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散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

江戸東京博物館(3)

江戸城本丸 大広間・松の廊下・白書院
諸大名が将軍に拝謁する大広間、それに続く松の廊下、勅使などの対面などに用いられた白書院の模型
白書院・松の廊下
中庭側から見た様子だろう。
白書院は、大広間に次ぐ格式をもつ書院で、約300畳の広さを持つ。表における将軍の応接所として公式行事に用いられ、御暇・家督・隠居・婚姻の許可への御礼時に諸大名はここで将軍と面会していた。
現在の『松の廊下跡』の表示のあるところに行くと、もう少しで高低差がかなりある蓮池濠になる。こんなに端っこの方だったのかと意外に思うのだ。図面を見ると、松の廊下の内側にはかなり大きな中庭があり、これがための大外に押し出されたのだろう。
赤穂藩主で勅使饗応役であった浅野長矩がこの廊下で高家肝煎の吉良義央に斬りつけた事件が起こった場所だ。

白書院・松の廊下
大広間
400畳以上の広さを誇り、江戸城内最大の書院だった大広間は、将軍宣下の儀式、武家諸法度発布、年頭の拝賀などの公的行事を行う最も格式の高い御殿だった。
大広間_1
大広間_2

江戸城
一番手前に見える櫓が、富士見櫓。天守閣が明暦三年の大火で焼失した後は再建されなかったので、その代役を富士見櫓が果たした。その奥の大きな屋根が大広間で、そこにL字型に赤屋根が見えているのが松の廊下。そして、その奥が白書院だと思う。長いレンズで細かく撮っておくべきだった。
江戸城_1
江戸城_2
江戸城_3
右が本丸で、左が二の丸か。現在の本丸跡は残念なことに、ほぼ更地になっている。天守閣もない。二の丸跡は、御苑として我々を楽しませてくれている。
江戸城_4

徳川家康公座像(複製)
本物は芝東照宮にあるようだ。家康公が生前に作らせた等身大の木造。
徳川家康公座像(複製)

右大臣外記方宣旨(うだいじんげきかたせんじ)(複製)
家康公は、朝廷から征夷大将軍に任じられると同時に、内大臣から右大臣に転任する。これは、右大臣任官の宣旨だそうだ。驚いたのは、印鑑などは一切使用していない書き物で終始していることだ。実物は日光東照宮にある。
徳川家康公座像(複製)

 

江戸東京博物館などを見に行った(2)

江戸東京博物館(2)
今回取り上げる2つの模型はいずれも寛永年間のもの。3代将軍家光の時代だ。江戸時代初期ということになる。
寛永の大名屋敷模型
江戸城本丸大手門の前に建てられた福井藩主松平伊予守忠昌の上屋敷。明暦の大火で焼失し、以後このような華麗な大名屋敷は姿を消したとのことだ。APS-Cで超広角レンズを用いているが、レンズの画角に収まり切れない。それにしても見事なものだ。江戸時代初期の徳川氏及び松平家の勢力のすごさを垣間見る思いだ。このきらびやかな御成門を見ると、鎌倉の建長寺の方丈の正門である唐門を思い出してしまう。
松平伊予守忠昌は、叔父にあたる水戸徳川家初代の徳川頼房と同じく、慶長12年(1607年)に家康側室の英勝院の猶子となり、同年11月、上総姉ヶ崎藩1万石を与えられることが、輝かしいキャリアの始まりだったのか。

寛永の大名屋敷模型_1
台所門
寛永の大名屋敷模型_2
御成門
寛永の大名屋敷模型_3
模型が建っていないところは庭園かと思ったのだが、そこにも何やら書き込みがある。びっちりと建物が存在したようだ。実物の1/30の大きさだそうだ。
寛永の大名屋敷模型_4
現在の東京・大手町のパレスホテルの隣、日本鋼管とAIUビルディングの辺りの広大な敷地だったそうだ。まさしくこの上屋敷の存在そのものが江戸城の強固な防御の一つだったのだろう。よほど家康が信頼していた証なのかもしれない。
寛永の大名屋敷模型_5
寛永の町人地模型
日本橋の北半分から現在の日本橋三越本店方面を見た感じになるようだ。町人地とはいうものの、大店ばかりの商業地だったはずだ。
橋の袂の右側は日本橋魚市場だったのではないかと思うが、省略したのだろうか。調べたら、日本橋の魚市場は、慶長年間(1596~1615)に始まったようだ。してみると、寛永(1624年~1645年)には、魚市場は間違いなく存在している。日本橋魚市場の歴史が始まったばかりで、関東大震災まで築地には移転していないはずだ。江戸幕府ができて20年ほどしか経っていない時期だったので、模型に取り入れるほどの規模には発展していなかったということなのかもしれない。

寛永の町人地模型_1
寛永の町人地模型_2
寛永の町人地模型_3
メインの通りは、現在の国道4号中央通りになるのかな。何百年にもわたるメインストリートなんだ。
寛永の町人地模型_4

 

江戸東京博物館などを見に行った(1)

両国駅前
当然ながらお相撲さんがいっぱい
失礼ながらあまり強くなさそうなのが多い感じかな。でも、あの白鵬でさえ、おチビさんでやせっぽちだったというし。ごく一握り、無事に育てば、…。
当然ながらお相撲さんがいっぱい
私はこちらが最初の行き先
駅からすぐはすぐなのだが、なんだかんだで数百mほどあるのかなあ
私はこちらが最初の行き先
JR両国駅
振り返れば、出てきた両国駅が見える
JR両国駅

江戸東京博物館(1)
建物
高所恐怖症の身には何気に怖さがある建物だ。はっきり言えば、回れ右して帰りたい感じ。
建物_1
建物_2
建物_3
展示室内部
日本橋
日本橋をイメージしたもの。説明書きを見ると、全長28間のうち、日本橋の北半分14間分を復元したものだそうだ。今の日本橋よりも短いとは思ったが、ちょうど半分の長さだったのか。それでも実物に忠実に復元してあるそうだ。
橋
中村座
『中むら きやうげんづくし かん三良』…今の言葉に直せば、『中村 狂言尽くし 勘三郎』かな。当時から勘三郎は大名跡だったということなのだろう。櫓幕に名前があるのは、中村座だから当然かな。『かん三良』の部分を読むことができなくて悔しい。当時の定紋は、角切銀杏だったようだ。初代以降の屋号が柏屋、十四代目以降が舞鶴屋、十七代目以降が中村屋。
ファザード部分だけ、この江戸東京博物館に実物大で復元されたのか。う~~ん。

中村座_1
中村座_2
朝野新聞社
朝野新聞(ちょうやしんぶん)の建物か。名前だけは聞いたことがあるようなないような。1876年11月から、社屋は今の銀座の服部時計店の場所にあったのか。今も頑張っていれば、不動産長者になっていたことだろう。こちらもファザード部分だけ、この江戸東京博物館に実物大で復元されたようだ。人間様が写っているが、人形ではなく、生身の人間様だ。
朝野新聞社

 

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