散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

九品仏浄真寺(5)

中品堂
中品の三仏像は説法印
中品堂_1
螺髪(らはつ)は私が彩色したものではない。元からこのような色合いだ。
中品堂_2
中品堂_3
中品堂_4
中品堂_5
中品下生佛像は、現在は修復中とのことだ。立て看板には『御遷座中』と書かれてあった。こういう時に『遷座中』という言葉を使用するのか。勉強になったぞ。
中品堂_6
下品堂
下品の三仏像は来迎印。Wikipediaの解説によれば、下品下生は極悪人とある。そうなのかなあ。極悪人とあらば、閻魔様の手でふるいにかけられてしまうのではないかと思うのだが、…。
下品堂_1
下品堂_2
下品堂_3
下品堂_4
これが、下品下生の佛像だ。行いに問題があった人にも、それなりの優しさで接するということなのかなあ。
下品堂_5
(~前略)これは『観無量寿経』に説く九品往生(くほんおうじょう)の思想に基づくものである。極楽往生の仕方には、信仰の篤い者から極悪人まで9通りの段階があるとされ、「上品上生」(じょうぼんじょうしょう)から始まって「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」に至る。浄真寺の九品仏の場合、阿弥陀如来の印相の内、定印を「上生印」、説法印を「中生印」、来迎印を「下生印」とし、親指と人差し指(中指、薬指)を接するものをそれぞれ「上品」「中品」「下品」に充てる。なお、九品往生を9通りの印相で表す教義的根拠は明確でなく、日本において近世になってから考え出されたもののようである。
仁王門の傍らにあった石塔
結構保存状態が良いものばかりだが、やはり顔面が破壊されてしまっているのかなあ。
仁王門の傍らにあった石塔_1
仁王門の傍らにあった石塔_2
仁王門の傍らにあった石塔_3
『享保六辛丑年』『武州荏原郡世田谷領』『造立青面金剛講中 為二世安楽成』『奥沢村』などと書かれてある。1721年だから297年前か。『二世安楽』とは、現世(今生)と来世(後生)の両世において安楽を得ることという意味合いか。『奥沢村』は、お上の力で、日蓮宗から浄土宗に宗旨替えさせられたのかなあ。これだけの記載でも、いろいろなことが見えてくるものだ。
仁王門の傍らにあった石塔_4
仁王門の傍らにあった石塔_5
仁王門の傍らにあった石塔_6
仁王門の傍らにあった石塔_7
仁王門の傍らにあった石塔_8

帰途につく。20分程度の所要時間のはずだが、のんびり歩いていこう。

大井町線
もとは田園都市線といっていた。が、今は田園都市線は二子玉川から渋谷に向かうようになり、この大井町線はすっかりローカル線扱いとなってしまった。
大井町線
東横線
東急線のメイン路線。今は多くの会社線と乗り入れている。この車両は東武の車両だ。
東横線
魚菜学園
料理研究家の田村魚菜氏が創立した料理学校。ひところはTVでも活躍していたが、田村魚菜氏の名前をご存知の方はかなりの年配者かも。
魚菜学園
自由が丘駅南口側の緑道沿いの道
結構お洒落な感じなのだが、そんな風には撮れなかった。残念。
自由が丘駅南口側の緑道沿いの道_1
自由が丘駅南口側の緑道沿いの道_2
スイーツフォレストとCuoca
女性ならご存知の方が多いかもしれない。私はパン作りをしていた時期があり、Cuocaに材料を買いに来ていた。
スイーツフォレストとCuoca_1
スイーツフォレストとCuoca_2
スイーツフォレストとCuoca_3
緑ヶ丘の坂道
今の自由が丘は、その昔、低湿地として三文安の土地だった。それを物語る緑ヶ丘の坂道。そうは見えないかもしれないがかなりの勾配。周囲には高級住宅が建ち並ぶ。
緑ヶ丘の坂道_1
緑ヶ丘の坂道_2
あるお宅の花
いつもきれいにしているお宅だ
あるお宅の花_1
あるお宅の花_2
あるお宅の花_3
あるお宅の花_4
ねむの木公園のねむの木
小さな公園にねむの木が植えられている。隣接地にジャカランダの木が植えられている。それを目黒区の職員がねむの木と誤認したのか、ねむの木を植えたようだ。
ねむの木公園のねむの木_1
ねむの木公園のねむの木_2
ねむの木公園のねむの木_3
ジャカランダの木は縦に伸びる感じの木のようだ。以前は、この時期に紫の花を咲かせていたが、台風などで傷めつけられてからは、花が咲かなくなってしまったようだ。
ねむの木公園のねむの木_4_ジャカランダの木

