散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

横浜山手界隈(5)

横浜山手聖公会
英語表記はChrist Church。英語で、Christ Churchはニュージランドの都市名であると同時に、修飾語を入れない限り国教会や聖公会のチャペルを指すようだ。大谷石が外壁に貼りめぐらされている目に優しい感じの建物だ。
初代の建物は、1863(文久3)年横浜の居留地(今の中華街)に建てられた。
2代目の建物から現在地に移った。尖塔を持った煉瓦造のゴシック様式の教会がコンドルの設計によって建てられたが、震災で倒壊した。そのため、現在の建物である3代目の建物がJ.H.モーガンの設計で1931年に建てられた。1947年に内部修復工事が完成。また、この時から日本人信徒をも受け入れるようになったようだ。ノルマン様式の聖堂だそうだ。
横浜山手聖公会_1
横浜山手聖公会_2
横浜山手聖公会_3
横浜山手聖公会_4
横浜山手聖公会_5

山手234番館
一般公開してからの年数は浅く、私自身は初めて中に入った。外国人向けの共同住宅にしてはやや狭い感じだが、昭和初期当時の住宅事情ではやむをえなかったのだろうか。
山手234番館_10
山手234番館_1
山手234番館_2
山手234番館_3
山手234番館_4
山手234番館_5
山手234番館_6
山手234番館_7
山手234番館_8
山手234番館_9

エリスマン邸の斜め前、山手本通沿いに建つ山手234番館は、昭和2(1927)年頃外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に民間業者によって建設されました。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられ、設計者は、隣接する山手89-6番館(現えの木てい)と同じ朝香吉蔵です。
建設当時の施設は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられています。また、洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。
建築後、第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていましたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。平成9(1997)年から保全改修工事を行なうとともに、平成11(1999)年から一般公開しています。1階は再現された居間を中心に山手地区の洋館のパネル展示、2階は貸し出しスペースとして、ギャラリー展示や会議等にご利用いただけます。


同じ朝香吉蔵設計のえの木ていえの木てい

 

PowerShot SX150ISを試してみた

コンデジの類は数台持っているが、さらに携帯性とある程度の高画質とを狙って、PowerShot SX150ISを追加購入してみた。
この機種は既に保有しているPowerShot SX30ISと比較すると、多少重い感じは同様にあるものの、レンズの出っ張りが殆ど無いので、携帯性が非常に良い。問題は画質がどうかだ。
近所の風景で試してみた。画質は見ての通りだ。花を撮るのは他のコンデジ同様に得手ではないようだが、スナップ程度の写真なら高級機にそれほどひけをとらないかもしれない。魚眼風とかジオラマ風とかは、私には必要がないが、将来は使うかもしれないので、いずれ使い方を覚えておこう。
何を撮ったのかわからないと恐縮なので、以下で簡単に説明する。

呑川緑道
呑川遊歩道
キャノンの研修所
呑川緑道沿いで我が家から数十mくらいのところにキャノンの研修所Canon Global Management Instituteがある。
このあたりには、下丸子に移転するまで、キャノンの工場や研究所などがあった。初代工場もここだった。
Global Management Instituteでわかるように、世界的企業キャノンの屋台骨を担っていくべき人材の教育を行なっている。その中に日本人がいるのか否か知らないが、立派な宿泊施設も用意されている。
Canon Global Management Institute_研修施設
Canon Global Management Institute_宿泊施設_1
Canon Global Management Institute_宿泊施設_2
Canon Global Management Institute_宿泊施設_3
大岡山界隈
呑川をもう少し歩いて行くと大岡山という地名のところになる。東工大のキャンパスもあるところだ。大岡山は、大地主である岡田家が所有していた山から付けられたと言われているようだ。大岡越前守ではないようだ。我が家のかつての地主、岡田家がここにも登場する。先代当主が亡くなった時もその夫人が亡くなった時も相続税日本一になった大地主だから、地名に名残が残っていても不思議はないか。それにしても環8からぐぐっと下る急傾斜地だ。確かに山だ。
目黒消防署大岡山分駐所の消防車
大岡山辺りの住宅_1
大岡山辺りの住宅_2

 

横浜山手界隈(4)

港の見える丘公園からの眺め
港の見える丘からの眺め_1
港の見える丘からの眺め_2
港の見える丘からの眺め_3
港の見える丘からの眺め_4

マリンタワーを望む
随分知名度が低くなってしまってはいるが、依然として横浜のランドマークの一つとして聳え立っている。
高所恐怖症の私には足が向かない施設だ。

1958年:横浜開港100周年記念事業の一環として、市民からの発意により建設が計画され、民間運営会社が設立される
1961年:マリンタワー開業
2006年:横浜市が開港150周年に向けて再生することを決定
2009年:リニューアルオープン


マリンタワー

山手資料館
その名が示すように横浜開港期を偲ばせるさまざまな資料を展示公開している。ごく小さな建物で、一度見れば二度と行かなくても済みそうな感じだ。しかし、公営の施設ではないことを考えれば、入館料の200円はそれほど高くはないだろう。問題は館内が写真撮影禁止なこと。写真撮影を禁じる要素は殆ど無いように思われ、そのことはどうにも解せなかった。
グリーンベンチとガス灯は自由に入れる屋外部分にある。外から見たほうが良さそうな建物だった。

明治42年に建てられた横浜市に残る唯一の木造西洋館を、昭和52年に勝烈庵創業50周年事業として外国人墓地前のレストラン山手十番館庭内に移築いたしました。

山手資料館
山手資料館とガス灯
ガス灯
グリーンベンチ
獅子頭の共同水栓

 

横浜山手界隈(3)

大佛次郎記念館
横浜に縁の深い大佛次郎の記念館。そういえば、『霧笛』を読んだことがなかった。何かの縁だから読んでみようと思う。この記念館のデザインを見てもわかるように、よほど海好き、船好きの御仁だったようだ。
大佛次郎は、横浜に生まれ横浜を最も多く描いた作家です。開化小説の「霧笛」「幻燈」、ノンフィクション「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」、時代小説「鞍馬天狗」など幅広い著作は、今も多くの人々を魅了し続けています。代表作のひとつ「霧笛」ゆかりの地に建つ当館では、その業績と生涯を様々な資料で紹介しています。また、愛猫家としても知られる大佛次郎が集めた猫の絵や置物は、展示に彩りを添えています。
大佛次郎記念館

神奈川県近代文学館
童話作家寺村輝夫さんの「ぼくは王さま」展が開催されていた。
神奈川県近代文学館_1
神奈川県近代文学館_2
神奈川県近代文学館_3
神奈川県近代文学館_4

港を眺める
神奈川県近代文学館の前庭からの眺めは最高だった。橋の下を大型客船が通れば最高だったのだが。
近代文学館前からの眺め_1
近代文学館前からの眺め_2
近代文学館前からの眺め_3
近代文学館前からの眺め_4

飛行船
ちょうど真上を飛行船が通りすぎていった。推進力を得るための軽やかなプロペラ音が聞こえてきた。気づかなかったけれど、係留用の綱を垂らした状態で、飛行していたんだ。
飛行船

 

初めてのヒカリエ

買い物が目的ではなく『珠響(たまゆら)』と名付けられたイベントを観に行ったのだった。ヒカリエに関しては、主に男性陣から冷たいコメントが有るようだが、そんなに変な感じはしなかった。今時の売り場だから、女性客を大事にする側面はかなりあるとは思うが。(今回はすべてスマホのカメラで撮った)

