散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

京都小旅行(16)

高台寺から『夢二カフェ 五龍閣』に向かう。名前のとおり、現在は飲食スペースとなっているが、建物が素敵で写真撮影も構わないようなので、ここで昼食をいただきながら写真撮影を行おうと考えた。

『夢二カフェ 五龍閣』
清水寺へ向う清水坂を上がり、左に産寧坂の分かれ道をすぎて間もなく、右手の奥に、昔から清水順正として知られた大きなレトロな洋館があります。ここは「五龍閣」と名づけられた建物で、国の登録有形文化財になっています。
この建物は最近まで湯豆腐で有名な「清水順正」として使われていましたが、2009年11月に「五龍閣」として改装し、この1階に清水寺順正が経営する「夢二カフェ」がオープンしました。
この建物は、もとは、清水焼から事業を起こし、義歯や碍子で財を成した明治の企業家であった松風嘉定の邸宅として、大正10年(1921)頃までに建てられたとされています。設計者は、明治・大正期の著名な建築家で、京都大学建築科を創設したことでも知られている武田五一です。
1階の「夢二カフェ」には暖炉や、ステンドグラス、竹久夢二の絵などがあり、大正時代のレトロな雰囲気にあふれています。


外観
気が付かなかったけれども鴟尾付きの館だったんだ。
『夢二カフェ 五龍閣』_外観_1
『夢二カフェ 五龍閣』_外観_2
『夢二カフェ 五龍閣』_外観_3
『夢二カフェ 五龍閣』_外観_4
『夢二カフェ 五龍閣』_外観_5
『夢二カフェ 五龍閣』_外観_6

店内
『夢二カフェ 五龍閣』_店内_1
『夢二カフェ 五龍閣』_店内_2
『夢二カフェ 五龍閣』_店内_3
『夢二カフェ 五龍閣』_店内_4
『夢二カフェ 五龍閣』_店内_5
『夢二カフェ 五龍閣』_店内_6
『夢二カフェ 五龍閣』_店内_7
『夢二カフェ 五龍閣』_店内_8

料理
豆腐サラダ
豆腐サラダ
箸の包み紙
箸の包み紙
別途注文のサイダー
別途注文のサイダー
京野菜のパスタ
妻が絶賛していた
京野菜のパスタ
京野菜のカレー
なかなか美味しかった
京野菜のカレー
階上の様子
『夢二カフェ 五龍閣』_階上の様子_1
『夢二カフェ 五龍閣』_階上の様子_2
『夢二カフェ 五龍閣』_階上の様子_3

『夢二カフェ 五龍閣』のHPへjump

以上で『京都小旅行』の連載は終了です。最後までご覧いただき大変有難うございました。

 

京都小旅行(15)

高台寺(2)

中門
方丈などから開山堂へ向かうための門。『重關』と書いてあるようだが、その意味が全くわからない。 『關』は『関』の旧字体のようだ。
中門_1
中門_2

開山堂…重要文化財
開山堂内部の写真がある頁へjump
書院の東方、庭園内に建つ入母屋造本瓦葺きの禅宗様の仏堂。慶長10年(1605年)の建築。元来、北政所の持仏堂だったもので、その後、中興開山の三江紹益の木像を祀る堂となっている。堂内は中央奥に三江紹益像、向かって右に北政所の兄の木下家定とその妻・雲照院の像、左に高台寺の普請に尽力した堀直政の木像を安置している。この堂の天井は、秀吉の御座舟の天井と、北政所の御所車の天井を用いたものという。
開山堂_1
開山堂_2
開山堂_3

臥龍池
臥龍池

臥龍廊
開山堂と霊屋(おたまや)を結ぶ屋根付きの階段、龍の背に似ているところからこの名が付けられた。
臥龍廊_1
臥龍廊_2
臥龍廊_3

霊屋…重要文化財
霊屋内部の写真がある頁へjump
開山堂の東方、一段高くなった敷地に建つ、宝形造檜皮葺きの堂。慶長10年(1605年)の建築。内部は中央の厨子(平素、扉を閉じている)に大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)像を安置し、向かって右の厨子には豊臣秀吉の坐像、左の厨子には正室・北政所の片膝立の木像がそれぞれ安置されている。厨子の扉には秋草、松竹など、須弥壇には楽器などの蒔絵が施されている。厨子の目立たぬところに蒔絵の作者の名が線描きされておりその点でも貴重。寺に所蔵される、北政所所用と伝える調度品類にも同じ様式の蒔絵が施され、これらを高台寺蒔絵と称している。高台寺蒔絵の特色は、金の平蒔絵(文様部分の漆を盛り上げずに、平滑に仕上げたもの)を主体に秋草などの絵画的な文様を描くことである。なお、北政所は自身の像の約2メートル下に葬られている。
霊屋_1
霊屋_2

