墓参りした後、いわき市の中心である平に出た。そこにある飯野八幡宮にも忘れず参拝した。
何度か取り上げているので、簡単に取り上げるだけにとどめる。
この神社の殆どの建物が国指定の重要文化財なのだ。幣殿拝殿のみがいわき市指定有形文化財の扱いとなっている。
本殿、幣殿、拝殿
実に良い形の社殿だ。屋根も立派だ。






唐門、神楽殿
唐破風は側面にある


宝蔵
大震災で白壁に大きな亀裂が入った時には肝を冷やしたが、その後、無事修復がなされた

仮殿
日光東照宮のような豪勢な仮殿という訳にはいかなかったようだ。本殿の修復工事を行う時には、ご神体の仮住まいとなるべきところであるから、もう少し格好良く作っても良かったのではないかと思うが、国指定の重要文化財になっているので、造り直しは無理なのだろう。

楼門



若宮八幡社本殿

全景とはいかないが

重要文化財(国指定)
本殿 - 元和2年(1616年)上棟。桁行梁間共3間の入母屋造平入杮(こけら)葺。屋根は当初流造であったが、延宝2年(1674年)と元禄16年(1703年)の修理で入母屋造となる。
楼門 - 万治元年(1658年)建立。入母屋造、銅板葺(もと板葺)。
唐門 - 元禄16年頃建立。銅板葺の平唐門。
神楽殿 - 元和9年建立。入母屋造、鉄板葺(もと杮葺(こけらぶき))。
仮殿 - 寛文13年(1673年)建立。一間社流造、鉄板葺(もと板葺)。
若宮八幡社本殿 - 元和5年建立。一間社流造、板葺。
宝蔵 - 江戸時代初期建立。寄棟造、本瓦葺の土蔵。
大薙刀 銘「備州長船住盛景 貞治六年十一月日」 - 盛景は長船派の刀工、貞治6年は1367年。
飯野家文書 1,683通
いわき市指定有形文化財
飯野八幡宮幣拝殿 など
社伝によれば、前九年合戦後の康平6年(1063年)に、源頼義によって創建されたと伝えられる。これと別に、石清水八幡宮を勧請して文治2年(1186年)に建立したとする伝えもある。
浜通り南部でも最大級の神社であり、岩城氏や磐城平藩主など当地を本拠地にした権力者たちから崇敬を受けて来た。当初は、好嶋荘(好嶋西荘)政所が置かれた岩城郡飯野郷(村)の赤目崎見物岡(現在のJR常磐線いわき駅北側の高台)に建設され、12世紀以後に岩城氏が当地を本拠地にした時期を通して続いた。
しかし、関ヶ原合戦後に岩城氏は追放され、代わって徳川譜代の鳥居忠政が入ると、慶長7年(1602年)に現在地である八幡小路(福島地裁いわき支部の近く)に飯野八幡宮は移設され、移設後の飯野八幡宮跡地に磐城平城が建設された。なお、安藤氏が磐城平藩主だった時期(1756年 - 1868年)には、八幡小路に藩校施政堂が立地していた。
以上で、『ミニ帰省』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。
何度か取り上げているので、簡単に取り上げるだけにとどめる。
この神社の殆どの建物が国指定の重要文化財なのだ。幣殿拝殿のみがいわき市指定有形文化財の扱いとなっている。
本殿、幣殿、拝殿
実に良い形の社殿だ。屋根も立派だ。






唐門、神楽殿
唐破風は側面にある


宝蔵
大震災で白壁に大きな亀裂が入った時には肝を冷やしたが、その後、無事修復がなされた

仮殿
日光東照宮のような豪勢な仮殿という訳にはいかなかったようだ。本殿の修復工事を行う時には、ご神体の仮住まいとなるべきところであるから、もう少し格好良く作っても良かったのではないかと思うが、国指定の重要文化財になっているので、造り直しは無理なのだろう。

楼門



若宮八幡社本殿

全景とはいかないが

重要文化財(国指定)
本殿 - 元和2年(1616年)上棟。桁行梁間共3間の入母屋造平入杮(こけら)葺。屋根は当初流造であったが、延宝2年(1674年)と元禄16年(1703年)の修理で入母屋造となる。
楼門 - 万治元年(1658年)建立。入母屋造、銅板葺(もと板葺)。
唐門 - 元禄16年頃建立。銅板葺の平唐門。
神楽殿 - 元和9年建立。入母屋造、鉄板葺(もと杮葺(こけらぶき))。
仮殿 - 寛文13年(1673年)建立。一間社流造、鉄板葺(もと板葺)。
若宮八幡社本殿 - 元和5年建立。一間社流造、板葺。
宝蔵 - 江戸時代初期建立。寄棟造、本瓦葺の土蔵。
大薙刀 銘「備州長船住盛景 貞治六年十一月日」 - 盛景は長船派の刀工、貞治6年は1367年。
飯野家文書 1,683通
いわき市指定有形文化財
飯野八幡宮幣拝殿 など
社伝によれば、前九年合戦後の康平6年(1063年)に、源頼義によって創建されたと伝えられる。これと別に、石清水八幡宮を勧請して文治2年(1186年)に建立したとする伝えもある。
浜通り南部でも最大級の神社であり、岩城氏や磐城平藩主など当地を本拠地にした権力者たちから崇敬を受けて来た。当初は、好嶋荘(好嶋西荘)政所が置かれた岩城郡飯野郷(村)の赤目崎見物岡(現在のJR常磐線いわき駅北側の高台)に建設され、12世紀以後に岩城氏が当地を本拠地にした時期を通して続いた。
しかし、関ヶ原合戦後に岩城氏は追放され、代わって徳川譜代の鳥居忠政が入ると、慶長7年(1602年)に現在地である八幡小路(福島地裁いわき支部の近く)に飯野八幡宮は移設され、移設後の飯野八幡宮跡地に磐城平城が建設された。なお、安藤氏が磐城平藩主だった時期(1756年 - 1868年)には、八幡小路に藩校施政堂が立地していた。
以上で、『ミニ帰省』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。