散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

等々力渓谷散歩(2)

遊歩道の様子(続き)
夏休みだからどこかへ連れて行けとせがまれた親が多かったようだ。でも想像していたより暑く、子供たちの怒りが地上に出たら爆発しそうな感じだった。
途中の陸橋は環状8号。真下に来ると相当幅広いのがよくわかる。でも、環状8号からは真下が渓谷だなんて想像できないことだろう。
遊歩道の様子_06
遊歩道の様子_07
遊歩道の様子_08
遊歩道の様子_09
遊歩道の様子_10
遊歩道の様子_11
遊歩道の様子_12
遊歩道の様子_13

次回まで続きます。

 

等々力渓谷散歩(1)

谷沢川沿いに1km続く別天地のような散策路、等々力渓谷公園。東京23区唯一の渓谷として東京都指定名勝となっている。暑気払いにはうってつけかと考えて、重い腰を上げて繰り出した。しかし、何日も雨が降っていないためか水量がごく少なく、天然の涼気を満喫するには至らなかった。

鈴木家住宅穀倉
等々力渓谷入り口に近いところにある世田谷区指定有形文化財。いまどきこういうものが高級住宅街に一角に残っていたとは驚きだ。何度もこの前を通っていたのに、今回まで気付かなかった。
鈴木家住宅穀倉

渓谷遊歩道入り口
こんな感じになっている。いきなり深い谷底へ下りていく感じ。
渓谷遊歩道入り口_1
渓谷遊歩道入り口_2
渓谷遊歩道入り口_3

遊歩道の様子
水量が不足していて、涼しさを求める向きにはちょっと物足りなかったかも。でも、上に出れば猛暑日だ。
遊歩道の様子_01
遊歩道の様子_02
遊歩道の様子_03
遊歩道の様子_04
遊歩道の様子_05

 

熊沢酒造の飲食店に行ってみた(3)

いよいよ店の中へ
店の様子
われわれが入った店はMOKICHI TRATTORIAという大正時代の土蔵を改装した、非日常的空間のダイニングレストラン。
MOKICHI TRATTORIA_1
MOKICHI TRATTORIA_2
MOKICHI TRATTORIA_3
外の様子_04

地ビールを頼む
3人でかなり大きなピッチャを3杯注文した。美味しかったのだが、最近肝臓が不調気味の私には最後は味の違いが良くわからなくなってしまった。かわりに、同行の2人が美味しい美味しいを連発していた。地ビールの醸造免許を受けたときに、ドイツからマイスターを招いて、数年間技術指導を受けたとのこと。その自慢のビールを隣接する工場から直結配管で出来立ての味を提供しているとのことだ。
地ビール_1
地ビール_2
ピッチャ2杯目
ピッチャ3杯目
Gold_Medal_1
Gold_Medal_2

注文した料理
途中で酔いが廻ってしまって、あとに注文した数品を撮り損ねてしまった。ビールに負けないくらい美味だった。
そして、何にも誰にも負けないくらい私の腹回りは膨らんだ。
注文した料理_1
注文した料理_2
注文した料理_3
注文した料理_4
注文した料理_5

最後に某氏の少し早い誕生日を祝った
Happy Birthday

凄く楽しい小遠足だった。ご馳走してくれた某氏に感謝。

 

熊沢酒造の飲食店に行ってみた(2)

外の様子(続き)
一見、無造作に置かれているように見えなくもないが、そんなことはない。全体として飛び切りのセンスの良さを感じた。
外の様子_16
外の様子_17
外の様子_18
外の様子_19
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外の様子_21
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外の様子_26
外の様子_27

ワンちゃんの様子
あまり長引かせるわけにも行かないので外の様子はこれくらいに。代わりに我々同様開店を待つワンちゃんの様子を2枚。
ワンちゃん_1
ワンちゃん_2

またまた続く

 

恵比寿界隈(1)

昨日の恵比寿界隈の様子をスナップしてみた。

駅前の盆踊り会場準備
27-8日に恵比寿駅前のロータリーで盆踊り大会が開催される。その広告をめぐって、サッポロとアサヒ(カルピス)の大喧嘩勃発かと思ったら、サッポロばかりでなく、カルピスも恵比寿の会社だったんだ。心配して損した感じ。
駅前の盆踊り会場

恵比寿神社
旧名を天津神社(あまつじんじゃ)といい、大した神社ではなかったようだ。戦後の区画整理で駅前から遷座させた際、町名あるいはヱビスビールにあやかって兵庫県の西宮神社から事代主命(恵比寿神)を勧請してこれを合祀し、恵比寿神社に改名されたそうだ。そういうのがありなのか。
恵比寿神社_1
恵比寿神社_2

えびす海岸
この角を曲がっても海はないんですけど。
えびす海岸

シマダヤが教会を?
あのシマダヤが教会を経営していたのかと勘違いしてしまった。よく見ると、手前が東京恩寵教会で、その隣がシマダヤだった。
シマダヤが教会を?


PS.またまた故郷関連
かつて私が住んでいた家から数百mくらいのところ中之作地区にある古民家の再生プロジェクトです。興味がおありでしたら、アクセスしてみてください。
中之作プロジェクト
付近の地図

 

高校野球神奈川大会(2)

神奈川大会準々決勝第1試合。母校は平塚学園と対戦。私の希望とは異なり、本当に残念な試合結果に終わってしまった。慶応は序盤こそまずまずだったものの、エース加藤をはじめ繰り出す投手がことごとくお疲れの様子。早めに追い込んでもコントロールを乱し、走者をためる最悪のパターンの繰り返し。そして苦し紛れに置きにいった甘い球を痛打された。
打撃も守りの時間が長くなる一方で、リズムを崩され、ちぐはぐな攻撃を繰り返す。やはり、主将で4番の木村の不調が足を引っ張った感じ。初戦からずっと打てないし、昨日はリードも良くなかった。さらに暴投といえば暴投かもしれないが、止めるくらい出来た投球を2回後逸し、捕球すれば三振のファウルチップも落球した。主将があれでは、ナインが浮き足立つのは致し方ないところ。
押されたまま、イニングが進み、最後はダブルプレーでゲームセット。何か捨てた感じの試合内容だった。ど根性を発揮できない都会校のひ弱さを見た。

唯一の得点シーン
序盤はまあまあだった。すぐに同点に追いついたシーン。この勢いが続かなかったのが悔やまれる。
得点シーン_1
得点シーン_2

両校の投手
平塚学園 熊谷
2年生エース。殆どの試合を一人で投げ続けているようだ。体力は相当ありそうだ。打てない投手ではないはずだが、適当に荒れたのが打たれなかった(打ちあぐねた)要因か?
平学熊谷
慶応義塾 加藤
3年生:エース。初回こそ上々の滑り出しだったが、疲れで制球がままならなかった。
慶応加藤_1
慶応加藤_2
慶応義塾 内村
2年生:2~3番手の位置づけか。加藤同様、疲れで制球がままならなかった。
慶応内村_1
慶応義塾 田村
2年生:2~3番手の位置づけか。まあまあに見えたのに、何故すぐに代えたのか?
慶応田村_1
慶応義塾 福田
1年生:飯塚ライジングスターズ ジャイアンツカップ優勝。将来を嘱望される存在。今回は経験をつませただけだったのか?
慶応福田_1
慶応福田_2
慶応福田_3
慶応義塾 舟波
3年生:外野兼投手。投手としてはお役に立たなかった。
慶応舟波_1
慶応舟波_2
慶応義塾 林
3年生:舟波が招いたピンチを阻止することが出来ず、決定的な2点を奪われる。
慶応林_1
慶応林_2

