散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

出羽三山を尋ねる一泊バス旅行(13)

羽黒山(2)
随神門から国宝五重塔(4)
継子坂を上る
246段の階段が待っているんだ。気合を込めなくては。
継子坂を上る
曲がり角の辺りに末社群が見える。境内社、磐裂神社、根裂神社、五十猛神社、大年神社、天神社、豊玉姫神社がある。
末社群が見える_1
末社群が見える_2
末社群が見える_3
末社群が見える_4
末社群が見える_5
末社群が見える_6
末社群が見える_7
末社群が見える_8
末社群が見える_9
末社群が見える_10
覚悟はしたものの、最後の最後になってもかなり息切れさせてくれた継子坂の階段
かなり息切れさせてくれた継子坂の階段
やっと随神門まで戻ってきた
やっと随神門まで戻ってきた

湯殿山
殆ど写真なし。なぜなら、殆どのところが撮影禁止だから。もう少し詳しく言えば、湯殿山では、ご神体に直接触れることができる。大きな岩に温泉が出ていて、詣でる人は素足で参拝することになる。そのご神体が丸出しなので、当然の事ながら撮影禁止ということなのだろう。
仙人沢駐車場付近の様子
湯殿山神社大鳥居のところにある仙人沢駐車場から徒歩もしくは庄内交通バスで神社に向かう。バスで5分くらいだが、歩くとどのくらいかかるのだろうか。完全な上り坂だし、それまでで足を酷使している。最後の参道と思しきところの上り下りも大変だ。バスで向かったほうが無難なように思う。神社の靴脱場で素足になり、お祓いを受け、ヒトガタを水に流し、ご神体に触れる。
仙人沢駐車場付近の様子_1
参籠所で日帰り入浴する方もいるようだ。マイカーの人向けかなあ。
仙人沢駐車場付近の様子_2
仙人沢駐車場付近の様子_3
仙人沢駐車場付近の様子_4
仙人沢駐車場付近の様子_5
仙人沢駐車場付近の様子_6
仙人沢駐車場付近の様子_7

出羽三山神社の湯殿山の該当頁にjump

『語られぬ湯殿にぬらす袂かな』の句の解釈
普通に解釈すれば、次のようなものだろう。
ここ湯殿山で修行する人は山でのことを一切口外してはいけないというならわしがあるが、そういう荘厳な湯殿山に登って、ありがたさに涙を流したことよ。
ところが、『松尾芭蕉の旅 おくのほそ道』によれば、次のような解釈となる。
いにしえより恋の山と聞こえた湯殿の里に分け入れば、語らず聞かずの幽谷の奥に尊き神秘を拝し、袂を濡らしたことであるよ。
う~~ん、深い解釈があるんだなあ。

即身仏の土地柄
一般に、ミイラは遺体から内臓等を取り出して防腐処理を施すなど人工的にその姿にしたものを言い、即身仏は、厳しい修行の末に体内から脂肪や水分を落とし、身体内の窒素率を消耗しつくし、腐敗雑菌の発生を防ぎ朽ちない身となり土の中に入って断食死し、その数年後に掘り出されたものを言うそうだ。
この地に残るのはミイラではなく、何とも有難い即身仏の方だ。混同しないでいただきたい。
ついでだが、ミイラはポルトガル語の見るミルラから来ているのか。いわゆる没薬だ。キリスト生誕の折に、東方の三博士が持参した黄金・乳香・没薬の没薬か。没薬は、本来は死者の身体に、死体の防腐剤として塗られるものだから、ミイラ化のためには不可欠だったのだろう。


瀧水寺大日坊の即身仏の記載頁へjump
即身仏を訪ねる旅のHPへjump

標高1,504m。月山に連なる湯殿山には、その中腹の渓流のほとりに湯殿山神社が鎮座しています。
古来から、出羽三山の奥の院とされ、その御神体は、熱湯の湧き出る茶褐色の巨大な岩です。日本人の信仰の原点ともいうべき自然崇拝を今に伝えるお山です。この神秘をかの松尾芭蕉も、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」と詠んでいます。
有料道路終点より本宮参拝バスに乗り換えると、約5分で出羽三山の奥宮とされる湯殿山神社本宮へ到着します。

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湯殿山神社は山形県鶴岡市田麦俣の湯殿山山腹に鎮座する神社である。旧社格は国幣小社、現在は別表神社。
湯殿山神社は、山形県庄内地方にひろがる出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)のうちの、湯殿山の中腹にある。湯殿山は月山に連なるものであり、湯殿山神社は、月山から尾根を西に8km下りた地点にあり、また、月山より流れる梵字川沿いにある。古来から修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者、参拝者を集めている。
湯殿山神社は、本殿や社殿がない点に大きな特徴があるが、もともと湯殿山は山岳信仰の対象であり、山自体に神が鎮まるものとして、人工的な信仰の場をつくることは禁じられてきたという。
明治以前、三山において神仏習合の信仰が盛んだったころ、羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、そして、当時三山のうちに含まれていた葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされた。一方、湯殿山は「三山」というよりもそれらを超えた別格のものとして、大日如来とされていた。
こうして、出羽三山においては、観音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来の導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越え、大日如来の境地に至って、即身成仏を達成するという「三関三渡」の修行が行われることとなった。この修行においては、裸足で御神体(湯殿山)に登拝することが、大日如来と一体になる行為とされ、非常に尊ばれた。
現在でも、湯殿山神社の本宮では、参拝の際に裸足になり、祓を受けなければならないとされており、俗世と隔離された神域として認識されていることがうかがわれる。


