散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

観音崎にて(2)

神奈川県立観音崎公園
ボードウォークから観音崎公園へ向かう
最初は小さく見えていただけ。当然ながら、観音埼灯台も見えていない。
ボードウォークから観音崎公園へ向かう_1
斜面には山紫陽花が自生している
ボードウォークから観音崎公園へ向かう_2
その昔、何に使用したものだろうか?気になっているが、疑問解消には至っていない。
ボードウォークから観音崎公園へ向かう_3
だんだん近づいてきた。
ボードウォークから観音崎公園へ向かう_4
ボードウォークから観音崎公園へ向かう_5
ボードウォークから観音崎公園へ向かう_6
ボードウォークから観音崎公園へ向かう_7
ボードウォークから観音崎公園へ向かう_8
京急ホテルはあんなふうに見える
ボードウォークから観音崎公園へ向かう_9
観音崎公園にて
航行する船舶
昼下がりなので絶対数が少ないのか、大型船の航行はなかった。この程度でも最大級だった。つまらないなあ。それにしてもコンテナをあんなに積み上げて大丈夫なのだろうか?
観音崎公園にて_1
観音崎公園にて_2
この狭い海域でも釣り船は頑張っている。多分絶好の釣り場なのだろう。
観音崎公園にて_3
観音崎公園にて_4
ああいうのははた迷惑なことだろう
観音崎公園にて_5

ちょっと、灯台が見える辺りまで歩くことにする

途中の道筋
石畳なのだ
観音崎公園にて_6
観音崎公園にて_7
こんなものがあった
観音崎公園にて_8
観音崎公園にて_9
観音崎公園にて_10
ヤマアジサイが所狭しと咲いている
観音崎公園にて_11
行基菩薩所縁の洞窟
観音崎公園にて_12
観音崎公園にて_13
観音埼灯台
やっと灯台が見えてきた。3代目ではあるが、初代は日本最古の洋式灯台か。
観音崎公園にて_14
観音崎公園にて_15
観音崎公園にて_16
観音崎公園にて_17
観音埼灯台は、日本の灯台。日本最古の洋式灯台として神奈川県横須賀市、三浦半島東端の観音崎に立っている。白色八角形の中型灯台で、日本の灯台50選に選ばれている。東京湾、浦賀水道を照らし、東京湾海上交通センターとあわせ海上交通が輻輳する浦賀水道航路の安全に寄与している。また日本初の洋式灯台であり、この灯台の着工日を記念して11月1日が灯台記念日に指定された。初代の設計はレオンス・ヴェルニー等が担当したが、大正時代の地震により2度再建され、現在の灯台は3代目にあたる。周辺は県立観音崎公園となっており、自然環境が保護されている。
観音寺跡
此処に観音寺があったから、観音崎と呼ばれるようになったのか。
観音崎公園にて_18
観音崎公園にて_19
西脇順三郎の詩碑
ルナンという学者のことは知らないなあ。詩の内容を考えていたら、完全に足が止まってしまった。
観音崎公園にて_20

今回はこれにておしまい。次回行く時には、走水なども見て回りたい。

 

観音崎にて(1)