母校の応援光景
悪口を言うとかつての上司にどやされてしまうが、慶応義塾女子高のお嬢さんたちしかいなさそうに見える。男のリーダーがまったく目立たない。
母校の応援_01
母校の応援_02
母校の応援_03
母校の応援_04
母校の応援_05
母校の応援_06
母校の応援_07
母校の応援_08
母校の応援_09
母校の応援_10

 

熊沢酒造の飲食店に行ってみた(1)

茅ヶ崎市香川の熊沢酒造が経営する飲食店がものすごく良い雰囲気だという情報を得た。食いしん坊の私はその誘惑に抗しきれるはずもなく、友人と連れ立っていそいそと出かけた。

香川に行く前に寄ってみたMOKICHI TRATTORIA茅ヶ崎店の様子
このお店はこれから行こうとする店の分店で、外から見ただけ。
何気なく置いてあったり植えてあったりするように見えるが、ものすごく考えた末のデザインだと思う。分店でもこの雰囲気だと……期待が膨らんだ。
MOKICHI TRATTORIA茅ヶ崎店_1
MOKICHI TRATTORIA茅ヶ崎店_2
MOKICHI TRATTORIA茅ヶ崎店_3
MOKICHI TRATTORIA茅ヶ崎店_4
MOKICHI TRATTORIA茅ヶ崎店_5

香川の様子
外の様子
こちらにはもともとやっている日本酒の蔵元のほかに、地ビール醸造所や飲食店などがある。まずは外の様子を見てみる。
外の様子_01
外の様子_02
外の様子_03
外の様子_04
外の様子_05
外の様子_06
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外の様子_10
外の様子_11
外の様子_12
外の様子_13
外の様子_14
外の様子_15

ちょっと長くなってしまうので、今回はここまで。

 

妙見堂

池上本門寺の近くに妙見堂がある。池上本門寺の建物はことごとく灰燼に帰したようだが、妙見堂は無事だったようだ。
妙見堂_1
妙見堂へ至る階段
妙見堂_2
妙見堂_3

元は日蓮宗の坊様の学校『南谷檀林』の鎮守として創立された堂宇で、妙見大菩薩を奉安する。
慶応2年(1866)の再建で、明治初年に南谷檀林は廃檀となったが、その後にも増築工事が行われたようだ。
江戸末期の社寺装飾彫刻が残されている。これがなんともいえず素晴らしい。出先だったので、偶々持ち合わせたコンデジで撮影した。細部がきちんとわからないのが残念だ。
奈良時代の頃から江戸末期まで神仏は融合し習合されていた。明治の御世の神仏分離によって、現在は妙見様は神社に属するものが多いが、妙見堂のようにお寺さんの中に残っていてもおかしくはないのだろう。
それにしても何故、妙見信仰が商売繁盛に繋がるのだろう。うーーん、よくわからない。ともあれ、冬至星祭りが賑わいのピークだそうだ。
見事な彫刻_1
見事な彫刻_2
見事な彫刻_3
見事な彫刻_4

宝永7年(1710)の大火で妙見堂が消失したことから、全面的に管理が照栄院に移管された。檀林の中にあり修行僧の信仰を受けていた妙見尊像が、どうして壇信徒の信仰を受けるようになったのか、そこには、妙見尊像の修復の際に広く浄財を求めたことに起因するという。特に「講中」の役割が大きかった、のちに「妙見講」として商売繁盛の神として多くの参詣者を集めるようになった。

 

池上本門寺(2)

空襲で多くの建物は焼かれてしまったが、五重塔(前回紹介済)の他に、経蔵と石段が残った。

経蔵
空襲による焼失をまぬがれた建物の1つ。輪蔵形式の内部には回転する八角形の書架があり、天海版一切経が収められていた。現在は別途保管。1784年(天明4年)に建立。第二次大戦後、大堂再建に伴う旧宗祖奉安殿移設により、元の場所よりやや北側の現在地に移された。どういう理由か知らないが、大田区指定有形文化財にとどまる。
経蔵_1
経蔵_2
最近、盗難事件が発生したようだ。まったく罰当たりな輩がいるものだ。
http://honmonji.jp/00index/tonan.pdf

此経難持坂(シキョウナンジザカ)
池上本門寺の表参道96段の石段坂。膝の靭帯を損傷する前だったらいざ知らず、今の私にはきついだけの坂にしか思えない。それでも経文を読誦しながらでなくとも、十分に上れるはずで、やや大げさなネーミングのように思える。こちらも大田区指定有形文化財。

熱心な法華信者で築城家としても有名な、加藤清正公の築造寄進になる。同公は、慈母の第七回忌にあたる慶長11年(1606)、その追善供養のため、祖師堂を建立寄進し、併せて寺域も整備しているので、その折の築造と考えられる。第14世日詔聖人のときである。第22世日玄聖人代の元禄年間(1688-1704)に大改修されているが、清正公当時の原型を残す貴重な石造遺構である。
なお、名称の由来は、『妙法蓮華経』見宝塔品第十一、此経難持の偈文96字にちなむ。すなわち、末法の世に法華経を受持することの至難を忍び、信行することの尊さを石段を上ることの苦しさと対比させ、経文を読誦しつつ上れば自然にのぼれる、と言い伝えられている。

此経難持坂(シキョウナンジザカ)

以下は、新しいものばかり。前回述べたが、建物が由緒あるか新しいかが重要なのではなく、信仰の場であるということが重要なのだろう。

日蓮聖人像(説法像)
宗祖七百遠忌記念として昭和58年奉納された。制作は、北村西望。アルミニウム製の像。
日蓮聖人像(説法像)_1
日蓮聖人像(説法像)_2
『ブリリンパパの写真館』の中で取り上げられた井の頭公園にある北村西望の快傑日蓮像と比較して見るのも面白いかもしれない。
http://blpapa.blog.fc2.com/blog-date-20120703.html

総門
ただの寺域への入り口に過ぎないと思うが、池上本門寺のWEBサイトではやけに持ち上げた説明がなされている。
第22世日玄聖人代の元禄年間に建立されたと伝えられる。扁額「本門寺」は門より古く、寛永4年(1627)本阿弥光悦の筆になるそうだ。残念ながら扁額に何が書いてあるか見てこなかった。
総門

仁王門(三門)
昔の三門と仁王尊は凄かったが、戦後再建されたものは、それなりのもの。仁王尊は勿論木造であるものの、今の三門は鉄筋コンクリートのもの。建物としては、有難くも何もなさそうだ。こんなものかという感じ。
仁王門(三門)_1
仁王門(三門)_2

大堂(祖師堂)
同様に鉄筋コンクリート製のもの。
大堂(祖師堂)_1
大堂(祖師堂)_2

お会式の様子はいずれ日を改めて取り上げることとする。
以下にパブリックドメインの画像を使用する。
広重

 

池上本門寺(1)

由緒ある建物は戦火によってことごとく灰塵に帰し、文化的な価値あるものは残念ながら殆ど残っていない。国指定の重要文化財は、池上本門寺五重塔、池上本門寺宝塔、木造日蓮聖人坐像 日法彫刻、兄弟抄 日蓮筆のみ。今は偏に信仰の場なんだろう。