以上で、『出羽三山を尋ねる一泊バス旅行』シリーズはおしまいです。最後までご覧頂きありがとうございました。

 

出羽三山を尋ねる一泊バス旅行(12)

羽黒山(2)
随神門から国宝五重塔(3)
一の坂
入り口随神門から山頂まで羽黒山の参詣道をすべて歩いて登るとき、この一の坂から三の坂まで登ることになる。山頂まで1.7kmのこの道は江戸時代につくられたそうだ。2446段といわれる石段と樹齢約350年~500年の杉並木からなっている。フランスの旅行ガイド、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで三ツ星に認定されたコースだが、相当にハードなようだ。特に二の坂がきついそうだ。
我々のコースでは先に行かないようにコース設定がなされていた。よく見ると、チャレンジしている人たちが少なからずいた。

一の坂_1
この方は大丈夫だったかなあ。ちょっと心配になるような足取りだった。
一の坂_2
一の坂_3
一の坂_4
坂の途中にあった小さな神社
これは子守神社。相当に歴史を積み重ねてきた感じだ。この脇に西条八十の詩碑があるようなのだが、残念ながら見落としてしまった。
坂の途中にあった小さな神社_1
これは大直日神社らしい。大直日神 (おおなおひのかみ)は、異常でけがれた状態をただしくなおす神。黄泉国からもどった伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が禊をしたとき、八十枉津日(やそまがつひの)神の「枉」(不浄,不幸)をなおそうとして、神直日(かむなおひの)神の次に生まれたそうだ。ちんぷんかんぷんだ。
坂の途中にあった小さな神社_2
こちらは、なぜだか知らないが二通りの神社名が表記されてあった。一つは、天満神社。もう一つは、保食神社。その関係はどうなのだろうか。昔版のシェアハウスだったのかな。
坂の途中にあった小さな神社_3
一の坂から爺杉方面へ戻る道
ここは比較的歩きやすいが、残念なことにごくごく短かった
一の坂から爺杉方面へ戻る道_1
一の坂から爺杉方面へ戻る道_2
名もない石碑だろう。誰にも注目される様子がない。でも何か味わいがあると思った。碑面中央には、『奉書寫妙法蓮華経壹字壹石供養塔』とあり、碑面右側には、『奉唱満南無阿弥陀仏宝号百万遍』とあった。残念ながら、私には意味合いが理解できない。
名もない石碑だろう
祓川
祓川_1
祓川_2
祓川_3
須賀の滝
既述したが、滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し、祓川の懸崖に落した人工の滝だ。う~~ん、凄い。滝の麓にあるのは祓川神社(右)と岩戸分神社(左)。
須賀の滝_1
須賀の滝_2
須賀の滝_3
下居社と神橋
この下居社だけは神の文字がつかないようだ。なぜなのだろうか?
下居社と神橋_1
下居社と神橋_2

 

出羽三山を尋ねる一泊バス旅行(11)

羽黒山(2)
随神門から国宝五重塔(2)
神橋を過ぎると今度は上り坂
ただし、国宝五重塔までは、ダラダラとした上り坂なので、安心されたい。
神橋を過ぎると今度は上り坂
爺杉
この人物は私ではないので、誤解のないように
爺杉_1
爺杉_2
爺杉_3
帰り道でも再び見てみた
爺杉_4
杉木立の間から、国宝五重塔が見える。ここからの写真が一番良く撮れたような気がする。
杉木立の間から、国宝五重塔が見える_1
杉木立の間から、国宝五重塔が見える_2
国宝五重塔
素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で聳り立つ五重塔。素木造りで三間かどうかは別として五層であることは、誰が見てるわかる。でも、柿葺かなあとは思っても、屋根に関してが自信がなかった。再建されてからでも600年が経過したのか。悠久の時が経過していったんだ。雪にくるまれた五重塔も味わいがあるのだろう。
正面からの様子
撮影技術がない所為か、逆光気味の被写体をうまく撮ることが出来なかった。どうやって撮ればよかったのかなあ。勉強しなくちゃ。
国宝五重塔_正面からの様子_1
国宝五重塔_正面からの様子_2
国宝五重塔_正面からの様子_3
国宝五重塔_正面からの様子_4
国宝五重塔_正面からの様子_5
帰り際にも
国宝五重塔_正面からの様子_帰り際にも_1
国宝五重塔_正面からの様子_帰り際にも_2
側面などからの様子
国宝五重塔_側面などからの様子_1
国宝五重塔_側面などからの様子_2
国宝五重塔_側面などからの様子_3
国宝五重塔_側面などからの様子_4
一の坂から見た様子
国宝五重塔_一の坂から見た様子_1
国宝五重塔_一の坂から見た様子_2
国宝五重塔_一の坂から見た様子_3

羽黒山は、会津や平泉と共に東北仏教文化の中心であっただけに、数々の文化財に富んでいる。山麓の黄金堂は重文に、山内の五重塔は国宝である。古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院があったが、今はなく五重塔だけが一の坂の登り口左手に素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で聳り立つ杉小立の間に建っている。現在の塔は長慶天皇の文中年間(約600年前)庄内の領主で、羽黒山の別当であった武藤政氏の再建と伝えられている。

 

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