京急馬堀海岸駅から京急バスで観音崎に向かう。途中から素晴らしい景観が広がる。つい途中下車したくなる感じだ。それをぐっと我慢。岬めぐりのバスの終点一つ手前で下車した。地名は『観音崎』と表記し、灯台名は『観音埼』と表記するようだ。
横須賀美術館
この美術館の売りはこのテラス席からの景観の良さだ
横須賀美術館_1
満席になるとthe End。なかなか順番が回ってこないのではなかろうか。
横須賀美術館_2
こちらは別館の谷内六郎館。ある程度以上の年代の方は、画伯が週刊新潮の表紙絵の画家だったことと、その独特の作風をご存知のことだろう。
横須賀美術館_3
海との位置関係がお分かりいただけるだろうか。大抵の日は、千葉県側が見えるのだ。
横須賀美術館_4
横須賀美術館_5
観音崎京急ホテル
海を眺めながらのんびりと食事をいただくというのは、さぞかし気分がいいんだろうなあ。
観音崎京急ホテル_1
観音崎京急ホテル_2
横須賀美術館よりも海に近いというか、海までたったの2mほどだ。
観音崎京急ホテル_3
ボードウォークからの眺め
想像がつくだろうが、釣り船天国だ
ボードウォークからの眺め_1
ボードウォークは、素足で歩いても非常に気持ちが良い。このベンチに腰掛けて小一時間ほどまったりと過ごした。
ボードウォークからの眺め_2
ボードウォークからの眺め_3
波が殆ど立たないから、シーカヤックには最適なんだろう
ボードウォークからの眺め_4
ボードウォークからの眺め_5
千葉方面
千葉までは確かに近い。私の父も遠泳で3回横断している。
千葉方面_1
千葉方面_2
旗山崎方面
日本武尊が登場する歴史上の土地。なぜ、あちら側へ舟で渡ろうとしたのかは私にはわからない。おそらくあちら側が見える距離だからだろう。後年、日蓮が反対側のコースを取ろうとして遭難した話も有名だ。
旗山崎方面_1
旗山崎方面_2
旗山崎方面_3
地元に伝わる伝説によれば、日本武尊が上総に渡る時に海が荒れていて進むことができなかったのでこの場所に臨時の御所を設けたことから、「御所ヶ崎」と呼ばれるようになりました。御所の背後の山に軍旗を立てたことから「旗山崎」とも呼ばれるようになりました。
古事記や日本書紀によると、日本武尊が東国征伐の際、走水から上総(現在の千葉県)へ船で渡ろうとした時、海が荒れて進めなくなってしまいました。そこで弟橘媛命は海神の怒りを鎮めるために、身を投じて荒れ狂う海を鎮めました。

LNGタンカー
PUTERI NILAM SATUという船名が見えた。LNG船の形状も技術の進歩で初期の頃のものとはかなり違ってきているようだ。調べてみると、マレーシアのサラワク州ビンツルのLNG基地から日本等アジア諸国へLNGを輸出するマレーシアLNG第3(ティガ)プロジェクト用に、マレーシア・インターナショナル・シッピング社が6隻建造したプテリ・インタン・サツ級の3番船とのこと。2003年9月19日、三菱重工業長崎造船所で竣工。プテリ・インタン・サツ級のLNG船は、日本で建造されたLNG船では初めてガストランスポート・メンブレン方式のLNGタンクを採用しているそうだ。
LNGタンカー_1
LNGタンカー_2
近くに来ると、400ミリの単焦点レンズでははみ出してしまう。ずっと先に行くまでその状態だった。狭い海域を航行しているのがお分かりいただけるだろうか。
LNGタンカー_3
LNGタンカー_4
LNGタンカー_5
LNGタンカー_6
第一海堡かな
東京湾の防衛ラインとして、観音崎~猿島~富津岬の海岸や島に砲台を建設する案があったが、当時の火砲の射程からそれでは不十分ということなり、富津岬~横須賀間の海中に3基の海堡(海上砲台)を約2.5km間隔で建造することになった。
第一海堡は富津岬の先端から1kmほどのところに築かれ、岬の中ほどにある元洲砲台からは約3kmの位置になるそうだ。 なお、第2海堡も存在するが、第3海堡に関しては、航行の障害になるということで撤去されている。

第一海堡かな
着工は1881年(明治14年)、そして1890年(明治23年)竣工ということで工期は9年ということになります。このあたりの水深は比較的浅く、約5mほどの海中に捨石を入れて埋め立てました。日清戦争(明治27年)や日露戦争(明治37年)のときには榴弾砲14門などが装備されています。その後の関東大震災(大正12年)では第二、第三海堡が大破したのに比べて第一海堡の被害は少なく、太平洋戦争では海軍の高射砲陣地が置かれていました。
東京湾海上交通センター
観音埼灯台と誤認する人が少なくない。観音埼灯台は観音崎公園をかなり進んでいかないと見えてこない。こちらは、空港の管制塔の海バージョンと考えればよいだろう。
東京湾海上交通センター_1
東京湾海上交通センター_3
浦賀水道航路及び中ノ瀬航路へ入航する巨大船等から入航前に航路入航予定日時、その変更があればその変更日時等の通報(航路通報)を受理し、航路入航時刻の決定及びその指示を行います。
また、東京湾に設置されている4つのレーダ(観音埼、本牧、海ほたる、浦安局)及び各々の船舶からの位置の通報(位置通報)により航路内の船舶の動静を把握し、航法是正及び船舶衝突等の危険が予想される場合の注意喚起、視界不良時における航行制限など航路航行中の船舶に対して航行安全のための適切な指示、助言を行っています。

 

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