池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。
日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれましたので、以来「池上本門寺」と呼びならわされています。 
毎年10月11日・12日・13日の三日間に亘って、日蓮聖人の遺徳を偲ぶ「お会式法要」が行われ、殊にお逮夜に当たる12日の夜は、30万人に及ぶ参詣者で賑わいます。
そして池上本門寺は「日蓮聖人ご入滅の霊場」として700年余り法灯を護り伝えるとともに、「布教の殿堂」として、さまざまな布教活動を展開しています。


宝塔(日蓮聖人御荼毘所)
確かに大きく派手なものだ。これが宝塔というものかとつくづく見惚れてしまった。
宝塔は、仏塔の建築形式の一つである。形態・形式にかかわらず、仏塔全般を指す美称として宝塔の語を用いる場合もあるが、日本建築史の用語としては、円筒形の塔身に平面方形の屋根をもつ一重塔を指すのだそうだ。
現在のものは、文政11年(1828)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。
宝塔(日蓮聖人御荼毘所)_1
宝塔(日蓮聖人御荼毘所)_2

この地は、当山の重要な浄域の一つで、日蓮聖人御入滅の折の御荼毘所である。『新編武蔵風土記稿』などによると、かつては2間に3間の御灰堂があって、当初、開基檀越の池上宗仲公が宝塔を作り、聖人の御余灰を中に盛って奉安したと伝える。現在は、北側に第33世日謙聖人が天明元年(1781)に造立した石碑の宗祖第五百遠忌報恩塔が建つ。
その霊場に建てられた木造の大宝塔は、棟札(現存せず)抄により、第47世日教聖人代の文政11年(1828)、宗祖五百五十遠忌を目前に、前犬山城主成瀬侯・家老浅野蔀を大本願人とし、飯田町福田長次郎を世話人として再建されたことがわかる。


五重塔
他の建物が空襲でことごとくやられたのに、よくぞ焼失を免れたものだ。国の重要文化財に指定されている。
五重塔_1
五重塔_2

高さ31.8メートル。空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つで、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局(大姥局)(正心院日幸尼)の発願により、1608年(慶長13年)に建立された。全面ベンガラ(赤色塗料)塗り、建築様式は初層は和様、二重から上は禅宗様になる。1997年(平成9年)10月から2003年(平成14年)3月にかけて国庫補助事業として解体修理が行なわれた。基礎部分の石段からはホンモンジゴケというコケの一種が見つかっている。五重塔下付近、東京国立博物館蔵・池上本門寺経筒(藤原守道作)が出土している。

 

ご近所の様子(17)

道標
以前、九品仏浄真寺について書いた。http://aztkhs.blog.fc2.com/blog-date-20120511.html
その浄真寺の方向を示す道標。この道標は自由が丘3丁目に残っている。この辺りは昔の衾村。池上本門寺が近い土地柄で、日蓮宗の信徒が多い土地柄だったようだ。今でも池上本門寺のお会式には立源寺などから参加するし、それぞれの寺でもお会式行事が賑々しく行われている。
そこに浄土宗のお寺の道標をたてる。いろいろと悶着があったようで、道標には次のように記されている。双方の顔を立てた内容だ。
正面:左九品仏江
右面:南無妙法蓮華経
左面:南無阿弥陀仏

浄真寺の方向を示す道標

呑川柿の木坂支流緑道
駐日ガボン共和国大使館からの帰途、この道を歩いた。途中からは何度も歩いた道だったが、写真の辺りの細い道は歩いたことが無かった。緑道の幅からもわかるように、かつて流れていた川はほんの小川だったと思われる。たとえ狭い道でも、緑道があると、何となく落ち着いた雰囲気になる。不思議なものだ。
他に呑川駒沢支流緑道もある。この道は駒沢公園へ続く道。

かつて、この川は世田谷区の住宅街を縫って流れ、東が丘1丁目35番先で目黒区に入り、柿の木坂3丁目から2丁目・1丁目を経て目黒通りの下をくぐり、中根1丁目3番先で呑川本流に注いでいた。
上流の東が丘1丁目辺りは、昭和39年に新住居表示が施行されるまで、芳窪という地名であった。ヨシが生い茂ったくぼ地があったというのが、その名の由来という。

呑川柿の木坂支流緑道_1
呑川柿の木坂支流緑道_2

ケニア大使館のすぐそばの目黒通りで交通事故
ワンボックスカーの前面カバーやバンパーなどがごそっと外れ、ガードに絡んでしまっていた。事故を起こすような難しい場所ではなく、不注意運転だったのだろう。人的被害は無かった様子で、不幸中の幸い。
目黒通りで交通事故_1
目黒通りで交通事故_2

寝かせてある土地
「株式会社三善管理地」という看板は地元では有名。ここにはそういう表記がなされていないが、『この土地は絶対に売らない』と書いてあることが多い。碑文谷、平町、中根などでかなり広い土地ばかり。よほど裕福なんだろうなと容易に想像できる。写真の土地は、そのうちでは一番価値の無い土地に見えるが、ざっと見たところあわせて400坪くらいか。たぶん10桁の金額になるのだろう。賃貸していた土地家屋を数年かけて立ち退かせて、完全に無人になってからでも既に10年以上放置してある。
当然、税務署から厳しく管理されていることだろう。でもびくともしない。凄い会社のようだ。
寝かせてある土地

 

KOBO TOUCHを使ってみた

カメラに関してはあまり投資をしないほうだが、PCや周辺機器にはかなり凝るほうである。電子書籍リーダに関しても、SONYのリーダをいち早く購入して楽しんでいたのだが、残念なことに移動中に紛失してしまった。失敗したと思っていたので、暫く鳴りを潜めていたが、楽天で廉価なKOBO TOUCHなる電子書籍リーダを発売することを聞き、早速購入予約を入れた。発売当日(昨19日)に届いたが、殆ど説明書らしきものは同梱されていない。何という不親切さだろう。
何やらサービスに関して物議を醸しているLCCに似ていなくもない。何故なら、著作権が切れた作品がネット上に置いてある青空文庫とか、自分でスキャンして作った電子データ(自炊)などを、どういうふうに取り込めばよいのか、何も書かれていないからだ。楽天のうたい文句には何でもできるようなことが書いてあるのだが、どういうふうにすればよいのかKOBO TOUCHを前にして考えてしまった。

梱包
さらにその中の梱包

結局は出来た。が楽天が提供するソフトの出来が非常に良くない。独りよがりの出来損ないソフトだ。これくらいなら、私が作ったほうが気の利いたものを作れそうな気がした。しかたなく、試行錯誤で次のようにしてみた。

充電は既に完了している前提。
1)一度、電源OFFにする。
2)側面の増設メモリカードスロットには、予め増設メモリカードを挿入しておく。
3)再度電源ON
4)PCとKOBO TOUCHをUSBケーブルで繋ぐ。
5)そうすると、内部メモリ(KOBO TOUCH…私のマシン構成ではIドライブと表示)と増設メモリ(EOS…私のマシン構成ではJドライブと表示。カメラから引っこ抜いてきたままだった)と両方のドライブが認識できるようになる。当然余裕のあるJドライブに、PCの適当な場所に格納してある転送したいファイルをドラッグ&ペーストで、そのままぶち込む。左の画面(PCのファイル管理ソフト)から右の画面(ライブラリ一覧で、Jドライブをクリックしておく)にドラッグ&ペーストする。

