏舎利殿と大絵馬『祐天上人かさね済度』
『新編武蔵風土記稿』に記載なし。ピッカピカの新しい建物だ。
仏舎利殿と大絵馬『祐天上人かさね済度』_1
仏舎利殿と大絵馬『祐天上人かさね済度』_2
仏舎利殿と大絵馬『祐天上人かさね済度』_3
書院
『新編武蔵風土記稿』に『客殿』と記載されているものだろうか?この建物は仏舎利殿と同様に明らかに新しい建物だ。
書院
梵鐘と鐘楼
六代将軍家宣夫人天英院が寄進した。
梵鐘と鐘楼_1
梵鐘と鐘楼_2
累塚
祐天上人は、『祐天上人かさね済度』の大絵馬に描かれたような累(かさね)一族の怨霊を化益した事蹟があり、歌舞伎でも取り上げられた。そのかさね一族を鎮魂する塚
累塚
祐天上人墓
背景が殺風景だ。目隠しに樹木でも植えたらどうかと思うが。
祐天上人墓_1
祐天上人墓_2
祐天上人墓_3
祐天上人墓_4
祐天上人墓_5
江戸消防記念碑
祐天上人は、増上寺内に「増上寺消防制」を創設し、学生を「いろは四十八文字」に分け、寺内消防防火体制を整えている。この制度が高く評価され、後に町奉行大岡越前守忠相がこの制度を参考にし「江戸町火消し」を確立させた。祐天上人は「江戸町火消し」の開祖と言うべき存在だったようだ。
そういうことと関連があるのか、その種の奉納物が目に付く。
江戸消防記念碑_1
江戸消防記念碑_2

 

祐天寺(1)

このお寺は、私の郷里いわき市と因縁浅からぬ寺院である。
祐天寺開山者である増上寺36世住持の祐天上人は、いわき市四倉町出身の人物だ。
また、異説もあるが、祐天上人はいわきに『自安我楽念仏踊り』を広めた人でもあるとされている。余談だが、この踊りが沖縄に伝えられ『エイサー』になったとも言われる。

祐天寺(ゆうてんじ)は、東京都目黒区中目黒五丁目にある浄土宗の寺院である。山号は明顕山。本尊は、阿弥陀如来(寄木造・坐像)で阿弥陀堂に安置される。本堂には、開山祐天上人坐像が安置される。現在の本堂は、元々は常念仏堂として建立された堂宇を再建したものである。

五代将軍徳川綱吉の息女竹姫より寄進を受けた阿弥陀堂や仁王門、六代将軍家宣夫人天英院寄進の梵鐘と鐘楼、地蔵堂などが震災火災を逃れて現存している。いずれ、もう少し上の扱いの文化財指定があるものと思う。
寺の掲示によれば、平成23年が法然上人800年大遠忌(終了)、平成29年が祐天上人300年大遠忌だそうだ。

表門
表門_1
表門_2
表門_3
仁王門
五代将軍綱吉の息女竹姫が寄進した。
仁王門_1
仁王門_2
仁王門_3
地蔵堂とその前の門
六代将軍家宣夫人天英院が寄進した。
地蔵堂とその前の門_1
地蔵堂とその前の門_2
地蔵堂とその前の門_3
精進殿
『新編武蔵風土記稿』に記載なし。比較的新しい建物だろうが、格式を示すためか、瓦葺屋根の大棟の両端に鴟尾がつけられている。
精進殿_1
精進殿_2
精進殿_3
精進殿_4
阿弥陀堂
『新編武蔵風土記稿』によれば、昔は門を入った右手にあり、地蔵堂と向かい合っていたようだ。いまは、精進殿を挟む形で並んで建っている。五代将軍綱吉の息女竹姫が寄進した。
阿弥陀堂_1
阿弥陀堂_2
阿弥陀堂_3
阿弥陀堂_4
阿弥陀堂_5
阿弥陀堂_6
阿弥陀堂_7
阿弥陀堂_8

