散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

風入の日の円覚寺と建長寺(6)

建長寺(2)
行き掛けの駄賃にもう一度だけさっと拝観した。残念ながら新たな発見はなかった。
法堂(国指定重要文化財)
建物
約200年経過したばかりの建物だ。何が指定の決め手だったのだろうか?
法堂(国指定重要文化財)_建物
千手観音坐像
どこにも解説が見当たらない。文化財としての価値が皆無なのだろうか?そのような仏像を国指定重要文化財の法堂の中で毎日拝むものだろうか?
法堂(国指定重要文化財)_千手観音坐像_1
法堂(国指定重要文化財)_千手観音坐像_2
法堂(国指定重要文化財)_千手観音坐像_3
天井画
小泉淳作画伯の『雲龍図』。同画伯の作品は、京都の建仁寺にもある。
法堂(国指定重要文化財)_天井画_1
法堂(国指定重要文化財)_天井画_2
重要文化財で、禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物。方三間、裳階付、銅板葺き。文化11年(1814年)の建立である。内部には千手観音坐像を安置する。鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定された。天井画は小泉淳作筆の雲龍図。2005年愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の釈迦苦行像のレプリカが万博終了後パキスタンより寄贈され安置された。

唐門(国指定重要文化財)
唐門(国指定重要文化財)
重要文化財で方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現された。

三門(国指定重要文化財)
三門(国指定重要文化財)
安永4年(1775年)の建立で、2005年に重要文化財に指定されている。銅板葺きの二重門(2階建て)で、関東大震災で倒壊し、再建される。初層には仁王像などを置かず、門扉も壁もない吹き放しとしている。上層には宝冠釈迦如来像や銅造の五百羅漢像などを安置する(上層は非公開)。

建長寺大覚禅師塔(国指定重要文化財)
うっかりしていたが、建長寺にはもう一つ国指定重要文化財があった。と言ってもいわゆる堂宇ではなく、建長寺開山である蘭渓道隆の墓石と伝えられるもの。立入禁止のエリアにあるのでアクセス出来ない。
建長寺大覚禅師塔(国指定重要文化財)を解説した頁へjump
大覚禅師とは、蘭渓道隆の諡号(しごう:生前の事績への評価に基づき死後に奉る名のこと)である。高さ113センチの本塔は、彼を祀る西来庵(せいらいあん)を見下ろす丘陵上に建つ。彼の出自にふさわしく、無縫塔(むほうとう:卵塔(らんとう)ともいう)という中国伝来の形式で造られた安山岩製石塔である。

総門の掲額
『巨』の時に点が入った例の文字が見える。書き間違いだと思うのだが、…。
総門の掲額

御朱印帳
円覚寺のときの最後に取り上げるつもりで失念してしまった。御朱印帳はいつも持参し忘れていて、書きた余らないものが自宅に何冊かある。今回も持参し忘れたが、良い記念なのでまた一冊買い求めた。今回はいずれも達筆だったので、大満足。
これに建長寺の御朱印もいただこうと考えていたが、疲れていたのだろうか、すっかり忘れてしまった。

表紙裏
サービスで書かれてあった。嬉しい気遣いだ。
御朱印帳_1
北條時宗公廟
何種類か選択できるが、これしかないと選んだ
御朱印帳_2
舎利瞻禮(しゃりせんらい)
舎利殿をあおぎ見てうやまう、という意味合いになるのだろうか。崩し字でなくてかろうじて調べることができた。
御朱印帳_3

建長寺宝物風入目録
いつまでアクセスできるかはわからないが、アクセスしてみたい方はクリックされたい

JA02AH
北鎌倉上空はよくヘリコプターや飛行機が飛んでいる。それを何気なく撮ってみた。後で調べると、中日本航空所属のヘリコプターだが、機体下部から前方方向に大きく突き出している長い棒状のものを搭載していた。あれは何?プローブ・アンド・ドローグ式の空中受油装置(プローブ)かなあ?それとも何かの計測装置かなあ?
望遠端が250mm(フル換算400mm)ではちょっと厳しいなあ
JA02AH

以上で、『風入の日の円覚寺と建長寺』は終了です。最後までご覧頂き有難うございました。

 

風入の日の円覚寺と建長寺(5)