地下で腹ごしらえ
13:00の開演なので、11:45頃にヒカリエに入り、腹ごしらえをした。地下2階のイートインの内の、エル・チャテオというスペイン料理の店を利用した。魚介のパエリアセットを注文。セットのタパス(前菜のことだと思う)が先に出される。結構おいしいものだった。そして、15分後、出来上がったパエリアが出された。非常に美味しかった。1,150円とそれほど高くはない。また行くこともあるだろうから覚えておこう。
地下2F出入口
パエリアセット_1
パエリアセット_2
こんなイベントも

9階からの眺め
何度も同じ事を繰り返して恐縮だが、渋谷駅の大改装計画に伴い、こういう景色は早晩消える。記憶にとどめておきたくてまたも撮る。
現在の渋谷駅_1
現在の渋谷駅_2
現在の渋谷駅_3
現在の渋谷駅_4

『珠響(たまゆら)』と名付けられたイベント
今年は第3回目だそうだ。
出演者は、ピアノの稲本響、尺八の藤原道山、ギターの村治佳織、和太鼓の英哲 風雲の会の上田秀一郎と谷口卓也(他の日は、はせみきたと田代誠)、囃子の三響會の亀井広忠と田中傳次郎の兄弟、そして、ゲストは市川猿之助と能楽観世流シテ方の坂口貴信。
第一部は、市川猿之助以外の出演者のそれぞれの演奏。「念」をテーマにしたということだが、皆素晴らしいレベルの演奏で圧倒された。
舞台からごく近い席だったので、演奏者の表情がよく見えた。和太鼓の空気振動が客席に届く感じだったし、村治佳織さんはせっかく可愛い顔の持ち主なのに、目をつぶって演奏していた。能のコンビ、亀井広忠と坂口貴信の演奏も絶品だった。
そして、第二部。『鉄輪』に出演者全員で取り組むコラボレーション。市川猿之助は語りと最後の舞いとを担当。全員の息があって、素晴らしい舞台に仕上がっていた。
珠響のポスター

『鉄輪』は別府の温泉の物語ではない。陰陽師安倍晴明が登場する話だ。
『鉄輪』のシテは夫に裏切られた本妻である。
夫が自分を捨て、別の女を妻に迎えたことを恨んだ女は、貴船の宮に丑の刻詣りに赴く。
貴船の社人から、「赤い衣を着、顔に丹を塗り、頭に鉄輪を戴いて灯をともし、憤怒の心をもつならば、たちまち鬼神となることができる」というお告げを得て、女はその言葉通り鬼に姿を変え、後妻打ちに及ぶ。
しかし女が取り殺そうとするのは、何より「ことさら恨めしき、あだし男」なのである。
女は夫への憎悪をはっきりと自覚しつつ、また同時に自分が夫をなおも愛していることを知っている。鬼に変わった女は言う。
捨てられて、思ふ思ひの涙に沈み、人を恨み、夫を託ち、ある時は恋しく、または恨めしく、起きても寝ても、忘れぬ思ひの、因果は今ぞと。白雪の消えなん命は今宵ぞ、痛はしや。
自らを取り殺そうとする夫は女にとってなお「いたわしい」のであり、夫がなおも恋しいからこそ、女は夫を憎悪し、憤怒を抱く。


猿之助も出演!「珠響~たまゆら~」開催のお知らせ

 

横浜山手界隈(2)

イギリス館
イギリス館は、昭和12年に上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在の地に建てられた。昭和44年に横浜市が取得し、コンサートや会議等に利用されている。
建物はそれほど広壮というわけではない。しかし、庭は広く、ローズガーデンは見事だ。
イギリス館_1
イギリス館_2
イギリス館_3
イギリス館_4
イギリス館_5
イギリス館_06
イギリス館_07
イギリス館_08
イギリス館_09
イギリス館_10
イギリス館_11
イギリス館_12

 

ご近所の様子(18)

ジャカランダ(キリモドキ)とねむの木との見分けがつかない

我が家のそばにネムノキ公園という名前の小さな公園がある。その公園に隣接しているお宅にこんな木がある。多分、目黒区の担当者はこの木の葉(葉は多くが2回羽状複葉)を見てネムノキだと思い込んだのだろう。ネムノキを植え、ネムノキ公園という名前をつけた。斯くいう私も誤解した一人だった。
ところがあるとき、この隣家の木の上部に紫色の花が咲き出した。結構高い位置なので、肉眼ではよく見えない。そのとき写真に撮ったのだが、HDDのクラッシュで残っていない。そこで、他の方の写真を掲出させていただく。花を見れば、違いは歴然としていて、似ても似つかないことがわかる。日本ではネムノキが圧倒的に有名だが、世界的にはジャカランダに軍配が上がるようだ。
ジャカランダ
ジャカランダ_1
ジャカランダ_2
ネムノキ
ネムノキ_1
ネムノキ_2
ジャカランダの花
ジャカランダ_3

ジャカランダ 学名:Jacaranda sp. 原産地:南アメリカ 
ジャカランダは世界三大花木(カエンボク、ホウオウボク、ジャカランダ)の一つ。なんとなく涼しげな葉はねむの木に似ておりますが、マメ科ではなく、ノウゼンカズラの仲間のようです。
ハワイでは日系人が日本の桜を偲んで「ハワイ桜」や「紫の桜」とも呼んでいるとのことです。
また、ジャカランダはキリの花に似ていることから別名「キリモドキ」とも言われているとか。


ジャカランダの森

児の手柏(コノテガシワ)
これが好きなので載せた。本当に可愛らしいといつも思う。
児の手柏_1
児の手柏_2

フウセンカズラ
東横線の線路際に毎年出てくる。誰も取らないから、種が発芽して毎年同じ所に顔を出すのだろう。
フウセンカズラ_1
フウセンカズラ_2

 

横浜山手界隈(1)

横浜外人墓地
横浜市には外人墓地が4箇所あるようだ。最も有名なのが、神奈川県横浜市中区山手にある外国人墓地。ここではこれを取り上げる。19世紀から20世紀半ばにかけての40余国、4400人余りの外国人が葬られているそうだ。

我が家の墓がある多磨霊園の正門近くにある外人墓地区画では、キリスト教形式の墓のほか、イスラム教形式の墓(メッカの方角に向いている)なども目立つ。しかし、この外人墓地はキリスト教形式の墓が圧倒的に多いようである。お雇い外国人は殆ど欧米人だったことを考えると理解できるのだが。

元町通用門(ルゥーリー記念ゲイト)近くの様子
生麦事件犠牲者の墓
生麦事件犠牲者の墓
襲撃されたオランダ商船船長の墓
襲撃されたオランダ商船船長の墓
こういう墓の下に埋葬されている人たちは、どういう人達だったのだろうか?従者と思しき人達も本当にクリスチャンだったのだろうか?
どういう人達
奥に2柱見える横棒が3本のものは、おそらくは東方正教会(キリスト教でギリシャから東欧に伝わった宗派)の八端十字だろう。ラテン十字の横棒の上に加えられた短い横棒はイエスの罪状書き、残りの横棒2本は処刑台の足台を意味しているようだ。
八端十字も見える

山手門近くの様子
いずれ週末に公開されているときに行って、紹介し直したい。
山手門近くの様子_1
山手門近くの様子_2
山手門近くの様子_3
山手門近くの様子_4
山手門近くの様子_5