祐天寺
境内8530坪、内拝領地2000坪、年貢抱地6530坪村の西の方字原にあり。当寺の拝領地は中下目黒両村にて1000坪づつたまひたれども草創以来当村に属すればここに出せり。浄土宗、芝増上寺末、明顕山善久院と号す。当所は増上寺第三十六世祐天大僧正隠居の地なり。僧正末期に俗弟祐海に属して、当寺を起立せしむ。享保4年祐海遺命を奉じて起立の功を遂げ、僧正を開山として其身は第二世におる。
門。冠木門なり。両柱の間2間。
下馬札・門外にあり、明和3年7月8日土岐美濃守命を傳へて建てしむ。
二王門。表門の正面にあり。5間に2間。明顕山の三字を扁す。左右に力士の像を安ず。
鐘楼。仁王門を入て右にあり。2間半四方、鐘径2尺8寸、高さ5尺。銘末に享保13年と刻す。
本堂。二王門の正面にあり。その間を甍にす。堂は6間に7間。祐天寺の三字を扁す。本尊は祐天大僧正の木像なり。坐像にして長2尺8寸ばかり、前立の像あり、貌長け共に同じ。僧正は明蓮社顕誉上人と号す。陸奥国岩城の農新妻小左衛門と云ものの子なり。幼名を三之助と称す。三縁山の諸化休波和尚は俗縁の伯父たるにより、休波を紹介として、同所袋谷檀通和尚に投じて薙染す。時に正保4年僧正11歳の時なり。長ずるに及で学業怠らず、師檀通に随て諸国を遊行し、道徳日々に盛なり。後三縁山に庵を結び、又葛飾郡牛嶋と云所へ潜隠す。道化大に行はれて僧俗輻輳す。又勢州山田に赴きて念仏を廣む。その後桂昌院殿の召によりて大城に登れり。元禄2年常憲院殿の命を蒙り下総国千葉郡生実大厳寺に住せしめらる。明る庚辰の年同国飯沼弘経寺に転じ、宝永甲甲伝通院に住し、正徳元年増上寺に住し、大僧正となり、分昭院殿の御導師を勤む。程なく隠居して、享保3年7月15日麻布の別業にて寂す。荼毘の中に残りし舌形は今も当寺に持傳へり。本堂の後背に続き9尺四方の堂中に鐘をかく。勤鐘の二字を扁す。鐘の径2尺高4尺、安永7戊戌11月6世祐全と彫る。
客殿。本堂に向て右の方にあり。廊下を設て往来を通ず。この客殿はもと桂昌院殿の御殿なりしを賜りて造りしと云。
阿弥陀堂。門を入て右にあり。寅の方に向ふ。4間に6間。松平大膳太夫法名瑞泰院建立、本尊は座像にて長2尺5寸、堂外に円光大師御遺跡の七字を標出せり、
地蔵堂。阿弥陀堂の向にあり。3間に5間半、申の方に向ふ。開山本地地蔵尊の七字を標す。扁額開山本地堂の五字は穌明にも南無地蔵菩薩の六字を扁し、善久院当寺六世祐全書と落款あり。
阿弥陀堂。地蔵堂の側に有、3間半四方、阿弥陀堂の4字を扁す。当寺二世祐海の落款あり。本尊木佛坐像にて長3尺。
経蔵。同邊にあり。2間半四方。経蔵の二字を扁す。本尊阿弥陀如来坐像にて長2尺5寸。
熊野稲荷合社。9尺に1間、同邊にあり。
裏門。堂後にあり、内に下馬札をたつ。(新編武蔵風土記稿より)

 

目黒川にて

目黒川沿いの施設で行われる会議に出る途中、コンデジで撮影

舟入場公園付近
中目黒駅近くに洪水用調整池で上部が公園になっているところがある。『舟入場公園』というようだ。『川の資料館』も併設されている。昔は目黒川は暴れ川だったようだ。余程の大雨でも洪水など起きたという話は聞かないから、洪水用調整池の働きは万全のようだ。
舟入場公園

何かの撮影を行なっていた
当たり前だけど、えらく男前のモデルさんだ。
モデルさん_1
モデルさん_2
舟入場公園の川の方の面
滝のようになっている
舟入場公園の川の方の面

その前の川
鳥達がいた。アオサギとオナガガモのようだ。コンデジの能力いっぱいまでレンズを繰り出して撮ったが、ちょっと厳しかった。
アオサギとオナガガモ_1
アオサギとオナガガモ_2
アオサギとオナガガモ_3
アオサギとオナガガモ_4
公園内に咲いていた色鮮やかな花
カイコウズ(海紅豆、アメリカデイゴ)という花のようだ。寒さに弱いため関東以南で栽培可能。花期は6~9月頃で赤い花を咲かせると書いてあったが、撮影日は11月17日で本当なのだろうかと思ってしまう。
カイコウズ_1
カイコウズ_2

目黒川の流れ
目黒川の流れ_1
目黒川の流れ_2
目黒川の流れ_3
目黒川の流れ_4

目黒川沿いの歩道
こちら側はジョグする人や散歩する人ばかり。反対側には小洒落た飲食店が結構有り、知る人ぞ知るゾーンだ。
目黒川沿いの歩道_1
目黒川沿いの歩道_2
東京の灯台躑躅の紅葉はどうにもくすんだ色だ。その上に落ちた桜のほうがよほど鮮やかなくらいだ。
東京の灯台躑躅

 

『9台のカメラ』第15回写真展を見に行った

たまたまブログにアクセスさせていただいている2人のプロが参加している『9台のカメラ』第15回写真展を見に行った。普段、全く暇を持て余しているはずなのに、今回の会期に限っていろいろな用事でふさがり、最終日に漸く滑りこみで見学を果たした。

2人のプロとは、三沢達則氏柏木かおり氏だ。それぞれ、『肉体の悪魔』『失われた夏』というテーマで出品されていた。

9人の気鋭のプロの自信作に圧倒され、一端の鑑賞者気分で見て回ったけど、どうしてこんなに雄弁に写真が語るのか、不思議でならなかった。プロとしてつらい思いを重ねた分だけ味が出るものなのだろうか。
会場の様子_1
会場の様子_2
会場の様子_3
会場の様子_4
会場の様子_5
会場の様子_6
会場の様子_7
会場の様子_8
会場の様子_9
会場の様子_10
会場の様子_11

最後に柏木氏愛用のお人形さんを私も撮らせてもらった。
人形を拝借して撮った

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柏木かおり氏のブログ2へjump

 

真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山(8)