PC画面

6)それで、KOBOデスクトップで、USB接続を取り外し指令を行う。
7)USB接続を取り外す

これでできた。CHAINLPというソフトで、E-PUBファイルを作った場合はOKだった。テキストファイルのままだと化けてしまう。たぶん、文字コードをShiftJISから何か適当なものに変えればOKではないかと思う。が、疲れたので今日はこのくらいにしておこう。

表示された様子
大きさ比較

ちょっとだけ使ってみた感想。少しでも余裕があれば、電子書籍リーダに関しては絶対にSONYのリーダを使うべき。E-INKの表示がばたつくし遅い。目が疲れそうだし、イラつく。テキストファイルの表示もすぐに使用OKになるわけではない。それと、選択できる電子書籍の数が絶対的に違う。準備の完成度が低い感じ。

 

高校野球神奈川大会(1)

2回戦はエース加藤を擁してノーマークの横浜翠嵐高校相手に4-0と勝った。しかし思いのほか苦戦したらしい母校。3回戦はまたもノーマークの白山高校が相手。相手がどれくらいの力量なのかはおろか、母校の今年の力量も知らない。でも、今年はやっとこさのシード。調子が出ないままに姿を消してしまいかねない恐れがあったので、いままで行ったことのない3回戦の応援に出かけた。

この試合は2人の2年生投手が頑張った。2回戦完封勝利の加藤を温存したわけだ。
先発は内村。ピッチングばかりでなくバッティングもさえ、ホームランを含む複数安打を記録。コールド勝ち目前の5イニング目は田村が投げた。ピシッと〆て、危なげなくラストイニングを投げきった。
先発の内村_1
先発の内村_2
ラストイニングを〆た田村

初回、1,2番が連続ヒット。3番は送るが微妙な転がり方をし、幸運な内野安打に。しかしこの無死満塁のチャンスで2点しか取れない。この先、どうなるのかと不安が頭をよぎる。
初回、1-3番が連続ヒット_1
初回、1-3番が連続ヒット_2
初回、1-3番が連続ヒット_3

ところが2回先発の内村がソロホームランを放ち、再び行け行けムードに。白山は堪らず酒井から曽我へ投手交代をして凌ごうとする。
白山高校投手リレー_1
白山高校投手リレー_2
白山高校投手リレー_3
白山高校投手リレー_4
中押し_1
中押し_2

当初は、めがねの軟投派曽我くんを打ちあぐねたが、徐々に彼の投球に慣れ、再び5回をビッグイニングに。
猛攻再び_1
猛攻再び_2
猛攻再び_3
猛攻再び_4

応援席はこんなふうだった。慶応義塾女子高のお嬢さんたちも頑張ってくれたようだ。
応援席_1
応援席_2
応援席_3
応援席_4

コールド勝ちの瞬間
コールド勝ちの瞬間_1
コールド勝ちの瞬間_2
コールド勝ちの瞬間_3
コールド勝ちの瞬間_4
コールド勝ちの瞬間_5

昨日のコールド勝ちに気を良くし、チームには勢いが出てくることだと思う。この勢いを持続させれば、4回戦の対厚木高校戦には、間違いなく勝つだろう。そうすると、5回戦はおそらく湘南学院と当たり、それに勝つと準々決勝はおそらく東海大相模と対戦。それに勝つと準決勝はおそらく横浜(あるいは桐光学園)と対戦。それに勝つと決勝はおそらく桐蔭学園と対戦だろうと考えている。
準々決勝くらいまで行くと、もしかしたら大化けして、ノビノビ野球が花開くかも。そんなかすかな期待を持っている。とらぬ狸の皮算用かな。

 

ご近所の様子(16)

大待宵草(オオマツヨイグサ)だと思う。いつ見ても萎れているので、私を歓迎してくれない花なのかと思っていたら、名前の通り、宵を待って咲く花のようだ。
大待宵草(オオマツヨイグサ)?

姫萱草(ヒメカンゾウ)だろうか?
姫萱草(ヒメカンゾウ)?

ノウゼンカズラ。遠目には鮮やかで目を引くのだが、近寄って見るとそれほどではない。それが私のノウゼンカズラに対するイメージだったが、割と綺麗に見える。
ノウゼンカズラ

コエビソウ
コエビソウ

ベルガモット、最近はモナルダと呼ばれているものだろうか?
ベルガモット(モナルダ)_1?
ベルガモット(モナルダ)_2?
ベルガモット(モナルダ)_3?

偶々見かけた尾が長いあまり大きくはない野鳥。割と綺麗な野鳥に見えた。オナガだろうか?しみじみと見ようと思っているうちに飛んでいってしまった。
尾が長いあまり大きくはない野鳥

目黒区民キャンパスの小さな池(といっても手作りの子供の水遊び用くらいの浅く小さな水溜り)に、どういうわけかカルガモと思しき鳥が1羽、佇んでいた。どこから飛んできて何をしているのだろうか?暗渠になっていない川は遠く、もしかしたら付近の大きな池から飛んできたのだろうか?それにしても何のために?
カルガモ_1
カルガモ_2

 

付近の大使館(1)

付近を歩くと案外大使館があるものだ。港区などにある大国の大使館とは明らかに異なり、殆どがごく小さく、発展途上国の喘ぎが聞こえるようだ。それぞれの国の国旗が掲揚されているから辛うじて大使館とわかる程度だ。警察官の配置などは一切無い。それぞれの国がどんな国なのか、ついでに調べて見た。


アゼルバイジャン共和国大使館
目黒区東が丘1丁目19-15

アゼルバイジャン共和国は、旧ソビエト連邦の共和制国家。北はロシア、北西はグルジア、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面する。アルメニアをまたいで西南方に飛地のナヒチェヴァン自治共和国があり、アルメニア、イランおよびトルコと接している。首都はバクー。アルメニア人が多数居住する西部のナゴルノ・カラバフ地方は、事実上独立した状態となっている。
複数の政党が存在するが、事実上はイルハム・アリエフが党首である「新アゼルバイジャン党」による一党独裁制である。
バクー油田など豊富な天然資源があり、ソ連崩壊やアルメニアとの紛争で落ち込んだ経済を支えている。



ということで、都立大学駅から徒歩20分、駒沢駅からも同程度の、大使館としてはやや不便な立地で、しかもどう考えても狭い建物には、かなり首を傾げざるを得ない。日本という国にあまり有難味を感じていない事情でもあるのだろうか?
それでも国立病院機構東京医療センターと道を挟んで隣接しているし、さらにその隣は駒沢オリンピック公園だ。住環境としては申し分ないとは言えるが…。

アゼルバイジャン共和国の地図Flag_of_Azerbaijan

アゼルバイジャン共和国大使館_1
アゼルバイジャン共和国大使館_2

エジプト大使館文化教育科学局
目黒区東が丘1丁目19-17

アゼルバイジャン共和国大使館のお隣さんがエジプト大使館文化教育科学局になっていた。アラビア語講座を開催したりしているようだが、実際にどういう活動をしているのかは見えてこない。お隣さんより若干大きめ家屋に見えた。
大使館本体ではなく、その部局なのだが、大国エジプトだからいろいろと情報活動・広報活動は必要なのだろう。
Flag_of_Egypt

エジプト大使館文化教育科学局

ケニア共和国大使館
目黒区八雲3丁目24-3

東アフリカにおける重要な安定勢力であり、周辺国より多数の難民を受け入れてきている他、近年、エチオピア・エリトリア紛争、ソマリア、スーダンの内戦等域内の和平調停等に積極的に関与。近隣国との政治・経済的関係においては、ケニア、タンザニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジで構成する東アフリカ共同体(EAC)を通じた域内協力を推進している。

