散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

旧東海道品川宿近辺を歩いた(6)

品川寺
『ほんせんじ』と読ませる。真言宗醍醐派の別格本山。私の好きな粋な建屋がある。歴史をおさらいすると、『海照山品川寺は、品川左京亮(しながわさきょうのすけ)伝の水月観音・聖観音両菩薩霊像を本尊とし奉り、後花園天皇長禄年間、太田道灌公の創建、後光明天皇承応年間、弘尊上人の中興によるところなり。世々「品川観音」と称せられる』とある。太田道灌の創建なのか。う~~ん。
最初から心をつかむ配置構成だ
最初から心をつかむ配置構成だ
銅造地蔵菩薩坐像〈都指定有形文化財(彫刻)〉
坐像の場合は、立てば丈六ということで、半分の8尺の像を丈六像と呼ぶそうだ。ということで立派な大仏様だろう。
銅造地蔵菩薩坐像〈都指定有形文化財(彫刻)〉_1
銅造地蔵菩薩坐像〈都指定有形文化財(彫刻)〉_2
銅造地蔵菩薩坐像〈都指定有形文化財(彫刻)〉_3
江戸六地蔵の由来は、『刊本江戸六地蔵建立之略縁起』によれば、江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、江戸に入る6つの街道の入り口に地蔵菩薩の建立を宝永3年(1706)に発願し、多くの人々の浄財を集め、1躯ずつ造立したものです。各尊の前身及び蓮台、台座には勧進者、造立年代などが陰刻されており、神田鍋町鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかります。六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第6番)は、廃仏毀釈で取り壊され、5軀が残っています。
海照山品川寺の六地蔵は、1番古く宝永5年(1708)に造立されたものです。像高は、現存するものの中で1番大きく275cmあり、かつては鍍金が施されていました。
江戸時代中期の鋳造像としては大作であり、かつ遺例の少ないものであることから文化財に指定されました。

山門
山門_1
山門_2
本堂
文句なしの堂々たる風格を示す。鴟尾も見事なものだ。どこの国の寺院か判然としないような外観。これが堪らなく良い。
本堂_1
本堂_2
本堂_3
本堂_4
本堂_5
庫裏(?)
本堂とトーンを合わせてある
庫裏(?)
柴燈大護摩・火渡り荒行を行うスペース
柴燈大護摩・火渡り荒行を行うスペース
柴燈大護摩・火渡り荒行のページにjump

小さな鐘が2つ
大きな鐘とは別に小さな鐘がある。日常の寺務の合図に使っているのだろう。
小さな鐘が2つ_1
小さな鐘が2つ_2
役行者像
役行者像
銀杏
推定樹齢600年。見事なものだ。正面に立つ石塔は庚申塔だと思われる。台座の猿や鶏ははっきり見えるのだが、肝心の部分が良くわからない。
銀杏_1
銀杏_2
銀杏_3
こちらはわかりやすいが、かなり新しそうだ
銀杏_4
弘法大師像
弘法大師と花梨とはなにやら因縁があるようだ。
弘法大師像
『弘法大師(空海)とカリン』のページにjump

稲荷堂
堂内も撮ったが、ピンボケになってしまった
稲荷堂_1
稲荷堂_2
毘沙門天像
東海七福神の毘沙門天とは、これのことだろう
毘沙門天像

大鐘楼と大梵鐘(国指定重要美術品)
大梵鐘は徳川昭武公とともにパリ万博へ出たものの、その後の日本国内の政変で、日本側からの連絡が十分でなかったのか、一時所在不明になっていたのか。よくぞ、見つけて持ち帰ることができたものだ。
大鐘楼と大梵鐘(国指定重要美術品)
明暦3年(1657年)の銘があり、徳川幕府第四代将軍徳川家綱の寄進とされる。鐘身に六観音像を鋳出する。この鐘は幕末に海外へ流出し、パリ万博(1867年)・ウィーン万博(1873年)に展示されたと伝えるが、その後所在不明となっていた。大正8年(1919年)、当時の住職であった仲田順海は鐘がスイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることを突き止め、返還交渉を開始した。外務大臣幣原喜重郎ほか多くの人々の尽力により、ジュネーヴ市議会は鐘を日本へ戻すことに同意し、昭和5年(1930年)、同市の好意により品川寺に返還された。
平成3年(1991年)には品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘が贈られた。品川区とジュネーヴ市は平成3年に友好都市となったが、交流の契機となったのはこの梵鐘である。