今回の旅も漸く最終立ち寄り地の河口湖に到着した。ここで遅めの昼食をとった。

河口湖
思ったよりも湖そのものに対する美しさは感じなかった。車を停める位置が良くなさすぎた。十数人が一緒に入れる店を見つける都合上致し方がなかったが、残念だった。
但し、どこからでも富士山の眺めは最高。晴れたら最高のところかもしれない。
富士山
何も言わず、富士山を眺めることにしよう。
富士山_1
富士山_2
富士山_3
富士山_4
富士山_5
富士山_6
富士山_7
湖の様子
もう少し歩けば、マシな写真が撮れたように思うが、勝手に出歩くと仲間が心配するので、手近なところで済ませた。
湖の様子_1
湖の様子_2
湖の様子_3
湖の様子_4
湖岸の様子
湖岸としては、山中湖のほうがはるかに賑やかで、こちらはのんびり宿泊して富士山の眺めを楽しむ感じだろうか。
湖岸の様子_1
湖岸の様子_2
湖岸の様子_3
湖岸の様子_4

以上で『真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山』のテーマを終了します。長い連載にお付き合いいただき有難うございました。

 

真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山(7)

富士スバルラインに入る
夏と違って晩秋の平日の昼下がり、まずまずの観光客ではあったが、溢れかえるというほどではなかった。

4合目
あまり見晴らしの良くない駐車場なので、ちょっとがっかり。スバルラインには何回か来ているが、この駐車場で停めたのは初めてだ。
富士山に次ぐ標高の北岳
富士山に次ぐ標高の北岳
4合目から見た富士山
4合目から見た富士山

5合目
さすがに4合目とは大違い。見晴らしは断然良くなる。しかし、後である方に教えていただいたのだが、富士山の五合目駐車場の2kmくらい手前に『展望随一』という標識がある『奥庭自然公園』に関しては、全く知らず見逃してしまった。富士山頂の眺めも他の山々の眺めも共に良く、更に野鳥の絶好の観察場もあるという。惜しいことだった。
が、次回の楽しみとしたい。
富士山
富士山_1
富士山_2
富士山_3
富士山_4
5合目からの展望
北岳だけが冠雪していた
北岳
精進湖は見えなかったが、本栖湖はよく見えた。きっと下からも富士山がよく見えているのだろう。
本栖湖
5合目の施設
レストハウスはスイスのロッジ風だ。
レストハウス_1
レストハウス_2
レストハウス_3
レストハウス_4
5合目総合管理C
5合目総合管理C
小御嶽神社
富士登山をする人は、まずこの神社に道中の無事を祈ってから行くのだろう。
小御嶽神社_1
小御嶽神社_2
小御嶽神社_3
小御嶽神社_4
小御嶽神社_5
小御嶽神社_6
小御嶽神社_7
観光乗馬用のポニー
晩秋の平日なのでお客さんの数が少なく、観光乗馬のおじさんも手持ち無沙汰の様子だった。ポニーは真面目な顔をしていたが。
観光乗馬用のポニー

 

真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山(6)

山中湖に出る(2)

山中湖
山中湖_1
山中湖_2
山中湖_3
山中湖_4
山中湖_5
マガモ
マガモ_1
マガモ_2
マガモ_3
幼鳥のオスもしくはエクリプス中のオスだと思う
マガモ_4
幼鳥のオスもしくはエクリプス中のオスだと思う
マガモ_5
マガモ_6
わかさぎかな
わかさぎかな_1
わかさぎかな_2
大きな鯉もいるよ
大きな鯉もいるよ
餌をくれる人のところへは鳥がいっぱい。白鳥まで寄ってきた。
餌をくれる人のところへは鳥がいっぱい_1
餌をくれる人のところへは鳥がいっぱい_2
餌をくれる人のところへは鳥がいっぱい_3
餌をくれる人のところへは鳥がいっぱい_4
鯉のモニュメント
山中湖は富士山の清浄な伏流水の湧く湖として、往古より村人の生活に多大な恩恵を与え続けてきました。この湖に感謝の意を込め、いつまでも美しい湖を守っていくことを呼びかけるために鯉のモニュメントが建立されました。
鯉のモニュメント_1
鯉のモニュメント_2

 

真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山(5)

いよいよ富士山に向かってアプローチを開始する

箱根スカイライン展望台
ここからは、芦ノ湖も富士山も背中合わせで見える。
芦ノ湖
鳥瞰図って感じだ。手前側が湖尻で奥のほうが箱根。
芦ノ湖の鳥瞰図_1
芦ノ湖の鳥瞰図_2
芦ノ湖の鳥瞰図_3
芦ノ湖の鳥瞰図_4
富士山
遮るものなしに裾野までくっきりはっきり見える
富士山_1
富士山_1
富士山_2
富士山_3
富士山_4
富士山_5
ブログの種にするのだろうか
すごく格好の良いバイクだ。
ブログの種にするのだろうか

山中湖に出る
山中湖では箱根と違って、赤がくっきりはっきり目立つ
湖畔の道路の紅葉ぶり
湖畔の道路の紅葉ぶり_1
湖畔の道路の紅葉ぶり_2
湖畔の道路の紅葉ぶり_3
湖畔の道路の紅葉ぶり_4
湖畔の道路の紅葉ぶり_5
湖畔駐車場の紅葉ぶり
カエデ
灯台躑躅(どうだんつつじ)よりはマイルドな感じの赤だ。
カエデ_1
カエデ_2
カエデ_3
カエデ_4
灯台躑躅(どうだんつつじ)
見事な赤がより目立つ
灯台躑躅(どうだんつつじ)_1
灯台躑躅(どうだんつつじ)_2
灯台躑躅(どうだんつつじ)_3
灯台躑躅(どうだんつつじ)_4
灯台躑躅(どうだんつつじ)_5

 

真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山(4)