旧宗主国が英国である国は、植民地政策が良かった所為なのか、優等生の国のイメージがある。ケニアもその典型だろう。
主要産業は農業で、GDPの3分の1近くを占めている。工業化は他のアフリカ諸国と比べると比較的進んでおり、特に製造業の発展が著しい。紅茶、花卉の輸出増が近年著しいようだ。紅茶は結構有名なようだ。
宗教は、プロテスタントが38%、ローマ・カトリックが28%、イスラム教が6%、伝統宗教が22%、その他が6%である。
ケニア共和国の地図Flag_of_Kenya

ケニアは、長距離競技の強豪国であり、旧宗主国が英国であったため、選手たちもごく普通に英語を話す。鈍足で英会話に不自由をきたす私には、なんとも羨ましい国家・国民に見えた。
その駐日ケニア共和国大使館だが、広さはまあまあであるものの、何というか、ちょっとだけ贅沢(でもないかな?)なプレファブリックの建物にしか見えない。平たく言えば、どこかの土建屋さんのオフィスみたいな外観だ。すぐそばのDenny’sの2階客席から探したときも、土建屋さんのオフィスみたいな建物しか見えなかった。質実剛健な気風なのかもしれない。
ケニア共和国大使館_1
ケニア共和国大使館_2
ケニア共和国大使館_3
Denny'sから見たケニア大使館
(注)駐車場は付近の飲食店用のもの

 

洗足池(2)

到着したときには、ごく普通の池という印象だった洗足池。ところが、水質浄化などに取り組んでいるなどしている成果が出てきているのか、水と景色と両方とも綺麗な池だった。来てみて良かった。

ボートハウスを望む
のんびりボート漕ぎ


池に着いたときから気になっていた赤い建物。池の中の小島『弁天島』に、弁財天が祀られていた。
弁財天_1
弁財天_2
弁財天_3

この辺りには半夏生(はんげしょう)がいっぱい植えられていた。このあたりに今も生きている湧水があるのか、鯉が驚くほどはっきり見えた。期待した様子で気の毒だが水を汚すといけないので、餌は一切与えなかった。
半夏生(はんげしょう)_1
清水で泳ぐ鯉_1
清水で泳ぐ鯉_2

詳しい仕掛けはわからないが、水質浄化の試みがなされている。ということで、蛍も飛ばすようだ。放された蛍が生き延びる環境には無いとは思うが。
水質浄化の試み
蛍の夕べ

水生植物のゾーン。紫の花が僅かに咲いていたが、ミソハギだろうか?
この辺にも半夏生がたくさん植えられている。『はんげしょう』とは良くぞ名づけたものだ。
水生植物のゾーン_1
水生植物のゾーン_2
水生植物のゾーン_3
ミソハギ?
半夏生(はんげしょう)_2

勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑

下記のような事情で、勝海舟がたてた「西郷隆盛留魂碑」と勝海舟夫妻の墓とが並んでいる。
立場が異なる両雄が、互いに相手を認め合ったということか。うーーん、凄い。なかなか出来ないことだ。

かつては、池のほとりに勝海舟晩年の邸宅「千束軒」があったが戦災で焼失。現在は勝夫妻の墓が残り、大田区の文化財に指定されている。幕末、勝は江戸総攻撃中止と江戸城無血開城を西郷隆盛に直談判するため、官軍の薩摩勢が本陣をおいた池上本門寺へ向かう途中、洗足池のほとりで休息した。明治維新後、池の風光明媚を愛した勝が移住し、西郷もここを訪ねて勝と歓談したと言う。勝夫妻の墓の隣に「西郷隆盛留魂碑」が建つ。これは、西郷が西南役に倒れた後、当時の東京府南葛飾郡の浄光院境内に勝が自費で建てたもの。1913年(大正2)に荒川放水路開鑿に伴い、当地に移建された。

西郷隆盛留魂碑
留魂碑
漢詩
留魂祠
勝海舟夫妻の墓
勝海舟夫妻の墓_1
勝海舟夫妻の墓_2

 

洗足池(1)

徹子の部屋の地井武男の追悼で洗足池の話が出ていた。自宅からそれほど遠くはないのに、中原街道を走行中に車窓からチラッと見たくらいで、実際に池の周りを歩いたことが無い。これはぜひ歩かねば、ということで晴れた日に出かけた。我が家は都立大学の駅前。洗足池までは、乗り換え、乗換えで、おまけに」ジグザグに路線が走り、時間がそれなりに掛かる。その上、何と150円も取られる。私の感覚では、まっすぐの路線があれば、確実に最低料金の距離なのだ。それなら歩いてしまえということにした。出だしは調子が良かったのだが、途中で突発的に腰痛が出、痛い思いをした。

途中の大岡山駅前の様子
大岡山駅は目黒線(元の目蒲線の半分位の路線)と大井町線(以前の田園都市線)とが通る駅。駅の上は東急病院になっている。
その東急病院は、エコに留意したしつらえになっていて、グリーンカーテンで冷暖房費を浮かせる計画のはずだったが、なかなかグリーンカーテンの勢いがつかないようだ。まるで私の頭髪のようにいつも寂しい状態だ。
そのはす向かいが東京工業大学の大岡山キャンパス。今年度から同級生がリベラルアーツセンターの教授をつとめている。本人曰く、期待されて迎えられたとのこと。理系エリートに“文系教養”を身につけてもらうのが狙いとか。
大岡山駅と東急病院
東京工業大学大岡山キャンパス_1
東京工業大学大岡山キャンパス_2

洗足池に着いた
名所江戸百景 第110景 「千束の池袈裟懸松」
洗足池_1
洗足池_2
洗足池_3
洗足池_4

洗足池は、武蔵野台地の末端の湧水をせきとめた池で、昔は千束郷の大池と呼ばれ、灌漑用水としても利用されました。池畔の風景は優れ、江戸時代には、初代広重の浮世絵「名所江戸百景」に描かれるなど、江戸近郊における景勝地として知られていました。昭和3年(1928)に池上線が開通すると、公園として整備され、同5年には風致地区として指定されました。
面積は、周辺を含めると約67,000㎡、水面の広さは約40,000㎡です。日蓮が足を洗ったので洗足池というとか、袈裟をかけたといわれる袈裟掛けの松のある御松庵など、日蓮にまつわる伝承も残されています。また池畔にはこの地を愛した勝海舟の墓や西郷隆盛(南州)の留魂祠・詩碑などがあります。


この辺りは池上本門寺に近く、日蓮にまつわる伝承も少なくない。もともとは千束池だったが、日蓮の足を洗ったから、洗足池に変わったのか。なるほど。景色は昔だったら、結構見栄えがしたのかもしれない。今はちょっと大きな池くらいにしか見えないが。

池に沿って歩いていくと三連太鼓の形の池月橋が池に架かっている
池月橋
池月橋を遠くから望む

橋の近くには、千束八幡神社がある。『村社』と堂々と名乗っている。わざわざ名乗らなくともと不思議な気がする。『無格社』よりは上だから、名乗る価値は無くは無いが。
この神社は頼朝と多少の縁があるようだ。旗挙げ八幡とか名馬池月とかで検索されたい。
千束八幡神社_1
千束八幡神社_2
名馬池月

 

