散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

川崎市立日本民家園(17)

(22)工藤家住宅(くどうけじゅうたく)《東北の村》
大失敗。見落としてしまった。
国指定重要文化財
旧所在地:岩手県紫波郡紫波町舟久保
建物区分:農家(名主の家)、曲屋
構造形式:寄棟造、茅葺、桁行19.2m、梁行11.1m/南面に馬屋突出、寄棟造、茅葺、桁行7.6m、梁行6.3m
建築年代:宝暦(1751〜1763)頃
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馬と共に暮らした南部の曲屋
主屋(おもや)の前に馬屋(うまや)を突出させたL字型の民家は、旧南部藩領(なんぶはんりょう、岩手県)に多いことから「南部の曲屋(まがりや)」として知られています。これは、南部馬(なんぶうま)の飼育が盛んになる江戸時代中期に工夫された形式と考えられます。宝暦(ほうれき)頃に建てられた工藤家は現存最古の曲屋の一つといえます。民家園の中で一番敷地面積の広い家です。
主屋には天井がありません。この地方はもともと天井のない家が多く、厳しい冬場は囲炉裏(いろり)の火で家全体を暖めながらすごしました。ダイドコの囲炉裏はニワからも利用することができます。 ダイドコとジョウイは日常生活の場、ナンドは寝室です。ザシキは 床の間も備えた特別な部屋で、この広い家で唯一畳が敷かれています。

外観
工藤家住宅_1
工藤家住宅_2
内部
自在鉤
間取り
工藤家住宅間取り

(23)菅原家住宅(すがわらけじゅうたく)《東北の村》
ものすごく美しい外観だ。と思ったら内部も相当にキレイだった。『肝煎の家』とあったので、肝煎が気になった。辞書で調べると、江戸時代、村役人をいう。庄屋・名主など。
囲炉裏に火を入れての床上公開を行っている時にもう一度しっかり見たいものだ。

神奈川県指定重要文化財
旧所在地:山形県鶴岡市松沢
建物区分:農家(肝煎の家)
構造形式:寄棟造(高ハッポウおよびハッポウ付き)、妻入、一部二階、背面庇付、茅葺、桁行15.8m、梁行9.6m
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屋根に高窓のある豪雪地帯の家
湯殿山麓の田麦俣(たむぎまた)集落やその周辺には、ハッポウ造と呼ばれる独特の民家が分布しています。養蚕のために二層三層をつくり、屋根に高窓(ハッポウ)を設けて採光の工夫をしたその姿は、非常に特徴的です。
菅原家住宅もこのハッポウ造の民家で、高い軒や板壁で囲った外観などに豪雪地域の家づくりがうかがえます。
豪雪は間取りにも影響しています。大戸口前のアマヤ(前室)をはじめ、ニワ(土間)に物置やイナベヤ(板敷)を設ける点などは、雪の多い冬場の暮らしを考慮した工夫です。

外観
同じように豪雪地帯の家だが、合掌造りとは全く別のものだ。
外観_1
外観_2
冬はこんなふうに雪囲いをするようだ
雪囲い
グシグラという屋根棟
グシグラという屋根棟
内部
アマヤ
アマヤ
ナヤとモノオキかな
ナヤとモノオキかな
シモデとカミデかな
こちらの囲炉裏は上部に火棚を吊ってない。東南向きの日当たりのよい部屋だ。
シモデとカミデかな
オメかな
こちらの囲炉裏は上部に火棚を吊っている。右隣りがシモデで右奥に見える畳の間はカミデと思われる。
シモデとカミデかな_1
シモデとカミデかな_2
オメの隅の仏壇がこちらを向いている
オメの隅の仏壇がこちらを向いている
イナベヤ
穀物などを貯蔵する部屋のようだ。穀物を湿気させないよう板張りの間になっているのだろうか。
イナベヤ
シモデ
機織り機が置かれていた
シモデ
シモデとオメかな
シモデとオメかな
カミデ
アミダサマやトコノマがある
カミデ
車のついた敷居
工夫しているようだ。相当にがっちりしたもののように思う。
車のついた敷居
菅原家間取り
菅原家間取り

以上で、17回に亘って取り上げた『川崎市立日本民家園』のシリーズは終了です。最後の最後までご覧頂き、大変有難うございます。

 

川崎市立日本民家園(16)

(20)船越の舞台(ふなこしのぶたい)
この舞台には本当に驚いた。本格的な舞台が志摩にも存在していたんだ。
国指定重要有形民俗文化財
旧所在地:三重県志摩市大王町船越
建物区分:歌舞伎舞台
構造形式:正面入母屋造、背面切妻造、桟瓦葺、一部二階、桁行9.1m,梁行10.8m/側面出語付、桟瓦葺/背面庇付、桟瓦葺、桁行10.8m、梁行2.7m/側面楽屋付、切妻造、桟瓦葺、桁行5.3m、梁行7.3m
建築年代:安政四年(1857)、墨書
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回り舞台を備えた漁村の歌舞伎舞台
この舞台は、もと志摩半島の漁村の神社境内にありました。建てられたのは江戸時代末期の安政四年(1857年)です。
屋根は正面が入母屋造、大棟(おおむね)には凝った鬼瓦を配しています。これに対し背面は切妻造で、鬼瓦も小さく単純です。こうした外観は、正面性を重視する舞台建築の性格をよくあらわしています。なお、鬼瓦や軒先瓦につく「若」の字は、舞台建築に若者組という伝統的青年組織が関わったことを記念するものです。
舞台両側の張出し部は出語りといい、上手(正面に向かって右側)は芝居の語り手の席、下手は寄付金を扱う会計係の席です。
舞台装置としては、直径三間(5.4m)の回り舞台、スッポン(せり上がり)のある花道、高所作業用の簀子(すのこ)等、歌舞伎芝居のために必要なものはほとんど備えています。

