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散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

目黒区外の庚申塔など(3)

奥澤神社と庚申塔
自由が丘駅からぶらぶら歩き出した。この日は世田谷区奥沢界隈を歩いた。世田谷区というと目黒区からはすごく遠いという感じがある向きがあるかもしれないが、自由が丘駅の南口を出るとすぐ世田谷区奥沢になる。なので、ごくごく近いところでもあるのだ。その辺りをぶらぶら歩きをして奥澤神社に着いた。
自由が丘駅からぶらぶら歩き
こうしてみるといい街だなと思う
自由が丘駅からぶらぶら歩き_1
自由が丘駅からぶらぶら歩き_2
自由が丘駅からぶらぶら歩き_3
自由が丘駅からぶらぶら歩き_4
自由が丘駅からぶらぶら歩き_5
自由が丘駅からぶらぶら歩き_6
自由が丘駅からぶらぶら歩き_7
自由が丘駅からぶらぶら歩き_8
自由が丘駅からぶらぶら歩き_9
奥澤神社
発祥は、室町時代までさかのぼる古い神社のようだ。が、失礼ながら、大した神社とは思えなく、祭礼の「奥澤神社の大蛇お練り神事」だけが注目に値するものかなと、個人的には思っている。
鳥居が見えてきた
鳥居に大蛇が絡みついている。それが何とも奇異な感じに見える。ここの氏子たちは元は農民だっただろうが、今は歴とした高級住宅地の住民たち。わら細工はどうやって行っているのだろうか?どうやら今でも氏子たちがまもっているようだ。
鳥居が見えてきた_1
鳥居が見えてきた_2
鳥居が見えてきた_3
鳥居が見えてきた_4
鳥居が見えてきた_5
鳥居が見えてきた_6
境内に入る
境内に入る_1
境内に入る_2
境内に入る_3
境内に入る_4
境内に入る_5
境内に入る_6
この説明文は、一文多意で非常にわかりづらい。これが教育委員会の人たちの書いた文章なのだろうか?
境内に入る_7
境内に入る_8
社殿は確かに立派だ。
境内に入る_9
境内に入る_10
境内に入る_11
境内に入る_12
PDF画像を借用した
境内に入る_13
生命力旺盛な樹木
息も絶え絶えの状況かと思うのだが、どっこい葉を茂らせている。見事なものだ。
境内に入る_14
境内に入る_15
本殿に安置されている大蛇
奥澤神社の祭礼について、『新編武蔵風土記稿』巻之五十には「祭礼九月十五日、村民ウチヨリテ神楽ヲ奏ス」との記述しか見当たらない。一般には9月第2土曜日に行われる「奥澤神社の大蛇お練り神事」が知られている。
この神事については、次のような由来が伝えられている。江戸時代の中頃、奥沢の地に疫病が蔓延した。ある夜名主の夢枕に八幡神が現われた。八幡神は「藁で作った大蛇を村人が担いで村内を巡行させよ」と名主に告げた。名主は早速夢告に従って新藁で大きな蛇を作り村内を巡行させたところ、疫病は程なくして治まった。藁の大蛇は厄除けの守護神として崇められ、年に1度村内を巡行する祭が始められた。

べんてん道
境内に入る_16
弁財天女社地の石柱在り
境内に入る_17
境内に入る_18
境内に入る_19
境内に入る_20
境内に入る_21
八幡小学校発祥の地
世田谷区立八幡小学校はここからスタートか。元の八幡神社にあったからのネーミングだったのだろう。
境内に入る_22
庚申塔ほか
庚申塔
割と見やすい感じで残っていた。文字が何と彫られているか確認するのを失念してしまった。(^_^;)
庚申塔ほか_1
庚申塔には「享保三(1718)年」の銘があり、「青面金剛講中」のものだ。
庚申塔ほか_2
「南無大師遍照金剛」の碑
南無大師までは何とか読むことができたが、遍照金剛はよむことができなかった。説明されると、ああなるほどという感じかな。文政三年「下沼部村密蔵院現住廣照」と刻まれているそうだ。密蔵院が奥澤神社の別当寺であったことの証のようだ。沼部は今では大田区か。所在地は、大田区田園調布南。区境も入り乱れているが、そんなに遠くはないはずだ。
庚申塔ほか_3

 

目黒区外の庚申塔など(2)

渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔
渋谷川に架かる渋谷区東3-17に存在する庚申橋。その袂のテアトルエコーのビルの向かいに大型の庚申塔がある。渋谷区の説明板の記載によれば、寛政十一年(1799年)にたてられた『橋供養碑』と位置付けられるものらしい。しかも、大変珍しいとある。一方で、埼玉県には『橋供養碑』が少なくないという説明をするブログもあった。『橋供養碑』が珍しい存在か否かは別として、ちょっと風変わりな石碑だ。
異様に大きく細長い
渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔_1
最上段の文字を読むと、麹町、四ツ谷千田谷(千駄ヶ谷)、瀬田谷(世田谷)竹上村、用賀村、下馬引澤村、新田村(どこかな?)、隅田村(そう見えるが、だとすると結構遠いなあ)、下豊澤村(渋谷氷川神社近辺)、麹町とある。まあ、近辺の人が殆どだが、すぐ近くの住民ではない。
渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔_2
渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔_3
『橋供養碑』を兼ねる庚申塔なのだろう。庚申塔ということになれば、庚申講のメンバーがたてるもののはずだ。それなのに、かなり多くの名前が彫られてある。地域的にも地元の人ばかりでない。縁のある人が趣旨に賛同してお金を負担した事情がうかがえるが、そういうことをうまくまとめたコーディネーター(橋講中の世話役)のような働きをした人がいたのだろう。
渋谷川下流方向
渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔_4
渋谷川上流方向
渋谷区の庚申橋袂にある庚申塔_5
彫りが美しい。素人が彫ったのではなく、石屋さんに彫らせたように思える。合掌六臂の青面金剛の右には『天下泰平』、左には『国家安穏』と書かれ、それ以外の余白部分には、人名が余すところなく刻まれている。人名が各所に及ぶので、庚申橋を通る道は、江戸時代には重要な交通路であったと渋谷区は結論付けているが、そうだったのかなあ。両隣の比丘橋や渋谷橋の方が主要道だった気がするが。

 

目黒区外の庚申塔など(1)

恵比寿西の庚申塔

このところ目黒区の庚申塔を見て歩いている。以前にも取り上げたことがあるが、、お隣渋谷区の庚申塔もついでなので、再登場させる。

気が付かない人もいるかな
土一升金一升の土地にある。しかも、しっかりとした大谷石の囲いの上だ。気が付かなかったり、気が付いていても遠慮してしまう人も多いかもしれない。祀られているものは、目黒区のそれと大同小異。渋谷区も江戸近郊の農村だったんだなあ。
以前から、こういう土地に固定資産税などは課税されるのか気になっていた。庭内神祠でも相続税非課税になるようで、固定資産税も免除なのだろう。なので、多分、固定資産税もかからないのだと思う。課税に関する記述に関してはまったく自信無しなので、悪しからず。

気が付かない人もいるかな_1
気が付かない人もいるかな_2

屋根付きの中には4つの庚申塔が
見た目にははっきり見えない感じなのだが、写真には何故だかはっきり写る
全体像
屋根付きの中には4つの庚申塔が_1
屋根付きの中には4つの庚申塔が_2
屋根付きの中には4つの庚申塔が_3
屋根付きの中には4つの庚申塔が_4
屋根付きの中には4つの庚申塔が_5
寛文八年(1668年)
合掌していて、二鶏が彫られているのはわかる。素朴な感じだ。
屋根付きの中には4つの庚申塔が_6
延宝四年(1676年)
六臂のように見えるが、合掌はしていないようだ。三猿が彫られてある。廃仏毀釈のときに壊したのかなあ。
屋根付きの中には4つの庚申塔が_7
延宝二年(1674年)
合掌六臂だということはわかる。下部ははっきりしていない。
屋根付きの中には4つの庚申塔が_8
覚文四年(1664年)
三猿が彫られてあるだけ。シンプルだ。
屋根付きの中には4つの庚申塔が_9
そして雨曝しの庚申塔と馬頭観音とが
扱いに差があるなあ。せめて庚申塔だけでもと思うのだが、…。
廃仏毀釈の世になってからも作られていたようだ。意外だ。
明治三十八年(1905年)
そして雨曝しの庚申塔と馬頭観音とが_1
馬頭観音
そして雨曝しの庚申塔と馬頭観音とが_2

 

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