霞ヶ関界隈

社会貢献型後見人(他府県では市民後見人と呼ぶ)養成教育の一環として、家庭裁判所見学があった。少し早めに行き、霞ヶ関界隈をぶらり歩いてみた。

法務省庁舎
近代的なビルが建ち並ぶ中で、堂々たる威容を誇る。ネオ・バロック様式だそうだ。法の威厳を示す建物だが、肝心の大臣が…

レンガ造りの壁は鉄材で補強した特別な工法で、関東大震災にも耐えるほど堅牢でしたが、昭和20年(1945)の戦災によりレンガの壁と床を残して焼失してしまいました。
改修されたのは昭和26年(1951)。屋根をスレート葺きから瓦葺きにするなどの手が加えられ、以降、法務省の本館として使用されてきました。そして、平成3年(1988)から明治の姿に復元する本格的な工事が始められます。図面を関東大震災でほとんど失っていたため、わずかな写真などの手がかりを頼りに復元が進められ、平成6年に竣工。壁のレンガは建設当時と同じ工場で製造されるなど、明治の姿が蘇りました。(現在は、赤レンガ棟の旧司法大臣官舎大食堂などが法務史料展示室として公開されています。)平成に蘇った明治の息吹。「近代」に向かう力が赤いレンガ一個一個に積み上げられています。

法務省庁舎_1
法務省庁舎_2

家裁などが入るビル
実際に見学して見た。ビル自体は何の面白味も無い普通のビジネスビルだった。まだ民間のビルの方が小洒落た装いがしつらえてあるのだが、…。
家裁などが入るビル_1
家裁などが入るビル_2

日比谷公園
池に放り込まれたりしてあまり良い思いでの無い日比谷公園。久しぶりに入ってみたら、そこはちょっとした都会のオアシスだった。
ぶらぶらしているうちに待ち合わせの時間に。途中までしか見られなくて残念。
日比谷公園_1
日比谷公園_2
日比谷公園_3
日比谷公園_4
日比谷公園_5
日比谷公園_6

日比谷松本楼
研修が終わったあと、受講生仲間で日比谷松本楼に入った。受講生は、都全体での集合教育のときは80人だったが、目黒区での教育ステージではたった3人。われら3人相手にえらく高くつく教育だと思う。これでお役に立てなかったら、交通費や日当などを一切もらっていないにしても、大変申し訳ない話だ。そういうわけで、毎回、反省会を開いている。夕食前だったので、お茶だけにした。
日比谷松本楼_1
日比谷松本楼_2
日比谷松本楼_3
日比谷松本楼_4
日比谷松本楼_5

 

西新宿界隈

運転免許証の更新に都庁に行った。お金と更新のはがきと30分ほどの我慢とで手続きは済む。他に行くより、慣れているので、つい足が向く。前回の更新時はオフィスをちょいと抜け出して、済ませた記憶が。雲隠れの常習犯はしょうがない。もう少し、写真を撮ろうと思っていたら、かなり雨が激しくなったので、残念ながらビルの写真しか撮れなかった。

都庁ビル
丹下健三氏設計のビル。食堂が宴会場になっているので、何度かアフター5に利用させてもらった。3枚目に写っているあたりが東京マラソンのスタート地点だ。目の前の住友三角ビルの背後を通り、歌舞伎町方面へ走る。その日ばかりは落ち着いた感じの新宿副都心も大変な人出になるようだ。
都庁ビル_1
都庁ビル_2
都庁ビル_3

新宿パークタワー
同じく丹下健三氏設計のビル。NHKのニュースの背景に出てきた当時は、同じ高さのように見えたが、都庁より1m低くしてあるそうだ。民間のビジネスビルなので、内部は洒落ている。上層階は超高級ホテル『パーク ハイアット 東京』になっている。
新宿パークタワー_1
新宿パークタワー_2
新宿パークタワー_3

犬のお散歩
たぶん、新宿中央公園に連れて行くのだろう。この辺りは十二社(じゅうにそう)というところ。十二社熊野神社からきているのだろう。新宿十二社天然温泉などというのもあったが、残念ながら廃業してしまった。
犬のお散歩

十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・永禄年間(1532~69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます)。
明治維新後は、現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。
氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となっています。

 

ご近所の様子(15)

今回はスマホのカメラで撮ったものばかりです。

ケーキ屋さんのショーウィンドー。妻の誕生日を失念していたので、夕方慌てて買いに走った。昔は、駅のすぐ前に『カムラ』というケーキ屋さんがあった。宮脇康之(子役当時)の写真がさりげなく飾られていた。
ケーキ屋さんのショーウィンドー

平町のある邸宅。蔦が見事に茂っている。日差しが宗教画が描く聖霊のように見える。
蔦が見事

石垣黒鶏ぽーじょ。上戸彩がぴったんこカン・カンで紹介していた店。見事なくらい近所にミスマッチの感じはあるが、沖縄好きのひとにはそそる雰囲気かもしれない。
石垣黒鶏ぽーじょ

鋭角のビル。『空から日本を見てみよう』という番組で、くもじいが鋭角なビルを見つけては計測していたが、このビルも取り上げられたことがある。
鋭角のビル

兵どもが夢のあと。ここはかつてトーヨーボウルというボウリング場ビルがあった。そぐそばには、ダイエーの碑文谷店。どちらも横井英樹のもちものだった。いまは、BMWの店舗が入るビルになっている。昔も今もここにはまったく縁がないなあ。
兵どもが夢のあと

谷桃子バレエ団の建物。妻も娘もかつてお世話になった。米倉涼子も通っていたようだ。都立大学から線路沿いに自由が丘に歩く道筋には、未来のバレリーナを目指すスタイルの良いお姉さんたちをよく見かける。バレエで鍛えられている子は、ちょっと見ただけでわかる。
谷桃子バレエ団

 

草津~軽井沢~追分~善光寺(10)

本堂…国宝
本堂は正面からアクセスし、お戒壇巡りをして、『はい、さようなら』という向きが多いと思うが、側面に廻って見ると、結構な奥行きがあることがわかる。間口の倍以上ある。最奥の瑠璃壇に御本尊・一光三尊阿弥陀如来様をお祀りするなどで、それだけの奥行きが必要なのだろう。
善光寺参りの真髄は毎朝行われるお朝事に参拝することのようだ。そのお朝事は、宿坊住職はじめ宿坊専属の公認案内人が案内する。宿坊に泊まるメリットはそこにあるようだ。戸帳が開いて限りなくご本尊に近づけるのは確かだが、直接参拝することが出来るわけではない。それを願うならば、前立本尊なるご本尊の分身の仏様が公開される御開帳時に拝むことが出来るだけ。
善光寺は、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられているそうだ。そうはいっても善光寺という大寺院を護持・運営する必要があり、今は、山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって、それがなされている。
本堂_1
本堂_2
本堂_3
本堂_4

本堂は創建以来十数回もの火災に遭いましたが、そのたびに善光寺を慕う全国の信徒によって復興されてきました。現在の本堂は宝永四年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約26メートルという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです。
最奥の瑠璃壇には、御本尊・一光三尊阿弥陀如来様をお祀りしています。


経蔵…重要文化財
陰になって確認しにくいだろうが、経蔵と灯籠との間に輪廻塔が写っている。輪廻塔には「南無阿弥陀仏」の文字が刻んだ石車がついていて、これを回すことで功徳を積むことができると言われているそうだ。ふーーん、そういうものなのか。
経蔵_1
経蔵_2

宝暦九年(1759年)に建立された宝形造りのお堂です。内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められています。輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。また、経蔵内には輪蔵を考案した傅大士、並びに伝教・慈覚の両大師像が祀られています。