以上で『九品仏浄真寺』のミニシリーズは終了です。最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

九品仏浄真寺(4)

上品堂
浄真寺三仏堂の内の真ん中に位置するお堂。上品堂には、上品上生(じょうぼん・じょうしょう)、上品中生、上品下生の三体の阿弥陀如来像が安置されている。浄土教における極楽往生の9つの階層を表しているそうで、できることならば、上品上生で極楽往生したいものだと考えてしまうが、そう簡単にはいかないのかもしれない。
本題に入る前に、前回取り上げた本堂とこの上品堂とを結んだ橋を行き来する菩薩の来迎の様子をあらわすという『お面被り』と呼ばれる仏教行事が行われる。正式には『二十五菩薩来迎会』といい、菩薩の面をかぶった僧侶らが渡り、菩薩の来迎の様子を表す。
臨死体験というのとは少しニュアンスが異なるが、行者として参加した人は菩薩の来迎の様子を疑似体験する。摩訶不思議な宗教行事だ。
三年に一度で直近は2017年に行われた。次回は2020年に行われるそうだ。
大脱線だが、2014年8月に行われた『お面被り』を取上げる。

2014年8月に行われた『お面被り』の様子
次回の予告
2020年のGWに行われる。もう既に行者の募集が公告されているんだ。直前に申し込んでも遅いのだろうな。
次回の予告
本堂に向かう様子
本堂に向かう様子_1
本堂に向かう様子_2
本堂に向かう様子_3
本堂に向かう様子_4
本堂に向かう様子_5
本堂に向かう様子_6
本堂に向かう様子_7

本堂で行事をしている様子はすごい人垣で全く見えない

上品堂に戻る様子
上品堂に戻る様子_1
上品堂に戻る様子_2
上品堂に戻る様子_3
札を撒く
上品堂に戻る様子_4
行列の最後に珂碩上人像が本堂に戻る
行列の最後に珂碩上人像が本堂に戻る
最後に山主(住職)のあいさつがあり、南無阿弥陀仏と念仏をくりかえして、行事が無事終了した
最後に住職のあいさつ
『浄真寺お面被り』を開設したページへjump

本堂から見た上品堂
この道の上に仮設の橋が架かり、お面被り行事が行われる。
本堂から見た上品堂_1
本堂から見た上品堂_2
本堂から見た上品堂_3
本堂から見た上品堂_4

上品阿弥陀如来像3躯(東京都有形文化財)
いずれも珂碩上人が制作した像だ
上品阿弥陀如来像3躯(東京都有形文化財)_1
上品阿弥陀如来像3躯(東京都有形文化財)_2
上品阿弥陀如来像3躯(東京都有形文化財)_3
上品阿弥陀如来像3躯(東京都有形文化財)_4
上品阿弥陀如来像3躯(東京都有形文化財)_5
上品阿弥陀如来像3躯(東京都有形文化財)_6

浄真寺三仏堂(上・中・下品堂)
世田谷区指定有形文化財(建造物)
平成元年3月17日指定
所在地 奥沢7-41-3  内部非公開
江戸時代
各棟とも 桁行7間(17.1m)、梁間5間(10.7m)、一重、寄棟造、銅板葺
附 棟札 元禄11年10月、浄真寺起立由来書 元禄8年6月7日、珂憶上人書簡(写)、珂憶上人行業記(写)
九品仏の名で親しまれている浄真寺は浄土宗の寺院で、その名の由来である9体の阿弥陀仏を安置する建物が三仏堂です。本堂の西側に3棟の仏堂が並び、中央が上品堂(じょうぼんどう)、北側に中品堂(ちゅうぼんどう)、南側に下品堂(げぼんどう)が配置されています。3棟とも同じつくりで、内部に阿弥陀如来像を3体ずつ安置する全国的にも珍しい形式です。
棟札には、元禄11年(1698)10月、第2世住職珂憶上人(かおくしょうにん)によって上棟されたことが記されています。