もう一度本堂を見る
何度見ても素晴らしい
もう一度本堂を見る

寺伝によると、弘法大師空海を開山とし、大同年間(806-810年)に創建されたという。長禄元年(1457年)、江戸城を築いた太田道灌により伽藍が建立され、寺号を大円寺と称した。その後戦乱により荒廃するが、承応元年(1652年)に弘尊上人により再興され、現在の寺号となった。スイス・ジュネーヴ市と深い縁を持つ梵鐘を始め、江戸六地蔵の第一番にあたる地蔵菩薩像や東海七福神の毘沙門天などがある。
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真言宗醍醐派の品川寺は、海照山普門院と号し、真言宗醍醐派の別格本山です。品川寺の創建年代は不詳ですが、当初金華山大円寺と称し、弘尊が承応元年に中興開山しました。戦国時代、兵火により焼失しましたが、海照山普門院と改称して復興しております。江戸三十三観音霊場31番霊場、東海三十三観音霊場21番札所、東海七福神の毘沙門天となっている他、山門前には江戸六地蔵の一つが安置されています。

 

旧東海道品川宿近辺を歩いた(5)

水道工事屋さん
建物が印象に残った。ただそれだけ。2トーンといえばそうなのだが。
水道工事屋さん_1
水道工事屋さん_2

長徳寺
以前の回で、北品川の善福寺を見たが、同じ時宗の南品川の寺院。南品川にはほかに海蔵寺もある。さして広くないエリアに時宗寺院が3箇寺も存在したんだ。何か理由があったのだと思うが、私には把握できなかった。
時宗そのものも、総本山が遊行寺だとは知っているが、2年ほど藤沢市で勤務していた折にも行ったことがなかった。箱根駅伝で名前を聞くばかり。あまり縁がない宗派になってしまった。

古くからの変哲もないごく普通のお寺さんらしいお寺さんという印象だった。だが、歴とした御朱印寺。御朱印寺であったばかりに歴史に翻弄されたかなあ。
長徳寺_1
長徳寺_2
長徳寺_3
長徳寺_4
長徳寺_5
長徳寺_6
長徳寺_7
長徳寺_8
長徳寺は、三寮覺阿弥陀佛が開山となり現東海寺の地に寛正4年(1463)創建、東海寺建立に伴い当地へ移転したといいます。江戸時代には下蛇窪(品川区二葉附近)に寺領5石の御朱印状を与えられた御朱印寺でした。当寺の閻魔堂は、南品川にあった東光寺という時宗寺院があったものの、大龍寺に譲ることになり、その堂宇を移したものだといいます。

天妙国寺そのもの、および関係する2つの寺社
天妙国寺
顕本法華宗は、日蓮を宗祖とし、日什を開祖とする宗派だそうだが、時宗以上に私にはよくわからない宗派だ。かなり大きな寺院であることは見ただけでわかるのだが、…。戦後、妙満寺の伝統を守るために独立を主張する派と、日蓮宗に残留して内部改革をすべきと主張する派に分かれ、前者は当時の管長・中川日史らが独立し現在の顕本法華宗となり、後者は日蓮宗に残り日蓮宗什師会となったそうだ。
天妙国寺_1
天妙国寺_2
天妙国寺_3
天妙国寺_4
天妙国寺_5
天妙国寺_6
天妙国寺_7
天妙国寺_8
天妙国寺_9
天妙国寺_10
顕本法華宗の天妙国寺は、鳳凰山と号し、顕本法華宗の別格山で、江戸時代には、南品川本光寺、浅草慶印寺と共に京妙満寺末触頭三寺でした。弘安8年(1285)に日蓮の弟子中老僧天目が開創、江戸時代には寺領10石の朱印を賜っています。
真了寺
もともとは、天妙国寺の塔頭寺院だった。それなのに、顕本法華宗が社会情勢の激変を受けて、目まぐるしく動いたので、こちらは袂を分かって日蓮宗にとどまったのか。もちろん、人間の面倒をも見るようだが、ペットの寺院でもあるようだ。時代だなあ。金回りが良いのか、非常に立派な建物を構えている。
真了寺_1
真了寺_2
真了寺_3
真了寺_4
日蓮宗寺院の真了寺は、延宝元年(1673)に天妙国寺塔頭寺院として建立しました。寺地は天妙国寺の道路向かいにあります。
南品川諏方神社
だと思う。天妙国寺の開基天目が自身の生国信州の諏訪大明神を勧請して、弘安年中(1278-1287)に創建したといわれているそうだ。今は、神社として機能しているのか否か不明だ。『諏訪』の字ではなく『諏方』の字を用いるので印象に残る。諏訪は古くは諏方と書いたようで、昔ながらの表記が諏方ということになり、昔ながらの書き方を踏襲している神社もいくつかあるようだ。
南品川諏方神社_1
南品川諏方神社_2
南品川諏方神社_3
南品川諏方神社_4
諏訪神社は妙国寺の南にあり、当寺を開山せる天日上人は信州の生まれで、郷里の大社諏訪明神を勧請したもので、当初は海岸の洲崎に建っていたので洲の宮といわれていた。永享のころ(一四二九-四一)、社を現境内に引いて再建した。同八年(一四三六)七月、郡司二階沙瀰正三は神田二段を寄進し祭事を勤行させた。(東京都神社名鑑より)