鐘楼・梵鐘…重要美術品
本堂と山門とに目がいってしまうあまり、鐘楼・梵鐘は景色の一部としてしか見ていない方が多い。でも、なかなか立派なものだった。
鐘楼・梵鐘

 

草津~軽井沢~追分~善光寺(9)

いよいよ善光寺参拝

仁王門
最初に潜るのは仁王門。国宝や重文の指定は受けていないが、風格のある建造物だ。そして仁王像も凄い。
仁王門_1
仁王門_2
仁王門_3

仁王門は宝暦二年(1752年)に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは大正七年(1918年)に再建されました。この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。
仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されています。


山門近くの参道の様子
山門近くの参道の様子_1
山門近くの参道の様子_2

山門(三門)…重要文化財
前にきたときは檜皮葺きだったが、前回からは栩葺き(とちぶき)に変わっていたようだ。屋根葺きの材料が、樹皮からかなり厚手の板に変わったのだから気付いてもおかしくないのに、まったく気付かなかった。私は何を見てたんだろう。たぶん、「鳩字の額」の鳩がどこにいるかばかり見ていたのだろう。
山門(三門)_1
山門(三門)_2
山門(三門)_3

寛延三年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門です。屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成十四年から十九年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。
楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っています。

 

草津~軽井沢~追分~善光寺(8)

再び参道に戻る

参道の右側に宿坊がずらりと並ぶ。なかなか個性的で、ずっと見ていても飽きない。39の宿坊があり、それぞれ御堂があり、住職がいるそうだ。

参道の下方から、善光寺に向かって宿坊を見ていこう。今回取り上げるのは、坊とつく宿坊ばかりで、浄土宗の系統であり、大本願が束ねている。このほか、院とつく宿坊があり、そちらは天台宗の系統であり、大勧進が束ねている。

常円坊(本尊:阿弥陀如来像)常円坊_1
常円坊_2
常円坊_4
常円坊_5

淵之坊(本尊:阿弥陀如来像、善光寺縁起掛軸)淵之坊_1
淵之坊_2

兄部坊(『このこんぼう』と読む。本尊:延命地蔵菩薩像)
兄部坊_2
兄部坊_3

正智坊(本尊:阿弥陀如来像)
正智坊_2
正智坊_3

白蓮坊(本尊:浄土教八祖大師像)白蓮坊_1
白蓮坊_2

堂明坊(本尊:弁才天像)
堂明坊_1
堂明坊_2
堂明坊_3

堂照坊(本尊:庚申青面金剛像)
親鸞上人が100日逗留した遺跡とされるが、残念ながら撮り損ねた。代替としてフリーフォト写真素材を貼り付ける。
堂照坊
http://www.ashinari.com/2011/07/14-348424.php?category=46

大本願と大勧進
宿坊の反対側には、大本願がある。この大本願と大勧進とがどういう存在なのかよくわからなかった。以下は帰宅後調べたもの。
大本願の唐門
大勧進の門前で

大本願
大本願の創建以来、尼公上人をもって住職とし、代々皇室関係の方々が入山されています。近世において、尼僧では伊勢・慶光院、熱田・誓願寺とともに日本三上人といわれていましたが、今日では大本願の上人様のみが法灯を継承されております。大勧進の貫主(かんす)と共に善光寺住職を兼ねており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。
大本願には、本誓殿・奥書殿・明照殿・表書院・光明閣・寿光殿・宝物館などがあります。

大勧進
大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、大本願の上人(しょうにん)と共に善光寺住職を兼ねています。
貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。
大勧進には本堂の万善堂の他、無量寿殿・不動堂・地蔵八角円堂・紫雲閣・宝物殿・僧侶が修行をする聖天堂などがあります。また、奥書院は明治天皇御巡幸以来、大正天皇、昭和天皇両陛下の御駐泊により、昭和八年に行在所に指定されました。

 

草津~軽井沢~追分~善光寺(7)

善光寺のすぐ近くの日本聖公会長野聖救主教会
ちょっとシックな感じの教会だった。気になって調べて見ると、『長野県内唯一最古のレンガ造りの聖堂は1898(明治31)年、ウォーラー師を中心として建設され聖別されました』と書かれていた。何と114年ほど前の建物だ、凄い。もう少しきちんと撮っておくべきだった。残念!!
日本聖公会長野聖救主教会

漸く今回の旅の最終目的地善光寺に到着。参道を上っていく。

善光寺郵便局
善光寺門前にある郵便局で、元旅館のフロント部分を改修し使用しているそうだ。昭和初期の木造建築で内部には勝海舟などの扁額もかかっているとのこと。
善光寺郵便局
善光寺郵便局_2

御本陣藤屋旅館
何度見ても見飽きることの無い風格ある建物。大正ロマンというやつか。いまは内部を改装して、レストランやウェディングの会場として営業をしているようだ。ちょっぴり贅沢をしたかったので入ろうと思ったら、大きな結婚式で貸切で入れなかった。
善光寺大門前に位置するこの立派な建物は「御本陣藤屋旅館」という近代建築。この場所、江戸時代には北国街道善光寺宿の本陣として、加賀藩前田家が参勤交代で常用。明治になってからも伊藤博文や福沢諭吉などが愛用し、現在の建物は1924(大正13)年築に建てられた立派な建築。
御本陣藤屋旅館_01
御本陣藤屋旅館_02
御本陣藤屋旅館_03
御本陣藤屋旅館_04

善光寺蕎麦
御本陣藤屋旅館での昼食が出来なかったので、第2候補の善光寺蕎麦をいただくことにした。鴨せいろを注文した。善光寺蕎麦の店で鴨せいろを出す店は限られている。ということで、手打ちそば処「元屋」に。この店の鴨せいろは、私のイメージでは京都風で、鴨肉でコクをだしているものの、過度にしつこくはしない感じのつゆだ。私は、軟骨入り鴨ダンゴを入れる濃厚なコクがあるつゆが好きなのだが、この店のはそういうものではなかった。でも、さっぱりした味を楽しむことが出来た。
善光寺蕎麦

 

草津~軽井沢~追分~善光寺(6)

信濃追分に寄ってから善光寺に向かうことにした。

追分宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十番目の宿場。中山道でも最も栄えていた宿場だった。多少往時の面影をとどめていたり、昭和の文豪らが執筆などのため滞在したりしたことで、ノスタルジアを感じさせる人気の観光地だ。
途中道路工事中だったので、堀辰雄文学記念館を見て、徒歩で高札場辺りまで行き、お茶を飲むだけにとどめた。

堀辰雄文学記念館
堀辰雄がいかなる人物かは説明の必要も無かろう。昭和19年から追分に定住し、この地に建てた家で昭和28年に49歳で亡くなった。
彼の終の棲家が、現在は堀辰雄文学記念館として残されている。庭は相当広いのだが、自宅そのものは驚くほど小さく、書物が収容しきれないこともあって、小さな書庫をも建てた。残念ながら書庫が出来てすぐに死んでしまったために、実際に利用することはなかったようだ。
堀辰雄文学記念館_1
堀辰雄文学記念館_2
堀辰雄文学記念館_3
堀辰雄文学記念館_4
堀辰雄文学記念館_5
堀辰雄文学記念館_6
堀辰雄文学記念館_7
堀辰雄文学記念館_8
堀辰雄文学記念館_9