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広い境内の本堂の対面に3つの阿弥陀堂があり、それぞれに3体合計9体のそれぞれ印相の異なった阿弥陀如来像が安置されている。この9体はそれぞれ、上品上生(じょうぼん・じょうしょう)、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生という、浄土教における極楽往生の9つの階層を表しており、これらをあわせて九品(あるいは九品往生)という。この九品の仏から、浄真寺は通称「九品仏」と呼ばれている。
このような九体阿弥陀は、他に京都の浄瑠璃寺にも見られる。
これは『観無量寿経』に説く九品往生(くほんおうじょう)の思想に基づくものである。極楽往生の仕方には、信仰の篤い者から極悪人まで9通りの段階があるとされ、「上品上生」(じょうぼんじょうしょう)から始まって「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」に至る。浄真寺の九品仏の場合、阿弥陀如来の印相の内、定印を「上生印」、説法印を「中生印」、来迎印を「下生印」とし、親指と人差し指(中指、薬指)を接するものをそれぞれ「上品」「中品」「下品」に充てる。なお、九品往生を9通りの印相で表す教義的根拠は明確でなく、日本において近世になってから考え出されたもののようである。

 

九品仏浄真寺(3)

本堂
珍しいお面被り行事が行われる片方のお堂になるが、それは後の回に取り上げることにする。今回分ではお堂の仏像を見ていただこう。
側面
明治30年の『戰捷紀念(戦勝記念)』などという奉納の額もあった。う~~ん、当時は仏教離れの時期じゃなかったのかなあ。このお寺に限っては、篤い信仰心があったのかなあ。
側面
斜め前からの様子
斜め前からの様子
入り口
入り口
本尊釈迦如来像《東京都指定文化財…有形文化財(彫刻)》
丈六あるそうだ。世でいう大仏様だ。開山珂碩上人が自ら制作した仏像だそうだ。上人は一筋の人だったんだなあ。
本尊釈迦如来像《東京都指定文化財…有形文化財(彫刻)》_1
本尊釈迦如来像《東京都指定文化財…有形文化財(彫刻)》_2
本尊釈迦如来像《東京都指定文化財…有形文化財(彫刻)》_3
本尊釈迦如来像《東京都指定文化財…有形文化財(彫刻)》_4
本尊釈迦如来像《東京都指定文化財…有形文化財(彫刻)》_5
本尊丈六の釈迦如来を安ず。開山珂碩上人手づから彫刻する所なりと云。左右に善導円光大師の木像を安ず。
宗祖法然上人像
法然上人の画は歴史の教科書で見たような気がするが、歴史担当の偏向教師の教え方に反発して、殆ど教科書を開かなかった。敵をとられたような気がするなあ。
宗祖法然上人像
五劫思惟像(ごこうしゆいぞう)
下記の解説の通りだそうだ。半分ほど毛髪を分けてほしいなあ。
五劫思惟像(ごこうしゆいぞう)
五刧思惟阿弥陀如来は、阿弥陀如来の異形のひとつで、経説によると四十八の大願を成就するために永い間、剃髪をすることもなく坐禅・思惟していたので、このような髪形になったという。劫とは永い時間を示す単位で、方四十里もある大磐石を百年に一度ずつ白氈で払って、その石がすりきれてなくなっても終わらない時間だといい、要するに永遠・無限をさすものと解してよいであろう。
五刧思惟像の遺品はきわめてすくなく、この像(東大寺)のほか、東大寺の末寺五劫院の像、同じ勧進所の十数cmほどの小像のほか、奈良十輪院、京都大蓮寺、和歌山道成寺、京都西向寺、東京淨真寺などに見られるにすぎない。

開山珂碩上人像
額には『松露斎』と書かれてあるそうだ。珂碩上人の号は松露で、松露と号された上人像をまつったということだろうか?この像は、自画像ならぬ自刻像だそうだ。万治元(1658)年7月24日、42歳の時に彫刻した旨の添書があるそうだ。360年前の『自撮り』なんだ。
開山珂碩上人像_1
開山珂碩上人像_2

鐘楼
非常に美しい鐘楼だ。近づけないようになっているので、望遠で撮るしかない。
鐘楼_1
鐘楼_2
本堂の南にあり。2間四方、鐘の大さ径り3尺、高5尺。播州尾上道隆寺の鐘に擬したる由にて、龍頭の脇に穴あり。疣銘文あれども考證に由無れば載せず。
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鐘は、宝永5年(1793)世田谷領の深沢、谷岡又左衛門の寄進で、作は、神田鍛冶町の河合兵部郷藤原周徳である。堂屋も欅造りで欄間には十二支がほられ、北に子、南に午がほられている。

 

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7月17日(火)-19日(木)は、京都と大阪とを観光します。この間、記事更新のみとし、私からのアクセスはお休みさせていただきます。大変申し訳ありません。m(_ _)m

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