散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

またもや日本民家園に行ってきた(17)

(20)船越の舞台(国重民)
此処は日本民家園の敷地の一番上に位置し、くねくねと急な階段を登っていかなければ到着しない。年配者にはややきついロケーションかもしれない。斯く言う私も大汗をかき息を切らしながら、何とかたどり着いた次第。情けなや。
背面
鬼瓦は比較的小ぶり。回り舞台の真下に至る階段があり、狭い通路が続く。
背面_1
本当に頭上注意なのだ
背面_2
回り舞台の真下
回り舞台の真下_1
垂れ下がっている丸太を抱えて回す。完全に人力のみの力仕事になる。
回り舞台の真下_2
回り舞台の真下_3
回り舞台の断面図
回り舞台の断面図
正面
回り舞台になっているのがわかるだろうか。広角で撮ったので強調されすぎたキライがあるが、意外に広いのだ。
正面_1
正面_2
正面_3
船越の舞台 断面図
船越の舞台 断面図
客席から見た感じ。鬼瓦がかなり大きいのがわかろう。
客席から見た感じ_1
客席から見た感じ_2

2016年9月22日~10月10日:特別公開「旧船越の舞台」
飛び飛びの開催になる。開催日時には十分注意していただきたい。
案内ページにjump

回り舞台を備えた漁村の歌舞伎舞台
この舞台は、もと志摩半島の漁村の神社境内にありました。建てられたのは江戸時代末期の安政四年(1857年)です。
屋根は正面が入母屋造、大棟(おおむね)には凝った鬼瓦を配しています。これに対し背面は切妻造で、鬼瓦も小さく単純です。こうした外観は、正面性を重視する舞台建築の性格をよくあらわしています。なお、鬼瓦や軒先瓦につく「若」の字は、舞台建築に若者組という伝統的青年組織が関わったことを記念するものです。
舞台両側の張出し部は出語りといい、上手(正面に向かって右側)は芝居の語り手の席、下手は寄付金を扱う会計係の席です。
舞台装置としては、直径三間(5.4m)の回り舞台、スッポン(せり上がり)のある花道、高所作業用の簀子(すのこ)等、歌舞伎芝居のために必要なものはほとんど備えています。


以上で『またもや日本民家園に行ってきた』シリーズは終了です。最後までご覧頂きありがとうございました。

 

またもや日本民家園に行ってきた(16)

(23)菅原家住宅(県重文)
日本民家園の中で、私が一番好きな家屋。グシグラという屋根棟があったり、屋根に高窓(ハッポウ)を設けて採光の工夫をしたりと、何度見ても見飽きることがない。実に素敵な形状だ。
たまたま、記事掲載直後に1泊のバスの旅で、移築前にあった辺りに行く。どんなところだったのか十分に見ておきたい。

ガイドブックとニラメッコのうら若き外国人女性
ガイドブックとニラメッコのうら若き外国人女性
間取り
間取り
外観
冒頭にも書いたとおり渋い外観だ。豪雪地帯にあった住宅とは言っても、対処の方法は合掌造りとはかなり異なるものだ。
外観_1
外観_2
外観_3
外観_4
清宮家越しに見た様子。清宮家の屋根はかなり傷んでいるけど、菅原家の屋根はすっきりしている。この違いはどこから来るんだろうか?
外観_5
屋内の様子
アマヤ
濡れたものを、これより先に持ち込まないための空間
アマヤ_1
アマヤ_2
ニワ
内部を以下のように区切って使用していた
ナヤ&モノオキ
ナヤ&モノオキ_1
ナヤ&モノオキ_2
イナベヤ
イナベヤ_1
イナベヤ_2
モノオキ&ナガシ
モノオキ&ナガシ
オメ
奥の部屋はウヘヤ。暗くてよくわからない。この間が居間に相当する間だろう。何分にも流しと隣接していて、何かと便利だ。近いこまれた素晴らしい間だ。
オメ_1
オメ_2
シモデ(デイ)
奥に見えるのはカミデ。後でじっくり見る。この間は用談をしたり、機織りをしたりする専用の場所だったのかもしれない。南部曲屋の工藤家が囲炉裏が一つだったのに対し、こちらは2つ用意されていた。寒さの度合いが違ったのだろうか。とは言うものの、火棚が用意されておらず、あくまでも予備の囲炉裏の色彩が強かったのかもしれない。
シモデ(デイ)_1
シモデ(デイ)_2
カミデ(アミダサマ&トコノマ)
重要なお客様をもてなす間であり、神事仏事を行う間でもあった。奥に見えるのがウヘヤ。
カミデ(アミダサマ&トコノマ)_1
カミデ(アミダサマ&トコノマ)_2
カミデ(アミダサマ&トコノマ)_3
カミデ(アミダサマ&トコノマ)_4

