散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

猿島と海堡とを見る(2)

第2海堡
行政区としては千葉県となる。数年がかりの補強工事の真っ最中で、もちろん上陸は出来ない。両端にはクレーンが林立しているが、この辺は比較的普通に見える。
それにしても陸地に作られたお台場からでは砲弾が届かないということで造られた堡塁(砲塁)か。相手から丸見えで、海風が間断なく吹きすさぶ。配置についた人たちは怖かっただろうし、…。
第2海堡_1
第2海堡_2
第2海堡_3
第2海堡_04
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第2海堡_11
第2海堡_12
第2海堡_13
第2海堡_14
第2海堡_15
第2海堡_16
第2海堡_17
第2海堡_18
すぐ傍に見えるのが第1海堡
第2海堡_19
1889年8月起工、1914年6月完成。第一海堡と共に富津市に属する。浦賀水道と内湾の北側境界に位置し面積は約41,000平米。1923年9月1日の関東大震災により被災、その年の内に廃止・除籍された。
その後海軍が使用し、第二次世界大戦中は対空砲が設置されるほか、敵潜水艦の東京湾への侵入を防ぐ防潜網が設置されている。戦後は灯台が設置され、さらに1977年からは独立行政法人海上災害防止センターの消防演習場として利用されている。
以前は神奈川県からの渡し舟で釣り人が渡航していたが、侵食が進んでいることによる安全上の理由から2005年6月末に立入りが禁止された。
現在は第一海堡とともに海上保安庁によって灯台が設置されている。2009年度から耐震化工事が行われるなど、今後も灯台と消防演習場として存続される予定である。


第1海堡
第1海堡_1
すぐ傍に見えるのが第2海堡
第1海堡_2
第1海堡_3
第1海堡_4
1881年8月起工、1890年12月完成。富津岬の沖合いすぐに位置し面積は約23,000平米。東京湾要塞の海堡として最初に運用が開始された。
第二海堡と第三海堡は1923年9月1日の関東大震災により被災し、その年の内に廃止・除籍されたものの、第一海堡はその後も使用され、東京湾要塞の一部として第二次世界大戦の終了時まで運用された。
現在中央部が破壊されているが、これは第二次世界大戦後に日本を占領下に置いた連合国軍により要塞無力化のために破壊されたためである。
土砂の堆積と関東大震災による隆起のため、富津洲と地続きになっていたことがある。富津岬突端の展望台からは横須賀市を背景に第一・第二海堡を一望することができる。
現在は海上保安庁によって灯台が設置されている。なお財務省の所管であり、無断での立ち入りはできない。


第3海堡
今は海上からは痕跡も見えない。
1892年8月起工、1921年完成。横須賀市観音崎沖に建設され、面積は約34,000平米。三つの海堡の中で最も水深が深い位置(約39メートル)に造成されたため難工事となり、完成までに30年を要している。しかし完成から2年後関東大震災により崩壊し4.8メートルも沈下し、全体の三分の一が水没してしまったために復旧は困難と判断されて廃止・除籍された。
第三海堡跡は浦賀水道航路に隣接し、海上交通の輻輳から海難事故の原因と指摘されていた。航路として安全な水深を確保するため2000年12月から撤去工事が進められており、2007年8月に撤去が完了した。吊り上げられた構造物は第三海堡跡南西2,000m の海域に投棄され魚礁などに再利用されているほか、一部は陸揚げして綿密に調査され、当時の土木工事の水準を超えた人工島造成技術が分析されている。

 

猿島と海堡とを見る(1)

約1年前のイベントに参加した時の記録。古くて申し訳ない。
別のブログに私が書いたものを少し書きなおした


猿島
東京湾で唯一の自然島『猿島』。何故、わざわざ自然島という形容詞をつけたかといえば、このあとに見に行く『第二海堡』などの人口島があるからだ。
古くは日蓮上人が漂着した島であり、近世では、軍事上の拠点となった島でもある。現在は、海水浴場などになっている。横須賀を離れて久しいので知らなかったが、一時、海水浴場が閉鎖され、立ち入り禁止になっていた時期もあったようだ。
島内からは縄文時代の土器や弥生時代の土器・人骨が出土…というような案内があり、その昔は人が住んでいたようだ。今は無人島ということになっている。
猿島_1
猿島_2
猿島_3
猿島_4
猿島_5
猿島_6
猿島_7
猿島_8
猿島_9
幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点となる。幕末には江戸幕府の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された。実際に本施設が実戦に用いられたことはないが、島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランドル積みが見られる。

自家発電所
単なるぼろ小屋のようだが、暦とした軍事要塞の名残の自家発電所。昔は石炭で蒸気タービンを回すものだったが、現在は、ディーゼル発電機に変わっている。恐ろしく古めかしいが、『エコミュージアム猿島』の必要電力をソーラーパネルと共に担う現役選手とのこと。
レンガ煙突は、要塞であるとばれない高さに低く抑えられていたそうだ。
軍事要塞の名残の自家発電所_1
軍事要塞の名残の自家発電所_2
軍事要塞の名残の自家発電所_3
伝声管
アナログもいいところ、生の声を拡散しないように土管で囲み、さらに土管をレンガで覆うことで雑音の侵入を防ぐ。万全の備えで、離れた場所にいる相手に連絡を取り合っていたのか。それでも、発音のはっきりしない声は、相手には聞き取りにくいこと甚だしかったんだろうな。そういう欠点があっただろうけれども、兵隊さんがチョロチョロしていたんでは、敵に気付かれてしまうし、お互いに簡単には行き来できない場所もあったのだろう。
伝声管_1
弾薬庫の入り口
外部からはまったく見えないように切り開かれた切通しに設置されている。入ると、こんな狭いところが弾薬庫だったなんて驚き以外の何ものでもない小さな空間があった。そして、揚げるのに苦労しただろうごく小さな『揚弾井』が。そこから、上部にしつられられた砲台に、砲弾を供給していたわけか?大変な重労働だったんだろう。
まったくちゃっちい構造物にしか見えなかったが、この箇所のようなフランス積みレンガ建造物は全国で4件しかなく、猿島要塞は最大規模なんだそうだ。
弾薬庫の入り口_1
弾薬庫の入り口_2
弾薬庫の入り口_3
弾薬庫の入り口_4
弾薬庫の入り口_5
弾薬庫の入り口_6
弾薬庫の入り口_7
フランス積みレンガのアーチ造り洋式トンネル
日本で2番目に古い歴史を持っているそうだ。幻想的だ。彼女と一緒に来るべきところかもしれない。
フランス積みレンガのアーチ造り洋式トンネル_1
フランス積みレンガのアーチ造り洋式トンネル_2
砲台跡
狭い島内にあって、地表部分のかなりのスペースを占めている。明治中期に作られた砲台は、戦法の急変によって時代遅れになり、実戦に使われることは無かったようだ。というようなことで、猿島は暫く忘れられていた存在だったが、太平洋戦争末期に再度日の目を見ることに。高射砲が設置され、ガンガン使われたようだ。
砲台跡_1
砲台跡_2
砲台跡_3

 

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