散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

川越を歩く(8)

喜多院(2)
鐘楼門(附:銅鐘)
国指定の重要文化財。仙波東照宮の門として建立されたらしい。その当時は、東照宮は、今の慈眼堂が建つ位置にあった。再建の記録がないことから、山門と同様に、寛永15(1639)年の川越大火でも焼失を免れた可能性があるといわれているそうだ。
鐘楼門(附:銅鐘)_1
鐘楼門(附:銅鐘)_2
鐘楼門(附:銅鐘)_3
山門(附:棟札)
ここが山門だと気づかない方も多いかもしれない。歴とした国指定の重要文化財だ。棟札によれば、寛永9(1632)年に、天海僧正により建立されたとわかる。寛永15(1639)年の川越大火でも焼失を免れ、喜多院では現存する最古の建物。
山門(附:棟札)_1
山門(附:棟札)_2
五百羅漢
ほかのメンバーは見に入ったが、私はもう一人のメンバーを探していて、今回はパス。外側から2ショットのみ撮影。負け惜しみでいうわけではないが、少し遠いところから静かに眺めるのも乙なものだ。
五百羅漢_1
五百羅漢_2

仙波東照宮
駿府で没した徳川家康公の遺骸を日光山へ運ぶ途中で法要が行われたことから建設された。日光・久能山とともに日本三大東照宮の一つであるとされ、国指定の重要文化財である。週末はもう一段階中の拝殿までは入ることができるようだが、平日は塀の外から覗くしかない。
童謡『あんたがたどこさ』発祥の地は熊本とされるが、異説では川越のこの仙波東照宮だという説もある。熊本の歌ならば、『あんたがたどどこさ』『肥後さ』などというやり取りはないはずという説は説得力がある。熊本の人のお叱りを受けてしまいそうな話だが。
仙波東照宮_1
仙波東照宮_2
仙波東照宮_3
幣殿および本殿は一部見えるのみ。拝殿までの進入が許されたときは、仕切り柵の間からもう少しクリアな画像が撮れるのだが。
仙波東照宮_4

仙波日枝神社
実に小さな神社であるが、本殿は朱塗りの三間社流造、銅板葺で国の重要文化財に指定されている。殆どの方は信じられないかもしれないが、ここから赤坂日枝神社が分祀されたという。
仙波日枝神社_1
仙波日枝神社_2
仙波日枝神社_3
日枝神社は、埼玉県川越市小仙波町の神社。旧社格は県社。もともと喜多院の境内にあったが、県道建設のため大正時代に仙波古墳群という前方後円墳を開削して喜多院門前に移転した。
円仁(慈覚大師)が喜多院を創建(天長7年・830年)したおりに、その鎮守として貞観2年(860年)に坂本の日吉大社を勧請したものであるといわれている。東京赤坂の日枝神社(旧官幣大社)は、文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城の際に、この川越日枝神社から分祀したものである。(赤坂日枝神社もそう記述している)
本殿は朱塗りの三間社流造、銅板葺で国の重要文化財に指定されている。拝殿は老朽化が深刻だったため、近年、新拝殿が再建された。


以上で、今回の『川越を歩く』シリーズは終了です。最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

川越を歩く(7)

喜多院(1)
蔵造りの街並み、時の鐘と並んで、川越の代名詞のごとき寺院
多宝塔
埼玉県指定有形文化財(建造物)。なぜ、国指定の重要文化財になっていないのかと調べたら、老朽化により移築した際にかなりオリジナルのものに手が入ってしまったからのようだ。昭和48(1973)年に、現在地に移し、復元修理を施したそうだ。いずれ、国指定の重要文化財になるものと考えている。
多宝塔_1
多宝塔_2
有料ゾーンからの眺め
有料ゾーンの建物内部は撮影厳禁。撮っては見たいがルールには従わなければならない。かろうじて撮影が許されているお庭など屋外の分を撮ってみた。これがまた実に良い感じだ。
轉合(てんごう)の庭
家光公お手植えの桜(二代目)が中央に植えられてあった。非常に見事な庭だと思った。
庭(その1)_1
庭(その1)_2
庭(その1)_3
庭(その1)_4
庭(その1)_5
庭(その1)_6
曲水の庭
こちらの遠州流庭園も同様に見事
庭(その2)_1
庭(その2)_2
庭(その2)_3
庭(その2)_4
渡り廊下から
渡り廊下から_1
渡り廊下から_2
渡り廊下から_3
渡り廊下から_4
説明書きによれば、『轉合の庭』というようだ。『てんごう言って』とは『御冗談でしょう』的な意味合いの言葉らしい。たまたま読みかけの時代小説に盛んに出てくる。『癲狂(てんごう)』から出た語らしいとか。
渡り廊下から_5
その他
こちらからだと光線の加減がだいぶいい感じだ
その他_1
その他_2