隣接しているカトリック山手教会墓地
隣接しているだけで、外人墓地ではない。
隣接しているカトリック山手教会墓地_1
隣接しているカトリック山手教会墓地_2
隣接しているカトリック山手教会墓地_3

  +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

外人墓地は、他の墓地と異なり、いわゆる永代供養の状況のようだ。年数を経た墓は、子孫にとっては先祖の墓の意識が乏しくなり、その結果、使用料の納入が滞ることによって、やむなく無縁仏扱いとなるのが珍しくはない。この墓地も墓地使用料を支払い続けている子孫も一部にはいるようだが、多くは無縁仏化している。しかし、財団法人の粘り強い活動によって、何とか維持管理費用を工面し続けている。

1864年(元治元年)、江戸幕府とアメリカ・イギリス・フランス・オランダの各国公使との間で横浜居留地覚書き書が締結され、1869年(明治2年)外務省は各国領事館に書翰(書簡)を送り、「外国人墓地は従来通り無代で貸し渡すが、維持・修理などの費用は今後は各国領事団で負担して欲しい」旨を伝えました。これを受けて1870年(明治3年)各国領事団により管理委員会を結成して以来約150年に渡り、横浜外国人墓地は地方自治体や国の管理下ではなく財団法人の手によって維持管理されています。
維持管理費のほとんど大半は、土・日・祭日に行われる公開の募金とその運用によって賄われています。

 

蒲田にて

京急蒲田駅から東急蒲田駅へ歩いた。この両駅間は徒歩で約10分ほど離れている。

途中の呑川の様子
呑川は我が家のそばを通っている。そして、池上本門寺の近くを通り、蒲田あたりを通り、更に、羽田方面へ向かい東京湾に注ぐ。その蒲田付近の流れだ。東工大キャンパス下で開渠になるが、そのあたりの水は、呑川本来の水ではなく、「城南3河川清流復活事業」による高度処理水で水量は普段はごく少ない。しかし、大田区清水窪を水源のひとつとする洗足池から流れ出る洗足流れも注ぎ込んでいたり、川底や川壁から無数の湧水が加わったり、大田区久が原や上池台周辺の数本の小さな支流からも水が注ぎ込んでいて、下流に行くほど水量が豊富になる。
ということで、蒲田あたりの水量はかなり多い。
上流のかなりの部分は暗渠化され、下水道として利用されている。 下水道は本流暗渠部の終端(東工大キャンパス下)のやや上手で呑川から離れる形になるが、大雨が降って処理しきれなくなると呑川(開渠部)にも越流させるため、悪臭が若干漂うようだ。撮影時は、特に臭いとは思わなかったが、水の色はどんより緑色をしていて、お世辞にも綺麗とはいえない感じだった。
呑川_1
呑川_2

商店街にてCM活動中の豚くん
『JCN大田』のゼッケンを身にまとい、JR・東急蒲田駅前の商店街を宣伝活動中の豚くんに遭遇。田舎に暮らしていた頃は、よく見たけれど、都会暮らしをしてからは、近くで見かけるのは初めてだ。豚くんもこんな街中に連れてこられるなんて、楽な稼業では無さそうだ。
CM活動中_1
CM活動中_2

 

穴守稲荷神社

後見人教育の実習前に空き時間に、往訪先に近い穴守稲荷神社を訪ねてみた。名前だけは知っていたが、行ったことはなかった。行ってみると、大変面白い神社のようだ。

本殿・拝殿
神使の狐_1
神使の狐_2
社務所
神楽殿
神輿庫

もともとは、現在の羽田空港の敷地内にあった。文化元年の頃(西暦1804年頃)鈴木新田(現在の空港内)を開墾したが、激しい波により、沿岸の堤防は度々被害を受けたようだ。そして、あるとき、堤防の腹部に大穴があいてしまい、ここから海水侵入が入ってくる危険が生じた。
そこで昔のこと、神に頼んだわけだ。堤防の上に一祠を勧請し、稲荷大神を祀った。これが穴守稲荷神社の始まりで、その時以来、神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく、五穀豊穣が続いたという。
『穴守』というのは、「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」ということだそうだ。

ということだったのだが、そこは料亭があり、釣堀があり、海水浴場があり遊園地があり競馬場があり、の一大行楽地であったのだそうだ。ところが敗戦により状況が一変する。米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地(東京国際空港内)から48時間以内の強制退去を命ぜられた。同年9月、地元崇敬者有志の奉仕により境内地700坪が寄進され、仮社殿を復興再建。現在地(大田区羽田5丁目2番)に遷座した。
その後、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等を復興し、漸次昔日の面影を取り戻しつつあるとのことだ。そうは言うものの、昔日のちょっと逸れた意味での隆盛ぶりはなくなった。本来の神社のあり方からすれば、まっとうな形に帰ったということだろう。
しかし、こんな無茶な指示をするとは、米軍もあきれ果てたものだ。米軍関係者に祟りはなかったのだろうか?

ところで、この神社には、下記のような逸話が残っていて、今でもその砂を持ち帰る人は少なくないようだ。日本人はご利益があるとされるものには非常に弱いのが普通なようだ。それにしても、稲荷神社に伝わる狐の言い伝えとは、かなり都合の良すぎる話のように思えなくもないが。
伏見稲荷大社程ではないが、鳥居がずらっと並んで建てられているさまは、ちょっぴり壮観な佇まいである。
鳥居_1
鳥居_2
鳥居_3
奥の宮
様々な働きのお稲荷さま_1
様々な働きのお稲荷さま_2
様々な働きのお稲荷さま_3
様々な働きのお稲荷さま_4

奥之宮と神砂(あなもりの砂)
今は昔、羽田浦は要島に一翁あり。要島は干拓く島なれば堤にて固め成されり。然ど津波に襲し堤破るる事屡なれば、堤の上に祠を構へ稲荷大神を勧請するに、風浪の害止み之を以て穴守稲荷と称す。
或刻、翁漁より帰りて魚篭を覗くに釣せし筈魚は無く只湿砂のみ在り。翌も翌々も大漁なれど同く魚は無く湿砂のみ在るを訝しく思ひし翁、村衆に此を談る。衆人此を狐の仕業とし穴守稲荷の社を囲みて狐捕へけれど、翁此を赦し放てり。
此より後、翁漁に出ずる度大漁なり。魚篭には許多の魚と僅なる湿砂あり。嫗此の砂庭に撒くに忽ち千客萬来す。斯くて翁冨を得る
故、翁に肖り御砂以て招福の徳を得むと、穴守の砂求むる者四方八方より訪れり。
尚、今日に至る。

 

代官山界隈(5)

DAMAIとFAVORI
エジプト大使館の先にあるちょっと目立つビル。
新装オープン直後のようだ。2店とも、株式会社ディスクシティエンタテインメントが経営。
この1Fの店『代官山 BISTRO FAVORI』は、7時~24時まで営業を行い、モーニングの時間帯では天然酵母パン、オーガニックコーヒーなどを提供し、ランチ・ディナータイムはフランス料理をベースに素材や健康に対するこだわりを持った料理を提供するそうだ。
そして2F『DETOX SPA DAMAI 代官山店』は痩身スパのお店のようだ。
興味のある向きは、自分で調べた上でアクセスするのも良いのでは。
DAMAIとFAVORI