建長寺(1)
建長寺には、国宝(建造物)は存在しないものの、国指定の重要文化財(建造物)が、いくつか残る。山門、仏殿、法堂、昭堂、唐門だ。この内の昭堂以外は、通常の拝観時に見ることができる。写真撮影は道内をも含めて可能だ。
西来庵
残念ながら修行道場となっているため、一般人の立ち入りは禁止されている。風入だから舎利殿と同様に立ち入りが特別に許可されるのではないかと期待していたが、それほど甘くはなかった。
嵩山門(西来庵入口)
嵩山門(西来庵入口)_1
嵩山門(西来庵入口)_2
嵩山門(西来庵入口)_3
嵩山門(西来庵入口)_4
嵩山門(西来庵入口)_5
開山蘭渓道隆の墓塔を守る塔頭寺院である。三門の右手にある嵩山門(すうざんもん)が入口だが、そこから先は修行道場のため、一般の立ち入りは禁止されている。開山蘭渓道隆の墓塔(石造無縫塔)、蘭渓の肖像彫刻を安置する開山堂とその手前に立つ昭堂(重要文化財)などがある。昭堂は寛永11年(1634年)頃の建立である。
風入会場にて
風入会場(大庫裡と方丈)は円覚寺と同様に撮影厳禁である。そこは指示に従うとして、撮影が許可されている部分を撮った。
けんちん汁
「けんちん汁」の語源については、定かではないようだが、建長寺の修行僧が作っていたため、「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったといわれる説が有力だが、普茶料理の巻繊(ケンチャン - 野菜を刻み、豆腐を混ぜて炒め、油揚げか湯葉で巻いて油で揚げた料理)がアレンジされ、けんちん汁になった説などがあるそうだ。
その有力な説である建長寺のけんちん汁を食してみた。あっさりしたものだが、なかなか美味しかった。肉のたぐいは入っていないとは思っていたが、実際の具が何だったかは忘れてしまった。

けんちん汁_1
けんちん汁_2
お菓子も置いてあった。空きっ腹にはありがたかった。北鎌倉駅まで歩くエネルギーくらいにはなりそうだった。
けんちん汁_3
心字池
この方向(客殿『得月楼』)から撮ることができる機会は普段はないと思われる。それだけに貴重な機会なのだが、腕が未熟だった。
心字池_1
心字池_2
風入の会場はこちら
風入の会場はこちら_1
風入の会場はこちら_2
句碑と石碑
石塚友二の句碑
『好日やわけても杉の空澄む日』
石塚友二の句碑
この建長寺の境内を吟行しながら、何するもなく坦々と過ごしている今日というこの日、取り分けても老杉を見上げたその彼方にうかがえる秋空の何と清澄なことか。何とこの好日の心地よいことか。何するとも迫られていないこの秋日の清々しさと、心の内なる安らぎの調和こそ好日の証し。
花塚
4月8日はお釈迦様の誕生日で、花まつりが行われる。その後、花塚の前で花供養の法要が行われるのだそうだ。
花塚
茶筅塚
茶筅供養なるものがあるそうだ。茶道各流派の先生たちが、使い古した茶筅を焚きあげて供養する。茶はそもそも栄西禅師が中国から持ち込んだもの。その初期の頃から縁があったのだろう。
茶筅塚
茶盌塚
同様に茶盌も切っても切れない道具だった
茶盌塚
仏殿
建長寺で私が一番好きな建造物。派手すぎないところがたまらなく良いと思う。
外観
重要文化財。 寄棟造で単層裳階が付く。いつ見ても渋くていいなあと思う。
仏殿_外観_1
仏殿_外観_2
仏殿_外観_3
仏殿_外観_4
地蔵菩薩坐像
仏像の背丈(丈量)の一基準。仏は身長が1丈6尺(約4.85m)あるといわれることから仏像も丈六を基準とし,その5倍,10倍,また2分の1などに造像された。坐像の場合の丈六像は半分の約8尺(2.43m)。丈六より大きい像がいわゆる大仏像。
『吾妻鏡』には、建長5(1253)年11月25日に建長寺の供養が行われ、「丈六の地蔵菩薩をもって中尊となし、同像千體を安置」したことが記されている。現在、仏殿に安置されている地蔵菩薩坐像は室町期のものと考えられ、像高は371.5cmあるそうだ。大きさからして、吾妻鏡に記載されているものとは違う。

