散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

ヴェルニー公園にて(3)

昨日の続き。系統を示す略式記号を名前の後につけた。詳しくは下記URLを参照されたい。
FL:フロリーバンダ・ローズ…直立性で四季咲きの、芳香の物がある。一重から完全八重咲きで、3個から25個の花を房状に、夏から秋に咲かせる。ハイブリッド・ティーよりコンパクトに育ち、花の量も多く、他の植物との相性が良い。
Min:ミニチュア・ローズ…小輪、四季咲き、木バラ。花つきがよく、繰り返し花を咲かせる。ミニチュア・ローズよりも少し花が大きく、フロリーバンダとミニチュア・ローズの中間のバラをパティオ・ローズと呼ぶ。
HT:ハイブリッド・ティーローズ…直立性で四季咲きのシュラブで、ほとんどが高芯咲きで芳香のある物が多く、八重咲きの花を3個ずつ夏から秋につける。
Pol:ポリアンサ・ローズ…丈夫でコンパクトな四季咲き。夏と秋に小花を沢山つける。


系統と略式記号

アンソニー・メイアン HT
アンソニー・メイアン
ピース HT
ピース
ゴールド・バニー HT
ゴールド・バニー_1
ゴールド・バニー_2
マダム・サチ HT
マダム・サチ
スイート・ドリーム Pol
スイート・ドリーム
フィリップ・ノワレ HT
フィリップ・ノワレ
桜霞 FL
桜霞
ピンク・サクリーナ FL
ピンク・サクリーナ
ニコロ・パガニーニ FL
ニコロ・パガニーニ
ミミ・エデン Min
ミミ・エデン

 

ヴェルニー公園にて(2)

秋のバラ祭りも終わったようだった。もう少し早く来て、旬の薔薇を楽しむべきだった。

マジカル・ミラクル
マジカル・ミラクル
ペイント・ザ・タウン
ペイント・ザ・タウン
ファニー・フェイス
ファニー・フェイス
プロスペリティー
プロスペリティー

この辺から青い薔薇が続く。自分で書いておいてこんなことをいうのは変だが、『青い薔薇』にはどうしても見えない。本当に万人が抵抗なく受け入れられる青いバラの誕生はいつになるのだろうか?

ブルー・ムーン
ブルー・ムーン
ブルー・ライト
ブルー・ライト
わたらせ
わたらせ
シャルル・ドゴール
シャルル・ドゴール

 

ヴェルニー公園にて(1) 10/29 06:59 冒頭部分修正

サルビア・レウカンタとホシホウジャクかな?
紅紫の花は花蘇芳ではないかと思うのだが、花期が春のはずで、今頃咲くことがあるのだろうか?狂い咲きもあるようだが、…。makiraさんにサルビア・レウカンタのようだと教えていただいた。
飛んでいるのは、チョウ目スズメガ科のオオスカシバか、同じくチョウ目スズメガ科のホシホウジャクか迷った。全体的な感じからオオスカシバだと思う。こちらも、makiraさんにホシホウジャクだと教えていただいた。
こんなに恐ろしげな風貌だが蜂ではなく、蛾なのだそうだ。臆病な私は、怖くて近寄っては撮れなかった。
どちらも大外れで申し訳ない。m(_ _)m
サルビア・レウカンタとホシホウジャクかな_1
サルビア・レウカンタとホシホウジャクかな_2
サルビア・レウカンタとホシホウジャクかな_3

見掛けない舟艇
米軍のドライドックの前辺りに、見掛けない舟艇がいた。肉眼では判別できないので、望遠で撮影し読んでみると、奥の舟艇は、SRF-JRMC DIVERSと書かれていた。手前の舟艇は、漢字で『爆発物処理班』と書かれていた。
SRF-JRMCは「米海軍横須賀基地艦船修理廠及び日本地区造修統括本部」の略だそうで、で潜水作業専門チームの船のようだ。日米共同で何かをしようとしていたのだろうか?
見掛けない舟艇

護衛艦の大集結があった。

最新鋭の護衛艦あきづき
2012年より就役を開始したDD-115「あきづき」。ピッカピカの一年生。第1護衛隊群、第5護衛隊。定係港は佐世保基地。遠目にも美しいフォルムであることがわかる。あきづき型護衛艦は、たかなみ型護衛艦の次級。
あきづきと並んで奥に係留している艦船は、船籍番号が見えず、船名が不明。
あきづき

きりさめほか
きりさめ
きりさめ(DD-104)は、海上自衛隊の護衛艦。むらさめ型護衛艦の4番艦。
きりさめの奥に船尾を向かい合わせて係留している艦船は、船籍番号が見えず、船名が不明。
たかなみ
たかなみ(DD-110)は、海上自衛隊の護衛艦。たかなみ型護衛艦の1番艦。たかなみ型護衛艦はむらさめ型護衛艦の次級で、あきづき型護衛艦の前級となる。
はるさめ
はるさめ(DD-102)は、海上自衛隊の護衛艦。むらさめ型護衛艦の2番艦。
きりさめほか_1
きりさめほか_2
きりさめほか_3
きりさめほか_4

逸見波止場の守衛門の遺構
ヴェルニー公園の一角にある逸見波止場の守衛門の遺構。かつてここが軍港だったことを物語る。竣工は、明治末期~大正初期とのことだが詳細は不明。八角の衛兵ボックスにはそれぞれ「逸見上陸場」「軍港逸見門」の文字が掲げられている。
逸見は亡くなった逸見政孝氏と同じ字だが、こちらは『いつみ』ではなく『へみ』と読む。
逸見波止場の守衛門の遺構_1
逸見波止場の守衛門の遺構_2

軍港めぐりのクルーズ船
最初は船首に向かって左側にいる人も少なくないが、これは大間違い。右側が断然有利だ。それにしてもかなりの乗船者数だ。まだそれほど寒くはないから、クルーズ日和なのかもしれない。
今回は他の用事があり、軍港めぐりには参加できなかった。負け惜しみで言うのではないが、ヴェルニー公園からはあまり米軍側の艦船が見えなかった。出払っているのかもしれない。何か緊張するような情報があっての出港なのだろうか?何隻か残っていないと気になる。
軍港めぐりのクルーズ船_1
軍港めぐりのクルーズ船_2
軍港めぐりのクルーズ船_3

次回からは、薔薇を取り上げる。

 

猿島と海堡とを見る(2)

第2海堡
行政区としては千葉県となる。数年がかりの補強工事の真っ最中で、もちろん上陸は出来ない。両端にはクレーンが林立しているが、この辺は比較的普通に見える。
それにしても陸地に作られたお台場からでは砲弾が届かないということで造られた堡塁(砲塁)か。相手から丸見えで、海風が間断なく吹きすさぶ。配置についた人たちは怖かっただろうし、…。
第2海堡_1
第2海堡_2
第2海堡_3
第2海堡_04
第2海堡_05
第2海堡_06
第2海堡_07
第2海堡_08
第2海堡_09
第2海堡_10
第2海堡_11
第2海堡_12
第2海堡_13
第2海堡_14
第2海堡_15
第2海堡_16
第2海堡_17
第2海堡_18
すぐ傍に見えるのが第1海堡
第2海堡_19
1889年8月起工、1914年6月完成。第一海堡と共に富津市に属する。浦賀水道と内湾の北側境界に位置し面積は約41,000平米。1923年9月1日の関東大震災により被災、その年の内に廃止・除籍された。
その後海軍が使用し、第二次世界大戦中は対空砲が設置されるほか、敵潜水艦の東京湾への侵入を防ぐ防潜網が設置されている。戦後は灯台が設置され、さらに1977年からは独立行政法人海上災害防止センターの消防演習場として利用されている。
以前は神奈川県からの渡し舟で釣り人が渡航していたが、侵食が進んでいることによる安全上の理由から2005年6月末に立入りが禁止された。
現在は第一海堡とともに海上保安庁によって灯台が設置されている。2009年度から耐震化工事が行われるなど、今後も灯台と消防演習場として存続される予定である。