アーカンジェル代官山
旧山手通り沿いにそびえ立つチャペル。結婚式場らしい。
結婚式といえば、ウェディングドレスとタキシードというのが定番かと思う。昔、私たち夫婦がカトリック碑文谷教会で挙げたときは、白無垢と羽織袴スタイルだった。皆に驚かれたが、皆無というわけではない。最近では、式を挙げない夫婦も少なくないが。
アーカンジェル代官山

代官山フォーラム
再び折り返す。道の反対側に渡り、渋谷区猿楽町に入る。すぐのところに代官山フォーラムというおしゃれな建物が目に入る。蔦屋書店の隣になる。
Jun Ashidaのほか、高級料理店『Maison Paul Bocuse』や、弓田亨主宰のケーキ・フランス菓子のお店『イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ』がある。両店共に相当評判が良さそうだ。
こちらは私には縁が無さそうなので、写真を撮っただけでパス。興味のある向きは、調べた上でアクセスするのも良いのでは。
Maison Paul Bocuse

 

昨日のご近所の様子

久しぶりにピーカンの休日。ちょっとご近所を散歩したが、カメラの持参を忘れた。しかたなく、スマホで撮ってみた。屋外は下手な一眼レフに負けないくらいだが、薄暗い屋内はやや難ありといったところ。

サレジオ教会(カトリック碑文谷教会)
戦後すぐにサレジオ修道会のイタリア人神父の尽力で建てられた。日本の聖堂としてはかなり大きい聖堂だ。ステンドグラスが美しく輝き、かなり大型のパイプオルガンもある。パイプオルガンは、部分的に2階になっている聖堂後方のスペースに、聖歌隊席と並ぶように設置されている。
三浦知良が結婚式を挙げたことでも有名。
サレジオ教会_1
サレジオ教会_2
サレジオ教会_3

街で見かけた花
葉の裏が真っ赤なものなど
街で見かけた花など_1
街で見かけた花など_2
街で見かけた花など_3
街で見かけた花など_4
街で見かけた花など_5

目黒通り
朝の目黒通りは空が抜けるように綺麗だった。
目黒通りの風景_1
柿の木坂陸橋近くの歩道。木陰がまだまだ嬉しい。
目黒通りの風景_2
柿の木坂陸橋は装飾が素晴らしい陸橋として知られている。
目黒通りの風景_3
スピードオーバーを取り締まっている警官。上着を脱いで傍らに置いたくだけた格好だけど、まあ一種のクールビズってところかな。尤も、停めて罰金を言い渡す方は、ちゃんとした格好をしていた。
目黒通りの風景_4

ダイエー碑文谷店のライバル?
少し前まで、ここはダイエー碑文谷店の契約駐車場だったが、大きく事情が変わった。近々、強力なライバル店誕生になるようだ。ダイエー碑文谷店の生鮮食料品は評判が今ひとつだったようで、価格、品質、品揃えが上手ければ、堂々と勝負できるかもしれない。さてどうなることだろうか。
ダイエーの新ライバル_1
ダイエーの新ライバル_2
ダイエーの新ライバル_3

 

久しぶりに妻と外食

何ヶ月ぶりかで、家に妻と2人きり。小用で外出した妻と渋谷で待ち合わせて外食を楽しむことにした。
外食を楽しむとはいうものの、私が健康診断に合わせて減量メニューを続けていた直後だったので、急に胃腸をびっくりさせるようなものはNGという事で、手打ちの饂飩を食べることにした。渋谷東急プラザにある志鶴うどんを利用した。
晩酌セットを注文し、追加で酒と小鉢を幾つか注文。晩酌セットの内容はこんなもの。最後のシャーベットの撮影は忘れてしまった。しかし、こうして写真を並べてみると、非常につましい食事をしているようにしか見えない。う~~ん。
セット_1
セット_2
セット_3
セット_4

どうも、多臓器不全状態で東京女子医大に入院中の母の容態とか、自由奔放ユニークすぎる幼い孫の話とか、食事をしながらも話題はそんなものに入ってしまう。紛う事無き、爺さんと婆さんとの他愛無い会話に成り下がってしまった。

 +-+-+-+-+-++-+-+-+-+-+

昨夜は、多摩川の花火大会に客を奪われたのか、渋谷駅の東横線ホームは閑散としていた。このホームもあと何ヶ月かで見られなくなる。記念に撮っておくことにした。都心で最も古ぼけた駅舎の渋谷駅も様変わりまでついにカウントダウンだ。
東横線渋谷駅_1
東横線渋谷駅_2

 

代官山界隈(4)

DAIKANYAMA ART STREETのポスター
デンマーク大使館の一番目立つところに堂々と掲示されているDAIKANYAMA ART STREETというイベントの周知ポスター。なんで大使館がこの種のポスターを貼っているのか興味を持った。日本国の在外大使館だったら絶対にやらないことだろう。このイベントは旧山手通りの各所で開催されるようだ。サバサバした粋な国なんだ。すぐそばのエジプト大使館は名を連ねていないぞ。
2012年8月20日(月)~ 8月26日(日)9:30~21:00

DAIKANYAMA ART STREET

DAIKANYAMA ART STREETのポスター

オープンカフェ「ミケランジェロ」
前回紹介した高級店のリストランテASOであるが、前面にはリーズナブルなカフェ・ミケランジェロが併設されている。リーズナブルというのは、前者に比しての話であるが。カフェ・ミケランジェロは、ちょっとだけリッチな気分を味わうには適当かもしれない。
リストランテASO_2
リストランテASO_3


エジプト大使館
デンマーク大使館と同様にこの辺り一帯が再開発された時に移ってきたようだ。直前で渋谷区が終わり、ここは目黒区青葉台。かつて美空ひばりが住んでいた辺りだ。

親米のムバラク政権が倒れ、混乱に乗じてイスラム過激派の横行が激しくなり、ガザの国境が非常にきな臭い事態に陥っているようだ。これをイスラム穏健派と言われるモルシ大統領が率いる新しいエジプト政府がどう対処するのか、イスラエルは様子見とのこと。

エジプト・シナイ半島北部のラファにある警察署で5日、イスラム過激派の武装勢力による襲撃があり、警察官15人が死亡した。武装団は軍事車両を奪って国境を接するイスラエル方面へ向かったが、イスラエル軍戦闘機の爆撃で破壊されたという。
今回の攻撃は6月のモルシ大統領就任以来、初めての大規模な治安事件となり、大統領は軍事評議会を招集。また、イスラエルのネタニヤフ首相は、軍と治安部隊の対応により「イスラエル市民に対する重大な攻撃を食い止めた」と語った。
エジプトの国営メディアは治安当局の話として、攻撃はシナイ半島やパレスチナ自治区ガザを拠点とする過激派によって実行されたと伝えた。国営テレビによると、襲撃を受けたのはラファ南部にある検問所で、負傷者も少なくとも7人いるという。
イスラエルの軍スポークスマンは、武装勢力によって奪われた車両2台のうち1台は爆発し、もう1台は軍戦闘機が破壊したと発表した。

エジプト大使館_1
エジプト大使館_2
エジプト大使館_3
エジプト大使館_4
エジプト大使館_5
エジプト大使館_6
エジプト大使館_7

 

恵比寿界隈(2)

救世軍の教会
昔は救世軍の街頭での募金活動(社会鍋)を目にしたものだが、最近は見かけなくなった。ところが、恵比寿でちょっと視線をあげたら、救世軍の教会らしきものを見つけた。へえ、まだ存在していたんだ。私の認識が足らなかっただけのようだが、歴としたプロテスタントの教派のようだ。