 

旧東海道品川宿近辺を歩いた(4)

小さなお寺が2つ
いろいろな宗派のお寺さんがあるものだ。なぜ、こんなに密集していたのだろうか?
一心寺
一心寺は、安政2年(1855)に大老井伊直弼により開山したと伝えられる。私はその辺の事情を良く存じていない。こんな狭い境内で大丈夫なのかなと思うだけだ。こちらのお寺では、焙烙灸がいまだに続いているのだそうだ。お灸そのものは嫌いじゃないが、…。
一心寺_1
一心寺_2
一心寺_3
一心寺_4
一心寺_5
養願寺
近くにある南品川の常行寺の末寺だったそうだ。本尊の虚空藏菩薩は木像で空海作と伝えられるものだそうだ。そこで『本当かな』などと思ってしまってはいけないのだろう。
養願寺_1
養願寺_2
養願寺_3
文化財の仏像ではなく屋根瓦が気になった
養願寺_4

目黒川にかかる品川橋
昔は目黒川の河口は『品川』と呼ばれていたのか。湾岸開発が進む以前は河口付近で流れが湾曲していて流れが緩やかであったため、古くは港として使われ、品の行き交っていた川であった。これが「品川」の名前の起こりだそうだ。
昔の感覚だと、『品川にかかる品川橋』ってタイトルにしないといけないのかな。今は川も橋もともにどうでもよい存在になってしまったかなあ?
目黒川にかかる品川橋_1
目黒川にかかる品川橋_2
目黒川にかかる品川橋_3
目黒川にかかる品川橋_4

荏原神社
たかだか郷社ではないかと侮ってはいけない。源氏、上杉氏、徳川氏など多くの武家の信仰を受け、南品川の鎮守として崇敬されてきた由緒ある神社なのだ。さらに、明治の御世になり、明治天皇が陸路を東京を目指してやってきた。その折、10月12日にご着輦(ちゃくれん)され、その後も、何度か立ち寄られたようだ。自動車も汽車もない時代に大変な京都から東京に向かうのは大変なことだったのだろう。
入り口付近
荏原神社_入り口付近_1
荏原神社_入り口付近_2
荏原神社_入り口付近_3
茅の輪潜り
6月30日が大祓のようで、すでに準備がなされてあった。今までやったことがなかった。良い機会だからやらせていただいたが、健康な心身になるだろうか?
荏原神社_茅の輪潜り_1
荏原神社_茅の輪潜り_2
荏原神社_茅の輪潜り_3
荏原神社_茅の輪潜り_4
荏原神社_茅の輪潜り_5
荏原神社_茅の輪潜り_6
拝殿
郷社レベルにはおさまりきれない華麗なる装飾。いつ見てもすごいと圧倒される。
荏原神社_拝殿_1
荏原神社_拝殿_2
荏原神社_拝殿_3
荏原神社_拝殿_4
荏原神社_拝殿_5
荏原神社_拝殿_6
狛犬
余りに大きくて、表情が良く見えない。私が、1.9mくらいの身長になれば、良く見えるのだろうが、20㎝ほど足らない。
荏原神社_狛犬_1
荏原神社_狛犬_2
御東幸内侍所奉安所の石柱ほか
石柱と石碑とが誇らしげに。御上京ではなく御東幸なんだ。非常に気を遣った表現だ。
荏原神社_石柱と石碑とが誇らしげに_1
荏原神社_石柱と石碑とが誇らしげに_2
その他
舞殿
荏原神社_その他_1
荏原神社_その他_2
荏原神社_その他_3
変わった根元
荏原神社_その他_4

 

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7月17日(火)-19日(木)は、京都と大阪とを観光します。この間、記事更新のみとし、私からのアクセスはお休みさせていただきます。大変申し訳ありません。m(_ _)m

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