第1海堡
第1海堡_1
すぐ傍に見えるのが第2海堡
第1海堡_2
第1海堡_3
第1海堡_4
1881年8月起工、1890年12月完成。富津岬の沖合いすぐに位置し面積は約23,000平米。東京湾要塞の海堡として最初に運用が開始された。
第二海堡と第三海堡は1923年9月1日の関東大震災により被災し、その年の内に廃止・除籍されたものの、第一海堡はその後も使用され、東京湾要塞の一部として第二次世界大戦の終了時まで運用された。
現在中央部が破壊されているが、これは第二次世界大戦後に日本を占領下に置いた連合国軍により要塞無力化のために破壊されたためである。
土砂の堆積と関東大震災による隆起のため、富津洲と地続きになっていたことがある。富津岬突端の展望台からは横須賀市を背景に第一・第二海堡を一望することができる。
現在は海上保安庁によって灯台が設置されている。なお財務省の所管であり、無断での立ち入りはできない。


第3海堡
今は海上からは痕跡も見えない。
1892年8月起工、1921年完成。横須賀市観音崎沖に建設され、面積は約34,000平米。三つの海堡の中で最も水深が深い位置(約39メートル)に造成されたため難工事となり、完成までに30年を要している。しかし完成から2年後関東大震災により崩壊し4.8メートルも沈下し、全体の三分の一が水没してしまったために復旧は困難と判断されて廃止・除籍された。
第三海堡跡は浦賀水道航路に隣接し、海上交通の輻輳から海難事故の原因と指摘されていた。航路として安全な水深を確保するため2000年12月から撤去工事が進められており、2007年8月に撤去が完了した。吊り上げられた構造物は第三海堡跡南西2,000m の海域に投棄され魚礁などに再利用されているほか、一部は陸揚げして綿密に調査され、当時の土木工事の水準を超えた人工島造成技術が分析されている。

 

猿島と海堡とを見る(1)

約1年前のイベントに参加した時の記録。古くて申し訳ない。
別のブログに私が書いたものを少し書きなおした


猿島
東京湾で唯一の自然島『猿島』。何故、わざわざ自然島という形容詞をつけたかといえば、このあとに見に行く『第二海堡』などの人口島があるからだ。
古くは日蓮上人が漂着した島であり、近世では、軍事上の拠点となった島でもある。現在は、海水浴場などになっている。横須賀を離れて久しいので知らなかったが、一時、海水浴場が閉鎖され、立ち入り禁止になっていた時期もあったようだ。
島内からは縄文時代の土器や弥生時代の土器・人骨が出土…というような案内があり、その昔は人が住んでいたようだ。今は無人島ということになっている。
猿島_1
猿島_2
猿島_3
猿島_4
猿島_5
猿島_6
猿島_7
猿島_8
猿島_9
幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点となる。幕末には江戸幕府の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。実際に本施設が実戦に用いられたことはないが、島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積みが見られる。

自家発電所
単なるぼろ小屋のようだが、暦とした軍事要塞の名残の自家発電所。昔は石炭で蒸気タービンを回すものだったが、現在は、ディーゼル発電機に変わっている。恐ろしく古めかしいが、『エコミュージアム猿島』の必要電力をソーラーパネルと共に担う現役選手とのこと。
レンガ煙突は、要塞であるとばれない高さに低く抑えられていたそうだ。
軍事要塞の名残の自家発電所_1
軍事要塞の名残の自家発電所_2
軍事要塞の名残の自家発電所_3
伝声管
アナログもいいところ、生の声を拡散しないように土管で囲み、さらに土管をレンガで覆うことで雑音の侵入を防ぐ。万全の備えで、離れた場所にいる相手に連絡を取り合っていたのか。それでも、発音のはっきりしない声は、相手には聞き取りにくいこと甚だしかったんだろうな。そういう欠点があっただろうけれども、兵隊さんがチョロチョロしていたんでは、敵に気付かれてしまうし、お互いに簡単には行き来できない場所もあったのだろう。
伝声管_1
弾薬庫の入り口
外部からはまったく見えないように切り開かれた切通しに設置されている。入ると、こんな狭いところが弾薬庫だったなんて驚き以外の何ものでもない小さな空間があった。そして、揚げるのに苦労しただろうごく小さな『揚弾井』が。そこから、上部にしつられられた砲台に、砲弾を供給していたわけか?大変な重労働だったんだろう。
まったくちゃっちい構造物にしか見えなかったが、この箇所のようなフランス積みレンガ建造物は全国で4件しかなく、猿島要塞は最大規模なんだそうだ。
弾薬庫の入り口_1
弾薬庫の入り口_2
弾薬庫の入り口_3
弾薬庫の入り口_4
弾薬庫の入り口_5
弾薬庫の入り口_6
弾薬庫の入り口_7
フランス積みレンガのアーチ造り洋式トンネル
日本で2番目に古い歴史を持っているそうだ。幻想的だ。彼女と一緒に来るべきところかもしれない。
フランス積みレンガのアーチ造り洋式トンネル_1
フランス積みレンガのアーチ造り洋式トンネル_2
砲台跡
狭い島内にあって、地表部分のかなりのスペースを占めている。明治中期に作られた砲台は、戦法の急変によって時代遅れになり、実戦に使われることは無かったようだ。というようなことで、猿島は暫く忘れられていた存在だったが、太平洋戦争末期に再度日の目を見ることに。高射砲が設置され、ガンガン使われたようだ。
砲台跡_1
砲台跡_2
砲台跡_3

 

飯田橋駅界隈のスナップ

飯田橋駅に隣接するセントラルプラザというビルで東京都が主催する教育を受けた。以下はその途中に撮ったスナップ。

江戸城外堀の城壁(牛込見付)跡
上州道に向けた江戸城の城門、『江戸五口』の一つ『牛込見付』があったところ。当時の牛込橋は庶民が気軽に通行できる橋ではなかった。外堀の外に屋敷を構えた旗本、御家人、番士 (下級武士)の江戸城への登城ルートとして賑わったが、庶民は目付の役人から出入りをあらためられるなど厄介な存在だった。見付門は明治35年に撤去され、いまは石垣を残すのみになっている。
江戸城外堀の城壁跡_1
江戸城外堀の城壁跡_2

西口改札口左側にある日本歯科大
足の便の素晴らしく良い所に立地しているものだ。建物も素晴らしく格好が良い。入学金の額が気になるところ。
日本歯科大_1
日本歯科大_2

同じく日本基督教団富士見町教会
日本基督教団に属する、改革長老教会の伝統を持つ、プロテスタントのキリスト教会。1887(明治20)年3月6日に創立され120余年の歴史を持つ教会だそうだ。もともとは麹町一番町にあったそうだが、1906(明治39)年に富士見町に移り、名前も変わったとのこと。
日本基督教団富士見町教会_1
日本基督教団富士見町教会_2
日本基督教団富士見町教会_3

駅前に架かる牛込橋から見たボートハウス&CANAL CAFE
美男子でなく、しかも柔道をやっていたというのに、情けないほど腕の筋力が弱い。というわけで、ボート漕ぎが苦手で、そういうシーンでは指を咥えてみているだけだった。さっそうとコートを漕ぎ、粋なレストランに美女をエスコートする夢は、未だに果たせないままだ。
ボートハウス&CANAL CAFE_1
ボートハウス&CANAL CAFE_2

神楽坂下から神楽坂方面
不思議なくらい人通りがある。何故なのか不思議でならない。
神楽坂下から神楽坂方面_1
神楽坂下から神楽坂方面_2
神楽坂下から神楽坂方面_3
神楽坂下から神楽坂方面_4
神楽坂下から神楽坂方面_5

外堀から神楽河岸への迂回水路
セントラルプラザ建築で濠が大きく埋め立てられ、そのために、こんなものができたのではなかろうか?鍵の手のように、堰のようになっているところで左に90度曲がって、更に暗渠になっている手前で右に90度曲がっていた。
外堀から神楽河岸への迂回水路_1
外堀から神楽河岸への迂回水路_2