救世軍(きゅうせいぐん、英:The Salvation Army・略称S.A.)は、世界124の国と地域で伝道事業(=宗教活動)、社会福祉事業、教育事業、医療事業を推進するキリスト教(プロテスタント)の教派団体。日本では日本福音同盟に加盟している。
軍隊を模した組織をとって活動を行うことが最大の特徴である。
なお、英語の「The Salvation Army」を「救世軍」と日本語に翻訳したのは尾崎行雄である

救世軍_2
救世軍_3
救世軍_4

ビル清掃
中小のビルではこういうスタイルでビルのガラス清掃をしている。強度の高所恐怖症の私には、どんなに強制されてもできないだろう仕事だ。そういえば、アサヒビールの金団雲も、このやり方で清掃していると聞いたことがある。
窓清掃_1
窓清掃_2

街角の花
街角で見かけた今時分の花
街角の花_1
街角の花_2

 

軍港めぐり(9)

出航しようとする護衛艦むらさめ(DD-101)
軍港めぐりも最後の頃、護衛艦むらさめが出航しようとしていた。この様子を追っかけてみた。
何のことはないのだが、タグボートの力を借りながら目指す方向に艦首を向け、気持ち良さ気にG.WASHINGTONの前を通りすぎていった。
護衛艦むらさめ(DD-101)_1
護衛艦むらさめ(DD-101)_2
護衛艦むらさめ(DD-101)_3
護衛艦むらさめ(DD-101)_4
護衛艦むらさめ(DD-101)_5
護衛艦むらさめ(DD-101)_6
護衛艦むらさめ(DD-101)_7
護衛艦むらさめ(DD-101)_8

曳船68号
海上自衛隊のタグボート。260t型。相当に馬力がある感じだ。
曳船68号_1
曳船68号_2

ついでに関係のない話
写真とは全く関係ない話だけど、タイプライター型のキーボードからやたらに小さいノートのキーボードに変えたら、誤タッチが増えてきた。それは慣れの問題だからしかたがないことなんだけど(1年以上経って?)、これとMS-ISEのかな漢字変換とを組み合わせると、誤字・誤変換だらけの文章に堕ちてしまった。取り敢えず、かな漢字変換をGOOGLE-IMEに変えてみた。今のところ、まずまずの感じ。これでダメだったら、有料のATOKしか残っていないが、…。

 

代官山界隈(3)

猿楽塚(猿楽神社)
前回も触れたが、猿楽町の地名のもととなった古墳時代末期の円墳、猿楽塚。もともと大小2基があり、間を鎌倉街道が通っていた。大正時代朝倉家がそのうちの1つを打ち壊したところ武具が見つかり、その後当主と作業をした親方が奇病に取り付かれ、武具を埋め戻したところまもなく快復したことから、残された塚の上に猿楽神社が創建されたそうだ。
猿楽塚(猿楽神社)_1
猿楽塚(猿楽神社)_2
猿楽塚(猿楽神社)_3

デンマーク王国大使館
アンデルセンで有名なデンマーク。私も40年以上前にデンマークに行った際に、アメリエンボー宮殿の衛兵や人魚姫の像を見た。
高級オーディオメーカーバング&オルフセン、知育玩具レゴや陶磁器ロイヤルコペンハーゲン、コンフォートシューズのエコーシューズ、ミニバラの世界的ナーセリーであるポールセンローズなどが有名。海運大国としても知られ、世界最大のコンテナ船企業、APモラー・マースクグループの発祥地であり世界本社所在地でもある。また農業輸出国としても有名であり、日本との貿易では日本の輸入の約半分を豚肉が占める。イギリスでは、デニッシュという単語がベーコンの代名詞となった。日本では、デニッシュといえば、デンマーク風のパンを指す。
デンマーク大使館_1
デンマーク大使館_2
デンマーク大使館_3
デンマーク旅行時

リストランテASO
見るからに高級そうなお店。とってもじゃないけど、気楽にいける店では無さそう。急激に胃と肝臓とが縮こまった。イカンゾウと危険信号を発している。今回は写真を撮るだけにしておこう。
リストランテASO_1
リストランテASO_2
リストランテASO_3

旧山手通りの店先で
凄くセンスのあるオブジェが置いてあった。私には著しく欠如している能力だ。
旧山手通りの店先のオブジェ_1
旧山手通りの店先のオブジェ_2
旧山手通りの店先のオブジェ_3
旧山手通りの店先のオブジェ_4

 

代官山界隈(2)

『代官山 蔦屋書店』と『代官山T-SITE GARDEN』
代官山レストラン シェ・リュイから少しだけ歩き、『代官山 蔦屋書店』と『代官山T-SITE GARDEN』の敷地に裏側の駐車スペースから入ってみる。凄くお洒落な雰囲気。街にあるTSUTAYAとは大違い。かなり広い駐車場に驚く。わざわざ車で来てすごす場所なのだろうか?そうは言うものの雰囲気のある場所。好きな人と来てみたい誘惑は強いことだろう。
正面入り口は旧山手通り側。ペット用ゲージを無料で貸出しし、リードフックも多数あるとのこと。
蔦屋書店ほか_01
蔦屋書店ほか_02
蔦屋書店ほか_03
蔦屋書店ほか_04
蔦屋書店ほか_05
蔦屋書店ほか_06
蔦屋書店ほか_07
蔦屋書店ほか_08
蔦屋書店ほか_09
蔦屋書店ほか_10
蔦屋書店ほか_11

 

代官山界隈(1) 08/13(月)15:00記事訂正

代官山界隈は若いお姉さんたちに人気の街だという。いつも通り過ぎるだけではもったいないので散歩してみた。

代官山駅前
街歩きの人はこっちの方向を目指す人が多い。粋な建物が目につく。
代官山駅前_1
代官山駅前_2
代官山駅前_3

猿楽町を歩く
通りにぶつかると左右に人が分かれる。私は、ひとまず右側に出て、すぐ道を渡り渋谷区猿楽町を歩いて見る。
猿楽町の名は、古墳時代末期の円墳、猿楽塚に由来するそうだ。能の前身、猿楽関係者が多く住んでいたのは神田猿楽町の方。
猿楽町へ_1
猿楽町へ_2

代官山OKURA(オクラ)記述を全面訂正させていただきます。m(_ _)m
末ぜんだとばかり思い込んでいましたが、正しくは『代官山OKURA(オクラ)』でした。間違ってしまい大変申し訳ありませんでした。m(_ _)m
OKURA(オクラ)と言えば、代官山を代表する程有名な藍染めファッションブランドだそうです。知らなかったじゃ済まされないミスでした。
なお、OKURAの地下には、『BOMBAY BAZAR (ボンベイバザー)』という大判焼きが美味しいカフェがあるとのことです。そして、右隣りの趣きのある日本家屋は、『JOURNEY』というお店だそうです。
どうにも合点がいかない感じだったので、元の写真を拡大し、かすかに見える地下店舗の看板から調べました。食べ物屋以外は探すのが難しいことを思い知りました。末ぜんはこの店より何軒か代官山駅寄りになります。そして、代官山レストラン シェ・リュイはこの店より何軒か奥になります。
OKURA_1
OKURA_2
OKURA_3
OKURA_4
OKURA_5