傘亭・時雨亭…重要文化財
利休の意匠による茶席であり伏見城から移建したものである。傘亭は竹と丸木が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名があり、正式には安閑窟と呼ばれる。時雨亭とは土間廊下でつながっている。
傘亭
時雨亭
傘亭・時雨亭

巨大な鬼瓦?
2012年は辰年であり、その時に方丈前庭に飾られたモニュメントの一部なのだろうか?支えるためにある竹と比較してみると、巨大さがわかると思う。
巨大な鬼瓦?_1
巨大な鬼瓦?_2
参考になりそうな記述のあるHPへjump

勅使門
方丈の南正面に位置する。大正元年(1912年)に方丈とともに再建された。
勅使門_1
勅使門_2
勅使門_3

高台寺表門…重要文化財
どうにも見つけられないと思ったら少し離れた場所にあるらしい。以前はこの表門の辺りも寺域だったようだが、現在では『これは何』という感じのようだ。

 

京都小旅行(14)

高台寺(1)
臨済宗建仁寺派の寺院ということは、あの建仁寺の末寺になるんだ。まあ、仏殿が再建されなかったくらいだから、歴史を彩ってきた寺院とはいえども、大本山には成り得なかったのだろう。
高台寺(こうだいじ)は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。


高台寺の境内図
高台寺_境内図

天満宮
高台寺天満宮は、北政所ねねが、慶長十一年(一六〇六)に高台寺を創建した際、日頃崇拝していた綱敷天満宮の祭神菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたもの。左前方に写っているのが『なで牛」。その後方にチラと見えているのが『マニ車』。
高台寺天満宮

庫裡
庫裡_1
庫裡_2

遺芳庵
方丈・書院の背後にある田舎屋風の茶室で、近世初期の商人で趣味人であった灰屋紹益が夫人の吉野太夫をしのんで建てたものという。一畳台目の小規模な茶席で、炉は逆勝手向切りとする。吉野窓と称する、壁一杯に開けられた丸窓が特色である。京都市上京区にあった紹益の旧邸跡から明治41年(1908年)に移築したもの。建築様式の点から、紹益と吉野太夫が生きた近世初期まではさかのぼらず、後世の人が2人を偲んで建てたものと推定されている。
遺芳庵_1
遺芳庵_2

偃月池・観月台・庭園
観月台…重要文化財
横浜の三渓園にある『亭榭』がそっくりだと思えて仕方が無い。秀吉大好き人間の原三渓氏がこの観月台を模して作ったのだろうか。
三渓園にある『亭榭』を取り上げた頁にjump
檜皮葺きの四本柱の建物であり、三方に唐破風をつけた屋根の下から観月するための建物である。
観月台_1
観月台_2
観月台_3

庭園…史跡及び名勝
庭園は、開山堂の臥龍池、西の偃月池を中心として展開されており、小堀遠州の作によるもので、国の史跡・名勝に指定されている。偃月池には、秀吉遺愛の観月台を配し、北に亀島南の岬に鶴島を造り、その石組みの見事さは桃山時代を代表する庭園として知られている。
庭園_1
庭園_2
庭園_3

書院
方丈の背後に建つ。写真にある提灯でわかるかもしれないが、百鬼夜行展を開催していた。私はどうもこういうものが苦手だ。撮影は禁止になっていた。写真で思い出さないで済んで良かったかも。
年月を経た物は霊が宿るとされ、捨てられた道具がお化けなどに姿を変えて夜行進することを百鬼夜行と呼んだ。高台寺のある場所はかつての葬送の地だったことなどから、企画された。
書院_1
書院_2

方丈
方丈の内部や前庭は実に実に見事なものなのだが、撮影は禁止になっていた。本当に残念でならない。あとで検索してみると、前庭の写真はたくさんUPされていた。方丈の内部のみが撮影禁止だったようだ。撮っておくんだった。
庫裏の右手に建つ。大正元年(1912年)の再建。創建当初の方丈は文禄の役後に伏見城の建物を移築したものであった。

偃月池・庭園越しの方丈
偃月池・庭園越しの方丈

 

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