セントラルプラザ12Fから望む代々木・西新宿方面
ここだけ千代田区に食い込むように新宿区になっている。その端っこから代々木・新宿方面を望むが、かなり遠く離れている。
代々木・西新宿方面_1
代々木・西新宿方面_2

神楽坂
夜はかなり賑やかなようだが、16時で教育が終了したので、開いている店が少なく、これぞ神楽坂の店というようなお店には入ることが出来なかった。仕方なく、神楽坂のほんの入り口辺りにあった手頃な店でお茶を濁した。それが残念だった。
神楽坂_1
神楽坂_2

 

近所で見かけた花など

ツノナス(フォックス・フェイス)
茎が太く育っているので、木だと思っていたら、ナス科のいわゆる草のようだ。活け花や装飾用の材料として人気があることは承知していたが、ずっと『造花』だと思っていた。調べてみると、実在する植物だった。
私にとっては筆柿を見て以来の珍種だ。
ツノナス(フォックス・フェイス)_1
ツノナス(フォックス・フェイス)_2

玉簾
こんなところでも咲くんだ。
玉簾_1
玉簾_2

上野公園で見かけた花など
ガマかな?
1ガマかな?
千日紅だと思うが、白いのは珍しそうなので撮ってみた。珍しくもない?
千日紅_白い花
何の花?
何の花?

 

呑川のカモ達

最近買い求めた300ミリまでの望遠レンズでどのくらい頑張れるか、試しに呑川のカモたちを撮ってみた。上川の暗渠がとれる辺りから、呑川の川幅が相当広く、川底はかなり深くなっている。そのため、200ミリまでの望遠レンズではかなり厳しかった。多少はいけるようになったかを試したかった。

今回(10/22)は、カルガモとコガモしか観察できなかった。とても残念。いつもの年はマガモ、オナガガモなども見られるのに。ちょっと時期が早かったのだろうか?

カルガモ
カルガモは留鳥なので1年中いる。この前も、駒沢公園で撮ったばかりだが、飽きもせず追いかける。
カルガモ_1
カルガモ_2
カルガモ_3
カルガモ_4
カルガモ_5カルガモ_6
カルガモ_7
カルガモ_8
カルガモ_9
カルガモ_10

コガモ
嘴に黄色部分がなく、脚の色も明らかに違う。最初は、オナガガモのメスではないかと思ったが、かなり小さいし翼鏡が緑色であることから、コガモと判断した。
これらがコガモだとして、特徴のあるオスはどこに行ったのだろうか?カモ類のオスが繁殖期経過後、一時的にメスのような地味な羽色になる『エクリプス』状態なのかもしれない。
コガモ_01
コガモ_02
コガモ_03
コガモ_04
コガモ_05
コガモ_06
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コガモ_08
コガモ_09
コガモ_10
コガモ_11
コガモ_12
コガモ_13
コガモ_14
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コガモ_16
コガモ_17
コガモ_18
コガモ_19
コガモ_20
コガモ_21
コガモ_22
コガモ_23
カモ類の中では冬の渡りが早く、また春の渡りが遅めである。越冬中は群れで生活し、関東地方では9月頃から4月頃にかけて見ることができる。
体長34-38cm。翼開長58-64cm。雄の方がやや大きい。ハトより一回り大きい程度で、日本産カモ類の中では最小種のひとつ。
雄は頭が栗色で、目の周りから後頸にかけてが暗緑色、身体は灰色で側面に横方向の白線が入る。下尾筒は黒く、両側に黄色い三角の斑がある。翼は暗褐色だが、翼鏡は緑色。雌は全体に褐色で黒褐色の斑がある。下尾筒の両脇は白い。雄と同様に緑色の翼鏡が見られる。
嘴と足は黒い。


300ミリでも、コガモのようにやや小さい鳥だと、少し離れると厳しいということがわかった。う~~ん。

 

旧東海道品川宿近辺を歩く(4)

街道沿いで目立った建物他
銅の外壁とした建物が目立つ。
街道沿いで目立った建物他_1
東海江or東海道…皆が首をひねった標識
街道沿いで目立った建物他_2
街道沿いで目立った建物他_3
街道沿いで目立った建物他_4
街道沿いで目立った建物他_5
街道沿いで目立った建物他_6
古めかしい医院
街道沿いで目立った建物他_7
街道沿いで目立った建物他_8

鈴ヶ森刑場跡
旧東海道の道端にあったのには驚いた。もう少し人里離れたところにあるのではないかと予想していたのだが、…。当時の広さはないが、現在も井戸や、火炙用の鉄柱や磔用の木柱を立てた礎石などが残されている。なお、礎石の位置はかつてあった場所から移動され、供花台も設置されて、一種の供養碑の役割も果たしている。
大経寺のすぐ右が旧東海道で左が現東海道(第1京浜)。刑場跡は大経寺のすぐ南側の緑の場所。
鈴ヶ森刑場跡_地図
鈴ヶ森刑場跡標識_1
鈴ヶ森刑場跡標識_2

火炙台と磔台
火炙台と磔台_1
火炙台と磔台_2
火炙台と磔台_3
火炙台と磔台_4
火炙台と磔台_5

首洗の井
首洗の井_1
首洗の井_2

当時の東海道沿いの、江戸の入り口とも言える場所にあるが、刑場設置当時浪人が増加し、それにともない浪人による犯罪件数も急増していたことから、江戸に入る人たち、とくに浪人たちに警告を与える意味でこの場所に設置したのだと考えられている。
最初の処刑者は江戸時代の反乱事件慶安の変の首謀者のひとり丸橋忠弥であるとされている。反乱は密告によって未然に防がれ、忠弥は町奉行によって寝込みを襲われた際に死んだが、改めて磔刑にされた。その後も、平井権八や天一坊、八百屋お七、白木屋お駒といった人物がここで処刑された。


刑場跡には、こんなものも残っていた。
六十六部供養塔
六十六部供養塔_1
六十六部供養塔_2

「六十六部」は六部ともいわれ、六十六部廻国聖のことを指します。これは、日本全国66カ国を巡礼し、1国1カ所の霊場に法華経を1部ずつ納める宗教者です。中世には専業宗教者が一般的でしたが、山伏などと区別のつかない場合も少なくありませんでした。また、近世には俗人が行う廻国巡礼も見られました。なお、奉納経典66部のことを指して六十六部という場合もあります。…時代が降って、近世の六十六部廻国巡礼に関しては、六十六部廻国供養塔などの石造物が少なからず見られます。

坂本龍馬像
京浜急行電鉄立会川駅前にある坂本龍馬像。浜川砲台跡地より敷石の一部が発見されたことを記念し、高知市より寄贈されたもの。坂本龍馬は嘉永6年(1853年)、土佐藩抱屋敷(浜川砲台跡)警護に動員されており、その縁に因るそうだ。
坂本龍馬像_1
坂本龍馬像_2

立会川
東京都目黒区および品川区を流れる二級河川。坂本龍馬像のすぐ傍を流れている。碑文谷池と清水池に源を発し、南東方向へ流れる。品川区の西小山駅、荏原町駅、西大井駅、大井町駅、立会川駅付近を通り東京湾に注ぐ。
立会川_1
立会川_2

 

旧東海道品川宿近辺を歩く(3)

海雲寺

この寺は、1251年(建長3年)不山が近くの海晏寺内に建てた塔頭庵瑞林に始まると伝えられる。当初臨済宗に属したが、1596年(慶長元年)五世分外祖耕により海晏寺から独立して曹洞宗に改められ、1661年(寛文元年)海雲寺に改名した。素晴らしい佇まいで一見の価値が有る。