代官山レストラン シェ・リュイ
先ほどの見るからに粋な和の店『OKURA』からすると、こちらは見るからに粋な洋の店。改装休業直後だったらしく、女性客が何組か入っていった。というか先を歩いていた人たちは殆ど、ここを目指していたようだ。
シェ・リュイ_1
シェ・リュイ_2

 

軍港めぐり(8)

掃海艇のとじま(MSC-682)
NATO諸国の装備…機雷探知機(TYPE2093)、英GECマルコーニ社製情報処理装置(NAUTIS-M)、機雷処分具(PAP-104Mark5)の3点セットを導入したものに変更し、より近代的な機雷戦(掃海、掃討)に対応している。
見た目は掃海艦はちじょうとそれほど変わらないように見えるが、向こうは『艦』で、こちらは『艇』だ。
のとじま_1

油船YO-28と油船YO-29
油船は艦船に燃料を給油する為の第1種支援船。他の艦船の横っ腹にひっつき、給油して廻る。
油船

海洋観測艦すま(AGS-5103)
対潜戦に必要な海洋観測データの収集、記録、分析を主任務としている艦。各種観測機器を装備し、気象・潮流・海底地形・水質・水温・塩分濃度などのデータを収集分析しているほか、音響調査も行っていると考えられる。緻密な観測を実施する為の減揺装置や長期の観測航海に耐えられるだけの居住性を備えていることも大きな特徴。「海洋観測艦」という穏やかな艦種名とは対照的に、「ひびき型」や「むろと」と同様、極めて機密性が高い。
すま&えんしゅう

多用途支援艦えんしゅう(ASM-4305)
各種射撃訓練の支援の他、消火・救難・離島に対する災害派遣など多目的に使用するために建造された。消防装置一式、艦艇曳航装置一式、自走式水上標的・管制装置一式、魚雷回収装置一式等を装備する。
えんしゅう

 

軍港めぐり(7)

今回から自衛隊の艦艇を取り上げる。

掃海母艦うらが(MST-463)と掃海艦はちじょう(MSO-303)
うらがは、掃海母艦としての補給・指揮設備に加えて、航空掃海を行うためのヘリコプター支援設備、航空掃海具の格納庫、水中処分員のための減圧室、機雷敷設艦としての機雷敷設装置を有している。
はちじょうは、外洋での掃海を視野に入れたため大型化し、掃海艇ではなく掃海艦として扱われている。また、掃海器材の深深度係維掃海具S-8は深度数百mの深深度機雷に対応する掃海能力を有している。前甲板に機雷処理用の20mm機銃を装備している。
黄色く見えるのは、S-7(2型)深深度用掃海処分具で、白く見えるのは、曳航掃海具のフロート(浮標)。
艦尾の甲板は一段低くなっており、そこから掃海具などを海中に投入する。
うらが&はちじょう_02
うらが&はちじょう_03
うらが&はちじょう_04
うらが&はちじょう_05
うらが&はちじょう_07
うらが&はちじょう_08

海洋観測艦わかさ(AGS-5104)
潜水艦作戦や機雷戦を行うにあたっては、海上のみならず、海中や海底地形の状況についても、十分な把握を行う必要がある。軍事作戦展開のために、必要な海洋情報を収集するのが海洋観測艦。
艦首には巨大なケーブルシーブ(滑車)
上部が黄色く着色されているのはケーブル作業時に用いるブイ
わかさ_01
わかさ_03
わかさ_04
わかさ_05
わかさ_06

潜水艦救難母艦ちよだ(AS-405)
うずしお型潜水艦の潜航深度に対応するために深海救難艇(DSRV)と深海潜水装置(DDS)を装備する。潜水艦救難艦のみならず、潜水母艦機能を付加されていて、潜水艦1隻分80名分の宿泊施設、ミサイル、魚雷、糧食、真水等の物資補給、潜水艦への給電と充電を可能とする。
ちよだ_01
ちよだ_03
ちよだ_04
ちよだ_05

 

軍港めぐり(6)

今回はちょっと横道に逸れて、まず、灯浮標および灯標を取り上げます。

浮標式の詳細へ

灯浮標
左げん標識(緑)
一番上のプレートは正方形。
左げん標識(緑)_1
左げん標識(緑)_2
右げん標識(赤)
頭が切れてしまって恐縮だが、一番上のプレートは三角形。この浮標の岸側を通ると座礁の危険性が高いことはお分かりいただけると思う。
右げん標識(赤)

左げん標識・右げん標識と称するが、一般的な通念では『左右』は船舶の進行方向によって異なる。そのため混同しないよう基準を決める必要がある。その基準となるのが『水源』で、水源に向かって左が左げん、右が右げんとなる。
左げん標識と右げん標識との間を通行するのは当然だが、出港するときには、左げん標識に寄った水路を通行し、入港するときには、右げん標識に寄った水路を通行するようだ。

なにやら小さくしか見えないと思うが、実はかなり大きいものなのだ。さらにその下に重石に結合する部分があるから、全長は相当なものになる。
曳航中の浮標_1
曳航中の浮標_2

灯標
灯標

続いて、夏島と独立行政法人海洋研究開発機構とを取り上げます。

夏島ほか
背後の山は夏島。ここに伊藤博文の別荘があり、井上毅が中心になってまとめた大日本帝国憲法草案について、伊藤博文、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らが検討を重ね、夏島草案をまとめた。これが大日本帝国憲法のもととなった。
伊藤博文別邸

その手前の白い建物は、独立行政法人海洋研究開発機構(Japan Agency for Marine-Earth Science and Technology:JAMSTEC ジャムステック)の横須賀本部。
ここにはしんかい6500などがある。
しんかい6500
しんかい6500
かいこう7000
かいこう7000

 

軍港めぐり(5)

G.WASHINGTON(2)

こちらから見て、右側の飛行甲板が張り出した部分の上に、作業か点検かを行っていると思しき何人かが写っている。それからこの艦船の巨大さが想像できるだろうか?想像できない方は、最後のほうにあるWEBへのLINKがしてあるので、そちらを参照されたい。

G.WASHINGTON2_1
G.WASHINGTON2_2
G.WASHINGTON2_3
G.WASHINGTON2_4
G.WASHINGTON2_5
G.WASHINGTON2_6
G.WASHINGTON2_7
G.WASHINGTON2_8
G.WASHINGTON2_9
G.WASHINGTON2_10
G.WASHINGTON2_11

パブリックドメインファイルから
ペルシャ湾を航行中のG.WASHINGTON
ペルシア湾を航行中
ひゅうがと並んで航行中のG.WASHINGTON
ひゅうがと並んで航行中のG.Washington

素晴らしい内容なので、是非とも下記をクリックして見てください。内部の様子がはっきりわかります。
他の方のWEBでG.WASINGTON公開の様子を紹介しているページへ
私も参加した一人だが、そのときの写真はHDDクラッシュで残っていない。
上記WEBサイトにも写っているが、見学者は大きな平らな平面のエレベータ(リフト)で甲板に出る。このエレベータだが、本来は荷物運搬用だと思われ、囲いのない世にも恐ろしげなもの。当然真ん中に居たほうがよい。

かすかに見えるのは旗艦『ブルー・リッジ』かも
肉眼ではっきり見えていたわけでないし、写真にも全体が写っていたわけでない。でも、姿格好からすれば、ブルー・リッジではないかと思う。ブルー・リッジは第7艦隊旗艦として神奈川県の横須賀港を母港としている艦船。久しく目にしていなかったので、思い違いでなければ嬉しい。