舞台裏側
奈落への入口がある。『奈落の底』という表現があるほど深くはないようだ。後で取り上げるイラストを見ていただければ、その理由はお分かりいただけることだろう
舞台裏側_1
舞台裏側_2
舞台裏側_3
船越の舞台_断面図_2
舞台正面
歌舞伎公演時の様子
舞台正面
回り舞台になっているのがお分かりいただけるだろうか
船越の舞台_断面図_1
舞台の様子_1
舞台の様子_2
舞台の様子_3
舞台の様子_4
観客席側から
観客席側から
鬼瓦のアップ
鬼瓦のアップ
正面屋根棟の鬼瓦
説明板
説明板

 

川崎市立日本民家園(15)

今回取り上げる3つの建物の内、2つの建物は修復中。この民家園は展示グレードが高いのに、やたらに修復中の建物が多いのがつや消しかも。

(18)蚕影山祠堂(こかげさんしどう)《神奈川の村》
工事中で写真撮影も立ち入りも共にできなかった
川崎市重要歴史記念物
旧所在地:神奈川県川崎市麻生区岡上 東光院内
建物区分:宮殿および覆堂
構造形式:宮殿=一間社春日造、向唐破風造、こけら葺
覆堂=正面入母屋造、背面寄棟造、茅葺、桁行4.6m、梁行2.7m
建築年代:文久三年(1863)、宮殿棟札
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養蚕信仰を今に伝えるお堂
この建物は川崎市麻生区の東光院境内にあったもので、養蚕(ようさん)の神「蚕影山大権現(こかげさんだいごんげん)」を祭った宮殿(くうでん)と、その覆堂(さやどう)から成っています。覆堂の茅葺(かやぶき)屋根は、頂上を土と草で固める芝棟(しばむね)で、春にはイチハツが咲き誇ります。宮殿は正面に唐破風(からはふ)を設けた春日造風の社で、浮き彫りの彫刻を施しているのが特徴です。
中でも注目に値するのは、金色姫(こんじきひめ)伝説を表現した側面の彫刻です。金色姫は天竺(てんじく、現在のインド)に生まれ、四度の大苦難ののち、馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)の化身として日本に養蚕を伝えたといいます。この彫刻は養蚕の起源を説くもので、四度の大苦難は蚕の四回の休眠(食事をせず動かなくなる脱皮前の時期)を象徴しています。

蚕影山祠堂
蚕影山祠堂
「鷹」の場面
「鷹」の場面
「舟」の場面
「舟」の場面

(19)岩澤家住宅(いわさわけじゅうたく)《神奈川の村》
こちらも修復中
神奈川県指定重要文化財
旧所在地:神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷
建物区分:農家(名主の家)
構造形式:入母屋造、茅葺、桁行14.5m、梁行7.3m
建築年代:17世紀末期
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茶畑に囲まれた山間の農家
この建物は、名主(なぬし)もつとめた農家の家でした。谷間の斜面に敷地をひらき、江戸時代は炭焼きを中心に、焼畑(やきはた)農業や林業を仕事にしていました。
屋根は、典型的な入母屋造(いりもやづくり)です。間取りは、「ザシキ(居間)」「デエ(座敷)」「ヘヤ(寝室)」からなる広間型三間取りです。しかし、園内に移築された他の神奈川県内の古民家には見られない特徴がいくつかあります。まず、デエの正面を半間後退させ、ここにザシキへの出入口を設けています。また、デエには押板(おしいた、床の間の前身)を備え、ヘヤにはザシキからだけでなくデエからも出入りできるようになっています。

外観
大戸口右手の外壁は竹板が使われているようだ。こういうものもありなんだ。
岩澤家住宅_外観

(21)菅の船頭小屋(すげのせんどうごや)《神奈川の村》
説明の都合上、『(20)船越の舞台』の先に、これを取り上げる。
川崎市重要歴史記念物
旧所在地:神奈川県川崎市多摩区菅
建物区分:船頭小屋
構造形式:切妻造、杉皮葺、桁行1.8m、梁行1.8m
建築年代:昭和4年(1929)
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多摩川の「菅の渡し」にあった船頭小屋
この船頭小屋は多摩川の「菅(すげ)の渡し場」にあったもので、船頭が客待ち・休憩・川の見張りをするのに用いていました。
菅の渡しは、川崎側の菅と、東京側の調布とを結ぶ渡船場で、商品作物の輸送、肥料や日用品の仕入れ、親戚や寺への往来など、暮らしの中で使われていました。
この建物の屋根は杉皮葺きで、前後に傾斜させた「招き屋根」の形をしています。背面には小さな窓があり、対岸の客を見ることができるようになっていました。
なお、外回りの柱には大きな鉄の輪が取り付けられています。出水のさいにはこの輪に丸太を通して担ぎ上げ、小屋を移動させました。

菅の船頭小屋_1
菅の船頭小屋_2
小屋を移動させる様子

 

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