山門
決して大きな山門ではないが、なかなか風格のあるもの。薬医門形式というそうだ。
海雲寺山門_1
海雲寺山門_2
海雲寺山門_3

本堂
正面2堂のうち、右側が本堂で本尊十一面観音像を安置している。
海雲寺本堂

千躰荒神堂
正面2堂のうち、左側が荒神堂で千躰荒神を祀っている。千躰荒神は竃の神様で台所を預かる女性の参拝者が多く、お堂もそれなりの立派さを保っている。堂内の扁額は、1861年(文久元年)の雌雄二鶏図をはじめ全部で27面ある。品川区の有形民俗文化財に指定されている。
千躰荒神堂_1
千躰荒神堂_2
千躰荒神堂_3
千躰荒神堂_4
千躰荒神堂_5
千躰荒神堂_6
千躰荒神堂_7
千躰荒神堂_8
千躰荒神堂_9
千躰荒神堂_10
本堂左手の護摩堂には、千躰荒神様が祀られております。荒神様は、大日如来、文殊菩薩、不動明王の三身を表していて、憤怒の形相をしています。荒神様は、竃の神様ですので、台所を預かる女性の参拝者が多く、各家庭の台所に祀っているお宮を風呂敷に包み参詣するのがしきたりで、護摩を焚いて頂いて祈願して新しいお札を受けます。

鐘楼
品川寺の大鐘楼が有名なのに比べて、こちらの鐘楼はそれほど有名では無さそうだ。しかし、立派さでははるかにこちらのほうが上という感じ。
海雲寺鐘楼_1
海雲寺鐘楼_2
海雲寺鐘楼_3
海雲寺鐘楼_4

紋谷幹男:海雲寺(かいうんじ)曹洞宗・1へJUMP
紋谷幹男:海雲寺(かいうんじ)曹洞宗・2へJUMP

 

旧東海道品川宿近辺を歩く(2)

一心寺
極めて狭い境内。仲間が立ち寄るから一緒に立ち寄ったが、どんなお寺さんか実はよくわかっていなかった。井伊直弼が建立したということなので、お寺さんとしては新しい方だ。それでも参拝者が絶えなかったということは、町民らが彼の思いを受け止めたからのだろう。
一心寺_1
一心寺_2
一心寺_3
6650-52
安政2年(1854)幕府の大老・井伊直弼が江戸台場の品川宿で開国条約、鎮護日本、町民の繁栄安泰の願いを込めて開山建立した。成田山分身の不動明王を本尊とし、延命や商売の護りとして参拝者も絶えない。本堂は京都本願寺の宮大工の手によるものと伝えられている。また、最近は頭上に乗せた灸をする「ほうろく灸」が有名で、中風や高低血圧、頭痛、肩こり、視力増強、目くらみなどに効果があるという。

海徳寺
境内に入ってみると、築地塀(ついじべい)が目に飛び込んできた。築地塀とは、泥土をつき固めて作った塀のことだが、補強のため層状に板や瓦を埋め込まれたものがある。このお寺さんのものはその一例。見た感じ、最近作られたもののようだ。
海徳寺_1
海徳寺_2
海徳寺_3
海徳寺_4
海徳寺_5
大永2年(1522年)、松陽院日増による創立。江戸時代には品川宿にあって庶民の寺として隆盛を誇ったといわれる。
寺には旧品川宿に住む檀徒に配布した護符を刷るために使った版木が20数枚残されており、当時の民間信仰の様相を伝える貴重な資料として品川区の有形民俗文化財に指定されている


天妙国寺
日蓮宗は結構、離合集散が激しいようで、この寺院は、現在は、顕本法華宗の別格山。境内には、品川の象徴として愛着を受けた五重塔があった。慶長19(1614)年8月28日、台風のため倒壊。哀惜する郷民の意をくみ、寛永11(1634)年、三代将軍家光により再建されたが、元禄15(1702)年2月の大火により類焼し、現在に至っている。つまり無くなってしまったということだ。
天妙国寺_1
天妙国寺_2
天妙国寺_3
天妙国寺_4
天妙国寺_5
天妙国寺_6
弘安8年(1285年)、日蓮の直弟子の天目上人の創建と伝えられる古刹。徳川歴代将軍が宿舎にしたことで徳川家とのゆかりが深い。本堂は18世紀中ごろに再建されたもので、堂々たるたたずまいを見せている。歌舞伎「与話情浮名横櫛」の主人公「斬られ与三郎」と「お富」の墓があることで知られる。ほかにも桃中軒雲右衛門、お祭り佐七、伊藤一刀斎などの墓がある。

品川寺(ほんせんじ)
境内の真中部分がかなり空いている。このスペースは、『柴燈大護摩・火渡り荒行』のためにあるようだ。帰って調べて納得。あの宗教行事が行われるお寺さんだったのだ。本堂は、なかなか味のある建物。屋根の上を見ると鴟尾があった。これには驚いた。
品川寺(ほんせんじ)_02
品川寺(ほんせんじ)_03
本堂…昭和に再建された。堂内には、水月観音・聖観音・薬師如来・日光月光菩薩・十二神将・不動明王・弘法大師像・毘沙門天・大黒天・白菊観音像が祀られている
品川寺(ほんせんじ)_09
品川寺(ほんせんじ)_10
品川寺(ほんせんじ)_11
大梵鐘品川寺の大梵鐘は、洋行帰りの梵鐘として有名で、慶応年間何らかの理由によって海外に持ちだされたものが、数奇な運命をへて、スイスのジュネーブにあるのが見つかり、昭和5年に、ジュネーブ市より返還されました。地元では、「あてにならない鐘が帰ってきた」ということで、鐘と金をかけて、「あてにならない金が返ってくる」、「かねかえる」と縁起をかつぎ、多くの方が除夜の鐘をつきに訪れます。
品川寺(ほんせんじ)_04
品川寺(ほんせんじ)_05
品川寺(ほんせんじ)_06
弁天堂
品川寺(ほんせんじ)_08
品川寺(ほんせんじ)_07
地蔵菩薩像…江戸六地蔵の第一に数えられる唯一頭上に傘がない地蔵菩薩像が露座
品川寺(ほんせんじ)_01
柴燈大護摩・火渡り荒行は、古くから修験道(山伏)に伝わる秘法で行者は各家各位の祈願を祈念した護摩札を奉持して火の中に入り「不動の三昧」に住しつつ信心各位の願いを祈ります。当山におきましても江戸時代より続く伝統的な行事でございます。「火生三味」とは不動明王が護摩の火の中に住するという意味で、「火渡り」とは、柴燈大護摩供を厳修した後、その護摩のおき火(炭火)を整備して、その上を歩いて渡るということです。この護摩の火(不動明王の智慧の火)で、我々のけがれ、心の迷いや煩悩を焼き清めて、ご加護をいただくのです。 柴燈大護摩供大祭りを厳修致しまして、皆様の願いを御祈祷致します。

 

旧東海道品川宿近辺を歩く(1)

旧東海道品川の宿近辺の道は、ちょっと狭いように思うが、これでも昔の東海道と同じところ同じ幅なのだそうだ。主に街道沿いの神社仏閣を見ていく。

街並みは少し古めかしい建物が残る程度で、道筋と道の太さが往時のままという程度だ。ということで、神社仏閣を中心に見ていくことにする。
旧東海道の様子_1
こんなところにガス灯があった
旧東海道の様子_2
旧東海道の様子_3

やや泣き言を言うようだが、この地区の神社仏閣のIT化が遅れており、十分なHPを持っているところがごく少ない。調べるのに本当に困ってしまう。これでは雑誌にでも取り上げられない限り、ジリ貧になってしまうだろう。よくしたもので、新聞・雑誌もネタに困ると埋め草のように近場の名所ということで取り上げてくれる。そんなこんなで漸くジリ貧になるのを免れている感じだ。