仙石原の宿に入る前に芦ノ湖に寄った。

芦ノ湖にて
駅伝関連
新年早々の駅伝も出場校が確定した。怪物柏原選手が卒業し、東洋大学の絶対的有利さがなくなった。今回はどの大学が勝つのだろうか?駅伝ミュージアムの幟では、断然東洋大学が目立っていたが。
駅伝ミュージアムなるものができていた
駅伝ミュージアム
往路ゴール直前&復路出発直後の地点の様子
往路ゴール直前&復路出発直後の地点
芦ノ湖の様子
箱根スカイラインからの展望は次回掲載する。
芦ノ湖_1
芦ノ湖_2
芦ノ湖_3
芦ノ湖_4
芦ノ湖_5
芦ノ湖_6
芦ノ湖_7
わずかだが、富士山が見え出した
姿を表した富士山_1
姿を表した富士山_2
姿を表した富士山_3

仙石原の宿にて
翌朝の富士山
前日と打って変わってよく見えた富士山
ブルーモーメントの瞬間は温泉入浴中で撮り損ねてしまった。小原庄助さんぶりを悔やんだが、後の祭り。
ブルーモーメントのあと
ブルーモーメントのあとの富士山_1
ブルーモーメントのあとの富士山_2
ブルーモーメントのあとの富士山_3
少し日が高くなってから
少し日が高くなってからの富士山_1
少し日が高くなってからの富士山_2
少し日が高くなってからの富士山_3
少し日が高くなってからの富士山_4
少し日が高くなってからの富士山_5
周囲の紅葉はちょっと残念な感じ。山中湖の紅葉に期待するしか無い。
周囲の紅葉はちょっと残念な感じ
宿の庭
傾斜地なのでどうしてもこういう庭にせざるを得ないようだ
宿の庭_1
宿の庭_2
宿の庭_3
宿の庭_4

 

真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山(3)

山中城跡(2)

本丸堀
日光の加減ではっきりしないが、二の丸から本丸に進むには橋などなかったようだ。今は安全のために架橋されている。
そして、本丸堀には巨大な穴が。泥を貯めてあったのだろうか。下に向かっては大きな畝堀が。
巨大な穴
本丸堀の巨大な穴_1
本丸堀の巨大な穴_2
畝堀
本丸堀の畝堀_1
本丸堀の畝堀_2
本丸堀の畝堀_3
本丸
標高578m、平坦面が2段になっていて合わせて面積1740平米。そんなに広いかなあという感じだが。藤棚の辺りに本丸御殿があったようだ。かなり小さいものだったと思う。
本丸_1
本丸の一段低くなっている部分と更に低い兵糧庫跡。建物は見学者用の東屋。当時の建物ではない。
本丸_2
天守櫓跡
表示板によれば、標高586m、この敷地で一番高い場所にある。天守は独自の基壇の上に立てられていて、この基壇を天守台というそうだ。基壇は一辺が7.5mのほぼ方形となり、盛土によって50~70cmの高さに…(中略)…天守台には、井楼、高櫓が建てられていたものと推定されるとのこと。
天守閣などを想像してはいけないようだ。
天守櫓跡_1
天守櫓跡_2
兵糧庫跡
本丸のすぐ下の平面にある。兵糧庫や弾薬庫の跡と伝えられているそうだ。
西側の区画からは当時の建物の柱穴と思しきものが確認されている。東側の区画には不整形な穴が数穴確認されているとのこと。
兵糧庫跡

宗閑寺と戦死した武将の墓
山中城攻城戦での戦死した、北条軍(山中城主の松田康長、副将の間宮康俊兄弟、上野箕輪城主の多米長定)、豊臣軍(一柳直末)の墓石が並んでいた。
宗閑寺
宗閑寺_1
宗閑寺_2
北条軍の墓。苔がすごくて誰の墓かわからなかった。
北条軍の武将の墓_1
北条軍の武将の墓_2
豊臣方の一柳直末の墓
一柳直末の墓
旧東海道の石畳
山中城は旧東海道を取り囲むような形で展開している。反対側には、御馬場曲輪、岱崎出丸などがある。
旧東海道の石畳
芝切地蔵尊
よくあるような話が基で、地蔵尊が祀られたようだ。そこにある石碑と灯篭とが非常に味があったので、撮ってみた。
芝切地蔵尊_1
芝切地蔵尊_2
芝切地蔵尊_3

 

真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山(2)

真鶴岬から国指定史跡の山中城跡に向かう。

山中城跡(1)
山中城は石垣を使っていない珍しい山城で、堀や土塁が良く残っており、発掘調査を基に、400年前の遺構を忠実に環境整備、現状保存している。特に障子堀や畝堀の発見は、水のない空堀の底に畝を残し、敵兵の行動を阻害すると言う、北条流築城術の特徴を示すものとして注目を浴びているそうだ。

国指定史跡「山中城跡」パンフレットをdownload

永禄年間(1558年-1570年)に北条氏康により築城される。北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で造られていた。
北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防備を固めることになるが、結局間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎える。 1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、守将である北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら4千は奮戦し、豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出すものの、猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、北条方の松田・間宮などの武将や城兵の多くが討死した。戦後、城は廃止された。
1930年(昭和5年)に国の史跡に指定された。1973年(昭和48年)から三島市が公園として整備をはじめ、合わせて学術的な調査もなされた