地蔵菩薩坐像_1
地蔵菩薩坐像_2
その他の像
その他の像
芝の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋建て替えに際し、譲渡されたもので、正保4(1647)年に建長寺に移築されている。
もともと霊廟建築として造られたものであるので、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっている。すなわち、屋根は入母屋造でなく寄棟造である。また、天井は禅宗仏殿では平板な「鏡天井」とし、龍などの絵を描くことが多いが、この仏殿の天井は和様の格天井である。


地蔵菩薩坐像を解説した頁にjump

 

風入の日の円覚寺と建長寺(4)

円覚寺(4)
仏殿
大正12(1923)年の関東大震災で倒壊したが、昭和39(1964)年に再建された。41年間の空白があったが、そのときは選仏場が代役を果たしていた。建物自体は比較的新しいものだが、『大光明寶殿』の扁額は、後光厳上皇から賜ったもの。仏殿不在の期間がこれほど長かったとは、私にとっては意外なことだった。
外観
外観
宝冠釈迦如来坐像
ご本尊は冠を被っておられるので、宝冠釈迦如来と呼ばれ、華厳の盧遮那仏とも称される。
頭部のみ鎌倉時代のもので、胴体は江戸初期に補造したもの。それがあって、市重文止まりなのだろうか?国宝や国指定の重要文化財が数え切れないほど存在する円覚寺だが、こと仏像に関しては、国指定の重要文化財は、阿弥陀如来及び両脇侍立像のみ。何故なのだろうか?

宝冠釈迦如来坐像_1
宝冠釈迦如来坐像_2
宝冠釈迦如来坐像_3
宝冠釈迦如来坐像_4
国指定の重要文化財『阿弥陀如来及び両脇侍立像』の説明頁へjump
天井の「白龍図」
龍の絵が臨済宗・黄檗宗の寺院では目立つような気がする。調べたら、下記の引用のような意味合いがあったんだ。こちらの白龍図は、前田青邨画伯(1885〜1977)の監修のもと、守屋多々志画伯(1912〜2003)によって描かれたもの。
天井の「白龍図」
龍は仏の教えをたすける八部衆の一つで龍神と呼ばれます。そのため多くの本山では、住職が上がって仏法を大衆に説く法堂(はっとう)の天井に龍が描かれ、それが法の雨(仏法の教え)を降らすという意味や、龍神が水を司る神であるため、火災から護るという意味がこめられます。

選仏場
江戸時代には選び出すくらいの数の仏像が置かれてあったのだろうか。そんな中での座禅は雰囲気があったのだろうと思う。
外観
選仏場とは、仏を選び出す場所という意味で、修行僧の坐禅道場のことだと円覚寺のHPには書かれてある。浅学非才の私には、仏を選び出す場所が何故座禅道場につながるのかよくわからない。舌足らずの表現なだけだとは思うが。
寄付した松平忠充公は名君といいたいところだが、とんでもない暗君だったようで、狂気であるとして改易に処されたとのことだ。

選仏場外観
元禄12年(1699)に伊勢長島城主松平忠充が、江戸の月桂寺・徳雲寺住職一睡碩秀の薦めにより、大蔵経を寄進するとともに、それを所蔵する場所と禅堂を兼ねた建物として建立されました。
薬師如来立像
衣紋を深く深く掘り出し、袖下を長く垂らす姿で、穏やかなお顔が特徴的。こちらも南北朝時代の仏像だが、文化財指定はないようだ。
薬師如来立像_1
薬師如来立像_2

桂昌庵
第四十九世承先道欽(しょうせんどうきん)の塔所。木造十王像が祀られていることから「十王堂」または「閻魔堂」とも呼ばれる。十王蔵像は、鎌倉十橋の一つ十王堂橋付近にあった十王堂に安置されていたものといわれている。本尊の矢柄地蔵は、宝鏡寺の地蔵堂から移されたもの。みな、他所から持ってきたものばかりだなあ。
総門を潜ったすぐ左側にある
桂昌庵

三門
231年前の建造物では、国指定の重要文化財には届かないのだろうか。円覚寺には仏像の国指定重要文化財がただ一つと書いたが、建造物でも国宝の舎利殿以外は、国指定重要文化財が存在しない。
三門_1
三門_2
三門_3
三門_4
三門_5
現在の三門は天明5(1785)年、開山・無学祖元禅師の五百年遠諱の年に大用国師によって再建され、現在は神奈川県指定重要文化財となっています。「円覚興聖禅寺」の扁額は、北条貞時の時代に伏見上皇(1265〜1317)より賜ったものです。楼上には通常非公開である十一面観音、十二神将、十六羅漢が祀られています。

 

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