品川神社
北品川にある品川神社。旧社格は郷社であるが、並の郷社ではなく、将軍家とつながりの深い神社だった。

徳川家康が関ヶ原へ出陣する前に、ここで戦勝祈願し、神前で太々神楽(だいだいかぐら)を奏でたそうです。そしてその甲斐あって、天下分け目の戦いに勝利したといわれ、家康公は御輿と仮面を奉納されています。
品川には南北の天王さまがあり、北品川にある品川神社を「北の天王さん」、南品川にある荏原神社を「南の天王さん」と呼んでいます。毎年6月7日に近い日曜日を中心に南北の天王さま合同の例大祭「品川天王祭」が行われ、江戸囃子源流の太々神楽も披露されます。


品川神社_1
富士塚
品川神社_2
品川神社_3
品川神社_4
品川神社_5
阿那稲荷神社の社へと続く赤鳥居
品川神社_6
品川神社_7
品川神社_8

太々神楽へJUMP

荏原神社
南品川にある荏原神社。旧社格は品川神社と同じ郷社であるが、府社という打診もあったようだ。私が調べた限りでは荏原神社のほうが品川神社より格上の神社のようである。品川神社と同様に将軍家と縁がある。
品川神社の記述で触れたが、南北の天王さま合同の例大祭「品川天王祭」が行われる「南の天王さん」である。
荏原神社_1
荏原神社_2
荏原神社_3
荏原神社_4
荏原神社_5
荏原神社_6
荏原神社_7
荏原神社_8

天正十八年七月五日、北条早雲以後四代にわたり関東八州を統治した小田原北條氏もついに豊臣秀吉に滅ぼされ、秀吉はその年の八月一日、徳川家康に関東八州を与えました。これを家康の関東入府といいます。家康は秀吉から江戸城を居城とすることをすすめられましたが、各地をまわり、居城とすべき地を視察しました。
天正十九年九月の当社控書きによれば、家康公が関東御下向の際当社に御立ち寄りになり、しばらくご休息されて当社の由緒などをお尋ねになりました。これによって家康は当社に五石の朱印を付して神領としました。
以後、二代目将軍秀忠は元和三年三月二七日、三代家光は寛永十三年十一月九日に先例に任せて五石の社領を寄進し、ひきつづき各将軍の朱印を得て幕末に及びました。

 

池上本門寺お会式(4)…重複分訂正07:05

前回に引き続き目立った纏振りと万灯とを取り上げてみる。またもやかなり枚数が多くなるが、ご容赦願いたい。

纏振り(2)
纏振り(2) _25
纏振り(2) _26
纏振り(2) _27
纏振り(2) _28
纏振り(2) _29
纏振り(2) _30
纏振り(2) _31
纏振り(2) _32
纏振り(2) _33
纏振り(2) _34
纏振り(2) _35
纏振り(2) _36
纏振り(2) _37
纏振り(2) _38
纏振り(2) _39
纏振り(2) _40
纏振り(2) _41
纏振り(2) _42
纏振り(2) _43
纏振り(2) _44
纏振り(2) _45
纏振り(2) _46

万灯
万灯_1
万灯_2
万灯_3
万灯_4
万灯_5
万灯_6
万灯_7

 

池上本門寺お会式(3)

今回と次回とは目立った纏振りと万灯とを取り上げてみる。少し枚数が多くなるが、ご容赦願いたい。

纏振り(1)
纏振り_01
纏振り_02
纏振り_03
纏振り_04
纏振り_05
纏振り_06
纏振り_07
纏振り_08
纏振り_09
纏振り_10
纏振り_11
纏振り_12
纏振り_13
纏振り_15
纏振り_16
纏振り_17
纏振り_18
纏振り_19
纏振り_20
纏振り_21
纏振り_22
纏振り_23
纏振り_24
纏振り_25
纏振り_26
纏振り_27
纏振り_28
纏振り_29

次回に続く

 

池上本門寺お会式(2)

その他のお寺さんの万灯練り行列
本住寺
大中小の団扇太鼓が揃い、大音響が鳴り響いていた。
本住寺_1
本住寺_2
妙伝寺
濃紺の衣装のお兄さんの纏振りは絶妙なものだった。
妙伝寺_1
妙伝寺_2
妙伝寺_3
妙伝寺_4
妙伝寺_5
妙伝寺_6
妙伝寺_7
妙伝寺_8
寺名不明m(_ _)m
うっかりお寺さんの名前が判別できる写真を撮りそこねた。纏振りにはかなり意欲を見せていた。
寺名不明_1
寺名不明_2
寺名不明_3
寺名不明__4
寺名不明_5
寺名不明_6
寺名不明_7
本乗寺
大人しい講中だったが、演奏のラベルはかなり高かった。
本乗寺_1
本乗寺_2
本乗寺_3
本乗寺_4
本乗寺_5
本乗寺_6
本乗寺_7
本乗寺_8

次々回まで続く。次回以降は纏振りと万灯とを取り上げる。

 

池上本門寺お会式(1)

まずはダイジェストをご覧頂きたい。
ダイジェスト_1
ダイジェスト_2
ダイジェスト_3
ダイジェスト_4
ダイジェスト_5
池上本門寺お会式を見に行った。当日の日中に、旧東海道のウォーキングをしたのでやや足腰が痛く、自宅で少し休憩したものの十分ではなかったので、途中までの見学で切り上げた。途中から池上駅前の方に移動した。この辺りは法華の太鼓との距離が非常に近く、耳が暫くがんがんとなっていた。

本門寺僧侶の行列
こういう行列が最初に出てきた。触れ太鼓のような役割なのだろうか。昔だったら、妙見堂で修行していたクラスだろう。
本門寺僧侶の行列_1
本門寺僧侶の行列_2

冒頭の方に出てきた近所のお寺さん、目黒区中根の立源寺の万灯練り行列
開始時間である18時前のごく早い時間帯だったので、観客がそんなに多くなかった。それより寂しかったのは、近隣でも一二を争う大きなお寺さんで、自前でも御会式を行うのに、万灯練り行列に参加する人の少なさ。歩いても1時間以内に着く近さなのに。でも、ごく若いお姉さんが張り切って纏を振っていたから、まあ、及第点か。纏の上には立源寺の寺紋が。
立源寺_1
立源寺_2
立源寺_3
立源寺_4

同様に近所のお寺さん、目黒区八雲の常圓寺の万灯練り行列
同じく近いところからの参加で自前でも御会式を行うのに、がっかりするほどの万灯練り行列に参加する人の少なさ。纏の上には旧衾村を示す『衾』の文字が。
常圓寺_1
常圓寺_2
常圓寺_3

石巻久円寺の万灯練り行列
超遠方からの参加、本当にご苦労様。大震災のあまりにも大きな痛手から立ち直ることができたのだろうか?それを慮ってか、沿道の観衆から応援の拍手がずっと続いていた。それにしても、あくまでも真面目な結社だった。
石巻久円寺_1
石巻久円寺_2

龍口寺の万灯練り行列
湘南江ノ島の名刹だ。女の子の纏振りがとても可愛かった。
龍口寺_01
龍口寺_02
龍口寺_03
龍口寺_04
龍口寺_05
龍口寺_06
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龍口寺_08
龍口寺_09
龍口寺_10
龍口寺_11
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龍口寺_15
龍口寺_16
龍口寺_17
龍口寺_18
龍口寺_19
龍口寺_20
龍口寺_21
龍口寺_22
龍口寺_23

 

秩父祭笠鉾特別曳行ほか(7)

夜の曳行
外部フラッシュが途中で電池切れになってしまったりして、どうも夜の撮影に関しては勉強が必要なようだ。まだマシなものでお許し願いたい。
点灯の準備が始まった
点灯の準備が始まった_1
点灯の準備が始まった_2
点灯の準備が始まった_3
点灯の準備が始まった_4

