散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

東京駅ビルを見に行く(6)

今回の東京駅見学+αの最後に、皇居東御苑に行ってみた。以前に気になったところのおさらいをしてみる。

皇居正門石橋旧飾電燈
これだけ、江戸城ゆかりのものではないのに展示してあった。何故、この場所にあるのだろうか?
皇居正門石橋旧飾電燈

百人番所
任務についていた4組の内、伊賀組、甲賀組、根来組の3組は名称通り忍者集団であることは明白だが、『二十五騎組』という組がどうしてもわからなかった。あちこち調べてやっと分かった。黒田二十五騎組で、「酒は飲め飲め、飲むならば、日の本一のこの槍を、飲み取るほどに飲むならば、これぞまことの黒田武士」に出てくる母里太兵衛友信も当初のメンバーの一人だったようだ
百人番所
江戸城の正門である大手門から本丸に入る最大の検問所が、百人番所です。ここには、伊賀組、甲賀組、根来(ねごろ)組、二十五騎組の4組がそれぞれ同心百人ずつを配して鉄砲隊を組織し、江戸城の護りを固めていたので、百人番所と呼ばれています。
なお、当初は下記のような本来の伊賀、甲賀、根来等の忍者、あるいは黒田二十五騎のような剛の者の集まりであったが、それが組の名前として存続していったと思われます。

伊賀組:伊賀上野(三重県上野市)の服部氏が率いる伊賀武士の集団で、家康により召抱えられ、徳川幕府のために諸大名の内情を探ったり、江戸城下の治安を警護したりした。伊賀組同心を支配していたのが、服部半蔵であり、江戸城の半蔵門は、伊賀者が警護しており、服部半蔵の名に因んでその名が付けられた。なお、松尾芭蕉も伊賀上野の出身であり、隠密であったという説もある。定かではないが、「奥の細道」も密偵の旅であったかもしれない。
甲賀組:滋賀県の南東部(滋賀県甲賀市)の甲賀武士の集団で、伊賀組同様、家康に召抱えられ、江戸城の警護に当たっていた。地理的に伊賀上野と隣り合っており、当時は甲賀流、伊賀流という忍術の2大流派を形成していた。
根来衆:紀州根来(和歌山県那賀郡)の根来寺の僧兵を中心とした紀州の鉄炮軍団。信長の時代から活躍していたが、秀吉の根来攻めにより敗北した。しかし、その後徳川幕府の下で警護の任にあたったようである。8代将軍吉宗は、紀州から連れて来た者を「お庭番」として活用したが、これは伊賀や甲賀の忍者とは別といわれている。もしかすると根来衆かもしれない。

黒田二十五騎組:秀吉の命によって九州を平定した黒田如水(官兵衛)は、その後徳川家康に仕えたが、如水の下には、黒田長政以下二十五騎の強兵がいた。これが「黒田二十五騎」である。有名な後藤又兵衛や母里太兵衛(黒田節で有名)もその内の1人である。

富士見櫓
前回納得のいく写真が撮れなかったので、リベンジしたがかわりばえがしないかな。
昔は富士山や海の眺望を楽しんだそうだが、今だったら一段低いところにある当時の西の丸、今の皇居がよく見えるはず。当然のことだろうが、なかに入ることを許すわけはなかろう。ということで目隠しの役を果たしている。

当初、太田道潅が「精勝軒」と呼ばれた櫓を作り、富士山や海の眺望を楽しんだといわれていますが、富士見櫓は、その跡地に作られました。富士見櫓は、高さ15.5mほどの三重の櫓で、万治2年(1659年)に再建されたものが今に残っています。江戸城の建物の中では、現存する貴重な建物です。また、富士見櫓を支える石垣は、自然石をそのまま積み上げた堅牢な「野づら積み」だそうです。
富士見櫓

二の丸庭園
菖蒲田
今の時期は菖蒲田の水が抜かれている。ある時期になると水が張られ、やがて開花を迎える。花が旬の時期は相当に混雑することだろう。
菖蒲田_1
菖蒲田_2
菖蒲田_3
菖蒲田_4
シモバシラ
ここにも植えられていた。だが、残念なことに霜柱は融けてしまっていた
シモバシラ_1
シモバシラ_2

 

東京駅ビルを見に行く(5)

和田倉噴水公園にて
ロウバイ
いたるところで開花の時期を迎える頃だが、ここでも見事に花を咲かせていた。見かけの強さに負けないほどの強い芳香があった。
何故か広角レンズで撮ってみたくなり、思い切り近づいて撮った。出来上がりを見たら、望遠レンズで撮るべきだったかなと思った。(;_;)

