散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

明月院と東慶寺とに行ってきた(10)

東慶寺(6)
墓地の奥
かなり雰囲気が良い。できるものなら、ここに墓を構えたいものだが、できない相談というものだろう。
丈が高く、開放的な空間が広がる。埋葬されている人も満足していることなのだろう。
墓地の奥_1
墓地の奥_2
墓地の奥_3
墓地の奥_4
墓地の奥_5
墓地の奥_6
墓地の奥_7

松ヶ岡文庫への入り口近辺
この一角だけ、他とは違う雰囲気かな。そっとしておきたいエリアなのだろう。
関係者以外立ち入り禁止になっている
そういう扱いだ。詳細を知りたい向きは、下記『はまれぽ』の記事を参照されたい。
松ヶ岡文庫への入り口近辺_1
1941年に鈴木大拙が東慶寺境内に文庫を設立したのが始まりである。大拙の死後、住職の井上禅定の尽力により、財団法人として大拙が残した膨大な書籍を管理する団体となった。以降、『財団法人松ヶ岡文庫研究年報』を発刊するなどの研究活動を行っている。
『自歩』頌徳碑
松ヶ岡文庫への入り口近辺_2
ヤマボウシが咲いていたようだ
松ヶ岡文庫への入り口近辺_3
松ヶ岡文庫への入り口近辺_4
松ヶ岡文庫への入り口近辺_5
公益財団法人松ヶ岡文庫は、鈴木大拙博士(1870-1966)及び大拙の発願に賛同する有志、明石照男、石井光雄、岩波茂雄、安宅彌吉、小林一三、五島慶太、近藤滋彌、酒井忠正)により、昭和20年北鎌倉松ヶ岡に設立され、翌21年2月財団法人として認可を受けて発足した。文庫の設立は、かつて大拙の師であった釈宗演老師(1857-1919)によって発案されたものであり、松ヶ岡文庫の設立のひとつには、宗演老師生前の志を実現し、鎌倉の地に仏教研究の一拠点を作ろうというものであった。
はまれぽの松ヶ岡文庫を取り上げたページにjump

戻り路
お別れをしてくれたようだ
桔梗は、秋の花のイメージが強いが、実際の開花時期は六月中旬の梅雨頃から始まり、初秋頃までの花なのか。咲き始めは本当にきれいだ。
戻り路_1
泰平殿入り口の黒塀前には、四賀光子が詠んだ覚山尼讃歌の歌碑がある。『流らふる大悲の海によばふこゑ 時をへだててなほたしかなり』…確かにそういう感じがするなあ。
戻り路_2
戻り路_3
戻り路_4
戻り路_5
戻り路_6

以上で、『明月院と東慶寺とに行ってきた』シリーズは終了です。最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

明月院と東慶寺とに行ってきた(9)

東慶寺(5)
後醍醐天皇皇女用堂女王墓
東慶寺の五世用堂尼は後醍醐天皇の皇女。用堂尼の入山後、東慶寺は「松岡御所」と称され、寺格の高い寺として知られるようになった。
寺伝では用堂尼は護良親王の菩提を弔うために入寺されたという。その縁で江戸時代に護良親王の土の牢やお墓のある鎌倉二階堂は東慶寺の寺領となり、土の牢や墓、霊牌の安置された理智光寺等も管理したのだそうだ。
ここを上っていく。我々のような下々のものであってもアクセスできる。

後醍醐天皇皇女用堂女王墓_1
後醍醐天皇皇女用堂女王墓_2
やはりやぐらに納まっている。イワタバコも本格的には覆いつくしていなかった。畏れ多いとの認識なのだろうか。
後醍醐天皇皇女用堂女王墓_3
後醍醐天皇皇女用堂女王墓_4
すぐ近くに天秀尼の墓ほかがある。日蔭になっているところ。人が立っているすぐ前の墓。
後醍醐天皇皇女用堂女王墓_5
大した石段ではないと思ったが、意外と高かったようだ
後醍醐天皇皇女用堂女王墓_6
後醍醐天皇皇女用堂女王墓_7

覚山尼の墓
用堂女王墓の隣にあった。こちらもごく質素なものだった。第8代執権北條時宗夫人で、東慶寺開山開創の覚山尼の墓。覚山尼は、夫の暴力などに苦しむ女性を救済する政策を行なったと言われ、これが元で東慶寺は縁切寺(駆込寺、駆入寺とも)となったと言われているそうだ。この人に歴史ありなんだなあ。
覚山尼の墓_1
覚山尼の墓_2