ほぼ点灯完了
ほぼ点灯完了_1
ほぼ点灯完了_2
ほぼ点灯完了_3
ほぼ点灯完了_4
ほぼ点灯完了_5
ほぼ点灯完了_6
ほぼ点灯完了_7

中近笠鉾出発
中近笠鉾出発 _1
中近笠鉾出発 _2
中近笠鉾出発 _3
中近笠鉾出発 _4

下郷笠鉾出発
下郷笠鉾出発_01
下郷笠鉾出発_02
下郷笠鉾出発_03
下郷笠鉾出発_04
下郷笠鉾出発_05
下郷笠鉾出発_06
下郷笠鉾出発_07
下郷笠鉾出発_08
下郷笠鉾出発_09
下郷笠鉾出発_10
下郷笠鉾出発_11
下郷笠鉾出発_12
下郷笠鉾出発_13
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下郷笠鉾出発_15
下郷笠鉾出発_16
下郷笠鉾出発_17
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下郷笠鉾出発_19
下郷笠鉾出発_20
下郷笠鉾出発_21
下郷笠鉾出発_22

 

秩父祭笠鉾特別曳行ほか(6)

秩父神社の彫刻
夜の曳行に入る前に、秩父神社の素晴らしい彫刻の数々をご覧頂きたい。
左甚五郎作の「子宝 子育ての虎」
『子宝 子育ての虎』は、本殿正面左右に2面ずつ計4面あり、左甚五郎の作と言われている。以下は神社の掲示板による。
秩父神社の再興を命じた徳川家康は、寅の年、寅の日、寅の刻生まれとされ、それに因んで拝殿の正面には4面の虎の彫刻が施されている。左から2つ目の子虎と戯れる親虎の彫刻は、名工左甚五郎が家康の威厳と祭神を守護する神使として彫刻したものと伝えられている。当時の狩野派の絵画では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているのが特徴的とのこと。
子宝 子育ての虎_1
子宝 子育ての虎_3

左甚五郎作の「つなぎの龍」
左甚五郎が彫刻したのは『龍』のみ。ところがこれが秩父に飾られるようになってから、秩父の街に異変が起こる。
秩父神社近くの沼で、夜な夜な龍神が暴れ回り、沼の付近では畑や家畜に大きな被害が出ていた。そして龍神が暴れた翌朝、神社の掃除をしていると、不思議な事に、必ず例の龍の彫刻の下に大きな水溜りが出来ていたという。
これはおかしいということになり、宮司が鉄の鎖で龍をでつなぎ止めたところ、騒ぎが収まったという。
あまりに精巧に彫られていたために霊が宿ったのかもしれない。凄いものだ。鎖は案外細い。目を凝らしていただければわかると思うが。
つなぎの龍_1
つなぎの龍_2
つなぎの龍_3

北辰の梟
目を凝らしてみて、漸くどこに梟がいるのか(木札の真上)わかった程度。どんなふうな格好をしているかなど、視力が4くらいないとわからないと思う。
なお、梟の上部には、願えば叶うと書かれ、「うずの泉」の彫刻がある。
北辰の梟_1
北辰の梟_2
ご本殿北側中央に彫刻された梟は、「北辰の梟」といって、菱川師宣描く有名な浮世絵の「見返り美人」よろしく、体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わずご祭神をお守りしています。
当社のご祭神である妙見様は、北極星を中心とした北辰北斗の星の信仰で、この梟の見ている方角に妙見様が出現することからも、ご祭神を特に縁りの深い瑞鳥であると言えるでしょう。
洋の東西を問わず、梟は智恵のシンボルと考えられており、当社のご祭神 八意思兼命 が智恵の神として崇敬の篤いことと重ねて、思慮深い神使として社殿北面に施されたものと思われます。


お元気三猿
クローズアップし忘れた。これではよくわからないので、クローズアップは秩父神社のHPから借用した。
『よく話そう』の猿はいたずらしているだけのようにしか私には見えない。
お元気三猿_1
お元気三猿_2
三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家縁りの御社であるにも拘わらず、当社の三猿は日光とまったく違った表情をしています。
日光が古来の庚申信仰にちなんで「見ざる・言わざる・聞かざる」なのに対し。当社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」ということで、現代の情報化社会にふさわしく俗に”お元気三猿”として皆様に親しまれています。
当社のご祭神である妙見様は、神仏の中心にあって、人間の元気な命を司る神様として永く信仰されてきたことから、特に不老長寿のご利益があると言われています。


幣殿西側の『瓢箪から駒』
『瓢箪から駒』が上記4作品についで有名なものだと知らなくて、アップのものを撮らなかった。
瓢箪から駒
馬に関する諺の一つに「瓢箪から駒」がある。意外なところから意外な発見や出会いがあることを表す諺であるが、その意味するところは開運招福である。そのため、社殿西側にはこの諺に因んだ彫刻が施されている。なお、秩父の夜祭では、祭神は御輿だけでなく神馬に乗って御旅所に渡るため、12月3日には本物の馬が2頭奉納されて神幸の供をする。

 

秩父祭笠鉾特別曳行ほか(5)

笠鉾ばかりでは飽きるので、Change of paceする。

街の様子
柳田総本店…武甲正宗
見学コースに混じって、図々しく試飲までさせてもらった。柱の細かい傷は、その昔、鎌を持った農民が酔っ払って鎌を振り回して暴れないよう、鎌を挿しておいたあとなのだそうだ。こんなところに千社札を貼っていく馬鹿者の神経が理解できない。
柳田総本店…武甲正宗_1
柳田総本店…武甲正宗_2
柳田総本店…武甲正宗_3
柳田総本店…武甲正宗_4
秩父館前で行われていた秩父銘仙のファッションショー
地元女性がモデルを務めるアットホームなファッションショーだった。
秩父銘仙のファッションショー_1
秩父銘仙のファッションショー_2
秩父銘仙のファッションショー_3
秩父銘仙のファッションショー_4
秩父で気になった建物
秩父で気になった建物_1
秩父で気になった建物_2
秩父で気になった建物_3
秩父で気になった建物_4
秩父で気になった建物_5
秩父で気になった建物_6

 

秩父祭笠鉾特別曳行ほか(4)

笠鉾曳行日中の様子…下郷笠鉾

中近笠鉾もかなり大きいが、下郷笠鉾はそれより一回り大きく、威風堂々としている。この巨大な笠鉾が正装した形で市内を曳行するということで、かなり前から注目を浴びていた。
日中の様子…下郷笠鉾_01
日中の様子…下郷笠鉾_02
日中の様子…下郷笠鉾_03
日中の様子…下郷笠鉾_04
日中の様子…下郷笠鉾_05
日中の様子…下郷笠鉾_06
日中の様子…下郷笠鉾_07
日中の様子…下郷笠鉾_08
秩父地方最大の笠鉾で、二重の屋形に白木造りが特徴。笠鉾ですので正式な形はこの上に三層の笠がつき、高さは15.5m、建物の高さで約4階建てになる。しかし、大正3(1914)年の電線架設によって正式の形で曳くことができなくなり、中近笠鉾と同様に笠を取り外した状態で曳かれている。屋型のみで約7m。重さは約20t。

方向転換について
秩父夜祭りの屋台・笠鉾は合わせて6基あるが、その内の上町屋台だけはジャッキ・キリンを用いて方向転換するが、他の屋台・笠鉾はギリ廻しと呼ばれる方法で行う。
秩父神社境内での方向転換
秩父神社境内での方向転換_01
秩父神社境内での方向転換_02
秩父神社境内での方向転換_03
秩父神社境内での方向転換_04
秩父神社境内での方向転換_05
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秩父神社境内での方向転換_07
秩父神社境内での方向転換_08
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秩父神社境内での方向転換_10
秩父神社境内での方向転換_11
秩父神社境内での方向転換_12
秩父神社境内での方向転換_13
秩父神社境内での方向転換_14
秩父神社境内での方向転換_15
秩父神社境内での方向転換_16
秩父神社境内での方向転換_17
秩父神社境内での方向転換_18
秩父神社境内での方向転換_19
秩父神社境内での方向転換_20
秩父神社境内での方向転換_21
交差点での方向転換
ギリ廻し_01
ギリ廻し_02
ギリ廻し_03
ギリ廻し_04
ギリ廻し_05
ギリ廻し_06
ギリ廻し_07
ギリ廻し_08
ギリ廻し_09
ギリ廻し_10
ギリ廻し_11
ギリ廻し_12
ギリ廻し_13
ギリ廻し_14
ギリ廻し_15
ギリ廻し_16
秩父夜祭の屋台・笠鉾は、前述の通り大きく頑丈な板車の固定式四輪であり、大きな方向転換には、ギリ廻しと呼ばれる方法が取られます。簡単に説明すると、梃子の原理で屋台・笠鉾の後を持ち上げ、中心部に心棒をあてがい、全体を浮かせた状態で旋回します。まさに緊張の一瞬で迫力たっぷりです。見ている方も力が入ります。