ロウバイ_1
ロウバイ_2
天皇陛下御製を金子鴎亭が書いた石碑
平成3年歌会始のお題は『森』だった。その年の天皇陛下御製
いにしへの人も守り来し日の本の森の栄えを共に願はむ
天皇陛下御製を金子鴎亭が書いた石碑
皇后陛下の御歌は次の通り
いつの日か森とはなりて陵(みささぎ)を守らむ木木かこの武蔵野に

公園内外の様子
公園内外の様子_1
公園内外の様子_2
公園内外の様子_3
公園内外の様子_4
公園内外の様子_5
公園内外の様子_6

皇居外苑
巽櫓(桜田二重櫓)
巽櫓は、別名「桜田二重櫓」ともいわれています。石落としとしての役目を果たす出窓や、弓や鉄砲を撃つ狭間という隙間があり、敵の攻撃に対処するために作られた櫓です。
巽櫓_1
巽櫓_2
巽櫓_3
巽櫓_4

桔梗門
三の丸に入る南門で、江戸時代は内桜田門(うちさくらだもん)が正式名称で、桔梗門(ききょうもん)は通称でした。桔梗門の名称は、太田道灌(おおた・どうかん)の桔梗紋の屋根瓦がこの門に残っていたから、など諸説あるようです。
桔梗門_1
桔梗門_2

 

東京駅ビルを見に行く(4)

新丸ビルで昼食をとった後、皇居を目指した。その道すがら

和田倉濠前の東京銀行協会ビル
こういうふうにファザードだけを保存して、高層ビルと組み合わせるやり方が丸の内のはやりなのだろうか。JPタワーも低層階に中央郵便局の外観を残している。それにしても美しいファザードを残してくれてよかった。
東京銀行協会ビル_1
東京銀行協会ビル_2
東京銀行協会ビル_3

赤レンガ建築の東京銀行集会所(大正5年築)のファサードを保存し、20階建て高さ82mに高層化した。
隣接地に本社ビルのある東京海上日動火災保険などがテナントとして入居する。


JPタワー
このビルが東京駅の上空権というか、容積率の余り分を譲り受けた超高層ビルなのだ。低層階には旧東京中央郵便局の外観が残されている。
正面奥のビルで、ガラス面に丸ビルなどの姿が映っている
JPタワー_1
国旗の奥に見えるビルで丸ビルと並び立つ
JPタワー_2
東京駅の上空権というか、容積率の余り分を譲り受けたということがよく分かる
JPタワー_3
郵便局株式会社(現・日本郵便)と東日本旅客鉄道(JR東日本)、三菱地所の共同事業により、旧東京中央郵便局敷地に建設された超高層ビルである。JR東日本東京駅丸の内駅舎の南西側に隣接する。
建築物としては、旧東京中央郵便局舎を一部保存した低層棟と最高軒高200.0mの高層棟から構成され、旧東京中央郵便局の保存部分は免震構造で構造躯体を保存している。高層棟には日射遮蔽ルーバー(庇)と高性能遮熱断熱ガラス(Low-Eガラス)によるエアフローウィンドを採用した、床から天井まで1枚ガラスの窓(フルハイト窓)を設置するほか、事務所フロアではLED照明器具の全面採用と明るさセンサーによる照明制御、自然換気窓及び外気冷房の採用により、高い快適性と環境負荷低減を両立している。また、本来の容積率は1,300%だが、建築基準法第57条の二(特例容積率適用地区内における建築物の容積率の特例)により、東京駅丸の内駅舎の容積を移転して、特例容積率1520%が適用されている。
2012年5月31日に竣工し、同年7月17日より東京中央郵便局、ゆうちょ銀行本店及び郵便事業銀座支店JPタワー内分室(現・銀座郵便局JPタワー分室)がJPタワーに移転・オープンした。JPタワー全体のグランドオープンは2013年3月21日を予定している。


パレスホテル
なかなか格好の良いホテルだと思う。泊まったことはないが、名前の恥じない見晴らしなんだと思う。1961年開業だが、施設の老朽化に伴い2009年1月31日で一時休館となった。解体後、地上23階・地下1階建ての最高級ホテルとして建て替えし、2012年5月17日にパレスホテル東京としてグランドオープンしたそうだ。見違えるような気がしたが、まさしくそのとおりだったんだ。
1丁目1番地は各地にあるのだろうが、丸の内というとびきりの商業地の1丁目1番地1号とは凄いことだ。

パレスホテル_1
パレスホテル_2
パレスホテル_3

 

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