天秀尼の墓ほか
中央が東慶寺20世天秀尼の墓。左が台月院の宝篋印塔。迂闊にも撮り漏らしてしまった。PDF画像を借用する。天秀尼は千姫の養女として寺に入れることを条件に助命されたそうだ。七歳にして、何たる厳しい運命に置かれたことなのだろうか。霊牌(位牌)の裏には「正二位左大臣豊臣秀頼公息女 依 東照大神君之命入当山薙染干時八歳 正保二年乙酉二月七日示寂」とあるそうだ。
天秀尼の墓ほか
母の名も、出家前の俗名も不明である。 記録に初めて表れたのは大阪城落城直後でありそれ以前には無い。同時代の日記『駿府記』に大坂落城の7日後の元和元年(1615年)5月12日条に「今日秀頼御息女(七歳)、従京極若狭守尋出捕之註進、秀頼男子在之由内々依聞召、急可尋出之湯由所々費被触云々」とあるのが初出である。

男僧たちの墓
男僧3世佐藤禪忠師、4世の井上禅定師などの墓が並ぶ。釈迦如来坐像を上に安置してあるのが男僧2世の釈宗演師の墓。知らずに、きちんと撮らずに済ませてしまった。大失敗。建長寺円覚寺両派の管長を兼任したこともあり、『東慶寺中興開山』の称号を与えられているとか。左から、2世、3世、4世の順に並ぶ。
墓の裏の崖にもイワタバコがびっしり。

男僧たちの墓_1
男僧たちの墓_2

石碑
上手い字だ。しかも、非常に読みやすい字で楷書で書かれてある。よく見ると、昭和末の円覚寺の僧侶の書のようだ。時代を反映しているものなんだ。釈宗演老師の窟号が『楞迦窟(りょうがくつ)』だそうだ。表題には、釈宗演老師を想う意味合いがあるのかもしれない。後半には、『…禅林一代傑祖宗師表是斯翁』と書いてあるように読める。一応字は判読できるのに、意味がとれない。勉強不足だなあ。
石碑_1
ここにもびっしりとイワタバコが自生している
石碑_2
石碑_3
石碑_4
石碑_5
石碑_6
石碑_7
石碑_8
石碑_9
石碑_10
こんな石碑もあった。こちらは、ほとんど読むことができなかった。
石碑_11

本堂裏の岩ガラミ
特別公開の期間が終了して、見ることができなかった。PDF画像を借用した。
本堂裏の岩ガラミ

 

明月院と東慶寺とに行ってきた(8)

東慶寺(4)
小さなお地蔵さまと井戸
如何にもお寺さんらしい情景。石像は最近だと、硬い石に彫ることが少なくないようだが、こちらは比較的新しくても昔ながらの砂岩に彫ってある。
小さなお地蔵さまと井戸_1
小さなお地蔵さまと井戸_2
イワタバコ
今回は、本当の目的はこのイワタバコの花を見ることだった。以前に登った鷹取山の岩肌にもイワタバコがあったが、花の時期ではなかった。また、あの山に登らなくてはいけないのかと思っていたのだが、東慶寺にも自生していて、みることができるという。喜んで出かけたのだった。
花は非常に小さく、下手糞な私は撮るのにかなり苦労した。はっきりしない画像で恐縮だ。
イワタバコ_1
イワタバコ_2
イワタバコ_3
イワタバコ_4
ホタルブクロと石像とイワタバコとで大きさを比べてほしい。イワタバコの花の小ささが良くわかると思う。
イワタバコ_5
葉っぱがタバコの葉と似た感じということなのかなあ。タバコの葉を見たのは、半世紀以上も前のことなので、忘れてしまった。調べてみたら、湿った岩壁に着生し、花は美しいので山草として栽培もされるもので、葉がタバコに似るのでこの名があるそうだ。また若葉が食用にできることから別名イワヂシャ(岩萵苣)ともいうのか。
イワタバコ_6
イワタバコ_7
イワタバコ_8
イワタバコ_9
イワタバコ_10
イワタバコ_11
イワタバコ_12
イワタバコ_13
イワタバコ_14
イワタバコ_15
イワタバコ_16

 

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8月7日(月)は、早朝から長時間外出のため、私からのアクセスは遅れます。大変申し訳ありません。m(_ _)m

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