城跡案内図
城跡案内図
この案内図の右側に当たる部分を歩いた。
三の丸堀
自然の谷を利用して中央に畝を設けて二重堀としているそうだ。東側の堀は水路として利用され、箱井戸・田尻の池からの排水を処理し、西側の堀は空堀として利用されたという。空堀は何のため?上部の平地から石でも落としたのだろうか?
空堀を下から見た様子
空堀を下から見た様子
堀上部の平地
空堀上部の平地
空堀を上から見た様子
空堀を上から見た様子
田尻の池
馬の飲料水用の池であったと思われる。
田尻の池_1
田尻の池_2
木が傾いているあたりになる三の丸堀の水路の方に流れ出る
田尻の池_3
箱井戸
この池の水は飲料水として用いられたと言われる。
奥の通路を登ると二の丸に通じる。
箱井戸
障子堀と畝堀
畝堀の窪みには泥が貯められていたともいわれている。貯めるために畝が必要だったのだろう。
堀底には、落とし穴や、堀底を仕切るような土塁状の障害物を設けることもあって、それらを障子(しょうじ)・堀障子(ほりしょうじ)といい、障子のある堀を障子堀(しょうじぼり)と呼ぶ(形状が明かり障子の桟に似ているからというのは誤った俗説)。土塁状の障子は、堀を掘ったときの堀り残しであり、造成時の手間が少ない。ほぼ一定の間隔に連続した土塁状の障子がある堀を畝堀(うねぼり)ということもある。山中城(静岡県三島市)のものは後北条氏の障子堀として知られるが、この城や後北条氏に限らず日本各地に見られる。
二の丸櫓から西の丸を望む
左側に畝堀が見える。まるで、ティーグラウンドから見たトリッキーな山岳コースのようだ。
二の丸櫓から西の丸を望む_1
二の丸櫓から西の丸を望む_2
溜池のあと
溜池のあと
二の丸櫓
標高583mに位置に建つ。西の丸にも、本丸にも櫓が建ってるが、それぞれ分担して四方を見張っていたのだろう。
二の丸櫓跡と二の丸
二の丸櫓跡と二の丸

二の丸
傾斜地でどういうふうに建物が建っていたのか首を捻るが、所詮は出城だし、曲輪(くるわ)だったのだから、あまり支障はなかったのかもしれない。
二の丸

 

真鶴岬~山中城跡~箱根~富士山(1)

仲間たちとマイカーで気ままな一泊旅行を楽しんだ。
まずは真鶴岬を目指した。


真鶴岬の手前
昼食をとるため、根府川(正しくは小田原市江の浦)の『初代宗右衛門』という店に入った。その敷地から見た海岸の様子。山側には小田原みかんがいっぱい実をつけていた。もう早生のものが売られていた。
根府川(正しくは小田原市江の浦)_1
根府川(正しくは小田原市江の浦)_2
根府川(正しくは小田原市江の浦)_3
根府川(正しくは小田原市江の浦)_4
真鶴岬
絶景と言われる真鶴岬と三ツ石とを見に行く。
真鶴半島遊覧船と釣り船。遊覧船には観光客がくれるであろう餌をも期待してカモメが飛び、釣り船ではひたすら釣り糸を垂れる人たちがいた。
真鶴岬_1
真鶴岬_2
真鶴半島遊覧船と釣り船
海抜54mの岬から見た三ツ石
海抜54mの岬から見た三ツ石_1
海抜54mの岬から見た三ツ石_2
下まで降りて見る三ツ石とその付近
何隻かのつり船が出ている。そんなに釣れるのだろうか?
高低差545mを降りるのは非常に楽だったが、上りはかなりきつかった。
下まで降りて見る三ツ石とその付近_1
下まで降りて見る三ツ石とその付近_2
下まで降りて見る三ツ石とその付近_3
下まで降りて見る三ツ石とその付近_4
荷物運搬用のモノレールと石蕗、カンナ
三ツ石に降りる階段伝いに設置してあったモノレールと石蕗、カンナを写した。
モノレールと石蕗_1
モノレールと石蕗_2
カンナ
岬へ至る道
岬へ至る道_1
岬へ至る道_2
岬へ至る道_3
岬へ至る道_4
岬へ至る道_5
岬へ至る道_6
岬へ至る道_7
岬へ至る道_8
駐車場の近く
駐車場の近くで何やら時代劇の映画を撮影していたようだ。クルーが撤収の作業中だった。確かに道路さえ写さなければ、ちょっとした峠道だ。斬り合いシーンなどにはもってこいかもしれない。
駐車場の近く

 

渋谷~恵比寿~目黒~自然教育園(4)

付属自然教育園(2)

路傍植物園
こんなふうに道端の花を観察しながら奥のしろかねの森に進んでいく。
路傍植物園
残念ながら、ここには花の季節のものが殆ど無かった。別な場所にもう少しまともな花が咲いていた。次回以降に紹介する。
しろよめな(きく科)
白嫁菜
しろよめな_1
しろよめな_2
ウバユリ(ユリ科)
姥百合。残念ながら花の時期は終わり、実が大きくなっていた。
ウバユリ_1
ウバユリ_2
ユウガギク(きく科)
柚香菊
ユウガギク_1
ユウガギク_2
ヤマハッカ(シソ科)
ヤマハッカ_1
ヤマハッカ_2
もみじがさ(きく科)
もみじがさ