慈覚大師が830年(天長7)に創建した天台宗の名刹で、正式には星野山無量寿寺喜多院という。
江戸時代初期、名僧天海大僧正が住職をつとめた寺として、また江戸城から移築された三代将軍徳川家光・春日局ゆかりの建物をはじめとする、多くの文化財を所蔵している喜多院の名は川越をというより、埼玉県を代表する寺院として全国的にも有名である。
徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府からの厚い庇護を受け、江戸城から豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築された。江戸城ゆかりの建造物に加え、山門・鐘楼門・慈眼堂などが重要文化財に指定されており、また隣接して、駿府で没した徳川家康公の遺骸を日光山へ運ぶ途中で法要が行われたことから建設された日本三大東照宮の一つである仙波東照宮もあり、江戸時代の香りを色濃く残す徳川家とゆかりの深い寺である。 また、日本三大羅漢の一つに数えられるこちらの五百羅漢は、人間の喜怒哀楽をよくとらえた様々な表情の石仏群でおよそ540体が境内に並び、観光客の人気を集めている。いずれも見学可能で、正月はだるま市・2月は節分会・春は桜まつりなどの催し物が開催され、四季折々の寺の風景も楽しめる。

 

川越を歩く(6)

ここから自由行動時間。喜多院に向かうことにする。その途中の様子。

川越キリスト教会
日本聖公会の小さなチャペル。気になる存在だったが、見学できないままだった。今回平日の午後一番の時間帯なので、聖堂の使用はなさそうだと思い、思い切って内部を見学させていただいた。堂内全体がノアの方舟をイメージした構造になっているのか。う~~ん。
川越キリスト教会_1
川越キリスト教会_2
川越キリスト教会_3
川越キリスト教会_4
川越キリスト教会_5
川越キリスト教会_6
川越キリスト教会_7
130余年の歴史がある川越キリスト教会。川越市内のレンガ建築の中で一番古いこの建物は、国指定有形文化財になっています。
川越キリスト教会は、英国系のプロテスタント教会で、その始まりは明治11年(1878)。現在の建物は、明治の川越大火で消失後の大正10年(1921)に再建されたものです。
建物の設計は立教大学にある「立教学院諸聖徒礼拝堂」も手がけたウイリアム・ウイルソン。立教大学同様にレンガ造りで、ところどころにあしらわれた焼きムラが建物全体を落ち着いた雰囲気にさせています。

芋十
ずっと気になっているお店。この日は休業日だったのかな?昭和40年頃にテレビで放送された渥美清さん主演のドラマ「泣いてたまるか」の舞台となった店だそうだ。
芋十
琺瑯製の住所表示プレート
琺瑯プレートのハンターでないので、めったに見つけられない。ここにもあった。仲間が『あいつは何を撮っているんだろうか?』という怪訝そうな目で見ていた。そんな変人扱いされるような代物かなあ。
琺瑯製の住所表示プレート
うなぎ『いちのや』
江戸時代からうなぎ名産の地と知られる川越。確かに市内にはうなぎ屋さんが少なくない。その中でも目立つ小江戸情緒を残した店構え。天保3年(1832年)から続く川越を代表するうなぎの老舗だそうだ。
うなぎ『いちのや』
成田山川越別院本行院
真言宗智山派の寺院。成田山新勝寺(千葉県成田市)の別院で、通称は川越不動。毎月28日には蚤の市(骨董市)で、11月には火渡り祭(柴灯護摩)で賑わう。本尊は不動明王だそうだ。
成田山川越別院本行院_1
成田山川越別院本行院_2
成田山川越別院本行院_3
成田山川越別院本行院_4
みまもり不動
なかなか強面なお不動様だ。思わず、居ずまいを正さなくちゃと思わさせられる。
成田山川越別院本行院_5
ここにもあった看板建築
いろいろなところに少しずつ残っているようだ。この家屋は外に手洗い設備が残っているところを見ると、かつては飲食店だったのかもしれない。
看板建築

 

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