 

秩父祭笠鉾特別曳行ほか(3)

笠鉾曳行日中の様子…中近笠鉾
もう1基の中近笠鉾の様子。下郷笠鉾より1m低く重量は5t軽いそうだが、見た感じは同じくらいに見えた。
それにしても15t、20t(実際には人も乗るので更に数t重くなる)の重量物が道路を曳行した後、アスファルトに轍がくっきり残ってしまうのではないかと心配したが、武甲正宗を少しあおっていた所為か、確認し忘れた。
四方に綱が伸びているがこの綱で笠鉾の転倒を防止している。特に、キリンと呼ばれるジャッキを使ったギリ廻しと呼ばれる方向転換(次回説明予定)では、笠鉾が大きく傾くので、綱での支えは非常に重要になる。
黒漆塗りの宮殿風な造りになっていて、傘を外したときは、下郷笠鉾より見栄えが良いかもしれない。
日中の中近笠鉾曳行_01
日中の中近笠鉾曳行_02
日中の中近笠鉾曳行_03
日中の中近笠鉾曳行_04
日中の中近笠鉾曳行_05
日中の中近笠鉾曳行_06
日中の中近笠鉾曳行_07
日中の中近笠鉾曳行_08
日中の中近笠鉾曳行_09
日中の中近笠鉾曳行_10
日中の中近笠鉾曳行_11
日中の中近笠鉾曳行_12
日中の中近笠鉾曳行_13
日中の中近笠鉾曳行_14
日中の中近笠鉾曳行_14_2
日中の中近笠鉾曳行_15
日中の中近笠鉾曳行_16
日中の中近笠鉾曳行_17
日中の中近笠鉾曳行_18
日中の中近笠鉾曳行_19
総体黒漆塗りの宮殿風な造りに特長。通常は笠をとりはずして曳き回される。その時の高さは5.45mで、笠をつけた場合の高さは14.5m。重さは15トン。

 

秩父祭笠鉾特別曳行ほか(2)

下郷笠鉾出発まで
前夜、東京は激しい降雨があった。秩父も同様だったのだろう。秩父神社には出発時間ちょい前に着いたのだが、かなり集まりだした観客の様子が変だ。どうも、出発が大幅に遅れているようだ。ものすごい、雨対策が施されている。
これを取り去って、若干付け足しの飾りなどをしつらえ、花飾りも追加で挿して、準備を整える。ざっと2時間の遅れだ。

全部かぶせてある状態
全部かぶせてある状態
同上の上部の状態
全部かぶせてあるが、その上部の状態
上部から被せ物を取り去っていく
上部から被せ物を取り去っていく
取り去る作業を見守る人たち_1
取り去る作業を見守る人たち_1
少しずつ、中身が見えてきた
少しずつ、中身が見えてきた
取り去る作業を見守る人たち_2
取り去る作業を見守る人たち_2
かなり全容が見えてきた
かなり全容が見えてきた
最後の大きな覆いが取り去られる瞬間。懸命に花飾りを守っているのがわかるだろうか。
最後の大きな覆いが取り去られる瞬間
大きな覆いが取り去られ、ほぼ全容が見えた。
大きな覆いが取り去られ、ほぼ全容が見えた
花飾りを追加で挿す
花飾りを追加で挿す
四隅に飾りを付ける
四隅に飾りを付ける
ほぼ準備完了。右側の青い幕が少し捲ってあるところから、囃子方が入り込む。
ほぼ準備完了
笠鉾に乗り込む役目の人たちが乗り込んだ
笠鉾に乗り込む役目の人たちが乗り込んだ
青い幕が捲れているところから法被の背中が見える。囃子方はあの狭いところで雪隠詰め状態で演奏を行うのだろう。
青い幕が捲れているところから法被の背中が見える
始動開始直前
始動開始直前
直前の緊張した様子
直前の緊張した様子_1
直前の緊張した様子_2
合図を送る
合図を送る_1
合図を送る_2
始動
始動_1
始動_2
始動_3
始動_4
始動_5
始動_6
動_7
動_8

 

秩父祭笠鉾特別曳行ほか(1)

地元の中年以上の人達が口を揃えて言う『正装した「下郷笠鉾」と「中近笠鉾」の揃い踏みなんて、生きている間に二度と観る機会がないだろう』。それが「秩父祭屋台」国指定50周年記念事業として、待望久しい秩父祭笠鉾特別曳行が実現したのだ。これを見逃す手はない。10月7日(日)の様子をいそいそと見に出かけた。

もう少し詳しい様子は、次回以降に取り上げる。今回はどんなものかだけ見ていただきたい。

笠鉾_1
笠鉾_2
笠鉾_3
笠鉾_4
笠鉾_5

昭和37年5月23日に国の重要有形民俗文化財に指定された「秩父祭屋台」6基は、平成24年5月23日をもって国指定50周年を迎えました!

この国指定50周年を記念して、10月6日(土)・7日(日)・8日(月・祝)に「中近笠鉾」「下郷笠鉾」の曳行と組立・解体の特別公開を行います。
笠鉾本来の姿である、花笠をつけた姿での曳行を見ることができる貴重な機会です。ぜひお越しください。

今回の見どころ


■中近・下郷両笠鉾の本来の姿は、中心に標木(しめぎ)を立て、頂点に神様を表す御幣(ごへい)または天道(太陽)などをいただき、その下に通された笠から放射状に造り花が垂れ下がった状態である。
大正3年に電線が架設されて以来、高さ等の問題からその状態で曳くことができないため、秩父夜祭では屋型で曳いている。
今回、この2基が揃って本来の姿で曳行されることは、極めて珍しい。
■これまで、それぞれ単体では、花笠を付けた状態での公開は行ってきたが、2基揃って花笠を付けた状態での公開はここ数十年行っていない。
■花笠を付けた状態での曳行は、これまでもそれぞれで幾度か実施しているが、安全面への配慮から平地での曳行に限られてきた。今回の特別曳行では、将来的に「秩父夜祭でだんご坂を曳行する」ことを想定して、両笠鉾とも坂道での曳行に挑む。
■今回、6日(土)には組立、8日(月・祝)には解体作業が公開される。通常の秩父祭の際、特に規制等は行っていないが、このことを大々的に知らせたのは今回が初めてである。これらの作業も一見の価値あり!