「ブルー・リッジ」級の高い通信・情報処理能力は揚陸指揮艦としてだけではなく艦隊旗艦としても高度な能力を与えている。
現在、「ブルー・リッジ」は第7艦隊旗艦、2番艦「マウント・ホイットニー」は第6艦隊旗艦の任についている。既に竣工から30年以上が経過し艦齢は40年に達しているが数度の近代化改造を行い能力を大幅に向上させて現時点においても世界最高の能力を持つ指揮艦であり2030年代まで現役に残ると思われる。


かすかに見えるのは旗艦『ブルーリッジ』?_1
かすかに見えるのは旗艦『ブルーリッジ』?_2
参考までに、パブリックドメインファイルからも紹介しておく。
パブリックドメイン_ブルーリッジ

 

軍港めぐり(4)

G.WASHINGTON(1)
G.WASHINGTONが2~3日前に戻ってきていた。東京湾に入る前に、艦載機が厚木基地に飛び去っているので、艦載機は展示用が1~2機あるくらいだろう。基地公開でG.WASHINGTONが公開対象の艦船になっていなければ、それすらないのかもしれない。

パブリックドメインファイルから
実際に航行しているときの様子。実際に上から見ないと様子がわかりにくいので、借り物を冒頭に持ってきた。
私がパイロットになれたと仮定したとき、空母への離着陸が出来るようになるだろうか、いつも考えてしまう。着陸はそれくらい難しいと思う。左舷に設置してある明かりの見え方で進入角度が悪いときはわかるようになっている。OKのときは勇気を振り絞って着艦する。フックが掛かって、何とか飛行甲板上で停まる。ものすごく心臓に良くなさそう。
離陸のときはもちろんエンジン出力を上げるのだが、それだけでは足りずカタパルトで強力に押し出される。

航空母艦の発着艦支援

パブリックドメイン_G.WASHINGTON
パブリックドメイン_カタパルト

以降は全て自前の画像
NEXが何を意味するかわからなくて、帰ってから調べた。NAVY Exchangeのことのようで、そうだとすると海軍基地内売店のことだ。G.WASHINGTONが帰ってくると、6千人弱というもの凄い数の乗組員数だから、熱烈歓迎したくなる気持ちはわかる。
歓迎幕

G.WASHINGTONが遠めに見えてきた。気になって仕方がない。横からの眺めはさほど威圧感がない。
G.WASHINGTON_01
G.WASHINGTON_02

格好良く見える画像は次回のお楽しみ

 

渋谷から南青山を歩く(2)

Ao <アオ>
紀伊国屋があった位置に建つビル。『青山で会おう』でAoなんだそうだ。中核店舗は、紀ノ国屋インターナショナルとCHANELとのことだ。
この前を通るたびに折れてしまいそうなビルだなと思うのだが、考えすぎだろうか?大きな地震の際にはそこに居たいと思わない。
Ao

MaxMara 青山店
Ao <アオ>のまん前にある。MaxMaraは1951年にイタリアで創業された老舗婦人服店。なにやら高級そうな佇まい。男どもは避けたい場所かもしれない。
MaxMara 青山店

骨董通りの瀟洒な店舗
青山通りから骨董通りに入ると瀟洒な店舗がずらりと建ち並ぶ。その一部を紹介する。
骨董通りの瀟洒な店舗_1
骨董通りの瀟洒な店舗_2
骨董通りの瀟洒な店舗_3
骨董通りの瀟洒な店舗_4
骨董通りの瀟洒な店舗_5

 

渋谷から南青山を歩く(1)

渋谷ヒカリエ
渋谷駅前に誕生した複合商業施設。出来て間もないから当分は新し物好きの客で賑わうことだろう。それほど混雑しなくなったら、足を運ぼうと思う。今は通り抜けにだけ使わせてもらっている。
今でも地下には東京メトロ副都心線が走るが、2013年3月16日からは東横線もこちらに繋がり、渋谷駅が始発駅ではなくなる。
渋谷ヒカリエ

日本キリスト教団渋谷教会
ここに日本キリスト教団の聖堂があったんだ。外から見た限りの印象だが、なかなか渋い聖堂だ。渋谷駅から近いけど、車でのアクセスは難しそうだ。
日本キリスト教団渋谷教会_1
日本キリスト教団渋谷教会_2
日本キリスト教団渋谷教会_3

こどもの城と前庭にある岡本太郎の「こどもの樹」
かなりの回数この前を歩いたが、子供たちをつれてこどもの城に入ったことはない。東京在住では珍しい親だったかも。
こどもの城
「こどもの樹」は大阪万博の「太陽の塔」を思い出させるようなモニュメントだ。記念写真を撮っている方が少なくなかった。
こどもの樹

青山学院大学のキャンパス
青山学院はキリスト教プロテスタント・メソジスト派のミッションスクール。ミッションとは宣教使命のことだが、昔は命がけで異国・異教の地に宣教に赴く厳しい使命だったのだが、いまどきはそういうがちがちのミッションスクールは国内には皆無ではなかろうか?
青山学院大学もその代表格で、キリスト教精神に根ざした自由な校風を尊ぶ優秀な学生が集まる大学として知られる、というふうに紹介するのが正しいイメージだろう。あまりに都会派で格好がよいので、それにあこがれる向きも少なくないかもしれない。
青山学院大学のキャンパス_1
青山学院大学のキャンパス_2
青山学院大学のキャンパス_3
青山学院大学のキャンパス_4
青山学院大学のキャンパス_5
青山学院大学のキャンパス_6

国際連合大学
かつては都電の車庫、都電廃止後には都バスの車庫として利用された敷地に、隣接する子供の城やオーバルビルなどとともに、建てられている。国連の機関であることは間違いがないが、私にはまったく縁がない世界だ。
国際連合大学_1
国際連合大学_2

 

軍港めぐり(3)

米海軍の各種艦船

DDG-62 フィッツジェラルド
アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦。2005年にスプルーアンス級駆逐艦が退役したため、アメリカ海軍が保有する駆逐艦はアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦のみとなった。
DDG-62 フィッツジェラルド_1
DDG-62 フィッツジェラルド_2
DDG-62 フィッツジェラルド_3
DDG-62 フィッツジェラルド_4
DDG-62 フィッツジェラルド_5
DDG-62 フィッツジェラルド_6
DDG-62 フィッツジェラルド_追加

DDG-56 ジョン・S・マケイン
フィッツジェラルドと同様にアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦
DDG-56 ジョン・S・マケイン_1
DDG-56 ジョン・S・マケイン_2
DDG-56 ジョン・S・マケイン_3
DDG-56 ジョン・S・マケイン_4

CG-67 シャイロー
タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦。1999年にカリフォルニア級原子力ミサイル巡洋艦が退役したため、アメリカ海軍が保有する巡洋艦はタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦のみとなっている。
CG-67 シャイロー_1
CG-67 シャイロー_2
CG-67 シャイロー_3

パトロール船
フライングで後方のG.WASHINGTONを登場させた感じになったが、原子力空母に必要以上に近づかないようパトロールしている。
パトロール船_1
パトロール船_2

 

軍港めぐり(2)