屋根に高窓のある豪雪地帯の家
湯殿山麓の田麦俣(たむぎまた)集落やその周辺には、ハッポウ造と呼ばれる独特の民家が分布しています。養蚕のために二層三層をつくり、屋根に高窓(ハッポウ)を設けて採光の工夫をしたその姿は、非常に特徴的です。
菅原家住宅もこのハッポウ造の民家で、高い軒や板壁で囲った外観などに豪雪地域の家づくりがうかがえます。
豪雪は間取りにも影響しています。大戸口前のアマヤ(前室)をはじめ、ニワ(土間)に物置やイナベヤ(板敷)を設ける点などは、雪の多い冬場の暮らしを考慮した工夫です。

 

またもや日本民家園に行ってきた(15)

(19)岩澤家住宅(県重文)
この住宅は神奈川県愛甲郡清川村にあった。清川村は、2016年4月現在、神奈川県唯一の村であり、県内の市町村では最も人口が少ない。が、宮ケ瀬湖があり、規模と位置の割には有名な村だ。
川崎市教育委員会のHPによれば、梁は太く、梁組は豪快だが、虫害等による再用不能の材も多く、移築修理時にかなりの梁が新材に置き換えられているそうだ。山間の土地だから、いくら野鳥さんが頑張っても、虫食いの被害は免れなかったのだろうか?

元の在り処
山の中だ。今でも村のままだということがよく分かるロケーションだ。だが、『村』として単独でやっていけるのは、三浦郡葉山町と同様に、それだけ裕福な土地なのかもしれない。PDFファイルを借用。
元の在り処_1
元の在り処_2
間取り
間取り
外観
臨時の補修がなされた状態になっていた。いずれ、本格的な修理が入るのだろう。茅葺屋根の真上が霞んだようになっているのは、中で囲炉裏に火をくべているからだ。
ダイドコロの周囲の外壁は、竹材で覆ってある。そうしてある理由は何だろうか?北東側の防寒及び風雨対策なのだろうか?

外観
屋内の様子
ダイドコロ(ドマ)
かなり広い空間になっている。ホイロがでんと置かれてあるのも印象的。
ダイドコロ(ドマ)_1
ダイドコロ(ドマ)_2
ホイロは昔の手揉み茶の製造装置だ。お茶は重要な収入源の一つだったのだろう。
ダイドコロ(ドマ)_3
ザシキ(ヒロマ)
昔の人は、本当に働き通しだったんだなあ
ザシキ(ヒロマ)_1
上述のとおり、梁は豪快だが、虫食いなどのために、移築時に新材に置き換えられたものがあるようだ。但し、2本の梁行(建物の棟と直角の方向)梁は当初材で、一本の木を半割にして使用しているのだそうだ。半割にしても、これだけのボリューム。かなり、ごつい感じだ。桁行 (けたゆき) の3本の梁はおそらく、新材だろう。この部屋は、夏は風通りが良くて快適だったことだろう。
ザシキ(ヒロマ)_2
ザシキ(ヒロマ)_3
ザシキ(ヒロマ)_4
デエ
客間なので畳敷きになっている
デエ_1
ヘヤとの出入り口の右に押板がある。床の間の前身のもの。
デエ_2
デエは客座敷だが、床の間はなく、かわりにヘヤとの境に押板を設ける。県内の古民家では、押板はザシキとヘヤ境のザシキ側に付けられるのが通例だから、この形式は特異である。
ヘヤ
寝室兼納戸かな
ヘヤ

茶畑に囲まれた山間の農家
この建物は、名主もつとめた農家の家でした。谷間の斜面に敷地をひらき、江戸時代は炭焼きを中心に、焼畑農業や林業を仕事にしていました。
屋根は、典型的な入母屋造です。間取りは、「ザシキ(居間)」「デエ(座敷)」「ヘヤ(寝室)」からなる広間型三間取りです。しかし、園内に移築された他の神奈川県内の古民家には見られない特徴がいくつかあります。まず、デエの正面を半間後退させ、ここにザシキへの出入口を設けています。また、デエには押板(おしいた、床の間の前身)を備え、ヘヤにはザシキからだけでなくデエからも出入りできるようになっています。

 

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