土塁
確かに土がこんもりと盛ってあるところに椎ノ木が植えられているのだが、その様子がわかるだろうか?
この4枚目の下部に表示板があるがこれより下に私が立っていると思ってもらいたい。
南北朝時代のものだとのこと。大木で守られて残ったのだろう。なんという事はないものだが、やはり大したもののように思う。
土塁_1
土塁_2
土塁_3
土塁_4
土塁_5

物語の松
訳の分からない解説が書いてあるのみ、名前の由来などはどこにも出ていない。おそらく誰もわからないのだろう。松平讃岐守の下屋敷の面影を伝えると言っても、鬱蒼とした森になってしまっていて、下屋敷が建てられそうな平たい土地がどうしても見つけられない。もしかしたら、東京都庭園美術館の辺りにあったのだろうか?
この老松は江戸時代、松平讃岐守(まつだいらさぬきのかみ)の下屋敷の面影を伝えるものです。近くのひょうたん池などとともに、回遊式庭園であったと思われています。
物語の松_1
物語の松_2
物語の松_3
物語の松_4

物語の松のイメージへJUMP

次回に続く

 

渋谷~恵比寿~目黒~自然教育園(3)

目黒駅から自然教育園に行く
実は目黒駅は品川区上大崎にある。そして駅から数分のところにある国立科学博物館付属自然教育園は更に区を跨ぎ、港区白金台5丁目に存在する。何やら行政区が入り組んでいるが、歩く分には何の不都合もない。

東京都庭園美術館
自然教育園と隣接しているが、こちらはリニューアル工事のため、現在は長期休館中。
東京都庭園美術館

歴史的建造物である旧朝香宮邸の保存と建物の特性を活かした美術館活動の実施を目的に、東京都庭園美術館本館(旧朝香宮邸)の改修工事及び管理棟新設工事を行います。
これに伴い、平成23年11月1日(火)より全面休館いたします。長期にわたる休館となりますが、ご理解賜りますよう何卒よろしくお願いいたします。


付属自然教育園(1)
概要
斜め上から見た様子…付属自然教育園のウェブサイトから借用
斜め上から見た様子
真上から見た様子…google mapから
上から見た様子
guidemap…付属自然教育園のウェブサイトから借用
園内案内図
自然教育園を含む白金台地は、洪積世(20~50万年前)海食によって作られました。
いつ頃から人が住み着いたかは不明ですが、園内から縄文中期(約2500年前)の土器や貝塚が発見されていることから、この時代には人々が住んでいたと考えられます。
平安時代には目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として欠かせなかったムラサキの栽培も広範囲に行われていたと考えられています。室町時代に入ると、この地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられています。この館の主が誰かは不明ですが、白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています
江戸時代になると、増上寺の管理下に入りましたが、寛文4年(1664)には、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内にある物語の松やおろちの松などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われます。
明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、白金御料地と呼ばれました。
その後、昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、国立自然教育園として広く一般に公開され、昭和37年国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っています。


入り口
前のバス道路から見える部分は幅100m程度。知らない人がこじんまりした施設だと勘違いしそうな感じだ。しかし、上記ガイドマップに記載されている通り6万坪を誇る。都心の施設としては相当な規模だ。
自然教育園入り口_1
自然教育園入り口_2

次回に続く

 

渋谷~恵比寿~目黒~自然教育園(2)

恵比寿~目黒
恵比寿でカイロプラクティックの治療を受け、第2の目的地である自然教育園を目指した。
目黒駅の近くにある自然教育園に行くが、一駅だから歩こうと思い、いつもと違う道を楽しんだつもりが完全に迷ってしまった。
スマホを忘れてきたことを恨めしく思った。それでも何とか恵比寿ガーデンプレイスに辿り着き、一息ついてから、目黒駅をめざした。結果的にそう遠回りしたわけではなかったが、進むべき方向がわからなくなるには嫌なものだ。

恵比寿駅前
恵比寿駅前
恵比寿からの道すがら
恵比寿南の方から歩いてみた。最初に目に飛び込んできたのは恵比寿サウスワンというビル。
恵比寿からの道すがら_1
恵比寿からの道すがら_2
恵比寿からの道すがら_3
あのSANKYOの研究開発部門
恵比寿からの道すがら_4
恵比寿からの道すがら_5
恵比寿ガーデンプレイス近辺
恵比寿ガーデンプレイス近辺_1
恵比寿ガーデンプレイス近辺_2
恵比寿ガーデンプレイス近辺_3
恵比寿ガーデンプレイス近辺_4
恵比寿ガーデンプレイス近辺_5
恵比寿ガーデンプレイス近辺_6
恵比寿ガーデンプレイス近辺_7
恵比寿ガーデンプレイス近辺_8
ものすごく雰囲気が良いビルに見えた
恵比寿ガーデンプレイス近辺_9
目黒駅をめざす
目黒駅をめざす_1
目黒駅をめざす_2
目黒駅をめざす_3
目黒駅をめざす_4
目黒駅をめざす_5
目黒駅をめざす_6
日の丸自動車学校
なんという薄っぺらいビルなんだろうか。後ろの真っ赤な球の部分は山手線からよく見える。
日の丸自動車学校_1
日の丸自動車学校_2
日の丸自動車学校_3
更に目黒駅をめざす
更に目黒駅をめざす_1
更に目黒駅をめざす_2
やっと目黒駅まできた
更に目黒駅をめざす_3

 

渋谷~恵比寿~目黒~自然教育園(1)