最新型の潜水艦
最新型であるそうりゅう型潜水艦。船体はおやしお型とおなじ“葉巻型”だが、舵に水中運動性が高く舵損傷の危険の少ないX舵を採用した。後部に建っている旗の真後ろの舵がX字のものになっている。いままで見てきた潜水艦は、猫が優位に立っているとき尻尾を高々と上げるような感じで、舵が垂直に立っているものだった。
前回の画像_1
前回の画像_2
そうりゅう型潜水艦_01
そうりゅう型潜水艦_02
そうりゅう型潜水艦_03
そうりゅう型潜水艦_04
そうりゅう型潜水艦_05
そうりゅう型潜水艦_06
そうりゅう型潜水艦_07
そうりゅう型潜水艦_08
そうりゅう型潜水艦_09
そうりゅう型潜水艦_10
そうりゅう型潜水艦_11
そうりゅう型潜水艦_12
そうりゅう型潜水艦_13

ひゅうが
5月の軍港めぐりのときも停泊していて説明済。しらせがひゅうがの定位置に停泊している関係で、ふだんは停泊しない位置に停泊していた。
前回の画像_3
ひゅうが(JS Hyuga,DDH-181)は海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)。単独で停泊していても、その巨大さがよくわかる。軽空母ではないのだが、…
ひゅうが_01
ひゅうが_02
ひゅうが_03
ひゅうが_04
ひゅうが_05
ひゅうが_06
ひゅうが_07
ひゅうが_08
ひゅうが_09
ひゅうが_10
ひゅうが_11
ひゅうが_12
ひゅうが_13
ひゅうが_14
ひゅうが_15

以下はパブリックドメインのファイルから
ひゅうが_PublicDomain_1

 

軍港めぐり(1)

軍港めぐりが好きなので、年に複数回行っている。今回は、5月下旬のそれ以来なので、3ヶ月ぶりになる。
前回は南極観測船しらせも原子力空母G.WASHINGTONもどちらも不在だったが、今回は運よく両方の艦船ともに戻っていた。非常にラッキーだった。

クルーズ発着場付近
軍港めぐりクルーズの発着は、ダイエー横須賀ショッパーズプラーザの前。チケット販売所兼待合所はダイエー横須賀ショッパーズプラーザの1階にあり、なかなか綺麗で快適だ。
クルーズ発着場付近_01
クルーズ発着場付近_02
クルーズ発着場付近_03
クルーズ発着場付近_04
クルーズ発着場付近_05
クルーズ発着場付近_06
クルーズ発着場付近_07
クルーズ発着場付近_08
クルーズ発着場付近_09
クルーズ発着場付近_10
クルーズ発着場付近_11

南極観測船しらせ(艦番号AGB-5003)
2008年7月に退役した3代目南極観測船「しらせ」の跡を継いで、4代目南極観測船として就航した「しらせ」。南極から戻った後、ドックにおいて塗装の修理を終えたばかり。戻った直後の状態とは見違えるばかり。この時期しか見られない美しい姿だそうだ。このしらせ、前回の航海は南極の氷の状態が良くなく、相当に苦戦したようだ。地球温暖化が進行中といっても、南極の天候は厳しいもののようだ。

9月1・2日(土・日)に砕氷艦「しらせ」の一般公開が、横浜大さん橋において行われるようだ。興味のある方は、行って見るのもありかも。
しらせ_01
しらせ_02
しらせ_03
しらせ_04
しらせ_05
しらせ_06
しらせ_07
しらせ_08
しらせ_09
しらせ_10
しらせ_11
しらせ_12
しらせ_13

 

付近の大使館(2)

スーダン共和国大使館
目黒区八雲4丁目7-1

スーダン共和国(スーダンきょうわこく)、通称スーダンは、北アフリカに位置する国家。首都はハルツームである。エジプト、リビア、チャド、中央アフリカ、エチオピア、エリトリア、南スーダンと国境を接し、東は紅海に面している。
2011年7月の南スーダン共和国の分離独立前は、アフリカ大陸最大の国土を有する国家だった。現在は、アルジェリア、コンゴ民主共和国に次いでアフリカ大陸で3位の面積を擁する。


スーダン共和国の地図Flag_of_Sudan

第二次スーダン内戦は、1983年、当時のヌメイリ政権が国政にイスラム法を導入したことに、南部の非アラブ系住民(大半がアニミズム、一部キリスト教徒)が反発し勃発した内戦。ほぼ1955年から1972年の第一次スーダン内戦の続きである。約190万人が死亡し、400万人以上が家を追われた。第二次世界大戦以降で最も死者の多い戦争の一つ。

スーダンは石油部門に過度に依存した経済構造であり、南北両スーダンで算出される原油の約75%は南スーダンに存在していることから(南スーダン独立前のスーダンの輸出の93%、国家歳入の約半分)、2011年7月の南スーダン独立は、スーダン経済に負の影響を与えるとみられる、スーダン政府は、(1)海外直接投資の促進、(2)金・農産物等の一次産品輸出による外貨収入の確保、(3)緊縮財政による歳出の削減を課題に掲げている。石油収入の減少、緊縮財政及び人口減少による経済活動の縮小により、2012年は経済がマイナス成長に落ち込むとの予測もある。また、スーダンの対外債務は2011年末現在389億ドル(対GDP比約60%)に達しており、南北間の債務の配分及び債務問題の解決は最重要検討事項であり、スーダン政府は国際社会に対し、積極的に債務放棄の働きかけをおこなっている。


上記の事情を抱えているというのに、駐日スーダン共和国大使館は、駐日アゼルバイジャン共和国大使館や駐日ガボン共和国大使館に比してはるかに立派。南スーダンをも抱えていた頃の経済力のお蔭なのだろう。南スーダンが独立していった今、そんなふうでよいのか、首を傾げざるを得ない感じだ。

スーダン共和国大使館_1
スーダン共和国大使館_2


ガボン共和国大使館
目黒区東が丘1丁目34-11

中部アフリカに位置する共和制国家。北西に赤道ギニア、北にカメルーン、南と東にコンゴ共和国と国境を接し、西は大西洋のギニア湾に面している。首都はリーブルヴィル。
1910年にフランス領赤道アフリカの一部となり、この状態は1959年まで続いた。1960年8月17日に独立した。

フランスを中心とする主要先進国と主に経済面で協力を進めており、穏健かつ現実的な外交政策を展開。近年、日本、中国、韓国、インド、シンガポール等アジア諸国との関係強化にも力を入れている。中西部アフリカの有力国として、チャド・リビア紛争、ザイール内戦、コンゴ(共和国)内戦、コートジボワール危機等近隣諸国の紛争解決に積極的な役割を果たしてきている。

主要産業は、鉱業(原油、マンガン)および農林業(木材、料理用バナナ)で、石油以外の産業多角化が課題。

宗教は、カトリック教会を中心としたキリスト教が73%を占め、12%がイスラム教、10%を伝統宗教、5%を無神論が占めている。


ガボン共和国の地図Flag_of_Gabon


かなりわかりにくいところにあり、出掛けに地図を見て大体の位置は把握したはずだったが、見事に迷ってしまった。結局、スマホのナビのご厄介になった。かなり小さい修復中の建物だった。
ガボン共和国大使館_1
ガボン共和国大使館_2
ガボン共和国大使館_3

 

« »

08 2012
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
メッセージボードα
Information from AzTak

5月17日(水)は、イベント参加のため、私からのアクセスは少し遅れ気味になると思います。大変申し訳ありません。m(_ _)m

-- E N D --
.
.
プロフィール

AzTak

Author:AzTak
FC2ブログへようこそ!

定年後の時間たっぷりの輩です。写真撮影やプログラミングが趣味です。

当ブログは、リンクフリーです。

カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
QRコード
QR