旧宅に掛けられていた川端康成から送られた書。『雨過山如洗』…「雨過ぎて、山洗うが如し」と読むのだろうか。堀辰雄は結核の病状が重く、その才能を評価するいろいろな人に心配されていたようだ。
川端康成の書

堀辰雄の原稿を石碑にしたもの。味のある字を書いていたんだ。
堀辰雄の原稿を石碑にしたもの

庭の片隅にあった三つの小さな祠。どんな意味があるのだろうか?
三つの小さな祠

御宿『油屋』
旧脇本陣の油屋は、堀辰雄や立原道造、室生犀星らに愛された。堀辰雄の小説「菜穂子」に登場する牡丹屋という旅館はこの油屋がモデル。旧館の部屋は、昭和14年に再建し保存してあるそうだ。現在改装休業中とのこと。
旧脇本陣の油屋

高札場
現在の高札場は古文書を参考にして昭和58(1983)年に復元されたもの。もちろんレプリカであり、本物は郷土館にあるそうだ。
高札場

追分宿つたや
追分宿つたや

学舎ごんざ
追分にある隠れ家的カフェで雛にはまれな粋な喫食スペースだった。ここの珈琲は絶品だった。雰囲気も最高。ということでかなりの時間を消費してしまった。善光寺でゆっくりする時間がなくなってしまう。
学舎ごんざ_1
学舎ごんざ_2

学舎ごんざ_3
学舎ごんざ_4

 

草津~軽井沢~追分~善光寺(5)

旅行の番外編

信濃毎日新聞の記事
信濃毎日新聞の記事

やはり昨日(29日)と今日(30日)、ハンターが発するただならぬ大声、ベア・ドッグが必死に吠え立てる声、銃声などを聞いたのは、訓練などではなく、本番だったのだ。軽井沢では、QUMAプロジェクトとして『ぴっきお』というNPO法人が活動しているとのこと。熊を蜂蜜で罠近くまでおびき寄せ、ある程度まで近づいてきたら、ベア・ドッグの激しく吠え立てる声、ハンターの発する大声、猟銃での威嚇で罠に追い詰めるようにしていたらしい。山荘敷地内の沢から立ち上った煙りは硝煙だったようだ。
硝煙_1
硝煙_2
硝煙_3

全国各地で展開されている『くまプロジェクト』は、熊を捕獲するというものではなく、熊と人間とが共生できる状況を作り出そうとするものだろう。命がけのNPO活動なんだと改めて思った。

http://npopicchio.blog95.fc2.com/

 

草津~軽井沢~追分~善光寺(4)

千ヶ滝西区のかつての勤務先の山荘にお世話になった。

15:40ごろ到着し、夕食までにはだいぶ時間があった。少し山荘の近く散歩をすることにした。
とはいっても、前日にツキノワグマの目撃情報があり、立ち入りをしないでほしいというところが何箇所かあり、ちょいと艶消しだったが。
別荘族は、犬を飼っているかたが少なくないようだ。ツキノワグマの出没情報があるためか、カウベルを腰に下げ、飼い主も比較的大きな声で飼い犬と接し、少し興奮気味の飼い犬が大きな声で吠えても諌めようとしない。ちょっとした異常事態なのかもしれない。
別荘地のワンちゃん_1
別荘地のワンちゃん_2

軽井沢はやはり気温が低いのか、この時期にまだ花が咲いていた。
今頃まだ

小型のガス燈。ぽやーっとした淡い感じの光だ。
小型のガス燈

初日の夕方・夜は浅間山の全容は望めず。残念だった。
而して2日目の朝。5時少し前くらいから待望の浅間山の全容が望めるようになった。ちょっとだけいびつな台形の山だ。
4:42
浅間山_4:42
4:43
浅間山_4:43
4:49
浅間山_4:49
4:54
浅間山_4:54
5:03
浅間山_5:03
5:15
浅間山_5:15

朝食までまだまだ時間があるので、朝の散歩をした。複数の犬が激しく吠え立てる声、ハンターの大声での合図・指示、そして大きな銃声が聞こえる。そちらの方に行ってみた。自動車が停めてあるところから先は危険なので、立ち入らないようにしたが…。
ツキノワグマ出没対応_1
ツキノワグマ出没対応_2

 

草津~軽井沢~追分~善光寺(3)

西の河原露天風呂に入り、中軽井沢の田崎美術館で田崎廣助の絵画を鑑賞することにした。

西の河原露天風呂(さいのかわらろてんぶろ)
男女合わせて500平米(約150坪)もある大きな大きな露天風呂。開放感があり凄く気持ちが良い。
風呂の様子は下記を参照
http://www.kusatsu.ne.jp/otaki/roten/
西の河原露天風呂


田崎美術館
http://tasaki-museum.org/

田崎美術館は、文化勲章受賞画家田崎廣助の作品を永久保存展示するために作られた美術館。田崎廣助の遺志によるもの。
中に入ればわかると思うが、殆どが浅間山もしくは阿蘇山を描いた作品。私はどういうわけか嵌ってしまい、時間があれば、立ち寄ることにしている。
作品は撮影できないが、中庭は許可を得て撮影した。建物は、昭和61年日本建築学会賞を受賞した原広司氏設計によるもの。
力強いタッチの浅間山や阿蘇山を描いた絵画をたっぷり鑑賞した後、まったりとティータイムを楽しみ、田崎美術館を後にした。
田崎美術館_1
田崎美術館_2
田崎美術館_3
田崎美術館_4
田崎美術館_5
田崎美術館_6

 

草津~軽井沢~追分~善光寺(2)

2時間分の駐車料金を徴収されているので、湯畑を見たあと、湯畑そばの滝下通りの旅館の情緒あふれる佇まいを見て、そのあと、昼食をとることに。この辺の旅館は、2階が1階より張り出た「せがい出し梁作り」が有名。ボローニャの歩道の上に部屋がある光景に似ている気がした。尤も、あちらさんは、幅がこんなに狭くは無いが。

大阪屋
「せがい出し梁作り」を大きくPRしている
大阪屋_1
大阪屋_2

松村屋五郎平
築160年の建物に「せがい出し梁作り」を復元した湯宿。「持ち送り」は松に鳥。鳥の種類が全て異なる見事な彫り物だ。
松村屋五郎平_1
松村屋五郎平_2
松村屋五郎平_3
松村屋五郎平_4

古久長
佐久間象山とお順の常宿だった。
古久長

ての字屋
ての字屋

昼食には大阪屋の十割そばを食べた。奥の座敷でゆったりまったり。のんびりできて、極楽気分だった。
大阪屋の十割そば

 

草津~軽井沢~追分~善光寺(1)

草津~軽井沢~追分~善光寺のコースで途中の軽井沢に一泊する旅行計画を立てた。

仲間に大の温泉好きがいるため、最初の目的地として、草津に向かう。着いてすぐ、湯畑の見学。

何度見ても自然の営みの凄さを実感させられる。湯の花が随分出来ている。この湯の花はもちろん観光資源であるし、商業資源でもあるが、同時に、各旅館に温泉を配る配管の内径を狭める厄介者でもあるようだ。定期的に詰まりを除去しなければいけないが、これが大変な作業のようだ。まるでサウナ状態だと聞いたことがある。

湯畑の周りを一周してみる。硫黄の臭いがきつい。
草津温泉の湯畑_01
草津温泉の湯畑_02
草津温泉の湯畑_03
草津温泉の湯畑_04
草津温泉の湯畑_05
草津温泉の湯畑_06
草津温泉の湯畑_07
草津温泉の湯畑_08

 

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