こんなに歩くつもりはなかった。だけど、朝からぼーっとしていて、結果的にかなりの距離・歩数を歩くことに。

渋谷~恵比寿
朝、眠気が冷めやらぬまま、東横線に乗った。スマホとパスモを忘れたことに気づくが、わずか1~2分の道を往復するのが面倒でそのまま電車に乗った。
代官山で降りて渋谷橋の交差点まで歩くつもりがうっかり乗り過ごし、戻るのも面倒なので、渋谷で降りて歩くことにした。
経路は非常に単純で、明治通りを渋谷橋の交差点まで真っ直ぐ歩くだけ。

さすが、渋谷駅前は凄い人通り
渋谷駅前_1
渋谷駅前_2
威風堂々たる渋谷ヒカリエ
威風堂々たる渋谷ヒカリエ_1
威風堂々たる渋谷ヒカリエ_2
威風堂々たる渋谷ヒカリエ_3
川の流れが見える渋谷川
渋谷駅の真下から出て、すぐの辺り。この上流をたどり、宇田川、さらに河骨川に行くと、例の『春の小川』が流れていた。下流側に向かってわずかの区間は、東横線の高架線路に沿っている。来春以降、この高架線路はどういう扱いになるのだろうか?
川の流れが見える渋谷川_1
川の流れが見える渋谷川_2
川の流れが見える渋谷川_3
川の流れが見える渋谷川_4
川の流れが見える渋谷川_5
川の流れが見える渋谷川_6
明治通りの様子
WINDSなどがある通りだ。恵比寿方面に向かって大きなビルばかりだ。
明治通りの様子_1
明治通りの様子_2
明治通りの様子_3
明治通りの様子_4
福昌寺
こんなところに大きなお寺さん。宗教法人でなければ、莫大な固定資産税がかかるところだが。
福昌寺
渋谷橋交差点
渋谷橋というと渋谷駅に近いように思うだろうが、実は恵比寿駅から至近距離のところ。
渋谷橋交差点_1
渋谷橋交差点_2
渋谷橋交差点_3
渋谷橋交差点_4

渋谷橋交差点_5

漸く第一の目的地に着き、1時間カイロプラクティックの治療を受けた。

 

ヴェルニー公園にて(6)

ヴェルニー公園のすぐ隣りの国道16号(ダイエーショッパーズプラザ前)近辺の様子

米軍基地方面
歩道橋が小さく見えるが、その左側に米軍基地正面ゲートがある。そこは日本の中の外国だ。歩道橋から見ても、正面ゲートが見えるだけで小高い山が目隠しをしていて、中の様子は全くわからない。少しでも知りたければ、ヴェルニー公園か反対側の三笠公園から見るしかない。
米軍基地方面_1
米軍基地方面_2
米軍基地方面_3
米軍基地方面_4
JR横須賀駅方面
この先にあるJR横須賀駅は全く階段がない駅として有名。今風に言えば、障害者への配慮が行き届いたということになるが、実態は古くからのローカル駅にすぎない。
JR横須賀駅方面_1
JR横須賀駅方面_2
横須賀芸術劇場
團伊玖磨氏存命中は定期的に開催された彼と彼のお弟子さんたちのコンサートが楽しみだった。この一角は、旧日本海軍の下士官兵集会所跡。それが、敗戦後は接収されてEM倶楽部になり、その後、日本側に返還された。
横須賀芸術劇場
メルキュールホテル横須賀
以前は横須賀プリンスホテルだった。それなりに質の高いホテルなのだろう。
メルキュールホテル横須賀
ダイエーショッパーズプラザ
ダイエーショッパーズプラザ_1
何か足らないものがあったとき、母親宅から1分で行ける。冷蔵庫代わり、倉庫代わりで有難い。
ダイエーショッパーズプラザ_2
ドブ板通りがチラと見える
ベトナム戦争継続中は、命の洗濯にきた米兵が殺気立っていて、ものすごく怖い一角だった。歴とした日本国内だというのに、Seashore Patrolが4人1組でジープに分乗して機関銃携行でパトロールしていた。何で知っているのかといえば、そこを私も歩いていたからだ。
今はすっかり明るい通りに変わり、『♫そんな時代もあったねと♫』という感じだ。
ドブ板通りがチラと見える

 

ヴェルニー公園にて(5)

昨日の続き。系統を示す略式記号を名前の後につけた。詳しくは下記URLを参照されたい。
FL:フロリーバンダ・ローズ…直立性で四季咲きの、芳香の物がある。一重から完全八重咲きで、3個から25個の花を房状に、夏から秋に咲かせる。ハイブリッド・ティーよりコンパクトに育ち、花の量も多く、他の植物との相性が良い。
HT:ハイブリッド・ティーローズ…直立性で四季咲きのシュラブで、ほとんどが高芯咲きで芳香のある物が多く、八重咲きの花を3個ずつ夏から秋につける。


系統と略式記号

ルージュ・メイアン HT
ルージュ・メイアン
ビクトル・ユーゴ HT
ビクトル・ユーゴ
宴 HT
宴
天の川 FL
天の川
かがり火 HT
かがり火
ジャルダン・ドゥ・フランス FL
ジャルダン・ドゥ・フランス

石蕗(つわぶき)
ヴェルディ公園の外に咲いていたが、横須賀ではよく咲いている。温かい海沿いで多くみられるとのことだ。
石蕗(つわぶき)

 

碑文谷公園にて(2)

