散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

三渓園(18)

大池(4)
もう一度大池を眺めながら、三渓園見学を終えることにする
観心橋
観心橋_1
観心橋_2
涵花亭
近くで見るとごく普通の四阿に見えるが、遠目には凄く美しく見えた
涵花亭
池畔
池畔_1
池畔_2
池畔_3
一周して戻った辺り
一周して戻った辺り_1
一周して戻った辺り_2
八つ橋
この辺は菖蒲畑になっているようだ。季節が到来すれば、また見どころが増える
八つ橋

18回にわたり続けてきた『三渓園』は今回で終了です。最後までお付き合いいただき大変有難うございました。

 

三渓園(17)

旧燈明寺本堂
旧燈明寺は、天平年間行基の開創と伝える。聖武天皇・清和天皇勅願。あるいは貞観5年(873)真暁(弘法大師弟子)が開基したとも伝える。何れにしても、由緒ある寺院であった。しかし数奇な運命を辿り、建武の兵乱で一度廃絶の憂き目に遭っている。
康正年間(1455-1456)、天台僧忍禅が復興し、本堂・三重塔を建立する。その後、再び荒廃する。
寛文3年(1663)頃、本國寺日弁(便)によって再興。本堂・三重塔を修理。寛保3年(1743)日賢が三重塔を修理。
というように何度も浮沈を繰り返してきた。
止めは、廃仏毀釈運動の煽りを受けたことだろう。この流れの中で廃寺になったと推測されている。御霊神社だけは現在も当時と同じ位置に存在している(重文)。そして、明治34(1901)年に、川合芳太郎が燈明寺を買収。大正3(1914)年に、まず、三重塔を横浜三渓園に移転。その時点で廃寺にはなっていたものの、本堂は残っていた。しかし、昭和23(1948)年に台風により本堂が大破し、解体保存がなされた。その後も、再建の方策を模索していたが、どうしようもなく、三重塔の売却で縁があった三渓園に話が持ち込まれた。
ということで、昭和57(1982)年に、横浜三渓園に本堂部材を移動。三渓園で再建される。この本堂部材の傷みが相当に激しく、相当なテコ入れがなされたようだ。詳しいことは下記URLを参照されたい。

旧燈明寺本堂_1
旧燈明寺本堂_2
旧燈明寺本堂_3
旧燈明寺本堂_4
旧燈明寺本堂_5
よく見ると仏像が安置されている。燈明寺の旧仏は本物は京都府木津川市兎並(うなみ)(旧相楽郡加茂町)の御霊神社に保管されているそうだが、これは果たして何なのか。調べたら、この堂内にあるのは御霊神社に保管されている十一面観音のレプリカのようだ。
十一面観音のレプリカ_1
十一面観音のレプリカ_2

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三渓園(16)

旧矢箆原(やのはら)家住宅【重要文化財】1750年頃(宝暦年間) (4)

1階部分(2)
その他の1階部分
旧矢箆原家がどれほどの長者だったかを物語る豪華な造りだ。畳敷きの間の多さといい、欄間の豪華さといい、飛び抜けている。
その他の1階部分_1
その他の1階部分_2
その他の1階部分_3
その他の1階部分_4
その他の1階部分_5
その他の1階部分_6
その他の1階部分_7
その他の1階部分_8
その他の1階部分_9
その他の1階部分_10
その他の1階部分_11
その他の1階部分_12
その他の1階部分_14
此処が玄関だったようだ
その他の1階部分_15

外観
外観2_1
外観2_2
妻側の上部に作られた『火灯窓(かとうまど)』が印象的だ
外観2_3
外観2_4
外観2_5

 

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