 

上野動物園ほか(4)

鳥のケージほか
ワライカワセミ
やや締まりのない顔だ。
ワライカワセミ_1
ワライカワセミ_2

シロハラハイイロエボシドリ
シロハラハイイロエボシドリ

オニオオハシ
愛嬌のある顔は、一度見たら忘れられない感じだ。
オニオオハシ_1
オニオオハシ_2

カンムリシギダチョウ
カンムリシギダチョウ_1
カンムリシギダチョウ_2

ミナミジサイチョウ
ミナミジサイチョウ

ソリハシセイタカシギ
多分これだと思う。嘴が極めて細く、上に反り返っているのが特徴。
ソリハシセイタカシギ_1
ソリハシセイタカシギ_2

オグロヅル
オグロヅル_1
オグロヅル_2

タンチョウ
タンチョウ_1
タンチョウ_2
タンチョウ_3

カナダガン
シジュウカラガンともいうようだ。五重塔の前で、飼育されている。飛んでいけないようになっているのだろうか?
カナダガン

 

新宿

もう一回、Change of paceで、新宿の情景を取り上げる

STUDIO ALTA
笑っていいともを制作しているビルだ。
STUDIO ALTA

LABI新宿東口館
大した用事もないのに、新宿にこのディスプレイを見に来る。ユニカビジョンというが、とにかく見ていて飽きない。
LABI新宿東口館_1
LABI新宿東口館_2

西武新宿駅
前を通ったことは何度もあるが、、改札口の前まできたのは初めてだ。乗降客がかなり多い西武新宿線のターミナル駅にしては、小さな駅だという印象を持った。高田馬場で降りる乗客も少なくないのかもしれない。
西武新宿駅_1
西武新宿駅_2

歌舞伎町
言わずと知れた歌舞伎町。この辺はまだ安全だと思うが、保証の限りではない。
歌舞伎町_1
歌舞伎町_2

西口駅前のビル群
コクーンタワーと並んでいるギザギザのビルは、職安のビルか。あんなビルがあったんだ。
西口駅前のビル群

 

街で見かけた花など

上野動物園の報告が続いたので、ちょっと気分転換に、昨日、街で見かけた花などを取り上げる。

トキワマンサク
もう咲き出したんだ。これから暫くあちこちで楽しめそうだ。
実はこの花は春の花で、秋に返り咲きすることがあるということが、makiraさんのブログでわかった。私も返り咲きしてみたいものだ。
makiraさんの該当記事
トキワマンサク_1
トキワマンサク_2
トキワマンサク_3
トキワマンサク_4
トキワマンサク_5
トキワマンサク_6

ヤブラン
そこかしこで咲いている。旬の花だ。こうして見ると、意外に綺麗だ。
ヤブラン_1
ヤブラン_2
ヤブラン_3
ヤブラン_4

多肉植物
黒法師が特に好きだ。それほど高くなさそうだし、その内に買ってこようかな。
多肉植物_1
多肉植物_2
多肉植物_3

 

上野動物園ほか(3)

バードハウスにて(続き)
ホオアカオナガゴシキドリ
ものすごく彩りが綺麗な鳥だ
ホオアカオナガゴシキドリ
ホオアカオナガゴシキドリ
ホオアカオナガゴシキドリ

カンムリオオツリスドリ
カンムリオオツリスドリ

シラガサイチョウ
シラガサイチョウ

ホウオウジャク
ホウオウジャク
ホウオウジャク

アカショウビン
日本では夏鳥として渡来し、北海道から沖縄までほぼ全国で繁殖するが、渡来数は少ないそうだ。随分毛羽立っているように見えた。どうしたのだろうか?
アカショウビン_1
アカショウビン_2
アカショウビン_3
アカショウビン_4
アカショウビン_5
アカショウビン_6

カワセミ
随分昔、長瀞の川下りをしている最中に見かけたことがある。一瞬見かけただけだったが、ものすごく綺麗な小さな鳥という印象だった。間近で見て私はいささか興奮気味だが、敵さんは水たまりに餌の小魚も結構いるというのに、動きもしない。勿論、ホバリングをするどころではなかった。人間の多さに辟易していたのだろうか?
カワセミ_1
カワセミ_2

アンデスイワドリ
ペルーの国鳥だそうだ。
アンデスイワドリ_1
アンデスイワドリ_2

 

上野動物園ほか(2)

哺乳類
白手手長猿
白手手長猿

とら
虎の尾を見たいために動物園にいったようなもの。しっかりしっぽを見てきた。やっぱり猛獣の風格十分だ。
とら_1
とら_2
とら_3

ゴリラ
暗いところにじっとしていたので、少々見えにくい。まるで着ぐるみを被った人がじっとしているような感じだった。
ゴリラ

バードハウスにて
途中から70-300ミリのレンズに換えて撮った。
キバタン
キバタン_1
キバタン_2

ヒゲゴシキドリ
ヒゲゴシキドリ_1
ヒゲゴシキドリ_2
ヒゲゴシキドリ_3

シロガシラウシハタオリ
シロガシラウシハタオリ_1
シロガシラウシハタオリ_2

キンムネオナガテリムク
キンムネオナガテリムク_1
キンムネオナガテリムク_2
キンムネオナガテリムク_3

ボウシゲラ
世界最大のキツツキだそうだ
ボウシゲラ

 

上野動物園ほか(1)

都民の日だから行ったわけでなく、週末自宅待機を余儀なくされたので、台風一過の気持ち良い日に、お日様をたっぷり浴びることができるところに行きたかったのだ。ということで、上野動物園を目指す。

TOKYO GREEN 2012
TOKYO GREEN 2012というイベントが開催されていたためか、上野公園内は美しく飾られていた。
TOKYO GREEN 2012_1
TOKYO GREEN 2012_2
TOKYO GREEN 2012_3
TOKYO GREEN 2012_4
TOKYO GREEN 2012_5

上野動物園はすごい人出
都民の日だから、都立の学校はお休みで上野動物園は入場無料。そういう事情があったのだろうか、滅茶苦茶な混雑ぶりだった。
上野動物園はすごい人出_1
上野動物園はすごい人出_2

ジャイアントパンダは長蛇の列。並ぶ気が失せた。これをとばして、通常見られる動物を中心に見ていくことにした。

猛禽類
シロフクロウ
シロフクロウ_1
シロフクロウ_2

ネパールワシミミズク
『みみずくとふくろうはどこが違うの?』ってパネルが掲げられていたが、あの出っ張りのある方がみみずくのようだ。
ネパールワシミミズク_1
ネパールワシミミズク_2

クマタカ
クマタカ

ダルマワシ
ダルマワシ_1
ダルマワシ_2

モモアカノスリ
モモアカノスリ

ノスリ
ノスリ_1
ノスリ_2

 

9月28日金曜日のスナップ

恵比寿~自由が丘~自宅の道中のスナップ

開店準備中の恵比寿蔦屋書店
代官山の蔦屋書店ではなく、恵比寿駅すぐの開店準備中の蔦屋書店。どんな店舗に仕上げるのだろうか?開店が楽しみだ。
開店準備中の蔦屋書店

まだ頑張っている向日葵
あまり勢いが良くない感じだが、どっこいまだ頑張っている向日葵をパチリ
まだ頑張っている向日葵

東横線を走るメトロの車両
9月21日に東京メトロ10000系による東急東横線での先行営業運転の様子を報告したが、こちらは若干旧型の7000系による先行営業運転。自由が丘で特急電車の待ち合わせ中。乗り合わせた女性が興味深そうに運転士に何やら質問をしていた。
先行営業運転_1
先行営業運転_2
そして最後尾。
先行営業運転_3
先行営業運転_4

自由が丘駅東横線ホームの延長工事
都立大学駅よりに上下線ともに延長するようだ。上りは見た感じ1両分くらい、下りは1.5両分くらい。後で調べてみたら、特急・通勤特急・急行列車を10両編成化(現行は8両編成)するため、停車駅のホームを延伸するとのことだ。
ホームの延長工事_1
ホームの延長工事_2
ホームの延長工事_3
ホームの延長工事_4

自由が丘駅近くの小路にあった鳥居
自由が丘駅から歩いて10秒ほどの小路にあった鳥居。この辺りは熊野神社のテリトリーだが、豊川稲荷のそれだった。
小路にあった鳥居

結構有名なお店
結構有名なお店がかたまって出店している。はらドーナツ、大山生煎店、ドーナツ・プラント 自由が丘店。平日のあまり天気が思わしくない昼下がり。客足はそれほどではなかった。
はらドーナツ
大山生煎店
ドーナツ・プラント 自由が丘店

私のランチ
ヤマダ電機の向かいにある広州飲茶料理の『麦府』という店。抜群に美味しくしかも手頃な価格なので、時々利用する。写し損ねたが30cmほどの長い箸が出される。食材をけちっていないので、歯ごたえの良い食事を楽しむことができる。
麦府のランチ

自由が丘からの帰り道で見かけた花
帰り道で見かけた花_1
帰り道で見かけた花_2
帰り道で見かけた花_3

 

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