ポニー公園
子どもたちの乗馬体験できる人気のところ。私の眼から見れば、『普通の馬と比べてえらく小さいな』って感じがするが、子どもたちの眼からすれば、十分に大きい存在なのだろう。脚が太く短いことに共感を覚えるのは私だけではないと思う。
ポニー(Pony)とは、肩までの高さが147cm以下の馬の総称。特定の品種を指すわけではなく、馬のタイプの一つであり、犬程度の大きさしかないファラベラから、日本在来馬、比較的大きいコネマラポニーなどが含まれる。代表的なポニーにはウェルシュマウンテンポニー、シェトランドポニー、ハクニーポニーがある。いずれも頭がよく温厚であり耐久力に優れているのが特徴である。
ポニー_1
ポニー_2
ポニー_3
ポニー_4
ポニー_5
ポニー_6
ポニー_7
ポニー_8
ポニー_9
ポニー_10

ポニーとロバの違い
下にあるロバの画像と上のポニーの画像とを見比べていただければわかると思うが、一応コメントする。
ロバ(驢馬、馿馬)は哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属ロバ亜属 (Asinus) の総称、もしくは、その一種 Equus asinusをいう。耳がウサギのように長くて大きいという大きな特徴がある。
これに対して、ポニーは ウマ科ウマ属、正真正銘のウマだが、肩までの高さが147cm以下の馬の総称。
似て非なるものだ。
ロバ

 

碑文谷公園にて(1)

目黒区立碑文谷公園
清水池公園と並んで、目黒区内で最も古い公園の一つ。公園の大半を占める碑文谷池は広さ0.8ha。昔は三谷の池と呼ばれ、現在よりずっと大きかったようだ。かつては野鴨が多く飛来し、将軍家の鷹狩場に使われたりした。
江戸期から昭和初期にかけて、この池は荏原郡碑文谷村共有の水田灌漑用ため池で、村人の「命の水」となっていた。
昭和7年、池の周囲を公園として永久保存することを条件に東京市に寄贈され、戦後は区の管理になった。

碑文谷公園の真ん中にある弁天池の様子
あまり大きな池ではないが、厳島の背後にも続いていて、ちょっと見たよりは大きい。
池の中ほどに厳島があり、そこに厳島神社が建つ。池の淵からは古ぼけた建物のように見えたが、実は新しい。2004年12月に放火で焼失し、その後再建されたからだ。ご本体の弁天様は近くの碑文谷八幡宮に預けられたままだそうだ。
この池の水が立会川の源流となっている。昔から住んでいる人に聞くと、碑文谷は至る所で水が湧いたようだ。弁天池も当然ながら湧水。
弁天池_1
弁天池_2
弁天池_3
弁天池_4
弁天池_5
弁天池_6

カモ科の鳥達
キンクロハジロ
この近辺では初めて見た。くっきりはっきりの模様で、すぐわかる。海辺が主な生息地のようだが、越冬のため飛来してきてからは、不忍池など淡水の池でもよく観察されるそうだ。勿論、この池でもなんという事無く浮いていた。水中に潜水して、主として巻貝類や二杖貝類をとり、水中で呑み込んでしまうそうで、見た感じでも潜水は得意中の得意のようだった。
シベリア、ヨーロッパ北部などのユーラシア大陸北部で繁殖し、冬季になるとアフリカ大陸北部、ヨーロッパ、中近東、インド、中華人民共和国東部などへ南下し越冬する。日本では冬季に九州以北に越冬のため飛来し(冬鳥)、北海道では少数が繁殖する。
キンクロハジロ_1
キンクロハジロ_2
キンクロハジロ_3
キンクロハジロ_4
カルガモ
留鳥であるから当然といえば当然かもしれないが、この近在には見飽きるほどいる。
カルガモ_1
カルガモ_2

 

ヴェルニー公園にて(4)

昨日の続き。系統を示す略式記号を名前の後につけた。詳しくは下記URLを参照されたい。
FL:フロリーバンダ・ローズ…直立性で四季咲きの、芳香の物がある。一重から完全八重咲きで、3個から25個の花を房状に、夏から秋に咲かせる。ハイブリッド・ティーよりコンパクトに育ち、花の量も多く、他の植物との相性が良い。
ER:イングリッシュ・ローズ…英国のD.Austin氏が作出したオールド・ローズの古典的な魅力と芳香に、モダン・ローズの四季咲き性を兼ね備えた非常に強健なバラ。
Min:ミニチュア・ローズ…小輪、四季咲き、木バラ。花つきがよく、繰り返し花を咲かせる。ミニチュア・ローズよりも少し花が大きく、フロリーバンダとミニチュア・ローズの中間のバラをパティオ・ローズと呼ぶ。
S:シュラブ・ローズ…現代バラで半つる性を示すものを主に表す。特性も様々で、幅広い系統。
HT:ハイブリッド・ティーローズ…直立性で四季咲きのシュラブで、ほとんどが高芯咲きで芳香のある物が多く、八重咲きの花を3個ずつ夏から秋につける。


系統と略式記号

プリンセス・ミチコ FL
プリンセス・ミチコ_1
プリンセス・ミチコ_2
プリンセス・アイコ FL
プリンセス・アイコ_1
プリンセス・アイコ_2
ザ・プリンス ER
ザ・プリンス_1
ザ・プリンス_2
ティア・ドロップ Min
ティア・ドロップ
スウィート・ダイアナ Min
スウィート・ダイアナ
桜木 S
桜木
光彩 HT
光彩_1
光彩_2
ローズ・ヨコハマ HT
ローズ・ヨコハマ

 

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